日本救世軍山室家の女性たち 民子 ・ 富士 ・ 阿 部光子 (1924 年〜 1944 年までを探る)
著者 牧 律
雑誌名 明治学院大学キリスト教研究所紀要 = The
bulletin of Institute For Christian studies Meiji Gakuin University
巻 49
ページ 221‑254
発行年 2017‑02‑09
その他のタイトル Women of the Yamamuros : Tamiko,Mitsuko,and Fuji
URL http://hdl.handle.net/10723/3079
牧 律
富士 部 (1924 年 1944 年までを る)
は に
筆者は日本 者 の に いて まで を
研究を てきた , たに に する資料 1944 年
( 19)に 9 月 に て た の 日 を読 会を え , まで る と でき た 学 中 の に いて,一 た をする と に た。
また では の の 富士と,富士 き に
た 部 (1)に いて , まで と 紹介 た た の を たに る とと り, と に までの を えた の を に紹介する。 た の き は の と
,他者 に一 を , に たの一 は の の で た と し た(2) の を した で た の 。 のよ い 本稿の基 に る(3)。
に いて
リ の動
は 文部 に 学 として ,一 に る と た , 学に た リ で を決 した , までの に いての は まで てい い。
資料館に ている 2 年月 月 20 日に
年 に提出した の 歴書の ーによると, は 1924 年(大正 13)3 月東京 大学 , 年 月 リ ル 大学に 学し,1927 年( 2) 月 大学文 社会学部を した。 の 月 9 月 大学で社会学 び 文学を , の
ーン ス の ル スを中 に社会 を行い,
年 9 月 ロン ン 士 学と る。
ま リ 学を決 した で る , の に いて
ている は と 見 た ,筆者 する と でき たのは『 と 』1949 年 9 月号に掲載 た は して に 出たー の とす に で る。
代 は 学校 し たのです ,東京 大学に
学しました。 の に する しい え,未 の に
のでした。
いい きたいー は 文学 た の大き の一 でした。
また。 の常の の た のよ に,い と
て のでした。 には の未 しい の のよ に しい のに るのでした。 して にはた のた にの いて一日中 し し
ている の , の を と とて え たのです。
の にいては, は に い。 でき い し い(4)。で は を し していました。 とと に る き 。 一 の を き 。 は日 の二 を え ました。 して の の と の を見出 と を い たのです。
は 学校 学中に 士 に て しい と
に 表 た と り, の とで 当 い
た た( )。当 社会 として に た の
で るた ,当 に ので と した とに
は でいた。 え と を とのできる海 学 , の を る と できる で ると の えたの は当 で 。
した は, の で る とを に
リ の で き きと 学に勤し , は 養所に 院する た し, に ま し した を る と
できたと している( )。
リ の
し し は に したとい の において , の 力 全 た ていた では いよ 。
の 書『 は 遠にー と 』には, リ で た の 二 紹介 ている(7)。
イを出 した と い の を書 ので る。出
日 に て , 海の 全を る日とては た
論 の の はと に, 基 に きて る を る
ので る。 に りは りし ,海は りし , の たい する。し し の とより大 のは, の とで る。 と
都 に いて, て の の に ので る。
して出 の に たよ に, いセ ン リイの では ,
は ,ま の と の とを , を て よ の
を し よ の いを るには, した き と の 準 で をする をと て たい。 とい に り,
と ままを す。 の とき の る 年の で た。
より 所の の一を 行しえ い する所は に たので る。千本 て トルを ,加 の る由 た( )。
二 日の で出 た で る。 には り し。 に
に て るの より しい。 は に添田, び
の を し る とに た。 は トリ ルの研究
をして る ,他の二 は一年 士 学校に る き で る。
の出 は して に る しい。 し 。 を大 に
たい。
に ま て の に を , の きと とにす て たい。 を る。 1924 5 2
2 の
月1日 より ,(中 ) 月 12 日は の 日 ー
