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経済地域の形成と構造--わが国における酪農地域と牛乳経済圏の形成と構造---香川大学学術情報リポジトリ

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経済地域の形成と構造

−わが国紅おける酪農地域と

牛乳経済圏の形成と構造州

石 原 照 敏 1) Ⅰ.序にかえて.−。ⅠⅠい 酪農および酪農地域の概念。ⅠⅠⅠ.酪農の空間的発展0 ⅠⅤ・・酪農地域の形成。 Ⅴ.離農地域の構造。 ⅤⅠ.むすび。 Ⅰ 国民経済の地域構造とほいかなるものであろうか。・そ・れほ端的にいえ.ば,社 会的分業の発展才とも紅生じた諸経済地域が,国民経済の一層として,相互に・ 関連しながら,いかに組織されているのかということであろう。 それでほ,国民経済の地域構造(経済地域構造)の大まかなシ.ユ.−マほいか なるものであろうか。この点ほ,社会的分其の発展に.ともなう地域的分業の進 展との関連で,次のように.把握されうる。商品経済・資本主義経済の発展とと も紅,はば同質的な経済空間が,エ菜地域とか農業地域一農業地域内部にお いては酪農地域とか果樹栽培地域−などの部門別経済地域へ分化するが,、こ のような地域的分業の進展のプロセスほ,また,諸々の農業地域や.工巣地域が都 市を中心とした経済地域に統合されるプロセスであるともいえる。 国民経済における基本的な経済地域ほ.,地域的分業とともに発生した工業地 域,農業地域などの部門別経済地域を統合した大都市経済圏であろう。だが, 1)この「序にかえで」の叙述のなかにほ.,前稿「経済地域の形成と構造−わが国に・お ける酪農地域と牛乳経済圏を事例として−」の序「経済地域の形成と構造」における 叙述と重複している箇所があるが,それは,本稿が,前稿「経済地域の形成と構造− わが国における酪農地域と牛乳経済圏を事例として−」の統語にあたるためである。 ただし,前稿の序「経済地域の形成と構造」では,暗示されるに.すぎなかった「国民経済 の地域構造」紅ついて,われわれほ,ここで,いっそう詳しく展開していることをつけく わえる必要があろう。

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香川大学経済学部 研究年報 9 J969 一分2−− この基本的な経済地域の構成部分となりうる部門別経済地域は,基本的な経済 地域の中放となる大都市と緊密な関連のある部門別経済地域だけである。この 基本的な経済地域ほ他のいくつかの基本的な経済地域とともに国民経済地域に 統合されているものと考えられる。この基本的な経済地域は,部門別経済地域 を統合し,国民経済の内部に存在する経済地域としてはもっとも多様な経済機 能を備えているがゆえに,一一応,経済的に.は自律しているが,国民経済はどの 経済的自律性を備えていないことはいうまでもない。部門別経済地域は,その 構成単位(地域構成単位.とよぶ.)を統合したエ米地域とか,農業地域であり, いくつかの部門別経済地域とともに.,基本的な経済地域に統合されているもの と考え.られる。この部門別経済地域ほ,ある産業部門の生産紅専門化されてい るがゆえに.,一応の経済的自律性すら備え.ているわけではない。部門別経済地 域の構成単位(地域構成単位)は,空間に.おける労働力,資本,および土地 と,その空間的相互関係によって構成された−・生産単位である。かくして, 国民経済は,きわめて大まかにいえ.ば,・−・般的には,部門別経済地域を統合した 2) 基本的な経済地域の複合によって組織されているこ.とに・なる。 国民経済の地域構造の大まかなシューマが以上のように把握されうるものと すれば,国民経済における基本的な経済地域の一都門経済地域としての農業専 門地域が,特殊具体的な場所に形成され,国民経済の地域構造の−・環として組 織されている場合に.,いかなる原理が貫徹しているのか,とりわけ,こ.の場合 に,国家の役割ほいかなるものか。この点については,次のような問題点があ る。第1ほ,国家の政策が,国民経済における部門別経済地域としての農業専 門地域の形成に対していかなる役割を演じたのかという問題である。資本主義 経済の発展にともなう経済の地域的不均等発展が,1930年代の世界経済恐慌を 契機として露呈されてくるとともに,資本主義国におけるいわゆる地域開発政 策が登場してくるこ.とに.もみられるように,今日では,国民経済における経済 地域の形成に対する国家の政策の役割が次第に重要性を帯び,すでに現代ほ個 2)中小都市経済圏が,国民経済の地域構造紅おいて,いかなる地位を占めているかは, 今後,究明すべき課題であるが,中小都市経済圏は,部分的に.は,部門別経済地域とし て,大都市経済圏紅統合されながらも,なお,独自の性格をもち,国民経済の地域構造 を複雑なものにしているといえ.るであろう。

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経済地域の形成と構造 −9β− 別資本による経済地域形成の時代でほなくなってこいる。それだけに,現代の国 民経済に.おける経済地域の形成を真に.明らかにしようと思うならば,国家の政 策が,国民経済における経済地域の形成に対して及ばした役割を正当に評価し なければならなくなるであろう。1それにもかかわらず,この点については,い まなお,正当紅評価されているわけではない。第2は,農業専門地域が,国民 経済の地域構造の−L環を,いかにかたちづくっているのかという問題である。 この間題は.,それ自身,重要であるだけでなく,算1の問題を解明するために もきわめて重要な問題であるにもかかわらず,いまなお,十分に解明されてい るわけではない。このことほ,地域論の分野において,地域の実質的内容をか たらづくる地域構造の問題があまり論じられず,専ら,地域区分の問題が論 じられていたことと関係があるのである。地域論において,機能地域的観点が 考慮されることがあっても,それは,何よりも地域のひろがりを画定すること であったこ.とほ,よくこのことを物語っている。アメリカのホイットルセイや 3) フランスのブ−ドゲイ・ユなどによる地域概念をいちペつすればこのことは明ら かである。もちろん,これまで,地域構造の問題が全く論じられなかったわけ でほない。しかし,地域構造の問題が論じられる場合でも,地域構造とほ,単 把.地域間相互依存関係であると考えられていたのであって二,地域間相互依存関 係と地域間相互対立関係との統一・であると考えられていたわけではないのであ る。つまり地域間相互対立関係の問題が地域構造論のなかに,正当に,位置づ けられてほいないのである。この相互対立関係を,地域構造論のなかに・,正当 に,位置づけることによって,われわれほ,国民経済における経済地域の形成 紅,国家が,何故虹,いかにして,かかわり合うのかということ,および国民 経済紅おける経済地域の形成と構造とが,実ほ,国家を媒介として,密接にか らみ合っているということ−この問題は,いまだ解明されてほいないが,国 民経済とりわけ現代の国展経済における経済地域の本質ともいうぺき歪要な問 題である−を認識することができるのである。 われわれは,さきに,「経済地域の形成と構造−−わが国における酪農地域

3)D・Whittelesey,“The RegionalCor)Ceptand theRegionalMethod”,AmeYican Gβ∂gγα殉γ・∫〝即g乃紬γ・.γα乃d Pγ〃ざタβCf,1954,pp21−68.

