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学習指導要領の作成と戦後新教育の出発点

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(1)

学習指導要領の作成と戦後新教育の出発点

片 上 宗 二

(1980年11月15日受理)

1 は じ め に

戦後日本の学校教育の原点が教育基本法と学校教育法に求められることはいうまでもない。しか し,実質的な意味で戦後日本の学校教育の出発点を用意することになったものは,やはり学習指導 要領の作成であったといわざるをえないであろう。学習指導要領の作成によって,新しい学制とし ての「六・三制」を支えるカリキュラムとそこに盛るべき具体的な教育内容が一応の成立をみたの

であった。教育基本法と学校教育法とを基本法制とする新生日本の学校教育は,ことに,戦前のそ       り

れとは全く異なる形でその歩みを始めることになるのである。

本小論は,良きにつけ悪しきにつけ,戦後日本の学校教育の内容的な出発点を形造ることになっ たこの最初の学習指導要領に焦点を合わせ,その具体的な内容と歴史的な意味について,作成のプ ロセスや作成の背景を明らかにしながら,できるだけ具体的な考察を試みようとするものである。

皿 最初の学習指導要領一その発行の意味するもの

行論の便宜上,まず最初に,どれほどの学習指導要領が,いつどのような形で発行されたのかを みておきたい。これを一覧表に整理して示せば,次頁の表(1)のようになる。

これが昭和22年(度)に発行された最初の学習指導要領(類)のすべてであるが,ここで注意す べきは,この年の4月正式に「新学制」がスタートした小・中学校段階でも,小数とはいえ教科や 科巨によっては,学習指導要領が作成されなかったという事実である。小・中段階に新設されたr自 由研究』と中学校のr習字』及びr国史』 (それにr要綱』にとどまったr体育』)の場合がそれ であった。

ただ,学習指導要領が教科によっては作成されない場合も存在したという点についていえば,そ れはいうまでもなく,高校段階において決定的にいえることであった。高校用の場合は,この一覧 表からも明らかなように,むしろ作成されることの方がまれで,中・高にまたがる形で作成された外 国語(英語)科の場合を除けば,わずかにそれは社会科と家庭科にすぎなかった。これらを除く他 の教科の場合は,表②のように,中学校用と抱き合わせの形でしかも昭和26年まで一つまりは最初 の学習指導要領が全面的に改訂されるその年まで,基本的には発行されなかったのである。

以上のように,最初の学習指導要領は,小・中・高いずれの段階においても作成されない場合が

■   ●

存在した。そしてこのような事態は,実は作成された学習指導要領の場合についても,形をかえて ほとんどそのままあてはまるものであった。最初のそれを第二回目のr26年版要領』と比べてみる       2)

ニ,その頁数は半分にも満たないというきわめて少ないものであったからである。その意味では,

(2)

2      茨城大学教育学部教育研究所紀要13号特集(1980)

       1)

¥(D 昭和22年度に発行された最初の学習指導要領(類)

@     x

@ンル 小  学  校       中  学  校 高等学校

一  般 『学習指導要領 一般編』(22−3−20,52頁)      (新制高等学校の教科課程に関する件)  一試  案一      発学156号,22−4…7

国  語 『学習指導要領 国語科編』(22−12−20,166頁)

@ 一試  案一

『学習指導要領 東洋史編』

社  会

『学習指導要領 社会科編α)』    『学習指導要領 社会科編(m』

i    一試 案一Q2−5−5,178頁) [(贈謹翻年)      i    22−6−2a 302頁      i

(22−7−1648頁) 一試 案一一『障習指導要領 酋洋吏編』

@(22−10−4,48頁) 一試 案一國r翠習指導要嶺 天支殖珪編iyゴ

@(22−7−16,61頁)         一試      案一

算  数 『学習指導要領 算数科・数学科編』(22−5−15,108頁)

数  学 …試 案一

理  科 学習指導要領 理科編』 (22−5−26,121頁)

@ 一試 案一

       ●   ●w高等学校学習指導要項物理・化学・生 ィ・些望⊥(23−1−7,16頁)一≧ 一 音  楽

『学習指導要領 音楽編』 ¢2−6−13,140頁)      i  一試 案一      1       − −−一一

図画工作 r学習指導要領図酊作編』¢2−5.21,132頁)   一「      }…『

@ 一試案一      _L一

体  育       ●   ●w学校体育指導要綱』 (22−6−22,22頁)

家  庭

『学習指導要領 家庭科編』(22−5−15,104頁)         1『学習指導要領 家庭編(高等学校用)』   一試 案一      1(22−7−1633頁) 一試案一

1『学習指導要領 職業科農業編』  1 翅二11照,..無3頁1_.一:拭一一案二_.1

ァ習指導要領職業科敵糊 1

(22−12照69紅『載案二i

職  業 饗醗i綿東撃襟産型1

『苧習指導要領 義藁科至葉編』

(22−12−13,31頁) 一試 案一

膜欝鞭篤冒騨攣藁: 「      聖

外国語 『学習指導要領 英語編』(22−3−20,28頁)

@   一試 案一

最初のr22年版要領』は,戦後教育改革期に 表(2}最初の高等学校用学習指導要領

       3)

ィける激動の側面を象徴するものであった。

発行年月日

r教科編』ばか

ジヤンル 学 習 指 導 要 領 名

頁 数 ところで学習指導要領は,

一般編 r学習指導要領一般編』 26−7−10 りでなくr一般編』をも含むものであった。

(試案)

107頁

国  語 『脇縷学習指導要領国舗』 L鯉二1

@ 307頁

そしてこの「一般編』には,カリキュラムの フ系と教育の目標や方法等が,またr教科編』

鴨轟雛習指鞭領数学科枷 26−11−25 数  学

(試案)

