Title
戦後の沖縄における農業立法の変遷と特質 (3)
Author(s)
高良, 亀友
Citation
沖縄農業, 11(1・2): 1-13
Issue Date
1973-03
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/1139
Rights
沖縄農業研究会
戦後の沖縄における農業立法の変遷と特質(Ⅲ)
高良亀友
(沖縄開発庁沖縄総合事務局) KametomoTakara:Studiesonthechangesandthespecificfeaturesof agriculturallawsandregulationinOkinawaaftertheWorldWarI.(Ⅲ) 「稲作振興法」(1965年立法第58号)と「外国産 米穀の管理及び価格の安定に関する立法」(1965 年立法第58号)が制定されたが,これらの立法は これまでの「米穀需給調整臨時措置法」に規定さ れていた条項を島産米穀の生産振興に関する規定 と外国産米穀の管理に関する規定を分離し,各々 独立法として立法されたものである. 「稲作振興法」に基づく島産米穀の買入及び価 格に関する規定は同法の第15条~17条に規定さ れ,「米穀の生産費,米価,物価,その他経済事 情を参しやくし,米穀の再生産を確保することを 旨として定めろ」とし,審議会の意見を聴いて設 定されることになっていた. また,農協に対しては稲作農家からの米穀の買 上げを義務づけ,買上げによって生ずる不足額に ついては「外国産米穀の管理及び価格安定に関す る立法」の規定に基づいて徴収した課徴金によっ て補償を行うことを規定していろ. ホ,農産物の価格及び流通に関する法令 的米穀需給調整臨時措置法 1957年公布施行された「島産米穀共同集荷奨励 補助金交付要綱」の下における島産米穀の価格支 持制度は「農協が自主的に市場価格に見合った価 格で買上げ,又売渡しする」制度を取っていたた め,島産米穀は外国産米穀の輸入の増減により著 しく変動し,不安定であった.しかも,稲作がほ とんど換金作物の少ない地域で栽培されていたた め稲作農家に与える経済的影響が大きく島産米穀 の政府買入が強く要請されていた. 一方,消費者も市場価格の変動により,計画的 な家経支出ができなかったため,その安定策の樹 立を望んでいた. このような社会経済的な情勢を背景に政府は19 59年9月,これまでの「島産米穀集荷奨励補助金 制度」を廃止し,これに代る法的な措置として, 「米穀需給調整臨時措置法」(1959年5月立法195 号)を制定した. 同法は住民食糧の確保及び住民経済の安定を図 ろため米穀の需給及び価格の調整を図ろことを目 的として,①米穀の政府員入,②販売業者の指 定,③輸入業者の指定,④数量及び価格の決定, ⑤差益金の徴収,⑥欠損額の補償等について規定 していた. しかし,同法は国際的な米穀の需給及び価格の 変動,島産米穀の生産事情等を考慮に入れた臨時 的なもので1964年までの時限立法であった. 同制度の下で,島産米穀は生産費を償う価格維 持制度がとられたにも力>換わらず,島産米穀をと りまく諸情勢の影響で作付面積が激減し,その自 給率は10%程度(1965年)に低下した.また丁度 このような情勢の変化と時を同じくして期限切れ となった「米穀需給調整臨時措置法」は1965年 自動的に効力を失うこと出なった.同法に代って 何さとうきび原料価格対策 沖縄産糖は1952年7月10日以降,本土政府の特 恵措置(「本土と南西諸島との貿易及び支払に関 する覚書」の適用,「外貨割当及び外国産糖に対 する関税法並びに砂糖消費税法」の適用除外等) により,本土市場で販売が有利に展開し,沖縄の 糖業は急速な発展をとげたが,こ》では糖価の決 定方法について述べることにする. さとうきびの原料売買価格が法的根拠に基づい て設定されるようになったのは,勿論「糖業振興 法」(1959年9月立法183号)施行後であるが, それ以前は行政指導により,その年の事業実積に よって共同計算方式をとり,含蜜糖の取引き価格 を基準として,さとうきび生産者と製糖工場との 話し合いで決められた. 「糖業振興法」施行後は同法第17条及び第18条沖縄農業第11巻第1.2号(1973) 2 が困難となったため琉球政府は分蜜糖企業間の調 整金によって辛じて糖業振興法に規定する基準価 格の支払を遵守せしめた.この調整金制度は分蜜 糖企業間の相互扶助による共同の生存を狙いとし たものであった.しかし,その根底には零細農家 の保護にその目的があった. 第3次改正(1967年9月)は「沖縄産糖の糖価 安定事業団による買入等に関する特別措置法」に 基づき設定される基準価格の決定時期が「糖安法 」に基づいて設定される奄美産糖の基準価格決定 後になされるため「糖業振興法」第17条第2項の 基準価格設定の時期を「8月」から「製糖期前」 と改正したものである. さらに,その後本土府政は,沖縄内で消費され る砂糖の相当数量を糖価安定事業団が買入れろ沖 縄産糖の中から買入除外としたため,糖業振興法 第18条の規定を一層遵守することができなくなっ た.そのため本土政府は生産奨励金を交付するこ とにした. それを受けて琉球府政は「分蜜糖原料価格安定 対策補助金交付規程」(1969年9月9日規程40号 )を公布し,さとうきびを原料として分蜜糖を製 造した分蜜糖業者の製造実績に対し,補助金を交 付した.これは調整金制度に代るべきものでこれ により調整金制度は廃止された.またこれも調整 金制度同様原料生産農家の保護にその狙いがあっ た. なお,1969年度には革新屋良政権の公約実現の ために琉球政府の自己財源で生産奨励金として分 蜜,含蜜をとわず原料さとうきびトン当り0.15ド ルの補助金が交付された. 一方,含蜜糖については「沖縄産糖の糖価安定 事業団による買入等に関する特別措置法」の買上 げ対象からはずされていたため糖業振興法の第18 条の規定を遵守することが難しくなったので「甘 蕨原料価格安定対策補助金交付規程」(1966年9 月告示第410号)を公布し,琉球政府独自の財源 で分蜜糖工場の所在しない地域の含蜜糖製糖業者 に対し補助金を交付することとした. さらに,その後,革新政権になって,これまでの 分合価格差を3ケ年間で是正することを約束し, 毎年その解消に努めるようになった. なお,同補助金交付規定は1969年9月21日に名 称を「含蜜糖原料価格対策補助金交付規定」(告 の規定に基づいて設定されるようになったが,同 法は施行後,原料売買価格に関する規定を3回に 亘って改正していろ.その概要は次のとおりで ある.すなわち,第1次改正(1961年9月28日) においては,法施行後,原料売買価格の基準設定 の時期に問題があるとして基準設定の時期を6月 から8月に改めている. また,第2次改正(1965年8月16日)において は1963年8月,本土政府が突如侍廻り閣議によっ て,砂糖の自由化を実施したため,本土における 糖価が著しく変動し,1964年にはかってない糖価 の暴落を経験した.