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社會問題と社會政策-香川大学学術情報リポジトリ

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Academic year: 2021

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(1)

商工経済研究、第十電撃一葉議月誓螢榊︶

は L が き

社食政簾は第二義年後期に於ける選鐸科白であるが、今年度は蟹料不在のため休講となるであらう。例年官名前

後の聴講者を待て、比較的添彗者の多い此の科臼は、若し今年も開講せられたならば、相雷の志望者があるのでは

ないかと想はれる。且又社命間組に封する序論的認識招、山般拳盆にとつても重要であるを思ひ、編輯者の懲放と

冤容に甘へて、とゝに稿本の二部を公にす・る。ひとつには以て、社食政舵塘嘗慈としての寛拶の二職を免きんこと

を頗ひ、ふたつにほ以て、この種研究品心を持っ畢生諸君への、初歩的鰭導箸らしめんとす鳶在る。深く息

ひを淋むるの士ほ、之を手がかⅥソーとして研究を進められたい。その事引きの仙嫡ともなり終れば、蟹潜執筆の目的

は牛ば以上成功であり望外の撃職忙感ずる。

証合間題と祉曾政策

政令問題ヾJ融合政策

大 泉

︵山〇五︶

(2)

l 政令に踊する認識と思想が、著しく重要性を稲び、酢昏を批判的に且つ反省的に顧みて、之を科塾的に取扱ふ に至ったのは、十九世叔後の㌢である。固より、敢愈に闘する思想は古くより行はれたのではあるが、敢命成 員を平均的に観ての︼般的認識は、十九せ絶を以て一つの境界となすにさまたげない。 配合の本質に就ては、赦愈峯的に種々なる規定が輿へられるが、今之を後生的に見れば、政令は人間と共に在 りとのマツキーパー流の雛祭は⋮應承認することが出来る。人間の生存ある朗に、何等かの形式と内容とをもつ 配愈がある。 配合の内包は常に欒化する。生成し流動し満城して、間断なき運動退路を拡ける。従って、敢命それ白膿も亦 常に攣化しっ1ありと富はねぽならぬ。更に、這の祀愈内部に於ける、人間塵活の分化関係は、血族・職撃 素数・政治といふが如き関係によつて紺織せられ、それ等を綜合する配合は、一個の渾然たる一腰として、極め て複雑且つ錯綜せる内容をもつのであるがJともかくも、人間の共同的生存と共に耐禽は存在することを認めね ばならない。 共同生新鰹下に於ける人間交渉の諸関係即ち耐禽関係は、かゝる運動の産物であり、従って叉常に生成流抽し てゆくものであるが、朗謂祀倉問題も亦、この人間交渉の敢食生活の裡に磯生する現象たるに外ならない。 第十啓 発 二 男 へふ〇六︶ 二

(3)

2 配合問題の意義を、辞儀的佗把捉して仙鮎の不明をも糟さざることは、至緋の柴に属する。蓋し斯1る通桁的 流通語と化した胃薬は、極めて多義を有し、如何なる場合にも通用される可能性があるからである℃この育英の 繹力性が定養を困難にする。 配合問題を放廣義に挽くものは、殆ど文字通りに散骨に於ける叫切の問題、少くとも敢食入の関心に訴へる問 詠を政柄せんとする。配合問題薪以て、人獅の物質的・精紳的生活問題なりとし、それが敢禽の秩序及び維持に 盈大なる影響を及L、配合が之に封して何等かの政策方迭を講ぜざるペからざる場合に酢食間題の磯生となると 説く見地の如きは、配合問題の意義の靡い規定である。 私見によれぼ、所謂敢合間題とは、赦愈に生起する二研の問題中より、特に或る柾のものを限虚して言ふ。即 ち、敢合間題に封しては、たとひ敢愈の問題ではあつても、敢奇問超とは稀し得ないものが封比されるのであ る。こゝに於てか、赦食間題を、他の敢愈問題に非るものより特徴づける質素を把へねばならなくなる。例へ ぼ、敢愈聞魔を以て、敢愈制度の根本的快格より畿生する一切の間髄なりといひ、進んで、現代の配合問題は労 働問題なりといふが如き之である。 敢合間題の特質む、敵昏制度の根本的政略に銅聯せしめて理解することは、至雷なる態度であらう?配合制度 社骨問題と融合政鍵 ︵﹂〇七︶ .≡

