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情報倫理の可能性 : コンピュータ倫理黎明期~普遍的情報倫理へ 利用統計を見る

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遍的情報倫理へ

著者 竹井 潔

雑誌名 聖学院大学論叢

巻 第31巻

号 第1号

ページ 53‑72

発行年 2018‑10‑25

URL http://doi.org/10.15052/00003518

(2)

情報倫理の可能性

―コンピュータ倫理黎明期〜普遍的情報倫理へ―

竹 井   潔

抄  録

 情報社会の急速な進展により情報倫理は今後ますます重要な位置づけとなってきている。

 情報倫理は倫理学の応用倫理として出てきた。しかし,情報技術の進歩が急速であり,社会の変 化が急激で倫理面が追いついていない面がある。

 情報倫理の現状は,インターネット社会でのコミュニケーションの実践的な順守項目の列挙で あったり,またプライバシーや著作権,情報セキュリティなどの各論についての論述やケーススタ ディがメインとなっているものが多い。情報倫理の哲学的,基礎的な部分をしっかりと踏まえて,

倫理学の応用倫理としての情報倫理の位置付けを明確にしていくことが必要である。また,情報社 会はグローバルに情報が行き交い,コミュニケーションがなされている環境であり,情報倫理はロー カルなものから普遍的情報倫理となる必要がある。

 本稿では,コンピュータ倫理の出てきた背景や歴史を俯瞰し,主な学説を確認する。特にフロリ ディの示すマクロ倫理としての情報倫理(IE)を手がかりとして情報倫理の可能性について検討 する。

キーワード:コンピュータ倫理,情報倫理,情報圏,マクロ倫理の IE,普遍的情報倫理

1.はじめに

 情報社会の急速な進展により,情報倫理は今後ますます重要な位置づけとなってきている。情報 倫理は,始め倫理の新しい分枝であるコンピュータ倫理として,コンピュータ技術の発展とともに 浮上し,急激に変化し成長してきた。コンピュータ倫理は,当初コンピュータ技術に携わる専門家 や技術者のためのプロフェッショナル倫理であり,コンピュータの使用に関して伝統的な倫理理論 を適用しようという狭義のものであった。他方,ICT の発展によりコンピュータ倫理も広義に解 釈されるようになり,幅広く応用倫理,技術アセスメント,社会学,コンピュータ法や関連する他

政治経済学部・政治経済学科  論文受理日 2018 年 7 月 1 日

(3)

の領域から,それらの概念や理論,方法論を学際的に取り入れる広範なものとなってきた。情報技 術が急速に,また深く人類に影響を及ぼしてきていることから,新しいテクノロジーの新しいトピッ クスと共にコンピュータ倫理の概念や領域が幅広いものとしてとらえられてきたのである。

 情報倫理は倫理学の応用倫理として出てきたが,情報技術の進歩が急速,尚且つ社会の変化が急 激であり,倫理面が追いついていない面がある。現行の情報倫理に関するテキストは情報社会をよ りよく生きるために,実践的な順守項目の列挙であったり,またプライバシーや著作権,情報セキュ リティなどの各論についての論述がメインとなり,それらのケーススタディに重点が置かれている 実践的(プラクティカル)なものも多い。しかし,情報倫理が何であるか,どのような背景で出現 しその可能性とは何か。情報倫理は倫理学から分化した確固たる一つの領域であるが,確固たる位 置づけを明確にして,その存在価値を発揮しうるのであろうか。あるいは,どんどん先行して出現 する新しい社会的課題を追うものであろうか。今後,情報倫理が果たす役割や方向性,そして可能 性はどのようなものであろうか。情報倫理の出てきた背景を観てその歴史を俯瞰することにより原 点に立ち返り,情報倫理の再考とこれからの可能性についてマクロ的な視点に立って考察する。

2.コンピュータ倫理の沿革

2―1.コンピュータ倫理の黎明(1940 年代〜)

 情報倫理(Information  ethics)は,コンピュータ倫理(Computer  ethics)とほぼ同意で使われ てきてきた。情報化社会の進展はコンピュータが主役として為されてきたことから,コンピュータ 倫理が最初に論じられ,近年の情報社会においてインターネットが普及してくると情報倫理という 言葉が使われるようになった。以降,コンピュータ倫理が出現してきた沿革を再確認しておきたい(1)。  コンピュータ倫理の学問的研究は,第二次世界大戦中の 1940 年代初めに MIT 教授の Norbert  Wiener によって為された(2)。周知のように Wiener はサイバネティクスの提唱者であるが,

:   (1948)(3)

 (1950)(4)において,コンピュータ倫理の理論的な バックグラウンドを確立した。彼は社会の技術革新に伴う多くの情報技術における倫理的問題につ いて予見していた。彼は において以下のように述べている。

我々はすでにあらゆる精巧な性能を持つ人工的機械を製作することができる立場にある。過 去の長崎や一般に知られている原子爆弾で,私たちはとてつもない善と悪( for good and for  evil )の社会的可能性があったということを思い起こす。自動化された工場と無人組立ライ ンは,率先したエンジニアリングの努力によって為されてきた。例えば,第二次世界大戦に おけるレーダー技術の開発等もそうである。

(4)

私は新しい開発は善と悪へ( for  good  and  for  evil )の際限ない可能性があると言ってきた

…… 我 々 は 新 し い 科 学 の 着 手 に 貢 献 し て き た。 新 し い 科 学 は 善 と 悪( for  good  and  for  evil )の大きな可能性を抱えながら技術開発がなされてきた。我々は技術開発したことを我々 の存在する世界に引き渡すだけである。すなわちこれはベルゼン(強制収容所)と広島(原爆)

の世界である。我々はこれらの新しい技術開発を抑制する選択枝さえ持っていない。技術開 発はその時代の中にあり,我々はただ何も為す術がなく,最も無責任(irresponsible)で最も 堕落(venal)した技術者たちの手によって技術開発がもたらされるのである(5)

 このように Wiener は新しい科学技術の社会に対して善と悪の影響を及ぼす可能性について言及 し,また技術開発を行う技術者の無責任さに対して警鐘を鳴らしているのである。

 Wiener は において,人間の行動を装う超人的な能力のコミュ

ニケーションマシンが人間に置き換わるという途轍もない可能性があり,これらの機械のパワーが 人間を侵すものとなりうる新しい技術革新について議論していく必要性を述べている。そして研究 開発に従事しているものにとって,その成し遂げた事には「深刻なモラルリスク( a  serious  moral risk )」(6)が存在すると述べる。