タ ル ス ル ー ン ー ー ( 名
)の中, の を読 で を た。 , の の お に て る に るので る。(中 )お はおまえで でき い
の を す に て しいと るの 。日本の と教
養 る の士 を要する。 お の一 として る
にと は の に る とを い。 の の を とを。 に行 た お の に し とを ている。
と 行中 。
中校 の他 し 。(中 ) 大 に い。
192 .7.1
い の において 一 に に とは, の と の とを , よ の いを る を する 者に とい とで る。
いセ ン リイの と のは, 一 の
行 学する 的として掲 るスキル 学 を る の ので
, を は全 の い のとして り てている。
に 2 の では の の お に て しい 日
本の には教養 る 要で り て るよ に
日 ている と , した他者 に一 を る き を に して いたいとい の い ている。
の本当の を見出 と した にと て, る のよ
は, の いの を する ので り,読 たびに た のでは い と える。
の
また 学中の と い りを たと え る に いる。 おおよ の 歴で る。
(1 3 1940.10.10)は 日本 教会牧師 に 士 と た で る。1902 年 し スト ンスター大学に 学。
日本 A を し の会 を た。
1909 年 リ ル の リ ス教会の牧師と り を し スタン ー 大学で学 。1911 年大 (9) 中 と て した 教 の基 教 の に 。 の一大 と たの ,1911 年 欧し, 本 に行 た りに リ に寄 た に出会い, を決 した とで る。 を として 191 年はる る東京に た は, 士 学校で 年 学び び , リ の で に している。
の と に に 依した , までにおいて 1912 年 2 月に発 した A の 代 を る , に の
りは と によ ていた(10)。
は の の中で 中校によ し とい を書き添え ている。 は の 書の中で は 中 の に る
と た と している(11)。
は の決 を た とに いて, に
を ている で る(12)。
月二 日 書 有 , リテ伊 テ
見 。 ル 年 キ リ,大 ビ リ タル
, 大 ル 有 , ト キ ラズ 。 キ
,大 ビ ラスル リ , ル
テ, リ ,イ テ,
ス 。 決 , テ 。 に 書 テ
, 学校 テ,所 由 学 教ヘ ,
ト ル ト 調 ル , 一 ラ ス
ル ル リタル所 有 , 力 ラ 。
, ロン ン ヘ 月 行 タ ,士 学校 リ ル
テ, ラ , 中 ラ 学 ス , スルト ラ
リン テ,一年 ス リ セ ト , 出 ラ
号 テ, ー 中 テ,別 リ 。 島 田
テ , テ タ 。 テ中 ラ
士 学校 日 , ラセ , ,
程 定 ル ト ラン 。( 講日 月 日 ラ )。
テ ,大 ス , テ キ 。
テ プ, ー 中 キタル所
リ, ヘラ ン 。 テ , 日
ルト , 力 依頼 。
ヘ ヘ 。 。
の中で は の 決 を非常に でいる , を のよ にして た に いては てい い。し し 4 月 27 日 で 書 た の を伊 で り, の として の を 書いているので, の の で た は ると え
る。
また特に印 的 のは, 中 た
に いて 大 をしている で る。 は 学校(13)
で 由 学の を , に て の教えに する た と,し し をよ 見て たので, の を に と ている部 で る(14)。
に の決 を たので る , に士
学校に 学できるよ ー 中 に依頼する りで る と, のよ は を えるので,士 学校の 学日を に て るよ にと に依頼をしている。 の文 は, の決
翻え い に, に を 学 よ と画 し, てる を と とする の の 見えて る。
は に 基 を 海 に き , に出
会 た とで に し, までのキ リ を てて に を投 た 教的 の い で る。 のよ で た , は として の を に の を していたのでは
い と る。 え一 中の の をしたので
は い 。
また は の より の 1927 年( 2)に, に る 教は に で る とい を『 』2 月号に発表し,
の で た に て のよ に い ている(1 )。
( ) を て に し , を に きる者と し ,
一 一 に を するとい 要 る , では一
ている。 の を にしては, 治 教育 て
で る。 お は格別に の に を 。 を
て の の に 。 に 限り の の に 。
有 にして しい とい のは て他に いので る。 はお
に の と り, の に一 を て, の 力
