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「笑う」の意味構造に関する一考察 A Study on the Meaning Structure of “Laugh”

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「笑う」の意味構造に関する一考察

A Study on the Meaning Structure of “Laugh”

下 岡 邦 子

SHIMOOKA Kuniko

キーワード:感情表出の必然的結果、感情の伝達手段、「評価」の意味

1.「笑う」は感情動詞か否か

 「笑う」は感情動詞か否か―このことは、往々にして現代日本語研究で話題になることである。

例えば金水(1989)では、 「笑う」が「心から/心底」という副詞と共起できる点を根拠に、 「笑 う」を心的述語の一つとして扱っている。一方、吉永(2008)では「「笑う」は心理的色彩を 帯びてはいるが、外見的な表情・態度動作が主な意味内容」

[注1]  

として、「笑う」を感情動詞の 分類から除外している

[注2]  

 動詞「笑う」に対するこのような議論の根底には、 「笑う」が有する二つの意味特徴―「感情」

と「動作」―の扱いに対する認識の違いが大きく影響しているといえる。このことを踏まえ、

本稿では、現代日本語の一動詞である「笑う」を考察対象とし、「笑う」が有する二つの意味 特徴―「感情」と「動作」―の関係を整理するとともに、「笑う」の意味構造を明らかにする。

そして、現代日本語において、「笑う」を感情動詞の一つとして捉えることの有意性について 考察する。

2.「笑う」の文型と多義性

 「笑う」には、[人ガ笑う]という自動詞用法と、[人ガ<人・物・事>ヲ笑う]という他動 詞用法とがある。そして、他動詞用法の場合、「笑う」はヲ格名詞句が示す対象への侮蔑の意 味を含む。

(1)a.私は笑った。

b.私は田中の服装を笑った。

[注3][注4]

(1a)では、動作主(私)が「喜びやおかしさなどの心情を、声または顔の表情で表出す る」

[注5]  

ことを表しているが、(1b)ではその意味に「ばかにする」という意味も加わり、

「笑う」が表す心の動きが「負の感情」に偏っている。このような自他の用法による「笑う」

の意味の違いは、次の(2)のように、「微笑む」「せせら笑う」といった「笑う」の下位

動詞で言い換えることにより明確になる。

(2)

(2)a.私は{ 微笑んだ/ # せせら笑った }。

b.私は田中の服装を{ * 微笑んだ/せせら笑った }。

なお、(2a)の「私はせせら笑った」の場合、これ自体は非文とはいえない。しかし、「せせ ら笑う」を用いる際は、(3)の点線部のように、その文脈にヲ格名詞句に相当する事柄が示 されている必要があり、もし文脈の支えなしに「私はせせら笑った」と単文で用いると、言葉 足らずの感が否めない。

(3) 中佐の先刻までの鼻息は一人相撲の形になって、ちょっと格好がつかなくなって来たと 見えたとき、広島市出身の一医者がせせら笑って大きな欠伸をした。 

(井伏鱒二『黒い雨』)

 このように、「笑う」には自動詞用法と他動詞用法とがあり、それぞれの用法で意味に違い が見られる。だが、「喜びやおかしさなどの心情を、声または顔の表情で表出する」という意 味は、自他の違いを問わず「笑う」に共通して見られる基本的な意味である。そして、この基 本的な意味のうち、「声または顔の表情で表出する」という部分が、「笑う」の動作性を支える 根本となっており、そのような動作性を有している点が、「笑う」が他の感情動詞と大きく異 なるところである。

(4) 問題なのは、それを読んで、胃痙攣をおこしそうなほど、体をよじり、畳を叩いて、笑 いころげてしまったということだ。       

(安部公房『砂の女』)

(4)では、「(体を)よじる」「(畳を)叩く」などの複数の動作と並列し、また「ころげる」

という移動動詞と複合動詞化することで、「笑う」の動作性をより強調している。このように 動作動詞と並列して用いることができるのは、まさに「笑う」が表す強い動作性に起因すると いえよう。

