「他者」の差異化におけるダイナミズム
――ニューヨーク・ハーレムのムスリムたちの民族誌的素描から――
中 村 寛
Dynamism in Differentiation of “Others”:
Ethnographic Sketches of Muslims in Harlem Yutaka N
AKAMURAThis article, at the most manifest level, is an ethnographic report on the relationship between African-American Muslims and new-coming African Muslim immigrants in Harlem, New York. It specifically deals with the narratives and gestures of an African- American Muslim man regarding his position toward the African Muslims. Based on my fieldwork conducted from 2002 to 2004, the article describes several events and scenes, in which conflicts and dis-communication among the two ethnic groups were observed.
It examines the way in which several African-American Muslims differentiate themselves from the Muslim immigrants, frequently employing such visual markers as clothes and beard. The article, at somewhat more theoretical level, also seeks to pose several questions over the notion of “difference” and “differentiation,” (thus of “identity” and
“identification”). It argues that the constructivistsʼ views on “difference” are useful in provoking the power within discourses and narratives of a certain social system, but often overlook the “exceptional” moments, at which the representative forces within the system fail to structure oneʼs practice. The article, therefore, is an attempt to capture such moments and locate them in the form of ethnographic episodes.
彼[マルコムX]自身が暴力や社会騒動を起こしたことがこれまでにあったでしょうか.
――オジー・デイヴィス1)
情感には理知のうかがい知れぬ理知がある.
――パスカル2)
1.問題の所在
ひとつの記述から始めたい.本論の中心的な舞台となるニューヨーク・ハーレムの 116 丁目 ストリートの光景を描いた民族誌的スケッチである3).
――アッラーフ・アクバル,アッラーフ・アクバル,……アシュハド・アン・ラー・イ ラーハ・イラーッラー,…….
金曜日の午後 12 時半頃.ハーレムの 116 丁目ストリートでは,建物の外に設置された 小型スピーカーからアザーンが流れてくる.それはストリートの喧騒とまじりあうこと で,特徴的な不協和音をかたちづくる.ストリートを行き交う人々の話し声,途絶えるこ とのない公共バスのエンジン音,道先を急ぐことを至上命令とした車やジプシー・キャブ のヒステリックな警笛音.そのなかをアザーンが流れる.通りを歩くと,それを唱える声 とともに,ストリートで売られるインセンスの独特でおもねることを知らぬ香りが,バー ベキュー・チキンやフライド・チキンの食欲を誘う匂いとともに漂ってくる.
ジーンズとシャツを身に着けたひとりのアフリカ系アメリカ人男性が,「アフリカの」
民族衣装に身を包み,ウォロフ語を話すアフリカ人ムスリムの男性に挨拶の言葉を投げか ける.「ア・サラーム・アライクム」.アフリカ人男性も挨拶を返す.「ワ・アライクム・
ア・サラーム」.116 丁目ストリートでは日常的に見かける挨拶の一場面である.しかし 彼らの間にそれ以上の会話はない.
116 丁目ストリートとマンハッタン・アヴェニューの交差点からは,マスジッド・アク サとマスジッド・サラームが見える4).この二つのモスクは両方ともアフリカ人イマーム が代表を務めている.イマーム・ソウレメン・コナテ(Imam Souleimane Konate)とイ マーム・ムスタファ・ソウマホロ(Imam Moustapha Soumahoro)だ.金曜日の午後は,
この二つのモスクはニューカマーのアフリカ人移民で満たされる.モスクの中に入れない 人々が建物の外に列をつくり,フトバ(khut・bah)に耳を傾け,礼拝をする.ムスリムた ちは一般的にイスラームの団結とウンマの重要性を繰り返し強調するが,この二つのモス クにはアフリカ系アメリカ人は参加していないようだ.
この短い記述だけからでも,ハーレム内の一区画に営まれる,決して一枚岩ではない人々の 生活を垣間見ることができる.アフリカ人の存在,民族衣装,路上で売られるお香こう,アフリカ 系アメリカ人の存在,ストリートで見かけるカジュアルな服装,彼らの通うファーストフード 店やレストラン等々.雑多に見えるこれらの「部分」を構成する人々やその営みはどのように 関係しあっているのだろうか.この問いを念頭に,本論では以下の三つの課題に取り組みた
い.
第一に本論は,ニューヨーク市ハーレムのアフリカ系アメリカ人ムスリムたちの「他者」を めぐる語りや実践に関する民族誌的報告である.とりわけ本論では,アフリカ系アメリカ人ム スリムによる一般的な語りと対比させながらも,ムスリムの両親のもとハーレムで生まれ育っ たひとりの男性の語りや実践に注目し,彼がニューカマーのアフリカ系移民たちの存在をどの ように捉えているのかを明らかにする5).本論の基礎をなすフィールドワークは 2002 年秋か ら 2004 年夏にかけてハーレムで行なわれたが,その間アフリカ系アメリカ人とアフリカ人移 民との間でいくつもの対立やディスコミュニケーション6)が観察された.「同じ」人種(黒人),
「同じ」信仰(イスラーム)でありながら,帰属する(させられる)民族的範疇が「異なる」
彼らの間のコミュニケーションのあり方を,どのように描くことができ,そこに見出された差 異化と同化のメカニズムは私たちになにを教えてくれるだろうか.これを明らかにするのが本 論の第一の課題である.その意味で本論は,社会的アイデンティティの議論を念頭に置きなが ら,ハーレムのアフリカ系アメリカ人ムスリムの対他関係の力学を描こうとする試みである.
ここから本論の第二の課題が導かれる.それは,異なる人種,民族,宗教,社会階層などの 差異や対立,紛争,衝突をめぐる概念に関して理論的な問いを投げかけることである.社会的 アイデンティティやそれに基づく差異化や同化のメカニズムに関する構築主義的立場からの諸 研究は,当該文化圏の日常語で使用される諸範疇や観念が,自明で普遍的に見えながらも,実 はそうではないことを明らかにした.たとえば「私は日本人である(I am Japanese)」「彼は アフリカ人である(He is African)」という単純明快に見える言明は,少なくとも二重の信仰 の飛躍をともなって構築される.第一に「私」「彼」および「日本人」「アフリカ人」という範 疇を,それ以外の諸範疇との差異を明示することで成立させ,第二に本来的に結びつきが自明 ではないその二つの範疇を「自然」で(時には命を懸けるにふさわしい)「価値」のあるもの であるかのように結びつける.この種の範疇化と結合にともなう信仰の飛躍を呪術と呼ぶなら ば,ベネディクト・アンダーソンが『想像の共同体』の冒頭において,ネイションという強力 な集合体を生む力を「ナショナリズムの魔術」と表現したことは,象徴的でもある7). アンダーソンの指摘する「ナショナリズムの魔術」は,出版資本主義の出現と印刷技術の開 発を背景とした印刷物(新聞そして小説)を通じて実行されるが,よりミクロなレベルでは,
近代人にとって(ひとりひとりの頭の中で密やかに行なわれる)一種の「儀礼」となった新聞 を読むという行為を通じて実行され,土着の(vernacular)日常言語的範疇によって承認され る8).アンダーソンの理論化と用語法は,明らかに人類学の魔術(呪術,妖術)研究を意識し たものだが,ここでは呪術研究において象徴の持つ力や効果,機能を強調したレヴィ=スト ロースやマルセル・モースの研究とアンダーソンのそれとの前提の類似を指摘しておきた い9).彼らにとって呪術は,物理的力に頼らずに人を(自ら進んで)死に至らしめる(あるい
は救い出す)力を持つ.そしてその力は,呪術師が(あらかじめ判断を下されているという意 味で)「偏見」に基づく(prejudicial)価値判断(value judgment)に合致する言語を発し,(力 の存在を演出する)儀礼を行ない,そのなかで集団の成員が(すでに存在を前提とし,また求 めてもいる)呪術の力を確認・承認していくという共犯関係によって成立している10).この 種の説明において,決定的な役割を果たすのは,土着の言語であり儀礼である.
