:東 日本大震災か らの問い
八 ッ 塚 一 郎
(熊本大学)
心理科学第 3 4 巻第 2 号
2 . 防災: r 釜石の奇跡」からの視座 悲劇的な報道の相次いだ津波災害の状況下、お どろきと希望をもって語られた出来事が、いわゆ る「釜石の奇跡」である。阪神・淡路大震災をは じめとする過去の災害経験を踏まえ、防災教育の 必要性と重要性は以前から強調されていた。しか し、大きな被害と犠牲が報じられる一方、防災教 育が功を奏した事例は決して多くない。本節では その象徴ともされる事例について、科学としての 心理学という観点から検討を行う。
片田 ( 2 0 1 2 a ( 1 7
・1 1 2 ) ; 2 0 1 2 b ( 2 9
・9 6 ) )は東日本 大震災の 8 年前から、釜石市で子どもたちへの防 災教育に携わってきた
o地震や津波のメカニズム といった自然科学的な知識だけでなく、緊急時に いかに行動するかといった防災の知見を、時聞を かけて子どもたちと共有し、その生命を守るため の実践を積み重ねてきた。
東日本大震災の発生にあたり、教え子である子 どもたちは、自主的に、迅速かつ率先して避難し、
さらに近隣住民にも避難を呼びかけている。甚大 な被害をもたらした津波災害にあって、学校管理 下にあった児童生徒は、そのすべてが難を逃れる
ととができた。
この出来事は「釜石の奇跡」と称され、現在に 至るまで繰り返し報道されている。しかし片田 は、奇跡という表現ではなく、そこに至るまでの 長年の取り組みとその意味を強調している。現象 としての「奇跡」ではなく、それを結果としても たらしたプロセス、蓄積にこそ、この取り組みの 重要性がある。
詳細な片田の取り組みについて、ここでは 2 点 に着目し、心理学の課題として継承すべき論点を 整理する。端的に言えば、情報処理モデルの心理 学とは異質な発想、従来の心理学では着目される ことの乏しかったポイントについて検討を行う。
第 1 は 時 間 的 な ス パ ン 、 あ る い は 、 主 体 と 環 境 の 関 係 を と ら え る 視 座 で あ る
o片田 ( 2 0 1 2 a ; 2 0 1 2 b )の取り組みは、適切な知識や情報 を学習者に注入するという伝統的な教育イメージ
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を超えた、長く大きな視座のもとにある。
釜石市をはじめ三陸地方は、繰り返し地震と津 波災害に襲われてきた歴史を持つ。この先も地震 と津波が発生するであろうことはかねて予測され てきた。そうした土地で暮らし、生存するために は、そのための「作法 J を身につけなくてはなら ない。それが片田の唱える基本的な姿勢である。
そのためには、日々の教育活動を単発で終わら せるのではなく、継続し継承される日常的な実銭 へと変えて行かなくてはならない。避難行動を含 めた生存の作法が定着するには長い年月をかけた 取り組みが不可欠であり、まずは 20年が必要で あろうというのが、片田の見通しであり、実践の 射程であった
oこれは、無時間的な情報処理モデル、短期的に 結果を求め整理する実験室実験とは対極的なスタ ンスである。しかし、被験者ならぬ子どもたちの 置かれた環境、その地理的・歴史的制約を精査し、
その前提に即した関与のあり方を検討していると いう点では、むしろこちらのほうが科学的な取り 組みであるともいえる。
第 2 は、学習者である子どもたちに伝えら れた情報、というよりもメッセージの内容で ある。長年にわたる実践の骨子として、片田 ( 2 0 1 2 a ; 2 0 1 2 b )が繰り返し、その教え子たちに伝 達していたのは、次のような 3 つのメッセージで あった。
「想定にとらわれるな」
「その状況下において最善を尽くせ」
「率先避難者たれ」
心理学のみならず、私たちの常識では子どもは 弱者であり、知識や判断力も未熟である。いわん や災害時には大人でも合理的な判断や情報処理が 困難になる。それゆえ、普段から知識を蓄積し、
訓練を積み重ねるととが何より重要であると考え られてきた。
これらのメッセージは、そうした常識の対極に
ある。被害予想など与えられた情報を適切に理解
