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"The flow of the river is ceaseless and its water is never the same. The bubbles that float in the pools, now vanishing, now forming, are not of long

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Academic year: 2021

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(1)

■■ 学校法人 千里国際学園

■■

千里国際学園中等部・高等部  併設 大阪インターナショナルスクール 〒562-0032 箕面市小野原西4丁目4番16号 

NO.95

NO.95

NO.95

NO.95

NO.95

2004年10月号

(2)

大迫弘和  2004年の夏はたくさんの人たちがア テネでのオリンピックを楽しんでいま した。日本選手の活躍が印象的でし た。  オリンピックといえばソウル大会の あった1988年、私たち家族は英国生活 の2年目で、どこの国でもそうでしょ うが、英国のテレビでは自国の選手の 活躍が期待される種目ばかりが放送さ れていて(英国の選手が活躍しそうな 例えばホッケー)、日本の選手の様子 はほとんどわからなかったのを覚えて います。そのように日本の選手の姿が なかなか見えない時、お隣の国の、韓 国の、中国の選手が画面に映ると、頑 張れ、と応援している自分に気づいた りしました。 ◇  自分の国のことを愛するということ を少し考えてみたいと思います。  自分の国を愛することは、おそらく 多くの人々にとって、家族を愛するの と同じような、とても自然な気持ちで しょう。  日本は20世紀の軍国主義の反省に基 づき、国を愛する、ということに非常 に慎重になっているかもしれません。 その慎重さはとても大切なことです。 二度と繰り返してはならない時代で あったのですから。  と同時に、人々の心の中に自然に、 健全な「自分の国を愛する」気持ちが 生じることも大切だと思うのです。家 族を、友を、大切に思うのと同じよう な、自然な気持ちとしてのそれ。  大切なのは、自分の国を愛するため に、誰かを傷つけては決してならない ということ。そして、自分の国を愛す ることを拒否する人の存在(どうして も自分の国が好きになれない人はある はずです)をきちんと認めること。  世界がかつて経験したことのない近 距離で交じり合う21世紀という時代に おいてもっとも必要とされる「多様性 の認容」、違いを認め合う、というこ と。自分の国を愛することを拒否する 人の存在をきちんと認めることは、21 世紀に求められている「多様性の認容」 に他なりません。  「自分の国を愛する気持ち」は、強制 されるものではなく、国家によって主 導されるものではなく、人の心に、自 然に生ずるものです。 ◇  岡倉天心と新渡戸稲造のことを考え ます。その時代、正に先陣を切って世 界に切り込んでいった天心と稲造は、 茶の世界と武士道を、ともに英文で世 界に伝えようとしています。 「もっとも国際的であった彼らは、 も っ と も 日 本 を 愛 し た 彼 ら で あ っ た。」  そのような表現が心に浮かびます。  「自分の国のことを愛する」というこ とは、オリンピックのときのように (まだ記憶に新しい日韓共催W杯のと きのように)スポーツで応援をすると いうことが一つの形でしょう。  そしてそれと同時に、自分の国の文 化について、それをよく知り、そして 大切なものと感じる、ということもあ ります。 ◇  文学で言うなら「暗誦」というもの のある意味での復権が考えられてもい いのかもしれません。海外に出たと き、自分が日本のことを意外と知らな いでいる、ということに気づかされる のはよくあることです。SISの9年生が オーストラリアホームステイに出た後 の感想にもそのような記述がよく見ら れます。  ある作品の一部が体と心の中に入っ ている。それを暗誦という形で紹介す る。例えば、  「ゆく河の流れは絶えずして、しか ももとの水にあらず。よどみに浮ぶう たかたは、かつ消え、かつ結びて、久 しくとどまりたるためしなし。世の中 にある人と栖(すみか)と、またかく のごとし。」  これを暗誦により紹介し、出来るな ら意味を英文で伝える。

"The flow of the river is ceaseless and its

water is never the same. The bubbles that

float in the pools, now vanishing, now

forming, are not of long duration: so in the

world are man and his dwellings."

 暗誦ということが、暗記というもの と混同され、特に意味不明の丸暗記が 学習として否定される傾向と相俟っ て、暗誦、という形での文化継承が弱 まってきているように思えます。  SISも丸暗記でテストの点数さえよけ ればそれでおしまい、といった学習を 根底から否定し、深く考え、学び習う 授業を目指していますので「覚える」 という作業に割ける時間がやや少なく なっているかもしれません。  生徒たちの心と体に、日本の作品 が、一つでも多く刻み込まれ、おりお りの世界の人々との交流の機会に、そ れを暗誦で紹介できるようであればい いなと、小さな夢です。 ◇  最後にオリンピックに話を戻しま しょう。  どのオリンピックのときのことだっ たでしょうか、まだ幼かった私の娘が 次のように言いました。  「パパ、なぜ日本の選手ばかり応援 するの。どこの国の選手も一生懸命練 習してきたのだから、全部応援しなく ちゃ駄目!」  英国で教育を受け始め、帰国後もイ ンターナショナルスクールで学び、 「日本の学校」で一度も教育を受けた ことのない娘にとっては、それがあた りまえのことだったのです。 ◇  (文中『方丈記』の英訳はドナル ド・キーン氏によるものです。)

(3)

山本靖子  本年度のオーストラリアホームステ イプログラムは7月9日から31日まで の間、ブリスベンにて、昨年に引き続 き、サンドゲート高校及びネラングバ バリー高校の2校を研修校に行われま した。  初めての異国でのホームステイに、 事前準備では少し緊張した様子でした が、集合当日は意外にリラックスムー ドで、8時間のフライトを終え無事ブ リスベン空港に到着、長い持ち物検査 を終えたら、眠そうな目をこすってま ずは市内観光。日本の猛暑がうそのよ うな爽やかな気候に、町が一望できる マウントクーサの展望台、そして、 ローンパイン公園で豪州原産の動物を 見るころには目はパッチリ、大はしゃ ぎで、コアラと記念撮影をしたり、カ ンガルーに餌をやったり、早速お昼は オージーバーベキューを楽しみまし た。  その後はいよいよホームステイ先と の顔合わせ。それまでのリラックス ムードはどこへやら、このグループに は前代未聞なほどの緊張感がバスの中 に漂いました。印象的だったのは、 ホームステイ先の方々もバディも待っ ている姿がとても不安そうで、ああ、 本当に楽しみにしてくれていたんだな あと実感。一方、千里の生徒は、それ こそ借りてきた猫よろしくの体で、静 かにホームステイ先に引き取られてい きました。  そして次の週の火曜から、いよいよ 学校の始まりです。この日の様子がポ イントなんだと聞かされており、どん な様子だろうと思いながら、ミーティ ングの場所である教室に行くと、「つ らいことない?」に「眠い!」(向こう は朝がとても早い。)の答え、また「英 語が全然判れへん。」という声にも悲壮 感はなく、意外に元気そうでリラック スしていて、すでにホストのことを楽 しそうに話す姿も発見し、また、まだ 慣れてないにしても、もっと仲良くな るぞという前向きな決意が日記には綴 られており、引率教 員は「 やるなあ。」 と 感動しつつ、ほっと しました。ただ、や は り 食 習 慣 の 違 い (食べ物の違い、ラ ンチの軽さ)には戸 惑ったりはありまし た。  学校での生活は、 基本的にバディのク ラスに一緒に入れて もらい、それを体験するのがほとんど で、それに加え毎年やっているのが、 日本語のクラスでの日本文化紹介で、 今年はカルタ、将棋、福笑い、あやと り、書道、着付け、たこづくり、折り 紙といったことを紹介、とても好評を 得ました。  放課後はクラブ活動がないため、家 にまっすぐ帰ります。家に滞在すると いうことは、日本での普段の生活と同 じで、旅行とは違い、日々何かエキサ イティングなことが起るというわけで はありません。ただ、くつろいでテレ ビやビデオを見たり、バディの兄弟と 遊んだり、近所に散歩や買い物に行っ たり、家の手伝いをしたり、それぞれ の家庭の事情に少しずつ精通する中 で、ちょっとしたお国柄の違いや、あ るいは同年代としての共通点を発見し たりするところがホームステイのよい ところといえるのではないかと思いま す。また、サンドゲートにしてもネラ ングバにしても大阪のような刺激にあ ふれた大都会ではなく、またその分、 自然が美しく、海を見たり星を眺めた りする、そんなことがとても印象に 残ったのではないでしょうか。  あまりにすぐに馴染んだので、後で ホームシックが出るのではという心配 をよそに、気がつけば3週目、どちら の生徒も楽しみにしていた遠足。向こ うのバディの希望で、サンドゲート組 は海の生物のショーが見られるシー ワールド、ネラングバ組は向こうでも 人気の遊園地、ドリームワールドに行 きました。‘常にバディと行動するよ うに!‘というお達しが守られたかは 疑問符でしたが、その頃には自分のバ ディ以外のバディとも仲良くなってグ ループで行動する姿が印象的でした。  楽しい一日が過ぎれば次はもうさよ ならパーティ。サンドゲートでは、ホ ストファーザーたちも参加しての腕相 撲に大盛り上がり、ネラングバはハプ ニング続出でしたが、1人1人一生懸 命用意したホストたちへのカードを何 とか渡すことができ、絶対泣かないと 言っていた人こそ号泣でした。  そんなこんなのあっという間の3週 間、朝のホストとの別れにまた涙、中 には空港まで見送りに来てくれた人た ちもいて、最後までオーストラリア人 のまっすぐな優しさ、暖かさに感動す るみんなでした。  帰りは飛行機が遅れて、到着が夜中 になってしまい、空港であわただしく 解散となってしまいましたが、次に学 校で再会した時にも、オーストラリア でもらったなんとも言えない「生き生 きとした温かい感じ」が漂っていまし た。文集でも、色々あったけれど本当 に行ってよかったという言葉がみんな から聞けたのは、引率者としてもうれ しい限りでした。この初めての異国で のホームステイをやり遂げたことを しっかり自分の自信にして、今後の生 活につなげていってほしいと思いま す。

