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不定期刑について 利用統計を見る

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(1)

不定期刑について

著者

吉田 常次郎

雑誌名

東洋法学

8

1

ページ

29-48

発行年

1964-07

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00007866/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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﹀とは定期刑ハ確定刑)に対するもので、刑の種 類のみについて言渡し、刑の分量を確定しないで言渡す刑である。 これには絶対的不定期刑と相対的不定期刑がある。前者は刑の上限も下限も制限しないで言渡し、後者は刑の上限 もしくは下限、或はその双方を定めて言渡すのである。絶対的不定期刑は罪刑法定主義の根本理念たる人権の保障並 びに刑の本質たる正義の要求に反するので一般の立法例は、不定期刑を認めるときでも、相対的のそれを認めている ハ但し、ドイツ刑法八五・九八・一

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一条は、内乱罪その他特定の犯罪については、附加刑として、全く無制限の罰 金を認めている。)わが少年法は、処断刑の範囲内において、 上限と下限とを定めて有期懲役を言渡すこととし(少 -五二条)、昭和三六年の改正刑法準備草案(以下準備草案と略称する)六二条も常習累犯者(常習累犯者とは、六月以 上の懲役に処せられた累犯者が更に罪を犯し累犯として有期の懲役をもって処断すべき場合において、犯人が常習者 ハ 1 ) と認められるものをいう l 同六一条)に対しては、処断刑の範囲内において、長期と短期(処断刑の短期が一年未満 不定期刑について 二 九

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京 洋 法 学

であるときは、これを一年とする)とを定めて不定期刑を言渡すことにしている。すなわる準備草案は成人犯に対し ても累犯の累犯で常習性あるときは、不定期刑を言渡すべき旨規定しているのである。これは昭和一五年の改正刑法 仮案(以下仮果と略称﹀九一条に由来する。 少年犯に対し、不定期刑を言渡すことは、多数の立法において、また学説においても、これを承認している。けだ し妥当である。少年は人格形成の途上にあり、未完成の人格者であるから、その犯行に対し、正義の要求として罪刑 の権衡を強調し、社会倫理的非難を強く浴びせる必要なく、むしろ強くこれを浴びせ、また一般予防を強調すること は正義の要求に反するだろう。少年犯に対しては、不定期刑を言渡し、もっぱら、特別予防の見地から、刑の執行も 教育・改善・社会帰的に運営すべきで、応報・賠罪の理念を考慮すべきでないだろう。ただ少年をこ

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歳未満とする か 一八歳或はそれ以下の者とするかは考慮する必要があるだろう。従って本稿では少年犯に対する不定期刑の是非 については検討しないで、単に成人犯に対して不定期刑の言渡を認めることが妥当であるかどうかについて検討す る 。

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前 犯 と 後 犯 と が 罪 程 を 同 じ く す る 必 要 が な く 。 ま た 後 犯 の 罪 が 数 箇 あ る と き 、 そ の 数 罪 が 具 桓 の 犯 罪 で も よ い 。 し か し 、 前 犯 も し く は 後 犯 が 禁 固 に あ た る と き は 常 習 累 犯 者 と は な ら な い の で あ る 。 不定期刑の思想は、既に一八世紀において存在したといわれる ( ︿ -F U N F 開 ・ 司 ・ 同 一 巳 ロ ロ ロ L E O ロ ロ r o o 伸 一 自 百 件 。

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品切﹀もっとも一八二九年にはじめて、リチャド・ホエトリーが不定期刑の必要性を示唆したという説もある。 ( 司 法 資料第一九 O 号 四 六 頁 ﹀ 。 アメリカではニューヨーク・イリノイ・ユタその他三

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数州において不定期刑制度を採用して いる(司法資料第一六一号・九六頁以下同一九 O 号二三九頁、同二七六号五五四頁以下、なおドイツ刑法改正資料第一巻刑法学者 ( 1 ) の怠見集八九頁以下参照﹀。イギリスでは一九四八年以来刑事司法法において常習危険犯に対し長期の保安刑を認め、 久イス刑法も一九四二年以来常習的犯罪者に対し不定期の監置を認めている。ドイツでは危険な慣習的犯人に対し二 元主義を採用し、 刑罰のほかに無期限の保安監置(巴岳 2 5 m z o g p r E Z ) を認めている(同法四二条・ e ) 。最近の ドイツ刑法草案も大体において右現行法と同じ(一九五六年来九 O 条・一九六 O 年 来 八 五 条 ) 。 ︿ 1 ) イギリスでは、一九

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八年犯罪防止法(司 5 4 0 E Z ロ え の 巳 目 。 ﹀ 巳 ﹀ を 制 定 し 、 そ の 一

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条において、常習犯人に対し懲 役刑の執行後一般公衆の安寧を保護するため五年以上一 O 年以内の期間予防拘禁

