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研究ノート モデルの本質と検証紅ついて 三 木 正 幸 Ⅰ 序

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(1)

研究ノート  

モデルの本質と検証紅ついて  

三  木  正  幸  

Ⅰ 序   

会計学は,その学問的性格として,「実用的」(pr・actical)であるとか,「未だ科学の洗   礼を受けていない幼児」であるとか,しばしば批判を受けることがある。アメリカ会計学   は専門職業人としての会計士のために.i有用な理論的用具として−,つまり会計士会計学と  

して歴史的に発展してきたという事実や,その発展の歴史も半世紀太らずであるという事   実を昇るとき,たしかにこれまでの会計研究ほ実務を合理化するという方法であり,必ず  

しも「科学の方法」紅準拠しですすめられてきたものとはいえなしナであろう。しかし,過   去20年足らずの間を顧みると,この時代は従来の方法とは全く異なった方法で会計理論を   形成しようとした試みや経験科学共通の科学力法論に、立脚して会計理論の構成をはかると   いう試みが数多くなされており,今日みられる方法論的観点からの会計研究の動向は,歴   史上一つの展換期にあると理解しでも差しつかえないであろう。   

本稿は科学的方法にもとづいて会計理論の構築を試みようとしているRobertR.Ster−  

1ing教授の数塗会計論(quantityaccounting)展開の準備的考察として,「会計と会計   システム」の問題,「モデルの本質と検証」′の問題を,同氏の講義資料をもとにして整理   を行なったものである。  

ⅠⅠ会計の目的,方法および会計ジスグムについて   

氏はまず,会計についての全般的な概観を得るために,会計は「何を」(wbat)計算す   るかという議論よりも,むしろ,「何ぜ」(why)計算するか,そしてまた,「如何紅」(bow)  

計算するかというその方法(metIlOd)紅焦点をあでて議論する。   

Accounting(会計)という用語ほ, account〃という用語から派生したものであるが,  

砧accountけ という言葉を日常語として動詞的に用いれば,それは「知らせる」(infoI・m)  

または「説明する」(explain)ということを意味している。また,砧accountfoI・,,という   

(2)

第50巻 第2号  

ー β2−   268  

用語は,辞寄的にほ,「正当な分析または詳細な説明を与え.る」ことを意味している。一   方,砧Accoumt〃という言葉を名詞として用いれば,それは「基本的・説明的な,理由,  

原因,根拠,動機の陳述または解説」を意味している。Accounting という用語もこう   した語源と同様な意味をもっており,それは,ある現蒙に.ついて.の「情報」または「説   明」を与えることを主要な目的とする活動である。会計の最終的な産物としては会計   報告書があり,その報告書の目的は,「知らせる」こと,あるいは「説明する」ことであ  

る。   

会計担当者は情報を収集し,「説明」の準備を行なうために,まず現象を跡づけなけれ   ばならない。そうする際に傭殊な方法が用いられる。かくで,会計を暫定的紅定義すれ   ば,「知らせたり,説明したりするための報薯番を作成するという目的で,ある種の現象   を跡づける方法」である。この定義麿適いて,注意すべき点ぬ現象というよりも,むしろ   現象を跡づける「方法」という点が強調されていることである。通常会計という分野は原   価を跡づけることに関係していると理解されているが,「会計の方法」は価値や数盈ばか   りでなくその他の諸々の事柄を跡づけるためにも使用することが可能である。かくて,会   計は「何を」跡づけるかに.よってではなく,跡づけに利用される「方法」によって区別さ  

れるのである。   

でほ,会封の内包を規定する「方法」とは何か。それは「凌式簿記」である。複式簿記  

ほすべでの会計事象が少なくとも二面的効果を有するととらえる点に,その本質的意味が   あり,有名なエコートン物理学の法則叫すべての作用にほ反対の,しかも,等塩の反作用   があるという法則・一に類似している。例えば,自動車を2,000ドルで購入すれば,買手   は少なくとも1台以上の塞を取得し,2,000ドルの現金が減少する。∴他方,売手は現金   2,000ドル(これは買手の支払った金額と等価)を得て,少なくとも1台以上の自動車が   減少する。つまり,売手,買手相方紅,ニ面的効果がみとめられ,ここに「複式麺記」の   本質的意味が存するといわれている。   

二面的効果は,いろいろの場合に見い出せるから,複式簿記が適用される領域は多い。  

それらの各領域は会計の異なった個別領域(subspeciality)であり,たとえば,経済会計,  

社会会計,財務会計,官庁会計などがしばしば指摘されるところであ、る。これらの個別領   域に・共通する「方法」は会計特有の捗式簿記である。会計を定義する隙に,「方法」に.焦   点を合わせる理由はここ紅ある。複式簿記ほ会計固有の方法であると考えられている。   

複式繹記を膚々の領域紅適用するため紅は,会計担当者は,特定の領域についての一般   

(3)

モデルの本質と検証叱ついて  

ーー 占鳩 −  

269  

的知識をもたなけれはならない。その意味で,会計の領域は,多くの研究領域と議なり合   っているわけである。すなわち,どのような経営体であれ会計システムは常にあるから,  

会計の領域はある程度まで,経済学,管理科学,財務論の分野と重複する。さらに.,これら   の分野とはやや程度は低いものの政治学や化学といった分野とも重複する。例えば,官庁   会計の書物において,政府め行政機構や行政のプロセスに.ついての知識が前提となるの   で,それら紅関する説明が加えられている。会計の重要な目的は情報を提供することであ   るから,会計の領域は情報理論や伝達論とも重複する。会計担当者は.事物を測定サーるか   ら,測定理論の一部は会計に.重要である。会封報告書の心理学的・社会学的影響も極めて  

重要であるので,会計は行動科学の一分野とも重複する。上記の分轟は.な浄血例にしかす  

ぎず,会計の領域は,会計固有の方法と多くの他の領域の部分から構成されているといえ   るわけである。   

複式簿記はどこに.でも見い出せる二面的効果を「モデル」にする方法であり,それは単   純な数学的なモデルあるいは理論である。単純であるということは,理論の価値を損うも   のではなく,むしろ,「単純性」こそ理論の望ましい特性であ卑。「単純性」は「エレガン  

