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共犯における正犯行為の構造的地位-5完- 利用統計を見る

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共犯における正犯行為の構造的地位-5完-著者

高橋 則夫

著者別名

N. Takahashi

雑誌名

東洋法学

31

1・2

ページ

485-513

発行年

1988-01

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00003574/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

共犯における正犯行為の構造的地位︵五・完︶

  ︵一︶ 正犯意思   ︵二︶ 正犯実行   ︵三︶ 正犯結果   ︵四︶ 小括︵以上早大法研論塞壬号︶   ︵一︶ 故意性の問題    8 序ー正犯者の故意に関する錯誤    口 西ドイッの判例・学説状況    臼 考察    圏 小括︵以上早大法研論集三二号︶   ︵二︶ 二重性の問題 東 洋 法 学  一 序説 二共犯における結果概念  三 正犯行為の法的性質

高 橋

則 夫

四八五

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︵二︶ 共犯における正犯行為の構造的地位︵五・完︶

五       四

    (   

(  (     ○ 結(ヨに)8∈1に)←うじ正響(覇¢⇒8ミう口口(一  共犯における帰属問題 四 正犯行為の位置づけ 序ー所為概念の相対性 個別闘題の検討 二重性の法理 危険性の問題 序ー実行従属性 共犯行為の危険性 正犯行為の危険性 小括︵以上東洋法学二八巻一号︶ 共犯における因果問題 物理的因果性 心理的因果性︵以上東洋法学三〇巻一 共犯における帰属間題 従属性原理の機能 帰属原理としての従属性 共犯不法の内容 語︵以上本誌本号︶        ︵承前︶ ・二合併号︶ 四八六 正犯行為の位置づけ

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 正犯行為が、一方で、共犯行為と正犯結果との因果性を媒介する事実的機能を有すると同時に、他方で、構成要件的 不法を共犯行為︵共犯者︶に帰属させる規範的機能を有するという考えは、共犯の処罰根拠を因果性原理と従属性原        ︵1︶ 理とで説明する折衷惹起説・従属的法益侵害説からの帰結であることは前述したとおりである。これに対して、前者 の因果性に重点を置くのが純粋惹起説︵独立性志向惹起説︶であり、後者の従属性に重点を置くのが修正惹起説︵従 属性志向惹起説︶である。いずれの立場も因果性を共犯処罰の前提的根拠と解する点では一致しているのであって、 見解の相違は従属性原理の捉え方の違いに基づいている。また、共犯の体系構成として、純粋惹起説に基づく﹁共犯 者犯罪︵帰o旨魯奪Φ銭象ぎ︶の理論﹂を二元的体系構成︵費巴Φ鉾器導呂犀︶と把握し、従属的体系構成︵>ζΦ器○箒−        ︵2︶ 感霧遂$導盤鍔︶に対置する試みもなされており、古くから論じられている従属性原理をめぐる問題は今や新展開を 迎えている状況といえよう。このような状況を踏まえて従属性原理を検討する場合に重要となる視点は、共犯不法の 内容の問題はもとより共犯不法において従属性原理がいかなる役割を果たすのかという従属性原理の機能論であり、 それはまた共犯における正犯行為の位置づけの問題に他ならない。その際、従属性原理が共犯固有の帰属原理であ り、共犯における帰属問題として検討を加える必要があると思われる。 ︵1︶ 拙稿﹁共犯における正犯行為の構造的地位︵四と東洋法学三〇巻丁二合併号︵昭六二︶二六〇頁以下。なお、共犯の処  罰根拠に関する最近の文献として、共同研究﹁共犯処罰の根拠﹂刑法雑誌二七巻一号︵昭六一︶二六頁以下、中義勝﹁違  法の連帯性と要素従属性﹂関西大法学部百周年記念論文集上巻︵昭六一︶三七三頁以下、相内信﹁わが国における惹起説の  問題状況﹂金沢法学二九巻丁二号︵昭六二︶四〇一頁以下、佐藤多美夫﹁共犯の処罰根拠︵一︶﹂北海道駒沢大学研究紀要

  東洋法学      四八七

(5)

  共犯における正犯行為の構造的地位︵五・完︶      四八八   二二号︵昭六二︶三七頁以下、ω。評箏螢導ヤ鶴轟ゆ①3艶畠窃江磐島弩鵯馨容。浮§α魯①甲ぎN首山震留ぎ馨<Φ獲馨≦o旨毯αQ  αR︾&鍵のpおG 。9幹島舞参照。 ︵2︶竃窪鵠魯6α器魯N首びω痘ぼ9F︾臼ヤ↓o陣一簿&蝕9︾象rおoo魁︸ψ冨蒔︷粋なお、井田良訳﹁ゲッセル﹃ドイッ刑  法における正犯と共犯﹄﹂法学研究︵慶応大学︶六〇巻五号︵昭六二︶九七頁以下参照。  e 従属性原理の機能  ω 純粋惹起説の主張者であるリュ⋮ダーセンによれば、共犯者はもっぽら自己の不法に対して答責的であるとい       ︵王︶ う原則が貫徹され、従属性原理すなわち他人の所為寄与の意義は単に事実上のものとされ︵事実的依存性︶、したが って、正犯行為は共犯行為と正犯結果との因果関係を媒介するだけの役割しか有さないことになる。従属性が事実的 依存性か法的依存性かという点は一つの問題であろう。正犯は直接的法益侵害であり、共犯は間接的法益侵害である    ︵2︶ という場合、おそらく純粋惹起説はそこに量的差異のみの存在を看取するわけであるが、その意味が統一的正犯体系        ︵3︶ とは異なり両者間に何らかの価値的差異を認める趣旨であるならば、従属性原理が既に法的依存性であることを肯定         ︵4︶ していることになろう。あるいは両者は同価値であると解したとしても、事実的依存性というだけではあまりに無内 容であり、事実的依存性の法的性質が間題とならざるを得ないように思われる。共犯者犯罪の理論を提唱したシュ、・・ ットホイザーは、共犯の処罰根拠は正犯のそれと異ならず、共犯者自体が法益尊重要求を侵害する点にあるとし、共 犯者犯罪の不法構成要件において共犯の行為無価値と結果無価値を整序した。その際、基本となる無価値は行為無価 値であり、結果無価値の一部分に正犯行為が包摂されるが、それはもっばら当罰性の観点から行われるのであり、そ

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      ︵5︶ の点で従属性原理を一種の可罰性の条件と理解する見解といえよう。  以上のような見解は、共犯行為の不法はそれ自体の中に存在し、正犯行為を、事実上の損害発生に対する当罰性の 要請すなわち構成要件的な法益侵害が発生した場合に共犯行為を処罰しようとの考慮から、共犯不法の外部に位置づ けるものである。正犯行為は、共犯の可罰性を根拠づけるのではなく、それを限定する機能を有することになり、従        ︵6︶ 属性原理にもっぱら可罰性を限定する機能しか認めないとする考え方といえよう︵可罰性限定機能説︶。この考え方 は、共犯の正犯行為への依存性は刑事政策的合目的性から決定され、立法者は依存の有無や依存の仕方を自由に決定 でき、共犯行為も法益侵害と結合されるべきであるという点だけを維持し、それ以上の法的性質は事物から提示され ないというものである。共犯と正犯行為との関係は概念的にではなく立法者の決定に基づいてはじめて設定され、そ        ︵7︶ の場合、正犯行為を因果的結果惹起とのみ結合させるわけである。  ③ 可罰性限定機能説に対しては、その従属性原理の一面的理解を批判し、従属性にはさらに可罰性を根拠づける 機能があるとする見解が対立する︵可罰性根拠づけ機能説︶。この見解の中でも従属性原理をもっばら関係概念と把 握し、共犯は規範違反の行為ではあるが、構成要件に該当する法益への攻撃を実現し得ず、構成要件に該当する犯罪       ︵8︶ 行為である正犯行為への依存性があってはじめて可罰的な不法となるという考え方がある、この考え方は、規範違反 の内容にもよるが、共犯それ自体に可罰的な不法は存在せず、共犯不法はもっぱら正犯の不法から借り受けるとする 既に克服された共犯借受犯説であるということができよう。これに対して、従属性原理によって共犯の不法内容︵共       ︵9︶ 犯の行為無価値︶の中に正犯行為を取り込む考え方がここでいうところの可罰性根拠づけ機能説である。この見解に