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高橋寿弥  7月1日(木)∼7月4日(日)の 期間、恒例の100kmウォークに行ってき ました。今回は例年に比べて参加者が 少なく8人でした。気象条件は100km ウォークとしてはあまり良くなく、3 日間とも晴天で気温も28℃∼31度位で 非常に高く、湿度も高めでした。でも そんな厳しい気象条件にも拘らず、参 加者全員避暑対策をしっかりしたた め、全員が完歩という素晴らしい結果 に終わりました。キャンプ中の8人の 結束力は非常に強く、お互いに励まし あい、頑張る気持ちを向上させあうこ とができたことが、この偉業達成に繋 がったと思っています。  また、教員側では弥永先生が約90km 歩いたのには非常に驚かされ、感動さ せられました。やはり、「冬の間保健 室にインフルエンザの生徒が多数出入 りする中、一度も自分自身はインフル エンザに感染しない」という、偉大な 弥永先生だからこそ、成し遂げられた 結果だと思います。ボスの田中憲三先 生はキャンプ全体の組織・運営と司令 塔として、色々ご指示いただき、あり がとうございました。生徒が途中で挫 折しかけたとき、田中先生のこの上な い笑顔を見て、生徒は最後まで頑張れ たのではないかと思います。お二人と も本当にお疲れ様でした。  最後に参加した生徒の感想を幾つか 掲げておきます。 ○始める前は不安で一杯だったこの キャンプは、大成功・大満足に終わり ました。明確な目標があれば無我夢中 にここまで頑張ることができるという ことを実感できた気がします。この経 験は是非他のことにも活かしたいと思 います。 ○自分ってすごいなあって改めて実感 しました。皆が完歩したのは今回が 「初」だったのでとっても良かった。 心も体も達成 感 で 一 杯 で す! ○ゴールに着 いた時の感動 は忘れられま せ ん ! こ の キャンプを通 して「人体の 神秘」「皆の 優しさ」「自 分の凄さ」を知りました。一生忘れる ことのできない素晴らしい経験ができ てとても嬉しいです。 ○私は家族でよくロングウォーキング をするので歩くことには慣れていまし たが、100kmは初めてでした。しかし完 歩しても、まだ後50kmは歩けそうなほ ど余裕があったので、自分自身に驚き ました。先生や他の皆と歩きながら話 ができて楽しかったです。 ○100kmウォークを通して知れたことは 「自分の秘めたる力」!私も頑張れば 100kmなんて余裕だ!歩くことは嫌い だったけど、100km歩いて、歩くことが 好きになれた。 ○歩くっていう初歩的な運動を通じ て、「昔、伊能忠敬もこんな風にひた すら歩いていたんだな」と思うと、な んか昔の人が身近に感じられた。100km 完歩できて充実感で一杯です! ○ 昨年に引き続き、私にとって2度目 の参加となった100kmウォークですが、 昨年よりも厳しい天候下で行なわれま したが、それだけ一層、完歩したとき の喜びも強かったように思えます。そ の喜びの裏には他の7人のメンバーの 支えがありました。みんな本当にあり がとう! ○私が想像していたよりも、ずっと過 酷なものでしたが、100kmを無事に完歩 できた今、体力面でも精神面でも1つ 成長できたと、心の底から実感してい ます。「200kmも行けるかも」なんて、 私に自信を与えてくれた100kmウォーク でした。  千里国際学園では、自分の行 動に責任を持ち、よい人間関係 を維持していく能力が、生徒各 自に備わっていると信じます。 この考えにもとづいて、次のよ うな行動の目安がつくられてい ます。

自分を大切にする

他の人を大切にする

学習を大切にする

環境を大切にする

リーダーシップを大切にする

(5)