 しかしながら、 「笑う」が「叩く」や「ころげる」のような動作動詞と一線を画すのは、 「笑う」

が表す動作が動作主(感情主)の心の動き(感情)に起因しているからである。そして、 「笑う」

の用例を詳しく見ていくと、「笑う」が表す動作主の「感情」と、その表出としての「動作」

との関係が、必ずしも一様でないことがわかる。例えば、次の(5)の用例では「笑う」が五 カ所で用いられているが、それらが表す「感情」と「動作」の関係は様々である。

(5)「若い人に味噌の味がわかるのかね?ミス・キムも味噌女なのか?ハハハハハ」

「味噌女」という新語が生まれ、ほかにも韓国女性を見下す「○○女」という言葉が流行

しているころだった。笑えといわれているのか、ばかにされているのか、「味噌女」とい

(3)

う言葉の意味を知ってて言ってるのか、全然わからない。社長が笑うから社員も一緒に 笑い、顧客が笑うからキム・ジヨン氏も先輩たちもまじめにとりあうわけにいかず、ぎ こちなく笑って話題を変えた。 

(チョ・ナムジュ/斎藤真理子『82 年生まれ、キム・ジヨン』)

一つ目の「笑え」は「笑う」の命令形であり、 「笑う」という感情に起因した動作を、動作主(キ ム・ジヨン氏をはじめとする周囲の人)に対して強要していることを示す。この場合、「笑う」

ことを強要する「社長」は、動作主に対して感情表出としての動作―自分の発言に対して好意 的な感情を抱き、その感情を表面化すること―を求めているのかもしれない。しかし、本来、

動作主(感情主)の内面に生じる感情は、他者に強要されて生じるものではない。したがって、

この場合の「笑え」という社長の要求に対して、仮に周囲の人が笑ったとしても、それは表面 的なものに終始することが予想される(実際、用例(5)の五つ目の「笑って」がその表面的 な笑いに相当する)。次に、二つ目の「社長が笑う」は、動作主(社長)の内面に発生した「面 白い」「楽しい」などの感情の結果生じた動作を表す。よって、この「笑う」は動作主の感情 と動作とが密接に関わったものであるといえる。その一方で、三つ目の「社員も一緒に笑い」

の場合は、社長の楽しそうな様子を快く思って笑っているのか、ただ社長に合わせて仕方なく 笑っているのか、判別がつかない。この場合の「笑う」ではっきりしていることは、動作主(社 員)が社長の発言に対して、表情を緩めたり声を発したりするという「なんらかの反応」を示 しているということのみである(四つ目の「顧客が笑う」は、社長と社員の動作を一つにまと めて記述しており、この「笑う」には複数の意味の「笑う」が含まれているといえる)。それ に対して、五つ目の「ぎこちなく笑って話題を変えた」は、動作主(キム・ジヨン氏と先輩たち)

の感情を伴わない、笑顔や笑い声などの、表面的な反応のみを示した動作であるといえ、「動 作主(感情主)の心的活動を示す動詞」という感情動詞の従来の枠組みからは、外れた用法で あるといえる。

 このように、 「笑う」が表す「感情」と「動作」の関係は一様ではなく、場合によっては、 (5)

の「ぎこちなく笑って話題を変える」のように、感情を全く伴わない動作を表すこともある。

この点が、「笑う」が時に感情動詞として語られない根拠となるわけだが、しかし、一見感情 を伴っていないような場合でも、動作主が「感情の明示」に関して何らかの意図を持って動作 していると見るならば、(5)の「ぎこちなく笑って話題を変える」の「笑う」も、感情動詞 として逸脱した用法であるとはいえない。

 本稿では、 「笑う」の意味を「発露」と「伝達」の二つに分類し、 「笑う」が表す「感情」と「動

作」の関係についてさらに詳しく考察する。さらに、「笑う」に見られる「評価」の意味につ

いても言及し、その特徴を考察する。

(4)

3.「笑う」の意味 3.1.発露

 先述した「喜びやおかしさなどの心情を、声または顔の表情で表出する」という「笑う」の 意味は、まさに動作主(感情主)自身の感情の発露であるといえる。この「発露」では、動作 主は自身の内面に生じた感情を、自身の声や顔の表情を用いて表面化している。

(6) 正直な話、私は折角の場所にこのような無礼を行った男に腹を立てながら、一方では、

可笑しさに耐えられず笑いだしてしまいました。      

(遠藤周作『沈黙』)

(7) 《希望》について、沈黙を守ることはできても、その心のたかぶりを隠すのは、やはりむ つかしかった。男は、寝床の仕度をしている女の後ろから、いきなり奇声を発して、腰 を抱えこみ、かわされると、仰向けに倒れたまま、足をばたつかせてなおも笑いつづけた。

