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変異創成技術の歩み

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2016 年 8 月 29 日受理 連絡責任者:谷坂隆俊(tanisaka@kyoto-u.ac.jp)

変異創成技術の歩み

谷坂隆俊

吉備国際大学地域創成農学部(〒 656-0484 兵庫県南あわじ市志知佐礼尾 3701)

1.はじめに

耕種農業は,今から 15,000 年前に始まったと言われて いる(H.G. Wells 1926).当時の人類は,採集してきた野 生植物のこぼれ種子が住居周辺で発芽し,やがて実をつけ るのをみて,栽培を思いついたのであろう.その後,人類 は,野生植物が子孫を残す上では重要であるが,栽培には 不都合な形質(脱粒性や休眠性など)を取り除き,生産性 が高く,貯蔵性に富み,栄養価の高い個体を選びつづけて きた.このように,育種は,人類が生きていくためのもっ とも重要な営みとして,耕種農業の開始より今日に至るま で,絶え間なく続けられてきている.現在みる品種は,人 類が長い時間をかけて作り上げた芸術作品である. 現代の育種は,育種学や遺伝学,分子生物学をはじめと する多種類の科学に基づいて行われているが,このような 科学的育種が始まったのは,つい 125 年ほど前のことであ る.それまでは,自然界に偶然生じた変わりもの(変異) を選抜対象として,勘と経験に頼って改良が行われていた. しかし,1900 年の「Mendel の遺伝法則の再発見」により 育種の様相は一変した.遺伝学の発展は,育種の重要な手 順である変異創成,選抜・固定,増殖に関する科学的根拠 を提供し,育種の効率を飛躍的に向上させた. 1900 年以降,育種に関わる学術協会が世界各地で設立 され,日本では,1915 年 2 月に 日本育種学会 が発足し た(当初の会員数は約 130 名).発足当初の日本育種学会 では,農業生産にかかわる生物種の遺伝研究が中心であっ たが,やがて農業とは無縁の生物種を扱う研究者も次第に 増え,1920 年 6 月,日本育種学会は 日本遺伝学会 と名 称を変更し,発展的に解消されることになった.育種に関 する研究・技術は,日本遺伝学会のなかで著しい発展をみ せ,育種学の基礎が確立されたが,第二次世界大戦中・後 の食料事情の悪化は,農業生産を基盤とする育種学の重要 性を再認識させることになり,1951 年,日本育種学会は 農学系の研究者によって再建されることになった.農業生 産性の向上と安定化に対する育種学の重要性については, 多くの農学系の研究者が認めるところであり,再建当初か ら会員数は 1,000 名を超えるほどであった.再建後,日本 育種学会は順調な歩みを続け,現在では,作物生産の中核 研究を担う学術協会として,約 2,000 名の会員を抱えるに 至っている(最大時 2,500 名). 再スタートした日本育種学会は,次々に新しい変異創成 技術を生み出し,これによって莫大な数の優良品種が開発 されてきている.本稿では,現在,確固たる変異創成技術 として利用されている,①交雑(品種・系統間の交雑,お よび野生種を含む近縁の種および属との交雑)(1900 年代 以降),②変異原処理(放射線や化学物質の利用による人 為突然変異の誘発)(1930 年代以降),③組織・細胞培養(植 物 1970 年代以降),④コルヒチン処理(倍数体の作出)(1950 年代以降)・核置換,⑥転移因子の切出し・挿入(1990 年 代以降),および⑦遺伝子組換え(1980 年代以降)につい ての歩みを紹介する.なお,近年,新しい変異創成技術と して開発が進む⑧ゲノム編集技術(2010 年代)および⑨ エピジェネティック変異の利用については,本誌内他稿に 詳細な記述があるため,簡単な記述にとどめる.

