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崩壊から再統合へ : モダニスト・テキストとして の『夜はやさし』

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崩壊から再統合へ : モダニスト・テキストとして の『夜はやさし』

著者 石塚 則子

雑誌名 同志社大学英語英文学研究

号 81‑82

ページ 65‑86

発行年 2008‑03

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011364

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崩壊から再統合へ

―モダニスト・テキストとしての『夜はやさし』

石 塚 則 子

0 はじめに―『グレート・ギャツビー』以降

 1925年に出版した代表作『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby)の 後、次の長編小説『夜はやさし』 (Tender Is the Night)を出版するまでにF.

Scott Fitzgeraldは九年余の歳月を費やす。その間,ヨーロッパでパーティー

に明け暮れる放蕩生活を過ごしながら,その生活を支えるために大衆雑誌向 けの短編小説を執筆したり,アメリカに戻ってハリウッドで映画の台本を書 いたりしていた。こうした精力的な創作活動によって,1930年代前半までは 高い収入を得ていたものの,作品の質の低下は否めなく,支出が収入を上回 る放埓な生活は,作家としての創作活動だけではなく,彼個人の人生をも堕 落させていった。『グレート・ギャツビー』よりも優れた作品を書きたい衝 動,また当時頭角を現してきたヘミングウェイに対する対抗意識や焦燥感を 紛らわすため,ますますアルコールに依存するようになり,また不眠症に悩 まされる一方,妻ゼルダ(Zelda)が精神的疾患の悪化により1930年以降入 退院を繰り返すことになる。1934年に『夜はやさし』を発表した後に書いた エッセイ「崩壊」(“The Crack-Up”)の冒頭で,「もちろん生涯はひとつの崩 壊の過程である」(69)と書いているが,『夜はやさし』執筆の時期にあたる 1926年ごろからの10年間は,まさに作家/人間フィッツジェラルドの「崩 壊」の軌跡と重なる。

 「自分の人生を寄せ集めて作品の型に縫い上げる」(“Early Success” 86)と

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自認しているように,フィッツジェラルドは自分の人生が作品に色濃く投影 された作家である。『夜はやさし』においても,主人公ディック・ダイヴァー

(Dick Diver)の没落と妻ニコル(Nicole)の人格破綻は,フィッツジェラル ドと妻ゼルダの凋落が下地になっていることは明白であり,ヨーロッパでの 豪遊やそこで出会う国籍離脱者たちの群像が作品の登場人物像に投影されて いる。こうした経緯から,1920年代という華々しい時代の申し子であった フィッツジェラルド個人の破綻との照応関係を手がかりに『夜はやさし』を 読み解くのが従来の批評の主流であった。1 しかし最近では,フィッツジェ ラルドの個人的感情を登場人物に照射したものと解釈するよりも,作者の自 伝的要素と共に,より包括的な時代認識が併存していると読み解く傾向が主 流になってきている。トラクテンバーグ(Alan Trachtenberg)が指摘してい るように,フィッツジェラルドの創作の鍵は, “a balance between reflective subjectivity and objective detachment” (133)である。主人公の内的葛藤を精 緻に描くだけではなく,主な登場人物を取り巻く1920年代から30年代の社 会的・文化的文脈に対する,フィッツジェラルドのややシニカルな視座を作品 に投影することで,作品に独特の広がりがもたらされているように思われる。

 1930年以降に出版された短編小説 “Babylon Revisited” やエッセイ “Echoes of the Jazz Age” では,当時の社会的状況と作家個人の状況,両者の破綻が具 現化されている。『グレート・ギャツビー』に続く次の長編作品,つまり『夜 はやさし』を執筆したのも丁度同じ時期である。彼は当時の状況を “The Crash! ZeldaAmerica” とメモ書きに残しているが(qtd. Curnutt 23),これ は第一次世界大戦後の混乱と大恐慌によるアメリカ経済の破綻などの社会的 文脈と,妻ゼルダの精神的破綻という個人的な状況の変化との奇妙な照応関 係を物語っている。第一次世界大戦後のアメリカとヨーロッパを席捲したモ ダニズムの潮流の中で,こうした個人や社会や国家などの各位相での混乱が,

