占領下東大の学生運動 と 「 わだつみ会
」(Ⅱ)一 岡田裕 之氏 に聞 く‑
今 西
Ⅳ 東大国際派 :査問事件 と反米軍事裁判 今西 :東大では大河内さんの指導 を受け られたのですか。
岡田 :ゼ ミは大河内一男先生のゼ ミに入れていただいたのですが,先生 には申 訳 なかったが,50年,51年は学生運動 にほ とん どかか りきりで,出席 どころで なかった。私 は賃金論や職階給 を研究 したかった。入学当初,大河内先生の指 導で産業経済研究会 を組織 した りで,アカデ ミックな関心 は強かったのですが, 情熱の方は未知の反米闘争に向かっていました。
今西 :東大ではほかに, どなたの影響 を受 け られ ましたか。
岡田 :いやいや。一高哲研 で 『資本論』 に入れ込んでいまして,今やマルクス 経済学の時代, 『資本論』 を基準 に考 えてみる と,東大教授 は無能教授 ばか り だ との印象 を受けました。経済原論 は舞出長五郎先生の効用価値説 と労働価値 説の折衷,山田盛太郎先生の再生産論 は 『資本論』第二巻の解説,高橋幸八郎 先生の経済史は 『資本論』第一巻の原始的蓄積論,大河内先生の労働政策は 『資 本論』第一巻の工場法論,と切れ切れで体系的でない。一体先生方は 『資本論』
を全体通 して読 んでいるのか, (自分 も第三巻第六篇 は未読 だ し原文 は見 てい ないのですが) と生意気 に決めつけました。その時すでに私 は国際派共産党の 組織 に属 していましたか ら,上級生か ら 「会議 に出てこい」 とか 「教室でアジ 演説 をぶて」 と言 って きますo竹 中一雄君や ら木村勝造君や らで したo無能だ か ら講義 を聴かなかったのか,聴 きたかったのに運動 に心 を奪われたのか,今
となっては分か りませんが。
今西 :宇野弘蔵 さんは東北大学か ら戻 ってお られたのですね。
〔1〕
岡田 :ええ, もちろん宇野 さんは業績 もあ りました し,支持者 もい ました。
今西 :宇野 さんの授業 には出 られたのですか。
岡田 :授業 には出てい ませ んけれ どね,宇野先生の恐慌論 は 『資本論』 第三巻 第四篇,第五篇 に よ りますが,結局労働力不足 か らす る賃金騰貴論 で第一巻 に 逆戻 り, との印象 を持 ちま した。宇野原論 とは,後 に 『資本論』原文全巻 を読 み通 し (56年),法政大学院で久留 間先生の もとでマルクス 『グル ン ドリッセ』
を精読 し(57‑61年),経済理論の専 門家 になってか ら,自著 『経済原論 (上下)』 (76‑83年),で対決す ることとな りました。宇野弘蔵 と久巣 間鮫道 は 『資本論』
研 究の二人の大家ですが,宇野先生 は古典 を現実の歴史 に合 わせ て 自在 に解釈 し,久留 間先生 は古典 をその まま古風 に解釈す る立場です。陽明学 の佐藤‑義 は,「古典 を読 む時 は現実 と対比 し,古典 を実践す る時 は古典 の ままに」 と言 い ました。
今西 :私 は, 山田盛太郎 さんに習 ったことがあ ります。
岡田 :ああ,そ うですか。 どち らで。
今西 :京都 の龍谷大学で習い ま した。
岡田 :ああ,そ うか最後 に龍谷大学 に行かれたのですね。
今西 :あの難解 な再生産論 を,学生相手 に講義 されていたのですか ら大変で し た。
岡田 :ええ。で も 『農地改革顛末概要』 は立派 な もので した。封建 的土地所有 は一掃 された と判断 してい ます。学生運動の激 しい とき学部長 にな られて,抗 議のため吉祥寺 の 自宅 まで押 しかけたことがあ りま したが,質素 な生活で コー
トは継 ぎ宛て,学生 よ りポロで恐縮 しま した。
今西 :農業問題 は,現実 を見 て書かれてい ますが,再生産論 な どは抽象 的です。
岡田 :そ うなんです。再生産論 はつ まらないですね。
今西 :授業 で,「その再生産論 では,対外 的 な契機が入 らないのでは」 と質問 した ら,そんなことは東大で も言われた ことはない と言 ってお られ ました (笑)。
岡田 :冗談 じゃないです よ (笑)。 山田 さんは学生の質問 を拒否 します。耳 に 入 らないだけです よ。私 はルクセ ンブルク も勉強 しま したが,山田 さん とは話
が違 う。私の助手採用論文は,ルクセ ンブルクの世界市場論で した。 これは法 政大学の同僚,元総長の清成忠男君の経験ですが,山田さんは教室で質問 して も 「お答え しません」です。教授 には学生の質問に答 える義務があ ります。そ れで給料 をもらっています。質問に答 えるには未知 なら調べ る必要がある し, 既知であって も 「なぜ疑問か」 「どうした ら説得で きるか」努力す ると役 に立 ちます。質問に答 えない教授 は悪い教授です。
今西 :そ うですね。
岡田 :だか ら東大教授 は無能だって言 うんです。威張 りす ぎです。
今西 :1950年1月の コミンフォルムの野坂批判が大問題 とな ります。共産党 は 主流派 (所感派) と国際派へ と分裂 します。
岡田 :一 ・九会 はその流れか ら生 まれ ました。
今西 :一 ・九会 は国際派の集 ま りですね。
岡田 :ええ。国際派です。
今西 :東大は,国際派が非常 に多かったのですね。
岡田 :圧倒的な勢力で した。東大本郷 (旧制)では所感派の学生 はほんの数人 だったで しょう。職員はちがい ます。
今西 :それ も宮本顕治派ですね。
岡田 :神 山派 もいない。志賀派 もほとん どいない。宮本顕治派で した。当時は そ うい う意識 は無かったのですが,早稲 田の連中に言わせ ると東大 は宮本派。
早稲 田は神 山派がいた り,東大系宮本派がいた り,志賀派がいた りで,諸派連 令,所感派 も強かった。
今西 :早稲 田の大金久展 さんなどは,神 山派だったのですね。
よしきよ
岡田 :吉田嘉清君,かせい,かせい と呼んでいましたが,かせい君によれば神 山派はインチキで妥協,妥協 だ。大金久展君 と吉田君 は50年代の昔話 となると 双方でインチキ争いです (笑)0
今西 :大金 さんは,「吉 田の査 問を助 けてや ったのは俺だ」 と言 っているそ う ですが (笑)0
岡田 :ハハハ (笑)。早稲 田は早稲 田で政治 も文学 も群雄割拠で面 白いんです
けれ どね。
今西 :岡田さんは,地域で食糧デモ もや られたのですね。
岡田 :ええ,49年文京区の地域細胞主導で,米 よこせデモを組織 しました。水 道端細胞 と言 う組織です (子供の頃この水道端町に住んだことがあ ります)0 今西 :いわゆる 「米 よこせ運動」です よね。
岡田 :ええ。で も共産党文京区委員会指導の米 よこせデモが,あんなにイ ンチ キ とは知 らなかった。民衆 も区役所 も党員 もみな区委員会のペテ ンに偏 されま した。
今西 :東大国際派には軍隊上が りが多いですね。
岡田 :一 ・九会 には軍隊出身者が多い。戦争末期 に多 くの学生が, どうせ兵隊 になるならと,中学か ら陸軍幼年学校 ・士官学校,海軍兵学校,陸海軍経理学 校 などに進み ました。 こっちは旧制高校の方が,格上だ とばか り受験勉強に励 み ました。軍隊の好 き嫌い もあ りました。
今西 :国際派にいた山本弘文 さんは交通史の方ですね。
岡田 :ええ。幕末薩摩藩研究の専 門家です。日本経済史だか らご存知で しょう。
存命です。彼 はシベ リア帰 りだった。学年 はずっと先輩です。共産党 になって 帰 って きて,今で も党員ではないか。
今西 :それで沖縄問題 なども熱心 にやってお られるのですね。
岡田 :熱心 にやっています。私が食いっぱ ぐれた時に助教授で したので,何 と か法政大学で採用 して くれないか頼み ました。就職はなん とかなるだろうか ら, 法政大学院に入っていろ, と言 って くれたのが山本 さんです。職業上の恩人で す。山本 さんがいなければ,私が法政大学 に残れたか どうか分か らない。 こち らは縁 を切 って脱党 していたか ら,山本 さん も面倒 だったで しょう。党 に戻 っ てこい と複雑 な交渉があ りました。
