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鈴木時夫*

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Academic year: 2021

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January 1968 The Journal of Geobotany Vol. XVI. No. 1

鈴木時夫*

Gabriell

BRAUN-BLANQUET 夫人の思い出

Tokio SuzuKr : Souvenir de乱1:dme Dr. G. BRAUN-BLANQUET

一昨年暮, MontpellierJ. BRAUN-BLANQUET博士と令嬢かlら, 長く病苦lとなやん でいた Madame Dr. Gabrielle BRAUN-BLANQUET128日, 78才で なくなったこ

Agde F付近の野外研究におけるありし日の夫人

とを知1らせてきた。 同夫人が夫君博 士を助けて植物社会学の大成l乙功績 のあったことは人の知るところであ るとおもう。 とのζとは我が国で牧 野富太郎博士lζ対するすえ子夫人lと も比較できょうか。 しかも故夫人は 単なる家庭夫人でなく, 夫君と同じ 専門の学者で, しかも管理の才があ ったので研究そのものの協力と研究 所の経営団において大いに功があっ た。研究所を訪れてお世話になった 日本人は少なくないが, 特lと御夫妻 に親しく接した1人として,貴重な紙面を拝借して思い出を語り冥福を祈りたいとおもう。

1962425日朝, 研究所の戸口をくぐった私は, 質素な服装とにとやかな愛情深いま なざしの老婦人にむかえられた。 博士夫人がとんなに気さくに初対面の外国人に会われる と考えていなかったので, はじめは私は博士夫人であることに気がつかなかった。しかし,

声をきいて玄関の隣の研究室からとび出して来られた博士となBぷと, ひとめで紹介もま たず, 主婦と副所長格の公式立場が夫人の姿lこピタリと焦点が合い, 私の印象l乙強くやき ついた。

この日, 偶然にも Gesellschaftstreue の表でおなじみのポーランドの PAWLOWSKI 教 授夫妻が居られてお眼にかかれたのは実に幸運であった。そしてドイツからも,Wiirzburg 本大分大学生物学教室

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北 陸 の 植 物 第16巻第1号 昭和43年1月

のProf.VoLK夫妻が学生を約30人位連れ専用の大型バスで訪問していて,翌日からは 早速,この行に加わって見学実習がはじまった。はじめて地中海の植生に接した私はすっ かり,異色あるフロラに魅せ'られてしまった。何回書物の中で出あい,夢にもみたQ""・

"s"",Q""cz@scocciたγα,R"scws""J""s,S加" 了γα"g〃αなどが現出にはえてい る。何たる感激であろうか。

最初の日はMontpellierの近くのムーリッツの古城を訪れた。セイヨウウバメガシの林 QuerCetumilicisとコパノセイヨウウバメガシ林Quercetumcocciferaeは夢にえがいて いた通りのものであった。しかし一番おどろいたのはPhleeto‑Sedetumというコケと1 年草の芝生のような植生で,これがまた実に種類が多い。日本でいうとヒメナエのような 植物が野帳1ページに書ききれないほど,後から後からと出てくる。しかも枯れてゴミの ようになったものを博士が取り上げて学名をいうと,夫人がノートする。全部種ができる と博士は,夫人の復唱する植物に優占度と群度を与えた。

私の滞在は約1カ月続いたが,困ったことができた。ドイツか'ら手荷物として托送した トランクが何処へ行ったか,いつになっても着かない。事はややこしくなって私のフラン ス語の限界を越えた。博士はみかねて助手のSuTTER氏を派遣して駅に交渉させて下さ ったがらちがあかぬ。今度は令嬢を派遣した。しかし,それでも駅に客駅と荷物駅があっ て,駅長も別であること,客駅は着いた荷物を渡すだけで荷物の事故については荷物駅の 所管であって,今まで何回客駅にいっても,まだ着かない。そのうち来るだろうという返 事だけなのは,そこに理由のあること,荷物は多分周遊券の最遠駅ナルボンヌにあるらし いことまでわかったが,依然解決しない。トランクが着かないために着がえもなく,気候 が乾燥しているのを幸いに,毎日宿に帰った'ら下着全部を洗って素裸で床にもぐり,着の み,着のまま気楽のふしどとしゃれこんでみたものの,ミストラルの冷気で腹をこわして からは,脂肪の多いフランス食がいやになり,にわかに悲しくなった。その時,夫人が遂 に立って自分で荷物駅長に会ってくれた。駅長は一辺で恐縮し,私をからかっていた荷物 係もはじめて本気でさがしてくれるようになった。20日ほどかかって,やっとフランス語 の字書や着がえの入ったトランクが届いた。

私は町でお菓子を買って日本の風呂敷に包んで夫人のところに心ばかりのお礼にとどけ た。ドイツから復活祭の菓子を包んで来たちりめんの風呂敷は私の持物の中では日本風の 風雅なものであったが,長い旅路で少々しみがついているのが気がかりであった。夫人は 少しばかりのものを大変よろこばれて特に風呂敷を珍しいといってほめてくれた。私は益 々ヒヤヒヤである。もう少しフランス語がうまく話せたら,もしお気にめしたら使い古し で申訳ないが,私がお世話になった記念にお使い下さいというのだが,うまくそこが通じ なかった。ところが1日位おいて「有難う」といって,さっぱりと洗濯をしてアイロンの かかった風呂敷がかえってきた。このことは夫人の家庭的でしかも研究者,実務家であっ て愛情深い人柄として私の第一印象を更に強く深めたのであった。

私と一しよにトルコの博士,ユーゴのウラーベルの息子さん,オランダの若い青年が研 究所にいた。ある日,オランダの青年を許婚の令嬢が車をもって訪ねて来た。このオラン ダの青年とウラーベルの息子さんは実に私と仲がよくなって,彼氏は親切にも1日博士夫

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January 1968 The Journal of Geobotany

Vol. XVI. Nol.

IC令嬢をつけて車を提供し,自分は席がないから今日は遠慮するといって,かわりに私 lこしょにいくようたすすめてくれた。乙の日の思い出は海のみえる岡での研究, 令嬢が 草むらで休した時, ンドパックをおきわすれた。やや昼をすぎて弁当にしようとする とやっと気がついた令嬢はあわてて山にひきかえす。博士も老体をひっさげてしょにさ がすという。私は乙んな低い植生なら捜し出す自信が十分あったので, 日本人の鼻は低い が犬よりもよく自分たちの通った跡をかぎわけますよ。といって遂ICハンドパックをみつ けて,ゼッチャ ブロトというアンズの羊かんを故夫人から御ほう美にいただいた。

植生調査をすると,オランダの令嬢は愛人のために何か珍しい植物をさがそうとするが 植物学の方は素人らしく,なかなかみつからない。博士は君は採集がうまいからオランダ の令嬢にも植物をとってやってくれといわれた。もちろん,二つみつけてよい 方 を あ げ た。そして日本人は眼もよいということになった。街道に出ると, 遂に令嬢の車は道の真 中でエンコした。私は兵隊のとき,よくやったように下車して博士夫妻を車にのせたまま,

エッサエッサと押して始動した。

83才の高令で最愛の夫人であり,研究の片腕であった故人IC別れた夫君博士の胸中は察 するにあまりある。身寄りとしては医学博士の令嬢た',,:' 1人,ほんとうに淋しいこととお もう。 「私は研究IC没頭して悲しみを忘れよう。」と博士は書いて居られる。 共通の学聞 を通じての友情が遠く海を越えて残された夫君と令嬢のなぐさめとなることを神かけて祈 るのである。

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