294頁

には各教科のあり方とその内容や方法等が示

『霧轟雛習指鞭領酬編』 27−3−20 されていたから,学習指導要領がこの両者を

理  科 (試案)

490頁

議校子習指鞭領音楽科編』 26−6−25 セットにして構成されたということは,戦前

音  楽

(試案)

217頁

カリキュラムの体系や教育

『篶轟馳習指鞭領図画工傭』 27−3−1 の場合のように,

図画工作

(試案)

305頁

目標は勅令で,教育内容は教授要目や国定教 結轟縷学習指鞭領保健体酬鯖欄 26−7−・25

体  育      (試案)

239頁

科書で,指導の方法や教材の取り扱い方は教

1『学習指導要領 高等学校農業編』 24−−2−9 師用書でといった複雑な形式を打破し,これ

(暫定試案)

38頁

旨高等学校学習指導要踊業科編』

26−1−15 らを一元化したことを意味していた。この点

業[

(試案)

155頁

についていえば,学習指導要領の発行は,戦

け疇砺習指鞭領L業科編』 26−7−30

1      (試案)

204頁

前の文教政策を転換させるものであった。

晦学校学習指轄水酬 28ヨ1−15

1       (試案)

38頁

学習指導要領に関する事実は,発行の状況

(3)

等にっいてばかりでなく構成の仕方という点についても注目されるべきである,というのが上のポ イントであった。ただ,構成の仕方というレベルでいえば,更に注目すべき二つの点が存在した。

その一っは,学習指導要領が同一の教科に対して,あるいは特に教科を指定して,男子用と女子用 という風な二重の構成をとっていないという点であり,他の一つは,学習指導要領が,「小学校用」

と「中学校及び高等学校用」という形でなく, 「小・中用」と「高校用」という二本立ての構成に      一

なっている,という点である。

周知のように,戦前のわが国の教育では,ある教科が女子に対してのみ課せられるあるいはまた 男子に対してのみ課せられる,といった場合が存在したばかりでなく同一の教科に対しても,その 内容水準が男子と女子で大きく異なる場合が存在したぎそのため教科書も男子用,女子用と銘打た れて別々に発行される事態も存在した。その意味で,単一の学習指導要領の発行は,戦前の別学(差 別)体制の打破を意味するものであったが,同時にそれは,男女共学,教育の機会均等といった新

しい教育の理念を反映するものでもあった。

では,学習指導要領が「小・中用」と「高校用」という二本立ての構成の仕方にたっているとい う点についてはどうであろうか。いうまでもなく戦前には,初等教育と中等教育は厳密に区別され ていたから,小学校と中学校をひとまとめにするという方法は,法制的にも内容的にも全ぐとられ ていなかった。そしてそれは戦後においてもr26年版要領』以降は全く同様であったから,「小・

中用」と「高校用」という構成の仕方は,まさにこのr22年版要領』にしか見当らないものであった。

実は,ここにみられる小と中を一括する仕方は,小・中を一括して高校と区別する仕方と裏腹の 関係になっていた。そしてこのことは,新学制である「六・三制」と深くかかわっていた。っまり,

      ●  ●  ●   ■  ●  ●   ■   ●  ●

Xケ年に延長されたこの画期的な義務教育段階をこそひとまとめにすべきだという発想であり,そ れが小・中にあたるという考え方であった。そしてこの義務教育の延長や男女共学等を含みこむ新        5)

w制を成功させるか否かのカギが(新制)高校にではなく(新制)中学の成否にかかっていた以上,

小・中は切り離すべくもなかったと考えられる。高校用の学習指導要領がこの最初の時期にほとん ど作成されなかったという先に示した事実は,この点とも深くかかわっていたのであり,最初のr要 領』に対しては,①小・中を一括し,「小・中用」を優先させる。②「高校用」は作成されなくて

もやむをえない,という方針が立てられていたものと思われる。

    冒

オかしここで見落としてならないことは,上の方針をひっくり返す形で作成された学習指導要領 が存在する,という事実である。社会科の場合がそれである。先に掲げた一覧表をみれば明らかな

ように,社会科の場合は小,中,高とそれぞれの段階に応じた学習指導要領が別々に作成されてい るばかりでなく,そのいずれの段階の場合も,他教科のそれを頁数に限ってみても大巾に上回って いるのである。これは一体何を意味するのであろうか。

周知のように社会科は,家庭科や職業科などと並んで戦後新しく設けられた教科であり,しかも 新しいカリキュラム観を最もよく代表する教科であり,それゆえにまた全教科の中でも土台的ない

しは中心的な役割をもつものとみなされた教科であった。ということは新しいカリキュラムの運営 上,学習指導要領の作成にあたってはことのほか社会科にウェートがかけられ,その結果,上のよ

うな形で社会科のr要領』が作成されることになったとみるべきであろう。その意味では,最初の r22年版要領』は学校教育におけるカリキュラム改革の側面を反映するものでもあった。

ところで「22年版要領」は,2頁に示した一覧表にみられるように,すべて「試案」として発行 されたものであった。「一般編」はその序論において,学習指導要領が「これまでの教師用書のよ

(4)

4       茨城大学教育学部教育研究所紀要13号特集(1980)

うに,一つの動かすことのできない道をきめて,それを示そうとするような目的でつくられたもの ではぜ3く「教師自身が自分で研究していく手びきとして書かれたものであ娩ことを示し,「試 案」の意味を明らかにした。

学習指導要領は,その構成の仕方の項でふれたように,カリキュラムの体系から各教科の具体的 な指導のレベルまでを含みこむものであった。したがって,そのような広範な内容を含みこむ学習 指導要領が「試案」として発行されたということは,国が中央にあって学校教育の内容的な側面を 厳しく統割していた戦前日本の学校教育行政を根本的に転換したことを意味していた。教師は,こ

