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東日本大震災から10 年 ~逆境を乗り越えて生まれた力~

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(1)

特 集

食卓にサンマを届ける喜びも戻る

震災で壊滅的な被害を受けた気仙沼

東日本大震災から

10 年

∼逆境を乗り越えて生まれた力∼

(2)

多角的な防災・減災

東北から世界へ

トップ写真:IRIDeS 所長の今村文彦さん(左)と教授の小野裕一さん(右)。(IRIDeS 提供)

想定を上回る被害、

課題解決に向け再出発

 東北地方はもともと地震が多く、 度々被害を受けてきた。代表的なもの に 1896 年の明治、1933 年の昭和の三 陸地震・津波、1960 年のチリ沖地震 津波、そして 1978 年と 2003 年の宮 城県沖地震などが挙げられる。そこで 東北大学は 2007 年、さまざまな分野 から約 20 名の研究者を集め、実践的 な防災・減災研究の推進を目的に「防 災科学研究拠点」を形成した。  しかし、東日本大震災の被害は研究 者たちの想定をはるかに上回った。宮 城県沖を震源とした東北地方太平洋 沖地震は、巨大な津波による甚大な被 害をもたらしたのだ。市民との対話・ 意思決定のサポート、より複合的な調 査・研究、災害時の医療体制、想定外 の内容への対応、危機管理など課題が 噴出。もう一歩踏み込んだ取り組みが 必要だった。  こうした課題を解決するため、震災 の翌年、同拠点の規模を大幅に拡大す る形で再出発したのが IRIDeS だ。事 前の防災・減災対策から災害発生後 の初動体制・救急対応、復旧・復興ま でを一つのサイクルと捉えた「災害科 学の深化」と、災害被害の軽減に向け 社会の具体的な問題解決を目指す「実 践的防災学の構築」を軸に活動を進 めた。

メカニズム解明から、

地域ニーズへの対応に変化

 震災発生直後の混乱下「新しい体制 づくりは手探りで、各専門を災害研究 にどう生かすかを模索する日々でし た」と今村さん。巨大津波で多くの自 治体の機能が失われ、原子力発電所事 故による環境汚染や生活支障も生じ ていたという。  発足から 3 年程度は、被災地支援に 加え、被害実態の把握、巨大地震や津 波の発生メカニズムの解明が活動の 中心となった。自然科学・人文社会学 が融合した学際的研究所としての基 盤を強固にする時期でもあったとい う。4 年目以降は、多角的な調査・研 究を展開し、地域ごとの状況やニーズ の違いが見えてきた。体制は、しだい に地域・社会のニーズに合わせた多 分野連携チームへと変わっていく。  「例えば、平野部や沿岸部など、地域 によって状況は違います。少しの違い でも、現地の方にとっては大きなもの になります。各地域の状況を把握、分 析しつつ、さまざまな分野が円滑に連 携をとる。そこが大変であり重要でし た」(今村さん)

防潮堤計画、賛成と反対が拮抗

 同研究所は、被災地発の研究所とし て、震災の教訓を次世代に伝えるため に何ができるかを模索し、地域に寄り 添ってさまざまなプロジェクトを進 めてきた。地域の課題は、歴史的・文 化的視点などの多角的なアプローチ が求められるものも多い。  今村さんは、特に印象的なエピソー ドとして、防潮堤に関する議論を挙げ てくれた。「宮城県での気仙沼や女川 はこれまで防潮堤がなく、機能や景観 が維持されていましたが、東日本大震 災で甚大な被害を受け、地域を守る社 会インフラとして防潮堤計画が持ち 上がりました。しかし賛成と反対が拮 抗し、なかなか議論が進みませんでし た。全員が納得する着地点は難しいの ですが、防災・減災の観点から防潮堤 で最低限を守る必要性を、丁寧に説明 するよう心がけました」  コンクリートの壁は見た目の圧迫 感が強く、周辺との景観が守られな い。そこで、気仙沼は、傾斜をつけた複 合施設を設置し、高さを感じさせない 防潮堤をつくった。一方、女川は、防潮 堤の高さに地面をかさ上げして町全 体をつくり直す道を選んだ。復興への 想いは、それぞれの地域の住民一人ひ とり異なる。そこへ科学的知見に基づ き、地域コミュニティーと一緒に具体

今村 文彦

さん 東北大学災害科学国際研究所 所長

小野 裕一

さん 東北大学災害科学国際研究所 情報管理・社会連携部門 社会連携オフィス 教授 東日本大震災の翌年に発足し、東北地方発の研究所として地元に寄り添い、復興の中核を担ってきた東北大学の「災害科学国 際研究所(IRIDeS)」。東日本大震災から 10 年という節目を迎えた今、震災を教訓として次世代へ伝え、実践的な防災・減災に 生かすために私たちができることは何だろうか。これまでの多角的な活動を振り返るとともに、今後の展望と課題について、 所長の今村文彦さんと教授の小野裕一さんに聞いた。

Interview

多角的な防災・減災 東北から世界へ

今村 文彦さん、小野 裕一さんインタビュー

2 つの大震災を超えて

−「タフ」なロボットで目指す災害に強い国づくり

田所 諭さんインタビュー

歴史・宗教 × 科学技術で織りなす

新たな防災・減災システム

稲場 圭信さんインタビュー

世界一あたたかい地図をみんなでつくる

織田 友理子さんインタビュー

いつでもどこでも理科実験

−お茶の水女子大学でパッケージ開発

お茶の水女子大学サイエンス&エデュケーションセンター

2021 冬号 特集について  東日本大震災から 10 年。未曽有(みぞう)の災 害から私たちが得た教訓はどのようなものでしょう。 また、次世代へ伝え、防災・減災に生かすためでき ることは何でしょうか。震災後の逆境を乗り越え、 生まれてきた新たな取り組みにもスポットを当て、 未来につながる力を特集します。 表紙について  天然の良港として古くより栄えた気仙沼漁港。東 日本大震災で受けた打撃を乗り越え、港に食卓にサ ンマを届ける喜びが戻ってきました。 2020 年度の年間テーマ「SDGs」について  2020 年は「持続可能な開発目標(SDGs)」が国連 総会で採択されて 5 年目、SDGs の達成期限である 2030 年まで残り 10 年の節目の年。世界は新型コロ ナウイルス感染症の流行に見舞われ、社会の脆弱(ぜ いじゃく)性があらわになり、科学技術への期待がい つにも増して高まっています。私たちは災禍の教訓を 生かし、どのような「持続可能な社会」を実現してい けるでしょうか。  幸福や社会のあり方について、一緒に考えましょう。 2 7 11 15 19  世の中には科学技術があふれ、日々の暮らしを豊かにし、 また自然界のことを知る喜びを与えてくれています。私たち は科学技術の発展によって、未来がより明るいものとなるよ う希望を持っています。「Science Window」は、一人でも多く の方にとって科学技術が少しでも身近になるよう、分かりや すく楽しい情報を発信するウェブマガジンです。 ISSN 2433-7978 2021 年 1-3 月・14 巻 4 号 通巻 81 号 ISBN 978ー4ー88890ー723ー1 発行人 国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST) 理事長 濵口 道成 発行・制作 JST 「科学と社会」推進部 部 長 荒川 敦史 サイエンスウィンドウとは

特集

サイエンスウィンドウは ウェブでもご覧いただけます https://scienceportal.jst.go.jp/ 無料

東日本大震災から 10 年

∼逆境を乗り越えて生まれた力∼

2021. 1

3

(3)

▶津波避難プロジェクト、写真は宮城県岩沼市。 (IRIDeS 提供) (編集部が同研究所提供の資料を参照し作 成) ◀「仙 台 防 災 枠 組 2015-2030」は、 2030 年までに、災害にともなう全世 界の死亡率を大幅に減らすといった目 標を盛り込んだ。講座で市民と対話す る今村さん。(IRIDeS 提供) ▶2019 年 に 開 催 さ れ た 世 界 防 災 フォーラム。(IRIDeS 提供)

