新律綱領「違令」条,改定律令「違式」条および「
違制」条の一考察--「司法省日誌」の分析を通して
著者
後藤 武秀
著者別名
Takehide Goto
雑誌名
東洋法学
巻
35
号
2
ページ
93-132
発行年
1992-01
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00003520/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja新律綱領﹁違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条および﹁違制﹂条の一考察
ー﹃司法省日誌﹄の分析を通してー
後
藤
武
秀
違令、違式および違制の意味内容に関する伺・指令 違令条の運用と機能 違式条の運用と機能 違制条の運用と機能 違令、違式および違制と他の律本条の関係 三 結びにかえて 国 ︵ 國 日 口 の 二 違令条、違式条および違制条の運用と機能 一 はじめに 目 次東洋法学
九三新律綱領﹁違令し条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制﹂条の一考察 九四 [ はじめに 明治三年十二月から明治十四年十二月までの期間、刑事事件の処罰準則としての機能を営んだ新律綱領︵明治三年 十二月頒布︶には雑犯律に違令という条項が設けられている。すなわち、 凡令に違フニ。重キ者ハ。答四十。軽キ者ハ。一等ヲ減ス。 との規定がこれである。また、新律綱領の改正補充法を収集・整理して施行された改定律例︵明治六年六月十三日公 布、同年七月十日施行︶においては、兇徒聚衆条例第百五十二条に、 凡附和随行シテ火ヲ放ツ者ハ従ニシテ火ヲ放ツ者二二等ヲ減シ懲役十年其脅誘セラレテ火ヲ放ツ者ハ懲役三年其余 纏屋ヲ殿ツ者ハ不応為重二問フ其止タ場二在テ勢ヲ助クル者ハ勿論ノ律ヲ改メ違令二問ヒ軽重ヲ分チ購罪スルコト ヲ聴ス とあり、偽造宝貨条例第二百五十七条に、 凡人ノ宝貨ヲ偽造スルコトヲ知テ官司二申報セサル者ハ違令重二問フ まレ とあるように、違令条の適用される事例が具体的に例示されたほか、新たに違制および違式という条項が設けられた。 すなわち、雑犯律・違令条例第二百八十七条に、 凡制二違フ者ハ懲役百日軽キ者ハ一等ヲ減ス とあり、同第二百八十八条に、
凡式二違フ者ハ懲役二十日軽キ者ハ一等ヲ減ス ハ レ とあるのがこれである。さらにまた、名例律下・断罪無正条条例第九十九条に、 凡律例二罪名ナク令二制禁アリ及ヒ制禁ナキ者各所犯ノ軽重ヲ量リ不応為違令違式ヲ以テ論シ情罪重キ者ハ違制二 問擬ス との規定が置かれ、律本条と違令、違式、違制の関係が示されたほか、不応為条との関係についても規定された。 このように、新律綱領および改定律例には、違令、違式、違制というそれぞれ法定刑を異にする条項が設けられて いるが、それらの規定内容および運用実態については、従来まったくと言ってよいほど論じられたことはない。しか へ レ しながら、かなりの件数の処断がこれらの条項に基づいて行なわれており、そしてまた改定律例第九十九条にこれら の条文と不応為条との類縁性が示唆されていることなどから、これらの条項の実態解明は、明治初期刑法の運用を究 明するうえで重要な課題であると言わねばならない。 本稿では、主として﹃司法省日誌﹄を手掛かりとして、明治六年より同九年に至る期間を対象に、必ずしも構成要 件の内容が明らかでない違令条、違式条および違制条の適用例を分析することによってその内容の一部を解明すると ともに、その機能の一端を論じ、さらに他の律本条とこれらの条項の関係について考察し、あわせてこれらの条項が 法典中に設けられたことの意味について検討する。
東洋法 学
九五新律綱領慣違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制﹂条の一考察 九六 ︵i︶ 違式は、新律綱領頒布直後の明治四年三月にすでに立法化され、実施されている。その立法理由を示す伺・指令は次のと おりである︵内閣記録局編﹃法規分類大全・刑法門一丁刑律二﹄二五〇頁︶。 刑部省伺 四年三月日欠 違令ノ律軽重ヲ分チ答四十三十二定リ候処府藩県限リ地方ノ弊害ヲ救フ為メ㎝時ノ規則ヲ設クルハ天下一般ノ布令トモ異 ナリ犯ス者違令ノ正条二処シ難キ軽罪有之全ク放免ニテハ取締り相立チ難ク依テ違令ノ外別二違規ノ∼条ヲ設ケ府藩県ノ 規則二違フ者ヲ処シ価ホ軽重ヲ分チ重ハ答二十軽ハ答一十答二及ハサルノ微罪ハ呵責ヲ以テ之ヲ懲シ候ハ・府藩県時宜ノ 規則ニモ指支有之間敷此段奉伺候 指令 四年月田欠 違規名目妥貼ナラス違式ト被定候事 名称が違規ではなく違式と定められるについては、国立公文書館蔵﹃公文録賑辛未三月・刑部省之部全・第十に、 別紙ノ通違令ノ外別二∼条相設ケ度奉伺候ヘトモ名目妥貼ナラサル儀モ有之候ハ・左二諸律取調備考ノ為メ指出候間此内 ヨリ御撰定下サレ度奉存候 和律 唐律 違令ハ答五十違式ハ一等ヲ減ス 明律 清律 服車違式有宮ハ杖一百無官ハ答五十 清律輯註 違例ノ文字アリ略違式ト同シ又違禁ノ律ハ事二依テ軽重大異ナリ
︵2︶ ︵3︶ とあり、諸律調査のうえ名称が確定したことが知られる。 なお、 ﹃法規分類大全﹄掲載の刑部省伺では﹁違規﹂と記されているが、 ﹃公文録﹄掲載の同様の伺では﹁違式しと記さ れている。おそらく﹃公文録臨の方が誤記であろう。 本伺・指令については、すでに藤田引道﹁新律綱領編纂考!頒布直後の施行状況ーし・﹃大阪学院大学法学研究賑 第十四巻︸・二号・昭和六三年・三四頁以下に紹介されている。 違制がいかなる経緯により設けられたかは明らかではない。しかし、仮刑律︵明治元年二月頃編纂︶・雑犯・制冒及令違 条には、 二 凡故ラニ制旨二違フモノハ答一百令二竣蝉旋法違フハ答五十臨時沙汰之旨二係ラハ答︹三︺十 との規定が設けられている。名称および量刑から見て、この規定が違制条の典拠の︸つであったのではないかと推測される。 明治初期の刑事統計である碗刑事綜計表﹄に示された処断件数および量刑は次のとおりである。 刑事綜計表明治九年 全件数 二一六二九 人二係ル犯罪 件数 全免 減等無科 呵責 懲役自十日至百日 官ノ呼出ヲ受ケ遅参或ハ不参 二六三三三 一八 六八 二九四 二五九五三 違式 五七四二 一〇一六 六九 一四〇五 三二五三 違令 八五二 四〇 七 ご工九 六六六 違制 一 一 物二係ル犯罪 遺失物ヲ得テ官二送ラス 四七二 四二 八三 六二 二八二︵注︶ 違式 五四九六 二六八 九六 一五四〇 三五九二 違令 二四六三 一五二 二四 一七二 一二一五 違制 一〇 一〇 東 洋 法 学 九七
