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日本救世軍山室家の女性たち 民子 ・ 富士 ・ 阿 部光子 (1924 年〜 1944 年までを探る)

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(1)

日本救世軍山室家の女性たち 民子 ・ 富士 ・ 阿 部光子 (1924 年〜 1944 年までを探る)

著者 牧 律

雑誌名 明治学院大学キリスト教研究所紀要 = The

bulletin of Institute For Christian studies Meiji Gakuin University

巻 49

ページ 221‑254

発行年 2017‑02‑09

その他のタイトル Women of the Yamamuros : Tamiko,Mitsuko,and Fuji

URL http://hdl.handle.net/10723/3079

(2)

牧  律

富士 (1924 年 1944 年までを る)

筆者は日本 に いて まで

研究を てきた , たに に する資料 1944 年

19)に 9 月 に 日 を読 会を まで る と でき た 学 中 の いて,一 をする と た。

また では の 富士と,富士 き

た 部 (1)に いて , まで と 紹介 た の を たに る とと り, と に までの えた の を に紹介する。 た の き は

,他者 に一 を たの一 は た と し た(2) した で 。 のよ い 本稿の基 に る(3)

(3)

  に いて

の動

文部 に 学 として ,一 る と た , 学に リ で を決 した までの に いての まで てい い。

資料館に ている 2 年月 月 20 日に

に提出した の 歴書の ーによると, 1924 年(大正 13)3 月東京 大学 , 年 月 リ 大学に 学し,1927 年( 2) 月 大学文 社会学部を した。 の 月 9 月 大学で社会学 び 文学を , の

ーン の ル スを中 に社会 を行い,

年 9 月 ロン ン 学と る。

学を決 した で る , の に いて

(4)

ている は と 見 た ,筆者 する と でき たのは『 』1949 年 9 月号に掲載 して に 出たー とす に で る。

代 は 学校 し たのです ,東京 大学に

学しました。 の に する しい え,未 の に

のでした。

いい きたいー は 文学 た の大き の一 でした。

また。 の常の の た のよ に,い と

て のでした。 には の未 しい の のよ に しい のに るのでした。 して にはた のた にの いて一日中 し し

ている の , の を と とて え たのです。

の にいては, は に い。 でき い し い(4)。で は を し していました。 とと に る き 。 一 の を き 。 は日 の二 を え ました。 して の の と の を見出 と を い たのです。

は 学校 学中に 士 に て しい と

に 表 た と り, の とで

( )。当 社会 として に

で るた ,当 ので した とに

でいた。 とのできる海 を る と できる で ると えたの は当 で

した は, の で る とを

リ の で き きと 学に勤し , は 養所に 院する し, に ま した を る と

(5)

できたと している( )

し し したとい の において , た ていた では いよ

の 書『 は 遠にー と 』には, リ で 二 紹介 ている(7)

イを出 した と い の を書 ので る。出

日 に て , 海の 全を る日とては た

論 の の はと に, 基 に きて る を る

ので る。 に りは りし ,海は りし , の たい する。し し の とより大 のは, の とで る。 と

都 に いて, て の の に ので る。

して出 の に たよ に, いセ ン リイの では ,

は ,ま の と の とを , を て よ の

を し よ の いを るには, した き と の 準 で をする をと て たい。 とい に り,

と ままを す。 の とき の る 年の で た。

より 所の の一を 行しえ い する所は に たので る。千本 て トルを ,加 の る由 た( )

二 日の で出 た で る。 には り し。 に

に て るの より しい。 は に添田, び

の を し る とに た。 は トリ ルの研究

をして る ,他の二 は一年 士 学校に る き で る。

の出 は して に る しい。 し 。 を大 に

たい。

(6)