       

(安部公房『砂の女』)

(6)と(7)では、動作主が「可笑しさ」あるいは「心のたかぶり」という自身の内面に生 じた感情を、自身の声や顔の表情を用いて表面化していることを表している。この場合、「可 笑しさ」や「心のたかぶり」という感情と「声を発したり表情を緩めたりする」という動作は

[原因-結果]の関係にあるといえる。さらに、 (6)と(7)の場合、感情の程度が、動作主(感 情主)が制御できないほどに大きいものであることを「耐えられず」や「隠すのは、やはりむ つかしかった」という表現で明示している。したがって、この場合の「声を発したり表情を緩 めたりする」という動作が感情(原因)に対する「必然的な結果」であることもわかる。さらに、

(6)と(7)での「笑う」は、動作主の意志性が極めて弱く、動作主自身の感情を声や顔の 表情を用いて具現化することに主眼が置かれているといえる。このように、「発露」の意味の 場合、「笑う」が有する二つの意味特徴―「感情」と「動作」―は、「感情」のほうに焦点が当 てられ、「動作」は「感情」の必然的結果として自然発生的なものとして示されている。

 ところで、(7)の動作主は「男」という三人称主語であるが、この場合は「語りの文」で あること、さらに、物語の語り手と「男」とが一体化していると解釈できることから、(7)

の「男」は、(6)の「私」同様、一人称主語に相当するものとして考えることができる。そ の一方で、「笑う」の用例には、次の(8)のように、語り手と一体化しない三人称主語が動 作主(感情主)となることもある。

(8) 滝蔵爺さんは病人に気をつかって病気のことには触れず、昔からの云い伝えや半分は嘘 のような話をする。もっともらしく話すので矢須子さんがよく笑う。爺さんは決して笑 わない。それが可笑しさを倍にする。      

(井伏鱒二『黒い雨』)

 「笑う」が他の感情動詞と大きく異なる点として、この[三人称主語-ル形]の組み合わせ

(5)

が挙げられる。通常、感情動詞を用いて三人称主語の内的活動を表現する場合、感情動詞をテ イル形にし、三人称主語の内的活動を外に見える形(状態)にすることが求められる。

(9)a.私は菊池の自由奔放な言動にいつも{ 困惑する/困惑している }。

b.鈴木は菊池の自由奔放な言動にいつも{ * 困惑する/困惑している }。

しかし、「笑う」の場合は、(8)の用例からも明らかなように、三人称主語であっても「笑う」

というル形を用いることができる。この点は「食べる」のような動作動詞と同じ振る舞いであ り、「笑う」が動作動詞として認識される要因でもある。

(10)この子は、辛い物は全然食べないけど、甘い物ならいくらでも食べる。

先述の通り、 「笑う」は「感情」と「動作」という二つの意味特徴を有する動詞である。したがっ て、「笑う」の「動作」に焦点が当てられれば、たとえそれが「発露」の意味であっても、(8)

のように、 [第三者主語-ル形]という組み合わせが可能になる。しかしながら、 (8)の「笑う」

が表す動作も「可笑しさ」という感情を具現化した必然的結果であるため、動作主の意志性と いう点では、他の動作動詞に比べ弱いものとなる

[注6]  

(11) ? 滝蔵爺さんは病人に気をつかって病気のことには触れず、昔からの云い伝えや半分は嘘 のような話をする。もっともらしく話すので矢須子さんがよく笑うおうとする。

 さて、 「笑う」が表す「動作」は、正の感情に起因したものであると考えるのが一般的だろう。

(12) 戦争中は「死」が当たり前だった男性に、今度は「生」に向き合ってもらう。未来ある 子どもたちが元気に笑って暮らせるように――。そんな「生きる」を考え抜くことが、

創刊以来のテーマだ。       

(毎日新聞 20191229)

(12)の「笑って」は「子どもたち」の内面に生じる正の感情の必然的結果としての動作を表 わしているといえる。よって、(12)の「元気に笑って」は「幸せに」という表現に置き換え ることも可能である。

(13)未来ある子どもたちが幸せに暮らせるように――。

だが、「笑う」が表す「動作」は、いつも正の感情に起因するわけではない。

(6)

 (14) 遠くで何か声がする。二匹の犬が争っているような唸り声で、耳をすますとその声は すぐ消え、しばらくして、また長く続いた。司祭は思わずひくい声を立てて笑った。