(4)

3 人間の配合生活を歴史的に観て、如何なる特定酢愈にも、未だ嘗て根本的紋隋む祓することない配合制度は之 を認めることが出水ない。特定敢愈に於て、竃階段の酢愈秩序が整備せられ、而も此の秩序が人間生活一般に 封する統無的勢力むちつ限り、敢愈制度の根本的胱隋は存在しない。この統無力の窄動が、不調和及び矛盾を矯 正補修し得るからである。 然乍ら、凡そ形成せられたる制度は、鮮的たることを特級とする。襖冒すれば不動であり固定的であ告それ は剛つの定型として存在するからである。 配合制度は櫛的定型を特質とするが政に、救命現象を盤浜統御写る勢力をもつ。制度の支配力はこの窟型に存 するのである。軟骨制度は静的定型を特質とすろが故に、眈愈現象を塾暗流無するの勢力を失ふ。定型は欒化と 遊動に勤して、途にその洩感性を失ふからである。 こゝに於てか、制度の支配力も無支配力も、共にその静的定型なる同義質に基くことを知るのである。評憤

弟十巻 第こ駅

︵一〇八︶ 四 の根本的紋隋から、必然的に教生す各矛眉・不調和を以て、■敢合間題の核心となすことは、多くの識者の認容す る研であらうけたゞ此の税の規定は、封象たる関越の性質を客親的に親祭したもので、この意味の酢愈問題は、 歴史的のあらゆる敢愈に存立したことを思はねばならぬ0

(5)

ぼ、敢愈附勉の客硯的事蜜は、仙切の敢魯に春森したのである。 批食間題と社食政集 の尺度が不動固定のものでありて、始めて仙切のもの1偵値が、渕㍍せられ比較し得られるやう忙、敢命生活を 規定し秩序づけ得る赦禽制度は叉1.不動固定であらね.ぼならぬ。然乍ら、酢禽生餌何慣は運動と欒化と進展とを 特徴とする。これは、不断の現象であり、徐々として刻々の労化を認識することすら困難であるが、而もー定の 時間的間隔の前後を比較する時は、著るしい差異を認め得る。この差異の増大が、制度の支配力を無にするので あ 特定の制度は、その特定の條件を前拉として、柏封的に存布珊由を認められる。従って、即興の轡化が、着る しい結戎をもたらした場合には、制度はをの改新を必要とせらる1であらう。か1る改新を必然的たらしむる事 象ヱそ、組合馴鹿に封する根本的封立物であり、軋愈制度の根本的紋陥と糾すべきものであらねばならぬ。敢禽 進化とは、か1る封立の間断なく止揚せられてきた軌跡をこそいふ。されば、この劉立矛盾を以て、配合問癒と 糾する時、敢合間超は芯代といはす中≠といはず、臍叉近世現代といはす、あらゆる敢合に存在したことを認め ねぼならぬ。 4 敢食間魔の中枢を、計愈制度のもつ根本的紋俗に求め、根本的紋隋の意鶉を、筆者の詮くが如く許されるなら ︵山〇九︶ 五

(6)

︵仙 仙○︶ 六 第十稔 第 こ、既 それにも不拘、計愈問題が特に近世に於て祀愈の表面に浮びとるに至づた理由は、それ以前の離合に於て、7か 1る根本的紋陥が叫般的に反省批判せらる∼程の賛達に到達しなかったためである。横言すれぼ、配合馴鹿の嘩 本的矛盾が、人間生活二般に、堪へ難き軍歴としての自覚を輿へ、批判を敢てせしむるに至らなかった1めであ る0 こ1に於てか、祀愈関越の教生には、客観的寄賛の外に、主鶴的要素む加へねぼならない。主観的とは、祀昏 人側般の自餐を言ふ。存在する事驚を取上げて、反省批判する態度牽冨ふ。祀合判度の内包する矛眉が、その盈 塵を人間敢愈生活山般に加へ、、社命成員が平均的に此の串驚を認識し目鼻し批判するに至る時、一敢合間掲は始め て、その澗立の姿を浮び上らせるのであ為。 計愈的矛盾が、その既成配合の基底を震撼せしめ、計食入をして、問題の重要惟に反省自覚せしめる岬、離歯 間堰の弼自の存在が判然する。故に、統合問題の串寛があつても、この反省自覚の進まない時代には、他の問題 との剖比に於ける政令聞感の姿鰭は、未だ明瞭には浮び上らす、従つて所謂配合間竃は霹垂性をもたない。 5 マルクスは、.人口に檜灸する膏薬を以てヾ一切の過去の歴史が階級闘寧史たることを論断した。自由民と奴 隷、貴族と平民、領主と農奴、同業組合の親方と職人、ノ即ち抑座するものと抑離せらるゝものとは、古来絶ゆる