今西 :東大では反戦学生同盟 を組織 されたのですか。
岡田 :いえ。反戦学生同盟 を組織 したのは学生運動指導部の武井昭夫,力石定 一,沖浦和光君たちで しょう。
今西 :反戦学生同盟の伊藤茂 さん というのは,社会党の幹部にな られた‑0
岡田 :ええ。彼 は夫人の病気で公職 を退 きましたが,本人は元気です。
今西 :60年安保闘争の指導者の一人ですね。
岡田 :ええ。それで安保闘争の全体 を知 っているのは俺だけだ と,資料 を残そ うとしています。
今西 :国際派には,三高出身者 など関西派が多かったのですね。
岡田 :そ うですね,一高出身 も多かったけれ ど,東大 に入 って関西の諸君が多 いなと感 じました。三高 もある程度多かったのですが,戸塚査問事件 において 吉 田君が言 うほ ど,一高 と三高出身者間に対立があった とは思いません。
今西 :早稲 田の人たちは,割 とそ う考 えているようですが。
岡田 :そ うそ う (笑)。経済学部の活動家 に力石 (三高),竹中 (三高),木村 (浪 速高),佐藤経明 (六高),富塚文太郎 (三高),飯馬要 (三高) と関西の諸君 が多かったのはた しかですが。
今西 :小野義彦 さんのお宅に,力石 さん と一緒 に行かれたことがあるのですね。
岡田 :後で分かったのですが,小野 さんは代 々木党本部に勤務 していたんです ね。「ソ連一辺倒」か ら一辺倒 と言 うあだ名 (「向蘇一辺倒」 は毛沢東の当時の スローガン)で した。一辺倒の所 に行 こうと力石君が言 うので付 いていった ら, 大崎の小野 さんの家で した。会話の内容は忘れ ましたが,入学早 々の私 をなん か見所のある奴だ と踏んだので しょう。
今西 :小野 さんは,戦争中は治安維持法違反で,刑務所 に入 ってお られてので すね。
岡田 :小野 さんは戦中に軍法会議にかけ られています。軍人なが ら抵抗運動 に かかわったためです。
今西 :戦後の代表的な 日本帝国主義 自立論者ですね。
岡田 :ずっと後 に野尻高原大学村 で再会 し,地元 と交流する 「山なみ大学」の 企画 を手伝 い ました。
今西 :小野 さんは,京大の出身ですね。
岡田 :一高か ら京大 に行 ったそ うですね。
今西 :ここで5月の初 めに東大細胞 の解散命令が 出されて,東大 はガ‑ペ‑
(GeheimPartei)とい う秘密組織 を作 ったのですね。
岡田 :新入生の私 はガ‑ペ‑ではな く,ガ‑ペ‑の組織 した国際派細胞 に入 り ました。解散拒否で細胞 は連続 していると考 えました。実態 は二重組織で した が,ガ‑ペ一 ・メンバー以外 はそれを知 らない。
今西 :国際派のなかでは, コミンホル ンの野坂参三批判 とい うのは, どの よう に受けとめ られていたのですか。
岡田 :それ以前 に,地域人民闘争 というものがあ りました。49年 に文京区役所 にデモをかけた,米 よこせデモ もその一環で した。いわば講座派的な考 え方で,
̀̀倒すべ き階級敵''は農村や山村や地方の地域 にいる,それを打倒する, とい うのです。学生の方はそ うは考 えない。階級敵 は全国的な資本主義であ り,そ の上のアメ リカ金融資本主義である,これ と闘 うには全国的闘争,反米闘争が 不可欠である, という考え方です。一種の一段階の社会主義革命論で,山村革 令,農村革命の二段階革命論 など (コミンテル ン1932年 テーゼ) はもう古い。
これに全学連の 「層 としての学生運動」 とい う理論が重 な ります。 これは武井 君が主唱 した もので,戦前の学生運動 とは異 なる戦後学生運動の指針で した。
山村革命論,農村革命論,地域人民闘争 などを主唱 したのは徳 田,野坂,伊藤 律 などの共産党指導部で したか ら, コミンフォルムの野坂批判は,東大学生運 動,全学連学生運動 にとって,彼 らを批判 し我 々を支持 した "天の声" に聞こ えました。国際共産党 (ス ター リン,毛沢東の指導するソ連 ・中国の党) は, 日本の馬鹿 な共産党 と異 なって賢明だ,と喜 びました。力石君が国際批判 を知 っ て,「コミンテル ン万歳」 と電報 を打 った と言 う話があ ります。それで我 々は 国際派 を名乗 りました。 コミンフォルム批判 に対 し納得 しがたい とアカハ タに
「所感」 を発表 した主流派 を, ここか ら 「所感派」 と呼びました。
今西 :だけどスター リンが,武力闘争路線 を指示 したので しょう。
岡田 :そ うなんです,その結果が51年の 「新綱領」 であ り,「球根栽培法」で あ り,火炎 ビン戦術で した。そ う考 えると東大国際派 こそいい面の皮で,馬鹿 で した。
今西 :共産党の第4回 ・第5回全国協議会か ら武力闘争方針 は出ていますね0
岡田 :まった く無知 とい うか,素朴,無経験 とい うか コミンテル ンの裏切 りな ど想像 も出来なかった。
今西 :当時はコミンフォルムの権威 は,絶対的だったので しょうね。
岡田 :ヨーロッパ じゃすでに30年代 にスペ イン内戦,ブハー リン裁判,独 ソ不 可侵条約 と苦い経験があるか らね, 日本の方はコロリと編 される。 日本全体 と
して国際場裡 の駆引 きは未熟です。国際政治の表裏はよく知 ってお く必要があ る。
今西 :当時はソ連 に憧れて, ソ連大使館 に通 う人 もいた らしいですね。
岡田 :そ うですね,そ うか も知れませんね。東大では佐藤 さんが連絡係の よう な役 目をしていました。大使館 は 『若 き親衛隊』の ようなソ連映画 を見せて く れ ま した。一種 の憧 れがあ りました。安東仁兵衛君 は,「ソ同盟 は平和 の砦」
などと強調 しきりで した。
今西 :東大のソヴェ ト研究会で活動 をや られていたのですね。
岡田 :ソヴェ ト研究会 を少 しや りました。最初 は労働問題 を大河内ゼ ミで勉強 したかったのですが, ソ連の実態 も知 りたかった。それで研究会 を開いて,辛 館利雄 さんにチュー ターをお願い しました。
今西 :後 には本格的なソ連研究 をや られますね。
岡田 :ええ。興味があったんです よ。 『資本論』 を勉強 して, これが社会の地 獄篇 とすれば,社会の天国篇は どうなるか。 ソ連は理想の社会だ と言われてい るけれ ども実際はどうか。それは 『資本論』 の対 となる疑問です。 ロシアの革 命前の歴史は詳 しいのに,革命後のソ連史はまった く面 白 くいない,荘漠 とし て実態 は皆 目分か らない。
今西 :当時はソ連の経済学教科書な どがす ごい権威で,あれを社会科学の入門 書 として読んだ人 も,結構多かったそ うですね。
岡田 :いますね。『ソ同盟共産党 (ボ)史』とい う赤い立派な本 を,大使館で買 っ て きて人にも薦めたのですが,ブハー リンが出て くる辺になると俄然 なんだか 分か らな くな ります。間違っているなどと当時は考 えていませんが,叙述 に霞 がかかっているのは確 かで した。 『歴史の偽造』 とい うパ ンフレッ トもあ りま
したが,これはます ます分か らない。反対派に対す る悪 口だけです。本当の と ころはどうなのか。
今西 :1960年代 にはソビエ ト科学アカデ ミーの 『世界 史』などが訳 されていて, われわれの高校時代 には,それで世界史の勉強 をしましたよ。
岡田 :そ うそ う,そ うなんです よ。
今西 :それ ぐらい権威があったのですね。
岡田 :権威 と憧れ と,知 らないことが 憧れだったのです。解 らないか ら逆に憧 れた とも言 える。
今西 :ソビエ ト研究会 と国際派は,セ ッ トだったのですか。