 そして Wiener はこの本を「人間へ技術が非人道的に使われることに対する異議を唱えること」(7)

に捧げたいと述べており,このような Wiener の言葉にコンピュータ倫理の必要性が確認できるの である。

 しかし,当時はまだ彼のコンピュータ倫理のバックグラウンドとなる科学技術の善と悪や深刻な モラルリスクなどの考え方について,他の学者達には理解されなかった。また Wiener は当時まだ コンピュータ倫理という言葉は使用していなかった。Wiener は善悪( for good and for evil )や 道徳リスク( moral  risk ),道徳価値( moral  worth )などの言葉は使っていたが,computer  ethics という言葉が使われたのはおよそ 20 年後のことである。

2―2.コンピュータに使用に関する職能倫理の時代(1960 年代〜)

 1960 年になり,コンピュータ科学者の Donn  Parker がコンピュータの専門家による非倫理的,

非合法的なコンピュータ使用について検討を始めた。彼は,「人々がコンピュータセンターに入っ たとき,倫理をドアに置き去りにした( when  people  entered  the  computer  center  they  left  their ethics at the door )」(8)と述べている。

 Parker はコンピュータ犯罪や非倫理的なコンピュータ化した活動についての例証を集めた。そ して,1968 年に論文 Rules of Ethics in Information Processing(9)を発表し,ACM(Association  for Computing Machinery)における最初の専門家行動規約の作成に貢献した。

 Parker は論文において情報処理の科学技術における深刻な倫理的問題として,コンピュータに

(5)

よるプライバシーの侵害,コンピュータプログラムの著作権,プログラミング商業学校の詐欺等を 上げ,専門家気質(professionalism)を考慮することなしにはこの領域における倫理を議論するこ とはできないと述べている(10)

  論 文 に お い て 掲 載 さ れ て い る「 情 報 処 理 に お け る 職 能 倫 理 」( Professional  Conduct  in  Information  Processing )は,1966 年 11 月 11 日に ACM の理事会で採択された。規約の前文に おいて,

専門家は,情報処理の技術および科学における職業の名誉,尊厳および有効性を維持し,進 歩させ,能力および倫理的行動の高い基準に従うこと。すなわち,正直,率直で公平である こと。彼の雇用主,顧客,そして一般の人々に対する忠誠心を尽くすこと。職業の能力と威 信を高めるために努力すること。人間の福祉の発展のために彼の特殊な知識と技術を使用す ること。

The professional person, to uphold and advance the honor, dignity and effectiveness of the  profession  in  the  arts  and  sciences  of  information  processing,  and  in  keeping  with  high  standards of competence and ethical conduct: Will be honest, forthright and impartial; will  serve  with  loyalty  his  employer,  clients  and  public;  will  strive  to  increase  the  competence  and prestige of the profession; will use his special knowledge and skill for the advancement  of human welfare.

 と述べられている(11)

 当時の規約は,1.公衆との関係( Relations  with  the  public ),2.従業員や顧客との関係

( Relations  with  Employers  and  Clients ),3. 他 の 専 門 家 と の 関 係( Relations  with  other  professionals )の 3 つの項目からなり,12 の規約で構成されていた(12)。Donn  Parker の功績はコ ンピュータ専門家の職能倫理という観点からコンピュータ倫理への再出発となる新しい動きや重要 性を与えたことであった。

 1960 年代に Joseph  Weizenbaum は ELIZA と呼ばれるコンピュータプログラムを作成した。

ELIZA は人工無能(会話ボット)の起源ともいえるプログラムである。ELIZA はロジャリアン(来 談者中心療法)における最初の患者との対話に試行された。ELIZA は患者が言及した話題につい て質疑応答するようにプログラミングされている。

 Weizenbaum は若い女性患者が感情的に ELIZA に没頭している反応に衝撃を受けた。また,あ る精神科医は自動的精神療法が成就するという証拠を ELIZA に見たのであった。彼は人間の情報 処理モデルが科学者や一般社会の間で,人間は単なる機械であるとみなす傾向が強まりつつあるこ

とに対して憂慮した。そして Weizenbaum は, というコン

(6)

ピュータ倫理の古典ともいえる本を出版し,倫理的関心事に関して記述した。

 Weizenbaum の述べている大きなエッセンスは「第一に人と機械の間には違いがあること,第 二にコンピュータがたとえ為し得ることであっても,コンピュータにさせるようにしてはならない と確信する仕事がある( certain tasks which computers ought not to be made to do )」(13)という ことである。

2―3.コンピュータ倫理の勃興時代(1970 年代〜)

 コンピュータ倫理(computer  ethics)という言葉が使われたのは,1970 年に入ってから Walter  Maner によってである。1978 年,Maner は,コンピュータがもし発明されなかったら生じえなかっ た全く新しい倫理的問題をコンピュータは生み出しているとし,このことを応用倫理の一つの分野 として「コンピュータ倫理」(computer  ethics)と名付けた。そして,コンピュータ倫理は「コン ピュータ技術によって悪化,変容し,新たに創出される倫理的問題( ethical problems aggravated,  transformed or created by computer technology )」(14)であると述べている。

 彼は,昔からの倫理問題はコンピュータによって悪化し,コンピュータ技術によりさらに新たな 倫理問題も浮上してきたと指摘し,英国哲学者のジェレミ・ベンサムやジョン・スチュアート・ミ ルの功利主義,ドイツ哲学者イマヌエル・カントの合理主義など伝統的な哲学者の論理を使用すべ きであることを勧めている(15)

 Maner は,彼の所属するオールド・ドミニオン大学で実験的なコンピュータ倫理の科目コース を実施した。そして 1970 年代後半,Maner は大学のコンピュータ倫理コースを開発し,アメリカ 全土でのコンピューターサイエンス会議や哲学会議で様々なワークショップや講演を行った。その 主なコンピュータ倫理の内容はプライバシー,機密性,コンピュータ犯罪,コンピュータ意思決定,

技術依存,コンピュータ専門家の倫理規定などであった。1978 年に Maner は自費出版し,その後

出版された (16)では大学教員がコンピュータ倫理コースを開発する

ためのカリキュラム教材や教育アドバイス等が含まれていた。Maner の先駆的なコースや彼が行っ た多くの会議やワークショップは,アメリカのコンピュータ倫理教育に大きな影響を与えた。多く の大学でコンピュータ倫理のコースが設置されたのは Maner のこうした影響によってである。

2―4.コンピュータ倫理の浸透時代(1980 年代〜)