2.科学的育種のはじまり

「Mendel の遺伝法則の再発見」以降,最初の 20-30 年は, 農家が栽培していた品種を基本材料として,その品種集団 のなかから優良個体を選抜し,純系(固定種)に仕立てて いくという,いわゆる分離育種法(純系選抜法ともいわれ る)が用いられた.「自家受精する同一種の植物のなかにも, 多くの異なる遺伝子型があって,それぞれ特徴をもってい る.すなわち異なる系統(純系)がある.これらの純系は 栄養など環境の影響によって一時その特徴が変化するよう にみえる場合にも環境をもとへ戻すと固有の特徴が前のと お り 現 れ る. 純 系 に は 選 抜 の 効 果 が な い.」 と い う Johanssen の純系説(1903)に裏打ちされた自殖性作物に おけるこの分離育種法は,当時の品種が遺伝的に雑駁で あった(遺伝的に固定していなかった)ために,予想以上 の効果を発揮し,世界各地で優秀な純系品種が相次いで育 成された.このようにして,メンデルの遺伝法則の再発見 以降,20-40 年の間に世界中の主要在来品種が分離育種法 によって育成された優良な純系(固定)品種に置き換わっ た.分離育種法は,わが国においては 1910 年に導入され, 1920 年までの 10 年間でイネ,コムギの主要栽培品種のほ とんどが分離育種法によるものとなった.