だれかの鼾だとわかったからである。

(酒を飲んで牢番が眠りこけているのだ)

鼾はしばらく続くとすぐ途切れ、高くなり低くなり、調子の悪い笛のように聞こえた。

自分がこの闇の囲いの中で死を前にして胸しめつけられるような感情を味わっている 時、別の人間があのような呑気な鼾をかいている事はなぜかたまらなく滑稽だった。

(遠藤周作『沈黙』)

(14)の場合、動作主(司祭)の置かれている状況と牢番の様子の落差に対して、動作主が「滑 稽だ」と思い、その必然的結果としての動作が表されているといえるが、この場合に動作主が 内面に抱く感情は、「可笑しい」「楽しい」などの正の感情ではなく、「ばかばかしい」といっ た負の感情である。このように、「笑う」が「発露」の意味を表わす場合、動作主(感情主)

が内面に抱く感情は正の感情だけでなく、負の感情であることもある。

 以上、「発露」の意味を確認した。ここでの考察をまとめると(15)のようになる。

(15)「発露」の特徴

  ・ 「笑う」が有する二つの意味特徴―「感情」と「動作」―のうち、「感情」のほうにより 焦点が当てられている。

  ・ 「感情」は原因を、「動作」は感情に起因する必然的結果を表わしており、「動作」の意 志性は極めて弱いものとなる。

 このように、 「笑う」の意味のうち「発露」の意味のときが、最も動作主の「感情」と「動作」

とが密接に関わっているということができる。

3.2.伝達

 「笑う」での「発露」の意味は、動作主(感情主)の「感情」に焦点が当てられ、「笑う」が 表す動作は感情(原因)の必然的結果としてのものであった。それに対して、ここで取り上げ る「伝達」の意味は、動作主(感情主)の「動作」に焦点が当てられているといえる。つまり、

「伝達」の場合、「笑う」が表す「動作」は動作主の感情を他者に伝える手段としての意味合い が強くなり、 「声や顔の表情を用いて、いかに的確に動作主(感情主)の感情を他者に伝えるか」

ということに重点が置かれるようになる。

(16) 軍艦の艦長は、士官室へ入って来て部下が碁将棋麻雀などやっていると、たいていいや

な顔をするものだそうである。それで若い士官たちの方でも、艦長の姿を見ればそっと

(7)

逃げ出してしまう。山本はしかしちっともいやな顔をせず、クスクス笑ったりして勝負 を眺めているので、部下はたいへん気楽であったという。   

(阿川弘之『山本五十六』)

(17) キム・ジヨン氏の母は未来の姑のほめ言葉が嬉しかったのか、満足げな面持ちで笑いな がら言った。

「買いかぶってらっしゃいますよ。年ばかり行ってて、何もできない子なんですから」

(チョ・ナムジュ/斎藤真理子『82 年生まれ、キム・ジヨン』)

(16)の場合、「笑う」は動作主(山本)の内面に生じた正の感情に起因した動作を表わしてい るとも読めるが、ここで重要なのは点線部の「部下はたいへん気楽であった」という部分であ る。(16)の「笑う」は、動作主の感情表出のみを表わしているのではなく、それを他者(部下)

に示し、伝えることまでを表しているといえる。つまり、この「伝達」の意味は、動作主だけ で完結するものではなく、動作主の感情表出を受け止める他者の存在が重要となる。それは(17)

も同様である。(17)の場合、「笑う」は動作主(キム・ジヨン氏の母)の「嬉しい」という感 情に起因する動作を表すだけでなく、その「嬉しい」という動作主自身の感情を他者(未来の姑)

に声や顔の表情を用いて的確に示し、伝えることに大きな意義があるといえる。つまり、「あ なたの発言に私は大変満足しています」ということを他者に伝える手段として「笑う」の動作 がある、ということである。

 「伝達」の意味における他者の存在の重要性については、次の(18)からもわかる。

(18)「パードレは、いや、今日までのパードレたちは」

筑後守は一語一語、区切って言った。

「どうやら、日本を存ぜぬ、ようだ」

「御奉行様も、基督教を御存知ありますまい」

司祭と筑後守は同時に笑いあった。      

(遠藤周作『沈黙』)