 1980 年代になり,情報技術の結果として生じる社会的,倫理的結果が欧米で広く社会問題となっ てきた。そして,最も重要かつ完全なコンピュータ倫理の本質についての論述は,James  H.  Moor の論文 What  is  computer  ethics (1985 年)においてであった。Giannis  Stamatellos は,Moor のこの論文において「最も重要なコンピュータ倫理についての定義を示し,情報社会における倫理 的問題に対し完全ともいえる説明」(17)がなされたと述べている。

(7)

  What is computer ethics の中ではコンピュータ倫理について以下のように定義している。

コンピュータ倫理とは,コンピュータ技術の性質と社会的影響を分析し,コンピュータ技術 の倫理的利用に相応しいポリシーの形成や正当化を行うことである。

Computer  Ethics  is  the  analysis  of  the  nature  and  social  impact  of  computer  technology  and  the  corresponding  formulation  and  justification  of  policies  for  the  ethical  use  of  such  technology.(18)

 そして,Moor は「コンピュータ倫理の典型的な問題は,コンピュータ技術をどのように使うか ということについてのポリシーの真空状態によって引き起こされる( A  typical  problem  in  computer ethics arises because there is a policy vacuum about how computer technology should  be used. )」(19)と述べており,「ポリシーの真空状態( policy vacuum )」がコンピュータ倫理の重 要な問題であることを指摘している。

 Moor は適切なポリシーを策定するための倫理理論を機械的に適用するだけで済むように見える かもしれないが,これは通常不可能であると述べ,「難しい点は,ポリシーの真空状態( policy  vacuum )に加えて概念の真空状態( conceptual  vacuum )があることである。最初コンピュー タ倫理の問題が明らかであるように見えても,少し立ち入って検討すれば概念的混乱( conceptual  muddle )が明らかになる」(20)。と述べている。ポリシーの真空状態には概念的な混乱が伴うこと を示唆している。また,このような場合に必要とされるのは,「行動のためのポリシー策定を行う ため,一貫した概念的枠組み( conceptual frameworks )を与える分析である。実際,コンピュー タ倫理における重要な仕事の多くは,コンピュータ技術を含む倫理的問題を理解するための概念的 枠組みを画策することに専念される」(21)。と述べている。Moor の提示した 3 つのキーワードであ るポリシーの真空状態,概念の真空状態,概念的混乱は,今なおコンピュータ倫理上重要な概念で ある。

  ま た 同 じ 年 に Deborah  Jhonson は コ ン ピ ュ ー タ 倫 理 の 最 初 の テ キ ス ト ブ ッ ク と も い え る

(1985)(22)を出版した。初版は 110 頁ほどのものであり,コンピュータのプロフェッ ショナル倫理に重点を置いたものである。Jhonson はこの本の目的として,「人々がコンピュータ を使う時にどのように行動するかを記述することではなく,人々がコンピュータを使う時にどのよ うに行動すべきかを理解する道標をつけることである」(23)と述べている。そして,Jhonson は倫理 論として帰結主義(consequentialism)と義務論(deontological  theory)の 2 つのタイプの倫理規 範を用いる。また,Jhonson は倫理的諸問題を議論するうえで,多くの人々が信じていると思われ る倫理的相対主義( ethical  relativism )をまず出発点として批判的に取り上げている。倫理的相 対主義は「普遍的な道徳規定はない。人々は彼らの文化や社会の道徳規定によって拘束される」と

(8)

いうことに要約される(24)。倫理的相対主義は人々が善悪の判断を考える場合にそのときの社会や 文化そして時代に関係するということであるが,Jhonson は の Ethical  Theory においてこの倫理的相対主義が陥る危険性についても触れている。

 こうした Jhonson のコンピュータ倫理のテキストブックが出版されるなど,1980 年〜1990 年代 はコンピュータ倫理の領域が急速に拡大していき,多くのコンファレンスが実施されて,新しい大 学のコースが設けられ,研究所の設立やジャーナルや記事,テキストブック等が出版された。

 1987 年に南コネチカット州立大学において最初の「コンピュータと社会研究センター」(Research  Center  on  Computing  &  Society)が設立された。この時期からコンピュータ倫理の実践的な関わ りが継続的に行われ,ICT の使用状況や悪用についてのモニタリングなどが実施された。例えば 英国の監査委員会(the Audit Commission)は 1983 年以来 3 年ごとに ICT の悪用による事件をレ ポートしてきた。

 Terrell Ward Bynum は,南コネチカット州立大学の「コンピュータと社会研究センター」の所 長であるが,コンピュータ倫理の定義について,Moor(1985 年)よりも幅広い概念を持たせている。

すなわち,

コンピュータ倫理は,健康,富,仕事,機会,自由,民主主義,知識,プライバシー,セキュ リティ,自己実現等の社会や人間の価値に対して情報技術が及ぼす衝撃を見極め,分析する ことである。

Computer  ethics  identifies  and  analyzes  the  impacts  of  information  technology  on  such  social  and  human  values  as  health,  wealth,  work,  opportunity,  freedom,  democracy,  knowledge, privacy, security, self-fulfillment, etc. (1989)(25)

と定義している。そして,コンピュータ倫理が幅広く応用倫理,社会学,技術アセスメント,コン ピュータ法や関連する他の領域からそれらの概念や理論,方法論を取り入れるものであるとする。

情報技術が人類に深く影響を及ぼしていくものであるから,この幅広いコンピュータ倫理の概念が 誘導されるのである。

2―5.コンピュータ倫理の発展時代(1990 年代〜)

 一方,1990 年代に入り Donald Gotterbarn は,コンピュータ倫理に違ったアプローチを行った。

彼は「コンピュータ倫理が,プロフェッショナル倫理から派生したものである」(26)と位置付けてい る。Gotterbarn は 1992 年版 ACM  Code  of  Ethics  and  Professional  Conduct を共同で作成した。

ま た,Keith  Miller,  Simon  Rogerson と と も に ACM と IEEE  Computer  Society の 共 同 作 業 で 1999 年版 ACM/IEEE  Software  Engineering  Code  of  Ethics  and  Professional  Practice の開発を

(9)

行った。

 1990 年半ば以降,Krystyna Gorniak は, The computer revolution and the problem of global  ethics(27)(1996)において,新しいコンピュータ倫理はコンピュータ革命に応答し,コンピュータ 倫理が「グローバル倫理」( Global  ethics )に発展すると述べている。未来においてコンピュー タ倫理のルールは地球上の人類のものとして考慮されるべきものであり,その意味でコンピュータ 倫理が普遍的になり,「グローバル倫理」となることを予測した。

