Title
沖縄中南部方言における形容詞形態論の輪郭(上)
Author(s)
津波古, 敏子
Citation
沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO(5): 1-39
Issue Date
1986-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/5721
沖縄大学紀要第5号(1986年)
沖縄中南部方言における
形容詞形態論の輪郭(上)
津波古敏子 〔-〕奄美・‘沖縄方言に属する沖縄中南部の方言では、takasaNまたはtakahaNとい う単語はく高い>という意味をあらわし画hazikasaNまたはhazikahaNという 単語はくはずかしい>という意味をあらわす。takasaN、hazikasaNまたは takahaN、hazikahaNのようにいわゆる終止形が-saN形式または-haN形 式であらわされる単語は人やものの性質・状態をさししめしていて、文の中で はその形をかえて修飾語や述語としてはたらく。このような、特徴をもつこれ らの単語は、また、名詞のかざりになるという連体的な機能を基本的な特徴と してもっていろ。このような語彙=文法的な特徴によってこの種類の単語を形 容詞として他の単語のグループから区別することができる。 琉球方言における形容詞の終止形は方言によってそれぞれ異なった表現形式 をもっていろ。たとえばく高い>という意味参あらわす、いわゆる終止形には taka恩aN、takahaN、takasam、'takasari、takaJeN、takaJa:L、 takakai、takasa:、takaha:などがある。どくおおまかにいえば、-saN 形式は沖縄中南部を中心に奄美、八重山にひろく分布し、-haN形式は沖縄北 部を中心に分布しながら奄美と八重山に点在していろ。また、-Sam、-sari形 式は奄美に、-JeN形式は沖縄北部の本部半島に、-Ja:L形式は宮古の多良 間島に、-kai形式は宮古にそれぞれ分布していろ。また、-sa、-ha形式 は奄美、沖縄、八重山において他の形式と併用されるかたちで点在していろ。 各地に分布しているこれらの諸形式は、発生系統の観点からすれば、 もとの形takaに「あり」が融合して成立したもので、融合するとき接 辞saを媒介にするか、あるいは接辞kuを媒介するかによって、sa系列 -1沖縄大学紀要第5号(1986年) とku系列にわかれろ。sa系列には-sa系、-saN系(-Sam系)、-sari
系があり、ku系列には-kai系がある。各地に分布している諸形式のうち、ka4
系が宮古にだけ存在するのは興味のある問題である。琉球方言の形容詞の終
止形にはこのほか-saiN、-haiN、-sa:N、-ha:N、-Je:N、-a:N などがあるが、これらはいずれも-saN系のヴァリアントである。 目たとえば沖縄中南部方言の形容詞は、takasaN、takaSataN、taka-sare:、takasatiN、takasaruのように活用して、語幹に-saあもってい る点で標準語の活用形とかなり異なっていろ。その形式からして琉球方言の形 容詞は標準語のぱあいとちがう過程をとおって成立したであろうことが想像さ れろ。形容詞の形態についてのべろ前に、ここでtakasaN形式の成立について検討してみた(4)この形式の成立についてチェンバレン(1895)は抽象名
2) 3) 詞と動詞Zanの融合によるものであると説明していて、金城朝永(1944)そ の他の研究者もこの立場にたっていろ。 ちなみにtakasaN<高い>の過去を沖縄中南部のほとんどの方言がtaka- sataNの形式であらわすbこれに対して沖縄南部にある渡名喜島の方言ではta-kasaZLataNのように分析的な形式であらわす。そして、この島の方言では接 続形もtakasaZare:<高ければ>、takasaZajiga<高いけれど>、ta-kasa2akutu<高いので>と過去形のぱあいとおなじように分析的な形式であらわしていろ。ついでにいえば、係助詞の-duと-9aでtakasaNをとり
たてて表現するとき、沖縄中南部ではどの方言もtakasaduZaru<高くぞある(高いのだ)>、takasagaara<高くがあら(高いかしら)>のような
分析的な形をとる。これらの分析的な形式はtakasaNがもとtakasaとZaN の結合によってできたものであることをものがだっていろ。さらに、うちけし の形式が渡名喜島ではtakasane:Nであり、久高島ではOakaOana:Nで あることをみれば、takasaNがtakasaとzaNの融合であることにうたがいを さしはさむ余地はなさそうである。 -2-沖縄大学紀要第5号(1986年) takasaNがtakasaとZaNとの融合によってできあがったものであるとすれ ば、このばあいのtakasaはチェンパレンが説明しているように名詞だろうか。 ところで、首里方言にZaciju:<熱湯>hwi:dukuru<さむいところ> kuhwaciburu<かたい頭>takade:<高価>mi:ja:<新しい家>cu- raziN<きれいな着物>のような複合名詞がある。これらの名詞は形容詞 ZacisaN<熱い>hwi:saN<寒い>kuhwasaN<かたい>takasaN<高 い>mi:saN<新しい>curasaN<美しい>のzaci-、hwi:-、kuhwa-、 taka-、mi:-、cura-にそれぞれju:<湯>tukuru<ところ>ci-buru<頭>de:<代、値段>ja:<家>ciN<着物>の名詞がむすびつい てつくられたものである。これらの複合語の中でのzaci-、hwi:-などの形 式は連体的な役割をになっていて、ここに形容詞のもっともふるい姿をみるこ とができる。そこで、名詞と結合するこの形式を形容詞の原形と名づけておこう。 形容詞と名詞との複合語のぱあい、かざりになるのはものの性質や状態をあらわ す形容詞や、感覚をあらわす一部形容詞で、これらの形容詞の大部分は古代語 のク活用形容詞に対応するものである。ところで、このグループの形容詞に は、動詞とくみあわさって複合語をつくっているものがあって、たとえば、 takaZataisuN<高くつく>curasugaisuN<美しく装う>tu:miguiSuN <遠まわりをする>jasiZuisuN<安売りをする>hwe:ma:sisuN<早死に する>などがそれである。これらはtakasaN<高い>curasaN<美し い>tu:saN<遠い>jaQsaN<安い>hwe:saN<早い>の原形に、それぞ れ動詞ZatajuN<あたる>sugajuN<装う>miguN<めぐる、まわる>Zu- juN<売る>ma:sjuN<死ぬ(敬語)>の第一中止形と動詞suN<する>が tjすぴついたものである。これらの複合語は形容詞原形が連体的な機能ばかりでな く連用的な機能をももっていたことをしめていろ。 他方、連用的ノコミ機能をもっていな(形容詞のばあいはsaを媒介にして用言とt'すぴつ| いていろ。たとえばkhwi:saN<さむい>ja:saN<ひもじい>ma:saN<おいしい> -3-
沖縄大学紀要第5号(1986年) の原形は、動詞第一中止形十suNとくみあわざることによってつぎのような複合語をつ くっていろ。hwi:saguhwai<寒さでこごえること>hwi:sahusizi<寒さ よけ>hwi:samagai<寒さでちぢこまること>hwi:samaki<寒さにまけ て体をそこなうこと>hwi:sa2umi:<寒がり>ja:sano:si<空腹を-時
しのぐためにすこし食うこと。虫おさえ>ja:sazini<餓死>ja:sagami
