︻ 抄 録 ︼ 法隆寺・玉虫 厨 子の須弥座正面を飾る絵画は、その画題や 内 在する意味についてこれまで多角的 視 点から研究が重ねられ、 様々な可能性について 議 論されてきた。しかしそれらの多く は 全体として表現を捉えた観察や、 経 典的見地によるもので、 画 面そのものを構成する一つ一つのモティーフに 眼 を向け、それ らの形式や技法、表現などについて 詳 細な観察は成されていな い。このような作品との密な対話が、これまで影を 潜 めてい た 重 要な観点に光を当てるためには必要不可欠である 。 本 論 ではこのような視点を重視し、この玉虫厨子・須弥座正 面の絵画と対峙した。その結 果 、この絵画を描いた工人は一人 ではなく 二人 の手によるものであり、従来一画面に一画題しか 描かれていないとされていたこの画面には、 二 つの画題が破綻 す ることなく一場面で共存をし、一つの目的に向かって 表 現さ れ ていることが 理 解された。 キ ーワー ド 玉虫厨子、須弥 座 正面、讃仏、舎利供養、工 人
は
じ
め
に
村 尾次郎氏は法 隆 寺・玉虫厨子について﹁⋮技芸から生まれ た のではなくて、これを勧 進 したひとの祈念の結晶⋮﹂であり、 ﹁ ⋮文字で 記 された ﹁ことば﹂はない 。そこにあるものはすべ て ﹁たくみ﹂である 。だが 、ジャータカは ﹁たくみ﹂の 形 で ﹁ ことば﹂を伝え、 ﹁ことば﹂の奥に 造 顕者の﹁こころ﹂を秘め て いると 思 う ⋮ ︶1 ︵ ﹂ と綴っている 。 そこに描かれているすべての 絵 画が本生譚ではないが、氏の述べるように文字は無くともそ法隆寺
玉虫厨子
考
――
舎
利
供養
図を中心に
――
長
谷川
智
治
佛教大学総合研究所紀要 第十八 号 八八 こに表された様々な 技 法や表現から読み取れるものは無限にあ る。その 音 無き言葉に耳を傾け、美術作例と対 峙 ・対話するこ と で 重要な観点に光が当たることも少なくない 。 美術作品に 限 らず、何かと対峙する際に向き合うのは正面で ある。作例によっては側面観・背面観を意識した 表 現をもつも のもある。しかし、やはりまず始めに 鑑 賞者が眼にするのは正 面と云えよう。そのような意味でも、正面に施された 表 現は大 きな意味をもっていると云える。それが信 仰 を介した表現なら 殊 更である。 玉虫 厨 子 ︶2 ︵ は 宮 く うで ん 殿 部と須弥座から成っており、建築や金工、 漆 工など様々な技術の集合体として施工されており 、 日本最古の 工芸品として今なお 人 々に多くの感動を与えている。その中で もとりわけ 眼 を引くのが四方を埋め尽くす絵画である。厨子に 向かって宮 殿 部の正面と左右側面は扉絵、それ以外の宮 殿 部背 面と須弥 座 の四面は全て一枚絵から構成される。なお以下から の左右に対する 表 記はすべて厨子正面に向かってのものとする。 描かれる内容は様々で、宮殿部 扉 は片面に一人ずつ人物像が 描かれ、 扉 を閉めた際に向き合うよう表現されている。正面に は天部立像、左右 側 面には菩薩立像が施されており、一枚絵で ある宮 殿 部背面には霊鷲山図、須弥座正面に舎利供養図、左側 面に施身聞偈図、背面に須 弥 山図、右側面に捨身飼虎図が描か れ る。 以 上が主要な玉虫厨子絵画であるが、その他にも宮 殿 部の軒 下 や須弥 座 を支える蓮華 座 や脚部などにも様々な絵画が施され て おり、見事な荘 厳 表現を目の当たりにすることができる。 中 でも特に各 絵 画に多く登場するモティーフが雲気である。 雲 気が描かれていない面は無いと云っても過言 で はないほど多 く 、この玉虫 厨 子には登場している。 で は雲気とは 何 なのか、 少 しふれておく。これについては井 上 正氏によって、実に明 快 な解釈が行われてい る ︶3 ︵ 。 氏は雲気 文 成 立の背景には、 紀 元前二世 紀 に 淮 え な ん 南 王 劉 りゅ うあ ん 安 が 多くの学 者 を集 め て編 纂 した、 ﹃淮南子﹄天文訓に書かれる内容から﹁⋮﹁気﹂ が 万物生成のなかで 働 くもっとも重要な因子と考えていた⋮﹂ と いう創成観がその根幹にあるとした 。 ︹ 気 ︺ とは ﹁ ⋮万物創 成 の根源を成す 眼 に見えない因子で 、﹁気﹂の多く集積すると こ ろに聖なるものが生まれ 、 凡庸なものには ﹁ 気﹂は薄かっ た 。﹁気﹂はものの本質であり 、眼に見える 形 は現象であった ⋮ ひとたび形を成したのちは、 新 たに﹁気﹂を発し、次なる創 造 に大きく作用する存在⋮ 。﹂であり 、この ﹁⋮見えないはず の ﹁気﹂を眼に見えるように 表 現しようとした。これが雲気文 で ある。ちょうど雲のように、尾を長く引いて流れ動き、 時 に は 渦を巻いて反転するなどして、定まらない動きの 形 として 表
法 隆 寺 玉虫厨子 考 ―― 舎利供 養 図を中心 に ―― ︵長谷川 智 治︶ 八 九 わされた⋮。 ﹂と 述 べている。 このような雲気や様々なモティーフが描かれる玉虫 厨 子は、 漆と 油 ︶4 ︵ と云う 二 つの塗 料 を用いて描かれて お り ︶5 ︵ 、漆 から成る朱 に黒、そして油分を含む黄と青 緑 の四色で構成されている 。 そして本論で取り上 げ る正面 ︵ 図1 ︶ に は前 文 でも述べた通り 、 宮 殿 部では扉絵形式で向かい合う形で描かれ、その内に納めら れる本尊を守 護 するかの如き天部立像、そしてそれを支える須 弥座には舎利供 養 図 ︵ 図2 ︶ と呼ばれる絵画が 描 かれている 。 果たしてこの須弥座正面の絵画は本当に舎利供 養 を 示 した絵 画なのだろうか。そしてその画 題 は何に向けられた内容なのだ ろうか 。 玉虫厨子はこれまで多くの先学によって様々な視点から論 議 が 重 ねられてき た ︶6 ︵ 。 無 論、 この 舎 利 供 養図もその対象とされた 。 だがそれはもっ ぱ ら網羅的に全体を捉えたのみの表現観察や、 経 典的見地から行われたものであった。先学が重ねてきた論に も興味深いものは多く、その功 績 は大きい。しかしながら、こ の面の特長の一つである多くのモティーフに関する 詳 細な観察 は成されていない。絵画の意味・意義を 表 すのはその全体であ るが、それを 構 成するのは一つ一つの要素であり、その観察無 くして 全 体像の 解 読は有り得ないと考える。 本論では、舎利供養図と呼 ば れるこの面に施された技法と、 図1 玉虫厨子(正面) 図2 須弥座正面・舎利供養図
佛教大学総合研究所紀要 第十八 号 九 〇 それによって生み出された 表 現の詳細な観察を主として行う。 その上で本画面に関する中心的 議 題であった絵画の構図・構成 とその意味について考察し、それらを踏まえつつ、技法・ 表 現 の特長からこの面を手掛けた工 人 についても考察を行 う ︶7 ︵ 。 まず、これまでこの舎利供養図が先 学 にどのように捉えてき たかにふれておこう 。その 議 論の中心は前文の通り 、︻この図 の主題が ︿舎利供養﹀なのか否か︼ ︻どのような 構 図 構 成にな っているのか ︼ と云う二点にほぼ集中している。まとめると以 下 のようになる。 ・舎利供 養説 ︵ 澤 村専太 郎 氏 ︶8 ︵ 、 瀧 精 一 氏 ︶9 ︵ 、 林 良一 氏 ︶10 ︵ ら ︶ ・ 佛舎 利 供 養説 ︵ 源豊宗 氏 ︶11 ︵ ︶ ・宮殿部本 尊 に対する供養 説 ︵春山武 松 氏 ︶12 ︵ 、 谷信一 氏 ︶13 ︵ 、 白畑よし 氏 ︶14 ︵ ら ︶ ・焚香 供 養 説 ︵水 野 清 一 氏 ︶15 ︵ ︶ ・ 讃 仏供養 説 ︵上原 和 氏 ︶16 ︵ ︶ ・舎利 讃 歎 説 ︵亀山 孜 氏 ︶17 ︵ ︶ ・ 仏 国土幻想 説 ︵吉村 怜 氏 ︶18 ︵ ︶ ・舎利化生 説 ︵石田尚 豊 氏 ︶19 ︵ ︶ 以上がこの須弥座正面画・舎利供 養 図の主立った先行研究で あるが、未だ明 快 な答えは定まっていないのが現状である。 ではこれら先行研究から一旦 離 れ、この画面に描かれたモテ ィ ーフがどのような 技 法や表現によって生み出されているかに 目 を 凝 らしてみよう。なおその他の面に関する詳細な画像や観 察 については、図版資料及 び 拙 稿 ︶20 ︵ な どを参照して頂きたい 。