を とをの , る。(中 ) の 中をよ り
を え よ に て いたい ので る。
の を掲載した『 』2 月号 年 1 月に , た 4月 27 日 で る とを えると,お は の決 をする に の を読 のでは い , し て の の決 の 的 しをしたのでは い と筆者 は する。
『 育 の ー の 治に する
き 』の 者 原 り , の い い の を決 たのでは い と ている(1 )。
の を読 とい 的 は い , てい
る に にした は否定でき い。 の
に一 る と , にと ては の を する との に は る否定でき い大 で たに い い。
の
と で は リ で を決 た の を に し
ている , え は 全 を と を の
とい に た の を大 た ラン ス ビ ルに を (17)と , び た の は, 一 の の た きでは い, のた , のた に て い,
のた に また の を ります。(1 )とい よ に,
に た表 で の を表している。
し し は 士 の 書を した , に す る 所(士 士の の する規定に )は まで して
おき, の規定の 行を 読した , いに es と したと ている(19)。また リ の大学 代の したい と を て た とを 年 している(20)。 のよ を読 と,
由 でき い の士 には りた た と
するし, のよ を ールするよ 決 の を読 た びに, のよ 表 を いて を い た た の に る
を るので る。
は リ ル 大学 学中,日本 の 学 で全 を し したのは で たた 大 に ,大学
, 教授, A 者 の を , の に出 する 会 を たとい 。 して の 寄 た には,お をして
に を したと している(21)。
のよ を読 と, の に した の
では た , に 日本 キリスト者 基 教 会の千 本 のよ ,日本 して るキリスト教 の ,
は の で る に大 に , た るのでは い と える。
の を すると, の 決 は の の 択に を い の 大き 介 している , に を
し, の を ししたで , の の の
の , の 的 決 に を えたと える きで 。
の
しい学 を た リ を り, に た は 士
(In erna iona rainin o e e)に 学する。
ondon の enmar Hi に る i iam oo h o e e 資料 館(In erna iona Heri a e en er)に ている の 歴
ー ( a er areer)によると, は 1927 年 9 月 23 日に 士 に 学し, 年 月 7 日に している。 日 見 い士 ( ro. a ain)と り, 月 10 日には s e ia rainin を
, 月 24 日に未 の と の で る o and(22)に ている。
o and は 1912 年に た で, 年 は 書の中で 当 の の 社会 部は非常に大き , の本 に
士 は 00 , の の で の は 3000 を りま 。 本 は に しい を企てているの です , の中で を ているのは の き と い ます。(中 ) ース は て『 の きは の社会 の中の
要 のの一 です。 は で ると に
です。』( )と ました (23)と にお る 部の きの大き に いて紹介をしている。
に は o and では ass ow に る
の の に , の他 所 の の
に り, 当の を た ていたと ている(24)。 当 の た の を紹介していた H I
には(2 ), 執筆の 掲載 ている。筆者 した限りでは 1929 年に掲載 た 4 (1月, 月,9 月,10 月)と,1932 年 12 月号に掲載 ている 1 を見る と できた。 は の4 で る。
omen s o ia or in o and a ain ami amam ro an ar 1929 ass ow で をした に見た た
の ルターの の紹介。
he enin o he Ai man en ide Home a h des ri ed a ain ami amam ro 1929 の の紹介。
a an in a i ornia a ain ami amam ro
9 月 10 月と二 に り掲載。 ル ル で に の と の の紹介で る。また リ ル に
日 た の と,日 のた に した
のた の の紹介 ている。
o he rison Ho se How o er 7000 a anese ir s ha e ed o he Arm rom orse han a er a ain ami
amam ro e em er 1932
