一 研究目的など
明治から大正前期の図画教育は,対象を正しく描ける能力を身に着けることを目的とし,臨画主 義・技術主義の性格が強かった。それと反対的立場を取った山本鼎(1)は,子どもを臨本から解放さ せ,自由に外界を観察させ,創造的に描写させることを力強く背中を押し,新たな美術教育理想像を 唱えた。山本に導かれた自由画教育運動(1919-1928)は,全国的に広がれ,日本の小中学校におい ての美術教育を一新させた。そこで現れた教育思想が本稿の分析対象である。
先行研究によれば,自由画教育運動及びその思想についての共通認識は,下記のようにまとめられ る。①大正新教育時期に日本で盛んでいたデモクラシー思想がその基盤である;②従来の臨画主義か ら,現在の子ども中心主義,感性主義的な教育まで,美術教育の発展に大きな後押しとなった;③美 術教育を普通教育の一環として取り扱うべきの考え方は,今日まで影響を及ぼしている;④教育論と しては,系統性と一般性を欠いており,そのため非難を浴び,崩壊するに至った;⑤根本的に理解さ れないまま,広く実践されていた可能性がある(2)。こう言ったように,自由画教育は,伝統図画教 育を今の美術教育への方向変更に,拍車をかけたという重要な歴史的価値を持つが,教育思想として は未熟であると一般的に考えられている。
しかし,上述の議論は,いずれにしても美術教育の領域で検討されたものであり,教育全般の観点 から自由画教育の価値を論ずるものは少ない。従って,自由画教育を,教育的観点から見た美術教育 の在り方として,それまでの図画教育との質的な相違を分析する必要があると考えられる。
ここでは,ジョン・デューイの経験的自然主義教育思想を用いて,自由画教育の教育的な質を明ら かにすることを試みる。その理由は,①自由画教育運動は,大正デモクラシーの基盤に生まれ,自由・
個性・感性を重視する教育の在り方を提唱していたため,民主主義的な性格が備わっていると考えら れる。②デューイは,当時アメリカの教育を批判し,デモクラシーの理想に達するためには,民主主 義的で新しい教育が不可欠であると主張する。山本は,活気的でない伝統図画教育に直面し,それを 批判した。旧教育を改善すべき点を考えた二人は,まさに同じ立場でもあった。③自由画教育を通し て山本は,子どもが自分の感動体験により心で感じ取った感動を他者と伝え合い,尊重し合って生き ることのできる人間の育成をめざした。それは,美術教科に立脚しているが,もはや美術という枠を 超え,人間の生き方としても読み取れるのである。またそれは,デューイのいう芸術の民主主義とし
自由画教育思想の質的再評価
―
経験的自然主義に基づいて
―伍 翔 南
ての生き方でもある。
直接に絡み合ってはいなかったが,山本の自由画教育思想は,デューイの経験的自然主義教育思想 と共通しているところは少なくないと考えられる。本稿において主に,①日常的な,②相互作用的な,
③感受的な,④柔軟的なという四つの性格から,自由画教育思想と経験的自然主義の響き合うところ を見いだす。それで,自由画教育とそれまでの図画教育とはどのような新しい差があったのかを明ら かにする。また,経験的自然主義の観点から,自由画教育は教育思想としてどのような価値を有する のかを明らかにする。
二 伝統的美術教育に逆らう自由画教育の主張
1.伝統的美術教育の主張
日本では,普通教育への図画導入にはまず西洋化・近代化という動機があったという(3)。当時,
英米では,図画は工芸(工業)教育の基礎と言った性格が強かった。当時の日本には,西洋図画教育 に対応するような工芸(工業)はなかったが,近代化を図ろうとしているため,将来の工芸工業で応 用できる美術,及びその技術が備わっている人材が求められていた。普通教育における美術教育は,
そのような人材を育成する科目として扱われていた。
1872
年(明治5)の『学制』により,小学校に「罫画」,中学校に「画学」として設置したのが教
科の始まりである。1873年(明治
6)『改正小学校教則』では,罫画科は実利主義・技術主義・臨画
