• 検索結果がありません。

Vol.64 , No.1(2015)080酒井 真道「ヴィヨーマシヴァとシュリーダラの刹那滅論証批判 : その批判の対象と批判の論点」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "Vol.64 , No.1(2015)080酒井 真道「ヴィヨーマシヴァとシュリーダラの刹那滅論証批判 : その批判の対象と批判の論点」"

Copied!
8
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

印度學佛 教學 研究 第

64

巻 第

1

号  平成

27

12

67

ィ ヨ

       刹

滅論

対 象

批 判

論点

酒   井   真  道

1

問題

所在

本稿

 

仏 教の

説は

13

世 紀 初頭にイン ド仏 教 が 衰亡 を迎 える まで仏教 徒 と非 仏教

との

論争

の 一 トピ あ り続けた.仏 教 側で はジュ ニ ュ リー ミ トラ ← Jfi)や ラ トナ キ ール テ ィ (=RK )が ,

側で は ウ ダ ヤ ナ が , その

争の最 終 局面 を伝 えるが ,刹 那滅 説の証 明方 法が確立 さ れ , ある程 度 固定 化 され る ダル マ キール テ ィ (=

DhK

)以 降, 彼 らの 時 代 に至 る までの 問の 論

史に は不 明 な

な くない .

9

か ら

ll

世紀前半

まで の

約 2

は,

那 滅

を 巡 る

論争

史研 究の 空

期 間と なっ てい る .

  DhK

の刹 那滅論 証に対し体 系 的な批判を展 開した最初のバ ラモ ン

思想 家は ニ ヤ ー ヤ学 派の シ ャカ ラァー ミン

SS

) (ca .7201730−78017gO) と見 なさ れ る が 1) , 彼の著作 は現 存 しない 2)舘 以 降最 初思 想 史登場 す反刹 那滅 論 者で , その 著

現存す

る思 想

は , ヴ ァ イシェ ーシ カ

学派

の ヴ ィヨ ーマ シ ヴァ ← vS ) (900 年 頃)3)であろ

代 的に重 要 な位 置にある に

か か わ ら

那 滅 論 批 判は,

者の 知る 限 り, これ まで十 分に取 り上 げ られて こなかっ た .こ の よ

な状 況に鑑み, 本

稿

で は, 刹那滅

を巡 る

論争史

研 究の 空 白期間を埋める 目的で ,

V

の刹 那 滅 論批 判 を考 察 する .特 に本 稿は ,論 証 因を

存在性

(sattVa )と する ,sattvdnumdina (−

SA

) と呼 ばれ る ,刹那滅 説の 理形 式に対 する彼の論 理 学 上の批判 に焦 点を合わ せ ,彼の対 論 者 説を吟 味 し, そ して対 論者 説を論 駁 する 彼の 論 点 を考察 する. これに よ り,

V

自の 時代 にお ける論 争の 具体 的 な状 況を明 らか にする のが本 稿の 目的で ある . ま た

本稿

で は,

論争

の 状況 をよ り詳細 に 把 握 する目的で,

VS

に後 続 する シュ リー ダ ラ( −

SDh

)(

10

紀後半頃)

Nyayakandali

に お

議論

も,

対論者説

の内

容分

析を中心に, 併せ て検 討 したい .

(2)

68

) ヴィ ヨーマ シヴァ とシュ リーダラの刹 那論証  

2

V

対 論者説

吟味

 

vS

紹介す

る仏

教説

特徴 的

なの は, い わ ゆ る v伽 ワ の θδδ励

脚 〃吻 α (所 証 属性の矛盾概 念の域に論証因 が起こることを否 定する正 しい 認 ≡ VBP >の 使用方 法 である.彼の対 論 者は,非 瞬 間的 な ものが ,継 時 的 な仕 方で も瞬 時 的 な仕 方で も 目的実 現 を為 しえない こ とを証 明 した後に,以 下の ようにその