(7)

ことなく闘苛を抱け、その結果は、革命的欒革又は相辞ふ緒階級の共倒れとなる。近せの有床者帥敢脅は、封建 敵昏の没落より生じ、有産者困と無産君国との封立を以て特徴づけられる。之がマルクスの親祭である。 すべて従来の膵史を階級間寧史と断定し、その封立矛眉の止揚に於て配合の運動を見る所持法には、惟ふに多 分の考慮の故地があるかも知れない。聾者は、か1る関越に附する考究をこゝには暫く招く。階級的闘寧であつ たかどうかは別として、敢禽が常に運動しっ1あるものであり、敢合の進化は、敢脅制度に於ける矛盾の盈踵を 契機として連行される客質は、之を単純に看過することを許されないのである。 政令制度のもつ矛盾を、唯物史観的に、すべて之を経酒に求めんとする推珊は﹁或は椙轡ど軟くかも知れな い。けれども、過去に於て、紆臍囲係が著しく大きな役削を濾じて居け、叉現在に於ても、極めて翼大なる植置 に立つと小ふ事嘗は、理論の何たるを問はす、之を公平に認識せねばならぬであらう。この場合の間額妓、唯物 論か揖念諭かではない。唯物論たると観念論たるとを間はす、存在する事資を認めねぼならぬといふのである。 経済を以て、仙切の祀禽関係の基底となし、或は之に他よりも緊要性を濃くが如き熊慶には批判の故地があるで あらう。けれども、少くとも次の二つの寄だけは、之を輿へられたる事賛として認容せねぼならぬのである。 筋∴は、挺臍は人間の生活と共に常に布衣してきた等質である。聾者が、時に自然経済と名付け或は採取耗臍 と名付けるが如き、原始的挺臍は、その規模と内包とに於て、畿達せる経済には絞ぶベYもないが、碕且つ、殆 ど人間と共に在りと富ひ得る。このことは、廃臍が入関生溝に於ける不可紋の関係であることを意味する。この 洗骨問題と政令政鷺 ︵ごここ 七

(8)

第十容 顔ニ・戟 ︵岬二〇 八

女昧に於ての重婁性は虚心に認められねばならない。且つ叉、等しく寄食として、鮮臍が人間所動の如何に大き

な緋耐を被ふかを無祀することが出発ない。発し機首すれば、多くの人々は、殆ど大多数の生新時制懲、総柄生

活にのみ傾注して居るとも富はれやう。

第二は、甥泰の政令に於ける敢禽的矛厨の根底が紆番組備に尭るの寄資である。軍産者圃と無搾君国との二大

封立は、春宵として認められねばならない。従つて、少くとも、現在の祀命問題は、搾臍紺係の基咤を他にして

は、之を解明するを待ないのである。

今日酢愈間鮎として重野祀される、エ場労働者問題、農村問題、婦人問題、企業結皆の紹冊題、運命的俸給階

級の問題、失業問感、就職難の問題等を取上げて見れば、問題磯生の中枢が、経臍閥係であり、脛解約利益を異

にする薬魔の封韮である客質につきあたらざるを得ない。之は叩論を別にしての、典へられたろ事理である。

6

現存融合に於て、赦食間題茫生の中枢を、経臍的利益の酎立といふ取賛におくとしよう。かくすれぼ、この事

資から、必然に叉次の寄潜の教生が認められる。即ち経潜的支配部分と被支配部分との分立之である。この被支

配部分が、支配の軍鱒と原因に白魔し、輿へられたる畢義明又は豊品轟繭に満足せすして、自ら獲得したる串

指に達せんとする時、政令問題は愈々猫白の参照を鮮現するのである。之は、経臍的被受配部分が、その東配、

(9)