東北大学災害科学国際研究所

(IRIDeS)のあゆみ

▲「仙台防災枠組 2015-2030」 パンフレット。 ▲「世界防災フォーラム」ポスター。

想定を上回る被害、

課題解決に向け再出発

 東北地方はもともと地震が多く、 度々被害を受けてきた。代表的なもの に 1896 年の明治、1933 年の昭和の三 陸地震・津波、1960 年のチリ沖地震 津波、そして 1978 年と 2003 年の宮 城県沖地震などが挙げられる。そこで 東北大学は 2007 年、さまざまな分野 から約 20 名の研究者を集め、実践的 な防災・減災研究の推進を目的に「防 災科学研究拠点」を形成した。  しかし、東日本大震災の被害は研究 者たちの想定をはるかに上回った。宮 城県沖を震源とした東北地方太平洋 沖地震は、巨大な津波による甚大な被 害をもたらしたのだ。市民との対話・ 意思決定のサポート、より複合的な調 査・研究、災害時の医療体制、想定外 の内容への対応、危機管理など課題が 噴出。もう一歩踏み込んだ取り組みが 必要だった。  こうした課題を解決するため、震災 の翌年、同拠点の規模を大幅に拡大す る形で再出発したのが IRIDeS だ。事 前の防災・減災対策から災害発生後 の初動体制・救急対応、復旧・復興ま でを一つのサイクルと捉えた「災害科 学の深化」と、災害被害の軽減に向け 社会の具体的な問題解決を目指す「実 践的防災学の構築」を軸に活動を進 めた。

メカニズム解明から、

地域ニーズへの対応に変化

 震災発生直後の混乱下「新しい体制 づくりは手探りで、各専門を災害研究 にどう生かすかを模索する日々でし た」と今村さん。巨大津波で多くの自 治体の機能が失われ、原子力発電所事 故による環境汚染や生活支障も生じ ていたという。  発足から 3 年程度は、被災地支援に 加え、被害実態の把握、巨大地震や津 波の発生メカニズムの解明が活動の 中心となった。自然科学・人文社会学 が融合した学際的研究所としての基 盤を強固にする時期でもあったとい う。4 年目以降は、多角的な調査・研 究を展開し、地域ごとの状況やニーズ の違いが見えてきた。体制は、しだい に地域・社会のニーズに合わせた多 分野連携チームへと変わっていく。  「例えば、平野部や沿岸部など、地域 によって状況は違います。少しの違い でも、現地の方にとっては大きなもの になります。各地域の状況を把握、分 析しつつ、さまざまな分野が円滑に連 携をとる。そこが大変であり重要でし た」(今村さん)

防潮堤計画、賛成と反対が拮抗

 同研究所は、被災地発の研究所とし て、震災の教訓を次世代に伝えるため に何ができるかを模索し、地域に寄り 添ってさまざまなプロジェクトを進 めてきた。地域の課題は、歴史的・文 化的視点などの多角的なアプローチ が求められるものも多い。  今村さんは、特に印象的なエピソー ドとして、防潮堤に関する議論を挙げ てくれた。「宮城県での気仙沼や女川 はこれまで防潮堤がなく、機能や景観 が維持されていましたが、東日本大震 災で甚大な被害を受け、地域を守る社 会インフラとして防潮堤計画が持ち 上がりました。しかし賛成と反対が拮 抗し、なかなか議論が進みませんでし た。全員が納得する着地点は難しいの ですが、防災・減災の観点から防潮堤 で最低限を守る必要性を、丁寧に説明 するよう心がけました」  コンクリートの壁は見た目の圧迫 感が強く、周辺との景観が守られな い。そこで、気仙沼は、傾斜をつけた複 合施設を設置し、高さを感じさせない 防潮堤をつくった。一方、女川は、防潮 堤の高さに地面をかさ上げして町全 体をつくり直す道を選んだ。復興への 想いは、それぞれの地域の住民一人ひ とり異なる。そこへ科学的知見に基づ き、地域コミュニティーと一緒に具体 的な案を考えていくことも、災害科学 が担うべき重要な役割だろう。  さらに、一人ひとりの津波防災意識 を高めるため、地域の特性から防災・ 避難計画に生かす実践的な津波避難 プロジェクト(2012 ∼)も産学官で進 められた。この取り組みは現在、東北 地方だけでなく国内外に広く発信さ れている。

国際的な機運の高まり、

若い人材の活躍も

 2015 年 3 月には「第 3 回国連防災 世界会議」が仙台で開催された。5 日 間でのべ 15 万人が参加し「仙台防災 枠組 2015-2030」が採択された。  そのサポートに携われたことはと ても大きいと今村さんたちはいう。こ の年にはパリ協定、持続可能な開発目 標(SDGs)が採択された。防災や気候 変動など人類が直面する課題へ取り 組むための枠組みがつくられ、国際的 な機運が高まったタイミングでもあ る。同年、研究所内には「災害統計グ ローバルセンター」も設置された。  同センター長を務める小野さんは、 災害統計の重要性を語る。「2015 年時 点で、ほとんどの国が災害による死者 数や経済的損失などの統計を取って いませんでした。当センターは国連開 発計画(UNDP)と共同で、途上国政府 の災害被害統計の整備、統計データの 格納、データの分析から政策立案を支 援する仕組みの構築を目指していま す。現在アジアの 7 カ国でパイロッ ト・プロジェクトを推進しています が、今後さらに広げる予定です」  そして、同センター設立から約 2 年 後。IRIDeS を中心に世界防災フォーラ ムが立ち上がる。仙台防災枠組の内容 と東日本大震災の経験をもとに、国内 外の防災について議論する場だ。誰で も参加できる市民参加型国際会議を 目指し、これまで 2017 年と 2019 年 に開催された。2021 年以降も開催を 予定している。  そこから若い人材も活躍し始めた。 このようなフォーラムをきっかけに、 さらなる若い人材の育成と世界発信 にもつなげたいと小野さん。「世界防 災フォーラムで活躍した東北大学の 学生の一人は、国連教育科学文化機関 (UNESCO)に就職しました。防災の知 見を持った被災地出身の若い人材 が、国際機関で活躍することは防災 意識を高めるためにも非常に意義 深く、一つのロールモデルにもなる と思います」

(4)

今村 文彦 (いまむら ふみひこ) 東北大学災害科学国際研究所  所長 1989 年 東北大学大学院工学研究 科博士後期課程を修了。東北大学 工学部助手、東北大学大学院工学 研究科附属災害制御研究センター 助教授・教授などを経て、2014 年 から現職。津波被害の軽減を 目指し、多角的な取り組みを展開 している。 小野 裕一 (おの ゆういち) 東北大学災害科学国際研究所  情報管理・社会連携部門  社会連携オフィス 教授 2001 年 米国オハイオ州立ケント大 学大学院地理学博士課程を修了。世 界気象機関、国連国際防災戦略事務 局、国連アジア太平洋経済社会委員 会を経て、2012 年 より現職。国際 防災政策の研究や IRIDeS の国際連 携に従事している。 ▲減災意識の大切さを伝えるために考案されたハンカチ『結』(2014 年度から「減災 ポケット『結』プロジェクト」、2019 年度から。「減災教育『結』プロジェクト」) (IRIDeS 提供) ▲小学校で「減災ハンカチ」を用いて教える IRIDeS の保田真理さん。(IRIDeS 提供) ▲3.11 伝承ロード。「将来的には、世界中の防災関連の博物館ネットワークを作って教訓 を共有したい」(小野さん)(IRIDeS 提供) 詳しくは「一般財団法人 3.11 伝承ロード推進機構」ホームページ (出典:https://www.311densho.or.jp/)

