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〈実験社会心理学研究〉に関する研究

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受 理 日:2020 年 9 月 2 日 早期公開日:2020 年 11 月 21 日 2021, 63–81 DOI: 10.2130/jjesp.2006

〔展   望〕

〈実験社会心理学研究〉に関する研究

矢 守 克 也

京都大学防災研究所 要   約 本論文は,社会心理学における実験的研究について検討した展望論文である。特に,実験の概念をより広 義なものへと拡張し,実験という手法が本来有する豊かなポテンシャルをより大きく引き出す方向で,実験 社会心理学の領域を再構築することをねらいとした。一般に,典型的な実験室実験と文化・歴史的な視点を 重視する現場研究との距離は非常に大きいと見なされている。しかし,中間部に,「アイヒマン実験」や「実 験の史学」などを配置すると,両者の連続性を確認できる。その上で,実験社会心理学研究の拡張を2 つの 方向から構想した。第1 は,草創期のグループ・ダイナミックスにおける実験研究がそうであったように, 実験室ならではの生態学的特性を活かしつつ,人間の実存性や社会のリアルな生態に接近するための回路を 設け,実験室実験に現場研究の長所を取り込む方向性である。第2 は,「実験の史学」のように,現実社会 を対象とした研究に,実験操作に匹敵する比較条件を設定するための仕組みを導入し,現場研究に実験室実 験の美点を取り込む方向性である。こうした志向性を有する具体的な事例を社会心理学,歴史学,防災・減 災研究の領域から紹介し,新たな実験社会心理学研究の構想を提示した。 キーワード: 実験社会心理学研究,グループ・ダイナミックス,実験室実験,実験の史学,アイヒマン実験 1.雑誌名をめぐる論争と「実験」の定義 本論文は,社会心理学における実験的研究について検 討した展望論文である。特に,実験の概念をより広義な ものへと拡張し,実験という手法が本来有する豊かなポ テンシャルをより大きく引き出す方向で,実験社会心理 学の領域を拡張的に再構築することをねらいとした。論 文の表題にも掲げた〈括弧〉書きの〈実験社会心理学研 究〉は,以降,この再構築されたディシプリンを意味す る表記として用いる。 実験社会心理学研究は,『実験社会心理学研究』と, 『括弧』を付け雑誌名(固有名詞)として書くと,日本 グループ・ダイナミックス学会の機関誌の名称となる。 この名称については,その変更をめぐって2000 年代に 論争があった。論争の詳細については,同学会のニュー スレター「ぐるだいニュース(28 号)」(日本グループ・ ダイナミックス学会,2005)などを参照いただくとし て,その基本的構図はこうである。「グループ・ダイナ ミックス研究は,狭義の実験研究だけから構成されてい るわけではないのだから『実験』という言葉は外して, 研究対象であり学会名でもあるグループ・ダイナミッ クスを新雑誌名とするのが自然である」(実験慎重論)。 「いや,実験的な研究手法が本学会における研究の中核 を担っているのは今も変わらないし,また,新しい名称 は認知研究隆盛の現状にもそぐわない」(実験推進論)。 以上のように,この論争の焦点の一つは,社会心理学 における「実験」という手法の取り扱いにあった。本稿 のメインテーマも「実験」である。そこで,まず,社会 心理学における「実験」研究について,それとは対照的 な性質をもつ「現場」研究と対比しながら,その定義を 明確にしておこう。なお,本稿は全体として,社会心理 学における旧来の実験研究および旧来の現場研究につい 第1 著者連絡先 e-mail: [email protected]

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て,両者を対立させたまま,それぞれを狭義の実験研究 や狭義の現場研究として閉塞させることなく,両者を拡 大・融合させた広義の実験研究―〈実験社会心理学研 究〉―として融合的に結実させようとの呼びかけをなす ものである。そのため,ここでまず定義するのは,社会 心理学における―狭義の現場研究とを対比させた―狭義 の実験研究ということになる。両者を拡張的に融合させ た〈実験社会心理学研究〉の内実は,本稿全体を通して 徐々に明らかにしていくことになる。 筆者の考えでは,狭義の「実験」の核心は2 つある。 一つは,研究者(実験者)の研究対象(被験者)に対す る「組織的な働きかけ」を通して,「働きかけ」が研究 対象に与えた影響を同定しようとする姿勢である。実 際,心理学実験は,被験者を独立変数の操作を受ける実 験群とそれを受けない統制群に振り分け,ある要因に関 して実験操作を行い,それぞれの反応を測定することに よって,その要因の影響を明らかにする手法,と定義さ れている(たとえば,安藤・村田・沼崎(2017),三浦 (2017)などを参照)。実験操作とは,まさに「働きかけ」 のことであり,しかも,この実験における「働きかけ」 が,たとえば,カウンセラーのクライアントへの「働き かけ」など,心理面に関わる介入一般と区別されるのは, 他の要因を均一に保った上で独立変数となる要因だけを 操作し,かつ,実験操作の影響を効果的に把握するため の測定網を予め計画的に張りめぐらせておくなど,そこ に「組織性」が見られるからである。 これとは対照的に,現場研究では,基本的には,研究 者における「働きかけ」はなされず,研究対象がすでに そこでなしていることを「観察」したり,せいぜい,聴 き取りという形でのミニマムな「働きかけ」を通して調 査対象から情報収集を試みたりする手法をとることが通 例である。ただし,アクションリサーチなど,現場研究 においても,「狭義の実験」ほど組織的な形ではないと しても,研究者から研究対象に対する「働きかけ」が重 視される場合もある。そして,後述するように,こうし た研究群は,社会心理学における従来の現場研究を「狭 義の現場研究」から〈実験社会心理学研究〉へと発展さ せるための回路の一つとなりうる。 狭義の「実験」のもう一つの核心は,普遍性・一般性 への強い志向である。仮説検証の観点を重視するにせよ, 仮説導出の観点を重視するにせよ,狭義の「実験」に基 づく研究は,個別的・特殊的な事例群から普遍的・一般 的な規則・法則を見いだそうとする強い志向性をもって いる。言うまでもなく,実験といえども,それ自体,特 定の時間・空間において,個別具体的な研究者(実験者) と研究対象者(被験者)によって実施されるほかない。 しかし,こうした個別具体的なコンテキスト(いつ,ど こで,だれが,だれを対象に実験を実施したか)が実験 から導かれる知見にもたらす影響を排除ないし最小化す るように,上述の「組織的な働きかけ」がデザインされ, 当該の知見をめぐる演繹・帰納のプロセスの全体が組み 立てられる。 これとは対照的に,現場研究は,実験研究がその影響 を最小化しようと試みる個別具体的なコンテキストの方 をむしろ重視する。すなわち,あらゆる知見は,その知 見が得られるコンテキストに依存しており,その影響を 免れえないとの立場をとる。そのため,コンテキストの 抹消ではなく,むしろ,研究対象者が行為し生活する実 際のコンテキストを可能な限り破壊せずに保全し,同時 に,そのコンテキストを―主たる研究知見とともに―綿 密に記述することが目指されることになる。ただし,少 なからぬ現場研究が,個別具体的なコンテキストを重視 するあまり,普遍性・一般性への志向を断念している点 には批判的な眼差しを向ける必要があろう。後述するよ うに,現場研究と普遍性・一般性は決して両立不能とい うわけではないからである。 実験室という場は,「狭義の実験」がもつ以上2 つの 核心的特性を―よいも悪いも―より純化した形で実現し やすい環境である。だから,実験室実験が「狭義の実験」 の主役の座を占めてきたことは当然である。ただし,「狭 義の実験」が,実験室でしか実現できないわけではない。 実際,実験室以外でも「狭義の実験」は試みられてきた し,こうした試みは,後述するように,社会心理学にお ける従来の実験研究を「狭義の実験」から〈実験社会心 理学研究〉へと開いていくための回路の一つとなりうる。 また逆に,実験室という場も,それ自体が一つの個別具 体的なコンテキストだという点に注目すれば,実験室を 舞台にした現場研究も十分に構想可能だし,実際,いわ ゆるラボラトリー研究(たとえば,Latour(1988 川崎・ 高田訳 1999)など)は,そうした要素をもっている。 狭義の実験は,現場研究と対比的にとらえた場合,典 型的には,以上のような特徴をもつと定義づけることが できる。ただし,実際には,その特徴を完全な形で実現 した「純粋形」は,社会心理学研究ではむしろ少数派で ある。実験操作が完全ではない「準実験」(井関,2018), 両者の性質を混在させたアプローチ,あるいは,実験な のか現場なのかという対比の枠組みには必ずしもおさま らない研究手法も,社会心理学には多数存在することを ここでおさえておきたい。 一例をあげると,群集行動について「シミュレーショ