ス」と同義語である。理論が単純に.なればなるはど,科学者は益々それを「エレガント」  

な理論と認めることになる。また,理論が単純であれば,学び易く,操作しやすいものと   なる。たとえば,よく親しまれた劇例として宇宙の天動説と地動説の比較がある。天動説  

(地球中心説)は天体の位置を正確に.説明し,予測したが,この理論は87の周天円の複雑   な集合から成り立っていた。コぺルエクスが天動説を地動説(太陽中心説)でもって取り   換えたのは有名である。コぺルエクスは宇宙の中心として太陽をおき,必要な周天円を87   から17に削減した。コぺルエクスの理論はよりエレガントであったばかりでなく,17の周   天円をもつ理論は87の周天円をもつ理論より,はるかにり学び易く,操作しやすいので実   際的であった。   

禎式簿記のモデルは,たん紅美的側面からのみではなく,実際的な理由から,歴史上多   くの人々によって称賛されてきた。たとえば,詩人のゲ−テほ,「複式簿記は人間の知性   の中で最も美しい発見の一つである」とし,マりックス代数の創始者ケ−レイは.ユ 

リッドの比率の理論と対比し七,「ニつの完全な科学のうちの一つ」と呼び,さら紅,著名  

な社会学着であり歴史家であろゾンバルトはガリレオやチユ.・−トンの体系と同様な真髄を  なす「現象をヱ・レガントな体系に.秩序づける方法」であると述べている。また,歴史家の  

スぺングラ−は「パチョ−リ・−(会計の最初の書物の著者)ほ躊躇なく同時代のコロンプ   

(4)

欝50巻 第2号   270  

−− 8虻 −  

スやコぺルニクスと同様に位置づけられてよい」と述べている。複式簿記の重要性を,ガ   リレオ,ニュ−−トン,コロンブス,コぺルニクスなどと結びつけてとりあげることは,お   そ・らく誇張であろう。しかし,多くの学者は拶式箔記が重要な発見であったことほ認めて  

いる。複式簿記が上記の人々と同じように重要であるか否かという問題は,我々の関心で   ほない。   

これまで述べた事柄を要約しておこう。すべての会計システム紅共通している点は,「複   式蒋記の方法」を使用するということである。複式簿記の適用ほいたるところで見い出せ   るが,「金融の領域」はこの捗式簿記特有の方法と各々の個別領域の部分から成り立ってい   る。複式簿記は二面的効果を「モデル」にする方法であり,・そ・れは.,エレガントという意   味で尊純な方法である。挙純化は学び易く操作し易ぐする。これまで多くの歴史家は複式   簿記の発見を西欧文明の発展における重要な出来事として位置づけてきたし,複式簿記が   今日広く用いられ,多くの分野に.適用されていることは,複式簿記の重要性を論証するも  

のといえる。   

つぎに.,「会計システム」に/ついて定義を与えている。氏紅よれば,「会計システム」と   は,複式簿記の具体的適用であり,実在界におけるある種の属性の複写であると定義す   る。模型の飛行機は現実に存在している飛行機のある属性を複写したものであり,プラネ   タリクムほ天体のある属性を複写したものであるのと同様に,会計システムは経験システ   ムのある種の属性を記号によって表わした複写といえる。   

「モデル」は経験レステムのあらゆる属性が必ずしも完全に竣写されているのでほない   という意味で「抽象化」である。会計レスデムほ経験システムのある種の属性のみが複写   されているに.過ぎないので,かかる意味で会計システムはやはり「抽象化」である。それ  

では,会計レステムというモデルに.はどのような属性が複写されるのであろうか。そ・れほ   我々が何に関心をもち,何を必要としているかに.依存する。つまり,経験システムの範囲と   属性は、モデルの利用者の関心とこ一−ズによっで規定されるわけである。一このことほ,通   常,目的適合性の基準と称され卑。たとえば,石油会社の・エ=ンジュアほ石油のストックと   フロ−が目的適合的であるが,貨幣のストックとフロ・−は目的適合的ではない。しかし,  

金融業者にとっては,その道である。会計システムの設計紅海いてまず考慮すべき点は目   的適合性の基準であり,との基準こそが複写される経験システムの範囲と属性を規定して  

くるのである◇   

会計の目的は経験現象についての「情報」と「説明」を与えることである。この情報と   

(5)

モデルの本質と検証について   − β5 −l   271  

説明を与えるために,会計担当者は現象を跡づけたり,あるいは現象を「モデル」にしな   ければならない。会計担当者は現象を跡づける際に,拶式簿記を用いる。模式簿記ほ,経   験現象をモデルにする単純な方法である。会計システムは儀式簿記の特別な適用である。  

かくして,会計システムは特別な経験システムのモデルあるいは複写であり,我々がモデ   ルにするために選択するそのレスデムの属性ほ,我々の関心とニ−ズ,つまり,モデルの   利用者把.とって何が目的適合的であるかということ紅依存しているのである。  

ⅠⅠⅠモデルの本質と検証   

これまで我々.は,後式簿記がある種の経験現象を右デルに.する方法であり,会計システ   ムはある特別な経験システムのモデルであるという氏の主張を跡づけてきたが,つぎに,  

十般にモデルはいかなる目的を有し,どのように.して検証されるかについての氏の論述を  

展開してみよう。これほ氏が会計モデルや会計レステムの議論を行なうための準備として   とりあげているものである。  

(1)モデルの目的:説明と予測   

モデルは−体「何のために」構成されるか。それは,一口で云えば,経験現象を説明   し,予測するためである。経験現象を説明し,予測することは膿般に科学の目的である。  

つまり,科学の主たる目的は経験現象を記述すること以外紅,経験現象の説明や予測を可   能ならしめる一般原理を法則や理論を通じて確立することである。多くの科学者や科学哲   学者は目的を議論するさいに.,「aCCOuntfor」や「accolユntOf」という用語を使用して   いるがCawsは「科学的説明」を,「一般法則が作用する現実の条件のもとで,この法則   を参照することに.よって,特殊な出来事を説明すること,またほ,より−般的な原理を参   照して法則の説明をすることである」と定義している。 accountof や accountfo;・   

