明恵上人関係講説聞書類における「問…答…」とい う文章形式と疑問文の表現形式との関係 : 文体と 文法の交渉
著者 高宮 幸乃
雑誌名 三重大学日本語学文学
巻 13
ページ 1‑15
発行年 2002‑06‑23
URL http://hdl.handle.net/10076/6588
明恵上人関係講説聞書類における「問…答…」という文章形式と疑問文の表現形式との関係
【キーワード】南…答‥・」という文章形式、疑問文の表現形式、
多層構造、文体的位相、表現形式に対する文体の関与、「らしさ」
という表現効果
「
はじめに
院政鎌倉時代のいわゆる「口語」を考えるにあたって、明恵(一
部喜準の講義をその弟子が筆録し、編集・書写した聞書類は重
要な資料となる垂〉。土井光祐氏は明恵関係蘭書類を「伝授聞喜」垂。と「講説聞書」の二種に分類して、「「口語」的徴証を抽出するための資料を「聞書類」に求めようとするならば、伝授聞書
ではなく、講説聞書を中心に渉猟すべきである」と結論付けてい
る垂ニ}。さらに、氏は各資料内部が多層構造になっていることや
各資料に編集態度の差が見られること等を指摘している(注胃土
井氏の一連の研究によって、講説開音類の資料的性格が明らかに
なりつつあり、今後はそれらを踏まえた上での具体的な言語事象
を捉えることが期待される。
本稿では、その一端として、講説聞書類に多用される「間…答
…」という文章形式について、土井光祐(一九九五)によって明
らかにされた編集態度の差による内部構造の違いと疑問文の表現
一文体と文法の交渉‑
高宮
幸乃
形式(以下、単に「形式」と記す場合もある)とその使い分けと
いう観点から、資料内における機能を考察し、さらに、疑問表現
の歴史的研究の立場から、「間…答…」の文体的位相と「間…答…」
の間に現れる疑問文の表現形式との関係を考察する。
一点目の「間…答⊥という文章形式の機能についてであるが、
土井氏は、漢文による原典章句が改行か追い込み形式か、その次
の漢字片仮名交り文が満行か一字下げかなどによって、大きく「原
典章句」「明恵講の蘭書」「書海講の聞書」「他典拠からの引用文」
などに分け、「明恵講の蘭書」「喜海講の聞書」の内部をさらに「間…答相醐云…」「刹申云…醐云…」のように尊称や略名を証左とし
て、明恵軍書海講の聞書部分と非聞書部分との峻別を行ってい
る。そこでは、「間…答:・」という文章形式は実際の講義の場にお
ける問答と関連づけて考察され、次のようなことが問題として挙
げられている。
起債論本疏聴集記の明恵講の聞書は、収集された聞書の筆録者
を示す略名が存在し、多量の問答体形式を有しているにもかか
わらず、講義の発言者としてその略名を冠して導入した例が見
出せない。(土井光祐(一九九三))
これに対して、土井氏は「明恵講の参席者においては、読者明
恵の言説の筆録に意の大半を注ぎ、個々の発言者の言説に固有の
意義を高くは認めていなかった」ために略名が残らず、編集に反
映されなかったと解釈されている。とすると、略名を記されるこ
とにどのような意味があったのか、略名を記す部分とそうでない
部分とには違いはあるのか、といった疑問が次に浮かんでくる。
土井氏によると、講義の参席者に関して明らかな部分もあるが、
未だ不明な点も多いようで、さらに調査を深めていく必要がある。
本稿では.、このような問題を一端括弧に括り、別の観点からアプ
ローチする。それは、実際に行われた問答と文章形式としての「間
…答…」とは直接結び付けずに、あくまでも賓科内部における「間
…答…」という文章形式の機能を明らかにするというものである。
それによって、講説聞書類の資料的性格の一端を明らかにすると
と鴇に、講説開音類の国語学的な位置づけにも新たな光を投げか
けるであろう。
次に二点目、疑問表現の歴史的研究という立場から見た、文体
的位相としての南‥ト答…」という文章形式と疑問文の表現形式
との関係について説明する。従来、疑問表現の研究では疑問文の
表現形式のみが取り上げられる傾向にあり、それが現れる文体的
位相については、「地の文」、「会話文」と区別されるだけで、それ
以上あまり考察されてこなかった。これまでの研究は、疑問表現
がおよそどのように推移していったかを明らかにすることを目的
としていたため、資料そのものの性格や資料内部の文体的位相の
違いなどに関する言及は最小限に留められていたのである妻〉。
そのような研究の方法によって、大きな流れが明らかになった現 在では、それまで扱ってこなかった部分、文体的位相と疑問文との関係に目を向けることによって、新しい歴史的研究の可能性が生まれると思われるのである。
このような立場から「間…答…」という文章形式と疑問文の表
現形式との関係を見ると、間にどのような表現形式を使用するか
という選択に南…答…」の文体的位相が関与しているという捉
え方ができる(第六節にて詳述)。「地の文」、「会話文」という文
体的位相に見られる疑問文の表現形式を中心にしたこれまでの研
究では、文体的位相がどれほどの、あるいは、どういった影響力
として働いているかという問題は捉えにくく、具体的に取り上げ
られてこなかった。その理由の一つとして、「地の文」、「会話文」
といった文体的位相の定義が曖昧であることが考えられる。「地