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己 目 。 ロ ) を 命 ず る 旨 規 定 し、二元主義を採用したが、その不完全が指摘された。すなわち同制度は一方において犯人の入獄期間を増大する結果にな り、他方において、予防拘禁の最長期間一 O 年は泊強な傾向犯人ハ官 2 2 Z E 丘 町

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乙に対しては改善の期間として短き に失するというのである。それで一九四八年刑事司法法(のユ B Z m -E 色 。 。 ﹀ 2 ) を制定し、二一条以下において一元主義 にふみ切った。これによれば、三 O 歳以上の者で正式裁判手続により二年以上の懲役に処せられたかもしくは前に少くとも 三回以上同じような犯罪で有罪とされ、かっ、そのうち二回はポルスタール訓練、懲役または矯正訓練

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の言渡を受けた者に対し五年以上一五年以下の予防拘禁の言渡をするのである。すなわち刑の執行後更に予防拘禁に処しな いで、初めから予防拘禁に処するのである。 不定期刑について

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東 洋 法 学 ( 2 ) スイス刑法四二条は次のように規定している。(一)重罪または軽罪により、巴に数回自由刑に服役した者が、重罪また は軽罪、放縦または労働嫌忌の傾向を示し、かっ自由刑を科定した重罪または軽罪を犯したときは、裁判官において不定期 間これを監置することができる。監置はこの場合、言渡された自由刑に代わる。受刑者が外国人なるときは、裁判官は自由 刑に併科して国外追放を言渡し、これをもって監置に代えることができる。その二項以下において、監置は特別の施設また はその分監において執行し、夜間は原則として独居拘禁に附し、一定の定役に服すべき旨、一定の期間満了後は三年間条件 を附して釈放することができる。主管官庁は条件附被釈放者を保護観察の下におき、被釈放者が三年間その適格を証明した ときは、終局的に釈放し、条件附被釈放者が更に罪を犯したとき、保護観察官庁の指図に反する行為をしたとき、保護観察 を執劫に忌避したときは主管官庁は夏めて五年以上監置することができる旨等について規定している。 アメリカでは、上述のように早くから不定期刑制度を採用しているが、不定期刑の三

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年の実績に関する総評 をニューヨーク刑務協会長ユ l ヂ ェ l ヌ・九ミスは左の数語に要約している。日く﹁不定期刑は、もはやその正当性 の証明を必要とする時期を脱した。現下の焦眉の必要事は、むしろその実行方法の分化と慎重さである﹂と、 ( フ ロ イデンタール、前掲二八五頁)はたして、そうであろうか。 まず、不定期刑論者の主張の根拠を検討しよう。右根拠の一つに、定期刑言渡の不公正をあげている。 エザン・エ ッチ・久ナイヴリ l ( 長い間イリノイ州の赦免委員会 ( 回 o p 同 内 問 。 同 司 釦 一 円 円 目 。 ロ ω ) の委員を勤めていた)臼く ﹁古い法律 (定期刑言渡法﹀は曽てないほどの悪法であった。その法律を行えば刑の言渡の点において最大の不公平を生ずるか ら、それは悪法であった。またその法律によれば、初犯者は殆んど常に長期間の刑の言渡を受けるにかかわらず、常 習犯人は短期間の刑の言渡を受けるにすぎないから、それは悪法であった。:::初犯者は法律を怨むようになり、:・

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:・彼が釈放されるに当っては、自分が受けた不公正な刑罰に対して社会に復讐をしようと決意して出獄すると﹂ (前掲資料第一九 O 号 三 六 頁 以 下 ) 。 しかし、これは裁判官の刑の呈定が不当であるか法定刑が不当なのが原因であって 定期刑の言渡そのものが不公正であるということはできないと考える。 次に、定期刑言渡の不当であることの根拠に、定期刑は、復讐的であって改善的であり得ないこと並びに罪と刑と を秤(はかる﹀ことは不可能なことをあげている。 フレデリック・エッチ・ワインズはその若﹁刑罰と改善﹂一二三 頁以下において次の如く述べている。日く﹁凡て定期刑判決は厳に失するか冗に失する。:::短期刑は多くの場合、 拘禁を冷淡視する以外には何等の印象を与えない。それは刑務所を自分等の主たる住家を心得て、たえず、そこへ出 たり入ったりしている。所謂常習犯罪者のようなつまらない累犯者を生むのである。これに反し長期刑殊に終身刑は 墓場における希望以外には、目的も刺激もない味気ない日常の生活の終末に対する正当なる期待を全く奪うから、そ れは余りにも受刑者を抑圧しすぎるのである。:::定期刑は事実上報復的であって、行為 lll 行為は過去のものであ り、判決前に起った事実であり従って回復することのできないものである 1 i の性質に基礎をおくから、改善的な作 用をもたない。:::応報理論によって事を論ずるならば格別、もし然らずとすれば、犯人を刑務所へ送るのは、精神 病者を精神病院ヘ送るのと同様であるにもかかわらず、何故に犯罪を一定期間内刑務所に送らねばならないのか。そ れは抽象的概念を満足させようとする試みによってか。しかし犯罪者を長期間の間断なき観察の下において専門家が 既に犯罪性がなくなったと判断するまで、社会から危険なる要素を隔離するか。何れの方法により社会の保護がより 有効に達成されるだろうか。:::われわれは、先づ最初に一方には罪の、他方には苦痛の衡を見出し得ないならば犯 不定期刑について