SA

を結 論 付 ける. [対論 者 ;れ ゆえ,この よ うに,非瞬間的 な諸々の ものに起らない 目的実現は,[目 的実現 それ] 自身に よっ て遍 充 されて い る存 在 性を把捉して , [非 瞬 間 的な諸々 の もの に]起 らない .とい うわけで,非 瞬 間的 な諸々 の もの は非存在で ある. それゆえに,こ の よ うな仕 方で,否 定する もの (需VBP )が知 ら れる こ とを根拠に, 他な らぬ主題 に おい て (pakSa eva ),非 瞬間 的で は ない の かとい う疑い の排 除が実現する場合 ,存在性こそ が 瞬 間的で あるもの を証 明する もの である 4).  対 論 者は,他 ならぬ主題におい て,

VBP

に よ り, その 主題が非 瞬 間的で は ない のか とい

疑惑の排 除5>が 実

現す

, 存 在性 が 瞬 間性 を証 明

る論証 因とな る, と述べ る . こ こで主張 され る,

VBP

の , 主題 へ の 直接的 な使用 6) , 後代 モ ー ク シャ ー カラグ プ タ (=

MK

)が ,「内遍 充の立場 」(antarvydiptipakSa )と して説 示 する もの 7)と

容 的に

しい . こ の見解 に対 し

vS

は ,以 下に

SA

批 判の 中で , 主題に対 し

VBP

を適 用

るの は不 適

だ と

論駁す

る .

3

vS

SA

批 判

 

SA

に対 する

V

の論 理学 上の批 判 は三つ の 論 点 か らな される.第一の 論 点 は因 の 三相,第二 は因の , そ して第三 は因の 二相お よび第三相,である. その 三点の 何れ も,

VBP

を主題 に用い る とい

主 張に ,直接 的 あるい は間接 的に 関わっ て い る .

3

L

 

因の

相 (

否定

随伴)

に関して

 

まず,

V

は ,非 瞬 間的 な もの で も共働 因に依存 して継 時 的 或い は瞬時 的に 目 的実 現を為 すことが 可能であ る と し,

在性が否

的随伴 を欠 くこ と を

摘 する.

 次

に,

VBP

を主 題に用い こ との

さ を

摘 する . こ こで の 主題 と は, 論 証 因で ある存 在 性 が存在 する もの で あ り, それ につ い て瞬 間性が肯 定 的に 証 明され なければな らない の で ある.一

VBP

非瞬

な もの につ い て そ れ が

非存在

るこ と を, つ ま

り否 定的随伴

証明す

の で

る.

なわち,

非瞬

な もの に用い られ るべ この

VBP

を, 主題に用い るこ とは不

切で

る. 一

457

一 一

(3)

ヴィ ヨーマ シ ヴァ とシュ リーダ ラの刹 那滅論 証批 判 (酒 井) (

69

 

こ の

指摘

仏教徒

は,

「非瞬間性」

と, 目的

実現

に関

る 「継 時性 ・

性 」との矛盾 を根 拠に

VBP

が ,主題 につ い て,

瞬 間的で はない の とい う疑 惑 を排 除する場 合,

VBP

が瞬 間性 を証 明する, と主張 するか もしれない これ も

棄却

さ れ る ,矛

の 理

は, 矛

盾す

る二 つ の もの の存 在 を前提 とするが ,こ の

証の 場 合,仏教 徒はその 一

である

非瞬

間 的な

の の

存在

めて い ない か らで ある, そ して , もし矛盾が理 解 される とする ならば ,非 瞬 問的な もの は, 矛

に つ い て の 理 解 を 人に 生 ぜ しめ る こ とに なる. この ことは,

非瞬

の が

認識

を生 ぜ しめ るとい

目的 実

能 力 を もっ てい るこ とに他 な らない . よっ て,

非瞬

間的な もの で も, 目 的

現を

為 す

の で ある か ら, 否 定 的 随 伴は成 り立 た ない 8) この 批 判の論 法は 舘 の説を継 承 した もの と理

で き る9)

3

2

論証

因の

相 (

主 題所 属 性

に関して

 

V

白は

論証

因そ れ

自体

の ス テ ー タ ス につ い て批 判 する .仏 教 徒か らの

直前

の主

にあっ た よ

に ,

VBP

こそ が主題 に おい て瞬間性 を証 明 する もの であるな らば, 一 , 存在 性 とい う論 証 因の役 割は何か .