し処理することではなく、そうした予想、ハザー ドマップや報道などの権威ある情報そのものを疑 うことを求めている。与えられた情報を享受し消 費するのではなく、情報自体を聞い直し判断する ことが要求されていると言ってもよい。そのうえ で、まずは自分自身が最善を尽くし自分を守るこ と、そうした行動が周囲を救うことにもつながる ことを、繰り返し説いた。
このような要求をあえて子どもに求め、むしろ その判断を信頼し決断を委ねている点は特筆すべ きである。情報的弱者、判断力の未熟な存在とし て子どもを保護し守ろうとするのではなく、ベス トをつくし行動できる存在として子どもを認め、
尊重する点にメッセージの特色がある
oそのうえ で、子どもたち自身に、率先避難者として周囲を 救うという任務、使命が伝えられている。
これらのメッセージは、その場限りの威勢のい い励ましではなく、切実な願いとして、年単位で 繰り返し提示されてきた。子どもたちの素朴な疑 問に、ひとつひとつ丁寧に応答し、問答を重ね る詳細な対話が続けられた(片田 . 2 012a;20 1 2 b ) 。 こうした長い取り組みが、奇跡と称される避難行 動へと結実した。
防災研究や災害心理学の課題のひとつは、子ど もをはじめとする傷つきゃすい弱者をいかに守る かにある。しかし片田の取り組みは、子どもたち のもつ、まったくちがった可能性を明らかにして いる。緊急状況では、むしろ弱者のほうが大きな 力を発揮する場合がある。子どもこそが、真剣に 事態を捉えて避難を実行できる。そうした子ども の姿に大人のほうが影響される。常識やバイアス にとらわれ避難をためらう大人を、むしろ子ども が導き避難させる。
ここからは次のような示唆を導き出すことがで きる
o短期的・合理的な情報処理ではない、長期 的な言説実銭こそが、緊急時には大きな意味を持 つ。弱者や学習者とみなされている存在が大きな 力を発揮するなら、一方的な教育や指導の関係を 根本的に見直す必要がある。
これらの視点は、防災研究においては重要な
トレンドともなっている(矢守・渥美・近藤・宮 本 .2011(218
・2 6 0 ) ) 。一方的な指導や教育ではな い、ともに参加し学び合う関係は、ワークショッ プや防災ゲームなどの形でかねてから重視されて きた(矢守・網代・吉川 . 2 0 0 5 ( 2 ‑ 3 7 ) ) 。長期的な 言説実践は、復興支援など、コミュニティを支 える基盤としても重要な意味を持っている(八ッ 塚・永田 .2012 ( 1 5 5 ‑ 1 6 9 ) ) 。
3 . ボランティア: r 阪神」後の展開
東日本大震災は、災害救援ボランティアのあり 方とその意義についても新たな問いを提起した。
本節では、阪神・淡路大震災を契機とするボラン ティアの普及と浸透を振り返ったうえで、東日本 大震災で発生した出来事とその意味を検討する。
災害の被災地でボランティアが重要な役割を果 たすようになって久しい。瓦磯や汚泥の除去、生 活物資の運搬、避難所の運営、高齢者や被災弱者 のケアなど、緊急救援期におけるその役割は大き い。居住外国人への情報提供、医療支援、建造物 の危険度判定など、専門的な活動で支援にあたる ボランティアもある。逆にペットの保護や子ども の遊び活動など、行政の手の届かないきめ細かな 活動をボランティアは展開する。さらに、仮設住 宅への移転の手伝いや、見守り活動などを含む生 活支援、まちづくり計画などの復興支援と、長期 的な活動に従事するボランティアも多い。
こうしたボランティア普及の端緒となったの が 、 1995 年に発生した阪神・淡路大震災である。
日本社会が災害ボランティアの有用性、重要性を 認識し、社会に不可欠の活動と位置づけるように なったのは、阪神大震災を契機とする(八ッ塚・
矢守.1 997 ( 1 77
・1 9 4 ) ) 。阪神大震災では、のベ
100 万人を超えるボランティアが被災地を訪れて
支援活動にあたった。兵庫県の統計によると、発
災から 2 ヶ月の時点でのべ 113 万人、 1 年での
べ 138 万人のボランティアが活動にあたったと
推定されている(兵庫県 .1997( 3 0 3 ‑ 3 0 5 ) ) 。学生
を中心とするボランティアの参加がたいへん印
心理科学第 34 巻第 2 号
象的であったことから、 1995年は日本の「ボラン ティア元年」とも称されている。
