• 検索結果がありません。

光の間歇── プルーストと映画の交わりを問い直す ──

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "光の間歇── プルーストと映画の交わりを問い直す ──"

Copied!
18
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

はじめに

北野武の作品には闇に燦めく閃光がしばしば登場する。『ソナチネ』のクライマックスに展開 する夜の銃撃戦の場面で、路上から見上げたビルの窓の中に、機関銃の光芒がチカチカと音もな く明滅する印象的な光景をはじめ、やくざが主人公や敵役として登場する作品では、決まって夜 の闇に輝く銃撃の閃光が描かれる。例えば『HANA-BI』では、雪景色の中、白いベンツの車内 でいきなり敵を皆殺しにする主人公の銃が、夜の闇にまばゆい光芒を炸裂させるのみならず、余 命短い妻とともに見上げる打上げ花火や 2 人で点す線香花火、さらに現実にはあり得ない冬のホ タルまでもが儚くも美しい光を放つ。あるいは『アウトレイジ』でも、下っ端のやくざが新幹線 の中で射殺されるアクションは、車窓の夜景とすれ違う列車の轟音のもとで、真っ暗な画面を照 らす一瞬の光とともに描かれる。そうした北野作品における閃光の主題系の中でもひときわ鮮烈 な印象を与えるのが、『TAKESHIS’』のクライマックスに(またしても!)展開する夜の銃撃戦 の場面である。この作品でも、コンビニで夜勤をする主人公が、逃げ込んで来た血まみれのやく ざを店舗裏で撃ち殺す瞬間に閃光が燦めくが、大詰めで繰り広げられる銃撃戦のシーンでは、さ らに唖然とするような情景が出来する。そこでは夜の草原を舞台に、主人公とその情婦が敵のや くざたちと激しく撃ち合うのであるが、そのさなかにいきなり、あまたの銃撃の光芒が次々と夜 空に舞い上がり、それらが互いにつながって北斗七星やオリオン座などの星座を形づくるのであ る。もともとこの作品は、北野自身が一人二役で演じる、芸能界のスターと役者志望の中年男を めぐる分身関係を題材としており、随所で、かつ唐突に、荒唐無稽でファンタスティックな情景 が展開されるが、総じて、それらの非現実的な場面は、曖昧ながらも主人公のいずれかの空想に 帰することもできないではない。それに対して、くだんの場面はそうした

“本当らしさ”

への還 元の如何とはまったく異なる次元で、ある驚嘆すべき事態を生起させている。というのも、実に 信じ難いことではあるが、そこでなされるのとほぼ同じ描写が、プルーストの『失われた時を求 めて』の内に見出されるからである。それは第 3 編『ゲルマントの方』において、語り手の「私」

とサン=ルーがパリの劇場を出て大通りを歩いている時に、通行人の男がサン=ルーに言い寄った ところで起きる出来事である。

光の間歇

── プルーストと映画の交わりを問い直す ──

武 田   潔

(2)

不意に、まるで空に何か天体現象が現れるように、幾つもの卵形の物体が、目のくらむよう な速さであらゆる位置を占め、サン=ルーの前方に揺らめく星座を形成するのが見えた。投 石機からはじき出されたようなそれらの物体は、少なくとも 7 個はあったように見えた。と ころがそれはサン=ルーの両のこぶしにほかならず、それらが素速く位置を変えたために数 が増えて、このように一見理想的で装飾的な全体をなしたのである。(1)

銃の連射と拳の連打という違いはあれ、その素速いアクションの連なりが、いきなり宙に舞い 上がって星座の形をなすという、この奇跡か冗談のような符合をきっかけとして、プルーストと 映画を隔て、かつ結びつけている、表象の相関作用について考察してみることにする。

プルーストにとっての映画

まずはプルースト自身が映画をどのように認識していたかを確認しておこう。周知の通り、プ ルーストは映画についておよそ芳しい意見は持っていなかった。そもそも長大な『失われた時を 求めて』の全編を通じて、文学、美術、音楽、演劇などの諸芸術が盛んに論じられる中で、映画 への言及がなされるのはわずか 3 回にすぎない。最初は第 2 編『花咲く乙女たちのかげに』の第 1 部「スワン夫人をめぐって」の末尾で、大通りを散歩するオデットに乗馬を楽しむ紳士たちが ひっきりなしに挨拶する様子が、「まるでギャロップで駆けるさまを映画に撮ったようだ」(2)と 形容される。 2 度目は、早くも最終の第 7 編『見出された時』においてであり、まずはその序盤 で、第一次大戦下のパリでサン=ルーと語り手がレストランで夕食をとっている最中に夜の灯火 管制の時刻となり、店内の明かりが不意に消されてしまう情景が、「あたりは幻燈が映し出され る部屋か、映画が上映される劇場内のような謎めいた暗がりに包まれ、そうした映画館の 1 つに 会食客の男女が駆けつけるのであった」(3)と語られている。いずれもプルーストが長けていた 隠喩の例には違いなく、また前者についてはギャロップで駆ける馬のイメージが、後述するよう にマレーやマイブリッジによる「クロノフォトグラフィー」のそれを連想させ、後者については、

これもしばしば指摘され、本稿のテーマにも関わる「幻燈」の形象と結びつけられている点で、

それなりに興味深い記述ではある。しかし、プルーストが映画について抱いていた認識が最も顕 著に表れ、そのことがしばしば論じられてもきた記述といえば、『見出された時』の後半で、ゲ ルマント大公邸で催される午後の集いに赴いた語り手が、ふとしたきっかけから大いなる覚醒に 至るくだりが決定的なものとして挙げられる。ここで、庭の不揃いな敷石に躓いた語り手は、突 如として、それまでも幾度か語られてきた紅茶に浸したマドレーヌの味や、かつて訪れたヴェネ ツィアのサン=マルコ寺院の洗礼堂の不揃いなタイルの感覚などが、名状し難い圧倒的な幸福感 とともに蘇るのを感じ、さらにその後も、自らを不安と失望から引き離し、文学への信頼を取り 戻させてくれるような

“しるし”

に次々と導かれて、遂に

“書くこと”

への決意を固めるのである。

(3)

そうした一連の場面は、『失われた時を求めて』全編の企図を支える要諦ともみなされるもので あるが、そこで映画は、プルーストが厳然とリアリズムを排する論述の中で引き合いに出され、

「小説とは、物事が一種の映画的進行をなすものだと唱える者もあった。この理念は馬鹿げていた。

そうした映画的情ほど、私たちが現実に知覚したものから遠いものはない」(4)と断じられる。

そして、現実の生には、瞬間ごとにさまざまに異なる感覚が溢れているのであり、「私たちが現 実と呼ぶものは、私たちを同時に取り巻いているそれらの感覚と思い出とのある種の関係であり

──それは単純な映画的視

ヴィジョン

覚では抹消されてしまう関係であって、そのため、映画は真実のみに とどまろうとすればするほど、ますます真実から遠ざかってしまう──、それこそが、作家が自 分の文章の中で、それら 2 つの異なった辞項を永久につなぎとめるために見出さなければならな い唯一の関係なのである」(5)という信念が主張される。結局、そうした感覚と記憶との真の関 係を追求することなしに、現実を、万人に共有されるような「経験のくず」にとどめておくのな らば、「おそらくそれらの事物を撮った映画のフィルムだけで十分だろう」(6)というわけである。

このように、これに先立つ部分で、レアリスム文学が「ただ

“事物を描写する”

だけで満足」し、

「現実から最も遠い」文学として批判されたのと同じように(7)、ここで映画もまた、経験的な事 実を記録し、再現することはできても、その経験にまつわる精妙な感覚と記憶の交感を描き出す ことはできないという認識が、きわめて明瞭に表明されていると言えよう。