鬼紬より自己を解放せんとする要求に外ならない。他律に封する自律、抑制支配厄封する自主猫章、輿へられた

る恩恵に封する自ら拉得したる自由。之等が、被支配部分の自覚と共に強調せらるゝ要求であり、酢魯間苺の推

進力である。

かくの如く、硯作配合の所謂配合閃電を、経済的支配関係に於て認識し、経済的階級封立に於て理解すること

ば、思ふに重富であり、思想上如何なる主義に立つを間はす、公平に認容せられねばならぬのである。この郵に

於て、政令主癒が資本素養赦愈に下す批判部分は、傾聴すべきものを多く包む。後にも偶れる如く、敢命政策は

計合間越に劃する政饗に外ならぬものであり、か1る政環の複勤は、政策せらるべき軟隋の布衣を前揺する。

然らば、先づ如何になすべきかの政繋に先行して、如何に在るか叉何故に然るかの二筋を明らかにせねばならな

い。この、如何に在り叉何故に然るかの問題は、屡々反封設の批判の申に、最もよく示されるのであるっ酢愈童

養の理論や理想や建設的竜張には、批判の飴地が多分に在すると思ふが、現存酢愈の快隋を指摘する緒鮎には正

鵠を得るもの少なからす、従つて問題の核心にふれるものゝあるを看過してはならない。

7 暫く史的考察を試むるに、苗代赦骨は英雄支配の配合である。苗代の支配者又は主横着は即ちこの佃人的英雄 であつた。その撥威を装書きせんために、時には紳の名を援用した。後他の帝王糾櫛詮は、かくして苗代に早く 祉合間題と社食政策 ︵鵬 〓ニ︶ 九

(10)

も萌芽を認め得る。 こ・ゝに英雌とは、必ず七も武力的たることを唯一の特徴とはしない。所謂、政を残すに徳を以てし、北辰其の むか 朗に居て衆星之に共ふが如き高徳の士も考へられる。けれども、之を平均的に言へば、文化の低い苗代には、武 力的威力は廠めて重大なる支配的樵威であつたに相違ない。且つ叉、配合に封する自覚、批判の如きはなく、鵬 般に衆にすぐれたものが、即ち支配宥として血般を統御℃、従つてそれが国家の政策をなしたのであつた。され ば、極言する時、血佃人或は数人の個人の私的慾望、趣味等が、即ち図表の政発として章勤せしめられた。偶人 の活動と観衆の行動が二にして資は盲あつた。宣兼の商取引が、対外的には主として蓉佳品に占められたる事 賓は、図王又は晋廣専の少数者の趣味慾望が経済活動に反映する誇友である。苗代の絶ゆ問なせ雄琴、闘軍の事 驚は、屡々英雄的征服慾の満足に基くことを致へる。 降って申せ封建政令た入れば、人も知る如く中央の樵刀鞄に墜ち、閣内分立して地方分概となり、∴机方の諸 侯・領寿が弼立し、時には郡市が畢位となつて、郡市繕脾を刑現し宅この場合にも、英雄的・専制的支配は連 綿せして披き、殊に貸族。武士の如き身分的支配による抑應・支配が行はれた。この支配統制は、近批初頭に至 って、個人的英雌に代るに統山岡家を以てせらるゝに至った。個人は常に国家の下位に立ち、偶人百倍の猫立自 由は無税せられたのである。 十八世紀の自由思想ほ、偶作展開の上に劇大伴蒙的役割を演じたものであるが、固より此の場合にも観衆の必

第十令 弟二渋

二二四︶ 剛○

(11)