本論ではアフリカ系アメリカ人ムスリムとアフリカ人ムスリムとの間の対立や衝突が浮き彫 りになるいくつかの出来事を描こうと思う.それらの出来事は,両者の間に憎悪や嫌悪,憤 り,恨みの感覚が存在するのを示しているように見える.その地域の部外者である観察者に とっては,この二つの文化や民族の間に衝突が起きているかのようにさえ見えるかもしれな い.しかし,事はそれほど単純ではない.いくつかのエピソードを描くことによって本論では まず,アフリカ系アメリカ人ムスリムの語りに頻繁に登場する差異化のモーメントを特定し,
どのようにして彼らがアフリカ人ムスリムやアラブ人ムスリムと差別化を図るのかを検討した い.そのうえで,それらのエピソードに対峙するかたちで,最後の二つのエピソードを記述す る.そこでの目的は,アフリカ系アメリカ人ムスリムの語りによって構築された「他者」が,
彼ら自身の行為によって脱構築されていく様を描くことである.アフリカ系アメリカ人ムスリ ムたちによってなされる陳述は,しばしば「他者」との明確な差異を強調し,前提とする本質 主義的表現をとる.そしてそれらの表現は,表面上はコンセンサスを得て,維持されているよ うに見える.にもかかわらず,それは人々を特定の方向にのみ導き,行動させる呪術としては 機能しない.そればかりか,構造化の力を阻むメカニズムが作動しているかのようにさえ見え る.
こうした「例外的な(exceptional)」状況を描くのにふさわしいやり方はどのようなものだ ろうか.これに答えるのが本論の第三の課題となる.したがって,本論では民族誌の記述をめ ぐるひとつの実験を展開してみたい.この課題は,実際の記述を通じて暗示的に扱われる.近 代西洋の認識のもとで誕生しながらも,非西洋世界の人々を対象として発展してきた人類学と その実践例である民族誌(エスノグラフィ)は,「異なる」ように見える「他者」に関する認 識のあり方に,鋭い問いを幾度も投げかけてきた.観察される事象がどれひとつとして自明で ない以上,意識は,対象そのものを観察するだけでなく,自らの認識や解釈,説明のあり方そ のものをも観察することに向かった11).近年も続くこうした認識論的反省のうち,本論で念 頭に置くのは以下の点である.すなわち,人類学者たちが「非合理的」で「不条理」に見える 現象ばかりに焦点を当て,文化相対主義の訓練のもと,丁寧に観察し,説明を施すとき,その 説明が合理的で筋の通ったものであればあるほど,その現象そのものが「合理的」なものへと つくり変わってしまうというものだ.「わからなさ」の衝撃や不気味さ(uncannyness)は,
説明を施されることによってその痛みや不快さを減ずる.また,この種の説明によるつくり変
えは,集団や個人をなんらかの統一体として捉えようとする(近代の)衝動と相俟って,文化 的集合体を全体化する試みにつながる.本質的な自然物として捉えようが構築物として捉えよ うが,その存在を閉じたユニットとして扱うのであれば,それを観察する意識は安らいだまま で揺らぐことはない.こうした観点に立ちながら,差異化や衝突などのコミュニケーションの あり方を捉え直す際の手掛かりを,またそれに関連して民族誌的記述の認識論的前提をつくり 変える際の足場を,「例外的(exceptional)」モーメントや「変則的(anomalous)」所作,集 団や身体の「周縁(margin)」に置かれ,意識にのぼることの少ない「感情」や「感性」を捉 え,記述に盛り込むことで応えたい.
領域横断的な探求を通じて数多くの示唆的な論考を残した人類学者のグレゴリー・ベイトソ ンは,カール・ユングが若き日に書き残し,その後自ら封印したかのように葬り去っていた文 章を引用しながら,情報やシステム,精神(mind)の動きなどの人間の諸活動(生態)を扱 う自らの学がプレローマではなくクレアトゥーラの領域を扱うものであり,そこではハードサ イエンスに典型的に見いだされるのとは異なる認識論が求められると述べている12).最終的 には超自然論を信奉する対抗文化圏で生きることを選びつつも最後まで認識論の問題にこだわ り続けたベイトソンの課題は,システムを構成するユニットを閉じたものとして扱い,そこに 働く力や条件を論じる「機械論」的な認識と,捉え難いなにものかを外的で霊的な力を設定し たうえで説明しようとする「超自然論」的な認識とを書き換えることにあった.それゆえに彼 は,精神や物質,情報,観念,環境などの諸観念やそれに言及する際に用いられるメタファー を再考し,より厳密なかたちにつくり変えようとする.古くからある対話の形式をとりなが ら,その対話の展開自体が対話の主題に言及するかたちをとる「メタローグ」は,認識論にか かわる記述の実験の一環とも言えよう.本論もまた特定の時間と場所に起こったコミュニケー ションの様態を描きながら,その記述をもって差異や衝突などを描く際の認識論的前提を再考 する手掛かりとしたい.だがエピソードの記述に入る前に,舞台となるハーレムの歴史・地政 学的コンテクストを手短に描写する.
2.ハーレムの歴史・地政学的位置
ハーレムは,最も単純に理解すれば,アメリカ合州国内の大都市ニューヨーク市に位置する 場所の名前である13).だが実は,ハーレムと呼ばれる確固たる行政区が存在するわけではな い.ハーレムは,コミュニティ・ディストリクトと呼ばれる行政区の 9,10,11 に位置し,そ れは大まかに言って,マンハッタン北部の 110 丁目ストリート(110th Street)から 155 丁目ス トリート(155th Street)にかけての場所となる(地図 1 参照).第 10 地区には,「セントラ ル・ハーレム」という名称が付けられているが,第 9 地区,第 11 地区は,ハーレムを含みつ つもそれぞれ,モーニング・サイド・ハイツやイースト・ハーレム(スパニッシュ・ハーレ
ム)をも含んでいる.しかしハーレムは,単に物理的な場所を指し示す名前として言及される のではない.それは同時に,合州国のゲットーを表象する記号として用いられ,複数の意味を 担わされる14).たとえばそれは,人種が階級の政治性を象徴する場所になる.近年のハーレ ムを調査した文化人類学者のジョン・L.ジャクソンが言うように,「ハーレムの人たちはどう 思うだろうね」という政治問題の解説者の発言は,下層階級のアフリカ系アメリカ人による統 一された一枚岩のコミュニティを想像(妄想?)したうえで,政治的に正しい(ポリティカ リー・コレクトな)選択というものを問題にしていると言える15).またそれは別の人にとっ ては,人種を問わずにゴスペルを聴くために教会に並び,見学ツアーとエンターテイメントを 楽しみ,ソウル・フード・レストランで南部州アフリカ系アメリカ人が口にしていたものを味 わうことのできる場所でもある.さらにそれは,かつてハーレム・ルネッサンスが起こった場
ハドソン川
9
10
11 フレデリック・ダグラス・
ブルヴァード
(8th アヴェニュー)
マスジッド・
サラーム
マスジッド・
アクサ
コロンビア大学
セントラル・
モーニング・ パーク サイド・パーク
マーカス・
ガーヴェイ・パーク マスジッド・
マルコム・
シャバーズ
ブロンクス
125 丁目 ストリート マルコム X・ブルヴァード
(レノックス・アヴェニュー)
116 丁目 ストリート
110 丁目 ストリート
地図 1 マンハッタン北部を拡大した地図.数字は行政地区(Community District)に付けられた番号を指 す.第 9 ~11 地区がほぼハーレムと重なる.