に ま て の に を , の きと とにす て たい。 を る。     1924 5 2 

  月1日 より ,(中 ) 月 12 日は の 日 ー

タ ル ス ル ー ン ー ー ( 名

)の中, の を読 で を た。 , の の お に て る に るので る。(中 )お はおまえで でき い

の を す に て しいと るの 。日本の と教

養 る の士 を要する。 お の一 として る

にと は の に る とを い。 の の を とを。 に行 た お の に し とを ている。

と 行中 。

中校 の他 し 。(中 ) 大 に い。

192 .7.1  

において 一 に とは, の と の とを の いを る を する 者に とい とで る。 

いセ ン リイの のは, 一 の

行 学する 的として掲 るスキル 学 を る の ので

を は全 の い のとして り てている。

に 2 では の の お に て しい

本の には教養 る 要で り るよ に

ている と した他者 に一 を る き して いたいとい の い ている。

の本当の を見出 した にと て, る のよ

(7)

は, の いの する ので り,読 たびに のでは い と える。

 また 学中の と い りを たと え いる。 おおよ の 歴で る。

(1 3 1940.10.10)は 日本 教会牧師 に で る。1902 年 スト ンスター大学に 学。

日本 A を し の会 を た。

1909 年 リ の リ ス教会の牧師と り スタン ー 大学で学 。1911 年大 (9) した 教 の基 教 。 の一大 たの ,1911 年 欧し, 本 に行 た りに に寄 た に出会い, を決 した とで る。 として 191 年はる る東京に は, 士 学校で 年 学び び リ の で している。

と に に 依した , までにおいて 1912 年 2 月に発 した A の 代 る , に の

りは と によ ていた(10)

は の の中で 中校によ し とい を書き添え ている。 の 書の中で に る

た と している(11)

の決 を た とに いて,

ている で る(12)

月二 日 書 有 , リテ伊 テ

見 。 ル 年 キ リ,大 ビ リ タル

(8)

, 大 ル 有 , ト キ ラズ 。 キ

,大 ビ ラスル リ , ル

テ, リ ,イ テ,

ス 。 決 , テ 。 に 書 テ

, 学校 テ,所 由 学 教ヘ ,

ト ル ト 調 ル , 一 ラ ス

ル ル リタル所 有 , 力 ラ 。

, ロン ン ヘ 月 行 タ ,士 学校 リ ル

テ, ラ , 中 ラ 学 ス , スルト ラ

リン テ,一年 ス リ セ ト , 出 ラ

号 テ, ー 中 テ,別 リ 。 島 田

テ , テ タ 。 テ中 ラ

士 学校 日 , ラセ , ,

程 定 ル ト ラン 。( 講日 月 日 ラ )。

テ ,大 ス , テ キ 。

テ プ, ー 中 キタル所

リ, ヘラ ン 。 テ , 日

ルト , 力 依頼 。

ヘ ヘ 。  。

 

    

の中で 決 を非常に でいる , のよ にして た に いては てい い。し し 4 月 27 日 で を伊 り, の として の 書いているので, の ると え

る。

(9)

また特に印 的 のは,

に いて をしている で る。 学校(13)

で 由 学の の教えに する た と,し し をよ 見て たので, の ている部 で る(14)

の決 を たので る に士

学校に 学できるよ ー 中 に依頼する りで る と, のよ は を えるので,士 学校の 学日を るよ にと に依頼をしている。 の文 は, の決

翻え に, を 学 よ と画 し, てる を と とする 見えて る。

は に 基 を 海 に き に出

会 た とで に し, までのキ リ を てて に を投 た 教的 の い で る。 のよ , は として を に していたのでは

い と る。 え一 中の をしたので

は い

また は の より の 1927 年( 2)に, に る 教は で る とい を『 』2 月号に発表し,

た に のよ に い ている(1 )

( ) を て に し , を に きる者と し ,

一 一 に を するとい 要 る , では一

ている。 の を にしては, 治 教育 て

で る。 お は格別に の に を 。 を

て の の に 。 に 限り の の に 。

有 にして しい とい のは て他に いので る。 はお

(10)

に の と り, の に一 を て, の 力

を とをの , る。(中 ) の 中をよ り

を え よ に て いたい ので る。

を掲載した『 』2 月号 年 1 月に 4月 27 日 で る とを えると,お の決 をする に の を読 のでは い , し て の の決 の しをしたのでは い と筆者 する。