第
一章
形式の観察
第 一節 上部・構成モティーフについて こ の厨子の須弥座正面図は、 蓮 華・飛天・香炉・僧 侶 ・獅子 や 竹を含む 植 物・岩場そして雲気などで構成されており、その 構 図はほぼ左右相称と云ってよい。 以 下からの観察・考察は進行 上、 画面中央に描かれる香炉を 境 界とし、一画面を上部、中央香炉、下部の三つに分 け て観察 を 進めることとする 。 な お 舎 利 供 養図の各モティーフに関しては 、 図3に従って記 述 するものとする ︵ 図 3 ︶ 。 ま ず ︵ 一 ︶ ︵ 図 4 ︶ だ が 、二重に重なった円を中心として 五 枚 の 花弁をその上半分に配し、下半分には九本の 短 い線が放射状 に 引かれている。これは先端の尖った花弁の形状から 蓮 華であ り 、中心の円 形 は 臺 う てな 、 下 方 の放射状の線は 蕊 しべ で あることが 分 か る 。その周辺にはC字 形 やS字 形 に湾曲を繰り返す長短様々な 線 を 配 し、それによって雲気を描いている。法 隆 寺 玉虫厨子 考 ―― 舎利供 養 図を中心 に ―― ︵長谷川 智 治︶ 九 一 次に︵ 二 ︶と︵四︶である。この向かい合う 二人 の 飛 天は ほ ぼ左右相称の 形 式をとるが細部に至っては異なる 。 ︵ 二 ︶ ︵ 図 5 ︶ は 左足を大きく前方に曲げ 、右足を後方に 伸 ばす 。 その姿勢は腰を右に捻り、左肩を前方に出して鑑賞 者 に向かっ て上体をやや起こして胸を広 げ る形をとる。髪は一つに結い 上 げ た髷を頭頂部で二叉に分けて結び 、顔は正面を向く 。左手 は︵三︶に手を添え、右手は軽く 握 り込んでいる。その両肩 に は 飾 りを付け、帯のようなもので繋がる。これは胸 飾 であろう 。 身に付ける天衣は非常に長い。上半身は何も 纏 わず、下半身 に は 裳を着 け 、それを腰帯でとめる。また腰帯の一部なのか否か は 定かではないが、途中に 蝶 々結びがされた長い布が天衣と共 に 棚引く。そしてその周りには︵一︶で見られたような、 線 状 の 雲気が 飛 天の下方に描かれる。 図3 舎利供養図 図4 蓮華(一)
佛教大学総合研究所紀要 第十八 号 九 二 ︵ 四 ︶ ︵ 図 6︶ は ︵ 二︶前文でも述べた通り 、 鏡 写しにしたよう な形状であり、用いられた技法も同一であるが、部分的に 微妙 な差異を見て 取 れる。それは左手の開き方や天衣の翻り方、 そ の動きが上 げ られる 。 このような左右の 飛 天が共に片手を添えるのが ︵三︶ ︵ 図 7 ︶ で ある。形状は︵一︶に類似はしており、その描法も円形と 蓮 弁 、そして高台部分に堀 塗 りが施され、高台の 軸 部のみ 塗 り潰 さ れている。線の 表 情や堀 塗 りの 塗 り込みなどは︵一︶と同様 で ある。しかし蓮弁の 配 列などは同一ではなく、それは蓮台を も つ高台に乗せられる 形 で描かれている。 図5 左方飛天(二) 図6 右方飛天(四)
法 隆 寺 玉虫厨子 考 ―― 舎利供 養 図を中心 に ―― ︵長谷川 智 治︶ 九 三 第二節 中央 香 炉 について 続いて画面のほ ぼ 中央に位置する ︵五︶ ︵ 図8 ︶ である 。円 形 ではあるのだが、香炉そのものの縁は 鋭 角に描いている。宣 字 座 のように上中下段で足に近づくにつれてその長さは短くなっ ていっており、腰細の形状をとる。丸みを帯びた底部には 五本 の 獣 足をもつ。そしてこの香炉は円形状の台のようなものの 上 に乗せられ、その 側 面には各足に付随するように一つずつ三 弁 から成る 蓮 華が描かれる 。 そしてこの香炉からは三つの煙のよ うなものが、短くそして細かな湾曲を繰り返しながら 縦 の線 に よって描写されている。これが何を 表 現しているものであるか と云うことは後に触れるとして 、 この正面画に描かれている 雲 気と同じ 線 ではあるが、その描写が異なっている点には注目 し て おきたい 。 第 三節 下部・構 成 モティーフについて 続 いて︵六︶と︵七︶である。この向かい合うように 岩 場に 図7 飛天に支えられる高坏(三) 図8 香炉(五)
佛教大学総合研究所紀要 第十八 号 九 四 座す二人の 僧 はその姿を真横から捉えている。ほぼ左右相称 の 構図によっているが、 飛 天と同様その細部には若干の差異が 見 て 取 れる。では個々の僧についてみていこう 。 ︵ 六 ︶ ︵ 図 9 ︶ は 左膝を立てており 、手は第二指と第五指を伸 ば し、他の指は軽く 握 り込むように印を結んでいる。左膝の上 に 乗せられた左手には火炉に柄の付いた柄香炉をもち、僧が 握 る 柄のあたりには円を 縦 に重ねたような描写をみせる。また柄 と 火炉を繋ぐ部分はやや膨らみをみせ、心葉 形 金具のようである 。 座を足にもつ火炉からは小さく煙が立昇っており、大きさは 異 な るがその描写は︵ 五 ︶のものと同一である。以上のような形 式 から 、やや 時 代は下るが 、正倉院 ・赤銅柄香 炉 ︵ 図 10︶ の よう な モデルの存在が窺える。だとすれ ば 、柄にある円を縦に重ね た ものは香炉に入れる香の容器 で あり 、 柄香炉と一具を成す正 倉 院・ 金 銅 大合子 ︵ 図 11︶ の ような 形 状をした小型の香入れと考 え てよかろう 。 右 足は衣の動きから 折 り曲げているようである。頭部には円 相 光背が描かれており、顔はやや 顎 を上げ、口は軽く開いてい る 。鼻は高く、眉毛は 長 い。 そ のような︵六︶が身に纏う袈裟は、左肩から右 腋 下にかけ 図9 左方僧(六) 図10 赤銅柄香炉
法 隆 寺 玉虫厨子 考 ―― 舎利供 養 図を中心 に ―― ︵長谷川 智 治︶ 九 五 て被われている。この袈裟には特に文飾などは確 認 できないが、 胴体部や右手に掛けられた袖には衣文と思しき線、そして右 臀 部には 衣 の 撓 た わ みが描かれている 。 僧の 座 す敷物は縁取りがされ、奥が開いた形に表されている 。 それの敷かれた岩場はすべて堀 塗 り ︶21 ︵ による 岩 片の集合体とし て 描写されている。この描写法は玉虫厨子に描かれた山岳 表 現 す べてに共通している。 僧 の前後には竹が生えており、後方の も のは背が高く、前方のものは低い。岩場の下にも 植 物が描か れ ているが、これらはすべて岩場より 垂 れ下がっている 。 前 文 でも述べたように ︵七 ︶ ︵図 12︶ は ︵六︶とほ ぼ 姿勢を 取 るが 、 その細部は 異 なっている 。 やや読み取り 難 いのだが︵七︶は袈裟の下で左膝を立てて い るようである。その左膝の上には左肘を 置 いてその手で柄香 炉 を もち、その腕には袖を掛けている。右手は第二指の伸 ば し、 残 りの指は 握 り込んでいる。顔はやや俯き加減で口を軽く開け て おり、鼻は 低 い。 身 に纏う袈裟の 描 写は全く 異 なっている 。︵ 七︶の袈裟は石 を 敷き詰めたような 斑 文様で、その 斑 の上には点線が 配 されて い る。このような表現は厨子内のどの 絵 画にも見られない。 な お、頭部に描かれた円相光背と柄香炉の 形 状そして煙、敷 物 、 岩 場、植物の描写は︵六︶と同一である。 続 いて︵八︶と︵九︶の獅子である。この 二 匹の獅子は僧と 図11 金銅大合子 図12 右方僧(七)