という用語ほこれらの文脈でほ科学的説明と同義語として用いられている。モデル紅よっ   て,我々は,概念的に,観察された経験現象から未だ観察されない経験の予測へ,すなわ   ち,既知の経験的事実から未知の経験的事実の予測へと移行する。つぎの図ほ,これらの   関係を示している。  

論理的レベル lインプットト→l論理凝  

→】_アクトプリ   

経験的レベル  

(6)

第50巻 貸2号  

− β6 −   272   

経験的レベルで行なわれた観察や測定ほモデルにインプットされ,それ紅論理操作や演   算が加えられて,論理的レベルでアウトプットを得る。こ.のアウトプットは再び経験的レ  

ベルに返って言及するように.意図されている。また,このアウトプットほ,我々に.観察を   予期せしめるようにも意図されている。たとえば,.ユ−クリッド幾何学は測定された属性  

から未だ測定されてノいない属性へと概念的移行を可能とさせる平面上のモデルである。人   々によく親しまれているピタゴラスの定理ゐニ(が+が)舛は,独立変数α,∂をインプット  

し,それを論理操作もしくは演算(2乗,合計,ル−トの開平)を加え,従属変数カを得   る。このピタゴラスの定理は.論理的レベルにおいてもっぱら記述されて.いる一般形式であ   る。インプッ=も 具体的事例においては,測定の結果得られ,これを公式にあてはめる   ことに.よって,斜辺の長さを予測することができる。もし,本箱に.斜めの支え.を取り付け   ようとすれば,本箱の縦横の各辺を測定し,その測定値を上記の一般的公式に.あてはめる   ことによって,その支えの必要な長さを予測することができる。もし,2辺が3フイ・−ト  

と4フィートの長さであれは,ん=(32+42)拓となり,これに論理操作を加えると,カ迂5  

となる。かくて,我々ほ測定された経験現象(α=3,∂竺4)から,未だ測定されて∨、な   い経験現象(カ=5)の予測へと概念的に.移行したのである。   

日常的紅ほ,「予測」という用語は通常未来の状態紅ついで述べるが,科学的な用語法で   は状態の時制がいつであるかに関わりなく,未知の状態について−述べるのである。かくで,  

「予測」とは未来ほかりでなく,過去,現在に関しても述べることである。上記の本箱の   例では,予測は現在の状態について:述べられている。つLまり,水箱は現在存在しているが  

対角線の長さが未知である。そこでその長さは5フイ一卜であると予測された。  

ここセ,「説明」と「予測」の関係であるが,説明のプロセスは予測のプロセスとは逆   行する。予測に.おいては,インプットを観察し,それからアウトプットを推論するので,  

「もし〜ならば,〜である」(if〜tb畠n)の形式をとる。これに対し,説明ではアウトプッ   トを観察し,それからインプットを推論するので,「それは〜である。..なぜなら〜だから   である」(Y because X)の形式をとる。以下の例は,予測と説明紅おける形式を対此し   ている。  

く予 測■>   

もし,α=3,∂=4ならばカ=5と   なる。   

もし,賃金が上れば,物価は上昇す  

<説 明>  

カ=5である。なぜなら,α=3,  

∂=4。であるからである。  

物価は上昇した。その理由は賃金   

(7)

− β7 − 

モデルの本質と検証紅ついて  

273  

るであろう。   が上ったからである。   

もし,あなたは足をぬらすと風邪を   あなたは風邪をひいている0なぜなら,   

ひくだろう。   あなたは足をぬらしたからである。  

予測と説明ほこのように逆行したプロセスをとっている。しかし,⊥般に「予測」ほ「説   明」を意味している。我々ほこ㍉わ=5、とか「あなたほ風邪をひいている.」とかのある経   験的事実を観察して,それからその経験的状態を予測させることを可能とした陳述文  

(statement)を探索している。予測又はインプソトもしくほ「先件」を含み,その先件   を述べることがアウトプットもしくは「後件」の説明である。   

もちろん,こうした「説呪Jの理解についてほ不満をもつ人もあろう。しかし,その場   合,不満は特定の学問領域の範疇外の問いに根ざす場合が多い。先の例に即していえば,  

もしある人が,「なぜゐ=5なのか」と問うとき,ピタプラスの定陛でなされる記号の関係   以上の何かを探究しようとしているかもしれない。しかし,α=3,∂=4ならば, 

となるというのは,.ユ−クリッド幾何学の範疇内で利用できる唯一・の説明である。もし  

「何ぜAはろ=5の本箱の支えにしたか」の問いであれば,これは.エークツッド幾何学の   モデルでは解答できず,たとえば,心理学の説明によらなければなるまい。明らか紅,心   理学の説明ほ心理学のモデルを必要とする。・それゆえ,心理学的説明をなすために,幾何  

学のモデル紅期待をかけるということは不合理である。たとえ,どれはど多くの説明がな   されようとも,我々はなお「何ぜ」という問いを常に発することができる。たしか紅,  

高度に発展した学問領域においては,「なぜならば」という理由を多数提示することが可能  

であろう。しか㌧,その理由の数はなお「何ぜ」という問いの数よりも常に少ない。我々   がこれまで述べた「説明」に対して,科学者も決して満足してはおらず,科学者はよりよ   い説明を求めて,「何ぜ.」という問いを常に問い続けているのである。かくして,上記のよ  

うな説明に不満足な人がいれば,その人ほ科学的好奇心が健全であるという託となるだろ   う。しかし,注意されるペき点は,いかなるモデルであれ,あらゆることを説明できない   し,またあらゆることを説明しようとも意図していないということである。あらゆるモデ   ルは経験的領域に限定されている。幾何学上のモデルが心理的動機を説明しえないよいう   事実は幾何学モデルの正当な批判ではない。   

要するに,モデルの目的は経験現象を説明し予測することである。予測に.おいては,ま   ずある先行条件が観察され,そ・して論理操作が加えられて,モデルほ概念的に.ある結果の   

(8)

第50巻 第2号  

ー ββ 一  

274  

予測を可能ならしめる方向へと移行す−る。これに対し,説明においてほ,まずある結果が   観察され,そして論理操作に.よって先行条件の予測へと,モデルは概念的に移行する。か  