想定を上回る被害、

課題解決に向け再出発

 東北地方はもともと地震が多く、 度々被害を受けてきた。代表的なもの に 1896 年の明治、1933 年の昭和の三 陸地震・津波、1960 年のチリ沖地震 津波、そして 1978 年と 2003 年の宮 城県沖地震などが挙げられる。そこで 東北大学は 2007 年、さまざまな分野 から約 20 名の研究者を集め、実践的 な防災・減災研究の推進を目的に「防 災科学研究拠点」を形成した。  しかし、東日本大震災の被害は研究 者たちの想定をはるかに上回った。宮 城県沖を震源とした東北地方太平洋 沖地震は、巨大な津波による甚大な被 害をもたらしたのだ。市民との対話・ 意思決定のサポート、より複合的な調 査・研究、災害時の医療体制、想定外 の内容への対応、危機管理など課題が 噴出。もう一歩踏み込んだ取り組みが 必要だった。  こうした課題を解決するため、震災 の翌年、同拠点の規模を大幅に拡大す る形で再出発したのが IRIDeS だ。事 前の防災・減災対策から災害発生後 の初動体制・救急対応、復旧・復興ま でを一つのサイクルと捉えた「災害科 学の深化」と、災害被害の軽減に向け 社会の具体的な問題解決を目指す「実 践的防災学の構築」を軸に活動を進 めた。

メカニズム解明から、

地域ニーズへの対応に変化

 震災発生直後の混乱下「新しい体制 づくりは手探りで、各専門を災害研究 にどう生かすかを模索する日々でし た」と今村さん。巨大津波で多くの自 治体の機能が失われ、原子力発電所事 故による環境汚染や生活支障も生じ ていたという。  発足から 3 年程度は、被災地支援に 加え、被害実態の把握、巨大地震や津 波の発生メカニズムの解明が活動の 中心となった。自然科学・人文社会学 が融合した学際的研究所としての基 盤を強固にする時期でもあったとい う。4 年目以降は、多角的な調査・研 究を展開し、地域ごとの状況やニーズ の違いが見えてきた。体制は、しだい に地域・社会のニーズに合わせた多 分野連携チームへと変わっていく。  「例えば、平野部や沿岸部など、地域 によって状況は違います。少しの違い でも、現地の方にとっては大きなもの になります。各地域の状況を把握、分 析しつつ、さまざまな分野が円滑に連 携をとる。そこが大変であり重要でし た」(今村さん)

防潮堤計画、賛成と反対が拮抗

 同研究所は、被災地発の研究所とし て、震災の教訓を次世代に伝えるため に何ができるかを模索し、地域に寄り 添ってさまざまなプロジェクトを進 めてきた。地域の課題は、歴史的・文 化的視点などの多角的なアプローチ が求められるものも多い。  今村さんは、特に印象的なエピソー ドとして、防潮堤に関する議論を挙げ てくれた。「宮城県での気仙沼や女川 はこれまで防潮堤がなく、機能や景観 が維持されていましたが、東日本大震 災で甚大な被害を受け、地域を守る社 会インフラとして防潮堤計画が持ち 上がりました。しかし賛成と反対が拮 抗し、なかなか議論が進みませんでし た。全員が納得する着地点は難しいの ですが、防災・減災の観点から防潮堤 で最低限を守る必要性を、丁寧に説明 するよう心がけました」  コンクリートの壁は見た目の圧迫 感が強く、周辺との景観が守られな い。そこで、気仙沼は、傾斜をつけた複 合施設を設置し、高さを感じさせない 防潮堤をつくった。一方、女川は、防潮 堤の高さに地面をかさ上げして町全 体をつくり直す道を選んだ。復興への 想いは、それぞれの地域の住民一人ひ とり異なる。そこへ科学的知見に基づ き、地域コミュニティーと一緒に具体

記憶を風化させないための

取り組み

 震災の記憶を風化させないために は、教訓を共有し、次世代に語り継ぐ 必要がある。IRIDeS のプロジェクトを いくつか紹介しよう。  1 つ目は、被災した地域の小学校 における出前授業「減災教育『結』プ ロジェクト」。震災の経験を語り継 ぎ、一人ひとりの減災意識を高める ことが目的だ。通常の授業に加え、減 災の知識を深めるために考案された 「減災ハンカチ」を使い、自ら考え、理 解を深めるよう促す内容になってい る。例えば、「災害が発生したらどう 行動すればいいの?」「日頃から何を 用意しておけばいいの?」など、被害 を最小限におさえるための減災の知 恵が書かれている。  2 つ目は、国内外や未来に共有する デジタルアーカイブプロジェクト。 「みちのく震録伝(しんろくでん)」は、 産官学の機関と連携して、東日本大震 災のあらゆる記憶や記録を収集して いる。連動する「東日本大震災語りべ シンポジウム」は、2011 年から年 1 回 の頻度で継続する活動で、2021 年 3 月 6 日には「かたりつぎ in 多賀城」も 予定される。  3 つ目は、地域を超えた取り組みだ。 点在する震災の遺構・伝承館などを ネットワークで結ぶ「3.11 伝承ロード 推進機構」や、世界中の災害関連博物

自分の命は自分で守る

という意識を

 近年、地球規模の気候変動を背景 に、これまで経験したことのない災害 が多発している。避難遅れを避けるた めのさまざまな周知活動や地域と連 携した領域横断的な取り組みを続け る今村さんたちは、危機管理や防災教 育に加え「思い込まないこと」の重要 性を強調する。  「昨年の台風 19 号では過去に影響 があまりなかった地域でも甚大な被 害を受けました。対応が遅れる例が近 年多くなっています。被害を受けても 早く復興していくというマインドと 社会システムが必要です」  最後に小野さんは強調する。「日本 は防災対策が進んだ国ですが、どんな 対策も完璧ではありません。防災対策 への依存心が高まるほど、想定を超え た災害の被害は大きくなるので、自分 の命は自分で守るという意識を一人 ひとり持つことが重要です」 館のネットワークづくりが挙げられ る。いわきから八戸まで歩き、個人や 団体の復興の様子を国内外に伝える 「World Bosai Walk Tohoku +10」を

2021 年秋に行うことを検討中だ。  4 つ目は、市民と震災の教訓を共 有し発信する取り組みだ。定期開催 される「IRIDeS 金曜フォーラム」「み やぎ防災・減災円卓会議」は、IRIDeS の研究成果やメディアも含んださま ざまな団体の活動や、地域課題の解 決方法を市民とともに議論する。小 野さんは「一般の方も来られる仕組 みにはなっていますが、まだまだ出 席者は少なく、参加しやすい雰囲気 づくりが必要です」と語る。

(5)

▲稼働中の Quince。元々は地下 やビル内などの閉鎖空間内への 進入・調査を目的として開発さ れた。(田所 論さん 提供) ▶Quince で撮影した3 D 画像。 (田所 論さん 提供) ▲田所 諭さんらのグループが開発した。(田所 論さん 提供)

レスキューロボット

「Quince(クインス)」

「困っている人を助ける」

ために

 田所さんのロボット開発の原点は、 その少年期にまでさかのぼる。当時 は『鉄腕アトム』など、ロボットが 活躍するアニメ作品が人気を博した 時代。そんなアニメを見て育った田 所さんは、その後ロボットへの興味 そのままに精密工学を専攻し、研究 開発の道に飛び込んだ。  当初は機械としてのロボットの効 率化・高性能化への関心が強かった 田所さんの最初の転機が、1995 年 1 月 17 日に発生し、およそ 6500 人が 犠牲となった阪神・淡路大震災だ。 近畿地方を中心として広域に被害が 及ぶ中、自身も神戸で被災者として 甚大な被害を目の当たりにした田所 さんの胸には、少年期の思い出と共 に、ある考えが浮かんでいた。  「科学技術はこうした課題を解決す るものであるべきなのに、今現実に あるロボットは『困っている人を助 ける』ことができていない。それど ころか、それをやろうとする研究を やっている人すら存在していない。 このままでは 100 年たっても人の命 が助かる技術はできない。できるか どうかは分からないが、草の根から でも始めていかねばならないと思っ た」(田所さん)  災害発生時に活用できるロボット を開発し、一人でも多くの命と暮ら しを守る。田所さんの中で「災害救助」 と「ロボット」が結びついた瞬間だっ た。