●   ■

の学習指導要領によって,はじめて,国定教科書の呪縛から解放されると同時に,教育内容の自主 的編成を励まされることになったのであり,その意味でもそれはわが国の教育史上画期的なことで あった。

以上のように,昭和22年に発行された最初の学習指導要領は,敗戦直後という激動の時代を反映 して,教科によっては,作成されない場合も生じることになったとはいうものの,発行された学習 指導要領そのものは,理念改革から内容改革にまで及ぶ戦後日本の学校教育の一大変革をきわめて

シンボリックに示す構造になっていたことが知られるのである。

III最初の学習指導要領一その内容的特徴

ところでr22年版要領』とは,具体的にはどのようなものであり,その内容的特質はどのような 点に求められるのだろうか。「一般編」と「教科編」の内容構成は次のようになっていた。

表(3}学習指導要領の内容構成 (イ) 『一般編』に示された

『一般 編』 r教科編』8 (理科の場合) 教科課程とその特徴

序 論

はじめのことば

みられるようにr22年版

「 なぜこの書はっくられたか a@どんな研究の問題があるか

第一章 理科の指導目標

章 理科学習と児童の発達 要領』は,新しい教育の考

三ミ この書の内容 第三章 指導内容の一覧表 え方をr一般編』で提示し

第一章 教育の一般目標

第四章 理科の指導法

謖ワ章 指導結果の考査と活用 それを受けて各教科のあり 第六章 第一学年の理科指導 方やその具体的な指導をr教

第二章 児童の生活

第七章 第二学年の理科指導 科編』で展開するという構

r なぜ児童の生活を知らなくてはならないか

第八章 第三学年の理科指導

こ…年令による児童生活の発達 第九章 第四学年の理科指導 造になっていた。『一般編』

第十章 第五学年の理科指導 はそのために,序論を設け 第三章教科課程

@ぺ教科課程はどうしてきめるか

第十一章 第六学年の理科指導

謠¥二章 第七学年の理科指導

て学習要領そのものの性格

ヨ 小学校の教科と時間数 第十三章 第八学年の理科指導

から説きおこし,教育の一    

昌 新制中学校の教科と時間数 第十四章 第九学年の理科指導

般目標をへて評価の方法に

第四章 学習指導法の一般

まで説き及ぶことになるの

「 学習指導は何を目ざすか

キ 学習指導法を考えるにどんな問題があるか

だが,注目すべきは何とい

飛 具体的な指導法はどうして組み立てるべきか っても第三章にあった。と

いうのも,新しい学制に盛 第五章学習結果の考査

r なぜ学習結果の考査が必要か

るべき新しい教科課程(カ

r いかにして考査するか

リキュラム)が示されたの

附 予備調査及び知能検査

(5)

がこの第三章だったからである。一体『一般編』は,どのようなカリキュラムを新しい学制にふさ わしいものとして打ち出したのだろうか。まずはこの問題から,r一般編』の検討に入ってゆくこ

とにしたい。

r一般編』に示された新しいカリキュラムは表(4)のようになっていた。なお,国民学校の場合は 表⑤のようである。

      9)

¥(4)新しい小学校及び中学校のカリキュラム

小学校の教科と配当時間数 中学校の教科と配当時間数

9

. 懐年 1

E 2    3

4 5 6 7 8

国  語 175(5} 210⑥  210〔61 245{7} 210−245 2董0−280 国  語 17561 且75⑤ 175〔51

(6−7) (6−8) 習 字 3釧1) 35{11

社  会 14014} 14σ(4) 175(51  1  i 175{5〕 175−2玉0 i5−6)

175−210 i5−6)

社  会 早@史

175{51 140(41 R5(1)

14α4}

V0{2}

算  数 105(3〕

14。ω』4。(4、

140−175 MO−175

140−175 数  学 14α41 140{4} 14α41

(4−5) (4−5) (4−5) 理  科 】4α4) 140〔41 140(41

   i理 科1 70〔2}   「

70{2) 70(21 10513) ユ05−140 i3−4)

105−140 i3−4)

修科

音  楽 }画工作

70{2)

V0{2}

70(21 Vα2}

70②

V0〔2}

  1蛛@楽1 7α2〕  }7α2)奄V°②i 70−105i2−3> 70−105i2−3) 70−105i2−3)

体  育 增@ 業

105{3〕

P4α4}

105131 lO{4)

105{31 P40{4}

図醐レ・513}   ト

 1

P05{3)

  } 70−105瑚/ (2−3)1

70(2} 70{2)

家 副 1 1 修科目計 1050BO

io5030

105030

   i   I体 創  105{3}

105(3)

  「

P05(3} 105(3}

一゜5(3)1    」  105〔3)

105(3}

P05{3)

外国語 35−140i1−4) 35−140i1−4) 25−140f−4)

自由研究I

@  l   i総時間  77α22

 70−140

@(2−4)

P050−n90 i30−34)

 70−140

@(2−4)

P050−1190

@(30−34)

択科

習  字

E  業 35−140

i1−4)

R5−140

35−140

i1−4)

R5−140

 35(11 R5−140

i1−4)

R5−140

自由研究

(1−4) (1−4) (1−4)

選択科目計 35−140 35−140 35−140

(1−4) o−4) (重一4)

総  計 1050−1190 1050−1190 1050−1190

(30−34) (30−34) (30−34)

10)