(18)では「笑いあう」という形態を用いて、二人の動作主(司祭と筑後守)が自身の感情を 目の前の相手に伝えることに重点が置かれているといえる。

 このように「伝達」の意味では、「笑う」が表す「動作」は「動作主の内面に生じた感情を 他者に伝えるための手段」という意味合いが強くなる。

 「笑う」が表す「動作」が手段としての意味合いを強めるのは、感情表出の目的が明確にな ることに比例する。つまり、動作主が何らかの目的を持って「声を発したり表情を緩めたりす る」という動作を行う場合、その「動作」は、目的遂行のための手段としての意味になるのだ。

例えば、先ほど挙げた(18)は、筑後守の司祭に対する取り調べの場面であり、緊迫した状況

であるといえるが、そのような状況下で、二人の動作主が自身の内面にある正の感情(この場

合、正の感情の真偽は問わない)を声や顔の表情を用いて相手に伝えることで、お互いの関係

(8)

性や緊迫した状況に何らかの変化をあたえようとしているとも読める。

 このように、「伝達」の意味では、動作主は何らかの目的を持って「声を発したり表情を緩 めたりする」という動作を行っている場合が多い。そして、その目的としては、よりよい人間 関係の構築やコミュニケーションの円滑な進行などがある。

 さて、(18)の「笑う」にもいえることだが、「伝達」の意味の場合、目的遂行に重点が置か れれば、表出する感情そのものの真偽は問われなくなる。もちろん(16)や(17)の「笑う」

のように、実際に動作主の内面に生じた正の感情をそのまま表出し、それを「声を発したり表 情を緩めたりする」といった動作で他者に伝えるという場合もあるが、本来、「伝達」の意味 では、動作主の感情が本物であるかどうかは必須の事柄とはならない。

(19) 「私、実は精神科に通ってるんだ。何ともないふりしてわざと大声で笑ったりしてるけど、

ほんとは気が狂いそうだよ。」  

(チョ・ナムジュ/斎藤真理子『82 年生まれ、キム・ジヨン』)

(19)の「笑う」は、動作主(私)が実際の自身の内面状況(気が狂いそう)を他者に知られ ないように、自身の感情を偽り、正の感情を「わざと」表出して他者に示しているということ を表わしている。このように、「伝達」の意味では、「笑う」は実際の動作主の感情とは相反す る感情を伝える場合にも用いられる。

 さらに「伝達」の意味では、(20)のように、動作主の感情を伴わない場合でも「笑う」を 用いることができる。

(20)「砂ですよ。」

女が、四つん這いになって体をのばし、笑いながらランプの芯を、指ではじいた。すぐ また明るく燃えだした。女はそのままの姿勢で、ランプの火を見つめながら、いつまで も作ったような笑いをうかべている。どうやら、わざとえくぼを見せつけているのだと 気づき、思わず体を固くする。       

(安部公房『砂の女』)

「作り笑い」という表現があるが、 (20)の場合はまさに「作り笑い」を示している。この場合、

動作主(女)は他者(男)との関係を友好なものにしたいという明確な目的を持って、自らの 顔の表情に笑みをうかべ、自身の正の感情を他者に伝えようとしているわけだが、その「笑顔」

は動作主の感情に起因するものではない。

 このように、「笑う」が「伝達」の意味となる場合、動作主(感情主)の感情よりも、手段 としての動作や、「笑う」の動機となる動作主自身の目的に重点が置かれるようになる。さら に「伝達」の意味では、次の(21)のように、動作主の感情を他者が推測する場合もある。

(21)片山は写真に向って、

(9)

「オイ、佐世保から来たんだよ」

と、正子が商売柄都合をつけて持って来た、もう一般ではなかなか手に入りにくくなっ ている菓子の折を供え、

「ほら、山本が笑ってますよ」

そう言って、彼女を慰めた。      

(阿川弘之『山本五十六』)

(21)の場合、写真の中の動作主(山本)の感情は、その真偽はもちろん、その有無さえもわ からない。だが、他者(片山)は動作主が顔の表情を緩めている様子を見て、 「山本が「嬉しい」

という感情を我々に示している」と解釈し、それをもう一人の他者(正子)に伝えている。こ のように、「伝達」の意味では、動作主の感情の有無を全く問うことなく用いることもできる。