 また,Johnson は,情報技術に関係した倫理的問題に対して,倫理学者たちが「コンピュータ倫 理」や「情報倫理」という名前を今後使い続けるかどうかは疑問であると述べている。Johnson は,

情報技術が日常生活の中に取り込まれて非常に一般的なものになってきたので,情報技術から上 がってきた倫理的事項をあえて「コンピュータ倫理」という言葉にする必要もなくなるかもしれな いと予測する。Gorniak や Johnson は,両者とも「コンピュータ倫理」と今日呼んでいるものが全 世界にわたって重要であり,日常生活における極めて肝要なものであるという認識である。しかし 将来的には「コンピュータ倫理」や「情報倫理」という言葉はもはや使われなくなるかもしれない という仮説を述べているのである(28)。今後コンピュータ倫理はその立ち位置を確保し続けて成長 していくのか,あるいは倫理学から出てきたコンピュータ倫理がまた一般の倫理へと戻るのであろ うか。

2―6.Moor のコンピュータ倫理に対する見解

 コンピュー倫理についてのこうした見解に対し,Moor は「コンピュータ倫理が倫理としてユニー クであるのはコンピュータ技術による。また,コンピュータ倫理が倫理の分野として異なっている ところは,概念の改正や方針の調整が求められる倫理的状況の範囲やその深さ,そして新しい出来 事である」(29)と述べている。

 そして Moor は,Johnson がコンピュータ倫理のユニークさを避けて,コンピュータが取り巻く 倫理的問題を「古い倫理問題の新しい種( new species of old moral issues )」(30)と述べたのに対し,

ややミスリーディングするかもしれないと指摘する。なぜなら,コンピュータ倫理におけるいくつ かの問題によって生じる概念の確信のなさは,特殊な状況を理解するだけでなく,コンピュータ倫 理を適用する倫理的,法的なカテゴリーに影響するからである。例えばプライバシーや著作権等の 倫理的,法的なカテゴリーは情報化が進むことにより大きく変化し,このような問題の状況にある ことからも理解し得る。そして Moor は,「新しい種は時として類を侵す」と述べ,コンピュータ 倫理がユニークかどうかはともかく「コンピュータ倫理は通常の原則を適用する以上のものを要求 する倫理の需要分野である」(31)と述べている。

 Moor はコンピュータ革命が 3 つのステージに分けられるとしている(32)。すなわち,導入段階( the  introduction stage ),浸透段階( the permeation stage ),パワーステージ( power stage )の

(10)

3 つであり,大雑把に区分すると,最初の導入段階は第二次世界大戦後から 1970 年代までであり,

浸透段階は 1980 年から 2000 年まで,そして,2000 年以降がパワーステージとなる。このパワー ステージが最も「ポリシーの真空」状態が深刻となってくると Moor は述べている。人々は,パワー ステージにおけるサイバースペースでもがき,益々コンピュータ倫理の問題は拡大していくことに なる。

 Moor はコンピュータ倫理が成長し続ける理由を 2 つ挙げている。第一にプロフェッショナリズ ムの増加,第二に向上したコンピュータ技術の適用の増加である(33)

 プロフェッショナリズムの倫理として成長していくには,責任や信頼の問題に関わるコンピュー タ専門家が今後増えていくことにある。多くのコンピュータ専門家はあらゆるコンピュータ適用の 局面において必要とされてくる。従って,専門家の能力アセスメントや倫理規範の開発は,今後継 続的に行われていくことになる。コンピュータ倫理の専門家の側面は最重要かつ挑戦的な領域であ り,今後将来的にも続いていくというのが Moor の見解である。

 また,コンピュータ技術の適用は専門家だけではなく,専門家以外にもポリシーの真空状態を生 み出していくことになる。コンピュータ技術は,論理的順応性( logical  malleability )や多様な アプリケーションにより,他の技術よりも大きなポリシーの真空状態を生み出す。論理的順応性は Moor の言うコンピュータ革命の特徴的な側面であり,コンピュータは論理処理ができるあらゆる 活動に適用できるということである。コンピュータは社会のあらゆる論理処理が可能なところにお いて適用可能であり,多大な影響を及ぼすのである。したがって,コンピュータ技術の適用は,応 用倫理への大きな挑戦が起こると Moor は言う。その結果としてコンピュータ倫理は,コンピュー タ技術によって生じる多数の問題に焦点を当てて,予知可能な将来のために自然な仕方で系統だっ て成長し続けていく。

 そして,Moor はコンピュータ倫理の分野は倫理的学説として見なされるという予測をする。コ ンピュータ倫理における倫理論は誇張されたり控えめに述べられたりする。誇張論はコンピュータ 倫理が伝統的倫理と全くかけ離れた新しい倫理論を生み出すと示唆する。また,控えめ論はコン ピュータ倫理が通常の倫理の中へと消えていくだろうと示唆する。

 Moor の立場はこのどちらの立場でもなく中間の立場を主張している。そしてコンピュータ倫理 は公正,権利,インフォームドコンセント等,伝統的な倫理学の理論を踏まえて,効力ある応用倫 理として理解されるべきものであると述べる。しかしながら,通常の倫理概念をコンピュータに当 てはめるのは,コンピュータ技術をコントロールする倫理概念の意味を細かく調整することになる。

ポリシーの真空状態や概念の混乱( conceptual  muddle )によりコンピュータの実践と倫理的な カテゴリーや原理の的確な関係を見出すのは非常に難しい。Moor は将来の倫理論はコンピュータ 倫理が一世紀にわたって構成を変更しながら認知できるようになると予測すると述べる(34)

(11)

2―7.Froridi のコンピュータ倫理に対する見解

 以上,Moor の見解を見てきた。これに対し,Luciano Froridi のコンピュータ倫理に対する見解 を見ていくことにする。Floridi はオックスフォードインターネット研究所(OII)におけるデジタ ル倫理ラボのディレクターであり,情報倫理(Information  Ethics)と情報哲学(Information  Philosophy)の二つの分野での第一人者である。

 Floridi によれば,「コンピュータ倫理はまだ哲学上の地位を得た論題として俎上に載せられてき ていない。今日のほとんどの哲学者たちはコンピュータ倫理をプロフェッショナル倫理の実際的な 主題と見なしている。また,プロフェッショナル倫理について,哲学者たちはプラトンのメタファ を用いて大工職倫理(carpentry ethics)のように見なしている」(35)という。

 そして Floridi は,コンピュータ倫理には以下の重要な特徴があると述べている(36)

  1.バイアスを伴う類推的推論により,論理的に立証するものである。

  it is logically argumentative, with a bias for analogical reasoning.