主義をとっている。1881年(明治14)『小学校教則綱領』で罫画科は,目と手の訓練を強調,それに
応じた教科内容が設定された(4)。金子によれば,その時の普通教育における図画は,基本的に専門 図画と同じ内容である。即ち,規範としての手本があり,それを正確に模写して規範を習得すること が図画教育の目標であった(5)。その後,普通教育における美術教育は,毛筆画時代・鉛筆画時代,毛筆鉛筆論争時代を経て,『新 訂画帖』による系統化された,教育的図画時代になった。しかし,いずれも,図画教育を実用主義の
「技術」として,あるいは知的「知識」の習得としてしか捉えようとしていなかった(6)。
世界中でもそうだったが,1880年代の「児童画の発見」によって,美術教育は技術主義・客観主 義・模写主義という性格から,芸術主義・主観主義・創造主義といった性格へ転換し始めていた(7)。 その影響を受け,日本は,
1900
年(明治33)『改正小学校令』において,
「図画ハ通常ノ形体ヲ看取シ,正シク画クノ能ヲ得シメ兼テ美感ヲ養フヲ以テ要旨トス」を小学校図画の目標(8)とし,技術練習に,
美感の育成を加えた。1910年(明治
43)に,国定教科書『新訂画帖』は,文部省より発行され,そ
の編集者たちは,それぞれ著書を出版し,図画教育の目的と在り方についての考えを表明していた。例えば,小山正太郎の『図画教授法講義』によると,図画教育の目的は「他日必要に迫れば,事物を そのまま写し取る一種の技能を養成する」ことである(9)。白浜徴は,『図画教授之理論及実際』で,
「言語では伝わりにくい部分,伝えきれない意味を図画では理解できる」と述べ,図画教育の目的を
「言語と同様に思想を発表する用具」と捉えている(10)。つまり,美術は,技術として,あるいは能力
としてしか重視されていなかった。
教育方法としては,『新訂画帖』の発行により,臨画から記憶画・写生画教育への転換が,ある程 度は図られていた。しかし,実際の場では,その考え方が理解されず,手本は相変わらず使用され,
臨画模倣が絶対的な中心であることは変わらなかった(11)。
2.自由画教育の主張
山本のいう「自由」は,「創造」に関連している。自由画教育という名称について,山本は,「創造
(Creation)といふ字が一般に解り易いものならばむろんそれが良い」,「併し,吾が従来の図画教育 に対する時,自由画といふ字はむしろ適切ではないか。自由が不自由に代わった時,創造が模写に代 わった時,初めて自由といふ言葉は勇退すべきであろう」と述べている(12)。「自由画教育」は,創造 することにより,自由になると信じ,伝統的図画教育にもたらされた「不自由」を,即ち,臨画模写 を打破し,それを「創造」に変えることを目指している。
「創造」と「自由」にのこだわりは,山本の「感興芸術論」に根ざしている。山本は,「芸術の起因 は毎に感興ならざるべからず。而して技工はそれを盛る処の瓶子なり」と述べ,芸術は,「感興」を 源とみなさなければならない,またそれによって人間内面のリアリティが建築できると考える(13)。 従って,「感興」は「技法」より上位であり,「感興」こそが芸術の生命であったと主張する(14)。「模 倣」には「技法」を要するが,「創造」する時には「技法」よりもまず作者の「感興」が第一義とさ れなければならないということで,自由画教育は,伝統的図画教育から区別される(15)。
また,山本は従来の図画教育を「美術家教育」と称し,それと真の「美術教育」と混同してはいけ ないと言明している(16)。すなわち,伝統的図画教育は,技法や「正解」の真似を重視しすぎている。
その考え方は,美術の専門家の育成にも当てはまるかもしれないが,普通教育では生徒全員を立派な 芸術家にすることを目的としないため,作品の作成よりも生徒の精神世界に焦点を当てることが重要 である。こうして,山本は,伝統的図画教育を批判し,新たな「美術教育」の定義を下記のように提 案している。