<空腹でがつがつ食うこと>ma:sani:<おいしく煮えること>にsuN<す る>がついたものなど。saを媒介にして形容詞の原形は、また、動詞suN<す る>とむすびついて、たとえば、hwi:sasuN<さむがる>acisasuN<あつ がる>hago:sasuN<きたながる>hazikasasuN<はずかしがる>sabi-QsasuN<さびしがる>kasimasasuN<うるさがる>ja:sasuN<ひもじ い思いをする>hwi:sakurisjasuN<寒さに苦しむ>ja:sakuri-sjasuN<飢えで苦しい思いをする>などのような複合動詞をつくっているぱ あいもある。なかでもcurasaN<美しい、きれい>のばあいは、saをくっつ けた形がつぎのように、副詞として機能している。 ①研集の木の花やあん美らさ咲ちゆいわ身も伊集なとてま白咲かな く伊集の木の花はあんなに美しく咲いていろ、わたしも伊集になってまつ 白に咲きたい>(琉歌) ②to:huko:ticu:sicura:sawasiritine:raN.<とうふあか つてくるのを、すっかりわすれてしまった> このsaのついた形式がさらに述語として機能するようになっているのを琉 歌やことわざにみることができる。 4沖縄大学紀要第5号(1986年) ⑨大山平松や枝持のき-J:らさ 大山めやらべの手振りきょらさ
<大山村にある平松(笠松)は枝ぶりがうつくしい。そのように大山村の娘
たちの踊りの手ぶりはみごとでうつくしい>(琉歌) ④面影よ残す昔との川に縁の水汲だろ無蔵が手ほさ く昔の面影をのこしているとの許'田の井戸で、手水をくんで縁をむすんだという人の手がほしい>(琉歌)
⑤ZutumuzurasadudaNnazurasa. ̄<お供が美しければ、旦那も美しい(旦那がひきたつ)>(ことわざ)
久米島具志川村の方言ではtakasa:、takaha:のように-sa:、-ha: 形式が述語としてつかわれているし、同様に奄美では一sa、-sa:が観察‘ 4) されろ。⑥kurijo:ka:2are:magiha:2
<これよりは、あれがおおきい>(具志川村嘉手苅) ⑦ni:nuNbusa:.- <荷がおもい>(具志川村嘉手苅) ③hwa:nuulsa. <葉がおおきい>(宇検村須古) ⑨ni:nuubusa. ̄ <荷がおもい>(宇検村須古) 5沖縄大学紀要第5号(1986年) ⑩kubinuuhWisa: ̄ <首がおおきい>(住用村戸玉) このようにして、形容詞の原形は接辞saがくっつくことによって連用的な
機能が拡大された。そのおかげで複合語や派生動詞をつくることができたし、
同様に、述語としても機能することができるようになった。しかし、接辞Saのつい
た形式は述語になることはできたが、自分自身でテンスやムードなどの文法的
な意味をあらわしわけることができない。その欠点をのりこえるためには動詞
ZaNとむすびつく必要があった。すなわち、動詞ZaN<ある>とむすびつく ことによって、ZaN形式のもつ文法的な表現能力をかりて文法的な意味を表現しわける能力を獲得しなければならなかったのである。ZaNがもっている文
法的な意味と機能のおかげで形容詞の原形は文法的な意味を弁別する能力を獲
得して、活用の体系のわくをひろげたのである。 沖縄本島の大部分の方言では首里、那覇方言のようにZaNは原形にsaのつ いた形式にすっかり融合されてしまっているが、沖縄本島周辺の方言では-8aとZaNが融合しない形式を活用体系の一部にもっていろところがある。渡名喜
島の方言では、現在をあらわす終止形が、takasaN、takasanuであるのに対して、過去をあらわす形はtakasa2ataN、条件をあらわす形はtakasa-
2are:<高ければ>takasa2ara:<高いなら>、理由をあらわす形はtaka-saZakutu<高いから>のように分析的なかたちであらわす。この方言では ZaNの語形をかえることによって形容詞の文法的な意味をあらわしわけてい る。ここでのZaNは存在動詞としての機能と語彙的な意味をうしなってし まって、すなわち、動詞の実質をうしなって、文法的な機能と意味をあ らわす形式としてはたらいている。 接辞saをくっつけた形容詞の原形は、連用的な機能を拡大することによって 動詞とむすびついて複合語をふやし、派生語をつくり、また自分自身のあたら 6沖縄大学紀要第5号(1986年) しい活用の形式を手にいれた。これまでみたように接辞saがくっついた形式と エaNとのむすびつきが連語的なむすびつきではないとすれば、takasaN、 hazikasaNなどにおけるtakasa、hazikasaはチェンバレンらのいうように 名詞とみるわけにはいかないだろう。もし、takasa、hazikasaが名詞であ るとすれば、格助詞'がくっつくはずである。しかし、hananuZaN<花があ る>hwima叩2aN<ひまがある>とはいえても、magisanuZaN、hwi:一 sanuZaNhazikasanuZaNとはいえない。もっとも、 ⑪近さたるがけて油断どもするな梅の葉や花の匂や知らぬ く近いのをあてにして、油断をするな。梅の葉はおなじ梅の木に咲く花の匂 はしらない> ⑫Zuhusanikatazikiru:
<(数の)おおい方にきめよう>(じゃんけんをする時の掛け声)
⑬Zanugutunaco:ti2icuru2ujaQkwanumuni2ucinukm・isa
kaNge:re:……… <あのように泣いて行く親子の胸内の苦痛を考えろと……>(久米) のように、対格や与格の名詞としてはつかわれろ。しかし、このぱあい、上の 例でいえば、「近さ」「Zuhusa」「kurisa」は「近いこと」「おおいほう」 「苦しいこと、苦痛」という意味でつかわれて、語彙的な意味にずれをおこし てしまう。 ここで、時代をさかのぼり、琉球方言のもっともふるい文献資料である『お もろさうし』(1531~1623,全22巻、歌謡総数1554首)の形容詞を一瞥 して気がつくことは、語幹とよばれている部分の連体修飾の用法、あるいは「語 7沖縄大学紀要第5号(1986年) 幹十さ(しや)形式」の終止という用法が形容詞の用例の大半をしめしている ことである。「語幹十さ(しや)ノ形式」は述語としてもちいられているのが
圧例的におおい。なかでも注意をひくのは、「語幹十さ(しや)形式」に動詞
「ある」や補助動詞の接続した形があることである。 Dやなもひや たがなちやろくわが とがきよらさ$ (謝名もいは) (誰が生んだ子かしら) (こんなに美しい) (こんなに見たい) こがみぼしやあよるな (中略) じゃない、が じゃなうへばるのぼて けやげたるつよ'よ (謝名もいが) (謝名上原にのぼって) (蹴上げた露は) (露からして香しい) つよからどかばしやある (14-982) ちやなのよかりしま うみ亘』2ミーニニー亜_ムーム (謝名のよき島は) (海がちかいのだから)(15-1100) あかわりきやおもろ くちまざしやあもの (あかわりのおもろは) ぐまさい、ことばだから)(5-253) めつらしやゐくにいけいけし さうさしやりゐくにいけいけし(11-649)  ̄ここでも、前述した形容詞の文法的な意味と機能をあらわしているのは、「ある」や補
助動詞の部分であることがわかる。『おもろさうし』の中で「語幹十さ」はそ
れだけで、あるいは「ある」をくっつけた形で述語となるが、主格の助詞をと
もなって主語となることはない。とすれば、古代語の形容詞語幹が「ある」と
結合するとき、第一形容詞が「-きあり」>「-かり」、第二形容詞が「-に
-8-沖縄大学蒋凄第5号(1986年) あり」>「 ̄なI)」、「とあり」>「-たり」のように、接辞「き」「に」「と」を介し て「あり」に接続したのに対して、琉球方言では、接:辞「さ」「き」を介して「あり」 に接続したとみることができる。したがって、takasaNのtakasaは名詞ではない といえるだろう。
