両岸関係における協議制度の構築
著者 孫 占坤, SUN Zhan Kun
雑誌名 明治学院大学国際学研究 = Meiji Gakuin review International & regional studies
巻 37
ページ 79‑85
発行年 2010‑03‑25
その他のタイトル Consultation Mechanisms in Cross‑Strait Relations: Perspective Paper
URL http://hdl.handle.net/10723/1466
両岸関係における協議制度の構築 *
孫 占 坤
はじめに
1.両岸関係の特徴
2.新中国成立前の「政治協議」
3.両岸間対話・協議の成果と限界 4.国際関係における協議制度の発展 5.両岸関係における協議制度の構築 おわりに
はじめに
かつて緊迫が続いた中台関係
(1)は,国民党が政 権に返り咲くことで,比較的に安定した展開を 辿っている。特に党首を含めた共産党・国民党間 の一連のハイレベルな交流は,両岸間の相互信頼 も深めることになり,その結果, 1979 年 1 月に「台 湾同胞に告ぐ」
(2)が発表されてから 30 年間の中 でも,昨今の 2 年間は両岸の交流促進という意味 で最も実りのある時期をなしていると言ってよい。
にもかかわらず,国家,主権をめぐる認識等重 要な問題を含めて,両岸間における見解の相違が 依然残っていることは否定できない。過去十数年 の間,かかる見解の相違は外交分野等において両 岸間に多くの対立をもたらし,それが台湾内部に おける政治,世論の操作を通じて,時々両岸間に おける更なる交流の雰囲気を壊し,結果的に中国 の統一過程を遅らせたともいえる。
統一が実現される前の現段階において,両岸間 の統一に寄与する一つの安定した枠組が形成でき れば,それは,東アジア地域全体の平和と安全に とってはもちろん,中国自身の「平和的発展」
(3)にとっても大変重要な意義を持つ。筆者は,新中
国が成立する前の国(民党)共(産党)等党派間の
「政治協議」の遺産と改革開放以降における両岸 間交流の経験と教訓を総括し,加えて,国際関係 における「協議制度」のメリットを適宜に活用す ることで,過渡期の両岸間にある種の協議制度を 築き,両岸関係の安定的発展を図ることが可能で あると考える。
1.両岸関係の特徴
このような協議制度を検討する前提として,両 岸関係に含意される法的,政治的意義をまず確認 したい。中国現代史と 20 世紀の東アジア国際関係 史を振り返れば,政治的イシューとしての「台湾 問題」或いは「両岸関係」が 1949 年に生じたと理 解することができる。同年 10 月の「中華人民共和 国」成立宣言と 12 月の「中華民国」政府の「首都 移転」によって,台湾を含んだ中国という国家の 中で,二つの「政府」が並立するという事態が現 われた。1949 年から始まったこの事態は 20 世紀 後半の国際関係に多くの論争をもたらし,その代 表的事例として, 20 年間以上も国連を困惑させた
「中国代表権問題」と 40 年間に続いて,一時日中
間の深刻な外交問題ともなった「光華寮問題」を
両岸関係における協議制度の構築
挙げることができよう。
筆者が強調したいのは,台湾における政治生態 の変化に伴い,1949 年から始まる「台湾問題」の 性質が微妙に変化しつつあることである。国連に おける中華人民共和国の議席回復以降の長い時期 を含めて,海峡両岸の双方は「一つの中国」を堅 持したため,両者の対立が国際法上基本的に「政 府承認」の問題と理解されていた。すなわち,北 京政府と台北政府のどちらが中国という国を代表 する正当政府なのかということである。しかし,
次のいくつかのことが示すように,両岸関係にま つわる「政府」,「国家」の認識について,台湾側 に変化が起きている。まず, 「92 コンセンサス」を めぐる両岸間の論争