総 説

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3.交雑による変異創成

3 − 1.雌雄性の認識と交雑のはじまり 分離育種法の成果は目覚しく,イネやコムギの生産量は 飛躍的に向上した.しかし,自然交雑や自然突然変異によっ て生じる 変りもの に頼る分離育種には限界があり,い ずれ,めまぐるしく変わる市場からの要求に対応できなく なるとの考えから,人間が自らの手で新しい変異を創出し, そのなかから優良な個体を選抜して優良品種を作出しよう とする気運が高まった.本格的な交雑(遺伝子型の異なる 個体間の交配)の利用のはじまりである.なお,植物に雌 雄性のあることが認識されたのは,意外にも新しく,16 世紀に入ってのことであり,人為的交雑はそれより遅く, 17 世紀にドイツの R. J. Camererius, <1665-1721> が植物学 的興味からホウレンソウ,タイマ,トウモロコシで行った のが最初ではなかったかと考えられている. 3 − 2.本格的な交雑育種の始まり Mendel の遺伝法則の再発見とこれにつづく遺伝研究は, 異なる特性をもった 2 つの品種(系統)を交雑すると両親 の望ましい形質をあわせもつ個体が獲得できることを示し ただけでなく,交雑育種を実践するうえで重要な交配母本 の効果的選定や交雑後代における形質分離の予測等を可能 にし,育種効率を飛躍的に向上させた.このように,交雑 は,もっとも基本的かつ有効な変異創成技術として 1900 年以降,今日に至るまで世界各地で汎用されている.遺伝 子組換えやゲノム編集による変異創成が進むと予想される 将来においても,その重要性は変わることはないであろう. 3 − 3.品種(系統)間交雑の利用 日本では,1900 年以前に,すでに交雑を用いた品種育 成が行われ,19 世紀の末にはすでにアサガオやイネ,コ ムギなどで新品種が育成されていた.しかし,Mendel の 遺伝法則の再発見以前の科学に基づかない交雑育種の成果 はそれほど顕著でなく,イネやコムギでは,育成品種といっ ても依然として収量は低水準であった.メンデルの遺伝法 則の再発見を契機として,日本では,イネの稈長に関する 遺伝分析(加藤茂包 1904)など,育種を念頭に置いた遺 伝解析がイネやコムギで本格化するとともに,1910 年頃 には全国的な育種組織が整備され,1926 年には国家事業 としてのイネやコムギの大規模育種が始まった.その成果 は目覚ましく,イネの「農林 1 号」(1931)やコムギの「農 林 1 号」(1929)など優良品種が相次いで育成された. 交雑には,品種(系統)×品種(系統)あるいは品種(系 統)×祖先野生種を含む近縁種・属の単交雑のほか,ある 優良品種の遺伝的背景に有用遺伝子を導入する際に用いら れる戻し交雑や連続戻し交雑,いくつかの品種(系統)が もっている有用遺伝子を集積するときに用いられる多系交 雑などがある. 交雑育種の成果は目覚ましく,世界の農業生産力を飛躍 的に高めてきた.その中でも,緑の革命をもたらしたイネ とコムギにおける「半矮性品種」の育成は,もっともドラ マティックな成果であろう.第二次世界大戦後の世界人口 の爆発的増加は,熱帯アジアを中心に深刻な食料危機を招 来した.農家は化学肥料の大量投与によって生産性の向上 を図ったが,化学肥料の大量投与はイネ,コムギの倒伏を 促すことになり,かえって収量は減少する結果となった. フィリピンにある国際イネ研究所は,台湾の在来品種「低 脚烏尖」の半矮性に注目し,当時のインドネシアにおける 適応品種「Peta」(長稈品種)との交雑から奇跡のイネと 称される半矮性品種「IR8」を作出した.これによって単 位面積当たり収量は倍増し,熱帯アジアの食料危機が回避 されたのである.コムギにおいても同様の半矮性育種がメ キシコにある国際トウモロコシ・コムギ改良センターで行 われ、 インド,パキスタンにおけるコムギの生産量が倍増 した.このようなイネ,コムギにおける生産量の画期的増 加は「緑の革命」と呼ばれ,1,000 万人もの人々が餓死か ら救われたと推定されている.コムギの半矮性品種を育成 した Borlaug 博士にノーベル平和賞(1970 年),「IR8」の 育成者 Beachell 博士に日本国際賞(1983 年)が授与され たことはその成果がいかに大きなことであったかを物語っ ている. 3 − 4.種・属間交雑の利用 種・属間交雑は,効果的な変異創成技術として繁用され るようになってきている.種や属間には,通常,生殖的隔 離機構が存在し,雑種の獲得は容易でないが,18 世紀に Kölreuter <1733-1806> が種・属間交雑に成功したという実 記がある.種・属間交雑は,2 つの種・属が対等な雑種, すなわち新たな種あるいは属を創造したいとき,あるいは, ある種に特定の有用遺伝子を導入したいときに用いられ る. 前 者 の 例 と し て こ れ ま で に, コ ム ギ(Triticum aestivum)とライムギ(Secale cereal)の属間雑種のライコ ムギ(Triticale)(1875)やオクラ(Abelmoschus esculentus) とトロロアオイ(Abelmoschus manihot)の種間雑種ノリア サ(Hibiscus glutinoextilis),アジアイネ(Oryza sativa)と ア フ リ カ イ ネ(Oryza glaberrima) の 種 間 雑 種 ネ リ カ (NERICA: New Rice for Africa)などが開発されている.ラ イコムギは,コムギのもつ優れた製パン性とライムギのも つ不良環境に対する頑健性を併せもつ作物として作出され た.期待されたほど作付面積は増えていないが,現在,ポー ランド,ドイツ,中国,ベルギーなどで栽培されており, その生産量は 1,300 万トンと推定されている.ネリカは, 西アフリカのコートジボアールにある西アフリカ稲開発協 会で,O. glaberrima と O. sativa との種間交雑により作出 された.交雑不親和性,雑種不稔性などの避けられない遺 伝現象を奇跡的に克服し,glaberrima がもつ雑草に対する 強い競争力と sativa がもつ多収性を組合せたものであり, 少なくとも天水田での実用化が可能と判断されている.さ らに改良が進めば,飢餓に苦しむアフリカに第二の「緑の