難波和彦  ネイチャーゲームキャンプは、7月 1日∼3日、箕面教学の森にて、25名 の生徒と、馬場・志垣・難波の3教員 付き添いのもと、行われました。  箕面駅に集合してからキャンプ場ま では、歩いていきます。住宅街を歩い ている間は、何てことなかったのです が、教学の森の入り口から、道は舗装 されているとはいえ、山の中を歩いて いくことになり、多くの生徒にとっ て、最初の試練となったようです。 キャンプ場につくと、すぐにオリエン テーションがあり、ロッジの掃除コン テストが始まります。このネイチャー ゲームキャンプでは、すべての活動 が、コンテストになっていて、グルー プごとに得点がつけられ、最終日にそ れを合計して、表彰します。掃除コン テストでは、みんながとまるロッジを きれいにします。グループわけをし て、初めての作業なので、グループの 人と、なじむいい機会にもなります。 ロッジの掃除がすむと、各自がもって きたお弁当を食べて、本日のメインイ ベントである、オリエンテーリングが 始まります。方位磁石の使い方と、地 図の見方の説明を受けた後、ひとりず つ順番に出発していきます。山の中を 磁石と地図だけをたよりに、目的地ま でいくのは、不安なものですが、ポイ ントの旗を見つけたときは、うれしい ものです。生徒たちが、コースを回っ て帰ってくるのには、われわれが予想 したよりも、意外に時間がかかりまし た。磁石と地図を大事にするあまり、 目的地までの直線コースを取ろうとし て、道のないところでも、無理に進ん でいこうとして、かえって迷ってし まった人が、けっこういたようです。 途中で、歩いている一般の人たちも、 アドバイスをくれました。コースを外 れてしまって、まったく予想外の場所 から帰ってきた生徒もいました。夕食 は自炊で、キャンプでは定番のカレー ライスを作りました。この料理もコン テストになっていて、先生たちは、3 つ の グ ル ー プ の カ レーを食べ比べて、 評価をしました。そ れぞれ一長一短があ り、なかなか評価を するのは、難しいも のがありました。こ の日の夜は、オリン ピックゲーム大会と いうことで、キャンプ場のリーダーの 人主導のもと、オリンピックの競技の 名前がついたゲームをして競いまし た。たとえば、“槍投げ”なら、新聞 紙で紙飛行機を作って、それを飛ばし ながら、走って競うというものです。 もちろん、これもコンテストという形 をとりました。夜ともなると、明かり のあるところには、虫がよってきま す。特に僕もびっくりしたのは、特大 のゲジゲジです。生徒が足の長い特大 のムカデが出たので、眠れないという ことで、行ってみると、本当に大きな ムカデで、足がめちゃくちゃ長い、ま るで怪獣のような虫が天井にはりつい ていました。これは、さされたら危な いし、眠れないなということで、始末 をしましたが、次の日にキャンプ場の 人に聞いてみると、特大ゲジゲジとい うことで、ムカデのような危険性はな いということでした。このキャンプ 中、多くの人がこの特大ゲジゲジに は、驚かされたようです。  2日目の午前中はブーメランつくりに 挑戦です。紙を切り抜き、色をつけて 自分だけのブーメランを作ります。ポ イントは、投げた後自分のところにも どってくるかどうか、というところで す。できあがったら、審査員の前で投 げてみます。自分のところにもどって きてつかまえることができると、高得 点をもらえます。微妙な角度の調整が 必要なようで、みんないろいろ工夫を していました。昼食には、自炊の第2 弾として、ソーメンをつくり、昼から は、「せんりこくさいがくえん」の名 前にちなんだ植物を、山の中をあるい て探してくるコンテストです。2日目 の夕食は、野菜炒めを作りました。 じっくり野菜をいためたグループは、 野菜の甘味がでていましたが、自分の きらいな野菜を入れないグループな ど、それぞれに個性的な料理ができあ がりました。夜はキャンプファイヤー です。リーダーの大学生の人たちが順 番に、持ちネタを出してくれて、ジェ スチャーをしたり、歌ったりして、楽 しく過ごしました。マシュマロを火で あぶって食べるのも、おいしかったよ うです。このあと、山の中から、街を 一望できる「青空展望台」に行って、 夜景を楽しみました。(青空ではな く、星空というところでしょうか)  最終日は、その辺にある木や植物を 使って、フォトスタンドを手作りでつ くるコンテストです。木の枝、様々な 葉っぱ、木の実など、山のなので素材 にはこと欠きません。生徒たちは、み んなでわいわいしゃべりながら、個性 的な作品をつくっていました。最後 に、得点を集計して、グループごと、 個人への表彰があり、素敵な賞品が渡 されました。大きな規模のキャンプで はなく、箕面という近場でこじんまり と行われたキャンプでしたが、「自 然」を活かして、いろんなことができ るんだなあということを学びました。 キャンプ場のリーダーの人たちも、と ても親切で安心して活動に取り組むこ とができました。

(6)

井藤眞由美  徳島県阿南での3度目の海洋キャン プ。天候に恵まれ今年も4日間中学生 と高校生がともに海のスポーツやグ ループ活動を楽しんで真っ黒に日焼け してきました。今年は教員付き添い は、体育科の相良先生、社会科の野島 先生、音楽科の森先生という錚々たる 『海の男たち』と、私、井藤でした。  海洋キャンプの目的として①中等 部・高等部をあわせたグループで行動 し、親睦を深めるとともに、協力し 合っていろいろな活動に取り組む。② 海での活動について基礎から学び、技 術を習得する。③集団生活をすること で日常とは違う環境での生活力を身に つける。という3つを掲げています。  まず②について。例年と同じくカ ヤック、カッター、ヨットには全員で 取り組み、無人島でのスノーケリング やビーチバレーはオプションで楽しみ ました。初日のカッター訓練の日はま さに『海日和」のあつ∼い日で、「い ∼ちにっ」と叫びながらオールをこ ぎ、汗だくで無人島の岸ちかくにたど り着いた時には、みんなで海に飛び込 んで泳ぎましたね。華麗な(!?)飛 び込みスタイルを競い合いました。無 人島では牡蠣、あわび、サザエ、う に、たこなどが取れ、実は小粒だった けれど、突っつきあって食べるのは楽 しかったですね。海を楽しむみんなの 笑顔は光っていました。ヨットは風に 見放されるとつらかったですが、カ ヤックではアメンボウのようにすいす いと水面を自由に動き回るのが爽快で したね。  ①については、グループごとに高校 生が中学生をリードし、楽しい仲間作 りができていました。最後の夜のグ ループの出し物も各グループの味が出 ていて楽しめました。(教員チームも 負 け て い な か っ た と 思 い ま す け ど ね。)高校生の諸君、グループリー ダーとして、レクリエーションのリー ダーとして、しおり作りの係りとし て、全体リーダーとして、それぞれの 役目をしっかり果たしてくれました ね。お疲れ様でした。  ところが、いい面も たくさんあったキャン プですが、残念ながら すべてがよかったとは いえません。①につい て、そして③の集団生 活を学ぶ、という点に おいては今年は少し反 省点を残しています。今年の全体リー ダーを務めてくれた牧野良さんと松田 真依さんは、強い責任感を持って出発 前のミーティング、キャンプ当日、そ して帰ってから反省点をまとめるこ と・・・のすべてについてとてもまじ めに取り組んでくれました。リーダー として、そして今年のキャンプの最高 学年生として書いてくれた文章があり ますので二人の文を抜粋した形で紹介 します。 (Y---牧野良  M---松田真依)  今年の夏のキャンプは私にとってと ても大切で少し成長できたように思え るキャンプでした。今年の海洋キャン プは11年が最高学年だったのでもちろ んトップのリーダーもグループリー ダーも11年生が中心でした。11年生と いえば、実質的に後輩をリードしてい く立場にあります。なのに今回のキャ ンプでは全然リードできていなかった とおもいます。2日目の朝礼に遅刻し てきたのも11年生だったし、言動にも 問題があったとおもいます。(M)  最後の夜、HSの女子の部屋では、HS メンバーが今までどれだけHSとしてお 手本を見せられていなかったか、ま た、運営や全体・グループのまとめ役 でなければいけないのに、それができ ていなかったことについて、激しく本 音をぶつけあいました。その時、私は 発熱でまともに立っていられないほど フラフラしていたので、あまり話し合 いに参加できなかったのですが、みん な思いっきり、言いたいことを言いま くっていたのを覚えています。私は頭 が朦朧としながらも、「こんなにお互 いを素直に、正直に注意しあえるなん てスゴイ!!」と一人感動していまし た。今思えば、みんなが素をさらけ出 せたのは、あの場にいたあのメンバー じゃないと出来なかったことだと思い ます。(Y)  キャンプ自体は本当に楽しいキャン プでした。めったにできない活動をき れいな海で体験でき、BBQや肝試しと本 当に充実していました。ただ、私が未 だに思っているのは11年生としての行 動ができていたかなというところで す。ですが、そう思えるようになっ た、こう考えるきっかけになったのは このキャンプに参加したからです。な ので私にとって「少し成長することが できたかもしれない」キャンプになっ たと思います。(M)  最後に、井藤先生、森先生、野島先 生、相良先生、YMCAの皆さん(特に担 当のマリオこと関さん)、M S のみん な、H S のみんな、海洋キャンプに関 わった全ての人、そして大切なことを 思い出させてくれた真依。本当にあり がとうございました!!!そしてお疲 れ様でした!本当に私がリーダーで良 かったのかな・・・という不安をずっ と持っていましたが、みんなのメール でそんな不安も吹っ飛び、「やって良 かった!」と思えました。(Y) 付記:  今年の高校生参加者は、『楽しいと き』を持つだけではなく、高校生とし ての立場を深く考えること、仲間たち と本音で語り合い切磋琢磨しあえるこ と、のできる人たちでした。反省点は あるかもしれないけれど、みんなのが んばりのおかげで楽しい思い出がたく さんできたことを誇りにも思ってくだ さいね。