表(5}国民学校のカリキュラム

初等科の教科(科目)と配当時間数      高等科の教科(科目)と配当時間数

毎 増

業総駈ヨ百層 盤 武 理 算 地 国 修

時 縫

作鐙字 楽 操 道 科 数 理 語 身

裁 家 工 圖 武 饅 理 算水商工農 地 国 国

δ 時数

縫安 事安

作 豊 字 道 操 科 数 産業業業 語 身

二七

、二

三三

四六 二  五 時 噂

1 三

1 (  ( (     (

三 二 憲三駐二 六 二 五 八 二 数 四年

三五 五 ○ 女男)  ) 客 署 二 二 二 数 年

三三 窪駐 一:. 五 二 二 七 二 五年

三三1

三1 四六 二  五 時 二

三三

寒勇五 六年

三五

三〇

(  (ォ畢「一一 璽 薯 二 二 四 二 数 年

(6)

6       茨城大学教育学部教育研究所紀要13号特集(1980)

r一般編』に示された以上のような新しいカリキュラムを国民学校の場合と比較すると,どのよ うなことがいえるのであろうか。教科目それ自体の変化に着目すれば,①国民科といった形式的で 非現実的な大教科が排除されたこと,②そのかわりに「社会科」のような実質的な総合教科が置か れたこと,③教科として新しく「自由研究」が設けられたこと,④女子だけの科目が男女共通の教 科となったこと,⑤義務教育段階に外国語の教科が登場したこと,⑥習字等の科目が廃止されたこ

と,が注目される。

1D       一方,教科の時間配当

表(6)国民学校初等科と小学校の教科の時間配当の変化      についていえば,国民学

(週当り総時間数)

1941 刀守こ) 1947・三(小学校) 小学校になっての増減 校の場合高等科の修業年

国  語

{国語(読書・作文)45

@     9(6)習  字

国  語   36〜39 国  語  〔一)15〜17 限は2年であったから,

社 ,会

憐 舗

社  会   28−30 社  会  {日 19〜21

@      〔5〜7〕

3年に延長された(新制)

?w校の場合と直接比較 することは困難である。

算  数

算 術      28

算  数  2ト26 陣  数  {一) 2〜5

理  科 理 科      9 理  科   1丘一17 躍  科  {+) 6〜8 そこで,小学校と初等科

音  楽

音 楽      12

音  楽  12〜15 の場合にその比較を限定

図画工作 図 画      15(12)工作

図画工作   15〜16i図画一1:作  〔+) 0〜1

することになるが,その

家  庭 裁縫吻     ㈲

家  庭     6 家  庭      0

場合その変化は,表⑥の

体  育 ケ  徳

体操     31 C 身      14

体  育 18[ 体    育    (一}      13

@ 道  徳  〔一)  14

ようにまとめられるもの

その他 自由研究   θ一12

6〜12

であったから,以Fの5

172 159〜169

〔一} 3〜13 点が注目されることにな

〔注〕 ()内は女子の時間数を示す。

る。

①「社会」と「理科」の時間数の増加,②「国語」と「算数」の時間数の減少,③「体育」の時 間数の激減,④男女の時間数の格差の徹廃,⑤総時間数の減少と弾力的な運用。

では,これら両者の変化に象徴される新しいカリキュラムとは,どのような特徴をもっものと考 えることができるのだろうカ㌔形式的なレベルではあるが,それは国民学校の場合と異なり,男女 別学体制とエリート体制を打破した単一のカリキュラムで,しかもゆとりを持ち,発展性をもたせ

た,内容教科重視型のカリキュラムである,といっていいように思われる。ただ,ここで考えてお かねばならないことは,性格が異なる社会科や算数科や自由研究が同じ教科として打ち出され,カ リキュラムの上に同じように位置づけられているという点である。一体r一般編』は,教科をどう 考え,またカリキュラムをどのような原理で構成しようとしたのだろうか。r−一般編』の示した「教 科」についての説明は次のようであった。

「教育の目標に達するためにぽ多面的な内容をもった指導がなされなくてはならない。この内

容をその性質によって分類し,それで幾つかのまとまりを作ったものが教科である。このまとめ方       12)

にはいろいろな立場があるので,教科といってもそのたて方にはいろいろあるわけである。」

ここにいう「教科のまとめ方にはいろいろな立場がある」とはどういうことなのであろうか。お

そらくそれは,教科が「特定の学問や文化の次元で構成されてもよく,具体的な生活経験の次元で      13)

¥成されてもよい,というフレキシブルな立場を示している」ものと考えられる。逆にいえば,「各       14)

教科の分類や編成のカテゴリーは必ずしも一貫していなくてもよい」ということになるであろう。

「社会」も「算数」も「自由研究」も同じく教科と呼ばれてカリキュラムの上に位置づけられたの

(7)

は,このためであったと考えられる。この点をr26年版要領』と比べてみるとその差がはっきりす る。「自由研究」という教科が姿を消すr26年版』のr一般編』では, 「教科」は次のように説明 されていた。

「(教育の)一般目標に到達するためには,各方面にわたる学習経験を組織し,計画的,組織的

       ●  ・  ●   ●  ・       15)

ノ学習せしめる必要がある。かような経験の組織が教科である」 (傍点,引用者)。

      16)

窒Q6年版』では,このようにはっきりと,「経験主義カリキュラム理論の立場から」教科が統一 的に説明されているのに対して,r22年版』では教科の概念に曖昧さが,したがってまたカリキュ ラムの構成の仕方に不徹底さがあったといえるであろう。22年版のr一般編』は,民主主義的な教 育理念に基づいて国民学校における硬直したカリキュラムを大きく転回させたとはいうものの,カ

リキュラム理論の不徹底さによって,首尾一貫したカリキュラムを打ち出すまでには至らなかった ものと考えられる。

㈲ r一般編』に示された教育方法・内容観とその特徴

では,実際の教育方法や内容についての考え方はどうであったのであろうか。r一般編』は第四 章をすべて使って「学習指導」の解説にあてているが,その冒頭で,これまで使われてきた「授 業」や「教授」というコトバは「学習指導」にかえられる必要があることを示し,次のようにその