新律綱領[違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制﹂条の一考察 注 他に懲役一年∼三年が二件、五年∼十年が一件ある。 九八 刑事綜計表明治十年 全件数 八九一二二 人二対シタル犯罪 件数 全免 減等無科 呵責 懲役自十日至百日 官庁ノ呼出ヲ受ケ遅参不参 二八二九 二 二二 二八〇五 人二係ル違式 二六〇四 九三一 二六 二六六 ニニ八一 人二係ル違令 一一〇四 一四〇 三九 九二五 人二係ル違制 一〇 一〇 物二対シタル犯罪 物二係ル違式 二〇9二 二三〇 二九 四五六 二一八八 物二係ル違令 ∼二一四 九二 八 ∼四三 一八七一 物二係ル違制 七 二 五 二 違令条、違式条および違制条の運用と機能 8 違令、違式および違制の意味内容に関する伺・指令 違令、違式、違制の各条には、それぞれ、 ﹁令二違フ﹂、 ﹁式二違フ﹂、 ﹁制二違フしとのみ構成要件が示されて いる。この﹁令﹂、 ﹁式し、 ﹁制﹂とは具体的に何を意味するのであろうか。この疑問に対して答えているのが次の 伺・指令である。
ユロ 明治八年三月十日掲載 福島県伺 八年二月 雑犯律違令条二制令式二違フモノ云々トアリテ軽重三段ノ別ヲ設ク夫レ制令式ノ三字何ヲ以テ分界トスルヤ知ルヘ カラス大抵 詔勅ヲ以テ下ルモノヲ制トシ院省使府県等ヨリ下布スル所ノ諸公告諸規則等ヲ令トシ其尤軽者ヲ式トスル訳ニモ之 ママ アルヤト想知セラル・ト錐モ律法上己二三字ノ軽重ヲ設ケラル・ヤ自ラ何ヲ制トシ何ヲ令式トスルトノ判然タルモ ノナキ能ハサルヘキ欺此辺如何処遇可然哉相伺候也 指令 詔勅ヲ制トシ院省使ヨリ公布スル所ノ諸公告ヲ令トシ府県ヨリ下布スル諸規則ヲ式ト為ス然レ共事理重キ者ハ院省 使ノ布令ト錐モ違制二問擬スルコトモ之レアル可シ必寛事件ノ軽重二依テ分擬スルヲ要ス 右の伺は、違令、違式、違制の別について問合せたものであって、違令は﹁院省使府県等ヨリ下布スル所ノ諸公告 諸規則等﹂の違反、違式はこのような違反の﹁軽者﹂、違制は﹁詔勅ヲ以テ下ルモノ﹂の違反に該当するかどうかと いうものである。これに対する指令は、違令は讐院省使ヨリ公布スル所ノ諸公告﹂に違反すること、すなわち中央よ り公布された規則・禁令に違反することであり、違式は﹁府県ヨリ下布スル諸規則﹂に違反すること、すなわち地方 レ において発した規則に違反することであり、また違制は﹁詔勅﹂に違反することであるというものである。このよう に、本指令前半部において、違令と違式の相違は対象となる規則類の発布主体の相違に関係していることが示された 東洋法 学 九九
新律綱領﹁違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制﹂条の 考察 一〇〇 のであるが、しかし同時に後半部において、おそらく改定律例第九十九条を受けたのであろう、 ﹁事理重キ者ハ院省 使ノ布令ト錐モ違制二問擬スルコトモ之レアル可シ必寛事件ノ軽重二依テ分擬スルヲ要ス﹂と記し、右の分類基準が 絶対的なものでないことを示唆している。 ︵ま︶ ︵2︶ ﹃司法省日誌十五・明治八年二・三月セニ八一頁以下。本稿において﹃司法省漏誌﹄から引用する場合、昭和五八年以来 覆刻刊行された日本史籍協会編鴨司法省日誌﹄ ︵明治初期各省日誌集成・東京大学出版会︶に出典を求める。従って、引用 箇所については、同書の巻数と頁数を示すこととする。 なお、試みに、新律綱領・改定律例の註釈書において違令、違式、違制の内容がどのように設明されているかを、いくつ か見ておこう。 近藤圭造訓註﹃新律綱領改定律例合巻註繹臨・明治七年四月 近藤圭造編著﹃皇朝律例彙纂﹄・明治九年二月 違令・此条ハ。律ノ文ニハ見ヘズ。触書等二違フヲ云フ。 違制・厳禁ノ仰セ出シニ。違フ者ノ罪ヲ謂フ 萩原裕監定・高橋秀好輯録﹃新律附例解補正賑・明治九年四月 違令謂令有禁制而律無罪名者。如故違詔旨坐違制故違奏准事例坐違令 志賀二郎編輯﹃比附援引新律綱領改定律例増加条例註繹合巻﹄・明治十一年五月 違令・御布告御布達二違フヲ云フ ママ ママ 北村長鋼註解﹃新律綱例改定律領改正条例眠・刊年不詳 違令・御布令ノ旨意ヲ守ラスシテ、違背スル
違式・式制ヲ守ラスシテ、 違制・制度ヲ守ラスシテ、 違背スル 違背スル 口 違令条の運用と機能 先に見た福島県伺・指令によると、違令は﹁院省使ヨリ公布スル所ノ諸公告﹂に違反することである。この﹁諸公 告﹂とはどのようなものを意味するのであろうか。事例をもとに検討していこう。まず一例を掲げる。 パヱレ 明治六年一月二十七日掲載 入問裁判所伺 先般娼妓芸妓等年季奉公人一切解放可致旨御布令二付宿々飯売女ト相唱候者同様相廃止シ右渡世指留有之者間ニハ 右抱女親元ヨリ迎ノ者未参杯ト相唱引留置解放不致剰へ右女元馴染ノ客尋参リタル趣二仕為シ其者ノ望二任セ止宿 酒食等為致代料受取猶家長ノ者黙許ノ体ニテ元抱女二内々売淫為致候者左ノ通処刑申付可然哉 ママ 一家長ハ違例ノ重キニ依リ処断シ答四十実決シ右女早々解放為致可然哉 右之通処刑申付可然哉此段相伺候也 壬申十一月十四日 指令 違令重ヲ以テ論シ実決ス
東洋法学 一〇一
新律綱領﹁違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制﹂条の一考察 一〇二 右の事例は、明治五年十月二日太政官第二百九十五号布告に対する違反に関するものである。同布告には、 娼妓芸妓等年季奉公人一切解放可致右二付テノ貸借訴訟総テ不取上候事 レ との一条があり、これに違反したのである。ところが、同布告には違反者に対する罰則規定は設けられていない。そ こで違令条を用いて処罰したものと考えられる。他の事例を見てみよう。 レ 明治七年一月十三日掲載 新潟県伺 六年十二月九臼 越後国三島郡与板町 渡辺勝平 右ハ別紙罪案︹略之︺ノ通墳塚ヲ発堀シテ屍ヲ残殿スル者二似タリト錐トモ其情ノ出ル所真宗火葬ノ旧習二拘泥ス ル者ニテ素ヨリ悪意アルニ非ス依テ火葬禁止ノ御布告二違フ者二論シ違令重二擬シ自首スルモ減等セサル哉此段御 伺申候也 指令 ママ 已二埋葬スル父ノ屍ヲ堀発シ更二火葬二行フト錐モ旧習二泥ムノ凝情二出テ別意アルニ非ルヲ以テ 雑犯律 違令ノ重二問ヒ捕ヲ聞テ自首スル者二付一等ヲ減シ 懲役三十日騰ヲ聴シ 騰罪金二円二十五銭 渡辺勝平
右の事例は、明治六年七月十八日太政官第二百五十三号布告に対する違反に関するものである。同布告には、 火葬ノ儀自今禁止候条此旨布告候事 ぐレ と規定されており、火葬の禁止を定めているが、その違反に対する罰則規定は設けられていない。そこで、違令条が 違反者処罰に用いられたものと考えられる。他の事例を見ていこう。 おレ 明治六年八月二十九日掲載 名東県伺 國富ト唱諸品ヲ景物トシ札ヲ売弘メ大ナルハ百円以上千円二至ル株モ有之全賭博二類シ候得共律二正条無之右等ノ 刑ハ何律二処シ可然哉此段相伺候間至急御指令被下度候也 明治六年八月三日 指令 既二戌辰十二月厳禁ノ布令アリ違令ヲ以テ科ス可シ 右の事例は、明治元年十二月二十三日行政官第千百二十四号布達に対する違反に関するものである。同布違には、 富興業之儀ハ兼テ制禁二有之処近年諸国二於テ金銭融通ヲ名トシ或ハ社寺再建等二托シ興行致候向モ有之趣元来澆 季之弊風倖之利ヲ以テ民心ヲ誘惑スルヨリ自然農工商共其職業ヲ惰リ往々之力為二家産ヲ破候者モ不少哉二相聞へ 以ノ外之事二候斯ク御一新之折柄右様ノ所業殊二御趣意二相戻り候儀二付更二厳禁被仰出候事 パ レ と規定されており、富興行の禁止を定めている。しかし、違反者に対する罰則規定は設けられていない。そこで、そ
