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井戸と暴力―村上春樹文学における他者への想像力について―

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Academic year: 2021

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録のなかに見出せる。三保元訳『レーモン・アロン 回想録 1政治の誘惑』『2知識人としての歳月』み すず書房、1999 年。特に2、681-707 頁を参照。 また、以下の文献も回想録をもとにアロンのクラウ ゼ ヴ ィ ッ ツ 研 究 の 意 図 を 解 釈 し て い る 。Jon Tetsuro Sumida, Decoding Clausewitz: A New Approach to On War, Kansas 2008, pp.37-38; Murielle Cozette, Reading Clausewitz: Raymond Aron’s Interpretation of On War, in Andreas Herberg-Rothe, Jan Willem Honig, Daniel Moran(ed.), Clausewitz: The State and War, Stuttgart 2011, pp.109-127. 14 ヘルベルト・ロジンスキー「『序言』及び『手記』 に照らして見たクラウゼヴィッツの著作『戦争論』 の発展」オットー・ヒンツェ、ヘルベルト・ロジン スキー、エーベルハルト・ケッセル、新庄宗雅訳『ク ラウゼヴィッツ研究論文選』私家版、83-101 頁。 15 『レーモン・アロン回想録1』181 頁、184-185 頁。

16 Raymond Aron, Penser la guerre, Clausewitz, 1. L'âge Européen, gallimard 1976 ; 2. L'âge planétaire, gallimard 1976.邦訳は仏語原本の二巻 目のみ。レイモン・アロン、佐藤毅夫・中村五雄訳 『戦争を考える クラウゼヴィッツと現代の戦略』 政治広報センター、1978 年。 17 アロン『戦争を考える』1-57 頁。 18 アロン『戦争を考える』7-8 頁。 19 アロン『戦争を考える』329-338 頁。Cozette, Reading Clausewitz, pp.115-123. 20 ドイツ語、英語でも翻訳がなされており、参照 されている。Aron, Clausewitz. Den Krieg denken, Frankfurt a. M. 1980; Aron, Clausewitz.

Philosopher of War, London 1983.

21 Carl von Clausewitz, Michael Howard and Peter Paret(ed. and trans.), On War, Princeton 1976.

22 たとえば、Honig, Clausewitz’s On War, in: Clausewitz in the Twenty-First Century, pp.57-73 では、パレットとハワードの翻訳に敬意 を払いつつも、翻訳に伴う解釈の問題性を批判して いる。

23 Carl von Clausezitz, Ulrich Marwedel(Hg.), Vom Kriege: Auswahl, Stuttgart(Reclam) 1980. 24 なお、クラウゼヴィッツ解釈をめぐる議論でも、 パレットとハワードの主張は再検討される傾向に ある。Sumida, Decoding Clausewitz, pp.50-64. 25 ウィリアムソン・マーレー、大井知範訳「コン ピューター時代のクラウゼヴィッツ」『クラウゼヴ ィッツと「戦争論」』339-354 頁。 26 「摩擦」への言及はクラウゼヴィッツ解釈のな かで伝統的に行われているものであり、第二次世界 大戦以前からある。また、ハールヴェークも言及し ている。Hahlweg, Clausewitz, S.92-93. 27 ピーター・パレット、白須英子訳『クラウゼヴ ィッツ 「戦争論」の誕生』中公文庫、1991 年。 28 コンパクトにまとめられた総合的評伝のなかに もその特徴ははっきりとみられる。Peter Paret (ed.), Makers of Modern Strategy: From Machi- avelli to the Nuclear Age, Princeton 1986, pp. 186-213.ピーター・パレット編、防衛大学校「戦争・ 戦略の変遷」研究会訳『現代戦略思想の系譜 マキ ャヴェリから核時代まで』ダイヤモンド社、1989 年、167-192 頁。

29 Sumida, Decoding Clausewitz, pp.50. 30 Robert Hepp, Der harmlose Clausewitz (I): Kritische Bemerkungen zu einem deutschen, englischen und französischen Beitrag zur Clausewitz-Renaissance, in: Zeitschrift für Politik, V.25, N.3(1978), S.303-318, Robert Hepp, Der harmlose Clausewitz (II): Kritische

Bemerkungen zu einem deutschen, englischen und französischen Beitrag zur Clausewitz- Renaissance, in: Zeitschrift für Politik, V.25, N.4 (1978), S.390-429.