所であり,数々の革命的な思想家たちが訪れ,スピーチをした場所でもある.しかし,それは また別の人々にとって,社会的病理の巣食う場所であり,その病理につきまとうイメージは,
ある特定の人種と階級のイメージに結びつくことで,悪名高く,しかし循環する等式を再生産 し続ける.それはたとえば,以下のような等式である.《ハーレム=アフリカ系アメリカ人の 場所/黒人コミュニティ/下層階級/社会的病理(ドラッグ,犯罪など)/カオス/危険/非 人間的》
構築主義者たちが,こうした言明をどれだけ巧みに,また懸命に脱構築しようと,本来は異 なるものを意味する個々の言葉は,気ままに入れ替わることによって,等式は維持される.こ こでは,この等式における等号が,結びつきの自明でないだけでなく,根源的に異なる範疇に 属するはずの各要素を結びつけていること,しかしこの等式が合州国で日常的に使用される言 語的範疇に当てはまると同時に,それによって承認されることを確認しておきたい.その意味 でハーレムのアフリカ系アメリカ人にとって,この等式はアメリカ社会によってあらかじめ存 在を前提された呪術である,と.
ハーレムの現在に関する等式が再生産される一方で,ハーレムについて書かれた文献を紐解 くと,この場所が極度に歴史化されてきたことに気づかざるを得ない.ジャクソンは書く.
「ハーレムの多くが今日有名なのは,もっぱら,それ(この店,この建物,このブラウンス トーン)がかつて,『ハーレムが人気だった頃に』,有名だったと言えるからである.これはす べてハーレムの姿だった4 4 4,と.『だった』というこの過去性が,ハーレムを,他の時代と全面 的に結びつけている」16). 食事,音楽,ドラッグ・ビジネス,クラック・ハウス,文化,そし て著名人さえもが,かつては有名だった.そう語られることで,現在の知名度が維持される.
「このような,ハーレムとその過去の姿とのフェティッシュな関係を,まず強調しておかなけ ればならない.この場所では,この場所のかつての状態や,以前のすばらしい姿と現在との関 連づけによって,評判(悪評)が左右されるのだ」17).
ハーレムの現在の姿を,その光と影との両者を見据えて捉えるべく聞き書きを重ねた辻信一 は,この点をさらに先に進める.ハーレムが通常過去形で語られてきたことを指摘しながら彼 は書いている.「それにしてもハーレムは過去形で語られることが圧倒的に多い.そして過去 のハーレムを語る者の声には甘い感傷の響きがつきまとっていることがしばしばだ.またそこ には,ハーレムを遠い過去の思い出の中に閉じ込めておきたいという身勝手な願望さえ,時に 感じとれる」18),と.そして,ベル・フックスの言葉を借りながら,彼はハーレムについて過 去形で理想化した語りは,「『帝国主義者の遊び場』についての『帝国主義者風ノスタルジ ア』」19)以外のなにものでもないと付け加える.彼にとっては,こうした理想化され,過去形で 語られるハーレムは,現在のハーレムへの無関心と共犯関係にあるのだ.そうだとすると,人 類学者のタスクのひとつは,単一でまとまりのある「黒人近隣地区」として語られることの多
いハーレムの,現在の多様性を明らかにすることにある.以下,ハーレムの主要なストリート のひとつである 116 丁目ストリートに注目し,民族誌的に有意味なエピソードを描き,続いて 解釈を重ねてみたい.この場所はモスクが立ち並び,ムスリムたちが多く集まる場所でもあ る.
3. 「宗教と文化とは,違うものごとなんだ」(エピソード①)――服装と外見
ある金曜日の午後,私は金曜礼拝に参加するために 116 丁目ストリートを東に向けて歩き,
マスジッド・アクサを通り過ぎて,マスジッド・マルコム・シャバーズの建物にやってきた.
丸い緑の屋根をしたそのモスクは,周囲にあるアパートメントの建物群のなかで,ひときわ目 立っている.礼拝のスペースは建物の 3 階部分にあり,そこには絨毯が敷かれている.簡易下 駄箱の設置された入り口で靴を脱いで中に入ると,すでに 80 人ほどのムスリムの男性が列を なして絨毯の上に座っているのが見える.入り口近くには椅子が置かれ,そこには女性や子ど もたちが腰かけている.しばらくすると,若いアフリカン・アメリカンの男性がその部屋の前 にやってきて,両手のひらを耳の後に当て,アザーンを美しくうたいあげた.続いて,このモ スクのイマームが現われ,全員の前でフトバが行なわれる.イマームが話している間にも,さ らに多くの男性が姿を見せ,横並びにいくつもの列をなして座る人々に加わり,短い祈りを捧 げたうえで,座った.男性たちの服装はまちまちだ.ジーンズやTシャツなどのカジュアル な服装もあれば,ビジネススーツにネクタイを締めた人もいる.みんなが静かに座っていた.
イマームが話し終え,背を向け,信徒の向いているのと同じ東の方角を見ると,座っていた信 徒は立ち上がって,肩と肩,足の側面と側面とをくっつけて,横並びの列を改めてつくる.
「アラーフ・アクバル」.イマームがそう口にすると,みんなが同じ言葉を繰り返し,合同礼拝 が始まった.礼拝の後,私の前に座っていた 70 代のアフリカ系アメリカ人の男性が,1 階に ある食堂で昼食をとらないかと誘ってくれた.喜んで誘いを受け,階下の食堂に移動すると,
そこではビュッフェ形式で簡単な食事が提供されている.そしてそこで私は 40 代のもの静か な男性を紹介された.
その男性はハミッド(仮名)と名乗った.若く見えたが,身体の動きがゆっくりとしてお り,唇は乾き,目が腫れていた.私の横にゆっくりと座ったとき,私は彼の右手に白い紙バン ドが巻かれているのに気づいた.ハミッドは最近発作を起こし,数日前に退院したばかりなの だという.「ゆっくりと動かなきゃならないんだ」,と彼は言った.「ずいぶんとたくさんの薬 を与えられたからね.まだ少し弱ってる感じがするよ」.ハミッドは,ハーレムでムスリムの 両親のもとに生まれ育った.両親は,アフリカ系アメリカ人による代表的なイスラーム組織,
ネイション・オブ・イスラーム(NOI)のメンバーだった.「俺はネイション[NOI]に生まれ たんだ」,彼は言った.そして彼はNOIのなかでトレーニングを受け,少年たちによって形成
されるジュニア・フルーツ・オブ・イスラームのキャプテンを務めたという20).やがて,短 い会話の後,彼は印象的なことを口にする.そしてそれは,ハーレムのフィールドワーク中 ずっと継続する私の関心になっていった.