こうして、接辞「さ」「き」を介してzaN「ある」とむすぴつWご形式のうち、「_さ
あり」は一saN系として奄美・沖縄・八重山地域で根をおろし、他方、「_きあり」 は ̄ka係として宮古で根をおろして、おおまかにいえば、この二系列が琉球方言の 形容詞の勢力を二分していろ。(な紙沖縄中南部方言においては「_きあり」はう ちけしの形にあらわれろ。)〔三〕形容詞に属する単語は文法的な意味を表現するために文の中でいろいろ形をか
えろ。奥田靖蝋鈴フト重幸のおしえにしたがえば、文の中でとろ個々の単語形式があらわ す形態論的なカテゴリーには、活用のカテゴリーと派生的なカテゴリーがあって、活用 のカテゴリーは活用体系の中で土台をなすものである。活用のカテゴリーにはきオTつづき、 テンス、ムードがあり、派生的なカテゴリーにはみとめ方、ていオコlいざ、うやまい方があ る。しかしながら、形容詞はムードのカテゴリーにさそいかけや命令をもっていないし、 また文法的な派生形式にも動詞のようなゆだかざをもっていない。 つぎに、形容詞の形態のひろいだしとその位置づけについてあらつぽく記述する。〔四〕きれつづき
形容詞や動詞に属する単語は文の中にはいって文の成分となるとき、文のど の位置あしめろかによって形をかえ、その形のちがいによって他の成分との関 係のしかたをしめしたり、文法的な意味笏あらわしわけたりする。この形式の ひとつひとつが文の中での位置や他の成分とのかかわり方をしめしていろとい うことによって、ここにきれつづきというカテゴリーをたてることができるだ ろう。きれつづきのカテゴリーをあらわす形式には連体形、いいおわる形、か かりむすびの形、接続形、ならべたてる形、中止形、およ甑とりたての形、準 体形が属する。形容詞の機能という観点からすれば、これらの形式のうちもっ とも基本的なものは連体形で、他の形式は述語の機能をもつようになってから -9-沖縄大学転霊1第5号(1986年) ひとえ文やあわせ文の中で発達した形式といえるだろう。
ここでは首里方言の形容詞に焦点をあてながら記述をすすめていくことにす
る。(なお、用例の表記には音韻記号をもちいろ。) 1.連体形 この形は文のおわり以外に位置して連体修飾語としてはたらいている形式で ある。名詞の前に直接して、名詞があらわす人やものの属性をある側面から限定する。第一形容詞の連体形は-saru形式かあるいは-si:形式のどち
らかであらわされろ。 ⑭ki:N印:sarU2e:dadutamirari:ru. <木もあおい間は矯められる>(ことわざ)⑮Nkasikara幽旦型211ki:jakazi2atainucu:saNdi2juN.
<昔からたかい木は風あたりがつよいという>(久米) ⑯jamatUkaramizirasi:sinamuNnuco:N、 <大和(本土)からめずらしい品物がきている>(自然)⑰wa:ga2unujo:naZuturusi:kutusuruwake:ne:jabiraN
 ̄_ <私がこのようなおそろしいことをするわけがございません>(廃藩) ⑱mi:tunda:hukasi:muNnu2asasi:ImuN <夫婦(の中)はふかいものであり、(また)、あさいものでもある> (ことわざ) ふつう-saru形式をとる単語は人やものの外面的な状態をあらわす形容詞で -10-沖縄大学紀要第5号(1986年)
古代語のク活用形容詞に対応するものといわれ、-si:形式をとる単語は心情
的な側面をあらわす形容詞で古代語のシク活用形容詞に対応するものといわれ ていろ。しかし、形容詞のすべてにこのことがあてはまるわけではない。たとえば、wi:rikisaN<心だのしぃ>sikasaN<臆病である>zumuQsaN
<おもしろい>、i:tasaN<ねたましい>などの連体形は-saru形式であ って-si:形式ではない。このことについてはここで検討する余裕がないので 他の機会にゆずりたい。 第二形容詞の連体形は-,a形式で実現されろ。第二形容詞は漢語に由来す る単語である。 ⑲waNne:kaNnu:nahanasinuatiduco:Nde:.- <私は肝要なはなしがあってきたのだよ>(米を) ⑳husizinakutuN2armmNjasaja:. <ふしぎなこともある6のだれえ>(自然) ⑳miQta二i11lLL型QcujaQsa:. <まったく変な人だなあ>(自然) ⑳2uNnahakuzo:nasi:katasi:ne:bacikanzuNdo: <こんな薄情なしかたをすると罰があたるぞ> (自然)沖縄南部の糸満の方言や久高島の方言における形容詞の連体形はつぎのよう
に-saN形式であらわされろ。 ● ⑬kirasaN gi:wanuhusaN.<きれいなかんざしがほしい>(糸満方) -11-沖縄大学紀要第5号(1986年) ⑭oakaoaNoaki <高い酒> (久高方) 2.いいおわる形 形容詞の第一の特徴は名詞がさししめす人やものの属性をある側面から限定 することであるが、第二の特徴は人やものについてある側面からその属性をの べることである。形容詞の基本的な特徴である第一の特徴は連体形であらわさ れるが、二次的な特徴である第二の特徴はいいおわる形(いわゆる終止形)、中止形、 接続形などであらわされろ。そのなかのいいおわる形は文のおわりに位置して述語とし てはたらく形式で、-saN形式と一saに終助詞がくっついた形式であらわされろ。 (1)-saN形式 ⑳zucina:nunace:ZacisaN. <沖縄の夏はあつい>(自然) ⑳Zja:ja2ikaNtiNjutasaN(jutasjaN). <おまえはいかなくてもよろしい> (自然) ⑳Cu:jadusiNca:nuNnaco:kutu2wi:rikisaN. <きょうは友だちがみんなきているからうれしい>(自然) この形式はふつう終助詞一do:、-te:、-ja:、のくっついたかたちでも ちいられろ。 (2)-saに終助詞がくっついた形式 会話文では-saに終助詞一jO:、-sa、-se:のくっついた形式がつかわ れ、文語では終助詞のくっつかない-sa形式がつかわれていろ。 -12-
沖縄大学紀要第5号(1986年) ⑳zarigaciNjade:zinacurasasa.◆ <彼女の着物はとってもきれいだ>(自然) ⑳Cu:nusikeNnumucikasajo:. <きょうの試験のむつかしいこと/>(自然) ⑳waQta:ja:jaka:ZiQta:ja:jahwirusase:jakutu2iQta: utiZasiba., <ぼくの家より君の家はひろいき。だから君の家であそぼう>(自然) ⑳niNZuZuhusaja <人数が多くなると ziNmi2uhusa. ̄ 議論が多い>(ことわざ) ⑫2ujacirasaQkwa且irsa. ̄ <親もつらいし、子もつらい>(ことわざ) (3)-sanu形式 この形式はつぎのようにはなし手の感情をあらわに表現するときによくつか われろ。 ⑬A:ZaNsi(2anu:)rnacijama2uduNnu2ununu:Ndijabi: gaja:(Za:)zuzatuka2uNna2uhwanase:uNZuna:・・・… <それで、(アノー)松山御殿の子のなんといいましょうか、(アー) 制庫とかそんなお話はあなたたちは……> B:、a:magisanuja:. <もう(柵庫は)おおきくてねえ> (方莪6) -13-
沖縄大学紀要第5号(1986年)
⑭janasu:gwa:jatusigurunumijarabinukukuruNsiraN
namakaraduwaNne:hanaNsacurlmluNnukamuizu:sanu.