(4)が象徴するように, 90 年代 以降台湾が一応「一つの中国」の立場を取り続け ているが,一貫して強くこれを堅持しているとは 言いがたい。これと密接に関連して,国民党政権 李登輝時代の「両国論」や民進党政権陳水扁時代 の「一辺一国論」,更に 1990 年代以来の一連の憲 法改正を経て,台湾は「中華民国」という国名こ そ使用し続けているものの,中華民国の版図を現 在台湾が実効支配している台湾・澎湖列島・金門・
馬祖のみであると認めている。近年,中国大陸側 が「92 コンセンサス」に立ち戻ることは両岸間協 議再開の前提であると繰り返して述べているが,
これはある意味では台湾が国家,主権をめぐる認 識に動揺し,変化していることを反証したともい える。このように,今日の両岸関係の対立に従来 からの「政府をめぐる争い」のほか, 「国をめぐる 争い」という新しい側面も加わり,対立の様相と 本質が一層分かりづらくなっている。
2.新中国成立前の「政治協議」
統一,国家のあり方等の重大な問題について,
現代中国史上,対立者の間に平和的で対等な協議 を通じて対立を解決しただけでなく,その後の中 国の進路にも重要な影響を与えた前例がある。そ れは,1940 年代後半に行われた 2 度の「政治協商 会議」 (それぞれ「旧政協」, 「新政協」とも呼ばれ る)である。
1946 年 1 月中下旬,中国国民党,中国共産党,
中国民主同盟(民盟),中国青年党及び無党派人士 が重慶に集まった。激しい駆け引きも含め,20 日 間に渡る協議を経て,諸党派の間に憲法,軍隊,
政府組織,施政綱領及び国民大会(国会)等,い わば,来る中国の「国体」と「政体」の骨組みに ついて合意することができた(「政治協商会議施政 綱領」)。しかし,国共間の相互不信と協議を遵守 する意志の欠落により,両者の間に翌年 3 月に全 面内戦が勃発し,協議は中国(大陸)で僅か 1 年 あまりの役割しか果たさなかった。
数年後,中国共産党が大陸でほぼ軍事的勝利を 収め,単独で中国の将来を決定することができた 時に,共産党は敢えてそのような選択をしなかっ た。代わりに,1949 年 9 月 21 日,共産党をはじ め,他の民主党派,更に無党派愛国人士や海外華 僑が参加する「中国人民政治協商会議」が北京で 開かれた。 600 人以上が参加するこの会議は 10 日 に渡る討論の末,「中国人民政治協商会議共同綱 領」等の重要文書を採択した
(5)ほか,新中国の国 旗,国歌,国都(首都)及び紀年制度も決定され た。
国家が分裂状態に置かれているという意味で,
今日の両岸関係は 1940 年代後半の中国と非常に 似ている。したがって,今後における両岸関係の 改善を考えるうえで, 1940 年代後半の政治協議の 経験と教訓を総括することは決して無意味なこと ではない。
まず,政治協議の有する「手続的」意義につい
て評価したい。2 度の政治協議のいずれにおいて
も,当時最大の党派は単独で中国の未来を決定せ
ず,他の党派と平和で対等な協議を通じて,国家
のあり方を最終的に決定したのである。実際, 「旧
政協」の取った「対等で平和的協議」の形式が新
中国成立する前夜の「新政協」召集の重要な契機
となったのである。 「新政協」が対等で協議した結
果, 1950 年代初期の中央人民政府の閣僚クラス高
官のうち,共産党以外の民主党派が占める割合は
新中国 60 年間のどの時期よりも高かった
(6)。
次に,政治協議の「内容」自体についても高く
評価したい。 「旧政協」の合意は僅か 1 年あまりし
か維持できなかったが, 1946 年に作られた第 1 部 中華民国憲法の骨組をなし,今日の台湾の憲政に も影響を与えつづけている。特に注意に値するの は, 「旧政協」共同綱領の内容の多くは必ずしも国 民党の意思ではなく,寧ろ,共産党や他の政党の 要求で盛り込まれたということである。他方, 「新 政協」の共同綱領は実際最初の中華人民共和国憲 法が施行する 1954 年までに新中国の臨時憲法の 役割を果たし,全国人民代表大会が成立する同年 までに, 「新政協」自体も臨時人民代表大会の役割 を果たした。
このように,2 度の政治協議は,それぞれが直 面する国内外の情勢,課題が異なり,単純に比較 できないが,勢力の大小を問わず,対等かつ平和 的な形で国家の将来を決定するという政治的叡智 は高く評価されるべきであろう。