(7)

佐々木真子、立川奈央  「参加人数がそろわなければ、キャ ンプは中止になるかもしれないです ね。」という真砂先生の一言で始まっ た国際農業キャンプ。しかし出発時に は引率の真砂先生、Ms. Shepherdも含め て16人がそろい春学期最後の日に出発 しました。新大阪から東京まで新幹 線、それから3回乗り換えて、約6時 間で栃木県西那須野にあるアジア学院 に到着。セミナーハウスという学院の 宿泊施設でTaneさんこと村尾嘉胤さん から色々と説明を受けてから、就寝し ました。  翌朝は6:30amからラジオ体操。その 後、Taneさんに農場の案内をしていた だきました。豚、牛、鶏の小屋、魚の 池、野菜畑、食品加工場・・・。だめに なった野菜をミミズのえさにしたり、 自分たちの生活排水は浄化して魚の池 の水にしたり、バクテリアがゴミを分 解するときに発生させる熱で発電した りと無駄のないよう様々な工夫がされ ていました。見学の後は学院の研修生 の人達と朝ごはんを食べました。アジ ア学院の研修生は農業を学びに世界各 国から集まっていたので、国際交流の よい機会でした。私たちは真砂先生の 指示でなるべく違うテーブルに分かれ て座りました。最初は会話もなかなか できませんでしたが、日がたつにつれ 会話にも少しずつ慣れていきました。  朝食後は本格的に作業が始まり、私 たちは料理(80人分の昼食の準備)・牛 小屋の掃除・卵の運搬の三手に分かれ て午前中いっぱい働きました。ただ キャンプ中ずっと同じ仕事をするので はなく、ローテーションを組んで色々 な体験をしました。野菜の収穫とケ ア、家畜の世話、そしてブッチャリン グやパン作りも体験することができま した。どれも私たちの普段の生活では とても体験できないようなことばかり で、慣れない作業だったので作業を終 わらせるのに時間がかかったりしまし たが、とても良い体験になりました。 アジア学院の人達からはやらなければ いけないからやるのでなく、自分たち のためにやっているという意識を学び ました。だからこそ鶏を殺すブッ チャリングや、牛の糞の掃除だって 何の抵抗もなくできるのだと思いま した。食べ物も形が悪くて出荷でき ないものは学院の食材に回し、残飯 は家畜のえさにしていました。えさ や機械は買うと出費が高くなってし まうので、機械や道具も大切に使っ ていました。大半が寄付でまかなわ れていて、道具や車のドアが壊れか けたりしていても自分達で修理して 大事に使っていました。これらを通 して、自然のサイクルは人間がうま く関わればよりよいものとなることを 学びました。そして食事の前にはかか さず、食べ物の恵みに対し感謝のお祈 りをしていました。毎日恵まれた環境 で生活していては気づくことのできな い様々な「生」に気づかされました。 自給自足をすることがこの上ない肉体 労働を必要とすることを身をもって知 り、毎日くたくたになるほど大変でし たが、一日は決して「疲れ」だけで終 わりませんでした。取りたてのトマト や、農場の牛乳やヨーグルト、労働後 に行った温泉。どれも努力をした後だ からこそ嬉しさ、おいしさ、そしてあ りがたみが分かり、それが普段の何倍 にも感じられました。そして最後の 夜。私たちは研修生を10人程セミナー ハウスに招待し、ブッチャーした鶏肉 と野菜でバーベキューパーティを開き ました。その締めくくりには花火もし ましたが、中には花火が大好きで振り 回して大はしゃぎをしている研修生も いて、皆で楽しいひと時を過ごすこと ができました。  最終日となってしまった7月3日 (土)。朝食前に最後の仕事を終え、 朝食後感謝とお別れの挨拶をして、セ ミナーハウスをきれいに掃除してから 10:30amに出発しました。皆体は相当疲 れていましたが、やはり3泊4日だけ では物足りない、一週間くらいはいた かったと言う声も聞きました。それほ ど健康的で充実した日々でした。けが 人や病人もなく、6:30pmには無事に新 大阪に着くことができ、国際農業キャ ンプは幕を閉じました。キャンプ前日 が徹夜だったにも関わらず、キャンプ 中もずっと気配りしてくださり、生徒 に負けないくらい頑張って作業してお られた真砂先生、帰りの新幹線で大き ないびきをかいて寝ておられました ね・・・。そしてブッチャリングも見事に 果たされ、新大阪に着いてからも私た ち一人一人にゆっくり休んでねと優し く声をかけてくださったMs.Shepherd、 私たちのために影ながら誰よりも忙し く働きまわっていたTaneさん・・・お 世話になりました。私たちがこのキャ ンプに参加してよかったと心から思え たのは皆さんのおかげです。私たちが 体験したことは農業生活のほんの一部 にすぎないですが、それ以上のことを 毎日の日課としてこなしておられるア ジア学院の皆さんを本当に尊敬しま す。最後になりましたが、この場をお 借りして皆さんに感謝いたします。本 当にありがとうございました。来年も キャンプへ行こうと思っている君へ ―、次は国際農業キャンプへ行こう!!!