「宗教と文化とは,違うものごとなんだ.そのふたつを混同してはいけない」.彼はそう言っ た.しばらくの間,私はそれがどういう意味なのか量りかねていたし,どのように応じてよい のかもわからず,彼の次の言葉を待った.「アフリカの服やアラブの服を身に着けた人を目に することがあるでしょう」,ハミッドは続けた.「わかるかな.ドレスのような見てくれの服の ことだけど」.彼は,服の種類を示すためにちょっとしたジェスチャーを用い,理解している かどうかを確かめようと私を見た.私が肯くと,ハミッドは続けた.「俺は彼らを見て,『おい おい,ほんとかよ!』って思う.ニューヨークにいる限り,アメリカにいる限り,俺は普通の 自分の服を着るよ.中東とかアフリカの砂漠に行くんだったら,そういう服[アフリカやアラ ブ的な服]を着るかもしれない.けど,ここにいる限り,そんな服を着ることに意味なんかな いよ」.彼は,ひとつひとつ,はっきりとわかるように言葉を発した.そして,私が理解でき ているかどうか,納得しているかどうか,何度も確認した.「そういう種類の服を着て,自分 がよいムスリムだって思う奴がいるんだ」,ハミッドはさらに続ける.「髭についても同じこと だね.長い髭を生やしてるのが,いいムスリムだなんて思う奴もいる.奴らは,『おまえ,長 い髭してないけど,それでおまえは自分のことムスリムだって思ってんの?』とか言ってく る.そいつらに俺がなんて言うかわかるかい? 俺は言うんだ.そんなのはイスラームとなん の関係もないってね.長い髭の人間が連続殺人鬼だってこともありうるだろ.言ってること,
わかるかい? ある種の服を着ることとか,長い髭をたくわえることとかは,文化に関係する ことなんだ.イスラームとはなんの関係もない.よいムスリムになるためには中東やアフリカ に行かなきゃいけないって考えてる奴もいるくらいだ」.「奴らがなんて言おうと,俺はアメリ カを愛している.俺はここにいたいって思う.アメリカの外に旅行したいとは思わない.この 国には言論の自由と信仰の自由がある.アメリカに問題がないってことじゃない.たくさんの 問題がある.だけど,中東やアフリカの多くの国にはない自由がここにはあるんだ」.話して いる最中にも,彼は何度も集中力を途切れさせ,私たちの近くを歩いて通り過ぎる人々を横目 で見やった.処方された薬のせいでうまく集中できないのだ,と彼は言った.食堂にいる人々 は会話を切り上げ,その場を去り始めていた.部屋を出る時間だった.「ムスリム学生組合
(Muslim Students Association)に連絡をとるといいですよ.コロンビア[大学]やシティ・カ レッジ[ニューヨーク市立大学]にあると思う」.彼はそう言って立ち上がった.「けど,変 わった連中にはかかわらないようにね」,彼はふざけて笑いながら付け足した.彼は,「変わっ た連中」が誰を指すのか,具体的には言わなかったが,話の流れからそれが,「反アメリカ的」
だとされる類の集団であることは,明らかだった.
* * *
ハミッドは,彼が「文化的」要素だと考える視覚的情報(髭や服)を用いて,「他者」との 差異化を図っている.彼にとっては,「普通の服」とは,ジーンズやTシャツなどのカジュア ルな「アメリカの」服である.そしてそれは,そのときに彼が身に着けていた服でもあった.
フィールドワークをその後も重ねるなかでわかったことだが,この種の差異化を図ろうとした のは,ハミッドだけではなかった.多くのアフリカ系アメリカ人ムスリムたちが,服装や外 見,そして時には言語の違いに言及することで,アフリカ人ムスリムやアラブ人ムスリムと自 分たちとの差異を強調した.アフリカや中東の「伝統的」衣装,長い髭などの「イスラーム 的」容姿は,「宗教」とは関係のない「文化」であり,アラビア語を話せることは必ずしもよ いムスリムであることを意味しない,と.
服装や外見は,アフリカ系アメリカ人ムスリムの歴史・文化的文脈において特殊な意味合い を持つ.ネイション・オブ・イスラーム(NOI)の存在は,現在でも,メンバーの制服や髭を 剃り,髪の毛を刈り込んだ外見によって認識されているが,1975 年のイライジャ・ムハンマ ドの死後にNOIの大改革を行なったW.D.ムハンマド(以下,ウォレス)は,そうした特 殊な服装や外見に変化をもたらした21).ハミッドはNOIのもとで育ち,トレーニングを受け たが,後にウォレスの教えに従い,彼の組織に支持を表明するようになる.強調したいのは,
ハミッドやNOIを含むその他のアフリカ系アメリカ人ムスリムたちは,服や外見を象徴とし て積極的に用い,他者との差異化を図っているという点である.そしてこの視覚的標識は,彼 らのアイデンティティを構築する際に大きな役割を果たしている.
NOIはフォーマルな服装をメンバーたちに要求してきた.男性には,制服や蝶ネクタイ,も しくはスーツやネクタイ.女性には,白いドレスとヴェール,あるいは通常のドレスとスカー フ,といった具合である.この服装は,NOIの活動展開の主な中心地であるインナー・シティ において,他のアフリカ系アメリカ人との差異を強調する手段として用いられる.スラムや ゲットーのストリートに特徴的な身だしなみや服装との差異が強調される.同時に,NOIの服 装は,アメリカにおける上・中流階層のフォーマルで規律的な伝統を取りこんでもいる22). ウォレスの率いるアメリカン・ソサエティ・オブ・ムスリム(ASM)は,NOIの特殊な制服を やめ,カジュアルな「アメリカ的」服装を用いることで,NOIとの差異化を図る.そして,特 別な規則を手放すことで,スンナ派のイスラームに同化しようとする.しかし同時に,ニュー カマーのムスリム移民たち(彼らの多くはアラビア語を話す)との差異を語る.
このようにして,アフリカ系アメリカ人ムスリムとアフリカ人移民ムスリムとの関係を考え ていくうちに,116 丁目ストリートである事件が起きた.その事件とその後の反応について以 下に描写してみたい.それは,両者の関係について,そしてストリートの「雰囲気」について 考える際に,多くのことを提供してくれるように思う.
4. 「自分たちの美しい服を脱いで,警察の制服を着ることなんてできない」
(エピソード②)――アフリカ人ムスリム襲撃事件と警察と警察服
2003 年 7 月 14 日,私は午後 3 時頃にアパートの部屋を出発し,116 丁目ストリートにある マスジッド・サラームに向かった.116 丁目で 1 週間ほど前に起きた事件について,この日,
抗議集会が開かれると,事前に聞かされていた.教えられた場所に到着し,しばらく待つと人 が集まり始めた.その多くがアフリカ系移民ムスリムだった.比較的少数ではあるが,アフリ カ系アメリカ人ムスリムもおり,そのなかには顔見知りの者もいた.被害者の息子だという人 物によって,手書きの黄色いビラが配布された.背の高い,もの静かなその男性は,父が集中 治療室にいること,さらに鼻の手術を受ける予定であること,などを語った.事件についてさ らに詳しく知ったのは,そのビラが配られた後だった.73 歳のアフリカ系移民ムスリムの男 性が,7 月 9 日の夕方に,マスジッド・サラーム近くの 116 丁目ストリートで襲われたという.