  2.バイアスを伴うシナリオ分析により,経験に基づいたものである。

  it is empirically grounded, with a bias for scenarios analysys.

  3.問題解決アプローチを支持するものである。

  it endorses a problem solving approach.

  4.本質的に意思決定指向である。

  it is intrinsically decision-making oriented.

  5.ケーススタディに基づいたものである。

  it is based on case studies.

 急速な技術の進歩は倫理の進歩を上回り,いわゆる Moor の指摘する「ポリシーの真空」による 予期せぬ問題を引き起こしてきている。最初コンピュータ倫理は情報社会の実践的なことに関わっ て生じてきた。コンピュータ倫理は合理的な意思決定が行われなければならず,技術的,教育的,

倫理的問題を解決していくことや法律を採択する必要があり,経験的証拠と論理的議論を組み合わ せることが必要であった。そのような意味で上記 1 から 5 に示したコンピュータ倫理の特徴はコン ピュータ倫理における帰納法の理論的根拠を構成している。

 コンピュータ倫理はボトムアップの手順を採用し,個々のケースの拡張された集中的な分析を行 い,精神的な試みではなく現実の問題に頻繁に対応している。その目的は,原則的な選択と倫理的 原則に基づいて決定を下し,概念的評価,道徳的洞察,規範的指針,教育プログラム,法的助言な どの一般的な結論を提供することである。

 Floridi はコンピュータ倫理の問題点として,「プライバシー,正確性,知的財産,アクセス,さ

(12)

らにセキュリティと信頼性も含めた PAPA(37)グループの脈絡においてコンピュータ倫理が作用す る新旧の倫理問題は,コンピューティング技術によって大きく変化した。我々は革新的な倫理的ア プローチ,すなわち哲学的価値を持つコンピュータ倫理の出現に直面している」(38)。と述べている。

また,コンピュータ倫理の道徳的な問題は,義務主義者(Deontologist),契約主義者(Contractualist)

あるいは帰結主義者(Consequentialist)のバックグラウンドに基づく。しかしながら Floridi は,

「コンピュータ倫理自体は,哲学的関心のない実用的な分野,あるいは行動志向(action-oriented)

の倫理適用の特別な領域として軽視されている」(39)と述べ,コンピュータ倫理は実用的で現場に依 存して適用されるプロフェッショナル倫理としてのミクロ倫理的なものであり,コンピュータ倫理 の根本主義的な問題の背後には,「強力な倫理プログラムの欠如( a  luck  of  a  strong  ethical  programme )」(40)を指摘する。

 現行のコンピュータ倫理には以上のような主な問題が指摘されるが,これらを踏まえて特に革新 的な哲学的価値を持ち,強力な倫理的アプローチをとるマクロなコンピュータ倫理の出現が期待さ れていることが言える。そこで Floridi は革新的な倫理的アプローチの情報倫理(IE)を提唱した。

3.情報倫理(IE)の可能性

3―1.Floridi の情報倫理(IE)

 Floridi は,情報倫理とコンピュータ倫理のことについて,「コンピュータ倫理の哲学的な状況は メソドロジカルな問題であり,情報倫理はコンピュータ倫理の哲学的,基礎的な部分であり,情報 領域の倫理あるいは環境倫理の特殊なケースのように見なせる」(41)と述べている。コンピュータ倫 理が方法論的であるのに対して,情報倫理はコンピュータ倫理の哲学的な基盤となる部分というこ とである。Floridi はまた,情報倫理は「幅広い倫理的論説のための信頼ある基盤と今の時代や情 報革命を特徴づける価値ある情報源を提供する。しかし,まだスタートしたばかりの領域である」(42)

と述べている。

 一方,情報倫理は「コンピュータ倫理,ビジネス倫理,医療倫理,コンピュータ科学,情報哲 学,社会認識論,ICT 研究,図書館情報学等の様々な学説において異なった立場の研究者たちが 研究をしており,違った意味になってきた」(43)と指摘される。そして情報倫理は特別なテクノロ ジーが特に強調されて来た。たとえば「コンピュータ倫理(computer ethics)」,「インターネット倫理

(Internet ethics)」,「マシン倫理(machine  ethics)」,「ナノ倫理(nanoethics)」そして「ロボット 倫理(robo-ethics)」などがあげられる(44)

 このように情報倫理はそれぞれの立場において研究されて多義的であり,共通概念としての情報 倫理を確立するのが課題であった。Floridi はこうした状況を踏まえて,従来のコンピュータ倫理 をミクロ倫理として位置づけ,新しい情報倫理(IE)を普遍的なアプローチとしてのマクロ倫理

(13)

を提唱した。彼は今最も注目されている情報倫理や情報哲学の研究者である。

 Floridi の提唱する情報倫理(IE)の大きな特徴は,「情報圏(infosphere)」という考え方である。

万物すなわちあらゆるエンティティは情報的存在であり,それらで形成されているのが情報圏であ る。そして IE はオブジェクト指向であり,存在物中心的な理論である。すべての情報圏に存在す るものは,情報的存在物であり,IE は生物中心主義を存在物中心に置き換えたエコロジカルな倫 理である。

 従って非生命的で無形で抽象的な知的なオブジェクトでさえも道徳的な価値を持った尊重される べき価値を有している。生物中心的な倫理は,行為を受ける側の影響を考慮する受容者思考的な倫 理を発展させるものである。IE は,存在物中心的,受容者志向的であり,情報的存在物は道徳的 受容者(moral  patient)である。ミクロ倫理の視点は行為者に対して規範を問うが,マクロ倫理 の視点は行為の受け手の視点から倫理道徳を構築していこうとするものである。Floridi はマクロ 倫理としての IE を,「IE とは存在物中心的,受容者志向的のエコロジカルなマクロ倫理である( IE  is an ontocentric, patient-oriented, ecological macroethics )」(45)と定義している。

3―2.情報倫理の枠組み

 Floridi により,情報倫理の枠組みは RPT モデルとして説明される(46)

 道徳的行為者 A(Alice)は R(Resource)入力資源としての情報を用いて P(Product)出力生 産物としての情報を生み出し,T(Target)標的としての情報(情報環境)に影響を及ぼすという ものである。

 情報倫理は今までこれらの RPT の 3 つの個別の「情報のベクトル」のいずれかから起こる道徳 的問題の研究であるとされてきた。情報倫理の初期の研究は,RPT が情報圏の外部にある外部的