の文」は、ほぼ「非会話文」と置き換えることができ、また「会
話文Jは、現実の「話ことば」を前提に置いて規定している。そ
のため、内省できない古代語の場合、当然、「地の文」と「会話文」
の境界が明確に区別できない場合も存在する。「地の文」、「会話
文」という文体的位相は、規定の仕方そのものが曖昧で境界もぼ
んやりとしたものだったことから、疑問文の表現形式との関係を
押さえるまでに至らなかったと思われるのである。
その点、講説開音における「間…答…Jという文章形式の場合
は、本稿で考察するように資料の内部構造との関係から捉えるこ
とができ、また、文体的位相における性格がはつきりしているた
め(第五節にて詳述)、「地の文」、「会話文」といった文体的位相
よりも疑問文との関係が把握しやすい。本稿では「間…答…」の
文章形式と疑問文との関係を、文体的位相と文法との関係性が際
立ったものの一つと捉え、そこから、文体的位相を考慮した新し
い疑問表現の歴史的研究の可能性を探ろうと思う。
本稿の構成は以下の通りである。第二飾において、土井氏によ
って明らかにされた講説聞書類の文章構成の特徴を押さえ、第三
節においてr間…答…」の問に現れる疑問文とそれ以外の箇所に
現れる疑問文にはどのような表現形式があり、使い分けがあるの
かどうかなどを観察する。第四節では、具体的に使い分けが見ら
れる「不定繭カーヤ」と「不定詞‑ゾ」「不定詞‑ヤラン」を取り
上げ、前者が古いタイプの形式に対し、後者は新しいタイプの形
式であることを示す。第五節では、第三飾、第四節での結果を踏
まえた上で「間…答…」という文章形式の機能について考察し、
第六節では、さらに疑問表現の歴史的研究という立場から、文体
的な位相としての「問…答…」と疑問文の表現形式との関係につ
いて論じ、文体と文法の交渉という疑問表現の歴史にとって新し
い研究の方法論的可能性を探る。そして、最後にまとめと今後の
展望を述べる。
主に調査考察の対象とする資料は、講説開音の中でも、「間…答
…」という文章形式と疑問文が豊富に見られる次の三つである産
六)。ただし、もともとの言語量が他に比して大きすぎるものは、
今回対象から除いた壷七)。
・起信論別記聴集記(大日本仏教全書所収、四巻、原典法蔵撰
「大乗起信論別記」、建治元年(一二七五)に順高が編集)
・解脱門義聴集記(金沢文庫蔵、十帖、鎌倉時代末期書写、原 、典明恵自撰「華厳修禅観昭入解脱門義」)
・華厳倍種義聞集記(金沢文庫蔵、四帖、弘安八年(一二八五)、
智昭書写、原典明恵自撰「華厳借種義」)
二、明恵上人関係講説蘭書類の文章構成
土井光祐(一九九五)では、明恵上人関係講説聞書類の中でも、
明恵の講説の開音が編集されているものについて、各講説開音内
部の表記方法(満行で記されているか一字下げか等)や行の組み
方(改行によって見出し化しているか等)を証左として編集態度
の違い(「編集態度の発展の過程」七八頁)による段階差を認めて
いる。まず、次のような分類を提示している蓬八)。
A形式(華厳仏光観閲書)B形式(光言句義釈聴集記)C形式
(華厳信種義門集記)、D形式(解脱門義聴集記)E形式(起
債論本疏聴集記・起信論別記聴集記)
この分類は編集の周到さに関わる序列ともなっていて、「A形
式1E形式の順」でより編集、整理が加えられているということ
を示す。土井光祐〓九九五)で示されている各講説聞書内部の
構造について、簡略化し、私にまとめたものが次の表である。
文童の檀成要素 A形式 B形式 C形式 D形式 E形式
ロ原典章句 × 0 0 ○ ○
2 明恵濾の闇暮 (〕 0 0 0 ○
3
明恵譲に対する私注(割 注)
× ○ ■○ ○ ○
4
明恵譲参席者による私
注(大行) △* × ○ ○* ○*
5手塩喜■のW:■ × × △ 0* 0*
6
書海譲lこ対する私法(割 注)
× × × ○ ○
7
書海講参席者による私 注(兼行)
× × X × ○■*
8編者による兼行私注 〉く × ×. 0* 0*
9 他典拠からの引用文 × ・× △ ○* (⊃*
く表1)
(注1)0は当該の箇所が複数存することを表す。
△は当該の箇所が1例のみか断片的にのに存することを表す。
×は当該の箇所が無いことを表す。
(注2)■は明恵漬蘭書(沸行)より一字下げて表記されていることを表す。
**は書海漬聞暮(一字下げ)より、さらに一字下げて表記されている ことを表す。
見られる疑問文とでは、表現形式上の使い分けがあるかなどの特
徴を見ていく。
三、r間…竿‥」の文章形式の間の部分とそれ以外の部分に見
られる疑問文の表現形式
講説蘭書類における疑問文の表現形式について「間…答…」の
間の部分に現れるものとそれ以外の箇所に現れるものとに分け、
用例数を示したのが次の(表2)である。
網掛けを付した部分は、「間…答…」の間、それ以外の箇所どち
らか一方だけに用いられる形式であることを表し、他の資料には
見られるけれども、当該の資料は見られない形式については、
「二
と示す。
この表から明らかなように、A形式からE形式の講説聞書は構
成要素によって表記の仕方や構成の仕方が異なり、資料全体の構造に違いが認められる。このような構造的な違いが「間…琴:」
の文章形式の機能に関わると考えられるが、それを明らかにする