目的を説明した。

「学習の指導は……知識や技能をわからせることが一つの課題であるとしても,それだけでその 目的を達したとはいわれない。児童や青年は,現在ならびに将来の生活に起る,いろいろな問題を

r一般編』は,学習指導の目的を上のように示した上で,その目的を達成するためには,①「生        18)

?ノっいてよく考えた教材を用意」すること,②「これを将来の力になるように学」ばせる「指導」

が必要であることをさし示した。そして,「このような教材をこのような学び方で学んで行くよう

    19)

w導する」にはどうしたらよいか,という問いに答えて,次の二つの原則を強調したのであった。

①児童中心の原則…「r学ぶのは児童だ』ということを,頭の底にしっかりおくこと」「教師が       20)

ウえさえすればそれが指導だと考えるような,教師中心の考え方は,この際すっかり捨ててしま」

うこと。

②児童生徒の道すじに従うという原則…「児童や生徒がほんとうに学ぶには,一つの道すじがあ       21)

驕B学習の指導はこの道すじに従って,その要点をとらえてなされなくてはならない。」

以上が,r一般編』の示した学習指導についての基本的な考え方のあらましであるが,学習指導 についての考え方をこのようにまとめてみると,カリキュラムの編成レベルにおいてはそれほどは っきりしていなかった「経験主義」の教育理論がここに貫徹されているようにも思われる。実際r一 般編』は,児童生徒の生活経験に注意することや,意欲,興味,自発性といったことがらの重視等 等にも説き及んでいるのである。

だが,それにもかかわらず,r一般編』は,教育の具体的な方法の面や内容の面においても「経 験主義」の理論に貫かれるまでには至っていないのではないか,というのが筆者の見解である。こ のことは,r一般編』が示した次のような学習指導の方法と教科の関係づけの類型をみればよくわ

かる。

(8)

8

茨城大学教育学部教育研究所紀要13号特集(1980)

1.一つの考え方の理解にいたるもの(問題解決の学習)たとえば,理科や科学の原理や,算数の解法を学

ぶような32)

2.与えられた知識を獲得するもの(記憶的学習)たとえば,社会生活の知識や,文字の読みや意味を学ぶ ような。

(略)

4.一つの技術にいたるもの(技術的学習)たとえば,体操や,図画や,習字の技法を学ぶような。

L        (略)

『一般編』は,学習のあり方を根本的に規定する方法原理に到達しえなかったために,あれこれ の学習指導法という形でしか教科の学習のあり方を説明できなくなったと思われる。そしてその視 点からもう一度r一般編』を見直せば,自発性の重視や生活経験への注意といったことがらも,結

o   o   ●   ●   ■

局は学習指導を進ある上での心理学的な原則を提示したにすぎない,といえなくもない。子どもの

●  ●   o   ●

自発性や関心等々を教育学的に意味づけ,学習を統一的に説明するための方法原理としての問題解 決学習ないしは単元学習については,『一般編」は全くといっていいほど触れていない。『一般編』

は,カリキュラムの構成の仕方にっいての場合がそうであったように,教育の方法や内容のレベル においても首尾一貫した教育理論に貫かれるまでには至っていなかった孕と考えられるのである。

㈲  r教科編』一その内容と構造

では,学習指導要領を構成するもう一方のr教科編』はそれぞれの教科について,どのような考 え方や内容を提示したのだろうか。またそれらは戦前の,特に国民学校時代の場合とどのように異 なり,r一般編』の考え方とどのように切り結ぶことになっていたのだろうか。

小学校版のr社会科編』を例にとれば,そこでは次のように,社会科の性格と内容が示されてい

た。

「今度新しく設けられた社会科の任務は,青少年に社会生活を理解させ,その進展に力を致す態

度や能力を養成することである。そして,そのために青少年の社会的経験を,今までよりも,もっ       24)と豊かにもっと深いものに発展させて行こうとすることがたいせつなのである。」

 「青少年の社会的経験を豊かにし,深く(するためには),その学習は青少年の生活における具       25)体的な問題を中心とし,その解決に向かっての諸種の自発的活動を通じて行なわなければならない。」

「社会科はいわゆる学問の系統によらず,青少年の現実生活の問題を中心として,青少年の社会 的経験を広め,また深めようとするものである。したがってそれは,従来の教科の寄せ集めや総合 ではない。それゆえに,いままでの修身・公民・地理・歴史の教授のすがたは,もはや社会科の中        26)

ノは見られなくなるのである」。

以上の簡単な引用からも,新しく設けられた社会科は,r一般編』に示された教育の考え方を新 しい教科という形で具体化したものでないことは明らかであろう。先に述べたように「一般編』は,

学習についての方法原理を,したがって子どもの育成の論理を明確な形でもちえていなかったため に,子どもの自発性や生活経験等々を重視しつつも,あれこれの学習指導法のレベルでしか教科の 学習のあり方を説明しえない中途半端なものに留まっていたからである。その意味でr社会科編』

は,r一般編』とはまさに対照的な位置にあった。

ところで新しく設けられた社会科は,地理や歴史といった戦前の社会科的諸教科のような,いわ

(9)

      ■   ●   ●       ●   ●       ●   o   ●

艪驫w問の系統による既成の教育内容の教授に力点を置く分科的な内容教科ではなく,子どもの生 活の上での具体的な問題を取り上げ,その解決をめざして学習を展開させることではじめて成立す