(external)RPT モデルとしてミクロ倫理のアプローチをとっていた。この外部的 RPT モデルは Wiener の立場である。しかし,外部的 RPT モデルは RPT の 3 つの個別の「情報のベクトル」で の分析で済ませることが簡略的すぎることや,モデルの包括性が不十分であること等が指摘され,

ミクロ倫理的アプローチは限界があった(47)

 ミクロ倫理の外部的(external)RPT モデルに対して,Floridi は RPT が情報圏の内部に存在す るマクロ倫理としての内部的(internal)RPT モデルを提唱する。

 そして,従来のミクロ倫理的アプローチから包括的なマクロ倫理的アプローチにするためには情 報倫理に以下の 3 つのことを含むアプローチが必要であるとしている(48)

  ① 3 つの「情報ベクトル」を一緒にまとめる,

    bring together the three  information vectors’;   ②すべての情報サイクルを考慮する,そして

(14)

    consider the whole information-cycle; and

  ③  包含されるすべてのエンティティ(Alice や他の道徳的行為者含む)とその変化,行為,相 互作用を,個別ではなく情報環境そのものあるいはエンティティが情報システムとして属し ている情報圏の部分として情報の分析をする。

      analyse informationally all entities involved (including Alice and any other moral agents)  and their changes, actions, and interactions, by treating them not apart from, but as part  of the informational environment itself, or  , to which they belong as information  systems themselves.

 ①の情報ベクトルは,入力資源としての情報,標的としての情報,生産物としての情報の 3 つの 情報を結びつけることを示し,②のすべての情報サイクルは,情報の作成から精緻化,配布,蓄積,

保護,利用,破壊などすべての情報ライフサイクルを示す。特に③はマクロ倫理の中核的な概念で あり,情報環境におけるエコロジカルなアプローチを行うものである。

 マクロ倫理の IE では情報オブジェクト指向( object-oriented )であり,存在物中心的な理論 である。そして情報倫理が意味論的,認識論的な概念から存在論的な概念へと移行するものである。

情報圏に存在するものは生命体であろうが非生命体であろうが,存在するものはすべて情報的存在 物(情報的エンティティ)であり,道徳的受容者である。

 IE は人間中心主義ではなく,存在論的な平等原則( ontological  equality  principle )により私 心のない客観的な判断を下すことが前提となる。あらゆるエンティティは存在物としての尊厳を持 ち,それゆえ IE は公平で普遍的であるということである。IE ではあらゆる道徳的行為者( moral  agent )の果たすべき責任を情報圏の発展に貢献するということにより評価し,また情報圏全体の 秩序を破壊したり,腐敗させる負のあらゆるプロセス,行為や来事をエントロピーの増大として評 価する。Floridi は以下の「IE の 4 つの倫理的原理( The  four  ethical  principles  of  IE )」(49)を示 している。

  ①エントロピーは情報圏において引き起こされるべきではない(無律法)

    entropy ought not to be caused in the infosphere (null law)   ②エントロピーは情報圏において予防されるべきである     entropy ought to be prevented in the infosphere   ③エントロピーは情報圏から除去されるべきである     entropy ought to be removed from the infosphere

  ④  情報的存在物と情報圏全体の繁栄は,それらの良い状態を保ち,養い,豊にすることによっ て促進されるべきである

(15)

      the  flourishing  of  informational  entities  as  well  as  of  the  whole  infosphere  ought  to  be  promoted by preserving, cultivating, and enriching their well-being

以上の 4 つの倫理的原理が同時に満たされるときに,道徳的行為者の行為は最良のものになるとい う倫理原則である。

 IE はすべての情報的存在物が情報圏という情報環境に存在し,道徳的行為者の行為が情報圏を 持続可能な善の状況の発展に貢献しうるかという観点からの評価である。IE においては,道徳的 行為者の行為により道徳的受容者及び情報圏がどのような影響を受けるのかを考え,またエントロ ピーの増大を防ぐことが義務となる。Floridi は情報的存在物と情報圏というマクロの視点でエン トロピーの増大を防ぎ,情報的存在物と情報圏全体の繁栄ということの普遍性に情報倫理の可能性 の根拠を据えているといえよう。

3―3.マクロ倫理(IE)の課題

 IE についてはいろいろと議論がなされている。大きな点の一つはすべてを情報的存在として捉 えるデジタル存在論はデジタル還元主義に陥るのではないかという疑問である。デジタル存在投企 が身体的実存を脅かすことにならないかという懸念も生じてくる。また,IE が対象とする道徳的 存在物は人間だけではなく,人間以外の生物はもちろん非生物も対象となる。岩やその他自然物,

人工物などの非生物も道徳的存在物となりえる。しかし,人間や生物,非生物が情報圏のオブジェ クトであり,分け隔てなく価値ある存在であるのか。人間は単なる物理的存在ではなく,倫理学で は人間的尊厳と呼ばれてきた。しかるに他の非生物であり人工的エージェントなども道徳的な存在 物としてなり得るのかという疑問である。

 Floridi は,「何であれ,それが存在する限り,エンティティとして尊重を受ける価値がある

( anything that is, insofar as it is, deserves some respect qua entity )」(50)と述べている。このこと は,古典的な形而上学における命題「存在するものは善である( ens et bonum convertuntur )」(51)

と同じである。そして,IE によって問われる倫理的な質問は,「情報エンティティと情報圏にとっ て,何が一般に善であるか」(52)ということである。デジタル還元主義に陥る可能性の懸念について,

Floridi は「人間を単に数値に還元したり,動物や木や石などよりももはや重要ではないかのよう に見なすことではない。IE によって唱道される最小主義(minimalism)は方法論」(53)と述べ,IE がデジタル還元主義ではなく最小主義( minimalism not reductionism )であると説明している。

 Floridi は Information ethics: a reappraisal(54)の中で,情報倫理の研究者たちへの丁寧な IE に 関する疑問等への返答を行っている。Floridi 自身,IE はまだ探求し始めたばかりの領域であり,

対話を行うことによりさらに IE がより広範な議論を行うことを望んでいることがうかがえる。特 に,Rafael  Capurro の論説は Floridi を困惑させるとも述べている(55)。Cpurro はハイデガーの実存

(16)

主義の流れを継承し,解釈学的情報学の研究者として知られているが,Charles  Ess も指摘するよ うに,Frolidi と Capurro の論点は明らかに異なる。