まずは被災者への

聞き取り活動から

 大きな決意を胸に歩み始めた田所 さんだったが、その道のりは険しかっ た。1990 年代のロボットといえば、 工業製品の組み立てなどに従事する、 いわゆる産業用ロボットがほとんど。 そもそも「人間の命を救うロボット」 など、研究になるのか、という疑問 の声が大多数だったという。  そんな中で田所さんがまず始めた のが、救助当事者への聞き取り活動 だった。被災者はもちろん、救助に あたった消防士やボランティアから のヒアリングやディスカッションを 重ね「どのように救助したのか、さ れたのか」の実態を調査。これらを 分析することで、災害救助のどの部 分をロボットで支援可能かアイデア を抽出した。例えば、がれきの中に 潜り込んでの救助であれば「要救助 者の居場所まで到達し」「要救助者を 見つけ」「その状態を調べる」という 具合に各作業内容を分割した上で、 どの部分をロボットが担当できるか を絞り込んだ。  さらに、学会に研究会を立ち上げ、 災害時に活動するロボットについて 課題の洗い出しを、他の研究者を巻 き込みつつ進めていったという。議 論を重ねる中で技術の改善も進み、 ロボットの運動性能の向上や、赤外 線カメラなどの周辺機器の小型化も 実現。災害救助用ロボットが、実用 に耐えるものとして少しずつ形にな りつつあった。

福島原発で Quince が貢献

 そうした取り組みが社会的にも認 知されるようになってきた最中、わ が国は再び未曽有の災害、東日本大 震災に見舞われる。地震や津波だけ でなく、それらによって誘発された 事故により、甚大な被害が出たこと は記憶に新しい。そんな中、田所さ んらの研究グループは、福島第 1 原 子力発電所内部の調査のため、緊急 災害対応ロボット Quince(クインス) を探索活動に投入。被害状況を詳細 に把握し、後の原発内での作業プラ ン策定などに大きな貢献を果たした。  この Quince の開発には、東日本大 震災の発生前から続いていたある取 り組みが大きな力になったそうだ。 それが競技用のロボット開発を通じ、 新たな技術開発を目指す国際的コン テスト「ロボカップ」。実は田所さん は 2001 年にロボカップの新部門とし て、模擬災害現場におけるロボット の性能を競う、レスキュー部門を立 ち上げていた。大会を重ねる中で「手 弁当で集まった多くの研究者や学生 が、さまざまな技術的課題の解決に 向けてアイデアを出し合う体制がで きた」(田所さん)。そんな中で、複 数のクローラによる高い運動性と、 閉鎖空間における自律マッピング機 能を併せ持つ Quince の基礎が、ボト ムアップ的に作られていったという。  東日本大震災での経験について田 所さんは「たくさんのロボットが実 際に使われ、試され、一定の成果を 上げた、人類の歴史上初めての大規 模災害だった。一方で、配備されて いないロボットはすぐに現場で使う ことはできず、初めてだから失敗す ることも多かった。広く取り上げら れたので、一般の方々への周知が進 んだ側面もあった」と回想する。

災害で必要な厳しい条件に

対応できること

 田所さんが目指すロボット開発の キーワードとしてしばしば登場する のが「タフ」という言葉だ。一般的 には「壊れにくい」とか「疲れを知 らない」といった意味合いで使われ るが、田所さんが追求する「タフ」 という考え方は、異なった意味があ るという。  「ロボットが災害現場で活躍するに は、さまざまな厳しい悪条件の下で 性能を発揮できなければなりません。 がれきが険しかったからできなかっ た、暗いから見えなかったでは役に 立ちません。厳しい条件下で技術が 成立するよう、制約条件をひとつひ とつ外していかねばなりません。困 難な現場状況であっても技術が効力 を発揮できること、それが「タフ」 という言葉に込められた意味なので す」(田所さん)  実際の災害救助の場面では、道路 がでこぼこしていたり、重いもので ふさがれていたりといった不測の事 態が多々起こりうる。ロボットの持 つ環境認識や自律知能がうまく働か ないことも多い。それらを乗り越え て要救助者を発見して、救助活動が できること、一言で言えば「災害現 場で求められる厳しい条件で機能で きる能力を備える」ことが、災害救 助用ロボットに求められていると田 所さんは強調する。

ユーザーニーズとの

ギャップを埋める

 とはいえ、ユーザーが求める難し い条件で機能や性能を実現すること は、現在の科学技術の限界を超えて いる。万能型のロボットなど実現で きるはずもなく、使用条件と機能や 性能はトレードオフの関係にある。  「タフ」なロボットの開発には、実 際の機材の使われ方を踏まえ、本当 に求められていることの見極めが不 可欠だ、と田所さんは言う。「ロボッ トのキャパシティーが限られる状況 では、どんな機能が必要か取捨選択 し、システムとして目的に対して最 適なものを作り上げることが求めら れる。そのためにはユーザーサイド と、開発にあたる研究者サイドとの ギャップを埋めることが必要だ」(田 所さん)。初めは、実際にロボットを 使う側と作る側が目指すものは一致 しない。技術を作ることは目的では なく、効果的な災害への対処ができ る道具が必要なのだ。その両者をつ なぎ意見をすり合わせるための場作 りと、当事者の立場を理解すること の両方が、災害救助用ロボットの開 発に求められている。  「災害で必要な厳しい条件に対応で きること」と「ユーザーニーズとの ギャップを埋めること」。この 2 つの ポイントは、東日本大震災から、新 型コロナウイルス感染症がまん延す る現在まで、10 年にわたり取り組ま れてきた課題だと、田所さんは言う。

災害救助用ロボットの技術を

平時にも活用しよう

 「『想定外』と言われてきた東日本 大震災の被害の多くは、実際予想で きたことがほとんどだった。感染症 にしても、いつかパンデミック(世 界的大流行)が起こるという予想は 以前からされていて、実際に重症急 性呼吸器症候群(SARS)などがまん 延したこともあった。備えようと思 えれば備えられたはずで、その必要 性を真 (しんし)に検討し、その 上で備えを行うべきかどうかの判断 がなされていない側面が、いまだに あるのではないか」(田所さん)  災害が起こることを前提とした社 会インフラと、それを下支えする制 度作りの重要性は、災害救助用ロボッ トでも変わらない。田所さんは「こ の課題を解決できる力を持っている のは、科学技術しかない」と考えて いる。平時における備えとして、災 害救助用ロボットを軸とした「エコ システム」の構築を提案する。その 一つの方法としては、災害救助用ロ ボットに開発した技術を、平時に運 用するロボットにも積極的に活用し ていくことが必要だ。災害のために 創られた技術を、平時に活用するこ とで、技術開発を促進することはも とより、社会実装の障壁を下げなけ ればならない。  むろんその実現のためには、開発 にあたる研究者、企業、公的組織全 ての意識改革が必要だ。社会課題を 解決する研究開発の推進や、新たな 技術開発にチャレンジする若手研究 者支援体制の拡充なども求められる ところだが、最も重要なのは「最大 のエンドユーザーである国民の意識 改革だ」と田所さんは語る。  大規模な災害は感染症と同じく、 いつ何時誰の身に降り掛かるか分か らない。つまり、今ここに生きる全 ての人が当事者になりうる。特定の 誰かに研究や開発の方向性を任せき りにするのではなく、どのように技 術を活用するかを一人一人が考える こと。それが災害という共通の課題 に立ち向かう上で必要な「備え」と いうわけだ。その心構えは、今われ われが直面している新型コロナウイ ルスの脅威に対抗する上でも必要不 可欠ではないだろうか。