の によ て まで 7000 の た
た と, の ー の と を紹介している。
H I には 内の では , の 士 の 掲載 ており, 内にお る の きと大き
る で る。 の の の のは に書 た ので る。
は の で社会 の研 を とを, の ロン ンを た と の 決 たと している(2 )。 はロン ンに お る 部会 に出 するた , の年 を て いるので, の に 日本 で に とを 定して に
o and での を たので 。
年 は で した の , で た出
を 書で紹介している (27), で の 士 た の き りを見 る の しはし りとしていて, の きを
とする る。
また に 加えてお , に る の 歴 ー には,
1939 年に o a ashi h o とい と した と て いた。 の 者の名 載 ている資料を全 日本で にする 会 たので,筆者はロン ンの資料館で て の名 を る
とと た(2 )。
の
で研 を は1929年( 4)月大 ( a ain)
に 格し, 年 月1日 で日本 本 出て の に 。 は 1929 年( 4) 1941 年( 1 )
に と て日本基 教教 るまでの 12 年
を日本 本 に所 し,士 学校教 , 部 ,社会部 び のた の を歴 した。
すると常 していた で として社会 と教育 の部 に を いた。 の他東京 大学の 調 委員,
委員 勤 ていた。(29)
と で 『 の を して 日本 の歴史 2
(1927 194 )』では,1927 年( 2) 193 年( 10)を
の と の 代, の の 193 年( 11) 194 年( 21)
までを の 代としている。し し の き した で たとはいえ,1931 年( )9 月 , による の ,東 の 発による社会 者の 大 , 定
社会 と 代は り てい た。 のよ の中で 193 年
( 13)には, 内部で を する と の
り, の内 は で に た。 第に の中は の 代 と でいた。
のよ の 代の まりと える 193 年( 11)に,『寄 の 』『日 基 教 』に 年に て掲載 た。『寄 の 』
は した 17 までの , の に
を添 き い の の 藤を した で る。3 とい の に た は, を書いた とで き日の 藤
し, した に する を 定しているよ に見える。
し し の ,特に 12 年 1 年までの , では の とい は た のの, の は 的
。
1934 年( 9) 藤富士と
1937 年( 12) の を に
1939 年( 14)3 月 14 日 , o a ashi h o と 1939 年( 14) 富士 イルス にて ( 年 39 ) 年
の 者 1940 年( 1 )3 月
のよ いた の の に いて,『ときの 』 には のよ 掲載 ている。
た
,特に の を す き とを 調している。
に を ます の いで る の を慎
よ にと び ている。
第一千 号, 1 年 2 月 11 日
しい ー と
1 月 1 日 で の の 会 を 中 校 の 会 に て 。 第一千 号, 1 年 3 月 1 日
の 中校
ルス の 見 いに 。23 日 会館にて講 , の 士の を 行。
第一千 号, 1 年 4 月 1 日
中 日
に るまでの の , との会 によ て日 で に ている。 1 年 月 1 日 7 月 1 日まで に たり掲載。
のよ を読 と, の は においては, 常 の士 としての の , として の筆 介 者の を否
担 い に ていたと える と できよ 。
富士に いて
に の の 富士に いて紹介しよ 。富士の 富士
『 』より
き 書き した『評 富士』(30)によると, は 1901 年(明 治 34 年)11 月 17 日 の に 藤 の として ま た。
学校の , 学校 学
を たとい 。
藤 は,明治 4 年 月 12 日 ま 。 田大学 東京 学校 治 に学び で 。 では 10 40 年 会
員を 治 行 0 年に し, 一 治 者と して表 た に した で る , の は代
てきた ので たよ (31)。
また の は, 基 教 社会 の を 明治 3 年 に ,富士の 代 の により教会員と ている(32)。
富士の基 教 の は, の ,特に 代の 大きい
, した 192 年(大正 1 )に 代 て の特別 会に 加した と の とい (33)。
の 富士は 1919 年(大正 )9 月第 1 として 士 学校 に 学,士 学校教 に た ,192 年(大正 14) 月 に と に し,一年 欧 の を 的に 研究している。