OU 自由塵義が配合の生産に叫大野化を輿へて、産業轟命を招致し、資本黄益祀愈を完成せしめたことは人の知る 如くである。 資本制生産組織は、財の質と盈とに於て、甚だしく増加せしめたことは於ひない。唯、すべての成員がその思 意に興るといふ分配に於て、何等の方策を鴻預足しなかつた。苦し、経済的自由主義は、その根本伝傑として、 自然的調和を重要成したからである。 然乍ら、自由競琴は優勝劣敗を結果し、征廠七磯一征服、支髄と被支配、僻力者と無力穿とを机現させるH然的 しめねぽならない。、之が自由主義者の主張であつた。 祀昏の進歩磯達は、個性の蘭創的韓動忙よつてのみ促される。そのためには、能ふ限り偶人の所動を自由にせ くに取扱ふものであるバ人間生清の意義は全く失はれると音はねぼならない。 染めることを許されす。之を無税して一律に統制せんとすることは、人間の榊性を没却せしめて、恰も琴群の如 凡そ個人の生活には、・之を陶枕して⋮先の生餌領域があり、この弼自の世界に封しては、何びとも一指をだに 入ることを抑制せんとするのである。最も良き閥家は、最も少きをなす国家であると考へられた。 然的又は任意的職能を否定するものではない。囲家が、濫りに其の横根を伸長し、個人の猫自なる生餌にまで立 統合問題と祀曾政策 ︵†−五︶ 山一

(12)

第十巷 第こ戟

︵血二ハ︺ 〓劇 傾向をもつ。このことは、自由競寧の内包する叫大特性であつて、之あるが故に競琴は、その偉大なる効苑を鋭 はすのであるが、叉之あるが故に競争は困称なる融合問題の粥根ともなるのである。 かくの如ぺにして資本主鶉軟骨は、経済的二大階級即ち有産者困勤無産者困の封立を以て其の特級となすこと を知るのである。この二ぺ階級の中間を構成する僚は、固より存在するのであるが、その動向は一般的に下降的 又は現状維持的であつて、少くとも原則的に上昇的とは言はれない。こ1に上昇的とは、中間謄を成す個人の努 力が、その仙人をして遮に支配愴に引入れる傾向豊口ふ。論者は時に、極めて楽天的思想を以て、一介の塀働者 又は俸給生病者が、その正常的努力によつて資本家となり得る夢を訟くのであるが、かくの如きは資本童養の敬 展上向朔と、その爛熟衰兆期との差異を無根するものである。殊に、かくの如きは理論といはんよりも、眼前の 串賛なることは一入興味あることである。 今日、その労働力以外に敢倉に提供すべき何物をも持たない者は、原則上支配階級には成り得ない。若し強ひ て其の機骨を求めれば二つある。ひとつは、田生てふ偶然によつて偲天的把支配檜の中に蕉れくることである。 ふたつは、家族制度の関係を通じて、後天的に支配應に拾ひ上げられる場合である。この二つの外の横倉は、殆 ど考慮にすら入り得ない。 9

(13)

現凝敢命の支配関係が、経済に基咤をおくことは上兼諭くが如くであ牒。敢命的勢力又は怖力が経済的支配力 に比例して存在する。軋禽生活の各般に掩って、総柄関係式は所有錮僻が、如何に密接であるかは、日常生活の 仙切が之を澄明するであらう。一切の慣佑を貨幣で測定する貨幣経済の時代には、提供する貸簡畳に比例して、 酢合的狩力又は粧濯が存在する。償簡捷供の能否が、酢愈の特殊的地位又は関係を、彼に約束し又は超絶する。 訂由思想は、かくして人間の敢禽生柄に封して二耐の作用をなした。それは叫固に於て人間を解放すると共 に、他面人間を再び束縛した。個人的自由を宣揚して、図表統制の哺絆より、仰性の枯死を救ったのはiEしく自 由主義思想に外ならなかつた。自由競寧の結果、反つて弼占支配の便封物へと特化して、自由は猫り膠着・強者 の自由となカ、多数の自由粟共著を出現せし・めたのも亦自由貴重思想忙外ならなかった。 凡そ牡命生活に於て、成員たる個人の存在に重心を雷き、共同倦の有産を個人の名城に在りと朔るか、或は、 共同的令豊に重心を追いて、個人の存在を仝鰻の中に没却せしめんとするかによつて、相異るm心額鰭系を後生す る。その何れに重心をおくかは、惟ふに一つの批界翫に属し、料率的に決定することは至難であらう。今日、科 挙的望︼Pひ得る朗は、その相闘的関係に在る。如何なる個性の魯畢者と雑も、共同鰭の寄賛を無硯する乞とを得 す、従って、筍くも爛鰻を綜合してその上に攣皿なる共同的余憤を認むる限り、個人的自由といふも、決して単 純に文字通りのレツセ・フエールではあり得なくなる。灸牒的規制の存立する限りに於て、個人的自由は多かれ 少なかれ、支配をうけ制約をうけねぼならない。他面、如何なる共同腰の啓罪者と郎も、成員たる個人の弼自な 統合問題と赦倉政策 ︵一一七し 〓ニ