岡田 :東大国際派でセ ッ トだったのはマルクス ・レーニ ン研究所 (ML研)で, 佐藤 さんが主宰 していました。佐藤 さんは分厚 い 『レーニ ン全集』原文 を小脇 に抱 えて,「レーニ ン ・スカザール (レーニ ン日 く)」 とやっていました。私の ソヴェ ト研究会 は もう少 しアカデ ミックな関心か らで,馬場宏 (江川卓)君, 工藤幸雄君 などが加 わっていました。
今西 :文化 団体では,民主主義文化 団体協議会があったのですね。
岡田 :ソ研 は民文協 に加 わっていました。そ こで世界文学研究会の辻井喬 (当 時,横瀬郁夫,本名,堤清二)君 と出会い ました。
今西 :堤 さんは,スパ イの査問事件 にも係わっていたのですね。
岡田 :彼 もスパ イ嫌疑 にかか りました。 リンチは受けていませんが。
今西 :堤 さんのお宅で,会議 をやったこともあるのですね。
岡田 :あ ります。大邸宅で した。だが横瀬君の住処 は邸宅内の小 さな家で した。
大邸宅の方 には入れて もらえなかった。彼 自身 も堤家の真 申に入れて もらえな かったのではないか。
今西 :複雑 な家庭ですか らね。兄弟で も母親が違いますか らね。
岡田 :そこが堤君の抵抗の出発点で しょう。彼 も苦 しんでいた。
今西 :安良城盛昭 さん とは, この頃か らのお付 き合いですか。
岡田 :安良城君 とは浪人時代 に仲良 く付 き合いました。49年の ことです。彼の 家 は江古 田にあ りました, ここの近 くです。当時,私 は小石川伝通院に住んで
い ました。
今西 :私 は安良城 さんにお世話 になったことがあるのです。
岡田 :どこでですか。
今西 :沖縄大学の学長 を辞め られて,大阪府立大学 にこられた時に,非常勤講 師に呼んで もらったことがあるのです。
岡田 :しか し気がいい男だ し, ファイ ト満 々の勉強家です。大いに意気投合 し ました。
今西 :高橋幸八郎 さんのゼ ミで,ご一緒 されていますね。
岡田 :そ うそ う,高橋 ゼ ミに一緒に入 ろうと言 うので安良城君 と一緒 に面接 を 受 けました。一年生 は単位 にならないか ら傍聴だ と先生が言われ ましたので, 傍聴の形で入 り込み ました。入 り込んだ割 にはゼ ミに出ず,申し訳 ない次第で したが,夏休みに課題 としてフランス革命期の国有財産の売却の原書 を先生か ら渡 され ました。あの課題 を実行 していれば, フランス経済史の専 門家 になっ たか も知れません。 これまた運動でだめにな り,安良城君が 日本経済史の大家 にな りました。
今西 :この時,50年5月2日に,東北大でイールズ事件が起 きて,全国的に レッ ド ・パージ反対闘争が広が りますね。東大で も激 しかったで しょう。
岡田 :激 しかった,われ らの最大の闘争で した。新学期の5月6月の闘争は, 東大 と全学連指導部が, コミンフォルム批判の当初か ら主張 していた反米反戦 の全国一斉 闘争の格好の主題で, 5月16日東京都府学連は,反米 を掲 げた 日本 最初の街頭デモを実行 しました。朝鮮か台湾か戦争の危険は切迫 し,占領の長 期化 に対す る不安 と反感は学生 を高揚 させ,市民 も支持 しました。モスクワ放 送の報道に国際派は喜びました。
今西 :金沢 にオルグ (組織) に行かれ ましたね。
岡田 :ええ。北陸学連の組織化が武井君か らの指示,依頼で した。新制金沢大 学 は旧制四高 を継承 し,金沢城内にあ りました。 自治会 はあ りますが,全学連 には加盟 していない。その 自治会に反米 を訴 えて加盟 させ,金沢大学 を拠点に そこか ら富山大学 と福井大学 を扇動するのが与 えられた役 目です。加盟費 を受
け取 って,それを旅費に して東京 に帰 って こい と言 うのです (笑)。 とらぬ狸 もいい ところです。武井君が どこか ら都合 したか,行 きの汽車賃だけは呉れ ま した。 6月25日,朝鮮戦争勃発の朝,東京駅か ら東海道線 に乗 りました。金沢 大学ではち ょうどよく,大学の 自治会干渉で抗議大会 を開いていました し,描 導部が全学連か らの派遣 を喜んで くれて演説は成功,一挙 に全学連加盟決議 と な りました。 この金で富 山に行 き富 山大学の活動家 と会合 を開 きましたが,お とな しい人たちで加盟 までは無理で した。福井大学はさらに見込みな しとの, ことで した。
今西 :昔か らそ うなんですね。私たちも68年の東大闘争の時には,腕時計 を質 屋 に入れて東大 に行 き,帰 りはカンパ袋 を渡 されるだけで した。
岡田 :佐伯宇治君 は九州学連 に派遣 されましたが加盟 に失敗,加盟費が もらえ ず帰京で きな くな りました。そこで当時封切 りの東横映画,関川秀雄監督 『き けわだつみの声』の配給権 を全学連 は持 っている,金 を払 えば紹介 してやる, と映画館主か ら金 を貰 って帰 りの旅費にあてました。半ば脅迫,半ば詐欺です ね (日本戦没学生記念会 は, この映画 フイルムを持 ち映写権 をもってい ました か ら,連携 していた全学連の 「配給権」もまった くの嘘ではなかったのですが)。
今西 :それは詐欺です よ。
岡田 :私たち (出島靖君 と二人)は,詐欺ではないです よ。10月の レッ ド ・パー ジ反対の ときは伊藤君,大金君が金沢大学 に派遣 されデモを組織 して成功 しま
した。それには6月の二人の努力が基盤 にあ りました。
今西 :東大では, レッ ド・パー ジの対象 になった教員は誰ですか。
岡田 :東大関係 には一応追放者の名簿 と称す るものがあ りました。その中に高 橋幸八郎,渡辺一夫 などの名前があ りました。神戸大学の小松摂郎 さんなども 予定者で した。
今西 :小松 さんは,旧制か ら新制大学 に切 り替わる時に,首 を切 り切 られたの ですね。梅本克己 さん もそ うです。
岡田 :梅本 さん もそ うですか。
今西 :新制大学の切 り替 えの時に,解雇 されるのですね。
岡田 :それはやは り左翼的な思想が原因で しょう。
今西 :もちろん共産党貞 とい うのが大 きな理由です。
岡田 :一種の レッ ド ・パージなんだo
今西 :戦後の レッ ド・パー ジは, ここか ら始 まっているとも言 えますね。
岡田 :そ うだね。考えてみればそ うですね。
今西 :イールズは,東北大や北大で激 しく赤色教授の追放 を叫びますが,反対 運動 も激 しかったですね。
岡田 :イールズはアメ リカの方針でやって きました。 日本では戦前の経験か ら 共産主義者追放 (30年代前半)の後 に,自由主義者 を大学か ら追放する事態 (30 年代末) に至 りましたので, レッ ド・パージには教授,学生 とも広 く警戒心が あ りました。いわゆる 「暗い谷間」です。反対運動 は東大本郷 も激 しかったが, 新制東大 (駒場)生 は,9月末か らレッ ド・パージ阻止のための試験 ボイコッ
トで, さらに激 しく闘いました。処分で犠牲者 も多かった。
今西 :京大 も激 しかったですね。
岡田 :当時か ら東大国際派には,党主流派の関西学連には反感があたので しょ うね。あ ま り京大の闘争の話は入 ってこなかった。
今西 :51年11月の京大天皇事件の時は,東大の学生たちはどう受け とめてい ま したか。
岡田 :天皇への公開質問状 は 「わだつみのこえ」が主題で したが,東大 は全体 としては京大天皇事件 に冷淡で した。学生運動で歌 う歌 も違 っていました。
今西 :京大は学園復興 闘争や荒神橋事件で,退学者 もだ しています。
岡田 :東大は学則違反の退学処分者 も,形式上誤 りを認めれば復学 させ ます。
今西 :京大では, 日本史の松浦玲 さんの ように,全国の どこの国立大学 にも行 けない とい う 「放学」者 まで出 しています。 この頃は,学内デモが中心で した か。