士 学校では 律を に担当した , に当 としては り 的 で たよ で,富士の で る士 学校校 田大 は,
富士の の ま 藤 の 代によ として の部 に て た と りました。(中 ) の た の ,
の に して ると と る。 のです ,
よ に りました。 と い出を ている(34)
1934 年( 9)12 月 10 日(月)富士は と した。 11 年 4 月 30 日 ,13 年 4 月 日 。し し
14 年 より を , は の イルス と 名 定。
14 年 月 11 日に 。 年 39 とい で 年に た
い で た。
の に富士の い までの , して の の き を すると,富士の は, と する る とに
( 3 )。 で たよ に,富士 また 学 を
, に基 教を る の とで 的に
ま 豊 教育を た。 して のよ 育 の の中で, に 明で 的で た , に する き より しい , に のた に を よ と 士 に る とを決
している 。
して 二 の を とい の教えを に
た を他に は りま 。(3 )と 年 で たよ に した を き, を て は, 川正 の『 島の 』の 書を にして非常に し, 文 に て二 の を の 士と して ると たとい (37)。
のよ 富士の は, て の に た 第一 と書き した と り (3 )。
は に の , として に い に
る。 は に いて とに に 当の の として ま た ,
の の を する ので り,全 一本の
の, を き, を し, を き のにして, を に興 るに た で た(39)と ている で る。
本稿では の の き いては い ,
のよ の り は, また に で基
に きる,所 の を (40) き を び, に た で た。 は しい の り りをし の と の
とを と の で育てるとい , 的に 的に 当
藤と を で た。
ま 育 ,教育を る 会に ま た た は当 の 社会では り 的 で たは 。 の リート で る た で に し,他者 に する き を した
に筆者は を いている。 にと て他者のた に を にす る と, 究 の 表 で たよ に る (41)。
の の
では富士の は で たの 。 富士
に する 的 資料は『評 富士』 に と 見 てい い , 年 の で る 部 書いた『 』(42)には,富士
と る の と, と 定 る の の
ている。 とい のは富士の , の とは の とで ると できる。
( ) の で を たのには, る。
の 院の ,本 に を ると, に出てきたの の で また 院です 。お金 ります 。 と た。 の は まで の と を にしていた。 の で しいのはおと ま ,と た。
(中 ) の の を た で, の は た。 の
決ま て の は と との で た。 のです
,いいと のに 中, して を , を です に にました。 の は3 に るのにお と てい , たりの を き た た し の は一 り 二 りでは いま でした。
中 では の 会にで ま し, の を い
ました。 の とを りました。
お のよ に富士は 内では に を い, で るに
, の に り いたので 。 では る ,
に の に 富士の と, の 富
士を に, る 院で 出 の をし,富士 き は
と の に する の正 に ている
よ に 。
は 文学 を した『 い 』(43)に代表 る,
の内 を とした を書いており,『 』 の ンル に る ので る。 え では る ,当 の の を る 資料と り ると える。
のよ に富士は 1939 年( 14)に した , の は
の 者の , 年 と では い 。また
に の 書『 』 発 と り, に の 日本
は 本 する とを , に の の名
を, を した と で る とを 由に と
するよ に る い 。 のよ に は
と したので る。
部 に いて
本名は で り, 部 は 名で る。 は 部 し の として 1912 年(大正1)12 月 2 日に ま た。
の で る , したので一 のよ に育 たとい
。
は 本出 で 富 の の 者で た , 社 社 ,京 日 社 を勤 , として を
し, と る (44) で たよ 。
し は と 岡 二 の ま で, い に の 教会 で き日の の を き に る決 をしたとい 。 学校 学中 ーリタンの た 教育を , 教会の 川
牧師 , は日本基 教 会で ての有 員と して『 会 』の に た で る(4 )。
のよ に ス リタンの , の に とい お る き ーリタン の (4 )とい ,当 としては り 的 で育 た で る ,日本 大学校 学中に 加の を
