漁業儀礼考 : スリランカ・タミル漁村における地 曳網漁をめぐって
著者 田中 雅一
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 18
号 1
ページ 47‑98
発行年 1993‑07‑30
URL http://doi.org/10.15021/00004229
田中 漁業儀礼考
漁 業 儀 礼 考
一ス リランカ ・タ ミル漁村におけ る地曳網漁をめ ぐって一
田 中 雅 一 ・*
On Fishing Rituals:
A Case of Tamil Beachseine Fishing in Sri Lanka
Masakazu TANAKA
This article aims to understand rituals for beachseine fishing among the Tamil Hindu fishermen of Sri Lanka. In 1925 Malinowski presented a famous thesis on the causal relationships between magic and anxiety.
He observed that in the case of lagoon fishing rituals and magical beliefs little developed, while off-shore fishing was surrounded by various kinds of magical practices. He attributed the difference to the fact that the former used poison for catching fish, therefore its catch was certain, and there was no physical danger. On the other hand, off-shore fishing was full of danger and uncertainty. You may catch no fish, after a long and hard trip. In addition, the weather in the open sea is sometimes rough.
In a word anxiety creates magic: it is performed to alleviate anxiety.
Since then, analyses of the fishing rituals and taboos at sea have been conducted in order to prove Malinowski's thesis. Some argue, like A. R. Radcliffe=l3rown, the rituals may strengthen the social ties among the crew aboard. Furthermore, the symbolic dimension of the sea has been pointed out, and some taboos have been interpreted from this point of view.
This article tries to analyse fishing rituals in terms of the politico- economic conflicts between beachseine owners and their labourers. A good-natured, pious labourer is often employed as "a priest" in the rituals. He is considered as an ideal labourer. Ideal for the net-owners, who often suffer from heavy loss, caused by the severe shortage of
京都大学人文科学研究所,国 立民族学博物館併任
Key Words : Sri Lanka, Tamil, Hindu, ritual, beachseine fishing
キ ー ワ ー ド:ス リ ラ ン カ,タ ミ ル,ヒン ド ゥ ー,儀 礼,地 曳 網 漁国立民族学博物館研究報告 18巻1号
labour force. The tight control over the labourers is therefore essential for the success in beachseine fishing. In these beachseine rituals the labourers are always subordinated to their patrons, that is, the net- owners.
The labourers chant hymns while working on the beach. It is said that village goddesses are usually living in the sea. The sea is the realm of goddesses, and charged with sacred power. This partly explains why men need rituals and avoid pollution, when going for fishing.
Therefore, the labourers directly face the sacred space, while working.
Their relationships with the goddesses are direct, and are temporarily creating a kind of "communitas" of the devotees. Here, they are not ritually subjugated to anybody, unlike the case where they play a role of priest, for the net-owners' sake.
1.序 論 1.問 題 の所 在
2.D村 の概 略 五,資 料
1.漁 業 活動 (1)地 曳 網 漁 (2)そ の他 の 漁 法 (3)ま とあ
2.地 曳 網漁 儀 礼 (1)タ ブ ー
(2)個 別 儀 礼 (3)集 合儀 礼 (4)キ ャ ンプ で の儀 礼 (5)奉 納 儀礼 (6)祓 除 師 に よる儀 礼 皿.考 察
1.漁 業 儀 礼 論 の検 討 2.司 祭 と して の労 働 者 3.女 神 賛 歌
】V.結 論
1.序 論
1.問 題 の 所 在
本 論 の 目的 は,スリランカ 西 部 の タ ミル漁 村Dの 主 要 生 業 で あ る地 曳 網 漁 に 関 す る儀 礼 を記 述 ・分 析 し,そ の性 格 を 明 らか に す る こ とで あ る。
漁 業 を め ぐる儀 礼(以 下 漁 業 儀 礼 とよぶ)に つ い ては す で に い くつか の 研 究 が 存 在 す る。 た とえ ば,マ リノ ウス キ ー は1925年 に 発 表 され た 「呪 術,科 学,宗 教 」 とい う 論 文 のな か で,ト ロプ リア ソ ド諸 島 の人hは 合 理 的 な考 えに 裏 打 ち され た 航 海 技 術 を
もつが,そ れ に よって か な らず し も航 海 の危 険 が克 服 され るわ け で は な い と指 摘 し,
田中 漁業儀礼考
そ こに呪 術 的 な行 為 が 関 与す る理 由が あ る と述 べ て い る。 以下,か れ の 言 葉 を引 用す る。
かれ ら(ト ロブ リア ン ド諸 島 の 人 々)が た とえ 体 系 的 な 知識 を所 有 し,こ れ を厳 密 に適 用 し よ うと も,な お予 想 不 可 能 な強 い潮 流 や 突 風 未 知 の岩 礁 な どの危 険 に さ ら され て い る。