の ー 治に する

き 』の 者 原 り , の い い を決 たのでは い ている(1 )

を読 とい は い , てい

る に にした は否定でき い。

に一 る と にと ては する との に る否定でき い大 で たに い い。

リ で を決 た の を に

ている , え は 全

とい に た を大 た ラン ス ルに (17)と , び た の は, 一 の きでは い, のた , のた に い,

のた に また を ります。(1 )とい よ に,

た表 で の を表している。

し し 書を した , に す る 所(士 士の する規定に )は まで して

(11)

おき, の規定の 行を 読した , いに es と したと ている(19)。また リ の大学 代の したい て た とを 年 している(20)。 のよ を読 と,

でき い の士 には りた

するし, のよ ールするよ 決 の を読 た びに, のよ 表 を いて を い た た に る

るので る。

は リ 大学 学中,日本 学 で全 を したのは たた 大 に ,大学

, 教授, A 者 の の に出 する 会 を たとい 。 して 寄 た には,お をして

したと している(21)

のよ を読 と, の に した

では た , 日本 キリスト者 基 教 会の千 のよ ,日本 して るキリスト教 の

の で る に大 に るのでは い と える。

すると, 決 は の の 択に 大き 介 している ,

し, の ししたで , の

, の 的 決 に を えたと える きで

しい学 リ を り,

(In erna iona rainin o e e)に 学する。

ondon の enmar  Hi  に る i iam  oo h  o e e 資料 館(In erna iona  Heri a e  en er)に ている の 歴

(12)

ー ( a   er areer)によると, は 1927 年 9 月 23 日に に 学し, 年 月 7 日に している。 日 見 い士 ( ro. a ain)と り, 月 10 日には s e ia rainin を

, 月 24 日に未 の と で る o and(22) ている。

o and は 1912 年に で, 年 は 書の中で 当 社会 部は非常に大き , の本

士 は 00 , の の で の は 3000 を りま 。 本 は しい を企てているの です , の中で ているのは の き と い ます。(中 ) ース て『 の きは の社会 の中の

のの一 です。 で ると

です。』( )と ました (23) にお 部の きの大き に いて紹介をしている。

は o and では ass ow に る

の の , の他

り, 当の を た ていたと ている(24) た の を紹介していた H I

には(2 ) 執筆の 掲載 ている。筆者 した限りでは 1929 年に掲載 4 (1月, 月,9 月,10 月)と,1932 年 12 月号に掲載 ている 1 を見る と できた。 の4 で る。

omen s o ia or in o and a ain ami amam ro an ar 1929 ass ow で をした に見た

ルターの の紹介。

he enin o he Ai man en ide Home a h des ri ed a ain ami amam ro 1929  の紹介。

(13)

a an in a i ornia a ain ami amam ro

9 月 10 月と二 に り掲載。 の と の の紹介で る。また リ

た の と,日 のた に した

のた の の紹介 ている。

o he rison Ho se How o er 7000 a anese ir s ha e ed o he Arm rom orse han a er a ain ami

amam ro e em er 1932

によ て まで 7000

た と, ー の と を紹介している。

H I には 内の では 掲載 ており, 内にお る の きと大き

で る。 の のは に書 ので る。

で社会 の研 を とを, の ロン ンを の 決 たと している(2 ) はロン ンに お る 部会 に出 するた , の年 いるので, の に 日本 で に とを 定して

o and での たので

した た出

を 書で紹介している (27) 士 た の き りを見 しはし りとしていて, の きを

とする る。

また 加えてお に る の 歴 ー には,

1939 年に o a ashi  h o とい した と いた。 者の名 ている資料を全 日本で にする たので,筆者はロン ンの資料館で て の名 を る

(14)

とと (2 )

で研 を は1929年( 4)月大 ( a ain)

に 格し, 年 月1日 で日本 出て は 1929 年( 4) 1941 年( 1 )

て日本基 教教 るまでの 12 年

を日本 本 に所 し,士 学校教 , ,社会部 のた の を歴 した。

すると常 していた で として社会 と教育 の部 に いた。 の他東京 大学の 調 委員,

委員 勤 ていた。(29)