くして,モデルは異なった経験的事実を結合させ,ある事実の集合から,他め事実の集合   へと概念的移行を可能にさせる。   

会計システムは経験システムをある種の観点からとらえたモデルである。このことか   ら,モデルの目的は,経験現象を説明し,予測することである。このことは,会計システ   ムを通じて,我々ほある経験的事実の集合から,他の経験的事実の集合の期待へと概念的   に.移行できるということを意味する。  

(2)モデルの経験的テスト   

モデルの目的は経験現象の説明と予測であるから,モデルの究極的なテストはそのモデ   ルがどれはど十分に説明と予測を行ないうるかということである。こ.のテストを「経験的  

テスト」と称する。モデルを経験的紅テストする過程は,経験現象を別個に血走し,それ   をモデルの予測と比較することで串る。前節で,本箱の長さは5フイ・−トと予測された。  

もし本箱の対角線に.沿って巻尺が置かれると,別個ゐ測定値が得られる。別個の測定値を   旦,モデルの予測値をカで表わせば,カ=旦かという問題である。もし,カ=Aならば,  

「個別的な予測」(individualprediction)ほ「経験的に検証された」と言われる。もし,  

ゐ≠&ならばiそのモデルが「経験的に反証された」と言われる0   

ここにおける両者の相異点ほ,そあモデルがあらゆる直角三角形の斜辺紅ついて述べる   ことを意図して小ないという点紅ある。もし,カ≠旦となる直角三角形の斜辺が発見されれ  

ば,そのモデルは反証されるのである。一方,ゐ=互である一つの事例の発見は,あらゆ   る事例に.おいてカ=互であるということを保証するものではない。事実,1,000回カ=旦   であり,1,000,000回カ=互であ′っても,そのモデルが,あらゆる場合紅簸であることを  

保証するものではない。   

モデルは経験現象の「説明」と「予測」のための装置である。予測は,未だ観察されて   いない経験現象について述べるのであって,すでに観察されてしまった経験現象を予測し   ても意味はない。‖かくして,モデルは常に未だ観察されない経験現象について述べるので  

あり, 

ての白鳥ほ白い」という陳述文咋.,未だ観察されない鳥の色を予測するさいに用いること   ができる。  

公   理:すべての白鳥は白い。   

(9)

モデルの本質と検証について 

− β9 −  

275  

インプット:ぺネローぺほ白鳥である。  

アウトプット:ぺネローぺは白い。  

もし,未だ観察されない白鳥が存在すれば,先の陳述文は白鳥の色を予測するの紅有用で   ある。しかし,未だ観察されない白鳥が存在する限り,白くない白鳥が発見される可能性   もある。もし,白くない白鳥が発見されれは,先の「すべての白鳥ほ白い」という命題   は,偽となる。これとは対照的に,たとえ,いか紅多くの白鳥が観察されようと,いか匠  多くの個別的な予測が経験的に.検証されようとも,「すべての白鳥は白い」という陳述又  

は,なお未だ観察されない白鳥に.ついて述べているのである。それゆえ,その陳述又は,  

完全に磯証されていない。同様なことは,ピタゴラスの定理に・もあて−はまる。定理に・よれ   ば,「すべての直角三角形の斜辺の長さは,他のこ辺の二乗の合計の平方根紅等しい」と   いうことである。インプットは,「こ:の本箱は3フイ−トと4フィートをこ遡とする直角   三角形である.」という命題である。かくして,斜辺の長さの計算ほ,白鳥の色の予測と同じ   プロセスをとる↓,同時に,同じ限界をもって.Lいる。つまり,定理は未だ観察されないい  

ぐつかの三角形を含むすべての三角形に.ついて述べている。それゆえ;モデルほ完全紅は   検証されていない。   

モデルを完全に.検証するための能力不足ほ,ひるがえってモデルを故意軋反証せしめる   ということを科学者に引き起すものである。科学者は,さらに,1,000回の事例の検証を行   なっても,特定のモデルの正確性を証明するものでほないということを知っている。かか  

る理由で,科学者はモデルむ荒っばい「反証」のテスト紅かけ,つまり,科学者ほ故意に 

反証を求める。もし,反対の事例が発見できなければ,すなわち,もし反証できなけれ   ば,モデルは「真」として受け入れられる。そうした場合に.,大姓把紅いえは,特定のモ   デルが,「検証された」,あるいは,そのモデルが,「十分検証されている」としばしばいわ   れるのである。しかしながら,その意味するところほ,ヰデルが反証されて−いないという  

ことである。いいかえれば,多くの予測が経験的テストを経ており,かつ;これまでにそ   れらの予測のどれも偽であると判明していないという理由から,我々がその特定のモデル   に対して自信をもっているということを意味している。   

いかなるモデルも,あらゆる経験現象には適用できない。モデ?レが適用できる現象は,  

「経験的領域」と称される。明らかに,モデルの領坂は,検証される前に明示されていな  

ければならない。しかし,我々はしばしばモデルの境界領域について不確かである。経験   的テスト,とりわけ,反対事例の探究は領域の限界を定義するの紅しばしば役立つ。モデ   

(10)

算50巻 第2号  

276  

一 夕♂ 一−  

ルをテストする際紅,ある適用においてほモデルが偽と判明し,別の適用紅際してほ,偽   であることが判明しない場合もある。こうした事態が生じれば,モデルの領域を示すため   に.,モデルに修正が加えられる。たとえば,黒い白鳥がオー・ストテリアで発見されれほ,  

「すべての白鳥は白い」という陳述は反証される(美麻,オーストラリアで黒い白鳥が発   見されたので,その命題ほ反証された)。しかし,「■すべての白鳥は白い」という陳述は,  

「ヨ−・ロツパのすぺでの白鳥は白い」に.修正され,我々の知る限り,この陳述は顔となる   のである。かくして,その陳述の領域が「すべての白鳥」から,「ヨーロッパのすぺての白  

鳥」に.限定される。ユ−クリッド歩何学ほ平面上の領域に限定されているので,球面上   で,カ≠互を示すことは容易である。モデルが反証された場合,そのモデルが無視される  

ということを必ずしも意味するものではない。反証に.よって,モデルの領域は従来の思考   よりも限定されてくるので,それを示すため紅,モデルの修正となるのである。   

個別的な予測は経験的検証の回数が多くなればなるほど,我々はそのモデルの提起する   予測に.対して,多大の自信をもつことになる。・ユ・−クリッFr幾何学の予測は経験的紅何回  