 以上、「伝達」の意味を確認した。ここでの考察をまとめると(22)のようになる。

(22)「伝達」の特徴

・ 「笑う」が有する二つの意味特徴―「感情」と「動作」―のうち、「動作」のほうによ り焦点が当てられている。

・「動作」は他者に動作主の感情を伝えるための手段を表わす。

・感情伝達の目的の明確化に比例して、動作主の感情の有無や真偽は問われなくなる。

・他者が動作主の感情を推測する場合にも用いることができる。

 「伝達」の意味は、「発露」の意味に比べ、動作主の「感情」の重要性が弱まり、より「動作」

に焦点が当てられているといえる。感情動詞研究において、「笑う」がその対象から除外され るのも、この「伝達」の意味における「感情」の影響力の弱さが要因であると考えられる。し かし、これまでの考察でも述べた通り、動作主の感情が伴わない場合でも、動作主は(あるい は他者であっても)、実際には存在しない感情を、まるで存在するかのように見せかけ、それ を他者に伝えようとしている(もちろん、その場合は動作の動機となる明確な目的が必要とな る)。このことからも、「笑う」にとっての「感情」という意味特徴は、「笑う」の意味構造の 中核をなすものだといえる。よって、仮に「笑う」が動作主の感情を伴わない場合も、それは

「笑う」の派生的な用法と考えるべきだろう。

4.「笑う」に見られる「評価」の意味

 前章では、「笑う」の意味を「発露」と「伝達」の二つに分類し、「笑う」が有する二つの意 味特徴―「感情」と「動作」―の関係について考察した。本章では、 「笑う」に見られる「評価」

の意味に焦点を当て、どのような場合に「評価」の意味が生じるのかを考える。

 現代日本語での「笑う」の用例を見ていくと、その中に「評価」の意味を帯びているものが

確認できる。例えば、次の(23)では、動作主の他者に対する「評価」の意味を読み取ること

(10)

ができる。

(23) 食卓の上には紙が一枚置いてある。婚姻届だ。会社でダウンロードして出力したものに、

証人として同僚二人のサインも入っている。キム・ジヨン氏はつい笑ってしまった。

「何をそんなに急いでるの?式も挙げたんだし、もう一緒に住んでいるのに。届を出した からって、何も変わるわけでもないでしょ」

(チョ・ナムジュ/斎藤真理子『82 年生まれ、キム・ジヨン』)

(23)の場合、他者(夫)が婚姻届を急いで用意したことに対する動作主(キム・ジヨン氏)

の評価が示されている。ここで注目すべきは、「笑う」が「つい笑ってしまった」という形式 で用いられている点だ。「つい…てしまう」という形式は動作主の意志性を排除し、「意図せず 行った」という無意志性を示すものであるが、このような形式を用いることで、「笑う」は「評 価」の意味を帯びることになる。このことはつまり、動作主の動作に対する意志性が弱まれば

(もしくはゼロになれば)、「笑う」に「評価」の意味が生じるということを示す。この「評価」

の意味と動作主の意志性との関連は、次の(24)のように、可能形「笑える」

[注7]  

の用法から も明らかである。

(24)「それで、その先輩は今、何してるの?」

「去年、司法試験にパスしたよ。何年かぶりで合格者が出たって大学が大騒ぎしてたじゃ ん。垂れ幕まで出してさ。見た?」

「ああ、あれね。憶えてる。あのときもすごいと思ったよ」

「うちの大学も笑えるよね?賢すぎると持て余すとか言ってたくせに、学校の援助を受け ずに合格したら自慢して、同窓生の誇りだなんて」

(チョ・ナムジュ/斎藤真理子『82 年生まれ、キム・ジヨン』)

(24)では、動作主(キム・ジヨン氏の友人)は大学の滑稽な姿勢を「笑える」としているが、

それはつまり、動作主が大学の滑稽な姿勢を観察し、それに対して「笑うつもりがなくても笑っ てしまう」と言っているともいえ、そこに「評価」の意味が生まれる。

 このように、動作主の動作に対する意志性が弱まると、「笑う」に「評価」の意味が生じる。

一方で、次の(25)のように、動作主が「笑う」の動作(声を発したり表情を緩めたりする)

を用いて、自身の姿勢や考えを相手に示そうとする場合にも、「評価」の意味を読み取ること ができる。

(25)レセプションから帰って来ると、山本は藪から棒に

「おい、クーリッジのネクタイの色は、何色だったか?」

(11)