(14)

第十令 弟・ニ或

○ノ六︶ 蒜

る人格を無硯し去ることは不可能である。何人のすぺてが、それ′ぐ特異なる個性を滅却して、︼切均去る生

物と化し、蒜の命令が之を機械的虻動作せしむるとすれぼ、それごそ雲ン・スチ言−ト・ミルの所謂学群

と何等攣る研がなくなるであらう。且っ叉、現代教育が中枢とする朗は、人格の完成であり、個性の展開であ

り、これ等は何れも人間を半群と見るのとは正反勤の態度であるり故に、共同濃の認識と雉も、個人の弼自的存

在を無税することは許されない。

この相開的踊係の極致は、之を想定することが出来る。2の欲すろ朗忙祐筆炸を越ヘザとの境地が正しく之

である﹀敢骨は成員の個性を展開し保護す、ると北ハに、成員は、猫自の生活意讐姦展せしめつゝ、同時、に敢愈の

畿達を促すが如き細偶の完成である。これは入間配合生新の珊想であらねぼならない。

〇 一﹁▲

敢倉皇個人との相朗々係が、着の理想状態を去ること遠い今日、その不備・不調和こそ即ち慧論題に外なら

ぬ。地上の人間に在っては、こめ不備・不調御は永遠かも知れない。けれども、人間生活の藩養はー想定せられ

たる理想と不調和との封比より生するのである。

敢愈政策は、その概念を規馨らる1寓冒、この軋食間魔の存在を要件とする。配合政菓が敢静間題に封し

て、如呵なる態度をとるかによつてサニ偶の大なる範囁が分たれる。蒜、顔に在る敢命政策であり、二は、轟

(15)

るべき祀昏政策である。 前者は、現資の特算敢禽に於ける謂條件及前鴇として、規賛に存在し、又は存在すべき祀命政策を封象とする 態度であり、後者は、か∼る特殊的・相制約熊慶を超脱Lて一、叫般的・普遍的離合目的への過程としての政令改 発である。 さて、後者の態度に於ける離合改案の帯究は、その最後に於て遮に人間配合生活の穿廠的理想とも富ふぺき、 ﹂偶の哲癖的琴講に到らざるを得ない、であらう。蓋し、特定の時、虚、人、の制約を越へて、あらゆる時、虚、 人に共通なる酢命政囁を定立せんとすれば∵具鰻的なる個々の政策を越へて、脚般的共通者を探究せねぼならな くなり、これは、普遍的酢愈頭想の追求となる.からである。在るべ.き配合政策とは即ち是である。 之に反して、在る敵脅政饗は、く硯賛に/嶽現しっ1ある酢静的矛盾に向つての、直接なる態度であ′る。多く、の静 者は、この場合、現存融合経臍制度の基礎たる私有財産と自由競争を否定することなく、この原則に立ちつ1、 祀命に磯生する弊害を政策的施設によつて制限又は除去する態度を認容する。今日、所謂敢禽放電として、昏践 に移される硯質的方饗は、この在る政策に於て示されて屠ると青ばねぼならない。 1 1 凡そ猥り敢命政宋と富はす、一切の政策は、少くとも三伯の核心的問題を赦する。日く、 正骨問題と離合政策 ︵一一九︶ ︼五

(16)