存在

性 とい

う論

証 因 は無 意 味で

る . こ れ に

し仏教

は, 根 本にある (mau !

ya

存在

性, す なわち主題にある, つ ま り主 題に限

さ れ た

存在性   

独 自相 とも言 うべ か一 によっ て, 主 題の 瞬間 性 が 証 明 さ れ る, と主 張 するか もしれ ない . その場 合,その 瞬 間性は ,共 通

では な く

独 自相

レヴェ ル の もの で

る か ら, その瞬 間性は推 理に よっ て決定 さ れ るべ きもの である とは言 え ない 1°)

3

3

. 因の 第二相 および三相に関 して

 

最 後にt 肯 定 的随 伴 ・

的随

観点

か ら存 在性 う論 証 因

指摘 し,

V

SA

批 判 を締め く くる. [VS :]そ して, 「存在性の ゆえに」とい う論証因 に とっ て, [所証属 性 を]理 解させ るも の であ る とい う性 質は, 諸同類 ・諸 異類 との肯 定 的随伴 ・否 定 的随伴な し に は, 規則に 沿わない . なぜ な ら ば, [さ も なれ ば [の 属性 ]さえ も [所証 属性を]理解さ せ るものである とい う性 質 を もつ い う不都 合 な帰結が あるか ら. 実に一切の ものが主 題の 中に含められ るの だか ら, 同類 ・異類 が まっ たく存在しない. 主題な どの分 立は概 念 構想に よっ て虚構さ れ た もの である のだ か ら, 概念構 想に よっ て虚構さ れ た同類 に お い て肯 定 的随伴が あ り,そ れ (二 概 念構想)に よっ て 虚構され た もの に他な ら ない 異類 に おい て否定 的随伴がある,と考 えて, [「存在 性の ゆえに」とい う論 証 因 に所証属性 を] 理解させ る もので ある とい う性 質がある な ら ば, 然ら ば, この ように して,推 理は,概 念構 想に よっ て虚構さ れた,主題などの分立に依存 して い る [のだ か ら]で っ ち あ げら れ た もの で あ る.従っ て,他 なら ぬ瞬 間性は 虚偽に違い ない 11〕.

(4)

(70) ヴィヨ ーマ シヴァ とシュ リーダラ の刹 那滅 論証批 判 (酒 井)

 V

忌は,

SA

では 一 切が主 題に

め られるか ら同

類 も異類 も全 く存在

,それ ゆ え ,論 証 因は不 共 不

の過

を犯してい る と言

. こ れに対 して仏教 徒は ,

実と して は

全て

が主 題であるが ,概 念

想に よっ て ,主

類が虚

さ れ るこ とで , 不

過失

は回避される, と主

するか もし れない , しか し, その よ

な虚

に基づ く推 理 は, で っ ち あげ られ た もの に過 ぎ

, でっ ち あ げられ た推理 に よっ て証 明 さ れ た

間性 は 虚偽に他な ら ない .   こ こで批 判さ れ る ,

SA

の 主題が 「一切 」である とい う見 解は ,ア ル チ ャ タ (= Ar ) に トレース で きる.更に また, その 説に対 し, この 論

因が不

である と指摘 したの は, 論

争史

の 上で は

くvS

最初

であろ

12)

 

Ar

HetUbindutika

に おい て,

1

)存在

性とい

論証 因を用い て一切の もの に瞬 間 性が行き渡っ てい るこ と を証 明 し よ うとする者に は同類は存 在 し ない ,

2

)知 覚 に よっ て

られ ない か ら喩 例 とな り

る瞬 間 的 な もの を提 出するこ とは で きない , とい

二 つ の 理 由か ら,

構想

上の もの で

あ り

実在

(vastubaia )に由来 する もの では ない , と述 い る13)

Ar

は ,実在

う観点

か ら

れ ば ,因の

虚構

で あ り,あ くまで形 式上保 持 され るべ もの に過 ぎない と理 解 して い 14)

V

, こ の

ま え た上で批

え, 因の 三相 説 が 虚構で ある な らば,

SA

で論 証 さ れ る

証属 性その の が虚

であ る と批判して い る と

えられ る.