『夜はやさし』においてどのように作品化されているかを読み解いていくこと が本稿の目的である。

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1 モダニズムの定義の困難さ

 創作時期は確かにモダニズム文学と同期しているものの,フィッツジェラ ルドはその中核をなす作家としては認知されていない。19世紀的なアメリカ の倫理観や「アメリカン・ドリーム」に具現化されているような彼特有のロ マンティシズムのために,モダニズムに乗り遅れた世代とも見なされ,2 語 りや小説技法の点からもモダニストとしての評価は低い。また実生活におい ても,ヘミングウェイの言葉を借りれば,「自ら国外に居住した芸術家という よりも羽振りのよい旅行者」のようにヨーロッパで放蕩生活をおくり,モダ ニズムの作家らしくない暮らしぶりであった。しかし,『グレート・ギャツ ビー』出版後に四作目の長編小説の構想に着手した折,フィッツジェラルド

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は「形式,思想,構造の点で何か新しいもの,コンラッドにはできなかった が,ジョイスやスタインが模索しているこの時代の模範となるような」(A Life in Letters 108)小説を目指す。結果として,ジョイスやスタインのよう な前衛的な作品を創作することはなかったが,当時の芸術の潮流を取り入れ,

時流に敏感であろうとした彼の姿勢は注目に値する。

 さて,モダニスト・テキストとして『夜はやさし』を読み解く試みを始め る前に,伝統主義を廃して世紀転換期に台頭してきたモダニズムについて概 観してみたい。モダニズム,あるいはモダニスト小説の定義はこれまで様々 な批評家たちによって論じられてきたが,政治,芸術,思想などさまざまな 位相にわたる文化の動態であり,定義することは難しい。ブラッドベリー

(Malcolm Bradbury)は以下のように定義している。

What we can say is that Modernism was an affair of many movements, of a common avant-gardizing tendency, with international origins and a massive and constant change of personnel, and considerable capacity for transit. It was also an affair centered in certain cosmopolitanizing cities capable of concentrating the flow of art-news and sustaining a large bohemian population

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of polyglot character. And one of the marks of Modernism was that it seemed to have no home. (32)

ブラッドベリーによると,モダニズムとは特定の場所や地域で起こった文 化・芸術運動ではなく,多言語を操るボヘミアンな芸術家が集まるコスモポ リタンな都市で展開された,定着するよりも常に変動を続けるムーヴメント なのである。1901年のヴィクトリア女王の死,1914年からの第一次世界大 戦,1919年からのジャズ・エイジ,1920年の禁酒法の施行といった特定の 歴史的マーカーで区切ることができない,包括的な文化の動態であり,閉じ られたある一つの動きに集約できるものではなく,第一次世界大戦後の混乱 や物質主義,消費資本主義の台頭など,政治,社会,歴史,文化の諸相に起 こったパラダイム ・シフトを照射した複合的な動きなのである。シンガル

(Daniel Joseph Singal)は定義の困難さを指摘しながら,モダニズムは19世 紀半ばから後半にかけて誕生した一群の思想,信念,価値観,感覚の型が,

1900年ごろより大西洋の両岸の芸術や思想に大きな影響力を与えるように なったもので,「一つの文化」と見なすべきであると述べている(7)。このよ うに最近のモダニズム研究は,芸術や審美的価値に限定せず,20世紀初頭の 文化的・政治的・社会的変化の大きな広がりの中で捉える傾向にある。3  さらにシンガルは,モダニズムの台頭やその内部構造は,それに先立つ ヴィクトリア朝の社会において体裁主義やお上品な伝統を維持するために抑 圧されてきた様々な言説―ジェンダー観,セクシュアリティーの問題,人 種差別―などへの抵抗から生まれてきたものだと論じている(9−11)。つ まり,ヴィクトリアニズムは,道徳的に是なもの,文明化されたものを前景 化し,それを社会の指針としてきたものである。「ヴィクトリア朝の人々は,