岡田 :学内デモです。朝鮮戦争下学外デモは不許可です。学内デモはもちろん 東大当局は認め ませんが,だか ら警察 を呼ぶか となると呼ばないか ら実際上黙 認です。それで学生の方は,南原総長 とは常 に連携 を考 えていた。処分 となれ
ば教授会 と対立 しますが,「大学解体」 な どスローガ ンにな らない。大学が な ければ学生運動 は成 り立たない。
今西 :そ うですね。大学の 自治に守 られていた側面が大 きいですね。
岡田 :そ うです。大学の 自治に守 られていた。 また大学の 自治を守 るの も学坐 運動の任務で した。教授会だけでは大学の 自治,学問の 自由は守れない,学生 が行動 によって守 るんだと言 う考 えです。
今西 :レッ ド ・パー ジ反対の十月闘争の時に,10・20ス トライキにむけての全 学連の闘争スケジュールは,困難になったのですね。
岡田 :ええ。10・5東大学内デモは大成功で したが,10・17の早稲 田の抗議集 会が弾圧,大量処分 となったので都学連は大打撃で した。新制東大 は再試験 ボ イコッ トに失敗 しました。それで力尽 きた感 じで した。
今西 :早稲 田のたたかいは,跳ね上が りだったのですか。
岡田 :いいえ。早稲 田が跳ね上がった とい うことはあ りません。あの時大隈請 堂突入の強硬方針 を出 したのは東大ですか ら。全学連 ・都学連指導部の方がけ しかけたのです。だか ら私 は指導部ではないが,早稲 田の学生には申 し訳 ない とい う原罪意識があ ります。東大の部隊は指揮者木村君の指示で,逮捕の危険 が迫った現場か ら逃げました。早稲 田の諸君はみなほとん ど捕 まって処分 され ました。処分で学生身分 を失 うと早稲 田は東大 よりはるかに厳 しく,復学 を認 め ません。
今西 :この頃活動の中心 に柴山健太郎 さん も入っていたのですか。
岡田 :柴山さんは,最初か らい ました。
今西 :柴山さんは,学習院か ら東大ですね。
岡田 :三島由紀夫 などそ うです。近衛文麿 も学習院か ら一高‑それか ら京大‑
の コースです。
今西 :それ もエ リー ト・コースだったのですね。
岡田 :ええ。エ リー ト・コースですが,戦後ですか ら貴族学校ではな くなって 誰で も入学で きました。柴山君は陸軍幼年学校か ら学習院へ,それか ら東大文 学部へ来てそこで一緒 にな りました。戦中の勤労動員先が 日本特殊鋼 だったの
で,中学時代 に工場で顔 をあわせていたか もしれない仲 間です。
今西 :この頃,歴史学者の網野善彦 さんなども活動 されていたのですね。
岡田 :網野善彦君 は組織で知 ってい ます。網野君は最初の国際派の会議でお 目 にかか りましたが,話 しは したことがあ りません。す ぐ主流派に移 った と聞 き ました。会 ったのは一度 きりです。
今西 :網野 さんは,所感派だったのですか。
岡田 : 「網野は所感派だ」 と国際派 は悪 く言っていました。
今西 :網野 さんは,山村工作隊などの犠牲 を悼 んで,国民的歴史学運動か ら離 れていったそ うですね。
岡田 :そ うい うのは分か りませ んか らね。我々は レッテルを貼 っていたので しょう。戦後の歴史学では唯物史観が支配的で,石母田正 さんの影響 は大 きかっ た。安良城君の太閤検地論 は,石母田説 をマルクスに添 って批判的に延長する もので した。一時安良城旋風 とまで評価 されましたが,網野君の歴史観 は完全 なる唯物史観批判で,特 に百姓 (ひゃ くせい)史観 とい うか,中世の非農業社 会 に注 目して戦後 日本史学 を変 えま した。「レッテル貼 り」 は安易 なやっつけ で 自戒 しています。
今西 :農学部の丹羽邦男 さん もご存 じですか。
岡田 :知っています よ。特 に親 しくお話 したことはあ りませんけどね。
今西 :普,地価修正運動の ことをやっていて,丹羽 さんや安良城 さんにお教 え を受けました。
岡田 :そ うですか親 しかったのですか。
今西 :1951年の都知事選挙 に,国際派は出隆 さんを候補 に立てました。社会党 の加藤勘十氏 を支持 した所感派に対抗 したのですか。
岡田 :あの時は,2月にベル リン ・アピール とい う署名運動が,世界平和評議 会か ら出され,全学連には朝鮮戦争が第三次世界大戦 となる危機 (マ ッカーサー の満州爆撃論)が切迫 している,「平和 は髪の毛一本で支 え られている」 との 危機感があ りました。加藤勘十氏 には危機感がない,それは共産党所感派 に 「国 際連帯が欠けているか ら」だ, と国際派は認定 しました。 この五大国平和協定
を要求する呼びかけに,六億人が署名 しました。出さんを都知事にして都政 を どうかするというのではあ りません。逆 さまです。国際連帯です。 ここに国際 派の特徴が出ています。私はは じめ出さんの家 に泊込みの門番を仰せつか りま
した。す ぐに門番か ら動員部隊に移 りましたが。
今西 :共産党は全面講和論で したね。
岡田 :全面言酎 口論が盛んで したね。南原 さんも大内さんもそうで した。議論 と しても,冷戦の一方に加担する場合の 「危険」論には,訴える力があ りました。
今西 :所感派は全面講和論ではなかったのですか。
岡田 :いや,所感派 も全面講和論です。
今西 :では,加藤 さんと出さんとの対立点は何 になるのですか。
岡田 :反米ってことで したかね。
今西 :所感派が反米ではなかったとは言えないで しょう。
岡田 :そうなんですが。先ほど言ったように 「国際連帯が欠けている」に尽 き ると思います。ベル リン・アピール‑国際派対全面講和 ‑所感派の図式にな り ます。 この中で我 々国際派の軍事裁判事件が起 こります。所感派はこれを 「分 派 (敬) とアメリカ (敬)の茶番」 とけなしました。
今西 :この51年には,スパイの リンチ査問事件 も起 っていますね。
岡田 :そ うそう,国際派内のスパイ査問事件 と16人の軍事裁判事件は重なって いました。
今西 :岡田さんは,査問事件には直接 タッチ してお られませんね。
岡田 :査問には直接 はタッチ していません。私はスパイ認定の総会にも呼ばれ ていません。鈴木君か らの事後報告だけです。ただその後,上田君を家に預か りましたが,上田君は両親 ともよく知っていましたか ら,二三 日泊 まっていて も不審に感 じなかったはずです。力石君が連れてきました。
今西 :そ うですか。
岡田 :上田君なら高校時代は親 しくしていましたか ら。
今西 :力石 さんは,査問 した側です よね。
岡田 :力石,武井,高橋英典君の三人は上級機関です。我々一般党員は,ガ‑
ペ‑でな くそのガ‑ペ‑の上 に中央STがあ り,その上 に彼 ら三人がいて,宮 本,袴田 と連絡 を取 る秘密構造です。我 々にはガ‑ペ‑以上の ことは何 も知 ら されない。
今西 :力石 さんたちは宮本顕治 さん と直接つながっていたので しょう。
岡田 :だか らこの三人が言 えば,上級機関の決定で指示だ とな ります。反対 な ら組織 を出なければな らない。私 も 「はい」 と言って聞いていたのですが,査 問は直接 は知 らない し査問 もされない,総会 も通知がない。名誉 回復の決定時 には米軍に捕 まっていました。
今西 :戸塚 さんは,睡眠薬 自殺 を図ったので しょう。
岡田 :ええ。最近手紙 を頂 きましたが,戸塚秀夫君は査問後 も生死の境 をさま よう苦 しみを味わったのです。
今西 :戸塚 さん とは,いつか らのお知 り合いですか。
岡田 :戸塚君は哲学研究会の通学生 メンバーで,歴史学研究会か ら高沢君 と一 緒 に移 って きました。二人は終生仲良 く付 き合 っていました。戸塚君 と数人で 内藤濯先生のフランス語の レッス ンを受けたことがあ ります。いい先生だった か ら続けていれば,フランス語 も身についたのですが。東大 に入 った ら一足先 に入学 した戸塚君 は細 胞 キ ャ ップで,馬力 のあ る指導者 になっていて驚 い ちゃったけれ ど。一高では文学好 きで政治家 タイプでなかった。