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ン」によって検証する研究がある。この種の研究では, たとえばYamori(1998)に見られるように,人間行動 を物質的な粒子の運動に比定するところまで還元するこ とで,普遍性・一般性の高い知見を導出しようとしてい る。しかし,「組織的な働きかけ」という性質は薄い。 数理モデルを利用した研究の多くも同様である。あるい は,対面型のワークショップやゲーミフィケーション (たとえば,矢守・吉川・網代(2005),Yamori(2011) が開発した「クロスロード」など)も,社会心理学研究 を進めるための有力手法の一つである。これらの中には, ゲームプレイを通して人びとの態度・行動変容を促すも のなど,研究者による「働きかけ」を明瞭に伴うものも ある。他方で,個別具体的な問題解決に力点がおかれ, 普遍的・一般的な規則・法則を引き出そうとする志向性 は弱いことも多く,そのため,典型的な実験研究ほどに は「働きかけ」は組織化されていないケースも目立つ。 さらに,社会心理学では,「質問紙実験」(たとえば, 井川・中西・志和(2013)や天野(2018)など)と呼ば れる手法もしばしば利用される。行動経済学と呼ばれる 領域でも同様である。その多くで,実験操作に相当する 部分を質問紙上で提示されるシナリオ―その回答者間, または回答者内のちがい―が担っている。「質問紙実験」 は,肯定的にとらえれば,実施が容易であり,かつ現場 の具体的なコンテキストをシナリオという形で実験研究 により色濃く反映させるための工夫だと言える。他方 で,否定的にとらえれば,端的に言って,シナリオは実 際の現場のリアリティには遠く及ばないし,また,十分 に工夫されたダイナミックな「働きかけ」を伴った従来 の実験室実験と比較して,「質問紙実験」は実験手法の 核心の一つである実験操作が脆弱な実験だとの見方もで きよう。 いずれにせよ,ここで強調しておきたいことは,狭義 の実験研究,狭義の現場研究というとき,この「狭義」 という表現には,「純粋」という含みがある点である。 筆者としては,2 つのアプローチを生産的な形で融合す るためにも,安易な折衷,ないし,中途半端な妥協に終 わる場合も散見される「混在形」ではなく,実験研究, 現場研究それぞれが本来志していた目標を残存・反映さ せている「純粋形」に注目する必要があると考えている。 所期の構想に立ち戻り,かつ,それぞれのアプローチの 長所・短所を合わせ呑んだ上で,両者を高次元で融合し ようとする作業―〈実験社会心理学〉の構想―が今こそ 求められている。 さて,以上のように狭義の実験研究と狭義の現場研究 を定義し,両者の現況を振り返った上で,先の論争に立 ち戻ってみよう。率直に言って,今この時点で振り返っ てみると,実験推進論の主張も慎重論の立論も十分に練 られたものではなかったと言わざるをえない。推進論の 安易な普遍性・一般性志向と慎重論の安直な現場主義 (コンテキスト志向)が対峙する構図自体が,社会学等 の関連分野で世紀をまたいで繰り返されてきた対立図式 の陳腐なリプレイで,2000 年代に反復するには物足り ない代物だった。両論とも,狭義の実験研究と狭義の現 場研究を,より広義に,生産的かつ拡張的に理解して, 互いの底辺部(相手方の明白な弱点)を批判するのでは なく,互いの最良部(相手方の最高の到達点)において 相手方をリスペクトし,その上で乗り越えようとする姿 勢に欠けていた。同時に,そのための概念装置も不足し ていた。 筆者の考えでは,推進論は,慎重論を手本に,実験室 ならではの 4 4 4 4 4 生態学的特性や,実験的な体験だからこそ 4 4 4 4 4 垣 間見える行為の実存的意味に光をあてる方向で,狭義の 実験を洗練・進化させるべきであった。もちろん,今か らでも遅くはない。他方,慎重論は,推進論を手本に, 実社会ならではの 4 4 4 4 4 「人力では作り得ない事実」(柳田, 1990a,p. 536),換言すれば,超強力な実験操作や,実 社会だからこそ 4 4 4 4 4 垣間見える「特異性に隠れた普遍性」(6 節(2)項で詳述)を有効活用する方向で,狭義の現場 研究を陶冶・深化させるべきであった。こちらも,もち ろん,今からでも遅くはない。 この2 つの方向からの双進化4 4 4が合流する地点に見いだ しうる高次の研究領域こそが,論文表題に掲げた〈実験 社会心理学研究〉である。それが実現したとき,両陣営 の間には「分離・対立」ではなく,「連続・協働」が現 れることになる。この見通しに対しては,「正反合の止 揚とは,これまた古典的なことを仰る…」との批判も招 くかもしれない。しかし,実験社会心理学研究をめぐる 当時の論争は,この水準にすら達していなかったし,実 験研究と現場研究との間の交流・融合が,一部の例外を 除いて依然として進んでいない現状は今もさして変わら ない(矢守,2010,2018a)。本稿で,〈実験社会心理学 研究〉の構想について論じるのは,こうした現状認識に 立脚してのことである。 2.2 つの源流と全体構想図 本稿で提起する〈実験社会心理学研究〉には,2 つの 源流,言いかえれば,発想上のヒントやきっかけが存在 する。第1 の源流は,上で短く引用した柳田國男がかつ て構想した「実験の史学」(柳田,1990a),ジャレド・ ダイヤモンドらが「歴史は実験できるのか」との挑発的