このことにかんがみ,本土政 府は国内産糖を保護育成する観点から「甘味資源 振興特別措置法」(昭和39年10月法第41号)及び 「砂糖の価格安定等に関する法律」(昭和40年6 月2日法第109号)を制定すると同時に沖縄産糖 については「沖縄産糖の糖価安定事業団による買 入等に関する特別措置法」(昭和39年3月31日法 第42号)を制定した.同法に基づく沖縄産糖の事 業団の買入れ価格は同法第4項(「砂糖の価格安 定等に関する法律」第22条第1項〔国内産糖の買 入価格〕の規定により定められる国内産のさとう きびを原料として製造される砂糖を事業団が買入 れ価格及び沖縄におけるさとうきびの生産事情, 沖縄産糖の製造事情,その他経済事情を参酌して 農林大臣が定める)に基づいて決定されることに なった. このような本土政府の制度の変革によって,同 法の価格設定に関する第2次改正が行なわれたが 同改正は本土における沖縄産糖をとりまく内外 の情勢から沖縄経済に与える影響を憂慮した議員 発議による第17条第1項の「ただし書」(ただし 原料売買価格の最低価格の基準は砂糖原料の再生 産を確保することを旨として定めなければならな い)及び第19条第2項(法第17条第1項のただし 書きの規定は前項の基準の改定について準用する )の追加改正であり「再生産を確保」を明確に規 定したことに改正の意義があった. なお,「沖縄産糖の糖価安定事業団による買入 れ等に関する特別措置法」の適用による原料売買 基準価格の設定方法が従来の地域価格差に本立 価格制度)から全琉一本立の単一価格制度となっ た.このような価格設定の方法により,沖縄本島 を除く,離島地域の分蜜糖工場は原料価格の支払
高良:戦後の沖縄における農業立法の変遷と特質(Ⅲ) 年,豚価の安定を図り,養豚農家の生産意欲を維 持増進せしめることを目的として「豚価対策補助 金交付要綱」(1959年要綱32号)を公布し,本土 及び香港へ緊急輸出して需給の調整による価格の 安定を図った. しかしこのような措置は,緊急避難的な措置で あったため,その後も豚価は周期的な需給の不均 衡によってたえず不安定であった.そのため1962 年」豚価の安定を図ることにより養豚経営の健全 な発展を促し,もって農家経済の安定を資する」 ことを目的とした「豚価安定法」(1962年立法87 号)および「同法施行規則」(1963年規則第87号) を公布施行した. 同法は毎年豚価の最低基準価格を審議会に諮問 し,豚価が基準価格を下廻った場合,政府が買上 げろことを規定するほか指定業者による保管およ び輸出について規定していろ.ところが本制度は 買上げ技術上の問題等種々の問題点を内包してい た. さいわい,施行以来,1969年まで豚価が安定的 に推移したため一度も買上げ発動がされず政府財 政の負担にはならなかった. 示第396号)に改正kされた. ㈹パインアップル原料価格対策 沖縄産パインアップル缶詰は,1952年以降,本 土政府による免税措置及び特定物資輸入臨時措置 法の適用除外,外貨割当の除外(自動承認制)等 一連の保護措置によって本土市場で有利に販売さ れた.このような保護措置の下における沖縄産パ インアップル缶詰の価格設定は本土のパインアッ プル缶詰輸入協会と沖縄パインアップル輸出缶詰 組合との協定によって決定されたが,パインアッ プル青果価格については前述のような両者の締結 価格を参しやくし,琉球政府の指導助言で缶詰会 社と生産者との話し合いによって決定された.し かしながら,「パインアップル産業振興法」施行 後は,同法第18条の2の規定に基づいて審議会の 意見を聴いて決定することとなった. 原料価格の設定について同法は,制定当時前述 のような本土での取引事情などを勘案し単に「政 府は最低生産者価格を定めることができる」と規 定していたが「糖業振興法」と同様な規定にすべ きであるとして,1961年9月の第2次改正におい て,「糖業振興法」とほ罫同様な規定に改正され た.すなわち,第18条の2(最低価格基準の設定 ),第18条の3(基準の遵守),第18条の4(基 準の改定),第18条の5(基準の告示)等価格に 関する重要な事項が改正された.しかし,-部「 糖業振興法」と異なる点は「さとうきびの原料価 格売買の最低価格の基準は砂糖原料の再生産を確 保することを旨として定めなければならない」と する糖業振興法第17条第1項の「ただし書き」 (再生産の確保)という文字が明記されていない 点である.ところがこのような規定の改正にtか 》わらず原料売買価格は「パインアップル産業振 興法」施行前と同様本土のパインアップル缶詰輸 入協会と沖縄輸出缶詰組合との販売価格契約によ って決定された価格をベースに沖縄の青果の生産 コスト,物価等を参しやくし決定している. ㈹鶏卵価格対策 前述のような主要作目の価格対策のほかに鶏卵 については島産鶏卵の生産が過剰ぎみに推移した ため輸入鶏卵の一個ごとに,その表面に島内産と 明瞭に識別できる色をもって消滅し難い直径5ミ リメートル以上の円印を押さなければならないこ とを貿易公表(第1類)2の4で規定し,輸入を 規制して価格対策の一環とした. ㈹農産物流通に関する法令 沖縄において,消費者物価が上昇しはじめたの は,沖縄経済が大巾な成長をとげた1960年頃であ る. 60年代前半の年平均上昇率は2.4,5であったが 後半は5.2%と大巾に上昇した. とくに67年には60年代最高の6.9%の上昇を記 録した.そのため1967年頃から物価問題が政策的 に論議されだしたがとくに生鮮食糧品の上昇は物 価問題の焦点であった. このような物価上昇を背景に政府は「園芸作物 補助金交付規程」(1968年10月11日)を公布施行 目豚価安定法 戦後,順調な伸びを示してきた養豚業は,1959 年には戦前以上の飼育頭数に達した.反面,豚価 は大巾に低落し,養豚農家は危機に貧していた. このような経済的背景のもとに琉球政府は1959
沖縄農業第11巻第1.2号(1973) 4 し,野菜類の需給の整調を図b価格の安定を図ろ 目的で沖縄園芸農業協同組合連合会に対し,パキ ュウムクーラー(Vacuumcooler真空冷却機)及 び冷凍庫の建設に必要な経費の補助を行なった. また,農産物の円滑な流通と適正な価格形成を 助長するため市町村,農業協同組合および同連合 会が農産物流通施設を設置及び整備する場合にお いて補助金を交付するため「農産物流通施設整備 補助金交付規程」(1969年9月30日告示第422号) を公布施行し,農産物流通施設の建設及び価格の 安定を図っだ. そのほか,パインアッパル缶詰の流通合理化並 びに輸出価格の安定を図ろ目的で「パインアップ ル缶詰輸出倉庫施設補助金交付要綱」(1964年4 月3日経済局告示第9号)及びパインアップル缶 詰の売価を推持し,販路拡張を図ろための「パイ ンアップル缶詰宣伝補助金交付要綱」(1964年11
月13日経済局告示第27号)を公布し,滞貨状態に
あったパインアップル缶詰を宣伝事業によって本
土における市場の開拓と価格の安定に努めた.