今西 :戸塚 さんは海軍の兵学校 に進学 されてので しょう。
岡田 :ええ,そ うですね。彼 も予科兵学校 に行 きました。
今西 :戸塚 さんが,査問では一番 ひどい 目にあわれてのですね。
岡田 :そ うですね。
今西 :戸塚 さんに,なぜ警察のスパ イだ とい う容疑がかかったのですか。
岡田 :あれは哲研 の岡本早生君の紹介 によるアルバ イ トで して,英語が出来る 入ってい うんでね。高沢君は怪 しいが,戸塚君 は英語が好 きで達者で した。高 沢君は渋谷署 に勤め,戸塚君は本富士署 に勤め ました。
今西 :警察でアルバ イ トをしていたのですか。
岡田 :証拠 に利用 されました。二人は党員だったか ら,アルバ イ トを兼ねて警
察情報 を取 ろうとしたので しょう。二人 とも軍学校 出身です。私はスパイごっ こなど軍学校生は,だか ら幼稚 だ と見てい ました。
今西 :この件 は,不破哲三 さんは喋 らないで しょうね。
岡田 :すでに時効で話 して もよい と思いますが,出来ないんだろうね。たい し た権威でな し秘密 にす る必要 もないが,査問で殴 られて謝 った となると指導者 としては具合悪いんで しょう。
今西 :絶対 に心 に残 っているで しょうね。
岡田 :あんな記憶力のいい人はない。忘れるはずはない。すべて心 に残 ってい ます。
今西 :不破 さんは,『自叙伝』 にも書いていませんね。
岡田 :気 に しているが故 に言わない。
今西 : 「戸塚事件」 によって,国際派は大打撃 を受けたのですね。
岡田 :国際派の固い団結の中にスパ イがいた,そ してそれが またひっ くり返 っ たのです。 どうしてあの ような不快 な査問事件が起 こったのだろうか,それ も 最高学府 を自認する東京大学で。査問テロは大学構 内で行われました。誰が誰 を殴ったか,今ではそれは分かっています。総会は信頼すべ き戸塚,上 田,高 釈,平岡の諸君 を欠席裁判で,スパ イと認定 しました。メ ンバーはみな非常 に 傷つ きました。一 ・九会 はこの傷,痛みを解剖するために集 まっていたような もので した。高 く掲げた共産主義の理想 は瓦解 しました。そればか りか 自分 も 同志 を友人を卑屈 に裏切 りました。卑小す ぎる自分 を信用で きな くな りました。
「理想 に裏切 られ,自分 を裏切 る」裏切 り裏切 られる事実か ら抜 け出 られない。
辻井喬の詩は,事件の過酷 な真実 を謳います。東大国際派は精神的にバ ラバ ラ にな り解体 しました。その中で16人の反米軍裁闘争 は国際派最後の栄光であ り, 救いで した。
今西 :反米闘争では,入獄 まで体験 されたのだか ら,ひどい 目にあわれたので すね。
岡田 :これは しか し,ひどい 目にあった と言 うよ りは若者の ヒロイズムで した。
私 は以前か ら反米闘争 を,堂々 とや らねばならぬ と目論んでいました。そのた
めにあ ま り好 きでない共産党 に入党 した し,反主流 の東大国際派が反米 をや る, とい うので,居住細胞 を抜 け出 し,是が非で もこれに参加 しなければな らなか っ たので した。 だか ら占領軍批判で捕 まって, ひどい 日にあったな ど思 った こと はあ りませ ん。 ひどい 目な どと思 うことが 「け しか らん」 と言 う方です。 これ は為すべ き闘争で した。そ こまでは考 えていなかった,逮捕 された反戦学同の 諸氏 には気 の毒 で した。文学部の諸君 は,そ ここまでは決心 していなかったで
しょう。
今西 :柴 山さん も一緒 だったのですね。
岡田 :ええ。柴 山君 も一緒 で した。 4月5日夕,飯 田橋駅頭で逮捕 され,最初 は16人全員が麹 町署 に,次いで万世橋署,神 田署,神楽坂署,早稲 田署 に分散 留置,のち小菅の東京拘置所 に全員集 中 され,11日夕,逮捕責任者 の帝王 "マ ッ カーサー罷免" のニュース を拘置所 の拡声器で聴 き,満州爆撃の危機 はひ とま ず回避 された と知 りま した。囚人たちの どよめ き。再 び各署 に逆送,分散留置 され,私 は早稲 田署 でアメ リカ軍 の起 訴状chargesheetを突 きつ け られ る。
保釈金 は300ドル,アメ リカ式です。
今西 :もしか した ら沖縄 で,重労働 の可能性 もあったのですね。
岡田 :ええ。反米演説 は沖縄 で重労働が相場 です。 まあ殺 されは しないだろ う けれ ども。重労働二三年か も知 れない し,当時 は沖縄 は米軍統治の外 国で新憲 法の保護外 にあ りま した。
今西 :朝鮮戦争反対の ビラを撒かれてのですか。
岡田 :ビラどころではあ りませ ん。飯 田橋駅頭 に大立看板 を立てたんです。立 看板 は,前夜経済学部 自治会室で清里久雄君 らと極彩色 で描 き上 げ ま した。 ア イデアは私の ものです。 アメ リカ兵の毛 む くじゃらの手が, シャベ ルで 日本人 を朝鮮戦線 に放 り込んでいる漫画 を描 いて,そ こに金属労協の機 関紙記事 を根 拠 に,「遺骨帰 る,小雨降る横浜港へ」 と大 きな見 出 しをつけて, 日本 人247柱 の戦死 の事実 を知 らせ ま した。マ ッカーサーの仁川上陸作戦 (50年9月) に際 して,機雷の除去作業 に横 浜職安が募集 した 日本人労務者が動員 され,仁川で 多数の労務者が死 にま した。戟死 です。軍裁 における 「プラカー ド」 の記録 を
引用 します と,RemainscomebacktoYokohamainadissilingrain,Remains 247innumber,comehome‑ とあ ります。 この大看板 を背 にパ ンパ ンと反米 演説 を思い切 りや りました。
今西 :当時は反 占領軍の闘争は,あま り報道 されなかったで しょう。
岡田 :報道 され ません。あま りね。
今西 :占領軍のプ レス ・コー ドがあ りましたか らね。
岡田 :記事 には出ま したけれ ど,ただポツダム政令325号違反 とい う記事で出 ますか ら,一般 には反米 とは分か りません。政令ですか ら法律ではあ りません, ポツダム宣言受諾の緊急事態 に伴 う法制上の処理です。
今西 :で も釈放 を勝 ち取 ったのですね。
岡田 :まず13人が釈放 されて, 3人が正規の軍事裁判被告 とな り,東大全学の 釈放運動で3人 も教育的配慮 を理由に釈放 されます。
今西 :この時に,堤 さんたちが,小冊子 を作 って訴 えたのですね。
岡田 :ええ。 『吾が友 に告げん』 とい うものです。
今西 :後 に小 田切秀雄 さんの本 に収録 されていますね。
岡田 :ああ, 『日本の息子たち』 ですね。 『吾が友に告げん』 は売れ ました。そ の時辻井君の文章 は下手だった, という話があ りますが,本物の小説家 ・詩人 になったのは辻井君だけで した。
今西 :この運動 には,宗教史の倉塚平 さん も参加 されているのですね。
岡田 :倉塚君はこの ときは救援会の隊長で した。
今西 :倉塚 さんの 『異端 と殉教』は,私たちも学生時代 に影響 を受けて本です。
岡田 :彼 は非常 にアカデ ミックに,独文雑誌 に投稿 していました。アメリカの ユー トピア批判 も面 白かった。
今西 : 『ユー トピアと性』 ですね。
岡田 :好著で した。 オナイダ ・コミュニティの成功 と破綻の物語ですが。夫人 も歴史家で した。
今西 :女性史,宗教史の倉塚嘩子 さんですね。弁護士の遠藤誠 さん も参加 され ているのですね。
岡田 :遠藤 さん, よく知 ってい ます よ。あなたはご存知ですか ?