    東洋法学       四八九

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    共犯における正犯行為の構造的地位︵五・完︶      四九〇 よれば、従属性原理の限界機能は法益侵害への因果的なすべての行為から特徴的な無価値構造を示す行為を選ぶ点に あり、そこでは特定の行為態様の具体化が間題となり、その場合に基礎となるのは行為無価値である。正犯行為は共        ︵10︶ 犯としての法益侵害の態様を規定する要素であり、共犯の行為無価値を構成する、というのである。正犯行為を共犯 の行為無価値と解した場合、正犯行為が存在しないときには共犯にはその行為無価値が欠如するが故に共犯の未遂に       ︵琵︶ ならないと説明することになる。  既に述べたように、正犯行為は共犯不法の内容を構成し処罰条件ではないという理由から、これに反する立場から の可罰性限定機能説は妥当でなく、また可罰性根拠づけ機能説も共犯独自の不法を否定するのであれば妥当でない。 いずれにせよ、共犯不法の実質的内容が問題とならざるを得ず、それを踏まえたうえで検討しなければならない。そ の際、正犯行為は共犯の行為無価値に位置づけられるのかそれとも結果無価値に位置づけられるのかという問題に焦 点が絞られることになろうし、正犯不法も行為無価値と結果無価値とで構成されるが故にさらに分析の必要性があ り、この点については後に総括しようと思う。  ⑧ 次に、従属性原理のその他の機能を検討しなければならない。純粋惹起説及び共犯者犯罪の理論は因果性の観 点のみを志向するいわば因果的帰属基準を採用するものであるが、因果性という基準は関与形式の特徴づけ及び相互 間の区別に対して有効な基準となり得ないということは否定できない。確かに、因果性は共犯処罰の前提的根拠であ るが、それだけではすべての所為寄与は同価値となってしまい、関与形式の特徴づけ及び相互間の区別は不可能にな ってしまうであろう。これらを可能にするのは、非因果的基準すなわち人的帰属基準であり、従属性原理はまさに共

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      ︵狙︶ 犯にとっての人的帰属基準として機能するものと思われる。この点は、正犯にとっての人的帰属基準である行為支配 原理と対比することによって明らかとなる。行為支配概念の内容についてはいくつかの見解の相違があるが、それが 因果性を前提とした人的帰属基準であることは一般に認められている。所為寄与の構成要件的結果に対する因果性の 存在は正犯と共犯に共通の点であり、行為支配の存在により正犯性が基礎づけられる。行為支配は行為者と所為との        ︵捻︶ 規範的関係すなわち関与者に結びつけられた意味連関を問題にするものである。例えば、予備段階における共働が共       ︵14︶ 同正犯になるか否かという問題について行為支配性を肯定する見解と否定する見解とがあるが、構成要件的結果に対 する因果性は前提とされており、いかなる関与形式の特徴を示しているかの争いにすぎない。これに対応して共犯に とって従属性原理は共犯者に結びつけられた意味連関を問題とするのであり、共犯者が何を惹起したかという問題に ついては因果的観点が有効であるが、共犯者と正犯者及び正犯者によって実現された構成要件的不法との関係は規範 的な人的帰属基準によって判断され得る性質も有している。もっとも、その具体的内容をいかに理解するかによっ て、共犯者と構成要件的不法の帰属関係も異なってくる。  一般的見解によれば、このような人的帰属基準としての従属性原理はまず行為支配のない関与者に共犯としての可 罰性を付与するという機能を有する︵行為要素に関する可罰性拡張機能︶。構成要件的不法は第一に行為支配を有す る関与者に行為支配原理によって正犯として帰属され、第二に行為支配を有さない関与者に従属性原理によって共犯 として帰属されることになる。次に身分犯の場合、従属性原理は身分のない関与者に共犯としての可罰性を付与する という機能を有する︵主体属性に関する可罰性拡張機能︶。まず、身分者が行為支配なく共働した場合、従属性原理

    東洋法学      四九一

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    共犯における正犯行為の溝造的地位︵五・完︶       四九二 はもっぱら行為支配の欠如の橋渡しを行う。次に、非身分者が行為支配を有して共働した場合、従属性原理は身分に 基づく義務的地位の欠如を補充する。最後に、非身分者が行為支配なく共働した場合、従属性原理は行為支配の欠如       ︵妬︶ 及び身分に基づく義務的地位の欠如を補充する。この二つの機能は﹁従属性原理の二重機能﹂と称されているが、そ の具体的内容は必ずしも明らかではない。また、従属性のこのような機能をどのような形で認めるのかが問題となろ う。これらの問題についても、共犯不法の実質的内容をいかに把握するかが問題となるのである。 ︵1︶ ︵2︶ ︵3︶ ︵4︶ ︵5︶ ︵6︶

((

87

))

 ピ鉢αRωω。7鉾鉛●○こω・一〇 法本質論に遡って検討を加える必要がある。  共犯を間接的法益侵害と特徴づけるだけでは共犯の不法内容を明らかにすることはできないのであって、後述のように違 の批判的考察﹂早大法硯論集二六号︵昭五七︶一八九頁以下参照。  ピ段霧霧P浮奪ω窪鋤蒔目§αα震凝葭替簿ρ一88ω●謡︷許一這舞リューダーセンの見解については、拙稿﹁惹起説 〇刈歴  艶oざO一①ω簿色蒔§σqω翫○戦臼巴ωN餐の畠霊贔。 。蔓饗ω一碁即旨笥①。ぼ、這oo斜ω9嵩P  ω号鷺申象魑奮gω#織器o︸さ︾◎↓‘ド︾象rお謡讐ψ㎝器籠。嚇号Hω‘碧欝津oo嘗ヤ>.↓‘ωg象窪げ蓉rド>鋒rおo o腿u ω・卜o爵搾シュミットホイザーの見解については、拙稿・前掲﹁惹起説の批判的考察﹂一八六頁以下参照。  い書σQのごO器ω○&R︿禽ぴ冨。ぎpお§”ω。bo峯”&9鼠畳界竃Φ鴇び↓讐びoσq無胤仁&↓の囲圃p魯薫の巳。ヨ︷礎○︾一箋O触ω。 鱒鍵捨  聾oざ鋤る。○こω’一〇 〇トっ零  ζ雲声。ダUo暮。 。9のωも oσ縁3。窪ヤ︾。↓‘癖。︾鶏一‘お謡︸も っ●①認嚇鷺雲獲o﹃○α。 。ω①響§風ヤ望審斯の3“鋤。鉾○こω。卜oc oO鎗● マウラッハの見解につき、描稿・前掲﹁惹起説の批判的考察﹂一九五頁以下参照。