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京 洋 法 尚 子 四 罪と刑罰とは互に権衡を保ち得ない。しかもかような事は不可能であると考えると。なお刑罰を更に峻烈にし、拘禁 期間を更に長くせよとの主張に対し、パアゲ λ ト教授の研究により長い期間拘禁されたものより短い期間の拘禁の後 仮釈放された者のうちに善良な市民に立ち帰った者が多いという事実を実証している。二年間拘禁を受けた者の仮釈 放中の成績が一番良いことになっていると﹂ (前記資料第二八一号一 O 九 頁 以 下 ) 。 要するに、不定期刑制度は、拘禁の目的が犯された犯罪に対する刑罰にあらずして、犯人を改善し、そして犯人が 自由かつ責任ある生活を営むに足る資格あることを自ら示した暁に、社会に復帰せしめるという見解に基礎をおくも のである。この見解は、刑罰制度の唯一の目的は、社会防衛であって、復讐でもなく、応報的刑罰でもないという原 則の上に立つものである。かような見解は当然次の結論に達する。すなわち、 いかなる不法行為といえども社会防衛 に必要なる以上の長きにわたって拘禁せらるべきではなく、又彼が社会の自由なる一員として安全に社会に復帰し得 るということを彼の生活状態によって示せば、釈放せらるべきである。そして不定期刑判決ハ言渡)をして右の目的 を達成するための効果的手段たらしめるには、第一に、行刑が釈放に対する適・不適を立証する機会を与える如きも のであることを要し、第二に、犯罪的習癖をもっ不法行為者に対しては、改善可能な状態の下において彼等の救済を 全うすることができるようになされねばならない。ところが、不幸にして、かような事柄は現在の刑務所制度では一 つも実現されていない。しかし、それは全然失敗であったというわけではない。現在の状態の下においてでも、 つ の足場を獲得しているのであって、不定期刑判決は刑罰制度の改革に有力な刺激剤となっているのである。かくて、 不定期判決は条件付釈放の原則と保護観察による仮釈放者に対する監督と協力して、通常の刑務所の受刑者に対して

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さえ、その価値を発揮しているのである。況んや、最初から犯人の改善的施設として、もくろまれた場所に収容され た年少犯人に対しては最大の成果を収めているのであると(司法資料第一九 O 号 三 六 頁 な い し 四 二 一 員 ) 。 しかし、この見解は刑罰の目的は単に特別予防のみであることを前提とし、その一般予防を無視する点において正 当でない。論者は罪と刑とは、これを衡是することは不可能であり、従って罪刑の格術ということはあり得ないとい ぅ。なるほど科学的正確さをもっては罪と刑との重さを衡呈することはできない。しかし、社会科学たる刑法におい て社会通念を尊重すべく、社会通念にすれば罪と刑との重さを街宣することは可能なのである。民法上人を殺害した 場合の慰籍料も社会通念によって算定するのである。刑法上においても同様なことが可能であると考える。また論者 は定期刑は改善的であり得ないというが定期刑論者も、罪刑権衡を保ち正義の要求に反しない範囲においては、特別 予防の目的を考慮し、 犯人の改善をも目的とするのである。定期刑で改善不十分なところは保安処分で補充すれば 足りるのである(二元主義)。定期刑言渡でも、その執行が宜しきを得なければ犯人の改善は不能であり、逆に定期 刑でも、その執行宜しきを得れば、改善の実を相当にあげ得るだろう。 ( 1 ) 曽てのユタ!州の定期刑法によれば、第二級の押入強盗罪に対する法定刑は一年以上二 O 年以下の懲役であった。一九 O 八年ある裁判所では、初犯の同罪を犯した犯人に対し懲役一年、他の裁判所では、閉じ初犯の同罪を犯した犯人に対し懲 役 一 O 年に処せられ、実際の服役期間は、前者は一 0 ヶ月と二六日、そのほか、これと同じような裁判事例を多数掲げてい る。後者は六年であったという(前掲資料三七頁以下)。そして定期刑の言渡が、かように著しく不公平なのは、果して何を 要求しているのであろうか。それは例えば第二紋の押入強盗罪を犯した犯人に対しては、凡て一年以上二 O 年以下の不定期 不定期刑について 五