今西 :いや,テ レビの 『朝 まで生テ レビ』で見ていた ぐらいです。帝銀事件の 平沢貞通 さんの弁護士 として も有名で したか ら。
岡田 :遠藤誠君は仙台の二高か ら法学部 に来 ました。安東君たちの仲 間です0 今西 :山口組の弁護 もや ってい ま したね。 山口組 と帝銀事件 の弁護 を一緒 に やっお られたのがユニークで した。
岡田 :オウムにも弁護 を依頼 されました。
今西 :ええ,オウム真理教 の麻原彰晃の弁護 も頼 まれたのですね。
岡田 :さすがにオウム弁護 は断ったけれ どね。
今西 :遠藤 さんは,死刑廃止論者で したね。
岡田 :あれ もよき男だった。
今西 :仏教徒で もあ り,実にユニークな人で したね。
岡田 :作 曲が好 きで,作 曲 したテープを貰いました。明るい曲です。
今西 :話 を軍裁に戻 しますが,釈放 されて報告集会が開催 されましたね。
岡田 :ものす ご くアジった と言 うんですが覚 えていません。
今西 :獄 中で 『資本論』 を読んだ とい う演説 をされたそ うですね。
岡田 : 『資本論』第三巻第六篇地代論 を読んだのは確かですが,それを大々的 に報告 した とは (笑)。 え らくヒロイ ックだったのはその通 りです。演説 を覚 えている人がいるとは,お恥ずか しい次第です。やれやれです。長谷部訳でポ ロポロの本で した。いまで も書斎 にあ ります。
今西 :私 は龍谷大学の1回生の時に,マ ンツーマ ンで,長谷部 さんに 『資本論』
を習いましたが,難解 な訳で したね。
岡田 :大事 な誤訳が七,八箇所あ ります。
今西 :この頃,国際派は,試験 ボイコッ ト闘争 をやっていますね。前年,所感 派が試験ボイコッ ト闘争 を提起 して,国際派はこれに反対 して浮いているので すね。
岡田 :新制東大の国際派が浮 き上がって動揺 しているか ら, と言 うので釈放後 オルグに派遣 されましたが,国際派の完敗 に終わ りました。
今西 :戸塚事件 については,学生運動の主導権争い とか,武井 さんの個人的報 復 とか,組織内の友情のなさとかいろんな議論があ りますが,岡田さんはやは
り個人的報復が強かったとお考 えですか。
岡田 :原因は二つ重 なっています。それは共産主義 に内在する同志の粛清 と個 人的報復です。党の中の変節者,裏切 り者 を排除せ よとの革命の論理があ りま す。おか しな奴 と党組織が認定 した以上,彼 は党か ら排除 される。一党独裁だっ た ら排除す なわち投獄 とな り,ス ター リン体制では処刑 (殺害) に進み ます。
ただ東大国際派査問の経過か ら見 まして,武井君の戸塚君 に対する憎 しみが出 過 ぎていると思 うんです。 この個人的反感がなければ,あれほどひどくはな ら なかった。発端 は 「東大細胞キャップの戸塚が全学連の武井 を浮かそ うとして いる」 との情報 にあ り,契機は 「スパイ小俣 の告 白」が,早稲 田の国際派松下 清雄君か ら武井君 にもた らされたことにあ ります。 これぞ戸塚究明の証拠 と彼 は松下 に繊 口令 を敷いて,力石,高橋,武井の三人だけの密室で査問を決定す る。上部宮本の許可 を取 るが,力石 には早稲 田情報の真偽 を吟味す る余裕 を与 えない。ガ‑ペ‑の諸君 も小俣 を調査すべ Lとは発言 しなかった。木村君 は 「自 分が粛清 される恐怖」 を語 っている。武井君は主導的で陰謀的だった。
今西 :宮本顕治 さんは,「殺す な」 とい う指導 を したそ うですが。
岡田 :そ うですか。「スパ イはやっつけろ」 とは言わなかった ?
今西 :スパ イの摘発 は指示 しましたが,殺人事件 にまで発展す るのは阻止 して い ますね。宮本 さんは,戦前のスパ イ査問事件で逮捕 されていますか らね。
岡田 :そ う,宮本氏 は注意 した と思います。武井君は殺すつ もりまではなかっ たで しょうが,戸塚君 に焼 け火箸 を突 きつけた光景は陰惨で狂的です。深夜 に 至 ったガ‑ペ‑同士の相互点検が戸塚君の番 となるや急変,スパ イ査問に移 っ てゆ く。上田君は戸塚君ほ どにはや られていない。高沢君はある意味で とばっ ち りです。戸塚,高沢の二人は仲がいいか ら,戸塚がスパ イな ら高沢 もスパ イ だろうと言 うわけで,ほとん ど暴力 は食 っていない。平 岡君 はさらについでで す。だけれ ども 「武井君の個人的憎悪」 に して も, ソ連共産党や中国共産党の 流血の粛清の必然 な しに, これだけの査問が まか り通ったろうか。木村君の恐
怖 は幻影か。そ こには共産主義,共産党 に必然的な共食いの破滅が,運動 とし て働いていたとしか考 えられません。総会 はなぜ武井君の 「薄弱 な根拠」 を論 破 しなかったのか,で きなかったのか ?同志粛清が共産主義にとって不可避で あるのは重大 なことで した。
今西 :歴史的にはブハー リン裁判 もあ りましたか らね。
岡田 :ええ。 これを解明 して くれたのは木下素夫君で した。木下君はブハー リ ン裁判 (39年)の疑わ しさと,ソ連共産党19回大会 (52年開催)がなぜ開けな いか, とソ連スター リン体制の根幹 に疑問を提起 しました。51年の ことです。
戸塚事件か らソ連共産党 に及ぶ彼の広 く深い分析 には驚 きました。天才的で し た。社会科学 こそか くあるべ Lです。
今西 :粛清や排除は,共産主義運動の重要 な問題ですね。
岡田 :そ う必然的に起 って くるね。
今西 :後年,連合赤軍 などの問題が出て きますが,運動のなかの排除や暴力の 問題が,殺人事件 にまで発展 してい きますか らね。
岡田 :それで ドス トエ フスキーに感心 しちゃったけれ どね。
今西 :民衆運動のなかの暴力や悪,裏切 りとい う問題 を,私 も自分の研究テー マに しているんですけどね。
岡田 :これは私 にとって生涯の問題で した。木下君 には感心 しました。東大 は 秀才雲のごとくですが,国際派で思想の大切 さを教 えて くれたのは彼で した。
以後彼 とは死ぬ まで親友で したが,畏友 と言 うべ きか もしれ ません。
今西 :木下 さんは,早 く亡 くなられたのですね。
岡田 :六十歳で亡 くな りました。数学者 を貫 き早稲 田大学理工学部で教鞭 をと りました。は じめ 日大 に勤めましたが,思想上の理由で 日大 を追われ,早稲 田 に移 りました。
今西 :岡田さんは大学 に職 を求めるか,活動家 として生 きるか,迷 ってお られ た, と聞 きましたが ?