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︵9︶ ︵10︶ ︵U︶ ︵皿︶ ︵鴛︶ ︵蕉︶ ︵15︶  匹○ざ螢●鋤。○‘も o◎一〇〇戯惨  園畿o圃喜舘ぎ訂詳瓢鼠剛§節団8伽①ω鎖弩9きσQω§類R酢。。 Dぎ勾跨簿窪山角速お○轟一g¢導Φo讐巴ΦぼΦ㌧男。器。ぼ﹂﹂≦霊声oF お詰噸ω●零嚇<○σQ一9N畦即品の餌禽¢話鋤o濱凶3ぎ評繕簿切鉱獣罵の鐵穫島Φ顕鎧麿け辞守。 。誘oぼ。猶鵠のぎ団昼お遷︸ω・G oOP  聾oざ鉾勲○こω●一〇 〇9  匹oざ欝餌●○‘幹8鷺こ邸8︷捨  匹○ ざ鈴●勲○‘幹8鷺の  菊○図 5↓警①錺o冨津§山↓鋤島R誘畠錬けb麟●︾焦一‘おo oトも o。的8︷貼∴儀Rωこ9Φζ一露飲8謎。冨津緬簿ω嘗勉ぼのo簿﹂>︾お毎り ω.O旨い 。。㌶㌧↓簿ぎ旨。 Q魯鉱け仁&↓簿R註一一ρ︸N、一89ω●額O榊男。O●o o。ぼoagO段↓轡Rゲぎ富㎏8鷺↓餓$びお臼︸ ω矯禽嚇O簿器び90ギ○露。導鋤艶く留厩禦昏。房鼠鐸5ω馨轡這鳶︸o o・置9なお、匹○ざ鋤﹄●○こ¢葭蒙●参照。  口 帰属原理としての従属性       ︵1︶  ω帰属構造の一般的基礎は帰属主体︵人︶と帰属客体︵事象︶とから構成される人的関係である。ここでは、帰 属主体は共犯者であり、帰属客体は構成要件的不法である。共犯者に構成要件的不法が帰属されることによって﹁共 犯不法﹂が存在することになるが、いかにして帰属が生じるのかが問題となるのであって、共犯不法の内容を帰属と いう観点で検討する必要がある。  まず、正犯者だけが構成要件的不法を実現するのであり、共犯者に対しては従属性原理によってはじめてその構成        ︵2︶ 要件的不法が帰属されるという見解が考えられる。これによれば、行為支配を有する正犯者においては構成要件的不

    東洋法学      

四九三

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    共犯における正犯行為の構造的地位︵五・完︶       四九四 法が行為者人格に依存しており分離できない関係にあるが、共犯者においてはそのような関係はなく、正犯者によっ て実現された不法が従属性原理によって帰属されるのであり、共犯者は他人の構成要件的不法に対して答責される、 ということになる。この見解が共犯の固有の不法を全く考慮しないのであればそれは妥当でない。なぜなら、それは 従属性を関係概念と把握する見解さらに過去の遺物である共犯借受犯説に至るものだからである。共犯者による固有 の法益侵害が認められなければならないのであり、従属性原理によってのみ共犯者に構成要件的不法が帰属されると いうものではない。  次に、共犯固有の法益侵害性を肯定するが、その要素はもっぽら従属性原理に内在する帰属の限界として従属性原        ︵3︶      ︵感︶ 理に包含させる見解が考えられる。この見解は共犯の処罰根拠につき従属性志向惹起説︵修正惹起説︶を採用する立 場といえるが、共犯固有の法益侵害といっても正犯によって実現される構成要件的不法への接触点としての共犯行為 を考えているように思われる。すなわち、共犯による保護法益への固有な侵害は正犯によるそれから独立した法益侵 害が問題とされているわけではない。しかし、それでは共犯固有の法益侵害性を肯定したことにはならない。共犯固 有の法益侵害性は正犯のそれとは独立した、いわば一種の正犯的要素に他ならないのであり、因果性原理が妥当する 領域である。  このように考えてくると、共犯者も構成要件的不法を実現するという立場から出発しなければならないように思わ れる。ただ、それは正犯行為を通じて実現されるという点に共犯特有の帰属問題が存することになる。その場合、 ﹁正犯行為を通じてしという点をいかに理解するかが問題であり、従属性原理と固有の法益侵害原理とを二元的に考

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      ︵5︶ ・ 慮する折衷惹起説︵従属的法益侵害説︶の立場から両原理の関係を分析する必要がある。前述のように、まず従属性 原理によって正犯不法が共犯者に帰属されて共犯不法の外枠が確定され、次にその内部で共犯固有の法益侵害性が確 定されることになると思われるが、この点は、違法の本質論と共犯の不法内容を分析し、いかなる要素が従属し、い かなる要素が独立するかを検討しなければならない。その際、共犯の構成要件的結果への因果性が共犯処罰の前提的 根拠であることを看過してはならない。  ③ ところで、帰属原理としての従属性原理によって関与形式の区別が可能となり、その場合関与形式は帰属類型 として把握されることになろう。一般的帰属論の基礎原理を探究したハルトウィッヒによれば、帰属論の課題は違法 な事象を主体に関連させる結合原理を展開させることにあるとし、いかなる態様で帰属可能であるかが問題となり、       ︵6︶ 正犯・教唆犯・轄助犯は犯罪形式ではなく、帰属の種類・態様であるとされる。これを踏まえてブpイは関与形式を         ︵7︶ 帰属類型と把握した。彼によれば、個々の関与類型は構造的な帰属類型であり、帰属類型﹁共犯﹂は帰属類型﹁正 犯﹂に依拠して構築され、いかなる性質の帰属類型かの問題についていくつかの見解を検討している。まず、関与形 式を経験的類型として把握する見解と規範的類型として把握する見解とに分類する。前者の見解に属するハルトウィ ッヒの立場は社会生活の基準によって正犯・共犯論を考察し、社会事象としての所為を全体的に考察する。関与形式        ︵8︶ は態度モデルであり、重要な点は具体的状況の社会的意味内容・帰属内容である。また、ゲ⋮ルズは関与形式を犯罪        ︵9︶ 現象学的所為類型と把握し、関与形式が量刑において意義のあることを指摘した。後者の見解として、エンギッシュ       ︵紛︶ は正犯と共犯とは対極関係にある類型であり、正犯と共犯との区別は全体的所為に関連すると説いた。ザックスは正

    東洋法学      

四九五

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    共犯における正犯行為の構造的地位︵五・完︶       四九六       ︵11︶ 犯と共犯とを質的に異なる無価値判断の類型と把握し、ゲッセルは正犯と共犯との形態の中に構成要件実現の場合の        ︵⑫︶      ︵欝︶ 関与者間の機能連関の描写を看取した。シュミットホイザーの全体性説もこれらの見解に属するものである。・クシ       ︵M︶ ンの多元的正犯論も関与形式を規範的類型と把握するものとされる。  このように、これらの見解は帰属類型の性質については各々異なっているが、関与形式を帰属類型と把握している 点では共通しているといえよう。問題は、帰属類型と理解した場合にいかなる帰結が生じることになるかである。第 一に、正犯と共犯との区別の問題について一つの基準によっては解決できないということである。すなわち、正犯と 共犯とを明確かつ厳格に区別することを可能にする指導原理は存在せず、いくつかの類型要素を考慮しながら関与者 と構成要件的不法との人的連関によって正犯・共犯の帰属類型を区別することになる。第二に、その結果、各関与類 型のメルクマールは関与者の相対的地位によって規定され、正犯・共犯の基準が相対化することになる。すなわち、 ある面から見れば正犯であるが、別の角度から見れば共犯と特徴づけられる場合がある。第三に、この見解を徹底す れば、各関与類型は単に行為態様による区別でありそれぞれ価値的・責任的に同等の類型と考える機能的統一的正犯 体系に至ることになろう。関与形式を区別するのは構成要件の次元での類型的思考を可能にし、法治国家的明確性を 維持するという政策的なものにすぎないのである。従属性原理は共犯体系における基本的特徴を構成するものである が、その理解の仕方によって統一的正犯体系︵とりわけ機能的体系等︶に接近してくるのであり、とくに各関与類型 を量的に異なった結果惹起類型と把握する場合には統一的正犯体系︵機能的体系等︶を採用する考え方と解すること ができるのである。もっとも、これらの点につかては、統一的正犯体系と共犯体系との比較検討によって解明されね