これ以降、災害時にボランティアの労力を有 効に活用する乙とは防災対策の必須要件となり、
防災計画や訓練にもボランティアのことが加味 されるようになった。同時に、円滑な災害救援 が行えるよう、ボランティアを組織化し整備す る取り組みも進められた。そこでは次のような 基本的な涜れが出来上がっていったとされる(渥 美 .2011a(162
・1 6 8 ) ) 。
災害が発生すると、地方自治体や社会福祉協議 会は、まず最初に「ボランティアセンター」を設 置し、ボランティアの登録を行う。支援活動に参 加したい人々は、これらのボランティアセンター で登録を行う。ボランティアセンターは、登録し た個々のボランティアをコーディネートする。セ ンターやコーディネーターは、支援要請のあった 人や地域、活動の必要な避難所などにボランティ アを割り当てたり、追加でボランティアを募集す るなど、支援活動全体の調整と運営にあたる。こ のように、災害救援ボランティアを活用し、また その活動を支援するための整備が進められてい た
oしかしながら、報告されている数値によると、
東日本大震災で活動したボランティアの数は、阪 神大震災で活動したボランティアの数を下回っ ている
oまず全国社会福祉協議会の速報数値に よると、 2011年 5月8日(発災から 58日)の時点 で被災地で活動したボランティアの数は約 25万 8800 人とされている。これは、阪神大震災 2ヶ 月後の数値の 4分の l弱である。また、 2012年3 月 6 日付けの時事通信報道によると、岩手・宮城・
福島の 3 県で約 1 年に活動したボランティアの延 べ人数は 93万人超とされている。被災の規模は はるかに大きいにもかかわらず、ボランティアの 人数は同時期の阪神大震災を下回っている。
もちろん、これらの数値は推計であり、その単 純な比較や論評には慎重でなくてはならない。た とえば被災直後の混乱状況下、調査から漏れてい る人数が相当数あることは容易に想像される。大
震災による深刻な被害で、地方自治体や社会福祉 協議会のいくつかはその機能を完全に喪失するな ど、そもそもボランティアの登録や人数把握以前 の状態であったことも考慮しなくてはならない。
また、福島第一原子力発電所の事故に伴う放射能 汚染への懸念など、ボランティアの動向に影響し た要因を慎重に見定める必要がある。
他方、ボランティアの動きが上記のように低調 であったことは、ボランティア団体や研究者の 聞でも大きな関心を呼ぴ、多くの論議や考察を 生んだ。特に発災直後については、被害のあま りの深刻さや、燃料の不足などの状況に、「ボラ ンティアは被災地の迷惑にならないようにすべき だ J r まずは様子を見てから」といった空気が強ま り、ボランティアの出足が鈍ったのではないか との指摘がある。渥美 ( 2 0 日 a(162
・1 6 8 ) ) や村井 (2011 ( 5 4 ‑ 1 6 6 ) ) はこうした風潮や一部の報道を 検討し、明確な批判を行っている。迷惑もかえり みず被災地に出向き、何が必要とされているかを 把握して広く支援を展開するのがボランティアの 本来の役割である。深刻な打撃を受けた被災地で は、物見遊山でもない限り、人手が迷惑となるこ とはあり得ない。こうしたボランティアの原点、
ラデイカルな姿勢が、被災直後には減退していた のではないかという可能性がここでは指摘されて いる。
見方を変えると、阪神大震災以降、ボランティ アを管理し登録する体制が充実したことが、か えってボランティアの活力を減退させるととにつ ながった可能性がある。先述のとおり、行政や社 会福祉協議会そのものが被災したことは、ボラン ティアを受け入れる体制にも大きく影響した。行 政や社協に依存し、まずボランティアセンターあ りきというシステムが出来上がってしまったこと が、かえってボランティアを受け身にし、主体的 な活動を抑制したのかもしれない。
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このような事態を渥美 (2011a)は「秩序化のド
ライブ」と表現している。ドライブとは、社会シ
ステムの傾向性、人々が規定され追いやられる大
きな涜れを指す。「秩序化のドライブ」とは、ボ