しかしながら、これらの記述から、プルーストが映画に対してまったく否定的な考えしか持っ ていなかったと結論づけることは不適当である。『失われた時を求めて』の中で映画が引き合い に出される 3 箇所の記述の内、はじめの 2 つは情景描写のための比喩(原文に即して正確に言え ば直喩と隠喩)であり、最後の一連の言及も、プルーストの文学観、芸術観を開陳するために用 いられた比喩的表現である。要するに、プルーストが作品中で映画に触れる際には、文彩を凝ら すためであれ、自らの文学観を訴えるためであれ、あくまでも比喩としてであったということは まず確認しておかなければならない。そして、それはプルーストの実生活における経験からして、

無理もないことであった。リュック・フレスの労作『書簡が映し出すプルースト』によれば、彼 は生涯に一度も映画館に入ったことがなく、映画を見た経験としては、かろうじて、彼が好んで 夏を過ごし、小説の「バルベック」のモデルとなったノルマンディー海岸の保養地カブールで、

短編の紀行フィルムの上映会に臨んだことが推定されるのみなのである(8)。とはいえ、このこ とは必ずしもプルーストが映画にまったく興味がなかったということを意味しない。実際、フレ スが取り上げている書簡の 1 つは、プルーストが軽佻浮薄なスノビズムによって、ブリッジやダ ンスホールに打ち興じるような若者に悪影響を及ぼすといった内容の雑誌記事に関するもので、

そこでは「ブリッジやダンスホールは私には等しく縁がなく、さらには映画館にさえ──こちら はいつもたいそう心惹かれていたので余計に残念なのですが──一度も入ったことがありませ ん」(9)と記されており、オペラや正統演劇だけでなく大衆芸能をも愛好したプルーストが(10)

(4)

その代表格と目される映画に(「映画館にさえ」という強調に注意)、かなり興味を惹かれていた ことが窺われる。また、フレスが取り上げているいま 1 つの資料は、カブールでの上映会に同席 した若い友人に、プルーストが自ら仏訳したラスキンの『アミアンの聖書』を贈った際に付した 献辞の文章であるが、そこでは、プログラムで「北のヴェネツィア」と呼ばれていたらしい北フ ランスの町サン=トメールを紹介するこの「映

ギニョル・シネマトグラフィック

画的人形劇」をめぐって、「メランコリックな巡 礼者」たるラスキンの『ヴェネツィアの石』を暗に引きつつ、「サン=トメールが、物憂い魔法の 器械に映し出されて私たちの方へやってくるのを、前夜、君の傍らで見ていた時に私が抱いた甘 美さを、いささかなりとも見出してもらえればと願う」(11)といった言葉が綴られている。プルー ストが実際に映画を見た機会がこの紀行フィルムの上映会に限られるのかどうか、ましてやそれ が上述した

“事物を記録し、再現するだけ”

という彼の映画観と関わりがあるのかどうか、確か なことは何もわからないが、少なくとも、「物憂い魔法の器械」といった形容からは、あのコン ブレーの部屋で投影された「ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバン」の悲運の物語に始まる、幾多の 幻燈の魅惑をめぐる記述が想起されるのではないだろうか。プルーストにとって、映画もまた、

作中で実際に述べられた希少な、そして否定的な見解にとどまらず、他の諸芸術と並んで、作品 の展開に多彩に介在し、本質的な省察を喚起する可能性が、少なくとも潜在的にはあったのだと 考えることは、あながち恣意的な空想とばかりは言い切れまい。

無論、そうした可能性が実現しなかったことには明確な理由がある。プルーストが没したのは 1922年11月であるが、まさにその翌年の1923年こそ、アベル・ガンスがグリフィスのパラレル・

アクションの技法に触発された「急速モンタージュ」の手法を遺憾なく発揮した『鉄路の白薔薇』

や、ジャン・エプステインがルイ・デリュックの提唱したフォトジェニーの理念を独自の手法で 実践した『まごころ』が公開され、さらにはリッチョット・カニュードが既存の諸芸術を統合す る新たな時代の総合芸術としての映画の意義を高らかに宣言したマニフェスト「第七芸術論」を 発表するなど、いわゆる「フランス前衛映画」の最初の成果が華々しい成果を収め、大いなる反 響を呼んだ年であった。晩年のプルーストが病のために外出もままならなかったという事情もあ るが、彼が大いに魅惑されたに違いない一連の作品は、もとより彼の目には触れ得なかったので ある。実際、自らの旧居を訪ねる中年女性の憂愁を、フラッシュ・バックやぼかしの技法を駆使 して描き出したデリュックの『さすらいの女』が公開されたのは1922年 7 月で、それはプルース トが死去するわずか 4 ヶ月前のことであり、あるいはカメラを介した思いがけないめぐり合わせ を、鏡や絵画や写真の形象を巧みに織り交ぜて視覚化したエプステインの『 6 ½×11』が公開さ れたのは没後数年を経た1927年 6 月であった。プルーストがそれらの作品に接していれば、映画 について、文彩を凝らしたり文学観を披瀝したりするための比喩としてのみならず、芸術表現の 可能性そのものに関わる意義深い考察を必ずや展開していたに違いない。蓋し、文学と映画をめ ぐる最も悔やまれる

“すれ違い”

の 1 つと言えよう。

(5)

映画にとってのプルースト

このようにプルーストにとって、映画は必ずしも大いなる霊感の源とはならなかったものの、

他方で映画にとっては、プルーストの作品は多大な関心を、それもかなり早い時期から、集めて きた。既に、彼の死去から間もない1923年 1 月に刊行された『新フランス評論』誌の追悼特集号 でも、美術史家のポール・フィエレンスが、プルーストの小説作法と映画技法の間には、「かな り唐突な場面転換、表情の拡大、スロー・モーション、ぼかし、過去の想起」といった一連の共 通点が見られるということを指摘しているが(12)、遅くとも1920年代の後半からは、フランスの 映画批評や映画理論において、『失われた時を求めて』の表現手法が映画に通じるものとしてし ばしば取り上げられてきた。例えば、20年代後半から30年代初頭という、映画史・映画理論・映 画批評の活動が未だ判然とは分化していない時期に、それらの領域を包括する叢書として刊行さ れた『映画芸術』全 8 巻の内、映画と他の諸芸術との比較検討に充てられた第 3 巻では、アンド レ・ベルジュが映画と文学の関係を論じており、その中で次のように述べている。

『失われた時を求めて』における感覚と観念の連鎖は、時として幾つかの映画作品における 映像の継起を思わせないだろうか。〔中略〕プルーストは時間的な順序を、ましてや論理的 な順序を追うようなことはしない。彼は巧みな「デクパージュ」によって現在と過去のさま ざまな時期を混ぜ合わせるのであり、それはあまたの映画監督が羨むようなものである。彼 の作品は記憶のリズムに委ねられており、それがあのもう 1 つのリズム、つまり映画的なリ ズムと、多くの類似点を有していることは否定できないであろう。(13)

さらに、この翌年の1928年に発表されたピエール= F. ケノワによる評論(14)は、プルーストの作 品を「前=映画的文学」を代表するものとしてとらえ、時間や持続の概念が根本にあることを指 摘した上で、一連の詳細な分析を展開している。すわなち、異なる場所の出来事(スワン家の方 とゲルマントの方)を交錯させる手法は映画の「モンタージュ」に通じ、過去の情景が眼前にま ざまざと蘇る趣向(紅茶に浸したマドレーヌの味や不揃いな敷石による記憶の喚起)は「フラッ シュバック」に相当する。また、人物の移動に伴う視点の変化(車中の語り手が遠くに見やる教 会の鐘塔)は「パン」に、異なる光景が重なり合う効果(ゲルマント大公邸での午後の集いで、