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東 洋 法 学 _,_ /'¥ 刑の言渡という宣告刑の統一化を要求しているのである。そして刑の不平等と不公正とを除き、これを公平化するために、 中央機関

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赦免並びに仮釈放委員会(回

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を設け、これをして各受刑者の凡ての特別の情状 の軽重を考察し、その具体的条件のいかんに従い、相当の時期に受刑者を釈放する権限を有せしむべきであると(同三九 頁 ) 。 四 以上はアメリカにおける不定期刑論者の所説を概説、批評したのであるが、左にドイツにおけるそれについて一 言する。アシマッフェンプルヒはその﹁犯罪とその鎮圧策﹂

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において ﹁第一に、社会を危険な犯罪者から防衛し、第二にこの種の人聞を合目的々に処置して社会の有用者の数を増加させ るということのこつの目的を同時に解決するには、あくまで刑を犯人の個性に適合せしめることであり、刑の廃止こ そその解決策である。威嚇と改善と保安とがわれわれの刑法の根底をなしている現在においては、刑期は余計なもの である。人類の野恋未開だった幼年期に発生した古い復讐思想が、なおわれわれの刑法観を支配している限り、重罪 -軽罪・違警罪の区別に従って、それぞれに定められている刑期の図式的な計算も維持されるであろう。その限りに おいて、裁判官は大まかな劃一的な世界観からくる人道主義などに介意することなく、犯罪行為の存在が立証されれ ば、社会の公平な秩序を維持するために、自己の義務として、罰金・名誉刑・筈刑もしくは自由刑を科するであろ う。その限りにおいて、或は一瞬の突発的な激昂により、或は惨苦・貧困の窮状により思わずも罪に陥った不幸な者 たちは有罪裁判の重荷に崩折れて、人生の華やかな時を再び取り戻す由もなく、落腕しきって、喜びも友達もない人

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聞として再び生活悶争場裡に拍り出されるのである。その限りにおいてもまた、常習犯人は指折り数えて牢獄の扉の 閉かるべき日を待つのであり、しかもこの扉は彼等をして十分自由を亨楽させた後、改めて彼等を収容するために遠 からずして、もう一度聞かれねばならないのである。:::犯罪者に対する処置を、その犯罪者の行状にかからしめね ばならないという思想は誰しも思いいたるところで、すでに一八世紀に不定期刑論者がいた。いわゆる改善不能犯人 といえども、彼のうちに強みない努力によって一片の善心を呼びさまし、徐々にかつ多大の労苦をもって教育するこ とができる。だが現在は犯人は刑の終期を予め知っているから、右の改善の目的の達成は困難であろう。しかし自己 の努力次第で自己の運命を左右することができることになったならば、恐らくは彼等のうちに改心の希求を党醒せし め得ベく、真剣なる指導と長年月にわたる訓陶とは彼等にその行くべき道を指示することになろう。 不定期刑論に対する反対説の根拠は、不定期刑は、犯罪者に対する保障を失わしめ、更に、犯人の改心いかんの問 題を、限りある人間の判断能力に委かせてよいかという疑いである。しかし、今日行われている量刑方法は怒意的で ある。刑の量定の時期を刑の効果如何という重要な問題が十分に考察され得るに至るまで延期すべきである。同一刑 期の懲役を受けるにしても、或者はこれによって一生を棒にふり、単に後日これを想起するだけでも、あらゆる活力 を害され、何事もなす張り合いもなくなり、他の者は根強い社会の仇敵となり、又他の者は自分より更に質の悪い仲 間の経験談を仕入れ、以前に倍する危険な人間となって自由社会に送り出され、また他の者は改善されることもあ る。かようなことはどうでもよいことでなく、改善可能の程度により、犯罪者にはそれ相応の権利が与えられねばな ら な い 。 一度定めたが最後、変更できないような有罪判決よりも、裁判手続におけるとは異り、犯罪者の個性を十分 不定期刑について 七