『 の を して 日本 の歴史 2

(1927 194 )』では,1927 年( 2) 193 年( 10)を

の 代, の の 193 年( 11) 194 年( 21)

までを の 代としている。し し の き した たとはいえ,1931 年( )9 月 による ,東 の 発による社会 者の 大

社会 と 代は り てい た。 のよ の中で 193 年

13)には, 内部で する

り, の内 は た。 第に の中は の 代 と でいた。

のよ の 代の まりと える 193 年( 11)に,『寄 の 』『日 基 教 』に 年に て掲載 た。『寄 の 』

した 17 までの

を添 の 藤を した で る。3 とい は, を書いた とで き日の 藤

(15)

し, した する を 定しているよ に見える。

し し の ,特に 12 年 1 年までの , では とい た のの, の は

1934 年( 9) 藤富士と

1937 年( 12)

1939 年( 14)3 月 14 日 , o a ashi h o と 1939 年( 14) 富士 イルス にて ( 年 39 ) 年

1940 年( 1 )3 月

のよ いた に いて,『ときの には のよ 掲載 ている。

,特に の す き とを 調している。

に を ます いで る の を慎

よ にと び ている。

第一千 号, 1 年 2 月 11 日

しい   ー と

1 月 1 日 で の の 会 を 中 校 の 会 に て 第一千 号, 1 年 3 月 1 日

中校

ルス 見 いに 。23 日 会館にて講 , の 士の を 行。

(16)

第一千 号, 1 年 4 月 1 日

に るまでの との会 によ て日 ている。 1 年 月 1 日 7 月 1 日まで に たり掲載。

のよ を読 と, の においては, 常 の士 としての , として の筆 介 者の を否

ていたと える と できよ 。

  富士に いて

の 富士に いて紹介しよ 。富士の 富士

』より

(17)

き 書き した『評 富士』(30)によると, は 1901 年(明 治 34 年)11 月 17 日 の に 藤 として ま た。

学校の 学校 学

たとい 。

は,明治 4 年 月 12 日 ま 。 田大学 東京 学校 治 に学び では 10 40 年

員を 行 0 年に し, 者と して表 した で る , の は代

てきた ので たよ (31)

また の は, 基 教 社会 明治 3 年 ,富士の により教会員と ている(32)

富士の基 教 の は, ,特に 代の 大きい

した 192 年(大正 1 )に 代 の特別 会に 加した と とい (33)

の 富士は 1919 年(大正 )9 月第 1 として 士 学校 に 学,士 学校教 に た ,192 年(大正 14) 月 に し,一年 欧 的に 研究している。

士 学校では 律を に担当した , に当 としては たよ で,富士の で る士 学校校 田大 は,

富士の の 代によ として の部 に た と りました。(中 ) の た

に して ると る。 のです

に りました。 と い出を ている(34)

1934 年( 9)12 月 10 日(月)富士は した。 11 年 4 月 30 日 ,13 年 4 月 日 。し し

14 年 より , は の イルス と 名 定。

14 年 月 11 日に 。 年 39 とい 年に た

(18)

た。

の に富士の い までの , して の の すると,富士の は, する る とに

( 3 ) たよ に,富士 また 学

に基 教を の とで 的に

ま 豊 教育を た。 して のよ 育 の の中で, 明で 的で , に する き より しい , のた よ と 士 に る とを決

している

して 二 の とい の教えを

た を他に は りま (3 )と 年 たよ に した を き, を て は, 川正 の『 島の 』の 書を にして非常に し, 文 に て二 の の 士と して ると たとい (37)

のよ 富士の は, の に 第一 と書き した と (3 )

として に い

る。 は に いて とに 当の の として ま た ,

する ので り,全 一本の

の, を き, を し, を き のにして, を に興 るに (39) ている で る。

本稿では の き いては い ,

のよ の り は, また で基

に きる,所 の を (40) き を び, た。 は しい の り りをし の と

(19)