年老いた知人たちの姿に重ねられる若い頃の面影)は「二重写し」に当たり、そのほか、語り手 がアルベルチーヌの頬にゆっくりと唇を近づけてキスをするくだりでは「スロー・モーション」

が「クロース・アップ」になって終わる、といった具合である。このように、ここではプルース トの作品が映画的な手法を先取りしていたとする主張が、個々の映画技法としかるべき小説の記

プレ=シネマティック

(6)

述を結びつけるかたちで、具体的に、かつそれなりの明快さをもって述べられている(15)。 同様の論調は第 2 次大戦後の映画批評においても継承され、それを最も顕著に表す論考として 知られるのが、ジャック・ブルジョワが1946年に『ラ・ルヴュ・デュ・シネマ』誌に発表した「失 われた時を求める映画」(16)である。もともと同誌では、その創刊号において、映 画 以 前 の芸 術に映画表現の先駆けを見出す試みの一環として、映画と絵画の関連を探る特集を組んでおり、

ルネサンス絵画やフランドル絵画を取り上げて、そこに見られる人物や風景の捉え方、またス トーリーの進め方などを、映画的な表現技法の先駆として論じた幾つかの考察を掲載していた。

ブルジョワ自身も、まさに絵画を動かすことで成り立つアニメーション映画に関する評論を寄稿 しており(17)、それに次いで、今度はプルーストの作品を映画表現の先取りとして論じる上記の 文章を発表したのである。そこでブルジョワは、しばしば指摘されるように、彼の作品における

「イメージ」の重要性を強調し、さらには、「文学の芸術はプルーストの気質に適した表現手段で はなかった、というのも、彼は自分の世界を構築する材料としてイメージを必要としていたから だ」とまで断言する。そして、作家ではなく映画作家としてのプルーストの創作活動を想像しつ つ、動画によってアクションが順に進展してゆくだけの「イメージの中の運動」ではなく、時間 的順序を離れた感覚や感情やリズムの動きにそって、異なるアクションが奇抜な仕方で結びつく

「イメージの運動」を、彼は生み出すことができただろうと評するのである。こうした観点から、

ブルジョワもまた「プルーストはすべての映画技法を発明し、それを文学に適用した」と述べ、

移動撮影やクロース・アップから、フレーミングやアングルや人物配置の工夫、さらにはディゾ ルヴによる隠喩表現、現実と夢のイメージの融合に至るまで、一連の特色を列挙した末に、通常 の映画ではレンズがアクションの外にとどまり、登場人物とはなり得ないのに対し、「プルース ト的映画は逆に語り手自身の立場からのみとらえられ、レンズは作者の眼の内に置かれて、その 作者が主人公にもなる」のだとして、「極端な場合には、主演俳優がスクリーンに現れない映画 も考えられるだろう」と付け加えている(18)。最後の主観主義に関する判断の是非はここでは措 くとしても、映画表現の先取りという発想が、プルーストをめぐって映画批評の側からなされる 考察の、強固な基盤をなしていたことがあらためて確認できよう。

そうした言説の位相は、その後、1950年代に至っても維持され、ヌーヴェル・ヴァーグが黎明 を迎える1958年に文芸雑誌『ラ・ルヴュ・デ・レットル・モデルヌ』で編まれた特集「映画と小 説」においても、ジャック・ナンテが、移動撮影やクロース・アップに比せられるような描写が しばしばプルーストの作品に見出されることを指摘しているが、さすがに「作家主義」の批評が 隆盛を誇っていた時期ゆえか、独自の観点による所見として、プルーストのスタイルが実在の映 画作家、例えばマックス・オフュルスのそれを思わせ、シャルリュスとジュピアンの出会いを語 り手が階段の窓から密かに眺め、彼らをオスとメスの鳥に喩えるくだりや、またその舞台となる 中庭やそれを見下ろすアパルトマンの配置、さらにはゲルマント大公夫人が臨席する劇場内の情

プレ=シネマトグラフィック

(7)

景を水の女神の戯れに喩える名高い場面などを引き合いに出しながら、それらの人物の変貌や、

舞台装置の巧みな活用や、出来事について加えられるコメントが、『歴史は女で作られる』のそ れを彷彿とさせると述べている点はなかなかに興味深い(19)。さらに付言しておけば、わが国に おいても飯島正が、戦前から戦後を通じて、マルタンヴィルの鐘塔を眺める場面などを引きなが ら、繰り返し「プルーストの映画性」を論じていたことも忘れてはならない(20)

こうした文学と映画における“照応”を読みとることにまったく意義がないわけではなかろうが、

しかし、そのことをもってプルーストが映画的表現技法を先取りしていたと主張することにはお よそ説得力がない。古典的映画理論の集大成たる大著『映画の美学と心理学』を著したジャン・

ミトリも、「映画と言語」を考究した一章の中に「ある種の

“プレ=シネマ”

について」と題した 一節を設け(21)、映画の諸技法に類したものが映画以前の文学作品の内に見出されるとしても、

それは共通の「思考の形態」が異なる芸術ジャンルにおいて表出されたということであって、し たがって、フローベールやプルーストに限らず、世界文学史上のさまざまな作家の作品の内に、

ショット・サイズや撮影アングルの多様性、切り返し、パンや移動撮影、そして種々のモンター ジュの効果などといった映画技法の等価物を読み取り、それらを「前 映 画 的」な表現とみな すような試みは間違っていると断言している。「思考の形態」といった規定や、ほかにもいささ か安易に用いられている観のある「心的形態」だの「思考それ自体に特有の観念化の様態」だの といった概念が、言語と視覚、言語と思考の関係をめぐる幾多の探究──言語学や記号学、現象 学や心理学、そして近年の認知諸科学に至るまで──に照らせば、あまりに曖昧で根拠に乏しい ことは否めないにせよ、プルーストの小説における言語表現の様態と、映画表現のそれとを、単 純に等価なものとして結びつけることの誤謬を明確に指摘している点はミトリの功績として認め なければならない。いずれにせよ、「詩は絵の如く」と唱えたホラティウスから、「見

シ ョ ウ イ ン グ

せること」

と「語

テ リ ン グ

ること」の関係を探究した近代英米の文芸批評を経て、プルーストと視覚的表象の相関を めぐる問題は、言わば不可避の課題として真に提起される時を待っていたのである。

プルーストの

“復権”

と視覚の問題

近年のプルースト研究の発展にはめざましいものがあるが、そうした潮流の源と目されるのが、

主に1960年代に相次いで発表された、新たな方法論による一連の研究成果であることは異論のな いところであろう。ここでプルーストの受容史を辿り直す余裕はないが、周知の通り、生前から 毀誉褒貶に晒されてきた彼の人と仕事は、第二次大戦前にはシュルレアリストやセリーヌらに よって、戦後もサルトルによって、厳しい批判が加えられる一方で、国外ではドイツのクルツィ ウスやベンヤミン、イギリスのベケットらが早くからプルーストの独創性を高く評価する論考を 発表し、もちろん国内でも戦前、戦後を通じて、彼の真価を明らかにしようとする優れた著作が 幾つも刊行されていた(22)。しかし、プルーストをめぐる再評価の気運を決定づけたのは、1960

プレ=シネマトグラフィック

(8)

