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都 長 安 楽 遊 原 詩 考 i l

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Academic year: 2021

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(1)

都 長 安 楽 遊 原 詩 考

i l

嫌遊原の

のイメージ

i i

i (  1  ) 

の蔀長安︒そこに住む百寓を超える人々の搭野の一行難

i

i

撒市議原は︑唐詩の世界にあっても︑李商憾の﹁祭遊票﹂

持をはじめとする一連の作品が︑たちまち脳裡に患いうかぶ

ほど︑部長安をい

n

歌枕がであったと評してよ

( 耳

日 呂

田 坊

の 東

長安域内で最も地勢が高く︑

半分﹀ハ通善坊﹀・芙蓉閑ハ患者の離宮南苑﹀などととも

に︑慶大な由江治ハ周七襲︑占地三十明﹀を中心とする景勝地

匿を形成していた︒このため︑捨選康を詠んだ詩のなかに

2

は︑しばしば曲江池も歌われている︒長安域内東南部一の

地である︒張設の詩には︑

震蔀長安幾灘原詩考(植木﹀

久 木

繁選形勝地

と歌われている

q z

風学

ba

( 3

)  

調

遊園・業遊離を詩題とした作品が︑すべて二十市

であるという︒しかし︑筆者の調査によれば︑一一十八家

四首を教え︑詩中に出現する場合を加えると︑さらに五家

念場ナことができる︒なかでも中晩寝期の白岩易と杜牧がそ

れぞれ二言︑李蒔騒が四首も作っていることは︑やはち注目

S

き現象である母事調躍は若いころ︑

おぽ

春原登己重

(2)

中蹴詩文論叢

第六集

箪玄門

)

繁遊原上壁一繁遊頭上より謹めば

の不遇な詩人︑誤得仁は︑

Q諜欝b

巻一むよれば︑艶麗な紅い花をつける野総樹ハパラ

科﹀が自生し︑汗車思の静物︑首稽におおわれた美

しい離宮であった︒首時の蔀長安の︑東中間郊外十数

キロの地で為る︒嘗時すでに︑議伐の曲江池の龍身

となる顎もあって︑いわば︑水と織にあふれた郊外の

であった9

柴遊苑の地は︑じつは秦代︑主審苑や{

ころである︒二註皇帝胡亥ハ前二一

OJ 前 一

続長安按復原図 ( r 中器会代建費史』より〉

窟に酔はざる人無かるべし

wh来往す

(2) 

宣帝公約八七J

た柴遊苑に出来

れたと

埋葬された︒

(3)

けんしゅ

﹃史記﹄秦始皇本紀には︑﹁斡首ハ農民の椴﹀を以て二

宜春宮と宣春苑拭︑漢怜そのまま議承された︒武帝会則一

四 一

J

招如は︑﹁秦の一一世を京しむ賦﹂を作り︑好臣を信じて関家

に辻︑ほとんどのぼらなかった︒

可罵相如の賦のなかには︑嘗時の

ている

c

由江の陪き苅を前にして︑参議として高く抵くつらなる移南

山の山なみを眺めやる

i i

i c

句中の﹁昌江﹂には︑発来︑回

・普通名詞のニ読があるが︑いずにしろ︑その湖が

た昌江池

(

臨詣江之限州特J 金入曾官之瑳蛾

援子が戎のごと

なおしたものであろうハ韓大畠﹃薙録﹄餐六︑宜春苑の

諜参照﹀︒のちには︑この慶大な繁議苑の一角に︑宜帝を記る

欝遊廟が作られた︒

調

ば︑宜替は即位する読む若き日︑蔀の南郊外︑社懸ハ京兆府﹀

や事蘇ハ抗風府﹀の︑あたりを好み︑おおむね下社広神在してい

たという︒下社とは︑宜春苑のあった地名であるQ

六﹀むつまり︑濃いのこ字は︑宣帝吉身が自由気ままに繁

洛の反﹂とするの

ところで︑北宋

)

0

とおる︒これによれば︑の奨遊廟は︑その稜墓﹁社設﹂

(柴山浩閣の夏期﹀の所在地譲毘﹂にちなむ名稽とお問︒し

かしおそらく︑この柴遊里なる名桝白韓も︑宣帝の

い地名なので為ろう

c

い出をこめ 立爵於由江油北︑

(4)

中関詩文論叢

第 六 集

(  3  ) 