東洋法学 一9一
新律綱領門違令﹂条、改定律例﹁違式し条及び﹁違制﹂条の一考察 一〇四 の違反に対し違令条を適用することによって処罰を加えたものと思われる。今少し事例を見ていこう。 ハマレ 明治八年一月十七日掲載 千葉裁判所伺 七年九月二十五日 ハ レ 本省日誌本年第三十一号朽木裁判所ヨリ寺院境内ノ木ヲ云々伺御指令二社寺境内ノ木ヲ舅伐スルハ六年第二百三十 五号布告前二係ルヲ以テ其罪ヲ問ハストアリ且ツ六年十月中当裁判所伺第一条社寺境内樹木ノ儀二付テハ本年第二 百三十五号並二第二百九十一号ノ通御布告相成候儀二付祠官寺職ノ者等民費ヲ以テ修覆ス可キ神社或ハ仏堂修覆ノ 入費二充ント其境内ノ樹木ヲ狸リニ伐採売払候節ハ右御布告ノ前後ヲ分タス且未タ修覆二取掛ラサル内事発覚シ売 払代価ハ其儘所持致シ居ル者或ハ已二入費二遣払フ者トヲ分タス一体二其代価ハ追徴シテ官二没シ可然哉第二条右 狸二伐木スル者ノ罰律例二正条無之候得共違令不応為軽重ノ内ニテ区処シ可然哉ノ御指令二第一条樹木ノ代価ヲ以 テ神社仏堂修覆ノ入費二充ル者ハ追徴ス可ラス但シ未タ費用セス其儘所持スル者ハ追徴ス第二条社寺境内ノ樹木ヲ 歌伐シ神社仏堂修覆ノ費用二充ル者ハ違令重二問ヒ懲役四十日騰罪ヲ聴ス自己ノ費用二充ル者ハ盗田野穀褻律二依 テ処分ス可シトアリ右ハ事犯明治六年第二百三十五号公布以前二係ル者ハ其罪ヲ問サルコトニ御改正相成候哉 指令 社寺境内上地二係ル処ノ樹木ヲ檀伐シテ神社仏堂等ノ修繕二充ル者ハ情ヲ量リ違令軽重二問ヒ蹟ヲ聴ス巳二費用ス ル者ハ賠償セシム其盗ム者ハ常人盗二準シテ論ス 但シ事犯明治六年第二百三十五号御布告前二係ル者ハ其罪ヲ問 ハス
右の事例は、明治六年七月二日太政官第二百三十五号布告に対する違反に関するものである。同布告には、 社寺境内ノ樹木ハ仮命其社寺修繕等二相用ヒ候共狸二伐木不相成候若シ難止事情有之節ハ其地方庁へ願出許可ヲ可 受事 ハ レ と規定されており、社寺境内の樹木については、たとえ社寺修繕の目的であってもこれを伐木することを禁じている。 しかし、この禁令には違反者に対する処罰規定は設けられていない。そこで違反に対しては違令条を用いて処罰を加 えたものと考えられる。なお、指令但書によると、同様の行為が行なわれても、禁令発布以前であれば、違令条によ る処罰は行なわれない。従って、社寺境内の伐木に関しては禁令の存在が違令条適用の前提条件とされたと考えられ る。もっとも、すべての場合に禁令の存在が違令条適用の絶対的前提条件であったと一般化して言えるかどうかは定 かではない。他の事例の検討に移ろう。 レ 明治九年二月三日掲載 滋賀県伺 八年五月二十五日 漂着物ヲ拾得官二送ラサル者ハ得遺失物律二依リ処分シ若シ天災二罹ルノ漂着物タルコトヲ知テ官二送ラサル者ハ 違令軽重二擬シ重キニ従ヒ処断シテ可然哉相伺候也 指令 漂着品ヲ拾得ル者ハ其天災二罹ルト否トヲ間ハス都テ漂流物取扱規則二依リ処分スヘシ其官二送ラサル者ハ違令軽 重二問擬ス
東洋法学 一〇五
新律綱領﹁違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制﹂条の一考察 一〇六 右の事例は、明治八年六月一日太政官第六十六号布告・難破船及ヒ漂流物取扱規則に対する違反に関するものであ る。同規則第二十九条には、 凡原因ノ知レサル難船漂着物及ヒ乗組人ナキ漂着船ヲ見附ル者ハ之ヲ浦役人二報知ス可シ浦役人ハ其調書ヲ作リ之 ヲ其管庁へ届出可シ とあり、また第三十七条には、 暴風洪水等ニテ漂流シタル材木物品等ヲ保安スル時ハ此漂着物ノ規則ヲ通シ用フ可シ ルレ とあって、漂着物を拾得した場合は官庁に届け出るべきことと定められている。しかし、これに違反して届け出な かった場合の罰則は定められていない。そこで、このような違反に対して違令条を用いて処罰を行なったものと考え られる。今少し事例を見ておこう。 のレ 明治九年三月九日掲載 飾磨県伺 九年二月二十二日 明治八年第二百五号御布告燗草印紙貼用規則第二則第四条改正姻草印紙貼用方云々全面ノ中心ヨリ端ニカケ実印或 ハ仕切印ヲ押ス可シト有之即剥取再用ヲ警ムルニ似タリト錐モ其賞罰例中式ノ如ク押印セサル者罰則無之縦令実印 仕切印ヲ以テ押捺セサルモ処罰二及ハス可然哉 指令 布令二違フヲ以テ情ヲ量リ違令軽重二問ヒ腰ヲ聴ス
右の事例は、明治八年太政官第二百五号布告・姻草印紙貼用規則に対する違反に関するものである。同布告には、 煙草紙貼用方略図ノ如ク売主二於テ印紙貼用シ其全面ノ中心ヨリ端ニカケ実印或ハ仕切印ヲ押スヘシ ハのレ と規定されており、煙草紙の貼付方法が略図により定められている。しかし、規定と異なる貼付をなした場合に、こ れに対する罰則規定は設けられていない。そこで、こうした違反については違令条を用いて処罰を行なったものと考 えられる。今一つ事例を見ておこう。 ハ レ 明治九年五月十七日掲載 島根県伺 九年二月二十二日 ママ 許可ヲ得スシテ抗物ノ試堀ヲ為スモノ 指令 情ヲ量リ違令軽重二問フ 右の事例は極めて短いものではあるが、その内容より判断すると、明治六年七月二十日太政官第二百五十九号布告 ・日本抗法に対する違反に関するものである。日本抗法第二章第五には、 ママ 試堀ヲ作サント欲スル者ハ鉱山寮二願出許可ヲ得テ之ヲ行フベシ めレ との規定があり、試掘には工部省鉱山寮の許可を必要とすることが定められている。しかし、同法にはこれに違反し て無許可で試掘をした者に対する処罰規定は設けられていない。そこで、このような場合に、違令条を用いて処罰を 行なったものと考えられる。
東洋法学 一〇七
新律綱領﹁違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制﹂条の一考察 一〇八 以上においていくつかの事例を見てきたが、これらはいずれも中央の発布した諸規則に違反者処罰規定を欠く場合 に、違令条がその処罰に利用された例である。しかし、事例の中には、処罰規定を有する規則に対する違反の場合に も違令条が適用されたものがある。次に掲げる。 レ 明治六年三月九日掲載 茨城裁判所伺 昨壬申十一月中大陽略暦官二告スシテ檀二彫刻スル者県庁ヨリ指出シ之アリ右ハ明治五年壬申正月文部省ヨリ布告 ノ出版条例第七条官二告スシテ書ヲ出版スル者並二之ヲ売弘ムル者アレハ板木及ヒ製本ヲ没入シ罰金ヲ出サシムト 之アル 明治六年一月三十一日 司法少判事小畑美稲 指令 違令重二問ヒ腰罪ヲ聴シ施行セザル者ハ一等ヲ減シ尚ホ板木製本共没入ス可シ 右の事例は、明治五年一月十三日文部省無号布告・出版条例に対する違反に関するものである。同条例第七条には、 官二告ケスシテ書ヲ出版スル者並二之ヲ売弘ムル者アレハ板木及製本ヲ没入シ罰金ヲ出サシム可シ ドレ と規定されており、無届の出版については罰金を科すことが定められている。しかし、本事例では、罰金を科すこと はせず、違令条を適用して処罰を加えている。わずか一件の事例しか収集しえなかったが、罰則規定を持つ規則に対 する違反の場合であっても、おそらくは事情を考慮することによって、違令条が適用されることがあったと言える。