 ̄ ̄-----------<いやな父さんは年頃の娘のきもちもしらなし、。これから私は花のさく
(身旋もの。かまいすぎよ(干渉のしすぎだ)> (遊び庭)まえにものべたようにいいおわる形は方言によってさまざまな形式であらわさ
れろ。沖縄の中南部では-saNのほかに-haNもつ力われていろ。また、-saN
形式のウァリアントである-OaN形式が久高島で、-sa:N形式が久米島でつか
われていろ。なお、久米島では-saN、-MN形式のほかつぎのように-8a:
形式、-ha:形式もあわせてもちいれており、また、渡名喜島では-sanu形 式が-saN形式と併用されていろ。⑮ja:rujaL且」≦旦旦旦二
<君は高い>(久米島具志川村儀間) ⑳urijo:kakure:kuruha:----- <それよりこれはくろい> (久米島具志川村嘉手苅方)⑰go:ja:jaPma:SanU
<Iとがうりはおいしい> (渡名喜方) 3.かかりむすびの形ガ格の名詞がとりたてのくっつき(いわゆる係助詞)。uまたはgaでとりたて
られるぱあい、述語になるのはいいおわる形ではなく他の形である。すなわち、
名詞がduでとりたてられている文ではそのおわりの位置にくるのは連体形一saru
であり、名詞がgaでとりたてられている文では接続形一saraがおわりの位置
-14-沖縄大学紀要第5号(1986年) にくる。このばあい連体形一saruは修飾語としての機能をうしなって述語とし ての機能をもつようになり、接続形一saraは条件としての意味をうしなってう たがいの意味をあらわすようになる。 (1)duのむすび ⑳wa:gaduWaQsaru. <私がわるいのだ>(丘の) ⑳A:2ijujaka:sisinuduma・saruja:.o●▲ニーュー---- <魚より肉がうまし、んだよれ> B:jami2ja:ja、2ijunuduma:saru.-_二二 <そうじゃないよ君、魚がうまいのだ>(自然) (2)gaのむすび ⑳wa:gagawaQsara. <私がわるいのかしら>(自然) 、2hunijaka:kurlmlanugahwe:sara- ̄------- <船よりは車がはやいのかしち>(自然) なお、ガ格の名詞が。uやgaでとりたてられていないばあいでも、形容詞述語 がくなんと/>の意味をあらわすZaNsiでかざられるときは連体形で終止 する。 、2unu2wa:ja2aNsimagisaru くこの豚はなんとおおきいんだろう>(自然) -15-
沖縄大学紀要第5号(1986年) 4.とりたての形 動詞や形容詞のいいおわる形にはとりたてのくっつき(いわゆる係助詞)du とgaによってとりたてをうける形式がある。そのばあい、形容詞のいいおわる形 一saNは一sadu(Zaru)、-saga(Zara)という形式であらわされろ。 ⑭na:waNne:2uka:sjadu2uhusaru・d o <もうわたしは(病気が重いので)とてもあぶない> (沖辞) @A:zja:wakime:jaZuQSajasa. <おまえのわけまえはこれだけだ> B:2uQpigwa:na:,na:hwiNkwire:. <これっぽちか。もっとくれ> A:ha:,zuQDisiNZuhusadu2aru <ああ、これでもおおいのだ>(自然) ⑮2unu2atainurnuNjare:niseNjeNsiNtakasaduユaru. <このくらいのものならば二千円でもたかいのだ> (自然) -sadu(Zaru)形式はいいおわる位置にあらわれ、いいおわる形一saNを 強調するぱあいに-saN形式にとってかわる。 ̄方、-9aによってとりたて をうけるばあいは-saga(2ara)という形式になり、このばあい、この形式は うたがいの意味をあらわす。 ④jamato:namazibuno:hwi:saga2ara <大和はいまとろさ在いかしら> (自然) -16-
⑱里型j-旦旦且些翌エ且、2anuZiNgwa:jasibane:to:sa.
<あついのかしら、あの犬ころは舌をだしているよ> (自然) ④zamanukamabuko:jaQsaga2ara、Nnako:tiZicusa. <あそこのかまぼこはやすいのかしら、みんなかつかっていくよ> (自然) 5.ならべたてる形 述語としてはたらく形式は、つねに文のおわりに位置するというわけではな く、おわり以外の場所にも位置することができる。ならべたてる形、中止形丁 接続形は文のおわり以外の位置をしめている形式である。 そのなかのならべたてる形は同一主体の属性のあれやこれや老のべたり、異 なる主体の属性のあれやこれやをのべるときに実現されるもので、-sataiの 形式であらわれろ。この形式は~satai~sataisuNのようにあとの方にか ならずsuNをともなう。 ⑳maciuti2uto:ru2ijo:hwi:nijuQtitakasataijaQsatai SUN. <市場でうっている魚は日によってたかかったりやすかったりする> (自然)@A:aNsisiru:tuZaka:jaziNnuZNinanuju:haiga.
<それで、白いのと赤いの(茶)はどの馬がはやいか>B:siru:ga皿2-L旦竺_旦lZaka:galWe:sataisukutuwakaraN.
<白いのがはやかったり、赤い(茶)のがはやかったりするからわか -17-沖縄大学紀要第5号(1986年) らない>(自然)
⑫namazibuno:hWi:sataiZacisataiQsi2uticikaNja:
--__ <いまごろ(の季節)はさむかったりあつかったI)しておちつかない ね>(自然) 6.中止形 ふたつのひとえ文(単文)がある関係をもって結合していろならべあわせ文(並列文)には、つづける文の述語といいおわる文の述語とがある。中止形は
つづける文の述語になり、-Saiの形式であらわれろ。⑬masaMu:janama四SiwakaSai、2amarigakmmNtukabuzi:-
tukaMi2i:ne:ZucijuwakaraNnajuN <真三郎はまだ年若いし、あまり学問とか武芸とかいうと浮世(のこ と)がわからなくなる>(廃藩)⑭~mikazicinuguto:rumaju、hanagitanucurasa、karaze:
kugarasinumaQku:ruso:ruhaninu2irujai、garnakuN
glnnasai、takihudun?ucati、makutu2ukaminul(hnari-ka:ijaZaraNgaja:Ncimurazu:ZututaQco:ibi:taN.
