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[巻頭論考]翁長親方八重山島規模帳について : 検使派遣と規模帳の成立: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

[巻頭論考]翁長親方八重山島規模帳について : 検使派遣と

規模帳の成立

Author(s)

新城, 敏男

Citation

琉球王国評定所文書, 9: 6-27

Issue Date

1993-03-26

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/19228

Rights

浦添市立図書館

(2)

..Lー・ ノ、

﹁翁長親方八重山島規模帳﹂について

││検使派遣と規模帳の成立││

はじめに

この規模帳は、成豊八年

(

八五八)に公布されたものである

この規模帳については、前に高良倉士口氏が﹁近代

末期の八重

山統治と人口問題

L

と題して、論じ

られたことがある(﹃沖縄史料編集所紀要﹄第七号、

)

こで高良氏は、﹃球陽﹄の巻

の本文と規模帳の末尾の文

から、﹁翁長親方の仕置の意図は経済的疲弊の振興と

風俗の改良にあった

また、先の史料

(

論文中前掲

)

八重山には久しく検使が派遣されておらず、風俗は悪化し

人口が激減しているうえ、百姓の怠業がはびこり年貢

・上納物の未進が重なるという窮迫下

にあるので、その実情を

つぶさに視察して対処策を講ずる必要がある、と仕置の意図を述べている。つまり八重

山社

会の経済的振興をはかる

ため実情の点検とそれに対する対処策を検討すること、が翁長親方に謀せられた使命であった

﹂という

。さら

模帳の前文を引用し五点に要約して、﹁八重山社会の疲弊を振興する第一は島役人の刷新にあり、その非法

中間搾

取を否定して、百姓の再生産構造を回復し、生産の安定化をはかることにある、また、そのことによって王府の租税

(3)

収入の確保も実現できる、ということになるだろう。とりわけ、島役人の刷新が主要な問題点として力説されている

ことに着目すべきだろう。﹂と検使派遣の意図と規模帳の性格を規定している。高良氏はそれをふまえて、王府の八

重山統治機構の改革の問題、さらに人口問題に言及された。

高良氏の論文は整序された規模帳をもとに論じられている。それ自体に問題があるわけではないが、

しかし、規模

帳の成立までにはいろいろな経過があり、翁長親方が派遣される時点で課された役割と、実際に現地におもむき監査

を進めるなかで起こってくる問題をふまえて、翁長親方の態度にも変化が生じてきたと考えることは可能であろう。

そして、乾隆三

年(一七六七)派遣の与世山親方の規模帳や道光

年(一八四二)に派遣された石原親雲上宗隆

の仕置を踏まえてなされた規模帳には、どのような特色があるのだろうか。その点の問題をとりあげてみたい。

渡海の

王府は成豊六年(一八五六)二月に八重山の在番と頭にあてて、その年の秋から来年の春にかけて検使を派遣し仕

置することを通達した。その現状認識は、近年、飢鐘や災変がつづき、人口は減少している。風俗も悪くなり年貢・

諸上納物なども納められず、百姓もきわめて難儀しているとのことによるものである

考れてはいないが、便宜上通し番号をふした。以下同じ

(﹃万書付集﹄には番号がふさ

番号一、﹃沖縄県史料

首里王府仕置

2

)

﹃球陽﹄につぎのように記すのと同様である。

E

本年、向汝磯翁長親方朝典に命じ、充てて検使と為し、宮古・八重(

)両島に前み到らしむ。

(4)

宮古

(

)

の両島、近年、百姓困疲し風俗類焼す

特に向汝磁翁長親方朝典を遣はし、惣山

奉行

両島に前み到らしめ、教ふるに疲を変じ俗を改むるを以てす

。翌

年五月

日、固に回る

月には随行の役人として与世山親

上以下の六名と医者が任命されている

(

番号

二 )

これは王府側からの検使派

遣の趣旨とその首尾であるが、翁長親方は渡海前に監査事項をより正確に把握することに努めている

月九日に翁長親方は八重山にあてて

五年前に石原親

上が使者として派遣されてから年数がたち、仕置しら

べのため検使を派遣することになった。今年の秋に宮古島へ行き、来年の春には八重

山に

行くとの検使派遣を王府と

つぎの九項目の調査事項を令達した。

、諸上納物、所遣支配方、諸村々柄上中下、且、在番

頭諸役人

百姓等勤方、又ゑ立行向等。

、当年

手年貢諸上納物弁御用布・御用物、旦御冠船ニ付、出米出銀、所遣穀、其外百姓等出高

、島中之頭高、正頭物成

四、柚山樹木仕立方之様子、取締向之成行等

五、真苧弁あい仕立方。

六、仕上世座・所遣座

座 、

四五年以来諸帳面

七、下島之船

手形無ニ罷渡候者。

八、村々回畠持過、持不足之者

九、村々井毎家内未進取〆番

五・九条の五か条のものは上国する頭が書付を持参すること、

八条の四

(5)

か条のものは調査しておき、あるいは封印して、翁長親方が渡海した時に差し出すこと、とした

(

)