年代に至って現れた新しい研究の動向であり、なかんずく、「新批評」の旗手の 1 人であったジョ ルジュ・プーレが『プルースト的空間』(1963)(23)を著し、プルーストをめぐってとかく重視さ れる時間性よりも、むしろ空間性の次元に着目した興味深い考察を展開したこと、また新進の哲 学者であったジル・ドゥルーズが『プルーストとシーニュ』(1964)(24)を刊行して、過去への回 帰よりも未来に向けられた習得の過程を起動させる「しるし」の契機について独自の論考を提起 したことは重要である。さらには、物

ナラトロジー

語論の創始者となるジェラール・ジュネットが「プルース ト、パランプセスト」(1963)(25)を発表して、プルーストの表現におけるイメージの重層性の様 態を精緻に分析し、それに続く「プルーストにおける換喩」(1970)(26)で、プルーストの作品を めぐってつとに注目されてきた隠喩が、実はしばしば換喩をもとにして成り立っていることを明 らかにした意義はきわめて大きい。そして、ジュネットは遂に、1972年にまとめた「物語のディ スクール」(27)によって、物語論の理論体系を包括的かつ緻密に構築するとともに、プルースト の言説に関する理論的探究を集大成したのであった。

ところで、それらの60年代の論考の内には、ある重要な特色が見てとれる。プルーストにおけ る視覚性への関心である。無論、プルーストの作品における「イメージ」の重要性については、

プルーストの文体研究の第一人者であるジャン・ミイが「プルーストと比

イメージ

喩」と題した論考の中 でも触れたように(28)、読者も言わば自明のこととして理解しており、研究も盛んに行われてきた。

また、プルーストの作品に具体的な視覚表現との対応を読みとろうとするのであれば、先に述べ た映画批評の言説がまさにそうであったように、そうした発想は別に目新しいものではない。さ らには、視覚性の問題への関心が60年代のプルースト研究において等しく共有されていたわけで は必ずしもなく、実際、ドゥルーズが『失われた時を求めて』における「純然たる視点」の現出 を語ったとしても(29)、それはあくまでも語り手が真実を予期せぬかたちで「習得」する契機と してであって、視覚の問題そのものが彼の主要な関心を占めていたわけではなかった。しかし、

少なくとも上に挙げたプーレとジュネットによる研究は、単なる「文体」の解析にとどまること なく、また言語表現と映像表現の関係に恣意的な類似性を付託するのでもなく、両者をつなぎ、

かつ隔てる、意味生成の様態の相関に着目しつつ、文学作品における視覚性の問題を導入してい る点で、画期的なものであった。そうした取り組みがなされ得た背景には、文学ではヌーヴォー・

ロマンが、映画ではヌーヴェル・ヴァーグが、両者の交錯も織り交ぜつつ、新たな創造の地平を 切り開きつつあったという事情も関わっていようが、ともあれ、そこでは『見出された時』で述 べられる通り、「作家にとっての文体は、画家にとっての色彩と同じく、技

テクニック

巧の問題ではなく

ヴ ィ ジ ョ ンのの見方の問題なのだ」(30)という命題が、忠実かつ鋭利に実践されているのである。

まずプーレは、語り手が現在の光景を眺めている時に別の光景が想起され、そこに精神の揺ら めきが生じる時、「ここで揺らめいているのは単に時間だけではない、それは場所であり、空間 である」(31)として従来の定見に異を唱え、例えば紅茶に浸したマドレーヌのエピソードで、 1

(9)

杯の紅茶から、少年時代に休暇を過ごしたコンブレーの教会や、庭や、近隣の田園など、町の全 体がまざまざと蘇るプロセスは、時間の軸において短い瞬間から生の持続が喚起されるというだ けでなく、空間の軸において、茶椀 1 杯のわずかなヴォリュームが町全体の広大な空間へと拡張 さ れ る 過 程 に ほ か な ら な い と 指 摘 す る(32)。 そ し て、 そ う し た「 プ ル ー ス ト 的 空 間 」 は、

「並

ジ ュ ク ス タ ポ ジ シ オ ン

べて置くこと」と「上

シ ュ ペ ル ポ ジ シ オ ン

に重ねること」という 2 つの原理によって展開され、両者が揺らめき ながら重なり合っている様態がプルースト的想像力の本質なのだと主張する(33)。その際、プー レは、『失われた時を求めて』においてしばしば人物のイメージが作品の進展にそって思いがけ ないかたちで変貌し(例えば語り手にとってのゲルマント公爵夫人やアルベルチーヌ)、しかも そこでは先行するイメージが打ち消されることなく後のイメージが重ねられるのだとして、それ はちょうど、絵画における「異時同図法」に通じるような、ある種の「並置的な上重ね」をなし ていると説いている。きわめて興味深い所説であるが、ここでさらに注目されるのは、そうした 空間的特性に関する考察の中で、彼が幻燈や、ガラスの反映の描写を取り上げている点である。

先にも触れた、コンブレー時代のエピソードとして語られる「ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバン」

の幻燈の場面では、馬上の家臣のイメージがカーテンやドアの把手に重なって揺らめきながら進 んでゆき、また祖母と休暇を過ごすバルベックのホテルの部屋では、室内に幾つも置かれた本棚 のガラス戸に窓外の海や夕陽の光景が映し出される。それらの形象こそ、プルースト的空間を端 的に具現するものだとプーレは主張するが、それはさらに、プルーストにおける視覚性の関与を 重要な論点として鮮やかに浮かび上がらせる情景でもあるだろう。

他方、ジュネットもまた、プーレの所論と一定の関連を示しつつ、きわめて興味深く、かつ説 得力のある考察を展開している。まず、「プルースト、パランプセスト」では、ジュネットも上 記 の 幻 燈 や ガ ラ ス 上 の 反 映 の 描 写 を 取 り 上 げ、 そ こ に 見 ら れ る す ぐ れ て プ ル ー ス ト 的 な

「二

シュルアンプレッシオニスム

重写し形式」は、「間接的視覚へのプルーストの嗜好を、あるいはむしろ、直接的視覚への彼 の際立った不能力を如実に示す」ものであり、それがプルースト的なテクスト生成の原理となっ て、さまざまな時代や場所の情景が羊皮紙に重ね書きされるかのような、「時間と空間のパラン プセスト」を生み出すのだと主張している(34)。さらに、いま 1 つの論文である「プルーストに おける換喩」では、プルーストの文体をめぐってつとに指摘されてきた「隠喩」の豊富さと重要 性について問い直し、実はその多くが「換喩」的性格をも兼ね備えていることを明らかにしてい る。すなわち、通常、隠喩が喩える辞項と喩えられる辞項の間の類

ア ナ ロ ジ ー

同性によって、換喩が両者の 間 の 隣

コンティギュイテ

接 性によって、それぞれ規定されるのに対し、プルーストにあっては、「類同関係の内部 自体における、“共存”関係の存在と作用、つまり隠喩内での4 4 4 4 4換喩の役割」(35)が重要なのだとして、

「無意志的記憶」による隠喩的関係の喚起とされる作用が、類同性よりも隣接性を介した空間の 拡がりに依拠していることを──プーレとほぼ同じ論旨で──強調している。しかし、それに加 えてジュネットは、これもきわめて印象的な情景である、ヴィヴォンヌ川に水差しを沈めて魚を

(10)

捕った思い出が語られる一節を取り上げ、そこでは、固まった水のような透明なガラスの

“容器”

が、液状のクリスタルのような川の水という

“内容”

で満たされ、かつその川というより大きな 容器の中に沈められているとする形容が、「類同的なものと隣接的なものの一致」による「相互 的隠喩」をなしていると説き(36)、そのような「同じもの同士の対照」を最も鮮やかに浮かび上 がらせる形象こそ、プーレとジュネットがともに言及している、対象とその反映からなるあれら の二重の光景なのだと主張しているのである(37)