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なフレーズとともに提案した歴史学における実験的なア プローチ(Diamond & Robinson, 2011 小坂訳 2018),お よび,この両者に触発されたと本人が明記している柄谷 行人の「世界史の実験」(柄谷,2019)である。これら の著作は,総じて次のように主張する。歴史学と実験 (室)とは,一見したところ,文字通り水と油でまった く相容れないように見える。たしかに,そう簡単に操る ことができない事象や操ることに明瞭な倫理上の問題が ある対象を扱う領域(歴史学もその一つ)では,実験は 不可能だと思われる。しかし,「実験室での操作的実験 のようなものとは違[う]」(柄谷,2019,p. 15)として も,「多くの面で似ていてその一部が顕著に異なるよう な複数のシステムを比較することによって,それらの違 いが及ぼす影響を探究する方法」(同p. 15)と定義され る「実験の史学」ならば可能である。これは,1 節の議 論と結びつけて表現すれば,実験慎重論の方向から実験 推進論へと接近し,推進論の最良部において,それを乗 り越えようとするアプローチ―操作・普遍に近づく史学 ―である。 第2 の源流は,矢守(2018b,2018c)による近年の一 連の著作である。一つめは,いくつもの意味で最も高名 な社会心理学実験であるミルグラムのアイヒマン実験 に,典型的な実験室実験ではなく,研究者(ミルグラム) と実験参加者(被験者)たちの長期にわたる共同実践 (アクションリサーチ)を見いだした矢守(2018b)であ る。二つめは,質問紙調査―この,きわめて特殊で限定 的な,言いかえれば,「実験的」とも言えるコミュニケー ション・スタイル―を通して得られた量的データを質的 に分析することによって,回答に秘められた「実存的意 味」(独自の人間存在である当事者にとっての意味)を 探る試みである(矢守,2018c)。こちらの方は,1 節の 議論と結びつけて表現すれば,実験推進論の方向から実 験慎重論へと接近し,慎重論の最良部において,それを 乗り越えようとするアプローチ―実存・生態に近づく実 験―である。 ここで,ここまでの議論を集約し,かつ,この後順次 紹介する個別事例の位置どりをわかりやすくするため に,〈実験社会心理学研究〉に関する見取図を示してお こう(図1)。この図 1 の全容,言いかえれば,社会に 関する広義の実験的研究全体のことを〈実験社会心理学 研究〉と呼ぼうというのが,本論文の提案である。図1 の横軸は,実験という営みの位置づけを整理するための 一つの「軸」である。左翼側に,比較対照される条件に 対する操作性(研究者の介入の程度)が大きい狭義の実 験(たとえば,実験室実験など)が位置し,右翼側に, 同じく操作性(介入の程度)が小さい広義の実験(たと えば,この後3 節で述べる「実験の史学」など)が位置 する。この軸の設定は,実験を,1 節の論争でそうであっ たように「狭義」なものに限定せず,「実験の史学」を 含めて「広義」にとらえるべきとの考えに立脚している。 両翼は,以下のような中間的な性質をもつ実験を介し て相互に連接している。言いかえれば,両翼は,水と油 のように分離しているわけではなく,その中間部に以下 の手法群を位置づけることによって接続することができ 図1 〈実験社会心理学研究〉の全体構想

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る。心理学の領域には,たとえば,双生児研究に典型的 見られるように,注目する要因以外の条件群のコント ロールが―実社会における検証でありながら―相対的に 効いていると考えうる複数の比較対象を長期にわたって 追尾する比較パネル調査の伝統がある。あるいは,土木 工学(特に,交通工学)の領域でしばしば活用される「社 会実験」(たとえば,ある種の交通規制が渋滞現象に及 ぼす効果を,実際に当該の規制を試験的に導入して,導 入しない場合との間で比較検討すること)も,中間部に 定位できる。グループ・ダイナミックスの創始者クルト・ レヴィンが実施した米国人の食習慣の変容に関するアク ションリサーチ(Lewin, 1947)も,まさに「社会実験」 の名にふさわしい試みで,両翼の中間部に配置可能で ある。 両翼のスパンは,狭義の実験社会心理学研究が想定し ているものよりははるかに広く,それに応じて,〈実験 社会心理学研究〉で取り扱う対象も,多岐にわたること になる。先の軸で言えば,左翼側から順に,実験室内で 被験者が示す「反応」のレベル,渋滞の発生・解消といっ た「事象」(出来事)のレベル,一人の人物の発達やキャ リア形成といった「人生」のレベル,親子,師弟間など で規範等が伝達される「世代」のレベル,一国の社会・ 経済体制などの「社会」のレベル,それがさらに時間的 に積層して得られる「歴史」のレベル,として描くこと ができる。 そして,この系列の最右翼,〈実験社会心理学研究〉 の極点には生物の「進化」が位置している。ダイヤモン ドが進化生物学者であることを念頭に柄谷(2019)が指 摘するように,生物進化における選択と淘汰という壮大 な過程も,研究者による操作性が絶無の,意図せざる自 然実験として見ることができるからである。なお,ここ で,あえて生物進化にまで言及したのは,図1 に例示し た研究対象(「反応」,「事象」…「歴史」,「進化」)の水 準と,当該対象に対する説明・分析の水準とは必ずしも 一致しないことを付言しておきたかったからである。む しろ,社会(心理)学における要素(個人)還元主義と 全体(集団)還元主義の対立やその止揚の試みに典型的 に認められるように,対象の水準と説明・分析の水準と は異なる方が常態である。中でも,その極端で最もエレ ガントな事例の一つが,真木(2008)による『自我の起 原―愛とエゴイズムの動物社会学』と題された挑戦であ る。これは,かけがえのないこの自分―自我―が誕生す るゆえんを,遺伝子(生成子)による「実験」の帰結と して,進化の水準から長駆説き起こそうとした雄大な試 みである。 研究手法群の下部には,2 つの研究事例群が模式的に 配置されている。まず,上と中央の群は,先述した心理 学関連の研究や「実験の史学」で取り扱われている研究 など,〈実験社会心理学研究〉の例解となる具体的研究 である。これらについては,3 節と 4 節で述べる。他方, 下の群は,防災・減災に関する社会科学的研究の分野で, 近年,Yamori(2020)らが実施した注目すべき研究群 である。〈実験社会心理学研究〉の構想が目指すべき方 向性について,より具体的なイメージを提示するための 具体例として5 節で紹介する。 3.「実験の史学」―操作・普遍に近づく史学― 実験的な社会心理学研究と歴史学とは,一見遠く隔 たっているように思える。しかし,柄谷(2019)が(再) 定義する「実験の史学」は,「多くの面で似ていてその 一部が顕著に異なるような複数のシステムを比較するこ とによって,それらの違いが及ぼす影響を探究する方法」 (p. 15)と規定されていた。この定義の骨子が,実験操 作,条件統制,実験群と統制群(対照群)といった用語 とともに心理学実験の入門書で「実験的手法の要点」な どとして解説される内容とさして変わらない事実からも わかるように,両者の距離は存外近い。 さて,柄谷という著名な思想家が近年の歴史学研究を 踏まえて見いだした実験の重要性は,実は,グループ・ ダイナミックスや社会心理学の領域でも,もともと確 固たるポジションを与えられていた。たとえば,中村 (2009)は,実験社会心理学で用いる実験には大別して 3 種あると指摘し,次のように分類している。第 1 は, 「実験室の中に被験者にきてもらい,厳密な条件統制の もとに極力一義的な結果を得ようとする実験室的実験 laboratory experiment」,第 2 は,「条件統制はある程度 不十分になっても,現実感のある結果を得るために,わ れわれの生活場面のなかで実験を行う現場実験field experiment」,そして第 3 に,「実際の社会のなかで研究 者の意図とかかわりなく生起した自然的あるいは社会的 できごと,たとえば地震による災害の発生とか,教育制 度の変革などが,人々の行動にいかなる影響を及ぼした かを調べる自然実験natural experiment」である。 最後の類型は文字通り「自然実験」と称されており, 柄谷の言う「実験の史学」とほぼ等価である。ただし, 「実験の史学」の視界は,社会心理学が自然実験として 念頭に置いてきた対象よりもいっそう広い。言いかえれ ば,「そうした研究まで“実験”という名称で包括する のか」との印象を与える研究アプローチも「実験の史学」 には含まれる。本節では,このことを2 つの事例を通し