前の検使以来の改訂すべき点はあらかじめ指図をえて渡海するので、

八重山の諸事についてさしっかえなく説明でき

るように上回する頭や役人に申しふくめること、と指令している

(番号四)。それらとならんで七月には、九か条に

わたり頭以下の役人のあり方とその処罰について彼個人の意見を述べている。そこで彼は、頭・諸村役人・惣横目

勘定座役人

与座役人

農務柏山役人・村々下知役人あるいは村々百姓頭に対してそのあるべき姿を論じ、それに

違背した場合には厳罰に処する構想を立てている

そして﹁右ゑ両先烏之儀、連々疲入候上、頭役々仕向不宜、職務

励薄、夫故百姓等ニ珠山反事相怠候由候得弘、此涯賞罰厳重不被召行候ゐハ何分加下知候あ泳、其詮相立申間敷等存申候

問、右ケ条之通被仰付度、此段奉得御差図候﹂と上申した(番号三三)。前にあげた九か条の問題は調査し吟味してみ

なければわからないかもしれないが、役人の不正摘発は、渡海前から今回の検使派遣の重点課題の一つに位置づけて

いる。さらに九月十九日には、真苧や藍の仕立て方、耕作状況や土地の持ち不足、柏山の仕立て方、その他の問題に

ついてまだ報告のないものもあり、それらは下島して三日の内に箇条書きで差し出すように指令した(番号七

八・九

一一)。翁長親方の検使と

してのなみなみならぬ意気込みが

察せら

れる

七月には与世山親

雲上ら

は検使方の宿

付きについて親方は本宿付き

人、仮宿付き

人、与世山以下附医者までは本宿付き一人、仮宿付き一人をつけるよ

うに申請している。宿付きの彼らへの勲功まで、以前の与世山親方の時の例を用いて申請し認められている(番号二ハ)。

考ちなみに道光二十二年(一八四二)に仕置のために来島した石原親雲上宗隆の場合の宿附は、使者に三人、附役には

二人ずっとなっており

、宿附には一日に

三つの勤星が与えら

(

宗三

世孫格︺家譜の七世孫芽の譜記

)

翁長親方らの一行は成豊六年(一八五六)に宮古島にいたり行政観察をおこない、多良間島へも渡って視察するは

八重山への渡海がおくれていたので、そのまま八重山へ行った

。多良

間島へは宮古の惣横目以下が渡

(6)

島してそれぞれ糾明を終え、彼らは直接八重山へ行って、その報告をしている

翁長親方らの一行は、成豊七年

(

八五七)

月五日に八重山に下着した

日後の七日にはさっそく前年の七月に上申した役人に関する九か条につい

て、﹁右之通得御差図相済候問、可被得其意候﹂と在番と頭に通達している

(

番号

)

翁長親方が渡島以前にすで

に八重山に対していだいていたのは、在地の耕作の不行届などもさることながら、役人層にたいする抜きがたいまで

の不信感を持っていたことがうかがえる

つぎのように指令した

(

七)傍線は筆者

当島

体之所俗疲之根源等、篤

S

致吟味、何様取扱可宜哉、頭役々各見立之程申出候様申渡候付、先達あ書面を以

いまたニ心底を開申出候様ニゑ相見得不申候、多年来疲入候上、飢鐘災変等打続、入居相滅年貢諸上納

物調兼、百姓等及極労居候付あハ、此涯急度

直候あ不取計候る

S

旬、往々島中可難立行

S

別奇心配罷在候問、面々是

迄百姓取扱向、又ゑ座々蔵々御物受取払之成行、年貢上納御用布・御用物之届、夫立諸雑物入、其外惣あ御法不致相

当儀ゑ、少事連決不隠申出候様、頭始諸役人中

b

分ケゐ可被申渡候、以上

月八日

翁長親方

E

検使の下着後一か月が経過しているにもかかわらず、役人たちは八重山の疲弊の根源がどこにあるのか、どのよう

にすれば改善できるのか、それぞれの意見をのべよと、検使派遣の以前からの指令にたいしても非協力的であり、従

来の非法な行為については隠さずに申し出るように、頭はじめ諸役人にとくに指令した

ところで検使たちの係りとして次の者達が任命されているが、これまでに判明しているものは家譜からその名を

)

内に記す

古見首里大屋子

(

錦芳姓十

世用議

)

以下、与人は真栄里与人

人、目

は脇目差豊川仁屋

(

長輿

(7)

姓九世善康)

仁屋・野底目差与那原仁屋

名蔵目差富良仁屋(松茂姓十世当宗)の七人、柏山筆者は安仁屋仁屋(侃栄姓二世賢易)

-伊原間目差上原仁屋・小浜目差浦崎仁屋

石垣目差大浜仁屋(錦芳姓十三世用程)

-崎

差真玉橋

の一人、若文子は大浜仁屋(梅公姓七世孫均)

一人、仮若文子は糸数仁屋一人、耐熱役は大浜仁屋(梅公姓七世孫智)

宮良仁屋・浦崎仁屋(山陽姓十世長康)

-伊野波仁屋

宮良仁屋の五人、計一

七人が任命された

彼らは、﹁御用之

程厚汲受、朝出娩詰ニあ島中一体之様子、其外多端之御用一涯骨折相勤候故、万反無支首尾克相弁、殊勝之儀

S

存申

候﹂と検使に評価されるほどに勤務した(番号一五五)これは係り役への勲功の申請を翁長親方がおこない、王府も

認めたものである。この﹃万書付集﹄に記載されている文言は同じように、各家の家譜にも同文で記されている。古

見首里大屋子は、検使が帰る前日の五月二十日に頭の足役に翁長親方から任命されている(錦芳姓︹小宗十二世用議︺

家譜の十二世用議の譜記)。しかしそれでも手不足で、惣横目の登野城与人と石垣与人・若文子の喜友名仁屋を補充し、

離島の村々に随行している

(

)

また、蔵元の間合方の筆者

三人と

も検使の係役となり、事務に

差し支え

るので、柏

筆者の登

仁屋と無役の喜屋武仁屋が足役となっている(

陽姓︹小宗三世長明︺家譜の十世長栄の譜

記)。日帳方も検使方の御用に忙殺されているので、検使御用の分を無役の富村仁屋と喜舎場仁屋に務めさせている(番

号二三ニ)。前の御使者石原親雲上のときは、

一行は四名で与人三人、目差一人、

柏山

筆者二人、惣横目筆者一人、

若文子一人が係役に任命されている

( 長

輿姓︹小宗五世善盛︺家譜の九世普庸の譜記)

翁長親方は八重山に下着以来、次つぎと改善策を打ち出した。それらの多くのものは、

のちにみるように、﹁翁長

島規模帳﹂の条文に取り入れられている。また、帰国後にも検使は八重

山あ

てに種々の指令を出しており、

それもまた規模帳にくみいれられている(番号一一八・二二九

0

0

二ハ五・一八

O

)

。あるいは、検使の申出に

って王府

ら布達されたものが規模帳にくみこ

ているのもある

(

(8)