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      ︵15︶ ばならず、別稿に譲らざるを得ない。  以上、従属性原理の機能とその帰属原理的性格を検討してきたわけであるが、これらの具体的内容を確定するため には結局のところ共犯の不法内容をいかに把握するかという点に依存するのである。 ︵1︶ ︵2︶ ︵3︶ ︵4︶ ︵5︶ ︵6︶ ︵7︶ ︵8︶ ︵9︶ ︵憩︶  悶m箆≦西望のN費。。ぎ騒αq●曽欝N①馨巨冥・露Φ簿象のω器ぼゆ魯歩這竃︸鉾無φ︹︵資料︶植田博﹁ハルドウィッヒ﹃帰 属ー刑法の中心問題ー﹄﹂法学研究所紀要︵大阪経済法科大︶二号︵昭五七︶一二四頁以下︺。  この見解は、共犯の処罰根拠に関する不法共犯説から主張されるものである。不法共犯説につき、拙稿﹁貴任及び不法共 犯説の枇判的考察﹂早大法研論集二二号︵昭五五︶一六八頁以下参照。なお、大塚教授は教科書の改訂版で不法共犯説的立 場を採用することを明言された。大塚仁・刑法概説︵総論︶︹改訂版︺︵昭六一︶二五一頁。この見解は因果共犯論︵惹起 説︶とは区別されることに注意しなければならない。  聾oざ勲勲○‘ω,鱒9’  従属性志向惹起説︵修正惹起説︶については、拙稿・前掲﹁惹起説の批判的考察﹂一九四頁以下参照。  従属的法益侵害説︵折衷惹起説︶については、拙稿・前掲﹁惹起説の批判的考察﹂二〇〇頁以下参照。  寓鋤氏≦西鈴﹄●ρ℃O り曾一お。植田博・前掲﹁帰属i刑法の中心問題ー﹂法学研究所紀要三号︵昭五七︶一四七頁。  関与形式を帰属類型と把握し、共犯理論を展開したのは、艶3も﹄。○こ8ω舞である。  評箆≦酋N角浮αq3欝暴αQくg墨感8毯鼠坤き飢ω①︸ゲ濠ρ○ン這翼ψも 。紹㌦︷’蔵霧‘寧霞α窪ゆΦαq塊一籍α霞 日簿①誘o訂欝旨N㌧お臼︸ω●①爲騰捨  ○。。箆匂心㌧幻。N9ω凶○簑勾o図ぎ㌧↓鰹①話。訂津§α↓鋤費鯉議。冨登一80 。矯ぎ”○︾、お①9ω.曽黛栖  国轟認7霞卑2島。図簿惹。ε弩αqα醇αoαq讐鋒の島窪ω窪駄39房&の。 。窪ω。冨津ωの評一80<。毒鉱器ω§鱒ぎα巽幻臥OH簿 儀g︾凝Φ営のぎ窪↓毘ω山①のω鐸鉱箱。ぼω潟斥≦膿の麟償αQ簿窪ざN鱒≦︸09お総”ω●器鷺い

 東洋法学      四九七

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  共犯における正犯行為の構造的地位︵五・完︶ ︵U︶ 留きO巽ω§号のαQo鼠o穿ωぎ協§鎚餅の↓警毘Φぼρ︸N︸這8︸堕器無州● ︵1 2︶ Oαωω①ごω貸鉱冨号欝σQo註峯信茜鉱。 ・α甦。ζ一ω畠震ギo器ρ男のω$oぼ﹂b評83一S合ψ⇔︷略⇔ ︵13︶ ω魯簿箆鐸霧9ωq鎚坤①魯ご曽●欝○こω●宅①・ ︵皿︶とくに、刃○×一P国ぎも窪曾雪箆帆へ山窃望獲ぼ9讐ωω遂8簿。 。㌧N幹≦vc oG 。︾お譲︾ψG oO9 ︵巧︶ さしあたり、拙稿﹁統一的正犯概念に関する一考察﹂早大法研論集一七号︵昭五三︶一二二頁以下、   おける共犯論ー統一的正犯体系の展開ーi﹂比較法︵東洋大︶二三号︵昭六一︶八五頁以下参照。 四九八 同﹁オーストリアに  日 共犯不法の内容    @ 共犯における所為概念  共犯の不法内容を検討する場合にまず考察しなければならないことは、共犯も正犯と同様に自己の犯罪行為を遂行       ︵1︶ するのか否かという点である。すなわち、共犯に所為概念︵↓彗ぴ紹穫濠︶が肯定できるのかどうかという問題である。 修正惹起説︵従属性志向惹起説︶は従属性原理に基づいて正犯者の犯罪行為に関与するという考え方であり、共犯は       ︵2︶ 所為を遂行するものであるとは考えていない。これに対して、純粋惹起説︵独立性志向惹起説︶及び共犯者犯罪の理 論は共犯の独立した犯罪行為性を肯定する考え方である。折衷惹起説︵従属的法益侵害説︶も共犯固有の法益侵害性 を肯定するが故に、共犯に所為概念を肯定する考え方に属するといえる。結局、共犯の法益侵害的性質が正犯行為の 存在から独立しているか否かが見解の分かれる点である。従属性志向惹起説は、共犯の法益侵害が正犯行為を通じて のみ可能であり、また、正犯が未遂となった場合にのみ可罰的となることを理由に、共犯の正犯行為への法的依存性

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を肯定し、所為概念を正犯類型のみに認めるわけである。しかし、因果共犯論・惹起説から出発する以上、共犯も正 犯と同様に構成要件上の保護法益を侵害するのであり、各則の法定刑が基準となって処罰されることを考えれば、共 犯の独立した犯罪行為性すなわち所為概念が肯定されるべぎであろう。確かに、共犯は正犯行為の一定の条件に依存 しているが、それは共犯の可罰佳の刑事政策的制限と解することがでぎる。また、構成要件は一定の態度を法律上記 述したものであり、共犯規定︵教唆・箒助︶はこの種の、法律上類型化された行為を形成するのであって、共犯は各 則上の構成要件該当行為を実行しないが、それはただ共犯は犯罪行為を正犯的に遂行しないということにすぎないの  ︵3︶ である。すなわち、共犯規定は教唆・辮助という特定の形式で法益侵害を遂行する行為態様のみを処罰しょうとする 法治国家的原則に基づくものであり、可罰的関与形態の限定を形成するものである。したがって、共犯行為は犯罪行 為の異なった現象形式であり、自巳の犯罪行為に対してその不法内容・責任内容が確定されるべぎであるが故に、共        ︵4︶ 犯にも所為概念が肯定されなければならないと思われる。その限りでは、純粋惹起説及び共犯者犯罪の理論は妥当と       ︵5︶ 解せられ、従属性原理の一つの機能として可罰性限定機能が承認される。また、帰属類型的性格については、共犯が 正犯と同様に自己の犯罪行為を遂行するという限度で、正犯と共犯とは単に量的差異しかない帰属類型であると結論 づけることができる。