こ う した危 険 を克 服 す るた め に 呪 術 が 必 要 な の で あ る。 そ れ は,建 造 中 の カ ヌー に た い し お こな わ れ た り,ま た 航 海 の初 め や 航 海 中に お こな わ れ る。 さ らに は 危 険 に遭 遇 して い る
さなか に も な され る 【IVIALINOWSKI 1954:30】。
続 け て,マ リノ ウ ス キ ー は 呪 術 が 不 安 を 和 ら げ る と い う仮 説 を 支 持 す る 決 定 的 な 事 例 を 紹 介 す る 。 か れ に よ る と,ト ロ ブ リア ン ド諸 島 に は2種 類 の 漁 法 が あ る 。 ひ とつ は ラ グ ー ソ で お こ な わ れ る 漁 法 で あ り,も うひ と つ は 外 海 で の 漁 法 で あ る 。 前 者 で は 魚 毒 が 使 用 され る 。 方 法 は 単 純 で,大 漁 が つ ね に 約 束 さ れ て い る 。 こ の 漁 法 に は 危 険 も不 確 実 性 も存 在 し な い 。 これ に た い し て,後 者 で は 危 険 が と も な い,ま た 漁 獲 も一 定 し な い 。 「ラ グ ー ン で の 漁 業 に 呪 術 は 存 在 せ ず,人 々 は 知 識 と技 術 に 完 全 に 依 拠 し
て い る 。 こ れ に た い し,外 海 で の 漁 業 は 危 険 と不 確 実 さ に 満 ち て い る た め,呪 術 的 な 儀 礼 が 広 範 囲 に お こ な わ れ て,安 全 と よ い 結 果 を 確 実 に し よ う とす る 。 こ れ が(呪 術
の 理 解 に あ た っ て)も っ と も 重 要 な 事 実 で あ る」 【MALINowsKI 1954:31】 。
こ こ で マ リ ノ ウ ス キ ー が 漁 業 に と も な う不 安 と し て 挙 げ て い る も の は,厳 密 に は2 つ に 分 か れ る 。 ひ と つ は 身 体 的 な 不 安,生 死 に 関 わ る危 険 で あ り,も うひ と つ は 漁 獲 高 に つ い て の 経 済 的 な 不 安 で あ る1)0
す で に 発 表 さ れ て い る 漁 業 儀 礼Y'関 す る 諸 論 文 は,マ リノ ウ ス キ ー に よ る 以 上 の 儀 礼 不 安 解 消 説 を 検 討 し,そ の 要 因 を よ り子 細 に 論 じ て い る。 そ こ に は2つ の 大 き な 流 れ を 認 め る こ とが で き る。 ひ とつ は,ボ ギ ー と か れ の 同 僚 た ち に よ る 議 論 【DOGGIE 8t al.1972,1976,19881で,身 体 の 危 険 か ら生 ま れ る 不 安 を 解 消 す る も の と して 儀 礼 が お こ な わ れ る と い う も の で あ る2)0そ し て,マ リノ ウ ス キ ー の 議 論 を 発 展 さ せ て,船 の サ イ ズ,海 上 で 過 ご す 日数,漁 民 社 会 の 出 身 か ど うか,学 歴 な ど と 儀 礼 や タ ブ ー と の 相 関 関 係 を 検 討 して い る。 も うひ とつ は マ レ ソ[IVIULLEN l969】 が 強 調 し,ラ ミス 匹UMMls 1983】 が 展 開 した 立 場 で,そ こ で は 生 産 を め ぐ る 不 安 が 儀 礼 の 要 因 と み な され て い る 。 と く に 後 者 は 同 じ 身 体 的 な 危 険 に さ ら さ れ て い る 乗 組 員 で も,経 済 的 な 利 害 に 深 く関 わ っ て い る 人 の 方 が,不 安 も 大 き い と考 え,そ れ を 立 証 し よ う と し た 。 1)益 田は 前 者 を危 機 的 性 格,後 者 を 投 機 的 性 格 と して,漁 業 の基 本 的 特徴 とみ な して い る 【益 田1978:361‑3b4]。
2)ほ か に 儀 礼 不 安解 消説 につ い て はPrice[1967]を も参 照 。
国立 民族学博物館研究報告 18巻1号 これ た い して,パ ーマ ー は,儀 礼 の 不安 解 消 説 を 資料 が 十 分 に 支 持 して いな い と批 判 し,儀 礼 は 漁 民 間 の 協 同 関 係 を 強 化 す る の に む しろ 役 立 っ て い る と主 張 す る
【PALMER 1989]。換 言 す る と,協 同 が必 要 な と きに こそ儀 礼行 為 が 増 え る とい うの で あ る。 これ は協 同が 生 じな い と不 安 を 引 き起 こす よ うな諸 問 題 が 生 じる とい う点 で 不 安 解 消 説 の変 形 とも言 え るが,協 同 を強 調 して い る点 で マ リノ ウス キ ー とい うよ りも, 結 束 を強 調 す る ラ ドク リフ=ブ ラ ウ ンの 儀 礼 説1ラ ドク リフ=ブ ラ ウ ン 1975:227]
に近 い 。
最 後 に フ ァン ・ヒン ケル の立 場 を紹 介 して お く。 か れ は,従 来 の漁 業儀 礼 の 研 究 が タ ブーや 儀 礼 の数 とい った数 量 的 な側 面 を強 調 し,儀 礼 そ の もの の 内容(意 味)を 取 り上 げ て い な い と批 判 す る 【VAN CrlNKEL l9871。 か れ に よる と,漁 業 を め ぐる儀 礼 的行 為 は 陸 と海 とい う2つ の 異 な った 空 間 を越 境 す る と きに お こなわ れ る通 過 儀 礼 の 一 部 であ る。 そ して,漁 民 た ち は海 上 では境 界 的 な(リ ミナ ル な)存 在 と して多 くの 禁 忌 を遵 守 しな けれ ば な らな い とい うのだ。 かれ は さ らに なぜ 特 定 の動物 や人 物 が タ ブ ーの対 象 とな るのか と問 い,そ の象 徴 的 な意 味合 いを 文 化 的 な脈 絡 を考 慮 しつ つ 明 らか にす る必 要 性 を説 い てい る。
以上 の よ うに これ ま で の漁 業儀 礼論 を 整理 して み る と,心 理 的 な側 面 を 強調 す る立 場 か ら,結 束 を 強 調 す る立 場,ま た象 徴 的 な 視 点 と,儀 礼 の 主要 理 論 が なん らか の形 で 反 映 して い る こ とが わ か る。 本 論 で は 以上 の 漁業 儀 礼 論 を 念 頭 に,D村 の地 曳 網 漁 を め ぐる儀 礼 を 分析 してい くわ け で あ るが,そ の前 に本 論 で の 視座 を 明 らか に して お きた い。
こ こで指 摘 して お きた いの は,儀 礼 を主 題 とす る従 来 の研 究 で は 漁民 が 均 質 的 な存 在 と して取 り扱 わ れ る傾 向が あ る とい うこ とで あ る。 トロプ リア ン ド諸 島 の 「階層 」 と,現 代 の北 米 や 大 西 洋沿 岸 漁 民 社会 の 「階 層 」 とを 同列 に 扱 うわ け に は いか な い に して も,階 層 社 会 で あ る ことを 中 心 に お いた 分 析 が漁 業 儀 礼 の 研 究 に も必 要 と思わ れ る。唯 一 の例 外 は ラ ミス で,漁 民 の 階層 的 な地 位 とそれ に基 づ く役 割 に よっ て経 済 的 な不 安 も異 な る と指 摘 して いた 。 本論 で も類 似 の 視 点 か ら,綱 元 とそ の下 で働 く労 働 者 との 相違 を念 頭 に お い て議 論 を 進 め る。 そ の際,不 安 だけ で な く,網 元 に よる労 働 者 に た いす る階 級 的 な 支配 や 管 理 とい う視 点 を 失 うべ きでは ない と考 え る3)0
3)階 層分化 の過程が主題 とな っている 日本の漁村研究において も,本 論 で指摘 した ような批 判が儀礼研 究においては妥当する と思われ る。すなわ ち佐島が指摘する ように,漁 村の民 間 信仰 の研究に おいては儀礼 の社会学的性 格が十 分に考慮 されて こなか った 【佐島 1989:
1041。また,た とえ社会学的 な視点か ら漁村 の宗教 を分析す る場合 でも,益 田の ようにその 単位を漁村(浦)と とらえ 【益 田 1978:509,1979:525},漁 村 内部 の階層 との関係で宗教, と くに儀 礼を理解 しよ うとす る視点が欠けている。
田中 漁業儀礼考
以下 で は まず 調 査地 の概 略 を 記述 した 後,地 曳網 漁 の 組 織 と操業 につ いて考 察 し, 労 働 問題 が地 曳 網 漁 の存 続 に 関 わ る重 要 な 問題 で あ る とい うこ とを指 摘 し,そ の つ ぎ に地 曳網 漁 と密 接 に結 びつ い た諸 儀 礼 を 紹 介す る。 そ して,上 述 した漁 業 儀 礼論 を検 討 し,最 後 に こ こで示 唆 した 筆 者 自身 の観 点 か ら儀 礼 を 考 察 す る。
2.D村 の 概 略
タ ミル 漁 村Dは ス リ ラ ン カ の 西 岸 部 に 位 置 す る(図1)4)0そ の 規 模 は か な り大 き く,1983年 現 在 総 人 口4,321人(793戸)の うち,ヒ ン ド ゥ ー教 徒 が3,767人(694戸), イ ス ラ ー ム 教 徒372人(67戸),キ リス ト教 徒182人(32戸)で あ る(表1)。 調 査 の 対 象 と な っ た ヒ ン ド ゥ ー 教 徒 の カ ー ス トは,漁 民 カ ー ス ト(Karaiyar)が い わ ゆ る 「支 配 カ ー ス ト」(dominant caste)と して 圧 倒 的 多 数(667戸)を 占 め,経 済 的 に も優 位 に あ る と こ ろ に 特 徴 が あ る(表2)。
村 に は 漁 民 カ ー ス ト以 外 に,司 祭 職 を 伝 統 と す る菜 食 の ブ ラ ー マ ソ,非 菜 食 の 司 祭 カ ー ス トで あ る パン ダ ー ラン(Pantaram),金 細 工 師,散 髪 屋,村 の 清 掃 を 担 当 す る パ ラ イ ヤ ン(Paraiyan),尿 尿 処
理 を す る サ ッ キ リ ヤ ン(Cak‑
kiliyan)が 少 数 な が ら存 在 す る 。 ま たD村 の 生 活 に 密 接 に 関 係 し て い る 洗 濯 屋 がDに 北 接 す るA 村 に 住 む 。A村 は1960年 頃 にD 村 の 人 々 に よ る 入 植 が は じ ま って
表1 D村 の宗 教 人 口構 成(1983) 宗 教 人 口(%) 世帯数(%)
ヒ ン ド ウ ー教 イ ス ラ ー ム教 キ リ ス ト 教
3767(87.2) 372(8.6)
ig2(a.2)
694(87.5) 67(8.4) 32(4.0)
合 計 4321 793
村 と な っ た も の で,村 人 た ち の 間 で はAは Dの 一 部 と い う意 識 が 強 い 。
ヒエ ラ ル キ ー の 順 位 は ブ ラ ー マ ンが 最 高 位 を 占 め る が,次 位 に 関 し て は,漁 民 カ ー ス ト, 金 細 工 師,パ ン ダ ー ラ ソの3老 で 意 見 が 分 か れ る 。 か れ ら の 下 に,洗 濯 屋,散 髪 屋,パ ラ イ ヤ ソ,サ ッキ リヤ ソ の 各 カ ー ス トが 続 く。
サ ッ キ リ ヤ ン を 除 い た す べ て の カ ー ス トは, 年 中 行 事 や 通 過 儀 礼 に お い て な ん らか の 奉 仕
表2 D村 の カ ー ス ト構 成(1983)
カ ー ス ト 人 数 世帯数
漁 民 3658 667
ブ ラ ー マ ソ 7 1
パ ン ダ ー ラ ソ 5 1
金 細 工 師 37 8
床 屋 22 4
パ ラ イ ヤ ソ 9 2
サ ッ キ リヤ ン 15 3
そ の 他 ・不 明 14 8
合 計 3767 694 4)D村 の 概 略 に つ い て はTanaka【1991:21‑36】 が 詳 し い 。 な おTanaka[1991】 で はD村 を Cattiyurと よ ん で い る 。
国立民族学博物館研究報告 18巻1号
図1 ス リ ラ ン カ
義務 を も ち,パ トロ ン よ り報 酬 を 得 る。
村 の主 要 生 業 に 関 わ る の は漁 民 カ ース トであ るか ら,他 の カ ース トは 経 済 的 に は か れ らに 依 存 して い る。D村 は原 則 的 に は かれ らの村 な の で あ り,か れ らだ け が 真 の 村 人 で あ る。D村 の漁 民 カ ー ス トた ちは も と も と17世 紀 に 散髪 屋 や 洗 濯 屋 を連 れ て, 南 イ ン ドよ りス リラ ンカ に渡 来 して きた 人hの 子孫 で あ り,原 則 と してスリランカ の 他 の地 域 の 漁 民 カー ス トと交 わ る こ とな く,村 内婚 を 繰 り返 して今 日に 至 って い る。
D村 とA村 とが か れ ら の村 で あ る とい う意識 は非 常 に 強 い の で あ る。 以 上 の 点 か ら 本 論 にお い て,村 人 とい うの は こ とわ りの な い 限 り漁 民 カ ース トを 指 す 。
田中 漁業儀礼考
皿.資 料
1.漁 業 活 動
D村 で の 漁 業 活 動 は,そ の環 境 か ら大 き く2つ に 分 か れ る。 ひ とつ は 海 で お こな わ れ る沿 岸 漁 業 で あ り,も うひ とつ はD村 の東 側 に 広 が る ラ グ ー ソや 運 河,沼 沢地 で の汽 水 面 漁 業 で あ る。 これ らは さ らに,漁 法 な どに よって 細 か く分 か れ る。漁 業 に 従 事 す る村 人 は,地 曳 網(karaivalai)を 所 有 す る網 元 とそ の 下 で 働 く労働 者(網 子) た ち,そ して,そ の どち らに も属 さな い筏 漁 師 や船 外 モ ー タ ーつ きボ ー トを使 用 す る 漁 師(以 下 ボ ー ト漁 師 と よぶ),海 で
は な く ラ グ ー ンで エ ビな ど を と る 漁 師,魚 商 人 な どに 分 か れ る。 網 元 た ち は コ ロンボ に 魚 を出 荷 し,農 村 で の 大 土 地 所 有 者 の よ うに 村 の有 力者 層 を 形 成 す る。 漁 民 カー ス トに 属 す る者 に限 って言 うと,成 人男 性(18才 以上65才 以下)945人 の うち794人(84.0%)が 漁 業 に従 事 してい る。 この うち網 元 が 73人,労 働 者,帳 簿 係,ト ラ ック運 転 手 ら網元 に依 存 して い る人hが550人, 地 曳 網 以 外 の 漁 業 に携 わ る人hが147 人,そ して 直接 生 産 に は 依存 しな い 商 人 らが24人 で あ る(表3)。 以下 で は, まずD村 に お け る主 要 な 漁 業 で あ る 地 曳網 漁 を 中 心 に述 べ,そ の後Y'そ の 他 の漁 法 につ い て述 べ る5)0
表3 漁 民 カー ス ト ・成 人 男性 の職 業 分 布
仕 事 人数
漁 業
網 元 労 働 者
網 元 の所 で働 く労 働 者 以 外 の 人 々 ボ ー ト所 有者
ボ ー ト手 伝 い 筏 漁 師
ラ グー ン漁 師 商 人
73 532 18 38 23 59 27 24
小 計 794
漁 業 以 外
コ コヤ シ園 所 有 者 店 主
店 員 教 員 公 務 員 そ の他
11 16 2 12 15
小 計 56
学生 SO
失 業 者 ・定 職無 し 45
計 94S
5)漁 業 に つ い て の統 計 資 料 お よび漁 民 た ちの 行 動 の 詳細 は別 稿 で分 析 す る予 定 で あ る。 この た め こ こで は,最 低 限 必 要 と思わ れ る記 述 に と どめ て お く ことを こ とわ って お きた い。 農業 に 従 事 す る村 人 は ほ とん ど存 在せ ず専 業 漁 民 で あ る。 な お,わ ず か なが ら コ コヤ シ園 を 所 有 す る大 土 地所 有 者 が 存 在 す るが,村 で のか れ らの 影 響 は 今 日では あ ま り大 き くは ない 。 この 点 に つ い て は 田 中[1993]を 参 照 。
国立民族学博物館研究報告 18巻1号
(1)地 曳網 漁 1)モ ンス ー ソ