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東 洋 土 九 日 、 、 , ‘ 持ι ヴー 八 に考慮して下す判定の方が確かにより合目的であり、これによって犯罪者には、もう一度自己の将来を決定する権利が 与えられるのである。そしてこの重大な判定は裁判官もしくは行政官吏のみの手に委かすべきでなく、司法行政の合 理化につき知識経験を有する凡ゆる方面の人々が緊密に結びついてなすべきであろう。かくして人智の限界内におい て、ある程度まで正しい判断が得られるだろう。この判断は、現在の有罪判決が一旦下されると不動なるに反し、随 時犯人の新たな行状に適応化せしめ得ベく、又随時再検討をなし得ベく、特に囚人はいつでも、この判定に対して、 異議を申立て得るのであり、そして正にこの点において最も有効な法の保障が存するのである。裁判官は、刑期が廃 止されても不用に帰するわけでなく、相対的不定期を言渡すべきかどうかの問題を決する主役にならねばならない と ( 司 法 資 料 第 二 七 六 号 五 五 四 頁 な い し 五 六 九 頁 ) 。 彼は、社会を危険な犯罪者から防衛し、かような人聞を社会にとり有用者にするためには、確定刑の廃止こそその解 決策であり、刑を犯人の個性に適合せしめることであるというが、これは定期刑と保安処分の二元主義によっても達成 し得ることであると考える。彼の指摘する弊害は法定刑・刑の量定もしくは刑の執行の不当に由来するのである。法 定刑を改正し、刑の量定に関する一般的基準に関する規定を設け、刑の執行方法を改善すれば、定期刑制度の下でも 以上の弊害を除去し得ると考える。また彼は定期刑の言渡巳おいては、刑の終期は予め犯人において知っているから 改善の目的を達成できないというが、定期刑においても仮釈放の規定の適用があるのであって、犯人の努力いかんに よって仮釈放の恩典に浴し得るのである。不定期刑言波のみが犯人の努力によって自己の運命を決するのではない。 更に不定期刑言渡でも、相対的のそれは、刑の最上限が定めて言渡されるから、改善の目的が十分達成できないとも

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いい得るのである。なお前にも説明したように刑の執行方法が宜しきを得るかどうかによって、定期刑言渡も改善の 目的を十分に達成し、逆に不定期刑言渡でも改善の目的を達成し得ないのである。 次に、テイ・ウュルテンベルガ l はドイツ刑法改正資料第一巻八九頁以下において、不定期刑の正当性を論じてい る。もともと、不定期刑は刑事政策学派の主張する特別予防・刑罰個別化の思想に由来するものであり、その実際的 必要の根拠は、この学派の主張する教育・社会的復帰・社会の保安等の特別予防目的が何時達成されるかは、判決宣 告の時には予測できない点にある。ところが実際には、伝統的刑罰思想・責任概念の立場からする強い反対のため、 この制度は多数の国家において立法化されず、単に妥協的形態として二元主義が実現されたに過まないのである。そ れで彼は刑罰思想・責任概念の最近の発展により、不定期刑が、よくこれらと調和し得るに至ったことを論証するた めまず刑罰思想との関連において次のように論ずる。 リスト以来、刑罰の中に単に個別行為に対する一般予防的応報のみならず、行為者の教育・社会復帰・社会保安等 の手段をも認める傾向が一般的となった。刑法における応報の基礎は人間の倫理的本性であり、それは同時に行為者 自身の側からする臆罪要求によって支えられているが、しかし臆罪的応報としての刑罰はたとえそれが正しいもの (m200r乙である場合にも、その機能範囲を社会生活において汲み尽くすものでないというのが一九世紀以来の支配 的見解である。そのことは刑法は今日では、もはや単に応報的正義を指向するのみならず、同程度に社会的合目的性 の思想によって規定されていることを意味する(多元的刑罰概念日

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。ここにおいて刑 罰目的の何れが個々の場合に優越するかが問題となり、刑事政策的人格評価に基づく多元的刑罰目的の秤呈に際して 不 定 期 刑 に つ い て 九

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束 洋 法 学 四 0 個々の事件の具体的情況に応じてアクセ γ トの移されることは必然的である。しかし、それにもかかわらず、この新 らしい傾向からすれば、それは正義と人間性という倫理的要請と調和する限りにおいてのみ許される。従って、刑期 が判決中に決定されず、その執行が社会復帰の結果又は社会の保安の必要にかからせられるときにも、社会的目的刑 の核心としてこれに内在する行為者の内面的賠罪要求にも矛盾せず、それのみならず、この賠罪要求こそ同時に行為 者の教育及び社会復帰の重要な支点である。ところが、この賄罪要求の満足は、唯長期の内心的葛藤の過程(巧

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臼﹀においてのみ、始めて可能であるのである。それ故不定期刑こそ正にこの過程に最も適当なものという べきである。かくて、不定期刑が多元的刑罰概念の内部における教育及び社会復帰の目的と直ちに一致することは容 易に洞察し得るところであると。 更に、彼は責任の面から不定期刑の正当性を論じている。

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く、今日純粋の個別行為責任の思想は支持されず、行為責 任を行為者責任により補充しようとする試みが一般化した。しかし、如何にして行為者責任を単に刑事政策的観点か らだけでなく、法解釈学的及び社会倫理的にも理由づけ得るかは、まだ十分解決されず、更に行為者の危険性をも責 任観念のうちに包摂し得るかは実際上も重要である。しかし、行為者において可能であった法的当為の限界内におい て人格責任を認め、この人格責任

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をも参酌して刑を量定する限り、心理学的・性格学的所与 たる危険性をも責任に包摂せしめることは、少しも刑法の社会倫理的基礎とも矛盾せず、その危険な人格構造・人培 的発展も非難可能であり、その限りにおいて保安刑(盟各