配布されたビラには,以下のように書かれていた.「彼は,鼻,顎,腕の数カ所と肩を骨折し,
目の下が切れ,脳出血が見られた.集中治療室に入り,すでに 3 回におよぶ手術がなされ た」23).そして,事件に関する簡潔な描写に加えて,ビラは警察に対する三つの要求をリスト にして掲載していた.「1.警察による保護をさらに拡大し,より迅速な対応を提供すること/
2.今回の,そしてその他の暴力事件に関与した残忍な若者ギャングを即刻逮捕し,起訴する こと/3.警察の感受性を磨き,コミュニティのリーダーたちと定期的に話し合いの機会を持 つこと」24)
しばらくすると,集まっていた人々が,123 丁目ストリートの警察署に向けて歩き始めた.
先ほどの手書きのビラを配りながら歩いている人もいる.午後 4 時半頃,第二十八分署に到着 すると,集会参加者は警察署内の一室に案内された.部屋の中には 80 人ほどの人がいる.大 半がアフリカ人で,アフリカ系アメリカ人が幾人かと,少数ではあるが白人もいる.参加者の 約 3 分の 1 が女性だった.部屋は 80 人が入るには小さ過ぎたが,なんとか部屋の中に入り,
人数分はなかったが椅子を並べる.女性やお年寄りに優先的に座ってもらえるようにと,配慮 の声が男性たちからあがった.制服に身を包んだ 5 人の警察官(いずれも非白人)が自己紹介 をし,自信に満ち溢れた様子で,日々の任務やこれまでの自分たちの成果を披露した.最終的 に,そのなかのひとりの警官が代表として話を取りまとめ,ストリートの暴力や警察官の数の 少なさ,電話に対する警察の応答の鈍さなどの問題に,「解決」をもたらすための彼のアイ ディアを口にした.長く続いた彼のスピーチを要約すると以下のようになる.《我々[警察官]
はあなた方の敵ではありません.文句ばかり言うのは止め,協力をしてください.毎月 1 回,
水曜日にここでミーティングを開催しています.地域のさまざまなリーダーたちが来て,その ミーティングに参加します.だから水曜日のミーティングに来てください.土曜日にここに来
て警察補助員(police auxiliary)プログラムのトレーニングを受ければ,警察の制服を着て,
警官の役割を果たすこともできます.この部屋にいる人の半数が参加すれば,116 丁目スト リートに多くの制服を着た警官を配置することができるということです.もしストリートに制 服を着用した警官が多くいることに人々が気づけば,多くの犯罪を未然に防ぐことができま す.今回の襲撃事件は,特別なケースではありません.過去に犯した過ちにばかりこだわり,
それについて不平を言い続けるべきではありません.我々は未来について考えるべきです》. 「このコミュニティは我々[警察官たち]のコミュニティでもあるのです」,その警官は話を 続けた.「この犯罪を起こした若者たちは,我々のコミュニティの若者でもあるんです.我々 は,自分たちの手でコミュニティを守る必要があります」.警官の堂々として自信たっぷりの スピーチは,部屋中からの大きな拍手をもって迎えられた.彼が「我々のコミュニティ」とい う言葉を用い,住民と警察官との団結を強調し,たとえアフリカ人たちが移民法を犯してここ に住んでいたとしてもそのことで警察が彼らを逮捕することはないと言うたびに,部屋にいる アフリカ人移民たちは大きな拍手を送った.あたかも警官の述べていることが真実であるかの ように.
抗議集会に来たうちの何人かは,それでも,いくつかの問題を指摘することを忘れなかっ た.「アフリカ人が警察に電話しても,到着までに 20 分かかるのです」.「アフリカ人移民の若 者たちが遊んでいると,アフリカ系アメリカ人の若者が彼らに大声で言うんです,『てめえの 国に帰んな』ってね」.「116 丁目ストリートのいくつかの廃墟ビルでは,今まさにドラッグの 取引をしてるんです.なぜそれについてなにもしないんですか」.「9.11 以降,ムスリムは攻撃 してもよい対象になってしまいました.私たちは,それは許してはいけないのだと知らせる必 要があります.彼らが私たちを攻撃すれば,彼らは大変な目にあうのだと知らせる必要がある のです」25).しかし,懸念を表明する彼らの声は,真剣で重大なものではあったが,とりわけ 警察官の雄弁なスピーチとそれに続く拍手の後では,不満の表明のように響いた.
夕方 6 時半を少し過ぎた頃,抗議の集まりは終わり,解散になった.多くの人が,今回の事 件が特別なものではなく,頻繁に起こる事件のひとつだと言った.被害者の息子は一度も口を 開かなかった.ただその場で静かに立ち続けていた.警察署内の部屋を出ていくとき,私はア フリカ系アメリカ人ムスリムの女性,アイシャ(仮名)に行きあった.ハーレムでの長年の活 動歴のある彼女は,この種の集まりにおいては大抵の場合,真っ先に声をあげ,問題を指摘す る.しかし今日の彼女は静かだった.一緒に歩きながら,彼女は落ち着いた静かな声で,私に 向かって話し始めた.「これがうまくいくとは私には思えません」,彼女は言った.
「自分たちの美しい服を脱いで,警察の制服を着ることなんてできない」,彼女は,いつもな にかを主張するときそうするように,眉を寄せ,断固として言った.「服装を変えずに安全に 暮らすことが大事なんです.ユタカ,それが大事なんですよ.たとえば,ユダヤ人の居住区に
行ったら,ユダヤの服に身を包んだユダヤ人が平和に暮らしてます.彼らは平和に暮らすため に警察の制服を着る必要なんてないんです」.アイシャはこの日,「アフリカの民族衣装」に身 を包み,スカーフを着用していた.それは珍しいことではない.多くのアフリカ系アメリカ人 女性が,特別な行事のときだけでなく,日常生活のなかでこの種の衣装を身に着けることがあ る.「彼らが今日したことは,真剣なムスリムとそれほど真剣ではないムスリムとの間に,亀 裂をもたらすことでしょう.……私たちはまた,こういうことも考えなければいけませんね
……私たちには,白人の警官がハーレムで好き勝手にやってきたという歴史があります.今で も,黒人やアジア人の警官が少ないことに気づくでしょう.彼らはかつて,私を警察にリク ルートしようとしたことがあります.けれど私は断りました.私は断ったんですよ,ユタカ.
そんなことはできませんよ.ハーレムの人々に彼らがなにをしてきたのかを見てしまった後で はね.できません.……彼らが今日やったことは,正しくありません.人間の意志のもとで行 なわれたのであって,アッラーの意志ではありません.……彼らの歴史を考えてみてくださ い.私たちを白人に売ったのはアフリカ人だったんですよ.彼らはそのことを知っています.
なぜ若者たちは,アフリカ人の若者にあんなことを言ったんだと思いますか? それには理由 があるんですよ.すべてのことには理由があります.今日起きたことにも理由があります.す べてはアッラーの意志の通りです」26).
* * *
抗議集会においては明言されなかったが,アフリカ系アメリカ人とアフリカ系移民は両者と も,今回の事件の犯人がアフリカ系アメリカ人の若者であることをわかっていた.アフリカ人 イマームは,アフリカ人移民の抱える特殊な困難に言及することで,アフリカ人とアフリカ系 アメリカ人との立場の違いを際立たせた.アフリカ人の若者とアフリカ系アメリカ人の若者と の間にある敵意に言及する者もいた.抗議の集まりにはアフリカ系アメリカ人も参加していた が,二つの民族集団の間には,目立たないがかすかな緊張があった.