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革命」を引き起こすのではないかと期待されている.後者 の例は,枚挙にいとまがなく,イネでは,種々の祖先野生 種から多収性や病虫害抵抗性などを導入する育種が行われ ている. 3 − 5.雑種強勢の利用 異なる純系あるいは近交系間の雑種(F1)が,両親に比 べて,収量や草丈,茎葉の大きさ・重さ,病虫害抵抗性, 成長速度などに関して両親より優れている現象を雑種強勢 という.Kölreuter(1763)がタバコの交雑実験で発見して 以来,J.G. Mendel や C.R. Darwin など多くの研究者も確認 している.しかし,雑種強勢の遺伝研究や育種的利用が始 まったのは,Mendel の遺伝法則の再発見以降である. 雑種強勢の育種的利用(雑種強勢育種)は,1920 年代に, 米国におけるトウモロコシ育種で始まった.雑種強勢は, F1でもっとも強く発現し,それ以降の世代では急激に弱 くなるため,通常,F1が品種(一代雑種品種)として利 用される.雑種強勢育種は,当初,強勢が顕著に生じるト ウモロコシなどの他殖性作物で発展したが,現在では,イ ネやコムギ,トマトなどの自殖性作物でも行われている. また,種子生産上の効率から,複交雑が用いられることも ある. イネの F1品種は, ハイブリッドライス とよばれ,人 口の多い中国やインドで栽培が盛んである.細胞質雄性不 稔性と稔性回復遺伝子を用いたハイブリッドライス育成技 術は,日本の琉球大学で開発されたが,中国ではこれをい ち早く育種の現場でとりあげ,世界に先駆けてハイブリッ ドライス品種「南優 1 号」を開発した(袁隆平 1973).中 国では,その後もハイブリッドライス品種の育成と普及に 努め,その成果によって 1980 年から 2000 年の間にイネの 単位面積当たり収量は 1.5 倍も増加した.中国におけるハ イブリッドイネ品種の作付面積は着実に増加し,現在では, イネ作付面積の 50%前後を占めている.ハイブリッドラ イス品種は,多収であることに加えて,作期ごとに種子の 更新が必要であることなどから,その開発は大手バイオ化 学メーカーにとっても魅力的なものとなっている. F1品種種子を販売・普及するためには,大量の F1種子 を効率的に獲得しなければならない.この場合,母本に雄 性不稔系統や自家不和合性系統を用いれば,自家受精を防 ぐための除雄作業を省けるため,効率よく F1種子を獲得 することができる.雄性不稔性の利用は米国においてトウ モロコシで始まったが,野菜育種において最初に自家不和 合性を採用したのは,日本のタキイ種苗株式会社である. タキイ種苗は,1950 年に,キャベツ品種 長岡交配「一号」 甘藍 ,ハクサイ品種 長岡交配「一号」白菜 を発表し ている(1950 年).

4.突然変異原による変異創成(人為突然変異の利用)

4 − 1.突然変異育種の歴史 交雑による変異創成とは,遺伝子型の異なる個体間の交 雑によって多様な遺伝子型を創造することである.しかし, 交雑による育種も過去に生じた自然の突然変異を利用する ものであり,やがては遺伝資源の枯渇という問題に遭遇す る.1927 年に米国の Muller(1927)が X 線照射によってショ ウジョウバエで,1928 年に米国の Stadler(1928)が同じ く X 線照射によってトウモロコシとオオムギで,それぞ れ突然変異を誘発することに成功すると, 人為突然変異 による新変異創成(遺伝子資源の開発)に大きな期待がよ せられるようなった.その成否については,「自分の発見 は植物育種に貢献するだろう」とする Muller の見解を支 持する学派と,「放射線は悪影響のみで育種には役立たな い」とする Stadler の見解を支持する学派の間で,長い間, 論争があったが,Muller の考えを支持する北欧の研究者 (Nilsson-Ehre が中心)が,オオムギで新品種を次々に育成 したこと,Nilsson-Ehre の学生であった Gustafsson (1947) がオオムギを中心とする人為突然変異の育種への利用を惹 起 す る 多 く の 研 究 成 果 を ま と め て「Mutations in Agriculture」という題名で科学雑誌 Hereditas に発表したこ と,第二次世界大戦後,X線照射機や,コバルト 60 およ びセシウム 137 などの放射性物質が広く利用できるように なったこと,さらに,マスタードガス(Auerbach 1940), エチレンオキサイド(Mackey 1954),ジエオキシブタン (Ehrenberg & Gustafsson 1957)などの化学変異原の開発が 進んだことから,1950 年代には突然変異育種という用語 が自然定着した.世界食糧農業機構(FAO)/国際原子力 機関(IAEA)によると,1930 年∼ 2014 年の間に突然変 異育種によって育成された品種数は全世界で 3,200 品種と 推定されている. 突然変異育種には,誘発された突然変異体をそのまま品 種に仕立て上げる直接法と,誘発突然変異体を育種材料と して使う間接法とがあるが,最近では,後者による品種が 増加している. 4 − 2.突然変異の誘発と遺伝資源の開発 著者らは,イネの誘発突然変異を用いた出穂開花期に関 する遺伝研究から,自然界に生じる突然変異遺伝子の多く が人為的に誘発できること,および,自然界に存在しない 新規遺伝子(アレル)も誘発できることを明らかにした. このような誘発突然変異を利用した遺伝資源の復活・開発 は,多くの育種学研究者も認識することになり,日本にお いては一時期停滞していた人為突然変異の育種的利用が再 認識されるようになっている.内閣府イノベーション創造 事業(SIP)のなかでも,有用変異体や有用突然変異遺伝 子の誘発に関する研究が重要課題のひとつとなっている. 生物多様性条約の効力発生(1993 年 12 月 29 日)以降, 新たな遺伝資源の導入が難しくなくなってきている今日,