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杉原末里子  今回の心の旅参加者は17名(12年11 名、1 1 年4名、引率2名)で、場所 は、高野山の宿坊、恵光院さん。綺麗 なお寺で門をくぐる時、緊張しまし た。まずはオリエンテーションで、各 自「自分を考える」などこのキャンプ での目標をたてました。その後、夕 食。ここでは毎食全て精進料理を出し ていただきました。「物足りないので は 」 と 、 こ の キ ャ ン プ で 1 番 の 不 安!?実際はどれも自然の材料が使わ れた、とてもおいしいお食事でした (ご飯はお代わり自由!笑)。続いて 阿字観。これは真言宗の瞑想法で、 「阿字」とは宇宙を表す文字。これを 観て瞑想する事により、仏様と大自然 とが一体である事を体感する修行の一 つです。私達はこれを朝食前と夕方に 30分ずつ、合計6回で習得しようと頑 張って挑みました。やり方は簡単で、 一番大事なのは自分の呼吸を意識する 事。最初は、体中に力が入り、非常に 不自然な体勢で大変でしたが、皆だん だん上手くなっていきました。  夜は融解の集い。お寺の方々が集 まってくださり、まりと春奈の司会 で、ゲームや卓球で盛り上がりまし た。最初私達は「お坊さんだぁ!!」 とめちゃくちゃ緊張していましたが、 皆さん気さくな方たちで、学校の話を したりで、年齢も近かったせいかすぐ に仲良くなれました。朝は普通に学校 に行ったのに、夜には高野山にいて修 行もしたし、お寺の人達と仲良くなっ たし、1日の出来事とは信じられない 充実ぶりでした。  2日目は朝の阿字観の後、護摩供養 に参列。これは、護摩木やお香をたい てお経を上げて祈ります。実際に目の 前で火がたかれ部屋中が熱気と煙で溢 れると、その30分間はとても迫力があ りました。朝食後は作務つまり掃除の 時間。掃除をするといっても日常は掃 除機で済ませてしまうのが、雑巾を水 でしぼってお寺の長ーい廊下を水拭き する作業は、日ごろの学校の掃除のご 苦労を感じさせると共に、広いお寺を 常に綺麗にキープするのは大変なんだ なぁと体感しました。  その後、お昼まで奥の院散策。弘法 大師の眠る奥の院には20万基を超える 墓や供養搭があり、恵光院から奥の院 御廟まで歩いて30分程の道中には明智 光秀、織田信長、豊臣家など、超VIP級 の歴史的有名人のお墓。普通のお墓と は明らかに風貌が違うその堂々とした たたずまいはとても迫力がありまし た。午後は、静かに写経をしました。 その夜は、仁美と恵果の司会で、昨晩 とは少し違う雰囲気でお寺の方達と仏 教やお寺、自分自身の事を話したり質 問したりする時間。最後はまた卓球と ゲームで、昨晩よりより打ちとけられ ました。   3日目は実質的な最終日。午前中は 選択で、名物のゴマ豆腐屋さんの見学 に行ったグループ、高野山で今もなお 唯一女人禁制のお寺である真別所の前 まで行った仁美、マイオリジナル数珠 を、教えていただきながら作ったまり と私、と3つそれぞれが楽しく過ごし ました。午後は観光名所を回り、特に 金剛峰寺は高野山真言宗の総本山で、 たくさんの豪華な襖絵や歴代の皇室の 方々の訪問時の写真、立派なお庭、豪 壮な台所など、どこもとても立派で見 ごたえがありました。  夜はいよいよ心の旅の影の目玉?で ある花火と肝試し。断言します、これ は私が今まで入ったどこのおばけ屋敷 より怖かった。最初は楽しい花火大会 で、夕方奥の院を歩いていった先の空 き地でしました。個人的に一番楽しん でいたのは、連発花火を嬉しそうに手 に持って打ち上げていた松島先生だっ たと思います。笑) 肝試しは、ご住 職のこわ∼い話から始まります。真っ 暗な山の奥から、先に出発した人の声 が「ギャア゛―!」と聞こえて来る 中、パートナーの千晶ちゃんといざ出 発してみると、明かりは申し訳程度に 灯されたロウソクの火のみ、あとは足 場も悪い山の中から、両サイドにお墓 びっしりの奥の院をたった二人で歩く のです。そして道中では・・・。普通 にお墓を通るだけで怖いのに、後ろか ら追いかけられたりしたら・・・。私 は一度マジで腰をぬかしてしまいまし た。全員が戻った後、ご住職の特別配 慮で、車でホタルが群生する場所へ。 高野山は標高が高いので7月でも本当 に箕面とは比べ物にならない数で、と ても印象的でした。肝試しでヘトヘト になりつつも、私は初めてホタルが光 るのを自分の両手の中で観察できてと ても感動しました。  4日目は朝から帰り支度が進む寂し さの中、最後にご住職が、前夜の肝試 しを振り返って、この旅での経験、そ してこれからの私達の人生に関する大 切なお話をしてくださいました。何回 か伺ったご住職の法話は、毎回どれも とても身に深くしみて、納得させられ たり、不思議に思ったり、興味がつき ないものばかりでした。本当にありが とうございました。  振り返ると、皆とワイワイ過ごすこ とも楽しかったし、阿字観や写経の修 行を通じて、日ごろ忙しくこなすだけ だった日常生活を夏休みの初めにふさ わしい形にリセットできた様です。特 に12年生が多く、受験を控えて皆自分 を見つめ直す良い時間になったと思い ます。うるさく、お風呂が遅く、なか なか寝ない私たち、それでも貴重なお 話や体験、おいしいお料理、やさしい 心遣いで私達を受け入れてくださった 恵光院の皆さん、ありがとうございま した。そして最後にこのキャンプの引 率をしてくださった青山先生と松島先 生、心の旅にお二人はぴったりの先生 だと思います!本当にありがとうござ いました。

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新見眞人  チャレンジ・キャンプに高等部1年 生男女各3名と3年生男子12名の生徒 たちと引率の木村先生と新見の合計20 名で、今年も、長野県へ行ってきまし た。日本アウトワード・バウンド・ス クール(OBS)長野校のインストラ クター(マエッチ、サッチン、マッ チ、リサ、そしてシムケン⇒OBS内 ではインストラクターも参加者も親し みを込めてお互いに愛称=ニックネー ムで呼び合います)の情熱溢れた指導 の下、生徒たちは小谷村から美ヶ原高 原へのマウンテンバイク遠征をメイン とした、このキャンプの呼称通り、真 に<チャレンジング>な4日間の野外 活動を日焼けとかすり傷以外の大した 怪我もなく、まあ無事に全員が立派に 成し遂げてきました。プログラムの概 要は次の通りでした。1日目午後、イ ニシアティブゲーム(アイスブレーキン グから仲間作りへ)の後、自然の岩場で のロッククライミング(前日の雨の影 響が残り、岩の表面が濡れていたの で、どの生徒も非常に苦労して数十分 から1時間も岩場にへばり付いたの ち、ようやく岩場を登頂征服すること ができたので、万感の思いだったで しょう)。夜は長野校宿舎泊。2日目 早朝、マウンテンバイク等を満載した トラック1台と生徒たちが分乗したラ イトバン2台で大糸線平岩駅近くの長 野校を出発、国道148号線のいくつもの トンネルを通過し、千石駅付近の姫川 の河原で下車した。ここで、準備運動 とマウンテンバイクの調整を行い、い よいよ、この日の予定である60km遠征 に、2つのグループに分かれて出発し た。遠征初日のチャレンジは与えられ た地図を自分たちでしっかり読み取 り、ルートを見つけ、休憩や昼食時間 などの取り方や走行ペースも各グルー プ内で相談の上決定し、この日のキャ ンプ地まで到着制限時間午後4時を厳守 するというものであった。マウンテン バイク隊グループ①は1年生女子の神 澤・谷畑・木村の3名+3年生男子の 笠井・伏見・西名・岡林・高橋・高木 の6名+インストラクターのサッチ ン、そして水と食糧 支 援 ラ イ ト バ ン 隊 ( マ ッ チ と 木 村 先 生);マウンテンバ イク隊グループ②は 1年生男子の中島・ 永田・渡邊の3名+ 3年生男子の富川・ 柴田・バニヤン・中 島・新見・馬越の6 名+インストラクターのマエッチ、同 様 に 支 援 ラ イ ト バ ン 隊 ( リ サ と 新 見)、最後に予備の自転車、テント、 食料、水、調理器具等を積んだトラッ クが伴走した。国道走行をなるべく避 けるように鬼無里村・小川村・美麻 村・八坂村・池田町・明科町等の村や 町を適度なアップダウンを繰り返し通 過し、この日の最難所であった急勾配 を上り詰めた所にハンググライダー離 陸場があった。ここの美しく整備され た芝生にテントを張って、この夜一晩 の宿泊場所を確保した後、全員で夕食 を作り、グループ毎、輪になって一日 を振り返りながら談笑し大変おいしく ご馳走をいただいた。翌3日目早朝、 グループごとに自分たちで朝食も準備 し、食事をし、手早く後片付けを終 え、準備体操を念入りにすませ、今回 の遠征目的地である美ヶ原高原(標高 2034m)へ向けて、走行距離としては 40km、ただし、ほとんどの行程が急な 登り坂ばかりという非常に(超)ハー ドな遠征2日目のチャレンジに出発し た。この日も前日同様、美ヶ原高原到 着制限時間午後4時厳守であった。生 徒たちは、強い日照りと急勾配に疲れ 果て、途中何度何度も休憩を挟み、し かしながら一歩一歩( 一こぎ一こぎ) ゆっくりだが着実に標高を稼ぎ、とう とう武石峠に達し、そこからは実にす ばらしい景観の美ヶ原スカイラインを 疾走することができた。この時、全 員、このハードだった丸2日間のチャ レンジが一瞬で吹っ飛んだような気持 ちになったことであろう。1時間程度 の差はでたが、2つのグループ共、全 員が無事にこのマウンテンバイク遠征 を見事に完了することができた。写真 は、美ヶ原自然保護センター前駐車場 で撮った、完走後の誇らしげな全員の 笑顔である。すばらしい360°の展望を しばし満喫した後、今日一日、せっか くさんざん苦労して登ってきた道を、 ライトバンであっという間に下山し、 美鈴湖付近のオートキャンプ場にテン トを張り、キャンプ最後の晩を過ごし た。4日目、いつもよりはゆっくりと 起床、洗面、テント撤収、朝食準備、 食事、後片付け、等々をすべて終えた 後、ライトバンに分乗し、再度、美ヶ 原高原へ向かう。ファイナルチャレン ジは、ソロウォーク。美ヶ原高原の自 然保護センター前から天狗の露路、 王ヶ鼻、王ヶ頭、美しの塔(の見える 所)周辺を、各自一人一人になって、 歩きながら、あるいは、腰を下ろして 景色を見ながら、思索する。この4日 間のこと、進路のこと、・・・。そし て、木陰の中でグループ毎にキャンプ を総括し、各自がコースインプレッ ションを書き上げた。その後、ライト バンで下山し、松本駅まで送ってもら い、松本バスターミナルから高速バス (アルペン松本号上り)で帰路につい た。