岡田 :それは少 し後の事ですね。55年頃,職業 について迷いましたが,56年初, ソ連20回党大会でス ター リン批判が明 らかにされ,私の レーニ ン主義への疑問
が解かれ,い くつかの査問事件の本質が一挙 に整理で きました。そ こで活動家 を続けるか,研究 に戻 り大学院か ら教職 を求めるか,その頃鉄鋼労連の書記だっ た上田君 を訪ね相談 しました。 まだ不破哲三 を名乗 ってはい ませんで した。因 みに,社研時代,寮の彼の本立 に戦前の 『ス ター リン ・ブハー リン全集』が並 んでいましたので,「不破哲三」はブハー リン (不破) ・ス ター リン (秩 ‑管) をもじった もの と信 じていましたが,本人はそ うではな く便宜的に 「不破 ガラ ス店」の看板か ら借用 した と訂正 を求めて きました。
今西 :やは り職業的革命家の道に入 るとい うことも考 えてお られたのですか ? 岡田 :そこまで考 えていたか どうか。鉄鋼労連近 くの汚い どぶ川の傍 らで一坐 懸命に話 した記憶があ ります。彼 は 「これか らは大学が面 白 くなるよ」 と言い ました。やは り彼 は頭が利 きます よ。ス ター リン批判の直後ですか ら,これか らは本格的な研究が出来る, と彼 は読んだに違いあ りません。
今西 :上 田兄弟は,グラム シを早 く取 り入れていますね。
岡田 :上田君は早いですね。「レーニ ンはもう駄 目だ」つてパ ッと言い ますね。
高沢君 なんかは絶対 にそ うは言わないな。能力あ ります よ。私はすでにマルク ス も駄 目だ と確信 していましたが, どこが駄 目か確かめねばな りません。そこ で 『資本論』の読み直 しを決断 しました。
今西 :レーニ ンが駄 目で,グラムシを取 り入れたわけですね。
岡田 :イタリア共産党 を上 田君は調べた様子です。力石君たちが井汲卓‑ さん の ところへ集 まって一緒 に勉強 していました。本川誠二君はイタリア語が出来 ましたか ら,本川君の力 を借 りたので しょう。
Ⅴ 国際派の解体 :立命館での 「リンチ ・査問事件」,その他 今西 :この頃,国際派は解散 して しまうのですね。
岡田 :51年夏に国際的判定が下 りまして国際派は解散 し,東大国際派 も解散 し ます。私 は解散総会 に出席 していませんが,わずか一年半の活動で した。すで に戸塚査問事件で,東大 は精神的にバ ラバ ラに解体 していました。それに加 え て,国際共産党の支持 を期 して旗揚 げ したのに, ソ連 ・中国の共産党は 日共主
流派の四全協 (全国協議会)の武装 (ゲ リラ)闘争 を支持 しました。 もはや何 も支える支柱 はあ りません。
今西 :岡田さんの御本では,国際派は総崩れになって,上田 ・木下 さん らは党 に復帰する道 を選び,武井 ・安東 さん らはあ くまで国際派は正 しかった と信念 を変 えず,力石 ・辻井 さん らは個人 となって党 と政治か ら離脱 してわが道行 く, とあ りますが,安東 さんたちは常東農民運動 に向かいますね。
岡田 : 『我 らの時代』 には書 きませんで したが,この第三グループには 「復帰 するが,表面 は党 と政治か ら離れた形 をとる」 とい う戦中の偽装転向に似た複 雑 なコース も含 まれ ました。秘密党員 となるコースです。東大の共産党員はこ れ まで国際派 と所感派に二分 して分析 しましたが,暗黒物質 とい うか どちらの 党組織 に も属 さない秘密党員がかな りい ました。 "秘密"で中央直属ですか ら 文書や証言で裏づけ られませんけれ ども,本人か ら告 白されたことはあ ります。
そ もそ も一高で党員 を募 る時,社研 の石島忠君 は 「高級官僚論」 を唱えました が,一高生はやがて高級官僚 に出世するか ら,通常の党活動 に従事するよ り, 一高の党員は秘密党員 となって高級官僚 とな り,そ こで情報提供や暗黙の協力 によって革命 に貢献すべ し, とい う議論で した。一笑に付 しましたが,一理あ りました。東大では関英夫君や伊藤君はそ うだったで しょう。51年前後,党へ の復帰 は市民社会への復帰,就職 と重 な りましたか ら,復帰 して秘密党貞 となっ た東大生はかな りいたはずです。社会党 に入った高沢君は二重党籍で した し, 堤君の西武 グループにも何人かいたで しょう。詩人辻井喬の謳 う「二重スパ イ」
です。
今西 :常東 (茨城県霞 ヶ浦周辺地区)では山口武秀 さんが党か ら独立 した反独 占の農民運動 を展 開 していました。
岡田 :柴山君 も常東 に行 きました。
今西 :柴山さんは,常東農民運動の中心です し,その後の鹿島の開発反対運動 もやってお られ ますね。
岡田 :柴山君の奥 さんは知っていますが。
今西 :恵美子 さんですね。日本の女性労働問題研究のパ イオニアの一人ですね。
岡田 :奥 さんが東 ヨーロッパ労働問題 を研究 していて,それで知 り合 ったので すが,恵美子 さん と健太郎君が夫婦 とは長いこと気づかなかった。柴 山君によ れば仕事 は二人で別 々だそ うですが。
今西 :最初 に常東 に渡 りをつけて行 くのは,安東仁兵衛 さんですね。
岡田 :そ うですか。安東 は東京 山手のお坊 ちゃんだか らね。
今西 :戦前 の農民運動 で もそ うですが,学生 たちは農業の ことは何 も知 らな かったのですか ら。
岡田 :農作業 な ら私の方が知 っています よ。私 は食糧不足の 自給農業で三年田 植 えをやった し,堆肥つ くり,あぜつ くり,稲 こき,麦 まき,茄子 も胡瓜 も作 れ ます。印勝沼で鰻 を取 りえび も.取 りました。
今西 :それは立派なものですね。戦前,早稲 田の浅沼稲次郎 さん らの建設者 同 盟が農村 に入 って も,村の人たちの 「悪い土地で大根 をどうした ら作 れるのか」
とい う質問に答 えられず困っています。それを島木健作 さんが小説で書いてい ます。
岡田 :兄は農学部出ですか ら村で人気があ ります。
今西 :だか らイ ンテ リたちが,農村 に住み着 くのは難 しかったのです。で も, 安東仁兵衛 さんな どは,茨城の農民活動家たちには評判がいいですね。
岡田 :安東君 は人気 あ りましたよ。あけっぴろげなところがあって。
今西 :親分肌で。
岡田 :私 も丸山論でケ ンカしたことがあ りますが,それだけで した。武井君 は 陰気 な感 じです。あだ名 もヒステ リーの 「ヒス」で した。力石君は 「フハ イ (腐 敗)」で した。
今西 :だれ もが武井 さんは 「暗い」 と言い ますね。
岡田 :私 は,武井君が兄の都立高校時代,寮で同室だったので戦中に渋谷の家 に来ていましたか ら,国際派時代 は武井 さん と 「さん」付 けで した。
今西 :私 は最初,彼の文芸評論 を読んで,切れる人だと感心 していましたが, 聞けば聞 くほ ど 「暗い」人ですね。
岡田 :とくに戸塚事件の後 はそ うで した。すっぱ り謝ればいいのに。謝ってい
ない。国際派全員 にも謝罪 して もらいたい。謝罪 を公表 しないか ぎり,一 ・九 会 は彼 を許 さなかった。
今西 :頭のいい人には,性格の悪い人が多いので しょうかね。
岡田 :不破 (上 田建二郎)君 もそ うした感 じです。意地悪ではないんだけれ ど ち,書記局長,委員長 となると威張 る,権威 を守る。大学で も総長 となるとま まそ うな ります。
今西 :不破 さんは,若 くして偉 くな りましたか らね。
岡田 :そ うい うこともあるで しょう。
今西 :上田排一郎 さん と不破哲三 さんの関係 も微妙で したか らね。
岡田 :最後 まで付 き合 って くれたのは,耕一郎 さんの方で した。比較的 リベ ラ ルです し,カン トに学んだ精神があ ります。党本部 にもよんで くれ ました。建 二郎君のほ うが高校時代親 しかったのに,いつ しか年賀状 にも返事 な しとな り ました。
今西 :60年代 に学生たちの集 りに来て もらって も,上田さんは学生たちに, よ く話かけていましたね。
岡田 :有 田芳生 さん も上田耕一郎氏のことを良 く言 っていました。 どこで知 り 合 ったかは知 りませんが。
今西 :有 田さんのお父 さんの光雄 さんは,京都の学習協 などでご一緒 しました が, よ く選挙で共産党の候補者で出てお られました。
岡田 :そ うですか,京都で父君の党関係で知っていたんですか。
今西 :ところで岡田さんは,党 に復帰 して どうされましたか ?
