〈講演会『弥生・古墳集落とモノ作り』記録2〉京 都盆地・淀川流域の弥生 : 古墳時代金属器生産
著者 真鍋 成史
雑誌名 同志社大学歴史資料館館報
号 21
ページ 19‑28
発行年 2018‑12‑31
権利 同志社大学歴史資料館
URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000499
<講演会『弥生・古墳集落とモノ作り』記録2>
京都盆地・淀川流域の弥生〜古墳時代金属器生産
真鍋成史
はじめに
みなさん、こんにちは。大阪府交野市教育委員会の真鍋です。本日は、「京都盆地・淀川流域の弥 生〜古墳時代の金属器生産」と題して発表させていただきます。まず簡単に自己紹介しますと、現在、
ハリス理化学館同志社大学ギャラリーに展示しています交野東車塚古墳(車塚1号墳)、森遺跡の発 掘調査に携わりました。次に研究の対象は、古墳時代を中心とする製鉄や鍛冶遺跡であり、それに基 づいた製鉄・鍛冶実験も行ってきました。実験の様子は後ほど紹介したいと思います。
ギャラリーに展示しています交野市の古墳時代の2遺跡のほか、弥生時代では京都府京都市の西京 極遺跡や京田辺市の田辺天神山遺跡、それと大阪府の茨木市の東奈良遺跡や枚方市の星丘遺跡、奈良 時代の滋賀県高島市の北牧野製鉄A遺跡についても紹介したいと思います。私の発表は同志社大学歴 史資料館が平成25年から28年度に実施した「木津川・淀川流域における弥生〜古墳時代集落・墳墓の 動態に関する研究」に基づいておりますので、興味のある方はそちらもご覧ください。
(パワーポイント1枚目参照・出典は下記文献)
真鍋成史2017「金属器生産からみた木津川・淀川流域の弥生〜古墳時代集落」『木津川・淀川流域に おける弥生〜古墳時代集落・墳墓に関する研究』同志社大学歴史資料館
金属器生産の概要
まず、青銅器と鉄器の製作過程を紹介したいと思います。まず製錬という作業が必要です。炉を作 りまして、その中に銅鉱石や鉄鉱石・砂鉄を入れて、炉の底に銅や鉄の塊を溜め、場合によってはそ こから流し出す作業が必要となります。製錬作業は、弥生・古墳時代においては京都盆地や淀川流域 では行ってはおりません。古墳時代後期になって、国内で鉄製錬が、遅れて銅製錬が始まります。
次に鋳造作業です。今回の展示資料にあります東奈良遺跡で弥生時代中期に行っています。折れ羽 口を高杯に差し込んで送風して銅を溶かしています。鉄の鋳造は飛鳥時代以降に行われます。
最後に鍛冶です。鉄器を作るには唱歌の「村の鍛冶屋」でもありますような作業が必要です。また 森遺跡の切り取った鍛冶炉をギャラリーで展示しています。
それでは、鉄器や青銅器ができる様子について少し紹介したいと思います。この映像は製錬・鋳 造・鍛冶の復元実験に関するもので、古代の人たちがどのように作業をおこなっていたのか、概略は 摑んでいただけるのではないかと思います。
スライド1(上)・2(下) 講演会『弥生・古墳集落とモノ作り』記録2
(パワーポイント2枚目参照・出典は下記文献)
交野市教育委員会2002『古墳時代の鉄製錬・鍛冶再現実験記録』(ビデオ映像あり)
美東町教育委員会2008『古代銅製錬復元実験報告書』
愛媛大学考古学研究室2008『弥生・冶金・祭祀』
製錬遺跡について
それではまず製錬についてです。展示しています鉄滓は琵琶湖の北西部、高島市にある北牧野製鉄 A遺跡の炉外流出滓です。昔、森浩一先生が調査した奈良時代の製鉄遺跡のものです。琵琶湖周辺で は飛鳥時代には製鉄が行われていたことが確認されていますが、古墳時代に遡る可能性もあります。
当然、北牧野地区から京都盆地・淀川流域にも鉄素材が流通すると考えられ、大澤正己氏が金属学的 調査から大阪府柏原市周辺には、近江から鉄素材が入っている可能性を指摘しています。
北牧野製鉄A遺跡の製鉄炉は横置き炉と言いまして、等高線に対して炉の長軸を並行に置く製鉄炉 です。分析値からみまして、鉄鉱石を使い、 母押し操業を行った可能性があります。
(パワーポイント3枚目参照・出典は下記文献)
森 浩一1971「滋賀県北牧野製鉄遺跡調査報告」『古代生産遺跡の調査』同志社大学文学部文化学科 大澤正己2002「田辺遺跡出土鉄・銅生産関連異物の金属学的調査」『田辺遺跡』柏原市教育委員会
鋳造遺跡について
続きまして鋳造遺跡をみたいと思います。弥生時代中期、大阪府では東奈良遺跡・鬼虎川遺跡・瓜 生堂遺跡・亀井遺跡・池上 根遺跡、奈良県側では唐古・鍵遺跡、京都府では鶏冠井遺跡・雲宮遺跡 で鋳造が行われますが、それは弥生時代の中期の拠点集落、若林先生のいう複合型集落で行われます。