手かがりとして「問…答…」という文章形式に関わる疑問文の表
現形式に着目する。第二節では、間に見られる疑問文と間以外に
形・式 華厳借種儀門集記 解脱門義聴集記 起債論別記聴集配
問答 闇答以外 /問答 問答以外 問答 問答以外
‑ヤ̲ 2 5 0
t‡
礎
一カーカヤー 0
一ヤ 21 5 20 3 13 18
一カーカーヤ 0
ーヤ如何 腰 0 24 2 4 2
ーカ m 12 2 29 0
ーカ如何 0 4 2 0
‑ヤラン 0 溝 0H湘紳闇滋
不定詞カー 0 諜 0 諏書;童i妻室≡墓室重■' 0翔頼
不定詞カー如何 贋 0
不定詞カーヤ 0 20 7 4 3
不定詞励‑ヤ如何 0 q 0
不定詞ゾ̲ 0諾鼎;i≡;=;;;望▲;̀≡̀≡0王事王'拙, 0
不定詞ゾ̲如何 0
不定詞ゾ̲ヤ 6 口 14 7 9 18
不定詞ゾーカ 0
不定詞ゾーカ̲ 0
不定詞̲ゾ 0榔紬闘加 0
不定詞‑ゾヤ 0 0 2 仙
不定詞̲ヤラン 0 0 耶
如何 27 2 24 5 20 2
合 計 92 40 111 83 53 225
(表2)
網掛けを付した部分を見みると、疑問文全体の形式に対して、
起信論別記聴集記は四〇%、解脱門義聴集記は五六%、華厳信種
義門集記は七三%が、「問…答…」の間の部分とそれ以外の部分の
どちらか一方にしか用いられていない。例えば、起信論別記聴集
記の場合、丁カ」は一六五例存するが、すべて「問…答…」の間
以外の箇所に用いられている。解脱門義聴集記の場合は、「‑ヤ
⊥が六例存するが、「間…答…」の間以外の部分のみに用いられ
ている。このように網掛け部分を見ていくと、起信論別記聴集記には、「間…答…」の間のみに使用される形式というのはなく、解脱門義聴集記、華厳倍種義門集記には、「間…答…」の間のみに使用される形式と、それ以外の文章形式のみに使用される形式とが存する。そして、その解脱門義聴集記と華厳倍種義門集記とでは、華厳倍種義門集記の方が網掛けを付した箇所が多く、バリエーションがより豊富であることが分かる。以上のことから、三資料の内、「間…答…」の間部分に用いられる場合とそれ以外の部分の場合において、最も表現形式を使い分ける傾向にあるのは、華厳信種義門集記であるといえる。次に、具体的な形式についてであるが、中でも注目したいのは、
用例が多い形式の一つ、「不定詞カーヤ」である。資料毎に分布の
状況が異なる点に特に注意したい。起債論別記聴集記と解脱門義
聴集記では、「間…答…」の間とそれ以外の箇所の両方に使用され
るのに対して、華厳倍種義門集記では、「不定詞カーヤ」は「間…
答:この間にのみ使用されている。次の(1)は、「どのように分
ける(分かれている)のか」、その仕方、様子について尋ねている
例.である。
(1)間神通卜自在卜司何列別ナル刊・(下略)(華厳信種義門集
記・第二・二三〇下⑬)
「不定詞カーヤ」との関連から、「不定詞‑ゾ」「不定詞‑ヤラ
ン」という形式にも注目しておきたい。この表現形式は起信論別
記聴集記には見られない。
(2)サレハ何司行シケル刈(華厳借種義門集記・第四・二五二上
⑰)
(3)
彿ハ何機⇒・ヲハシマシケルヨ(華厳信種義門集記・第
二・二三一下⑯)
(3)も(4)も仕方、様子について尋ねており、「不定詞カー
ヤ」と意味的には同様の内容を表しているといえる。しかし、「不
定詞‑ゾ」「不定詞‑ヤラン」の場合は、間以外の箇所に現れ、「不
定詞カーヤ」は間に現れるという違いが存するのである。これに
は、「間…答⊥の文章形式における文体的位相(第五節にて詳述)
という問題が絡んでいると思う(第六節にて詳述)。この間題に入
る前に、ここで取り上げた「不定詞カーヤ」と「不定詞‑ゾ」「不
定詞‑ヤラン」について、第四節でもう少し詳しく見ておくこと
にする。
四、「不定詞カーヤ」と「不定詞トゾJ「不定詞‑ヤラン」
第三節において述べたように、「不定詞カーヤ」と「不定詞‑ゾ」
「不定詞‑ヤラン」とでは同様の意味を表すことができた。しか
しながら、「不定詞カーヤ」は「間…答…」の問にのみ現れ、「不
定詞‑ゾ」「不定詞‑ヤランJは間以外の箇所にのみ現れるという
分布に違いがあったっそこで、同時代の他の文献、特に口語性が
高いとされるもの(法華首座聞書抄や打蘭集などの中世片仮名文
や延慶本平家物語の「会話文」等棄})において見られるかどう
かを調査したところ、「不定詞カーヤ」という表現形式は中世片仮
名文には全く見られず、延慶本は書状や古代聖人、仏教関係の記 述に多少見られるか、反語として用いられる程度であり、もっぱら「不定詞‑ゾ」「不定詞‑ヤラン」が用いられていることが分かった。(4)「サテモ何司シテ尋出シタリツル沼。」と仰有ケレバ、(下略)
(延慶本・上玉九〇⑭)
(5)メノワラハヤトニタチテヨクナキケルハイl剣山ハ叫コトノ
アルヨトムネウチサハキティソキトヒケレハ
(下略)
(宝物集・一六ウ②)
「不定詞カーヤ」という表現形式が一般的に用いられていたの
は、平安時代の漢文訓読文資料のようである壷十〉。
(6)
徐ハ何ヨヨ.剰預(ラム)ヤl[哉〓徐何預哉)(大慈
恩寺三蔵法師伝・巻第六・二二七)
以上のことから、華厳信種義門集記において「間…答…」とい
う文章形式にしか用いられなかった「不定詞カーヤ」は、院政鎌
倉時代に一般的に使用された表現形式ではなく、古いタイプの形