 

また ,

SA

におい て は 「一切

が主題に含 まれ , 同類 も異 類 も存 在 しない , と い

記述か ら,

V

自の対 論者が,  

VBP

を 主 直接 用い る とい

立場に立っ てい る理由が理 解で きる.対 論 者にはすべ てが主題だか らであ る ,

3

4

. 小結

 

以 上の

考察

か ら

vS

は,

後代

の 仏教

徒 MK

よっ て

「内

遍 充

づ け られる立 場を取る仏 教徒 を相 手に, その論 理の種 々 の 過 失を因の 三

相 説

観点

か ら

指摘

し てい ることが

か る .

4

SDh

SA

批 判

 

Nyayakandalr

におい て

SDh

が対峙 する対 論 者説は,大 枠で は

VS

が対 峙 した そ れ と

を一 に してい る.そして, それ を論 駁 する

SDh

の 批 判の 論 点 もまた, 基

的には

V

そ れ

じてい る .ただ し,

論争 中

SDh

iti

 cetl

る 仏教

か らの反 論は 豊富で あ り,それ ゆえ

SDh

V3

の そ れ よ りも広 範 囲にわ た り, また意 を尽 くし た もの となっ てい る .就 中, 以 下 に 見 る , 一

455

一 一

(5)

ヴィ ヨーマ シ ヴァ とシュ リーダラの刹 那 滅 論証批 判 (酒 井) (

71

) 対 論者 に よっ て ,

1)

SA

の 論 証 式が提 示 さ れる点,

2)

論 証 因が無意 味で あると い

う指

摘を 回避 する た め に,

々 の 説が提 示 されて い る点, こ の 二 が ,当時

論争

状 況を

る上で 重 要である .

4

1

SA

の論 証式

 

SDh

の 対 論 者は, 主題 を十二処と し,喩 例 を もたない 特 徴 的 な論証 式 を提 出する. [対論者 :そ れ ゆ え にこの ように,能遍で ある継 時性と瞬 時性 とが [非 瞬間的 な もの におい て]知覚さ れ ない こ とに基づい て, 非瞬 間的 な もの に起 こ ら ない 存 在 性 は瞬間 的 な もの に落 ち着 く.そ し て,その ようであるなら,瞬間性の推理 は容 易に得 ら れ る.「お よ そ存 在す る もの そ れ は瞬間 的で あ る.そ して,十二処 は存 在す る.」と15)

 註釈者

ナ ラ チ ャ ン ドラ ス ー リ は こ の

に以下の よ

註釈

し,

が喩例 をもた ない こ との 理由を説 明 してい る . 五つ 感官t 声等を 始 め とる 五 法 処 が あ る ]そ し , これ ら が 十二 処で あ る,[こ の 存在性」とい う論証 因は]内遍充をもつ ものだ か ら, 喩例は ない 16)

 

者の知る限 り,

SA

の論 証 式で主 題 を 十二 処とする ものは ,こ の

Ny5yakandali

の もの の み であるが ,こ の論 証 式が喩 例 を もたない こ とは注 目に値 する.

4

2

論証因

味性

対す

る仏

教徒

諸見解

 

VBP

に より主題 の

が証 明さ れ る な ら ば

証 因は

だ とい

う vS

は ,

Nyayakandali

では よ り

細に追 究さ れ てい る. その 際,論 証 因の有益性, つ ま り因の 第一相の必 要性 を主張 する対論 者 説 と して以 下の

 

か ら

 

の立場が順 番に挙 げ られる 17)

  

主題におい て遍 充の 普遍 的 な個 物 を考慮 しない

   

把 握がある,個 物に

 

おい て

存在性

証因

を もつ

   VBP

づい ては ,非

間性の排 除と非

在性の排 除との 間の遍 充が把

 

れ る.他

存在

性 に基づい て は,

実在

性 と

る瞬 間性の理 解が ある.

  

ダル モ ー ッ タラ (−

DhU

)に よっ て ,

例 で あ る壺に おい て

VBP

に よっ て 遍   充 を証 明 した 上で , 主題である音声におい て,存 在 性に基づい て,瞬 間性が証   明 される.従っ て,双 方 ともに有 意 義である.対象が異 なるの だ か ら.」と言わ   れてい る.