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怒号え乙もまた責任思想から基礎づけ得る。 し か し 、 このように行為者責任・人格責任を原則として承認し、その坪内で危険性を重視する保安刑を認める場合にも、なお

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その彼岸に責任なき危険性の存することは予想せざるを得ず、ここにおいて、やはり一つのつまづきに辺遇せざるを 得ない。そこで更に方向を転じてその困難を克服することが企図されるが、彼は刑罰と保安処分との本質的・実際的 同一性を証明しようとし、次のように論ずるのである。もともと不定期刑は危険な常習犯人に対する刑事政策的に正 当な統一的保安刑を目指すものであった。ただ戦術的

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理由から、不定期刑の支持者は刑罰と保安処分との 二元主義に賛成したに過ぎない。しかるに従来の刑罰と保安処分との霊位的主義(宮豆一

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印 可 即 席 目 ) は 実 際 に は 破綻を示した。このことは現行の保安監置(巴岳

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は刑罰よりも霊く感じる被監置者の個人的立場 から、そうであるばかりでなく、財政的理由等から、右保安処分のための特別の施設が存在せず、処分のために、被 監置者を単に同一施設のひとつの監房から他の監房に移す方法が採られている実情からもそうである。実際重畳的二 元主義は詐欺的レッテル (肘昨日

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ロ 切 の ﹁ 羽 目 ロ 円 四 己 ) であり、実態から遊離した、空論主義である。 スイス刑法、二五年 草案、ラ l ドプルック案にみられる、保安処分をして刑罰に代替せしめる主義 ( i r R -2 2 L 2 2 m E B ) はこの欠陥を 克服するための試みである。しかるにこの代替主義において、巳にあれか、これかの明確な選択が回避されているの であるが、呆してそうだとすれば、刑罰と保安処分との本質的区別は実際上放棄されているというてよい。しからば 保安のための拘禁をも刑罰として執行するとなすが一層一貫しているのではあるまいか。リストのいうように、刑罰 のいかなる形市上学的基礎付けも刑罰尺度の原理を与えることはできない。社会的に危険な常習犯人に対する刑法的 反作用にあっては、不定期刑は改善或は社会復帰のためにも、更に純粋の保安のためにも刑事政策的に意味に充ち、 社会倫理的にも正当化される反作用であると。更に彼は不定期刑の適用範囲について言及し、成人刑法においては危 不 定 期 刑 に つ い て 四

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4 H M ハ 洋 宇 品 山 戸 チ 四 険な常習犯人にのみこれを認むべきであると述べている。アル・ジィベルツも、二元主義は、主として執行の面から 維持できず、また理論上も刑去と保安処分の厳格な区別は維持できないことを力説している。しかし、三

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歳以上の 常習犯人に対しても絶対的不定期刑は妥当でない。それは刑事政策的にも必要がなく、かつ法治国的見地からも異論 があるからである。二

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歳の犯罪的不良者に対すると同じく相対的不定期刑を認むべきであると(ドイツ刑法改 正資料第一巻一 O 七 頁 以 下 ﹀ 。 まず、ウュルテンベルガ l の所説について検討する。彼は、特別予防の目的がいつ達成されるかは、判決宣告の時 点においては予想できないから、定期刑を言渡すべきでないと主張する。しかし、裁判官は右時点においても、これ を予測できると考える。医師が負傷者の負傷を受けた当時治療何カ月を要するかを判断できると同じである。時には その判断が誤まることもあるが、これは不定期刑言渡の場合にもあり得ることである。次に彼の刑罰思想の変遷に関 する論述は正当である。多元的刑罰概念はこれを認めざるを得ない。しかし正義と人間性という倫理的要請とが調和 する限度においてのみ刑罰が正当である。特別予防の目的が正義に反するときは、刑罰としてこれを達成すべきでな く、これを保安処分に委かすべきである。彼はまた臆罪要求の満足はただ長期の内心的葛藤の過程においてのみ、始 めて可能であって、不定期刑こそ正にこの過程に最も適当なものであると主張するが、しかし、定期刑でも、その長 期のものは右の過程に適するのである。彼は危険性をも武任に包以せしめることは刑法の社会倫理的基礎とも矛盾せ ず、危険な人格構造をも非難し得るのであり、その限りにおいて保安刑も責任思想から基礎づけられ得ると論じてい るが、責任の中ヘ危険性を考慮し得るのは正義の要求に反しない限度に限られると考える。これを超えて危険性を重

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祝する保安刑はもはや刑罰ではなく、保安処分である。彼は保安処分と刑罰とは実質において同一であると論ずるが 刑罰はまず、過去の人格形成の欠陥を理由としてこれを科するのである。これに反し保安処分は将来の危険性に対し て科するのである。刑罰と保安処分とはその内容において同一であり、犯人にとって苦痛であることは両者同一でも その科する目的が異るのである。同じ金銭でも、売買代金であることもあり、損害賠償金であることもある。この点 においてジ