式であるといえる。一方、「不定詞‑ゾ」「不定詞‑ヤラン」は院
政鎌倉時代においても一般的に用いられた表現形式で、「不定詞
カーヤ」に比べると、新しいタイプのものであり、それが間以外
の箇所に現れるのである。
ここでもう一度、「不定詞カーヤ」における分布状況について、
他の表現形式の使い分けを含めて確認しておきたい((表2)参照〉。
「不定詞カーヤ」は、華厳信種義門集記では東…答…」という
文章形式の間の部分に限って使用され、起信論別記聴集記、解脱
門義聴集記ではそれ以外の箇所にも見られたのであった。それを
含めて、「問…答…」の間の部分に見られるものとそれ以外の箇所
で見られるものとの使い分けは、華厳倍種義門集記においては、
使い分ける傾向が強かったのに対し、起信論別記聴集記、解脱門
義聴集記では、使い分けられている形式も存するが蓬十こ、華厳信
種義門集記ほどではないのであった。これらのことを踏まえた上
で、第五節では「間…答…」という文章形式の機能について考察
する。
五、
r間…答…」という文章形式の機能
「間…答…」という文章形式の機能を検討する前に、「間…答
…」
という文章形式が持つ構造的な特質と文体的位相壷十ニ〉につ
いて、押さえておく必要があると思う。
「間…答…」という文章形式は、あるトピックについて疑問文
を使って間にし、それについて注釈、説明を行い、必ず終わると
いう閉じた構造を持っている。そして、「問い=注釈、解説される
事柄」
と
「答え=注釈、解説」がセットになった「間…答…」と
いう閉じた構造は、属性として一つの文体的位相を持つ。このよ
うな性質の「問…答…」をさらに大きな文章に組み込むことによ
って、平面的な文章に位相差が生まれ、構造が立体化する。次の
例を見られたい。
(7)裏付二云
八部神一天
二龍
三夜叉四乾闊婆五阿修羅六迦棲羅
七緊那羅八摩喉羅迦 闘既二天龍等ヲ・別二出セリ・其ノ外ニ・別二八部卜出ス女何・勾上二出ス天等ニアケルヲ取ル歎・惣シテハ・八部ヲ取ル様カアマタアル也誉(華厳信種義門集記・第二ニー三三上①)
「間…」の前は裏書の部分である。そして「答…」の部分に疑
問文が用いられている。このような場合、もし仮に「間…答…」
という表記が無かったとしたら、注釈、解説されるべき事柄と注
釈、解説した内容との境界が非常に曖昧になる。すなわち、「間…
答…」という文章形式は、内部に被注釈(「間…」の部分)‑注釈 (r答…」の部分)という構造を含み、それがさらに大きな文章に 組み込まれることによって、資料内に「間…答…」の部分とそれ
以外の部分というそれぞれの層が形作られ、多層構造化する。「問
…答‥この文章形式は、資料内部を多層構造化する枠組みとして
機能しているのである。
このような働きによって、文章の内容としては、論理を展開さ
せつつ、注釈、解説の内容を深めていったり、ある話題から別の
話題へと転換させたりすることができるようになる。
(8)岡諸ノ色法微玄ナルカ故ニ・無相ナルヘシヤ・勾微玄/方ニ
チモ無差別ナリ・(中略)昔ノ六境ハ無差別ナリシヲ・是
ヲ縁せシ識ハナヲ差別せソロト云ハ・彼方如クハカナウ
マシキニ・昔モ無差別/境ヲ・無差別卜縁せシ心ハ・無分 別ナリシカ故ニ・今モ差別ノ境ヲ縁せン心ハ・無分別ナルヘシ・
闘分別事識ハ六識無分別卜云ハ第八識ナルヘシヤ・
勾第八識沙汰へ且ク別ノ事ナリ・六識力顕へナレハニハ識二付テ
云ナリ・(下略)(華厳信種義門集記・第三・二三七上①)
華厳信種義門集記には、このような「間…答…」が連続した文
章が数多くあるが、それらはこの例のように改行して用いられて
いるとは限らない。「間…答…」という表記が無いと境界は曖昧に
なり、文章は平面的なものとなる。華厳信種義門集記には、他の
二つの資料のように「各要素が改行で峻別される原則はなく」、
「一字下げで聞書と私注を区別させることもない」蓬…。そこで、
「間…答…」という文章形式が平面的な文章を多層構造化する枠
組みとして機能して、文章の内容的には論理を展開させたり、話
題を転換したりしているのである。
一方、起信論別記聴集記や解脱門義聴集記においては、編集が
周到になされており、資料内部が多層構造になっている。したが
って、「間…答⊥の文章形式だけが多層化する役割を担う必要性
はない。二十下げや改行による見出し化などによって、論理の展
開や話題の転換、さらに注釈に対する注釈といった重層的な注釈
も可能である。
起信論別記聴集記や解脱門義聴集記には、次のように「間…答
…」の「間」が省略された「…答⊥という形も頻繁に現れる。
(9)如何ヤ善等ノ心所饅リヤミナム後。又引テ後時二起″事ヲ得ル
ヤ。不ハ年毎無間′義不可成ヤ如何。勾設ヒ善等ノ心所賛リ
ヤムト錐トモ。後念力為。。全ク中間。間隔ノ義ナキ也。(解脱
門義聴集記・第八・一五〇⑬)
(10)私云。(中略)由二是器十″。一故二非有非無ナリヤ。勾不也。
由毒器十″ニー故返即尊徳門卜云ハ如二先揮一。云々(起信論
別記聴集記・巻下末・八七下⑳) 土井光祐(一九九八)では、原典章句がどのような仕方で導入
しているかに注目し、起信論本疏聴集記以降の講説聞書類では、
「冒頭に原典の中の注釈対象となる部分を見出しとして置き、改
行の後に蘭書部分を続け」るという形を周到に取っていることか