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人為突然変異の誘発と保存,データベース化はわが国育種 上きわめて重要な課題である. さらに,突然変異体は,異常特性と正常特性を遺伝子レ ベルで比較するための恰好の材料となっており,多くの植 物科学者が突然変異の誘発に時間を使っている.

5.コルヒチン処理(倍数体の作出)

(1950 年代以降)

A.F. Blakeslee & A.G. Avery (1937) が,地中海沿岸原産 のユリ科多年生草本のイヌサフランの種子や鱗茎に含まれ るアルカロイドの一種,コルヒチンが,染色体倍加に有効 であることを示して以来,人為的に倍数体を育成して,こ れを新品種に仕立てる試みが世界各地で行われきた.その 結果,ダイコン(美濃早生ダイコン),ペチュニアなどで 同質四倍体品種,種なしスイカやチューリップ,バナナ(栽 培バナナの大半は三倍体で種なし),テンサイなどで三倍 体品種が開発されている.倍数化は植物の形状を大きく変 化させるため,1950 年代以降しばらくの間,これに関す る研究が日本育種学会のトピックスとなっていた.

6.核置換

細胞質小器官である葉緑体は,光合成をおこなう器官, 同ミトコンドリアは呼吸によって糖から効率的に ATP(ア デノシン三リン酸)を産生する器官であって,ともに遺伝 情報をもっている.また,核ゲノム遺伝子とオルガネラゲ ノム遺伝子との間には,例えば,細胞質雄性不捻性のよう に,交互作用があることが知られているが,細胞質は母性 遺伝するため,細胞質雑種の作出はきわめて難しく,これ までのところ大きな実績は得られていない.植物では,連 続戻し交雑を 10 回以上行うと,99.9%以上の核ゲノムが 置換される.

7.組織・細胞培養の利用(植物 1970 年代以降)

組織・細胞培養の育種的利用は,突然変異の誘発を目的 とした利用と種・属間交雑を目的とした利用に分けられる. 組織培養に関する育種学的研究は,1970 年代に始まり, 1980 年代の後半には隆盛期を迎えた.この時の日本育種 学会における組織培養に関する研究発表は全演題の 40% 近くにも達していた.これは,多くの研究者が,培養過程 で生じる体細胞突然変異の利用,プロトプラストを用いた 細胞融合による体細胞雑種の作出,プロトプラストを用い た細胞選抜,遺伝子導入による形質転換体植物の獲得など に,新しい変異創成技術としての無限の可能性を感じたこ とにほかならない.多くの研究の結果,種々の作物におけ る効率的な培養技術が確立され,これらは現在の育種研究 に大いに役立っている.ただし,細胞融合に関しては,異 種あるいは異属間雑種がいくつか作出されたものの,それ らの育種上の価値がそれほど高くないこと,対称融合が困 難なこと,あるいは細胞選抜の結果獲得された有用形質が 植物体において必ずしも発現しないことなどが問題点とし て指摘されている.