3.両岸間対話・協議の成果と限界
両岸関係の雪解けは今年でちょうど 30 年を迎 える。大陸側が 1979 年 1 月に行った「台湾同胞に 告ぐ」アピールで呼びかけた「三通」 (郵便・海運・
通商関係を結ぶこと)に対して,台湾の初期の反 応は「三不」 (妥協せず,接触せず,交渉せず)政 策であったが,その後中国大陸側は単独で両岸に 関わる郵便,通商業務を始めた。30 年後の今日,
両岸貿易は既に台湾側における貿易全体の 22%
以上(うち,輸出は 29%を超え,輸入は 14%)を 占めるようになり,両岸間の人的交流も,2009 年 前半において,大陸と台湾それぞれへの相手から の訪問回数は既に 211 万回と 52 万 6 千回を上回っ ている
(7)。益々深まる両岸間のヒト,モノ,情報 の交流の現状を考えれば, 30 年前の両岸関係に関 する中国大陸側の決断は歴史発展の流れに適った ものであると評価できよう。
では,このような密接な交流は既に両岸間に安 定的で,強固な交流枠組或いは関係枠組が形成し ていることを意味するのか。これに答えるため,
まず 30 年間に渡る両岸間の交流,とりわけ両岸当 局間の対話の経緯を振り返る必要がある。 1986 年 5 月 3 日,機長王錫爵は大陸での居住を求め,バ
ンコクから香港へ向かう台湾「中華航空」貨物機 B198 号を広州空港に着陸させた。大陸側の 2 度に 渡る要請の下で,同月 17~20 日の間に大陸側「中 国民航」と「中華航空」の代表は香港で会い,貨 物機と他のスタッフの返却問題に合意することが できた。この会談は「純粋に両航空会社間の業務 上のものであり,政治問題には及ばない」ことで あった
(8)が, 1949 年以降に両岸間で行われた初め てのハイレベルの公開会談となった。これに続い て,1990 年 9 月に,大陸から台湾への密入者返還 問題をめぐって,双方の赤十字は「金門協議」を 結ぶことができ,1949 年以来「両岸当局より授権 された民間団体が結んだ最初の書面合意」となっ た
(9)。
90 年代において,両岸間各種交流の増加に伴い,
両岸当局による接触,対話が行うようになった。
1991 年 11 月,国務院台湾弁公室副主任唐樹備と 台湾海基会副理事長陳長文の会談が行われ,台湾 海峡地域の密貿易,強盗等の犯罪問題について協 議した。この会談は個人名義で行われたが,政治 的には双方当局の公式会談の意味合いが否定でき ないであろう。これ以降 1999 年まで,双方の交渉 窓口である「海協会」 (大陸)と「海基会」 (台湾)
の間に課長クラス以上の会談は 20 回以上も行わ れ,会談の内容も海運,郵便,公証制度,文化教 育,投資,海峡地域の犯罪防止等幅広い非政治的 な実務領域に及んでいたほか,よく知られた通り,
両岸間の政治関係をめぐって, 「92 コンセンサス」
が形成されたかという未だに続く論争の標的とも されていた。
上記の会談の回数と内容だけを見ると,両岸間
が雪溶けしてから,とりわけ 1990 年代以降すでに
一定程度の協議のチャンネルが築かれているとい
えなくもない。これらの協議が両岸間の交流過程
で生じた様々な問題を解決し,交流の強化を図る
うえで大きな役割を果たしことは評価されるべき
であろう。しかし,以下の理由から,上記の協議
は両岸間における安定した関係枠組の構築に依然
至っていないと言わねばならない。第一に,これ
らの協議は基本的に 1990 年代に開始し,かつ 90
年代に止まっていた。すなわち,30 年間に渡る両
両岸関係における協議制度の構築
岸間の雪溶けの中で,両岸当局間の協議は基本的 に真ん中の 10 年間でしか行われなかった。第二 に,協議の内容が基本的に非政治的,実務領域に 限られたこと自体は問題ではないが,多くの場合,
協議の過程は両岸間の国家や主権等の政治問題を めぐる認識の相違によって挫折し, 「合意」が達成 してから時々変更,延期させられ,協議の実効性 を大きく弱めていた。
2001 年 7 月に,台湾の新党大陸事務委員会代表 団は大陸を訪問し,両岸間の政党交流の幕を開け た。2005 年 4 月末,国民党主席連戦,その後,親 民党主席宋楚瑜及び新党主席郁慕明が相次ぎ大陸 を訪問し,両岸間に政党交流の時代をもたらした。