以上のように農産物価格流通問題は第3期に入って本格化し,沖縄における主要作目について価
格制度が整備されるようになった.しかしなが
ら,主要作物の砂糖,パインアップル缶詰の価格
制度は極めて他律的で本土政府の政策何如によっ て左右され易く,琉球政府が主体的にとりうる政 策手段ではなかった. 法」(1960年2月26日立法第4号)を公布施行し, 1959年9月15日以降の災害に遡及適用すること出 した.ところが,同法は施行以来,施行規則の制 定もなく,一度も適用された事例がない.同法が 施行されなかった理由としては同法が災害後緊急 に制定されたため沖縄の実情にマッチしなかった 内容であったことが指摘されている. 現在,土木事業施設の災害復旧については「農 業土木事業補助金交付規程」第2条第2項に基づ いて10割の補助を行っている. 位)農作物災害対策 農作物の災害対策については,1958年,「農作 物災害対策補助金交付規程」(経済局告示第6号 )を公布,施行し,「台風,豪雨又は早魅等によ り農作物の被害を受けた市町村が再生産対策とし て被害農家に配付する目的で種苗,肥料及び農薬 を購入する場合,それに要する経費に対し,予算 の範囲内において,補助金を交付することにし た.補助率は①種苗及び肥料,農薬の購入費とも に10割以内で小量【の現物支給であった. ㈹畜牛災害共済補助金 肉用牛,乳牛の共済事業については,①風水 害,火災及び海難等により死亡し又は行方不明に なり1ケ月以上生死が不明な場合,②切迫と殺の 場合,③疾病により死亡した場合(「家畜伝染病 予防法」(1952年立法第49号)等によって補償さ れる場合を除く)等不慮の事故により受ける損失 の補填を図ろための「畜牛災害共済補助金交付規 程」(1958年経済局告示第7号)を公布し,市町 村又は団体(共済組合)が行う畜牛災害共済事業 の経費に対し補助を行うことにした. 目利子補給制度 以上の災害補助制度のほかに,農業協同組合, 漁業協同組合,農業信用協同組合及び農漁業信用 協同組合(以下組合という)が災害により被害を 受けた農業者又は漁業者に対し,災害資金を融資 した場合は当該資金につき利子補給金及び損失に 対し,補助金を交付するため「災害により被害を 受けた農漁業者に対する補助金交付金交付規程」 (1968年4月2日告示第95号)を公布施行するよ うになった. 以上,琉球政府は災害の都度,それぞれの時代 へ,農業災害に関する法令 (イ)農業施設災害対策 沖縄は地理的に熱帯低気圧の通路であり,また 熱帯特有の集中的な洪水,豪雨や干害等の災害の 多発地域であることはこれまでの歴史の示すとこ ろであるが1959年の台風14号(サラ),18号(シ ヤロット),20号(エマ)等の相次ぐ襲来によっ て農業施設が壊滅的な打撃を被った. 元来,資本蓄積の少ない沖縄の農家にとって, 相次ぐ被害によって低位所得の悪循環を繰返し, 災害復旧の目途が立たなかった.そのため,琉球 政府は本土の「農林水産業施設災害復旧事業費国 庫補助の暫定措置に関する法律」(昭和25年法律 169号)と同様な内容を規定した「農林水産業施 設災害復旧事業費政府補助の暫定措置に関する立高良:戦後の沖縄における農業立法の変遷と特質(Ⅲ) 5 1953年以降交付された整備奨励金の償還免除等を 内容とした「農漁業協同組合整備法」(1958年9 月30日立法第77号)を制定し,不振組合の再建整 備を図った. 一方,農業協同組合の経済事業と信用事業の兼 営を禁止し,行政区域によらず任意に区域を定め て組合を設立することができた布令「琉球協同組 合法」によって系統組織は一応全琉隅なく設立さ れたが特に北部地区においては伝統的な部落協同 組織を基盤として部落単位の農業協同組合の設立 が促進され,且つ各種の事業別専門農協が族生し たため1955年末には全琉で299組合(経済局,協 同組合課発行の1955年「協同組合概況」による) に達した. ところで,民立法による「協同組合法」(1956
年立法第67号)は1957年11月23日までに布令によ
り設立された組合は同法による組合への組織変更
の認可を受けることを絶対要件とし,また,経済
事業と信用事業の兼営も可能とした.そのため,組合数は1957年をピークに1958年には半減し,そ
れ以降は漸減傾向を辿った. ところが,基地経済を基軸とする他産業の発展 は目覚し〈,特に1963年以降の農業と他産業との 所得ないし生活水準の格差が目立ち,農業は一層 合理化と近代化が要請されていた. そこで,適正かつ能率的な事業経営を行うこと ができる農業協同組合及び漁業協同組合を育成し て農民及び漁民の協同組織の健全な発達に資する ため,農業協同組合及び漁業協同組合の合併につ いての援助,合併に係る農業協同組合及び漁業協 同組合の事業経営の基礎を確立するに必要な助成 等の措置を定めて農業協同組合及び漁業協同組合 の合併の促進を図ろことを目的とする「農漁業協 同組合合併助成法」(1965年7月8日立法第47号) を制定した. 回農業金融 ①農林漁業中央金庫法の一部改正 「協同組合中央金庫法」(1952年立法第45 号)は公布,施行前,1952年11月17日条文不備 で,米国民政府との調整により,異例の第1次 改正を行って以来,経済情勢の変動により,法 律運用上,さらに整備を要する箇所を生じたム め,1969年までに6回の改正が行なわれたが, その概要は次のとおりである. に応じて何らかの措置をしてきた. しかし,このような措置は緊急避難的な措置で あり根本的な措置ではなかった. 卜農業団体及び農業金融に関する法令 (イ)農業協同組合関係 農業協同組合は,もともと農家の零細資本を基 盤として設立されている経営体であったが布令琉球協同組合法(1952年)の下において人的要素か