2 つの大震災を超えて

−「タフ」なロボットで目指す

 災害に強い国づくり

田所 諭

さん 東北大学大学院情報科学研究科 教授 Interview 震災を教訓とした「災害に強い国づくり」が進められる中、災害時におけるロボットの活用が注目されている。その研究開発をわ が国でけん引してきたパイオニアが、東北大学の田所諭教授だ。自身の阪神・淡路大震災の体験をきっかけに、災害という場面で 「困っている人を助ける」ロボットの開発に着手。2 つの大震災を超えて、災害現場で力を発揮するタフなロボットの開発に携 わってきた田所さんは、これまで何を考え、どんな未来を描いているのだろうか。 田所 諭 (たどころ さとし) 東北大学大学院情報科学研究科 教授 1984 年 東京大学大学院修士課程修了。1986 年 神戸大学工学部助手。同大学助教授を経て、 2005 年から現職。2014∼2018 年 ImPACT(革新的研究開発推進プログラム)「タフ・ロボティク ス・チャレンジ」プログラム・マネージャー。科学技術分野の文部科学大臣表彰など受賞。もの づくり技術を基盤とした、災害緊急対応、復旧、予防の支援用ロボットおよび ICT の研究開発を 専門とする。IEEE Fellow、博士(工学)。

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▲田所さんはロボカップ日本委員会フェローとしてロボカップにも精力的に関わっている。 写真はロボカップレスキュー実機リーグサマーキャンプ 2016 の参加者のみなさん。(国際 レスキューシステム研究機構 提供) ▲田所さんが考える「タフ」なロボット技術(タフ・ロボティクス)のイメージ図。 (出典:https://www.jst.go.jp/impact/program/07.html) ▲大規模な地震・津波発生時における災害救助用ロボットの活用例イメージ図。(田所 論さん 提供)

「困っている人を助ける」

ために

 田所さんのロボット開発の原点は、 その少年期にまでさかのぼる。当時 は『鉄腕アトム』など、ロボットが 活躍するアニメ作品が人気を博した 時代。そんなアニメを見て育った田 所さんは、その後ロボットへの興味 そのままに精密工学を専攻し、研究 開発の道に飛び込んだ。  当初は機械としてのロボットの効 率化・高性能化への関心が強かった 田所さんの最初の転機が、1995 年 1 月 17 日に発生し、およそ 6500 人が 犠牲となった阪神・淡路大震災だ。 近畿地方を中心として広域に被害が 及ぶ中、自身も神戸で被災者として 甚大な被害を目の当たりにした田所 さんの胸には、少年期の思い出と共 に、ある考えが浮かんでいた。  「科学技術はこうした課題を解決す るものであるべきなのに、今現実に あるロボットは『困っている人を助 ける』ことができていない。それど ころか、それをやろうとする研究を やっている人すら存在していない。 このままでは 100 年たっても人の命 が助かる技術はできない。できるか どうかは分からないが、草の根から でも始めていかねばならないと思っ た」(田所さん)  災害発生時に活用できるロボット を開発し、一人でも多くの命と暮ら しを守る。田所さんの中で「災害救助」 と「ロボット」が結びついた瞬間だっ た。

まずは被災者への

聞き取り活動から

 大きな決意を胸に歩み始めた田所 さんだったが、その道のりは険しかっ た。1990 年代のロボットといえば、 工業製品の組み立てなどに従事する、 いわゆる産業用ロボットがほとんど。 そもそも「人間の命を救うロボット」 など、研究になるのか、という疑問 の声が大多数だったという。  そんな中で田所さんがまず始めた のが、救助当事者への聞き取り活動 だった。被災者はもちろん、救助に あたった消防士やボランティアから のヒアリングやディスカッションを 重ね「どのように救助したのか、さ れたのか」の実態を調査。これらを 分析することで、災害救助のどの部 分をロボットで支援可能かアイデア を抽出した。例えば、がれきの中に 潜り込んでの救助であれば「要救助 者の居場所まで到達し」「要救助者を 見つけ」「その状態を調べる」という 具合に各作業内容を分割した上で、 どの部分をロボットが担当できるか を絞り込んだ。  さらに、学会に研究会を立ち上げ、 災害時に活動するロボットについて 課題の洗い出しを、他の研究者を巻 き込みつつ進めていったという。議 論を重ねる中で技術の改善も進み、 ロボットの運動性能の向上や、赤外 線カメラなどの周辺機器の小型化も 実現。災害救助用ロボットが、実用 に耐えるものとして少しずつ形にな りつつあった。

福島原発で Quince が貢献

 そうした取り組みが社会的にも認 知されるようになってきた最中、わ が国は再び未曽有の災害、東日本大 震災に見舞われる。地震や津波だけ でなく、それらによって誘発された 事故により、甚大な被害が出たこと は記憶に新しい。そんな中、田所さ んらの研究グループは、福島第 1 原 子力発電所内部の調査のため、緊急 災害対応ロボット Quince(クインス) を探索活動に投入。被害状況を詳細 に把握し、後の原発内での作業プラ ン策定などに大きな貢献を果たした。  この Quince の開発には、東日本大 震災の発生前から続いていたある取 り組みが大きな力になったそうだ。 それが競技用のロボット開発を通じ、 新たな技術開発を目指す国際的コン テスト「ロボカップ」。実は田所さん は 2001 年にロボカップの新部門とし て、模擬災害現場におけるロボット の性能を競う、レスキュー部門を立 ち上げていた。大会を重ねる中で「手 弁当で集まった多くの研究者や学生 が、さまざまな技術的課題の解決に 向けてアイデアを出し合う体制がで きた」(田所さん)。そんな中で、複 数のクローラによる高い運動性と、 閉鎖空間における自律マッピング機 能を併せ持つ Quince の基礎が、ボト ムアップ的に作られていったという。  東日本大震災での経験について田 所さんは「たくさんのロボットが実 際に使われ、試され、一定の成果を 上げた、人類の歴史上初めての大規 模災害だった。一方で、配備されて いないロボットはすぐに現場で使う ことはできず、初めてだから失敗す ることも多かった。広く取り上げら れたので、一般の方々への周知が進 んだ側面もあった」と回想する。

災害で必要な厳しい条件に

対応できること

 田所さんが目指すロボット開発の キーワードとしてしばしば登場する のが「タフ」という言葉だ。一般的 には「壊れにくい」とか「疲れを知 らない」といった意味合いで使われ るが、田所さんが追求する「タフ」 という考え方は、異なった意味があ るという。  「ロボットが災害現場で活躍するに は、さまざまな厳しい悪条件の下で 性能を発揮できなければなりません。 がれきが険しかったからできなかっ た、暗いから見えなかったでは役に 立ちません。厳しい条件下で技術が 成立するよう、制約条件をひとつひ とつ外していかねばなりません。困 難な現場状況であっても技術が効力 を発揮できること、それが「タフ」 という言葉に込められた意味なので す」(田所さん)  実際の災害救助の場面では、道路 がでこぼこしていたり、重いもので ふさがれていたりといった不測の事 態が多々起こりうる。ロボットの持 つ環境認識や自律知能がうまく働か ないことも多い。それらを乗り越え て要救助者を発見して、救助活動が できること、一言で言えば「災害現 場で求められる厳しい条件で機能で きる能力を備える」ことが、災害救 助用ロボットに求められていると田 所さんは強調する。

ユーザーニーズとの

ギャップを埋める

 とはいえ、ユーザーが求める難し い条件で機能や性能を実現すること は、現在の科学技術の限界を超えて いる。万能型のロボットなど実現で きるはずもなく、使用条件と機能や 性能はトレードオフの関係にある。  「タフ」なロボットの開発には、実 際の機材の使われ方を踏まえ、本当 に求められていることの見極めが不 可欠だ、と田所さんは言う。「ロボッ トのキャパシティーが限られる状況 では、どんな機能が必要か取捨選択 し、システムとして目的に対して最 適なものを作り上げることが求めら れる。そのためにはユーザーサイド と、開発にあたる研究者サイドとの ギャップを埋めることが必要だ」(田 所さん)。初めは、実際にロボットを 使う側と作る側が目指すものは一致 しない。技術を作ることは目的では なく、効果的な災害への対処ができ る道具が必要なのだ。その両者をつ なぎ意見をすり合わせるための場作 りと、当事者の立場を理解すること の両方が、災害救助用ロボットの開 発に求められている。  「災害で必要な厳しい条件に対応で きること」と「ユーザーニーズとの ギャップを埋めること」。この 2 つの ポイントは、東日本大震災から、新 型コロナウイルス感染症がまん延す る現在まで、10 年にわたり取り組ま れてきた課題だと、田所さんは言う。