美術教育は要するに感情教育だといふのはまあいい。ありていに言詮すれば,人間の有って居る あらゆる性能に,滋雨を灌漑するのが美術教育だ。/美術教育とは,愛を以て創造を処理する教 育である(17)。
このように,山本のいう美術教育は,美術家を育成する狭い意味での専門教育ではなく,愛を含め た創造的で感情教育であり,より広い教育的意味でたてられるものである。こういう美術教育観に基 づいた自由画教育は,技術的な訓練をさせべきでなく,心を潤う精神的な教育目指している。
教育方法については,山本は,臨画の代わりに,写生を取り組むべきだと強く主張する。それは,
芸術表現の「純」への追求に根底がある。山本からすると,個人が自我の純を発見することには,他
人によってまとめられた抽象的な形や製図方法は,邪魔ものとなる。故に,権威者に描かれた手本を 教科書とせず,自分の目を本当の自然に向けることが重要であるという。
子どもにはお手本を備へて教へてやらなければ画は描けまい。と思ふのならば,大間違ひだ。
吾々を囲んで居るこの豊富な『自然』は何時でも色と形と濃淡で彼等の眼の前に示されて居るで はないか,それが子どもらにとっても大人にとっても唯一のお手本なのだ。(18)
伝統的美術教育が子どもに自然を観察する機会を与えないため,山本は「まったく見ることの喜び に導かなかった。知恵の自由も技工の自由も妨げて,子どものうちに早くすでに装飾の本能を萎縮し てしまった」とそれを批判する(19)。伝統的美術教育は美や美術というものを抽象化し,子どもの実 感を無視した教授法によって,子どもたちが見る喜びや,表現する喜びなどを体験することを妨げた と見たのである。山本からすると,写生を通して,目や手や脳を全体的に働かせることになるので,
知育が自然に含まれている(20)。それ故,彼は,臨画を廃止しようと呼びかけ,「自然直写」(21)を提唱 する。それは,子どもの個性と創造性を尊重し,子どもを大人の作り上げた世界,すなわち,手本や 臨本による模写主義の図画教育から解放することによって可能になるということである。以上のよう な考えで,自由画教育は,臨画の代わりに,写生を最優位の教育方法とした。
三 経験的自然主義に響き合う自由画教育
1.子どもの経験に基づく教育
自由画教育は大人が決めた規範や手本などに基づくのでなく,子どもの経験に基づく教育である。
それは,デューイの経験的自然主義に合致する。
デューイは,教育は,学習者が既に持っている経験に基づいて行われるべきであり,この経験と その過程で培われた能力を,すべての更なる学習の出発点(22)としなければならないと主張し,教育 者が,すでに整理されている知識から教育を始め,それを学生に流し込むようなことを反対する。
デューイからすると,人間には,成長という本質があるため,教育を受け,より良い自己になって いくのである。教育は,それ自体が目的であり,他の外的な目的に従うことはない。将来のための
「準備が支配的な目的になると,現在の可能性は,仮定の未来のために犠牲にされてしまう」のであ る(23)。たしかに生きている「現在」を生かすために,教育で取り組むべき活動は,主として職業の ために教育される作業から離れ,積極的な活動を意味するオキュペーションである(24)。つまり,経 験的自然主義の教育主張は,まず,教育を将来の準備段階としない。また,教育の実行は,日常生活 の経験を通じて,積極的に活動を取り組むことである。
実用的な目的を有する伝統的美術教育は,大人が想定するような,将来の職業に有利な技能を子ど もに訓練させる。手工業向け,工芸製産業向けの技術訓練のような教育方式は,彩りのある生活の元 来の豊かさを狭い範囲にまで縮小してしまう。それがデューイのいう「仮定の未来のために」,「現在
の可能性が犠牲になってしまう」のであろう。対照的に,山本の美術教育は,「眼の対象となる自然 の万物,人間の智慧から生まれたいろいろな造形的物件に対する愛を喚起する事です,つづめて云へ ば人間本具の装飾の智慧を順当に成長せしむるための」ものなのである(25)。従って,伝統的図画教 育者が言った「他日必要に迫れば,事物をそのまま写し取る一種の技能」を養成することは,美術教 育を受ける理由にはならない。要するに,正しくものを描ける大人に目指して子どもを訓練させるこ とではなく,子どもに潜んでいる自然への愛と本具の智慧を引き出すことである。それは,経験的自 然主義の主張と合致しているといえよう。