8.転移因子の利用(1990 年代以降)

ゲノム中の転移可能な DNA 断片を総称して転移因子と よぶ.転移因子は,その転移様式によって 2 つのタイプに 分けられる.ひとつは,mRNA を介して自己のコピーが でき,このコピーが転移して他のゲノムサイトに挿入され るタイプ(クラスⅠ転移因子:レトロトランスポゾン,レ トロポゾン),他方は,自身(DNA 二本鎖断片)が切り出 されて他のゲノムサイトに挿入されるタイプ(クラスⅡ転 移因子:トランスポゾン)である.前者は,他のゲノムサ イトに挿入されることによって新規変異を誘発し,後者は, 切り出し時に DNA の配列を改変するか,挿入個所に新規 変異を誘発する.このように両タイプとも転移に伴って DNA の配列を改変するため,生物自身がもつ突然変異原 として認識,利用されている.日本では,イネにおいて, 転移因子の 1 つであるレトロトランスポゾン Tos17 が,組 織培養中に高頻度で転移する(Hirochika et al. 1996)こと を利用して,多数・多種類の変異体(Tos Line)を誘発, 収集する事業が大規模に行われた.これらの変異体は,現 在,農研機構で保存され,多くの植物研究者の実験材料と して利用されている.ただし,Tos17 には挿入・破壊する DNA 領域に関して選択性があると指摘されている. 1990 年代に入り,種々の生物種のゲノム解読が進行す ると,すべての生物種のゲノム中にコード領域をもたない 500bp 以下の小さなトランスポゾン様配列が莫大な数で散 在することが明らかになった(Bureau and Wessler 1992). この小さなトランスポゾン様配列は MITE とよばれ,すで に転移をとめた化石遺伝子であると考えられていたが,著 者らは,イネ品種銀坊主から誘発された細籾突然変異の易 変性の原因を解析するなかで,幸いにも,MITE が今なお ゲノム中を転移するトランスポゾン(この MITE を mPing と命名)であることを明らかにすることができた(Nakazaki et al. 2003).MITE の可動が証明されたのは,動植物を通 じて初めてのことであった.著者らは,その後の研究によ り,mPing は遺伝子内部およびその近接領域に挿入されや すいこと,挿入位置によっては遺伝子発現ネットワークを 調節する作用があること(Naito et al. 2009),受精後 4 日 以内の初生胚において高頻度で転移すること,このため生 殖細胞に伝達されやすく世代の進行とともにゲノム内コ ピー数が増加していくこと(Teramoto et al. 2014),および ストレス下で転移頻度が顕著に高まること(Tsukiyama et

al. 2013) などを発見し,mPing を含む MITE が進化をつか

さどる重要因子であると結論している.MITE は,Tos17 とは異なる挿入嗜好性および転移様式をもつため,変異創 成のための新たなツールとして利用可能であり,実用化に 向けた研究が進められている.

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9.遺伝子組換え(1980 年代以降)