業遊苑や柴遊廟のあった高京││'柴遊療は︑需産時代︑蔀

域の位置の嬰遷にともない︑そり主要な罷分は︑郊外から域

内へと入ることになった︒この結果︑業遊震は︑慈に住む人

々にとって︑遠出する必要のない格好の域内の行築地となっ

ここで︑唐代の繋遊療の且︿盤的な位震を確認しておきた

城陽 場所をより'限定した文獄としては︑の沈既済撰

博﹂(七八一年昨﹀をあげることができる︒玄宗の天質九載

(

O

﹀夏六月のこととして︑﹁鄭子︑に乗りて東し︑昇

︿

:

::

まり︑葉遊園は︑昇平坊内

った︒この場合の柴遊閣とは︑

た地を指そう︒沈既慣は︑﹃叫

あり︑その記述は信愚性が高い︒

また唐の韓楊撰﹃天文要集

h

Q

世 ︒

とある︒つ

おそらく漢代の撲選廟のあっ

た史撃者でも

自今昇卒坊内基監︑是

とあり︑の柴遊廟の跡が昇平坊内に残存することを指携す

︿ 機

、 ず こ

O

(4) 

の︿吋五議い惑

の柴遊崩は︑亦た繁議苑と名づけ︑

Lとある

c

(5)

長安域内には︑いわゆる龍首原の支服が東西方向にふハ繰の

高稜ハ護地﹀を作り出し︑東南部の地勢が最も高く︑西北にす

すむにつれて︑地勢は下降していた︒この六僚の整地は︑六

関・ムハ壊などと韓議され︑需の大興域ハ2唐の長安城﹀の設計

え零

)

代︑全く同意として漫罵されたらしい︒しかし︑

北隅の繁遊廟

H

繁遊間

H

柴遊擦という比定は︑かなりおおま

H

u

よりもHN

故地を中較としつつ︑

出総務長安築港原詩考ハ様木)

ζ 罵 . i E 株 f 唐長安域総体布局的地理特設 j より〉

いわゆる上九の華強

ら域内へと入り︑ りの第六

︿

宣膏遊廓のある地ハ昇平坊東北際﹀を通って︑長

安域東壁のぺ延興門﹂外一へと神びていた︒上九の番

OJ

O

!

H

鰻頭

u

式の突出した形態をもち︑四五

O

六間関

ートレ

PF 

(

南隅 γ

蓮華尼寺ハ昇掻坊西北鵠)などが建立され︑議

(6)

中題詩文議議

第六集

蓋地であったため︑避暑や説撃にすぐれていたc

ちなみに︑大経塔が怒かな能壌に富むのは︑もちろん︑その

高藤構造に基づくであろうが︑じつはその場所が上九の喜一地

であったことも決して忘れてはなるまい︒

北宋の張謹の﹁遊城南記﹂(一

O

業遊之南︑由江之北︑新品坊有青龍寺︒北枕高探︑前封

南山︑震設挑之絶勝︒

とあるむこれによれば︑張麓は︑昇卒坊の東北隣の新昌坊の

東南部に泣置する名制青龍寺を︑明らかに繁遊原の南斜出に

位寵したと考えていたらしい︒要する位︑繁遊原とは︑犠府議

廟のあった昇卒坊の東北鵠を中⁝核としつつも︑その興識の山

︿ 新 ω

井道・昇平・宣卒﹀の一部を農く含めたらしい︒今日︑?

中閣の墜史地理研究家の武結論や曹醸琴なども︑

(5) 

1場東北鵠の山細川遊顛﹂の原注である︒

高原上︑議社命有︒

後賜寧・申・蚊・

四警寛敵︒京城之内︑僻説指掌9

の一部は︑元十年︿七ニニ)の作とされる章逮撲

同の議文のなかにも見えるGおそらく︑その大争 記﹄の記述な畿承したものであろう

Q

則夫武后の 朝の長安年間(七

O

i

O

四﹀︑娘の太平公主が

に亭を築いて遊賞した︒開元元年ハ七二号︑謀反の

罪を悶われた太卒公主が玄宗によって露刑されると︑その亭

は玄宗の兄弟たち︑寧主憲・申王馬・絞王範・欝王業に興え

られたという︒公主の謀反事件のとき︑鼓王範や酔王業は︑

その平定に協力している︒公主の繁遊原上空苧(おそらく多く

の辻︑論功行賞の意味あいがあってのことに違いない︒

大卒公主と柴遊東との関係は︑

(

寧・申・岐・欝四王︒都人裁被験其地︒

とある︒額や池をもっ繁遊原上の別業ハ宴選に供される傾向の

強い築関﹀の賜輿が恩賞や鱗柔︿玄宗は克の驚や換をさしおいて

即位した﹀の意味をもっとすれば︑武伯総の指摘するごとく︑

その悶林の範寵は︑コ定是線大的﹂で嘉ったと考えるのが

(7)