<三日月のような眉に、鼻すじの美しさ、零はからすのくるぐろとした羽の
色であり、腰もほそく、身も丈もふさわしく、まこと、神様の生れ変りでは
ないかと、村中で評判になっていました> (沖縄音) この形式はふたまた述語文でもあらわれろ。 -18-沖縄大学紀要第5号(1986年) ⑮waNne:cinuNhusai、Zu:biNhusaN. ̄ <私は着物もほしいし、帯もほしい>(自然) ふろ<は-ku形式の中止形もあったらしく、この形式がとなえととぱにのこ っていろ。 ⑮cino:mi:kumi:ku、nuce:naga:kunaga:ku. <着物はいつまでもあたらしく、命はいつまでもながくあれ> ⑰cino:hadahadadu:jagaMmku. <肌(身体)あっての着物。身体は頑丈に。(着物より健康第一の意)> (ことわざ) なお、この-ku形式は現在、つぎのように副詞としてつかわれていろ。 ⑬sisiNde:kuniNma:kuma:kuni:to:N、 <肉も大根もおいしく煮えている>(自然) 7.接続形 5) つきそい。あわせ文はつきそい文(従属文)といいおわる文(主文)とから なっていて、つきそい文の述語の形式は接続形であらわされろ。つきそい文の 述語の位置にくる形式には-sakutu、-sanu、-sare:、-sara:、-sa so:ti、-satiN、-sasiga、-sarumuNnu、-satemaNなどがあっ て、これらの形式はいいおわり文、または述語としてはたらいている成分につ づいていくということによって接続形と名づけられろ。これらの形式はつぎのよう なおたがいに共通する、あるいは異なる文法的な意味をもっていて接続形独自 のシステムをつくりあげていろ。 -19-
〔1〕原因、理由をあらわす形 つきそい.あわせ文にはつきそい文といいおわり文にそれぞれ出来事がえが
かれているが、このふたつの出来事はおたがいに条件づけあっていて、なんら
かの関係を表現していzi)つきそい文といいおわり文が原因.結果の関係をあ
らわしているつきそい.あわせ文では、つきそい文の述語が-sakutu形式か
-sanu形式であらわされる。このふたつの形式は原因・結果の関係が事実と
してのくられているぱあいに、つきそい文の述語になるという共通性をもって
いろ。-sakutu形式は原因をあらわすときも理由をあらわすときにもつかわれ、-sanu形式は理由をあらわすときにつかわれる。このふたつの形式は、
第三者にかかわる出来事を客体的にのべる文でつかうことができるか、はなし
手にかかわる出来事を主体的にのべる文でつかうことができるかというときに
ちがいをみせろ。すなわち、-sakutu形式はつきそい文といいおわり文が篭 三者のことについてのべている文にあらわれるが、はなし手のことについての べている文にはあらわれない。そして、-sanu形式はその逆である。-sa- kutu形式と-sanu形式のこのちがいはいいおわり文の通達的なタイプとか 7) かわって、いいおわり文がものがたり文narrativesentence,のぱあいはつきそい文の述語を-sakutu形式が、いいおわり文がまちのぞみ文optaive
sentencOのぱあいはつきそい文の述語を-sanu形式がうけもっていろ。 (1)-sakutu形式 つきそい文の述語に-sakutu形式がもちいられるのは、いいおわり文がも のがたり文であって、はなし手がつきそい文といいおわり文に表現されたふた つの出来事の関係を客観的にとらえているばあいである。このようなつきそ い.あわせ文は原因・結果の関係をあらわしていて、このとき、一sakutu形 式は原因をあらわす。 -20-⑲2iNjaka2use:magisakutucu:saN6 <犬より牛はおおきいのでつよい>(自然) duNnasakutuca:Qcu2atu nasari:sa. ⑳taruja <太郎は のろいのでいつも人のうしろにやられるサ> (自然) siguwakaitaN. すぐにわかった>(自然) otaru:Mja:ja <太郎たちの家は magisatakutu おおきかったので 、~zurikarazi:batasa:nihujlmnlNnu:NCigaMi2i:、e: (zi:bata:iQpe:kaNSisa:ni)mi:nuZacisakutuzacisakutuzi:- batasa:niiQpe:Cu:zu:ku(Zanu:)ZutizarisutaN. <~(はたおり発する人は)それから、地織機で冬物(をおっていた)。な ぜかというと、(冬物は)織目があついので、地織機でたいそうつよくおっ てあれしていた。>(方談6) いいおわり文がさそいかけ文hortaivesentenceのばあいにも-sa- kutu形式がつかわれろ。このタイプの文にははなし手とかかわる出来事がの べられていて、つきそい文といいおわり文に表現されたふたつの出来事の関係 8) は「はなし手の論理をおとして主体的」にとらえられていろ。このようなつき そい.あわせ文の中で、-sakutu形式は理由や根拠をあらわす。 ⑬zusiro:hwizurasate:kutunukutamitikaranuvnijo:. <おつゆはつめたかったからあたためてからのめよ>(自然) -21-
沖縄大学紀要第5号(1986年) ⑭Zja:zi:jagunasakutuna:。uhwimagikukaeuse:masido:. <おまえの字はちいさいからもうすこしおおきぐかくといいよ> (自然) ⑮Zja:jakarajo:sakutujamatuNkai2ici:、e:kamimuNne: Cu・ls1Jo・Ja. <おまえは体がよわいからやまとへいったらたべものに注意し ろょ>(自然) 9) 文にえがかれている対象的な内容の出来事がはなし手とかかわっていて、出 来事と出来事の関係が主体的にとらえられていても、いいおわり文がものがた り文のときがある。このときのものがたり文ははなし手の意志を表現している一 人称文である。このばあいもやはり、出来事がはなし手の論理をとおしてのべ られていて、-sakutu形式は理由をあらわしている。 ⑮2aNda:ne:Nnato:sigaju:QkwitiZUtUrusakutucu:jako:- igaikaNdo:. <油はなくなっているが いかないよ>(自然) 日がくれておそろしいからきょうはかいに ⑰Cu:jahwi:sakutuna:hwaNkae: ZicuNB (自然) zaca: <きょうはさむいから那覇へはあしたいく> ⑱A:hwe:kuna:munukame:. <はやくめしを〈え> -22-
沖縄大学涜凄第5号(1986年) B:2namaZacisakutu2atukarakanusa. <まだあついからあとでたべるよ>(自然) なお、那覇や糸満の方言ではこの形式が-sagutuであらわされろ。 (2)-sanu形式 つきそい.あわせ文に表現されている出来事がはなし手の論理をとおしての べられているとき、つきそい文の述語は ̄sEmu形式で実現されろ。 ⑳hwi:sanuna:hwiNciNcico:ka. <さむいからもっと着物をきておこう>(自然) ⑩ja:sanumunukama. <ひもじいからめしをくおう>(自然) ⑪sikara:sanu 2utaNde:ciciN:da・ 歌でもきいてみよう>‐(自然) くさびしいから ⑫Zja:gaba:kigwa:jacukuinuwaQsanuwa:mi:zo:kigwa ̄ koNso:re:. <おまえのかごは作り方がわるいから、私の箕をかいなさい> (民謡) ⑬Zacisanuhasiru2akire:. <あついから戸をあける>(自然) 一sanu形式の特徴はいいおわり文にまちのぞみ文、またはさそいかけ文があ -23-
らわれるつきそい。あわせ文にもちいられることである。ここでの-sanu形式 ははなし手の意志の表明、あるいは命令をのべるための理由をあらわしていろ。 この形式のもうひとつの特徴はいいおわり文がものがたり文で、そのものがた り文の述語がうちけしの形であったり、あるいは述語が(いわゆる係助詞)。u によってとりたてられていることである。 ⑭ju:be:ZacisanuniNdaraNItaN-_ <ゆうべはあつくてねられなかった>(自然) ⑮si:kwa:sa:ja Bi:sanukamaraN. <シークヮーサーみかんはすっぱいから(私は)たべられない> (自然)
⑯Zunuhako:ZNbusanU2ariga:zo:imuciju:saNsa、
--=- <との箱はおもくて彼にはとてももてないよ>(自然)⑰Nkase:mu:cibi:saNdici(Zanu)2iQpe:hwi:sanuna:ka:-
sa2araiNdiciNNna2iQpe:hwi:sagatagatasi(ziQpe:)