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斎藤 数  今年の「写真文芸帳」キャンプはい つもと違って、どこに行くか、から話 し合い、生徒と一緒に計画を立ててき ました。まず5つほど行く先の候補を 決め、投票によって一つに絞り、金沢 に決定しました。金沢は金沢城址を初 め、日本三名園の一つである兼六園、 そのほか町のいたるところに古い建物 が残されており、どこを歩いても写真 の被写体はいくらでもあります。次に 金沢では、どこに行きたいかど話し合 い、時間などを考えて、一応のコース が完成し、実施となったわけです。実 際、犬や猫、道端の雑草までがあたり の景色ににピッタリと溶け込んで、被 写体としていい雰囲気を醸し出してく れました。訪れた場所は、金沢城公 園、兼六園、ひがし茶屋街、にし茶屋 街、主計町茶屋街、尾山神社、長町武 家 屋 敷 、 寺 町 寺 院 群 、 近 江 町 市 場・・・などです。いずれの場所も宿 泊した兼六荘からはさほど遠くなく、 ほぼ徒歩で道々スナップしながら回り ました。途中休憩では焼き立て煎餅を ホッホ言いながら食べたり、江戸時代 からの製法による飴をなめたり、ソフ トクリ−ムを食べたり、武家屋敷では お抹茶に呼ばれたり、また、蓄音器館 や美術館に寄ったりと、金沢の町を十 分に楽しむことができました。  1泊2日という短い時間ではありま したが、皆、かなりの枚数の写真を 撮ったようです。日常の生活を離れ て、ゆっくりと文芸活動に浸れるとい うことがどんなに楽しいことなのか、 各生徒なりに体得されたのではないか と思います。写真を見ると、自由気ま まなスナップが多く、明るい顔をした 友達が写されていて、本当にキャンプ を楽しんでいることがよくわかりま す。帰ってからのパワ−ポイントを 使った紀行映画(?)作成や、写真に 詩や短歌、替え歌、童謡、物語、解説 などを付けていく文芸帳の作成など、 キャンプのスタートからアルバム作成 まで、熱心に、楽しみながら活動して いる姿を見、文芸帳キャンプを計画し て本当に良かったと思いました。最後 になりましたが、紀 行映画の作成では情 報科の合志智子先生 にご指導いただき、 と て も 助 か り ま し た。ありがとうござ いました。(斎藤)  今回のキャンプに は、中1から高3ま でが参加したのです が、紙面の関係で一番若い中学1年 生、最上学年の高校3年生の感想文を お読み下さい。  ●7年生1人でちょこっとびっくり。 キャンプって言うか合宿に近いキャン プだった。ちゃんとホテルに泊まる し、ベッドだし、キャンプファイヤ− しないし、バ−ベキュ−もしなかっ た。ほんとに観光気分、学校で来てる とき、忘れちゃうくらい。おみやげ 買ったし。キャンプでお土産なんてア リエないよねぇ。それにたくさん歩い た ( 走 っ た り も ・ ・ ) し か も 迷 子 に・・。ケド楽しかったです。(7年 生さり) ●キャンプなんて、中1の時以来だっ たので、すごく楽しめました。バスに 乗って金沢へ。「ついたぞぉ!」と 思ったら、すぐホテル行って荷物をお き、さっそく撮影開始。パシャパシャ とたくさんシャッタ−をきって、撮り まくりました。イエィ!今回の写真も 私の好きな上を見上げる”絵”や、下 を見下ろす”絵”が多かったです。あ と、パラパラマンガみたいに見えるも のもたくさん撮っていました。アルバ ムを作る時もちょっとした言葉をつけ たりて、私の大好きなことができたの で、はりきって作りました。感じたこ となどを「スナオ」に書くこと、撮る ことをこれからも大切にしていきたい な。とあらためて感じることができた キャンプでした。参加して本当に良 かったです。(ちひろ)

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田中 守  今年の森のキャンプは、山の中に キャンプ場を作ることから始まりまし た。場所は学校のすぐ近く、茨木市の 山。彩都プロジェクトの活動で使って いる場所です。いつものように高校生 リーダーのレンジャーたちは6月はじ めから活動開始。1泊のワークキャン プや毎日のミーティングで準備を重 ね、とうとう新しくキャンプ場を作っ てしまいました。キャンプのプログラ ムも、竹を切ってきてテントを作った りログハウスをみんなで建設したり と、ひと味違うキャンプとなりまし た。杉林の中でハンモックをつるして 昼寝をしたり、マシュマロを焼いて食 べたり、ドラム缶でお湯を沸かして水 浴びをしたりとみんな思い思いに森の 中での生活を楽しんでいました。定番 の肝試しやキャンプファイヤーも大成 功。交代でごはんも作り、80人が力を 合わせた2泊3日でした。ログハウス 作りには保護者のボランティアの方々 にも汗だくになって手伝っていただ き、なかなかかっこいいログハウス 「そらの家」が森の中に建ちました。 本当にありがとうございました。  参加者の感想の一部を紹介します。 ■蚊にいっぱい刺されたのと、風呂に 入れなかったことは、とても大変でし た。■1日目の夜のイベントがきもだ めしで、最初はうれしかったけれど、 行ってみるとすごくこわかったです。 ■マシュマロ焼いたり、出し物をした り、ロッジ作ったりするのはすごく面 白かった。■森のキャンプで一番面白 かったのがログハウスです。■ごはん とかもすごくおいしかったし、やっぱ りあの流し台はすごかったです。ほか にもたくさん工夫がしてあって良かっ たです。■汗だくなのにおふろに入れ ないのが残念だった。トイレの消臭を 考えてほしいです。■私は本当に下手 でお手伝いの人が真剣になって教えて くれた。で、ログハウスの前をとおる たびにすすんでいてかなりびっくりし た。いよいよ最終日には完成した!! そのときはすごいうれしかった。すご い達成感がわきあがってきた気がし た。■みんなで協力 して何かを作ったり できてほんまに楽し かったです。■お化 けが私たちを追いか けてきました。本当 に心臓が止まりまし た。ステージにつく と後の方のチームの 叫び声が聞こえてき ました。自分のチー ムもあんなのだった のかなぁと思うと笑 えました。■私はまた来年も絶対、森 のキャンプに参加するつもりでいま す。そしてまたあの山で、しんどくな りながら生活したいです。■森のキャ ンプは楽しかったけど、虫にいっぱい 刺されたことと、お風呂に入れなかっ たのがきつかったです。■キャンプ ファイアーでは、それぞれのグループ が、劇や、ダンス、歌などをしまし た。なかなか楽しかったです。暑くて 虫が多かったけど本当に大自然の中に いると感じました。■現地でやったac-tivitiesは、面白かったです。特にロ グハウスを作る時とテイ―ピイを作るの がとても楽しかったです。■下山する 時もうちょっといたかったと思いまし た。あと小さい虫にも平気になれてよ かったです。■レンジャーの人たちが 優しくしてくれたり、皆で楽しい時間 を過ごすことができました。ログハウ スも、きちんと仕上がりとても良い キャンプ場が出来上がりました。不安 が少しあったのがあほらしく思えまし た。■1回目にしては成功したのでは ないでしょうか。私達レンジャー自身 も今年の内容を教訓にまた次へ進んで いきたいと思います。■勉強時間を 削ってキャンプの準備に熱中してしま い、テストがかえってきた時の急に現 実に引き戻される瞬間の気持ちもきっ と今後いろんな時に役に立つだろう。 でもキャンプにつぎ込んだたくさんの 時間は全然無駄なものではなかった。 ■キャンプの前の学校でのミーティン グやプレキャンプに行ったとき、レン ジャーの人たちを見てすごくびっくり した。あたしらキャンパーが3日間楽 しくすごせるようにこんなにたくさん 準備をしてるんやなぁって思った。■ ずっとキッチンでグループのみんなと プログラムとか出来なかったけど、 キャンパーにありがとうと言われたと きは、泣きそうなぐらいうれしかっ た。■何か失敗したときでも、大丈夫 やでと支えられたし、でも言うときは しっかり言ってくれたり。本当にいろ んな人に支えられました。■その子は 最初クモ見ただけで泣いちゃうからね と言っていたのに、最後の日には足の 長∼いクモを平気で素手で取ってテン トから追い出していました。彼女の変 わりぶりはこのキャンプのすごい魔法 だと思います。■キッチンの係はキッ チンから離れられない。朝食作って食 べて片づけして、昼食作って食べて… でも皆の喜ぶ顔を見ていると、苦にな りませんでした。■みんなそれぞれの 仕事で疲れているはずなのに仕事を手 伝ってくれたり、仕事をしやすいよう にサポートしてくれたりしました。そ れがあったからこそ、最後まで自分の 仕事をやり切れました。■見渡しても 自然以外何も見あたらない彩都山で キャンプをするという実に強烈な課題 が並んでいたフォレストレンジャーで したが、やはり最高の思い出になりま した。■2,3年後はレンジャーやる と言ってくれたキャンパー達。来年の キャンプは任せてくれと言ってくれた レンジャー達。暑い中、差し入れやロ グハウス建設を手伝ってくれた保護者 の方々。実務から精神面までサポート してくれた先生方。そして何より、 キャンプ最高、楽しかったと言ってく れたみんなに感謝してます。みんなが いたから楽しかったし、みんながいる から幸せです。