災害救助用ロボットの技術を

平時にも活用しよう

 「『想定外』と言われてきた東日本 大震災の被害の多くは、実際予想で きたことがほとんどだった。感染症 にしても、いつかパンデミック(世 界的大流行)が起こるという予想は 以前からされていて、実際に重症急 性呼吸器症候群(SARS)などがまん 延したこともあった。備えようと思 えれば備えられたはずで、その必要 性を真 (しんし)に検討し、その 上で備えを行うべきかどうかの判断 がなされていない側面が、いまだに あるのではないか」(田所さん)  災害が起こることを前提とした社 会インフラと、それを下支えする制 度作りの重要性は、災害救助用ロボッ トでも変わらない。田所さんは「こ の課題を解決できる力を持っている のは、科学技術しかない」と考えて いる。平時における備えとして、災 害救助用ロボットを軸とした「エコ システム」の構築を提案する。その 一つの方法としては、災害救助用ロ ボットに開発した技術を、平時に運 用するロボットにも積極的に活用し ていくことが必要だ。災害のために 創られた技術を、平時に活用するこ とで、技術開発を促進することはも とより、社会実装の障壁を下げなけ ればならない。  むろんその実現のためには、開発 にあたる研究者、企業、公的組織全 ての意識改革が必要だ。社会課題を 解決する研究開発の推進や、新たな 技術開発にチャレンジする若手研究 者支援体制の拡充なども求められる ところだが、最も重要なのは「最大 のエンドユーザーである国民の意識 改革だ」と田所さんは語る。  大規模な災害は感染症と同じく、 いつ何時誰の身に降り掛かるか分か らない。つまり、今ここに生きる全 ての人が当事者になりうる。特定の 誰かに研究や開発の方向性を任せき りにするのではなく、どのように技 術を活用するかを一人一人が考える こと。それが災害という共通の課題 に立ち向かう上で必要な「備え」と いうわけだ。その心構えは、今われ われが直面している新型コロナウイ ルスの脅威に対抗する上でも必要不 可欠ではないだろうか。

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防災・減災を寺院で

広める稲場さん

▲未来共生災害救援マップ(災救マップ)で見た山形県鶴岡市付近。日本海沿岸を走る国 道 7 号線沿いに多くの神社や寺院が避難所指定されている。(編集部が稲場さんご提供の 資料を参照し改変) ◀地域住民向けの講習会、防災士 も参加。写真は 2017 年 10 月泉大 津市災救マップ防災まち歩きに関 わる寺院での説明会。(稲場 圭信 さん 提供) ◀都庁で宗教施設と災害時連携を する重要性を小池知事に説明する 稲場さん。(稲場 圭信さん 提供) (稲場 圭信さん 提供)

歴史・宗教 × 科学技術で織りなす

新たな防災・減災システム

稲場 圭信

さん 大阪大学大学院人間科学研究科 教授 Interview 地震や豪雨などの自然災害が頻発する中、一層の災害対策が求められている。宗教社会学を専門とする大阪大学大学院人間科学 研究科教授の稲場圭信さんは、歴史・宗教など人文社会科学の知と自然科学の知、さまざまな現場の知を融合し、地域の防災・減 災システムの開発と社会実装に取り組んでいる。多様な関係者と連携して進めている研究活動の内容や、歴史・宗教から学ぶ防 災・減災などを聞いた。

英国に学び社会課題の

解決を目指す

研究者として実践的に社会課題の 解決に関わりたいと以前から考えて いた稲場さん。1995 年の阪神・淡路 大震災の際には、避難所となってい た小学校でボランティア活動をした。 現地では、お坊さんなどの宗教者が ボランティアに取り組む姿も見られ たが、宗教者の活動は報道されず、 社会に知られることはなかった。  「宗教者や宗教施設の存在が役立つ ものと認識されていないとしたら、 残念だと思いました。英国には、宗 教的な考え方を土台に社会奉仕の概 念が発達し、ボランティア活動が広 まり、その活動が地域に根づいてき た歴史があります。そこで、翌年か ら英国に留学し、現場での実践につ いて学びました」(稲場さん)  留学で、研究者と地域・宗教の連 携が重要だと学んだ稲場さんは、国 内でもその活動を広めようと、現場 での実践を心がけたという。大きな 転 換 点 は 2011 年 の 東 日 本 大 震 災 (3.11)だった。  「高台にあった神社や寺院が緊急避 難所となり、多くの命を救いました。 地域住民の方々は、こうした高台の 神社や寺院に避難すればよいことを、 昔からの言い伝えで知っていたので す。私も宗教者の方と一緒に現地に 入りましたが、この様子が複数のメ ディアに取り上げられました」(稲場 さん)  1995 年には報道されなかった宗教 者の活動が、ようやく社会に発信さ れた。

過去にも神社・寺院が

避難場所に

 津波がどこまで到達したかを示す 「浸水線」を調べると、その線に沿っ て神社や寺院が並ぶ地域があると分 かる。例えば山形県鶴岡市の沿岸部 では、想定される津波の高さよりも 標高が高い場所に多くの神社や寺院 が建つ。2019 年の山形県沖地震の際 にも、地元の人々はこうした場所に 避難したという。  3.11 でも、建物の手前までしか津 波が到達せず助かった神社が多数 あった。津波の被害を逃れた場所は、 昔の自然災害も乗り越えていること が多く、津波が来たことを示す供養 塔や慰霊碑などが残る。「ここまで津 波が来た」「ここに逃げれば大丈夫」 という過去の歴史や経験が地域住民 の間で語り継がれ、今でも避難場所 として知られているのだ。  神社や寺院、教会などの宗教施設 は、全国に約 20 万カ所ある。稲場さ んは、こうした宗教施設が地域社会 の資源になると考え、災害時の避難 所としての活用など、防災・減災や コミュニティー作りに役立てるため の研究活動を行っている。  「東日本大震災の経験や、その後の 自然災害の頻発を踏まえ、自治体に よって新たに避難所指定される宗教 施設も増えています。避難所は学校 や公民館などの公的施設だけではな いのです」(稲場さん)

自治体との連携、

進むボランティア登録と課題

東日本大震災から 10 年。災害に 備えた自治体と宗教施設の連携は進 んでおり、自治体と協定・協力関係 にある宗教施設は、全国で 2000 を超 える。例えば、2017 年、東京都宗教 連盟は災害時に宗教施設で帰宅困難 者を受け入れることなどに関して、 東京都との連携を申し入れている。

利用者自ら避難所情報を

発信できる「災救マップ」

 稲場さんは宗教施設などの地域資 源を活用した減災・見守りシステム の構築も進めている。2013 年には、 全国の避難所と宗教施設のデータ約 30 万件が登録された災害救援・防災 マップ「未来共生災害救援マップ」(災 救マップ)(https://map.respect-relief .net/)を公開した。  災救マップの最大の特長は、全国 にある約 20 万件の宗教施設のデータ が登録されていることだ。災害時に お け る 救 援 活 動 の 情 報 プ ラ ッ ト フォームとなるほか、平常時から地 域のコミュニティー作りに貢献する ことも目指している。  開発で重視している点は 3 つある。 まず、使い勝手の良さ。ブラウザー でどんな端末からでも閲覧できる。 また、旅行中や出張中など、自分の 住む地域以外で被災しても使えるよ うに、全国版となっている。次に、 負荷が小さいこと。データ量が大き いサイトは、災害時にはスムーズに 動かないため、できる限り軽くして いる。最後に、一般利用者が自ら情 報を発信できること。自治体の職員 も災害時には被災するため、現場に 入れないこともある。行政が避難所 の状況を把握できないことが考えら れるため、現地の人や近隣の住民が 自ら SOS を出せるようになっている のだ。