ス リラ ンカ の漁 業 は モ ンス ー ンに よ っ て 大 き く左 右 され る。 西 海 岸 に 位 置 す るD 村 では4月 か ら10月 に か け て 吹 く南 西 モ ソス ー ンのた め 海 が荒 れ,多 くの 漁 師 が東 海 岸 に あ る ム ッライ ッテ ィー ヴ ーの 周辺 に 季 節 的 な 出稼 ぎ6'移 動 し,そ こで 漁 を続 け る (図1参 照)。 モ ンス ー ンの 変 化 に 応 じて1年 が2つ の漁 期 に分 か れ る の で あ る。 た だ し,東 海 岸 の キ ャ ンプ(vati)で は実 際 には2月 か ら地 曳網 操 業 が可 能 な ため,以 下 で述 べ る よ うな きわ め て 複 雑 な移 動 とそ れ に と もな う網 元 と労 働 者 との 契 約 が生 じ
る こ とに な る。 な おD村 の北35キ ロほ どの と ころ に位 置 す るマ ソ ナ ッ クラ ム に も キ ャ ソ プが あ る。 これ は 西 岸 部 に位 置 す るた め に,D村 と同 じ く南 西 モ ンス ー ソの影 響 を 受 け る が,時 期 は 少 しず れ て お り,操 業 開始 時 期 はD村 よ りも早 い9月 で,2 月 に は操 業 を や め る。 なお,地 曳網 漁 の操 業 は,モ ソス ー ンとい う 自然 条 件 に よっ て の み 左右 され る の では ない 。 とい うの も,後 に見 る よ うに 労働 力不 足 の問 題 か ら3, 4ケ 月 で操 業 を 打 ち 切 る地 曳 網 もあ るか らだ 。 これ に た い し半 年 以 上,条 件 が 許せ ぽ 5月 半 ぽ ま で操 業 を続 け る地 曳 網 もあ る。
地 曳網 漁 に くらべ る と,筏 漁 や ボ ー ト漁 は モ ンス ー ンの影 響 を あ ま り受 け ない。 こ の た め1年 中D村 周 辺 で 漁 をす る こ とが 可能 で あ る。 しか し,実 際 に は多 くの筏 漁 師 や ボ ー ト漁 師 た ちが大 漁 の期 待 で きる東 北 海 岸 へ と移 動 し,約 半 年,と き には そ れ 以 上 の長 い期 間 をキャンプ で過 ごす。 移 動 しな いの は,モ ンス ー ンの影 響 を ほ とん ど 受 け な い ラ グー ンで 漁 をす る漁 師 た ち で あ る。
2)船 と網
地 曳 網 漁 は 網 を 運 ぶ 船 の 種 類 で 大 き く3つ に 分 か れ る 。ひ と つ は,長 さ お よ そ10メ ー トル,幅3メ ー トル の 平 底 の パ ー ダ イ(patai)と よ ば れ る船 で,こ れ はD村 で しか 操 業 さ れ な い 。 パ ー ダ イ に は 舵 取 り(mantati)と 副 舵 取 り(吻 即 〃2α脚 の,漕 ぎ 手 (tantu)が6人,網 を 海 に 降 ろ す 作 業 を す る人(特 別 の 名 前 は な い)が4,5人 乗 る 。 船 に 乗 る 人 々 を 集 合 的 に サ ン マ ー ソバ ー キ(cam〃aampakki)と よ ぶ 。 地 曳 網 も 大 き
く,操 業 に は 最 低30人 必 要 だ 。 と き に は,60人 も の 労 働 者 が 網 を 曳 く。 つ ぎ に ヴ ァ ッ ラ ム(vallam)と い う カ ヌ ー ・タ イ プ の 船 が あ る 。 これ は,キ ャ ン プ(ム ッ ラ イ ッ テ ィ ー ヴ ー お よ び マ ン ナ ッ ク ラ ム)で 使 用 さ れ る 。 大 き さ は パ ー ダ ィ よ り小 さ い 。 使 用 す る 網 も 小 さ く,必 要 な 労 働 者 は15〜20人 で あ る 。 こ れ は キ ャ ン プ の あ る 海 岸 がD 村 ほ ど 地 曳 網 の 好 条 件 に 恵 まれ て い な い た め,大 き な 網 を 使 用 す る こ と が で ぎ な い こ
田中 漁業儀 礼考
とが原 因 で あ る。 パ ー ダイ も ヴ ァ ッラム も擢 で漕 ぐ。 最 後 に 大 型 の 筏 に6馬 力 か8馬 力 の船 外 エ ソジ ンを つ け た カ ッ ト ゥマ ラ ム(kattumaram)が あ る。 これ は ヴ ァ ッラ ム よ りさ らに規 模 の 小 さい地 曳 網 漁 に使 用 す る。 必 要 な労 働 者 は ヴ ァ ッラム よ りさ ら に 少 な く10〜15人 で あ る。 カ ッ トゥマ ラ ムはD村 お よび キ ャ ンプ両 方 で 使 用 され る。
なお,本 論 で考 察 の対 象 とな るのは 主 と して パ ー ダ イを使 用 す る網 元 が 関わ る地 曳 網 漁 儀 礼 で あ る。
網 は 使 用 す る船 の種 類 や 魚 の種 類 な どで5種 類 に分 か れ る。 大 き さや 網 の 目の サ イ ズ な どは異 な る が,こ れ らの基 本 的 な構 造 は 同 じで あ る(図2参 照)。 地 曳網 は大 き く4つ の部 分 か らな る。 魚 が 最後 に追 い込 まれ る 中心 部 は 袋状(袋 網,マ デ ィ 〃tati)
図2 地 曳 網(Alexander[1982:137]の 図 を 修 正)
国立民族学博物館研究報告 18巻1号
に な っ て い て,魚 が 多 い と き は 取 り替 え 可 能 だ 。 厳 密 に は 最 初 か ら 網 に つ け て お く袋 網 を タ ー イ マ デ ィ(taymati),予 備 の も の を マ ッ ト ゥマ デ ィ(〃zattumati)と い う。
つ ぎ に 袋 網 と接 続 す る 網 の 中 心 部 サ ル ヴ ァ ー(Galva)が あ る 。 そ し て そ こ か ら 両 側 に 袖 網(talaivalai)が 延 び て い る 。 袖 網 は500メ ー トル 近 く あ り,さ ら に 細 か く9つ の 部 分 に 分 か れ て い る 。 マ デ ィ も サ ル ヴ ァ ー も綿 糸 で で き て い る が,袖 網 と そ れ に 続 く綱 は コ コ ヤ シ の 繊 維 で で き て い る 。胴 体 か ら 離 れ れ ば 離 れ る ほ ど 網 の 目 は 広 くな り, 幅 も6メ ー トル と 大 き くな る 。 こ の さ き に 太 い 曳 綱(kamman)が つ く。 曳 綱 の 長 さ
は 一 巻 お よ そ60メ ー トル で,複 数 を つ け 足 す 。
3)操 業
地 曳 綱 漁 の操 業 は ど ん な種 類 の もの で も基 本 的 に 同 じで あ る。 以 下 の説 明 はD村 で パ ー ダイを 使 用 す る地 曳 網 漁 の場 合 であ る。
漁場 に着 くと,ま ず 海 流 の方 向 を調 べ る。 そ して,魚 群 が 浜 辺 に近 づ くのを 待 ち, 近 づ くの を見 つ け た ら網 を積 んだ パ ー ダイを 出 す。 と きに は夕 刻 まで待 つ こ と もあ る
が,通 常 は8時 頃 に 操業 を開 始 す る。 船 を 出 して 少 し して か ら曳 綱 の 片端 を も った 少 年 が 海 に 飛 び込 み,岸 辺 に戻 る。 後 に この綱 を 労 働 者 た ち が少 しつ つ 曳 きは じめ る こ とV'な る。 船 は岸 に 平 行 して海 流 の 方 向 に少 し進 ん だ 後,沖 に 向か い,海 流 の方 向 と は 逆 に進 ん で魚 群 を取 り囲 む よ うに半 円 を描 く。 そ して網 を海 面 に 降 ろ して い く。 船 は 一 度 岸辺 に戻 り,も う一方 の曳 綱 を岸 辺 に上 げ,乗 船 して いた 漕 ぎ手 や海 に網 を 降 ろす 人 た ち を2人 を 除 い て 降 ろす 。 浜辺 に残 って い た 労 働者 た ちが さ きに少 年 が 運 ん で来 た もの と合 わ せ て,2本 の網 を曳 きは じめ る。 か れ らは コ コヤ シの繊 維 か らな る 細 い綱 で編 ん だ バ ン ド(pattiyal)で 網 と腰 を 固定 して 網 を 曳 く(写 真1,2)。 労 働 者 た ちは,腕 では な く,腰 に 力 を入 れ て 網 を 曳 きなが ら,70メ ー トル ほ ど後 ず さ り し, また 海 辺 に 戻 ってバ ソ ドを 網 に か け て曳 きは じめ る とい う動 作 を繰 り返 す 。