佛教大学総合研究所紀要 第十八 号 九六 同様に向かい合うように配置されているが、 形 状は大きく異 な る 。 ︵ 八︶ ︵図 13︶ の獅子は前脚をまっすぐに伸 ば し 、上体を支え ている。その両前脚の付 け 根からは長い体毛のようなものを示 しており、それにより翼を表す。後脚は曲 げ られ、腰をどっし りと岩場に落としている。 臀 部から生える尻尾は二叉に分か れ ており、その先端には翼部分と同じ体毛のようなものを 表 し て い る。 頭 部は豊かな 鬣 た てがみ を 備えており、耳をピンと 立 てて首を右 に 回して後方を 振 り返る仕草をみせる。開かれた口からは牙が 確認 でき 、舌を突出させている 。胸前と後脚の踵部分にも体 毛 描写がみえるが 、胸前部分には他に数本の横線が 並 んでい る 。さらに尻尾先端部と翼にその各々の付 け 根、背中に脚部に は 斑点が施されている。下方に植物を 配 す岩場の描写は︵六︶ ・ ︵ 七︶のものと比べるとこちらの 方 が大きいが 、その描写法は 同 様のものによる。しかし 僧 の座す岩場のように敷物が岩場を 被 ってしまうような描写ではなく、獅子は部分的に岩 場 と重な る ように 描 かれており、それにより奥行きをもたせている。 そ の対面に描かれた ︵ 九 ︶ ︵図 14︶ は ︵ 八 ︶より体が大きい 。 ︵八 ︶と同様の岩場に腰を落とした状態で左前脚を突っ張って 上 体を支え、上半身を上 げ て首を上方も向けて伸ばしている。 顎 は上 げ て視線を上に送り、口は大きく開かれ、そこからは牙 を のぞかせている。右前脚は地面から上 げ て浮かせている。前 脚 付け根の翼は体毛のような描写ではなく、パルメット 唐 草の 一 部のような 形 状をとる。尻尾も体に合わせるように大きく描 か れており、その先端部は 斑 点の並び方から三叉に分かれてい る ことが 推 測される。 な お、鬣や体毛、斑点の位置、岩場やそこから 垂 下する植物 の 描写は︵ 八 ︶と同様である。 図13 左方獅子(八)
法 隆 寺 玉虫厨子 考 ―― 舎利供 養 図を中心 に ―― ︵長谷川 智 治︶ 九 七 ︵ 十 ︶ は他要素から成るため 、 図 15に 従い各部に 対 してその 形 状を述べていく ︵図 15︶ 。 まずこの画面の最下部に 位 置す る ︵ 1 ︶ で ある。ここまで み てきた岩片描写と同じように堀塗りよって 表 されているが、 こ の部分は岩片を重ねるのではなくそれをほ ぼ 横一列に並べて い る。多少は重なっている 箇 所もみられるが浅く、右端に横た わ る 二 つの岩片は重なりをみせる部分の一つであるが、他の岩片 と分 離 している 。 ︵ 2 ︶ は五足の 盤 とそれを乗せる 反 か えりば な 花 座 である 。反花 座は 十 六枚の花弁をもち、その殆どに弁端が 翻 るような表現がみら れ るが、両端の幾つかはそれを省略している。 蓮 弁は一周まわ る ようには描かれておらず、弁端を略している 蓮 弁部分あたり か ら唐突に 蓮 肉の中に入っていくかのようにC字 形 の湾曲を も って線が途切れており、後方に続くべき蓮 弁 や蓮肉の描写は 一 切みられない 。 そ のような反花 座 に乗る五足の盤は足先を外に向けており、 獣 足の形式を 取 っていることが分かる。中心の足を正面に捉え、 図14 右方獅子(九) 図15 舎利供養台(十)
佛教大学総合研究所紀要 第十八 号 九八 そこから斜め・真横と 描 写を 描 き分けている。また足部や高 台 部分を除いた 形 状は︵五︶と一見類 似 しているが、こちらの縁 は丸く描かれている 。 ︵ 3 ︶ は ︵ 2 ︶ の 反花 座 の下方端から左右に展開し 、そし て 上方に向かって生えている。この左右の植物表現はほ ぼ 左右 相 称と云ってよい 。︵ 2 ︶ の 反花 座 裏から細い茎を上方に向かっ て 伸 ばし、その先には二枚の花弁のようなものが開いており、 その下には円を二つ 縦 に配している。この開いた花弁からは 蕨 手状の 植 物が派生しており、これら蕨手状 植 物の背に は 瘤 こ ぶ 状の ものが配され、それは強弱を付けた波状線によって 描 写され て いる。このことから一本の植物は明らかに、 二 枚の花弁を境 に 植物の種類が変じていることがこの形式から読み 取 れる 。 盤の中心から生える植物もほ ぼ 同様の描写によるのだが、 こ ちらのものは一つ一つの巻き込みが左右の植物よりも強く 、そ して短い。特に盤と接している箇所は 乱 草しており、密度は 高 い 。 ︵ 4 ︶ の高坏が乗る 蓮 台の描写は ︵ 2 ︶ の 反 花座と同じであ るが、こちらのものは 蓮 肉・ 蓮 弁共に 蓮 肉の裏側にもすべて 描 かれており、 蓮 肉には七つの実も表されている。また 蓮 肉の側 面には蕊を 表 す細く短い線が引かれる。その中央には足下に は 蓮 弁 を連ね、部分的に紐で縛られているような高台をもつ高坏 が あり、その上には二十一枚の 蓮 弁が上下に配された 蓮 華の台 が 乗る。このような細かな描写から成る高坏 形 蓮台の上には、 楕 円形のものが乗る。この 楕 円はその中心を通るように二本横 線 が通っており、 楕 円の天辺中央にはパルメット唐草のような も のが付けられている。以上のことからこの 楕 円形のものは、 パ ルメット唐草のようなものは摘みをもつ 蓋 物の合子であるこ と が 分 かる。 ︵ 5 ︶ は小さな蕾に六ないし七本の蕊を配した 蓮 華が三つ 、 堀 塗りによって 表 されている。その配置は ︵ 4 ︶ の 合子の 摘 み 上方 を 頂 点に、底辺の長い二等辺三角形を描くように置かれて い る 。 以 上が 形 式の観察であるが、雲気部分については 表 現・技法 を織 り交ぜて後述する。
第二
章
表現の読解
第 一節 上部・構成モティーフについて で はここからは、これまで見てきた表現と 技 法を中心として モ ティーフの差異も視野に入れつつ、 読 み解いていこう。 ま ず︵一︶は円形の 臺 と蓮弁は全て堀塗りにより、下部に引 か れた放射線状と雲気は 全 て線によって描かれている。線の描法 隆 寺 玉虫厨子 考 ―― 舎利供 養 図を中心 に ―― ︵長谷川 智 治︶ 九九 写をみてみると、 蓮 華と雲気とではその線の表情は異なって い る。蓮華の線は均衡が 取 れており、そこに施されている堀塗 り 技法の塗り込みも巧く空間を空けている。放射状の線はその 配 置から蕊を 表 したものであると思われる。同画面中最も大き く 表された蓮華は、五枚の花弁しか描かれていないが、何かを 発 散するように蓮弁を広 げ 開花した姿はただ空間を埋めるためだ けにそこに 描 かれたのではなく、何か特別な意味をもっている ことが 示 唆される 。 この 示 唆を後押しするのは、周囲を舞う雲気の存在である 。 ほぼ左右 相 称でありながらも単調ではない 動 きを持つ雲気は、 有機的な関係で蓮華と結 ば れている。そのような雲気は蓮華を 中心にその上下と左右で 筆 致を変えている。上下の雲気はたっ ぷりと漆を含ませ、 筆 先のしなりを存分に活用しながらゆっく りとした筆 遣 いでその場に浮遊し、漂うように大きく湾曲し た 雲気を 表 現している。左右の雲気は上下のものとは異なり、 筆 を 蓮 華から外に向かってやや早い筆致で筆を走らせ、 蓮 華に 向 かって 流 れてくるような雲気表現を成している。このような 雲 気表現の使い分けと配置により、 蓮 華そのものに浮遊感と躍動 感と 相 対するものを共存させている。 また︵ 二 ︶・ ︵四︶の上にもゆっくりとした線から成る雲気 が 描かれているが、これは︵一︶に付 随 するものと思われる 。 こ のように︵一︶は 蓮 華と云う対象に対して雲気がそれを取 り 巻いている状況が 表 現されているが、同画面上でこれほど対 象 と雲気とが密 接 に描かれている部分はない。これは如何にこ の 空間が重要なものであることを示す雄 弁 な印となる。 次 に︵ 二 ︶・ ︵三︶ ・︵四︶である。 ま ず︵ 二 ︶と︵四︶は、技法的には露となっている上半身と 腰 帯は黄によって塗り潰されており、目鼻はその上から黒 漆 で 描 き、口には朱 漆 を置いている。裳の部分も似た描法を用い、 朱漆 によって塗った後、黒 漆 で衣文を描き加えている。胸飾は 朱漆 と青緑による。ゆったりと 揺 たゆ た 蕩 う 天衣は、この二 色 によっ て その裏 表 を明確に分けて彩色をしている。 表 現では部分的に天衣の翻りや上半身と下半身の関係性、手 の 表現などやや歪とも 取 れる箇所もみられるが、長く流麗に翻 る 天衣と裳 、 そしてその動きに呼応するかのように流れる雲気 の 一群は︵一︶の雲気と 似 たリズミカルに湾曲を繰り返す抑揚 あ る線から成り、各々 個 体でありながらも有機的な繋がりを感 じ させる。また天衣の先をC字形やS字形に大きく 撓 ませ、色 分 けすることで天衣の 表 裏を明確に 示 し 、この天衣が如何に ゆ ったりとした風を受けているかが手に 取 るように分かる。 ま た裳やそれをとめる腰紐 、 そして後方に力強く踏み込むよ う に伸 ば された足首に絡まるようにはためく裳裾の表現など、