ら、「これは「起居論本疏聴集記」以降の講説聞書類が単に「聞書」
の性質を有しているのではなく、聞書を利用した、より完全な注
釈書を指向して編集されたことの証左である。」としている。解脱
門義聴集記においても、原典章句は同様の仕方で導入されている。
土井氏の見解が正しいとすれば、「間…答…」の「間」の表記が省
略される理由にも説明が付く。すなわち、改行や一字下げなどと
いった方法によって、多層構造化し、後は注釈されるべき事柄を
疑問文で表して、注釈、解説する部分の直前に「答」というマー
カーを表示することだけで注釈‑被注釈は区別されるのである。
「間」の表記は省略されても、それほど支障はない構造を持って
いるのである。
次に、このような資料における構造的な違いが、疑問文の表現
形式の使い分けにどう関わるかについて述べる。「間:・答…」とい
う文章形式によって、多層構造が実現している華厳倍種義門集記
では、疑問文の表現形式のバリエーションは豊富で、はっきりと
した使い分けがなされる傾向にあった。このことに関連する次の
記述を見られたい。
(11)間。若爾何故絡レ入二琵位一更於二加行位中一有二硬心一耶等。
望二〝‑f地。三賢皆加行位也。四善根ヲ加行卜云ハ五位
ヲ立ル日ノ事也。(中略)
私云、.邑ノ心′
ノ
ヲフミテ昆ヲヲコス、(下
略)
(起信論別記聴集記・巻上末四三下五)
この記述が実際に講義する際行われる問答を指しているのか、
「問…答…」の文章形式を指し・ているのかは不明であるが、姦義
に関する問いを立て、それに対する注釈、解説を答えとして述べ
る」こととするならば、「問…答…」という文章形式につ小てもこ
れに則して考えることができる。すなわち、「間…」の部分に記さ
れている内容は、本当に分からないことについて質問しているの
ではなく、先に答えとなる解釈や説明の部分を想定して、それに
応じた間を疑問文によって表現しているのである。華厳信種義門
集記の場合、他に多層構造化する要素がないために、「被注釈‑注
釈」を示す「間…答…」が文章の内容的にも重要な位置を占める。
教義の内容に関わる問の部分には、説明、注釈する事柄に応じた
疑問文の表現形式を用意する必要があり、そのためにバリエーシ
ョンは豊富になるのである。さらに、第四節で述べたように、「間
:・答…」の問には、古いタイプの疑問文の表現形式を使用し、新
しいタイプの表現形式は問以外の箇所に使用するといった使い分
けがなされ、混同することがないとすれば、「間…答…」とそれ以
外の部分との構造的な位相差は、より一層明確になるというわけ
である。
それに比べて、起倍論別記聴集記と解脱門義聴集記では、「間…
答…」の文章形式に頼らなくても、他の方法によって多層構造は
実現している。多層構造が一字下げや改行といった方法によって、 大きく被注釈‑注釈の区別はされ、さらに具体的な注釈される事柄については疑問文によって導入され、その後「答」という表記によって、注釈、解説を施す。注釈される事柄は、「答」という表記の直前の疑問文であることは明確であるから、「間…答…」の文章形式に現れる疑問文の表現形式のバリエーションが少なくても、またそれほどはつきりと使い分け、古いタイプと新しいタイプという使い分けなどがなくても構わないのである蓬十望。
本節で述べたことをまとめると次のようになる。疑問文の表現
形式のバリエーションが少ない(多い)ことと、その使い分けが
資料毎に差があること、さらに、その差が内部構造における編集
の度合いの差と関連があると仮定し、「間…答…」の文章形式の機
能を検討した。その機能とは、文章に多層構造化するというもの
であった。他に多層構造化する要素がない華厳信種義門集記では、「町‥答…」がその機能を担っており、文章の内容としては、「問
…答…」という文章形式によって論理を展開したり、話題を転換
したりした。したがって、「間=・答…」の文章形式以外の要素にお
いても整理・編集がされている二資料に比べて、疑問文の表現形
式のバリエーションが多くなり、また、さらに文体的位相差をは
っきりさせるために、疑問文の表現形式の使い分ける傾向にあっ
たのだと解釈できるのである(注十王)。
さて、これまで「間…答…」という文章形式を中心に考察して
きたのであるが、第六節では、疑問表現研究の立場から、「間…答
…」
の文体的位相と疑問文の表現形式の関係を捉え、そのことが
疑問表現の推移とどう関わるのかを考察し、新しい疑問表現の歴
史的研究の可能性を探りたいと思う。
六、文体的位相としての一間…答…」の文章形式と疑問文の表
現形式の関係‑疑問表現の推移と関連づけて‑
これまで「間…答‥この間に現れる疑問文の表現形式を辛がか
りに、「間…答‥こという文章形式の機能を捉えてきたわけである
が、ここではさらに踏み込んで、疑問表現研究の立場から、文体
的な位相としての「問…答…」がその一部を構成する疑問文の表
現形式にどう影響するかについて検討し、そのことが疑問表現の
推移にどのように関わるかについて考察する。それによって、従
来は「地の文」、「会話文」などといった位相差を指摘するに留ま
っていた疑問表現の研究に、新たな方向性を示したい。なお、本
節では、「問…答…」の文体的位相と間に見られる疑問文の表現形
式との関係を考察するため、表現形式を使い分ける傾向が強かっ