アイシャが示したように,警察服はハーレムの住人であるアフリカ系アメリカ人にとって,
少なくとも二つの異なる意味合いを持つ.一方でそれは,暴力(violence)や腐敗(corruption)
の象徴である.警察,とりわけ白人警官による残虐行為が,コミュニティのリーダーによって とり上げられ,問題化されるようになってから長い時が経った.そして今日でも警官による残 虐行為は,黒人のハーレム居住者にとっては日常的に経験し得ることとして認識されている.
他方で警察服は,権力=暴力(Gewalt)や権威(authority)の象徴でもある.それはストリー トで生じる暴力や緊張を解消することを期待され,安心感をもたらすものとして機能する.さ らに言えばそれは,「暴力」と認識された要素を取り締まりの対象としたうえで,排除したり 管理したりする力の存在を表示している.
抗議集会についていまひとつ指摘しておきたいのは,抗議する住民たちを警察署に歓迎した
警察官たちの対応である.彼らは繰り返し「コミュニティ」という言葉を用い,その場にいる 者と自分たちとが,同じ立場にあり,共同関係にあることが強調される.「コミュニティ」と いう語は,もちろん英語における日常語だが,とりわけ合州国においては際立った用いられ方 をする27).それは,実際に具体的になにを指すのかを明言しないまま(あるいはそのことに よってかえって),まだ見ぬ未来に向けた建設的な含意を持ち,なにかを成し遂げるためには 無条件に必要なこととして意識される.集合が観察されれば,そこに「共有」されたなにかが あるかのように錯覚させる概念であり,それゆえに政治家,地域リーダー,宗教家が好んで頻 繁に用いる.その意味では,この抗議集会は,警察官が住民の声を聞くための機会ではなかっ た.抗議する側も重要な問題を指摘してはいたが,実際にそれが警察に重大な変更を迫るには 至っていない.むしろその集会は,警察側にとって,管理対象地区の潜在的な緊張を緩和し,
住民を法の執行機関の側に取りこんでいく絶好の機会になっているようにさえ見える.
5. 「この地区にようこそ!……警察署での抗議集会のことは,このコミュニティ のメンタリティが理解できないと,わかんないんだよ. 」(エピソード③)
――ストリートの態度
抗議集会の数日後,私は 116 丁目ストリートにあるハミッドの床屋にいた.ハミッドが外に 行って話そうと言うので,私たちは店外に出ておしゃべりを楽しんでいた.しばらくするとハ ミッドが言う.「椅子を持ってこよう.ちょっと一緒に中に来てくれ」.店内に入って適当な椅 子を二つ見つけると,ハミッドは電話しなければならない用事を思いだしたから,その椅子を 外に持っていっておいてくれと私に言った.私は椅子を持って外に出て,ハミッドが戻ってく るのを待った.段々と暑くなりつつあった.突然,中年のアフリカ系アメリカ人女性が私の所 にやってきて,一言も発さないまま,私の持っていた椅子のひとつをひったくるようにして奪 い取り,そのまま歩き去っていった.そして,近くにあった 99 セント・ストアの前に椅子を 置くと,そこに腰かけた.すると別のアフリカ人の女性が私のもとにやってきて,「これはわ たしの椅子」と言ったかと思うと,なすべきことを知らず躊躇した私が反応する前に,もう一 方の椅子を私の手からひったくり,隣にあるアフリカ系雑貨店の中へと消えていこうとした.
私は彼女に対して叫び声をあげることくらいしかできなかった.「おい!」
もちろんその声は無視された.どうすることもできず,私は茫然と立ちつくしていた.そし てこの時点で,ハミッドが外に出てきた.彼は,私の表情に気づき,なにが起きたのかと訊ね た.「あの女性が椅子を持ってったんだ」,私は言った.ハミッドはそれを聞いても特に驚いた 表情は見せず,ただ女性のもとに歩いていった.女性は,なにもなかったかのようにして椅子 に腰かけてくつろいでいる.短いやり取りの後,ハミッドは私のもとに戻ってきて言った.
「あの人は椅子を戻しにくるよ.心配するな」.
「いつもこんな感じなの? めちゃくちゃだね」,私はまだ唖然としながらハミッドに言っ た.明らかにその言葉を耳にした先ほどの女性が,私の方を見やり,微笑みをたくわえながら 肩をすくめてみせた.
「なんだい,うろたえてるんかい?」 ハミッドは私に訊ねた.明らかに彼はいま起こったこ とについて気をもんでいる様子はなかった.彼は続けた.「そうか,そうか.この地区によう こそ!」
そのアフリカ系アメリカ人の女性は,私がハミッドの友人であることを知らなかったよう だった.私がハミッドと話しているのを見ると,彼女は私たちのところに小さなホットドック と椅子を持ってやってきた.「さっきのことはすいません」,彼女は言った.「あなたに無礼を はたらくつもりはなかったのですよ」,彼女はそう言って,握手を求めた.ばかばかしい気分 になりながらも,私には彼女と握手する以外に選択肢はなかった.
ハミッドが少し後になってから言った.「おまえがこういうことを経験できてよかったよ.
おまえが言ってた警察署での抗議集会のことは,このコミュニティのメンタリティが理解でき ないと,わかんないんだよ.起きた事件はひどいことだし,俺も賛成はしない.けど,仮に,
さっきの女性がおまえから椅子をひったくろうとして,そのときにおまえが抵抗して,そうす るつもりがなくても彼女を叩いたとしたら,どうなると思う? 彼女は,『あの男がわたしを 叩いた』って言うだろ.自分が椅子を盗もうとしたことは語らない.わかるかい? 人は自分 を守るために必要なことはなんだってするんだ.それでも,俺らにやれることはある.ひとつ は,定期的に対話することのできる場所をつくることだね」28).
ハミッドが話している間に,急激に天候が変わり,小雨が降り始めた.白い民族衣装に身を 包んだアフリカ人男性が,ハミッドの床屋の前に折り畳み式の自分のテーブルを運んできた.
雨を避けるのに適した小さなスペースがあったのだ.彼は,私たちの方を見ることもなく私た ちの目の前でテーブルを設置し,アフリカの民族衣装やTシャツ,アロマ・オイルなどを並 べた.ハミッドはその様子をじっと見守った.「たとえば,あいつが今,そこに自分のテーブ ルをセッティングしようとしてるだろ?」ハミッドは,抑えた声で言った.「普通の人間なら,
他の人の店の前でそんなことはしない.あいつはなんにも言わなかったろ.だけど俺はあいつ に対してどなったりはしない.後で個人的に話しかけて,穏やかに言うんだ.もし俺が騒いで 問題にしたら,[アフリカ人とアフリカ系アメリカ人との間の]緊張関係がひどくなるだろ」. この時の私は,ハミッドがなぜ椅子をめぐるやり取りとアフリカ系移民ムスリムの男性の襲 撃事件とを比較しているのかがわからなかった.私から椅子を取っていった二人のうち,一方 はアフリカ系アメリカ人で,他方はアフリカ人移民だった.襲撃事件においては,実行犯とさ れた「若者たち」は,アフリカ系アメリカ人だった.だがハミッドは,襲撃にはそれ相応の理
由があるという.私が椅子を奪った相手に対してもっと暴力的に抵抗することもできたのと同 様,襲撃した若者たちはアフリカ人移民に応答したのだ,と.襲撃事件に関するハミッドの解 釈がより明確になるのは,もっと後になってからのことだった.