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ておさえておきたい。それによって,「実験の史学」に おける実験と狭義の実験(実験室実験)とが―相違点を もちつつも―「地続き」であることを理解し,実験とい う手法の包括性・柔軟性を印象的な形で再認識できるか らである。 (1)ハイチ・ドミニカとイースター島(ジャレド・ダイヤモ ンド)

Diamond & Robinson(2011 小坂訳 2018)は「実験の 史学」の事例をいくつも提示している。ここでは,サン プルとして2 つの事例について紹介する。 一つめは,カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島(北海 道とほぼ同面積)を東西に二分する国,ハイチ(西側) とドミニカ共和国(東側)の歴史を比較検証した研究で ある。ここでのポイントは,両国が置かれた自然環境の 基本的な共通性と現時点の社会状況に認められる極端な 異質性である。前者(共通性)は,同じ島を共有するこ とが与えるほぼ同等の自然条件である。むろん,島の東 西で気候・地勢的条件にちがいがある事実も踏まえられ てはいるが,たとえば,イスパニョーラ島と北海道島と の比較に比べれば,両国の比較は圧倒的に「条件統一」 された中での比較だと見ることができよう。他方で,後 者(異質性)については,以下のような定量的なデータ が多数挙げられている。ハイチは世界の最貧国の一つだ が,ドミニカ共和国の一人あたりの平均収入はハイチの 6 倍で,両国の人口はほぼ同じなのに,雇用労働者数は ドミニカ共和国がハイチの5 倍,舗装道路数は 6 倍,高 等教育を受けた人の数は7 倍,医師の数は 8 倍,発電量 は24 倍,栄養失調の子どもの数は 5 分の 1…。 一定の「条件統一」がなされた中にあって生じたかく も劇的なちがいを,ダイヤモンドは,イスパニョーラ島 に人為的に引かれた国境線を言わば条件操作とする「実 験の史学」に求める。具体的に言えば,(現在の)ハイ チはかつてフランスの植民地となり,(現在の)ドミニ カ共和国はかつてスペインの植民地となったのである。 その後,奴隷制度をはじめとする植民地政策の違いが, 先述の自然環境上の相違,また,両国にそれぞれ登場し た独裁者の対内外政策の差異などを歴史的経緯(媒介変 数)として,上記の劇的な違いという結果変数となって あらわれるまでの過程が定量的かつ定性的に描かれる。 二つめは,モアイ像で有名なイースター島を含む太平 洋ポリネシアの領域に点在する69 の島々の森林破壊の 程度を結果変数とする「実験の史学」である。これらの 島々は,もちろんいくつかの差異を含み込みつつ,ポリ ネシアと呼ばれる東太平洋領域にすべて位置しているこ とや相互にきわめて類似する言語が話されることなどを 共通項としてもっている。ところが,イースター島では, 他島と比べて,一つの文明を破滅に追い込むほどの極端 な森林破壊が進んだ。それはなぜかが徹底した定量的研 究を通して分析される。降水量,気温,島の年齢,面積, 他島からの孤立度,風で運ばれる塵の量,農業習慣など, 9 つの環境要因(説明変数)を設定し,森林破壊の程度 を目的変数とする重回帰分析を実施し,その結果,「9 つの環境変数のいずれも,「[イースター]島の住民に とって都合が悪かった」(p. 143)ことをダイヤモンドら は見いだした。この事実は,単一の要因だけを調査して いても,また,少数のサンプル(島)だけに注目してい ても見いだされなかった結論だとダイヤモンドは自負し ている。 〈実験社会心理学研究〉の構想に向けて,ダイヤモン ドの「実験の史学」から主に2 つの学びを引き出すこと ができる。第1 に,両研究とも,地勢的ないし地政的条 件を慎重に見きわめた上で,よい意味で研究対象を意識 的に「選択」し(「選択」については,5 節(5)項およ び6 節(1)および(2)項で再言及),「多くの面で似て いてその一部が顕著に異なるような複数のシステムを比 較することによって,それらの違いが及ぼす影響を探究 する」ことを実現している。もちろん,条件操作も他の 要因の統制も,狭義の実験(実験室実験)のそれのよう に厳密かつエレガントに実施されてはいない。しかし, 現場研究では条件操作は困難だとして早々に切り捨てる のではなく,実験室研究がもつ美質へと近づくための努 力と知恵がそこには認められる。加えて,実世界の研究 であるがゆえに,現実の社会生活におけるリアリティに 手が届いている。たとえば,ハイチとドミニカ共和国に 暮らす人びとの間の深刻なちがいは,架空のシナリオに 対する被験者の微小な反応における実験群と対照群との 間のちがいとは比較にならないほど大きく切実である。 第2 は,第 1 のポイントと比べれば,相対的には小さ なことである。それは,「実験の史学」,あるいは,現場 に近い場所で行う研究イコール定性的研究とは言えな い,ということである。ここで紹介した研究はいずれも, 第三者による検証の観点では弱点も有する定性的なデー タだけでなく,多くの定量的なデータを駆使している。 すべての実験室実験が定量データのみを活用しているわ けではなく,定量的なデータイコール客観的だというわ けでは,もちろんない。しかし,上述の研究群が,定量 的なデータを積極的に活用している事実は,〈実験社会 心理学研究〉の成立へ向けて大切な姿勢を示している。 それは,実社会における自然実験という困難な条件下に