船 に残 っ た2人 は す で に弧 を描 いて い る網 をゆ っ く り伝 っ て い って,ち ょ うど ター イ マ デ ィ(袋 網)の 沈 んで い る と ころに 来 る と,船 を 網 に 固定 す る。 そ して 右 と左 の曳 綱 の長 さの バ ラ ンスが うま く とれ て い るか を調 べ,バ ラ ンスが 崩 れ た 場 合 は どち らか を早 く曳 く よ うに と両 手 で 合 図 をす るの で あ る。 か く して網 は徐 々に 岸 辺 に近 づ き,右 綱 と左綱 との 間 は狭 め られ て い く。 岸 に近 づ くと,数 人 の 労働 者 た ちが 海 に 入 り,足 で 袖 網 の 低部 を お さえ,上 下 に動 か して 網 の 目が開 い た り閉 じた りさせ る。 こ う して 魚 を 恐 が らせ て,逃 げ ない よ うV'す る ので あ る。 そ して,魚 を袋 網 へ と追 い つ め る。 岸 に 近 づ くと この袋 網 を す ば や く取 り外 し,岸 辺 に曳 きず り上 げ る。 大 漁 の と きは 水 の な か で
田中 漁業儀礼考
写真1地 曳 網 漁
写 真2 網 を 曳 く労 働 者 た ち
袋 網 を 何 度 も替 え て魚 を 岸 に移 す 。 魚 が な くな る と地 曳 網す べ てを 浜 辺 に上 げ て乾 か す。 また 網 目に ひ っか か って い る小 魚 を取 り除 いて 集 め る。
魚 は トラ クタ ーや ジ ー プで 網 元 の所 有 す る作 業 小 屋(vafi)に 集 め られ る。 こ こ で は女 た ちが 中 心 とな って 出 荷 の た めに 魚 と氷 とを交 互 に 重 ね て箱 詰 め作 業 を した り, 干 し魚 の た め の加 工 をす る(写 真3)。 箱 詰 め が終 る と,ト ラ ッ クに積 み 込 む 。 コ ロ
国立民族学博物館研究報告 18巻1号
写真3 作業場で魚を加工す る女た ち
シボへ の 出 荷 は早 朝 の市 場 に 間 に 合 う よ うに,夜 に お こ なわ れ る。
D村 周辺 で大 型 のパ ー ダ イで の 地 曳 網 漁 の場 合,1日1回,操 業 に は3,4時 間 を 要 す る。 これ に た い し,キ ャ ン プで は,地 曳 網 の規 模 も小 さい こ とか ら操 業 時 間 も短 い。 また作 業 場 が漁 場 に 隣接 して い るた め,1日 に3,5回 操 業 を繰 り返 す こ とが で き る。D村 で の 操 業 時 間 は午 前 中 が 多 い が,魚 群 の 有 無 に よ るた め,と き には 夜Y' お こなわ れ る こ と もあ る。 一 般 に は地 曳 網 漁 は通 常 昼 ま でに 終 るた め,労 働者 の 多 く は帰 宅 して 昼 食 を とる。 午 後 は 昼 寝 を した り して 休 息 し,必 要 な らば破 損 した 網 を 修 理 す る。漁場 が 村 か ら遠 い場 合 は,漁 場 で昼 食 を と り,3時 頃 に 迎 え に来 る トラ ク ター に乗 って帰 る。 夕刻 に な る とそ の 日の稼 ぎを 受取 り,村 の居 酒 屋 で酒 を飲 む 。稼 ぎが よけれ ば 密 造 酒 を飲 み,ま た 村 に 数 件 あ る ビデ オ 小屋 でインド 映 画 を楽 しむ か も しれ な い。金 曜 日は ヒ ソ ドゥー教 徒 の祝 日で漁 を しな い。そ の 日は食 事 も菜食 に限 られ る。
4)漁 場
地 曳網 漁 に 適 して い る海 岸 は,海 底 に網 を 傷 つ け る石 や珊 瑚 な どの な い砂 浜 海 岸 で あ る。 コ ロ ン ボか ら海 岸 線 と平 行 に 北 上 す る岩 の 多 い 海 底 は,幸 いD村 の南 約15キ
ロあ た りで 沖 へ 方 向 を変 え て い るた めD村 お よび そ の北 部 の浜 辺 は地 曳 網 漁 に は 最 適 の場 所 とな って い る。
D村 周 辺 に は南 北12キ ロに わ た って29の 地 曳 網 漁 場(patu)が あ る。 一 つ の漁 場
田中 漁業儀礼考
の 幅 は お よそ300メ ー トルで あ る。 これ らはす べ て漁 業 省 の 管 轄 に あ り,D村 の網 元 た ち に毎年 貸 し出 され るの で あ る。1979年 まで は29の 漁 場 を使 用す る網 元 は 固定 され て お らず,輪 番 制 で毎 日南 か ら北 へ と漁 場 を替 え て いた 。 しか し,現 在 は ひ とっ の漁 場 を特 定 の 網元 のみ が 使 用 で きる こ とにな って い る。 新 規 で 参 画す るた め に は 漁業 省 へ の 村 役 人 の 推 薦 状 だ け で は な く,村 の ヒ ソ ド ゥー 寺 院 委 員 会 に も7,000ル ピー (1982年 当時1ル ピー10円)を 寄 付 しな けれ ぽ な らな い。D村 の 中心 部 約1.5キ ロの 海岸 は筏 漁 や ボ ー ト漁 に 使 用 され るた め に,地 曳網 を す る こ とは で き ない 。 しか し, D村 とA村 周 辺 の村hに 地 曳網 を お こな う漁 師 が い な い の で,そ こ の浜 辺 を 漁 場 と
して 使 用 す る こ とが で き る の で あ る。 な お29の 漁 場 に加 え て,D村 の 南 に 位 置 す る M村 で の操 業 許 可 を個 人 的 に得 た網 元 が い る ため,D村 出身 の網 元 が使 用 で き る漁 場 は全 部 で30あ る。
した が って,D村 に は全 部 で30組 の パ ー ダイ に よ る地 曳 網 が あ る こ とに な る。 し か し,筆 者 の滞在 中 に操 業 して い た の は27組 で あ った。 こ こで 言 う組 とは タ ミル語 で 網(valai)を 意 味 し,原 則 と して1隻(ま た は複 数)の 船 と異 な る種 類 の 複 数 の 網, 労働 者 た ち,そ して1つ の漁 場 を1単 位 とす る もの で あ る。1つ の漁 場 に は特 定 の組 が つ い て い る と言 い換 えた 方 が 分 か りやす い か も しれ な い。 網 元 の なか に は こ うした 組 を複 数 もつ 者 もいれ ぽ,反 対 に1つ の組 を 複 数 の網 元 が 共 有 して い る場 合 もあ る。
漁 場 は これ 以 上 増 やす こ とは で きな い の で,新 規 で参 加 す る とい うの は経 営 不 振 とな った組 を ま とめ て 買 い取 る とい うこ とを意 味 す る。労 働 者 か らみ れ ばそ れ は 網 元 が替 わ る とい うこ とで あ る。
た とえぽ,4つ の漁 場 の許 可 を 有 し,4つ の 組 を もつ 網 元 が1人 い る。 か れ は 広大 な ココヤ シ園 を所 有 す る村 一 番 の 金 持 ち だが,調 査 時 に はす で に20キ ロほ ど南 に 位 置 す るチ ロ ウに移 り住 ん で いた た め,一 種 の不 在 地 主 の よ うな存 在 で あ った。 また2つ
の漁 場 を もつ者 が5人 い た。 これ に た い し,ひ とつ しか漁 場 を もた な い のが16人 で あ る。
村 の外 の キ ャンプ地 を 除 い て正式 な漁場 とい うの は カ ッ トゥマ ラムには存 在 しな い。
D村 に は16組 の カ ッ トゥマ ラ ムが 操 業 す る。D村 で の操 業 が 可能 な 時期 に は,カ ッ トゥマ ラ ムに よる地 曳網 漁 の操 業 は つ ね に パ ー ダ イの地 曳網 漁 が 終 了 してか ら と決 ま ってい る。 そ して,前 者 が大 漁 の場 合 に は,借 りた漁場 の借 り主(網 元)に 漁 獲 の 一 部 を献 上 す る。 こ の規 則 さえ守 れ ぽ,カ ッ トゥマ ラ ムは 原則 と して ど こで で も操 業 可 能 なは ず だ が,実 際 に は 漁期 の間 中同 じ漁場 で漁 をす る。キャンプ で は かれ ら 自身 の 漁場 が 必 要 とな る。
