ルソーの政体構造論
白石正樹
ル ソ ー の 政 体 構 造 論
目次
一︑はじめに
二︑民主政と貴族政
1民主政
2貴族政
3選挙
三︑君主政の構造(その一)
‑理論と現実
2権力の構造
四︑君主政の構造(その二)
1政体の﹁性質﹂と﹁原理﹂
2君主政体の問題点
五︑混合政体について
ーロック︑モンテスキュー︑ルソー
2イギリスとジュネーヴの対比
一︑はじめに
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ルソーは政府を三つの基本型︑すなわち民主政(一)似ヨ︒霞銭︒)︑貴族政(︾蔚8︒鑓9)︑君主政(竃︒暴容三︒または王政
O︒ロ︿︒彗§︒暮δ琶)に区分する︒それは政府を構成する人間の数によるものであって︑古代ギリシア以来の伝統的
( 1 )
な﹁国制﹂分類に類似している︒しかし︑ルソーの揚合︑この区分は国家自体と区別された︑その内的機構としての政府の分類であり︑また主権や立法権担当者でなく︑執行権担当者の数による分類である︒その結果︑形式的には旧
態依然たる分類でありながら︑論議の次元が一殺階移行していることに注意すべきであろう︒
実際︑人民が至高の権力をもち︑法律によって治められるルソーの﹁土ハ和国﹂(譲崔げ言ロ︒)は︑それ自体︑現代風
( 2 )
にいえば民主制国家に他ならない︒かかる﹁共和国﹂のみを唯一正当なる国家形態と定めて︑その上で政府を分類し( 3 )
たことは︑一見平凡な立論のようで︑そうではなく︑深い意義が認められるように思う︒なぜなら︑そこには過去の民主制や共和制の遺産(その制度ならびに政治原理)についての真摯な態度が窺われるし︑また恐らく将来の政治社会に
( 4 )
対する洞察力が表われている︒民主的政治理念に対する強い信念なくして︑このような論の進め方は到底できるものではない︒
なおルソーは︑国制と政体(ないし国家形態と政府形態)をこのように立て分けて論じたが︑しかし﹁共和国﹂以外の
国家について言及した箇所がいくつかある︒例えば︑﹃契約論﹄第三編第八章における自由国家と君主国家の区別
(◎漆驚o口8窪鍵oδω国寅汁ω喜HΦω〇二〇ωヨ8霞〇三ρ器ω)や︑共和国と専制国家(卑鋤けωO①巷︒89ω)の区別がそうであ
る︒また﹃契約論﹄第三編第十章では逸脱した国家形態に若干ふれている︒
共和国における合法的政府の成立は次のように説明される︒それは政府の三基本型の定義でもある︒
﹁主権者はまず最初に︑人民全体または人民の最大部分に政府の保管を委ねて(8ヨヨ︒葺︒一︒血80什含o︒5<︒讐?
日Φ暮)︑単なる個人としての市民(葺︒饗拐mぎb一①ω冨答一︒三帥︒邑よりも︑行政官たる市民(︒ぎ唄曾B⇔αq一ωけ翼ω)が多く
ヘヘへなるようにすることができる︒このような政体には︑民主政という名称が与えられる︒
あるいは︑主権者は政府を少数の人々の手中へと狭めて︑行政官よりも単なる市民が多くなるようにすることもで
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ルへ きる︒このような政体は︑貴族政と名付けられる︒
最後に︑主権者は政府全体をただ一人の行政官の手の中に集中させて︑他のすべての行政官たちがその人から権力
︑︑︑(5)を受取るようにすることができる︒この第三の政体は︑最も普通の政体であって︑君主制または王政と呼ばれる︒﹂
( 6 )
ところでルソーによれば︑政体構成に関しては次のような格率が成立する︒すなわち︑さまざまな国家において( 7 )
﹁最高行政官(8曽σq韓韓ωωξ冷ヨ①ω)の数は︑市民の数に逆比例(反比例窪邑ω霧ぎく①同ω①)せねばならない︒﹂それは換言すれば次のようなことである︒﹁国家が大きくなればなるほど︑政府はますます収縮しなければならない︒人民の
( 8 )
数の増加に比例して首長たち(9Φhω)の数が減少するというように﹂(政体の一般原則)︒今︑人口や領土を基準にして︑国家の規模を大ざっぱに大国︑中国︑小国に分けることにする︒それに一般原則を
当てはめるならば︑政体の基本型については次のようにいいうる︒﹁概して民主政は小国に適し︑貴族政は中位の国
( 9 ) ( 10 )
に適し︑君主政は大国に適する︒﹂ルソーは﹁この規則(8θ8富︒q芭は先の原則(℃旨8①)からただちに引出される﹂と述べている通り︑行政官や力の均衡に関する諸格率からの論理的操作によってのみ︑このような基本型適用の規則
を引出している︒
国家の規模と政体の関係については︑既にモンテスキューが﹃法の精神﹄(とくに第八編第+六ー二〇章)の中で論
じたところであるが︑モンテスキューの場合には︑歴史的︑比較社会学的考察から︑いわば経験論的に同様の法則を
論じたのであった︒ルソーは︑彼がその天分を高く評価したモンテスキューの政体論に何ほどかを負っていることは