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香川大学経済学部 研究年報 9 −−9・ノ ー ヱ969 と牛乳経済圏を事例として−」において,わが国に.おける酪農地域および牛 乳経済圏に関する研究の現状をいちぺつし,問題解明のためのいとぐちを見出 してきたが,本稿でほ,わが国国民経済における酪農地域と牛乳経済圏の形成 と構造について,これまでの研究を批判的紅検討するとともに,それを実証的 に解明しながら,国民経済における経済地域の形成と構造の問題ヘアブローチ していきたい。 ⅠⅠ 本稿に‥おける論議を混乱紅おとしいれないために.,われわれは,まず何より も,酪農および酪農地域の概念を明確にしておくことが必要である。酪農およ び酪農地域とほいかなるものであろうか。このことは自明のことのようであ るが,実ほ必ずしもそうでほない。そこで,ここでほ,まず,酪農および酪農 地域の概念について検討してみよう。この点について,安田氏は,「酪農ほ牛乳 生産を主とした主畜農業で,乳牛を主とした家畜飼養をやっているばかりでな 4) く,家畜を飼うために飼料作物の栽培をやらていることが必要条件となる.」「酪

農地域とは酪農が卓越している地域で,営農形態上酪農と認められる農家

る) が,その地区の農家の過半を占める地域である」と規定するとともに,「飼 6)

料作物栽培面積の総耕地中に占める割合と,飼育している乳牛頭数」とを指標 として酪農地域を設定している。安田氏が,このように.,酪農地域設定の指標 として,飼育している乳牛頭数のはかに,飼料作物栽培面積の総耕地中に占め る割合を重視しているのは,民が酪農にとってほ,「家畜を飼うために飼料作 7) 物の栽培をやっているこ.とが必要条件となる」と考えているからにはかならな いことはいうまでもないであろう。 上述したような酪農および酪農地域に関する概念に.おいて,もっとも問題に なる点ほ.,家畜を飼うために飼料作物を栽培していることが酪農の必要条件と 4)安田初雄,「北海道の酪農地域」,『人文地理』,寛16巻第1号,1964,1ぺ−ジ。 5)安田初雄,「前掲論文」,2ぺ−ジ。 6)安田初雄,「前掲論文」,2ぺ・−ジ。 7)安田初雄,「前掲論文」,1ぺ」−ジ。

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経済地域の形成と構造 ー95 − ならなければならないかどうかという点であろう。たしかに,家畜を飼う串め に飼料作物を栽培していることが酪農の必要条件となるというのほ,−・般昭に いえは,酪農というものの特徴をよくあらわした概念であり,オ−ツドックス な酪農概念であるともいえよう。 しかしながら,社会的分業の発展とともに,伝統的な酪農経営から牛乳加工部

8) 門が分離しただけでなく,乳牛飼育・牛乳生産と飼料栽培とが経営的に分離し

てし、る場合もあるし,その方が経済的に合理的な場合もありうるため,将来, そ・のような分離が発生する可能性もあるというような現状の下では,同一・経営 に.おいて,乳牛飼育・牛乳生産と飼料栽培とが結合されていなければ,酪農と ほいえないという命題を絶対に堅持しなければならないかどうかということに ついては若干の問題があるように思われる。たしかに,歴史的には,乳牛飼育 と飼料栽培とが結合されていたし,今日でも程度の差はあれ,乳牛飼育と粗飼 料栽培とが結合されている場合が多い。しかし,日本の酪農経営では.,粗飼料 ほともかく,濃厚飼料は,−・般的に,経営外から購入されているし,欧米の酪 農経営でも,乳牛飼育と飼料栽培が結合されている半面,粗飼料さえこも,経営外 から購入される場合が少なくないのである。このようにして,はじめて経営耕 地での飼料栽培による乳牛飼養の限度をこ.えて酪農経営を拡大するこ.とも可能 となる。地価の高い都市近郊における酪農経営は,その粗飼料を経営耕地紅海 ける多少の栽培飼料や経営残倖など紅依存しながらも,飼料の大部分を購入飼 料に依存する半搾乳専業的な経営形態をとらざるをえないであろう。たしかに, このような経営形態は,土地をほとんど耕作せず,搾乳経営と土地との直接的 なむすびつきはきわめて少なく,土地と結合した酪農ではない。しかし,、−・腹

9) 搾り的な経営は.ともかく,酪農に.とってもっとも重要な乳牛飼育・搾乳という

要素が失われていない限り,このような経営も広義の酪農の−−・種とみてさしつ 8)ここでいう乳牛飼育ほ,乳牛育成とは一応別で,搾乳牛を飼育することをいう。 9)酪農が農業であるからには,泌乳最盛期をすぎた乳用牛を比較的廉価で購入し,豆腐 粕やど・−ル粕などのカス類に糟糠類を混合し,水で練り合わせたもの紅,さらに野菜屑 や稲わらを投入したものを大急に給与して乳盈をたかめ,乱国が日立15キログラム以下 になって,もとにもどらない場合ほ,飼料給与豊はおとさず,約2ケ月はど飼い続け, 肥育した後,肉用として処分するいわゆる一腹搾りの経営が,はとんど酪農的でないこ とはいうまでもない。

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香川大学経済学部 研究年報 9 −−96− J969 かえないであろう。そもそも,乳牛飼育経営に飼料栽培が結合されていなけれ ば酪農経営でほ.ないという論拠はどこにも存在しないように思われる。 以上のように,筆者は飼料栽培をくわえた乳牛飼育・搾乳経営でなけれほ酪 農ではないという考え方をとらないが,酪農経営における飼料栽培の重要性を 否定するものではない。とくに,寒高冷地帯のような低地価地帯では,飼料作 物を栽培しながら乳牛を飼育し,牛乳を生産するこ.とが有利となる場合が多 い。このような経営は,飼料の栽培と乳牛の飼育・搾乳経営とが有機的に結合 された農業,つまり狭義の酪農ということができるであろう。 かくして,筆者は,酪農というものを,その社会的分業の発展との関連で把 握し,乳牛飼育・牛乳生産と飼料栽培が分化した場合をも想定し,酪農とほ単 に乳牛を飼育し,牛乳を生産する農業と規定したい。土地を耕作していない,い わゆる搾乳専業経営であるとか,土地を耕作していても,濃厚飼料のみならず, 粗飼料をも購入に.依存する度合の高い半搾乳専業的な酪農であるとか,あるい ほ飼料栽培と乳年飼育とが有機的に結合された狭義の酪農経営であるとかとい うようなことは,酪農の経営的類型を示すものであって,酪農であるか否かを 峻別する基準となるものではないと考え.たい。このよう紅考えれば,先に述べ たように,われわれは,酪農経営というものを,大まかに,搾乳専業経営,半 搾乳専業経営,および狭義の酪農経営というように類型化することができるで あろう。酪農というものを,このように規定することができるとすれば,総耕 地中における飼料作物栽培面積の割合のいかんが,酪農地域であるか否かを左 右することほないはずである。・そこで,われわれほ,酪農地域というものを次 のように規定することができるであろう。酪農地域は,他の農業地域とともに, 都市を中心とした複合的経済地域=基本的な経済地域に.,機能的紅統合されて いるが,何よりも,農業専門化の程度からみた同党性の基準紅よって,他め農 業地域から質的に区別されうる。酪農地域とは,−・定の農業空間において,酪 農経営が支配的な地位を占める地域である。 ⅠⅠⅠ 酪農地域の形成に・ついて考察する前に,最近紅おける地方別・県別の酪農発 展傾向に.ついていちべつする必要があろう。いうまでもなく,酪農地域の形成

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経済地域の形成と構造 一夕7− は,酪農の空間的発展の結果の地域的表現であるからである。 1・牛乳生産の地理的分布 まず,酪農経営紅よって1生産される生乳生産長の地方別割合をみると,昭和 42年に曙,第1表のように,全国生産量のうら,北海道,束北などの原料乳地 算1表 全国牛乳生産量紅対する地方別牛乳生産量の割合 資料:農林省農林経済局統計調査部,『牛乳・乳製品紅関する統計』,昭和43年8月,3 ぺ−汐。 帯と, 関東,近畿などの市乳地帯の生産量の割合が高く,これらの地帯だけ で,全国生産藍の67.7%を占めている。さらに,生乳生産鼠を都,道(支庁), 府,県別にみると,第1図のように,原料乳地帯と市乳地帯,つまり北海道の 北見(道北),帯広(道東),東北の岩手,東山の長野などの原料乳地帯と, 南関東の千葉,群馬,神奈川,埼玉などの京浜大都市の市乳地帯,兵庫,大阪,

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J969 香川大学経済学部 研究年報 9 −9β− 第1図 全国年乳生産塵紅対する都道府県※ 牛乳生産盈の割合(昭和42) 資料:農林省農林経済局統計調査部,『牛乳・乳製品紅関する 統計』,昭和43年8月 札幌(石狩,空知,上Jtt,留諏) 北見(根室,網走,宗谷)

函館(渡島,桧山,後志,胆振) 帯広(十勝,日高,釧路)

注:数 北海道ほ支庁 のグループ別 岡山 徳島などの阪神大都市の市乳地帯,および愛知のような中京大都市の市 乳地帯で,牛乳生産最の対全国比が高いことがわかる○ 次紅,以上のような地方別・県別の酪農分布傾向を,その歴史的推移のなかで 位置づけてみよう。わが国各地で,有畜農業という型の乳牛飼養が発展しはじ めた昭和初期から,酪農家数増加期(とくに,欝2次大戦後から,昭和37・8