6. 「あれがアフリカ人たちのアフリカ系アメリカ人に対する態度なんだよ」
(エピソード④)――床屋での短いやり取り
ある日,ハミッドと私が彼の床屋で話をしていると,美しいアフリカの衣装に身を包んだア フリカ人女性が店内に入ってきた.彼女は誰かを探しているようだったが,私たちの姿を見て も一言も言葉を発さなかった.「おお! めかしこんでるね! 結婚でもするんかい?」ハ ミッドがおどけて彼女に話しかけた.それは彼がよくやることだった.しばしば彼は,まった く見知らぬ人――多くの場合は女性――に,お世辞の言葉を投げかけ,会話を仕掛けた.ハ ミッド自身がそのことを振り返って述べたことがある.「俺はいつも最後には,誰かしらと会 話してるんだ」.彼と二人で道を歩いているときも,彼はすぐに見知らぬ人に話しかけたし,
その人と立ち止まってしばらく会話することもしばしばだった.そして彼はそれを楽しんでい るようだった.
「そうです」.そのアフリカ人女性は,会話を続けることに関心がなさそうに言った.
「ほんとかよ! いつ?」ハミッドは,会話を続けようと,面白おかしく言い,応答を待っ た.だが,女性はそれには応じず,部屋の中を見渡し,なにも言わぬまま店から出ていこうと した.
ハミッドはあきらめずに再び問いかけた.「シスター! いつ結婚するんだい?」
「明日よ」,女性はいかにも興味なさそうに答えた.
ハミッドは,面白い会話が生まれそうにないと判断したようで,質問を変えた.「メイ(仮 名)を探してるんじゃないの? 彼女に電話をかけましょうか?」メイは,この床屋で働く女 性で,彼女もまたアフリカからの移民ムスリムだった.
「いいえ」,女性は相変わらず無関心な様子で言い,店を出ていった.
その女性が去った後,ハミッドは今起きたことについて振り返った.「あの女性の態度を見 たでしょう?」ハミッドは言った.彼女には見せなかったが,ハミッドは明らかに腹立たしげ だった.「あれがアフリカ人たちのアフリカ系アメリカ人に対する態度なんだよ.事件[先日 の襲撃事件]について理解するには,それをわかってないといけない.彼ら[若者たち]が やったことが正しいとは言わない.だけどこのコミュニティにああいう態度でやってきたら,
彼らがなにをしてくるのか,特に若者たちがなにをしてくるのか,それくらい知らなきゃ.彼 らは侮辱されたって思うだろう.言ってることわかるかい?」
* * *
ハミッドと他のアフリカ人たちとの間になんらかの敵意や恨みが存在することは,間違いの ないことに見える.そしてアフリカ人男性の襲撃事件をめぐるハミッドの見解も,ごく明快な ものであるように思える.アフリカ人男性に対しての若者たちの行ないには賛成しないとしつ つも,それは理由があって起きたことだと彼は述べた.ハミッドにとっては,近年ハーレムに 来て暮らし始めたアフリカ人の多くの「侮辱的な」態度が,対立の背景にあった29). アフリカ人とアフリカ系アメリカ人との間の緊張関係について認識しているのは,ハミッド だけではない.ハーレムに暮らすアフリカ系アメリカ人の多くがそのことを認識し,口に出し てもいる.「116 丁目ストリートの店の内,約 90 パーセントがニューカマーのアフリカ人たち によって所有され,運営されていると言えるでしょうね」,あるアフリカ系アメリカ人の社会 学者が語ったことがある.彼は 116 丁目のアパートメントに長いこと暮らし,ストリートの変 化を見続けてきた研究者である.「アフリカ人の多くがハーレムのこの地区にやってきて,そ れはすでにここに住んでいた人々を追いだすことなく起きているんです.だから一種の文化の 衝突のようなものが起きていると言えます.……そして双方の間には多くの敵意が存在しま す」.アフリカ人の主に通うモスクとアフリカ系アメリカ人のモスクの間には,相互理解のた めの取り組みが存在する.だが,アフリカ人とアフリカ系アメリカ人の関係に横たわる一般的 な雰囲気は敵意だと,多くの人々が指摘する.そして,敵意がはっきりと発話されるときに,
服装や外見,言語といった要素が引き合いに出される.
7. 「奴らがあんたの友だちだなんて一秒たりとも思うなよ」(エピソード⑤)
――例外的モーメントと仲裁――「あいつ[イマーム]が 奴らにひどいことを言うんだよ」(エピソード⑥)
抗議集会から約 4 カ月後のことだった.私はコロンビア大学のキャンパスを通り抜け,ハ ミッドの床屋に向けて 116 丁目ストリートを歩いていた.到着するとアフリカ人移民のひとり の女性が,椅子に腰かけていた.私が挨拶しても,彼女はそれには応えない.私は床屋の奥に 設置された小さなオフィス用の部屋に行き,ハミッドに挨拶をした.ハミッドによると,その 女性は,店で美容師として働くアフリカ人のメイを探しているという.しばらく後にハミッド は,その女性と私に果物を分けてくれた.女性は英語が話せないようだったが,なにも言わず に,そして表情も変えずに渡されたオレンジを食べ始めた.そうしていると,メイの姪である マリアムが店の前を通り過ぎていった.ハミッドはそれを見ると,彼女に話しかけるために突 然外に向かって走りだしていった.数分後にハミッドは戻り,マリアムにメイはどこかと訊い てきたが知らないようだと言った.店の女性はあきらめた様子で,その場を立ち去ろうとして いる.「彼女[メイ]の家に行って,彼女がどこにいるか訊いてきてあげましょうか?」ハ
ミッドは女性が理解できるようにゆっくりと質問した.
「いいえ」,女性は小さな声で言い,その場を立ち去った.女性が去ると,店に残ったのはハ ミッドと私だけだった.ハミッドが今起きたばかりのことを振り返る.「俺がなにをしたか見 ただろ? 俺はあの女のために彼女ら[メイやマリアム]をつかまえようとしただろ? メイ の住んでるとこまで行って,『誰かがあんたのことを探してるよ』と言ってやるのは俺だけな んだ.そういうのを弱さだって捉える人もいる.俺にとってはそれは親切心だ.だから俺はい つもメイに言うんだ.『奴らはあんたに微笑みかけるかもしれない.けど,奴らがあんたの友 だちだなんて一秒たりとも思うなよ』ってね.たちの悪いことをいくつも見てきたよ.彼女が いない間に,奴らが全部彼女のせいにしたりね.彼女が出ていった瞬間,奴らは彼女の悪口を 言うんだ.それは奴隷根性だよ」.
「『奴ら』ってどういう意味? 誰のこと?」私は訊ねた.ハミッドが『奴ら』と呼ぶ者が誰 なのか,単純にわからなかったのだ.
「店にいる連中だよ!」ハミッドは,あたかも私の質問が的外れであるかのような表情で,
即答した.
この時点ではメイが店で働く唯一のアフリカ人美容師であることを知らなかった私は,見当 違いな質問を続けた.「それはアフリカン・アメリカンかアフリカンかを問わずに,というこ と?」ハミッドがここで「奴ら」と言う際に念頭に置いているのが,アフリカ系アメリカ人な のかアフリカ人なのかを私は訊ねようとしていた.
ハミッドは混乱しているように見えた.私の質問について少し考えた後に,彼はゆっくりと 言った.「そうじゃなくて,俺が言ってるのはアフリカン・アメリカンのことだよ.奴らが奴 隷根性を持ってるんだ.メイはこの店で唯一のアフリカンなんだ」.