国立民族学博物館研究報告 18巻1号
写 真4 東 北 海岸 の キ ャ ンプ
な お東 海 岸 で の漁 場 も また認 可 制 で あ る。場 所 に も よるが,キ ャ ンプの 多 くは人 里 離 れ た海 岸 に あ る。1983年 当 時39組 の ヴ ァ ッラ ムが 操 業 して い た。D村 の 漁 場 は 数 に限 りが あ るた め に誰 か が や め な い限 り新 た に参 入 す る こ とはで きな い が,漁 場 が 余 って い るキャンプ 地 で の操 業 は比 較 的 に や さ しい。 この た め新 し く船 と網 を手 に入 れ る のに 十 分 な財 力 を 蓄 え た村 人 は,ま ずキャンプ で 漁場 を借 り受 け て操 業 をは じめ る。
キャンプ に は,労 働 者 が寝 泊 ま りす る屋 根 だけ の大 き な小屋,台 所,網 元 や そ の家 族 の泊 まる部 屋,作 業 小 屋 な どが 建 て られ て い る(写 真4)。 そ こ で半 年 近 く共 同生 活 をす る。 東海 岸 で の操 業 は,2月 か らは じま る場 合 もあ れ ば,そ れ よ り後 の こ と もあ り,操 業 開始 日は 網 元 に よ って異 な る。 キ ャ ンプで の3度 の食 事 は 無 料,た ま に こづ か い銭 を受 け 取 る。 人里 は なれ た キ ャ ン プで の生 活 は 厳 し く,楽 しみ と言 えば,休 日 に ム ッライ ッテ ィー ヴ ーや ジ ャフ ナに 出 か け映 画 を み る こ とで あ る。 また7月 と8月 の2回,数 日間 だ が祭 りに参 加 す るた め に村 に 戻 って くる。 必 要 な 網 や ヴ ァ ッラ ムな
どは 漁業 期 が 終 了 して も,見 張 りを 残 してキャンプ に 保管 してお く。 マ ソナ ック ラ ム
・キ ャ ンプ の網 元 た ち はや は りヴ ァ ッラム を使 用 して9月 か ら2月 頃 まで操 業 す る。 キャンプ はD村 出身 の 網 元 だ け で ま と ま って い る とい うの で は な い 。網 元 はD村 よ りも南 に位 置 す るネ ゴ ンボ 出身 者 か北 部 の ジ ャ フナ 出 身者 が 多 い 。
田中 漁業儀礼考
5)網 元
地 曳 網 の 所 有 者 た る 網 元 は サ ン マ ー テ ィ(ca〃1〃zatti)と よ ば れ る 。 そ の 原 意 は 舵 取 り で あ る が,現 在 で は む し ろ 規 模 の 大 き い 魚 商 人(〃zinmutalali)で,実 際 の 漁 の 指 揮 は 舵 取 りに 任 さ れ て い る 。D村 で 操 業 す る 網 元 は,魚 の 種 類 に よ っ て 替 え る 数 ケ統 の 網,パ ー ダ イ,漁 場 の 使 用 権 利 を も ち,ま た 自分 の 網 で と ら え た 魚 を 市 場 に 売 る 販 売 権 を もつ 。労 働 者 た ち は 網 元 と 契 約 を 結 ん で,か れ の 漁 場 で 働 く。契 約 の 種 類, 契 約 の 有 無 に よ っ て 労 働 者 は い くつ か に 分 か れ る が,こ れ に つ い て は 後 に 詳 し く述 べ
る こ と に し た い 。
D村 の 網 元 た ち は ど ん な と こ ろ で 操 業 す る 許 可 を も つ か に よ っ て 大 き く4つ に 分 か れ る 。 そ れ ら は,(1)D村 の(出 身 と い う意 味 で は な く,D村 で 操 業 す る と い う 意 味)網 元,(2)東 海 岸(akkarai,文 字 通 りの 意 味 は あ ち ら の 岸)の 網 元,(3)
マ ン ナ ッ ク ラ ム ・キャンプ の 網 元,(4)カ ッ ト ゥ マ ラ ム の 網 元(poravalai CQ〃zmatti, poravalaiは カ ッ ト ゥ マ ラ ム で 使 用 す る 網 の 名 前)で あ る 。 D村 の 網 元
は10月 か ら4月 ま で パ ー ダ イ を 使 用 してD村 周 辺 で 操 業 す る 。 東 海 岸 の 網 元 は ヴ ァ ッ ラ ム を 使 用 し て4月 か ら(早 け れ ぽ2月 か ら)10月 ま で ム ッ ラ イ ッ テ ィ ー ヴ ー 周 辺 で 操 業 す る 。
以 上 の 網 元 の タ イ プは ど れ も排 他 的 な も の で は な い 。 時 期 が 重 な っ て も2つ 以 上 の 網 を 別 の と こ ろ で 操 業 す る とい う こ と は 不 可 能 で は な い 。D村 の 網 元 が 同 時 に マ ソ ナ ッ ク ラ ム で カ ッ ト ゥ マ ラ ム の 網 元 と し て 活 動 す る こ と が で き る 。 し か し,実 際 に D村 の 網 元 で マ ソ ナ ッ ク ラ ム に 漁 場 を も つ 者 は1人 も い な い 。 こ れ に た い し,D村 の 網 元 の な か に は 東 海 岸 で 操 業 す る者 も半 数 近 く存 在 す る 。 さ ら に 東 海 岸 の 網 元 で, D村 の 網 元 で な い 者 の な か に は マ ソ ナ ッ ク ラ ム で 操 業 す る 者 も い る 。 西 海 岸 に せ よ, 東 海 岸 に せ よ ど ち ら か1つ の 漁 場 で し か 操 業 しな い 者 は,1年 の 半 年 近 く を 近 親 者 の 網 元 の 手 伝 い な どを し て 過 ごす こ と に な る 。
歴 史 的 に み る と,1903年 の 記 録 で は13の パ ー ダ イ がD村 の 漁 場 で 操 業 し て い た 。 1955年 に は パ ー ダ イ の 数 は19と な り,1965年 に は25と な っ て,60年 の 間 に ほ ぼ2倍 に 増 え た 。1980年 に は さ ら に 増 え て30と な っ た の で あ る。 繰 り返 す が,パ ー ダ イ の 数 は か な ら ず し も網 元 の 数 を 意 味 す る の で は な い 。1隻 の パ ー ダ ィ を 複 数 の 人 間 が 所 有 す る 場 合 も あ れ ば,反 対 に1人 の 網 元 が 複 数 の パ ー ダ イ を 所 有 し て 複 数 の 漁 場 で 操 業 し て い る か も しれ な い か ら で あ る。
これ に た い し,最 初 の 東 海 岸 の 網 元 が 生 ま れ た の は1959年 で あ っ た 。 か れ はD村 く
の イ ス ラー ム教 徒 で,そ れ 以 前 か ら東 海 岸 で 操業 す る ジ ャ フナ 出身 の網 元 の と ころ で
国立民族学博物館研究報告 18巻1号 働 い てい た 。徐hに 他 の 村 人 た ち も東 海 岸 に 漁場 を 獲 得 して い った 。 と くに1970年 代 の後 半 に増 え て い る。 現在 で は 東 海 岸 の網 元 た ち の数 はD村 の 網 元 た ち の 数 を 凌 い で い る。D村 出 身 者 の網 元 に よる マ ンナ ッ ク ラ ムで の操 業 は1955年 の こ とで,東 海 岸 よ りもや や早 い。
地 曳網 漁 は か な らず し も安 定 した 経 済 活 動 では な い。 と くにD村 で 操 業 す る網 元 た ち はた しか に村 の有 力 者 と して一 目おか れ て い るが,そ の経 済 状 況 は か な らず し も つね に好 調 とは言 え な い。 な に よ りも土 地 の よ うな確 固 た る経 済 的 基 盤 が 欠如 して い る こ とが最 大 の理 由 で あ る。 「伝 統 的 な 」網 元 と して村 の政 治 世 界 に 力 を も って い る 者 もい るが,何 代 に もわ た って網 元 の地 位 を継 承 して い る とい うケ ース は それ ほ ど多 くな い。 事 実 現 在D村 の 網 元 の な か で も っ とも勢 力 を も って い る5人 の 網 元 た ち は, 自分 の力 で 富 を築 い た男 た ち ぽ か りであ る。 かれ らは 他 の網 元 の も とで 帳 簿 係 と して 経 営 の ノ ウハ ウを学 んだ り,魚 商 人 を して 独立 した 。 網元 は教 育 を 受 け た エ リー トで な く と も可 能 な 仕事 で あ る。あ る村 人 の表 現 を使 えば,地 曳 網 で成 功 す るた め には 「契 約書 の サ イ ソの た め に 自分 の 名前 さえ書 け れ ば よい。 た だ し(ご まか す た め に)計 算 が早 くなけ れ ぽ な らな い」 とい うこ とにな る。 、