とりわけ国民党は党首等ハイレベルのほか,大陸 との交流は県市等の地方レベルにも拡大し,同党 と中国共産党との交流関係は制度化へ成熟しつつ ある。これらの動きが示すように,両岸間の協議 チャンネル(海協=海基チャンネル)の脆弱性と 不安定さのため, 21 世紀に入ってから両岸間の交 流はかなりの意味で党の交流に置き換えられてい る。
こうした「両岸間の交流」から「党の交流」へ シフトする中で, 2008 年春に台湾で政権交代が行 われ,8 年ぶりに国民党は政権奪還を果たした。
これを受け, 2008 年 6 月 11 日に, 8 年ぶりに「両 会(海協会,海基会)」のトップ会談が回復し,現 在(2009 年 10 月)まで既に 3 回ものトップ会談 が行われ,第 4 回会談も本年の 12 月に行われる予 定となっている
(10)。
このように,昨年以来の両岸間は党,民間,当 局(海協=海基チャンネル)等,正に多チャンネ ルの交流が行われ,かつてない「蜜月時代」が訪 れているように見える。しかし,制度設計の視点 からいえば,両岸間の関係は依然「運動論」的段 階に止まっていると言わねばならない。政党や政 治家が交代してもなお安定した交流が行えるとい う関係枠組の構築は大きな課題として両岸当局の 前に圧し掛かっている。
4.国際関係における協議制度の発展
以上の 2,3 節において,1940 年代と改革開放 以降両岸間交流の成果と限界を見てきた。実は,
矛盾を解決し,対立を解消するレジーム或いは制 度として,協議は国際関係の中で益々重要視され ている。
第 2次世界大戦後,特に最近の 30年間において,
国家間の相互依存が益々強まったことによって,
各国は単独的に行われた活動が他国の利益,主権 を侵害する危険が大きく増えてきている。紛争発 生後の問題解決の難度を小さくし,取り返しのつ かない結果を避けるため,国際社会は益々紛争を 回避する協議制度を重視するようになっている。
その特徴の一つは,多くの国際条約,特に水資源 や宇宙空間,環境,貿易等の非軍事的,技術的領 域における条約が当事国間の(事前)協議(Prior Consultation)制度を導入し,協議が国際法におけ る紛争回避の重要な制度に成熟しつつあることで ある
(11)。例えば,宇宙条約第 9 条は,当事国はそ の宇宙空間における活動が他の当事国の活動に潜 在的に有害な干渉を及ぼす恐れがあると信ずる理 由がある時,その活動が行われる前に適当な協議 を行うものとし,後者の方もかかる恐れがあると 信ずる理由がある時,前者に協議を求めることも 出来る,と規定している。世界貿易機関(WTO)
の紛争解決レジームは協議を「事前」に位置づけ ていないものの,一連の紛争解決手段の首位に据 えている。WTO 協定付属書Ⅱ(「紛争解決に係る 規則及び手続に関する了解」)第 4 条によれば,紛 争発生後,まず当事国は 60 日以内に協議を通じ,
解決を計らなければならない。しかし,たとえ協 議が成功せず,紛争がパネル(小委員会)への付 託という(準)司法手続の段階に入っても,紛争 双方は依然「相互に満足すべき解決を」得るため の協議を行うことが可能である
(12)。
他方,国連や NATO,EU 等多くの国際組織は
長年の実践を通じ,協議を国際組織における基本
的或いは重要な運営方法にしている。明文の規定
に比べて,国連憲章に協議に関する明確な規定が
設けられていない。しかし,長年における外交実 践の中で国連は協議を通じ問題を解決する慣習を 築き,代表的事例は安全保障理事会における常任 理事国間の協議である。安保理決議の採択,とり わけ経済,軍事的制裁にかかわる決議の採択は,