このほかにも、プーレとジュネットの論述の随所で、顕微鏡や望遠鏡や拡大鏡、あるいは額縁 や窓越しに

“見ること”

をめぐる言及がなされており、時間から空間への拡張を、隠喩から換喩 への転位を、重なり合いやパランプセストとして論じる両者の探究には、さらに

“眼差すこと”

の主題系が重要な契機として関与していることが窺われる。そして、そのことが、近年のプルー スト研究において盛んに進められつつある、プルーストの作品とさまざまな視覚表象との相関を 問う取り組みへと、大きく道を開いたのである。

プルーストと視覚的表象

近年、プルーストと文学以外の諸芸術との関係をめぐる研究はめざましい発展を遂げつつあり、

ジャン=イヴ・タディエが企画し、1999年にフランス国立図書館で開催された大規模な展覧会「マ ルセル・プルースト──エクリチュールと諸芸術」(38)はその代表的な成果である。もとより、『失 われた時を求めて』の作中には、作家のベルゴット、画家のエルスチール、作曲家のヴァントゥ イユ、ヴァイオリニストのモレル、さらに女優のラ・ベルマやラシェルなど、文学、美術、音楽、

演劇など、まさに諸芸術の代理人ともみなしうる人物が登場し、それぞれに本人の創作や実演の 様子が描かれ、またその作品や芸術観についての論評がふんだんに盛り込まれている。この長大 な小説が、同時に浩瀚な芸術論の書物ともなっている所以であるが、特にプルーストと美術の関 わりについては、彼がイギリスの美術史家ジョン・ラスキンから大きな影響を受けていたことも あって、かねてから盛んに研究されてきた。1991年にシャルトル美術館で開催された「プルース トと画家たち」をめぐる展覧会の図録には、巻末に1920年代から同時代に至るまでの膨大な文献 が列挙されているが(39)、その後も、日本の研究者が相次いで優れた著作を刊行するなど(40)、活 発な取り組みが継続されている。さらに、近年とりわけ注目されるのは、必ずしもさまざまな “芸 術”とプルーストとの関係が探究されるのみならず、むしろ

“媒体”

としての表象手段、特に視覚 的なそれと、プルーストの作品との相関に焦点を当てた一連のアプローチが展開されている点で ある。その先駆けの 1 つとなったのが、1982年に刊行されたジャン=フランソワ・シェヴリエの

『プルーストと写真』(41)で、ここで著者は、「見ること、記録すること、書きつけること、複製 すること、模倣すること、開示すること、想像すること」といった一連のプロセスにそって、プ ルーストの作品における写真の関与を論じている。その後、90年代に入ってからはこうした探究

(11)

がさらに盛んに企てられるようになり、例えば文学理論家のミーケ・バルは、1997年に刊行した

『文学的イメージ──如何にしてプルーストを視覚的に読むか』(42)において、レンブラントや シャルダンなどの絵画のみならず、拡大鏡、幻燈、写真、クロノフォトグラフィーなどの形象を 取り上げて、小説中でそれらが言語的に語られる際の位相と、それらが本来的に呈する表象様態 との関係を検討しているし、写真家のブラッサイは、奇しくも同じ97年に上梓した『写真に魅了 されたプルースト』(43)で、プルーストの私生活における異常なまでの写真への執着と、作品中 における写真への言及の双方を踏まえて、プルーストの思考に占める写真の意義を考察している。

そして、2003年には、前々年に行われたシンポジウムの記録集『プルーストとさまざまなイメー ジ──絵画、写真、映画、ヴィデオ』(44)が出版されるなど、視覚媒体の表象様態とプルースト の世界の相関を探ろうとする試みが旺盛に展開され続けている(45)

そうした取り組みの内でも、プルーストと映画の結びつきを問い直す上でやはり注目されるの は、映画の主要な技術的基盤の 1 つをなす写真である。ブラッサイはその著書の中で、「『失われ た時を求めて』の最も特徴的なエピソードはほとんど例外なく 1 枚の写真をめぐって展開す る」(46)とまで断言しているが、実際、作品中で写真が重要な役割を担う場面は数多い(47)。中でも、

語り手が祖母とバルベックに滞在した際、サン=ルーに写真を撮ってもらうというので彼女がい そいそとめかし込んで撮影に臨み、それを苦々しく思った語り手が、後に、それが既に病に冒さ れていた祖母が、愛する孫にせめて見栄えの良い遺影を残そうとする振る舞いだったことを知り、

2 度目のバルベック滞在で、ふと身を屈めた刹那にその記憶が蘇って、旅先にも携えていた亡き 祖母の写真に見入りながら涙する場面は(48)、写真にまつわる挿話の中でも最も深い感動をもら たすものの 1 つであろう。しかし、全編を通じて夥しいほどに登場する写真の形象をあらためて 検討してみると、写真の特性に関わるある重要な様相が浮かび上がってくる。元来、被写体の視 覚像を機械的複製手段によって忠実に写しとった写真の映像は、フィリップ・デュボワが『写真 行為』において強調したように(49)、現実の対象の「指インデックス標」(パースの記号学における意味での)

をなしており、そうした指標的関係から、写真が担う基本的な機能は、大まかに「ドキュメント」

と「フェティッシュ」という 2 つの類型にまとめることができる(50)。『失われた時を求めて』に おいても、例えば祖母が名所旧跡を描いた高名な画家の作品の複製写真を語り手に与えるという 記述や、サン=ルー夫人となったジルベルトが図らずも夫の愛人であるラシェルの写真を見つけ るくだりは、写真が持つドキュメントの機能を、また、スワンが自らの愛するオデットの面影を ボッティチェリの描くチッポラの絵に見出し、その複製写真をそばに置いて愛でる様子や、語り 手が憧れてやまない大女優ラ・ベルマの写真を購い、あるいは恋人アルベルチーヌの写真をサン

=ルーに見せる場面などは、フェティッシュとしての写真の機能を、それぞれ描き出すものと一 応は考えることができよう。しかし、それらの描写はいずれも、警察の犯罪捜査における現場写 真のような、現実の痕跡としての記録性を保証しているわけでもなければ、愛する人の代替物に

(12)

欲動を備給する、偏愛の身振りを単純に露呈させているわけでもない。事実、祖母が与えるのは 現実の情景そのものを写した写真ではなく、それを描いた絵画の複製写真であるし(「それで芸 術の度合いが一段と高くなるというわけなのだ」(51))、ジルベルトが見つけたラシェルの写真は、

それとそっくり同じ格好をして夫の愛を取り戻そうとする彼女の虚しい努力を誘発する。また、

スワンにとってボッティチェリの絵と見紛うような麗人のオデットも、素性としては高

コ コ ッ ト

級娼婦で あるし、語り手が憧れていたラ・ベルマも、彼が初めて実際にその『フェードル』の演技を見た 際には、写真に託していた期待が幻滅へと変じてしまう。アルベルチーヌの写真に至っては、サ ン=ルーから「これが、君の愛している娘さんなの?」とあからさまな落胆の反応を返されてし まう始末である。そもそも、くだんの祖母の写真ですら、先程のような深い感銘を生み出しなが ら、『見出された時』に至って、実は同性愛者であったサン=ルーが、ホテルの部屋を暗室にして 写真の現像を行うことを口実に、エレヴェーター・ボーイをかどわかしていたことが明かされる のである。要するに、これらあまたの写真の形象は、本来のドキュメントやフェティッシュの機 能を担うことを装いつつ、ほとんどの場合、現実の対象とその表象の関係をめぐって、それを支 えるはずの機械的複製のプロセスにもかかわらず、それが単なる再現を果たすわけではないとい う視座のもとに立ち現れているのである。『明るい部屋』でロラン・バルトは、単に過去の痕跡 をとどめるものとしての写真ではなく、思いがけない仕方で見る者を突き刺し、戸惑わせる「プ ンクトゥム」の契機について語り、そうした観点から「写真は過去を追想しない(写真にはプルー スト的なものは何もない)」(52)と述べたが、ミーケ・バルが的確に指摘しているように、それは プルーストを記憶の主題にのみ還元するような皮相な理解を念頭に置いてのことであって、写真 が生起させる意味作用を表象への問いかけとして語っているという点では、「プルーストにおけ る写真とは、実際にはプルースト的であるよりもバルト的」(53)なのである。