以上において、中央の発布した諸規則に対する違反行為に違令条が適用された事例を見てきたが、諸規則に対する 違反であれば、いかなる場合であっても違令条が適用されたのかどうかを検討しておかねばならない。まず一例を掲 げる。 レ 明治八年一月七日掲載 筑摩県伺 七年十一月十二日 明治六年第二百四十七号御布告訴答文例中第二章第三四条原被ノ訴状及答書ハ撰ミヲ受タル代言人必ス代書スヘキ ノ処無筆一一シテ書スル能ハス又ハ臨時差間ヲ以テ他二代書ヲ頼、、、自ラ筆記セシ体ヲ以テ名判シ訴状差出侯者 指令 代書人ハ原被告人ノ撰ム処二係ルヲ以テ其者無事ナルトキハ再ヒ精選シテ之二代ラシム可シ又臨時差支ヲ以テ他二 代書ヲ托スルカ如キハ止ムヲ得サルニ出ツ故二両ナカラ罰ヲ議スルニ及ハス 右の事例は、明治六年七月十七日太政官第二百四十七号布告・訴答文例に対する達反に関するものである。訴答文 例第三十四条には、 被告人自ラ答書ヲ書スルヲ許サス必ス代書人ヲシテ代書セシム可シ其代書人ヲ撰ミタル時ハ即日裁判所二届ケ且原 被告人二報告スヘシ パめレ と規定されており、被告人の﹁答書﹂は必ず代言人が代書すべきことが定められている。ところが本件事例では、代 言人が﹁無筆し又は他の者に代書を依頼したために、代言人自身による代書は行なわれなかった。これは明らかに訴
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新律綱領﹁違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制し条の︸考察 二〇 答文例第三十四条に違反した行為であるが、しかし、指令では、 ﹁止ムヲ得サル﹂行為であったとして、刑罰を科す ことはしなかった。訴答文例が中央より発布された規則であることは言うまでもないが、事情を考慮して、その違反 に対し違令条の適用を行なわなかったと考えてよいであろう。今一例見ておこう。 レ 明治八年二月二十四日掲載 箱館裁判所伺 八年一月 ママ 海上衝突予防規則第七条帆船及蒸気船ノ差別ナク云々白色亮明ノ一燈ヲ標スヘシト有之若此規則ヲ犯シ標燈ヲ点セ スト錐モ規則中罪科罰則等ノ明文之ナキニ付其罪ヲ問ハスシテ可然哉又ハ違令ノ軽重二問ヒ侯儀二可有之哉 同第二十条何レノ船二於テモ点燈信号又ハ看守ヲ怠タルカ或ハ総シテ航海者ノ職務二属ス云々怠タルトキハ船主船 長水夫二至ルマテ其責逃ル可ラサル事ト有之其責トハ仮令ハ此規則ヲ犯シ他船ヲ衝突破殿或ハ沈没等ノ害ヲ醸シ侯 ハ其賠償等ノ責ヲ受ケ侯事ニテ違令ノ罪ハ問ハスシテ可然哉定擬致兼依テ此段相伺侯也 指令 第一条 規則第二十条其責不可避ノ文二照シ標燈ノ規則二違反シ破殿沈没等ノ害ヲ被ラシムル時ハ其賠償ノ責二任 セシム可シ 但刑法二問二及ハス 第二条前条ノ通タル可シ 右の事例は、明治七年一月十八日太政官第五〇号布告・海上衝突予防規則に対する違反に関するものである。まず 伺第一条は、同規則第七条に、
ママ 帆船及蒸気船の差別なく碇泊場或は港内の航路中に錨止せる時は最も能く見ゆべき所に自色亮明の一燈を標すべし オレ と規定されているにもかかわらず、この規定に違反して碇泊中の点燈を怠った場合である。また、伺第二条は、同規 則第二十条に、 何れの船に於ても点燈信号又は看守を怠るか或は総て航海者の職務に属する危険予防の事並に臨機至当の処置を怠 る時は船主船長水夫に至る迄共に其責を逃るべからざる事 ぬレ と規定されているにもかかわらず、この規定に違反して看守等を怠った場合である。こうした場合には、同規則第二 十条に見えるように、船主等は﹁其責﹂を免れるものではない。ところが、 ﹁其責﹂の意味が定かでないために伺っ たのである。これに対する指令によれば、違反行為の結果沈船等の被害が発生したときには、民事の賠償をすれば足 り、違令等の刑法上の罪には問わないというのである。従って﹁其責﹂とは民事責任のことである。このように、本 件では、規則に民事責任の規定が設けられており、これを果せば十分であるとの観点から違令条による刑事処罰を加 えないとの指令を与えたものと考えられる。 以上において、事情考慮が働いた場合あるいは民事賠償が行なわれる場合という例外はあるものの、中央の諸規則 に対する違反に違令条が適用され、刑事処罰が行なわれたことを見てきた。およそ規則というものは、その違反に対 する制裁規定を持ち、かつこれを貫徹することによってその実効性が保障されるものであることは言うまでもない。 明治初期とて事情は同じである。むしろ、中央集権の実現過程であることを考えれば、中央の規則の貫徹は強く意図 されたと言えよう。ところが、この時期の諸規則には、いくつかの事例で見たように制裁規定を欠くものが多い。そ
東洋法学 二一
新律綱領﹁違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制﹂条の一考察 こで違令条を用いて諸規則の違反に対して制裁を加え、ひいては諸規則の遵守を強制したのである。 には、規則の実効性を担保する機能が求められた言えるのである。 二二 従って、違令条 ︵王︶ ﹃司法省鷺誌一・明治六年丁工月﹄四五五頁以下。 ︵2︶ ﹃法令全書・第五巻ノ一﹄二〇一頁。 ︵3︶ ﹃司法省日誌四・明治七年一月﹄七九頁以下。 ︵4︶ ﹃法令全書・第六巻ノ一﹄三六四頁。なお、同布告は明治八年五月第八十九号布告により廃止された。 ︵5︶ ﹃司法省照誌三・明治六年八・九月﹄二六頁以下。 ︵6︶ ﹃法令全書・第一巻﹄四一六頁。 ︵7︶ ﹃司法省賑誌十四・明治八年一月﹄一七六頁以下。 ︵8︶本伺・指令については、 ﹃司法省霞誌五・明治七年二月﹄二〇八頁以下を参照。なお、本伺・指令は事実関係の記述が簡 略なので、本稿では千葉裁判所伺・指令を取り上げることとした。 ︵9︶ ︵憩︶ ︵葺︶ ︵珀︶ ︵爲︶ ︵鈎︶ ︵麺︶ 嘆法令全書・第六巻ノζ一三三頁。 ﹃司法省貨誌十八・明治九年丁二月﹄二二三頁。 ﹃法令全書・第八巻ノζ九一頁。 ﹃司法省日誌十九・明治九年三月﹄六九頁以下。 ﹃法令全書・第八巻ノζ五一九頁。 ﹃司法省日誌二十・明治九年照・五月﹄三九三頁以下。 ﹃法令全書・第六巻ノζ三八五頁。
︵1 6︶ ︵17︶ ︵!8︶ ︵1 9︶ ︵20︶ ︵21︶ ︵22︶ ﹃司法省日誌∼・明治六年丁二月臨六九八頁。 ﹃法令全書・第五巻ノニ臨二六九頁。 ﹃司法省日誌十四・明治八年一月﹄二頁以下。 ﹃法令全書・第六巻ノ一﹄三三〇頁。 ﹃司法省日誌十五・明治八年丁三月﹄二〇六頁以下。 ﹃法令全書・第七巻ノζ五頁。 ﹃法令全書・第七巻ノ一﹄八頁以下。 国 違式条の運用と機能 違式条は、先に見た福島県伺・指令によれば、 ﹁府県ヨリ下布スル諸規則﹂に違反する行為に対して適用される。 違式条制定直後のものと考えられる北海道開拓使伺・指令に、 北海道開拓使伺 四年二月臼欠 其土地限漁業等其他禁制有之侯儀ヲ相背侯者之事 指令四年月日欠 違式例答二十答一十呵責地方ノ制禁二違フ者ハ右例二依ル情状原諒スヘキハ侃ホ答刑ヲ騰罪二処置スヘシ まレ とあることから、地方の規則に対する違反に違式条を適用することは当初からの方針であったと思われる。しかしな がら、違式条が地方の規則違反に対してのみ適用されたかどうかは、改定律例所載の違式条適用条文および改定律例