ら来る経営能力の不足等内部的要因のほか前述の ような外的要因が加わって多くの農業協同組合が 経営不振に落ち入っていた. そのため政府は,協同組合を整備し健全な発展 を図ることを目的とした「協同組合整備特別臨時 特別指導員設置規程」(1953年4月20日告示第40 号)を公布,施行し,経営の改善策を構じた. 「同奨励金交付規程」は第7条で奨励金の交付 期間は1955会計年度までの時限交付であることを 規定していたが,その後,「同交付規程」は, 1958年まで延長された. ところが,このような政府の助成,指導にM> 出わらず農漁村における協同組合は,これをとり まく諸情勢の変化に即応することができず不振組 合は,なお存在した. そのため,全琉農業協同組合長会は「協同組合 は自主的な組織であり,協同組合の理念に基づき 組合自体が自主的に整備し,再健すべきであるが 組合の不振の原因は内部体制の脆弱性のみなら ず,外部的な条件に起因することが多く,自力の みによる整備は困難であるので,農協の刷新拡 充,農民の福利増進と社会的地位の向上を図ろた め,1953年以降実施せられている協同組合整備奨 励事業を一層強化する意味において「農漁業協同 組合整備特別措置法」を早急に制定し,政府の大 巾な財政的,技術的援助を図ってもらいたいとい う趣旨の決議を行ない第12回立法院定例議会及び 行政主席に要請した. 政府は,このような.要請や実情をふまえて, 1958年5月①5年以内に固定した債権の全部の整 理および欠損金の補填を目標とした整備計画の樹 立,②執行体制の不良な組合に対しては役員の更 新,③長期駐在指導員の派遣に対する補助,④ 地区の拡大,合併勧告による経営規模の拡大,⑤沖縄農業第11巻第1.2号(1973) 6 第2回改正は1955年7月19日,資本金政府出 資金の増額及び組織,業務についての諸規定の 改正が行なわれた. 第3回改正においては「協同組合法」(1956 年立法67号)の施行に伴い布令協同組合から新 法による協同組合への組織の変更を行なうとと もに組合の事業活動が強化されるよう,中金法 の改正の必要性が生じたため次のような点を19 58年8月8日に改正した. ①名称を農林漁業中央金庫に改称,、業務量 の拡大に伴い,同法の業務範囲の制限規定 を改正し,政府及び金融機関の業務の一部 が代理できるよう文明化.①金庫業務の拡 大及び農林漁業者の資金需要の増加に鑑み その資本金の増額(第6条1項中の「2億 円」を「3億円」に,第7条第1項中「1 億8千4万円」を「2億74円」に改正)e 代理業務等の拡大に伴い,理事長,専務理 事は出資者の推せんにより行政主席の承認 を要するとの改正を行なった. また第4回改正においては次の諸点が改正さ れた. すなわち,第1点は政府の農漁業に関する施 策を中金融資に反映せしめるため政府関係部局 との意見の調整及び金利,資金の需給関係,そ の他制度のあり方について,広く各界の専門家 の意見を聴取するための農林漁業金融審議会の 設置,第2点は通貨切り換えに伴う弗の表示, 第3点は金庫の業務運営に対する行政主席の積 極的な指導監督権の強化等の諸点を改正した. 第5改正(1960年8月16日)には,借入先の 範囲拡張,政府の債務保証,借入金運用利息の 費用に要する補助(第22条)等の諸点が改正さ れた. また,第6回改正(1962年8月20日)におい ては資本金,政府出資金の増額(1,000万弗の うち政府出資950万ドル)貸付期間の延長等が 改正された. 一方,補助制度は政府の助成との関係で充分 農業民の需要を充すことができない状態にあっ た. したがって,これまでの補助金制度を改め て,長期かつ低利の融資制度に切り替えること によって予算の効率的運用と農漁業生産の増大 を図ろことを目的とした政策融資制度として「 農漁業資金融通法」(1959年立法第151号)を 制定した.そのほか,政策金融として「糖業振 興法」(1959年立法第183号)第21条に基づく 糖業への融資及び「パインアップル産業振興 法」(1959年立法第185号)第33条に基づくパ インアップル産業への融資等の制度金融が強化 された.さらに,利子補給制度として「農機具 購入資金利子補給金交付規程」(1969年告示467 号)及び「災害により被害を受けた農漁業者に 対し資金を融資した場合における利子補給及び 損失に対する補助金交付規程」(1968年4月2 日告示第95号)などを公布施行し,制度金融の 整備に努めてきた.ところが,これら制度金融 の創設は金利体系面で系統金融を混乱に導く要 素を多分に包合しているとともに,これまでの 補助金制度を融資制度に切り替えろなど幾多の 問題点をもっていた. 以上第3期における農業協同組合及び金融制 度の特色としては農協については農業をめぐる 社会経済的な変動に対応して再編成が行なわれ た.また農業金融については系統金融を整備拡 充するとともに各種の政策金融制度を創設して 農業金融の制度を確立した時代である. チ,農地及び土地改良に関する法令 (イ)農地に関連する法令 戦後施行された土地に関する制度には土地をめ ぐるあらゆる法律行為の前提となる所有権の確定 を行なうための制度(「土地所有権関係資料蒐集 に関する件」(1946年2月28日軍政本部指令第 121号)及び「土地調査法」(1957年11年14日立 法105号)並びに軍用地問題に関する布令等があ るが,こ出では,戦前(昭和13年)60,574haあっ た農耕地を1959年には,45,102haと著しく縮少 せしめた基本的な制度的要因であった米軍の土地 接収の経緯について見ることにしたい. 、制度金融 1959年まで農漁業の生産振興のための助成策 としては復興資金による融資と各種の補助制度 がとられてきたが復興資金制度は貸付条件がき びしく農漁民の利用が困難であった.