京都盆地や淀川流域では、中期中葉以降には大規模な鋳造が東奈良遺跡で行われますが、それよりも 古い鋳造で小規模ですが、最も古い型式の銅鐸生産を京都盆地南部で行っています。東奈良遺跡は方 形周溝墓も見つかった環 集落です。集落の端で、銅鐸などの青銅器生産を行っています。
奈良県立 原考古学研究所附属博物館2009『銅鐸』
次に古墳時代の鋳造ですが、今回展示はしていませんが、大阪府吹田市の垂水遺跡は注目です。彷 製鏡の鋳型が表採されたほか、少しは離れた場所の24次調査からは方格規矩鏡片の鋳造の失敗品や古 墳時代前期の土器が出土しています。先日、吹田市立博物館に行ってこの遺跡の資料を見てきました。
小型丸底壺などの土器の内面に鉱滓が付着していることを確認しましたので、土器をトリベか坩堝に しています。垂水遺跡の鏡片とよく似た鏡がお隣の豊中大塚古墳から出土したほか、菱雲紋・鋸歯 紋・櫛歯紋の紋様をもった鏡は全国で11枚(大阪府豊中大塚古墳・南天平塚古墳、京都府百々池古 墳・稲荷藤原古墳2枚・平尾城山古墳・長岡京市近郊古墳、奈良県天理市近郊古墳、福岡県沖ノ島祭 祀遺跡、静岡県三池平古墳、埼玉県長坂聖天塚古墳)であり、そのうち7枚が京都盆地・淀川流域の 古墳から出土していますので、この付近で銅鏡を鋳造していた可能性が高いのではと思います。現在、
スライド3(上)・4(下) 講演会『弥生・古墳集落とモノ作り』記録2
前期古墳に副葬された鏡の生産について不明な点も多く、注目しています。
(パワーポイント4枚目参照・出典は下記文献)
吹田市教育委員会2005『垂水遺跡発掘調査報告書Ⅰ』
時代を戻します。弥生時代中期を通じて拠点集落であった茨木市東奈良遺跡のほか、数か所の遺跡 で青銅器生産を行っていますが、弥生時代後期までには東奈良遺跡を含む拠点集落は解体し、小規模 な青銅器生産する遺跡は分散します。古墳時代前期に入ると集約化されたのか垂水遺跡のように一部 では青銅器生産が行われます。前期古墳への鏡を供給した可能性も考えられますが、実態はよくわか っていません。
弥生時代の鍛冶遺跡について
続きまして鍛冶遺跡です。この夏に、若林先生や同志社大学考古学研究室の学生さんと一緒に再整 理といいますか、昔調査された田辺天神山遺跡の竪穴住居の炉の土を洗いまして、鍛冶の痕跡を探し たわけであります。その結果、滓片のほか、微細な鍛造時の派生物でいわゆる擬似粒状滓や擬似鍛造 剥片が炉の中から確認されました。鉄器や砥石のあり方も併せて考えたところ少なくとも3棟の工房、
住居兼用の鍛冶工房の可能性が考えられます。具体的には7・10・16号住居の3つ竪穴住居はその可 能性があります。時期は弥生時代後期後葉から古墳時代直前の庄内期にかけてです。
(パワーポイント5・6枚目参照・出典は下記文献)
森 浩一1976「田辺天神山弥生遺跡」同志社大学
次に西京極遺跡ですが、214住居が鍛冶工房で、弥生時代後期前葉であります。炉は地下構造をも つ鍛冶炉で、周囲から疑似粒状滓や擬似鍛造剥片が玉の穿孔用に用いられた可能性のある錐状鉄器な どの小さな鉄器片や炭など一緒に出土しています。弥生時代において地下構造をもつ鍛冶炉は大阪湾 以東では唯一の検出例です。
次に枚方市の星丘遺跡です。工房は方形の竪穴住居でありまして、もう古墳時代に入るかどうかと いうぐらいの弥生時代終末期の庄内期あたりの鍛冶工房であります。鉄鏃のほか、鏨で鉄素材を切り 落とした残材の鉄片が多数見つかっております。また珍しいものでは鋳造鉄斧の破片も出ております。
砥石も出土しており、原始的な鍛冶を行っていたことは確実とされています。
報告書を再検討しますと、弥生時代後期には、京都盆地・淀川流域において原始鍛冶の痕跡は認め られました。しかし、古墳時代に入ると、鍛冶の痕跡は少なくなり、実態がよくわからなくなります が、中期になると大阪府側の交野市域に集中して大規模に鍛冶が行われます。京都府側も森垣外遺跡 などでも行われますが、この淀川流域・京都盆地の中で交野市域が今のところ鍛冶関連遺構や遺物量 からみても大規模生産であります。
柏田有香2009「京都盆地における変革期の弥生集落―鉄器生産遺構の発見―」『古代文化61‑3』
村上恭通1995「星ヶ丘遺跡の鍛冶遺構について」『みずほ』大和弥生文化の会
スライド5(上)・6(下) 講演会『弥生・古墳集落とモノ作り』記録2