東洋法学 二三
新律綱領−違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制﹂条の皿考察 二四 実施後の布達を見ただけでも、疑問である。すなわち、改定律例・棄殿器物稼稿条例第百十条、 凡牛馬ヲ失防シテ田野ノ穀萎ヲ殿損スル者違式軽二依リ若シ殿損スル所臓二計ヘテ重キ者ハ坐賊二依リニ等ヲ減シ 価ホ殿損スル所ノ物ヲ賠償セシム との規定、窃盗条例第百三十八条、 凡事主盗犯ヲ捕得シテ私縦私和スル者ハ情ヲ量リ違式軽重二問ヒ陵フコトヲ聴シ若シ別二財ヲ受ル者ハ賊二計へ柾 法二準シ財ヲ過スル人ハ説事過銭二準シ各重キニ従テ論ス との規定、および明治七年四月二十五日司法省第八号布達、 賭博ヲ企テ未タ行ハサル者及ヒ博戯ノ為二般子骨牌ヲ持スル者ハ情ヲ量リ違式軽重二問ヒ並二腰ヲ聴ス レ との規定などは、普遍的な違反事項を記したものであって、特定の地方の規則違反が立法化されたものとは考え難い。 ロ また、明治六年七月十九日布告の地方違式註違条例の違式罪目を見ても同様の印象を受ける。そこで、以下において、 事例をもとに違式条の適用が地方の規則に対する違反に限られていたのかどうかを検討する。まず一例を掲げる。 をロ 明治六年一月九日掲載、 宇都宮県伺 同国同郡︵野州郡︶市野沢村 菊地喜三郎
池田 小平 右ノ者共村内金四郎儀二付大沼孫一へ不法ノ頼二及侯而巳ナラス常衛門外七人打郷終二死去致侯ヲ乍心得不届出其 場ニハ錐不相越右始末心峙二付懲役四十日可申付哉 壬申八月 指令 菊地喜三郎 外一人 雑犯条例 違式ノ重キ懲役二十日 右の事例は、殺人事件の発生を知りながらこれを官庁に届出なかったという不作為に対して違令条が適用されたも うレ のである。犯罪発生の届出は中央から発布した規則に根拠を置くものかどうかは判然としないが、その性質上全国に 普遍するものであって、特定の地方に限定されるものとは考え難い。他の事例を見てみよう。 ロ 明治六年九月九日掲載 京都裁判所廻犬塚重遠進退伺 私儀今般臨時裁判御用筋二付兵庫表へ出張被令去十九日出立仕侯途中大坂裁判所へ至急御用向相弁シ侯様被含侯儀 モ有之右御用取扱中持病ノ胸痛差発加之時気当リ等ニテ水薄下痢二相悩ミ侯二付治療差加因テ其旨西権中判事殿へ 御届可仕ノ所右劇疾二取紛届方疎漏二相成侯併シ少々快方二趣侯二付即チ腎病テ一昨二十二日兵庫表へ着任侯所
東洋法学
二五新律綱領﹁違令﹂条、改定律例﹁違式し条及び門違制﹂条の一考察 三六 図ン最早御用済二相成侯趣拝承深ク奉恐入侯依之身分進退ノ儀奉伺侯以上 明治六年七月二十四日 大解部犬塚重遠 擬律 公事二差遣セラレ中途劇疾二罹リ其事ヲ届出テスシテ滞留スル者違式ノ重二科シ懲役二十日例二依 陵罪金二円 右の事例は、進退伺に関するものである。公務出張中病気を発し延着したが、その事由を速やかに届出なかったこ とに対し、違式条を適用した処罪が加えられた。公務処理上の問題であるから、中央の規則に属することであり、地 方の規則に対する違反ではないと考えられる。今一つ公務に関する事例を見ておこう。 パマレ 明治七年十月五日掲載 奈良県伺 七年八月二十四日 処刑済宿村次ヲ以逓送スル者途中取逃ス犯ハ違式軽二処シ来侯処疎漏看守二失シ逃走ヲ覚ラサルアリ又ハ俄二駆出 シ追逐スルニ力不足モアリ従前逃者ハ十二七八賊業等二係ル好徒ニシテ陽二改心帰郷ヲ顕シ陰カニ百方逸逃ヲ思慮 スル者ニシテ若シ山林原野或ハ四通ノ道路二於テ不図黄昏二際シ突然駆出侯時ハ護送一名杯ニテ到底取押ユル不能 ハ当然ニモ相見へ依テ本年二月埼玉県伺御指令二厳鎖ス可キニ非スト難モ其逃亡ノ憂ナキヲ要スルハ適宜二可処ト アルヲ援引之ヲ行ハシムルモ例ホ時々駆出ス事アリニ名ヲシテ護送セシメントスレハ小村等二当レハ一名ヲ以テ送 ラシメサルヲ得ス右ハ法律二対シ疎漏看守二失スル限ヲ処罰シ追逐力及ハサルハ呵責二処セラレ当否如何可有之哉
相伺候也 指令 処刑済送籍中途二在リ逃走スルヲ覚ラサル護送ノ者ハ違式軽贈ヲ聴ス逃走スルヲ即時覚知シ追逐スルモ足力及ハス シテ捕得スル能ハサル者モ亦同シ若シカ敵スルコト能ハサル者ハ論スルコト勿レ 右の事例によれば、処刑済の者を送籍中に取逃した場合、逃走の事実を覚知しないとき、および覚知して追跡した が追いつかないときには、護送者は違式条による処罪を受ける。逃走者の追捕は地方の規則と考えることはできない であろう。 以上に見てきた事例は、いずれも地方の規則に対する違反と考えることの困難なものであるが、その根拠が伺・指 令の中に明確に示されているわけではない。そこで、次に、中央の規則に対する違反であることを明示する事例を見 ておこう。 ぞレ 明治六年七月十七日掲載 飾磨県廻佐久間秀修進退伺 昨壬申司法省四十五号ヲ以テ流以下断刑罪案罰文一月ヨリ三月迄之分四月十五日限リ本省へ可差出旨御布達有之候 処大二遷延相成候段深奉恐入候依之進退之儀奉伺候以上 明治六年六月飾磨県権典事佐久間秀修 擬律
東洋法学 二七
新律綱領﹁違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制﹂条の一考察 二八 処刑済ノ罪案及ヒ罰文ヲ進達スルニ其期二後ル・者違式軽キニ問ヒ公罪例二依リ 騰罪金一円 佐久間秀修 右の事例は、明治五年十一月司法省第四十五号達に対する違反に関するものである。同達には、 流以下断決之儀ハ追々本省二於テ検査可相成二付罪案罰文一纏二致シ一歳四度二分チ一月二月三月分ハ翌四月十五 日限リ以下之二準シ十月十一月十二月ノ分ハ翌年正月中無遺漏当省へ可差出候也 レ との規定があり、処刑済の罪案罰文の進達期限が定められている。本件では、この規則に違反して期日の遅延があっ たことにつき、違式条を適用して処罰が行なわれたのである。司法省達は当然のことながら地方の発布する規則では なく、先の福島県伺・指令の表現を借りれば﹁院省使ヨリ公布スル所ノ諸公告﹂に該当するものである。従って、本 件では、中央の規則に対する違反に違式条が適用されたと言える。 以上において見てきたように、違式条は地方の規則違反に限定して適用されたのではなく、中央から発布された規 則に対する違反についても適用された。違式条は、地方および中央の規則違反に対し、答二十又は十という比較的軽 い法定刑ではあるが、刑罰という制裁を加えることにより、先に見た違令条の場合と同様に、規則の実効性を担保す る機能を果したのである。 ((