た華厳信種義門集記を中心に取り上げる。
先の第四節では、華厳信種義門集記では「間…答‥・」の間にし
か現れない「不定詞カーヤ」は平安時代漢文訓読文資料に見られ
る古いタイプの表現形式であることを指摘した。それに比べて、
新しいタイプー不定詞‑ゾ」「不定詞‑ヤラン」については、問以
外の箇所にしか現れなかったのであった。このような使い分けは、
「間…答…Jの文体的位相が影響して、間の部分に現れる疑問文
において、古いタイプの表現形式「不定詞カーヤ」が選択された
と思われる。そして、それは同時に、当時一般的に使用されてい
る疑問文との差異を生じさせ、特殊な表現効果を生む。 この表現効果については、和歌を例に取ってみるとわかりやす
くなるであろう。今、例えば和歌を作ろうとする時、係り結びを
使用したり、ヤやカナなて和歌以外では使用することの無い、
古めかしい助詞を使用したとする。それらは、日常的な言語とは
異なる「和歌のことば」として現在では認識されるであろう。日
常的な言語との「ずれ」が「和歌らしさ」を演出するといった効
果を生むのである。それと同様に、華厳信種義門集記における「不
定詞カーヤ」は、前時代の公的で格調高い漢文訓読文資料に見ら
れる疑問文の表現形式であったために、当時代の口語としての疑
問文との「ずれ」が生じ、「問…答…」という文体的位相において
は、重厚で厳格な教義問答をよりそれらしく演出する。また、第
五節において考察したように、「不定詞カーヤ」の使用は「問…答
…」の文体的位相差を明確にする。「教義問答らしさ」という表現
効果と文体的位相差の明確化という二つの目的によって、「不定
詞カーヤ」という古いタイプの表現形式が選択されたと考えるの
である。この目的の二つ目、文体的位相差の明確化という現象を、
文体がある表現形式を要請‑選択するのに関与するという意味に
おいて「表現形式に対する文体の関与」と呼ぶことにする。この
ような現象は、ある表現形式が定型として定着していく過程に関
わる。これについては、室町時代の資料、どちりなきしりたんと
対比させて説明する。
華厳信種義門集記において、「間…答‥・」の間に好んで用いられ
た「不定詞カーヤ」は、どちりなきりしたんにも見られる。
(12)師これわがねがふところなり。キリシタンにならるゝ
事は召人のしはざと射しれる句。(どちりなきりし
たん・第一・一七④)〈注十大)
どちりなきりしたんは周知の通り、師と弟子との対話(問答)
によって、キリスト教の教義を説くというスタイルを取っている{苧七〉。一見、華厳信種義門集記をはじめとする講説聞書類に類似
しているが、「間…答:こという文章形式を使用しているわけでは
ない。また、全体にわたって対話体になっているので、「問答」と
それ以外という位相差はない∵どちりなきりしたんと華厳倍種義
門集記とでは文章形式による内部構造が異なるために、同じ「不
定詞カーヤ」が使用されているといっても、その意味は異なる。
先の「表現形式に対する文体の関与」という見方から説明すると、
どちりなきしたんの場合は表現形式が選択されることに文体はそ
れほど関与性を持たず、まさに「教義問答らしさ」という表現効
果だけを目的として用いられ.たのだと解されるのである。
「表現形式に対する文体の関与」は、文体的位相差があっては
じめて存在し、またそれが確認できる。講説聞書類のように、異
なる位相が混在する文章(資料)において初めていえることであ
って、どちりなきりしたんのように全体が対話型の文体の場合に
は、文章形式による文体的な位相差は生じない。したがって、ど
ちりなきりしたんの「不定詞力トヤ」という表現形式は、文体が
関与して選択されたのではなく、すでに固定化し定着した表現形
式を「教義問答らしさ」という表現効果をねらつて使用されたの
だと考える。
このような事情を疑問表現の推移との関わりから解釈すると、 次のようになる。華厳信種義門集記では、文体的位相差を鮮明にするために、古いタイプの表現形式「不定詞カーヤ」を用いた。このような現象を「表現形式に対する文体の関与」と呼んだのであった。そして、古いタイプが用いられることは同時に、「教義問答らしさ」という表現効果を生む。第四節に示したように、「不定詞カーヤ」は院政鎌倉時代の前代である平安時代に、公的で格調高い漢文訓読文資料において見られた表現形式であった。そして、華厳各種義門集記では間にのみ用いられ、他の講説聞書類にも多く用いられていたのであった(第三飾参照)。ここから講説聞書類
の「不定詞カーヤ」はいおそらく「間…答⊥の間の表現形式と
して定型化しっつあったであろうと推測される。その定型化する推移過程には「表現形式に対する文体の関与」が存在する。そして、時代が下るにつれて、▼「不定詞カーヤ」は、「問答」の間の形式として定着していった。その状況を含めた「不定詞カーヤ」を、どちりなきりしたんは「教義問答らしさ」を演出するために「利用」したのである。先の和歌の例で少し述べたが、ここでのらしさ」という表現効果は、共時論的には当時の口頭語との「ずれ」から生じるものと思われる。これらのことから考えて、どちりなきりしたんが「不定詞カーヤ」を用いているという現象には、「表現形式に対する文体の関与」という問題は絡んでいないと結論するのである。七、まとめと今後の展望