交野市域の鍛冶生産について
それでは私が調査しました交野市の森遺跡の紹介をしたいと思います。生駒山地の西麓部、山裾に 位置しています。弥生時代の原始鍛冶に対して本格鍛冶です。また、北側500ⅿぐらいには私部南遺 跡、北東部に接して古墳時代前期未葉の交野東車塚古墳(1号墳)から始まる車塚古墳群があります。
私部南遺跡で鍛冶工房が見つかっていますので、私はこの車塚古墳群の被葬者が両遺跡の鍛冶工房を 掌握していたと考えています。
森遺跡出土の鍛冶関連遺物ですが、鉄滓や鉄塊・廃鉄器それと鞴の羽口があります。古墳時代中期 中葉になりますと、鉄塊というものも韓半島から入りだします。それまでは、鉄 とか、板状や棒状 の鉄素材でしたが、精錬鍛冶が必要となる鉄塊というものが入ってまいります。その他に、鋳造鉄斧 や馬具などの破片の可能性のある鉄地金銅製品も出土しています。
(パワーポイント7枚目参照・出典は下記文献)
交野市教育委員会1998『古代交野と鉄Ⅰ』
森遺跡や私部南遺跡では地上式鍛冶炉の痕跡が見つかっていますが、立位で鍛冶をするというそれ までの日本列島にはなかったスタイルでの作業です。近畿地方にも韓半島を通じて渡来系の鍛冶技術 が一気に入ってきます。これはまた、韓半島でも韓族や 歳族は元々は持っていなかった中国系の鍛冶 スタイルといえます。韓半島ではその後も中国系の立位スタイルを維持しますが、日本では旧来の平 座位スタイルに戻します。飛鳥池遺跡の鍛冶工房はこのスタイルです。
(パワーポイント8枚目参照・出典は下記文献)
村上恭通2010「鍛冶炉と作業姿勢」『韓鍛冶と倭鍛冶』鍛冶研究会
真鍋成史2013「古墳時代中期における渡来系鍛冶技術の導入過程について」『たたら研究』第52号 真鍋成史2015「東夷諸族の鍛冶技術」『森浩一先生に学ぶ―森浩一先生追悼論集』(同志社大学考古学 シリーズ )
それで交野東車塚古墳と韓半島との繫がりですが、まずは、この古墳の被葬者と一緒に甲 が副葬 されており、武人であった可能性が高いです。また甲 のうち、短甲は三角板皮綴襟付短甲と呼ばれ るもので、韓半島からも出土しています。そのほか、筒型銅器や辺形銅器も韓半島との繫がりが指摘 されています。今後、鍛冶姿勢や羽口の形状も含めて半島との繫がりを検討していかないといけない と思います。
(パワーポイント9枚目参照・出典は下記文献)
交野市教育委員会2000『交野東車塚古墳〔調査編〕』
さいごに
最後にこれまで述べたことをまとめたいと思います。弥生時代中期は主要な拠点集落で青銅器生産
スライド7(上)・8(下) 講演会『弥生・古墳集落とモノ作り』記録2
が実施されます。弥生時代後期にはそれらがいったん解体し、古墳時代前期には再度集約化した可能 性があると言えそうです。次に鍛冶ですが、弥生時代中期には、鉄器生産は行っていません。中河内 に比べても鉄器の出土自体も少ないです。前代に引き続いて石器がいまだに主役だったのでありまし ょう。弥生時代後期に入って火を使う原始鍛冶が開始されます。
今回、幸運にも若林先生と同志社大学の学生さんと一緒に再調査して田辺天神山遺跡で鍛冶操業の 痕跡が見つかったのですが、非常に被熱が弱く鍛冶痕跡が残りにくいものであったことが確認できま した。その他の多くの遺跡では鍛冶の痕跡があっても、報告されていない例も多いのではないかと思 います。
古墳時代前期においては、活発な鉄器生産の痕跡は、この京都盆地・淀川流域では少ないです。少 なくとも前期古墳に副葬された鏡を製作していた可能性はありますが、刀剣は作っていないようです。
奈良県桜井市の纏向遺跡でも刀剣製作に係るすべて鍛冶工程を行っていたのかは不確かで、最終の仕 上げや刀剣装具製作をもって「メイドイン大和」として各地に配布していたのではないでしょうか。
次の古墳時代中期に入り、渡来系鍛冶技術を導入したことによって鉄塊から長刀剣でも作れるよう になったと思いますが、山口大学の齊藤さんはその開始が交野東車塚古墳の刀ではないかと考えてい ます。刀剣研究からみても奈良県天理市の布留遺跡だけでなく、東車塚古墳に隣接している森・私部 南遺跡の鍛冶操業が今後注目されるのではと思います。ちょうど時間となりました。御清聴ありがと うございました。
真鍋成史2017「鍛冶遺跡出土の刀剣について」『古代武器研究』VOL.13古代武器研究会
齊藤大輔2018「古墳時代中期刀剣の編年」『中期古墳研究の現状と課題Ⅰ』中国四国前方後円墳研究 会
スライド9 講演会『弥生・古墳集落とモノ作り』記録2