伝統的美術教育の臨画模倣は,組織立てられた知識と技法を教育の出発点としている。それは,子 どもの実際の生活経験との関連が薄いため,子どもの活力の集結は難しいであろう。例えば,鯉の画 を描いた日本画作者は,鯉の流線形の泳ぎ姿に魅了され,筆と墨の特性を発揮し,その美しさを絵で 表した。しかし,生徒が見たのは,泳いでいる鯉ではなく,ただの「鯉」を代表する線と色の組み合 わせなのである。従って,いくら美しくても,生徒自身が感じられなければ,機械的に線と色を真似 するしかない。こうした教育活動は,次第に活気を失ってしまうのであろう。他方,臨本廃止・自然 直写を主張する自由画教育は,「まず林檎を食べさせ,然るのちに其味ひを問ひ,段々に広く深く関 係知識に誘って,自然に美の価値を悟らせる」というように,美術教育を実際の生活から始めようと する。もし,画くモチベーションが得にくいことがあっても,「一寸此処へ来て御覧,鶏が卵を温め て居るよ,これを描いて見ないか」(26)と言い,生活のシーンで興味あることを探し,観察しよう,描 いてみようという生徒の動機を誘って活動的な美を悟ることへと導くのである。林檎を食べさせた り,鶏を見せたりすることから,その体験なり行動に含まれて存する価値を悟らせる手段を設け,本 当の生活を経験させることにより,自ら知る力を育てる。このような美術教育の指導は,活気的であ り,デューイのいうオキュペーションに近い。
こうした山本の主張は,遠くて不確定な未来のために,子どもの生まれつきの感興と活力を犠牲さ せることなく,子どもを日常生活に向かわせ,自ら経験することにより,学習を完成させるのである。
美術家を目標として限定していないため,美術に限らずに,生活のあらゆる面まで広がっていく可能 性を持つのである。それは,経験的自然主義の真髄に一致していると思われる。
2.相互作用的な教育
自由画教育は,伝統的図画教育と違って,写生を主な教育活動として取り組んでいる。それは,人 と人,人と自然が積極的に相互作用できる教育過程である。それはまた,デューイのいう経験の相互 作用性と響き合う。
デューイは,当時のアメリカ教育相互作用的なのでないため,下記のように批判している。
旧教育は,生徒の新奇な発想を無視し,抹殺している。その結果,生徒にとっては,各人の生ま れつきの独特性が活用されず,新しい経験へ導かれることもできない。教師にとっては,理性に
よるパートナー関係を体験できず,新しい観点を得ることもできないだろう。教育の相互関係は,
ただ機械的になってしまった。(27)
デューイにとっては,相互作用的な教育とは,生徒を教材・環境・教師と相互的に活動させる教育で あり,また教師自身も積極的に教材・環境・生徒と相互的に活動しなければならないのである。生徒 が能動的に参加しているかどうかがその判断基準の一つであり,もう一つは,教師が能動性を発揮し ているかどうかである。また,デューイは,教材について,「個人のニーズや能力に適応していない 材料は,経験の教育的価値を打ち負かすのである。逆も同じである。」(28)と述べている。即ち,教育 活動の相互作用性を発揮させるために,生徒の個人能力に適した教材が必要となる。デューイのいう 教材は,教師と生徒を包み込むすべての環境,会話内容及び会話するときの声まで含意していること である。このことを美術教育に当てはめれば,教材は,単になる教科書,絵具などを指すだけではな く,鑑賞と表現活動をする時の場所,生徒と教師とのやり取りなども含められるのであろう。
このような観点から,伝統的図画教育と自由画教育思想を分析してみよう。
伝統的図画教育の場合は,教材はほぼ,専門家に定められた名作,即ち,臨本である。それから,