高良:戦後の沖縄における農業立法の変遷と特質(Ⅲ) 7 米軍は,沖縄上陸と同時になんらの接収手続を も経ずに直接戦闘行為によって土地を取得したが (しかし,これは「陸戦,法規慣例二関スル条約 」(ヘーグ条約またはヘーグ陸戦法規)に違反す るものであった)講和発効後は,従前の占領その ものは,まったく,その根拠になりえず施政権に 基づく新しい法的根拠が必要とされた.そのた め,1952年11月1日布令第91号「契約権」を公布 したが地主との契約に完全に失敗に帰した. その後,また,新規土地強制接収の根拠法令と して布令10号「土地収用令」(1953年4月3日) を公布した. 同布令は,形式的にも実質的にも権力による一 方的な押しつけ以外のなにものでもなかった. そして,1957年2月米国民政府布令,第64号「米 合衆国土地収用令」が新たに,公布されるまで各 地で土地接収を行ない.1958年頃の土地闘争が一 応終結した頃に現行の布令「賃借権の取得につい て」(1959年2月12日布令第20号)が公布され た. しかしながら,布令20号にも取得の方法(「い かなる制限も加えずに合衆国は使用を欲する期 間,土地の上空,地下及び地上並びに当該土地 の地上物件の完全かつ独占的な使用及び享有に及 ぶ権利」だとされている)に問題がある.すなわ ち,今後とも米軍が欲する何如なろ地域の土地で も新規の土地接収があり得ることを明記している 点である.さらにこのような布令の公布と前後し て1957年1月4日,大平洋最高指令官レムニッツ アー大将は琉球の土地問題に関して次のような声 明を発表していろ. すなわち,声明(13)「農業を続けたい人また は帰農を希望する人のために琉球諸島の米国民政 府および琉球政府で新しい土地を開拓することを 援助します.沖縄および八重山群島には現在農耕 に使用されていない耕作可能な土地がかなりあり ます.御承知のように八重山群島における開墾事 業は着々と進展しており琉球農民は新居住地を見 出しています.沖縄にも耕作可能でまだ開墾され ていない土地が相当あります.米国民政府ではこ れらの土地の利用価値を高めるため道路並びに公 共施設の建設を援助する用意があります.琉球政 府の協力によって,この新農地を農民の移住地に 当てることができます」との声明を発表した.と のことが契機となり,第2期で触れた「移住地開 発法」(1957年9月立法第109号)が制定された. 琉球政府はその後さらに一連の関係法令「開拓 移住に関する規程」(1958年)「開拓移住補助 金交付規程」(1959年9月),「開拓資金,融 通規則」(1961年2月)「移住地開発法に基づく 買収又は売渡しをする場合の登記の特例に関する 規則」(1962年)を整備し本格的な移住政策を推 進したが財政難のため,移住政策は完全な失敗に 機した.現在では生産基盤の整備はおろか生活基 盤の整備も十分でなく総じて移住地域は廃村同様 な危機に貧していろ. 前述のような米軍の巨大な基地建設のための土 地接収が沖縄の農耕地を著しく狭少にし,農家を 一層零細化せしめるとともに農業総生産を大巾に 減退せしめ,沖縄の農業問題を一層深刻化せしめ た最大の要因でありこ》にもアメリカの軍事優先 政策が厳然として存在していた. そのほかの土地問題としては,1964年7月30日 琉球列島米国民政府は布告第22号「両大東島の土 地所有権について」を公布し,「訴願人証拠物の 件第2号」(1963年両大東島の住民より土地諮問 委員会に提出した文書)に記名された者に対して 同文書においては各人が要求した土地の所有権及 び完全な法律上の権利を与えること出した.これ に対し,玉置氏から異議申立がなされた. (ロ)土地改良法 土地生産力の向上を目的とする土地改良法(19 53年12月立法第29号)は施行後組合設立の準備, 認可申請,組合定款,役員の選任,地区の変更な ど種々の問題点が生じた》め1956年10月(立法86 号)に大巾な第一回改正を行なったが,さらに, その後も経済情勢の変動に伴って,法律運用上, 整備を要する箇所が生じたので1969年までに5回 に亘ろ改正をなった. そのうち,大巾な改正であった第4回改正(19 66年立法122号)について見ると,日政援助の拡 大に伴い,末端における事業主体の強化拡大を図 ろため土地改良組合の組織化を図り,土地改良事 業が適切かつ効率的に運営できるよう共同の利用 を増進することを目的とした「土地改良事業団体 連合会」の設立を新たに規定するとともに農業協 同組合及び同連合会が事業主体となりうるように
沖縄農業第11巻第1.2号(1973) 8 臣,アイゼンハワー合衆国大統領との共同声明」 (1960年1月19日),「池田総理,ケネディー大 統領共同声明」(1961年6月22日),「佐藤総理, ジョンソン大統領共同声明」(1965年1月13日), 「佐藤総理,ジョンソン大統領共同声明」(1967 年10月15日)が行なわれ,遂に1969年11月二度目 の佐藤総理の訪米により,沖縄の返還(Return oftransferofadministrativeright」が「72年 核ぬき本土並み返還」として,返還されることが 確定された.このように沖縄をとりまく政治情勢 の著しい変転のなかにあって.沖縄における政 治,行政は第3期の後半になって次第に本土との 一本化政策が推進されるようになる. 一方,経済面では,これまでの基地収入を主軸 とし,米国政府による財政援助,外資の導入等に よって発展してきた沖縄経済に日本政府の財政援 助及びベトナム特需などが加わり,沖縄の産業経 済が戦後もっとも発展し,重要な意義を有する時 代となった. 産業経済法の制定についても通貨切替えと関連 して重要な法令が布令の形で制定されたが産業振 興に関する各種の法令は前述のような政治経済情 勢を反映して,これまでの布令,布告が改廃され 民立法の形で数多くの法令が(「綜合開発法」 (1959年立法第180号),「糖業振興法」(1959年 立法184号),「重要産業育成法,(1959年立法 第176号)「産業開発資金融資法」(1958年立法 第88号),「パインアップル産業振興法」(1958 年立法第185号)が制定された. また,農業経済も他産業の発展に伴い農産物の 流通価格問題,労働力問題,金融問題等経済問題 を含みながら,糖業,パインアップル,畜産を中 心に飛躍的に発展をとげた時代である. この期間は農業立法が全体的に整備された時期 であると同時に圧倒的に民立法が多く制定された 時代でもある. 特に前述の「糖業振興法」,「パインアップル 産業振興法」等重要産業に関する立法のほか,農 産物の価格及び農業金融,農業団体の整備強化に 関する立法が比較的多く制定され,農産物価格立 法及び農業金融立法が,がぜん多採な展開をとげ たことに一つの特色があった. また,1968年2月1日第34回立法院定例議会で 農業の方向と農業政策の目標を明確にするための 改正した.ところが制度の整備はなされたものの 実際の運用は効率的でなく,土地改良事業の達成 率は以前とほとんど変りなかった. リ農村文化生活に関する法令 ㈹農村漁村電気導入 1952年電気事業法が施行されて以来60年まで8 年を経適していたが全琉の電化率は78%であっ た.