「そうか.それは知らなかった」.
「そう.だから俺はメイに言うんだ,『傷つけようと思って言ってるんじゃないんだ.けど,
気をつけなくちゃいけない.奴らはあんたに微笑みかけるかもしれないけど,奴らが友だちだ なんて少しも思うなよ』って.そうやって彼女に言ってるんだ.」
そうしているうちにメイが店にやってきた.店に入ってくるなり,彼女はジハード(仮名)
についての不平を勢いよく語り始めた.「あの人は私に電話してきて,お金を請求してくるん ですよ.いろんなところで私を探して,私の家にまで来ました.ムスリムだったら,そういう ことはしてはいけないはずです.そういう風にして探しまわれば,人はみんな『ジハードがあ なたのことを探してたよ』って言うでしょ.あの人は狂ってる」.メイは,人々の間にジハード
(アフリカ系アメリカ人ムスリム)と彼女についての噂が広がるのを心配していた.そして,
アフリカ系アメリカ人とアフリカ人との差異を何度も強調し,アフリカ人に対する憤りを口に していたハミッドが,今は静かにアフリカ人女性の言葉に耳を傾けていた.
メイはハミッドの友人であり同僚でもある人物についての不平を言い終えると,今度はハ ミッドに,結婚はしているのか,子どもはいるのかなど,個人的な質問を投げかけ始めた.ハ ミッドは最初のうち,それほどまじめには質問に答えず,冗談を言ったり,ごまかしたりして いた.だが,メイが同じ質問を繰り返すと,少しずつ答え始めた.「ヴァージニア州にひとり 妻がいるよ」,ハミッドはふざけた調子で言った.「それからアップステイト[ニューヨーク州 のアップステイト]にひとり,アップタウン[ハーレム]にもひとりね」.実際彼は三度の結 婚を経験し,そのうち二人とは離婚,最後の一人とは離婚協議中だった.
「彼女たちのことはもう愛してないのよね?」メイが訊ねた.
「みんな愛してるよ」,ハミッドが叫ぶ.
「そんなこと不可能よ」とメイは和やかに反論する.「一度に一人しか愛せないはずでしょ.
別れた後は,ただ好きっていうだけでしょ」.
「いいや,みんなのことを愛してるよ」,ハミッドは考え込むことなく静かに言った.
「なぜあなたにこんなこと訊いてるかわかる?」メイは続けた.「自分の夫を愛せないから よ.彼のことは好きではある.けど愛してない.なんとか彼との関係を元に戻したいと思うけ ど,彼のことを愛せないの」.そしてメイは,夫との関係でいかに自分が低く屈辱的な位置に あり,それに耐えなければならないかを語った.夫から受ける無礼な扱いに本当に嫌気がさし ているという口調だった.「あなたは思いやりのある人よ」,彼女はハミッドに言った.「あな たは人と話をすることができる.時には私があなたに向かってひどいことを言うこともある.
だけど次の日にはまた私たちは話すことができるでしょ?」メイがハミッドのことを褒めるの を耳にするのは初めてだった.ハミッドとメイの間のコミュニケーションがほとんどないこと に気づいていた私は,彼らは互いのことが好きではないのだろうと考えていた.このやり取り 以前にも彼らが口をきくことはあったが,二人の間のやり取りは,非友好的とまでは言わない までも,些細なものにとどまっていた.
「俺が妻と祈るときには横並びになってするって言ってたの,憶えてるかい?」ハミッドが メイの言葉を受けて続けた.「俺らは横並びになって礼拝するんだ.身を引いて俺の後ろに立 とうとする女性には耐えられないんだ.自分でそういう位置に屈する女性が耐えられない.そ ういう人からはなにも学べないだろ?」ハミッドは注意深く言葉を選びとるように,ゆっくり とした口調で,しかしきっぱりと言った.「言わせてくれ.そんな人は妻じゃない.奴隷だ よ」.
「ありがとう,その通りよ!」メイは大きく肯いてそう言った.「あなたも知ってるように,
私は働いて自分の国にお金を送るためにここにいるのよ.私のところに来て,言い寄ってくる 男たちもいる.なに考えてるんだか.男の人を探すためにここにいるわけじゃない.自分の国 に帰れば男はたくさんいる.私は仕事をするためにここにいるの.高い服を買う人たちもい
る.私の場合は,125 丁目ストリートに行って,10 ドルのパンツを買う.『メイ,あんたの容 姿すてきね』って言う人もいる.けど私は気にしてない」.メイはいつもジーンズにシャツとい う姿で店に立っていた.彼女が,ハミッドの言う「アフリカの服」を身に着けているのを,私 は見たことがなかった.ハミッドの床屋で見かけるときには,常にカジュアルな服装をしてい た.やがてメイは店の外に出ていくと,フレンチ・トーストのようなスナックを手にして戻 り,私たちにそれを振る舞ってくれた.そして,自分が料理するときにはハミッドと私に声を かけるので,今度一緒に食べようと誘ってくれた.
* * *
ハミッドは 116 丁目ストリートにおいて,アフリカ人ムスリムについて述べている否定的な 解釈に反して,実際にはアフリカ系アメリカ人とアフリカ人移民との間を仲裁する(mediate)
役割を果たしている.言語的範疇の力を越えるなにかがここにはある.もちろんこのようなな にかが存在することは,ハミッドとメイとの間の,あるいは彼らの「帰属する」民族集団間の 衝突が解消したり,消え去ったりすることを意味しない.そしてもちろん私には,ハミッドの 仲裁を理想化しようとする意図はない.しかし,上のエピソードは言語的範疇の持つ構造化の 力に対抗する所作の存在をほのめかしているように思える.
上のエピソードはまた,差別や衝突にかかわる概念に認識論的な疑問を突き付けてもいる.
多くの構築主義者が繰り返し述べてきたように,差別や衝突,そして差異は,歴史・社会・文 化的に構築される.この捉え方の浸透において決定的な役割を果たしたミシェル・フーコー は,言説が単に言葉の集合ではなく,それが言及する対象を分類し構成する実践であること に,注意を喚起する30).そして,多くの人類学者や言説分析家がこの伝統を受け継いだうえ で,語りや言説,日常的実践における権力の分析に課題の力点を移していく31).だが,表象 や言説の力,各種の実践におけるその影響力は認めるとしても,語りや言説が言及するその対 象と諸関係を決定的に形づくることに失敗するような「例外的な」モーメントは,多くの構築 主義者たちによって見過ごされてきたように見える.また,言説や語りの実践が,人の行為を 規定し,時に決定づけるという,一部の構築主義者たちの構築する暗黙の前提は,フィールド に繰り返し立ちかえり,構築物とその諸関係の一枚岩ではない多種多様性と複雑性を考慮に入 れるとき,到底納得のいくものではない.言表の持つ表象力が人の行動に影響を与える可能性 を考慮することと,表象力が人の行動を同じような仕方で常に規定し,直接的に作用すると前 提することとは同じではない.
少し異なった角度から同じ問題を検討したヴァレンタイン・ダニエルは,短くしかし示唆に 富むやり方で,「一部の構築主義者の気質が,彼らの批判する民族隔離主義(ethnicism),人 種隔離主義(racism),文化隔離主義(culturalism)の内に働く本質化しようとする衝動に気 味の悪いほど似ている」と指摘する32).そして,構築主義者たちが彼らの考える「本質主義