(9)

経済地域の形成と構造 −99 −

10) 年まで)を経て二,酪農経営規模拡大期(昭和39年以降)rに:いたる都道府県別牛 11)

乳生産鼠(搾乳業者の牛乳生産高をふくむ)の対全国比の推移は,次のような

特徴を示している(付表1)。まず欝1把,大正末期以降,国家政策によって乳

牛導入がなされた北海道の牛乳生産豊の対全国比ほ,昭和初期以降に・おける都

道府県の乳牛増加ととも紅低下していたのであるが,∨昭和37∼42年の期間紅は

上昇に転じていること。第2に,昭和初期から第2次大戦後にかけで,属産や

養蚕の衰退とともに.,有畜農業奨励策などに.よって乳年が導入され,牛乳生産

の対全国比が飛躍的に上昇した岩手・宮城・山形(東北地方),神奈川・埼玉・

群馬(関東地方),長野(東山地方),静岡・愛知(東海地方)などめ東北,関東,

東山,束梅などの諸県では,その後,牛乳生産鼠の対皇国比の推移紅おいて,

県別に,いくつかの傾向が認められる。(イ)東海地方の諸県(静岡,愛知)紅.お

ける牛乳生産鼻の対全国比ほ,すでに・,昭和25−・30年の間に低下しているとと。

(ロ)東山の長野県に.おける牛乳生産患の対全国比は,昭和25−30年の間把.は止屏

しているとはいえ,昭和30−42年の間には低下してこいること。レ1東北地方の岩

手,宮城,福島の諸県と,関東地方の茨城,栃木の諸県でほ,牛乳生産量二の対

全国比が依然として上昇していること。第3に,第2次大戦後から昭和42年ま

での間に,西日本のいくつかの府県において,牛乳生産盈の対全国比の上昇の

傾向があらわれているこ.と。(イ)大阪,兵庫両県でほ,第2次大戦後,搾乳専業

経営の衰退にかわって,酪農がのび,牛乳生産鼠の対全国比は,昭和30年まで

は顕著に上昇していたこと。(ロ)「儀約酪農地域.」造成計画の進展した岡山県にお

いては,昭和30年頃から昭和37年頃まで,年乳生産盛の対全国比が上昇してい

ること。H山麓「集約酪農地域」を有する,九州地方の宮崎;熊本両県におけ

る牛乳生産屋の対全国比が上昇していること0第4に,大都市の近郊でほ,・牛

乳生産鼠の対全国比が低下する傾向を示し,大都市の市乳は,遠郊地帯で生産

10)わが国乳牛飼養農家戸数は,昭和38年まで増加してきたが,この年をど・−クとして−, 昭和39年以来減少傾向を示し,昭和42年に.ほ,昭和38年(417−・6千戸)の約8.3割に減少 している。−・方,飼養頭数の増加率も,昭和38年をピークとして,それまでの年増加率 10%前後から次第に低下してきている。しかし,1声あ獲り飼養頭数は,昭和謁年以降 も増加し,相対的に規模の大きい酪農経営が増加しつつある。 11)牛乳生産盈の増加率は,昭和37年をピ−クとして次第に・低下し,昭和三9牢以降,年率 10%をわり,昭和42年には,年率4n6%に低下している。

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香川大学経済学部 研究年報 9 ・−JOクー J969 されつつある。東京都では,すでに,昭和初期以降,この傾向があらわれたの 紅対して,大阪肝では,最近,この傾向があらわれてこいること。 最後に,わが国酪農の転機となった昭和37・8年以降の牛乳生産巌の地方 別・県別割合の推移をさらに.詳しく検討すると次のことがわかる。第1表のよ うに,地方別牛乳生産鼠の対全国比ほ,北海道,泉北,九州などの周辺地帯で 僅かに.上昇しているが,関束では停滞,北陸,東山,東海,近畿,中国,四国 などの諸地方でほやや低下を示している。昭和37年から昭和42年までの牛乳生 産盈の年次別推移を県別(北海道ほ支庁のグループ別)に′みると,さらに興味 のある事実がわかる(付表1)。第1に,わが国周辺地帯(北海道,東北,九州) における昭和37年から昭和42年までの牛乳生産量の対全国比の上昇ほ,詳細に みると,北海道の北見(根室,網走,宗谷),帯広(十勝,日高,釧路),東北地 方の岩手,宮城,福島の三県,および九州地方の熊本,宮崎両県把おける牛乳 生産塁の対全国比の上昇であることがわかる.(北海道,東北でほ,主として,原 料乳が生産されている)。第2に,大都市近郊(東京都,大阪府)でほ,牛乳生 産盈の絶対盈は増加しているものの,その対全国比は低下しているのに.対して:, 大都市の速郊地帯(東京市乳圏の場合,茨城,栃木両県,大阪市乳圏の場合, 徳島県)では,牛乳生産巌の絶対豊が増加して.いるだけでなく,その対全国比 も上昇している。 2.酪農経営の地理的分布 われわれは先払わが国牛乳生産の地理的分布を分析してきたが,さらにすす んで,酪農の経営的専門化の程度とその地理的分布を分析してみよう。第2表 のように,わが国乳牛飼養戸数は,昭和38年の42万戸をピークとして,その後, 減少傾向にあるが,飼養頭数規模ほ,依然として,漸次,拡大している。とく に,成畜4頭以下の乳牛飼養戸数ほ,北海道では,昭和39年以降,都府県では, 昭和40年以降,減少しているのに対して,収益性のある成畜5頭以上の乳牛飼 養戸数は,昭和37年以降,顕著に増加している。北海道でほ,生畜5頑以上の 乳牛飼養農家が,昭和35年には,全乳牛飼養農家の10‖6%にすぎなかったのに, 昭和40年には,その41%に増加している。都府県では,成畜5頭以上の乳牛飼 養農家が,昭和35年にほ,仝乳牛飼養農家の1小7%にすぎなかったのに,昭和

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経済地域の形成と構造 辣2表 酪農に関する統計 −加〃− 資料:農林省農林経済局統計調査部,『牛乳・乳製品に潤する統計』,昭和43年 8月,3ぺ−ジ,5ぺ一汐 ,70∼71ぺ−ジ。

40年にほ.,その11%に増加している。その結果,昭和40年に.,北海道では,乳

牛飼養農家の41%を占める成畜5頭以上の乳年飼養農家が,乳牛生畜飼養頭数

の69%を飼養しており,同年,都府県では,乳牛飼養農家の11%を占める成畜

5頭以上の乳牛飼養農家が,乳牛生畜飼養頭数の34%を飼養している。(第3表)

このような乳牛飼養頭数規模拡大の傾向は,酪農専柴化傾向と対応してい る。そして,酪農専業化傾向は,大都市近郊や北海道を中心として,かなり顕

著にあらわれている。酪農を行なっている農家のうち,酪農単一・経営(販売金

額の60%以上を酪農で占める経営)の割合ほ・,昭和40年12月,京阪神近郊(大

阪741.5%,兵庫48.9%,京都4む6%),京浜近郊(東京亜い6%,神奈川45・5%),

名古屋近郊(愛知542%,岐阜56・3%),および北海道(50・3%)で顕著に・あら

われている。これに.対して,米作諸県では,基幹作物として−稲作を維持しなが

12) ら,乳牛を飼養する稲作単一凝営が圧倒的地位を占めている0すなわち,乳牛

を飼養する一層農家のうち,稲作単血経営(販売金額の60%以上を稲作部門で

占める経営)の割合ほ,昭和亜年に,宮城64%,秋田83・6%,山形57・7%,新

潟69.4%,富山60…5%,石川61一・6%,福井58・・1%,滋賀56・2%,佐賀56“7%で

ある(付表2)。このように,乳牛を飼養する経常のうち,酪農単一凝営の割合

は,北海道や大都市近郊諸県に多く,副業的な酪農経営の割合ほ,主として,

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香川大学経済学部 研究年報 9 J969 −J〃2−

葦3表 乳用牛飼養鹿家の頭数

資料:農林省農林経済局統計調査部,『家畜飼養の概況(昭和40年調査結果)』,申 の表は,北海道は毎年11月1日現在,都府県は毎年12月1日現在 和38年まではカットオフ地帯(山間,僻地,離島)を除いた数値 原注 こ昭ラ . 123 3 ラウンドの関係で,内訳と総数は必ずしも−・致しない。 米作諸県に多い。 次に,酪農の経営類型とその地理的分布を考察してみよう0まず,搾乳専業 経営はいかなる地理的分布を示して小るであろうか0土地を耕作しない乳牛飼 養経営は,飼料を栽培せず,従って,このような経営ほ搾乳専業経営とみなし てさしつかえない(付表3)。昭和40年に.,わが国乳牛飼養農家361,500戸のう ち,耕作飼養者が99%を占め,非耕作飼養者ほ,僅かに,0・3%(1,119戸)に すぎない。乳牛飼養農家のうち,非耕作飼養者の割合は,京浜,京阪神,中京 13 ) などの大都市近郊,とりわけ大阪近郊に.おいて割合が高く,大阪16%,兵庫2巾4 %,京都2.1%,東京1‖6%,神奈川0.9%,愛知1・・2%,福岡11・1%である0また,