こうした写真をめぐる言説に加えて、これは昨今しばしば取り上げられる論点であるが、『失 われた時を求めて』における「クロノフォトグラフィー」への言及や、それを示唆するような描 写も見逃せない。ブラッサイが正しく指摘しているように、『スワン家の方へ』の冒頭近くで、

眠りから覚めた刹那、自分がどこにいるのかわからず、それまでに過ごしたさまざまな場所の記 憶が錯綜する状態を喩えて、それは「馬が走るのを見ても、キネトスコープが示してくれるよう な相次ぐ馬の位置を見分けることができないのと同じ」(54)と述べる形容には、明らかにマレー やマイブリッジが運動を分析するために考案した連続写真の技術が着想を与えている(55)。また、

サン=ルーの敏捷さをめぐって、冒頭で述べた、彼が拳を連打する動作や、『見出された時』の中 で同性愛者のたむろすホテルから足早に出て行く際の身のこなしが、同じく連続写真の画像に擬 せられて描写されていることも、ブラッサイに限らずさまざまな論者が指摘している(56)。さらに、

アルベルチーヌをはじめ多くの登場人物が時の経過とともに異なった性格を呈し、その姿を固定 した画像に定着しようとしても、「性格は次々と異なる様相を示して(性格とは不動性を保つこ

(13)

とができずに動くものなのだ)、レンズを戸惑わせるばかりだ」(57)とする省察についても、例え ばヴァレリー・デュピュイは、そこでは「 1 つではなく複数の、互いに区別できる程度に異なっ たイメージが、積み重ねられたり連鎖したりすることなく、眼=意識がそれらを見渡し、かつそ れらを隔てる差異を測れるように、空間の内に配置されている」と述べて、その意味で、「イメー ジの上重ねでも、厳密に時間的な継起でもないクロノフォトグラフィーの技法は、登場人物を表 象するプルースト的な手法の最も正確な等価物をなしている」と主張している(58)。しかし、わ れわれとしては、こうした手法が提起する真の射程は、人物の造形のみに関わるわけでも、事象 の急速さを表すための比喩のみに限られるわけでもなく、まさに、現実において生起している運 動を、そのまま再現的に描写するのではなく、そこでの知覚のあり方に分析を加える──ブルト ンがプルーストを批判したのもこの「分析欲」のゆえであった(59)──点にあるということを強 調しておきたい。そこにこそ、小説の言語的線状性と写真の視覚的空間性の交差による、映画的 表象様態へのある種の反省の契機が立ち現れるのである。この点をめぐって、ミーケ・バルはプ ルーストの手法を「密着印画の装置」(60)に比しながら、次のように述べている。

もしもこの装置が映画的な可能性を示唆するとすれば、考えられるのは自己反省的なアヴァ ンギャルド映画であろう。そこでは空間に並べられた、各々は静止したイメージ群の継起が、

それらの素速い映写が作り出す

“本物の”

運動のイリュージョンに打ち勝つ。言い換えれば、

ここで取り上げている技法が決定的に重要なのは、それが運動の軌跡という視覚的なエクリ チュールのみならず、エクリチュールの軌跡という運動をも生み出そうとするものだからで ある。(61)

ここではまさに、かつてベルクソンが、映画は時間的な持続を空間的な羅列に置き換えて運動 のイリュージョンを作り出す装置にすぎず、よって自らの唱える純粋持続を体現するものではな いとして「思考の映画的メカニズム」を批判した際のそれと同じ論拠が(62)、映画的表象の基本 様態をあらためて顕在化させ、そのことによって映画的運動の自己反省を惹起する契機として認 識されている。

結 び

プルーストはふとしたきっかけで無意志的記憶が蘇り、本人にも予期できない感情と想念の網 目が紡ぎ出されてゆく作用を「心の間歇」と名づけたが(63)、映画において、フィルムの間歇的 な送りと光の投影によって、隣接する無数の小さな画像がスクリーンの空間に拡張され、その光 に、純然たる

“見る眼”

と化した観客たちが見入るという一連のプロセスは、プルーストのエク リチュールと、それをめぐるあまたの研究者たちによる探究に照らして、まさしく「光の間歇」

(14)

と呼ぶにふさわしいいとなみではなかろうか。そして、その光の明滅が、アヴァンギャルド映画 に限らず、映画的表象の存立そのものを反省させる契機となる時、われわれは映画から差し出さ れる鮮明な

“しるし”

のインパクトを受け止めることになるであろう。『見出された時』の中で、

それまでの無意志的記憶のすべてが圧倒的な喚起力で語り手に押し寄せた時、彼は一切の不安や 逡巡が消え去り、「爽快さとまばゆい光の印象が私のそばで旋回していた」(64)のを感じて、遂に

“書くこと”

を決意する。彼を襲った強烈な至福感は、『TAKESHIS’』のあの場面がわれわれに差

し出すインパクトをも予見している。夜空に舞い上がって北斗七星を形づくるあれらの光芒は、

まさに光の間歇が生み出す映画そのものの姿を、「爽快さとまばゆい光の印象」によって浮かび 上がらせていたのである。その反省的な契機を受け止めつつも、今はその光景を眼差す至福の体 験に身を任せることにしたい。

マルセル・プルースト『失われた時を求めて』からの引用にあたっては、下記の文献により巻数と頁数のみを 表示する。ただし、訳文については各種の邦訳を参照しつつ拙訳した。

Marcel Proust,  , édition publiée sous la direction de Jean-Yves Tadié, Paris, Gal- limard, « Bibliothèque de la Pléiade », 4 tomes, 1987-1989.

鈴木道彦訳『失われた時を求めて』、集英社文庫、全13巻、2006-2007年。

他の外国文献についても、邦訳のあるものは表示したが、引用文は表現や表記の都合などから必ずしも既訳を 用いていない。

(1) T.  II,  p.  480.  第 5 巻、366頁。ここでも、星が 7 つであれば星座は北斗七星に違いなかろう。ちなみに、北 野の作品ではほかにも『菊次郎の夏』の中で、作家志望の放浪青年が少年に北斗七星の由来を語って聞かせ る場面がある。

(2) T. I, p. 629. 第 3 巻、452頁。

(3) T. IV, p. 313. 第12巻、94頁。

(4)  ., p. 461. 同書、397頁。

(5)  ., p. 468. 同書、411頁。

(6)  . 同書、412頁。

(7)  ., p. 463. 同書、402頁。

(8) Luc Fraisse,  , Paris, Sedes, 1996, p. 297. 次の文献における補足も参 照せよ──Martine  Beugnet  and  Marion  Schmid,  ,  Aldershot  (Hampshire),  Ashgate,  2004, pp. 11-12.