公主の融市選東上のに比定しうるかも知れない作品群が

現存する︒﹃文苑英華﹄ヱ七六に牧める李幡・蘇嫡・沈恰

期・宋之関・十字父・意立・李霞・部昇らの﹁奉和︽‑初春事

太平公主捕荘︾雁制﹂詩が︑それである(このうちニ設は︑李

嬢龍撰とされる﹃唐詩選﹄所牧﹀むこの八詣り詩は︑太卒公主が

皇帝の鵠として樺勢をふるった中京ハ七

O

J

O

( お ﹀

の締結部詩で島ることは︑詩中の表現から見て疑いない︒

そしてこの公主の南薮を︑前引の﹁繁遊原の麗池﹂と見

なす設は︑すでに江戸時代の戸崎允関ハ一七二回J

一 八

O

大 ﹀ の足霊山砦詩選h巻五や久採天鑓吋躍詩選薪樺﹄(一九

O

博文館)などに見える︒今日通行する龍野直移吋唐詩選恥ハ岩

γ

目・諮問誠﹃憲詩選恥(明治謹院)・中島敏夫ほか句麗

持選﹄下ハ署浦河枇﹀などは︑高木正一の﹁且思想宮廷詰と七一百鐸詩の務成﹂とともに︑戸崎免明らの設を議承し︑長

安潜郊の梁選原の別荘を指すと考えている

c

つまり︑わが盟

の﹃庸詩選﹄の注樺書類は︑おおむね業遊原の基本義ハ長安

い 会

長安の商郊にあったと論じてお

り︑明らかに基本義への言及が依如している︒

という以

勝郵長安撒府議原詩考ハ楠木)

ここで︑﹁︽一初春︑太平公主の南廷に和し奉る︑臆

鋭い詩の内務を少し見てみよう︒蘇頚の詩の言句には︑﹁・ギ

︾ フ ︑

務 下

﹁青門いとは︑長安域の東門ハ清の

を廉く指す︒﹁素漣﹂とは︑本の色り素き濯水を指し長安

城の東郊約五キロの地を北流する︒宋之関詩の第六匂に︑

﹁酒は高山に近くして一一部杯を作す﹂とあるのによれば︑公主

の設けた南荘内の宴震は︑長安の南郊につらなる柊南山に近

Q古唐詩合解﹄参照﹀︑それでいわゆる関山の書杯へと︑

想が自黙に展開するわけである︒

東南郊外に位置していたと考えられよう

c

長安の東郊外︑鑑

水や撞水のほとりは農代︑皇族や貴族たちの遊賞・安集に供

される池林・園事が多く集中していたところであり︑この意

味でも南荘の比定場所にふさわしい(諮饗吋麿詩の風土返

公主の南廷を︑長安郊外の繁遊票上に比定する設が︑

付近の謹史地理に暗い詑揮者たちが陥った共通

(8)

中 園 詩 文 論 叢 第六集

あると︑一蹴することはできないようでるる︒公主の﹁観抱一

が死後︑玄宗の四人の兄弟に賜輿された事費を思いおこす

と︑衣の二つの記事が注自されてくる︒

侍臣日下︑諜子春明門外寧王憲之露連︒

)

林亭留選︑平於都邑︒

O

ものではなかろうか出

均 ︑ ︑

Q

守 中 ん

l LW

の地を指す基本義のほかに︑参域外にひろが康識の用法と

が同時に怠ったことが考えられよう︒それは︑①と②が︑@

ともに漢代の祭遊苑の設地であること︑@いわゆる上九の喜一 地の延長続上にあること︑の一

繁遊園︑在京城清龍坊︒有宜帝柴遊廟基社告

の奇矯な記述も︑@⑥のニつの捺件を満たしている9文中の

﹁清龍坊﹂が青龍坊の誤靴であるとすれば︑その地は慈恵寺

のある菅昌坊の東南にあたり︑慈患寺へと通じる曲江誌の支

)