sutarumuNnu. <昔はムーチー寒さといって(アノ)とても寒くてもうかしわを 洗うといってもみんなとても寒さでぶるぶる(とても)ふろえた ものだわ> (方談6) ⑬gUsikuzuciutizwi:wi:nukatagata1guciZiN2ukagati citumisusijakane:、mirumuNnuZuhusanu、k1lkuruNha- ribari:tusUNne:ru2aruja:hanagusiku.  ̄------------24-沖縄大学紀要第5号(1986年) <城内で上々の方々のご気嫌をうかがってお勤めをするよりも、みる ものがおおいので、心も晴々とするようだな、花城> (遊び庭) 例⑭~⑬のものがたり文における-sanu形式はいずれもいいおわり文での べられる内容の理由をあらわしていろ。この種のつきそい.あわせ文で-sanu 形式が理由になるのは、出来事がはなし手の論理をとおして表現されているか らである。例⑳~⑬のようにいいおわり文にいくつかのことなるタイプの文 がきても、-sanuが理由をあらわすことができるのは、もともととの形式は 2-(3)でのべたような、はなし手の感情を表現するときにつ力われろ、いいおわ る形であったのが、つきそい文の述語になることによってもいいおわり文の 前提としてのあたらしい役割をになうようになったからだと、かんがえられる。 ⑬もそうだがつぎにあげる例は-sanu形式がいいおわる形、接続形のいずれ にもとれるばあいである。接続形としての機能のあたらしさをうかがせるこの ような例は、自然会話の中でしばしば観察されろ。 ⑲A:~na:mata2i:tumasabira. <では、また、おいとまいたしましょう> B:2aNse:na:matakurasinuNnato:rumuNsigu2ici:ne: hwisahago:sanuhabuNde:nuuine:naraNmuNco:ciN cikiti2ike: <それではまあまた暗くもなっているから、すぐ(手ぶらで)行く と気味わるくて、ハブなどがいたらいけないから、ちょうちんをつけて 行け。> (全万10) なお、-sanuは動詞にはない形容詞独自の形式であり、自分自身でテ ンスをあらわしわけることができない形式である。したがってテンスはいいお -25-
沖縄大学紀要第5号(1986年) わり文の述語にゆだねていろ。 〔2〕条件・前提をあらわす形 つきそい文といいおわり文が条件。結果の関係をあらわしているつきそい.
あわせ文のばあい、つきそい文の述語は-sare:形式か-sara:、形式であら
わされろ。このふたつの形式は原因。結果の関係が条件的にのべられているぱ あいに、つきそい文の述語になる。このふたつの形式のちがいは、-sare;形 式が、いいおわ')文(主分),にものがたり文をもっているつきそい。あわせ文の 中で条件をあらわすのに対して、-sara:形式はいいおわり文にさそいかけ文 をもっているつきそい。あわせの文の中で前提をあらわすことである。 (1)-sare:形式 いいおわり文(主文)にものがたり文をもち、はなし手が条件的な原因。結 果の関係を客観的にとらえてのべているつきそい.あわせ文では、つきそい文 が条件的な出来事をさしだしていて、つきそい文の述語には-sare:形式が つかわれろ。 ⑳naminu2arasare:hune:2NziraNBa. (自然) <波があらければ船はでないサ> ⑪hwi:nucu:sare:gohaNnunancicisuseZataime:jasa. <火がつければごはんがこげつくのはあたりまえだ> (自然) ⑳na:zuhwihwe:sare:mania:ite:rumNnuja:. <もうすこしはやければまたあっただろうねえ>(自然) -26-|沖縄大学紀要第5号(1986年)
⑬jaQsare:ko:irukange:jatasigatalEasatakutuko:raNtaN
<やすけれぱかうつもりだったが、たかかったのでかわなかった> (自然,) wakasatareja:、ci:ziNkaiSo:ti ⑭Zuhusu:gana:Zihwe: icutarumuNnu. <おじさんがもうすこしわかければなア、辻(の花街)につれていったのに二 (語や) いいおわり文の述語がすぎさらずの形(未来=現在形)のぱあい、えがかれて いる出来事は一般的な、習慣的な出来事であり、ポテンシャル唾出来事密あ;ろ。 いいおわり文がすぎさ')の形(過去形)のばあい、えがかれている出来事は個 別的な非レアルな出来事である。-sare:形式を述語にもつつきそい文は、そ のような出来事が成立するための条件をあらわしていろ。 なお、久米島(儀間)方言ではtakasa:re:numaN.<高けれぱのまな い>のように-sa:re:形式がもちいられろ。 -sare:形式は-sariwa形式が融合したもので、文語では-sariba形 式であらわされろ。久高島の方言では-Oariba形式がつかわれていろ。 (2)-sara:形式 いいおわり文にさそいかけ文をもち、はなし手がつきそい文といいおわり文 にえがかれたふたつの出来事の関係を主体的にとらえてのべていろつきそい.あ わせ文では、つきそい文は前提になる出来事をさしだしていて、つきそい文の 述語には-sara:形式がつかわれる。 ⑮kwak2Enasara:kucicimiri. <子どもを愛するなら、食べものを倹約せよ> -27- (ことわざ)沖縄大学紀要第5号(1986年) ⑮2ja:N2icibusara:ZaQta:tumazuN2Nziku:wa. ̄_ <おまえもいきたいなら、彼らといっしょにいってこし、>(自然) ⑰to:hunujaQsara: ko:tiku:wa. かってこい>(自然) くとうふがやすいなら ⑬Zicimadinacuga・ZaNsinacibusara:2amaNzinake:. <いつまでなくつもりか。そんなになきたいなら、あそこでなけ> (自然) この種のつきそい.あわせ文はいいおわり文の位置にさそいかけ文ばかりだけ ではなく、ものがたり文もくることができる。このばあいものがたり文は動作 のし手が一人称(はなし手)であって、はなし手の意志をあらわしていろ。 ⑲zaca:N上wi:sar&iwaNne:na:haruNkaje:2ikaNdo:. <あしたもさむいのなら、私はもう畑へはいかないぞ> (自然) ⑳zijunujaQsara: ko:ticu:sa. かってくるよ>(自然) <魚がやすいのなら、 いいおわり文がさそいかけ文であっても、また一人称のものがたり文であってi も、この種のつきそい.あわせ文における-sara:形式は、はなし手の意志 や命令など、はなし手の態度をのべるための前提となっていろ。なお、-sara: 形式は-sarawaまたは-saraba形式の融合したもので、文語では-saraba -28-
沖縄大学紀要第5号(1986年) 形式であらわれろ。久米島(儀間)方言では-sa;riba、久高島方言では -0araba形式がもちいられろ。 〔3〕うらめをあらわす形 「なんらかの理由で、原因であるべき出来事が原因としてはたらくととがで 10) きず、とうぜんおこるべき結果を生じない」現象をとらえて表現しているつき そい.あわせ文では、つきそい文の述語が-satiN形式と-sate:maN形式 になっていろ。これらの形式はいづれもつきそい文であらわされる出来事が条 件的なぱあいにもちいられろ。ここでの出来事は結果に対して原因となること ができなかったり、あるいは結果をひきおこすだけの効力をもたない条件になっ ている。この条件を奥田靖雄(1985)は「うらめ条件]と名づけていろ。 また、ある状況のもとでとうぜんおこるべき出来事がなんらかの理由で成立し ないでうらめにでるぱあいがある。そういう現象をとらえて表現しているつき そい。あわせ文では、つきそい文の述語が-sarumuNnu形式と-saso:ti 形式であらわされろ。これらの形式はいずれも出来事が事実的なばあいにもち いられろ。 (1)-satiN形式 一satiN形式はいいおわり文の位置に主としてものがたり文がきて、はなし 手が出来事と出来事の関係を客観的にとらえてのべろばあいにもちいられろ。 ⑪Nkase:suido:nune:raN、caNgutuhwi:satiNka:rauti seNtakusutaN. く昔は水道がなくて、どんなにさむくても、川でせんたく老していた> (自然) -29-
沖縄床学紀要第5号(1986年)
⑬Zanuzibuno:2amasasinu2ikirasatakutusa:ta:jataka-
satiN2uri:taN. <あのころはあまいのがすぐなかったので、さとうは(値段が)たかくても うれた> (自然)⑭waQta:warabe:2aNmasatiNmuno:ju:kanuN.