練乳牛飼養頭数のうち,非耕作飼養者の乳年飼養頭数の割合も,大都市近郊, 14)

とりわけ大阪近郊において周J合が高く,大阪29ハ8%,兵庫7…8%,京都9・5%, 東京7.9%,神奈川3.8%,愛知51・0%,福岡3・5%である。ところが,これ以外

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経済地域の形成と構造 ・−プ∂β−■・ 規模別構成比 央畜産会,昭和42年3月,11ぺ・−ジ。 の耕作農家のみの調査結果である。 であり,昭和39年以降ほこれを含んだ数値である。 の諸県では.,耕作農家とその乳牛の割合が圧倒的多数を占めていることに.なる。

われわれほ,いま,耕作飼養者であるか,非耕作飼養者であるかによって,酪

農経営を類型化しようとしたわけであるが,酪農経営の類型を把挺するため紅

は,このようなやり方だけでは不十分である。何故なら,耕作飼養者であって

も,実質的には,粗飼料を購入に依存し,土地とのむすびつきのない搾乳専業

経営もありうるからである0そこで今度は乳飼此との関連で,乳牛飼養農家の

粗飼料自給度別戸数を,都道府県別軋検討しなければならない。まず,粗飼料

の自給度と関連の深い乳飼比(牛乳販売代金に対する購入飼料代の割合)を,

12)そのはか,基幹作目として,養蚕を経営しながら乳牛を飼養する経営(群馬,埼玉, 山梨などに多い)などもある。 13),14)これほ乳牛飼養経営のうち,搾乳専業経営の割合が,全国都道府県のうち,大阪 府でもっとも高いことを示す。 /

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香川大学経済学部 研究年報 9 ーヱ∂4− J96−9

30%未満,30−50%,50−・70%,70−90%,90%以上に.分けて,都道府県別乳

牛飼養農家数をみると,昭和41年5月に,30%未満にピL−クがあるのほ.,北海 道の魂であり,30−50%にピ−クがあるのは,青森,岩手,宮城,秋田,山形,

福島などの東北,北関東の諸県や,鳥取,島根,広島,愛媛,高知,長崎,熊

本,大分,宮崎,鹿児島などの中国,四国,九州の諸県であって,わが国の東 北・西南周辺部に多く,それ以外の都府県では,乳飼比5−70%のところに.ピ 15) −クがあることになる。次に,乳用牛飼養農家の翔飼料自給度別戸数をみよう (付表4)。乳牛ほ草食性の家畜であるから,乳牛にとって,粗飼料はきわめて 重要である。そこで,乳牛飼養が経営耕地における粗飼料の栽培と結合されて いるか否かということが,酪農の経営類型をきめることに.なる。昭和41年5月 現在の農林省調査は,粗飼料自給の程度を,全部自給(90%以上自給),自給が 主(40−60%自給),購入が主(10−40%自給),全部購入(10%以下自給)に.分 けて−いる。この統計でいう「全部自給」と「自給が主」ほ,乳牛飼育と飼料栽 培とが結合された狭義の酪農経営,「自給と購入同程度」と「購入が主_」ほ半 搾乳専業的な酪農,「全部購入」は,搾乳専業経営とみなすことができるであ ろう。「全部自給」戸数が乳牛飼養農家の50%以上を占めているのは,北海道 (62.7%),青森(57.7%),岩手(72.8%),宮城(55〃2%),山形(50.1%),栃木 (51.2%),千葉(55.2%),長野(59..5%),兵庫(与9.7%),鳥取(60.3%),岡山 (50.0%),広島(51.4%),佐賀(73.0%)の道県である。また,乳年飼養農家 のうち,「全部自給」戸数に「自給が主」戸数をくわえ.たものの割合が50%以 上を占めているのほ,石川,山梨,三重,大阪,茶良,和歌山以外の都道府県 であり,なかでも同割合が80%以上を占めているのは,北海道,青森,岩手,

宮城,福島,茨城,長野,静岡,兵庫,鳥取,岡山,高知,佐賀などの遺県で

ある。この統計で,「全部自給」戸数と,「自給が主」戸数ほ,前述したよう に,酪農化の程度の差ほあるものの,乳牛・飼養と飼料栽培とが結合された狭 義の酪農経営とみなすことができるので,乳牛飼養農家戸数に対する「全部自 給」戸数プラス「自給が主」戸数の割合が高い上記の諸道県ほ,程度の差ほ.あ れ,乳牛飼養農家のうち,狭義の酪農経営の割合が高い諸道県であると考える 15)農林省農林経済局統計調査部,『家畜飼養の概況』,中央畜産会,昭和42年3月,153ぺ −・ジ。

(15)

経済地域の形成と構造 −−ヱ∂ぶ一・ ことができるであろう。乳牛飼養農家のうち,「自給と購入同程度」戸数プラ ス「購入が主」戸数の割合が50%以上を占めているのは.,三重(53い9%),大阪 (73.6%)などの府県であり,同割合が30%以上を占めているのほ,秋田(33・1 %),埼玉(31.0%),東京(39.6%),神奈川(42・3%),石川(47.6%),福井(34.0%) 山梨(43.5%),愛知(42.8%),奈良(34・9%),和歌山(35・8%),山口(33・3%), 愛媛(32.6%),福岡(33・3%),長崎(46一・8%),熊本(33」・2%),大分(38・4%), 鹿児島(42.5%)などの諸都県であり,これらの諸都府県では,大体,単搾乳専 業的な酪農がかなりの割合紅達しているとと紅なる。乳牛飼養農家のうち,「仝 部購入」戸数の割合ほ,大阪(25・4%),和歌山(22…6%),三重(17・・7%),奈展 (16.9%)のような,大阪を中心とした関西の諸府県でとく紅目立っているのが 注目され,これらの諸府県にほ,搾乳専業経営がかなり存在すること把.なる。 このように.,乳牛飼養農家のうち,狭義の酪農経営の割合が高いのは.,先進的 に酪農の発展した千葉,兵庫などの諸県以外は,わが国の東北・西南周辺部の 道県や,高冷地,準高冷地などの山地・低地価地帯を有する諸県であることが わかる。これに対して,半搾乳専業的な酪農や,搾乳専業経営の割合が高いの は,大都市近郊の都府県や,水田農業の発達した諸府県であって,集約的水田 農業の発達した大都市近郊である大阪府の場合はその典型的事例である。 ⅠV l.酪農地域形成の現状 先紅分析した酪農の空間的発展との関連紅おいて−,酪農地域の形成について 検討してみよう。市町村に・ついて,収入ではなく,粗生産額を用いて,酪農地 域の形成,未形成を検討し,離農粗生産額が,農業相生産額の過半を占めてい る市町村,またほそのグル−プを酪農地域(酪農′J\地域)とみなし,酪農粗生 産額が,農業粗生産額の過半を占めてはいないが,粗生産額からみて,各農産 物のうち牛乳が第1位を占めている市町村,またほそのグル−プを酪農中心的 小地域(酪農中心地域)とみなした(ただし,昭和40年国勢調査の産業大分類 別人口数からみて農業が第1位を占めていない市町村をのぞく)。その結果,欝 2図のように,酪農地域,またほ酪農中心的小地域(酪農中心地域)が形成さ れているこ・とがわかったのである(付表5参照)。昭和27年には,北海道の根室