も検証されているから,我々はそのモデルに対して大きな自信をもっている。我々のその   自信は余りに.も大きいので,α=3,∂〒4ならば,カ=5紅なるということを,あらため   て別個に測定して検証しなぐても,経験的に正しいものとして受け入れている。一方,我   々がそれほどまでに自信をもてないモデルもたくさんある。つまり,右うし牢モデルは,  

ユ・−クリッド幾何学はど十分に検証されていない。我々は望ましい自信を得るぺく,ある   いはモデルの予測が偽であるとわかれば,そのモデルを拒否し,または,修正するぺく,  

絶えずモデルの個別的予測を経験的テスト紅かけているのである。新しいモデルが提案さ   れると,経験的テストが活動の中心に.おかれる。あるモデルが新しい領域に移行すると,  

異なった科学者が同じ現象に.ついて,異なったモデルを提案しがちである。ノその場合,和   学著聞の議論はどのモデルが正しいかということに関してなされる。そして,そうした議   論はモデルを経験的テスト紅かけること紅よって,判定を下されるのである。やや小説的   モはあるが,しガリレオがピサの斜塔で行なったといわれている実例を考えてみよう。ガリ   レオほ物体の自由落下のモデルとして,  

(  

dG=距離   g=引力定数  

≠=経過時間  

♂G=g′2  

を提唱した。つまり,ガリレオのモデルは物体が長時間落下すればするほど速くなるとい   

(11)

ー9ユ ー   モデルの本質と検証濫ついて:  

277  

う加速運動のモデルである。今かりに,S氏がつぎのように,物体ほ同じ速度で落下する   というモデルを提案したと仮定する。   

・∫ ソ・  

このモデル紅関して,どれはど多くの人々がS氏の立場に.立とうと,あるいは,S氏の議   論がどれほど巧みであろうと,ポールが落され,その距離が測定され,旦=dGであり,  

旦≠dざと判明すれば,議論はガリレオーのモデルに・賛成し決着がつく。顧みれば,ガリレ   オのモデルは非常に単純である。しかし,亘れでいて,そのモデルについての議論を論理   でもって決着をつけようとした多くの人々がいた。そうした人々は,どのモデルが正しい  

かということに.ついで議論したものである。しかし,問題ほそうした議論が原則としで議  

論によっては解決できないということである。それは経験的な問題つまり事実の問題であ   って−,そのような問題は観察紅よってのみ,決着がつけられるのである。かくして,原則   はつざのように明白である。すなわち,「モデルは,そのモデルが予測した結果と,別個の   測定とが比較されて,≒経験的もに検証されなければならない」ということである。   

過去何年に.もわたって二,会計上多くの議論がなされてきたが,今後,会計が進歩すると   き,とりわけ,会計が新しい領域に適用されるとき,従来よりもさらに多くの議論がなさ   れることは.疑う余地がない。不幸にも,科学−般に.おけると同様紅,会計においても経験   的問題がしばしば論理的問題と混同されてせた。我々は事実の問題を議論紅よって−解決し  

ようと努力して失敗を重ねてきた。会計システムほ経験レスチムのモデルであるから,会   計の究極的なテストは経験現象を別個に測定し,その結果をモデルの予測と埠較すること   である。  

(3)宅デルの論理的テスト   

モデルの目的は経験現象の説明と予測にあるから,経験的テストがこれまで強調されて   きた。モデルの究極のテストはモデルがその目的を十分遂行しているか否か紅ある。しか   しながら,モデル匿おける論理も,モデルの構成と操作という両面紅,決定的役割を果し   ていることに注意しなければならない。論理的操作は,ある経験的事実の集合から,他の   経験的事実の集合の予測へと移行を可能ならしめる。論理的レベルに.おいて,モデルは抽  

象的記号と論理操作からのみ成る。予測と説明はこれらの記号が測定に.よって置きかえ.ら   れるとき紅なされるのである。かくして,論理と経験は,モデル紅おいて決定的な機能を   果して−いる。しかし,論理と経験は著しく異なった機能を果す。   

(12)

第50巻 帯2号  

ー 92 −   278   

論理は記号と記号の関係であるに対し,経験は記号と観察あるいは測定との関係であ    る。「論理的問題」は記号の「形式」と「意味」を検討することに.よって答えられる問題    である。それに対し,「経験的問題」は現実の世界を検討することに.よって,つまり,観   

察や測定を行なうことに.よって答えられる問題である。、これらの差異は以下の例で明確に  なるであろう。   

英語の記号(単語)を考え■てみることにする。「bac血eloIは未婚の大人の男性である」  

(AbachelorisanunmaIriedadultmale・)という陳述は論理的に正しい○そ句陳述は真    偽を決定するのに観察を必要としない。陳述は記号と記号の関係にのみ関心を払っている。  

「すべての未婚の男性は幸福な結婚をしている」(Al1bachelorsarehappilymarried・)   

は,同じ理由で論理的に偽である。もし,この陳述を特定の人,A民紅.あてほめて量るな    らば,「A氏は結婚している,A氏は結婚していない」ということを貰っている。我々は,   

この陳述が真であるか偽であるかを決定するために.,A氏の婚姻上の身分を観察サーる必要    はない。我々ほ記号の形式と意味を検討するだけでよい。このことから,遺偽は論理上の   

問題である。それ紅対し,「A氏は独身の男性である」(Mr.Ais a bachelor.)という単    純な陳述ほその真偽を決定するため紅,A氏の婚姻上の身分を観察することが必要とな   

る。つまり,記号のみを検討しても,・それが其であるか否かは,全くわからない。このこ    とから,記号(すなわら,陳述)の其ほ経験上の問題であるといえる。   

論理的な異についての研究を行なうため虹,論理学者や数学者ほ,多くの抽象的記号を    使用する。彼らは,陳述の内容を捨てて,単語を文字に驚きかえて,「形式」に.注意を集中   

する。ある陳述をズで表わし,一その陳述の否定を見で表わすならば,「ズかつⅩ」ほその   

内容に.関係なく,論理的に偽であることが容易に判明する。もし,ズが「A氏は結婚して    いる」を表わすとすれば,「Ⅹかつズ」は,「A氏は結婚し,かつA氏は結婚していない」   