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)) 前掲﹃法規分類大全・刑注門二・刑律二﹄二五一頁以下。 前掲﹃法規分類大全・刑法門二・刑律三﹄三七四頁。なお、 賭博未遂に違式条を適用した事例は、同布達発布以前にもいくつか見られる。筆者が以前に紹介した京都裁判所伺︵明治六年十二月十四日︶・指令︵明治七年一月七日掲載︶もその一 つである︵﹃司法省日誌四・明治七年一月﹄九頁以下︶。これについては、拙稿﹁新律綱領﹁不応為﹂条の一考察⋮明 治六年より同九年に至る事例分析を通して し・手塚豊編著﹃近代日本史の新研究W﹄・昭和六二年・二四九頁を参照。 ︵3︶違式罪目として列記されているのは次のとおりである。地券所持ノ者諸上納銀ヲ怠リ地方ノ法二違背致ス者、贋造ノ飲食 物並二腐敗ノ食物ヲ知テ販売スル者、往来又ハ下水外河申等へ家作並孫庇等ヲ自在二張出シ或ハ河岸地除地等へ願ナク家作 スル者、春画及ヒ其類ノ諸器物ヲ販売スル者、病牛死牛其他病死ノ禽獣ヲ知リテ販売スル者、身体へ刺繍ヲナス者、男女入 込ノ湯ヲ渡世スル者、乗馬シテ狸リニ馳駆シ又ハ馬車ヲ疾駆シテ行人ヲ触倒ス者、外国人ヲ無届ニテ止宿セシムル者、夜中 無燈ノ馬車ヲ以テ通行スル者、人家稠密ノ場所二於テ妄リニ火技ヲ玩フ者、火事場二関係ナクシテ乗馬スル者、戯二往来ノ 常燈台ヲ破殿スル者、馬及ヒ車留ノ掲示アル道路橋梁ヲ犯シテ通行スル者、男女相撲並二蛇遣ヒ其他醜体ヲ見世物二出ス者、 川堀下水等へ土芥瓦礫等ヲ投棄シ流通ヲ妨クル者、他人持場ノ海藻類ヲ断リナク苅採ル者、他人ノ持場又ハ免許ナキ場所二 魚簗ヲ設ル者、毒薬並二激烈気物ヲ用ヒ魚鳥ヲ捕フル者、他人分ノ田水ハ勿論組合持ノ田水ヲ断リナク自恣二我力田二引入 ル者、他人持場二入リ箸或ハ箪類ヲ無断採リ去ル者、掲榜場ヲ汚損シ並二其囲ヲ破殿スル者、提ヲ壊チ又ハ断リナク他人ノ ママ 田園ヲ堀ル者、道敷内二菜競豆類ヲ植或ハ汚物ヲ積ミ往来ヲ妨クル者、他村又ハ他人持場ノ秣或ハ苗代草等ヲ断リナク苅採 ル者、婚姻祝儀等ノ節事故二托シ往来又ハ其家宅二妨害ヲナス者、馬夫或ハ旦雇稼ノ者等仲間ヲ結ヒ他人ノ稼ヲ為スニ故障 スル者、神仏祭事二托シ人二妨害ヲナス者、往来ニテ死牛馬ノ皮ヲ剥キ肉ヲ屠ル者、他人ノ墓碑ヲ殿損スル者、官有ノ山林 等二禁制ノ榜示アルヲ犯セシ者、御用ト書タル小旗提燈等ヲ免許ナク狸リニ用ル者、他人ノ繋舟ヲ無断樟シ遊フ者、宮有或 ハ他人ノ山林田畠二入り植物ヲ損害スル者、神社仏閣ノ器物類ヲ破殿スル者︵﹃法令全書・第六巻ノ⊆三七五頁以下︶。 違式謹違条例については、神谷力﹁明治初年における地方軽犯罪法制の研究e とくに愛知県軽犯罪法を中心として ー﹂・﹃愛知学芸大学研究報告・社会科学﹄第八輯・昭和三四年・七九頁以下、同﹁明治初年における地方軽犯罪法制の 東 洋 法 学 一九 一
︵4︶ ︵5︶ ︵6︶ ︵7︶ ︵8︶ ︵9︶ 新律綱領﹁違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制﹂条の一考察 二δ 研究口完1とくに愛知県軽犯罪法を中心として ﹂・﹃愛知学芸大学研究報告・社会科学﹄第十輯・昭和三六年・六 五頁以下︵これらについては、問﹃家と村の法史研究﹄・昭和五一年・五六一頁以下をも参照︶および同[地方違式誌違条 例の施行と運用の実態﹂・﹃明治法制史政治史の諸問題・手塚豊教授退職記念論文集﹄・昭和五二年二六五頁以下に詳し く論じられている。 ﹃司法省日誌一・明治六年丁二月﹄八○頁以下。 犯罪の発生を届出なかった場合常に違式条が適用されたわけではない。例えば、明治七年十一月十二日掲載・名東県伺・ 指令︵﹃司法省日誌十一・明治七年十一月﹄ニエ七頁以下︶では、盗難にあった者がこれを届出なかったことにつき、呵貴 を科している。 ﹃司法省霞誌三・明治六年八・九月﹄三九五頁以下。 ﹃司法省撮誌十・明治七年九・十月﹄二八七頁以下。 ﹃司法省臼誌二・明治六年七・八月﹄一八○頁以下。 ﹃法令全書・第五巻ノニ﹄二二四五頁。 四 違制条の運用と機能 違制は、先の福島県伺・指令によれば、 ﹁詔勅しに違反する行為である。しかし、同伺・指令には、先に見たよう に、 ﹁事理重キ者ハ院省使ノ布令ト難モ違制﹂とすることが記されており、改定律例第九十九条にも同様の記載が見 られる。そこで、以下においてどのような場合に違制条の適用が行なわれたのかを事例をもとに見ていこう。まず一 例を掲げる。
まレ 明治七年二月三日掲載 新治裁判所伺 七年一月十四日 常陸国行方郡延方村副戸長 新右衛門養子 今泉覚次郎 同村農 立花長作 茂木惣左衛門
須賀与作
橋本次郎兵衛 宮岡吉右衛門 谷田久兵衛 右罪案︹略之︺ノ通覚次郎儀ハ賊盗律兇徒聚衆条例第百五十三条衆ヲ聚メ訟ヲ構へ官二強逼スト錐モ良民ヲ擾害ス ルニ至ラサル者ノ首懲役十年ノ処官ノ理解二承服スルヲ以テ酌量シテ一等ヲ減シ懲役七年長作儀ハ従ヲ以テ論シ一 等ヲ減シ同五年惣左衛門外四人ハ従ニシテ情軽キ者二擬シ同三年宛可申付哉此段奉伺候也 指令 該犯首トナリ衆ヲ聚メ訟ヲ構フト難モ官二強逼スル者ヲ以テ論シ難シ掲榜二大勢申合スルヲ徒党ト云ノ厳禁ヲ犯ス東洋法学
ご二新律綱領﹁違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び讐違制﹂条の一考察 一二ニ ヲ以テ 雑犯律 違制二擬シ
懲役百日 今泉覚次郎
同上従タルヲ以テ一等ヲ減シ同九十日 立花長作
今泉覚次郎ノ従ニシテ情軽キ者又一等ヲ減シ 同八十日 茂木惣左衛門 外四人 右の事例における被告人等の行為は、 ﹁衆ヲ聚メ訟ヲ構﹂えてはいるが﹁官二強逼スル者﹂に問うことはできない。 従って、改定律例・兇徒聚衆条例第百五十三条を適用して処罰することはできない。そこで、その行為は、 ﹁掲榜二 大勢申合スルヲ徒党ト云ノ厳禁﹂を犯すものとして、違制条を用いて処罰を行なったのである。ここに言う﹁厳禁﹂ とは、明治元年三月十五臼布告に、 何事二由ラス宜シカラサル事二大勢申合セ候ヲ徒党ト唱へ徒党シテ強テ願ヒ事企ルヲ強訴トイヒ或ハ申合セ居町居 村ヲ立退キ候ヲ逃散ト申ス堅ク御法度タリ レ とある規定を指すものと考えられる。本布告の発布主体は太政官であるから、それが詔勅でないことは言うまでもな い。おそらく、徒党を重大な禁令違反として、比較的法定刑の重い違制条を適用して処罰を行なったものと考えられ る。他の事例を見てみよう。らレ 明治七年十月三日掲載 兵庫裁判所伺 七年二月二十五日 雑犯律販売阿片煙条中人ヲ引誘シテ吸食セシムル者トハ利ヲ図ル事ナキ者二限リ候哉但其引誘吸食ノ後謝金等ヲ 受ル者ハ販売ヲ以テ論シ其吸食者ハ買食ヲ以テ処断可然哉 引誘セラレテ吸食スル者ト買食スル者ト別ハ有之候所其与フル者固ヨリ引誘ヲ為スニ非ス乞フ者亦買食ヨリ軽キ者 讐ハ第四条ノ如ク人ノ為メニ姻具ヲ寄蔵スル者アリ他人来テ之ヲ乞ヒ偶喫白相ヲナストキ双方トモ如何処置可仕哉 前条ノ如ク喫食者ノ罪ハ既二軽重ノ別有之候所其房屋ヲ給スル者二至テハ利ヲ図ルト否トノ別律面二不相見如何心 得可然候 但讐ハ欲家ノ賓客又ハ友人等来寓ノ際二其人姻旦ハヲ携へ自ラ喫食スルヲ家長等黙許スル如キモ価ホ懲役 十年二処スヘク哉 其房屋内ニテ喫食ハ致サセストモ他人ノ依頼二因テ右姻具等ノ寄蔵ヲ諾シタル者是亦房屋ヲ給スル者ト同ク処断ス ヘク哉右奉伺候也 指令 第一条伺ノ通 但書謝金ヲ受ルト錐モ吸食セシムルノトキ利ヲ図ルノ心ナケレハ販売ヲ以テ論ス可ラス引誘シテ 吸食セシムルノ本条二科ス吸食スル者謝金ヲ贈ルトキハ其跡買金二似タリト難モ固引誘二由ルヲ以テ其情軽シ吸食 スルノ本条二科ス可シ 第二条 他人ノ姻具ヲ借リ吸食スル者ハ買食スル者ト同ク論シ懲役二年半一時人ノ為二姻具ヲ寄蔵スル者ハ違制重