佛教大学総合研究所紀要 第十八 号 一 〇 〇 須弥座右側面に描かれた捨身飼虎図の 投 身の最中にある摩訶 薩 埵 太子 ︵ 図 16︶ の描写と類 似 している 。 そのような左右 飛 天に両側から手を添えられる︵三︶の描 き 方は上 文 でもふれたように︵一︶と同様である。しかしその形 状は大きく異なり、蓮華を乗せた脚付坏に蓮弁をもつ承 盤 のよ うにみえるが定かではなく、明確な名称では述べ 難 い 。 以上 、四つのモティーフ 構 図は実に巧妙と云える 。︵ 二︶を 中心として︵三︶と︵四︶をほぼ左右 相 称に 描 き配置すること で、画面上部に安定感をもたらし、また︵ 三 ︶を︵一︶の 下に 描くことで、 蓮 華同士での関係性を 仄 ほ の め か している 。 第 二節 中央・香炉について 画 面中央に描かれる香炉には、やや特 殊 な描法が用いられて い る。それはまず対象のシルエットを 全 て黄で塗り潰して乾か し た後に朱漆でその 輪 郭線を引くと云うものであり、そのよう な 描写はこの画面 で しか用いられていない 。 そこから立昇る三 つ の煙は朱漆による。なお各足に付いた蓮華は、すべて堀 塗 り に よる。 こ の部分で注目すべきは、煙とその周辺に浮 遊 する雲気であ る 。これは︵六︶ ・︵七︶が手にもつ 柄 香炉から立昇るものと同 一表 現であることから、これが香煙であることが 読 み取れる。 こ のように、画面に描かれた雲気と香煙は同じ 線 による描写で は あるが、明らかに 双 方は描き分 け られていることが分かる。 そ れは表現のみならず、技法的にも雲気を描く 際 は普通に筆を 握 って引かれた線であるのに対して、香煙は穂先にたっぷりと 朱 漆を含ませた筆の軸尻を軽く 持 ち、筆を画面に対して垂直に 立 ててそっと筆先のみ画面に下ろし、 優 しくゆっくりと下から 上 に向かって 動 かしたような筆線であることにも 起 因している。 こ のような描き分けは、何か明 確 な目的の元で行われたであ ろ うことが 想 定される。 香 煙と雲気の関係性についてもふれておこう 。 香煙はそれを 構 成する線の一本一本は短く、そして細かく揺らめいているが 図16 投身した太子(捨身飼虎図)
法 隆 寺 玉虫厨子 考 ―― 舎利供 養 図を中心 に ―― ︵長谷川 智 治︶ 一 〇 一 その意識は 確 実に上 方 に向けられている。それに対して雲気 は 左右から香炉に向かってゆったりと流れ込むような 表 現がされ ているが 、 香煙の 上 方辺り で 突如大きな撓みをみせ 、 その意 識 を上方へと向けている。この双方の 表 現から互いの流れに対 し て、何らかの干渉が 働 いていることが示唆される 。 第三節 下部・構成モティーフについて では︵六︶と︵七︶に眼を 移 そう。 ︵六︶の 僧 は 、 袈裟や顔 、 柄香炉に至るまで 、その殆どが 輪 郭線を引いた上でその中を塗り 潰 す描法がとられている。だが 袈裟とその衣文に関しては、 輪 郭線同士の隙間を僅かに空ける ことでその 線 を生み出している。また顔と右手に 掛け られた 裾 の衣文線は、黒漆によって引かれる。面相は 経 年劣化のためし っかりとした表情までは読み取れないが、うっすらと残る 眼と 口、そして顎を軽く上 げ ている様子から、その視線は上方に 向 けら れ ていると思 われ る。 そのような 頭 部と衣の関係は希薄で、まるで首ごと挿げ替え ることが出来そうである。袈裟の衣文や裾の 動 きなど、決し て 上手であるとは云えないのだが、右手に 掛 けられた 裾 の衣文や、 真円に近い円相光背は巧く描 け ている 。 また柄香炉の香煙は︵五︶のものよりも小さく、 線 と云うよ り も点に 近 い。だが香炉自身の大きさを考えれば、そこから立 昇 る香煙もまたその大きさ相応の 表 現が成されていることにな る。 僧 の 座 す敷物は畳のようであり、柔らかさは感じられない。 岩 場との有 機 的な繋がりは皆無である。しかしそれを構成する 線 そのものは震えもなく、巧く引 け ている。しかし同一の 線 か ら 成る岩場は細く頼りない。僧の重みに 耐 え切れずに、今にも 折 れてしまいそうである。堀塗りはうまく隙間を空けてその中 を 塗り込めているのだが、やはりそれを構成する最小単 位 であ る 岩片が弱々しいとその集合体である岩 場 も自ずと同様の印象 を 抱かざるを 得 ない。 僧 の周囲や 岩 場下方に生える植物はどうか。竹の描法として は筆 を下から上に向かってゆっくりと動かし、節部分は若干 筆 圧 を高めることで部分的に線を太くして、また筆 圧 を緩めると い う 筆 の動きを繰り返している。また太くした節部分には朱漆 を 置くことでそれを 表 現している。この描き方は玉虫厨子絵す べ てに共通するのだが、 捨 身飼虎図にみられるような竹特有の し なやかさをここでは見て取れない。これは岩場より 垂 下する 植 物にも当て嵌まる。 ︵ 七︶も描き方は ︵ 六︶とほ ぼ 同じなのだが 、僧が向ける顔 の 方向や柄香炉を 持 たない手の形など細部の表現が異なっては
佛教大学総合研究所紀要 第十八 号 一 〇 二 いるが、最も注目すべき点は身に纏う 袈 裟である 。 袈裟はまず青 緑 で全体を塗り潰した後に、歪な石を無造作 に 敷き 並 べたかのような彩色を朱漆と黄によって施している。更 にその上から黒漆で点 線 を、僧の体の凹凸に合せて引いており、 刺し子のようでもあるが、それは衣文表現の役割も 兼 ね備え た 描写である。点線は素 早 く 筆 先のみで付けられており、その 点 の一つ一つの長さや太さは一定ではないが、袈裟を 構 成する 沢 山の歪な生地と、それを縫い 停 めるような点線から、これが 糞 掃衣を表現したものであろうことを加味すれば、理に 適 った 表 現と云える。なお、このような縫糸の 表 現は他面でも見られ ず そのような様相は 、正倉院 ・七条刺納 樹 皮色袈 裟 ︵図 17︶ を 想起 させる。また玉虫厨子よりもやや 時 代は下ると思われるが、 類 似した表現を敦 煌 莫高窟・第一四八窟︵唐大暦十一年・七七六 年 造 営 ︶22 ︵ ︶ 西 壁 に描かれる涅槃変相図の舎利に関わる部分 ︵ 図 18︶ にみられることも注目しておきたい 。 敷物や岩場、植物などは︵六︶と 技 法・表現共に同様であり、 全体的にまだ成熟したとは云い難い 技 量から成っているが、 拙 いながらもこの糞 掃 衣のような細やかな描写には眼を見張る も の が ある。 ︵ 八 ︶と ︵九︶は形式こそ異なっているが 、黄で 輪 郭線を 描 き、朱漆を口部分や 斑 点の一部に施すと云う描法は同じである 。 ︵ 八︶の獅子を構成する線は非常に 繊 細で柔らかく 、それで い て筆の 走 りに一切の迷いがない。そのような線から生み出さ れ た後方を窺うように振り返る獅子の 肢 体はしなやかの一言に 尽 きる。また頭部・翼・尻尾などに表された体毛の軽やかさが そ れを一層引き立てる。そのような獅子の 座 す岩場はしっかり と しており 、︵六︶ ・︵ 七︶とは 随 分と異なり 、 荒々しい印象を 受 ける。それに合わせてか、線や 塗 り込みもまた同様である。 図17 七条刺納樹皮色袈裟及び刺し子拡大図