(6 ) 

て鰯れておきたい︒郷とは︑懸以下の行政車生をいい︑五百

る ︒

︿

春二に牧める﹁唐趨域圏﹂で辻︑その買在地を︑

(9)

郊︑南壁の中央の明徳門の地から長安城東端に至る郊外に位 け︑﹁案ずるに︑郷は嘗に域南に附近すベL

︒繋選療を

りいとするむこの設はおそらく︑一疋の事好文

西

つ︑高年鰐に所属する黙を加味して比定したらしい

s

その比

定場所は︑武伯倫の﹁署長安郊区高年・長安懸懇皇位置一不意

闘いのそれとほぼ同じで島る︒

公主の繁遊原の観池が東海郊外にあったらしいことを考える

と︑愛宕設のほうがよりよく患われる︒しかし︑二設はいず

れもよ遠の@@の二諜件を満たしており︑現在のところ︑最

終的な決め手はなさそうである申

(  7  ) 

さてここで︑昇卒坊の東北隅周議の地を指す繁遊原の︑

代における賓態やイメiジを探ってみたい︒安史の箆がおこ

m

は︑住民の少記い︑野草や樹木の生い茂る荒れ地であり︑と

くに基地の多い壌撞であった︒昇卒坊の東北隅には︑漢の突

ったハ前述﹀︒沈既演の﹁在氏博﹂によれば︑

いた器窓は︑この付近に易今︑

ま ︑

︿

であったという︒このことを鄭子に告げた胡人の

﹁蹟嬉(くずれた土塀﹀・棄地ハあき地﹀にして第宅なし﹂とあ

る︒天費九載ハ七五

O

こうした撲選期付近の獣況は︑一良憲回の﹁繁遊原に設りて

討を欝ふい詩のなかにも歌われている︒宜帝の錐ついえ

去り︑その儀祉のみ残る︑と歌ったのも︑

簿

朝には牧竪ハ牧童﹀の集ふを見

(

すれば︑﹁笹氏博﹂の背景となった時期とほぼ重なりあうこ

とになり︑﹁今は狐や兎の罷免り﹂という措湾も︑﹁江弘氏惇﹂

(10)

10 

中関詩文論叢

第六集

そして昇道場の北隣の新昌坊にあった名刺龍寺の 襲感寺﹂は︑惰の大輿域ハ

H

唐の長安城﹀諮りとき︑新都

建設議定地内にあった古い墳墓一を揺り︑返して域外に移し︑そ

れを洪養するため認建立されたものである︒すでに述べたご

とく︑議感寺のある場所は柴濯原の南斜面にあたる高燥の蓋

地であり︑漠代以来︑都郊外の有名な埋葬地帯であった︒中

舗では︑墳墓は古来︑都邑の域外にいとなむのを原則とし

9大興域趨替のさい︑できる摂り墳墓を掘り返して郊外へ

移したが︑この東寵部は高燥の諜一地で岩生に遁さなかったこ

ともあって︑墳慕がある程度残存してもかまわなかったので

あろう

a

境基が貼在してい

このようにみてくると︑撒ポ遊窮の遺跡が残存した昇平場東

北隅周溝の地は︑墳墓の多い荒原であったむ狐は吉来︑墳墓

の地こそ狐の出授にふさわしい︒昇一や誌の四隣にあた

坊にも︑性悪な狐が住んでいた9

(

0

9 ・

2

O?

﹀の﹁七日登奨遊故慕いの存在も注意されてよ こうした柴遊京の寅態は︑の高い都のなかで︑貧苦に

あえぐ人々の庭生地となれソうる可能性を示している︒省

と歌われるごとく︑ほかならぬ操選東のほとりに在んでい

c

買島託︑新品坊の青龍寺に神悲したこともあり︑この繁

遊原付近とは深い縁があった︒買島の機遊吋

韓的な位謹については︑事嘉吉﹁貰島年議

M H

年・長安蘇郷盟考﹂・曹爾琴﹁説庶民安的主同

ずで広提出されている︒このうち︑李と樹岡山

門外の鵠首郊に比定したが︑現在のところ︑

坊﹂設が最もすぐれるG

の住まいの

・武伯論﹁唐寓

の﹁昇道

︿組問﹀のそれを

のそれとほぼ同じ

(11)

であるが︑坊名の比定にまでは及んでいないG

ば︑李の設をさらに設展させて︑長捷年同ハ八二一︑

J e ‑

)

なる前の

くともある時期︑精舎に住んだらしい︒

界選坊主

門里﹀の生まいはまた︑賓自のなかなどに︑m n

﹁野是﹂﹁原騒い﹁原東岩﹂などと呼ばれるものである

Q

友人

を︑衣のごとく散っている︒

次巾宇脅施

読菜常告拾

半ば信施し

し 嘗

て に

寝 自 席時ら

F

?