殆どの場合投票が行われるまでに五つの常任理事 国による(非公式)協議の結果の確認或いは追認 であると言ってよい。一方,国連総会の方も 1960 年代以降採択された多くの決議は多数決での結果 ではなく,加盟国間の協議を通じ,最後は投票せ ず,かつ異議なしのコンセンサス方式によるもの である。戦後に成立し,現在国際政治の重要な一 翼を担うようになっている EC・EU にとって,協 議は尚更最も基本的な運営方式となっている。最 高の政策決定機構として,EU の基本方針を策定 する欧州理事会(European Council)や,EU の日 常政策の制定及び EU の立法を基本的任務とする 欧州閣僚理事会(Council of The European Union)
は外交,安全,憲法,内政司法,税制,社会保障,
エネルギー,文化等「重大な問題」領域において
「協議を通じた一致」を原則にしている
(13)。更に,
NATO のような老舗の軍事組織もその基本的運営 方式を「協議による一致」としている。したがっ て, 2003 年に最後までイラク戦争をめぐる一致し た意見が加盟国間に形成できなかった時,米国は
「有志連合」の形で戦争に訴えるほかはなかった。
このように,協議が今日の国際関係の中で特に 重要視されるのは,次のようなメリットがあると も考えられよう。第一に,今日の国際関係におい て,司法的解決や国際仲裁,調停,外交交渉等,
紛争を平和的に解決するあらゆる手段の中で,協 議は最もソフトで,当事者にとって使用しやすい 紛争予防或いは紛争解決の方法である。第二に,
国際組織の議事方式として,協議の基本精神が対 等であるため,これは特に中小国家にとって重要 な意義を持つ。 20 世紀半ばの内戦に由来する両岸 関係の解決方法は,本来,中国の内政に属する問 題であろう。しかし,国際政治環境等の要素によっ て両岸間の分離・分裂が既に 60 年間も続いたため,
双方は異なる社会制度を形成し,国家,主権をめ ぐる認識にもかなりの差異が現われている。加え
て,人口,面積をはじめ,経済,軍事,外交資源 等様々なギャップは両岸間に生まれている。した がって,いかにして台湾側をより積極的に両岸関 係の枠組づくりに参加させるかを考える時,国際 関係における協議制度の特徴が十分参考に値する と思われる。
5.両岸関係における協議制度の構築
新中国が成立する前の政治協議と改革開放以来 の両岸間の対話や話し合い,更に戦後国際関係の 中の協議制度,この三者を一つの制度として「協 議」と括るのはアカデミックな厳粛さが欠けるで あろう。時代背景や直面する問題等を考えると,
上記三者の間にかなりの違いがある。にもかかわ らず,三者の間に国際や国内体制の違いを越えた
「協議」の共通性をなお発見することができる。
過去 30 年間の実践が示すように,両岸間の交流 は一種の歴史的趨勢としてもはや止めることが不 可能である。ならば,交流の中の問題,とりわけ 非政治的領域の様々な実務的問題を解決し,一種 の安定した制度を構築することは既に急務となり,
合理的でもある。他方,1990 年代以降,外交,僑 務及び安全領域において,両岸間のゼロサム・ゲー ムが益々激しくなる傾向も見られる。多くの場合,
ゲームは台湾側の失敗で幕を閉じたが,結果的に 両岸関係にもダメージを与えたことは否めない。
両岸関係が有するこのような特徴及び長期の分 離・分裂がもたらした双方の心理的差異,経済,
軍事,外交等のギャップに鑑みると,統一する前 の過渡期として,両岸間にある種の広範な協議制 度(A Comprehensive Consultation Mechanism)を 構築することが望ましいと筆者は考える。このよ うな制度を通じて,両岸関係の激変,とりわけ台 湾側の政権,指導者交代による両岸関係への打撃 を避け,両岸関係の安定した発展を確保し,最終 的には国家,主権をめぐる認識の違いといった政 治的対立も解け,統一することが期待できる。
かかる制度が有効に運行するため,両岸間にあ る種の協議機構は設立されることが良いであろう
(例えば, 「協議委員会」)。共同の協議機構は少な
両岸関係における協議制度の構築
くとも次のような特徴を有することが望ましいと 考える。 1. 独立性:共同機構は両岸当局の同意の 下で設立し,両岸当局の授権で両岸関係の調整と 処理を行う。一旦機構が設立されると,それは両 岸当局に対して独立した「第三者機構」になるべ きである。 2. 権威性:国家,主権についての認識 等高度政治的問題を含めて,両岸関係に関わる共 同機構の提言や諮問意見に対して,両岸双方は具 体的行動を通じ実施しなければならない。 3. 安定 性:両岸共多くの問題に直面していることに鑑み,