0

一九こ。規模帳の成り立ちは、検使が予測していたこと、監査の過程で布達し

たもの、さらにその後の処置によるもの、など多様な内容からできている。

そして注目すべき検使の事績の一つに、

元役人の不正の摘発がある。検使は帰国するにあたって五月にそのこと

を頭や諸役人に申し渡している

(

O

九)。これが規模帳の第一条に相当するものである。頭は﹁印紙外夫遣

所望物等之緩せ有之候儀ニ付、条々御穿撃之趣、何共可申上様無御座、畢寛私共其勘弁簿所

件之次第御座候、(中略)

向後自身相正せ、役々末々迄不正之事共不致様、堅取締申付﹂くと誓っている

(

O

七)。諸役人も﹁此程右之

勘弁薄、馴々相

所望物

夫遣等勝手次第申付、百姓等為及迷惑候付、段々御懸引之趣、何共可申上様無御座、

至極奉畏候(中略)向後万端義理正道ニ相勤、御趣法之趣少

無違犯厳重相守可申候

L

と誓っている

(

O

八 )

そして成豊七年(一八五七)十月八日付で三司官から諸役人に関する処罰の手形が布達されたが、これは検使が糾明

して提出した所犯書によるものである

役人らはそれぞれ担当する村から穀物

反物

諸品をみだりに受け取ったり、

掠めとったことが検使の札明で明らかになった

各人の犯行の度合いによって穀物

反物

諸品の代米を返納させら

れ、桃林寺へ寺入りあるいはそれに準じて粟を課せられ、

一六人は役務をはずされた。総人数は六五人、村によって

は与人・目差・耕作筆者

柏山筆者がすべて罪科にとわれるという、村役人そうぐるみの状況である

(

番号

)

野底与人

南風見与人

桃原目差

登野城村柏山筆者喜友名仁屋・平得村柚山筆者宮良仁屋らは、村方取締りが不行

屈で役目をはずされるところであるが、﹁御宥免﹂をもって村替えとした

(

番号一四四

一五九)。しかし王府は同じ

十月に、﹁其島頭以下役々村々筆者共、御答目向厳科被仰付筈候得共、依御憐慰多分続粟繰替被仰付候問、急度皆同

相納させ、帳面相総来夏其首尾可被問越候、依御差図此段申越候﹂と在番と在番筆者あてに通達している(番号一七

四)。ここに王府の八重山支配が蔵元機構を?っじてしか行えないという弱さがみられる。所犯者のうちの一人、野

(9)

底目差の与那原仁屋は、穀物反布代

石七斗余を返納し四

OO

日の寺入に処せられたが、検使の係役として勤務した

褒美で沙汰なしとされた

(

番号一五五・

)

検使

行は、八

山での監査を終えて五月

日に石垣を出帆し、同月

日に帰

した

(

御使者在番記

球陽

﹄ ) 。

帰国にあた

て翁長親方は、

つぎのように申し渡した

(

O

)

規模帳之儀、帰帆之上、損益を以組立

渡筈候得共、其内

s h

跡々御趣法又ハ此程申渡候事々厳格相守、陀

S

百姓

候様、精々可致勤務候、乍此上不守之聞へ於有之ゑ、検見役渡海札方之上

3

s h

不及申、第

頭方可被処

科候条、至其期致後悔間敷候、此旨分ケあ申渡候

帰国後に、規模帳ならびに公事帳や諸例帳を以前のものと勘案して組み

てるのであるが、ことが煩雑でなかなか

進展しない

検使は、来年の春までに組み

てるとのことなので、それまでは検使が申し渡したことと以前の規模帳

などにの

て事務を施行するようにと、十月に王府は指令している

(

号二ニ

)

検使方の御用をつとめるた

八重山から仮若文子の糸数仁屋・大浜仁屋と無役の伊野波仁屋の

人が上国している

彼らはその年の春

に乗り、六月六日に那覇につき、さ

そく勤務し、十月には

翁長

親方の上申で上国

度の勲功を与え

れている

一 二 )

この糸数仁屋ら

人は八重山で検使の係役を務めた者である

それでも冊数が多くかんたんには調製で

そのうえ現行のことをたずねることが多く、それを知

ている者がいなくては

し支えるので、糸数仁

大浜仁屋にかつて係役を務めた伊原関目

上原仁屋の

人を来年の

まで滞在させてほしい、と翁長親方は願い出て

許可された

なお、与世山親方のときは、頭や役人が滞在した例を出している

(

番号二ハ

三 )

王府は、新しい規模

(10)

帳や公事帳を布達しなければならないが、年来のしかたは容易にはあらためられない。それをしなければならないが、

在番らは日常の勤務があり、そこまでは行き届かないので、検見役を派遣してほしいと、翁長親方が申し出ている。

来年の春に検見役を派遣するので、翁長親方が申し渡したことと以前の規模帳や取締りの条々をきちんと守ること。

もし検見役が渡海してそれぞれ守らない者がいたら、すこしのことでも容赦なく厳罰に処する。このことを諸役人は

じめ村々の筆者、百姓にも直接申し渡すこと、と指令した

(番号一六八)。そして翌成豊八年(一八五人)

四月十日

に検見使者大宜味里之子親雲上朝睦が下着した

(

使

)

成豊七年十一月に規模帳は完成し評定所へ提出された。これを摂政・

司官が審議し、翌成豊八年

月にこれに裁

可をあたえた

全文四一人か条から成る

そして従来用いてきた規模帳などの帳冊はまとめて封印すること、と指令

した(番号一八六)

規模帳の整序

八重山に布達された現存する規模帳は

種で、乾隆

(

七六八)に布達された﹁与世山親方八重山鳥規模

帳﹂は全文

五か条、それを改訂した﹁翁長親方八重山島規模帳﹂は四

人か条、さらに同治十

(

八七四

)

布達の﹁

田川親方八重山島規模帳﹂は

か条から成る

。翁長

のうちではもっとも条数の多い

規模帳である

この翁長親方八重山鳥規模帳は、次のような構成になっている

①与世山親方規模帳の趣旨をほぼ踏襲している条文がある。それらは、次表の﹁与世山親方規模帳﹂の欄にその番

号を記したが、その中には、翁長親方の第一一条のように、与世山親方の第二八・二九

O

をあわせている

(11)

ものがある

②そのうち、﹁与

世山親方御検使之時、所役ニ被仰付渡置候問、其通可申渡事﹂

(

)