<うちの子は気分がわるくても、食事はよくとろ>(自然) ⑮hudo:magisatiN、nizi:de:nune:raNse:cika:raN. <背はおおきくても、忍耐力のないのはつかえない> (自然) -satiN形式は、いいおわり文の述語がすぎきり(過去)で、反復的な、レア ルな出来事をのべているつきそい。あわせ文や、あるいは、いいおわり文の述 語がすぎさらず(現在・未来)で、個別的な、ポテンシャノレな出来事をのべて いるつきそい。あわせ文にあらわれ、結果としての出来事がうらめにでるとき の条件や前提になっていろ。 (2)-satemaN形式 つきそい文の述語にこの形式をもっているつきそい.あわせ文も、うちめ的 な条件・結果の関係をいいあらわしていて、いいおわり文の位置にものがたり文 がくる。しかし、このばあいのつきそい。あわせ文は、「はなし手の立場やは なし手の論理をとおして出来事がのべられていて、はなし手の側から感'盾的な 11) 態度」が表現されていろ。⑯caNgutnL籾Sate:mahlziNnune:Nkutuko:ju:saN.
<どんなにやすくだって、お金がないからかえない>(自然) -30-沖縄大学紀要第5号(1986年) ⑰ka:ginucurasate:ma瓜kukurunuwaQsare・nu:naiga.● <顔かたちがきれくだって、心がわるければ何になるか>(自然) ⑱≧icuna:sate:maNiQta:Nkaje:kaNnaziicusa-<いそがしくたって、君のところへはかならずいくよ>(自然) ⑲caNgutuhwi:sate:maNwaNne:me:nicihwizurumizi nudo:N、 <どんなにさむくだって、私は、毎日、つめたい水をのんでいろ> (自然) -sate:maN形式を述語にもつつきそい文は、はなし手の論理、評価、感情 をのべるときに設定する条件や前提になっていろ。 ③-saso:ti形式、-sarumMnu形式 ある出来事の結果生じたあたらしい出来事、あるいは生じつつある出来事が、 はなし手の予想や判断とちがってうらめにでたり、あるいは出来事と出来事の つじつまがあわないことを表現しているつきそい.あわせ文のぱあい、-sa- so:ti形式、-sarumuNnu形式がつきそい文の述語になっていろ。この種 、 のつきそい.あわせ文にえがかれている出来事は事実であって条件的ではなし、。 ⑲kurasaso:tideNkiNcikiraNgu:tu:sjumucijudo:sa. <くらいのに、電気もつけずに書物をよんでいるよ>(自然) 、na:dahwi:saso:ti、zi:nanuhwe:ZumiNkai2iQciwi:一 zo・slnuusa. <まださtPいのに、もう海にはいっておよいでいるのがいるよ>(自然) -31-
沖縄大学紀要第5号(1986年)
@A:warabiNca:NhatarakasaNdare:Ica:NnaraNdujaraco:-
Nde:.<子どもたちもはたらかさねば、どうしようもないので、(よそへ)やっ
たんだ>B:caQsanu:jarawan、zaNSiku:saso:tlju:IjamtuNkai
Jarasari:saja:. <いくらなんでも、あんなにちいさいのに、よく大和へやれるね>(自然)-saso:ti形式を述語にもつつきそい.あわせ文では、事実的な出来事がの
べられていて、出来事と出来事の関係をはなし手はうらめ的な原因・結果の関係とし
てとらえて表現していろ。-saso:tiをもつつきそい文には、はなし手の観点からとら
えられた出来事がはなし手の評価や感'盾をともなって表現されていろ。
一方、つきそい文の述語が-sarumuNnu形式のつきそい。あわせ文では、
うちめ的な原因・結果の関係をあらわすぱあいと、そうではないぱあいがある。
⑫2aie:、2anuwarabe:hwi:sarumuNnuhadakanatiasido:-
sa.<あらまあ、あの子はさむし、のに裸になってあそんでいるワ>(自然)
、呈旦L1nasMmuNhU2unuhja:jamatahukaNkai乙Nzite:sa
---J<気分がわるいくせに、こいつはまた外にでてしまってし、ろワイ>
(自然)⑬⑫のようにいいおわり文にものがたり文がくるばあいはうらめ的な原因・結
果の関係が表現されていて、-sarumuNnu形式をもつつきそい文がうちめ 的な原因をあらわしていろ。 -32-沖縄大学紀要第5号(1986年) ⑫waNne:2icunasarumuNnusacinara. <私はいそがしいから、先に失礼するよ>(自然) ⑫Cu:jahwi:SarumuNnuiZikaNtiNsimusa. <きょうはさむいから、いかなくてもいい>(自然) ⑰Zuma:ti:danuZiQciZacisarumuNnukumaNkaiku:wa. <そっちは日がはいってあついから、こっちへおいで>(自然) いいおわり文がまちのぞみ文、さそいかけ文のばあい、述語が-sarumuNnu 形式のつきそい文は、はなし手の意志、命令、許可などはなし手の態度をのべ るときの理由をあらわしていて、うらめ的な原因はあらわさない。 つきそい文の述語に-saso:ti形式、-sarummhu形式をもつつきそい .あわせ文に表現されている出来事は、いずれもはなし手の態度とかかわって いて、いいおわり文に疑問文がくるときは、あい手への詰問とか非難、はなし 手のつよい主張になる。そして、おおくのぱあい、このふたつの形式はおたが いにいれかわることができる。この両形式のこまかな相違点については調査を 必要とする。 さて、奥田靖雄(1985)は、上にのべたようなつきそい文といいおわり文 にえがかれた出来事のありようを「うらめ]とよぶのに対して、ある出来事の はたらきかけをうけて、その結果、他の出来事が生じるばあい、あるいは「い いいおわり文にさしだされる出来事の実現が、つきそい文にさしだされる出来事の 12)13) 存在に依存している」ぱあいを「まさめ」と名づけていろ。この考え方になら って、これまでのべてきた接続形、すなわち、つきそい.あわせ文におけるつ きそい文の述語になる諸形式の関係をまとめると、つぎのようになるだろう。 -33-
沖縄大学紀要第5号(1986年)
標準語にも同様のシステムがあるが、奥田靖雄が指摘した、接続形があらわす
このような文法的な意味。機能を国語学者たちは順接(|頂接条件)、逆接(逆
接条件)とよんでいろ。そこには文の対象的な内容と現実を区別する認識はも
とより、文の対象的な内容における現実の世界の出来事と論理的な世界の出来
事および条件的な出来事と事実的な出来事などを区別する認識が欠けていて、
個々の形態のちがいが説明されていない。 〔4〕くいちがいをあらわす形ある状態のもとでとうぜんおこるべき出来事がおこらず、これとまったく逆
の出来事がおこるばあいがある。この出来事と出来事がおたがいにかみあわず、合
致しないぱあいにみられろ、ふたつの出来事の関係をくいちがいの関係と名づ
けるとすれば、この関係をあらわすつきそい文の述語は-sasiga形式であら
わされろ。、kamabukujakato:ho:takasatasigamuru2uiciritine:-