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おける研究であっても,知見の普遍性とそれを支えるエ ビデンスの客観性への志向を手放さないという姿勢であ る。加えて,近年,長足の進歩を遂げているインターネッ トベースの観測・通信機器は,実験(室)研究よりも現 場研究(自然実験)における(定量的な)データの取得 に大きな変革をもたらしている。この技術革新を恰好の 追い風として活用することも必要であろう。 (2)方言周圏論(柳田國男) 『蝸牛考』(柳田,1990b)として著名な作品,および, この著作に影響を受けて制作されたテレビ番組(松本, 1996)で広く知られるようになった方言分布に関する柳 田國男の理説,それが方言周圏論である。カタツムリの 呼称(前者),「アホ・バカ」に相当する言葉(後者)は じめ,各種の方言の地理的分布を調査すると,東北と九 州地方との間,あるいは,中国地方と東海・北陸地方と の間に共通性が認められるなど,都(京都)からの距離 に応じて,文字通り蝸牛状(円環・周圏状)に位置して いる事実が判明する。 ここで,次のことが死活的に重要である。方言周圏論 は,一見,空間 4 4 的分布を問題にしているように見える。 しかし,提唱者の柳田は,むしろ,特定の空間的分布が 現時点において生じるに至った時間 4 4 的過程(歴史)が, 当該の空間的分布の下に隠れていることに注意を促す ために本説を提唱している。このことは,柳田(1990a; p. 528)が,灯りをとる方法に関する都市部と村落部の ちがいを,その時空間変遷図(図2)を通して説明して いることからもわかる。つまり,方言周圏論は,「日本 の東西・南北の離れた地点で一致する言葉があれば,そ れを歴史的に古層とみなすことができる」(柄谷,2019, p. 22),「空間的な調査と比較を通して歴史的に遡行する ことが可能になる」(同p. 23)との考えに立っており,「実 験の史学」の一部をなしているのである。 〈実験社会心理学研究〉の構想に向けて,柳田の方言 周圏論から重要な示唆を2 点引き出すことができる。第 1 は,多数の比較を積み重ねることの重要性である。柳 田の言葉を引用しておこう。 一つの土地だけの見聞では,単なる疑問でしかない奇 異の現状が,多数の比較を重ねてみればたちまちにし て説明となり,もしくは説明をすらも要せざる,歴史 の次々の飛び石であったことを語るのである。(柳田, 1990a,p. 526) 比較の多重性という視点は,イースター島の事例にも 共通する大事なポイントで,現場研究を志向する研究 者,すなわち1 節に言う実験慎重論には,この点を重視 して普遍性へと近づく努力が要請される。 第2 は,「短期的な出来事ではなく,長期的なスパン でしかみえない出来事を見る企て」(柄谷,2019,p. 37) の重要性である。つまり,短期間で観察可能な出来事 (たとえば,方言の空間的布置)を長期的なスパンで起 こった一連の出来事の堆積物として見ることの重要性で ある。この見方によれば,方言の蝸牛的分布は,古の昔 から,京の都に登場しては四方八方へと伝播していった 当時の流行語を実験刺激とし,都からの空間距離を中核 的な独立変数とし,また現時点での空間布置を結果変数 とする,意図せざる壮大な自然実験を通して得られたも の,と見なすことができる。 4.「アイヒマン実験」―実存・生態に近づく実験― (1)メタ実験とアクションリサーチ 服従の心理に関する実験的研究として名高いミルグラム の「アイヒマン実験」については,本人の著作(Milgram, 1974 山形訳 2012)はじめ無数の解説があるが,〈実験社 会心理学研究〉の構築にあたっては,「アクションリサー チとしての『アイヒマン実験』」と題された矢守(2018b) の論考を考察のスタート点として利用できる。このユ ニークなアイヒマン実験論のポイントは2 つある。第 1 は,「アイヒマン実験」は,実験室内の出来事に限って も,今日典型的とされている実験室実験とは様相を大き く異にして,―実験の内部の細々した条件に対する被験 者の微細な反応のちがいなどではなく―心理学実験に市 民が被験者として協力しているという事実,言いかえれ 図2 灯りのとり方に関する時空間の変遷模式図(柳田 (1990a)より,筆者が微修正)

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ば,実験室で心理学実験という行為が成立すること自体 を最大の焦点とした,言ってみればメタ実験であること を指摘している点である。第2 は,大きな注目を集めて きた実験室内の出来事だけでなく,その後,研究者(ミ ルグラム)と被験者たちが中長期にわたって関係性を もったこと,つまり,「アイヒマン実験」は,ワンショッ トの実験室実験ではなく,研究者と当事者とが「共同当 事者」として長期にわたって実施するアクションリサー チのお手本だと指摘している点である。 この2 つのポイントはいずれも,本稿で提示する〈実 験社会心理学研究〉の思想を後押しするものである。「ア イヒマン実験」は,実験室実験でありつつ,同時に,良 質の現場研究が保持している人間の実存性や現実社会の 生態性を可能な限り確保することで,狭義の実験研究を 超出することを,古典的な研究でありながら目指してい た。いや正確に記せば,グループ・ダイナミックスの創 始者であるレヴィンの精神がまだ残存していた初期の研 究であるがゆえに,「アイヒマン実験」は,その後,社 会心理学における実験室実験の多くから脱落していくこ の美点を保持していたと言うべきであろう。 まず,第1 のポイント(メタ実験)について述べる。 アイヒマン実験の根幹をなすアイデアが固まった「光り 輝く瞬間」は,1960 年の初夏の頃だった(Blass, 2004 野島・藍澤訳 2008,p. 84)。「私が考えていたのは,アッ シュの同調実験を人にとって意味のあるもの 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 にするため の方法だった。(中略)集団がある個人に圧力を加えて, その人に対する何らかのはっきりとわかる行動をするこ とにしたらどうだろうと考えた。(中略)しかし,集団 圧力を研究するには……。(中略)まさにそのとき,私 の考えは,この実験における支配関係そのもの 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 にター ゲットをしぼったのである。いったい,人は実験者の命 令にどこまで従うのだろうか」(同p. 83–84;傍点は引 用者)。 ミルグラムは,「実験における支配関係そのもの」と 記している。「実験者効果を排除せよ」といった忠告に 表れているように,通常,実験研究では,研究者(実験 者)と当事者(被験者)との分断・独立が求められ推奨 されるのとは対照的に,ミルグラムは,心理学実験とい う行為が不可避に含意してしまう両者の間の(支配)関 係そのものを実験の中核的素材にした。この卓袱台を ひっくり返すようなアイデアを採択すれば,実験室内で あっても,同調(服従)を「人にとって意味のあるもの」 として,言いかえれば,被験者の実存に迫るものとして 引き出せるかもしれない。これが,ミルグラムが考えた ことである。実際,実験室での経験が,被験者の実存― 生活や人生の深いところ―に十分届いたことは,今日, 「倫理的問題」として語られるほど強烈な反応をこの実 験が少なからざる被験者にもたらした事実が雄弁に物 語っている。 次に,第2 のポイント(アクションリサーチ)につい て述べる。矢守(2018b)が詳しく紹介しているように, ミルグラムは,本実験に対する助成金の申請書に,被験 者の精神的安定のための働きかけなど「実験に参加して くれる人たちに対して研究者が負うべき責任」について すでに記している。実際,ミルグラムは,実験終了から しばらく経過した後,40 人すべての被験者にアンケー ト調査票を送る(その回答率は,なんと92% である)。 さらに,数ヶ月後には,40 人の被験者と臨床精神科医 との面談が実施される。こうしたプロセスは,倫理的問 題の「後始末」として行われているのではなく,実験室 実験を重要なパーツとして利用しつつも,実生活におけ るリアルな被験者との関係で,言いかえれば,被験者の 現実の生態や人生の実存とできるだけ接点を保った上で 人間の服従の心理について探究するためのものである。 ミルグラムは,ある被験者と長期間文通を重ねている。 その人物が,実験終了後6 年を経過した時点でミルグラ ムに寄せた手紙には,「『電撃実験』への参加は(中略) ぼくの人生に大きな影響を与えました。(中略)被験者 だったとき,自分がだれかに危害を加えているとは思っ ていましたが,なぜ自分がそうしているのかはさっぱり わかりませんでした」と記されている(Milgram, 1974 山 形訳 2012,p. 293–294)。この後,「かれは,他の参加者 で似たような反応を見せた人がいるのかどうかを知りた がり」(同p. 294),ミルグラムはその疑問に対して丁寧 に返信を書いている。こうしたやりとりが,実験が実施 されてから数年以上経った時点で,ミルグラムと被験者 との間でなされていることは,「アイヒマン実験」が単 なる実験室実験ではないこと,ミルグラムの眼目は,む しろ,実験室実験を実社会へと開放すること,つまり, 〈実験社会心理学研究〉にあったことを物語っている。 (2)「アイヒマン実験」を/がもたらしたもの 「アイヒマン実験」は,本来,〈実験社会心理学研究〉 を強く志向していた。このポイントを脇で固める事例を 「アイヒマン実験」の前と後から引いておくことにする。 まず前については,先にも言及したレヴィンやその後継 者たちによる一連の研究を挙げておかねばなるまい。ミ ルグラムがその流れを汲むグループ・ダイナミックスの 創始者であり,またアクションリサーチの提唱者でもあ るレヴィンの手になる実験もまた,〈実験社会心理学研