東洋法学 τ訂二
新律綱領﹁違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制“条の一考察 一二四 二問フ吸食スル者ハ買食スル者ト同ク論ス 第三条利ヲ図リ房屋ヲ給スル者ハ懲役十年二科スト錐モ但書ノ如ク来客ノ姻具ヲ携へ自ラ喫食スルヲ一時黙許ス ル者ハ違制重二問フ 第四条 前条ト同シク違制二問フ 右の事例は、伺第一条に見られるように、新律綱領・雑犯律・販売鴉片姻条に関するものである。同条には、 凡鴉片姻ヲ販売シテ。利ヲ図ル者。首ハ。斬。従ハ。流三等。 若シ人ヲ引誘シテ。吸食セシムル者ハ。絞。従。及ヒ情ヲ知リ。房屋ヲ給スル者ハ。流三等。引誘セラレテ。吸食 スル有ハ。徒一年。 若シ販買シテ。未夕讐売セサル者。首ハ。流三等。従ハ。徒三年。買食スル者ハ。徒二年半。並二鴉片姻ハ。官二 没入ス。 若シ官吏。知テ挙セサル者ハ。同罪。罪。流三等二止ル。財ヲ受ル者ハ。柾法ヲ以テ。重二従テ論ス。 との規定が設けられている。しかし、本伺第二条のように﹁人ノ為二姻具ヲ寄蔵﹂した場合、第三条のように﹁賓客 又ハ友人等来寓ノ際二其人燗具ヲ携へ自ラ喫食スルヲ家長黙許﹂した場合、および第四条のように﹁他人ノ依頼二因 テ右姻具等ノ寄蔵ヲ諾﹂した場合については、これに対応する規定が設けられていない。そこで、本件では違制条を 適用してこれを処罰したのである。 本件においては、伺所載の各行為が詔勅に関連するものでないことは言うまでもない。新律綱領に関連条文はある
が直戴に該当する規定はなく、しかも関連条文の法定刑が比較的重いことから、当該行為は重大な禁令違反であると の判断が働いて、違制条が適用されたものと考えられる。次に官吏の職務に関する事例を見てみよう。 るレ 明治六年一月二十二日掲載 青森県伺 六年十二月 当県大属 増田 一 同中属 松山充善 右罪案︹略之︺ノ通二付一儀名例律断罪無正条条中情罪重キ者違制二問擬ストアルニヨリ重キヲ以テ論シ充善儀其 璽 情軽キニ付不応為重キヲ以テ論シ両名共官吏私罪腰罪例二照シ可然哉又ハ不応為軽重二問ヒ︸ハ重キニ充善ハ軽ヲ 以テ論シ蹟ヲ聴シ可然哉相伺候也 指令 ママ 県庁ノ官吏ヲ馳防スル自己曽テ陳告スル所ノ意旨二違フノ不平心ヨリ他人ヲ煽動シテ巳二受ルノ辞令ヲ返上セシメ 共二当職ヲ辞シテ本庁ノ事務ヲ障碍シ之ヲ要制センコトヲ欲シ巡回ノ事務ヲ拠却シテ檀二帰庁シ疾病ト詐称シテ出 仕セス剰へ自己二関セサル官吏ヲ併セテ帰庁セシメ故サラニ公務ヲ弁理セシメサル 雑犯律条例 制二違フ者ノ重 キニ擬シ懲役百日判任私罪蹟例二依リ 騰罪金二十円 増田 一 自己平生ノ官給下等ナル不平心ヨリ他人ノ煽動二従ヒ已二受ルノ辞令ヲ返上シ︹共二以下出仕セス迄同上︺窃二慰
東洋法学 一二五
新律綱領﹁違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制﹂条の一考察 一二六 ママ 優ノ再令アランコトヲ翼望スル 同上ノ従ヲ以テ論シ一等ヲ減シ懲役九十日判任私罪腰例二依リ 蹟罪金十八円 松山充善 右の事例は、県庁における官吏の地位昇遷に不満を抱いた者が他の官吏をも煽動して辞令を返上し、事務に支障を 来したばかりか、病気と偽って出仕せず、公務に障害をもたらしたというものである。こうした行為に対し、違制条 が適用され処罰が行なわれた。この行為が詔勅に関連するものでないことは論を莫たない。指令には違制条適用の理 由は明示されていないが、伺に﹁名例律断罪無正条条中情罪重キ者違制二問擬ストアル﹂と改定律例第九十九条が引 用されていることから推測すると、この公務妨害行為を重大な職務違反と解して違制条を適用したものと考えられる。 るレ ハ ロ 違制に関しては適用件数も少なく、また収集しえた事例もわずかなので、確言は差し控えねばならないが、詔勅違 反に対して適用されたのではなく、むしろ重大な禁令違反または重大な職務違反に対して適用されたと考えられる。 なお、違制条の機能については、同条の法定刑が懲役百日または九十日と比較的重いことから、重大な違反行為で律 本条に直接対応規定が存しないときに法の欠敏を補うために機能することが求められたものと考えられる。違令条お よび違式条の場合のように、規則の実効性を担保するという機能の側面は比較的薄かったと言えよう。 ︵1︶ ︵2︶ ︵3︶ ﹃司法省日誌五・明治七年二月﹄七五頁以下。 ﹃法令全書・第一巻﹄六六頁。 ﹃司法省日誌十・明治七年九・十月賑二六四頁以下。
︵4︶ ︵5︶ ︵6︶ ﹃司法省環誌四・明治七年︸月﹄二七二頁以下。 例えば、明治九年では十一件、十年では十七件である︵本稿一はじめに註︵3︶の図表を参照︶。明治八年以前につい ては不明であるが、九年と十年の傾向より推測する限り、それほど多かったとは思われない。 筆者が収集しえた事例は、本節および次節に掲載したもの以外では次のとおりである。戸長の私宅への強訴・﹃司法省罎 誌五・明治七年二月﹄三頁以下、玉串および位牌を投捨てる・﹃司法省日誌七・明治七年五月﹄二〇二頁以下、在外中外交 を怠り私的利益を得ようとする・﹃同前﹄二二二頁以下、人民暴動・﹃同前セ一三〇頁、濯卒を煽動し辞職を勧める・﹃同 前﹄二七四頁、外国公使館に侵入して軽犯者を拘引する・﹃司法省日誌九・明治七年七・八月臨二二頁以下。 国 違令、違式および違制と他の律本条の関係 改定律例第九十九条によると、﹁律例二罪名ナク令二制禁アリ及ヒ制禁ナキ者﹂すなわち律本条に該当規定がない ときに、規則に禁止規定があると否とにかかわらず、 ﹁所犯ノ軽重ヲ量リ﹂すなわち事情・程度を考慮して、不応為、 違令、違式に問うこと、そしてまた事情・程度が重いときは違制に問うことになる。この規定にも見られるように、 違令条、違式条および違制条は、不応為条と共に、律本条の欠鉄を事情・程度に応じて補完することが求められてい ヱレ る。しかし、はたしてこれらの条項は律本条に該当規定がないときにのみ用いられたのであろうか。事例をもとに検 討していこう。まず一例を掲げる。 ロ 明治七年九月二日掲載 新潟県伺 七年六月二十九日
東洋法学 一二七
新律綱領﹁違令﹂条、改定律例物違式﹂条及び﹁違制﹂条の一考察 二一八 捕亡吏濯卒捕丁等逮捕方担任ノ者軽キ犯罪者ノ所在ヲ知テ見遁シ置捕獲セサル者ハ差遣ヲ受ルニ非ス如何処置スヘ キ哉奉伺候也 指令 事情重キ者ハ新律追捕罪人条二依リ軽キ者ハ違令或ハ違式ノ軽重二問フ可シ 但シ本犯ノ罪ヨリ重キニ問フ可ラス 右の事例は、逮捕担当の者が、その目的で派遣されたわけではないとはいえ、軽犯者の所在を知りながらこれを見 逃がし逮捕しなかったというものである。指令によると、こうした不作為は、 ﹁事情重キ﹂場合であれば、新律綱領 ・捕亡律・追捕罪人条、すなわち、 凡捕吏。差遺ヲ承ケ。罪人ヲ追捕スルニ。事故二託シテ行カス。若クハ罪人ノ所在ヲ知テ。捕ヘサル者ハ。杖一百。 が適用され杖一百との処断が下される。しかし、事情が﹁軽キ﹂場合は、違令条または違式条を適用するというので ある。このような指令の論理から判断すると、律本条の適用を受けうる行為であっても、 ﹁事情﹂によっては、律本 条の適用を行なわず、それよりも軽い法定刑を定めた違令条または違式条の適用が可能であったと言える。ここにお レ いては、違令条および違式条は、事実上減刑機能を営んでいるのである。他の例を見てみよう。 レ 明治七年十月九日掲載 青森県伺 七年九月二十九日 当県下警保見廻ノ者租税未納為督促巡村中盗賊ノ事跡有之捕縛取押候所深ク悔悟申出情実欄然ナル連自己二放免致 シ追テ右ノ所為悔悟自首致シ該犯捕縛差出候右ハ追捕罪人条ヲ以テ論シ可然哉右見廻リ現行犯罪ノ者捕縛スルハ職