D村 の漁 場 で操 業 す る網 元 た ち の な か に はキャンプ に漁 場 を もつ 者 も い るが,そ こで は ヴ ァ ッラ ムに よる地 曳 網 漁 をす る。 そ して働 く労働 者 も異 な る。 後 述 す る よ う に,網 元 との 契 約 はキャンプ と村 とでは 相 互 に独 立 して い るの で あ る。
6)労 働者
D村 の網 元 の も とで働 く労 働 者 は 大 き く2つ に分 かれ る。 ひ とつ は 網 元 に負 債 の あ る契 約 労 働 者(tonikkaran)で,も うひ とつ は負 債 の な い労 働 者(iluppukkaran) で あ る。 前 者 の 労働 者 は約1年 分 の 収 入(成 人 男性 で5,000ル ピーか ら7,000ル ピー) を 前金 と して借 りて,特 定 の網 元 の も とで毎 年10月15日 か ら4月15日 まで 働 く契 約 を 結 ぶ 。 ひ とつ のパ ー ダイ に は35人 の負 債 のあ る労働 者 が 働 くとい うのが 理 想 で あ る。
別 の網 元 の所 で働 くた め に は この前 金 を返 さな けれ ぽ な らな い。 この 前 金 に は利 子 が つ か な い し,死 ね ぽ借 金 は帳 消 し とな るた め,む しろ老 い て 働 く こ とが で きな くな る ま で働 く とい うこ とを条 件 とす る契 約 金 と考 え た 方 が 妥 当 で あ ろ う。 さ らにD村 で は 慢 性 的 な労 働 者 不 足 が存 在 し,労 働 者 が別 の 網元 の とこ ろに 移 る とい うの は 困難 な こ とで は な い。 か れ は新 しい網 元 か ら受 け 取 った前 金 の一 部 を前 の網 元 へ の 負債 の返 金 に 当 て るの で あ る。働 き盛 りを少 々過 ぎて も前 金 は 受 け取 る たび に 高 くな ってい る。
この た め返 済 も困 難 で は な い。 む しろ ま とま った お金 が 必 要 な と き た とえ ば,妹
田中 漁業儀礼考
や 娘 の 結 婚,家 の修 理 な ど ,網 元 を 変 え る とい う こ とが しば しぽ生 じて い る6)0 110人 か らの 聞 き と りに よ る と,負 債 の あ る労 働 者 が1人 の網 元 の も とで働 く期 間
は平 均5.3年(総 数186事 例)で あ る。 しか しな か に は10年 以上 も 同 じ網 元 の とこ ろ で 働 い てい る場 合 もあ り,両 者 の 間 に労 使 関 係 を 越 え た 間柄 が 生 まれ る こ ともあ る 。 負 債 のあ る労 働者 本 人 や そ の家 族 の一 員 が 結 婚 した り,不 幸 が 生 じた りす る と,網 元 は 少 額 にせ よ祝 儀 を期 待 され る。 反対 に網 元 が 死 ん だ場 合 な ど,お い お い と泣 き叫 ぶ 労 働 者 もい る。網 元 と労 働 者 の間 に な ん らか の 親 族 関 係が 存 在 す る こ と もあ るが,親 族 の者 は 最 初 だ け よ く働 い て協 力 的 だ が,こ ち らが あ る程 度 成 功 す る と恩 着 せ が ま し く な り使 い に く くな る とい うのが よ く網 元 た ちが こぼす 愚 痴 で あ る。
あ とで も う少 し詳 し く述 べ るが,負 債 の あ る労 働 煮 た ち と網元 との分 配 比 は2対1 で あ る。 しか し,負 債 の あ る労 働者 た ちは 自分 の分 け前 をす べ て網 元 に売 らな け れ ぽ な らない 。
負 債 のな い 労 働者 は,前 金 を 受 け取 らず に 半 年 間 の漁 期 ご とに特 定 の網 元 の も とで 働 く。 一 般Yrか れ らは数 人 か らな る グル ー プを 形 成 して,網 元 の も とで働 く。 この 集 団 は一 般 に 親 族 関 係 に基 づ いて 形成 され る。 か れ らの数 も多 い と ころ で は20人 以 上 に な る。 この た め,な か には 負 債 の あ る契 約 労 働 者 と負債 の な い労働 者 合 わ せ て50人 か ら60人 近 くが一 緒 に働 く場 合 も生 じて くる7も 負 債 の な い 労 働 者 た ち は,人 数 や 漁 獲 量 に応 じて 網 元 か ら魚 を受 け 取 り,こ れ を 自分 た ち で販 売 す る。 前金 を受 け 取 らな い 代 わ りに販 売 権 を 保持 して い る ので あ る。 また か れ らに は あ る種 の ス トライキ 権 の よ うな ものが あ り,魚 の取 り分 が 不 当 に少 な い と感 じる と,仕 事 を 無 断 で休 ん だ り,別 の 網元 の とこ ろで 働 くとい うこ ともあ る。 網 元 に と って,負 債 の な い 労働 者 は 負 債 の あ る労 働 者 に くらべ る と信 頼 の で きな い労 働 者 とい うこ とに な る。 また かれ らの 多 く が2月 頃 か ら東 海 岸 で賃 金 労働 者 と して働 くた め,負 債 のな い 労 働者 に頼 り過 ぎ る と, と くに問 題 が 生 じな くと も,2月 以後 急 な労 働 者 不 足 に見 舞 わ れ る。 したが って,負 債 の あ る労 働 者 を 数 多 く維 持 す る こ とが操 業 の安 定 を よ り確 か な もの とす る。 な に よ
りも販売 す る魚 の 量 が増 え る。 だ が,資 金 の少 ない 網 元 に とっ て,多 くの負 債 の あ る 6) 110人 の労 働 者 にた い して 組 を 変 え た理 由 を 聞 いた と こ ろ,186の 事 例 を得 る こ とが で き た が,そ の うち の半 数 を 占め る90が ま とま った お金 を必 要 と した か らだ と答 え て い る。 ち な み V'第2番 目に 多 い 理 由 は網 元 との トラ ブル で あ る。
7)原 則 と して 網 元 が 負債 の な い労 働 者 を拒 否 す る とい うこ とは な い。 しか し,そ れ に よ っ て, 労 働 老 の 数 が1人 の網 元 に 極 端 に 集 中 す る とい うこ と もな い。 労 働者 の数 が 少 な い と操 業 に 悪 い 影響 が生 しる と い う議 論 は 以 下 の事 実 か ら明 らか であ る。 す な わ ち,筆 者 の観 察 に よ る と,1982年 に 操業 して い た27組 の平 均 の労 働 者 の 数 は 負 債 の 無 い もの を含 め て38.8人 で,操 業 日数 は83.2日 で あ った 。 操 業 日数 が 平 均 よ り少 な い の は,14組 あ ったが こ の うち労 働 者 の 数 が 平均 を うわ ま って い た の は2組 に 過 ぎな い。
国立民族学博物館研究報告 18巻1号 労 働 者 を維 持 す るの は 困 難 で あ る。 とい うの も,負 債 の あ る労働 者 を 獲 得す るた め に は多 額 の前 金 を必 要 とす る。 この前 金 は,初 めて 操 業 を す る年 を除 き,通 常 コ ロンボ の仲 介 者 か ら金 を 借 りて 支払 わ れ るが,そ の負 債 に は 利 子 が つ き,網 元 が死 んだ か ら とい って 帳 消 しには な らな い。 へ た を す る と コ ロ ソボの 仲 介人 か らの借 金 のみ が残 る こ とに な る。 そ して,こ うした こ とは け っ して例 外 的 な こ とでは な い の で あ る。 つ ま り,網 一 組 を手 に入 れ る とい うこ とは コ ロ ソボ の仲 介 人 との借 金 関 係 を そ っ く り引 き 受 け る とい うこ とを 意 味 す る とい って も よい。 これ に た い し労働 者 へ の前 金 には 利 子