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この問題について論究したのは、蜜●界竃29勲斜 例えば、竃②幾9 ユ。ぴOの葺の3霧望風お。拝>8、鋤・

東洋法学

OこGo駆鱒誌律である。 鋤。○こω”①謡嚇ζ鋤瑛8ぴOαω零劉鰻鳳㌧ ω鍵鋤笥oo簿ヤ勲鉾    四九九 ○‘ψ鱒ooご

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  共犯における正犯行為の構造的地位︵五・完︶  <oσq一①びN農串おの留域¢誘9置陣魯ぎ津留肖ωの費豪①協鍵山帯譲雲算欝舘鉾斜○こω。80● ︵3︶鍔国’窯Φ器び鋤る。○;ω’謡津’ ︵4︶ ζ●譲・竃Φ器ご勲鉾○‘ω・謡刈い ︵5︶例えぽ、い碧αQgU器ω○包①ミRぼ。島聲勲勲○‘ω●ぶ9参照。 参照。 五〇〇    ⑥ 違法本質論と共犯論 共犯に所為概念が肯定されることになると、共犯固有の不法が存在することを認めざるを得ない。そして、その内 容を確定するためには違法本質論についていかなる立場を採用するかという問題に遡って解決しなければならない。 ここでは違法の本質について若干の検討を加えておきたいと思う。  前述のように、私見によれば、違法性は行為無価値と結果無価値の両者によって構成され、行為無価値の内容とし て主観的行為無価値に故意・過失が属し、客観的行為無価値に故意行為・過失行為が属し、結果無価値の内容は法益       ︵王︶ 侵害とその危険と解される。この点についてさらに分析を行いたいと思う。       ︵2︶      ︵3︶  刑法の主たる機能は法益保護にあるが、その場合、事前的に法益保護を志向する予防的な側面と事後的に法益保護        ︵4︶ を志向する抑止的な側面との二段階的方法で実現される。まず、刑法は予防的な形で法益侵害を禁止するのである が、すべての法益侵害を禁止するのではなく、客観的に危険な行為による法益侵害のみを禁止するのである。すなわ       ︵5︶ ち、予防的な法益保護は人間の一定の行為を禁止・命令することによって実現されることになる。したがって、不法 内容として第一に行為規範違反が設定される。行為規範違反の主観的側面が志向無価値︵算①呂o器§≦璽︶つまり

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結果無価値の獲得努力の無価値であって、これだけを違法の本質と解するのが行為無価値一元論であり、さらに行為        ︵6︶ 無価値二元論の中にも行為無価値の内容をこの志向無価値に限定する見解もある。しかし、不法は意思不法ではな く、所為不法︵↓鋤賞鷺9ぼ︶であり、犯罪行為が法的無価値判断の意味で禁止されるのは、法不服従の表現としてで はなく、犯罪行為に結びついた、法益侵害ないし具体的な法益の危殆化の現実のチャンスが存在するからである。そ        ︵7︶ こでは現実の危険の創出が禁止されるのであって、このような危険な態度が不法の原型といわねばならない。したが って、行為規範違反の中に客観的側面すなわち客観的行為無価値も包含させる見解が妥当と思われる。客観的行為無 価値の内容としては行為の種類・態様が考えられるが、これらは危険な態度を規定するものであり、その意味で客観 的な危険性というものが中核的な構成要素といえよう。この危険不法︵葱ω涛窪漠Φ聞︶あるいは危険性不法︵○の鐘ぼ− ぎ鐸島誓謹o。ぼ︶というべき客観的行為無価値に主観的行為無価値︵志向無価値︶が結合してはじめて完全な行為無       ︵8︶ 価値︵行為規範違反︶が構成されることになるのである。  次に、事後的に法益侵害を抑止するという刑法の機能面から、法益侵害ないし法益の危殆化という結果要素が不法 内容︵結果無価値︶を構成することになる。すなわち、刑法は被害者に対する犯罪行為の否認・原状回復という形で        ︵9︶ 犯罪抑止的に機能し、その際、危殆化結果・侵害結果はそのような否認・回復にとっての端緒となるものである。こ の点から行為者による危険創出は危殆化結果ないし侵害結果へと実現しなければならないという要請が生じるのであ       ︵⑳︶ る。前述した行為無価値はこのような結果無価値と結合して犯罪行為の﹁全体的不法﹂を形成することになる。すな わち、行為者の行為の規範違反的危険性が具体的な危険結果に発展するかあるいはさらに法益侵害という形で実現さ

    東洋法学       、   五〇一

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    共犯における正犯行為の構造的地位︵五・完︶       五〇二 れることが必要であり、発生した具体的危険結果あるいは侵害結果が行為者に客観的に帰属され得るということが可 罰性の要件となる。行為者がその危険な行為によって全く偶然に構成要件該当の危険結果あるいは侵害結果を惹起し たことでは十分でなく、具体的結果の中に行為者の行為の危険性が実現されねばならない。そして、危険結果あるい は侵害結果の帰属がそれらの結果の中に実現された行為の危険性によって媒介されることを考えれば、行為無価値と       ︵難︶ 結果無価値の両方が不法の構成要素であるという結論に至るのである。  このような違法本質論についての考え方を前提として共犯の不法内容を検討しなければならない。すなわち、共犯 の所為概念が肯定され、共犯固有の不法内容が存在すると解する以上、共犯にも自己の行為無価値・結果無価値が存 在することを認めざるを得ないのであり、その内容は違法本質論の立場に規定されることになる。

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︵3︶ ︵4︶ ︵5︶  拙稿﹁共犯における正犯行為の構造的地位︵二︶﹂早大法研論集三二号︵昭五九︶二八五頁。  もっとも、刑法の機能には、その他に、規制的機能・抑止機能・秩序維持機能・保障的機能等があり、これらが複合的に 働き得ることはいうまでもない。西原春夫・刑法総論︵昭五二︶八頁以下。しかし、二者択一的に、社会倫理秩序維持機能 かそれとも法益保護機能かという︵問題のある︶図式でいえば、中心は後者であるといわねぽならない。  菊&o剛冨赴U醇N≦Φ。一ハω鐘劉一〇げ窪ω群p 。葎Φo即ω信&象①ω簿織話魯象9窪 N無①oぎ量αq駄gヨ窪bぎ“○旨”無獲αQ窪畠①ω 簿鼠①簿窪ω¢紙冨o露霧誘8簿ω、這oo合ω・8︷施●  ≦○一器び○ぴ冠a︿①き山需霧○奉囲のN霞①。ぼ§職巽3¢糞①oぽ、NζαQ薫90ぎω包貫轟巽窓ぴ①驚讐δ団8ε。。㌧ぎ“O毎諮象鏡αq①ぎ 餌る。○‘ω.レ8㎏●  ≦o一審び鋤如●○こω6一8怜

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︵6︶

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87

))