本稿では、土井氏が明らかにされた講説聞書類の文章構成を踏
まえた上で、講説聞書類に多く見られる「間…答:こという文章
形式の機能を考察し、さらに疑問表現の歴史的研究という立場か
ら「問…答…」と疑問文の表現形式との関係について考察した。
第三節では、「問…答…」の間に見られる疑問文の表現形式とそ
れ以外の箇所に見られる表現形式を調査し、どれくらい使い分け
がされているかを示した。そこでは、講説聞書類の中でも華厳信
種義門集記が最も表現形式を使い分ける傾向にあることを指摘し、
用例が多い形式の一つである「不定詞カーヤ」において、華厳信
種義門集記では間にのみ使用される形式であることを指摘した。
第四節では、「不定詞カーヤ」と同じ内容を表すことができる表
現形式「不定詞‑ゾ」「不定詞‑ヤラン」と対比させて、前者が古
いタイプの形式、後者が新しいタイプの形式であることを示した。
第五節では、第三節と第四節の結果から、「間…答…」の文章形
式の機能を考察し、多層構造化する枠組みとして機能していたと
結論づけた。華厳信種義門集記においては、「間…答…」の文章形
式以外に多層構造を形作る要素がないために「間…答…」という
文章形式とそれ以外のとの位相差を鮮明にする必要があり、その
一つの方法として疑問文の表現形式の使い分けがなされていたと
解釈したのであった。
第六節では、疑問表現の歴史的研究という立場から、「間…答…」の文体的位相が及ぼす疑問文の表現形式への影響について検
討し、さらに疑問表現の推移との関わりを論じた。疑問文の表現
形式が使い分けられる傾向にあった華厳信種義門集記では、「表
現形式に対する文体の関きと表現効果としての「教義問答らし
さ」によって、古いタイプの表現形式「不定詞カーヤ」が使用された。そして、時代の下った室町時代の資料、どちりなきりしたんでも「不定詞カーヤ」が見られることについて、「表現形式に対する文体の関与」とは無関係に、「教義問答らしさ」を演出するという目的のために、「不定詞カーヤ」が「利用」されたのだと述べた。このような状況を疑問表現の推移という観点から説明すると、
華厳信種義門集記の「不定詞カーヤ」は「問答」の間の表現形式
として定型化しっつある段階であり、その過程には「表現形式に
対する文体の関与」が存在したのであるが、室町時代に下ると、
「不定詞カーヤ」はすでに定型化し定着していたため、「表現形式
に対する文体の関与」とは無関係に、どちりなきりしたんでは「教
義問答らしさ」を演出する目的で、すでに「問答」の問の形式と
して定型化し、定着している「不定詞カーヤ」を「利用」したと
いうことになるのである。
第六節では「表現形式に対する文体の関与」という考え方を提
示した。それによって、時代が異なる資料に見られる共通の事項
(ここでは華厳信種義門集記とどちりなきりしたんに「不定詞カーヤ」という表現形式が見られるということを指す)を、文体と
文法を関連づけた疑問表現の推移として考察することが可能にな
る。これは、疑問表現の歴史的研究における文体と文法の」父渉と
いう新たな方向性を示したことになる。
本稿では、その具体的な方法として、文章(資料)の内部構造
と文体的位相の性格という文体の側の考察と、疑問文の表現形式
による表現効果という文法の側の考察を行い、その間をつなげる
考え方として「表現形式に対する文体の関与」を導入した。そし
て、華厳信種義門集記における「問…答…」の間の表現形式「不
定詞カーヤ」の場合、文体が関与性を持っていたので、その目的
を具体的に述べた。さらに、最も根本的には、今述べたような考
察が方法論的に疑問表現の歴史として有効かどうかという問題を
考える必要がある。第五節までに示した一連の考察が仮に一資料
内に留まるとすれば、これまでの「地の文」「会話文」という文体 的位相における現象の記述とあまり変わらないといえるっしかし
それが、同時代、あるいは、異なる時代における他の資料と接点
をもつとすれば、推移、変遷として説く可能性を得ることになる。
本稿においては、華厳信種義門集記の「間…答…」の間にのみ使 用される「不定詞カーヤ」がどちりなきりしたんにも見られるこ
とを示した。その意味において、文体を軸とした疑問表現の歴史
の可能性を獲得したといえるのである。
今回は考察が及ばなかったが、なぜ「間…答=・」の間に「不定
詞カーヤ」が選択されたのかなど、ある特定の表現形式が選択さ
れた理由についても検討する必要があり、これには、疑問文の統
語構造や意味による分析が必須となる。この点にも文体と文法の
強固な結びつきを見る。今後は、「間…答…」という文章形式以外
の文章構造、文体的位相にも考察対象を広げ、本稿で示した方法
の有効性を確認しっつ、文体を軸とした新しい疑問表現の歴史を
明らかにしていきたいと思う。
【
注
】
(注こ小林芳規(一九七一)、同(一九八八)、柳田征司(一九
八七)、山口佳紀(一九八七)
等 (注二)「伝授聞書」とは、「真言密教の諸尊法について、その具
体的な方法等を解説するもの」を指す。
(注三)土井光祐(一九九五)
(注四)土井光祐(一九九五)
(注五)「たとえば中世語の資料として極めて貴重な、抄物やキ
リシタン資料・朝鮮資料などの外国資料の類を材料にす
る場合には、そこに表れてくる日本語が同じく口頭語的