校を中 する。
の に た は,1941 年( 1 )に
(『文学 』) 川 と た。 を ていた ,
い (『 』)で第 田 を するまで
(『 に ち』 ,2004 より
い日 いた。 の 0 を て日本 書 学校に 学 し, は日本基 教 川教会牧師と る。 では の で る と の他に の を 育て,200 年(
20)に 9 の を全 した。
の
と の の に いては のよ の
る。
イ スキリスト 明日の とを い とお し たのは全 のと おり と い しましたのは, , を いた いといいました
の い は いと い でいましたと は い ので の ての い と 者 いたのです。(中 )と に と る ので,
の を とい のです。 は いと いました ,一 る と を て して よ と い, は を書きます , で よ います と ました。するとまた の は 書には い りて の し き を と と る , を ルにして を書いて まいま とい のです(47)。
また て を す に日本 大学の社会 学 に 学し ていた は, の学 択の を 決 するとき, ままを て る と い と ていた は 所 を び,当 のた を して 中 発していました , のお の力に と決 いたしました。(4 )と ている。
し し との には の したよ で, した 学校 の まで に て よ とする を は 『一 の
』に いている。
は すると決 した の 所に 年 でいたので, りに
した と の と て で て 会
の と の で イルス とい たに い で
(富士)の とを と り, の とに る とはと で い と と た(49)。
リス ンの に育て ,キリスト教 に基 の を内に ていた は,2 の を えた に, を書 を 容 た とで を決 した。他者 の と執筆 の ,
の二 できる き を 択できる と, にと て との に た大き 要 と る。 まり また
の した 他者 の を内に ていたので る。
の
のよ に と した は, を筆 とした の一員に り, の を養育し 文学を てい を 択した , す に の は容 のでは , の 文学 を す るまで い 代 いている。
一 は の評論 部 の『 い 』に いて の中で 部 の は 的 発 をと ており, の
の に を でいる ので る( 0)と ている , に 本稿の で り た『 』の中で き富士に いて た
い 全 の り で いとす , の は り で
。 の は で たの 。また は を
ていたの 。 を る りとして 年 19 年に 月
に て書 た の 日 資料館 見 り, に
よ て の の の の を る と に た。
の日
の
日 は 1944 年( 19)1 月 12 日 9 月 1 日まで 日 ており,当 は でいた の ( 1)で に す の の ,当 と き いの た との
ている。
当 は日本基 教 に所 し, ,第 部 委員として教 の で いていたので,日 には のキリスト者 の名 の の を る と できる。
当 の には ( 京勤 で ), , の
, して 富士の で る (7 )と ( ),
と , してお いの していたよ で る。
と は の に に 所 たよ で,
に まりに ている。 の は と してま
の ( が い),
い い は ( ) う の は う
年 一年 で る。
の に は と名 , 部 は教 で る第
11 部 に り,社会 部は教 の として 日本基 教 会 と , を し ていた。 の 年 3 月 を て日本基 教 は部 を して完全 と り, した
基 教 会 日本基 教 に た。 は し
を し, 料の調 の に 大き を で
たよ 。
では に日 の一部を 紹介し,日 明 に た とを して よ 。
の に いて し, に を頼 , をしている。
1 月 3 日(月) 富 に 寄り の とに して いて る。
2 月 3 日( ) , の とに き 。 と す。
3 月 22 日( ) は 会 として勤 の とと る。決
ま て た。 は 原 行 た。
を大 に ,特に た とは い。
2 月 19 日( ) 日 の にて, にお
に る。お で しい。 で と
の に 会 。 に ( の )の とをお したり, を たりした。
一 の とをお した。 全 の の 金
き に え い。
3 月 19 日(日) は で しい のを て た。
と の に と行き, き て しを る。 , と に 行き,
の の に る。 た。
月 24 日( ) ( ) , に て
きた白 の を た ,また し た
を 。 た。 は て
に る。
は の を し, の を に日 に