︵9︶ ︵m︶ ︵n︶ 行為無価値と結果無価値をめぐる対立状況については、拙稿﹁共犯における正犯行為の構造的地位︵一と 早大法研論集三一号︵昭五九︶一二八頁注︵5︶参照。さらに、麟韓§ダく鍵鼠浮霧ω硬窪禽§σQ弩α○お⑫鉱終罰曾ぎ望風− 箱3“︾畠璋賠N轟菊鰍○戦讐階。 弓ω貸織お魯象畠窪¢糞。o一誘ぴ紹議駿質&α費菊oαQoぎ篇段○窃。goのき≦窪象夷㌧おoo9の。co窯粘. 川端博﹁実質的違法性論︵下と法学セミナ⊥子八六号︵昭六二︶六四頁以下参照。  ≦○一8さ騨鉾○‘ψ一〇9  斉藤誠二﹁承継的共同正犯をめぐって﹂筑波法政八号︵昭六〇︶四五頁以下、同﹁共犯の処罰の根拠をめぐって﹂法律時 報五七巻六号︵昭六〇︶九五頁以下。  ≦o一8び鉾鋤.○‘も o。一8巳  菊仁儀○管窯︸9 身る.○ごω。ooO略歴脚≦○剛冨び鉾鉾○こo o’一〇9  カ&○一筈ご9 。5欝○‘ψc oも o導    @ 共犯における行為無価値と結果無価値  前述のように、共犯の処罰根拠は構成要件上の保護法益への従属的な侵害の点に存する︵折衷惹起説・従属的法益 侵害説︶。この見解は共犯不法は正犯不法に対して一部従属一部独立していると説くものであり、違法の相対性を一 部否定一部肯定する考え方である。すなわち、一方で﹁正犯なき共犯﹂を否定し︵正犯不法なければ共犯不法なし︶、        ︵1︶ 他方で﹁共犯なき正犯﹂を肯定する︵正犯不法あっても共犯不法なし︶ことになる。共犯不法は法益侵害という独 立・固有な要素と正犯行為の不法から導かれる従属的な要素とから構成され、法益侵害原理︵因果性原理︶と従属性 原理との両方が共犯における帰属基準となる。この二元主義ともいうべぎ考え方は、純粋惹起説λ独立性志向惹起

    東洋法学       

五〇三

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    共犯における正犯行為の構造的地位︵五・完︶      五〇四 説︶と修正惹起説︵従属性志向惹起説︶との中間に位置するものであるが、その内容については必ずしも明らかとは いえない状況である。純粋惹起説によれば法益侵害原理が唯一の帰属原理となり、修正惹起説によれば従属性原理が 唯一の帰属原理となるが、折衷惹起説によれば両原理が帰属原理と把握されることになる。法益侵害原理を因果的帰 属原理、従属性原理を人的帰属原理と把握するならば、共犯における帰属間題はこの二つの原理によって解決される べき事柄であるが、両原理の相互関係は、共犯における行為無価値および結果無価値の内容との関連で検討されなけ ればならない。  前述のように、共犯における本来的結果は正犯結果であり、共犯の因果関係は正犯結果にまで及んでいなければな らない。正犯結果が発生することにより共犯は既遂︵既遂犯への共犯︶となり、正犯行為が未遂の場合には可罰的共        ︵2︶ 犯未遂︵未遂犯への共犯︶である。これは因果的帰属原理の適用による結果である。共犯は一定の行為態様によって 構成要件上の保護法益を侵害あるいは危殆化する犯罪行為であるということが、共犯固有の法益侵害性の意味であ        ︵3︶ る。この法益侵害性は正犯の法益侵害性とは独立したものと解さなけれぱならない。これに対して、従属性原理を唯 一の帰属原理と理解する修正惹起説︵従属性志向惹起説︶によれば、共犯の法益侵害性は正犯の法益侵害性から独立 したものではなく、従属性原理の中に包含される。すなわち、共犯者の法益侵害は準正犯的要素であってはならず、 人格としての正犯者から分離でぎないのであって、従属性原理と固有の法益侵害性との二元主義は単なる並列であ       ︵4︶ り、あまりに形式的な調和にすぎないと批判する。この見解はもっぱら従属性原理に支えられた共犯論を志向するも のであるが、因果共犯論・惹起説から出発する以上、法益侵害原理に支えられた共犯論を志向しなければならない。

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問題は、共犯の固有の法益侵害性という場合に共犯不法の内容︵行為無価値・結果無価値︶をいかに理解することに なるのかという点である。  まず、共犯の結果無価値は、共犯行為と正犯行為および正犯結果との因果性によって構成されることになる。すな わち、共犯行為と構成要件上の保護法益への侵害および危殆化との連関である。この場合、正犯行為を通じてのみ実 現されるが、共犯の法益侵害性は正犯行為による構成要件上の保護法益への侵害および危殆化とは独立して判断され なければならない。したがって、共犯者が保護法益を完全に処理し得る場合には当該法益客体は共犯者に対して保護       ︵5︶ されていないが故に共犯の法益侵害性は存在しないことになる。例えば、正犯者が誤って教唆者の所有物を損壊した 場合には正犯者は器物損壊罪となるが教唆者には器物損壊罪の教唆犯は成立しない。しかし、正犯に法益侵害性が存 在しない場合には、共犯の法益侵害性すなわち共犯の結果無価値は存在しないことになる。この場合、正犯行為に構       ︵6︶ 成要件該当性が肯定できない場合でも法益侵害性が肯定されれば共犯が成立し得ることになる。例えば、第三者が犯 人の自己蔵匿を教唆した場合には、犯人の行為は構成要件に該当しないが、法益侵害性は肯定されるが故に犯人蔵匿 罪の教唆犯は成立する。  以上のように考えてくると、共犯にとって正犯行為は共犯行為と法益侵害性とを媒介する機能を有し、共犯固有の 法益侵害性を基礎づけられ得るような法益侵害を正犯は惹起しなければならない。このような意味での法益侵害とは 客観的に違法な構成要件該当結果と理解できるが故に、正犯行為は客観的に違法な行為であれば十分であり、故意行       ︵7︶ 為か非故意行為かを問わないのである。この意味で、正犯行為の結果無価値は共犯成立の必要条件となり、共犯不法

    東洋法学      

五〇五

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    共犯における正犯行為の構造的地位︵五・完︶      五〇六 の外枠は正犯行為の結果無価値によって画されるということになる。したがって、正犯行為が客観的に全く適法な場        ︵8︶ 合に共犯が違法となることはないのである。また、共犯行為は正犯行為の危険性が生じることによってはじめて可罰 的となることを考慮すれば、共犯不法はまず第一に正犯の結果無価値に従属し、その後に共犯固有の法益侵害性が判 断され、前者の点で、従属性原理について可罰性限定機能が認められることになろう。  次に、共犯の行為無価値の内容が問題となる。前述のように、従属性に対して可罰性根拠づけ機能を認める見解に よれば、共犯の行為無価値の中に正犯行為が包含されることになるが、その主張内容は必ずしも明らかではない。そ れは、共犯の行為無価値と正犯の行為無価値・結果無価値との関係の分析が行われていないからである。共犯の行為 無価値がもっばら正犯の行為無価値によって規定されるとするならば、共犯固有の不法を認めない結果となるので妥 当でない。共犯の行為無価値の部分的構成要素として正犯行為を考えているとすれば、共犯の行為無価値の中に正犯 の行為無価値だけを包含する場合、正犯の結果無価値だけを包含する場合、正犯の行為無価値と結果無価値の両方を 包含する場合とが存在し得るであろう。しかし、前述のように、結果無価値の内容を法益侵害とその危険と理解し、 これは正犯・共犯に共通な点と理解する以上、共犯の行為無価値に正犯の結果無価値が包含されるということはな い。したがって、問題は、共犯の行為無価値と正犯の行為無価値との関係という点に絞られることになる。  まず、共犯の主観的行為無価値の内容が問題となる。すなわち、共犯の志向無価値の内容をいかに理解するかとい う間題であり、共犯は構成要件該当の法益侵害だけを志向すればよいのかあるいはこの他にその実現に向けられた正       ︵9︶ 犯の行為無価値を志向することも必要なのかという問題がある。この問題については、共犯の行為無価値の中に正犯