ランティアの活動を秩序だった組織的なものにし たい、有効かつ効率的に運営したいという方向性 のことである。阪神大震災をはじめ、災害現場で ボランティアが雑多に活動すると、それらをでき るだけ有効に、無駄なく運営したいという志向性 が生まれる。しかし、ボランティアを登録し秩序 立って活動させようという志向性は、行き過ぎる と、登録されないと動かないという受動的なボラ ンティアを増やすことにもつながる。結果的には ボランティア自身の活動が不活発となり、管理体 制に依存しがちになる。
ボランティアは本来、秩序や統制とは異質な側 面を持っているのではないか。さほど合理的では なく、無駄や迷惑を含んでいることこそが、ボラ ンティアの本質だったのではないか。そうした聞 いがここでは提起されている。
東日本大震災においても、いくつかの災害救 援ボランティア団体は、早期にその要員を被災 地へと派遣し、被災状況の把握などにあたって いる(たとえば被災地 NGO 協働センター(村 井 , 2011)) 。これらの活動はボランティアセン タ一等を経由しない独立の活動として行われ、そ の後の多様な被災地支援のルートを開拓する役割 を果たした。
迷惑になるかもしれない、無駄になるかもしれ ない可能性は、思わぬかたちで役に立ち貢献する 可能性と表裏をなしている。行政をはじめとする 既存の秩序から離れ、自由意志で個別に活動する 点にこそ、ボランティアの活力や創造性は宿って いる。翻ってみれば、かつての阪神大震災でも、
行政の手の届かない活動を、きめ細かに、また柔 軟に展開できるからこそ、ボランティアへの関心 と評価は高まった(八ッ塚・矢守, 1997) 。そうし たボランティアを登録管理し、合理的に運用しよ うとすることが、かえってボランティアのボラン ティアらしさを損なうのかもしれない。そんな逆 説を指摘してもよいであろう。
ここに露呈しているのは、合理性をどうとらえ るかという心理学的な聞いであり、人の活動をど のように捉え、社会をどのように構想するかとい
う、極めて実践的な聞いでもある。あるいは、災 害体験をどのように継承し、新たな実践に繋げる かという聞いが示されていると言ってもよい。大 災害の体験をどのように保存し継承するか(八ッ 塚 .2008(146
・1 5 9 ) ) が改めて問われることにな る
o4 . 心のケア: i 心理複合体」から離れて ボランティアと同様、阪神・淡路大震災を契機 に大きく普及したのが「心のケア」である。それ まで、軽視されがちで、あった被災者への心的支援に 関心が寄せられ、臨床心理の専門家が被災地で活 動するようになったのも、阪神大震災がきっかけ であった。
しかし、東日本大震災にあたっては、「心のケ アJに対する批判的な報道や論評も散見された。
たとえば次のような新聞報道がある。
「 心 の ケ ア さ 言 う 人 た ち が 来 て ア ン ケ ー ト 書 か さ れ た 。 俺 ら 実 験 台 か ?J 。 心 の ケ ア が 叫 ば れ る 東日本大震災の被災地で、駆け付けた支援者によ り、かえって被災者が心の傷をえぐられる 2 次 被 害が懸念されている。(中略) r 俺 ら 実 験 台 か ?J
「 一 体 誰 の た め に や っ て る ん だ ?J 。 最 近 訪 れ た
「専門家 J が 精 神 状 態 を 調 べ よ う と 、 男 性 に 質 問 を重ねたらし
l' 0 (後略)奇日新聞 2 0 1 1 年 5月6 日
「 心 の ケ ア が 避 難 所 で 拒 否 さ れ て い る 」 。 こ ん な話を被災地の医師から聞いた。(中略)岩手県赤 十 字 こ こ ろ の ケ ア セ ン タ 一 統 括 と し て 、 避 難 所 に「日赤こころのケアチーム」を派遣しているが、
現場の保健師が、「避難所では『心のケア』と名乗 らないで J と言ってきたのだ。「何かご迷惑でも
・
・ J 。 心 配 し て 尋 ね る と 、 保 健 師 は こ う 説 明 し
て く れ た 。 「 心 の ケ ア と 掲 げ る 色 々 な チ ー ム が 避
難 所 を 訪 れ 、 被 災 者 に 質 問 す る の で 、 被 災 者 が 砕
易して、他の避難所に移りたいと言うのです J (後
略)読売新聞 2 0 1 1 年 6月22 日
心 理 科 学 第 34 巻第 2 号