●  ●  ●  ●  o  ●  ●  ●  ●  ●

る方法的な広域総合教科となっていた。したがってr社会科編』は,各学年の内容を教材の形でな く,「私たちは食物や衣服住居をどんなふうにして手に入れるか。」 (小一)「世界じゅうの人々 が仲よくするには私たちはどうすればよいか。」 (小六)という風に問題の形で(各学年にっき6 個から10個)示したのであった。このように徹底した経験主義教育理論の立場から打ち出されたこ の社会科は,したがって,方法論的には戦前の社会科的諸教科(国民科)のあり方を転換させるも のであり,その意味では,両者は全く対照的な性格となっていた。新しく設けられた社会科は,r一 般編』に示された考え方とばかりでなく,戦前の社会科的諸教科を成り立たせていた考え方とも大

きく異なるものであったのである。

では,他のr教科編』もr社会科編』と同様に,r一般編』と異なる考え方に立って戦前の(国 民学校時代の)教科のあり方を方法論的な観点から大きく転換させ,その立場からそれぞれの教科 についての新しい内容を打ち出したのだろうか。事態は必ずしもそうではなかった。

●   ●

たとえばr音楽科編』の場合を例にとれば,そこでは,従来の音楽教育の考え方を「音楽教育を 情操教育の手段として取り扱う傾きがはなはだ強かっ省と批判し,「音楽は本来芸術であるから        28)

レ的であって手段となり得るものではない。」と述べ,芸術教科としての音楽科の立場から,その 新しいあり方をさし示すとともに,音楽科の学習領域と学習内容を大きく拡げるなど,これまでの 音楽教育の性格と内容を大きく変えるものであった。その意味で,このr音楽科編』の発行は「わ が国音楽教育史上,画期的なできごとであった19)」

しかし,同じように戦前の特に国民学校時代の教科のあり方を転換するものであったとはいって も,その転換の仕方は,r音楽科編』とr社会科編』とでは大きく異なるものとなっていた。とい うのもr音楽科編』は,r社会科編』とちがって「教養主義的な音楽教育論3?の立場から,新しい

■   o   ●

音楽科を系統的な内容教科として打ち出したからである。「即ち,音楽教育においては,音楽の表 現技術や,音楽に関する理論的知識並びに鑑賞法の習得や,音楽の創造力の養成などが目ざされ,

それらに対する,正しく系統的な独自の学習指導法が立てられるのである。(傍点引用者)31 Hと。

r音楽科編』は,「児童各自の音楽生活の実体」の把握を強調して,「音楽指導における予備調 査」の章を設けるなど,決して子どもの興味や関心を軽視するものではなかったが,教科の方法論 的な定立の仕方という点でいえば,r社会科編』とはきわめて対照的な位置に立つものであっぜ雪

ところで『教科編』は,小学校の場合で「体育」と「自由研究」を除く7教科について,また中 学校の場合はこれに「職業」と「外国語(英語)」が加わった9教科について,それぞれ学習指導 要領が発行されたのであるが,それらは,r社会科編』とr音楽科編』を両極とする線分の上に位

置づけられるものであった。たとえば,r理科編』や「家庭科編』などはr社会科編』に,また逆 にr図画工作科編』やr算数数学科編』などはr音楽科編』にどちらかといえば接近してい器3とい うことができるし,r国語科編』の場合などはむしろその中間型,というよりもこの両者の間をゆ れ動いている,とみなすことのできるものであった。r国語科編』は,付録に,中学3年段階を想 定した単元「われわれの意見は,他人の意見によって,どんな影響をこうむるか」をかかげ,「単 元を中心とする言語活動の組織」の例を参考に示ず芝とで,新しい国語教育が題材を中心、とした教 材単元にもとつく知識教科の形においてばかりでなく,生活単元にもとつくこのような学習によっ ても可能であることを示唆したのである。

(10)

10      茨城大学教育学部教育研究所紀要13号特集(1980)

以上のように各r教科編』は,子どもの自発性や興味を重視し,戦前の形式的で画一約な教科の 教育を解き放とうとする点では共通しつつも,その方向を徹底して教科の定立の仕方そのものまで

も変えてしまうか,それともそれらを教科の学習を進める上での重要ではあるが留意事項に留めてし まうかについては,相互の間に微妙なあるいは大きな相違が存在することになったといえるであろう。

見方を変えれば.戦前の教科の教育に対する反省ないしは批判の仕方やアメリカの新しい教育思想 の受容の仕方が,したがってまたそれぞれの教科の新しい樹立の仕方が,各r教科編』相互の間で 微妙にあるいは大きく異なっていた,ということになるであろう。その意味でr教科編』は,r一般 編』の考え方を受けて同じ性格のものとして作成されたというよりも,それぞれの教科の固有の問 題や立場等々を反映して,共通性をもちながらも相互に異なるものとなっていたのである。

r22年版要領』は,このように,卜般編』と『教科編』相互の間にも微妙なズレを生み出した。

そしてそのズレとは,結局は子どもを育成する論理をめぐるズレということになるのであるが,学 習指導要領全体の立場からいえば,そのズレをそのままにしておいて新しい教育を出発させること は好ましいはずがなかった。そこでr一般編』は,この原理的なズレを現実的なレベルで解決しよ うとする。それが一一方では,カリキュラム構成における「自由研究科」の特設であり,他方では実 際の運用面における表17)のような柔軟性をもったプログラムの提案であったと考えられる。

つまり『一般編』は,これまで置かれたことの

35)      36)