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の行為無価値を包含する見解によれば、共犯の意思は正犯の行為無価値に向けられていることを要するという結論に なろう。なぜなら、正犯の行為無価値の実現によってはじめて共犯の行為無価値が完成されることになり、共犯はま       ︵10︶ ず正犯の行為無価値の実現を志向しなければならないからである。そして、その場合の正犯の行為無価値は故意の行 為無価値ということになろう。過失の行為無価値を志向する場合には過失行為を利用する行為態様となり、背後者は       ︵葺︶ もはや共犯ではなく間接正犯性を具備するからである。しかし、既に論じたように、共犯を間接的法益侵害︵従属的 法益侵害︶と把握するならば、共犯者自身が構成要件該当の法益侵害を教唆あるいは蓄助という行為態様で志向した か否かという点のみが重要となり、したがって、共犯の志向無価値としては構成要件該当の法益侵害の惹起だけを志 向すれば十分といわねばならない。このように、共犯の主観的行為無価値と正犯の行為無価値とは相互独立した関係 にある。  次に、共犯の客観的行為無価値については、教唆行為・幕助行為という行為態様がその内容を構成し、この点に正        ︵1 2︶ 犯の行為無価値との区別があることについては問題はない。問題は、共犯の主観的行為無価値についてと同様に両者 が相互独立の関係にあるか否かである。前述のように、正犯性の内容を構成する行為支配は正犯にとっての人的な帰 属基準と把握できるが、この行為支配は正犯の特別な行為無価値要素ということができよう。共犯にはこのような内 容を構成する行為無価値は存在しないが、この行為支配の欠如は共犯の不法に対して影響を与えるものではない。な ぜなら、共犯は行為支配のない関与行為︵教唆行為・蕎助行為︶によって構成要件該当の法益侵害を惹起し得るから である。したがって、前述した従属性原理の機能としての﹁行為要素としての可罰性拡張機能﹂すなわち行為麦配の

    東洋法学      

五〇七

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    共犯における正犯行為の構造的地位︵五・完︶       五〇八 欠如を従属性原理で補完するという機能を認める必要はないという結論に至ることになる。  しかし、問題は、身分犯における行為主体というような客観的行為無価値に関して、正犯と共犯とはいかなる関係 にあるかという点である。両者が全く独立しているとするならば、真正身分犯への非身分者の共犯は不可罰という結 論にならざるを得ないであろう。これは純粋惹起説及び共犯者犯罪の理論を徹底した場合の結論である。共犯自体が 構成要件要素を充足しなければ共犯が不法を実現したことにならないのであるから、身分のない行為者は正犯として も共犯としても不可罰となる。もっとも、シュミットホイザ!は基本的にこの立場であるが、現行法上やむを得ず可        ︵1 3︶ 罰性を肯定している。リュ!ダーセンも、前述のように、事実的依存性と把握された従属性原理によって真正身分犯       ︵M︶ への非身分者の共犯の可罰性を肯定している。身分犯をもっぽら義務違反と把握する場合には、純粋惹起説及び共犯 者犯罪の理論からは、義務を負わない者が義務者の行為への共犯として可罰的とすることはできない。シュミットホ イザーは亡のような考え方を基礎とするといえよう。他方、身分犯を法益侵害的に理解するならば、非身分者は法益 を身分者を通じて︵間接的に︶侵害できるということになる。この依存性をリューダーセンは﹁純粋に事実的な性 質﹂と特徴づけるのである。しかし、身分犯の性質をいずれの立場で理解しようとも、純粋惹起説及び共犯者犯罪の 理論からは真正身分犯への非身分者の共犯の可罰性を肯定することは困難であろう。共犯自体の構成要件実現あるい は共犯固有の法益侵害性を基礎とする立場によれば、身分犯を義務違反と考える場合はもちろんのこと、法益侵害的 に把握したとしても、身分のない共犯者は身分者を通じてであっても共犯固有の法益侵害は存し得ないのである。た だ単に正犯の法益侵害に対して何らかの寄与をしたにすぎないのである。すなわち、リュ⋮ダーセンのいう事実的依

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存性では非身分者の共犯の可罰性を肯定することはできないのであって、この依存性を﹁法的な﹂依存性と理解して       ︵焉︶ はじめて可罰性を肯定できると思われる。間題は、この法的依存性がいかなる内容を有するかである。思うに、法的 依存性という以上、共犯の可罰性が正犯の要素から導き出されるということを承認せざるを得ないであろう。つま り、前述した、従属性原理の機能である﹁可罰性根拠づけ機能﹂がこの点で働くことになる。しかし、その場合、正 犯の身分︵行為主体性︶すなわち主体属性が従属性原理によって共犯に拡張されるという﹁主体属性に関する可罰性 拡張機能﹂を肯定することにはならない。義務違反性という一身的要素が共犯に拡張されることはなく、やはり身分 者である正犯によって実現される法益侵害性が共犯に拡張されるものと考える。とするならば、本来、行為主体要素 は客観的行為無価値に関わるものであるが、共犯との関係では行為主体の結果無価値的側面のみが重要となり、正犯        ︵賂︶ の結果無価値との従属関係が存在するのである。したがって、客観的行為無価値についても正犯と共犯とは相互独立 の関係にある。  以上、共犯の不法内容は、原則として、共犯固有の行為無価値と結果無価値によって構成されるが、正犯の結果無 価値がまず第一の帰属原理として共犯不法の外枠を構成することになり、次に共犯固有の法益侵害性が判断されると いう思考過程となる。これを従属性原理の機能から見れば、正犯の結果無価値によって可罰性限定機能と可罰性根拠 づけ機能の両機能が働くことになる。この考え方の基礎には、共犯不法を法益侵害という固有の要素と正犯不法から 導かれる要素とから構成する折衷惹起説の二元主義が存することはいうまでもない。折衷惹起説に立脚する場合、共 犯が構成要件上の保護法益を侵害したか否かが中心的課題となり、その際、共犯が独立・固有の法益侵害的性質を有

    東洋法学      五〇九

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    共犯における正犯行為の構造的地位︵五・完︶       五一〇 する場合と共犯の法益侵害的性質が正犯行為の要素から導かれる場合との共犯の二類型を承認することになろう。 ︵1︶ ︵2︶ ︵3︶ ︵4︶ ︵5︶ ︵6︶

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87

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︵9︶ ︵10︶ ︵U︶ ︵鴛︶ ︵B︶  拙稿・前掲﹁惹起説の批判的考察﹂二一〇頁。  拙稿・前掲﹁共犯における正犯行為の構造的地位︵一︶﹂一四四頁以下。  とくに、鍔溶ζ藷8袋鋤ρ︸ψ謡窪●参照。  例えば、聾○ざ勲勲○‘ω﹄認監参照。  9けρω痘︷一〇ωの↓亀葛ゲ簿。ぎ司更ω。ぼ●やい撃αqρ一零9ω・曽ごω毒欝肇。旨7ω欝津①。一さ︾↓こ督G。,︾魯‘溜おG 。ご 幻魯,o。①9逡9寄蝕p額凶鼠αq霞麟○薯ま簿辞一9︾魯‘一So 。︸く・残㈱卜⊃①菊αp㌍o 。G。嚇ω馨ω8㌧ω號8墓蓼。ぼ擁 鋭○簿簿の馨震︸ω創ご︾↓こ魁。︾亀一。ヤおoo紳く霞㈱ま菊自聾嵩●  大越義久﹁共犯の処罰根拠と限定性﹂飛法雑誌二七巻一号︵昭六一︶二西頁。これに対して、西田典之﹁共犯の処罰根 拠と共犯理論﹂同上同巻同号一五〇頁参照。  拙稿・前掲﹁共犯における正犯行為の構造的地位︵工︶﹂二八五頁以下。  純粋惹起説からは正犯が客観的に適法であっても共犯が違法となり得ることを認めざるを得ないであろう。もっとも、山 中敬一﹁﹃共犯の処罰根拠﹄論﹂前掲・刑法雑誌同巻同号一四一頁は反対の結論を主張する。  幻&o一喜凶㌧ぎげ巴け§α屑募一&8留ω鑓餌&一弩σqω弩≦g。ωぼ評ゲ導窪山R需話8路昌¢零①。窪ω一Φぼ。、鎚る・○こω畢①8  0﹄3<毘蝕εお曽奪評囲ω3。蔦譲ωけの。ぼ﹂。団轟鴇零F冨8“ω●①O鷺断●嚇ζ霊獲。プbO窪聾帯ωG o欝跨。。一詳欝麟・○‘ ω.OO9  揺稿・前掲﹁共犯における正犯行為の構造的地位︵二︶﹂二八五頁。  竃●図●窯①器びΩ 。﹄●○こω.鱒臼嚇国oざ僧勲○こo oお搾  ω9急穿ぎω9ω器富。プけもる。○‘ゼ︾亀‘一零O”9蕊o。一脾鏡魯‘這謡”ω。漣9なお、拙稿・前掲﹁惹起説の批判 的考察﹂一八七頁以下参照。