ι.b

呈入度り頒簸呈人度

また問じ詩室中には︑﹁居る所は卒ね荒野︑寧ぞ京邑に在る

1 1  

蹴絹都銭安柴準原詩考︿横木﹀

に保ん﹂とも詠ずる︒の中にあちながら︑世界的都城の繁

華な雰閤気とは全く無縁の定涼たる繁遊原の地氏︑ほそぼそ

と歌う9荒原とは︑業選原令指す︒柴遊原のほとりからは︑

南の終薦出の景色がまじかに見えたのである︒同じ詩のなか

=

とは︑城門・坊門の開閉を知らせる携紋・暮鼓を指す︒

こうした紫遊原の賓態は︑そこが月を眺める名所と意識さ

れたことも関連しよう母中患の楊葱には︑﹁柴遊園にて月を

控一一む﹂詩がある︒また﹃績玄怪鋒h

和十一一年ハ八一七﹀一月八日︑張庚が昇選勝の講話で月を眺

のなかにも︑費島の

といい︑酒笹を開いた話をのせる︒月影をあびつつ探勝する

場合︑坊内であれば問題ないが︑也の坊にもわたるときに

は︑いわゆる夜行の禁に鰐れてしまう︒しかし︑ここは人の

(12)

1 2  

中 穣 詩 文 論 叢 第 六 集

るやかな外の地﹂であったふれい︒閣外の地と辻︑一較

に長安城南よりの四坊分を麗く指すが︑この昇選務付近もそ

題外の坊に

鐸時踏見開

月間を踏む

の匂が思いおこされる︒

主建に酬ゆ﹂詩には︑﹁読林荒宅金肢の前いとある︒古

教とは︑秦漢以来の歴史をもっ︑ものふりた基地

i

撚遊療の

ことであろう︒歌津の詩の﹁故丘﹂にあたる(﹁殺紫遊療

bo

また賀島の﹁銭鹿子に寄す﹂詩には︑

おお

とも歌われる︒費島の詩には︑時おり菌江地が歌われる︒こ

れは︑昇選坊の西北棋にある龍華尼寺の寓にまで︑曲江池の

一支流が流れてきていたことと関連しよう︒﹁隣人として磐 しかいないいという句も注目される︒

買島の詩は︑孟郊の詩とともに︑﹁

玉文﹂﹀と呼ばれる︑ある種の盟かさに設けた沈んだひびきを

もっ︒その詩試は︑買島の生来の筑紫︑脅話としての前半生

の経躍︑貧苦にあえぐ日常生活などとも礎接に関連するであ

ろうが︑柴選原のほとりに︑図︑五十代にわたる十年間以上

の問︑生んだこと︑および︑織対潜原吋近を一暗示する持が多く

現存するというニウの事費は︑葉遊原の存在が︑痩費詩人と

しての質島の詩践を形成する要国の一つとして指摘できるよ

うに思われる9

繁華なピの都のなかと誌思われない︑すさ

ているようである

Q

(

もつよれ︑近くの春明門・延興門付近や曲江池周議には︑酒壌が多い合主憲物の詩(﹁酒嬢符﹂﹀にみえる高さ百尺の酒柚

は︑詩中の﹁丹鳳閥ハ大明宮の正門丹鳳門)を廻態し︑繁遊苑

を班援す﹂の句によれば︑﹁柴遊苑の北の斜面の笠苧坊謹ち

の訪に立地していた﹂(妹尾達彦﹁清代長安の盛

鋭 ﹂ i h

I

ろう︒とすれば︑﹃類総長安志﹄餐七にみえる︑

娼脂襲︑新‑説日︑在出品平坊寵︒関一沌・天費問︑皆妓舘信

女所岩G商在山詩日︑少陵野若者聾突︑不到規脂甥翠設︒

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