「明かりでホッとする」

という声から始まった

「たすかんねん」

 さらに稲場さんは、減災・見守り システムの一環として、2017 年に防 災・見守りに関する共同研究を立ち 上げ、企業と連携して独立電源通信 機「たすかんねん」を開発した。風 力発電と太陽光発電が可能で、蓄電 池も内蔵されているため、災害時に 停電が発生しても電力が供給できる。 LED 照明、見守りカメラ、Wi-Fi 機能 も搭載されており、平常時にも地域 の安全安心に貢献する。  「東日本大震災のとき、一切の明か りが消えてしまった中で、お寺に避難 した方々が『ろうそくの明かりでホッ とする』『暖かく感じる』とおっしゃっ ていました。これが強く印象に残り、 開発のきっかけになりました。電気と 通信があれば、人は困難な状況でも何 とか生きていこうと思えるのではない でしょうか」(稲場さん)  2019 年に起きた千葉県の台風・豪 雨では、電柱の破損や倒壊なども多 く広域で断線が起きた。稲場さんも 共同研究で連携している企業ととも にたすかんねんを現地に設置し、救 援活動に加わった。

地域住民と楽しめる

イベントを開催

 稲場さんの活動は、多様な人との 協働で成り立っている。災救マップ やたすかんねんの開発では、企業や 一般社団法人、技術の専門家と連携 した。稲場さんは、業界や専門分野 の垣根を越えて、さまざまな人と定 期的にオンラインで意見交換をして いるという。  「自分と違う領域の人たちとの共創 には時間がかかりますが、新しいも のが生まれる可能性に期待し、お互 いにないものを補い合いながらコ ミュニケーションを重ねることが大 切なのではないでしょうか」(稲場さん)  もちろん地域住民との連携も必要 だ。稲場さんは、地域の NPO や自主 防災組織、行政の危機管理担当者な どとともに、災救マップを使って誰 もが楽しめるイベントを開催してき た。忙しい日常を優先し、つい備え が後回しになってしまうこともある だろう。だからこそ、参加したくな るような楽しい企画が必要なのだ。  「大阪府泉大津市や三重県伊勢市で は、地域の方々と一緒に、災救マッ プを使った街歩きイベントを実施し ました。また、大阪・久宝寺緑地で の防災フェアでも、災救マップに避 難所情報を登録し、自衛隊の方々に 物資を持ってきてもらうという訓練 を行っています。皆さんとても楽し んでいて、世代を超えた交流も生ま れていました」(稲場さん)

減災・見守りシステムの

社会実装に向けて

 稲 場 さ ん が 開 発 し た 減 災・見 守 り シ ス テ ム は 社 会 実 装 の 段 階 に 入っている。災救マップとたすか んねんをセットで各自治体に導入 することが当面の目標だ。  災救マップは、2021 年 4 月にリ ニューアルを予定。新型コロナウ イルスの影響で分散避難が求めら れるようになり、避難所の混雑情 報 を 見 え る 化 す る。ま た、た す か んねんは、2019 年に長距離拠点間 通 信 の 実 証 実 験 に 成 功 し て い る。 これを避難所となる学校や公民館、 宗教施設などに設置できれば、災 害で大手キャリアの通信が使えな くなっても、被災地の外と通信可能 になる。  課題は、たすかんねん本体と設置 にかかるコストだ。「国の補助金を 使って各地に設置できないか検討し ています。実装を進める組織として、 2019 年に一般社団法人地域情報共創 センターを設立しました。各自治体 との連携を進めています」(稲場さん)

伝承と技術のセットで

災害を自分ごとに

 災害には日頃からの備えが大切だ。 しかし、災害の記憶は時間とともに 風化しやすい。また、正常性バイア ス(※1)が働くため、災害時に避難 の遅れも生じる。「風化は必ず起きる ものです。正しく恐れることが大切 だといわれますが、とても難しいこ となのです」(稲場さん)  それでも災害を自分ごととして捉 えるためには、歴史と技術の組み合 わせが効果的だと稲場さんは話す。  「東日本大震災では、地域で代々語 り継がれていた場所に避難したのに、 想定以上の津波で助からなかった人 もいました。歴史の伝承だけでなく、 技術の力を借りて体験と結びつける のが良いと思います。例えば、災害 を経験した語り部さんの話を聞いた 後に、タブレットを使って被害予測を 学んだり、災救マップを使って楽し く避難訓練を行ったりする。両方か らアプローチすれば、捉え方が違って くるのではないでしょうか」(稲場さん)  また、ボランティア登録制度や被 害状況把握のためのシステムなど、 災害支援の仕組みも整ってきている。 一方で、登録しない限りボランティ アできなかったり、システム入力に 手間を取られたりと、仕組みに縛ら れて融通が利かなくなっている面も 否めない。  そんな中、2020 年に豪雨の被害を 受けた熊本県では、現状では拾いき れないニーズに対応するため、柔軟 な仕組みを別途作ろうとする動きも 始まった。稲場さんは、たとえ地域 レベルの活動であっても、今は良い ものが全国に広まりやすいと話す。  「以前は一部の人しか読めなかった 行政の報告書も、今は Web 上で読め ますし、SNS で分かりやすく発信す る人もいます。情報が簡単に共有で きることで、良い活動がさらに改善 されて広まっていくと考えています」 (稲場さん)

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(※1)正常性バイアス:何らかの危険が想定されるときに、リスクを過小評価して大丈夫だろうと思い込んでしまうこと ▲災救マップ。(https://map.respect-relief.net/) ▲独立電源通信機「たすかんねん」を千葉県で設置。(稲場 圭信さん 提供) ▲大阪・久宝寺緑地での防災フェア。(稲場 圭信さん 提供) ▲災救マップとたすかんねんの連携イメージ。(稲場 圭信さん 提供)

英国に学び社会課題の

解決を目指す

研究者として実践的に社会課題の 解決に関わりたいと以前から考えて いた稲場さん。1995 年の阪神・淡路 大震災の際には、避難所となってい た小学校でボランティア活動をした。 現地では、お坊さんなどの宗教者が ボランティアに取り組む姿も見られ たが、宗教者の活動は報道されず、 社会に知られることはなかった。  「宗教者や宗教施設の存在が役立つ ものと認識されていないとしたら、 残念だと思いました。英国には、宗 教的な考え方を土台に社会奉仕の概 念が発達し、ボランティア活動が広 まり、その活動が地域に根づいてき た歴史があります。そこで、翌年か ら英国に留学し、現場での実践につ いて学びました」(稲場さん)  留学で、研究者と地域・宗教の連 携が重要だと学んだ稲場さんは、国 内でもその活動を広めようと、現場 での実践を心がけたという。大きな 転 換 点 は 2011 年 の 東 日 本 大 震 災 (3.11)だった。  「高台にあった神社や寺院が緊急避 難所となり、多くの命を救いました。 地域住民の方々は、こうした高台の 神社や寺院に避難すればよいことを、 昔からの言い伝えで知っていたので す。私も宗教者の方と一緒に現地に 入りましたが、この様子が複数のメ ディアに取り上げられました」(稲場 さん)  1995 年には報道されなかった宗教 者の活動が、ようやく社会に発信さ れた。

過去にも神社・寺院が

避難場所に

 津波がどこまで到達したかを示す 「浸水線」を調べると、その線に沿っ て神社や寺院が並ぶ地域があると分 かる。例えば山形県鶴岡市の沿岸部 では、想定される津波の高さよりも 標高が高い場所に多くの神社や寺院 が建つ。2019 年の山形県沖地震の際 にも、地元の人々はこうした場所に 避難したという。  3.11 でも、建物の手前までしか津 波が到達せず助かった神社が多数 あった。津波の被害を逃れた場所は、 昔の自然災害も乗り越えていること が多く、津波が来たことを示す供養 塔や慰霊碑などが残る。「ここまで津 波が来た」「ここに逃げれば大丈夫」 という過去の歴史や経験が地域住民 の間で語り継がれ、今でも避難場所 として知られているのだ。  神社や寺院、教会などの宗教施設 は、全国に約 20 万カ所ある。稲場さ んは、こうした宗教施設が地域社会 の資源になると考え、災害時の避難 所としての活用など、防災・減災や コミュニティー作りに役立てるため の研究活動を行っている。  「東日本大震災の経験や、その後の 自然災害の頻発を踏まえ、自治体に よって新たに避難所指定される宗教 施設も増えています。避難所は学校 や公民館などの公的施設だけではな いのです」(稲場さん)