学習の組織は,臨本に根差した「いい」という標準に従わせることである。要するに,教師は手本に 従えばよい,生徒は教師から教わったことに従えばよいとしていた。そもそも,臨本は,ある画家が あるシーンに関心をひかれ,それを観察して描いたものである。見たものをすべてそのまま描くので はなく,どれを選び,どれを捨てるという取捨選択が行われている。出来上がった作品は,画家の観 点,使われた画材,描く当時の関心などにより変わるのである。同じシーンを見た画家二人は,同じ 作品を描くわけではない。更に,画家自身も,二度と同じシーンを描くことはない。それ故,臨本を 模倣することは,技巧を細かく学ぶことはできるかもしれないが,その作品が誕生した当時に,作者 にとって心の糸を弾かれた要素は,感じがたい。臨本で示された内容の教授だけをただ繰り返すだけ で,生徒も教師も,自分たちの主体性を発揮する機会がないため,能動的に教育活動に参加すること は困難であると言えよう。
それとは対照的に,自由画教育は,臨本廃止と主張し,生徒を本当の自然に向かわせ,写生活動を 積極的に取り組んでいた。自然に入ることより,自然との相互作用が始まる。日光の微妙な変化,植 物の僅かな揺れ,その時の温度や湿度そして風の強さなどを,目だけではなく,体全体で感じ取れる。
生徒は,五感を使って各々関心のある対象を観察し,体験し,自らその対象の特質をまとめ,能動的 な学習が始まるのである。そこでは,自然環境全体が,教材になってくる。この教材は,静止的でな く,動的である。例えば,植物を描く練習の途中で,偶然に見つけた虫に興味を持つことになった時 は,先生やクラスメートと相談し,予定の枠組みを壊して虫を画面に入れることにするかもしれない。
それで,初めて植物写生画の中に虫を加えてみたということは,今までにない斬新な経験となり,そ の感想は,今後の成長の養分となるのではないか。こうした自然環境を教材として活用し,自然との 相互作用ができるため,活溌である。また,生徒と生徒の間でも,生徒と先生の間でも,コミュニケー
ションがより広がり,より豊かな相互作用ができるのであろう。
上述のように,自由画教育思想は,経験的自然主義のいうような,有機体と自然の相互作用という 共通の側面を有しているは明らかである。そのため,人間的な発達を促進できる教育であり,美術教 科に限られない価値を有すると言えよう。
3.感受的な教育
自由画教育は,絵を自由に描かせることより「自由」になると思われがちだが,その真意は,子ど も一人ひとりの感受性を重視することにより,自由を促進させることに繋がっているのである。
まずは,デューイの主張からみてみる。デューイの民主主義の理想は,「成長としての自由」と「個 性としての平等」という二つの要素を含んでいる。生まれつきの差を無視するのが一つの不平等であ るとデューイは考える。なぜなら「成功とみなされることに関する狭く固定的な範疇が制定され,そ の方向に積極的に誘導されてしまうからである。民主主義の平等は,むしろ独自性を承認と奨励の両 方を含意している」(29)からである。平等とは,すべての人を同じ枠組みに当てはまることではなく,
逆に,個人差を認め,個性を尊重し,個性に基づいて適切な教育条件を人々に与え,個人をより良い 方向へと導くことである。
美術教育に移し替えるなら,個性への尊重を教育の前提認識とすることが適切であろう。生徒の個 性は,実際に,表現の段階に入る前に,感受の段階ですでに存在している。例えば,湖を青色と感じ 取る生徒もいるであれば,それを緑色と感じ取る生徒もいる。ここで,伝統的図画教育だど,たとえ 色の選択に分岐が出るにもかかわらず,特定の画家が選んだ色と同じ色を使うことだけが認められ,
個人が感じた色を実践することは「誤り」となってしまう。なぜならば,明治初期以来の外形描写の 写実主義,自然模倣の認識論や技法論,もしくは,日本伝統絵画における師伝の筆や筆法の形式模倣 訓練にとらわれ,作者の個性的な内面的感受性が無視されていた(30)からである。しかし,色につい ての認識には個人の感受によるものであり,正不正とは関係ないと考えられる。生徒に,自由に色を 選択させ,使用させれば,個性の表れも認められるのである。