 

この

 

に お け る遍 充 把 握の 立場は, ジャ ヤ ン タバ ッ タが

Ny

yama 旬

頒 の中 で, その理

仏教徒

帰す

とこ ろ の

「内

充」

(襯 例 吻 の と

ぶ もの 18) 容 的に相 当する .

 

につ い ては,

筆者

は現

時点

で は

仏教側

文献

(6)

72

) ヴィ ヨーマ シヴァ と シュ リーダラ の刹那 滅 論証批 判 (酒 井) せてい ない .

 

につ い て は ,内 容か ら判 断 する限 り,

DhU

の説 と完 全に 同

する の は難 しい よ

に思わ れる.

者 が 知る限 り,

DhU

は主 題に対 して

例 に

して

VBP

を用い てその

間 性 を証 明 す る とい

立場 を取っ て い るか らで あ る .ただ し,

DhU

は,遍

把握

と主 題

所 属性

確定

々 の

っ た正 しい

識一 前 者は

VBP

,後者は直接 知覚一 に よる とい 立場を取っ て い る 19)の で , その

で は ,

対象

な るの だか ら」とい

SDh

の 言 及は, 

DhU

に合 致 する.

内容

的に

 

の 立場に

全 に一

致す

るの は,

RK

CitradvaitaprakbSavada

に おい て 「外 遍 充の立場

(励 尠 @ )とするもの 2°)であ る .

 

これ ら

 

か ら

 

まで の説 すべ を斥 け

SDh

SA

対 する論理 学上 の批 判 を

め くくるが ,対

論者

説の最

の オル タナテ ィ ヴ と して一転して 「

遍充

の理 論が持 ち出さ れてい る

当時

論争状

況 を

える 上で重

で ある と思われ る.

5

一 一

に代 え

て一

 

以上か ら

か るの は,

10

世紀

属す

V

SDh

も,

後代

の 仏教

MK

遍 充」

ぶ立

一一一

ならぬ主

VBP

を用い て遍

把握す

る, つ ま

り所証

を証 明 する一 を

る対

論者

し, その 立

と因の 三

相説

とが相 容れ ない とい

ことを批 判 して い るとい

こ とである。そ して,それに

し,対

論者

幾つ 見解 を出 して い た21)そ し

Vyomavati

, 

Ny5yakandalT

両 著作での 議 論 の展 開 を追

限 り,

SA

とい

推理 に おい て仏教 徒 に は内遍充 と外 遍 充の立場が あ り,

遍充が支 配 的で,外遍充は 主 流 で は な かっ た よ

に見 え る .

 

本稿で考察 した対

は, ラ トナーカ ラシャ ーン ティ (ca.970 −1030)が

Antarvy5pti

− samarthana を著

に至る までの 思 想 史の 流れ と状 況 とを良 く物語 っ てい る.思 想

的に は

Antarvyaptisamarthana

は, 

V 忌

SDh

対 論 者が行っ てい た内遍 充の 擁 護 ・正 当化 (samarthana )の営み (但 し, 

VBP

と して のに 用い るとい 点で上 記の  の立場は除か れ る)の 延 長

上 に位 置づ られ るべ

作 品

る .

1)

Cf

・ 

Steinkellner

 1977 ,    2)HBTA やKBhA ,  KBhS 等に引用 される彼の所説 断片は

Steinkellner 1963 を参 照.  Steinkenner 1977 は

6S

は 以 ニ ヤーヤ学 派の諸 論師に よ る,DhK の刹那 滅論 証批 判の 出発 点に なっ た とする.本 稿で取 り上げる V3 の刹那 滅 論証批 判の 中にも, 彼に帰さ れる説が見 出さ れる.Schmithausen  1965248 ,254 は,錯 誤 知を め ぐ る議論に関し,

V

忠が依 拠する 人物が 舘 である 可能性につ い て示唆する が, 刹 那滅説批判の 文脈

V

白は 船 に依拠して い る.

   

3V 忌の 年 代は, Slaje 1986 に従 う.

    4

VYomG

 

140

23

25

VyomM

 

88b8

88b9

 

Vyom

(th 

396

20 −22 ), 

G

互4024:paraρakSa eva °

;Ch 39621:

pakSa

ρakSa  evdD をMs 88b9;

pakSa

 eva °とする.