遺伝子組換えとは,人為的に新たな遺伝子を導入した細 胞や植物体を作出することである.この方法によると,遺 伝的に固定した植物体を早期に獲得することができるため, 育種年限が大幅に短縮されること,また,遠縁品種,異種, 異属,さらに微生物などの有用遺伝子の利用が可能である ため,画期的な育種が実現することなどの利点がある. 世界で初めて商業栽培された遺伝子組換え作物は,日持 ち性をよくしたトマトの「FLAVR SAVR」(1994 年に販売 開始)であるが,1996 年には,除草剤抵抗性遺伝子を導 入した遺伝子組換えダイズが米国で栽培されるようになっ た.それまで,ダイズの単面積当たり収量は,イネやコム ギに比べて顕著に伸び悩んでいたが,非選択性除草剤に対 する抵抗性を付与することによって,雑草害が大幅に軽減 され,画期的な収量増が実現した.遺伝子組換え作物の栽 培国と作付面積は年々増加している.2015 年現在,世界 における遺伝子組換え品種の占める割合は,ダイズでは 83%,トウモロコシでは 29%,キャノーラでは 24%,ワタ では 75% となっている.遺伝子組換えには,アグロバク テリウム法やパーティクルガン法などによって外来遺伝子 を導入する方法,ある標的タンパク質の翻訳を抑制するア ンチセンス RNA 法などが開発されている. わが国においても,遺伝子組換えに資する各種植物の有 用遺伝子の単離,プロモーターの開発,遺伝子導入法の開 発などに関して研究が進められている.中でも,イネの閉 花受粉突然変異(花粉を飛散しない)は,遺伝子組換えイ ネの作出上できわめて有用な特性として注目を浴びてい る.わが国では,これらの基礎研究に加え,優れた遺伝子 組換え作物の開発が進んでいる.アブラナ科野菜由来の ディフェンシン遺伝子およびその改変遺伝子を導入した複 合病害抵抗性イネ,スギ花粉の抗原決定基(エピトープ) の 1 つを導入したスギ花粉症緩和米を生産するイネ,ダイ ズタンパク質のグリシニンを蓄積するイネなどである.し かし,わが国においては,遺伝子組換え作物に対する国民 の理解がまだ不十分であり,圃場での試験栽培すら容易で はない.また,隔離温室や隔離圃場等の設備も満足できる ものではなく,研究上のハンディキャップは大きい.しか し,食料供給において不測の事態が生じないように,育種 学にかかわる研究者は遺伝子組換えに関する研究を継続・ 発展させている.

10.ゲノム編集(2010 年代)

ゲノム編集技術とは,ヌクレアーゼ(核酸分解酵素)を 利用して,部位特異的に標的遺伝子を改変する(削除,置 換,挿入)技術であり,新たな変異創成技術として期待さ れている.ヌクレアーゼとして,ZFN(ジンクフィンガー ヌクレアーゼ),TALEN(タレン),CRISPR / Cas9(ク リスパー・キャスナイン)が開発されている.

11.エピジェネティック変異の利用

エピジェネティック変異とは,DNA の配列変化によら ず,遺伝子の発現を制御・伝達するシステムによって生じ る変異であり,近年,このシステムを利用した変異創成技 術の開発,および,このシステムと適応進化との関係究明 が進められている.このシステムには主に DNA メチル化 とヒストン修飾が関与している.

12.まとめ

近代文明の発展とともに,世界人口は急速な勢いで増え つづけ,現在,73 億人を超すまでになっている.さらに, 地球環境の劣化(温暖化と農地の劣化)の進行は,世界に おける作物生産のポテンシャルを大幅に減少させつつあ り,近い将来,食料の絶対量が不足するのではないかと危 惧されている.したがって,世界が今なすべきことは,地 球環境の劣化を止めること,および劣化が進んだ環境下に おいても安定・高収量を示す作物品種を開発することであ ろう.もちろん,これまでに進められてきた各種生物的ス トレスに対する耐性または抵抗性の付与,さらに,食生活 を豊かにするための品質・食味の改善などもますます重要 になると思われる. 将来の育種の成否は,新たな変異創成技術の開発とこれ に伴う有用遺伝子の開発にかかっている.育種学研究に携 わる研究者は,これまでの変異創成技術を十分認識したう えで新たな技術の開発に挑戦すべきであろう.

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History of genetic variation creating techniques.

Takatoshi Tanisaka

School of Agricultural Regional Vitalization, Kibi International University

Journal of Crop Research 61:53-58(2016) Correspondence:Takatoshi Tanisaka(tanisaka@kyoto-u.ac.jp)

参照

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