伝統的図画教育と違って,山本にとって,絵画芸術は作者の個性的な表現でなければならない。そ して,この個性的な表現の根底に据えたものは,作者の「感興」という人間の「内的真実」(31)に訴え るものである。それぞれの感性に沿って,個性的に物事を感じ取り,それぞれに芸術的創造を始め,
それぞれのリアリティを見つけていく。山本自身は,生徒の個性を尊重し,生徒の感受性を信じて美 術教育を実践していた。彼の『自由画教育』では,下記のような指導例が挙げられている。
生徒に,こういう手紙が来た。「先生,美しい美しい青空を,どんな彩で描いたらいいんでせう。
前の山には胡桃の雑木が繁って,朝日をうけてむくむくと見えて居ます。又お池の水は澄んでそ この小砂利までも見えるんです。其上を又沢山な鯉が泳いで居ます―先生ほんとに,どう描い たらよいのでせう。」と手紙で訴へて来た。私は「まだそんな事を云って居んですか。見えた通
りにお描きなさい。もし私が,空をコバルトでお描きなさいと申して,あなたが其通りになすっ たら,あなたはコバルトを塗った役目をしただけで,美しい美しい空を,感じた人でも描いた人 でもなくなるじゃありませんか。」と返事した事であった。(32)
どう描けばよいのでしょうと悩みを訴えながら,豊富な自然を愛情深く観察して,それに喜んでい る子どもの様子が想像できる。こうした「描く」は,自発的であり,リアリティがある。従って,余 計な指令はいらないと山本は考えていたのでる。また,返事をみれば,子どもの感受性を信じている 様子が読み取れる。この指導案において山本は,空の色など具体的な指導を明示しようとしなかっ た。それは,その子を「美しい自然を感じた人でなくなる」ようにさせたくないためである。また,
子どもの生まれつきの感受性を大切にするという主張が窺われる。たとえその子と一緒に美しい空の 下で写生しているとしても,山本は,色選びを強制しないのであろう。こうした自由画教育は,個人 の感受の差異を無視することなく,それを承認し,奨励しようとする。絵画を子ども自身の感受性か ら発生させることが,機械的な模倣教育から感受的な直写教育への道の出発点である。それぞれの感 受性を個性として尊重して絵画活動を始めるということは,実際に平等と自由に向かい始めるからで ある。
感受性を個性として重視する自由画教育は,こういう点で自由・平等への追求を表していると思わ れる。これは,デューイの経験的自然主義思想とも合致していると思われる。
4.柔軟性を持つ教育
自由画教育は,画一的な手本の使用を拒否し,写生を提唱する。それは,柔軟性を持つ状況に適応 できることを求める。美術教育の評価段階で,特に問われると考えられる。またそれは,デューイの 経験的自然主義教育思想にも表している。
デューイからすると,「教育者の責任は,第一に,既存の経験の範囲から,学習者の能力の範囲内 で質問をすること,第二に,学習者が知識を探求し,自発的に新しいアイデアを生み出すように刺激 する質問をすること,という二つのことに等しく目を配ること」である(33)。つまり,教育活動の中で,
子どもがすでに獲得している知識・能力を把握しなければならない。従って,教育者は,常に子ども に注意を向け,流動的な状況の中で,次の教授内容・手段を判断・選択しなければならない。また,
すべての生徒の進捗を同じ尺度で測るのではなく,それまでの努力と成績を総合して評価を与えるの である。更に,芸術作品を鑑賞する際,磨かれた知覚力は大きな頼りになるとデューイは考える。あ る芸術品を傑作として受け入れられるのは,究極的には,伝統と習慣という権威によるのではなく,
読み手の知覚力によるとデューイは賛成する(34)。なぜなら,芸術は本来,人類共通の感情を素材に して異なる個人・集団を結びつけるのである。しかし,因習など権威にばかり則ると,知覚力は硬直 化し,芸術品とのコミュニケーションが途切れて,それで,芸術は本来の機能を失ってしまうからで ある。