法 隆 寺 玉虫厨子 考 ―― 舎利供 養 図を中心 に ―― ︵長谷川 智 治︶ 一 〇 三 ま た獅子は足などが岩 場 と重なるように描かれており、その上 に獅 子が腰を下ろしていることが分かる。 ︵ 九︶の 獅 子も ︵ 八 ︶と同様 、迷いのない的確な筆致で 獅 子 を 描き上 げ ている。特にこちらの獅子は︵八︶に比べると、筆 に は充分な塗料を含ませて、筆 圧 の強弱から生まれる線の表情 を 積極的に 取 り入れている。そのような線で描かれた 獅 子の体 は ︵八︶に比べると胴体にも厚みがあり、 逞 しさを感じる。翼 の 形や尻尾の数、体の厚さから、この二匹の獅子は雄 雌 を描き 分 けている可 能 性もある。 岩 場は︵八︶と同じなのだが、こちらの 方 が堀塗りの塗り込 み が少々 粗 い。 最 後に ︵ 十 ︶ をみてみよう 。 ︵ 1 ︶ の 並 べられた岩片は 、すべて堀塗りによって描かれて お り、その 輪 郭線は震えもなく巧く引けている。その内に塗り 込 められた部分も絶妙な空間を空けており、その 数 こそ少ない も のの 岩 片の存在感は大きく、中央の大きめの 岩 片を中心とし て 左右に波文を広げていくかのような 表 現が施されている。 ︵ 2 ︶ の 反花座の 蓮 弁に施された堀塗りは一層細やかである。 蓮 弁先の描写は歪だが、それを構成する線の一本一本は繊細で 筆 の震えもなく中への塗り込みも巧みであり、その 輪 郭線との 隙 間は遠目では確 認 できないほどである。恐らく現代において、 図18 敦煌莫高窟・第148窟西壁涅槃変相図(守護舎利部分と拡大)
佛教大学総合研究所紀要 第十八 号 一 〇 四 このような細やかな 描 写を可能とする筆を作るための材料も 職 人 もいないだろう。しかしそのような線で反花 座 が描かれて い るからといって、このモティーフが軽々しい 表 現となってい る かと云え ば 決してそのようなことはない。弾けん ば かりに丸 々 とした蓮弁が連なるこの反花 座 からは、極め て 溌 は つ ら つ 剌 と した印 象 を受ける。その上に乗る五足の 盤 は一転して、太く逞しいが落 ち 着 きのある線によって描かれている。この盤は先にシルエッ トを黄で塗り潰した後に、朱 漆 で輪郭線を引いている。これ は 描 く対象の画面内での強調を目指したものだと思われる。線や 塗り 潰 し、堀塗りなどによる表現は玉虫厨子全体で頻繁に用 い られているが、この描法はこの画面でしか 扱 われていない。 そ れによりこの部分は、自ずと 鑑 賞者の眼を引く結果を生む。 そ こにこの技法を用いた意図があることが示 唆 される 。 ︵ 3 ︶ はこの画面上で最も 激 しい動きを表した箇所と云える 。 主に 蕨 手部分に瘤をもつS字やC字形から成る植物は、各々 が 思うようにその身を踊らせている。これには 堀 塗りが施され て いるの だ が 、︵ 2 ︶ の 反 花座の左右から派生するものは二種 類 の 植 物から成り、ぐんぐんと身を展開されていくが、その先端 部分の 蕨 手には堀塗りは施されていない。盤から派生するも の はどうか。その根本や左右に伸 び る蕨手も堀塗りが施されて い ないものが多い。そしてこの部分は左右の植物よりも 激 しく、 そ して密で何かの胎 動 にも似た静かながらも力強い蠢きをみせ て いる。それらを 構 成する線は流れるように引かれ、湾曲を連 ね る。瘤部分の 塗 り込みも狭く小さい部分ながらも、見事に施 さ れている。この植物が何かと云う 疑 問はすでに安藤佳香氏に よ って明 快 な結論が述べてお り ︶23 ︵ 、 この 盤 には水が張られている こ とが分かる。そしてそこから 勢 いよく生えていく唐草は、上 へ 上へと 伸 びていき、煙が天井に当り四散するかの如く、 ︵ 4 ︶ の蓮 台の下にゆったりと広がっている。 ︵ 4 ︶ も実に見事な筆によって 描 かれている 。線の太さも均 一 で安定しており、対象を 確 実に描写していく迷いのない筆の 動 きからは、工人の確かな自信とそれを裏付けるだけの経 験 と 技 工を感じさせる 。︵ 3 ︶ と 接 する蓮台の弁と高坏の弁とでは そ の 表 現を異としている 。前者 は ︵ 3 ︶ の蓮 弁 と同じで 、後 者 は ︵ 一 ︶ や ︵ 三 ︶ と同じ で ある 。 また 、 高台と合子部分は ︵ 五 ︶ と ︵ 2 ︶ の 香炉と水 盤 と同じ描法によって表現されてい る 。 蓮 台の大きさはほぼ ︵ 2 ︶ の 水盤と同じで、統制の 取 れた 線 から生み出される 表 現は、そのモティーフが異なってもその 繊 細さは損なわない。この箇所に関して云えば、ほぼ完全に左 右 相称であると云ってよい。それゆえにであろうか、落ち 着 き 払 った 線 で描かれる左右相称の蓮台と高坏に乗せられた合子は 静寂 に満ちた空間にその身を置く。
法 隆 寺 玉虫厨子 考 ―― 舎利供 養 図を中心 に ―― ︵長谷川 智 治︶ 一 〇 五 ︵ 5 ︶ もまた蕾部分は堀塗りで 、線にも落ち 着 きがある 。前 文でも少しふれているが、この三つの蓮華はただ無造作に 配置 されているのではなく 、︵十︶ 全 体の中心線の延長線上を通る ︵ 4 ︶ の合子摘みの上方に一つを描き 、そこから一 段 下がる形 で左右程同じ距離の位置にもう一つずつ描いている。この 配置 から ︵ 5 ︶ は ︵ 4 ︶ に付 随 するものと考えられる。またそれに より、左右相称を意識した︵十︶全体の 構 図は、より安定し た ものとなって い る 。
第三章
須弥
座
・正面絵画への一考察
第一節 構図・構成とその題材について ここまでこの舎利供 養 図がどのようなモティーフの集合体 で あり、それらはどのような形式や 技 法、表現によって描かれ て いたのかという点を中心に観察を 続け てきた 。 ではここからはそれらを踏まえ、 絵 画から一歩 離 れてその 全 体像に 眼 を向けよう 。 まず画面の中心に描かれているのは ︵ 五 ︶ の香炉 で ある 。こ れは構図上も、画面の対角同士を線で結 び 交わった部分に描 か れていることからも分かる。先行研究のすべては、この 一 画面 に一つの題材しか描かれていないことを大前提に 論 が展開され た が 果 たしてそうだろうか。ここまで行ってきた観察から、自 身 はこの香炉を境界とし、上下で異なる思想世界を描き分 け て い ると考えた 。 ま ず上半分は雲気の世界である 。︵ 一︶や ︵ 二 ︶・ ︵ 四︶に付 き 従う雲気は上画面一杯に 充 満しており、ここが聖なる空間で あ ることをより主 張 しているが、香炉より下には描かれていな い 。ここで雲気の表現そのものに 着 目したい。雲気には︵一︶ の 蓮華上下にあるような、ゆらゆらと 撓 む流動的ではない雲気 と 、左右から 流 れ込むように勢いのある 流 動的な雲気とに分け ら れ、この分類は画面上全ての雲気に 適 応される。それを考慮 し た上で 全 面の雲気をみてみよう。 雲 気 全 体は左右から画面中央に向かって流れ込むようにその 尾 を伸 ば し、中央に近づくにつれてその動きはゆっくりとした も のとなり 、 そして香炉から 上 方に向かって立ち 上 る香りの一 層 強い空間ではその雲気の流動性はほ ぼ 失われている。むしろ 失 われていると云うよりも、上方に押し 流 されていると云った 方 が 適 切かもしれない。これはつまり対流である。香煙は香炉 か ら立昇る香の煙であり、事実それは目 視 可 能 である。しかし そ の香り、香気を目 視 することはできない。しかしその不可 視 の 存在を示すため、 媒 介としてその役割を果たしているのが雲 気 だと 考 える ︵ 図 19︶ 。つまりこれは 嗅 覚のみでその存在を知り佛教大学総合研究所紀要 第十八 号 一 〇六 得 る香気を、雲気と云う 媒 体を通して可 視 化しているものと 云 えよう。無論、雲気がその 為 だけに描かれたわけではない。 し かしその存在意義の一つとしてこの役割を 担 ったことが示唆さ れる 。 ここで問題となるのが 、︵ 三︶が何を 表 したものなのかと 云 うことである。ここで二つの可能性について 提 示したいと思う 。 まず一つ目は、水野清一氏の述べるように、小型の 博 山炉で あ ると 考 えるものであ る ︶24 ︵ 。 もしこれが 博 山炉であるならば、香煙 描写が見られないことは疑問となる。