1、政先の主鰻の問題 2、政柴の客憫の問題 3、政策の珊想の問侶 政策主魔の問題は、誰が政簡を嘗践するやぁ聞超で、即ちwer刃の問題である。政策客餞の問題は、誰に向つ て政策を瞥践するやの問題で、即ち、weヨ可の閃弼である。政策瑠想の問題は、何に向つて政策を嘗躇するや、 換言すれぼ、政策の方向は何魔に在るかの問題で、即ちwOh言刃の問題である。 之等のこ衰は何れも、それぇでl型鳳に大なる考究領域をもつてゐる。今、通常理解せらるゝ慶によつて剛膝の 解明を輿へれば、今日、政策主牌を域すものは、閑寂及び之に準する圏鰭に外ならぬ。このことは、今日の文化 政愈では、その共同鰐の餞感せる形式とLて困窮が漁も健、位に立つことによる。人々は時に、個人又は少数の個 人の恵請途行に政囁の名を輿へること無しとしないrけれども、かくの如きは、政策の意味の特用又は不用意なる 使用であつて、政策は、金牌意志を以て、その教動者としなけれぼならない。個人の窒息による宿割を以て、政 策の哉勤とは富はれない。か1る個人的活動の上に立つ統仙窟として、始めて政饗幸鰻は其の存在を保持する。 政策容豊は、特定の図家内に蕉析する個人であり、荘確隻芙ぼ、個人の所動並にその赦静的関係である。同 時に、かゝる佃人の共同より成る配合白鴎である。敢禽生活の闘係は、極めて複雑多端なる紹部面と諸領域を現 出するのであるが、政紫は、金牌的職鮎より之に向つて敬勤するのである。 希十巻 弟二戯 ︵〓劇○︶ 〓ハ

(17)

かくの如くにして、最後に政究理懲の問題が乗る。之は政集を方向づける精薄概念に外ならぬ。 2 1 政策理想の問題を取上げて、之を弼立に考究する時は、免にも俄れた如く、途に哲畢的要論にまで立ち到らね ぼならない。政籠の在るべき相が、尭とし.てこの場合問題となる。 既に所謂、慣値判断の問題とし七、γ願検討せられた問題であることは、世人周知の如くである。政策の指導 概念として、普遍者を求むることの不可能を説く論者に封して、その可能を童醸する人々がある。 こゝでは、之等の双方に就て、復習的記述を繰返すことなぐ、率直に鞘等の観る閉を叙ペるにとゞめやう。

●●

政策理想として、普遍者を嬰求することは、惟ふに赦命を成す大鹿の永遠なる願ひであらう。時・虚r人に馳 ● 約せられない共通者は、具鰭的なるものであることを許されぬ、であらう。なぜなれば、眈に松として具現せられ ●● たものは、杉でも檜でもあり得なく、況んや雀や鯉で捻あり得ない。玲にも杉にも檎にも北ハ通なるものを求めん とすれば、松と杉を分つ差異に就てゞなく、姶と杉に共通なるものを抽象せねぼならぬであらう。次に槍を加へ、 楼を加へ楓を加へ、進んでは滞英公を加へチふー”′ツプ軒叫へ、かくしてそれ等仙切のものに北ハ通なるものを抽 ●● 出してくる時は、そこには革に柵物といふが如き叫股概念が成立するであらう。若し叉、更に雀を加へ鯉を加 ●● へ、更に稜々なる獣類をも加へてヽ共通者を求める時は、飢へば生物といふが如き一般私念を得るであらシ。 社食問題と祀合政鍍 ︵〓二︶ T七

(18)

︵二一二︶一入 第十巻 第〓′㌍ 政策珂想に在っても過程は同様である。一般的なるものを建立せしめんとすれば、例へぼ赦愈的厚生とか人格 完成とか一般的撃帽とかの名で示される概念をあげざるを得ない。 けれども、机物が、その具現に於て、箪に楷物自慣といふものがなく、必す稔・杉・檎・チエーワッハブ等とし て典倍化せらる1やうに、政簡叩怨も亦現資生活に現はれる時は、単に厚生・率稲・人格完成それ白膿として現 はれるごとは椚来す、必ヰ生活開傭の中に、特定の形をとつてあらはれねばならない。或る目的のための法律と か、畢校制度とか、その他百般の専管的存在たらざるを得ないのである。 かくて、具倍化したものは、特殊なものである1 それ故に、そのものは普遍着ではあり得ない。松として既 に、特定形態を輿へられたものは、最早杉でもチューリップでもあり得ない。橡の特性を以て即ちすべての晰物 の特性と空言ひ得ないであらう。或る時代、或る場所、或る園民に行はれた教育の字義が、一切の時代・場所・図 民に通用するとはいはれない。こゝに於てか、珊憩は配合生活に具偲化せられたる時は、それは既にその普遍性 を失つたものであることを知らねぼならない。 3 ﹂﹁l けれども、稔・杉・檜等を外にして、柵物日憾といふ界標宥の存在し得ないことを以て、椀物概念の否定とは なけ得ないやうに、配分生活に於ても、政策の甥想の共通的概念の堅此を以て無用なものとは冨はれない。且つ