(9) Lettre de Proust à Jean de Pierrefeu (écrite peu après le 15 janvier 1920), dans Marcel Proust, 

, texte établi, présenté et annoté par Philip Kolb, t. XIX, Paris, Plon, 1991, p. 76. ジャン・ド・ピエール フー宛の書簡(1920年 1 月15日の少し後)、岩崎力ほか訳『プルースト全集』、第18巻「書簡Ⅲ」、筑摩書房、

1997年、353頁。

(10) 「マルセルの嗜好は、きわめて通俗的な芸能やミュージック・ホールにまで及んでいた。」(Jean-Yves  Tadié,  , Paris, Gallimard, 1996, p. 248. ジャン=イヴ・タディエ『評伝 プルースト』、

(15)

吉川一義訳、筑摩書房、2001年、上巻、216-217頁。)

(11) Envoi de Proust à Marcel Plantevignes (le 25 ou le 26 septembre 1908 ?),  ., t. VIII,  1981, p. 222. マルセル・プラントヴィーニュ宛の献辞(1908年 9 月25日か26日?)、『プルースト全集』、前掲書、

第17巻「書簡Ⅱ」、1993年、162-163頁。

(12) Paul Fierens, « Anticipation »,  , janvier 1923 (« Hommage à Marcel Proust »).

(13) André Berge, « Cinéma et littérature », 

, t. 3, Paris, Félix Alcan, 1927, pp. 126-127.

(14) Pierre-F. Quesnoy, « Littérature et cinéma »,  , juillet 1928 (« Cahier spécial : cinéma »),  pp. 85-104.

(15) ちなみに、ケノワの評論は、同年に仏訳が刊行されたクルツィウスのプルースト論(Ernst Robert Curtius,  ,  traduit  de  l’allemand  par  Armand  Pierhal,  Paris,  La  Revue  Nouvelle,  1928.  ドイツ語原書は

,  Stuttgart,  Deutsche  Verlags-Anstalt,  1925,  Kapitel  über  Marcel  Proust.『現代ヨーロッパにおけるフランス精神』、大野俊一訳、みすず書房、1980年、「マルセル・プルースト」

の章)を参照していると思われる。ドイツの仏文学者が著したこの書物は、特にプルーストと映画の関係に 焦点を当てたものではないが、アルベルチーヌへのキスのくだりを映画の「スロー・モーション」に喩え

(p. 132. 邦訳、100頁)、また馬車からマルタンヴィルの鐘塔を眺める記述に関連して、そのもととなった『フィ ガロ』紙掲載の「自動車旅行の印象」の一節を引用しており(pp.  129-130.  邦訳、98頁)、ケノワは名高い前 者の記述には触れずに後者の新聞記事のみを自らの評論に採り入れている。

(16) Jacques  Bourgeois,  «  Le  cinéma  à  la  recherche  du  temps  perdu  »,  ,  2e  série,  n° 3,  décembre 1946.

(17) Jacques Bourgeois, « La peinture animée », même revue, n° 1, octobre 1946.

(18) そうした構想は『湖中の女』(ロバート・モンゴメリー、1947)によって実現されることになるが、ブルジョ ワはここで、『ラ・ルヴュ・デュ・シネマ』誌の同じ号で特集されていたオーソン・ウェルズが、その処女作 の企画『闇の奥』でこうした主観的キャメラの技法を全編に採り入れようとしたエピソードについて触れ、「主 観的になるということがあらゆる芸術の究極的な到達点である」という信念を述べて、最後に、ウェルズの 処女作『市民ケーン』をその先駆的な試みとして分析してこの記事を結んでいる。

(19) Jacques Nantet, « Marcel Proust et la vision cinématographique »,  , n° 36-38  ( « Cinéma et roman : élements d’appréciation » ), été 1958, pp. 307-312. ナンテは言及していないが、シャル リュスとジュピアンの出会いを気づかれずに、しかしよりよく見ようと、語り手がアパルトマンの回廊をぐ るりと遠回りして階段の窓辺に辿り着く描写は、まさしくオフュルスのオムニバス映画『快楽』(1952)の各 挿話で、人物が長々と続く回廊を同じように廻って行く場面を想起させる。

(20) 飯島正「映画と文章方法論」、『新映画論』、西東書林、1936年、79-80頁。この評論は『映画と文学』、シネ・

ロマンス社、1948年にも再録され(プルーストに関する記述は57-58頁)、さらに『映画のなかの文学  文学の なかの映画』、白水社、1976年、30-35頁においても再論されている。

(21) Jean Mitry,  , t. 1, Paris, Editions Universitaires, 1963, pp. 59-63 ( « D’un  certain pré-cinéma »).

(22) プルーストに関する評価の変遷については、フィリップ・ミシェル=チリエ著、保苅瑞穂監修による『事典  プルースト博物館』(筑摩書房、2002年)所収の、「第二の部屋 プルーストとその作品/第 5 分室 批評」が簡 潔で的確な概観を提供しており、特に「プルーストと戦後の批評」の項は邦訳に際して独自に増補されたも のである(原書は Philippe Michel-Thiriet, « Quid de Marcel Proust », dans Marcel Proust, 

, Paris, Robert Laffont, coll. « Bou- quins », 1987, pp. 232-239)。より詳細なプルーストの受容史については、上記の増補解説も参照しているアン トワーヌ・コンパニョンによる論考(Antoine  Compagnon,  «  La    de  Marcel  Proust  »,  dans  Pierre  Nora  (dir.),  ,  édition  «  Quarto  »,  t.  3,  Paris,  Gallimard,  1997, 

(16)

pp.  3835-3869)、およびジャン=イヴ・タディエ『プルースト読解』(Jean-Yves  Tadié,  Paris, Armand Colin, 1971)を参照せよ。

(23) Georges  Poulet, 

,  Paris,  Gallimard,  1963.『プルースト的空間』、山路昭・小副川明訳、国 文社、1975年。

(24) Gilles Deleuze,  , Paris, PUF, 1964, 4e édition « Quadrige », 2010.『プルーストとシーニュ』、

宇波彰訳、法政大学出版局、1974年、増補版、1977年。

(25) Gérard  Genette,  «  Proust  palimpseste  »,  ,  n° 12,  hiver  1963,  repris  dans  ,  Paris,  Seuil,  1966, pp. 39-67.「プルースト、パランプセスト」、『フィギュールⅠ』、花輪光監訳、風の薔薇、1991年、51-82頁。

(26) Gérard Genette, « Métonymie chez Proust ou la naissance du récit »,  , n° 2, avril 1970, repris dans  , Paris, Seuil, 1972, pp. 41-63. 「プルーストにおける換喩」、『フィギュールⅢ』、花輪光監訳、風の薔 薇、1987年、105-156頁。

(27) Gérard Genette, « Discours du récit »,  ., pp. 65-282.『物語のディスクール』、花輪光・和泉凉一訳、風の 薔薇、1985年。

(28) Jean Milly, « Proust et l’image », 

,  n° 20,  1970.  フランス語の «  image  » という語は、映像や心象風景などの視像だけでなく、それを喚起 する言語的比喩も意味する。

(29) Deleuze,  ., p. 144. ドゥルーズ、前掲書、132頁。

(30) T. IV, p. 474. 第12巻、423頁。

(31) Poulet,  ., p. 16. プーレ、前掲書、14頁。

(32)  ., p. 86. 同書、76-77頁。

(33)  ., l’ensemble du chapitre IX. 同書、第 IX 章全体。

(34) « Proust palimpseste », article cité, pp. 49-51. 「プルースト、パランプセスト」、前掲論文、60-62頁。なお、

ここで用いられている «  surimpressionnisme  » という表現は、ジュネットが注記しているように、もともと はバンジャマン・クレミユーが使った表現を、アンドレ・モーロワが自らのプルースト論において借用した ものであるが、両者が語っているのは「蘇った印象の精神化」(Benjamin  Crémieux, 