共同機構は「過渡期両岸関係を維持する」常設
(permanent)機構となるべきであり,その機能は 双方の指導者の交代や政治家の発言等の突発的事 件によって影響されるべきではない。 4. 代表性:
民間,当局,経済,学界,文化,少数民族代表等,
共同機構のメンバーは双方の社会各界を代表すべ きであり,協議課題も経済,文化教育,環境等非 政治的領域をはじめ,国家,主権についての認識 や国家安全等高度の政治問題,更に民主主義や人 権等人類普遍の価値にも及ぶべきであろう。また,
異なるイシューに対して,複数のグループに分け て取りかかるべきだが,分野によって性急に成果 を求めることは慎むべきである。5. 対等,協議:
両岸関係を調整,処理する基本的組織として,両 岸は均等なメンバーを派遣すべきであり,欠員の 時は随時補填すべきである。協議されるイシュー の設定や協議の結果について共同機構は「協議に よる一致」原則を貫くべきである。協議段階にあ る問題に対して,双方とも両岸関係を悪化させる 行動を慎むべきである(例えば,ある国際組織へ の台湾の参加問題について共同機構は協議の最中 なら,同問題がかかる国際組織で議論されるため の提案を行わせるため台湾は一方的に「友邦国」
に働くべきではない)。
おわりに
内戦の延長として長期にわたる分離・分裂を導 いた事例は長い中国の歴史の中では決して珍しく ない。しかし,現代国際社会で 60 年も続く分裂状 態はやはり稀であろう。したがって,統一するま
での過渡期において既存の見本を発見するのは難 しく,中国内外の各種の経験を吸収するうえで,
両岸の現実に見合った,両岸の心情を考慮した新 しい枠組を創造的に発展させるほかはない。中国 内外の経験からいえば,ソフトの問題解決の方式 として,協議制度は当事者の大小を問わず,特に 弱い側にとって明確なメリットがある。 2009 年度 WHO 年次総会への台湾の参加は両岸関係における 協議の積極的効果を示した具体的事例といえる
(14)。 改革開放政策の深化に伴い,疑いもなく中国の 総合的な国力は更に高まる。これは多くの意味で 両岸間のギャップが今後益々大きくなることを意 味する。かかる大環境の下で,ある種の広範な協 議制度は双方の利益を擁護し,双方の関係を安定 化すると同時に,徐々に双方の対立と誤解も解く ことになるであろう。本稿での検討が示すように,
台湾海峡を挟んでかかる制度の構築が可能である。
注
* 本稿は2009年11月1~4日に北京で行われたシンポ ジウム「両岸関係の新思考」(北京大学台湾研究セン ター,「グローバル華人政治学者フォーラム」が共催)
における筆者の報告の日本語訳である。翻訳にあたっ て,内容上の修正を若干行い,註も追加した。
(1) 台湾と中国大陸の関係の複雑さは法,政治の次元に 止まらず,両者の関係史が示すように,呼称の使用だ けでも時々大きな論議を呼び起こす。日本では「中台 関係」は最も良く使われる表現だと思われるが,文脈 によって「中台」が「一つの中国,一つの台湾」を意 味すると批判される。本稿は現在中国大陸と台湾の双 方とも良く使用される「両岸」という表現を用いるこ とをお断りしておく。
(2) 1979年元日の『人民日報』トップに「中華人民共 和国全国人民代表大会常務委員会」の名義で「台湾同 胞に告ぐ」(中国語名は「告台湾同胞书」)のアピール が掲載され,中国政府から台湾側に対して30年間も 続いた両岸間の対立状態の解消を呼びかけ,その具体 的措置として両岸間における「三通」(郵便・海運・
通商関係を結ぶこと)の実施が提唱された。「三通」
自体は当時台湾側に拒否されたが,このアピールは中 国政府の台湾政策の変化(「武力解放」から平和的に 統一へシフト)の始まりであり,今日の両岸関係の転 機となった。
(3) 21世紀における中国の平和的発展戦略として,2003 年に「和平崛起」が中国から提起されたが,「崛起」