453

5)推 理の疑 惑排 除

(7)

ヴィヨーマ シヴァ とシュ リーダ ラの刹那滅論 証批判 (酒 井) (73 ) 機能につ い ては Kellner 

2004

照 ,    

6

VBP

, 主題へ の接 的な使用はバ ー ル ヴァ ジ ュ ニ ャ の 対 論者によっ て も主 張さ れ る.

Cf

. NBhU  

511

,16− 18.

  

7)

Cf

. TBh

47

1

6

9

13

MK

よ れ ば,喩例 基体 帰謬 と帰謬 還 元 と二 つ の 正 し認識 に よっ て遍 充を把握 する立場 (Kajiyama 1998:111−]12で は Jfiと

RK

に帰さ れ る)が外遍充 論で あ り,他ならぬ 主題におい て,

VBP

に よっ て遍充を把握する立場 (

Kajiyama

 

1998

: 111− ll2で はラ トナーカラ シャ ーンテ ィに帰さ れ る)が内遍充論であ る,

    8

VyomG

l42,25 − 143,5 (VyomMs 90a5 − 8;VYomch  398 ,15 −

22

) 取 意 . 

G

 

143

2

Ch

 

398

18

19

):

bhavatkapaksa eva を Ms  90a6:ba

dhakam  pakSa eva とする .  G 1433:

badhakO

Ch

 

3g8

1g

施 融 盈α 〃7Ms 90a7:

badhanam

を語 融α η翩 に修正する.

    9

Cf

. 

HBTA

 

370

17

19

(cf.

Steinkellner 1963;7− 8)KBhA  87,1−4 (cf. Steinkellner l 

963

8

)(

: 

KBhS

 

87

II− 13).こ の 論 法

はバ ール ヴァ ジュ ニ に も引 き継 が れ る

Cf

. 

NBhUS

 

511

20

25

   10

VyomG

 

l43

5−

8

VyomMs

 

90a8

9

Vyomch

 

398

22

26

)取 

G

 

143

7

Ch

 

398

24

:maulena を

Ms

 

90a8

mcutlyeua とする. 

G

 

143

7

Ch

 

398

25

:°

lakSapadibhinnam

Ms

 

90a8

:°

lakSa

”ad abhi m }nnaip

とする.

  

11)

V

omG  

l43

9

13

VyomMs

 

90a9

90b3

Vyomc

“ 39826−3991)’G143 9 (Ch

398,26 − 27):anv の

yaio

,atireko

bhy

δm  antarepa Ms 

90a9

90bl

:anvayaip ,atirekan  amtare4a を

anvayavyatireka −v antarena に修正する.

   

12

Kyuma

 

2007

SA

の主 題 を 「一切の 事

物」と し た最初の仏教徒を Jfiと し, 

SA

の論 証 因が不共不 定で あ る と 批 判 し た 最初の 思 想家として Nyayasara の註釈 者 ヴァ ース デーヴァ を挙 げる.これに対 し筆 者は, 

Ar

SA

の主題とし て一切の事 物を想 定し てい ので はない か と 理 てい る

Sakai

 2015). ま た,不共不定の過失の指摘 は,少 なくと もV6 までは遡れ ると思 わ れ る.   

13

Ar

の議 論につ い て は

Sakai

 

2015

.    

14

遍 充 は 実 在の力 に 拠 るの で あ り主題 ・ 同 類 の区 別 と は 無関係で あ る とい 主 張は

Vipaficitfirtha

に も見 ら れ る (cf. 

Bhattacharya

1986

99

),この 「実在の 力」が, 存在論的事実を意 味する なら ば, 事実と して は,世界 は,所 証属性 を もつ もの の 集合 と, もたない もの の集 合とに 二 分さ れる の で,所 証属性 を もつ もの の集合を, 主題 と 同類 と に区分 して考 える こ とは概 念構 想に よ る業 となる.

Ar

はこれ ゆ え因の第二 を 虚構と理解する が,彼以外の論 師たちが,これ を虚構とまで 考 えてい た か どうか は不 明.主題 と同類の峻別を め ぐる, 認識 論的視点と存在論的視 点 にっ い て は桂 2003:23 −26 を参照.

   

15)NK  l 87,5−7 .