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︵憩︶ ︵1 5︶ ︵節︶  ビ翫の誘。P鋤﹄’○‘ψ一零.大越義久・共犯の処罰根拠︵昭五六︶二一三頁以下、拙稿・前掲﹁惹起説の批判的考察し 一九一頁。  男舅劃げ堺。 。る.ρ鳩く身㈱卜OOヵ穿,一ω●拙稿・前掲﹁惹起説の批判的考察﹂一九三頁。 真正身分犯への非身分者の共犯の場合、正犯の結果無価値が共犯の可罰性を根拠づけることになる。もっとも、共犯には 正犯に存する義務違反性が存在しないが故に、共犯固有の法益侵害性︵行為無価値・結果無価値︶は存在せず、その点で正 犯の不法と比較して質的及び量的な差異があり、立法論としては、共犯処罰の減軽可能性を留保すべきであると思われる。 この意昧で、改正刑法草塞三条一項但書は妥当である。同旨、佐伯千侮・四訂刑法講義︵総論︶︵昭五六︶三六七頁、中 山研一・刑法総論︵昭五七︶四八八頁以下参照。六五条の解釈について;葭すれば、佐伯説と同様、一項・二項とも違法身 分に関するものと考えるが、一項は正犯行為の結果無価値の連帯性を、二項は共犯固有の法益侵害性︵行為無価値・結果無 価値︶をそれぞれ規定したものと解せられる。しかし、この理解は共犯の麺罰根拠及び不法内容から帰結され得るのであ り、とするならば、共犯の成立は六五条以前の閥題であって、六五条は共犯者の処罰を規定したものと解する見解が妥当で あるように思われる。西原春夫・前掲刑法総論三五九頁参照。さらに、拙稿﹁共犯における正犯行為の構造的地位︵三と 東洋法学二八巻一号︵昭六〇︶一〇一頁以下参照。なお、西ドイッ刑法二八条を量刑規定と解するのは、力呉劉げ溶鋤﹄, ○こ伽卜oo o菊畠算霞や嚇9奮ω沁○郭↓の臨尽げきΦ9 。簿§の。窪窪o oO&碧く駿ぼ①象窪︸N望≦いOρ 一零oo︸ω●島驚犠引≦飴αQ琴び ︾葺箸禽ぼ8ぽぎ搭胡”ω・o 。8。である。 五 結 語  以上、共犯における正犯行為の構造的地位について検討を加えてきたわけであるが、 整理すれば次のようになる。 東 洋法 学 結語に際しこれまでの帰結を 五二

(29)

    共犯における正犯行為の構造的地位︵五・完︶      五一二  ①共犯の処罰根拠については、構成要件上の保護法益への従属的な侵害の点に求める折衷惹起説︵従属的法益侵 害説︶を採用し、その場合、違法論との関連からみれば、共犯不法は、法益侵害という独立固有な要素と正犯行為の 不法から導かれる従属的な要素とから構成される。しかし、これらの要素の分析の前提として、共犯における正犯行 為の性質・位置づけが解明される必要があり、これは、共犯構成要件の構造の問題である。  ② 共犯構成要件は共犯行為と正犯行為とで構成され、正犯行為は共犯における結果と把握できるが、正犯行為を 正犯意思、正犯実行、正犯結果と分断するならば、これらすべてが共犯の広義の結果として包含され、最終結果であ る正犯結果が共犯の本来的結果であり、正犯意思・正犯実行は中間結果として把握される。  ③正犯者の故意は共犯構成要件の構成要素ではなく、共犯における正犯行為は客観的に違法な行為︵法益侵害へ の危険行為︶であれば足りる。  ④同一の正犯行為が正犯者に対する内容と共犯者に対する内容とで異なって評価され︵正犯行為の二重性︶、共 犯は自己の表象した正犯行為によって法益侵害を実現しようとするものであり、共犯の行為無価値が自らの従属すべ き正犯行為をまず決定し、次に共犯の志向した法益侵害と正犯の実現した法益侵害とが相応する場合に共犯における 正犯行為は存在すると評価できる。  ⑤ 共犯行為の危険性は相当程度の危険あるいは抽象的危険であり、正犯行為の危険性は具体的危険であるが、両 者は判断構造の点で異なり、前者は正犯行為の危険性が生じた場合に遡って事後的に判断され、後者は行為の遂行過 程に従って事前的に判断される。すなわち、共犯行為の危険性と正犯行為の危険性とは相当因果的に連関していると

(30)

はいえ質的転換といわねばならない。  ⑥ 共犯における因果問題については、因果性を維持する危険増加理論︵因果的危険増加︶を基本原理とすべぎで あり、物理的因果性及び心理的因果性ともにコンディチオ公式による条件関係判断が有効である。  ⑦共犯における帰属間題については、正犯の結果無価値が共犯不法の外枠を画し、その中で共犯固有の法益侵害 性︵行為無価値・結果無価値︶が考慮されることになる。従属性原理の機能からみれば、正犯の結果無価値による可 罰性限定機能と可罰性根拠づけ機能の両機能が肯定される。  このようなささやかな帰結は、結局のところ、共犯の処罰根拠に関する因果共犯論︵惹起説︶しかも折衷惹起説 ︵従属的法益侵害説︶を出発点として、共犯における正犯行為の位置づけを試みた結果にすぎない。もっとも、共犯 固有の法益侵害性を前面に出し従属性原理を限定的に考慮する結果、通説的見解︵不法共犯論あるいは修正惹起説︶ に比べてさらに正犯行為の内容が希薄化し、正犯行為のランクが格下げすることになった。共犯の可罰性を判断する 場合の基礎となるのは共犯者とその固有の行為であることを承認する以上、このことは当然の結果といわざるを得な いであろう。  本稿は、共犯の基礎理論に焦点を絞った︵あるいは絞り過ぎた︶ため、共犯論上の個別的諸問題については極めて 限定的にしか論じることができなかったが、一定の解釈論的指針は提供できたのではないかと思われる。しかし、共 犯論上の個別的諸間題においては、各々に固有の問題点が存在することは否定できないのであって、本稿における共 犯の基礎理論を土台にしてこれらの諸問題に対して検討を加えていくのが今後に残された課題といえよう。  ︵完︶

    東洋法学      

五一三

参照

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