ということ紅なる。もしズが「雨が降ってこいる」を表わすとすれば、,「Ⅹかつズ」■ほ「雨    が降っており,かつ,雨が降っていない」紅なる。こうした形式をとるあらゆる陳述文   

は,Ⅹが何を表わすかに.関係なく,論理的紅偽である。同様に,「ⅩあるいはⅩ」のあら   

ゆる陳述ほ論理的紅真である。「A氏は結婚しているか,あるいは,A氏は結婚していな   い」かであり,「雨が降っているか,あるいは,雨が降っていない」かに必然的になる。  

「もし,Xならば,Xである」(ifX,thenX)ならばi「A氏は結婚しているならば,A   氏は結婚している」となり,いくぶん議論以前の問題であるが,論理的紅は其である。、こ   の種の陳述文の其は,記号の「形式」と「意味」を検討することに.よって決定される。そ   

(13)

モデルの本質と検証紅ついて  

一 夕β −   279  

の真に関する決定は観察を必要としない。このことから,陳述の真は論理上の問題であっ   て,経験上の問題でほない。   

上記とは対照的に,「Ⅹかつy」,「Ⅹまたはy」,r■もしⅩならば,yである」のような  

陳述は陳述の嚢を決定する前紅,ズとyを記述的な単語で置き換え.ることが必要である。  

それらは,「A氏が独身であり,かつA民が幸福である」,「−A氏は独身であるか,あるい   は,A氏は幸福でない」,「A氏が独身ならば,A氏ほ幸福である」を各々意味している。  

これらの陳述ほいずれも矛盾がなく,轟か偽である。我々は陳述の其を決定するために,  

A氏を観察しなければならない。このことから,・その陳述が真であるか,偽であるかは,  

経験上の問題であっで,論理上の問題ではない。   

論理的真に.関して造要な範疇は数学上の記述である。余り瀕しまれていない高度な数学   上の陳述ばかりでなく,、7=2+5≒のような単純な陳述も,その記号の「形式」と「意  

/ 味」によって克となる。≒7、ほ㍉2+5もの記号に等しくさせる記号である。それはらよ  

うど≒bacbeloI≒ というのが,「結婚していない大人の男性」というの紅等しくさせるの   と同様である。また,も9ニ2+5≒は,ちょうど,「A氏は結婚しており,A氏ほ結婚し   ていない」と同様に,論理的紅偽である。もちろん,解釈されると,経験的紅畠となる数   学上の陳革もたくさんある。しかし,数学それ自体,あるいは,純粋数学に・おいては,記  

号と記号の関係にのみ腐心を払い,それゆえ紅,すべての陳述は論理的に真か矛層してい   るかのいずれかである。   

モデルは形式を明らかにし,陳述の論理的良紅ついて研究をするため紅,内容を棄却し   ている。モデルほ解釈されていない記号からのみなっているので,「解釈されていないモデ  

ル」とも称される。そのようなモデルは,「公理」(公準,法則,前提,・そして場合に.よっ   七ほ仮定,定義ともいわれる)や,その公理を演繹(すなわち,論理操作)するところに   焦点がおかれているので,「公理化」されているといわれている。   

「公理」ほその公理から何が論理的に演繹されるかを探究するという目的のために.,自   明の理とみなされる陳述である。それに対し,「定理」ほ公理から演繹されて論理的呉と   なる陳述である。それゆえ,「解釈されていないモデル」,すなわち,「公理化されたモデ  

ル」は公理およびその公理から派生している定理という証明と結びついた二種類の陳述文   の集合である。公理イれたモデルの一例は1ユ・−クリッド幾何学である。幾何学を研究す、る   際,おそらく,ビタゴラスの定理を証明することが必要となろう。すなわち;・ユーークリッ  

ドの公理から出発し,論理操作のみで,ピタゴラスの定理を頓繹することが求められる。   

(14)

一 夕4 −・  

第50巻 第2号  

280  

つぎの段階として,おそらく・ユ・−クリッド幾何学をグラフ用紙に.画かれた図として,解釈  

したであろう。ここで,ピタゴラスの定理を「証明」する「論理的テスト」とは別に.,グ   ラフ用紙上の三角形の斜辺を「測定」し,モデルの予測と比較する「経験的テスト」の差   異檻.注意しなければならない。これと全く同様の差異がつぎのような場合に.もあてはま  

る。つまり,数学者は・ユ・・−クリッド幾何学の定理を証明し,解釈にははとんど注意を払わ   ないが,測塁技師は・ユ・一クリッド幾何学を解釈し,未だ観察されない長さ,面積,などの   予測を行なうため紅それを用い七おり,測藍技師は定理の論証紅ほとんど関心を払ってこい   ない。   

ニュー・F・ンの運動法則も「公理化されているモデル」の1例である。ガリレオの物体の   自由落下の法則はニュ−・トンの法則から演繹される0それゆえ,d=÷g粕ニュ・−トン   法則から導乱されるという点で轟となる。それは,ニュートン物理学の定理である。経験   的テストは.解釈を必要とするが,もし,dと≠が距離と時間を意味するものとして解釈さ   れるならば,ガリレオの自由落下の法則は経験的に虞であると判明するだろう。しかし,  

dと=ほ密度と温度を意味するものとして解釈されるならば,それは経験的紅偽であると   判明する。   

論理的鼓と経験的真の両者の差異ほ,我々が注意しなければならない重要な点である。  

モデルは経験的テストに加えて,論理的テスト紅合格しなければならない。、これらは,相  

異なる二つのテストであり,両方のテストが行なわれなければならない。もし,あるモデ   ルが論理的テストに合格しなけれは,そのモデルは修正もしくほ棄却されなければならな   い。このことは,ちょうど,モデルが経験的テストに・失敗すれば,修正もしく咤棄却され  

るのと同様である。   

矛盾は論理的テストの失敗を構成してくる。もし,モデルのアクトプットが矛盾してい   るならば,モデルが経験現象の正確な複写であるという可能性は.なくなる。たとえば,S  