安易な「心のケア」をはじめ、心理学の社会に 対する浸透ぶりはかねて批判的に論じられてき た。現代の心理学は「心理複合体 J ( p a r k e r . 2 0 0 5 ( 邦 訳 9
・1 0 ) ) とでも言うべき巨大な存在として広くメ ディアを涜通し、政策や文化を規定し、人々の内 面を深く規定する。「心のケア」はその典型である が、東日本大震災以降、専門家による批判的検討 も行われている(たとえば井原 . 2 0 1 2 ( 1
・2 ) ) 。ケア の対象と目される被災者の側からの痛切な声がメ ディアによって報道されたことは、さらに象徴的 であるとも言えよう。
1995 年の阪神・淡路大震災当時も、「心理学の 専門家」が次々に避難所を訪れ、被災者に似たよ うなアンケートの回答を依頼するといった出来事 が見られた。ボランティアの聞では「調査公害」
などの郷撒的な表現もなされた。心理学のそうし た矛盾が、東日本大震災ではさらに極大化して表 面化したともいえる。
その一方、いわゆる「心のケア」とは異なる、
しかし、被災者に寄り添うことを志向した活動も、
被災地では模索され、実銭が積み重ねられている。
心理学の隆路を指摘するだけでなく、その困難を 克服するための方策が提起され、模索されている ととに着目しなくてはならない。そうした試みか ら 2 つを取り上げて検討する。
第 1 は「足湯」活動である。避難所や仮設住宅 などを訪問し、高齢者や避難者に足の混浴を施し つつ、マッサージや世間話で、時聞をともにするの が足湯の活動である。 1995 年の阪神大震災をは じめ、多くの災害現場で多様なボランティア団体 が携わってきた(渥美 .2011b(169
・1 7 3 ) ) 。
足湯そのものは、着衣のまま足を温める伝統 的な温泉湯治法であり、おそらくは近代以前に遡 る長い歴史をもっ。足湯を被災者に施す活動は、
1995 年の阪神大震災で記録され、 2004 年の中越 地震でもボランティアによって活発に行われてい るが、その起源については明確な資料がない。「足 湯隊 J (渥美 . 2 0 1 1 助、「足湯ボランティア」など、
その呼称も雑多な状態にある。
足湯ケアを行うのは専門家ではなく、学生ボ
‑36‑
ランティアなどの初心者、外部からの来訪者であ る。専門的な技能や対話技術を備えているわけで はなく、また方法としても、被災者に細かく話を 聞き出すようなことはしない。ただ時聞をともに すること、リラックスしてもらうことだけが目的 とも言える。しかし、足湯という身体的な交涜を 通して、徐々に自らの経験を語り始める被災者も 少なくない。
第 2 は「被災地のリレー J r 被災地つながり」の 取り組みである(渥美 . 2 0 1 2 ( 1
・1 2 ) ) 。以前の災害 (1995 年の阪神大震災、 2004 年の中越地震など) の被災地と、東日本大震災など新たに発生した被 災地とを結び、かつて被災者として支援を受けた 人々が、支援者となって新たに支援にあたること がその骨子である。言ってみれば、かつての被災 者が、受けてきた支援活動の思返しをすることで あり、被災を経験した人同士で交涜することが目 指されている。
かつて自らも被災者であった人が支援にあたる ことは、思いがけぬ効果をもたらす。たとえば東 日本大震災の被災者が、別の災害を体験した被災 者と交涜することで、自らの体験を語りやすくな るということが起こる。逆に、自らが支援者とな ることで初めて、かつての経験を振り返り、新た なステップを進めるようになったと感じる人々も ある。
支援者と支援される弱者という、固定しがちな 関係の解体が、ここでは目指されている。同時に、
被災地同士がネットワークを結ぶ乙とは、緊密な 支援や対話を可能にするだけでなく、さらに将来 の災害に備えた防災活動としても大きな意味を 持っている。ちなみに「被災地のリレー」という 名称は、特定非営利活動法人・日本災害救援ボラ ンティアネットワークが使用し、西宮市、小千谷 市などかつての被災地と、東日本大震災の被災地 を結んで実践が行われている。
5 . むすびにかえて
本稿で取り上げたのは、東日本大震災という巨
大な出来事の中の、わずか 3 つの事例に過ぎな い。何より重要なディテールにも言及せず、外形 だけをなぞって検討した
oしかし、これらのテー マはいずれも、既存心理学の隆路と、新たなアプ ローチの必要性、その可能性に接続している。