二つ目はこれを 蓮 華の 蕾 と捉え、香気に呼応して大 輪 の花を咲かせて︵一︶と成り、 新 たな雲気を 発 散しながら上方へ向かうと云う 、部分的に異 時 同図法を用いた描写と云う可能性 で ある 。 先に述べたように 、 ︵ 一 ︶ は画面中最も雲気が密な部分 で ある 。 これは井 上 正氏 の 説 くような︹気︺の集積から成るものであ り ︶25 ︵ 、 そうであ れ ばこ れ はまさに雲気化生そのものと云える 。 何 れにせよ 、この上半分の中心観念や ︵三︶の 配 置を加味 す れ ば 、画面の中心にある︵五︶から︵三︶ 、そして︵一︶へ、 と 云う香気を介した関係は深く、宮 殿 部に元来安置されていた 釈 迦 像 ︶26 ︵ に 対する︿讃仏﹀と云う画題が自ずと浮か び 上がってく る 。またこのような香気への意識は、それを常に 絶 やさないよ う にと柄香炉をもつ手に合子を 携 える二僧の姿からも窺うこと が でき る ︶27 ︵ 。 そ の下には 蓮 華の世界が広がる。まずここで注目すべきは僧 と獅 子の視線の流れである。 ま ず︵八︶の獅子は 外 を向いており、この画面の何とも干渉 し ていないが 、 捨 身 飼虎図の半 身 しか描かれていない子虎同様 、 こ の画面の 外 にも描かれていない世界が広がっていることを示 唆 している ︵ 図 20。︶ 次に ︵九︶の 獅 子は何かを知らせるように 上 方へと首を 伸 ばし、声を上げる。その視線の先に座す︵七︶ の 僧は何かに気付いたようにやや 顎 を引き、視線を下方へと向 け 、その 視 界に入ったものを指差すような仕草をみせる。その 先 にあるのは、水盤から唐草によって 蓮 華座ごと持ち上げられ る 高坏に乗る合子 で ある 。 そして最後に ︵ 六 ︶ の僧は画面中央 に ある香炉に視線を注ぎ込んでいる。つまり 獅 子の反応した水 図19 香気の流れ
法 隆 寺 玉虫厨子 考 ―― 舎利供 養 図を中心 に ―― ︵長谷川 智 治︶ 一 〇 七 盤から派生する 唐 草の目指す先にあるのは香炉であり、まる で 何かに気付き、無意識に 腰 を浮かしてしまったかのような仕 草 にも見える ︵ 六 ︶ の僧が 反 応する対象もまた香炉 で ある 。 こ の ような僧や獅子の動きの中心にあるものは、 盤 の下からうね る ように 身 を踊らせる唐草や宙に舞う蓮華にみられるような蓮 華 思想である 。︵十︶の合子が唐草によって上へ上へと持ち上 げ られていく様は、奇蹟以 外 の何ものでもない。また合子が乗る 台 ・高台・座のすべてが 蓮 華であり、その合子を讃歎するよう に 舞うものもまた蓮華 で ある 。 つまりこの下半分の世界 で も香 炉 は空間が香気に満ちたことにより、エネルギー 表 現である唐 草 を発生させると云う奇蹟への助長的役割を 担 っているものと 考 えられる。また合子の中身は、唐草の 発 生と蓮華による讃歎 の 意味からその中身は供物のようなものではなく、もっと 尋 常 で はないもの、つまり舎利であると考えられる。また 肥 田路美 氏 が述べるように、舎利は 適 時﹁⋮高所に置いて目視できるよ う にする、というのが、これら見聞録を 通 して中国に紹介され た 聖遺 物 の基本的な扱い 方 だっ た ︶28 ︵ ﹂ ならば、 唐 草の身を捩らせ な がら合子を高所に上 げ ようと云う強い意識をもつ表現から鑑 み るに 、 やはりその中 身 は 舎 利 で あると考えるべきだろう 。 以 上のことから 、この下半分の画面は香気によって誘 発 さ れ た、舎利を供養する最中に起った奇 蹟 の一瞬を捉えた図で、 ︿舎 利 供 養 ﹀ を画題としたものと私考した 。 必 ずしも一画面に対して一つの意味しか内 在 してはいけない と 云う決まりは無く、むしろ観念的 世 界の景であるからこそ可 能 とした、一画面二図 構 成の表現と云える。 そ のような観念的な世界観は小さな部分からも 読 み取れる。 そ れは多角的視野による描写である。蓮華と宙を舞う 飛 天・両 僧 ・両獅子は鑑賞者とほ ぼ 同じ高さの目線から対象を捉えてい 図20 半身描写の子虎(捨身飼虎図)
佛教大学総合研究所紀要 第十八 号 一 〇八 るが、香炉と舎利台は正面斜め上からの視点で 捉 えている。 し かしほ ぼ 同じ目線にいるはずの僧の座す敷物は右斜め上から、 と云うようにここに描かれている世界は一つの 視 点のみで成る ものではない。このように自由な 視 点移動による 視 差的描写 こ そ、観 念 世界を表現する一つの手法と云えるのではないか 。 少し話は逸れたが 、 このように 上 下の世界 で その主題は 異な っていた。しかし同一画面に描かれていながら二つの 世 界観 が ぶつかり合い、画面を損なうようなことはなく、二要素が 一 画 面内で共存をしている。それを成した要因の 一 つとして、画 面 中心を縦に結ぶ各モティーフの形式的 連 携が挙げられる。ま ず ︵ 1 ︶ は︵ 八 ︶・ ︵九︶の岩場と呼応し、 ︵ 2 ︶ は生 命 エネルギ ー の根源を示す唐草によって、舎利容器や高坏を持ち上 げ る。 な お、この水 盤と ︵ 4 ︶ の蓮華 座 では、水盤の方が少し大きい程 度で、水盤の中に蓮華座はすっ ぽ りと収まる。つまり ︵ 4 ︶ の 蓮華座が元々その水盤に浮いていたと想定される。そして 持 ち 上げられた舎利容器を先導するように描かれた 蓮 華は 、︵五︶ の足に付く 蓮 華と同じ表現による。香炉から立昇る香煙は線表 現で、それと共に舞い上がっていく雲気も同 様 である。そし て ︵ 三︶を介して ︵一︶は密な香気や雲気に触れ 、大 輪 の華を 咲 かせる 。 もしくは ︵ 三 ︶ は ︵ 一 ︶ へと化生する 。 つまりその 求 心性は一画面を通して下から上に向 け られており、モティーフ か らモティーフへと同一 技 法ないし、同一表現で視覚的に 襷 た す き を 渡 していっていると云える 。 これにより 、上 下 で 分断される画 題 であっても、中心に 配 されたモティーフの表現的繋がりによ っ て、見事な一枚の 絵 画として完成しているのである。 ま た 上 の雲気世界に ︵ 一 ︶ と云う蓮華を 、 下の蓮華世界に ︵ 六 ︶・ ︵ 七 ︶ のもつ柄香炉から立昇る香煙をと云うように 、上 下 で異なる 世 界の要素を配することで、統一感を有する一画面 に仕 上げている。 以 上のように、須弥座正面の 絵 画は一画面でありながら二つ の 思想 世 界を混成一体化した絵画であるが 、その中心を息づ く のは 釈 迦の存在であった。 ﹃聖徳太子伝私記﹄にあるように、 宮殿 部には元々 釈 迦像が安置されていたとされ る ︶29 ︵ 。 画面 上 方に 表 された宮殿部本 尊 であった釈迦像への ︿讃仏﹀ 、そして下方 の釈 迦の遺骨を供養する︿舎利供養﹀と表現されているように、 宮 殿部の存在も加味した絵画である。 鑑 賞者の視点は下方から 上 方に向かって手を引かれるように導かれ、釈 迦 の遺骨に対す る ︿舎利供養﹀の最中に起った奇 蹟 、そして上方宮殿部に向か う 雲気と香気に満ちた︿讃仏﹀と云う二つの奇 蹟 を体感し、そ の 先にある天部の守る扉から 、遂に釈 迦 像が姿を現すのであ る ︵ 図 21︶ 。 こ のような 二 つの思想観念が玉虫厨子の中に混在しているこ