(16)

香川大学経済学部 研究年報 9 J969 ーJク6− 第2図 解農地域 資料:付表5−1・2と同じ0 注: 酪農地域設定の基準については本稿 105ぺ−ジ参照。

(17)

経済地域の形成と構造 ーヱ07− 付近と東京都の三宅島に,酪農小地域とよんでさしつかえ.ないところがあらわ れていた紅すぎず,その他のところでは,酪農地域化傾向が進んでいる場合で も,酪農中心的小地域しか形成されていなかった。しかるに,昭和40年には, 北海道の道南(八雲),道東=根釧(鶴居,白糠,標茶,弟子屈,別海,標津, 申標浄)道北(湧別,天塩,幌延,申屯別,浜屯別,豊富)などの寒冷畑作地 帯に酪農地域が形成されている。−・方,都府県紅おいては,岩手県の北上山地 (葛巻,岩泉,田野畑),埼玉県の秩父山麓(神泉,吉田),千葉県の房繚丘陵(富 山,鋸南,和田),神奈川県の丹沢山地北麓部(津久井),神奈川県の秦野盆地周 辺部(中井),山梨県の御坂山地北麓部(上九¶・色)などに.,酪農中心的小地 域(酪農中心地域)が現われ,凍京近郊の瑞穂町,大阪近郊の狭山,美原両町 などの大都市近郊に,それに準ずる地域が形成されている。このように,市町 村段階についてみれば,酪農地域ないし酪農中心的小地域(酪農中心地域)は,東 日本,とりわけその畑作地帯に形成されて.おり,西日本に.は,それ紅あたるもの が形成されていない。しかし,旧村段階ないし集落段階についてみれば,西日 本にも,酪農小地域ないし,酪農中心的小地域が形成されていることほすでに 1(I) 述べた通りである。 それでは,このような酪農地域ないし酪農中心的小地域(酪農中心地域)は, 経営的にみて,いかなる性格をもっているであろうか。このような酪農地域な いし酪農中心的小地域(酪農中心地域)に.おける離農は,昭和32年緊急畜産セ ンサスによると,すべて,粗飼料についてほ購入飼料よりもむしろ自給飼料に 依存しているが,とくに.北海道の道南,道東,道北などの酪農地域や,岩手県 北上山地の酪農中心地域の酪農ほ,飼料のほとんどすべて.を自給飼料に依存し ・ている。この自給飼料への依存の仕方は,東日本と西日本とでは異なっている。 つまり,東日本では,その粗飼料を水田裏作に依存している房総丘陵の酪農中 心的小地域を除けば,はとんどすペての酪農地域,または酪農中心的小地域(酪 16)拙稿,「大阪近郊酪農の発展一酪農地域形成について∴−−」,『経済地理学年報」,第6 幾,1960年4月,35∼53ぺ−・汐。 拙稿,「山麓傾斜≒集約酪虚地域モにおける草地と酪農−こ川ジャー・汐・一地域の急傾斜 草地」,『地理学評論』,第35巻8号,1962年8月,374∼392ぺ−・ジ。 行政区画によって−,酪農地域を論ずることは,必ずしも妥当でほないが,統計の関係上, やむをえない。

(18)

香川大学経済学部 研究年報 9 J969 ・一九鳩− 農中心地域)が,その粗飼料を畑作に.依存してこいるのに対して,西日本でほ, 酪農中心的小地域ほ,その粗飼料を,主として,水田裏作に依存している○な お,埼玉県の秩父山麓や,神奈川県の丹沢山地北麓部の酪農中心的小地域に・ほ, 桑園間作としての飼料栽培がかなり存在している。 2.酪農地域形成の要因 17) すでに述べたように,わが国酪農地域の形成過程に関する諸説ほ,(1)酪農・酪 農地域未形成説と,(2)酪農・酪農地域形成説とに分けられ,さらに,この(2)ほ (i)均質地域的な酪農地域形成を論じたものと,(ii)機能的な酪農地域形成を論 じたものとに分けられる。(1)の酪農・酪農地域未形成説をとる菊地利夫氏と 田辺隆一・氏の見解ほ次の通りである。両氏は,房州の「貯り牛」や「貸し年」 の地域が,牛乳を生産する「乳牛集団地域」(菊地氏)に.かわり,北上山地の 乳牛生産地域が牛乳を生産する「乳牛飼養地域」にかわったのは,それぞれの 18) 地域へ立地した乳製品工業の影響によ.るものであることを認めている。しかし, 両氏とも,こ.れらの地方に,酪農地域が形成されたことを認めていないのほ, これらの地方の「酪農」が飼料栽培と結合されていないと両氏が認めてごいるた めである。これらの地方における「酪農」が飼料栽培と結合されていない原因 をどこ紅求めるのかという点では,両氏の見解ほ必ずしも同じではない。菊地 氏が,その原因を経営規模の狭小さに.求めているのに対して,田辺氏は,その 原因を北上山地の場合には,経営耕地規模の零細性に.も求めているが,・−・般的 17)拙稿,「経済地域の形成と構造−わが国における酪農地域と牛乳経済圏を事例とし て−・」,『J香川大学経済学部研究年報8』,1969年3月,192∼206ぺ−ジ。 18)菊地利夫,「房総南部の乳牛集団地域の調査】“現代酪農論批判−」,『地理学評論.』 算22巻,1949,93ぺ−・汐。

K.Tanabe,‘‘Establishing P工OCeSS Of MIMilch−Cow−Keeping RegioninNorth・ easteI・n Part of Yonezawa BasiD,aCCOrding to ArealDifferentiation of Land Utilization− AgriculturalGeographic Description of Two Milch・Cow・Keeping

Regions(1)〃,rカ¢∫cgg乃Cβ点β♪¢γねβノ■fゐβT∂ゐ∂点〝抽オぴgγざ互γ(GβOgγα♪カ.γ),No. 5,pp87−99,

(19)

経済地域の形成と構造 ーJβ9− 19) に・ほ,主穀偏重という日本虚業の伝統的社会的環境に求めているようである。 (2)の(i)の均質地域的な酪農地域の形成を論じたものにほ,北海道酪農地域の形 成を論じた安田初雄氏と恩田徳生民の研究がある。安田氏は,根釧主畜農業創 設計画や酪農振興法などの社会経済的条件が,北海道酪農地域形成の原動力と なって−いることは否定できないとし,とくに第2次大戦後の酪農振興法が急速 に乳牛頭数を増大させたことを認めている。しかし,酪農振興法の恩恵をうけ ている地域ほ,札幌近郊以外ほ,はとんど全道紅およぶ集約酪農地域であるの に,集約酪農地域のなかにほ,酪農地域として発展した部分としからざる部分 とがあり,この種の地域分化は,人為的条件紅もとづくものではなく,自然的 条件にもとづくものであるというのが氏の考え方である。つまり,氏は米作の 困難な道東や道北の夏季低温(6−9月の積算温度2,100度以下)の地帯やi 遠浅,八雲などのように土壌条件のよくない泥炭土,火山灰土,重粘土などの 分布地のような耕種農業が適さないとこ.ろに,牧草と飼料作物にもとづく酪農

20) 地域が形成されたとしている。これに対して−,恩田氏は,酪農地域とそれ以外

の農業地域とへの地域分化の条件を,土地利風上の構造(畑地および牧草地の

21) 広狭)に/求めている。(2)の(ii)の機能地域的な酪農地域の形成を論じたもの紅

ほ,群馬県東南部紅おける酪農地域の形成を論じた斉藤功氏の研究がある0氏 は酪農地域の形成を,牛乳産業を構成する搾乳業者,酪農家,乳業会祉の歴史 的関連から考察し,酪農地域ほ,牛乳産業の分化・発展としての集乳圏の拡大 22) 紅ともなって具現するものとみなして:いる。 それでほ,わが国酪農地域の要因を考察する場合に,上記の諸氏の見解は, ユ9)菊地利夫,「乳牛の飼養と酪農への発展」,千葉県農地制度史刊行会,『千葉県農地制 度史上逸』,千葉県農地制度史刊行会,1949,555∼567ぺ−・ジ。 田辺健一・,「日本紅おける酪農業の基盤」,『地理』,第2巻第5号,1957年5月,463∼ 464ぺ−汐。 20)安田初雄,「北海道の酪農地域」,『人文地理』,算16巻第1号,1964年2月,16∼17ぺL ̄ ジ。 21)恩田徳生,「北海道酪農地域と土地利用について」,『人文地理』,第16巻第4号,1964年 8月,435∼438ぺ−ジ。 22)斎藤功,「群馬県束南部における酪農地域の形成仙東京集乳圏の拡大に・関連して −−,」『地理学評論』,算41巻10号,1968年10月,624ぺ・−汐。