文明化しているか,野蛮なものかで社会を類別し,上位の階級と下位の階級 の間に鮮明な線引きをし,人種も同様である」(9)。このような人間,階級,

人種,性差などを巡る諸言説を区分し,劣位のものを隠蔽あるいは抑圧する ことで,秩序,体裁,無垢,調和を保とうとするヴィクトリアニズムのエト

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スが固定化され維持されていたのであるとシンガルは論じ,こうした二項対 立に息苦しさを感じ,ヴィクトリアニズムの枠組みや体裁主義からの脱皮を 試みたのがモダニズムであると読み解く。

 しかしながら,モダニズムは19世紀ヴィクトリアニズムの諸言説やリア リズムの手法などを転覆させるだけで終わらない。シンガルはマックファー レン(James MacFarlane)などを援用しながら,モダニズムの形成過程を19 世紀の価値体系の崩壊,再構築,融合(あるいは “superintegration” 「超統合」) の三段階に分類している。つまり,モダニズムにおいて,19世紀の文化は崩 壊した後,「拡散」(“fall[ing] apart”)あるいは消散するのではなく,再び「寄 り集まる」(“fall[ing] together”)のであり,「モダニズムの核で働いているの は,遠心力ではなく求心力である」とマックファーレンは述べている(92)。 こうしたモダニズムの潮流の中で,19世紀とは違う,新しい「文明の様相」

(“civilizational phase” 93)4が創生されるのである。その過程の中で,連続し た流動的な時間観や意識の流れが生まれ,芸術においてはリアリズムの表現 様式を解体し,独自の技法で断片の境界を曖昧にしてつなぎ合わせたような キュービズムやコラージュの技法が生まれるのである。モダニズムという文 化は,このようにそれ以前の文化・価値・芸術の体系を壊すというベクトル が前景化されがちであるが,断片化した世界を19世紀の文化体系のように 個別に区分し固定化するのではなく,境界を無化するような新しい様態で再 構築するベクトルの存在を忘れてはならない。モダニズムのこうした新しい

「文明の様相」をエズラ・パウンド(Ezra Pound)が『詩篇』(The Cantos)の 中で「つぎはぎの文明」(“botched civilization”)と称したのはよく知られたこ とである。

 従来の『夜はやさし』論においては,フィッツジェラルド個人の崩壊と主 人公ディック・ダイヴァーの転落の人生の重なりから,「厳しさ,自制,自 己鍛錬」(19)といった古いアメリカの徳性が物質主義に凌駕されていく一つ の時代の終焉,つまり第一次世界大戦後の「崩壊した宇宙( “ t h e b r o k e n

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universe”)」(245)を作品化したものとみなされてきた。この解釈は,『グレー ト・ギャツビー』の結末でニック ・キャラウェイ(Nick Carraway)の視点 から語られる,夢の実現が可能であったころのアメリカへのノスタルジーを 含んだオマージュと通底する。ニックが「永遠に」(GG 3)故郷に戻ること はあるまいと心に期して1922年に東部にやって来たものの,ギャツビーの

「夢の航跡を汚すように浮かんでいた,醜い塵芥」(GG 2)や東部の「何かし ら歪められたもの」(GG 176)を経験することで,「かつての温もりをもった 世界が既に失われたもの」(GG 161)であることを悟り再び中西部に帰って いく姿は,『夜はやさし』のディックが父の死去でアメリカとの地縁を一度は 絶つものの,妻ニコルとの別離の後,再びアメリカに戻りニューヨークの片 田舎を転々とする姿と重なる。しかしながら,『グレート・ギャツビー』に おいてギャツビーの夢とその末路が語り手ニックによって濃密に語られるの とは違って,『夜はやさし』においては夢が破綻したあとの新しい「文明の様 相」が語られているように思われる。ギャツビーの死後に「新しい世界は全 ての中身が空疎であり,哀れな亡霊たちが空気のかわりに夢を呼吸し,たま さかの身としてあたりをさすらっていた」(GG 161)とニックは実感するが,