と、三和に質問した。

三和は、大統領がモーニングを着ていた事は記憶にあるが、ネクタイの色までは分から ない。

「気がつきませんでした」

と言うと、山本が笑いながら、

「別にネクタイが何色だって関わないが、臆せず落ちついて応対せよというんだ。そうし たら、一瞬の間でもネクタイの色ぐらいは分る。この国じゃ、大統領といったところで、

ただの人間で、ミスター・クーリッジでいいんだからね。しかし、モーニングを着てい た事だけが分っても、初回としてはよろしい」

と言った。       

(阿川弘之『山本五十六』)

(25)では、動作主(山本)が、他者(三和)の返答に対して「声を発したり表情を緩めたり する」という動作を示すことで、自身の姿勢や考えを明示しているといえる。「発露」の意味 や「伝達」の意味での考察でも述べたが、通常「笑う」は、動作主が自身の感情を表出する、

あるいは、自身の感情を表出しそれを他者に伝える、ということを表す動詞である。だが、 (25)

のように、「初回としてはよろしい」などの文言を加えることで、「声を発したり表情を緩めた りする」という「笑う」の動作が、「好ましいもの」という相手の返答に対する評価を表して いると解釈することもできる。

 以上、 「笑う」での「評価」の意味を「笑う」の意志性の有無という観点で考察した。さらに、

「笑う」に見られる「評価」の意味を考えるためには、「他者の解釈」という視点も重要なもの である。例えば、次の(26)では、他者が、動作主の動作に独自の解釈を加えることで、そこ に「評価」の意味が生じているといえる。

(26) 「知らない人と目が合っても、あの人も私の写真を見たのかなって思うし、誰かが笑うと 私をばかにして笑ってるような気がするし、世の中の人が全員、私に気づいてるみたい でね。」      

(チョ・ナムジュ/斎藤真理子『82 年生まれ、キム・ジヨン』)

(26)では、動作主(誰か)の「笑う」という行為に対して、他者(私)が「私をばかにして笑っ てるような気がする」という解釈を加えることで「評価」の意味が鮮明になっているといえる。

この場合、動作主の「笑う」という行為の真意は定かではないが、その行為を受け取った他者 がそれに解釈を加えることで、「笑う」は「評価」の意味合いが強くなる。このように、「笑う」

が「評価」の意味を明確に示すためには、他者の解釈が明示される必要がある。それは次の(27)

も同様である。(27)の場合も、動作主(機動隊員)の真意は定かではない。しかし、動作主

の「笑う」という行為に対して、他者(男性)が何らかの解釈を加えることにより、そこに「評

価」の意味が生まれる。

(12)

(27) なにより印象的なのは、東京から来た機動隊は、ときに「笑いながら」、反対派を排除 してゆくことだ、と男性はわたしに呟いた。それは沖縄の機動隊員には見られない表情 だった。      

(高橋源一郎『丘の上のバカ』)

 以上のような「他者の解釈」は、例えば次の(28)のように、「笑う」を受身形にした場合 にさらに明確になる。

(28) 十一月のある土曜日、ロンドン西北郊チェッカーズの英国首相別宅へ、マクドナルドか ら午餐に招かれたこともある。

チェッカーズの別邸は広大な敷地の中の古城のような建物で、着て行く服が問題になり、

松平がモーニングで行こうというのを、岡武官が週末にそれじゃおかしい、笑われるか も知れないと反対し、折衷案でみんな縞のズボンに黒い上着を着、晩秋の美しい紅葉の 中をロンドンから三十八マイル、車を駆ってチェッカーズに着いてみると、マクドナル ドはゴルフ・ウェアに半ズボン姿で待っていた。       

(阿川弘之『山本五十六』)

受身形「笑われる」は、動作の受け手が、動作主の動作(声を発したり表情を緩めたりする)

が自身に向けられていると把握することを表すのに用いられる。よって、当然そこには動作の 受け手(他者)の「笑う」に対する解釈が加わることになる。したがって、 (28)の場合、 「笑う」

という動作が向けられることは、すなわち、受け手(松平たち)の服装に対する評価が示された、

ということを表しているといえる。

 以上、 「笑う」に見られる「評価」の意味について考察した。「笑う」での「評価」の意味は、

「笑う」の意志性が弱まった場合、さらには、「他者の解釈」が明示されている場合に生じやす いといえる。このことは言い換えれば、「評価」の意味は、「笑う」の固定の意味として確立さ れているわけではなく、「笑う」が用いられる文脈に依存する点が大きいということでもある。