(20)

香川大学経済学部 研究年報 9 ーJヱ0− J96.9 いかなる意味をもっているであろうか。わが国における酪農地域ないし酪農中 心的小地域ほ,上述したように,大体,北海道や,東北の北上山地などの寒冷地 (原料乳地帯)と,大都市影響圏(市乳地帯)とに形成されてこいる。北海道や東北 の北上山地紅おける酪農地域(原料乳地帯)の形成一酪農地域とその他の農業 地域への地域分化−−−は,安田初雄戌や田辺健−\氏が指摘しているように,自 然条件と無関係ではないであろう。さらにまた,自然条件の可能性を前提とし

て,−・定の社会経済的条件の下で特異の形態をとる土地利用の構造(例えば,

畑地や牧草地の広狭)と,北海道や東北の北上山地における酪農地域の形成が

大いに関連があることも否定しえないところである。夏季低温の地帯や,泥炭

土,火山灰土,壷粘土などの土壌のところに.おける農業的土地利用の形態は.畑

地またほ牧草地であるが,このような気候や土壌のところでほ,米作は不適であ

って−も,実をとらぬ牧草や飼料作物ほ成育するからである。他方,酪農地域の

形成が大都市の影響と関連があることも疑問の余地がない。もちろん,大都市

影響圏内のすぺての土地に酪農地域が形成されるわけでほない。大都市影響圏

2$) 内における特定の土地に,酪農地域が形成されたことには,それだけの理由が

あるわけである。

とこ・ろで,このように,耕種農業に.不適な土地にせよ,大都市の影響にせよ,

それだけで必然的に酪農地域の形成にむすぴつくわけではない。それらは酪農

地域化を可能紅する条件にすぎないものである。それでほ,このような可能性

の下で,酪農地域を形成させたものは何か。それ軋ほ,およそ三つの理由があ

るものと考えられる。その欝1は,エ美化,都市化や食生活の高度化紅ともな

う牛乳需要の増大である。第1次大戦前後を通ずる工業化,都市化や食生活の

高度化紅ともなう牛乳需要の増大に対応して果樹,疏菜,酪農などの商業的農

業が発展するが,ここではとくに酪農についていえば,牛乳需要の増大ととも

紅,都市近郊では市乳生産が発展するようになり,北海道のように,都市から

遠い地方では乳製品原料乳の生産が行なわれるようになったのである。とく

23)たとえば,生産条件(飼料生産)や,市場条件(販売組織)の整備された土地のこと。 拙稿,「山麓傾斜も集約酪農地域≒における草地と酪農一二川汐ヤ・−ジ・−・地域の急傾 斜草地−」,『地理学評論』,算35巻8号,1962年8月,374∼392ぺ・−ジ。 拙稿,「大阪近郊酪農の発展一酪農地域形成紅ついで・−」,『経済地理学年報』,第6 巻,1960年4月,35∼53ぺ一汐。

(21)

経済地域め形成と構造 −ヱJJ− 紅,第2次大戦後のパゾ食の普及や,昭和3α年代の高度成長期に融デるエ酸化†

都■市化にともなう牛乳需要の増大とと、もぬ,、北海道,東北なとゐ寒冷地内め麿

干の地方や,小大都市影響圏内め若干め地方乾酪農地頑ないし酪農衝心的小地域 が形成される紅いたったこと・は強調されなければならない。滞2軋 牛乳需要 め増大との関連に.おいて発虚した乳業資本の集乳歯拡大への要請廠あるら鮮1 次大戦中・観後を通じてi牛乳需要め増大とともに.,生産虫め安い鹿乳凌原料 乳として利用する乳業大資本が成立し,その原料乳生産者として,酪鹿が発展 してくるのである。−・方,市街地紅おいて,飼料のすぺてを購入濃厚飼料た依 存する搾乳専業者ほ,乳業資本との競争の結果,没落せざるをえないこと隼な る。このような搾乳専業者の没落と乳業資本の発展は,㌧東京市乳圏では第1次 大戦中。戦後を通じて:生じたのに対して,大阪市乳圏では第2、次大戦後によう 24) やく生じたのである。第3は,小農経常の乳牛導入と,それを保護育成‘した国 家の酪農保護政策である。わが国酪農は,−・般的にほ,第1次大戦以降,独占 資本主義下に.おける小農の経営的危機対策として,国家的,政策的に保護育成さ れたものである。この点ほ,わが国に.おける主食であり,農業の中級的存在で あるところの米作に対する国家の保護育成との関連において論じられなければ ならないであろう。こめことは,日本払おける酪農地域の形成要因を考える聾 合に,次のことを考慮すべきであるということを意囁する。川日本ほ米作国・一 米消費国であって−,日本紅おいては,明治以降,単食的性格をもつ米が主食と して消費され,米食00牛乳という食生活パターンが生じ難いこと。(ロ)日本でほ., 米作が優先的紅保護され,農政の基調が米作面積の拡張と反当生産力の増大に おかれていたこと。卜)日本においてほ,飼料栽培を通じて酪農と関係の深い畑 作農業紅対しては,養蚕な・どを除くと,国家の助成ほはとんど行なわれず,畑 作地帯ほ−・般的にほ低位生産的な農業地帯にとどまらざるをえないでいたこ と。このような状態にあったわが国農業地帯において.■,国家による酪農保護政 策がいかに・して∴展開された甲であろうかっ寄生地主側下の小農経営が,第1次 芦4)、拙碍,「鱒恩q地域的発鱒」,埠藤,南,梅川,和甲,川島,石原,『乳業資本と酪劉,1958 年5月, 拙稿,「■大阪近郊酪農の発展ニユ敵虚地域形成紅ついて−−・」,『纏済地理単年報』,1959 ′−60,42ん49ぺ・−・ジ。

(22)

香川大学経済学部 研究年報 9 ーJJご一 J969 大戦後,市場を通じて資本主義経済につよくまきこまれたうえ,昭和初期,世 界経済恐慌軋憩通するとともに,小農経営の破靡や農民運動の昂揚がみられ, 、農村は危機的様相を帯びてきた。このような危機的様相(それは,米作地帯よ りもいっそうつよく経済恐慌の影響を蒙った北海道の穀寂作地帯,北上山地の 雑穀作地帯,東山の養蚕地帯のような畑作地帯できわめて激甚であった)が,わ が国資本主義の体制的危機に発展することを恐れた政府は,国家助成によって 農村経済更生運動を展開し,とく紅上記の地帯を中心に,従来の農業経営の経 常的転換策として,いわゆる有畜農業奨励策を展開することになったのである。 このような有畜農業奨励策は,やがて.,第2次大戦後の有畜農業創設事業を経 て集約酪農地域形成事業紅発展していくことになるが,それにともなって,大 正+昭和初期にみられた個別乳業資本による酪農育成策は,次第に影をひそ・め, とくに山麓傾斜地帯などに.おける酪農地域の形成に対する国家の政策の役割が 次第に.重要性を帯びてきたのである。 以上のような三つの理由のうち,最後のもの,つまり酪農地域形成に対する 国家の政策の役割紅ついては,とれまで正当に.評価されているとほいえないも のがある。そこで,本稿では,わが国に.おける酪農地域の形成,つまり酪農専 門地域化が,国民経済の地域構造における部門別経済地域として,例えば北海 道や東北などの寒冷地内の若干の地方や,大都市影響圏内の特定の地方に発生, 発展する場合に,国家の政策がいかなる役割を演じたのかという点について考 察したい。 (i)乳製品工業に対する国家の保護と酪農地域 日本の酪農ほ,小農経営であって,牛乳生産費では欧米の酪農とはたちうち できない。従って,新鮮さを要するため,外国から輸入しえない市乳の生産地 帯はともかく,乳製品が自由に.輸入されるよう紅なれば,北海道や東北地方な どの乳製品原料乳の生産地帯の酪農ほたちまち衰退しかねないであろう。しか るに.,原料乳地帯においても,これまで,ともかくも酪農が維持されたのは,ま ず何よりも,輸入乳製品紅対して,高い関税が賦課されたためである。わが国 では,明治32年以来,輸入乳製品に.対する関税が賦課されている。当時,輸入 練乳に.対する関税率は,練乳100斤につき4.94円であった。明治44年,輸入練