とか、﹁乾隆

子年規模帳ニ

同断被仰渡置候処、知何致間違候哉﹂

(

第八四条

)

など、与世山親方規模帳にの

ているも

のや改訂を明確にしている条文がある

これらは、次表の﹁与世山親方規模の明記﹂欄に

O

印で示した

与世山親方規模帳にもあるが、翁長親方があらためて布達したものが、八か条ある

これは、第

一 一

八四

O

の各条に見られるようなものである

④石原親雲上布達のものには﹁石原親雲上

御使者之時、諸役人同前致出動候様被仰渡置候問、随分無悌怠出席﹂

(

第一五条

)

とか、﹁石原親

上御使者之時被召留置候問、右体之仕向曾

F

無之様可致取締事

L (

= 二

)

のように記したものがある

これらは、次表の﹁石原親

上仕置の明記﹂の欄に

O

印で

与世山親方のものにあるが、石原親

上のものにもあるのが、

か条ある

これは第

六条である

⑥石原親雲上のものにあるが

、翁長親方があらためて布達したものが、

一か条ある。それは第二三三条である。

さらに前に記したように、

万書付帳﹄に示される

(

次表では

万書付集﹄とした)ように、

⑦検

使として八重山に滞在中に布達したもの

帰国後に翁長親方が布達したもの

帰国後に検使の意向をふまえて王府から布達したもの

きふ

"

"

⑮その

他 、

いまのところ出典は明確にしえないが、新たに加えられたもの、からなる

以上のように、与世

親方規模帳と石原親

上の布達をふまえ、それに翁長親方の独自の構想にもとづく規模帳が

つくられたのである

これらを翁長親方規模帳の番号にしたが

て出典などを付したのが、次の表である

(12)

70 26百姓から士肢になる ことについて 71 27頭以下士族の嫡子早 死について 28祖父ならぴに親の死 後の跡目

l

蘭いについて 161 29系図方の噌貝につい て

30奉公人脇腹の子ども の取扱いについて

31奉公人と百姓女との 婚姻と子どもの処遇に ついて 33,140 32勘定座役人の職務に ついて 33座々ならびに村々諸 帳面の勘定について 34諸手形ならびに訴事 の取調べについて 95 106 35座々諸物請取払帳の 勘定について 36誇帳勘定時の勘定役 人の接待について 37勘定座へ上げた諸帳 面について 54 38座々の道具帳の仕立 てについて 56 39穀物・務雑物取調べ の升目 斤目について 161 40仕上世座の増員につ いて 41仕上世・所遺・船手 各座その他の残物につ いて 42仕上世所遺両座の 寄穀手形などについて 43仕上世・所遣両座の 取納殺の提雑について 88 44仕上世・所遣両座米 からの内借について 45御用布代末の配当に ついて 46貯穀について 58 47蔵穀からの内借につ いて 48蔵方借渡穀の返済に ついて 108 49役々の上納穀などの 納期!などについて 50蔵穀の虫入り雨濡な どについて 51役々の扶持末の前渡 について 52蔵方万売払物の値段 について 与 世 山 親 与機線古世の規明山石雲脱上税仕 万 イ寸 害集 方 規 槙 帳 置の明 配 配 1,109 2 4 33 26 6,7,8,9

21 33, 72 25 22 10 28, 29, 33 30 33 10 11

33 5 lの付り 147

33,140 79 82 83 170 68, 69 翁長親方規模帳 l 八重山諸島の取締り について 2 在番・頭の職務につ いて 3 在番頭の下知につ いて 4 頭の下知の仕方につ いて 5 頭職の選任について 6 八重山の間切分けに ついて 7 惣横目の職務につい て 8 惣横目の選任につい て 9 惣横目方の筆者仮 筆者について 10諸問合せと惣横目の 連名について 11j者役人の験務につい て 12耕作ならびに柚山方 の下知について 13耕作ならびに柚山仕 立方について 14耕作方ならびに柚山 方惣主取の選任につい て 15耕作ならびに仙山方 下知役について 16検者役の職務につい て 17頭以下の誓詞血判に ついて 18諸事仕置の仕方につ いて 19大阿母の拝領物頂駿 の仕方について 20小与座役人の職務に ついて 21賞制は政道の根本で あることについて 22車L明は大小とも在 番・頭・惣横目がする ことについて 23紛糾や訴えがあった ときの取扱 いについて 24 罪人の届けを御物奉 行にすることについて 25頭以下士族の養子取 りについて -'- -ノ、

(13)

巻 頭 論 考

の格護について 80毎年の出生男女数の 提出について 与世IlJ親 与機綱方の世明山規<i!医. 万イ寸舎集 雲 上 位 翁長親方規模帳 方規慎帳 置の明 配 配 53の付り 81キリンタン改帳の提 出について 53賦銀について 44 54詩雑物・上木物の作 M 82手札改め帳の提出に ついて り立てについて 176 55退役役人らの路維物 90 83手札改めの時は、在 の取扱いについて 番・頭と共に惣横目も 56御用物・所遺用品の 同行することについて 取納について 43

136 84夫貨米について 222 85両先島の夫賃末につ 57村での斤不足米また は御用物など納め不足 いて について 86年貢未進の取ノ方に 58 座々へ納物について ついて 191 59魚類の取納は骨を合 160 87年貢未進高と上納方 めて量ることについて 法について 60路役所・仮屋などの 41 88牛馬出米について 普請や修補について 41, 42 89諸上納物の百姓への 通達と割付の板札につ 177

61緒役所の道具の仕 替・修補について いて 113

62詰医者の薬代ならぴ 51 90 年貢米・図殺・内貯 に坊主の布施について について 63諸座の酒宴禁止につ 97 91上納米ならびに貯米 いて をンラにしておくこと 64正月初出勤時の酒宴 について 禁止について 141 92春立・仲立・後立 65村の筑佐事から酒肴 早船の四般から後立船 受納の禁止について をやめることについて 132 66諸帳・寄付は百回紙、 139 93御注文拝みについて 烏では芭蕉紙を使用す 59 94御用布座の体制と取 ることについて 納について 67位階のおかす瞥につ 95御用布の取納と管理 いて について 関蔵元から村々への御 73 96 御用布の捌えについ 用申越しについて て 128 69不意の御用のための 97御用布の納期と期限 馬について 内取納について 70年貢目諸上納米の手 74 98御用布の賦付け方に 組嘗について ついて 49 71毎年の上納米の積荷 77 伺御用布の晒しについ て の時期について