『夜はやさし』においては,亡霊の一人と化したディックとその周囲の人々が どのように新しい世界で流離うのか,その人間模様が前景化されている。主 に『夜はやさし』の構成と人物造形の観点から,古いアメリカの徳性が崩壊 した後,断片化された文明の諸相がどのようにモダニスト・テキストとして の作品の中で再統合され,1930年代の「文明の様相」を創生しているかを検 証していく。

2 モダニスト・テキストとしての 1934 年版―断片化と再統合

 九年の月日を費やして漸く『スクリブナーズ誌』に1934年に発表した後 も,フィッツジェラルドは1940年に亡くなる時まで『夜はやさし』の改訂 作業を続け,その後カウリー(Malcolm Cowley)が彼の遺志を受け継いで編

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纂しなおし,1951年に改訂版を出版したことは周知の事実である。5 この二 つのテキストの評価はさまざまであるが(Stern “The Text Itself” 21-31),大 きな違いは語りの展開にある。1951年版は五部構成で,1917年のチューリッ ヒでのディックとニコルの出会いから始まり,ほぼ時系列に沿ってディック の転落の軌跡が描かれているのに対して,三部構成の1934年版は,1925年 のリヴィエラ海岸でのダイヴァー夫妻と知り合う 1 7 歳のローズメリー

(Rosemary Hoyt)の視点による語りから始まり,第二部の途中で1917年の ニコルとの出会いと結婚の経緯が語られ,そしてまた1925年に戻るのであ る。スターンは,時系列順に展開される1951年版の方が,ディックの “dying

fall”(26)がより焦点化されると指摘している。確かに,1951年版では最初に

ニコルとの出会いと結婚の経緯が明らかにされるため,ディックのその後の 人生の混乱や複雑さが読者に理解しやすい。しかし,1934年版では冒頭の南 仏の美しいリヴィエラの海辺でのシーンの重要性が特化されていることに注 目したい。1925年当時に初めてこの魅力的なダイヴァー夫妻と出会い,彼ら の世界に魅了されたローズメリーの視点で語られることで,以下の引用に見 られるようにダイヴァー夫妻の謎めいた人生についての好奇心が読者に喚起 される仕組みになっているからである。

Her [Rosemary’s] naïveté responded whole-heartedly to the expensive simplicity of the Divers, unaware of its complexity and its lack of innocence, unaware that it was all a selection of quality rather than quantity from the run of the world’s bazaar; and that the simplicity of behavior also, the nursery- like peace and good will, the emphasis on the simpler virtues, was part of a desperate bargain with the gods and had been attained through struggles she could not have guessed. At that time the Divers represented externally the exact furthermost evolution of a class, so that most people seemed awkward beside them–in reality a qualitative change had already set in that was not at all apparent to Rosemary. (emphases added; 21-22)

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1951年版と違って,この夫婦の「高価な無邪気振り」に隠された「複雑さ」

や邪心やこれまでの「紆余曲折」が示唆されるものの,富裕な階級の頂点に 君臨している豪奢さの一方で,「ある質的な変化」(“a qualitative change”)が すでに始まりかけていることが提示されている。作品の冒頭ではディックの

「繊細な心配りと丁重さ」(27-28)と「誰に対しても魅力的で批判抜きの好意 を抱かせる力」(27)に魅了されていくローズメリーが,ディックたちの世 界,つまり「ダイアナ荘こそ世界の中心」(29)という思いに心酔する。彼女 の視点を通して,その世界が永遠に続くかのような楽園のイメージで語られ る。さらに作品の結末では,再び同じ場所に集う人々の顛末が描かれるため,

従来の時系列に忠実な語りによる1951年版とは違って,時系列を無視する ことでモダニスト・テキストの手法を用いながら,ディックたちの「ある質 的変化」という,いわばモダニスト的なテーマである19世紀の価値体系の 崩壊を描いているといえよう。