氏が自己の公理から彪=(α2+∂2)舛とゐ=α+あの両方を有効に演繹する幾何学を提唱し   たと仮定しよう。これほ矛盾である。すなわち,各々の陳述のうち,−つほ必然的紅偽と   なる。なぜならば,カ=(〃2・十∂2)邦であり,かつ,カ≠(が+∂2)ガということを述べている   からである。一方では等しいことを述べ,他方でほ等しくないということ述べているか  

ら,「ズかつズ」の形式である。S氏の幾何学紅おいては,3フィーートと4フィ−トの辺   をそれぞれもつ本箱の対角線は5フイ・一卜であり,かつ7フイ−・トであることを予測する   こと粧なろう。本箱の対角線は5フィートであり,7フィ一一卜であることはでき一・ないの   

(15)

モデルの本質と検証について  

・− 9∂ −−  

281  

で,S氏の幾何学ほ必然的に偽となるであろう。論理的テストの失敗は経験的テ.ストの失   敗を保証しているのである。しかし,逆のことは∴あてはまらない。論理的偽は経験的偽を  

保証するが,論理的真は経験的真を保証しない。たとえ,モデルのアウトプットが論理的   に嚢であっても,それほ,なお経験的テストを受けなければならない。つぎの算術はその   例である。7=5+2のような陳述は.,数学の公理から,論理的真であることを示すこと   ができる。ある解釈のもとでは,その陳述は経験的に.もまた員である。長さと重さはそう  

した解釈の具体例となろう。すなわち,  

7(フィート)=5(フィ岬ト)+2(フイ−ト) 

(3−1)  

7(ポンド)ニ5(ポンド)+2(ポンド)  

(3−2)  

は経験的虹真である。5フィートの対象物と2フィ−・トの対象物をそれぞれ端と端を結合   さ営−ると7フィートになる。我々はそのことが経験的にテストされでいるから,臭である  

ことを知ってこいる。(3−1)式における7フイ−トは個々の測定と比較できうる予測と  

なる。一般に,そう▲した比較ほ阜=エを明らかにするだろう。(ここで,皇は個々の測定を   表わし,エが予測された長さを示す)。同様なことは,(3−2)式にもいえる。しかし,  

論理的真である算術の陳述が,経験的に.偽となる別の解釈もできる。温度がそうした解釈  

の一例である。算術上は(3−3)式が正しい陳述であると我々は信じて.いるであろう。  

(3−3)  

70==50+20   

しかし,(3一・3)式は経験的にほ偽であることがわかる。もし,20の液体が50の液体の   中に注入されれば,液体の温度は70には.ならない。つまり,経験的テスト軋ヱ≠rを   示すであろう。17=5+2が論理的其である紅もかかわらず,(3−3)式の解釈は,経験   的に偽となる。かくして,論理的テストほモデルの反証を許容しているが,モデルの検証   を許容するものではない。モデルの矛盾は経験的偽を保証するが,モデルの論理的農は経   験的偽を保証しないのである。   

これまで議論してきた課題ほ測定理論の文献上,「加汝性」として知られている。長さ,  

重盈等の属性は加勢可能であるが,温度,色彩等の属性は,加静可能ではない。ここで注   意すべき点は,「加法性」が論理上の問題に対立する経験上の問題であるということであ   る。数字の加算ほ論理操作である。 7=5十2〃の陳述は,我々が論理的レベルにおける   記号に関して,もっぱら述べているから,その陳述は,あらゆる場合紅おいて論理的には   其である。かくして,数字は常紅加法性をもっている。しかしながら,もし我々がこれら  

の数字を解釈するならば,あるいは,もし我々がこれらの数値に.よって経験現象を表わす   

(16)

ー 96 −  

算50巻 第2号  

282  

よう紅意図するならば,その場合,その解釈またほ表示が加法性をもつか否かは,経験上   の問題である。言いかえれば,(3−1)式から(3−−3)式までは事実上経験現象のモデ   ルであって−,他のあらゆるモデルと同様に・,モデルの予測と別個の測定を比較して,経験   的にテストしなけれはならないというどとである。過去の経験的テストでは星=エ,些=  

Ⅳを示して.おり,その結果それらの属性は加法性があるといわれているし,その反面,  

壬≠rであるので,温度という属性は加法性がないといわれてこいる。   

会計の研究は論理的な構成要素と経験的な構成要素に分けることができよう。すなわ   ち,会計研究は解釈されない論理体系として研究され,そしてそれを論理的テスト紅かけ   るようにすることができよう。その論理体系において−もし矛盾が発見されれば変更され,  

あるいほ棄却されなければならない。一方,その論理体系に.いくつかの解釈を与えること   ができる。すなわち,論理体系のいくつかの適用がありうる。ひ・とたび論理体系が解釈さ  

れれば,論理的真である陳述が経験的兵である陳述になりうるか否かを確めるためた経験   的テストが加えられる。  

(4)完全モデル   

モデルは論理操作を通して−,ある観察された経験的事実の集合から,他の経験的事実の   集合の予測へと概念的移行を容認せしめる装置である。かくして,モデルの中には,論理  

と経験の相互作用がある○論理ほ記号と記号の関係紅関心を払い,経験は言弓号と観察に関   心を払う。記号のすぺては,論理に・よって他の記号に関係づけられなければならないし,  

記号のあるものは,観察によって経験的現象に関係づけられなければならない。モデルが   完全であるため紅は,二種類の結合関係をもっぐいなげればならないし,肇・れぞれは少な  

くとも一つ以上の結合関係を有していなければならない。これらの結合関係が失なわれれ   ば,モデルは不完全であるか,不十分である,といえる0完全なモデルほ,つぎのように  図解できる。   

円でとりまかれている∫1から∫さは「記号」を示し,四角でかこまれて−いるtむ,量,  

塾は「儲察」を示している。点線ほ記号と記号の闇の論理的結合関係を示し,実線は記号   と観察の経験的結合関係を示すように.意図されている。観察のあるものはインプットであ   り,他の(予期された)観察はアウトプットである。観察のどれがインプットであ早か   は,我々が何を予測し,説明したいか紅依存している。旦!とちをインプットとし,∫8を   予測し,あるいは量と董をインプふ卜し,∫1を予測するということが可能である。こ  

こで暮雲なことほ記号のすぺてが,論理的に韓合されているということである。もしある   

(17)

モデルの本質と検証について  

−97 −   283  

○−・−・……=○  

こ  

ニ∴ . 