表(の小学校の1日のプログラム       ない自由研究科を特設することで,社会科と算

X:00 相談の時間。歌をうたう。できごとを話し合う。時  分

@ 今日の計画を話し合う。 点を与え,また表(7)のような参考例を示すこと

9:15 社会科、、仕事の進行について話し合い,その仕事 で,各教科間の連繋を意識させ,新しいカリキ

をおたがいに反省し,今日の話し合いの題をきめ

る。話し合う。これに関係した表現活動をする。 ユラムに,実際の運用という側面からある種の

10:i5 体育,自由遊戯。児竜一人一一人について栄養と休

息のプログラムを話し合う。 統一を要請することになっていた,と考えられ

11:10 国語,話し方。作文  お話をかく。

P2:00 昼食。昼休み。運動場で遊ぶ。 る。そしてまた『教科編』は「教科編』で,必

1:00 算数。個人指導を主とする。特殊の児竜たちには ず当該教科を中心とした他教科との関連を説き,

新しく考える問題を提出する。 各教科の教育が孤立的に進められるものではな

1:40 音楽,練習,鑑賞。

2:00 休憩。 く,相互に手を携えてはじめて新しい教育が成

2:10 国語。読みの練習を主とする。成績の悪い児童の 37)

指導をする。 立するものであることを示したのであった。

2:40 図画工作,または自由研究。

R:30 放課。 最初のr22年版要領』は,このように,その

理論的な不統一を実際の運用場面でなんとかし てカバーしようとする構造になっており,その 点にもまたr22年版要領』の特質がみられるように思われる。

IV 最初の学習指導要領一作成過程とその背景

ところで学習指導要領は,一体どのような過程をたどって作成されたのだろうか。残念ながら,

その具体的な姿はこれまでのところほとんど明らかにされていない。しかし筆者は,新しいアメリ     38)

ヘ側の資料等を利用して,不十分ながらも一応次のようにその過程を描けるのではないかと考えて

いる。

(11)

片上:学習指導要領の作成と戦後新教育の出発点       11

表(8)学習指導要領の作成過程

年月日

事       項

昭和21年

U  月

CIEのEducatlon L踊visionの主任であるJC.Trainor,文部省にて,カリキュラム(教科課程)改正の方針を説

セ邑9)

文部省,Curriculum Commi tteeを設置。

7  月 イ)メンバーは35名で,学校教育局と教科書局のスタッフが中心となる。

ロ)目的は,カリキュラムと学習プログラム改訂のため。

7月末{?〕 Curdculum Cb㎜it㎏eの〃バーが多く,動きがとれないので,8名力・らなる(汕rrlcdum St㏄ring Commi卜 tee(CSC)に編成しなおし, CIEの教育部と直接折衝できるようにする。(学校教育局のスタッフが中心となる?)

8月1日 CSC……小学校のカリキュラムの体系案を作成し,CIEの教育課に提出。

ただし,はなはだ不十分なものとみなされ,専門性の欠如を指摘される。

CSC……小・中のカリキュラムの体系案をCIEの教育課に提出。きわめて画期的なものと評価される。 (社会科 9月27日 や家庭科や自由研究の設置が示されている。)なお,次の原則が確定される。

イ)女生徒のための特別の教科や教科書の廃止。

ロ)基本教科(国語.社会等)については,どの学校も同じ学年段階では必ず同じコースと教科書を用いること。

9月末(?) 9月27日のCSC案でほぼカリキュラムの体系が決まったので, C I Eの教育課は,文部省に(bmpilation Commit・

tee of the Course of Studyの設置を勧告。

9月〜10月 学習指導要領(コースオプスタディー)作成のための具体的作業徐々に始まる。 (ただし,すべての教科にっいてで はない。)

10月〜

11月 {?} CIEの教育課,学習指導要領の原稿の完成日(デッドライン)を12月20日とすることを指示。

11月初め〔?) CIEの教育課,1玉月15日までに,教師に理解しうるような形で,各教科ごとに学習の詳細な方法と評価の案を作成 ずることを指示。

H月中旬?} CIEの教育課,11月30日までに,子どもの「般的な発達段階の表を参考に付した学年段階ごとの教科の学習の目安 フ作成を指示。

昭和22年

1

1月〜 かなりの教科で,学習指導要領の原稿の完成がおくれ,12月20日のデッドラインをこえて,昭和22年にずれこむ?

2月

      41)

¥(9)最初の学習指導要領(類)の日,米の係官

なお,ここで,学習指導要領

ジセ汐レ     係官 日本側の作成官 (チーフのみ)

アメリカ側(CIE)の係官

一      般

青 木 誠四郎 J.C.Trainor そのものの作成にタッチした日・

国      語

石 森 延 男 K.M. Harkness

lL. Osborne 米双方の係官(作成官)をみて

H.Heffeman

小  社

1〜6 重 松 鷹 泰     ■ K,M.Harkness

iH,Heffernan)

おこう。

¥⑨にみられる日本側の作成

中・高社

7〜10 勝 田 守 一 MLOsborne

人文地理 石 田 龍次郎 ML. Osborne 官は,文部省教科書局の図書監

A ■ − − 一 一 一 一 噛 r − 一  一 一 r − r . ■ − . 一 一 . 一 一 . 一 一 一 一 一  ・ 窄 r 1 −  一 . . , r τ . . 罰 . 一 一 一 一 一 . 一 一 一 「 冒 . 一   , 罰 匿 噛 匿 1 . 一 一 一 , , − . .        冒 . τ − . 一 一 . 一 一 一 一 髄 一  一 一 P 1 .