(23)

経済地域の形成と構造 ーー・ヱJβ・−−

2占) 乳に対する関税率は,練乳100庁に.つき5.50円に.引き上げられた。このような

関税引き上げによってご,練乳輸入は,明治44年以降急激に.減少し,国産練乳の

生産額が増大した。このような関税引き上げに.くわえて,大正初期,第1次大

戦の影響で,練乳輸入が著しく減少したことが,わが国練乳業の発達を促進す

ることに・なったのである(第4表)。しかし,大正12年,関東大震災に.よって, 第4表 練乳統計 食糧品の輸入が必要になるとともに.,一博, この関税が免除されたので,練乳の輸入は増 加し,国内の練乳業ほ危機に.瀕したのである。 そこで,大正13年,八丈島練乳,北海道練乳, 北陸練乳,束渾練乳,岡山練乳,藤井練乳,明 治製菓,極東練乳,森永製莫などの練乳会社 が,大日本製乳協会に.結集し,議会紅対して, 輸入関税引き上げの運動をおこした結果,大 正.15年に.,乳製品の輸入関税ほ,練乳では100 斤に.つき8.30円(容器代も含む),粉乳でほ100 斤紅つき3.40円(容器代も含む)に.引き上げ られた。このようにして関税ほ引き上げられ たが,わが国対外為替相場が高騰した結果, 輸入品ほ有利となり,練乳の輸入はすこしも 減少しなかった。そこで各練乳会社は,製乳 協会に結集して,毎年,議会紅対して,輸入 関税引き上げについて請願した。昭和4年に は,大日本製乳協会と,北海道畜産組合や中 資料叶河一三,『大日本牛乳史』, 牛乳新聞社,1934年7月, 429∼432ぺ−ジ。 央畜産会とが協力して,この運動を展開し, 昭和5・6年には,北海道製酪組合なども,この運動に.くわわって,猛烈な運 動を展開した。その結果,昭和7年に」は,輸入関税ほ引き上げられ,100斤に つき,粉乳は25円,練乳ほ15.70円,バタ−は50円(いずれも,容器代をふく 25)十河一三,『大日本牛乳史』,牛乳新聞社,1934年7月,428∼429ぺ・−ジ。

(24)

香川大学経済学部 研究年報 9 一・jヱ4一 J969 粥) む)、となったノ。このよ:うな輸入関税引ぎ上げに・ま:?て,バター・の輸入は減少す

■j 為′とときなった。このように・,輸入関税引きょザほ,乳製品会社.の主嘩の下で

かちとられ,直接的にほノ,乳製品会社虹利益を与え.るものではあらたが,間接 的把・ぬ.,乳製品工襲用の原料乳を生産ずる国内酪農の保感の産め紅役立フの である占 わが国乳麹品工業に対する国家の保護としてこもう一つ見逃すことができない ものがある。妾れぬ腐乳癌料砂糖戻税法である?明治34年に公布された砂糖消療 税法に・よって,砂糖虹消費税が戚課されたた鱒,周内産練乳価格ほ勝負した○

そ・の結果,国内産練乳ほ,由内市場において,輸入練乳に圧迫されたといわれ 2

7) るdこのたあ,当時の重要な練乳会社である花鳥練乳場の花鳥兵右衛門氏,東 京の三共商店,永井練乳場,大阪の麻生氏,房州ゐ高橋銀太郎戌などの練乳関 藤者は,練乳用原料糖の消費税免税の請願酋を貴J衆両院把捉出した。この運 動の結果もあ・bて,明治41年;練乳原料砂糖戻税法が公布された。練乳製造の 慮料として砂糖を使用したものは,この法律紅よって,砂糖消費税に相当する 金額の下付を政府に請求することができることとなったのである。かくして, 簡乳原料砂糖戻税法は,国産練乳の生産コストを低下させることを通じて,わ 28) が国練乳幾の発達に貢献したのである。この練乳原潮砂糖戻税時の公布を魂て, 明治由年に,北海道の札幌に,札幌練乳場が設立されたことなどがその例であ 29) る◇ 以上のようにi高率な由税と練乳原料砂糖戻療法とによる保護紅よって,わ が国紅おいても,製菓用の原料としての=練乳を生産する練乳工業を中心とする 乳製品工業がようやく発展しほじめたのである。大正9年,明治製薬の前身, 東京製菓が,房ぬ練乳と合併して千葉県房総地方で乳製品事業を開始している し,大正7年,静岡県田方都錦田町に設立された日本練乳が,大正9年,森永 早0) 製菓の畜産部となってこいる。また,森永製菓ほ,大正10年,福崎工場(兵庫県), 26)十河十三,『前掲書』,433∼439:ぺ・・−ジ。 27)十河十三,『前掲薔』,424ぺ1−・ジ。 28)十何十三,『前掲晋』,427ぺ一汐。 29)十河十三,『前掲書』,427ぺ−ジ。 30)十河十三,『前掲普』,467∼4由ぺ・−ジ。

(25)

経済地域の形成と構造 −一望J吉− 太正は年:,伊万里工場(佐賀県),大正13吼空知ユ:場(北海道),同二辞;・1・野紺鮮 81) エ場(北海道),同年,平塚工場(神奈川県)′など、の練乳工場を建敬した。梅凍 練乳ほ.,′花鳥練乳場(静岡県三島町)と札幌練乳場(北海道)とを合併して, 32) 大正9年紅創立され,そのエ場は三島と札幌把おかれた。大日本灘製品は,大 正3年,北海道練乳と辱、う名称で札幌に設立され,、大正15年に,大日本乳製品 38 ) と改称され,練乳 粉乳,バター,チーズなどを製造している。八丈島練乳ほ・, 34 ) 大正13年,八丈島に.設立されている。なお,ネッスルの前身ともいうぺき藤 井練乳が,大正4年,淡路島の兵庫県三原郡広田村に設立されていることほ注 85) 目すぺきことであろう。このように大正期紅ほ,練乳工場の先進地,千葉,瀞 同県以外にも,北海道,八丈島(東京都),淡路、(兵庫県),伊万里(佐乳剤, 平壌(神奈川県)などに,練乳工場を主とする乳製品工場が建設されているp 86) 日本の酪農は,このような練乳工業を中心とする乳製品工業の原料乳供給者と して,大都市からあまり遠くなく;比較的,自給飼料紅恵まれた恩札例えば 千葉県安房郡や静岡県田方郡のようなところとか,寒冷畑作地帯の北海道粧牒 いて発展しはじめたのである。 (ii)小農保護と酪農地域 大正期,とくに第1次大戦串・戦後になると,わが国酪農の地域的発展にと って:新しい条件が発生してくる。その新しい条件というのほ,第1次大戦中・ 戦後の重工業や大都市の発展一年乳需要の増大に蘭応した乳業資本の発展によ って,局地的でほあるが,農家で生産された牛乳,つまり農乳の販売市場卵形成 され,単に.練乳工業の原料乳生産者卑しての酪農だけでなく,市乳工業の原料 乳生産者として:の酪農が発展しはじめてきたことである。欝′1次大戦後中大正 10年,安価な房総の牛乳が,前述した練乳工稟ふら発展した乳業資本に蔓っ.て 31)森永製菓株式会社,『森永五十五年史.』,1954年12月,455∼466ぺ一−ジ0 32)′ト松純之助,『北海道煉乳製造史』(故山内義人氏遺著),大日本製酪業組合,1941年 4月,11写ぺ−ジ0 33)/ト松純之助,『前掲書』,82ぺ・一汐,120ぺ・−・汐0 34)十河十三,『前掲賓』,483ぺ−ジ0 35)十河十三,『前掲苔』モ4鱒∼483ヰ−・汐0 36)西欧の場合とちがって,わが国酪農が,練乳1業ゐ原料乳生産者として発展しはじめ てきたことはきわめて一往目すぺきことである。