 「ある質的な変化」とは一体何を意味するのであろうか。いくつかの事件や サブプロットが展開されるが,どれ一つとして十分に展開されることなく,

断片的な印象を拭えない。ローズメリーの一方的な憧れから始まるディック との恋愛が進行する一方で,彼女のニコルに対する憧れ,頻繁に行われる享 楽的で浮薄なパーティー,物質主義を謳歌するニコルの帝国主義を彷彿とさ せるようなパリでの浪費三昧の買い物(54-55)などが展開される。このよう に,冒頭のリヴィエラから場所を移して,様々な背景を持つ人々が集まるパ リを舞台に繰り広げられる羽振りの良いアメリカ人たちの放蕩振りは,ヘミ ングウェイの『日はまた昇る』(The Sun Also Rises)のジェイク・バーンズ

(Jake Burns)に代表される,生きる指針を失って彷徨い,飲酒に耽溺しなが ら空虚な日々を過ごす一群の「国籍離脱者」たちと共通する。パイザー

(Donald Pizer)の言葉を借りれば,パリは,アメリカ人の「無垢が試され,そ してそれが近代の社会で生き抜く指針として無用のものであることがわかる」

坩堝である(105)。

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 第一部での断片的なサブプロットの展開を繋ぐかのように,ディックたち の優雅で豪奢な世界に突然起こる不条理な暴力の場面がいくつか挿入されて いる。一連のこの暴力シーンは,戦争によって欧米の文明が断片化されたよ うに,「ある質的変化」によってディックの世界が崩壊し,その断片を「つぎ はぎ」のように何の脈略もなく繋ぎ合わせているように思われる。ディック たちの取り巻きに心酔するローズメリーの視点で語られるリヴィエラ海岸で の滞在から急にパリ滞在の二日目に場面が移る際に挿入されるのは,大した 理由もなく突然起こったマキスコ(Mr. McKisco)とノース(Abe North)の 決闘騒ぎであり,さらに五日目には,ほんの二週間前にリヴィエラで意気 揚々としていたことが嘘のように飲酒に浸り落ちぶれていくエイブ (82-83)

を見送るサン・ラザール駅の場面で突然起こる発砲事件である。

. . . perhaps the shots, the concussions that had finished God knew what dark matter, had terminated it [the time in Paris]. The shots had entered into all their lives: echoes of violence followed them out onto the pavement where two porters held a post-mortem beside them as they waited for a taxi. (85-86) ディックたちとは全く関係ないところで突然起こった銃声は,丁度パリでの 滞在の終わりを告げるかのようである。そのうえ,翌日のパリ滞在最終日に は,アメリカに帰るために見送ったはずのエイブがこっそりと途中下車をし てパリに戻り,そこで飲酒が絡んだ盗難事件のいざこざに巻き込まれて黒人 とトラブルを起こす。その結果,救いを求めたエイブがさらにディックたち を巻き込むことになる。解決の糸口が見つからないまま,突然無実であるに もかかわらず警察に追われていた黒人ピーターソンが,遺体でローズメリー の部屋のベッドで発見され,事態は急展開する。ディックがローズメリーの スキャンダルを阻止するために,血で汚れたシーツやベッドカバーを巧妙に 隠し,ホテル側に遺体の処理を委ねた矢先に,今度はニコルが血で汚れた ベッドカバーが引き金となってヒステリーの発作を起こし第一部が終わるの である。こうした彼らを取り巻く諸状況が良い方向に動くどころか,それぞ

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れの状態が悪化しながら収拾する糸口が見出されないまま,不条理な暴力や 死を連想させるシーンで場面が展開していくさまは,混乱した諸状況が脈略 なく不条理な暴力のシーンで繋ぎ合わされて混沌とした大きな「活人画」を 構成しているように思われる。