  

16)

NKT

 

187

3

5

. 17)  NK ユ923−4 ;  NK ・192 ,6−7 ;  NK  l 93,3−4 (NK  l 

93

,3:坦 ぬ殉 の翩 をyadapyuktam に修正する),

  

18

Cf

NM

 

I

 

102

23

24

 

Bhattacharya

 

1991

1

with  n

3

こ の 部 分 を内遍充の定義と見な し注意 を喚起 してい .    

19

Cf

. 

2013

 

Sakai

forthcoming

  

20)Cf. CAPV  I 30 ,27 −29 (cf 御牧 1984:220).

   

21

)主題 に お け る瞬 間性の証 明に VBP を用い つ つ t の 三の 意 義 を確保 す るとい う取 りは DhU に顕著に見る こ と が で き る.

C

£ 

Sakai

, 

fonhcoming

. <文献と略号>

CAPV =

Citrfidvaitaprak

訌≦avada . 

Ed

. 

A

. 

Thakur

. 

In

 RatnakTrtinibandhδvali Buddhist Nydya

MorkS 

q

Ratnakirtij. Patna 21975 : 129 − 144 . 

HBTA

= HetUbindutikfiloka. Ed . Sukhla噸

i

S

{mghavi  and  

Mili

 

Shri

 

Jinavijayaji

. 

Baroda

1949

. 

KB

A

K

爭apabhafigEdhy巨ya . 

Ed

. 

A

(8)

74

) ヴィヨーマ シ ヴァ と シュ リーダラ の刹 那滅論証 批判 (酒 井)

21987

1

159

KBhS

KSaOabha

gasiddhi

 

Ed

 

A

 

Thakur

 

In

 

Ratnakirtinibandh

δvali Buddhist

o MorkS of  Ratnakirtij.  Patna,

21975

: 67 − 95 . NBha § = Ny5yabhUSa4a .  Ed .  Sv5ml

Yog−ndrdnanda . VdragasT 1968. NK = Ny五

yakandalT

. Ed J. S, Jetly and  Vasant J. Parikh.

Vadodara,1991. NKT =Ny 巨yakandalitippa4a. Ed . J. 

S

. Jetly and  Vasant J. Parikh. ln NK . NM  I

       ’

Ny

yamaf噸a 

Ed

 

Surya

 

N

ayana

 

Sukla

 

Benares

1936

. 

TBh

Tarkabh5

5

. 

Ed

. 

H

. 

R

Rangaswami  lyengar. Mysore, 1952. VyomG

= Vyomavati . Ed . Gaurinath Sastri. Varanasi

,1983 .

VYomch

VyomavatT

 Ed . 

Gopinath

 Kaviraj and Dhundhiraj 

Shastri

. Benares 1924 − 1931.

VyomMs

Sanskrit

 manuscript  of the Vyomavati . 

University

 of 

Mysore

 

Oriental

 

Research

Institute

. 

Film

 no . 

N

2756

, 

Ms

 no . 

C

1575

. 

Bhattacharya

, 

Kamaleswar

1986

. “

Some

 

Thoughts

on antan ro ti

, 

bahirv

apti

, and かσ∫吻 ツα. ”

In

 

Buddhist

 

Logic

 and  

Epistemogogy

.’

Studies

 in the

Buddhist Analysis(ゾ   脚 cε and  

Language

 ed . 

B

. K . Matilal and R . D . Evans

89

− 105.

Dordrecht. Bhattacharya , Kamaleswan  l 991 .“Marginal Notes on antaryydipti .”In StUdies加

the 

Buddhis

E

ρistemological 

Tradition

Pr

eeedingS げ the &icond  lnternatina Dhar iakZti

Conference

”enna , 

June

 

11

16

1989

 ed , 

E

, 

Steinkelller

1

2

. 

Wien

. 

Kajiyama

, 

Yuichi

1998

An lntroduction to Buddhist Phitosophy:

An

 

Annotated

 

Translation

 of the Tarkabhasd of

MoaSah

αragt Pta’

RePrint

 with  

Corrections

 in the 

Author

 

il

Hand

. 