している。 と して , は の とよ 二 の を見ていた。
1月 日( ) と を て, に のし と の を て 。
1 月 29 日( ) い中に き を いて出 る。
いのに で るのにと し,い し
る。 よ に 出
て行 た。
4 月 3 日(月) , 部 ( の )の所 い
たので に行き 原で し 。
7 月 29 日( ) (中 ) , に一 お を す と たよ でよ に に て しい。
部 に する は 的 の で る
には とい いるので, の とは と し ている。 に て た を しい しで見 ,
の と よ に て お としている 見 る。
の日 では に する いた とは てい い。
1 月 7 日(金) ( ) 大いに 力するので し,
た。
2 月 2 日(金) の で 日 者に行 たと いた は のよ で した。
3 月 12 日( ) は横浜 た , は る。 た を ,
, , とお をの し 。
4 月 1 日(日) 日の は一 い, の 別と の 日
を たよ で執る。 のお ,
, の寄 ,イン ン の り 。 月 12 日(金) にて と のた 提 を た。
月 19 日(月) で ター ンを一 。 り よ
, に て たい では
容 は い。 のた 文 , ,筆
。
また に た の に 書き 見 る。
月 27 日( ) にトラン を る とを て
い を た。とに にター
ン, に ーをお中 として す。い いで し。
( ) 文学の会に出 する に に 出している 見 る。
1 月 10 日(月) ,学校 。 田文学の会に行 。 1 月 11 日( ) 行 。
2 月 20 日(日) (中 ) の会で 出した
ので と をした。
4 月 23 日(日) ( 2)に行 , の りに行 。( )
月 27 日( ) 文学 会 会に 行 。 る は
と た い いとの に
所により を す。
の 文学 の の は きりと ている。
を 読 り, を たり りに ン したりし
ている ている。
2 月 1日( ) 出 に に 寄り を見ていた 。
(中 ) を読 。
4 月 23 日(日) ( ) 一,二 ララ 月号 読。
を た き 。
月 22 日(月) 川 , にて 藤 と てお た。 の 島 の を見 た
し て は まい と てお
た。 に いては の と り びる き の び いでいると ,
た。また 書いている とい るので印刷の見 い 書 お えすると, はい 印刷に ると のを書いていると た。 , , 読 。
月 日( ) 井 に行 。 との とで と
た , 日本 を き ,本格的
に に して ては とい お で,
の し した。
中 ので, の に する の 表 てい
る。 の え, に している
る , に に を い, の に に
る を に る ている。
3 月 23 日( ) ( ) 会に き 館 に し
白 と , に 寄りす
スープを た き ,おいしいトースト とリプトンテ ーの て しを た。
月 23 日( ) ( ) は と のお で に
る。 てお たので 。文
りの 海の び, の たお料 を に し した。
月 12 日(月) ( ) リン で を り りし え , いの セイと い のを一本 て
に ー ター一 添え 川 に た。
は 日 りをしてお る由,お りを
。 の は いのに りで い を き, 力 よ に た。
は のた に 金をしていた。
19 年 12 月 月 興 書(明 書) 日 に添 ている。
日本基 教 ていた1 月の 料は,140
で た( 3)。また のた に 金 し りしている。
金 金 04 7 金 千
131 40
金 二本
定 金 金 千 行 田
ま のよ 日 全 て るのは の を大 に
, の で る。 は の の とで
に依頼し,またお を のよ に を ている。また の の 調 に を り, た と に協力し
, き の の筆 者としての を た としているよ に見える。また のた に 金 い。 して では
, の , , は にし りと している で,よ を ている。 た と の は, では る ,
した の 士として える。
また の は, に して ター ンを する , と の いをしている 日 える。
また に したいのは, しい日 の中で を り を読 を ていた で る。 にと て文学的 を 日 の中で し る とは, で有り るた に 要
とで たと する。
一 ( )は, の中でま は い , 田の会 文学の まりに出 するた に,よ 出している と ている。
に の て たとい 日 の は,正
に の を表に出す の 格 て興 い。
お りに
のよ に を中 に,富士, 部 とい に した た の を した。