31 Wilhelm von Schramm, Clausewitz: Genral und Philosoph, München 1976.

32 Hepp, Der harmlose Clausewitz (I), S.312, 316, 318. 33 『レーモン・アロン回想録2』699 頁。 34 『レーモン・アロン回想録2』707 頁。 35 クラウゼヴィッツ以前に着目した講義として、 ミシェル・フーコー、石田英敬・小野正嗣訳『社会 は防衛しなければならない コレージュ・ド・フラ ンス講義 一九七五-七六年度』筑摩書房、2007 年。松葉祥一「歴史・人種・権力 フーコーによる ブーランヴィリエの戦争論」『現代思想』Vol.31-16、 青土社、2003 年、172-183 頁。重田園江「戦争と しての政治 一九七六年講義」同上、184-205 頁。 36 ホーニヒ「クラウゼヴィッツと現代戦略思考の 危機」『クラウゼヴィッツと戦争論』305-308, 318 頁。

37 Sumida, Decoding Clausewitz は全体的な再解 釈の試みとして興味深い例である。

井戸と暴力

―村上春樹文学における他者への想像力について―

福 島 祥一郎

The Well and Violence:

Of Imagination for the Other in Haruki Murakami’s Works―

FUKUSHIMA Shoichiro

Abstract

In the early-1990s, while living and writing in the US, Haruki Murakami started feeling more socially responsible and, accordingly, he attempted to change his literary style in The Wind-UpBird Chronicle

(1994-95). Since then, according to many critics, his style has been gradually changing. However, from the viewpoint of epistemology, has his literary style not changed essentially over more than the past quarter-century? In this study, by focusing on the representation of the well in his oeuvres, I discuss the relationship between this epistemological issue and the portrayal of violence in Murakami’s works. キーワード:他者,暴力,村上春樹,『ねじまき鳥クロニクル』

Keywords:the Other, Violence, Haruki Murakami, The Wind-Up Bird Chronicle

1.序

かつて柄谷行人は『日本近代文学の起源』(1980) において、国木田独歩の『忘れえぬ人々』(1898) を取り上げながら、ロマン主義における「風景の発 見」について語った。柄谷によれば、「風景」とは、 強い自意識を持ち、「周囲の外的なものに無関心で あるような内的人間inner man」(28)が自己の「内 面」を自然に対して投影したときにはじめて生まれ てくるものである。もちろん、風景は以前よりそこ にある、、。だが、近代の「内的人間」は、それまで名 所・名勝として顧みられることもなく、ただそこに 存在していた自然の広がりを概念的に転倒し、あた かもそれが意義深く、またその意義深さが「客観的 な対象に存する」(『日本近代文学の起源』313)と 錯覚する。柄谷はそうした逆転現象のことを「転倒」、 あるいは「根本的倒錯」と呼んだ。 その後柄谷は、「村上春樹の「風景」」(1989)と いう小論において、この風景論の基本的な構図を村 上春樹の初期の小説にも見出す。少し長いけれど、 引用する。 国木田独歩がロマン派であるのは、風景を描い たり自然のなかに没入したりするからではな く、そのこと自体をイロニーの意識においてな すからである。(中略)私が「根本的倒錯」と か「悪意」と呼んだのは、このイロニーの意識 のことである。それは、経験的な自己を冷やや かに眺める超越論的自己(意識)である。 この自己意識はけっして傷つかないし敗北 しない。それは経験的な自己や対象を軽蔑して

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