Wien

.桂 紹 隆

2003 

“イグ ナーガ論理学に おける

pakSa

, sapakSa  asapak §a の 意 味 」 『印度 哲 学 仏 教 学』

18

20

33

Ke

皿ner , 

Birgit

2004

. “

Why

 

lnfer

 and  

Not

 

Just

 

Look

DharrnakTni

 on the 

Psychology

 of

lnferential

 

Processes

.”

In

 

The

 

Role

ブthe 

Example

 

rdr5ta

−nta

in

 

Classical

 

Indian

 

Logie

 ed. 

Sh

Katsura

 and 

E

. 

Steinkellner

1

51

Wien

. 

Kyuma

, 

Taiken

2007

Marginalia

 on the 

Subject

 of sattv」nu〃rdn・.”

ln

 Pram 」pakirtih Papers Dedicated t・ Ernst・Steinkellnern・the・Occasin〔・

fHis

70th

 

Birthday

, ed . 

B

, 

Kellner

 

H

, 

Krasser

 

H

, 

Lasic

 

M

. 

T

. 

Much

 and  

H

. 

Tauscher

 

part

 l

469

482

Wien

.御牧 克己

1984

「刹 那滅 論証 」平 川彰 ・高崎 直道 ・梶 山雄一編 『講座 大乗 仏教

9

認 識論と論理学』春秋社,

217

254

,酒井真道

2013

「ダル モ ーッ タ ラの刹 那滅論研究一 sattvEnumana に お け る論証 因   存 在性 (saUva )    成立の問 題一 」 『イ ン ド哲 学仏 教 学 研 究』

20

77

93

Sakai

, 

Masamichi

2015

. “

Arcapa

 on 

dr5ganta

,’尸o’ α, and yψα ye

bdidhakapramdpa

 

in

 

Dharrnak

’trti’

s sattVa’numdina .”

ア ジア古 典 学』

10

281

296

, 

Sakai

Masamichi

. 

Forthcoming

.“

Dharmottara

 on the vipat yaye 

bddhakOpra

o and 砌 か ノo in

Dh  a虹ni’s 鮹 伽 祕 ‘to be 

published

 in the Proceedings of the Fifth lnternational

Dharmakirti

 

Conference

 

Schmithausen

, 

Lambert

1965

.ル幼 伽 蜘 罰 伽 溺 αvl噺 .

Mit

 

Einer

 

Studie

 zur 

EntWicklung

 

der

 

indisehen

 

Irrtumsiehre

. 

Wien

. 

Slaje

, 

Walten

 

l

 

986

. ‘‘

Untersuchungen

 zur  

Chronologie

  einiger  

Ny

互ya−

Philosophen

.”

Studien

 zur 

Indoiogie

 und

Iranistik  ll112: 245 − 278 . Steinkellner,  Ernst。  1963. Augenbticktichkeitsbevveis und

      ノ

Gottesbeweis

 

bei

 

Sankarasvdmin

. 

Wien

(unpublished  

dissertation

). 

Steinkellner

, 

Ernst

.1977.

       f

On

 the 

Date

 and  

Works

 of  the 

Naiytiyika

 

Sa

karasv

互min ,”

Miener

 

Zeitschrift

 .

17ir

 

die

 K珈 靤

Sdidasiens

 

21

213

218

〈キーワー ド> sattvdnumana ,吻o理 の θ廊 励α勿ρ厂σ〃 α,内遍充,外遍充 因の 三相

  

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

(関 西 大 学 准 教 授,Dr .

phil

.)

451

参照

関連したドキュメント

Keywords: nationalism, Japanese Spirit, the Russo-Japanese War, Kinoshita Naoe,

 

[r]

 親権者等の同意に関して COPPA 及び COPPA 規 則が定めるこうした仕組みに対しては、現実的に機

'di ltar śiṅ mthoṅ ba las byuṅ ba'i rnam par rtog pa gcig gis don ci 'dra ba sgro btags pa de 'dra bar gźan gyis kyaṅ yin pa'i phyir śiṅ mthoṅ bas byas pa'i rnam par rtog pa

「分離の壁」論と呼ばれる理解と,関連する判 例における具体的な事案の判断について分析す る。次に, Everson 判決から Lemon

るのが判例であるから、裁判上、組織再編の条件(対価)の不当を争うことは

巻四いやな批判●うはか年代記にて、いよいよしれす(1話)