法 隆 寺 玉虫厨子 考 ―― 舎利供 養 図を中心 に ―― ︵長谷川 智 治︶ 一 〇九 とは 、 す で に井 上 正氏によって 論 じられて い る ︶30 ︵ 。氏は﹁⋮2 種 の﹁化生﹂ 表 現の 併 存がみられ、そのなかには蓮華のまわりに 雲気を配して一団のものとするなど、融合の境地に 達 している ものもある 。﹂ と述べている 。この須弥座正面の絵画にも無 論 それは根付いているのだが、捨身飼虎図や施身聞 偈 図のように 双方をただ 配 してその観念を示すだけでなく、二つの画題と 思 想をある程度描き分 け ながらも、さも一つのものであるかの如 く混成させると云う思想画として他の面に比べ、より高度な 表 現を成し遂 げ ていると云える。 ここに表された︿讃仏﹀と︿舎利供養﹀と云う 二 つの奇蹟は、 そ れぞれ異なる創成観を根源とし、釈 迦 の涅槃に入る前と後と 云 う異なる時間に属する 二 つの姿を香炉と云う要素を用いて橋 渡 しをし、悠々と画面を飛び越え、釈迦が如何に 尊 い存在であ る かを玉虫厨子はその全身をもって対 峙 する者に示しているの で ある 。 第 二節 工人について で は最後にこのような多要素から成り、複雑な構 造 の須弥座 正 面画は 誰 が描いたのであろうか。これまでも再三述べてきた よ うに、部分によって 技 法・表現の 技 量差が眼に付く。これは 部 分的に施工した工 人 が異なることを物語ってい る ︶31 ︵ 。 拙 論 ︶32 ︵ で 以前述べたように、須弥山図を描いた工 人 の如く、部 分 的にわざと拙く筆を 振 ったという可能性も否定はできな い 。しかしこの画面において、それを行う 理 由が見当たらない。 ︵ 2 ︶の蓮弁のような細やかな堀塗りを施す工 人 が 、僧の岩場 の ような 臆 病な堀塗りを施すだろうか。否である。理由は定か で はないが、この画面には 確 かに二人以上の筆によっている。 で は各モティーフの 技 法と表現の観察から得た結果を元に、 そ の 工 人について考えてみよう。 ま ず思考すべきは、下 絵 の問題である。この玉虫厨子 絵 は多 く の工 人 の手によるもので、師匠格の工 人 が先んじて描いた絵 図21 玉虫厨子(正面)
佛教大学総合研究所紀要 第十八 号 一一〇 画を手本・参考とし、その下に就くもの 達 が各々担当した部分 を 描 いてい る ︶33 ︵ 。自身はそれを下 絵 の 段 階から各自が責任をもっ て施工したものだと解釈している。となれ ば この須弥座正面 の 絵 画も、他の画面同様に下 絵 を描いたのちに作画が行われた で あろうことは想像に 難 くない。ここまで述べてきた通り、描 く 世界観やモティーフの 配 置とその描写など、実に柔らかな発 想 と 表 現から成っており、玉虫厨子絵全面で考えるとそのような 下絵が描けるのは捨身飼虎図などを手掛けた師匠格の 工 人以 外 考 えられない 。 そしてこの図は下絵を元に 描 き 起 こされたものだろうが、そ のモティーフの 配 置に特長がある。それは個々のモティーフが 独立しており 、 画面 上 の何処から描いても 、 他のモティーフに 筆が干渉しない点にある。このようなことは他の面では成し 得 ない 。 そのような視点から考察すると、師匠格の工 人 がその腕を揮 ったのはその 技 術力と表現力から 、︵五︶と ︵十︶であると考 えた。細やかな堀塗りや 揺 るぎの無い線、そしてそれによって 生み出される躍動感と生命力に満ち満ちた 唐 草表現などから、 そのように読み取った 。︵ 五︶は雲気世界で行われる ︿ 讃 仏﹀ と蓮華世界で行われる︿舎利供養﹀を繋 げ るための重要なモテ ィーフであり、画面 全 体を覆う重要な鍵である。そして︵十︶ は 、まさに 蓮 華世界を構築するための主となる存在である。 先 に述べたように、この 絵 画はどの部分から描いても、モテ ィ ーフ別でさえあれ ば 例え別の筆であっても干渉しないような 構 図となっている。もし仮に師匠格の工 人 が、この 二 箇所をま だ 何も描かれていない画面に描いたと想定すると 、 ある利点が 生 ずる 。それは各図像の 配 置である 。画面の中央に位置する ︵ 五︶と 、画面の下部中心に 位 置する ︵十︶が先んじて描かれ て いることにより、後に筆を 取 る人間にとって他のモティーフ 配 置や上下左右の均衡は格段に 取 りやすくなる。下絵の段階で 勿論 構図は完成していただろうが、無 地 の板に筆を入れるのと、 指 標がある状態から描き出すのとでは描きやすさに雲 泥 の差が 生 まれる で あろう 。 で は残りの部分は 誰 が描いたのか。それは、 飛 天の描写や雲 気 の揺らめき、 獅 子と岩場が重なる部分の描写、糞掃衣の表現 な どから、須弥山図を手掛けた工 人 であると考えた。須弥山図 は その表現力や、線に頼り 過 ぎているなどの点ではまだまだ成 長過 程にある工人であることが読み取れる。しかし玉虫厨子絵 全 面で考えた場合、この人物は師匠格の工人に次ぐ 技 術の持ち 主 である。線に頼り 過 ぎると云う点に関して云えば、下絵を師 匠 格の工 人 が手掛けている時点でその問題は解消される。堀塗 り 部分のやや荒々しい部分や 頼 りない部分、湾曲を繰り返す雲
法 隆 寺 玉虫厨子 考 ―― 舎利供 養 図を中心 に ―― ︵長谷川 智 治︶ 一一一 気の線、そして 繊 細ながらも力強い筆致によって描かれる翼や 体毛をもつ獅子など、須弥山やその周囲を取り巻く雲気に 飛 天、 そしてそれの麓に巻き付く 二 匹の龍の翼や鱗などから同一の 筆を感じ 取 れる ︵ 図 22︶ 。 またこれにより ︵ 五 ︶ の香煙と ︵ 六 ︶・ ︵ 七︶の香煙とで異なる印象を受けたのは 、筆を握った工 人 が 異なることに起因していたとこれにより理 解 される 。
おわ
りに
以 上、この玉虫厨子正面画を 構 成するモティーフに対し、そ こ に盛り込まれた 技 法や表現を一つ一つ読み解いてきた。その 上 で画面全体の 構 成や画題、そしてそれを描いた工人とその分 担 について考察を 進 めてきた。 ま ず画面 全 体の構成であるが、一画面に対して一つの画題を 描 くという一般的解 釈 から離れ、各モティーフを観察するとこ の 正面画は 二 つの画題を有し、それは画面中央に描かれる香炉 を 境界としていることが分かった 。 上 方に描かれるのは︿ 讃 仏﹀である。中央香炉︵五︶から立 昇 る煙は香煙であり 、それはゆらゆらと 上 昇をする 。左右か ら 飛来する飛天 ︵二 ・四︶の手に携えられた高坏をもつ 蓮 華 ︵ 三︶は不可視の香気を受けてそれに呼 応 するように上方へと 舞 い、大 輪 の華︵一︶を咲かせている。このように香炉を発端 に 上方へと押し上 げ る求心性が読み取れるのだが、その開花し た 蓮華が向かう先は画面の枠を超えた、宮 殿 部に元々安置され て いた 釈 迦像である。これにより、香気をはらんだ蓮華と飛天 に よる 釈 迦への讃歎、つまり︿讃仏﹀の表現が完成している。 そ して下方に描かれるのは ︿舎 利 供 養 ﹀で ある 。 合子の乗っ た蓮 台をグプタ式唐草によって持ち上げる︵十︶は、中央香炉 図22 須弥山図(部分)佛教大学総合研究所紀要 第十八 号 一一二 ︵ 五︶の香気に 反 応するようにその求心性を上方に向けている。 では合子の中身は何なのかという 疑 問に対しては 、僧 ︵六 ・ 七︶と 獅 子︵ 八 ・九︶が向ける視線の流れや、合子そのものを 持ち上 げ ると云う行為とそれを乗せる台の荘厳性の高さなどか ら考察を深めた 。 結果 、 この摘みの付いた合子は 供 養物などを 入れるものではなく、もっと 尊 いもの、つまり舎利容器である と 理 解した。これにより、香気を発する香炉と、それに呼応し 求心するように舎利の入った合子が 蓮 台ごと唐草によって持ち 上げられると云う二重の奇 蹟 を目の当たりにした僧たちによる ︿ 舎利供 養 ﹀の 表 現は完成している。 以上のように画題は上下 二 つに分かれているが、下方から上 方へと向かう求心性は同一であり、讃歎、供養する対象も 釈迦 と舎利と云う同一の 概 念を有している。また香気は上部では香 煙と雲気の流れから香気を可 視 化して、その空間が香気に満ち ていることを 表 し、下部では僧が柄香炉で香を焚きつつも、そ れを絶やさぬようにと香の入った合子を手に 携 えているような 描写から、下部の空間もまた香気に満ちていることが 読 み取れ た 。 これらのことから文字通り、この玉虫 厨 子正面画の中心を貫 くのは 釈 迦の存在であり 、︿讃仏﹀と ︿舎利供養﹀と云う二つ の図を繋ぎ、画面全体を支 配 する一大要素は、眼には見ること の 出来ない香気であることが 示 唆された。 