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ベルツの説も誤りである。刑罰と保安処分とはその執行方法が同一であるとしても、法理上はその性質 が異るのである。二元主義は詐欺的レッテルではないのである。グリスピニ l は二元主義は、責任を論やするとともに 教育を考えることになるので行為者の人格を不当に二分することになるとして二元主義を非難しているが ( 拙 著 日 本 刑 法 二 三 頁 以 下 ) 、 責任を論ずるとともに教育・改善を考えることは当然であると考える。また、彼は二元主義は一方 の処遇においては、改善ということを度外視し、場合によっては行為者の危険をむしろ強化することになりながら、 他方においてはその改善の方法を考えるという馬鹿げた結果になるというが(前掲拙著二四頁)、 刑の執行が適切でな いから行為者の危険性をむしろ増大するのであって、二元主義そのものが、そういう結果に導くのではないと考え る 。 五 不定期刑言渡は、行為責任を否定し、行為者責任に基礎をおくようであるが、行為者責任を徹底することは、 問題である。この点についてポッケルマンの所説が正当のようである。彼は前掲改正資料第一巻二九頁ないし四四頁 において﹁徹底的な行為者刑法は新らしい刑法典にいかなる影響を及すか﹂という題のなかで次のように論じてい 不 定 期 刑 に つ い て 四

(17)

京 洋 法 学 四 四 る 。 彼 は

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裁判官に行為者の総体的人格性を考慮することを指示する量刑規定の採用は、有益ではあるが、無条件に必 要 で は な い 。

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同一のことは立法的な責任の定義についても同じ(行為者原則の利害のみを問題にする限り)。

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危 険な常習犯人に対して刑の枠を広げる(加重)することは廃止すべきである。むしろ言渡された自由刑の代りになる 効果をもっ、危険な常習犯罪人を監置する可能性を裁判官に聞くようなスイス刑法四二条のような規定を設くべきで あ る 。

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霊懲役刑と名誉刑は廃止すべきである。

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不定期刑は採用してはならないと提案し、その理由を評論してい る 。 まず、刑罰論は、刑をもって応報・蹟罪を自己目的とする絶対的刑罰論と、刑は自己目的でなく、予防手段である とする相対的刑罰論とに分け、前者の意味において理解された行為者責任刑には、行為者がそのような人であること に対して

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彼に賠罪をさせる使命が与えられる。かくして、それは、まず、蹟罪させる行為者責 任の法的可能性を指示しなければならならないという困難にぶつかる。生活行状責任の理論がこの困難を解決するの に努めている。しかし、 一貫した行為者責任刑法は、個々の行為を理由として行為者の性格的な全体的態度に対して 非難を加え、刑の種類と分量はこの非難の軽重に従って測ることにするか、或は更に進んで刑の要件一般を行為類型 た る 構 成 要 件 ハ 、 吋 旦 ﹃

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において把握することを拍棄しなければならないことになる。そして、その代わりに行 為者類型

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を形成しなければならない。この後の道が正当でないことは評論する必要はない。法定行 為者類型

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﹀ の形成は技術的に非常に困難である。もっとも現行法上も二

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条の危険な常習犯

(18)

罪人・一八一条 a の職業的な N C E r o H などにその例を見るが、 ﹂れは他にも利用することはできない。もともと法 律的に規定できるほど明白な性格学的類型は存在しない。存在するのは実定法の慣習犯罪人概念に当るものである。 次に、刑の要件を依然として己手

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として把握しながら、刑の量定だけは、行為者の本質(巧 2 0 5 R C に 従 っ て決定するという

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従って行為者原則を刑の程類程度(巧宮)に制限し、行為は行為者の性格の欠陥を確認し、 罰 することへの単なる誘因(罰すべきかどうかの

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となるように行為者原則に機会を与えるという見解もあるが、こ れも問題である。第一、もし行為者の道徳的低価値性が刑の程類と程度を決定すべきものならば何故にそれが刑の誘 因をも与え得ないのか。第二、性格の欠陥自体に向けられた刑を正当なりとする関連を、個々の行為と行為者の性格 との間に発見することは不可能である。けだし、行為が性格の欠陥の表現やその成果でないこともしばしばある。悪 い奴のみが可罰的行為を行うのでなく、また、すべての悪い行為から行為者の道徳的低価値性を推論することもでき な い の で あ る 。 個々の性格特徴は法秩序にとって、規準となる諸々の観点のどれか一つのみの評価に服するものでない。けだし一 つの性格特徴も事情のいかんによって価値あるよきものともなれば逆のものともなり得るのである。従って人格の性 格特徴はそれ自体のみで刑罰という非難をひきおこすことはない。それが法的評価の対象となるのは

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それが個々の 行為の正しい理解、従って正当な評価に関係せしめられなければならないとき、