 パリでの滞在中に露見するディックたちの「質的な変化」の断片を繋ぐよ うに,暴力や不条理な死の場面が挿入されるこのようなプロットの展開で最 も象徴的な場面は,第一次世界大戦で悲劇的な戦場となった塹壕を訪れる場 面である。作品では,その前日の買い物でのニコルの浪費ぶりが語られた場 面の後に,悲劇的な戦場となった塹壕を訪れるシーンに急展開する。ディッ クは参戦経験がないにもかかわらず,戦争での被害者数などを「ガイドブッ ク」(59)を手にローズメリーに説明し,「ぼくの美しく素晴らしくそして安 全な世界はここでことごとく吹っ飛んでしまった. . .」(57)と戦争の悲惨さ を悲痛に語る。戦場跡は,享楽的な都会のパリとはかけ離れた世界のように 思われるが,彼らは悲惨な戦場跡に対して悲嘆な共感を示すものの,物見遊 山の一つに過ぎない。小石を手榴弾に見立てて「戦争ごっこ」遊びを仕掛け るエイブに対して,ディックは “I couldn’t kid here, . . . . The silver cord is cut and the golden bowl is broken and all that, but an old romantic like me can’t do anything about it”(58)と言うものの,ローズメリーとの恋愛による個人的混乱 と相俟って,戦場跡で感じた古き時代の終焉と,パリでの享楽的なパー ティーは区別や整理がなされぬまま,彼の意識の中に存在している。6

Then, leaving infinitesimal sections of Wurtemburgers, Prussian Guards, Chasseurs Alpins, Manchester mill hands and old Etonians to pursue their eternal dissolution under the warm rain, they took the train for Paris. They ate sandwiches of mortadel sausage and bel paese cheese made up in the station restaurant, and drank Beaujolais. Nicole was abstracted, biting her lip restlessly and reading over the guide-books to the battle-field that Dick had brought along–indeed, he had made a quick study of the whole affair,

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simplifying it always until it bore a faint resemblance to one of his own parties.

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彼らの移動を通して,悲惨な殺戮が行われた戦場跡と享楽的な街パリが,ま るで隣接しているかのような印象を読者に抱かせる。戦争の意味を統計的な 数字でしか説明できないディックたちの様子と共に,こうした戦場跡とパリ の近さは,不条理が蔓延る混沌としたモダニズム社会の象徴的な光景である。

こうした戦後の断片化された継ぎはぎだらけの世界を前景化させるには,第一 部の中盤にこの場面を設定した1934年版の語りの構造が有効なのである。7  この断片の寄せ集めこそ,解体した文明の諸相を再統合しようとするモダニ スト・テキストのダイナミズムなのである。

3 崩壊後の新しい「文化の様相」

 作品の冒頭からディックとニコルの世界の「ある質的変化」が繰り広げら れる背景には,19世紀的価値観と20世紀的価値観の鬩ぎ合い,つまり「二 つの道徳的秩序の間に挟まれ,緊迫した変化の意識が鮮明に重くのしかかっ てきた時代」(Kazin iii)がある。「古いアメリカ」を体現するディックの崩 壊は,表面的に秩序が保たれていた19世紀の諸言説間のバランスが崩れる ことを意味し,それはヴィクトリアニズムの諸言説を転覆させるモダニズム と通底する。作品の冒頭では羽振りが良かったものの,まるで未来の自分を 予兆するかのように急激に転落していったエイブ・ノースの死と父の死を第 三部で経験することで,ディックの “dying fall” は加速度的に進んでいく。

ディックは九年間にわたるニコルの夫としてまた精神科医としての役割の

「二重性」(188)に耐え切れなくなり,「自分の魂のために」(201),以前の自 分に立ち戻るべく旅に出る。その旅先で,ニューヨークでのエイブ・ノース の哀れな死を知り,さらに追い討ちをかけるように父の死の知らせを受け,