なものといっても、たとえば狂言や歌謡の類に見えてい
るものと、果たしてどの程度等質的なものと考えてよい
のか、といった問題が生じる(中略)表現の微妙な点を
含む所の多いこのr疑問表現」の場合には、問題が深刻
なのである。いまはしかし、このことを常に胸に畳んで、これ以後(院政期以降…筆者注)の疑問表現の変遷の根
本的な方向を、その限りでは誤りのないことを期しっつ、
たどることにしたい。」(阪倉篤義(一九九三)一八九〜
一九〇頁)
(注六)使凧テキストは以下の通りである。引用の際は通行の文
字に改めた箇所がある。
●
華厳仏光観閲書…高山寺典籍文書綜合調査団編(一九八
七)『明恵上人資料第三』(東京大学出版会)
所収
●
光言句義釈聴集記…高山寺典籍文書綜合調査団編(一九七八)『明恵上人資料第二』(東京大学出版会)
所収
●
華厳信種義聞集記…『金沢文庫資料全書第二巻華厳編』
〓九八五)
所収
●
解脱門義聴集記…納富常天校訂〓九六七)『金沢文庫研
究紀要』四所収
(注七) 起信論別記聴集記…『大日本彿教全書』九三所収
華厳仏光観閲書は、疑問文は以下に示す二例のみであり、
光言句義釈聴集記は三三例で、他の三資料に比べて四分
の一以下である。起信論本疏聴集記は解脱門義聴集記の
約二四倍の言語量である。起債論本疏聴集記と起信論別
記聴集記とは同じE形式に範疇化されているように、土
井氏によると同様のものと見てよいようである。したが
って、他の資料との言語量とバランスを取るために、起
信論別記聴集記を対象として選択する。
問一切境界力無相ナト者ナニトテ無相ナルソ答皆善生ノ
業カニロ其業カノカケカクツリタル程。サティマ此。見ル
物共ハ皆無相ナル也(華厳仏光観閲書二四ウ⑩)
色界ハマサリテ色ハカリl〓ア形チハ無也タトヘハニシナ
ントノ如ナルヘキ欺(華厳仏光観聞書・一〇ウ⑤)
(注八)F形式(五教章類集記(原態本))とG形式(五教章類集
記(改編本))は書写年代が下り、また、AからE形式が
明恵の講説の聞書があるのと異なり、喜海の講説の蘭書
打みが編集されている。したがって、ここでは特に取り
上げないことにするゥ
(注九)調査した中世片仮名文資料は、打開集(長承三年(二
三四)頃書写本、山口光円蔵)、法華百座間座抄(院政末
書写、法隆寺戯)、三教指帰注(院政末期書写本、中山法
華経寺蔵)、宝物集(片仮名本、鎌倉初期書写本、書陵部
蔵)である。本文引用には、東辻保和(一九八〇)『打聞 集の研究と総索引』(清文堂)と北原保雄・小川栄一編(一九九〇)『延慶本平家物語本文篇上・下』(勉誠社)を使用した。
(注十)「疑問語+ゾームヤ」「疑問語+オームヤ」のやうな形式
で「ゾ」又は「カ」と「ヤ」とが同一文中に姓存する例
が見られる。(築島裕〓九六七)五七三頁)
(注十一)起債論別記聴集記では「不定詞カー」「不定詞ゾー」は
「問…答:・」の間の部分には使用されない等の使い分け
はある。
(注十二)本稿では、「文体的位相」を文章の属性という形でゆる
く規定しておく。例えば、「人間」は必ず「男」か「女」
かの性別や「夫」「子供」などの家族的属性を有している
ように、あらゆる文章において、必ずなんらかの属性、
すなわち文体的位相を有している。
(注十三)土井光祐(一九九五)
(注十望
解脱門義聴集記については、「不定詞‑ゾ」「不定詞‑
ヤラン」という新しいタイプの形式も用いられているけ
れども、「不定詞カーヤ」という古いタイプの形式が問の
みに用いちれているわけではない。
(注十五)私注や他の典籍からの引用が見られず、一字下げなど
によって原典章句との区別をしていない光言句義釈聴集
記においても、「問…答…」の間の部分とそれ以外の箇所
に使用される形式とには使い分けが見られる。
(注十六)海老沢有道校注二九五〇)『どちりなきりしたん』
(岩波文庫) (注十七)「『どちりなきりしたん』の文体は、キリスト教の教義
を師弟の間で尋ね答える、いわば学習体ともいうべき文
体である。」(大野晋(一九九三)三二二頁)
【引用文献】
・大野晋〓九九三)『係り結びの研究』(岩波書店)・小林芳規(一九七」)「中世片仮名文の国語史的研究」『広島
大学文学部紀要』特報号三
・
同 (一九八八)「鎌倉時代の口頭語の研究資料につい
て」『鎌倉時代語研究』第一一輯・阪倉薦義二九九三)『日本語表現の流れ』岩波セミナーブ
ックス四五(岩波書店)・築島裕(一九六〇)「漢文訓読語に於ける係助詞に就いて」
『語文研究』第一〇号(『平安時代の漢文訓読語につきての
研究』(東京大学出版会)七一三〜七四六頁に再掲)
・
同
〓九六七)『平安時代の漢文訓読語につきての研
究』(東京大学出版会)・土井光祐(一九九三)「講義と聞書及びその言語意識とについて一明恵と喜海との言説をめぐつて‑」『中央大草国文』
第三六号・
・
同 (一九九五)「高山寺関係聞書類の資料的性格と学統‑講説聞書と伝授聞書をめぐつて‑」『訓点語と訓点資
料』第九五輯
同 (一九九八)「金沢文庫保管「華厳信種義門集記」
の本文の性格について」『金沢文庫研究』第三〇二号・柳田征司(一九八七)「明恵上人関係聞書類について」『明恵
上人資料』第三(東京大学出版会)・山口佳紀(一九八七)「国語資料として見た明恵上人関 係聞書類」『明恵上人資料』第三(東京大学出版会)」
【たかみやゆきの大阪大学大学院博士後期課程】