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南出希美  ベッキーと出会ったのはアメリカに 住んでいた5歳の時。それ以来、毎日 学校が終わってからお互いの家で遊ぶ 事が習慣となっていました。彼女と会 わない日はほとんどないほどで、歯抜 けのベッキーと指吸い希実の友情物語 は今でも母が話してくれる素晴らしい 思い出です。しかし、私は父の仕事の 関係で6歳の時に日本に帰国する事と なったのです。それ以来私は17歳にい たるまでの11年間、ベッキーとは一度 も会えませんでした。しかし私達に とってはただの空白の11年間ではあり ませんでした。手紙、メールで連絡を とりあい、誕生日とクリスマスにはプ レゼントを贈り合いました。11年間一 度も忘れずに・・。そして何よりも大 切だったのがお互いの誕生日に電話を かけ合うという儀式。その日だけは何 がなんでも早めに家に帰って電話近く で待機していたほどです。そしてつい に今回のアメリカ行きの計画が実現し たのです。  空港では彼女の両親が「Nozomi Wel-come Back!!」と大きく書いた看板を 持って待っていてくれました。他にそ こで待っている人はゼロ。看板なくて もよかったのでは?と疑問を抱きつつ も車に乗り込み懐かしの町へ。彼女の 家に滞在したのは3週間半。その間は 毎日が新鮮。午前中は家族みんな仕事 に出かけているので1人で気ままにダ ウンタウンで買い物をしたり、私がか つて住んでいた家を見に行ったりしま した。午後からは家族やベッキーの友 人などとニューヨークのライブに行っ たり、ヤンキースの試合をみたり、ラ イオンキングのミュージカルを観た り、海へ行ったり、親戚の結婚式に行 き夜中まで踊ったりと毎日大忙し。所 有している船でセーリングに行こう、 と船に乗り込んだのにエンジンが動か なくてとんぼ返りしたハプニングも。  でも一番考えさせ られた事といえば、 ガールスカウトのサ マーキャンプで日本 の文化について教え にいった時の事。み んなで折り紙をした り、持っていったり し た 浴 衣 を 見 せ た り、昔話を読んであげたりしました。 みんな人なつっこく、笑顔が可愛い! 折り紙はさすがに5,6歳の子には難 しかったけど、出来上がった箱に日本 のお菓子を入れてあげると大喜びして いました。でも私の名前を正しく発音 してくれる子は1人もいなくて、みん なナドミとかノゾンビとか。しかも何 人もの子が抱きついてきては離してく れなくて、帰る時は戦争状態。でも帰 りの車の中、ベッキーのお母さんから 考えさせられる事を聞きました。あの キャンプに通っている子供は収入の少 ない家庭から来る子が多く、悲しい事 にそのほとんどが黒人の子だというの です。確かに最初に担当したグループ の30人のうち80%以上は黒人の子で、 白人は3,4人程度。しかもその子達 の中には親が一日中働いていたり、兄 弟が多くいるために親に相手にしても らえなかったりで、抱きしめてもらう 事が不足するため、キャンプで大人に 直ぐに抱きついてくるというのです。 今でも上流家庭の地区には白人が多 く、直ぐ隣のわりと貧しい地区には黒 人が多い事は車に乗っているだけで分 かります。でも今回のキャンプで出 会った子達のはちきれんばかりの笑顔 は、裏に隠れた暗闇さえも吹き飛ばし て、将来彼女達の素晴らしい未来を作 り出す糧になると感じました。  帰る前日の土曜日。家に戻ると親戚 や友人を集めてサプライズパーティー の準備をしてくれていました。その晩 はベッキーと2人で徹夜のおしゃべ り。昔の写真を見つけて2人とも髪が マッシュルームカットだと発見。きっ と流行りだったのだって納得しながら 大笑い。今度は必ず彼女が日本に来る 事を約束しました。帰国の朝、空港で 別れる時に私は初めて泣きました。こ れまで人と別れる時に一度も泣いた事 はないのに。  確かに11年というブランクに比べて 3週間半というのは短すぎたのかもし れない。11年前には同じ背丈だったの に今では見上げなければいけないほ ど。でも今でも彼女のはにかむ笑い方 は昔と変わってないし、2人できゃあ きゃあおしゃべりするのも昔のまま。 それに2人の生活が異なってきた分、 今回でお互い相手から学ぶものが多 かったと信じています。ただの11年間 ではない。私にとって感謝すべきかけ がえのない11年間なのだと思います。 最高の夏でした。