 Capurro の最も重要な懸念事項の一つは,Floridi の「情報的転回」( informational turn )につ いてである。すなわち,「すべての存在物の価値を主張する情報的転回は,必然的に我々が重点を 置く道徳主体としての人間の責任や価値を潜在的に悲惨な危害へと導いていく」(56)ということであ る。

 また,Capurro は,「情報倫理は情報圏における倫理( ethics in the infosphere )だけではなく,

情報圏の倫理( ethics of the infosphere )に関わるものである」(57)と述べている。

 Capurro によれば,情報圏の道徳基本原理は,「他者との知識の共有(share  knowledge  with  others)」(58)であり,現在のデジタルコンテクストにおいてはデジタル環境の中で,我々がコミュニ ケーションを行ったことを将来の世代のために保護する権利も含め,コミュニケーションを行う権 利である。したがって,コミュニケーションと伝統はデジタル時代の情報倫理の中心的な課題とな る。「情報倫理は広範な異文化間の対話が行われる開かれた場となる」(59)と Capurro は述べる。

3―4.情報倫理における倫理多元主義の可能性

 Floridi と Capurro の情報倫理に対する見解はこのようにデジタル存在投企や,情報圏のとらえ 方に関し不一致面があるが,両者の妥協点としては,Capurro の言葉でいう「異文化のコンピュー タ倫理」の共通理解である。すなわち,Floridi と Capurro は「情報倫理には異文化のコンピュー タ倫理の発展を中心課題の 1 つとして含める必要がある」(60)ことに同意するものである。

 Ess は「グローバルな情報倫理( Global  information  ethics )」を発展させていくために,「倫 理多元主義( Ethical pluralism )」の可能性を提唱する(61)

 しかし,歴史的伝統や宗教,文化が異なる東西文化間の多元主義を収斂させてグローバルな情報 倫理を構築していく過程で相対主義に陥る危険性もある。だが,ICT によるグローバルな情報の やり取り,コミュニケーションが行われる解消不能な異文化間の倫理規範や伝統,文化,宗教をお 互いが認めながらグローバルな異文化の情報倫理を発展させていくことは,これから最も大きな中 心課題といえるであろう。

 「収斂性の多元主義( Pros  hen  pluralism )」により,東西の伝統,文化の多様性を尊重しなが ら普遍性のある調和のとれた「グローバルな情報倫理」を発展させていくことは,異文化間の対話 努力が必要となるであろう。

 Ess は Terrell Ward Bynum が Norbert Wiener と Luciano Floridi による中心価値( the center  value )への志向性において一つの収斂性(convergence)を認めていると指摘している。すなわち,

人間の繁栄に貢献すること,人間の価値を促進し保護すること,西洋の哲学的・宗教的伝統からの

「偉大な公正の原理」の中心価値である(62)

(17)

 中心価値への志向性により収斂性の多元主義を発展させていくことは情報倫理の普遍性を検討す るうえで賛同できる。しかし,中心価値が西洋中心のものであり東洋の価値中心との文化的差異を 解消した中心価値を志向していくことは課題であろう。

4.おわりに

 Wiener によって始まるコンピュータ倫理の系譜を再確認することにより,人間と技術の関わり と倫理について,特にコンピュータ技術に携わる技術者の職業倫理としてのコンピュータ倫理が出 てきた背景を,ICT が急速に進む時代に今一度,再認識することが大切である。情報倫理の可能 性として,ICT に携わる技術者の職業倫理は今後益々重要な位置づけとなるであろう。そして,

Moor の「コンピュータ倫理の典型的な問題は,コンピュータ技術をどのように使うかということ についてのポリシーの真空状態によって引き起こされる」(63)という「ポリシーの真空状態( policy  vacuum )」は,AI の時代に向けて今なお重要かつ大きな課題と言える。

 Floridi の示したマクロ倫理の IE は,「情報圏(infosphere)」における情報倫理という捉え方をし,

すべての存在物が「道徳的受容者( moral  patient )」であり,情報的存在物が存在する情報圏の エントロピーを減少させて持続的な発展をなしていくというエコロジカルなアプローチをするもの である。すべての存在物を道徳的受容者と見なす視点はコペルニクス的転回といえよう。IE の「情 報圏全体の繁栄は,情報的存在物の性質を保護,養成し,幸福にすることによって促進されるべき である」という大きなポリシー,ビジョンがそこに存在している。また,IE が情報中心的である ため,非生物も道徳的受容者としての情報的存在物であり,人工物も道徳的行為者としての倫理を 問うことが可能となれば,ここに今後 AI 倫理を情報倫理の大きな領域の一つとして発展させる可 能性を見るものである。

 グローバルな時代における普遍的な情報倫理は可能か,という問いかけがもたれる。多元性

(plurality),多様性(diversity)が加速するグローバルな環境の中で,Ess の示す収斂性の多元主 義は,今後の情報倫理の可能性を検討する上で重要な概念である。特にビッグデータがグローバル に行き交う中で,具体的には個人情報保護やプライバシーの問題について,周知のように異文化間 でかなり異なるものである。Ess は東西のプライバシーの問題について検討しているが,収斂性の 多元主義は情報倫理における一つの重要課題である。

 マクロ倫理の IE は,収斂性の多元主義を包括し,普遍的な情報倫理の構築を目指すものである。

だが,コンピュータ倫理,情報倫理の歴史を振り返り,また Floridi の IE についても西洋哲学から のアプローチが根底にある。西洋の哲学的・宗教的伝統からの中心価値と東洋の哲学的・宗教的伝 統からの中心価値がどのように収斂していくのか,情報倫理の中心的な価値とは何か,倫理的相対 主義に陥ることなく,普遍的な情報倫理の構築における対話が益々必要となる。そしてマクロ倫理

(18)

の IE のように包括的なアプローチがこれらのグローバルな環境における普遍的情報倫理の取り組 みへの可能性として益々必要となるであろう。「情報圏」における情報倫理という捉え方のマクロ 倫理の IE は今後も様々な議論がなされていくことが必要であるが,一つの普遍的情報倫理への突 破口となる可能性が大きいものであると思われる。

⑴ コンピュータ倫理の歴史的な要点は以下の文献等を参考とした。

 ① Terrell  Ward  Bynum,  Computer  ethics:  Its  birth  and  its  future ,  , vol. 3(2), Kluwer Academic publishers, 2001, pp. 109―112

 ② Terrell  Ward  Bynum,  The  historical  roots  of  information  and  computer  ethics ,  edited  by 

Luciano  floridi,  ,  Cambridge 

University press, 2010, pp. 20―38

 ③ Terrell  Ward  Bynum  &  Simon  Rogerson,  , 

Blackwell, 2004, pp. 1―13

⑵ Terrell Ward Bynum,  Computer ethics: Its birth and its future , p. 109

⑶ Norbert  Wiener,  :  , 

(second edition) The M.I.T. Press and John Wiley & Sons, Inc. New York・London, 1961 (original  edition 1948)

⑷ Norbert  Wiener,  ,  The  Riverside 

Press Cambridge Massachusetts, 1950

⑸ Norbert  Wiener,  , 

pp. 27―28

⑹  , p. 1

⑺ Ibid., p. 16

⑻ Terrell Ward Bynum,  Computer ethics: Its birth and future , p. 110

⑼ Donn B. Parker,  Rule of Ethics in Information Processing ,  , Vol. 