分ト錐モ律上ノ如ク捕吏差遺ヲ受タルトハ其情状異ナリ候様被存候其事発覚前自首二付免罪ニハ候得共本罪何レニ 比擬シ可然哉 指令 事情重キ者ハ追捕罪人律二依ルト錐モ本犯ノ如キハ違令或ハ違式ノ軽重二問フ可キ処已二首免ヲ与フル上ハ必シモ 其本罪ヲ定メス 本事例も追捕罪人条に関連するものであって、犯罪事実も前例と同様である。また、 ﹁事情﹂の軽重を同条を適用 するかそれとも違令条または違式条を適用するかの区分基準としている点も前例と同様である。なお、前例において ﹁本犯ノ罪ヨリ重キニ問フ可ラス﹂とあり、本事例において﹁首免ヲ与フル上ハ必シモ其本罪ヲ定メス﹂とあって、 本犯が自首免罪の場合には必ずしも捕吏を処罰する必要のないことが明記されている。このことから、本犯の量刑と の均衡を考慮に入れて、違令または違式という比較的軽い量刑を持つ条項が利用されたものと考えられる。いずれに せよ、本事例においても、行為に対応する処罰規定が律本条に存在する場合であっても、事情を考慮して違令条また は違式条が適用されるべきことが示されているのであって、従って、これらの条項は事情減刑の機能を営んだと考え られるのである。 次に、違制条の場合について見てみよう。事例を掲げる。 さレ 明治八年三月二日掲載 静岡県伺 八年二月七日
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新律綱領﹁違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制し条の一考察 一三〇 懲役人ノ所遇ハ監獄則二依ルヘキ処役囚ノ内性来質撲ニテ悔悟ノ心アルヲ以テ獄司専断シテ機具着セス押解人ヲ付 セス外役二出シ候処遂二逃走スル者有之右獄司ノ罪ヲ断スルニ不覚失囚律二依リテ論スレハ稿軽キカ如シ之ヲ違制 ノ軽二擬シ可然哉 指令 伺之通 右の事例は、懲役囚に悔悟の心が認められるので、刑具および監視人を付さずに外役に出したところ逃走したこと から、獄吏の罪が問われたものである。獄吏の行為は、新律綱領・捕亡律・主守不覚失囚条に該当する。しかし、同 条の規定は、 凡主守。罪囚ノ逃走スルヲ。覚ラサル者ハ。答四十。 というものであって、伺によると、この法定刑・答四十は、本件獄吏の行為に比してやや軽いとの判断が下された。 そこで、懲役九十日との法定刑を持つ違制軽に処することが伺われ、伺通りの指令が行なわれたのである。指令自体 には何故に﹁伺之通しとの判断を下したか明記されていない。しかし、違制条適用に至る理由は、伺記載の理由と同 じく、行為自体は主守不覚失囚条に該当するが、同条の刑罰では軽すぎるので違制条を用いたということであろう。 以上、わずかの数の事例ではあるが、律本条に該当規定が存在する行為に対しても違令条、違式条および違制条が 適用されたことを見てきた。これらの条項は、改定律例第九十九条の明記する律本条の欠歓の補完という枠組を越え て、律本条に該当規定が存在する場合であっても行為の事情・程度と量刑の均衡という面から、減刑または加刑する
機能を営んだのである。 ︵i︶ 不応為条のこうした機能については、拙稿・前掲﹁新律綱領﹁不応為﹂条の一考察ー明治六年より同九年に至る事例分 析を通してー﹂二四三頁以下、および拙稿﹁続・新律綱領、不応為﹂条の一考察ー明治六年より同九年に至る事例分 析を通して⋮﹂・手塚豊編著﹃近代日本史の新研究楓﹄・平成元年・二二九頁以下、特に二三二頁以下を参照。 ︵2︶ ﹃司法省日誌十・明治七年九・十月﹄一七頁。 ︵3︶ ちなみに、不応為条が減刑機能を有したことにつき、拙稿・前掲﹁新律綱領﹁不応為条の一考察 明治六年より同九年 に至る事例分析を通してーヒ一六〇頁以下を参照。 ︵4︶ ﹃司法省日誌十・明治七年九・十月﹄三七〇頁以下。 ︵5︶ ﹃司法省日誌十五・明治八年二・三月﹄二八三頁以下。 三 結びにかえて 以上において、まず、違令、違式および違制の各条は、それぞれ、 ﹁院省使府県等ヨリ公布スル所ノ諸公告﹂、 ﹁府 県ヨリ下布スル諸規則﹂、﹁詔刺﹂に対する違反を対象とするものであるという司法省指令による内容規定はあるも のの、実際には必ずしもその通りでないことを見てきた。すなわち、特に違式条は地方の規則だけでなく中央の規則 にも適用されたこと、違制条は詔刺でなくとも重大な規則違反に対して適用されたことを確認した。また、機能の面 からは、違令条および違式条には、制裁規定を欠くことの多い諸規則の実効性を担保する機能が求められたこと、違 制条については、重大な違反行為に対応する条項が律本条に存在しないときにその欠敏を補う機能が求められたこと
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新律綱領﹁違令﹂条、改定律例﹁違式﹂条及び﹁違制﹂条の一考察 三二 を明らかにした。また、これら三つの条文は、律本条に該当規定が存在する行為に対しても適用されることによって、 事情に基づく減刑または加刑の機能を営んだことも明らかにしてきた。 ユレ こうした諸機能は、かつて筆者が不応為条に関して解明したところと変るものではない。従って、これらの条文の レ 機能については、不応為条に対して与えたと同様の評価を与えることができる。そもそも新律綱領、改定律例は伝統 的中国法の系列に属する法典である。各本条の法定刑は現行刑法のように一定の幅を持つものではなく、一個の犯罪 に対しては一個の刑種・法定刑というように特定化されたものであった。しかし犯罪というものは、態様、事情とも 千差万別である。多様な犯罪に一律に特定化された法定刑を科していったのでは法運用の硬直化の弊に陥る。そこで、 違令、違式および違制、さらには不応為といった構成要件内容の特定が比較的厳格でない条項を用いることによって、 硬直化を是正し、柔軟な法運用を可能にしたのである。違令、違式および違制の各条は、不応為条と同じく、法典の 硬直化を是正し、犯罪と刑罰の均衡を図るところにこそ、その積極的存在意義があったのである。 ︵i︶ ︵2︶ 拙稿・前掲﹁新律綱領﹁不応為﹂条の一考察−明治六年より同九年に至る事例分析を通して ﹂ よび拙稿・前掲﹁続・新律綱領﹁不応為﹂条の一考察ー明治六年より同九年に至る事例分析を通して を参照。 拙稿・前掲﹁新律綱領﹁不応為﹂条の一考察 明治六年より同九年に至る事例分析を通してー﹂ 照。 二四三頁以下、お 二三三頁以下 二六六頁以下を参