しかし、「笑う」での「評価」の意味を確認し明示することは、例えば、「評価」の意味を有す る「褒める」や「嘲る」などの他の感情動詞と意味特徴を比較する場合に、さらには、可能形 や受身形などの他の形式との比較分析をする場合に有効なものであると考える。

5.感情動詞としての「笑う」

 以上、現代日本語の動詞「笑う」の意味特徴を考察した。

 「笑う」は、その動作性から、現代日本語の感情動詞からは除外して考えられることが間間 ある。しかし、本稿での考察からも明らかなように、「笑う」における「感情」という意味特 徴は、 「笑う」の意味構造にとってその中核をなすものであるといえる。そのことは、次の(29)

のように「笑う」が動作主(感情主)の感情やその内面への言及に用いられているところから

もわかる。

(13)

(29)「その正室とは、ポルトガルの国を指されるのかな」

「いいえ、我々の教会のことです」

通辞が無表情のまま、この返事を伝えると筑後守の表情がくずれ、声をたてて笑った。

笑い声は老人にしては高かったが、こちらを見おろしている眼には感情がなかった。眼 は笑ってはいなかった。       

(遠藤周作『沈黙』)

「感情は目に表れる」と言うこともあるが、 (29)では、 「筑後守の表情がくずれ、声をたてて笑っ た」とする一方で、「眼は笑ってはいなかった」と、「笑う」を用いて動作主(筑後守)の内面 について言及している。また、次の(30)のように、「笑う」が動作主の内的活動のみを表す 場合にも用いられることから、「笑う」は「感情」と深く結びついた動詞であるといえる。

(30)平静を保っていたが、内心では彼のことを笑っていた。

 現代日本語の感情動詞研究では、「感情とは何か」という「感情の意味特徴の認定」に重き を置いて感情動詞の分類がなされることが多い。もちろん、「感情」を明確に定義し、それに 該当する動詞(述語)を考察対象として分類することは、感情動詞研究において必須のことで ある。しかし、その一方で、「人間の心的活動に関わる述語」という広い視野で感情動詞の分 類を捉え直すことで、例えば、感情形容詞と感情動詞との連続性、さらには、感情動詞と動作 動詞との連続性が明らかになるのではないかと考える。本稿での「笑う」の意味構造に関する 考察は、そのような大局的な視野に立った感情動詞研究の一端となるものである。

1 吉永(2008)p.83。

2 なお、吉永(2008)では、人間の心理活動を表す動詞を「心理動詞」と称して論じている。

3  本稿で示す用例のうち、小説から抽出したものは(作者/翻訳者『作品名』)と、新聞か ら抽出したものは(新聞名発行年月日)と、それぞれ用例末尾に明記する。なお、明記がな い用例は筆者の作例である。また、各用例に付した下線等も筆者によるものである。

4 用例の許容度に対する認定については、以下の記号で示すこととする。

   無印:許容 ?:不自然 #:単文としては不自然(文脈の支えが必要) *:非文 5 『日本国語大辞典 第二版 第 13 巻』p.1339。

6  (10)の「食べる」も、「甘い物なら」という条件の場合に限り「食べる」という動作が行

われることを表している。その点で、この場合の「食べる」の意志性は限定的なものである

といえ、「食べられる」のような可能表現に隣接した用法になっているとも考えられる。こ

の点についてはより詳細に考察する必要があるが、本稿ではこれ以上の言及は行わず、今後

の課題とする。

(14)

7  尾上(1998)では、「笑える」や「泣ける」などの可能動詞を「典型的自発」として説明 している。

参考文献

寺村秀夫(1982)『日本語のシンタクスと意味Ⅰ』くろしお出版 小泉保

[ 編 ](1989)『日本語基本動詞用法辞典』大修館書店

金水敏(1989)「『報告』についての覚書」『日本語のモダリティ』くろしお出版 尾上圭介(1998)「文法を考える 6 出来文(2)」『日本語学』17-10

堀川智也(1999)「心理動詞のアスペクト」『言語文化部紀要』21 山岡政紀(2000)『日本語の述語と文機能』くろしお出版

吉永尚(2008)『心理動詞と動作動詞のインターフェイス』和泉書房

日本国語大辞典第二版編集委員会 [ 編 ](2009)『日本国語大辞典 第二版』小学館 付記

本稿は、平成 30 年度愛知淑徳大学研究助成(研究課題番号:18TT32)による研究成果である。

参照

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