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或はそれが犯罪者をそれぞれの犯 罪の常習的な行為者ならしめた場合だけである。だが、前者の場合には当然に個別的行為刑である。後者の場合は行 為者刑法が問題になる。:::特別予防を目ざす刑は真の意味における行為者刑である。けだし、それは行為者の人格 不 定 期 刑 に つ い て 四 五

(19)

東 洋 法 込注" :弓〉 四 ノ ¥ 的メルクマールに存在する犯罪的要素に対し予防手段を施すことを狙っているものであるからである。そしてこれは 行為者の危険性と闘うとするのである。しかし危険類型に対する刑罰体系は、そのような類型が存在しないという点 において破綻を来たす。なるほど犯罪学はかような類型の発見に努力しているが、また成功していない。もっぱら危 険性を中心とする刑法典は狭きに失する。けだし法違反者は必ずしも危険でない。また多くの場合には将来処罰さる べき危険は存在しないし、少くともそれは明白でない。それで行為は実際には常に危険性以上のもので、行為は固有 の刑事的要点をもち、その要点はそれ自身に適合した刑法的反作用を必要とするのである。:::妥協のない絶対的刑 罰論や相対的刑罰論は現実において守り得ない。刑は第一に責任あるが故に加えられる賠罪であり、しかしそれは罰 せられる者にとっては教育的体験であり。他人にとっては戒めである。これらの見地をすべて取り入れた結合説のみ が正しい刑罰論あると。 以上の彼の所説は大体において正当であるが彼は刑と保安処分との結合は責任あるが故に賄罪を要求するとともに 確固たる危険性と闘うべき場合のみ考慮されるとして、そこから直ちに慣習的犯罪人の場合に、刑の加霊(二 O 条 a ) と保安監置(四二条 e J の二重性を排除し、 統一的な保護刑を設け更に相対的不定期を刑法においても成人に導入す べきであると論じている点は賛成できない。わたしは右の、場合にはむしろ、スイス刑法四二条のような統一的保護刑 を設くべきでなく。ドイツ刑行法や一九五六年、六

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年案のように二元主義を採用すべきであると考える。成人に対 する不定期刑は、新らたにこれを認むる必要はないと考える。定期刑でも仮釈放制度の活用により不定期刑化の実を あげ得るからである。成人に不定期刑を言渡すことは、成人の犯人も少年や精神障害者なみに取り扱われるという劣

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等感をこれに与え、却ってその自尊心を傷け改善の面にもマイナ久になるおそれもあると考える。 ,込ー

上述の研究によって準備草案が累犯の累犯で常習癖を有する成人に対し、相対的不定期刑の言渡を認めるのは 疑問である。責任と社会防衛とを調和させるには二元主義が最も適当である。相対的不定期刑言渡でこれを調和させ ることは不可能と考える。不定期刑にそのような隆法的力があるものとは考えられない。かりにその力があるとして も、確定刑でも、仮釈放の制度により実際は不定期刑化し得るのである。むしろ不定期刑の目ざす教育・改善の実を あげんとするならば、刑の執行方法の改善を企図すべきである。執行方法を改善しないでは、いくら不定期刑でも、 教育改善の突をあげることはできないと考える。それで、わたくしは、累犯の累犯で常習性ある者に対しては、刑の 執行後は常に犯人の改善の実が確認されるまでは犯人を保護観察に付することとし、判決当時、危険な慣習犯人であ ることが確認されるときは無期限に保安監置ハドイツ刑法四二条 e ) に処する旨の規定を設くべきであると考える。準 備草案のような相対的不定期刑では、改善を主眼として刑を量定すれば、罪刑の権衡を軽視し、正義の具現たる刑の本 質に反することとなり、刑の本質に忠実ならんとして刑を量定すれば、犯人の教育・改善を十分達成し得ない刑とな るだろう。従って刑は刑として、その本質を害せず、その害しない限度において改善の点も考慮した確定刑を言渡し 刑として改善の目的を達成し得ないところは補充として保安処分を採用すべきであると考える。 ( 1 ) 不 定 期 刑 は 適 当 で な い 。 正 義 に か な っ た 刑 の 量 は 不 定 期 刑 で あ る 筈 は な い ( ポ ッ ル マ ン 前 掲 ) 。 て は 拙 稿 ﹁ 刑 罰 の 目 的 ﹂ 吉 田 常 次 郎 ( 刑 法 上 の 諸 問 題 所 収 参 照 ) 。 な お 刑 罰 の 目 的 に つ い 不 定 期 刑 に つ い て 四 七

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東 洋 法 学 四 八 ( 2 ) ニューヨーク刑法典は大逆罪・誘拐罪・第一もしくは第二級の殺人罪については不定期刑の言渡を許さない(同法一九 四一・一九四二・二一八九条参照﹀。 (本学兼任講師)

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