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菅野賢二  今年の2月頃、僕が小1の時から続け てきているチェロでEMFというアメリ カでのサマープログラムを受けてみまし た。それは僕にとってはじめてのオー ディションでした。そして4月7日に 「Congratulation」というメールが届き ました。喜びよりも驚きの方が大きかっ たです。  6月26日、関空からデトロイト、そ してノースキャロライナのグリーンズボ ロに行きギルフォードカレッジに着きそ こでサマープログラムが始まりました。  次の日、チェロの先生全員の前で自分 の担当の先生が決まるオーディションが ありました。2日目は初めてのオーケス トラのリハーサルがありました。オーケ ストラは初め2週間、その後は1週間ご とにコンサートがあり、その度にメン バーと曲が変わりました。オーケストラ は生徒だけのもので2つありました。指 揮者も2人いて1人はスペイン人のNovo さん。スペインなまりの英語でとてもユ ニークなひとでした。オーケストラは毎 朝9時から12時までリハーサルをしまし た。オーケストラでは知らない曲がほと んどで楽譜を読むのが僕は大変でした が、周りの人達はほぼ全員できていまし た。初めてのリハーサルでビックリした のは管楽器が上手かった事です。管楽器 やパーカッションがフォルテのところ等 オーケストラの中にいると跳び上がって しまいそうな迫力があり感激しました。  チェロは合計21人。その中の1人で ジュリアードに合格したという人がいて その人がドヴォルザークのチェロコン チェルトをほぼ完璧に弾きました。僕は 感動し、すごい人がいるものだ、と感心 もしました。  参加生徒は約200人程でした。その中 でもフルートの人達と兄がいるピアノの レベルが高く、上手いと思いました。 ヴァイオリンやチェロにも上手い人がい ましたが僕のような人もいました。  毎日、オーケストラのリハーサルの 他、プライベートレッスン、ミーティン グ、セクショナル、マスタークラス等、 忙しかったです。室内楽でもモーツァル トのクラリネットクイ ンテットの練習も毎日 ありました。  毎晩、8時からはコ ンサートがありまし た。先生方のコンサー トやゲストアーティス トのコンサート、そし て生徒のコンサート。メインのゲスト アーティストはピアニストのアンドレ ワッツ、ヴァイオリニストがジュリア フィッシャー、チャールズキャッスルマ ン。トリオではエロイカトリオ、等な ど。  話しが少し変わりますが、カフェテリ アの食事がひどくてとても毎日は食べて いられませんでした。そこで近くのメキ シカンにしょっちゅう夕食をとりに行き ました。そこではとてもおいしい料理が 食べられました。その他中華料理などに も行きました。時間がある時には近くの スーパーに行ったりモールに車で連れて いってもらったりしました。おかげでお 金を使いすぎてしまいました・・・。こ のように外に食べに行ったり遊びに行っ たりするのもすべてアメリカに慣れてい る兄が一緒だったおかげでした。  むこうでもたくさん友達ができまし た。音楽用語は大体分かるようになりま したが英語の力は行く前とあまり変わら ないと思います。チェロもかなり譜読み ができるようにはなりましたがソロの曲 はあまり練習していなかったから伸びて いないかもしれません。しかしオーケス トラや室内楽など人とやることがとても 楽しいことがわかりました。  このサマープログラムに参加できたお かげでこの夏休みはとても充実したもの になりました。来年もぜひ参加したいと 思っています。  現在は研究の傍ら、一方ではオーケストラでチェロを弾き、他方で は月に2回ほど狂言の稽古に通っています。2005年4月からは、北海 道大学大学院理学研究科生物科学専攻に進学することになりました。 高校時代に学校の隣の池で出会ったコケムシという動物について、今 まで以上に充実した研究を行っていきたいと思っています。  2004.9.24.  2005年4月より大阪大学大学院医学系研究科修士課程に進学する事が 決まりました。入学後、高校時代からずっとしたかった筋ジストロ フィーの研究ができそうです。因みに、中学高校と続けたボランティ アクラブは大学でも続いており、研究室に入ってからは回数は減りま したが、国立西多賀病院の筋ジストロフィー患者さん達のいる病棟に 行っています。2004.8.31.

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曽我部友紀

 今年の夏、AIU High School Diplo-mats(以下HSD)というアメリカ短期留 学奨学金プログラムに参加する機会に 恵まれました。最初にこのプログラム について少し紹介しておきます。HSDは AIU保険会社・フリーマン財団の後援の もと行われ今年で18年目になる歴史が あります。このプログラムは①ワシン トンD.C.・ニューヨークでのツアープ ログラム②バージニア州でのホームス テイプログラム③プリンストン大学で のエクスチェンジプログラムの三部構 成になっています。  作文・書類選考の一次、東京での ペーパーテスト・面接の二次に合格 し、HSDに参加が決まり、とても嬉しく 楽しみであった反面、それからは提出 物の課題やプレゼンテーションの用意 など色々と大変な部分もあり、楽しむ だけのプログラムではないのだなと行 く前から感じさせられました。  ツアープログラムでは国務省・国 連・メトロポリタン美術館・日経新聞 社ワシントン支局・自由の女神・AIG本 社・テレビ東京NY支局などを訪問させ て頂きました。印象に残っているのは グランドゼロを実際この目で見てきた 事、国務省で職員の方からアメリカサ イドからの日米関係の事など興味深い 話を聞けた事、国連でいろいろ質問が 出来た事、AIGビルでの偉い人たちとの お食事会でガチガチになりながらも一 生懸命英語で話した事など、普通なら 体験出来ないような事ばかりで貴重な 体験でした。私はアメリカ本国へ行っ たのは今回初めてだったので、アメリ カの町並み、特にニューヨークでのツ アーはなんとも刺激的でした。眠らな い町と呼ばれるように活気溢れる素晴 らしい町でしたが、その反面ゴミが多 く汚い場所も多く貧富の差が垣間見ら れたりしました。又、ワシントンD.C. は首都ですし東京のような都会をイ メージしていたのですが、なんだか想 像とは違い、のどかな所でした。ワシ ントンD.C.のホテルでは火災(実際は 違ったのですが)ベ ルが鳴りパジャマで 避難するというスリ リングな経験もしま したが、今となれば これもまぁ思い出か なと言った所です。  一番のメインであ るプリンストン大学 では本当に楽しい濃 い夢のような10日間 を過ごせました!ア メリカの生徒と直に 触れ合い、英語をた くさん使えたのもこの時期です。ルー ムメイトのAliは新体操をやっていて宙 で回転できるスゴイ子!バレエやタッ プが上手な自慢のルームメイトでし た。Aliは初めてこのHSDで日本に興味 を持ってくれたようで嬉しいです。彼 女とはこれからもずっと友達で居たい し次に再会するときには、奥深い話も 出来るようにもっともっと英語力を高 めたいという気持ちが一層強くなりま した。  又、プリンストンでは毎日Hawaiian day, Rock star dayなどのテーマがあ り、皆それにそった格好をして毎日の 様々なプログラムを共に楽しみまし た。中でもDate nightでのアメリカの男 の子のジェントルマンさには驚き、 Halloweenでの仮装は皆ユニークで面白 かったです。アメリカの生徒は皆何事 にも全力投球で手を抜かず一生懸命で それにつられて日本人もアメリカ風な 良いノリを身に付けて一緒に汗水流し ました。プリンストンでは生徒が色々 披露する場が設けられていました。私 の場合は、ルームメイトとタップダン スをした事、日本人とゴリエのダンス をした事、茶道をした事は良い思い出 です。また日本を出発する前から準備 をしていたプレゼンテーションも印象 に残っています。GovernmentやLeisure やSchool lifeなど様々なトピックスが あり私のグループ(4人)はJapanese traditional cultureについて英語で約 40分のプレゼンをしました。このプレ ゼンを通して私はあらためて日本の伝 統文化が大好きになりました。又その 魅力をすこしはアメリカ人生徒にも伝 えられたかなと思っています。  HSDでは本当にたくさんのものを得る ことが出来ました。やる気・夢・・・ そして中でも大きかったのは、たくさ んの素晴らしい仲間との出会いです。 日本中から選出され集まってきた48人 は皆個性豊かでこんなに尊敬できる仲 間と出会えた事がホントに嬉しいで す。またアメリカの生徒も同様いろん な人が集まって芸も多く学ぶ事も多々 ありました。これからもkeep in touch でいけたら良いなと思います!  帰ってしばらくは、日本の暑さ・時 差ぼけ・逆ホームシックに見舞われボ ケーとしていました。しかし、いつま でも思い出を引きずるだけではいけな い!HSDでの体験をこれからに繋げてい こうと思います。  最後に、このプログラムはとっても オススメです!高校2・3年対象に毎 年募集があるので皆さんチャレンジし てみて下さい☆そして、今回紹介して 下さった栗原先生を始めとする先生方 ありがとうございました!

参照

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