確かであるが︑しかし政府の一般的モデルによって︑それに新たな論拠を加えたのである︒
また︑政体構成の目的は︑それぞれの人民の統治にふさわしい政府を設定することにあるので︑その活動力や抑制
力の程度を調節する( 9ヨb20)ために︑場合により三基本型のみならず︑その二つまたは三つの﹁混成的形態﹂や︑
特別の制度による﹁政体の補完﹂をも考慮せねばならない︒こうして︑それほど整然としていないとしても︑それだ
け実際的な規則i政体の混合・調整の規則が生まれる︒ルソーによれば﹁同一の政府も︑何らかの観点から一方は
ある方法で︑他方は他の方法で管理されるような諸部分に細分されうるから︑その結果︑この三政体の結合から多数
( 11 )
の混合政体(8§①ω昌×①ω)が生まれる︒そしてその各々は︑あらゆる単一政体によって倍加されうる︒﹂さらに︑一国の政体を決定するには︑その国の気候風土(自然的要因)や︑それに依存する人々の労働︑生産量等
(経済的要因)をも考慮に入れる必要がある︒なぜなら︑﹁あらゆる政府において公的人格は消費するのみで何ら生産
しない︒⁝市民状態は︑人々の労働がかれらの必要以上のものを生みだす・その限りにおいてしか存続しえ施﹂
からである︒しかし︑政体の気候風土論的規則は︑いかに真実であろうとも︑ルソー本来の政府の理論的考察からす
れば︑応用的︑付加的なものにすぎないであろう︒それはモンテスキューにならったものであって︑特にルソーの独
( 13 )
創的なものではないと思われる︒ここで大切なことは︑ルソーがいわゆる最善政体論(昼ヨ︒崔①舞︒h︒§︒号ぴq︒ロ<︒雫ま§Φ暮)を退けたこと︑そして国家形態については厳格に唯一正当なものを規定したが︑政府形態については相対主
義的になっていることである︒
二︑民主政と貴族政
三基本型のうち︑民主政と貴族政は︑政府を構成する行政官数のさまざまな段階を許容しうるのであり︑それもか
なり広範囲に及ぶことに注意せねばならない︒なぜなら︑民主政は全人民を包含することもできるし︑その半分にま
で縮まることもできる︒また︑貴族政は人民の半分を包含することから︑数はきめられないが極めて少数にまで収縮
( 14 )
することができるからである︒ある意味では︑民主政と貴族政の理論的類型は︑執行権行使者数の範囲による相対的区分と見なすことさえできる︒しかし︑ルソーのいう貴族攻は︑何よりも﹁代表による統治﹂であって︑その固有の
メリットをもっている︒
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1︑民主政
さて︑主権者人民の(行政官選出のための)一時的︑手続的民主政が︑そのまま政体となって持続したら︑どうなる
であろうか︒あるいは︑﹁原初的体制﹂において主権から分離した立法権と執行権とが︑どちらも全人民の手中に止
められたならば︑どうなるであろうか︒このような状態こそ︑ルソーが民主政体として検討していることである︒そ
れは理論的類型としては考えられるが︑非現実的であって︑﹁あるがままの人間﹂には不可能な政体とされている︒
この政体の根本的欠陥は︑立法権と執行権の担当者が明確に区別されていないことである︒その結果︑一般意志と
個別意志︑共通利益と私的利益が混同され︑国家が基礎から害せられることになる︒人民集会が立法権や役人選任権
を有するのみならず︑制定された諸法律を個々に執行する場合には︑かえって私的利益のための立法が不断に企てら
れることになり︑悪循環に陥ってしまう︒それゆえ︑一見︑好都合のように思われる法とその執行との結合︑つまり人
民集会自体の常設的政府化は︑かえって人民主権の機能を損うことになる︒﹁法律をつくる人がそれを執行すること
や︑人民の団体が一般的見地から注意をそらし︑特殊な事柄に注意を向けることはよくない︒公務(臨9一器ω蜜げ一置二︒ω)
に私的利害が影響を及ぼすことほど危険なことはない︒そして私的な見地に立つことの必然的結果として立法者︹人
( 15 )
民集会︺が腐敗するよりは︑政府による法律の乱用の方がまだしも弊害が少ない︒﹂また︑﹁原初的体制﹂における民主政は︑本来︑仮りの政府であるべきなのに︑そのまま政体として残存.継続す
るのであるから︑それは政治の格率(権力の自然的傾向)によって他の政体に移行すべく︑たえず揺り動かされる︒こ
れが第二の欠陥である︒﹁民主政もしくは人民政府ほど︑内乱(σq二①頃︒ω︒三蕾)︑内紛(国ぴq冨什δ霧一暮婁ぎ①ω)の起こり
( 16 )
やすい政体はなく﹂︑また﹁これほど強く︑不断に形態を変えようとする政体はない︒﹂民主政をとる市民たちがあるとすれば︑かれらは(徳や節度のみならず)︑政体が変わらないように︑たえず警戒と勇気︑また実力と忍耐をもって武