とを と の で育てるとい , 的に 的に

藤と た。

,教育を る 会に ま た た は当 の 社会では たは の リート に し,他者 に する き を した

に筆者は を いている。 にと て他者のた に にす る と, 究 の 表 で たよ に (41)

では富士の たの 富士

に する 的 資料は『評 富士』 に と てい い , 年 で る 部 書いた『 (42)には,富士

と, と 定

ている。 とい のは富士の , の とは の とで ると できる。

( ) の で を たのには, る。

の 院の ,本 に を ると, に出てきたの の で また 院です 。お金 ります 。 と た。 の は まで の と を にしていた。 の で しいのはおと ま ,と た。

(中 ) の の を た で, の は た。 の

決ま て の は と との で た。 のです

,いいと のに 中, して を , を です に にました。 の は3 に るのにお と てい , たりの を き た た し の は一 り 二 りでは いま でした。

中 では の 会にで ま し, の を い

(20)

ました。 の とを りました。

のよ に富士は 内では に を い, で るに

, の り いたので では る ,

富士の と,

士を に, る 院で 出 の をし,富士 き は

する の正 ている

よ に

文学 を した『 い (43)に代表 る,

の内 を とした を書いており,『 ンル に る ので る。 では る ,当 の 資料と り ると える。

のよ に富士は 1939 年( 14)に した , の

者の , 年 では い 。また

に の 書『 』 発 と り, に の 日本

する とを の名

を, した で る とを 由に

するよ に い 。 のよ

したので る。

  部 に いて

本名は で り, 部 名で る。 し の として 1912 年(大正1)12 月 2 日に ま た。

で る , したので一 のよ に育 たとい

(21)

は 本出 で 富 の 者で た , 社 社 ,京 日 社 を勤 , として

し, (44) たよ

し は 二 の ま で, い 教会 で き日の の を き に る決 をしたとい 。 学校 学中 ーリタンの 教育を 教会の 川

牧師 は日本基 教 会で ての有 員と して『 』の で る(4 )

のよ に ス リタンの , の に とい お る き ーリタン の (4 )とい ,当 としては で育 で る ,日本 大学校 学中に 加の

校を中 する。

は,1941 年( 1 )に

(『文学 』) た。 ていた ,

(『 』)で第 するまで

(『 ち』 ,2004 より

(22)

い日 いた。 の 0 を て日本 書 学校に 学 し, は日本基 教 川教会牧師と る。 では の で る の他に 育て,200 年(

20)に 9 を全 した。

に いては のよ

る。

イ スキリスト 明日の とを い とお し たのは全 のと おり と い しましたのは, , を いた いといいました

の い は いと い でいましたと は い ので の ての い と 者 いたのです。(中 )と に と る ので,

の を とい のです。 は いと いました ,一 る と を て して よ と い, は を書きます , で よ います と ました。するとまた の は 書には い りて の し き を と と る , を ルにして を書いて まいま とい のです(47)

また を す に日本 大学の社会 学 に 学し ていた は, の学 択の を 決 するとき, ままを て る と い と ていた は を び,当 のた を して 発していました , のお の力に と決 いたしました。(4 ) ている。

し し との には したよ で, した 学校 まで に て よ とする 『一 の

』に いている。

(23)

は すると決 した の 所に 年 でいたので, りに

した と の と て で て 会

の と の で イルス とい たに い で

(富士)の とを と り, の とに る とはと で い と と た(49)

リス ンの に育て ,キリスト教 に基 を内に ていた は,2 の を えた に, を書 を 容 た とで を決 した。他者 の と執筆

の二 できる き を 択できる と, にと て との た大き 要 る。 まり また

の した 他者 を内に ていたので る。

のよ に した は, を筆 とした の一員に り, の を養育し 文学を てい を 択した , す に の は容 のでは , の 文学 を るまで い 代 いている。

一 は の評論 の『 い 』に いて の中で 的 発 をと ており,

でいる ので る( 0) ている , に 本稿の で り た『 』の中で き富士に いて

い 全 の り で いとす

たの 。また

ていたの を る りとして 年 19 年に

て書 資料館 り,

(24)