防災という課題からは、長期的な言説的実践の 有効性と必要性、「弱者 J とみなされがちな存在の 発揮する力という論点を得た。この論点はボラン ティアの課題とも通底する。合理的な組織運営や 管理から逸脱した、無駄や迷惑も含む自由な活動 を、ボランティアの重要な側面として指摘した
o「弱者」をはじめ、無用と思われがちな存在が思 いもかけぬ力を発揮するという点では、防災の課 題と通底する。ボランティアはまた、被災者支援 や震災復興など、長期にわたる言葉の実践を重視 するという面からも、防災と課題を共有している (八ッ塚,2008) 。
「心のケア Jという課題については、身体的な 交流の重要性、支援者と被支援者の役割の交代な ど、関係の多様性とその見直しをポイントとして 摘出した。これらの論点もまた、防災やボラン ティアという主題と直結している。子どもや被災 者を、主体的で他への影響力を備えた身体と位置 づけ直し、互いの役割を交換、浸透させることは、
防災教育やボランティア活動の充実と活性化にも つながり得るものであった
o最後に、 3 つのトピックの共通点からさらに導 き出される、現代心理学への聞いと社会問題への 新たな実践の可能性について一言する。防災、ボ ランティア、「心のケア」というそれぞれの課題に は、現代心理学の発想や常識が色濃く浸透し、い わば「心理複合体 J の一端を形作っていた
o情報 処理モデルとして個人を捉え、適切な知識を一方 的に教授する。合理的かつ効率的にボランティア としての個々人を登録し運用する。そして被災者 や弱者には「心のケア Jを施すことが当然視され る。現代社会のこうした状況を、東日本大震災は われわれにかいま見させた。さらに、「心理複合 体」の支配する状況そのものが危機の源で、もあっ たことを、未曾有の災害は示した。
その一方、東日本大震災は、「心理複合体」に対 抗するための方法、その可能性をも指し示してい る。既存の心理学とは異質なスケールや方法で教 育に取り組むこと。合理性や効率とは別の規準、
尺度で活動を構想すること。「こころ」を焦点化 するのではないかたちで被災者を支援し、その新 たな役割 j を見出していくこと。東日本大震災を契 機とするさまざまな実践はこうした可能性を示し ている。それは、既存の心理学とはちがった言葉 で現象を語り、人々と対話する新たな言説的実践 でもある。本稿ではその萌芽、膨大な実践のごく 一部を取り上げた。
災 害 と い う 異 変 は 、 社 会 的 現 実 を 動 揺 さ せ、社会構造の知られざる特質を明らかにする (M o s c o v i c i , 2000(63
・6 4 ) ) 。東日本大震災が千年 に一度の大災害であるなら、それによって明らか にされた構造も、千年の規模での蓄積や歪みを反 映しているのかもしれない。そのような事態に直 面するあらゆる支援活動は、震災支援という枠を 超え、心理学と科学を聞い直す実践となる。
むしろ重要なことは、震災によってかいま見え た主題がさらに隠蔽され、あるいは抑圧されるこ とであるのかもしれない。多くの批判も寄せられ る一方、「心のケア」という語はなお支持を集め ている。震災直後の「緯」や「つながり」の過度の 強調は、心のケアへの過度の志向が姿を変えて現 れたものだったのかもしれない。地道な防災の普 及やボランティアの活性化も、なお継続する重要 な課題である。
ラカンの表現を借りれば、大震災という危機は 現実界への遭遇とでも言うべき、あり得ない深刻 な経験である。乙の危機にあたって、「心のケア」
を絶対視したり、ボランティアや「紳」を強調し たり、避難行動の奇跡を称揚するのは、いわば想 像界での対応、慣れ親しんだ世界の安寧を保とう
とする反応なのかもしれない。しかし、震災が明
らかにしているのは、われわれをとりまく「心理
複合体 J の作用、暗黙裏にわれわれを規定する情
報処理モデルや合理性の隆路であった。このよう
な、われわれを秩序づける象徴界の作用をこそ、
心理科学第 34 巻第 2 号
心理学は批判的に検討する必要がある。東日本大 震災と、そこで展開されている数々の実践は、こ のような聞いの可能性を切り開いた。
引 用 文 献
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