∴  

′      0     0       ノ        ノヽJ「ノ\/\ノ↑′ヽ   論肇紺勺レベル  

経験的レベル  

記号が論理的な結合関係をもっていなけれほ,論理操作には役立たないので,除去され   る。しかし,必ずしも記号のすべてが経験的に結合されているものでほない。経験的に.結   合していない記号の目的は実際に予測を導出するところの論理上の中間的ステップを提供   するためである。経験的に.結合していない記号はそれが経験的な指示対象をもっていない  

という事実,すなわち,それらが観察できないという事実に.もかかわらず,モデルの本質   的部分を構成して㌧、る。我々は経験的に関係づけられていない記号を例示するために・,再   びピタゴラスの恵理を用いること紅しよう。つぎの図はピタゴラスの定理の論理的,経験   的結合関係を示したものである。  

ーー?①・−、 、  

ニー>①ノ′ノ  論理的レベル  

経験的レづル  

こ.の図において,いくつかの記号は経験的結合関係(実線をもっていない)を有していな   い。なぜならば,記号のあるものほそれぞれ経験レベルに・おいて何も対応していないから   

(18)

第50巻 寛2号   284  

・− 9β 一  

である。例えば,記号がに.よって示されてこいるものが直角三角形上には何もなく,それ  

ゆえα2は凝験的指示対象をもっていない。しかし,α2はゐの予測のために必要である論   理上の中間的ステップとなっている。   

記号のすぺては必ずしも経験的に潜合されないけれども,いくつかの記号ほ経験的結合   関係をもって.いなければならない。もし,モデルの記号がいかなる経験的結合関係ももっ  

ていなけれは,そのモデルは解釈を欠い 

象のモデルではなく,純粋数学や純粋記号論理の研究領域である。)さら軋,経験的鹿合   は凝験的レベルに関して述べるインプットとアウトプットという二つの方向に向っていな   けれはならない。経験的インプットをもって−いるが経験的アウトプットをもたない陳述も  

数多くある。そのような陳述はしばしばモデルと混同されている。たとえば,算術平均が   その例である。  

財=⊥芸.芳名  

〃 l−l  

(4−1)   

この等式に.もとづいて,A氏の体重160ポンド,B氏の体議100ポンドの平均値を求めれ   ば,130ポンドとなる。この等式は測定値がインプットされ,論理操作が加えられ,そし   て従属変数の大きさが導出されるという点でピタゴラスの定理と類似している。しかし,  

ピタゴラネの定理とは決定的差異があることに・注意しなければならない。ピタゴラスの定   理においては,カと旦を比較することに・よってその定理を我々は経験的にテストすること  

が可能である。しかしこの場合には〟庭・比較するための些がない。経験的インプットは   あるが経験的アウトプットがない。それゆえ,(4Wl)式は,経験的にテスト可能ではな   い。A氏とB氏の平均体重が130ポンドであるということは,経験的に其でも偽でもなく,  

経験的にテスト可能でもない。(4−1)式は何の経験的アクトプットをももっていないと   いう理由で不完全なモデルである。  

(4−1)式は経験的にテスト可能てほないけれども論理的に・はテスト可能であろ○言   葉で表わせば,「算術平均は観察ゐ大きさの合計を観察の数で除したものである」というこ  

と紅なる。この陳述は「bacbeloI・ほ未婚の大人の男性である」というのが論理的に正し   いのと同様に.論理的には正しい陳述である。A氏とB氏の平均体重の個別的事例ほ論理的   紅テスト可能である。つまり,  

130三ー(1bo+160)し  

(4−2)   

(19)

モデルの本質と検証について  

285    −99 −  

は,論理的に.正しい陳述であるといえる。しかし,それは算禰的な誤りがないという意味   であり,あるいはまた(4−1)式と同じ形式であるという意味においての論理的貴であ  

る0もしある人がA氏B氏の体重の平均を140=÷(100+160)のよう輯射るなら   ば,それは論理的に.誤った陳述をしたこと紅なる。つまり,その引算は算術的誤りから生  

細00=・(100・  

ずる矛眉140=130を要求している。その他の計算の可能性として−は,  

160),と186=100+(160)があるが,これらは(4−1)式と同じ形式でないとい   う点で論理的紅偽である。この論理的テストに加えて,(4−2)式のインプットはA氏と   B氏の体重を再び計るという単純な手続によって経験的テストをすることが可能である。  

測定の誤りの可能性もあり,測定の繰り返しはインプットの経験的検証(またほ反証)を   構成するのである。しかしながら,インプットの経験的テストはモデルの経験的テストの   本質的部分を成すものではない。モデルの経験的テ\ストは,アウトプットを別個に測定す  

るということが必要となる。もしアクトプットが別個に測定できないという意味でモデル   が不完全であるならば,議論に.決着をつける方法は.ない。たとえば,「真の平均」は算術平   均であるか,幾何平均であるか,ということ紅ついて議論が行なわれていると仮定しよ  

う。幾何平均の公式は  

G±(譲)忘   (4−3)  

である0それゆえ,A嘩とB氏の体重の幾何平均は  

126.5=(100・160)邦    (4−4)  

である。さて,我々はこの議論に対して,如何紅して決着をつけることができようか。等   式(4−・3),(4−4)は等式(4−1),(4−2)と同様紅論理的テスト紅かけうるこ  

とができるが,両者は論理的に真であるから,論理的テストは上記の議論に対して役立た   ない。また,インプットの正確性は議論に無関係であるので,インプットを経験的紅テス  

トすることも,議論の解決に・役立たない。それゆえ,この議論を解決する方法はないので   ある。−般に・,アクトプットが別個に測定できない不完全モデルの困難性は,そのモデル   が其であるか偽であるかに関する議論紅決着をつける方法がないということ匹存する。ど   ちらのモデルが「真の平均」かという問いは,この文脈では無意味なのである。   

そうした議論紅決着をつける方法ほモデルを完全にすることである。ニつの平均は東金   モデルではない。その代りに・,それらほ完全モデルにおいて,論理上の中間的ステップと  

して通常用いられている。もし我々が完全モデルを検討するならば,そこには別個に測定   

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