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究〉と呼ぶにふさわしい内実をもっていた。食習慣の変 容に及ぼす集団決定の効果に関する著名な研究(Lewin, 1947)も,職場や教室における指導者のリーダシップ類 型が組織風土やフォロワーたちの行動に及ぼす影響に関 する研究(White & Lippitt, 1960 三隅・佐々木訳編 1970) も,むろん現場実験の一種である。自らの出身母体であ るゲシュタルト心理学流の精緻な実験的な手法を通して 普遍性のある知見を獲得しようとする姿勢を保持しつ つ,実社会からのリアルで切実な要請(食習慣の変容, 民主的な組織・学校づくり)に応えるという難題に果敢 に挑戦した結果として,現場実験というスタイルが採択 されたのだ。 次に,「アイヒマン実験」の後について見ておこう。 注目を引くのは,杉万(1988),Sugiman(1993)による 集団意思決定に関する実験室実験である。この実験で は,だれかの発言のたびに,複数の選択肢に対する選好 (preference)の変化を各参加者(被験者)が手元のパソ コン端末から入力できるネットワークシステムを実験室 内に構築して,発言と選好の変化量の関係(言いかえれ ば,各発言の選好変化に及ぼす影響量)がすべて定量的 におさえられている。当時まだパソコンの普及期にあっ たことを考えると,それだけでも興味深い実験であるが, より重要なことは,意思決定する内容を巧みにデザイン して,参加者(被験者)たちが実験室内で決めたことを, 実験終了後,日常生活の中で実際に実行することができ るよう(と同時に,しないこともできるよう)工夫して いる点である。すなわち,実験室での出来事が,その後, どの程度実社会の中での振る舞いに影響を与えるかを, 厳密に統制された条件設定のもと定量的に検討できるよ うにしたのである。 以上に述べた実験的研究はいずれも,狭義の実験を, 人間の実存や社会の生態に漸近させる方向で進化させよ うとしたものと言える。どちらの研究も,典型的な実験 室実験や現場実験でありながら,同時に,実験室や実験 的な場面の中で生じる特異な出来事を逆手にとって,本 来連続しているはずの実験室の内部と外部とのパイプを 復活させている。この意味で,前節(3 節)で扱った「実 験の史学」が,操作・普遍に近づく史学を通じて,実験 慎重論が実験推進論の財産を摂取し,推進論をより高い 地点で乗り越えようとする試みであったとすれば,本節 (4 節)で紹介した研究は,実存・生態に近づく実験を 通じて,実験推進論が実験慎重論の実績を修得し,慎重 論をより高い地点で乗り越えようとする試みだと位置づ けることができる。 5.防災・減災領域における〈実験社会心理学研究〉 これまで,3 節では,主に,歴史学の方向から,「実 験の史学」の営みを通じて,実社会を対象とした研究に, 実験室実験に準じる要素―実験操作に匹敵する比較条件 の設定や定量的なデータを通して知見に普遍性を確保し ようとする姿勢―を導入することによって〈実験社会心 理学研究〉を構想するための試みについて概観した。次 に,4 節では,主に,心理学の方向から,「アイヒマン 実験」を範例として,(実験室)実験を主軸とする研究 に,実社会における現場研究に準じる要素―人間の実存 性や社会のリアルな生態を確保するために実験室と社会 との接点や回路を担保しようとする姿勢―を導入するこ とによって〈実験社会心理学研究〉を構想するための試 みについて概観した。 本節では,〈実験社会心理学〉について,より具体的 なイメージを提供するために,防災・減災に関する社会 科学的研究の分野で,近年,Yamori(2020)らが実施し た一連の研究群をとりあげる。これらの研究は,図1 に 示した横軸上で,左翼から右翼へと万遍なく分布してお り,〈実験社会心理学研究〉の多様性を理解する上でも 好便である。加えて,防災・減災研究は,単に〈実験社 会心理学研究〉を構成する一つのブランチ(具体的な事 例の一つ,応用分野の一つ)であることを超えて,〈実 験社会心理学研究〉の構想にとって本質的に重要な領域 でもある。それは,防災・減災研究の中心となる自然災 害という出来事が,社会心理学的な事象の基盤をなして いる人間・自然・社会(他者)の3 項関係に重大な変容 をもたらすからである(矢守,2017)。このことの意味 は,東日本大震災をはじめとする巨大災害が社会にもた らしたインパクトからも明らかである。防災・減災は, 物理的な意味での人間行動のレベルから,多種多様な言 語的なコミュニケーションの領域,そして,社会構造の 大規模な変動,さらには,長期間かけて醸成される自然 観など文化・歴史の基層部分にまでわたる,社会心理学 研究にとって普遍的な問題領域なのだ。 (1)津波避難訓練支援アプリ「逃げトレ」 「逃げトレ」は,スマートフォンのGPS 機能を利用す ることによって,スマートフォンを携帯して実空間を避 難する訓練参加者が,自らの空間移動の状況とそのエリ アで想定される津波浸水の時空間変化,この両方を示し た動画をスマートフォンの画面で,訓練中リアルタイム に,かつ事後的にも確認できるアプリである。しかも, 避難の成否をはじめ,避難所要時間,移動距離,津波と