残りの地域は配電会社の施設を拡張して電化 できる地域と電化条件が悪く配電会社の施設を拡 張して電化できないゴヒ部の国頭,東及び離島地域 (宮古,八重山を除く)があった.後者の地域は 政府の援助によってのみ電化が可能であった.そ れで琉球政府は農村漁村の人々に対し,電化の面 においても文化的生活の機会が与えられるように するため,1960年8月「農村電気導入法」(立法 92号)を公布施行した. 同法は電気が供給されないか又は当該農村漁村 自体のみでは電気を供給することができない農村 漁村に電気を導入して,これら農村漁村における 農漁業の生産力の増大と農漁家の生活文化の向上 を図ろことを目的とし,「協同組合法」(1956年 立法67号)に基づく協同組合並びにその他協同組 織体で行政主席が指定するものか又は市町村が農 村漁村電気導入計画を作成し,実施した場合に総 施設費の80%以内を補助することになっていろ. 以上のように1957年6月,沖縄統治の基本法「 琉球列島の管理に関する大統領行政命令」が施行 されてから,1969年11月の「佐藤総理とジョンソ ン米国大統領との共同声明」が発せられるまでの 第3期における政治.経済の動向及び農業立法の 背景について要約すると.先ず政治の動向では. 前述のように沖縄における本土復帰運動がこれま での革新団体の復帰運動から全県民的なものとな り,さらには.これに呼応した本土の民主勢力に よる沖縄返還闘争へと,質,量ともに高揚し,こ れが国内,国際政治への反映となった.そして, これまで米国の沖縄基地保有政策に荷担して,沖 縄返還に冷淡であった日本政府も,これを無視す ることができずようやく,日米双方で「沖縄返還 」問題が真剣にとりあげられ,沖縄問題に関する 日米共同声明(「岸総理,アイゼンハワー大統領 共同声明」)1957年6月22日),「岸日本国総理大
高良:戦後の沖縄における農業立法の変遷と特質(Ⅲ) 9 「農業基本法」が立法勧告されたが審議未了とな り,廃案となった. しかし,翌1969年6月自民党議員団による議員 立法がなされ,1969年8月15日本会議で可決され たが,同基本法は抽象的で受効性がないとして革 新行政主席による初の署名拒否となり廃案となっ たことは,戦後沖縄における農業立法史上注目す べき点であった. ろ形をとっているが農業立法のうち重要立法である 「糖業振興法」,「パインアップル産業振興法」等 は企業設立の許認可制等,厳しい条件のもとに企業 活動を規制する規定を設けている. 類似法である本土の「甘味資源特別措置法」(昭 39年法49号)及び「果樹農業振興特別措置法」(昭 36年法15号,「中小企業団体の組織に関する法律」 (昭32年法185号)等)は承認制であるが沖縄法は 許認可制でありより強制法的性格を有していろとい える. かような強制的機能を有する立法を制定した背景 には糖業,パインアップル産業が沖縄における重要 な産業であり,沖縄のような後進地域において相互 扶助による共同の繁栄を図ろためには強力な権力の 介入が必要であるとする強い政策意図のあらわれで ある.そして,その根底には零細農の保護と企業保 護の企図があった. 第3点は包括性を持った立法である. 本土における農業法律び生産に関する法律,価格 流通に関する法律,金融に関する法律など各々個別 に独立した単独法としての立法形式とっているのに 対し,沖縄の糖業振興法,パインアップル産業振興 法,稲作振興法等は各種(上記)の法律に関する規 定を同一法の中に規定した包括的な性格を持つ立法 であった. このような立法構成になった背景には,糖業及び パインアップル産業が沖縄の重要産業であることに かんがみ,これらの産業の生産技術の向上,工場施 設の近代化,流通の合理化,価格の安定化等を図ろ ことを企図するとともに実際的に政策手段として効 力を持つ補助金,融資等の処置を総合的に実施しよ うとした強い政策意図があったといえよう.また, 沖縄の協同組合法も本土の「農業協同組合法」, 「水産業協同組合法」,「中小企業等協同組合法」 の三法を一元化し包括した協同組合法の内容を持っ ており,イギリス,フランス,イタリアなどの協同 組合法的色彩の形態をとっている. さらに,改正前の森林法も本土における「森林開 発公団法」,「林業種苗法」,「森林病害虫等防除 法」等の諸法律のように個別,多元的な立法形態を とらずこれらの諸法令を包含した立法形式をとって いるといえる. むすび 以上これまで戦後の沖縄における農業立法の背景及 びその経緯,特質等について概観し,その実情を紹介 してきたが,こ》では,相関連する諸立法を更に総括 的に要約し,本土法と沖縄法を比較しながら総体とし ての農業立法を理解し,その特質ともいえる点を指摘 するとともに立法と農政上の重要な問題について述 べ,まとめとしたい. (1)沖縄における農業立法の特質 先ず第1点は米軍の軍事目的を優先する布告,布 令を中心とした立法体系である. 戦後,沖縄における産業経済立法のうち基本的な 経済政策に関する立法(「琉球列島における外人の 投資」(1958年9月布令第11号)「琉球列島におけ る外国貿易」(1958年9月布令12号)「琉球開発金 融公社の設立」(1959年9月布令25号)等)は直接 米軍の布令の形で制定されているが,農林業分野に ついても土地問題「米合衆国土地収用令」(1957年 2月23日布令64号)「賃借権の取得について」(1959 年2月2日布令20号)等)及び林野問題(「財産, 管理」(1945年ニミツッ布告),「日本国県有森林の 管理について」(1962年4月12日弁務官指令第2号 )等)等米軍の沖縄統治目的(戦争遂行)と直接に 関連する重要な問題については布令による立法であ った.ところが,米軍の軍事的性格とむすびついて 軍の要求に規定されることが少なかった農業問題に ついては民立法の形式で立法されている. このことは米軍事優先政策の現れであり,米軍の 施政権下における沖縄の農業立法の特色である. 第2点は本土法に比較して一般的に強制的性格を 持つ立法である. 沖縄における産業経済政策は一応企業活動の自由 を前提としながら経済政策上必要限度にチェックす (2)法律制度上から見た農政の特質