72 御末仕上世と三湾口 103 l

御用布織女の苦労米 での払いについて について 73諸船仕廻方について 78 101御用布織女の苦労の 55 74諸船の積荷の定法に 軽重について 102御用布上納高の通達 ついて 75緒馬艦船の積荷と管 と賦帳について 理について 68 103御用布織調えの賦付 76地船の鉛こしらえの

けについて 75, 76 104諸士の説布と絵図で 時期について

ω

77地船の上国時期につ の注文の停止について 105村々から御用布座へ いて 136 78川平津口への挽舟の の酒肴の禁止について 規制について 106御内原御布織取時な 58 79船具などの管理と船

(14)

76 129在番方・住持・詰医 者の移宿の貨米などに ついて 130在香ら交代時の荷付 について 42 131在番方での焼酎造り の禁止について 142 132在番の地域御滋参詣 について 223

133在番らの入i:ll振舞い について 179 134在番ら村役人へ内頼 で諸品を納めさせてい ることについて 117 135在番・在番筆者の所 望夫について 62の付り 136:(E番方・住持・詰医 者の水夫について 98 137在 番 在 番 筆 者 住 持・詰医者ほかの所望 物代科の支払いについ て

138蔵元の灯油について 139頭方入用の炭ならぴ に灯油の間切への賦課 について 140在番招請時の野菜・ :t.所望について 141在香招請時の位進 所望について 142頭以下の本宅普前や 修補時のカヤなどの所 望について 61 143頭以下役々の免夫な らびに在番方・詰医 者住持の水夫の使用 について 36,104 144頭以下役々上国時の 餓布の賦課について 82 145頭以下役々上国時の 進物反布について 135 118 146上回する役々の宿賃 米について 99 147御初期意残米につい て 148上国する役々のこい かい付夫について 94 149地船通事以下ならぴ に役人つきの水夫の手 間米について 150地船作事の免夫につ いて 151地船の定水夫につい て 118 152農繁期に夫役を使う 書集 万 付 組仕明 胤 上 町 石軍置配 山 盟 副 明 世 方 の 与 観 崎 明 紀 親 帳 山 模 世 現 与 方 翁長親方規模帳 どの祝い代料について 44 1107御用布織女を免夫に 使うことの禁止につい て 181 1 1 1108百姓女が下人の妻と なり御用布調えに支障 となっていることにつ いて 85 1109毎年賀下る所用物に ついて 127 1 1 1110薬極所望代について は9 1 1 1111毎年説下る干割鉄に ついて 112所用物の不足につい て 113所用物料について 130 1 1 1114所用物代科の売払い や買入れの宰領などに ついて

o

I

1

1

1

5

頭柑番を招請する 時期について 94 1116頭が在需を招請する 時の勝符について 85,邸 1117在番・頭の廻村時の 状況と、耕作地・柚山 の検分を一緒にするこ とについて 118廻村時の所望物につ いて 119廻村時に石垣島・古 見回西表へも陸路でま わることについて 120廻村時の出迎えにつ いて 121廻村時の白保村での 接待について 122遡村時の村での接待 について 123遡村時の番所や宿で の接待禁止について 124農務袖山役らの臨時 の御用で村へ行った時 の馳走について 125l~村役人の非法など 訴えについて 126村役人の非法と訴え られた役人の態度につ,

;

i

89 87 88 190 182 23 80 57 12 いて 127古在香の滞島中の務 めについて 128在番方・住持・詰医 者の移街について

(15)

巻 頭 論 考

低下について 175若文子・仮若文子な らぴに村々の雛者の登 与世山親 与世山石蝋111 付万書集 111古民l!I上仕 翁長裁方規模帳 方燥機帳 棋配の明 置の明 配 用について ことの制約について 176若文子への~用につ 121 153農繁期

l

の夫役の賦課 いて について 225 177若文子仮若文子・ 119 154諸夫遣いを等級分け 柏山筆者・耕作筆者の にして使うことについ 量位の者の冬至・元日 て の蔵元での朝jの御拝出 96 155無例の人夫を使用す 席の停止について る時の規定について 178若文干の懸動の際の 40 156諸方から手形での現 欠勤について 夫が少し遅れたことに 179若文子筆者らの上 ついて 国稽古について 120 157諸方の寄夫の使用方

180仮若文子・無役奉公 法について 人らの役儀昇進の勤皇 ]]4 158頭以下役々の生活が について 扶持米ならびに免夫・

181諸座加勢筆者の人 供夫では不足すること 数-勤務日数の規定に について ついて 71 159百姓ちの訪遣いなど 182加勢筆者の登用につ について いて 160百姓ら上納物を調え

183 r普商船作事例帳」、 るべき者の前遣いにつ 「諸座取払例帳」につ いて いて 140 161下人目下女の召しつ 99 184蔵元ほかの公所を三 かい様について 度夫で作るときの図面 162旅役ならびに仕上 について 世・所遣・船手三座の 47 185地船の作事について 役人愛用について 169 186地船修補の時、細工 163飛舟派遣の規定につ 人・水夫の私用禁止に いて ついて 191 164筆者の旅役の規定に 221 187くり舟は、はぎ小舟 ついて に代えることについて 165仕上世・所遺・船手 59 188滞糠の維持管理に 三座の筆者の旅役につ ついて いて 74 189石垣泊での船縄の格 166諸役度筆者への愛用 護について について 190雛船・破船時の取締 27 167諸村島役人の老体な りについて どによる繰替えについ 124 191破煩船の構木ならぴ て に寄木などの取鍛いに 109 168諸役人の長煩いし快 ついて 気の見込みのない者の 48 192宮古島地船ならびに 辞職について 多良│間島地船の作事に 169奉公人の役出の順序 ついて と配分について 100 193諸村の苧績屋の規模 170頭の嫡子の役出につ と夫役について いて