,  Paris,  Lemarget,  1929,  p.  62)や、印象と外的世界をつなぐ「感性と知性の間の作用」(André  Maurois,  , Paris, Hachette, 1949, p. 213. アンドレ・モーロワ『プルーストを 求めて』、井上究一郎・平井啓之訳、筑摩書房、1972年、205頁)といった特性であり、そこで提起されてい るのはある種の「超印象主義」(«  sur-impressionnisme  »)であって、映画技法としての「二重写し」

(«  surimpression  »)が想定されているわけではない。それだけに、かつての映画批評がこの技法とプルース トの描写の間に表面的な対応関係を見出そうとしたのとは異なり、プルースト的なエクリチュールの様態と 志向を端的に示す比喩としてこの表現を用いた点に、あらためてジュネットの鋭い洞察が窺われる。この論 文はプーレの著作の中で称賛を込めて言及されていることから、刊行は同年であるがジュネットの論文の方 が先に発表されたと思われる。いずれにせよ、両者が互いの論考によって触発し合ったことは間違いない。

(35) « Métonymie chez Proust », article cité, pp. 42. 「プルーストにおける換喩」、前掲論文、109頁。

(36)  ., pp. 53-54. 同書、127-128頁。

(37)  ., pp. 46-47. 同書、116-118頁。

(38) Voir 

, catalogue de l’exposition à la Bibliothèque nationale de France  (novembre 1999 - février 2000), sous la direction de Jean-Yves Tadié, avec la collaboration de Florence Callu,  Paris, Gallimard/BNF/Réunion des musées nationaux, 1999.

(39)  , catalogue de l’exposition au Musée de Chartres (juillet-novembre 1991), sous la direc- tion de Maïté Vallès-Bled, Chartres, Musée des beaux-arts, 1991, pp. 529-534.

(40) 吉川一義『プルースト美術館』、筑摩書房、1998年、および『プルーストと絵画』、岩波書店、2008年。真

(17)

屋和子『プルースト的絵画空間』、水声社、2011年。

(41) Jean-François Chevrier,  , Paris, Editions de l’Etoile, 1982, nouvelle édition,  , Paris, L’Arachnéen, 2009.

(42) Mieke Bal,  , Montréal, XYZ, 1997.

(43) Brassaï, 

, Paris, Gallimard, 1997. ブラッサイ『プルースト/

写真』、上田睦子訳、岩波書店、2001年。

(44) Jean  Cléder  et  Jean-Pierre  Montier  (dir.),  Rennes, Presses Universitaires de Rennes, 2003.

(45) 紙幅の制約からここでは取り上げないが、かねてからプルーストと映画の親近性が語られながら、長らく 実現しなかった『失われた時を求めて』の映画化作品が、1980年代以降、『スワンの恋』(フォルカー・シュ レンドルフ、1984)を皮切りに相次いで製作されたことも、こうした観点から注目すべき事象であり、しか もそのことは、研究面での動向にとどまらず、プルーストが広く一般にも興味をもって迎えられるようになっ たことを示唆している。主な映画化の企画や実現した作品の検討については以下を参照せよ──Beugnet  and  Schmid,  . および Peter Kravanja, 

, Bruxelles, La Lettre volée, 2003.

(46) Brassaï,  ., p. 19. ブラッサイ、前掲書、12頁。

(47) ベケットも先に触れたプルースト論──その結論部では、文体は技巧ではなく、ものの見方の問題だとす るプルーストのくだんの言葉が取り上げられている──の随所で、写真の介在について論じていた(Samuel  Beckett,  , London, Chatto & Windus, 1931. サミュエル・ベケット「プルースト」、『ジョイス論/プルー スト論』、髙橋康也ほか訳、白水社、1996年)。

(48) T. II, pp. 144-145, et t. III, pp, 152-160, 171-176. 第 4 巻、208-211頁、および第 7 巻、338-353、377-389頁。

(49) Philippe Dubois, 

, édition augmentée, Paris, Nathan, 1990, chaps. 1-3.

(50) 詳しくは拙稿「見ることの顕現──映画作品における写真の形象について」(『早稲田大学大学院文学研究 科紀要』、第53輯・第 3 分冊、2008年)を参照せよ。

(51) T. I, p. 40. 第 1 巻、100頁。

(52) Roland Barthes,  , Paris, Editions de l’Etoile/Gallimard/Seuil, p. 129.『明るい部屋』、花輪 光訳、みすず書房、1985年、102頁。

(53) Bal,  ., p. 169 note 1.

(54) T. I, p. 7. 第 1 巻、37頁。プルーストはここで、エジソンが映画に先立って発明した「キネトスコープ」(動 く写真映像を見せる覗き式の器械)の名称を普通名詞として用いているが、記述内容からすれば正しくはク ロノフォトグラフィーである。本稿の冒頭で触れた、馬上からオデットに挨拶する紳士たちの描写からも窺 われるように、プルーストにとっての「映画」のイメージにはクロノフォトグラフィーのそれが結びついて いる。

(55) Brassaï,  ., pp. 145-149 (le passage intitulé « Chronophotographie »). ブラッサイ、前掲書、190-195頁

(「動体写真術」の項)。

(56) Voir, entre autres,  ., pp. 145-146. 同書、190-191頁 ; Bal,  ., pp. 196-198 ; Valérie Dupuy, « Le temps  incorporé : chronophotographie et personnage proustien », dans  ., pp. 132-133 et  136-137.

(57) T. III, p. 830. 第10巻、235頁。

(58) Dupuy, article cité, pp. 119-120.

(59) André  Breton,  «  Manifeste  du  surréalisme  »  (1924),  repris  dans  ,  édition  com- plète,  Paris,  Pauvert,  1979,  p.  20.  アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』、巖谷國士訳、岩 波文庫、1992年、17頁。

(60) 「密着印画」(英語で contact  print、フランス語で planche  contact)とは、通常、画像の確認などのために、

(18)

ロール 1 本分のフィルムを印画紙に密着して焼き付ける技法。通称「ベタ焼き」。

(61) Bal,  ., p. 199.

(62) Henri Bergson, 

 (1907), dans  , édition du centenaire, Paris, PUF, 1959, chap. IV 

« Le mécanisme cinématographique de la pensée et l’illusion mécanistique ». アンリ・ベルクソン『新訳ベル クソン全集 4  創造的進化』、竹内信夫訳、白水社、2013年、第 4 章「思考の映画的メカニズムと機械論者た ちの錯誤」。

(63) « Les intermittences du cœur », t. III, pp. 148-178.「心の間歇」、第 7 巻、328-392頁。

(64) T. IV, p. 445. 第12巻、366頁。

参照

関連したドキュメント

プークタルの『巌窟王』が作られるまでに、アメリカで『巌窟王』を原作とした映画は、十五本

プルース トとベケッ ト 『失われた時』はこの複数の声をもつ「私」が闇の中で眠れず に軽転する と ころから始まる。似たような設定をもつベ

聖書の中で神は光であることが啓示されています(詩篇 27:1,36:9 等)。パウロは、テモテへの 第一の手紙でこう言っています。「Ⅰテモ 6:16

番号 用語 意味 対応英語(参考) 5506 照準用暗視装置 夜間の搭載火器による射撃,目標捜索などに 用いる暗視装置 night sight night weapon sight 5507 そ (狙 )撃 銃 用

以下ではその攻撃の1つである光子数分岐攻撃 (PNS攻撃)とそれに対する解決策であるデコイ法を 説明する..

 それはともかく、監督候補がパプストからファンクに変わったのは、 1932 年から 2 年ほどの間である。これには明らかに 1933

目撃させるためにこそ︑そうした無理や不自然さを敢えて官しているのである︒