続 いてこのような作画を行った工 人 についてだが、これまで 一人 の工 人 によって描かれたとされてきたこの正面画は、 二人 の 手によるものであることが技法と表現、 全 体の画面構成など か ら読み 取 れた。 そ れはまず最も出来のよい捨身飼虎図などを手 掛け た師匠格 の 工人が下絵制作を行い 、︵ 五 ︶と ︵ 十 ︶を描いた 。これによ り 二つの画題が描かれていく画面には画面全体のバランスを 取 る ための指標が先に 示 された。そして残りの部分は、師匠格の 工 人に続く力量を 示 す須弥山図を手掛けた工人によって描かれ た と推測し、この正面画は、師匠格の工 人 が中心となって、 二 人 の手によって描かれた合作の絵画であると私考した。 何 故に一面の絵画に対して 二 本の筆を取る必要があったのか は 定かではない。現在の工房体制を考えるなら ば 不合理この上 な い。しかし時間・労力・材 料 を惜しみなく注ぎ込み、実用性 を 念 頭 に置いた堅牢な作 り ︶34 ︵ や推 古天皇の御厨子と云う伝 承 ︶35 ︵ な ど か ら、大陸からの漆芸などに関わる極初期的な 技 術伝播の中で 自 由な発想の元、この玉虫 厨 子は施工されたのではないかと想 像 を膨らますのである。 こ れまで玉虫厨子 絵 の観察を進めてきた中で、この正面画の 厨 子内での位置付けについて明確な答えが 得 られずにいた。な
法 隆 寺 玉虫厨子 考 ―― 舎利供 養 図を中心 に ―― ︵長谷川 智 治︶ 一 一 三 ぜなら玉虫厨子絵の絵画表現から、捨身飼虎図と施身聞 偈 図、 霊鷲山図と須弥山図、そして 二 枚一組の扉絵に描かれた天部 立 像と菩薩立像と云うように何かしらの面と組になるような 構図 構 成で描かれていると考えていたからである。しかし今回の 考 察から、この正面画は別の 絵 画と組み成すものではなく、一画 面で ︿讃仏﹀と ︿ 舎利供養﹀と云う 二 図を表現し 、︿ 讃仏﹀ に 至っては画面を飛び越えて、宮殿部に安置されていた釈 迦 像を も巻き込んだ他の面では見られない表現・ 構 成が成されている ことが明 確 となった。自身は、絵画内に充 満 する香気と合わ せ るように、 厨 子前に置かれた香炉から 揺 よ うよ う 揺 と 漂う香煙に 満 ち た 堂内、そしてそこに響く読 経 、と云う在りし日の玉虫厨子の 姿 に想 像 をふくらますの で ある 。 図 註 図 1 玉虫厨子︵正面 ︶ 図 2 須弥 座 正面・舎利供 養 図 図3 トレース図 全体見取り図 図 4 トレース図 蓮華 ︵ 一 ︶ 図5 トレース図 左方飛天︵二︶ 図6 トレース図 右方飛天︵四︶ 図7 トレース図 飛天に支えられる高坏︵三 ︶ 図8 トレース図 香炉︵五 ︶ 図9 トレース図 左方僧︵六︶ 図 10 赤 銅 柄 香 炉 甲 ︵ 南 倉 五 二 ︶ 長 さ 三 六 ・ 〇 ㎝ 、 高 さ 一〇・ 五 ㎝、炉口一二・三 ㎝ 法隆寺献納宝物280号・281号の鵲尾形柄香炉も同様の形 式から成っており、飛鳥時代の作とされる︵加島勝﹁正倉院 宝 物の鵲尾形柄香炉﹂ ︵﹃佛教藝術200号﹄毎日新聞社一九九 二 年二 月︶ ︶。 図 11 金 銅 大 合 子 丙 ︵ 南 倉 二 七 ︶ 総 高 二 九 ・ 〇 ㎝ 、 胴 径 一 七・七 ㎝ 図 12 ト レース図 右方僧 ︵ 七 ︶ 図 13 ト レース図 左方獅子︵八 ︶ 図 14 ト レース図 右方獅子︵九 ︶ 図 15 ト レース図 舎 利 供 養台 ︵ 十 ︶ 図 16 投 身した太子︵捨身飼虎図 ︶ 図 17 七 条 刺 納 樹 皮 色 袈 裟 及 び 刺 し 子 拡 大 図 ︵ 北 倉 ︶ 縦 二 四七・〇㎝、横一四四・五 ㎝ 名 称にある刺納は刺衲に通じ 、すなわちこのような刺し 子 の こと。また樹皮色とは、諸色の交錯による 不 定形な斑文の意 と解されている ︵ 松 本包夫 ﹁九条刺納 樹 皮色袈 裟 解 説 ﹂ ︵ ﹃ 正 倉院宝物にみる仏具・儀式具﹄紫紅社 一九九三 年 一 〇 月 ︶ ︶ 。 図 18 敦 煌 莫高窟第一四八窟西壁涅槃変相図 ︵ 守護舎利部分と 拡 大 ︶ 図 19 ト レース図︵香気の流れ︶ 図 20 半 身描写の子虎︵捨身飼虎図 ︶ 図 21 玉 虫厨子︵正面 ︶ 図 22 須弥 山図 ︵ 部分 ︶
佛教大学総合研究所紀要 第十八 号 一一四 註 ︵ 1 ︶ 村尾次郎﹁第三章 奈 良の﹁たくみ﹂たち 5.玉虫 厨 子 の 秘 密﹂ ︵﹃日本歴史新書 増補版 奈良時代の文化﹄一九六六年 一 一月︶ ︵ 2︶ 玉虫厨子法 量 ・扉 絵⋮横一三・ 二 ㎝ ︵九・四︶ 縦 三一・〇 ㎝ ・ 宮 殿 部背面⋮横四七・ 七 ㎝ ︵三五・ 二 ︶縦三一・ 〇 ㎝ ・ 腰 板 ⋮横四九・五 ㎝ ︵三五・五︶縦六五・〇 ㎝ 秋山光 和 ・辻本米三郎﹃奈良の寺6 法隆寺玉虫厨子と橘 夫 人 厨子﹄岩波書店 一九七五年三月 ︵ 3 ︶ 井 上正 ﹁﹁気﹂の世界﹂ ︵﹃ 岩 波 日本美術の流れ2 7 ― 9 世紀の美術﹄岩波書店 一九九一年一二月 ︶ ︵ 4︶ 漆の主成分はウルシオールで、空気中の水分と反応して乾燥 をする。この際発散されるウルシオールが 漆 気触れの原因で あ る。季節によっても異なるが日本産の場合、摂氏 二 五∼三〇度 、 湿度七五∼ 八 五%と云う高温多湿の状況が好もしい。一度乾い て しまうと非常に 堅 牢なものとなる一方 、 乾く前の 漆 は油分 に 弱 く 、 部分的に で も付 着 するとその部分は一切乾燥しないと 云 う 特長もある。また精製を終えた漆に顔料を混ぜたからと云っ て 、その色になるわけではなく、 発 色可能な色は 限 られる。 材 質としては、他の画材に 比 べて粘 度 が高く、均一の太さの 線を 長 く引くだけでも、相当の 経 験を要する。また気触れと云う要 因もあり、 誰 でも気軽においそれと扱うことの出来ない画材と 云 える。油に関しては顔 料 と密陀油を 混 合したものだと云わ れ て いるが、定かではない。ただ、顔 料 と油を 混 ぜたものであ る の で、混ぜた顔 料 の色がそのまま塗 料 の色となる。また気触 れ や 乾 燥 のための制約などもなく、 誰 でも扱える画材と云える 。 ︵ 参考荒川浩和 ﹃漆工芸﹄保育社 一九八二年八月/ 松 田権 六 ﹃うるしの話﹄岩波書店 二〇〇一年四月︶ ︵ 5 ︶ 河 田貞 ﹁玉虫厨子の調査から﹂ ︵﹃ 伊 珂留 我 法 隆寺昭 和 資財 帳 調査概報2﹄小学館 一九八四年六月︶ ︵6 ︶ ま ずその代表的とも云えるのが、この玉虫厨子 絵 が何によっ て 描かれているのかという画材問題である。この問題につい て は 、 漆 絵説と密陀絵説で 激 しい 議論 が成された。 漆 絵説を説い たのは 、六角紫水氏 ︵﹁玉蟲厨子絵 畫 の顔 料 は密陀僧に非ざる 辯﹂ ︵﹃佛教芸術第十三冊 飛 鳥藝術の研究﹄佛教美術社 一九二九年六月︶ ︶や 松 田権六氏︵ ﹁玉虫厨子の漆絵について そ の1 ﹂︵ ﹃ 古美術一七﹄三彩社 一九六七年四月︶ ︶などの 漆 芸 家によって制作的見地から、その 絵 画のすべてが漆による 施 工であるとした。これに反論したのが上村六朗氏ら︵上村六朗 他 ﹁正倉院密陀 絵 調査 報 告﹂ ︵﹃ 書陵部紀要四号﹄宮内庁 一九五四年三月︶ ︶で 、紫 外 線調査をもとにした結果から 、 漆 で はなく顔 料 に油を混ぜて作られた油塗 料 によって施工された とした。また亀田 孜 氏によって、 人 物の肉身部のみ白と朱の 混 合 で残り部分は漆によるとする油絵説︵亀田孜﹁玉虫厨子と 橘 夫 人厨子﹂ ︵﹃日本絵画館Ⅰ﹄講 談 社 一九七〇年︶ ︶を唱えた 。 様々な議論が重ねられる中、法隆寺昭和資財帳編纂のための 調 査 により、画面中の黒と朱の部分は漆、黄色と青緑の部分は 油 を 含んだ顔料であることが 報 告され、漆と油の併用から成る絵 画 であることが判明した 。︵河田貞 ﹁玉虫 厨 子の調査から﹂ ︵﹃伊珂留我 法隆寺昭 和 資財帳調査 概 報2﹄小学館 一九八四 年 六月︶ ︶ ︵ 7 ︶ 長谷川 智 治﹁法 隆 寺・玉虫厨子絵 ― 捨 身 飼虎図を中心に ― ﹂ ︵﹃佛教大学大学院紀要 文学研究 科 篇 第三十八号﹄二〇一〇