101 194諸村役人の役所の規 模と夫役について 65 171王府へ御用を逮する 時の心得について 195頭以下、住家の普 64 172間合方筆者について 前・修補は七八月中 173 間合方筆者への登用 にすることについて 試験について 138 70, 75 196住居の規模などの規 165 174奉公人らの文筆力の

(16)

222牧の栽植と育成につ いて 223唐竹の仕立てについ て 224堅木・いく木の管理 について 225御用木の伐取につい て 183 226百姓らの柚取の時、 仙山筆者の私用禁止に ついて 227抱護林の仕立てにつ いて 228馬方惣主取職につい て 144 229馬の飼育について 230事公人・百姓所持の 馬について 231御用馬の宰領につい て 148

232牛の飼育について 43 233島中の倹約について 2ω 幻4頭以下の者が唐・大 事lの物を買求めること について

8

6

235奉公人の女子の婚礼 について 166 236祝儀その他で持参す る酒代代について 216 237元服祝は分限次第に することについて 238賭役人の役Ul:旅役 時の祝儀について 149 239暖役人が初めてその 村へ行〈時の接待につ いて 240村役人への年頭の祝 儀について 172 241説書・:(f骨筆者・桃 林寺住持・詰医者の入

i

l

l

ならびに宿移祝儀時 の接待について

242頭以下役々の緒祝儀 に、間切や村からの贈 物について 193 243百姓らが位階を頂獄 した時の祝儀と接待客 について お4百姓らの生年祝の祝 儀と接待について 198 245百姓らが旅より帰帆 後、入津祝儀をしない うちは農耕へ出ないこ とについて 210 246百姓らの諸祝儀なら 害集 万 付 組 制 仕 明 雌 ょ の 石震置配 山 m m 明 世方町 与 貌 機 配 車 帳 山 機 世 規 与 方 翁長親方規模帳 制について 197原番屋の規格につい て 198

I

者細工人の習練につ いて 66 1199諸細工人ならびに木 分け入の作料について 93,170 [ [ [2

家普請その他の細工 人や人夫の手間米の支 払いについて 72 1 1 1 1201筆算稽古人への夫末 のかけ方について 202在香・在番筆者らの 子孫の夫米免除につい て 2ω 八重山在留の本島人 の子孫の夫未について 7,46, 12似真苧ならびに藍畑に 69,135 1 ついて 205木棉花について 206芭蕉苧ならびにシュ ロ クロツグについて 46,1711207ソテツの栽植につい │ て 133 1 1124 1 208塩焼き所を三か所設 置について 87 12ω 櫨柴格やらぷの栽植 について 61 1210紙かぢの栽植につい て 131 1 1 1211助漉所を三か所設置 I について

o

1 1212蛮方ならびに紙漉方 の細工人について 213茶聞の設置について 214畑の土留、いふ返し 構について 215肥料の貯えについて 51,1041216猪垣の保全について 217潮垣の栽植について 218諸村百姓のうちに役 人が手作地を持つこと を禁止することについ て 219賭村の百姓上納団地 に役人が配分を受け手 作りしていることにつ いて 220墓所設置の規制につ いて 221柏山の仕立て管理に 134 122 178 185

137 ついて

(17)

巻 頭 論 考

度にすることについて 207 266物忌み時の料理等に ついて 与世山親 与世山石胤観 万 付瞥集 機記11方の鋭明4底上仕 翁長親方規模綬 方規僕帳 記置の明 81 49 267 トキ・ユタの禁止に ぴに年忌時の招待客に ついて ついて 268役人の子孫の賭勝負 の禁止について 208 卯,1似 247六月の穂利、十月の 種子取祝の料理、接待 269百姓の煙草入れにつ について いて 194 248葬礼は滞りなくする 199 270石垣島・離島から上 ことについて 因する者へ旅送りとし 195 249茶昆の時の接待につ ての接待や石垣 川平 へ行くことについて いて 93,104 250正月十六日墓参時の III

ω

271焼酎の造りとその取 供物について 締りについて

ω

,104 251盆祭の香儀について 162 272疲弊した村々の兼務 139 75 252頭以下の妻子のかん について ざしについて 273村々の山当人につい 84 253在番方・詰医者の旅 て 婆や子どものかんざし 274遠目番人の役割と人 について 数について 77 254女たちの袴着用につ 60 275地船ならびに御米糟 いて 船の通知について 110 255勢頭座以下の服装の 276村筑の人数改正につ しかたについて いて 215 256節々の祈願祭事に老 105 277村佐事の人数改正に 若男女の野外での遊び ついて の改正について 278村番所の番人につい 141

257地船の上り下り時の て 六嫌タカベと祈念につ 102 279諸村役人などに置く いて 宿番について 2

258嫌々祈願の時、大阿 92 280諸村での頭迦れから 母・ツカサを申請して 勤める百姓役目につい タカベをすることにつ て いて 281首里大屋子以下の務 201 259離島のツカサが地船 めと質問について の上り下りの祈願のた

282奉公人の勲功・動星 め年に二度大阿母に会 の取持ちについて い、上国の頭宅へ行く 67 33 283無役奉公人ならびに ことについて 百姓の農業怠業につい 202 260村々にツカサ一人以 て 外は立てないことにつ 284奉公人の農業怠業に いて ついて 211 261年に一度の嫌々掃除 285奉公人ならびに百姓 ならぴに猪窓修補時の の野菜栽培について みき作りについて 286奉公人の次男・次女 203 262エラピンガネの禁止 以下を百姓にすること について について 112 263仏前へ酒を供えるこ 287村々の年貢ならびに 役々の家内上納につい と、僧侶に酒を出すこ と、僧侶の酒造りの禁 て 止について お8諸村役人らの家内上 196,197 264旅行中の旅願いの物 納について 鈍りと担当の村々へ行 55 289諸村ニオ百姓らの年 くことについて 貢上納について 206 265物忌みは年に一、二

(18)