(立ち上がり)が他国に脅威を与えかねないと中国内
外から指摘され,2004年以降,中国政府は「和平崛 起」の替わりに国際関係について「和平発展」(「平和 的発展」)を使うようになった。対して,中国国内の 発展について特に「和諧発展」(調和的発展)を使っ ている。
(4) 両岸当局間の委託機関である「海協会」と「海基会」
の間に行われた一連の会談は1992年に双方が合意し た「一つの中国」という共通認識の下で行われたか否 か。これについて民進党政権は否認したため,両岸間 に激しい非難合戦が起き,上記「両会」の会談も1999 年で途絶えることとなった。論争は基本的に二つのレ ベルに分けられよう。つまり,そもそも「92コンセ ンサス」があったのか,あったならば,その中身は何 なのか。「92コンセンサス」の全文とそれが生まれた 経緯について「92共识」(http://baike.baidu.com/
view/5731.htm),国務院台湾弁公室「两会商谈与对话 情况概述」(http://www.gwytb.gov.cn/lasht.asp)参 照。
(5) ほかに「中国人民政治協商会議組織法」と「中華人 民共和国中央人民政府組織法」二つの綱領的文書も採 択された。
(6) 楊奎松『中華人民共和国建国史研究1』江西人民出 版社,2009年9月,476-477頁。
(7) 台北駐日経済文化代表処「台湾ニュース」のうち
「2009年上半期両岸経済交流統計」(日本語),2009年 9月15日(http://www.taiwanembassy.org/mp.asp?mp
=202)。しかし,中国大陸側の統計によれば,2009年
最初の8ヶ月に大陸から台湾への訪問回数は45万回。
国務院台湾弁公室「大陆赴台旅游人数突破45万人次」
(http://www.gwytb.gov.cn/index.asp)参照。
(8) 国務院台湾弁公室「中国民航局代表同台湾华航代表 关于交接华航货机,两名机员的协议及交接书」
(http://www.gwytb.gov.cn/lasht/lasht0.asp?last_m_id=5)
参照。
(9) 国務院台湾弁公室「两会商谈与对话情况概述」
(http://www.gwytb.gov.cn/lasht.asp)参照。単純に「最 初の書面合意」なら,前記中華航空貨物機の返還合意 となろう。これは両岸当局による授権ではなく,両航 空会社が独自に行われたものとされている。
(10) 国務院台湾弁公室「国台办新闻发布会实录(2009 年10月14日)」(http://www.gwytb.gov.cn/xwfbh/
xwfbh0.asp?xwfbh_m_id=118)参照。
(11) ほかに例えば,諸国の経済的権利義務憲章第3条,
国連海洋法条約第142条,ILO条約第169号第15条,
国連先住民族権利宣言第19条等参照。
(12) WTO協定付属書Ⅱ(「紛争解決に係る規則及び手続 に関する了解」)第11条,第12条7,10項参照。
(13) 勿論,EUは単純多数で決定を行う投票がない訳で はない。手続事項や非重要問題について,欧州理事会 はそれぞれ「単純多数」と「有効多数」の投票制度を 採用している。
(14) 1993 年から,台湾は毎年いわゆる「友邦国」を通
じ,国連への参加を求めたが,失敗の連続であった。
同様に1997年から台湾は「中華民国」,「台湾衛生当 局」,「台湾」等の名義でWHOのオブザーバーまた加 盟国となることを求めたが,やはり失敗し続けた。馬 英九が当選した2008年に台湾はWHOへの参加を求 めなかった。最終的には2009年5月に台湾が「中華 台北」の名義でWHOの年次総会(WHA)への参加が 認められ,同大会第7番目のオブザーバーとなり,長 年に渡って挫折し続けた台湾の「国際参加」は一歩前 進を果たした。WHAへの参加が成功したのは,台湾 が大陸側と「調整と協議」をし,大陸関係方面の諒解 を得たことが大きいと思われる。国務院台湾弁公室
「国务院台办发言人就中华台北卫生署派员以观察员 身份参加世卫大会发表谈话」
(http://www.gwytb.gov.cn/index.asp)参照。