西洋史11〜12 板 倉 勝 正 ML. Osborne 修官か図書監修官から依頼を受

東洋史 三… …友…勇 …一『−甲… …… 一・ @・.一一 τ   711 1 − 匿− .一 .一 一 一 一 幽一 ■ 1 冒 . 一 .一 L, 一 罰一 .匿 一 一 一 .一 ,7 , 一 ■

k.Bowles

算 数 数 学 和 田 義 信 K.M. Harkness けた省外の人々であった。それ

理      科

岡   現次郎 K.MHarkness に対して表⑧のカリキュラム体 VEdmiston

音      楽

諸 井 三郎 K.MHarkness 系の研究委員は,主として学校

J.C.Trainor 教育局のスタッフであった。そ 図 画 工 作 山 形   寛 VEdmiston

g.Heff〔man れゆえ学習指導要領の作成過程

体      育

学校体育研究委員会

J.WNorvie1

は,広義の意味では,カリキュ

(LHomes)

家      庭

大 森 松代 E,R.Donov an ラム体系の作成から具体的な各

(LHomes)

教科のr要領』作成へと至るプ

1農業 島 田 喜知治 L.QMoss

工業 長容1i「… 葎 …   τ. ■ 一 幽 . 一 .  L − 1 馳 胃 . , 圃 , r τ − ■ − . 一 . 一 一 . ・ r − 闇 幽 幽 ・  〒 . ■ 一 . . . ・ . ・ 1 −

k.QMoss ロセスではあったが,メンバー

商業

馳 . π 幽 . 一 一 . . . .   . 一 一 一 r − 1   ■ ■   ■ 一 , i 7 r τ 一 . 匿 一 . 胃 . . 一 . . .   」 −      1.7

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水産 橋痛『匿τ藻 舌… 一』 … … 「 ., P  − 「− .− − 一 一 .一 幽一 一 一 一 「− .. 幽 L  r .一 一  匿 一 .一幽 円τ r−  .」   − −

k.Q. Moss 職指

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ノ 藤 祐 時

匿 幽 . . 一 一 L 「 「 τ . − i   r 1 7 − τ . . 一 . . ・ . 一   .         「.τ冒「■一一一L」一1

k.Q.Moss った。しかも, r要領』作成の

外   国   語 冒宍 一戸一食 軍『 r … 一 1  1冒.−....一一」・L L1「@      一.■.−−一一1Tr尼lL,Osborne(?} メンバーは,そのほとんどが昭

〔(注)家庭,高社,職業(商・水産)は篠歳青と{素會が異なる。〕

(12)

12      茨城大学教育学部教育研究所紀要13号特集(1980)

和22年度の新学期に間に合わせるべく,新しい教科書の編集に取り組んでいた人々であったから,      43)

r要領』の作成作業を開始させるということは,新しい教科書の編集をすませてしまうか,あるい はこれを塒停止する6ミいずれかの借置を取らざるをえないことを意味してい爾のである。

「こうして戦後の教育課程の改革は,まず教科書の編集がさきになり,それを学習指導要領が追 いかけるという形になった。これは明らかに順序が逆である。本来は学習指導要領がさきに作られ,

それにもとついて各教科の教科書が編集されていくべきである。それが逆にならざるをえなかった のは,教科書の改革がなによりも急であると考えられ,すでにその改訂に着手していたところへ,

さらに六・三・三制の実施に間に合うようにという非常に切迫した事情があとからつけ加わったた 瑚であった。

ところで学習指導要領は,いうまでもなくアメリカのカリキュラム理論にもとつくCourse(s)of stu畿を翻訳したコトバであるが,このコース・オブ・スタディーは,戦前のわが国の教育界には なじみのないものであったから,日本側の作成メンバーがこれを実際に作成するということになる と,次の二つの問題にぶっからざるをえなくなったと考えられる。

① コース・オブ・スタディーとは何力ぎ)(従来の教師用書や教授要目との相違点は何か。教科 書との関係はどう考えればよいのか。カリキュラム編成との関係はどうなのか。)

② コース・オブ・スタディーに盛るべきそれぞれの教科の新しい目標・内容・方法をどう創り 出すか。

先に掲げた表8のように,CIEの要求する原案(もちろん英訳したもの)完成のデッドライン は12月末であったから,厳しい時間的制約の中でこれらの問題を解決することは,実に大変なこと

であった。そこでCIEの教育課は,さまざまなサジェスチョンを与え,またいくつかの参考書を       49)

供する。たとえば社会科では,Course of study for Virginia Elernentary Schoo捻(1943)

等の諸プラン,理科では,GS.Craig:Science for the Elementary School Teacher(1940)

50)      51)

やPE.A.:Science in General Education(1938九 国語科では,上記のrバージニア・プラン』

やrアメリカ教育研究年鑑1936年綬1等々,といった具合であった。いうまでもなくrバージニ ア・プラン』に代表されるこれらのプランは,いずれも進歩主義教育理論(Prqgressive Educa一 tion)にもとつくアメリカでも先端に位置するものであった。 CIEの教育課はサジェスチョンと

これらの参考書によって,コース・オブ・スタディーについての理解を得させ,同時に,進歩主義       53)

教育理論をべ一スに日本の各教科の新しいあり方と内容を打ち出させようとしたと考えられる。

一方,日本側の作成メンバーにとってみれば,以上のようなCIEの「指導」によって,上記問 題の①についてはなんとかその理解力が得られることになるものの,②の問題は,それが具体的な

日本の教科の改造ないしは創造をめざす仕事だけに,簡単にゆく問題ではなかった。

ただ幸いなことに,戦前すでに,子どもを重視した問題解決的なあるいはプロジェクト的な学習

       54)      55)       56)

ェ公教育の場でかなりの程度まで進められていた理科や実業科農業などの分野では,その成果を生 かし発展させる形で,それゆえアメリカの新しい教育思想との格闘もそれほど要しないで学習指導 要領を作成できたようである。それに対して,社会科や家庭科などのようにその教育が大きな問題

をもっていたところでは,戦前のそれらの教育との対決やアメリカの新しい教育思想との格闘が必 要であったから,学習指導要領の作成は大変な問題であった。しかし幸いに,社会科の場合は,敗 戦を契機に戦前の修身や公民等に対する批判が深まり,その中から新しいr公民教師用書』の作成

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