岡田 :四全協 とス ター リン裁定で国際派は潰れ,党 に復帰することとな りまし た。戻 った連中で忠実 に山村工作隊に加 わった者 も,存外 に多かったのですが, 幼稚 な連中だ と思いました。私 も戻 ったが火炎 ビンには反対です。 日本 は先進 社会で植民地解放闘争の舞台ではない。火炎 ビンは絶対や らない。
今西 :戻 って も山村工作隊に行かない,火炎 ビンは投 げない,で, どうしたの ですか ?
岡田 :私の方は引 き続 き武装闘争には反対ですが,武井,安東君たちと違い,
一歩後退 して党に戻 り,面従腹背で行 こうとい う方針で した。木下君,銀林浩 君 らと共同行動で した。武井君に 「不潔なる清算主義者 たち」「モ ラルがない」
と罵倒 されましたが,武井君か ら 「モラル」 を説教 される覚 えはない。振 り返 れば上田君 も同 じだったのではないか。三人 とも理学部のメンバーで した。私 たちは改心 していなのですが, "面従腹背''も楽ではなった。 この困難 も予想 を超 えていました。
今西 :51年,玉井仁全学連委員長が京大か ら出て きて,全学連か ら国際派 を追 放 してい きますね。
岡田 :玉井仁君は党の言いな りです。彼 はつ まらぬ男で したが,復帰組 は東京 に不案内な玉井君 に協力 しました。
今西 :この頃に国際派は,解体 してい くのですね。
岡田 :それで52年2月の反戦学生同盟解散決議が利用 されました。私は解散時 の反戟学同盟の責任者で した。それで立命館大学で起 こった,主流派の国際派 に対するテロに立 ち会わされたのです。
今西 :その現場 を見 られたのですね。
岡田 :現場 とい うか,全学連第五回全国会 は6月25‑28日,立命館大学で開か れ ましたが,大会最終 日,玉井君が 「岡田君,説得 を手伝 って くれ」 と言 うの ですO案内 されてついていった ら,一室で主流派武装組織 (TとかYとか)が, 国際派の出席者に暴力 を揮 っている最中で した。教育大の飯島君が棒で叩かれ,
ぐった り座 り込んでいま した。 びっ くりしちゃって,「説得」 などの場所 では ない, もうす ぐ部屋か ら逃げ出 しました。暴力 を止めることもせずに。臆病だ とは思わなかったけれ ど,自分がいかにインチキか骨身に沌みてわか りました。
あの光景 こそ振 り払 って忘れたいのですが,網膜 に焼 き付いて離れ ません。 こ れは消せ ない 自分の汚点です。
今西 :女性 もリンチ されていたのですね。
岡田 :ええ。津田塾大の柿本 さん,本名山下 さん。ブラウスが破 れていました。
富 田洋一郎君 と結婚 された と思います。
今西 :広松渉 さん もや られていたのですね。
岡田 :広松氏 については知 らなかった。一緒 にはいなかった と思います。広袷 氏 は全学連中央執行委貞ではない。別室でや られたのかなあ。小物扱いだった のではないですか。当時京大の反戦学同貞だった重田澄男君 によると,逮捕, 暴行 を受けた人数は不明だが,京大,立命館大の国際派 も逮捕 された し,中に は20日間 も監禁 された者がいて,共産党京都府委員会 に 「逮捕者」の釈放 を要 求 して,デモをかけた と言います。全国の国際派メ ンバーを,府委員会 は知 ら ないか ら,テロは全国組織の指令で した。
今西 :広松 さんは,高校時代か ら活動 していた人です よね。
岡田 :で も,広松氏 は全学連の役員ではない。 山下 さんは執行委員ですか ら大 会で役 目か らも発言 したで しょう。私 も反戦学同の元議長の役 目で解散決議 を 述べた,いや喋 らされた。本来,全学連大会で発言する義務 も,権利 も意志 も なかった。党の指図です。
今西 :テロには末川博総長が怒 ったのですね。
岡田 :それは怒 られ ました。
今西 :末川 さんは,戦争中フイリッピンに軍属 として参加 していて,戦後 は 「戦 犯」問題で引っかかっていました。
岡田 :そ うい うこともあったのですか。
今西 :しか し,東大 に置いて もらえなかった 『わだつみ像』 を,立命 に持 って きたのは,末川 さんの英断です よね。
岡田 : 『わだつみ像』の建立は英断で した。わだつみ会 は助か りました。像 は 本郷新 (製作者) さんのア トリエに放置 されたままで した。
今西 :で も学園闘争で破壊 されたのですね。
岡田 :それ を全共闘の連中が壊 してね (69年)。あれブロンズ像 です。作 れば 今では数千万円です。本当に嫌 になって しまいます。俺が壊 したなどと自慢 げ な奴がいるそ うですが,金 を払えと言いたい。弁償すべ きです。当時 (50年) は百万円 といわれ ました。実際には依頼者のわだつみ会 は,製作者 に百万円払 っ ていないんですね。会の方 も東大協 同組合か ら百万円の寄付 は貰 っていない。
文書 を調べて分か りました。
今西 :山村工作隊や全学連の国際派の追放 などで,学生運動 はつぶれていった と考 え られますか。
岡田 :そ うは思 っていませんで した。私はわだつみ会 をやってい ましたか ら, これは全国的な学生平和運動で した。本 当は党 に復帰 してか らも,反戦学同を 継続 したかったのですが,党本部学対 (学生対策部)が頑 として反戦学同の解 散 を要求す る。この解散で武井派か ら恨 まれました。わだつみ会 な らよかろう,
と言 うので,同盟員 はかな りわだつみ会 に流れ込み ました。共産党は後で しつ こ く会 に介入 しましたが,その時は 「わだつみ運動」ならととくに文句 はなかっ た。私 は52年春わだつみ会事務局貞 とな りました。会理事長は柳 田謙十郎氏, 知識人かつ遺族代表で した。
今西 :わだつみ会 には,52年頃か ら参加 されたのですか。
岡田 :私 は,設立当初の50年4月か ら映画 『きけわだつみの声』の宣伝 をやっ ていました。とくに民文協 には 「映画わだつみにかかわる人」は多 くいました。
辻井君や富本壮吉君たちがそ うで した。
今西 :51年末か ら52年春 にかけて,東大ではポポロ事件があ りましたね。
岡田 :あの時は東大 にいました。復帰交渉の ころで した。警察手帳に私の名前 もあ りました。
今西 :岡田さんの名前 も,警察手帳に書かれていたのですか。
岡田 :渡辺一夫 さん も書かれていました し,かな り多 くの活動家の名前が記録 にあ ります。
今西 :藤 田省三 さんは,ポポロ事件が契機で共産党 に入 られたのですね。
岡田 :それは知っています。
今西 :どち らか とい うと,共産党の運動な どにはニヒルではなかったのですか。
岡田 :ニヒル とい うか距離感 を持 っていましたね。 もっとも大学時代 はそれほ ど親 しくはなか ったので よ く知 りませ んが。その頃は安西史郎君の方が彼 を 知 っていました。
今西 :犬丸義一 さんなどは,藤 田さんは共産党 には向かない と言 って停めたそ うですが。