自治体との連携、

進むボランティア登録と課題

東日本大震災から 10 年。災害に 備えた自治体と宗教施設の連携は進 んでおり、自治体と協定・協力関係 にある宗教施設は、全国で 2000 を超 える。例えば、2017 年、東京都宗教 連盟は災害時に宗教施設で帰宅困難 者を受け入れることなどに関して、 東京都との連携を申し入れている。

利用者自ら避難所情報を

発信できる「災救マップ」

 稲場さんは宗教施設などの地域資 源を活用した減災・見守りシステム の構築も進めている。2013 年には、 全国の避難所と宗教施設のデータ約 30 万件が登録された災害救援・防災 マップ「未来共生災害救援マップ」(災 救マップ)(https://map.respect-relief .net/)を公開した。  災救マップの最大の特長は、全国 にある約 20 万件の宗教施設のデータ が登録されていることだ。災害時に お け る 救 援 活 動 の 情 報 プ ラ ッ ト フォームとなるほか、平常時から地 域のコミュニティー作りに貢献する ことも目指している。  開発で重視している点は 3 つある。 まず、使い勝手の良さ。ブラウザー でどんな端末からでも閲覧できる。 また、旅行中や出張中など、自分の 住む地域以外で被災しても使えるよ うに、全国版となっている。次に、 負荷が小さいこと。データ量が大き いサイトは、災害時にはスムーズに 動かないため、できる限り軽くして いる。最後に、一般利用者が自ら情 報を発信できること。自治体の職員 も災害時には被災するため、現場に 入れないこともある。行政が避難所 の状況を把握できないことが考えら れるため、現地の人や近隣の住民が 自ら SOS を出せるようになっている のだ。

「明かりでホッとする」

という声から始まった

「たすかんねん」

 さらに稲場さんは、減災・見守り システムの一環として、2017 年に防 災・見守りに関する共同研究を立ち 上げ、企業と連携して独立電源通信 機「たすかんねん」を開発した。風 力発電と太陽光発電が可能で、蓄電 池も内蔵されているため、災害時に 停電が発生しても電力が供給できる。 LED 照明、見守りカメラ、Wi-Fi 機能 も搭載されており、平常時にも地域 の安全安心に貢献する。  「東日本大震災のとき、一切の明か りが消えてしまった中で、お寺に避難 した方々が『ろうそくの明かりでホッ とする』『暖かく感じる』とおっしゃっ ていました。これが強く印象に残り、 開発のきっかけになりました。電気と 通信があれば、人は困難な状況でも何 とか生きていこうと思えるのではない でしょうか」(稲場さん)  2019 年に起きた千葉県の台風・豪 雨では、電柱の破損や倒壊なども多 く広域で断線が起きた。稲場さんも 共同研究で連携している企業ととも にたすかんねんを現地に設置し、救 援活動に加わった。

地域住民と楽しめる

イベントを開催

 稲場さんの活動は、多様な人との 協働で成り立っている。災救マップ やたすかんねんの開発では、企業や 一般社団法人、技術の専門家と連携 した。稲場さんは、業界や専門分野 の垣根を越えて、さまざまな人と定 期的にオンラインで意見交換をして いるという。  「自分と違う領域の人たちとの共創 には時間がかかりますが、新しいも のが生まれる可能性に期待し、お互 いにないものを補い合いながらコ ミュニケーションを重ねることが大 切なのではないでしょうか」(稲場さん)  もちろん地域住民との連携も必要 だ。稲場さんは、地域の NPO や自主 防災組織、行政の危機管理担当者な どとともに、災救マップを使って誰 もが楽しめるイベントを開催してき た。忙しい日常を優先し、つい備え が後回しになってしまうこともある だろう。だからこそ、参加したくな るような楽しい企画が必要なのだ。  「大阪府泉大津市や三重県伊勢市で は、地域の方々と一緒に、災救マッ プを使った街歩きイベントを実施し ました。また、大阪・久宝寺緑地で の防災フェアでも、災救マップに避 難所情報を登録し、自衛隊の方々に 物資を持ってきてもらうという訓練 を行っています。皆さんとても楽し んでいて、世代を超えた交流も生ま れていました」(稲場さん)

減災・見守りシステムの

社会実装に向けて

 稲 場 さ ん が 開 発 し た 減 災・見 守 り シ ス テ ム は 社 会 実 装 の 段 階 に 入っている。災救マップとたすか んねんをセットで各自治体に導入 することが当面の目標だ。  災救マップは、2021 年 4 月にリ ニューアルを予定。新型コロナウ イルスの影響で分散避難が求めら れるようになり、避難所の混雑情 報 を 見 え る 化 す る。ま た、た す か んねんは、2019 年に長距離拠点間 通 信 の 実 証 実 験 に 成 功 し て い る。 これを避難所となる学校や公民館、 宗教施設などに設置できれば、災 害で大手キャリアの通信が使えな くなっても、被災地の外と通信可能 になる。  課題は、たすかんねん本体と設置 にかかるコストだ。「国の補助金を 使って各地に設置できないか検討し ています。実装を進める組織として、 2019 年に一般社団法人地域情報共創 センターを設立しました。各自治体 との連携を進めています」(稲場さん)

伝承と技術のセットで

災害を自分ごとに

 災害には日頃からの備えが大切だ。 しかし、災害の記憶は時間とともに 風化しやすい。また、正常性バイア ス(※1)が働くため、災害時に避難 の遅れも生じる。「風化は必ず起きる ものです。正しく恐れることが大切 だといわれますが、とても難しいこ となのです」(稲場さん)  それでも災害を自分ごととして捉 えるためには、歴史と技術の組み合 わせが効果的だと稲場さんは話す。  「東日本大震災では、地域で代々語 り継がれていた場所に避難したのに、 想定以上の津波で助からなかった人 もいました。歴史の伝承だけでなく、 技術の力を借りて体験と結びつける のが良いと思います。例えば、災害 を経験した語り部さんの話を聞いた 後に、タブレットを使って被害予測を 学んだり、災救マップを使って楽し く避難訓練を行ったりする。両方か らアプローチすれば、捉え方が違って くるのではないでしょうか」(稲場さん)  また、ボランティア登録制度や被 害状況把握のためのシステムなど、 災害支援の仕組みも整ってきている。 一方で、登録しない限りボランティ アできなかったり、システム入力に 手間を取られたりと、仕組みに縛ら れて融通が利かなくなっている面も 否めない。  そんな中、2020 年に豪雨の被害を 受けた熊本県では、現状では拾いき れないニーズに対応するため、柔軟 な仕組みを別途作ろうとする動きも 始まった。稲場さんは、たとえ地域 レベルの活動であっても、今は良い ものが全国に広まりやすいと話す。  「以前は一部の人しか読めなかった 行政の報告書も、今は Web 上で読め ますし、SNS で分かりやすく発信す る人もいます。情報が簡単に共有で きることで、良い活動がさらに改善 されて広まっていくと考えています」 (稲場さん) 稲場 圭信 (いなば けいしん) 大阪大学大学院人間科学研究科 教授 東京大学文学部卒業、ロンドン大学キングスカレッジ大学院博士課程修了。ロンドン大学、フランス社 会科学高等研究院(EHESS)日本研究所、國學院大學日本文化研究所、神戸大学助教授(発達科学部人間 科学研究センター)を経て、2010 年に大阪大学准教授。2016 年より現職。研究分野は、宗教の社会貢献 研究、ソーシャル・キャピタルとしての宗教研究、利他主義・市民社会論。 防災見守り共同研究代表、大阪大学社会ソリューションイニシアティブ(SSI)基幹プロジェクト「地域 資源と IT による減災・見守りシステムの構築」代表も務める。宗教者災害救援ネットワーク発起人・ 共同運営者、宗教者災害支援連絡会世話人、未来共生災害救援マップ運営者。

参照

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