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の最短時間距離(切迫度)など,多数の要因が定量的な データとして測定され,ユーザーの端末および研究者の データサーバーに保存される。このアプリの開発目的, 作動内容,社会実装の成果については,『実験社会心 理学研究』に掲載された論文(杉山・矢守,2019)に 詳しく述べられている。ここでは,〈実験社会心理学研 究〉の視点から注目される一つのことだけを強調してお こう。 それは,「逃げトレ」が「当事者実験」を促す,とい うことである。のべ1 万人以上のユーザーによる活用実 績があり,喫緊の社会的課題である津波避難の改善に貢 献している「逃げトレ」の実社会における有効性はもは や疑いようがない。しかし,それだけでなく,「逃げト レ」には,アクションリサーチの方法論の観点からも注 目すべき特性がある。それは,このアプリが避難の当事 者(典型的には,津波リスクのある地域の住民)による 実験的な行動―浦河べてるの家(2005)が提唱した「当 事者研究」になぞらえていえば「当事者実験」―を促す 力をもつという点である。これは,「逃げトレ」が有す る「コンティンジェンシー」を高める働きに由来する。 「コンティンジェンシー(contingency;偶有・偶然)とは, 同じ条件下で 4 4 4 4 4 4 ,特定のシナリオやその実現可能性を相対 化し,そこから離脱する運動・作用を意味する用語であ る」(杉山・矢守,2019,p. 140;傍点は引用者)。「コン ティンジェンシー」は,具体的には,「逃げトレ」のユー ザーやその結果を知った周囲の人たちが「もう少し早く 家を出たら…」,「別の道を通ったら…」といった「if」 を問う姿勢となってあらわれる。実際,李・矢守(2020) には,「逃げトレ」のユーザーが実際に複数の避難先や 経路の有効性を比較検証した取り組み―「if」を問うた めの当事者実験―が多数報告されている。 こうした当事者実験は,喩えていえば,オーソドック スな心理学実験において,ある条件下に配置された被験 者が,自ら,別の条件下での体験を求めたり,さらに進 んで,いわゆる「追試」(「アイヒマン実験を米国ではな く日本で行ったら…」など)を被験者自身が計画したり 実施したりしているのと同じことである。ここで,上の 「コンティンジェンシー」の定義に見られる「同じ条件 下」は,まさに実験室実験における条件統制に対応して いる。ゆえに,ある条件下で試された(最初の)訓練ト ライアルに続いて,訓練参加者自らが,それと「同じ条 件下」(たとえば,被験者は同じ人物,つまり自分自身, 避難先も同じ,避難経路も同じ)で,特定の要因につい てのみ別の条件を導入して(たとえば,独りではなく高 齢の同居人と共に逃げる)別のトライアルを行って,両 者の結果を定量的なデータをもとに比較検証する作業 は,ほとんど模範的に実験的な営みだと言えるだろう。 このように,「逃げトレ」を活用した避難訓練は,狭 義の実験(実験室実験)に限りなく近い検証構造をもち つつ,同時に実社会でのリアルな現実にも密着してい る。なおかつ,「研究者対被験者」という構造自体にも 影響を及ぼし,共同当事者によるアクションリサーチ (矢守,2018a)を実現させている。以上のことから,「逃 げトレ」も活用した研究は〈実験社会心理学研究〉と 称するにふさわしい特徴をもつと結論づけることがで きる。 (2)訓練参加率と実際の避難行動 矢守・浦上(2019)は,高知県四万十町興津地区で 15 年近くにわたって継続されているアクションリサーチを 通して,津波避難訓練への参加の程度と実際の災害時の 行動との間に「ねじれ」があることを見いだしている。 具体的には,伊予灘地震(2014 年 3 月)の際の避難行 動と,その直前の2012 年に実施されたものを含め,複 数回実施された避難訓練への参加の有無との関係が,綿 密な実態調査と聞きとり調査を通して分析されている。 この論文の内容上のキーワードは「ねじれ」,つまり, 訓練への参加実績や態度と実際の災害時の行動との間に 見られる不整合である。 「ねじれ」の原因に関する考察も興味深いものだが, ここでは,〈実験社会心理学研究〉を構想する観点から 次の点に注目しておきたい。上記の知見は,次のような 構図の下で,自然実験(3 節冒頭を参照)を通して獲得 されたとみることができる。つまり,実際の災害現象 (伊予灘地震)が,図らずも実験刺激の役割を果たし, 従属変数として災害時の避難行動が実際に調査された。 しかも,このとき,比較対照することが可能な2 つの群 が,長期にわたるアクションリサーチを通じて準備され ていた。この結果,「多くの面で似ていてその一部が顕 著に異なるような複数のシステムを比較することによっ て,それらの違いが及ぼす影響を探究する方法」(柄谷, 2019,p. 15)を適用できた。同じ地区に暮らす住民は多 くの面で似ていると想定でき,かつ,下記の通り,避難 訓練に対する態度において顕著に異なる2 群が成立して いたからである。 2 群とは,避難訓練に対する積極参加群と消極参加群 である。この両群は,直接的には,アクションリサーチ の中で継続的に調査されていた訓練参加データ(6 年間, 全11 回分)をもとに分類された。研究者による厳密か つ人為的な操作という形ではないが,比較対照可能な2

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群を抽出できたわけである。また,避難訓練の企画・運 営には,同地区の住民組織,役場だけでなく,アクショ ンリサーチを推進してきた研究者も関与しており,これ ら三者が共同主催する避難訓練に対する積極・消極の態 度の醸成(独立変数の操作に相当)に,陰に陽に研究者 自身がタッチしていたとも見なしうる。実際,同地区の 避難訓練に対する正負の態度に研究者が影響を与えてい る可能性を示唆するデータも,孫・矢守・谷澤・近藤 (2013)に示されている。仮にそうだとしたら,積極・ 消極参加群という比較条件の設定は,実験室実験により 近い形で―研究者による介入(操作性)を一定程度伴い つつ―もたらされていたということもできる。 いずれにしても,この研究は,上述の通り,基本的に は,突発的な地震災害がもたらした自然実験である。よっ て,最終的に取りあげられている結果変数は,実社会に おける現実的なデータ(現実の地震の際に避難したかど うか)である。実験室のパソコン内に設定された迷路を 逃げまどっているわけではない。他方で,長期にわたる アクションリサーチによる働きかけやそれを通じて得ら れた行動データを用いて,実験室実験に近い形で比較対 照可能な2 群が導入されている。以上の点に,〈実験社 会心理学研究〉の特性を見ることができる。 (3)防災教育の効果に関する追跡調査 3 つめの事例は,前述の 2 つよりもタイムスパンの長 い事例である。千々和・矢守(2020)は,長期的な視点 に立って防災教育を実施し,また検証することの重要性 を指摘した論文である。その中で,たとえば,学習機会 (授業など)の直前・直後に実施するプレポスト・テス トなど,簡便ではあるが安易な検証手段に頼ることな く,長い時間と多くのエネルギーを費やそうとも,教育 対象者の生活さらには人生に対する実質的な影響をとら えるべく,より妥当な検証方法を模索すべき,との主張 を行っている。同論文が提起したいくつかの手法の一つ が,ここで取りあげる追跡調査の事例である。 兵庫県立舞子高校には,阪神・淡路大震災の後,防災 領域の学習に特化した高校の学科としては日本で初めて となる環境防災科が設置された。同科を長年率いてきた 教師は,防災教育と卒業生のキャリア・ディベロップメ ントとの関係を重視してきた(諏訪(2015)や Nakano, Suwa, Shiwaku, & Shaw(2016)を参照)。すなわち,防 災教育による成果(らしきもの)を当該の教育活動の直 後(ポスト・テスト)に求めるのではなく,教育を受け た児童・生徒が,数年後,十数年後,どのようなキャリ アパスを辿っているのかを中長期的にフォローする戦略 である。実際,環境防災科の卒業生と同校に併設されて いる普通科の卒業生のキャリアパスには著しいちがいが 認められる(千々和・矢守,2020)。 この追跡調査の基本設計が,心理学における双生児の 研究(2 節)やダイヤモンドらによるハイチとドミニカ 共和国の比較研究(3 節)と共通していることは容易に わかる。舞子高校の環境防災科と普通科の間に引かれた 線は,ハイチとドミニカ共和国の間に引かれた国境線の 如きものである。むろん,前者で入学生たちは自らの意 志でラインの左右に分かれたのであり,後者ではそうで はないかもしれない。しかし,同じ学校の中で非常に多 くの環境要因を共有し,防災学習に特化したカリキュラ ム部分だけが普通科と異なる環境防災科は,同じ高校の 普通科を対照群として設定したとき,「多くの面で似て いてその一部が顕著に異なるような複数のシステムを比 較することによって,それらの違いが及ぼす影響を探究 する方法」として,きわめて良質な条件を提供するもの と言えるだろう。 両科の卒業生のキャリアに関するデータ(就職先デー タ)に関する分析は,厳密に統制された実験的研究から 得られたデータの分析に比べて,さまざまな制御外変数 の影響を否定できないなど,短所ももつ。しかし,最長 で10 年以上にわたる長大なフォロー期間があること, および,生身の人間が実世界で現実に示した行動・事実 次元での情報(就職先)に立脚しているなど,大きな長 所ももつ。つまり,このデータが,実験室内の反応や授 業の直後の「ペーパー& ペンシル」のポストテスト(た とえば,活断層について学ぶ45 分間の直後に問う「活 断層に対する理解は深まりましたか」に対する回答)と 比較して,圧倒的に大きな社会的リアリティをもってい ることもたしかである。 (4)「津波てんでんこ」 「津波てんでんこ」は,東北三陸地方に伝わる言葉で, 東日本大震災をきっかけに社会的に大きな注目を集め た。「津波てんでんこ」は,一般には,恐ろしい津波の 脅威から逃れるためには,「薄情なようではあっても, 人のことなどはかまわずに,てんでんばらばらに,素早 く逃げよ」という意味の教えだとされている。それに対 して,矢守(2012,2013)および Yamori(2014)は,「津 波てんでんこ」には,上記の広く人口に膾炙した意味を 含め,都合4 つの意味・機能があると指摘している。第 1 に,自助原則の強調,第 2 に,他者避難の促進,第 3 に, 相互信頼の事前醸成,そして最後に,生存者の自責感の 低減,である。