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香川大学経済学部 研究年報 9 ヱ969 −Jヱ6一

東京軋輸送され,鹿乳の市乳化が実現しほじめてきたからである。乳業資本の

生産した市乳の価格は,搾乳業者の生産した市乳の価格よりも安かった。これ

は,乳業資本が安価な原料乳(農乳)を利用していたからである。そこで,搾

乳業者ほ,乳業大資本の進出のまえ.に.,大正末期以降,次第に没落してくるが, 87)・

このことがまた,農家で生産された年乳の販売市場を拡大することに・なる。か

くして,大正期紅は,乳業大資本の成立とともに,いまだ局地的であって全国

市場を形成してはいないとほいえ,農家で生産された牛乳の販売市場が形成さ

れ,酪農発展の条件が形成されてきたのである。当時,寄生地主制の圧迫に・く

わえて,シ.ェーレなどを通じて,資本の圧迫を蒙った小農経営ほ,折から,市

場条件の一応整備された農業,例え.ばとこで問題にしている酪農に,−一つの活

路を見出すことに・なる。

しかし,独占資本主義段階における小農にとって,多額の資本を要する酪農

への経営転換が容易であるはずはない。また,ひとたび,小農経営が,その経

営方式を掠奪式の粗放的穀寂農業から,集約的酪農経営紅転換したとして−も,

乳業資本に把握され,資本主義体制により深く包摂された小農ほ男気変動に左

右されざるをえない。そこで,小農に対する国家の保護が要請されてくる。そ

の代表的な例が北海道における乳牛の導入と製酪業の建設に対する国家の補助

である。大正12.3年頃,北海道の農家は,深刻な不況に直面し,乳価の下落や

不安定だけでなく,価格の安い不合格乳(ニ等乳)の激増に苦しんだ。練乳用

牛乳検査を厳格軋するということで,実質的には,買いたたきや受乳制限など

がなされたからである。こ.のような状況の下で,第1期拓殖計画末期の大正13

年に,北海道を一周とする製酪組合の設立が企てられ,大正14年紅,産業組合 38 )

法に.もとづいた酪聯(北海道製酪販売組合併合会)が設立されることに・なる。こ

の酪研は二等乳以下の原料乳や,私的な乳業資本が相手に・しない,遠隔地の原

料乳を使用してバターを製造し,次第に地歩を占めてきた0そして,このよう

な採算に合わない年胤を原料乳として乳製品を生産する酪研の発展が,国家の

政策的保護によるものであることは,共同集乳所,クリ−ム分雄設備,共同製

37)拙稿,「酪農の地域的発展」,近嵐嵐梅川,和田,川島,石原,帽L業資本と酪農』, 1958年5月,60−64ぺ・−・ジ。 38)北海道製解版売組合併合会,『酪研十年史』,1935年8月,4∼37ぺ−汐。

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経済地域の形成と構造 ーJプアー 酪所,販売設備などの設置経費の約50%が,国家紅よっで補助されていたこと S9〉 によって言明らかである。 乳製品工業紅対する保護を通じで酪農を保護す−るという,このような間接的 な保護政策とは別に,小農に対する直接的な保誰政策ももちろん行なわれてき た。北海道において,第1次大戦後の不況に際して,穀寂農業が経営的破綻を 露呈してくるにつれて,第1期拓殖計画の末期,大正12年より、乳牛購入に対 して与えられた国家の補助(普通ほ乳牛購入層の3割程度を補助)がこれであ る。その結果,第1次大戦後の不況以降,とくに.道南などを中心としてご,乳牛 の導入がすすんできたのである。製酪業(酪研)と乳牛の導入と紅対する国家 の補助は,昭和初期の世界恐慌以降,さらに強化されてくる。世・界恐慌時に、 私的な乳業資本が,受乳を制限したり,工場を閉鎖したとき,酪併ほ国家の補 助をえて,北海道の乳業払おいて−,次第に,独占的地歩を占めてきたのである。 一方,酪研の発展と相互に.関連しながら,20年間に.乳牛50万頑を増殖することを 目標とする第2期拓殖計画がたて:られ,乳牛導入に対して.■は,第1期拓殖計画 当時と同じく,3剖程度の国家補助が与えられたのである。夏季の濃霧と気候 の冷涼さのため,自然条件が劣悪な根釧地方では,昭和初期,世・界恐慌の影響 も非常に.きびしいものであったから,昭和8年以降,根釧原野開発5カ年計画 が実施され,こ.の計画に.もとづく乳年導入紅対してほ.,乳牛導入資金の80%の 国家補助(この経費に・は拓殖費中の産業費があてられた)が与えられたのであ る。そのほか,夏季低温な道北(天塩,北見)地方の農家に.対しても,乳牛導 40) 入資金の亜−50%の補助がなされている。今日,道束(根釧)や道北に、酪農 地域が形成されているのも,このように優先的な国家補助紅もとづくところ が大きいことは否定できない。北海道では,大正12年から昭和20年までの乱に おける乳牛の総増加頭数50,702頑のうち,その76%にあたる38,588頭が補助金 によって導入されたものである。先に述べた補助率と合わせて,このことを考え れば,北海道における乳年導入に対する国家補助がいかに大きかったかがわ 4り かるであろ う。 39)伊藤俊夫,『北海道酪農の研究』,農林省農業総合研究所,98∼112ぺ一−・汐。 40)伊藤俊夫,『前掲書』,40∼65ぺ」−・汐。 41)伊藤俊夫,『前掲雷』,59∼62ぺ・一汐。

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香川大学経済学部研究年報 9 ヱ969 ⊥ヱヱ∂− これに倒し針山都府県の酪掛乳 房州坪案県),田涛■(静岡「県)必酪農なぜめ ように,大都市に比較的接近した畑作地帯または低位生産的な水阻地帯に.おい てふ練乳工業から発展した乳業資本(干葉県安房の明治乳業,静岡県三島の森永 乳業など)把よって明治?大正期に育成されたのであって−≠北海道の酪農の よう牒㍉ 当初から国家資本班.よって∴保護育成されたものではない。しかし,都 」府県払おいても,滞1次大戦後,農業恐慌対策として,畜産物共同施設設置な どに補助金が与えこられるようになるも さらに,昭和初期に.ほ→ 農業恐慌によっ て痛手を蒙った小農経営の経営的転換を意図する経済更生運動が展開され,有 事農業が奨励されてきたのである。昭紺7年,農林省令によって,畜産物共同施 設奨励規則が公布され;牛乳の集荷・処理・加工施設(畜産組合や酪農組合に はる小規模集乳所や市乳処理場)だけでな、.く,飼料の生産調整や貯蔵設備の設 置紅対レて:,国家による′奨励金が交付されるように.なったのがそれである。こ のように,有畜農業の奨励という塾をとった国家の酪農助成が,単檻先進的に 酪農の発展したところ(子爵,静岡,兵庫)だけでなく,都市の近郊地帯,名草制 度下の脆弱な農業構造の下で,農業恐慌のう、え匿,冷害,および養蚕恐慌で甚だ しい痛手を蒙った関東・東山の畑作養蚕地帯の・−・部などでなされ始めたことは 4∠) 注目すべきこ.とである。 欝2次大戦後には,第1次大戦後一昭和初期におけるこのような政策を継 承して,さらに強力な酪農政策が展開され,この酪農政策が小農休制の下での 酪農的な地域形成をつよく規制するようになっでくる。第2次大戦後の国家に よる酪農政策でほ,酪農湛.とってもっとも重要な生産手段である乳牛の導入に 対して,資金融資,利子補給が行なわれるようになっただけでなく(昭和27年, 43) 有畜農業創設時別措置法公布),安価な牛乳を生産するために,酪農の経営構 造,とくに飼料生産構造の脆弱性を克服しようとする生産・構造政策(酪農振 44) 45) 興法に.もとづく「集約酪農地域」の指定や,酪農経営改善村の指定)が策定さ れるにいたった。とりわけ,酪農振興法の制定に.ともなう「集約酪農地域」は, 42)農林省畜産局,『本邦に於ける牛乳共同処理』(昭和8年),1936年,1∼100ぺ丁ジ。 43)農林省畜産局,『1957年版畜産年鑑』,農林節会,1957年8月,112−ノ125ぺ′−汐。 44)集約酪農地域ほ昭和29年から昭和34年までに.指定された。 45)酪農経営改善村は昭和34年から昭和39までに指定された。

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