もつ か な け れぽ,死 ん だ り年 を とる と返 済 も期 待 で き る もの では ない 。
さ らに 留意 しなけ ば な らな い のは,不 漁 の際 に 負 債 の あ る労働 者 に 支払 う信 用 貸 付 金,一 一種 の生 活 保 証 金 で あ る。 負 債 の な い労 働 者 と異 な り,負 債 のあ る労働 者 に は た とえ不 漁 で あ って も毎 日い く らか の収 入 を保 証 しな け れ ば な らない 。 つ ま り,労 働者 の分 け 前 は漁 獲 量 に 左 右 され るが,少 な く と も操 業 期 間 は生 活 に困 る とい う ことは な い の であ る。 この保 証 金 は あ らた な負債 と して,大 漁 の と きや 網 元 を変 え る と きな ど, 労働 者 が あ とで な ん らか の形 で支 払 わ ね ぽ な らな い もの だ が,死 んだ り年 を とった り す れ ぽ 前 金 と同 じ く支 払 う必 要 は ない 。 とは い え,最 低 限 の生 活 しか 保証 され ない こ う した 負債 関係 を嫌 悪 す る労働 者 も少 な くな い。 とい うの も,保 証 金 が 加わ る と前 金 か らは じま る負 債 額 が 複 雑 とな っ て,網 元 の側 は 負 債 総額 を ごまか しや す くな るか ら だ。 か れ らは ここか ら地 曳網 漁 の労 働 を カ ダ ソ ・ トリル(katan tolil),「借 金 仕 事 」 とよぶ 。 だ が,不 漁 が 続 き,保 証 金 が か さむ と,網 元 は契 約 期 間 を 待 た ず して操 業 の 停 止 に追 いや られ る8)0操 業 が停 止 す る と,労 働 者 に保 証 金 を払 う必 要 は な い。 負 債 の あ る 労 働 者 は 負 債 の な い 労 働 者 と な っ て他 の網 元 の と こ ろで 働 き は じめ た り,ラ
グー ン漁 に 参加 す る。 す で に東 海 岸 で の操 業 がは じま って い れば,臨 時 収 入 を求 め て そ ち らに移 動 す る(こ の 点 に つ い ては 後 述す る)。
D村 の 網 元 の も とで 働 く労 働 者 は 以 上 の よ うな2つ の種 類 の労 働 者 に 大 き く分 か れ るが,少 数 なが ら これ ら どち ら に も属 さな い よ うな 労働 者 が い る。 か れ らは とき ど き地 曳 網漁 に参 加 す るだ け で,契 約 と言 え る よ うな関 係 を網 元 と結 ば な い。 か れ らは 年 老 いた者 か,学 生 や 浪 人,エ ビ漁 な ど他 に 本業 を もつ 漁 師 た ちで あ る。
さ て,東 海 岸 や マ ソナ ック ラム のキャンプ で働 く労 働 者 は ほぼ 例 外 な く月 ぎめ の賃 金 労 働者 で あ る。 東 海 岸 の網 元 の とこ ろで働 く労 働 者 の場 合,毎 年1月 に特 定 の網 元 の も とで働 く契 約 を お こな う。 お よそ3ケ 月 分 の賃 金(1,000ル ピーか ら2,000ル ピ ー) が 支 払 われ,残 りは 契 約期 間が 終 った11月 に支 払 わ れ る。 東 海 岸 で働 く網 元 は毎 年 替
8) 1ケ 月で操業停止にな ったのは3組 であ った。
田中 漁業儀礼考
わ る こ と も あれ ぽ,同 じ人 の場 合 もあ る。 網 元 がD村 と東 海 岸 の両 方 で操 業 す るな ら,結 果 と して1人 の網 元 の とこ ろで1年 中働 くとい うこ と もあ るか も しれ ない 。 し か し,原 則 は毎 年 更新 で あ り,労 働 者 が 同 じ網 元 と毎 年 契 約 しなけ れ ば な らない よ う な 義 務 は 存 在 しな い。 か れ は 条 件 が よけ れ ぽD村 出身 で な い 網 元 の と ころ で働 くか
も しれ な い 。
労 働 者 は 早 け れ ぽ2月,お そ くと も4月 に はキャンプ で 働 きは じめ る。 そ の 数 は 433人 で あ る9)。D村 の 網 元 との 契 約 期 間 は10月15日 か ら4月15日 ま で の た め,2月
にD村 を 離 れ る のは 負 債 の な い労 働 者 か,な ん らか の 事 情 で操 業 を 契 約 期 間 半 ぽ で 休 止 した 網 元 の 負債 の あ る労 働 者 で あ る。 負 債 の な い労 働 者 の 場 合 は原 則 と して い つ で もD村 を 離 れ る こ とが で き るた め,東 海 岸 で の 労働 期 間 も2月 か ら10月 ま で 同 じ 網 元 の も とで働 くとい う契 約 を事 前 に交 わ す こ とが で きる。 しか し,負 債 のあ る労 働 者 の 場 合 はD村 で の 契 約 期 間 は4月15日 ま で あ る た め,1月 の東 海 岸 の 網 元 との 契 約 で は4月16日 か ら10月14日 ま で とい う契 約 を結 ぶ こ とに な る。4月 以前 に東 海 岸 に 渡 る場 合 は,一 時的 な形 で 特 定 の網 元 の も とで働 く とい うこ とに な り(こ の 労働 期 間 を 最 初 の 月talamaconと い う),4月16日 に な る と,1月 に 前 金 を受 け取 った網 元 の と ころに 移 る こ とに な る。 もち ろ ん,こ の網 元 が2月 ごろか ら操業 を開 始 して い た と す れ ば,最 初 か らそ こで働 きは じめ る こ とも可 能 だ。
キャンプ で の 仕事 は実 質 的 に は 厳 しい が,金 を浪 費す る機 会 もな く,ま た 月 ぎめ の 賃 金 は 明 瞭 で あ る。 平 均600ル ピーは,次 節 で 述 べ るD村 で の 労働 者 の収 入 と くらべ る とか な りよ い。 多 額 の前 金 を 支払 う必 要 が な い の でD村 出身 で は な い人(た とえ ば 丘 陵地 に住 む 紅 茶 園 の タ ミル人)を 労 働者 と して雇 うこ と も困難 で は な い。 そ の結 果 労働 力不 足 の問 題 は 解 消 され る こ とに な る。 こ のた め 網 元 も労 働 者 も賃 金 シ ス テ ム を 好 む 傾 向 が あ る。 これ に た い し,D村 で の前 金 と配 当 制 は 網 元 に と って 不 合 理 と 感 じられ て い る と同時 に,労 働 者 に は 負債 額 が ご まか され て い る とい う不 信 感 が あ る。
7).分 配 の 仕 組 み
つ ぎ に パ ー ダ イ の 操 業 の 際 に 生 じ る 分 配 に つ い て 整 理 し て お こ う。
た と え ぽ,1日 の 操 業 で1,800キ ロ の 魚 が と れ た とす る 。 こ こ か らr負 債 の な い 労 働 者,作 業 場 で 魚 の 仕 分 け を した り干 し 魚 を 作 る 女 性 た ち の 取 り分,負 債 の あ る 労 働 者 の 食 事 分 が 引 か れ る 。 そ の 結 果1,200キ ロ が 残 っ た と し よ う。 こ れ が 網 元 と 負 債 の あ る 労 働 者 の 取 り分 と な る。 網 元 は3分 の1の400キ ロ,労 働 者 は3分 の2の800キ ロ
9)1983年¥Y1...は負 債 の あ る労 働 者330人,負 債 の な い 労働 者190人 の うち,そ れ ぞれ303人,130 人 が 東 海 岸 へ 地曳 網 漁 の 賃 金 労働 者 と して 働 きに い った。