沖縄農業第11巻第1.2号(1973) 10 ところで沖縄は土地政策が皆無(土地の自由化政 策)であったにもか出わらず,地主による土地集 中,多数農民の小作貧農への没落がなく,また近代 的な農業経営(大規模経営)をももたらさず零細農 耕の農業構造は依然として何等の変化も受けなかっ た.しかしながらこのような小作問題,構造改善の 問題について政策担当者が充分認識し,それをふま えての政策判断(土地の自由化政策)であったかど うかは極めて疑問である. 第2点は,価格,取引,農業団体,金融,災害等 総じていえば流通経済の安定合理化のための諸立法 及び諸施策の展開である. 戦後,沖縄における農業立法はほとんど流通経済 の安定,合理化に関する立法で農業への近代資本の 侵入を排除し零細農を保護育成することを狙いとし た法令であった.とりわけ糖業及び農業団体に立法 が多く,戦後農政の二大主柱をなしていろ.すなわ ち,第1期及び第2期においては協同組合法,協同 組合中央金庫法,農林水産倉庫法のほか肥料取締 法,家畜商法,輸出物産検査法,蚕糸業法等団体の 育成及び権力的取締法によって代表されている.第 3期においては,糖業振興法,パインアップル産業 振興法,豚価安定法,農漁業協同組合整法及び合併 促進法,農漁業資金融通法,農薬取締法,肥料需給 安定法,飼料の品質改善に関する立法等価格,団体 整備,金融,取締等広範囲に亘って本格的に展開さ れていろ.以下価格(特に糖業),団体,金融,災 害等の主要施策の諸点について触れてみたい. 農産物の価格調整ないし安定に関する立法は糖業 振興法,パインアップル産業振興法,米穀需給調整 臨時措置法〈稲作振興法,外国産米穀の管理に関す る立法),豚価安定法等であるが,これら一連の立 法は第3期に入って一層本格化したことは既に述べ たとおりである. ところで沖縄の農産物は論ずろまでもなく零細規 模の上に成立ったコスト高の農産物であり,しかも 基幹作目が国際商品であることから,これら農産物 の価格を妥当な水準に維持し,適正な農業所得を実 現するという観点から農産物の価格政策のもつ意義 は極めて重要であった.それ故,これらの立法もこ のような見地に立って価格水準の設定にあたっては 零細農の生産コスト及び経済事情,生産事情等を参 しやくして設定しており一応小農の保護を意図した 価格水準で決定されている.しかしこれは零細農が 第1は土地立法及び土地政策が皆無である. 土地は農業にとって本源的な生産要素であり,経済 的性質と自然的独占的性質との二面を有していろ. したがって,土地資源の効率的利用を図ろとともに 土地に対する労働の正当な成果を享受せしめるため には土地が如何に合理的に配分され,利用されてい るかということが土地政策上最も重要な課題とな る. このような意味において本土の農政が明治,大正 以来今日まで土地間題をめぐる地主と小作人との対 抗関係を如何にして解消し,近代的な土地所有,利 用関係に移行せしめるかという点に政策の重点をお き大正13年の小作調停法制定以来,大正15年の自作 農創設維持事業,戦争中の農地調整法(昭13年), 国家総動員法に基づく小作料統制令(昭14年),臨 時農地価格統制令(昭16年),臨時農地管理令(昭 16年),そして戦後の農地改革を経て昭和27年の農 地法を制定し今日に到るまで一貫して小作農の保護 政策をとってきた理由があった. 沖縄も終戦の年の昭和20年まではかような本土農 政の範ちゅうの中で制度の適用がなされていたが, 終戦後はニミッツ布告により農地調整法(昭13年) が承継適用されている形となっていろ.しかし,実 際には関係法令は整備されず,また農地の調整業務 も行なわれず土地政策は皆無の状態にある.ところ で第2次大戦後八重山において小作人を中心として 組織された農民組合が日糖社有地をめぐり小作争議 が発生したが深刻な農村問題として一般化すること なく,永代小作権を設定することによって決着がつ いた.このような八重山の小作紛争以外に小作争議 が増大して社会的な混乱を招くような例は戦後の沖 縄の歴史にほとんどその記録を見ない.(戦後の土 地闘争は農民の米軍に対する〃土地接収反対〃〃土 地を農民へ〃と叫ぶ農民の基本的な要求であるとと もに戦いであり,農業,農民問題の本質的側面では あるが農業政策次元の問題ではなかった) このように社会不安を誘発する小作紛争がなかっ た要因は,小作農(1964年センサス,小自作農9.7 %,小作農10.6%)が少なく,また小作地のほとん どが社有地や国有地,市町村有地で占められ比較的
低率小作料で賃貸借が成立し一般的な地主対小作人
との賃貸借関係少なく,しかも親戚関係がかなりの 比重を占めたことが温情主義で律せられてきたこと によるものと思う.高良:戦後の沖縄における農業立法の変遷と特質(Ⅲ) 11 資本を蓄積し,拡大再生産をなしうる価格水準では なかった. 砂糖の価格政策については本土政府の貿易,関税 政策等の各面からの保護措置と併行して価格維持を 実施したため辛じて糖業振興法に規定する価格水準 を遵守することができたが,本土政府が砂糖の自由 化に踏み切ってからは糖業振興法に規定する最低基 準価格を遵守せしめることが困難になってきたため 工場側に農家に対して最低基準価格の支払を強要す る一方,工場に対しては調整金制度から価格安定補 助制度へ移行するなど従来(自由化前)までの単な る価格調整の段階から次第に統制的色彩を強化する 政策を指向していた. このような施策は零細農を保護育成すると同時に 企業をも保護育成しようとする政策意図の現れであ り,共存体制を企図した糖業政策の二面性ともいう べき施策である. また,このことは,パインアップル産業について も同様なことがいえる. なお,これまで糖業は各面からの保護育成措置が 構じられ,農政の主軸をなしてきたが,このような 保護育成措置が逆に糖業偏重政策となり,経営の単 一化をもたらした基本的な要因ともなっている. したがって,沖縄経済の自立や国民経済の健全な 発展を図ろ観点からこれまでの糖業偏重農政から総 合的な農政を推進し総合的な経営の発展を図ろ必要 があろう. 次に農業団体の組織育成の施策についてみると, 糖業政策と並んで戦後沖縄における農政の二大主柱 の一つであった. このことは第1における「沖縄農業組合規約準則 」の公布,施行及び第2期における布令第45号「琉 球協同組合法」の施行,民立法による協同組合法の 制定並びに第3期における協同組合法の改正,農協 の整備法,合併法の制定等を企図したことからも充 分理解できろ. 農業組合の設立は戦後の政府機構が未確立の段階 において農政担当者が散在する小農民を支配し,統 轄して農政浸透の固有のルートとするために農業団 体を直接政策担当者の支配下に組み入れる必要のあ ることを認識し,立法を企図したものであろうが政 府機構が確立した後の段階においても近代資本に対 する零細農民の保護という観点から団体を整備育成 しなければならなかったことを物語るものでもあ ろ. また,このことは同時に政策担当者が権力的強制 機構のみならず団体の組織原理の広汎な活用にも十 分な関心を持っていたことを意味するものである. しかしながら現在の農業協同組合は農民の自発的 な結合に基礎をおくことが弱く,権力的な規制に依 存せざるをえない弱点を内包しており,今後は,こ れを如何にして健全な自主的な組織とし,蓄積した 資本を農民に還元し,真に勤労農民の利益に直結し た農民経済を助長するかが農政上の重要な課題とな ろう. 金融問題については,戦後農村が一時好況を呈し ていた第1期においては,ほとんど影をひそめてい たが農村の好景気が次第に下火になりはじめた第2 期から漸次金融問題が再燃し,農業信用協同組合の 設立となった. さらにその後,農村の資金需要にHiF『ずろ側面と協 同組合の資金難を緩和する見地から農業協同組合と 農業信用協同組合の兼営,そして協同組合中央金庫 の新設となった.すなわち第1期及び第2期は系統 金融の創設及び整備であった. 第3期には農林漁業中央金庫の資本金増額等系統 金融の補強を行なったほか農漁業資金融通法,糖業 振興法,パインアップル産業振興法等の施行に伴う 特別会計の設置など本格的な政策金融制度が確立さ れた.(なお,これ以外にも若干の付随的な制度金 融(利子補給)の措置もとられた) ところが,これらの政策金融制度は直接政策目的 に対応する金融制度であるため利子率が系統金融よ り低く,農業金融の金利体系を混乱に落し入れた. さらに,これらの制度金融の創設により,これま での補助金制度が次第に融資制度に切り変えられる ようになった.そのため所得率の低い作目は後進し 一層経営のモノカルチヤー化を招いた. このような政策転換の意図は安上り農政を企図し たもので単に農業金融面によって農業問題を解決せ んとする主客転倒した考え方であったといわざろを てない. なぜならば元来零細農には資本の導入を阻む要因 が山積し,資本の機能を充分に発揮できない面を多 分に持っているからである. したがって,農政が農業金融の混乱を招くことな く構造改善や近代化による農業の飛躍的な発展を企 図し,低位生産性の沖縄農業を利潤範鴫の成立を可