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自助原則の強調とは,自分自身の避難を優先すべしと の意味(上述の一般的意味),他者避難の促進とは,率 先して逃げる人がいれば,その行動が結果として周囲の 人の避難を促す機能,相互信頼の事前醸成とは,自分が てんでんこに逃げるためには,それ以前に自分にとって 大切な人(びと)も確実にそうするだろうとの信頼が不 可欠との意味,そして,生存者の自責感の低減とは,災 害後に生じうる「自分だけ先に逃げてしまった」との罪 悪感が「“てんでんこ”に逃げようと約束していたのだ から,やむを得なかった」と思うことで幾分低減される こと,をそれぞれ指している。 ただし,こうした複合的な意味・機能は,この教えを 避難マニュアルの一項目として掲げて教え学ぶような関 係性,たとえば,一度きりの授業における教授者と学習 者との関係性では得られない。そうではなく,祖父母と 孫が,「いいかい,津波のときは,“てんでんこ”に逃げ るんだよ」,「でも,おばあちゃんの脚は大丈夫?」,「何 とかするから,とにかくお前は“てんでんこ”だ」といっ たやりとりに見られるように,長期にわたる葛藤を孕ん だ具体的な関係性に埋め込まれて初めて発現するとされ る(矢守,2016,2020a) 「津波てんでんこ」に対する社会の関心を一気に高め たきっかけの一つは,東日本大震災における「釜石の奇 跡」である(被災者への配慮から「釜石の出来事」と呼 ばれることもあるが,本稿では通称で呼ぶ)。「釜石の奇 跡」を実現させた立役者である片田敏孝による防災教育 のキャッチフレーズ「率先避難者たれ」のベースが,「津 波てんでんこ」だったのである(片田,2012)。〈実験社 会心理学研究〉の立場からは,「釜石の奇跡」を支えた 片田の防災教育のポイントとして,以下の2 つを強調し ておく必要がある。 第1 は,千々和・矢守(2020)が指摘していることで, 同地での防災教育が,あの地震・津波が襲ってくる以前, 8 年もの長きにわたって継続されていたという事実であ る。「釜石の奇跡」では,防災教育がもたらした成果が 「奇跡」(的)と賞されているのだが,それ以前に,教育 の成果検証が現実の災害場面で実際になされた(残念な ことになされてしまったと記すべきだろうが),きわめ て稀なケースであったという意味でも「奇跡」であった と言える。すなわち,(2)項で紹介した事例とまったく 同様に,ここでも,長期的なアクションリサーチによっ て,「率先避難者」のマインドを強く有する釜石市の小 中学生と周囲の関係者という「実験群」が―周辺地域の 人びとを「対照群」として―醸成されていた。そして, あの地震・津波を引き金とする自然実験が,もちろんだ れも意図することなく,そして最も不幸な形で実施され てしまい,上記の両群が比較対照される結果となったわ けである。 第2 に強調すべきは,「津波でんでんこ」をソーシャ ル・キャピタルとして位置づけた論考(矢守,2020a) が指摘していることで,片田による授業形式に見られる 特徴に関連する。その特徴とは,子どもたちを次のよう な葛藤状態にあえて招き入れるという戦術である。 「君が家にひとりでいるときに,もし大きい地震があっ たらどうする?」と問いかけます。子どもたちは「お 母さんに電話する」と言うわけです。「そうやなあ。 お母さんは,君が『待っている』と言ったら,絶対来 てくれるよなあ。道路が渋滞してもお母さんは君のと ころに行こうとする。そのときに津波が来たらどうな ると思う?」 こうして,リアリティをもって子ども たちに語りかけていくんです。そうすると子どもたち は半べそかくんですよねえ。(片田・池上,2015,p. 4) 矢守(2020a)は,子どもの感情的リアクション(半 べそ)をあえて引き出すことは,上述の祖父母と孫の間 のやりとりを,少し希薄化した形で,教室の子どもたち とそれぞれの家庭との間で再演させることに等しいと指 摘している。すなわち,「津波てんでんこ」という名の ソーシャル・キャピタルは,本来,「わたしも助かりた いが,あなたも助けたい,むしろ,あなただけは助けた い」とお互いが感じているような親密な関係性の中で, しかも,世代をまたぐほどの長い時間をかけて,(子ど も世代に定位すれば)祖父母から父母,そして自分たち へと伝承されてくる過程を通して醸成されるものであ る。〈実験社会心理学研究〉の観点に立てば,片田の授 業は,上に見た歴史的な過程を,より短い時間で(それ でも数年単位の時間を要して)コンパクトに再現するた めの営みであり,「釜石の奇跡」はこうした布石が偶然 生んだ「自然実験」の結果として生じた出来事だった。 (5)「FACP モデル」と「災害 1.0/2.0」 FACP モデルとは,豪雨災害の研究において,特に多 くの地域で被害が生じる広域豪雨災害を前にしたとき, 研究者としてどの事例を研究対象として「選択」(3 節 (2)項を参照)すべきかを考えるための枠組みとして矢 守(2018d,2020b)が提示したモデルである(表 1)。 また,図3 は,一定期間内に生じる複数の災害を FACP モデルの観点から縦断的に位置づけた模式図である。 FACP モデルは,基本的には,集中砲火的に研究関心が

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向きがちなF 事例だけでなく,同時に生じているその 他の事例(特にP 事例)にも目を向けるよう提案する ものである。 〈実験社会心理学研究〉との接点は,図3 と 3 節(2) 項で提示した図2 とを見比べれば一目瞭然である。FACP モデルは,ある時点で同時に生じている多数の災害事例 を視野に収めているので,方言周圏論と同様,空間 4 4 的分 布を問題にしているように見える。しかし,その根底に あるのは,F 事例が発生する「前」に,その同じ土地で かつて生じていたP 事例や C 事例に注目することが F 事 図3 継時的に生じる複数の災害の FACP モデルによる位置づけ 表1 豪雨災害に関する FACP モデルの概要

参照

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