よ て の を る と た。

  の日

日 は 1944 年( 19)1 月 12 日 9 月 1 日まで ており,当 は でいた ( 1)で に ,当 と き いの との

ている。

は日本基 教 に所 し, ,第 部 委員として教 の で いていたので,日 には のキリスト者 の名 を る と できる。

の には ( 京勤 で ), , の

, して 富士の で る (7 )と ),

, してお いの していたよ で る。

たよ で,

まりに ている。 の してま

( が い),

(25)

一年 で る。

と名 部 は教 で る第

11 部 に り,社会 部は教 の として 日本基 教 ていた。 の 年 3 月 を て日本基 教 は部 を して完全 と り, した

基 教 日本基 教 た。 は し

を し, 料の調 に 大き

たよ

では に日 の一部を 紹介し,日 とを して よ 。

に いて し, を頼 をしている。

1 月 3 日(月) 富 寄り の とに して いて る。

2 月 3 日( ) の とに き す。

3 月 22 日( ) として勤 の とと る。決

ま て た。 原 行 た。

を大 に ,特に た とは い。

2 月 19 日( ) にて, にお

に る。お しい。

に 会 。 の )の とをお したり, たりした。

一 の とをお した。 の 金

(26)

に え い。

3 月 19 日(日) は で しい のを た。

の に と行き, き て しを る。 と に 行き,

に る。 た。

月 24 日( )

きた白 の た ,また し た

た。

る。

し, の に日 に

している。 して , は の とよ 二 を見ていた。

1月 日( ) て, のし の を て

1 月 29 日( ) い中に き を いて出 る。

いのに るのにと し,い

る。

て行 た。

4 月 3 日(月) の )の所 い

たので に行き 原で し

7 月 29 日( ) (中 ) に一 お を す と たよ でよ て しい。

に する で る

には とい いるので, の とは と し ている。 を しい しで見

(27)

よ に お としている る。

の日 では に する いた とは てい い。

1 月 7 日(金) 大いに 力するので し,

た。

2 月 2 日(金) で 日 者に行 たと いた のよ で した。

3 月 12 日( ) は横浜 た , は る。 た を

とお をの

4 月 1 日(日) 日の は一 い, の 別と

たよ で執る。 のお

の寄 ,イン ン 月 12 日(金) にて のた 提 を た。

月 19 日(月) ター ンを一

たい では

は い。 のた 文 , ,筆

また に 書き る。

月 27 日( ) にトラン を る とを

た。とに にター

ン, ーをお中 として す。い いで し。

) 文学の会に出 する に に 出している る。

1 月 10 日(月) ,学校 田文学の会に行 。 1 月 11 日( ) 行 。

2 月 20 日(日) (中 ) の会で 出した

(28)

ので をした。

4 月 23 日(日) ( 2)に行 りに行 。(

月 27 日( ) 文学 会 会に 行 。 る

いとの

所により を す。

文学 の は きりと ている。

り, たり りに ン したりし

ている ている。

2 月 1日( ) 出 寄り を見ていた

(中 ) を読 。

4 月 23 日(日) 一,二 ララ 月号 読。

月 22 日(月) にて 藤 てお た。 の 島 の を見

まい と てお

た。 に いては の と り びる き の び いでいると

た。また 書いている とい るので印刷の見 お えすると, はい 印刷に ると のを書いていると た。   , , 読 。

月 日( ) 井 に行 。 との とで

た , 日本 を き ,本格的

して ては とい お で,

した。

(29)

中 ので, する 表 てい

る。 え, している

る , に を い,

ている。

3 月 23 日( ) 会に き に し

白 と 寄りす

スープを ,おいしいトースト とリプトンテ ーの て しを た。

月 23 日( ) ) は のお で

る。 てお たので 。文

りの 海の び, の たお料 を に し した。

月 12 日(月) ) リン り りし え , いの セイと い のを一本 て

に ー ター一 添え 川 た。

は 日 りをしてお る由,お りを

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参照

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