107 313諸離島の役人らが公 用以外で家に帰る時の 規定について 与世山親 与続方世規山石版貌 付万書集 第上仕 翁長親方規模帳 方規慎帳 棋の明置の明 S己 配 184 314離島役人が仕立舟で 31 290上納米不足時の取扱 自物を運ぶことについ いについて て 36 291奉公人・百姓たちの 186 315賄離島用船の作り替 上納方過未進の取扱い えの年季について について 126 316地船が下着した時の 32 292上納米不足時の役人 離島役人の渡航につい の取扱いについて て 34,35 293上納米不足の百姓の 317豊作時の貯穀につい 取扱いと身売りについ て て 180 318頭以下の役人が百姓 294上納米不足時の処置 へ諸品を押売りするこ について とについて 295百姓らの年貢・諸上 319賭役人らが百姓に穀 納米の帳留めについて 物を強制的に貸すこと 89 296村役人の村方取扱い について について 39,104 3初頭以下役人らの供 297上納田地の配当につ 夫・免夫について いて 38 321上納物を皆納以前に 67 298上納米取納時の欠米 は商売を禁止すること の禁止について について 62,104 299定納雑穀の取扱いに 39 322商売物の代料につい ついて て

3∞村々諸入自の取払帳 323在番の従者らの八重 について 山で生まれた子どもの 92,104 301諸村役人詰所の灯油 取扱いについて について 324運漕船などで下島す 302科米について る者の取締まりについ 32 303村役人らの非法と処 て 罰について 84 325流罪人について 304村役人らの家内上納 143

326医道稽古について 布の晒しを村の女にさ 327字紙の取扱いについ せることについて て 3日5村役人の妻がその村 95 328諸村の敷地がえにつ の女たちに無心するこ いて とについて 329盛山村の村移動につ 168 306賄女の禁止について いて 104 307村佐事ならびに小女 330百姓の婚姻について 頭のお且か家詰込の禁 192 331百姓らの縁組みの仕 止について 方について 308疲弊した小村の役人 14 332湯ならびに入江の開 らの供夫免夫につい 発について て 333寄百姓の手続きにつ 3日9村

w

口小屋の設置と いて 勤務について 146

334名蔵村上原村・梓 310病人の諸上納物の補 海村への寄百姓につい 助について て 106 311諸村役人らが村へ往 151

ね5小浜村から高那村へ 来する時の乗馬につい 寄百姓した者の苧敷に て ついて 312石垣島内での石垣へ 38 336奉公人や滞在人の百 来る時の馬形夫につい 姓への貸付物の取締り て

(19)

与世山親 与構縦方の松山機明石ggh眠よ

a

仕 付万書集 翁長親方規模帳 方組織帳 置の ~J 配 配 について お7上国の役人らの宮古 向・多良間島からの途 中戻りについて 167

338赤子埋殺の禁止と多 子養育の減税について 219 339石垣四ヵ村の役人に ついて 161 340石垣四ヵ村の穀物 布の位付けについて 341石垣四ヵ村の奉公人 のソテツ栽植について 160

342石垣山方土手内とう に底ため作地願いにつ いて 154

343美崎御扱の北にある 火の神の普請・修補に ついて 83 344役人ならびにこ才た ちの百姓家での活宴禁 止について 188 83 345石垣四ヵ村前浜での 遊興禁止について 188 83 346石垣四ヵ村での道々 での遊興禁止について 155

347石垣四ヵ村の道筋の 修補について 98 348新域村の上納穀取納 について 187 349新城村のジュゴン所 望について 187 97 350新城村でのジュゴン 調速について 156

351名蔵橋の掛替φ修補 について 158

352桃里村地方内に小村 を建てることについて 159

353平丸保津口lこ小村を 建てることについて 213 354平久保遠目番人の身 上のため立願結願に ついて 355竹宮村で位階をいた だいた百姓について 356小浜村での親類願い について 145 357干立村を西表村に付 けるについて 217,218 358西表島内の柚山・耕 作下知役の設置につい て 157

359南風見村から鹿川村

への宿道聞きについて 162

360南風見村の耕地の猪 垣の管理について 152

361仲間村浦内村の宿 道筋の渡舟について 153 362仲間村後ろの橋の街 替・修補について 189 363上原村のうち浦岡原 での習俗について 150

364里島村の用船につい て 161 365波照問村の柏山耕 作筆者について 366波照隣村での万引合 について 367波照問村での万引合 時の遣羽について 368波照関村の女頭につ いて 369波間間村の小女頭に ついて 370波照問村の御用布か すについて 371波照問村の貫こうた について 372波照閉村の御用布上 納について 373披照閉村の御用布上 納科について 374 波照間村の山当人に ついて 375波照間村の村ふさに ついて 376波照間村の炭燦きに ついて 377波照間村の鱗取りに ついて 378波照問村の凶作年の 対策について 379波照関村なす村の上 納困穀について 380波照間村のソテツ栽 植について

381与那国島の詰役人交 代について

382与那国島の諸上納物 の取締りについて 383与那国島の御用布調 整について 165 384与那国島の定納船に ついて 385与那国島の上納物詣 払いについて

386与那国島の年貢米積 船について

(20)

決について 411与那国島の子ども出 生時の畿入り行事につ 与世山親 与世山石蝋線 付 万 番集 規方鍵書上位 翁長親方規様帳 方税慎帳 複町明置の明 配 配 いて 57 387与那国島の船頭以下 412与那国品の婚鯛につ 水夫について いて

お8与那国島の船加干の 413与那国島でのうつぶ 飯米について ん解決の取締りについ 56

389与那国島の十反帆船 て の作事料について 163 414与那国島の内貯えに

3卯与那国島の庇苧・ ついて 藍・木綿花・芭蕉苧の 415与那国島の借毅の利 栽植について 息について

391与那国島のソテツ栽

416与那国島への渡島者 植について の取締りについて 392与那国島の煙草栽植

417与那国島の島仲村の について 1昔財処理について 164 393与那国島の黒木・桑 418与那国島の服喪につ 木などの御用木の管理 いて について 394与那国島の松仕立て について 395与那国島の牛皮につ いて 396与那国島の皮純作夫 について 397与郷国島の津端検 者・同筆者への餓米に ついて 398与那国島の話役人ら の諸品所望について 399与那国烏のクロツグ について 4∞与那国島の御用布賦 付けについて 401与那国島の御用布織 女について 402与那国島の山当人に っし‘て 403与那国島詰役人の芋 品・唐苧・木綿品の耕 作について 4ω 与那国島の詰役人の 品供夫について 405与那国島の番所番人 について 406与那国島の遠白書人 の仕ロむしろについて 407与那国島の野菜取 夫 炭 焼 夫・塩焼夫に ついて 408与那国島詰役人の野