伝統的図画教育は,臨画模倣を通して,正しく描く能力を涵養すると主張する。白浜徴も,阿部 七五三吉も,ものを正しく看取して正しく描けることを目標とし,絵画の優劣等の批評基準を明示し ていた(35)。児童画の評価基準を設け,大人の基準で子どもを評価していたことは,白浜からすると,
正当であり,教師の重要な仕事である。また,阿部は,授業の手順を「準備・教授・批正」と設置し,
教師は「絶えず机間を巡視し,見落とした点に注意」しなければならないと主張している(36)。つまり,
伝統的図画教育は,図画を,正しさを有し,客観的に判断できる優劣の性質を有するものと捉えてい る。従って,教師の仕事は,正しいことを教え,正しくない作品を批正することである。このような 状況で,教師は,与えられた基準に心から賛成し,実行するか,もしくは,それが適切かどうかを考 慮せずに,ひたすら権威に従うか,という二つの選択肢しか持たないのではないか。
対照的に,山本は,「児童には気ままに描かせるがいい,彼らが表現に関して質問を始めたら,技 巧化した範を示さずに,技巧を発見する事を教へてやる」(37)と述べ,子どもにどう描けばいいかを大 人の基準で示すことはしない。それは,前節で挙げられた生徒の手紙への返事からも分かる。自由画 教育は,それぞれ個性を持つ子どもを,画一的な基準に当てはめて指導することではない。
こうした系統性に欠けそうな自由画教育は,山本自身しかできない教育とも思われ,かなり批判を うけていた。一方,その主張を受け入れた実践者・実践学校は多かったが,その中で,山本が認める 自由画教育の主張の通りに実践している学校は,僅かであった。自由画教育は表面的な方法のみが伝 わり,真意が十分に理解されない面があるという研究結果もあった(38)。評価に難点を持つことがそ の一つの原因と考えられる。自由画教育は,決められた基準に従って評価することの代わりに,不確 定な学習状態に応じ,柔軟で,過程的な評価を要求している。それは,教育者により高い教育の知識 及び意識を求めてくる。単一の基準に則らず,子供の各々な状況に応じて評価することには,難しい 面もあるため,教育理論として系統性・一般性・実現可能性に欠けていると批判されていた。しかし,
状況に応じた柔軟性を持つことこそが,予想不可能な将来に相応しい教育理論であると考えられる。
それは経験的自然主義教育思想から見れば,芸術評価における知力の硬直化を防止し,芸術本来のコ ミュニケーションの機能を発揮させる教育手段である。またそれは,子どもを社会の一員として尊重 し,民主主義的な生き方を取る芸術の在り方でもあると考えられる。
四 まとめ
本稿は,自由画教育の主張を要約してみた。まず,普通教育における美術教育は,美術専門家を育 成する教育ではないため,その目的を「正しく描く」ことにしては狭すぎる。従って,美術教育は,
技術訓練を教育の中心とせず,より広い教育の観点から,子どもの精神世界(感受性・個性)の発達 を重視すべきである。それ故,臨画模倣は廃棄すべきである。代わりに,写生活動を通して,自由観 察の中で,子どもを他者と,自然とやり取りをさせ,一人ひとりの子どもの感興を呼び起こす。それ で,一人ひとりの表現の「純」がまとめられ,自我のリアリティが成り立つ。そうすると,子どもの 経験は,自然に重ねていき,更なる成長に導かれる。こうして,自由画教育は経験の発達を重視する
ため,教育の目的から方法まで,それまでの図画教育とすべて違うことが分かった。
本稿はまた,デューイの経験的自然主義の教育思想を用いて,自由画教育思想に備わっている教育 的な質を分析してみた。結論として,自由画教育の主張は,教育の目的から言うと,日常性を有して いる;教育活動の組織方式からみると,相互作用的で,感受的な性質を有している;評価尺度と観点 からは,柔軟性を備えているということが分かった。このような性質を有している自由画教育思想は,
美術という専門の枠を超え,普通教育全般に示唆を与えることができる。
教育は,実際の生活経験から離れてはいけないのは,山本とデューイに共通している部分である。