raN. <かまぼこより豆腐はたかかったが、みんなうりきれてしまった> (自然) -34- 出来事 の関係 事実的 条件的 まさめの 原因・結果 客体的 。●●P●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● 客体。主体的 -sakutu I●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● sanu _ ● sare. ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ● -sara. うらめの 原因。結果 客体的 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●白●●●●● 客体。主体的 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●□ -saso:ti -sarumuNnu -satiN ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● -sate:maN沖縄大学紀要第5号(1986年) 、kuNdo:ZamiNZuhusasigamizibusukunu cizioo:N (自然) <ことしは雨もおおいが、水不足がつづいている> ⑮macinu2ijo:jaQsatasiganimucinuZuhusatakutuko:be:- ku:NtaN. <市場の魚はやすかったが、荷物がおおかったので、かってこなかった> (自然) ⑪zunuZNmo:ka:ge:waQsasiga ma:saN. (自然) <この芋はみかけはわるいがおいしい> karajo:saN. (自然) ⑫taru:jahudo:magisasiga <太郎は背はおおきいが、病弱だ> つきそい文の述語が-sasiga形式をもつつきそい.あわせ文では、上の例の ように、くいちがっているふたつの出来事や属性がのべられろ。くいちがいで あることを判断するためにはふたつの出来事の比較が必要であり、どちらか一 万の出来事が比較の前提にならなければならない。このとき、-sasiga形式 をもつつきそい文は、くいちがいの関係がなりたつための前提の役割をになっ ていろ。この種のつきそい.あわせ文がふたつの出来事の比較のうえになりたって いるためだろうか、くいちがうふたつの出来事や属性が、対比としてとらえら れているばあいもある。
⑯cinu:jahwi:satasigacu:janukusaN.
くきのうはさむかったが、きょうはあたたかい>(自然) -35-沖縄大学紀要第5号(1986年)
⑲si:za:ZiruNsirusaicurasasiga、ZuQto:zirUNkuru-
saika:giNwaQsaN.<姉は色も白くてきれいだが、妹は色もくろくて容貌もわるい>(自然)
⑯’Zama:uto:weNdasasigatuze:de:zinahati:do:.
<あそこの家は夫はおとなしいが、妻はすごく気がつよいよ>(自然)
⑯Zusinudu:ja皿cijaQsaig出Qcunudu:jamucigurisjaNb
- ̄<大きな牛を持つことはできるが、人間として生きていくのはtf廠ずかしい>
(ことわざ) また、この形式はあいての行動をうながしたり、さそいかけたりするとき、はなし手がその根処となる状況をのべるばあいにもつかわれろ。このばあい、この形
式をもつつきそい文はくいちがいや対比をのべる前提ではなく、はなし手の側
の理由をあらわしているだろう。 ⑰waNne2icunasasiga、hwe:kuna:se:. <私はいそがしいんだ、はやくしる>(自然)⑮Cu:ka:jaZacisasigaL、bo:zja:zamaNkaiso:tiZNZo:ke:.
<きゅうすはあついよ、赤ん坊をむこうへつれていっておけ>(自然) 8.準体形ものの属性についてのべろという述語としての役割をもちながら、文の中で
は主語や補語としての機能をもち、名詞とおなじようにふるまう形式がある。
名詞化した形容詞のこのような形式を、gerund動名詞というよび方に対して
-36-沖縄大学紀要第5号(1986年) 形容名詞とよんでもいいのだが、動詞と形容詞の体言に準ずるこのような形式 をここでは一括して準体形とよぶことにする。 nagasaN. (自然) 、hudunumagisase:hwisanu <背がおおきいのは足がながい> 、cikaranucU:sasineとkana:N_-~ ̄
<力のつよいのにはかなわない>(自然)
、nimuce:NbusasikaLahakube:<荷物はおもいのからはこべ>(自然)
we:kiNcunukwanujugamjusituja ⑫mucinujugamitu no:sijaQsasiga、hwiNsu:muNnukwanujugamijano:si-gurisjaN.<餅の歪んだのと金持ちの子の歪んだのとは直しやすいが、貧乏人の子の
歪んだのは直しにくい。> (ことわざ) 、zja:jagaQsasimute: <おまえはかるいのをもて>(自然) 、Cu:jahwe:satasiNni:satasiNnu:NcnigaraNnake:saQtaN. <きょうは、はやかったのもおそかったのも、なぜかみんなかえされた> (自然) -37-沖縄大学紀要第5号(1986年) 準体形は-sasi形式(未来=現在形)、-satasi決式であらわされ、<~も の、~とと>の意味をあらわす。 注
1)-haNは-saN系に属する形式である。沖縄でもっともふるい文献資
料である『おもろさうし』における形容詞が「-さ」「-しや」である
ことや、-haNをもちいる地点ではくする>がhuNであることから、 -MNは-saNから変化した形式とみていいだろう。2)BH・Chamberlain:EssayinAidofaGrammarand
DictionaryoftheLuchuanLanRuage 3)金城朝永『那覇方言概説』4)-sa:と-M:の形式については、-sa系と-saN系の中間に位置
するものなのか、または-sa、-Mが長音化したものとみていいのか、 あるいはまた、-sa2aNの2aが脱落したものとみていいのか、いまの ところ判断できない。 5)奥田靖雄の名づけによる。6)言語学研究会・構文論グループ(1985,9)「条件づけを表現する
つきそい。あわせ文(2)」(『教育国語82」)7)奥田靖雄(1985,3)「文のさまざま(1)・文のこと」では、通達的
なタイプによって文のパラダイムをつなぎのようにまとめていろ。 Iのべたてる形 1)ものがたり文narrative 2)まちのぞみ文optative 3)さそいかけ文hortative Ⅱたずねる文8)言語学研究会・構文論グループ(1985,6)「条件づけを表現するつ
-38-沖縄大学紀要第5号(1986年) きそい。あわせ文(1)」(『教育国語81」) 奥田靖雄(1985,3)「文のさまざま(1)。文のこと」(『教育国語80』) 言語学研究会・構文論グループ(1985,12)「条件づけを表現するつ 9) 10) つきそい.あわせ文(四)」(プリント版) 11) 12) 13) 8)におなじ。 同上。 10)におなじ。 -39-