菜肴取納について 4ω 与那国島の番所遣料 について 410与那国島の入組み解

(21)

王府の検使派遣の目的は前にのべたとおりであるが、その王府の意向にそ

て翁長親方は現地をつぶさに調査・監

査して規模帳を組み立てた。従来の規模帳や布達の内容を検討し、踏襲すべきものは踏襲し、あらためるべきものは

改訂した

そして補うべきものは補充した

それはこの

覧表によ

もあきらかであるが、とくにこの規模帳であ

らたに加えた箇条ゃ、より具体的に指示している点から、この時点でいくつかの指摘ができよう。

まず、第一に、頭役のあらたな意義づけ

(

)

とその任命方法

(

第四条

)

を加えた

。頭

は地元役人の最高責任

者として、そのある

べき姿

を認識しなければならないが、﹁

々不行届所ぷ村々役人共勤向緩せ成

﹂り、との現状

認識にもとづいている

に、第

三二条

1

条におよぶ勘定座や仕上座などに関する規定である

勘定座や仕上座役人の規定、諸帳面

や手形

諸物請取払帳の勘定、道具帳の仕立て、貯穀

蔵穀の管理などなど、どれも重要な勤務であるが、それがな

おざりになっている

収納時の役人の非法もおおい

それらの取締り、禁止、あるいは指示である

これは渡海前に

﹁仕上座・所遺座

四五年以来諸帳面﹂の調査を命じたほどの重要項目であ

第三に、第六

l

六五条の蔵元での酒宴や、蔵元などが村々からの酒肴を受納することの禁止である

第四に、第一

O

九条

l

第一一四条の沖縄から買下る所用物の購入方法などである

当時毎年の所用物の代価は、米

粟四

O

石、苧布四

OO

反余でそれを積み登り、百姓の難儀になっていた

そのため不要なものは買わないように取り

考締まること、と指示している

第五に、第一七五条

l

第一八

条の若文子

仮若文子や加勢筆者などに関する規定である

これらの下級勤務役に

ついては、これまでは冬至

元日の蔵元での朝の御拝の規定や勤星などの規定はあったが、今回あらたに昇進などを

規定した

(22)

第六に、第

O

四条

1

一二三

条の諸物の育成に閲する条がある

これまでは塩

茶などの規定はあったが、

あらたに真苧

木綿

芭蕉苧

綜欄

黒つぐ

蘇鉄

櫨柴椿やらふ木

紙かちなどを

えている

は渡海前

に﹁真苧井あい仕立方﹂の調査を命じていたほど重

していた項目である

親方八重

島農務帳﹄で

も 、

蘇鉄

椋梢

黒つぐ

唐苧

ひはつの育成と芭蕉の植え付けも指示されているが、ここでは規模帳での規定である。

第七に、第

l

七条の

柏山

の育成と抱護林の規定である

これまでは規模帳に、百姓が

筆者の私用を禁止した規定があったが、あらたに、

柏山

の仕立て、管理育成をのべ、杉

唐竹

堅木

いく木の

盛生をはからせ、柏取りにも厳重な取締りを命じた

これも渡海前に

樹木仕立方之様子、取締向之成行等﹂の

調査を命じたほど重視していた項目である

与世

親方八重

柏山

職務帳

にもこれらは規定されているが、こ

﹂では規模帳での規定である

第八に、第

八一条

l

五条におよぶ勧農と役人の非法の問題である

これは与世

親方の規模帳でもいくら

かふれられているが、ここではより

体的である

首里大屋子以下の役人はその職務の善悪によ

て賞罰がなされる

こと、無役奉公人や百姓の農業の怠惰、飢鐙等の盗み取りの取締りにはじまり、上納物収納時の役人の種々の非法が

一 つ

ひと

取り上げ

れている

第九に、第

三六

五条

1

O

条の波照間島に関する規定と、第

l

第四

八条の与那国島に関する規定で

ある

これは第

三三

九条の石垣四か村の取締りにはじまる、各地にわたる取締りを規定したのち、この両烏をそれぞ

括している

この記載方法は後の

﹃ 富

親方八重山鳥規模帳

親方八重

島諸村公事帳

も踏襲してい

このように翁長親方は、渡海前からの

えにもと

き調査と監査を遂行し、それによ

て規模帳を組み

(23)

前の規模帳や布達を参考にしつつも、彼自身の実見による八重山のあるべき姿を明示することが、検使としての最大

の任務である

翁長親方は﹃八重山島規模帳﹄を布達したばかりではなく

、それにもと

づく個別の職務を遂行するための﹃八重

諸締帳

八重山島農務帳

八重山島柏山職務帳

山鳥船手座公事帳

鳥上国役人公事

御用布座公事帳

山島勘定座公事帳

鳥諸村公事帳﹄

鳥蔵元公事帳﹄

なども布達している

おわりに

これまで、翁長親方の検使派遣の意図と八重山での活動をみてきた

そして規模帳がこれまでの規模帳や布達を勘

案しながら、八重山での実情を踏まえてどのように組み立てられたのかを考えるために、その構成表をもとにいくつ

かの点を指摘した

八重山にはやはり彼が推測し、懸念したとおりの現実が存在した

役人の不正を摘発し刷新しな

ければならない

彼はそれを弾劾し実行した

しかし王府は役人らを﹁御宥免﹂した

王府は

役人のあるべき姿を

つねに提示するが、役人の中間搾取などの違背はあとをたたない。

一方で、役人はまた年貢上

納の責任者でもある

そのため百姓を督励し、万全の下知で上納を皆済しなければならない

年貢皆済のためには百姓をしいたげてでも納

めさせなければならない

そこにまた非法が生じる

村役人が勧農をし表彰される記事は数多い

しかしそれについ

ても、王府がその実績内容をそのまま鵜呑みにしているわけではないが、認めざるをえないのが実情であった

E

に王府の地方役人対策があった

(

拙稿、﹁近世八

沖縄文化

沖縄文化協

会創設四

O

周年記念誌

九八九年)

参照

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