沖縄農業第11巻第1.2号(1973) 12 能とする農業を確立しようと意図するならば農政の 基本的な部門については金融でなしに補助金で実施 すべきである. 次に災害補償についてであるが沖縄のように災害 頻度の多いところでは農民は一度災害に遭遇すると 致命的な打撃を受けろ,その意味において農業災害 補償制度は重要な政策上の課題である. 琉球政府は,それぞれの災害の発生に応じて何等 かの措置を構じてきた.また,糖価対策,米価対策 等の価格政策の展開においても災害を含めた価格設 定をしていることは災害対策の一助であったと考え られる. ところが,このような対策は根本的な,しかも適 切な対策とはい難い.やはり,恒久的な制度を確立 することによってより迅速に合理的に対処すること ができる. この恒久的な政策としては保険作用を加味した制 度が考えられるが沖縄のような零細農耕を基幹とす る農業構造と特殊な災害地域では政府の強い助成策 がない限り,不可能であり,政府の再保険制度を取 り入れてはじめて保険事業が成立するものであるこ とは今更述べるまでもない. 第3点は,零細農耕を前提とする小農維持政策, 特に小農の生産,経営に関する諸施策である. 小農維持政策は各種の零細補助金及び低利零細融 資によって代表されるが,沖縄における小農維持保 護政策は第1期,第2期においては,戦前,戦中の 日本農政の小農維持保護政策が踏襲され,ほとんど 意識されないまま戦後の増産政策となり実施されて きた. しかし,第3期に入ってから価格流通問題等農業 問題が経済問題として発展してきた段階から,よう やく意識されるようになり,これが農政全般に浸透 して行ったように,思われる. 生産,経営に関する施策は第1期,第2期におい ては,病害虫防除,肥料対策,優良品種の普及等労 働対象に関する零細補助金施策が主体で,労働手段 はほとんどみるべき施策はなく,生産様式に何等変 革をもたらすことのない零細農耕の農業構造を前提 とした小農維持政策であったが,第3期に入って農 業機械や農業構造改善事業等,直接経営の変革にと りくもうとする企図があったが,それにしても本格 的な施策ではなかった. また,第3期に入って本格的に展開された砂糖, パインアップル,稲作など価格流通ほか金融,農協 等に関する諸立法の企図するところもやはり小農の 維持保護にあった.そして,糖業,パインアップル 産業についてみる限り小農保護維持の政策のみでな く企業保護政策も合せ持っていたということは先に 述べたとおりである. このような小農維持保護政策がとられたのは社会 経済の全般からみて必要であったとしても今日では 零細農耕の農業構造が生産力の発展の制約条件とな っていることは明らかであり,産業構造の変化に対 応して構造改善のための政策を強力に推進すること が必要であろう. 以上の三つの分野にわたって農政と立法について の一つの特徴としていえることは補助金政策の役割 である. 戦後,農政の各面にわたり立法が制度されている が,その実際的な側面として効力を持ちうる政策手 段は財政資金による融資と補助金であるが戦後農村 が不況の徴候を呈しはじめた第2期に入ってから, 各種の「補助金交付規程」があいついで総花的に公 布され,比較的生産契励金が多かった. 第3期の前半においては一時農村がさとうきび, パインアップルブームによって活況を呈し,農業総 生産が増大の一途をたどったときは補助が融資に切 り替えられ補助金制度が一時衰微した. ところが砂糖の自由化が実施され,糖業が下火に なってきた後半には再び各種の生産奨励金が増加し はじめるとともに流通補助金や農協団体の整備及び 合併などへの補助金が支出されるようになった. このように補助金制度は農業問題が特に重大化, 緊迫化した時代に集中的に成立していることをみた 場合,そのこと自体の中に意義を汲みとることがで き,沖縄のような超零細経営においては,それなり の意義を持ち特に生産奨励金,流通補助にはその効 果を上げていろと考えられろ. しかしながら,それが末端において経済的に効率 的に運用されたかについては簡単には結論は下せな い.ということは支出された補助金の件数が多いた め,補助金が個々の農村や農家に渡ったときは極め て小額となり,せいぜい家計補充的な意味しか持ち えなくなる場合が多く,しかもその運用は全く市 町村や農民団体,農家まかせとなっているからであ る. しかし,いずれにしても,かような零細補助金政
高良:戦後の沖縄における農業立法の変遷と特質(Ⅲ) 13 策は,それなりの意義があるにしても財政投資の効 率化という観点から長期的に見るならば総花的でな く生産基盤の整備,農村生活環境の整備等重点的に 社会資本の充実に目を向けるべきである. 以上本稿は単に戦後の沖縄における農業立法の変 遷とその特質の紹介に終ったが具体的な個々の立法 の検討と1969年11月の佐藤,ニクソン共同声明以降 (沖縄返還に関する共同声明)72年本土復までの復 帰準備期間(第4期)については今後の研究課題と したい. 5.琉球政府琉球現行法規総覧第9号~10号.琉球 政府 6.農林省農地局沖縄現地調査報告(沖縄における 農地問題について」.農林省 7.末弘研究所編集法律時報第42巻第5号.日本 評論社 8.沖縄農業研究会沖縄農業7(2),8(2). 9.稲泉薫沖縄経済への提言.社団法人沖縄経営者 協会 10.小倉武一日本近代法発達史第1巻(農業関係 法).勁草書房 11.加藤一郎日本近代法発達史第2巻(農業関係 法).勁草書房 12.渡辺洋三日本近代法発達史第6巻(農業関 係法).勁草書房 13.琉球農連琉球農連50年史.琉球農連 14.池原真一沖縄における甘薦作経済の研究.琉球 大農学部学術報告第15号 15.琉球立法院琉球立法院議事録第1号~第38 号. 16.南方同胞援護会編沖縄問題本資料集. 参考文献 1.杉田場太郎法学理論篇(9)日本農業立法史.日 本評論社 2.琉球政府立法院琉球法令集(布令布告編).大 同印刷工業株式会社事務局法制部 3.琉球大学経済研究所経済論集(第1号). 琉球大学経済研究所 4.琉球政府経済局糖業関係資料第5号~第8号. 琉球政府経済局