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叉、か1るもの1存准を否定することを許されない。特定の教育制度は、他の時代には通用し難く、改野せられ 時には厳止すらされるであらう。けれども、教育といふ思想は常に流れてゐるのである。この常に流れて居るも のこそ、一般者の精神に外ならない。 理想が、現資生活に移される時は、必ず鼻腔的なものとなつて表はれる。それ故に、それ汰普遍的でなく、絶 ヘザ攣動するであらう。それにも不拘、入間政令生活を一党の大なる秩序に置くものは、か1る具濃的欒動を通 じて、常に之を紆二するものがあるからである。−それは二つの︺般者なるが故に、形態をとらない。形態をとら ぬが故に如何なるものにも衷はれ得る¢鏡は、、自らは自身の影むうつさゞるが故に、一切のものゝ影をうつし得 る。一切のものゝ影壱うつし得んがために、それは常に峯であらぬぼならぬのである。 鏡に映つる己が瀕の襲鬱なる時、人はその気分を平静にしヽ心気を和げて再び峡つして見よ。このたびは、険 和愛すべき我が面影を見るであらう。具餞化せられたる理想は、.必ずしも常に金成員を厚生にし宿敵に導くとは 言はれぬかも知れない。けれども、その具鰹化を反省し改修してゆく時に、愈々それは理想そのものに近くなつ てゆくであらう。凡そ、人間生活の叫切隼膳史的に見て、この具櫻者の醇化過程に外ならぬと言ってよい。 4 1 甥想が、規蟹生活に硯はれる時、由にそれは普遍着ではないことを説いた。それにも不拘、それが意味あるの ′ 社食開成と社食政貸 ︵仙二≡︶ 山九

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\ 第.十谷 第±班 〓〓四︶ 二〇 は、常に究鹿なるもの1且感化と見られるからである.或は、究極なるものによつてその方向を輿へられて㍍る からである。鏡に映つる日々の我が面影の、時にはいとはしく、時にはこのもしい欒化はあつても、常に顧ふ朗 は、〓愴の発くしさと優しさであるが如くである。 然乍、典鰻者が究極に放て、珊想貯統括せらるペしとの配合信念を以て、常に*麒親し、放任の中に、すべて わ正常なる展関が行はれると早計に考へてはならないっ我が而影の博美なる映像のためには、常に訓練と齢化と が必要である如く、理想の具倍化も亦、不断の反省の下に窟かれねぱならない。資本ホ蓑敢愈に於ける朗心は、 この具倍化が、屡々経済的利益によつて被はれ、特殊利益のために犠牲にせらるゝ危険に向けられる。粂鰻の名 に借りて、部分的、階級的利益を追求することは、政策の正造ではあり得ない。 従って、若しか1る危険ありとすればーそこに敢倉政策が、政策の王迫より磯動する意味があるのである。融 合聞儲が配合政究の封象となるとは、即ちこのことに外ならない。 5 1 眈静間越 令政策の限界が之である。融禽制度の根本矛盾に向つて畿劃すぺき酢倉掛第は、如何なる程度に於て放果的であ り、叉如何なる限度に於て教英的であるか。

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この場合、再び政策理想が、経済的利益によつて、その華道を失ふ危険が考へられるのである。少くとも今日

まで、賓躁せられてきた祀禽政策は、敢脅人の期待を遠ざかること造かに大きく、時には屡々矢祭さへ輿へたこ

とを知る。過去を以て絶べてを判断することは不常であらう。けれども、従来の経験は、少くとも配合政策の教

典覆現の容易ならぎることを致へるには誤りはない♪敢愈政覚の嘗践に於ては、殊更に、この酎が考慮せられね

ぼならぬであらう。

姓骨問題と祀合政策 ︵ニー五︶ ニー

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