11 No. 3, 1968 pp. 198―201

⑽ Ibid., p. 198

⑾ Ibid., p. 199

⑿ Ibid., p. 199

⒀ Joseph Weizenbaum,  , W. H. Freeman and Company, 1976, 

p. x

⒁ Terrell Ward Bynum,  Computer ethics: Its birth and future , p. 110

⒂ Terrell Ward Bynum & Simon Regerson,  , p. 17

⒃ Walter  Maner,  ,  Helvetia  press  and  national  information  and  Resources Center for Teaching Philosophy, Hyde Park, New York, 1980

⒄ Giannis Stamatellos,  , Jones and Bartlett Publishers, 2007, p. 2

⒅ James H. Moor,  What is Computer Ethics? ,   vol. 16 No4, Willey, 1985, p. 266

⒆ Ibid., p. 266

⒇ Ibid., p. 266  Ibid., p. 266

 Deborah G. Johnson , Prentice-hall, 1985  Ibid., P. 7

(19)

 Ibid., P. 8

 Edited  by  Terrell  Ward  Bynum  &  Simon  Rogerson,  , p. 19

 Ibid., p. 19

 Krystyna Gorniak-Kockikowska,  The computer revolution and the problem of global ethics ,  , 1996, pp. 177―190

 Terrell Ward Bynum,  Computer ethics: Its birth and its future , p. 112  James  H  Moor,  Reason,  Relativity,  and  Responsibility  in  Computer  Ethics. , 

, vol. 28(1) pp. 14―21

 Debrorah G. Johnson,   2nd ed., Prentice-hall, 1994, p. 10  Ibid., p. 17

 James  H.  Moor,  The  future  of  computer  ethics:  You  ain’t  seen  nothin’  yet! ,  , Vol. 3(2) Kluwer Academic publishers, 2001 pp. 89―91  Ibid., p. 91

 Ibid., p. 91

 Luciano  Floridi ,  Information  Ethics:  On  the  Philosophical  foundation  of  computer  ethics ,  , Vol. 1, 1999, p. 37

 Ibid., pp. 37―38

 R. Mason,  Four Ethical Issues of the Information Age ,   10(1), pp. 5―12,  1986.

 (PAPA: privacy, accuracy, intellectual property and access)

 Luciano Floridi ,  Information Ethics: On the Philosophical foundation of computer ethics , p. 

38

 Ibid., p. 39  Ibid., p. 39  Ibid., p. 37

 Luciano Floridi,  Information Ethics: a reappraisal ,  , p. 189  Luciano Floridi,  , Oxford University Press, 2013, p. 19

 Ibid., p. 20

 Luciano  Floridi,  Information  Ethics,  Its  Nature  and  Scope ,  ,  Vol 36, No. 3, September 2006, p. 25

 Luciano Floridi,  , Oxford University Press, 2013, pp. 19―21  Ibid., p. 21

 Ibid., p. 26  Ibid., p. 71

 Luciano Floridi,  On the intrinsic value of information objects and the infosphere ,  , 2002, p. 301

 Rafael  Capurro,  Towards  an  ontological  foundation  of  information  ethics ,  , vol. 8, 2006, p. 182

 Luciano  Floridi,  Mapping  the  foundationalist  debate  in  computer  ethics ,  , Vol. 4, 2003 p. 8

 Luciano Floridi,  Information ethics, Its nature and scope , p. 33

 Luciano  Floridi,  Information  ethics:  a  reappraisal ,  pp.  189―204 Floridi は Information  ethics:  a  reappraisal において Bernd  Carsten  Stahl,  Philip  Brey,  Frances  Grodzinsky,  Keith  W. 

Miller,  Marty  J.  Wolf,  Debrorah  G.  Johnson,  Alison  Adam,  Herman  T.  Tavani,  Rafael  Capurro, 

(20)

Soraj Hongladarom, Dan L. Burk へ IE の質疑に対する応答をしている。

 Ibid., p. 199

 Charles  Ess,  Floridi’s  Philosophy  of  information  and  information  ethics:  Current  perspective,  future directions ,  , Vol. 25, 2009, p. 165

 Rafael  Capurro,  Towards  an  ontological  foundation  of  information  ethics ,  , vol. 8, 2006, p. 182

 Ibid., p. 183  Ibid., p. 184

 Charles  Ess,  Floridi’s  Philosophy  of  information  and  information  ethics:  Current  perspective,  future directions ,  , Vol. 25, 2009, p. 165

 Charles Ess,  Ethical pluralism and information ethics ,  , Vol. 8, 2006,  pp. 215―226

 Ibid., p. 221

 James H. Moor,  What is Computer Ethics? , p. 266

(21)

Potentiality of Information Ethics : From the dawn of computer  ethics to universal information ethics

Kiyoshi TAKEI

Abstract

   With  the  rapid  progress  of  the  information  society,  information  ethics (IE)  is  becoming  in- creasingly important for the future.  IE has emerged as application ethics.  However, the prog- ress of information technology is rapid; there are aspects where social change is rapid, and ethi- cal aspects are not catching up.

  The current state of IE is the enumeration of practical compliance items of communication in  the Internet society.  Furthermore, many items mainly comprise discussions and case studies on  privacy, copyright, information security, etc.  It is necessary to clarify the position of IE as ap- plied ethics of ethics firmly based on the philosophical and fundamental part of IE.  In addition,  information society is an environment where information is gathered and globally communicated,  and IE needs to be universal IE from the local one.

  In this article, we focus on the background and history of computer ethics and confirm the  main  theories,  especially  on  IE  as  macro  ethics  proposed  by  Floridi  as  a  clue.    In  addition,  we  take into account the potentiality of IE.

Key words:   computer  ethics,  information  ethics,  infosphere,  information  ethics  as  macroethics,  universal information ethics

参照

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