味方 俊介*
Shunsuke Ajikata
当時ソヴィエト連邦を構成する共和国の 1つであったカザフスタンには約 58,900人の日本人将 兵・民間人が強制抑留され、これまでにわかっているだけで 1,457人の抑留者が死亡したといわ れている。 〔1945年当時のカザフ共和国(カザフ・ソヴィエト社会主義共和国) (各都市の名称は、ソ連崩壊まで使われた呼称で表示している。各行政区史を参考に筆者作成。)〕 日本人抑留者たちは、都市建設、ダム・発電所建設、鉄道敷設、炭鉱労働、製材所、煉瓦工場など、 様々な場所での強制労働に従事させられた。 当時カザフ社会主義共和国の首都であったアルマティでは都市建設や工場、農園などでの労 働が多く、ステップの炭鉱都市であったカラガンダでは炭鉱労働が多く、気候や生活環境など 南部と北部で地域差があったといえる。* 日本中央アジア学会会員(『カザフスタンにおける日本人抑留者』著者)、A Member of the Japan Association for Central Asian Studies (The Author of the Japanese Book, Japanese Prisoners of War in Kazakhstan after WWII) (筆者註)本稿に掲載されている写真のうち、特に記載のないものはすべて筆者が撮影したものである。
〔アルマティ市内にある市電車庫〕 <日本人墓地> 毎年8月、アルマティ在留邦人・アスタナ在住邦人による日本人墓地清掃・慰霊が、アルマティ・ カラガンダそれぞれの地で行われている。 (元抑留者・笹井作造氏提供)〕 〔アルマティの中央墓地内にある日本人墓地での 在外邦人による清掃・慰霊〕 〔カラガンダにある製材所〕 〔カラガンダにある煉瓦工場〕 〔アルマティの中央墓地内 にある日本人墓地〕
カザフスタン国内には 47 ヶ所に日本人墓地があるとされている。アルマティ市内にある日本 人墓地は、アルマティに事務所を置く日系企業の有志や現地の方々の手によって整備され、近 年は多くの日本人が訪れる。 〔アルマティ郊外にある日本人墓地跡(遺骨回収済み)〕 〔アルマティの中央墓地内にある 日本人墓地〕 〔カラガンダのスパスク収容所 墓地跡に立つ慰霊碑〕 〔カラガンダ収容所第11分所日本人墓地〕
〔アルマティ郊外にある日本人墓地〕 元抑留者たちの戦友会がカザフスタン政府・地方自治体の協力を得て建立した墓碑・慰霊碑 も多い一方、いまだに発見されていない墓地も多い(都市開発や地盤沈下などによって発見困 難になる場合も多いという)。 〔カラガンダ収容所第11分所日本人墓地 (元抑留者・笹井作造氏提供)〕 〔カラガンダのカラバス収容所跡に立つ 慰霊碑(元抑留者・笹井作造氏提供)〕 〔ウスチカメノゴルスク郊外にある 日本人墓地(抑留者遺族・細山田紀子氏提供)〕 〔ケンタウ市内の公園内に立つ慰霊碑 (元抑留者・笹井作造氏提供)〕 〔ケンタウ郊外に立つ慰霊碑(元抑留者・笹井作造氏提供)〕
〔アルマティ市内にある科学アカデミー〕 〔アルマティ市内にある旧国会議事堂 (現カザフ・ブリティッシュ技術大学)〕 〔アルマティ市内にある 旧KGB(現警察署)〕 〔アルマティ市内にあるワイン工場〕 〔アルマティ郊外にある湖から 水を引く送水管〕 〔アルマティ市内にある市電車庫〕
満足に食事も与えられない異国での過酷な生活環境で多くの優れた建造物を残した日本人抑 留者の功績は、現地の市民からも高く評価されている。 今日のカザフスタン国民の日本人に対する敬意には抑留者の功績あり? 〔かつてカラガンダ市内にあったオペラハウス 「夏の劇場」(元抑留者・笹井作造氏提供)〕 〔解体・移動されたオペラハウス 「夏の劇場」の一部〕 〔クズィルオルダにあるダム (JICA・飯田次郎氏提供)〕 〔ジェスカズガンにある火力発電所〕 〔アスタナにある2階建てアパート〕