また,教育という事業は,子どもを大人が建てた基準や枠に当てはめようではなく,一人ひとりの子 どもをその出発点とし,そして一人ひとりの子どものさらなる成長をその目的とすべきである。常に
「愛」をもって子どもの目線で物事を見ることであり,子どもの個性・感受性を尊重し,子どもが他 者と環境と相互作用できる場を作るのがデューイの新教育である。山本は,画一的な臨本を廃棄し,
子どもの個性・感受性を尊重することができるように,自由観察を通した写生を取り組んでいた。そ こに反映されている自由画教育思想は,デューイのいう新教育に近く,美術教育史に新たな教育観を もたらした。
注⑴ 山本鼎(1882-1946),画家。東京美術学校,フランスでの留学,モスクワ短期滞在など経歴をし,独自な 美術観・美術教育観が形成された。自由画教育運動の指導者として広く知られている。
⑵ 下記の論文・著書を参照。上野浩道「大正期芸術教育運動の一考察―山本鼎と自由画教育運動について―」
『教育学研究』第39巻第1号,1972年;橋本泰幸「山本鼎の教育実践にみる指導法についての考察」『鹿児 島大学研究紀要』第32巻,1980年;金子一夫『近代に本美術教育研究 明治・大正時代』中央公論美術出版,
1999年。
⑶ 金子一夫『美術科教育の方法論と歴史[新訂増補]』中央公論美術出版社,2003年,131頁。
⑷ 倉田三郎監修,中村享編著『日本美術の変遷―教科書・文献による体系』日本文教出版株式会社,1979年,
24頁。
⑸ 金子一夫,前掲書,131頁。
⑹ 林曼麗『近代日本図画教育方法史研究―「表現」の発見とその実践』東京大学出版会,1989年,113頁。
⑺ 金子一夫,前掲書,132頁。
⑻ 倉田三郎 監修,中村享 編著,前掲書,104頁。
⑼ 同上,167頁。
⑽ 同上,149頁。
⑾ 同上,130頁。
⑿ 同上。
⒀ 中澤鐵「山本鼎の芸術思想と自由画教育論」『人文学報』第113号,東京都立大学出版,1976年,38頁。
⒁ 林曼麗,前掲書,112頁。
⒂ 同上。
⒃ 山本鼎『自由画教育』アルス,1921年(黎明書房1982年復刻版による)7頁。
⒄ 同上,11頁。
⒅ 山本鼎,前掲書,4-5頁。
⒆ 同上,45頁。
⒇ 倉田三郎監修,中村享編著,前掲書,176頁。
� 「自然直写」とは,絵画上の写実主義を意味していたわけではなく,「臨本や師伝の束縛を排して,個性を 以て自然の真を洞察描写する芸術革命」という「哲学的リアリズム」を意味していた(林曼麗,前掲書,114 頁)。山本自身は,「ただ各々の目で見よ,各々の霊で観よ,各々の趣味で統べよ,といふ哲学的なリアリズ ムだ」という解釈をしている(山本鼎,前掲書,49頁)。
� John Dewey, Experience and Education, LW13, p. 49.
� Ibid., p. 29.
� ここでのオキュペーションは,仕事やある特定の作業のための訓練ではない,目標を達成するために活力 を集結した企画を意味するのである(レイモンド・D・ボイスヴァート著,藤井千春訳『ジョン・デューイ
―現代を問い直す―』晃洋書房,2015,138頁)。
� 山本鼎,前掲書,179頁。
� 山本鼎,前掲書,158頁。
� John Dewey, Democracy and Education, MW9, pp. 312-313.
� John Dewey, Experience and Education, LW13, p. 27.
� レイモンド・D・ボイスヴァート,藤井千春訳,前掲書,95頁。
� 林曼麗,前掲書,111頁。
� 中澤鐵,前掲論文,45頁。
� 山本鼎,前掲書,22頁。
� John Dewey, Experience and Education, LW13, p. 53.
� ジョン・デューイ,栗田修訳『経験としての芸術』晃洋書房,2010,375頁。
� 倉田三郎監修,中村享編著,前掲書,152頁。
� 同上,163頁。
� 山本鼎,前掲書,8頁。
� 金子,前掲書,134頁。