アメリカに旅立つ。この両者の死は,ディックを今まで支えてきた精神的支 柱の最後の砦の崩壊を意味する。特に「『良き本能』や,名誉や,礼儀正しさ

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や,勇気などに勝るものはないと信じるように育ててくれた」(204),「生ま れてからこれまで一番しっかりと自分を庇護してくれた」(203)父を失うこ とは,ディックにとって文字通り精神的支柱の喪失であり,アメリカとの地 縁を絶ち,過去と訣別することになる。こうして,ディックを支えていた精 神的・道徳的秩序を維持していた枠組みが瓦解し,倫理観などの軛が喪失し た流動的な世界,人々が流離う状態は,フィッツジェラルドが作品の後半で 描こうとした新しい「文化の様相」へと展開していく。

 スターン(Milton R. Stern)はフィッツジェラルドの作品論The Golden

Momentの中で,次のように道徳的秩序の崩壊をジェンダー観の崩壊と関連

付けている。

. . . whether his materials demanded male or female characters, he [Fitzgerald]

felt that the post-war world he was writing about was really a woman’s world.

What happens, simply, is this: as the “good” female is out of place, is used, in the brutal sun-world of the hot cats who exercise their droit de seigneur, the

“bad female” adapts to it. Adapting, the golden girl finds irresponsible power in her liberation from the old “man’s world.” The “emergent Amazon” ends up the female personification of her hot Tom, and exercising her power over him, she succeeds in the war for control of the new world of flaming youth.

Her triumph signals a triumph, therefore, of selfishness, vanity, impulse, and irresponsibility. The breakdown of sexual identities is a sign of the breakdown of moral identities, and metaphors of war and combat become signs of the breakdown of a civilization. Daisy Millers are used up or become Daisy Buchanans. In the development of American literary heroes and heroines, the triumph of the shining bitch is part of Fitzgerald’s moral history of America. (324)

古い倫理観を代表する「男の世界」,つまり「賢明な」女たちが男に従順に 従っていた世界が崩壊した戦後の社会は,こうした男の世界から解き放たれ

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た「女の世界」であると論じている。8 ディックが体現する,人格的高潔さ を有した男性が支配していた古い文明のエトスの崩壊によって,そこに従属 していた女性たちが解き放たれたとき,つまり従来の男女の領域の境界が曖 昧になるとき,この作品の女性たち,ニコル,メアリー・ノース,ローズメ リーにどのような変化が起こるのであろうか。

 第一部でフィッツジェラルドはパリにたどり着いて間もないニコル,メア リー・ノース,ローズメリーの三人を以下のように描いている。

The trio of women at the table were representative of the enormous flux of American life. Nicole was the granddaughter of a self-made American capitalist and the grandaughter of a Count of the House of Lippe Weissenfeld.

Mary North was the daughter of a journeyman paper-hanger and a descendant of President Tyler. Rosemary was from the middle of the middle class, catapulted by her mother onto the uncharted heights of Hollywood. Their point of resemblance to each other and their difference from so many American women, lay in the fact that they were all happy to exist in a man’s world–

they preserved their individuality through men and not by opposition to them.

They would all three have made alternatively good courtesans or good wives not by the accident of birth but through the greater accident of finding their man or not finding him. (53)

ヴィクトリア朝的価値観の体系の中で階級や出自で限定され,さらに女性と いう立場で限られた人生の選択肢しか許容されなかった彼女たちは,古い倫 理観などが崩壊したモダニズムの時代に,ディックに代表される道徳的枠組 みを失うことで,彼女たち自身の人生の軌跡も道徳や倫理観から逸脱し,無 道徳な混沌に放り出されているように思われる。

 パリで起こった黒人殺人事件の後にローズメリーがディックと再会するの はその四年後のローマであり,ディックがエイブと父の死に直面した直後で ある。最初に彼女と出会ったリヴィエラでは「ディックの情緒はその最盛期

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にあった」が,それ以降彼の「情熱は衰えていった」(208)。結局,ローズメ リーは,四年前の理想の男性であったディックの衰退に幻滅し,またディッ ク自身もローズメリーに対して「もはや誰にも幸せをもたらすことができな いようだ」(219)と言い,「ローマがローズメリーに対する彼の夢の終わり」

(220)であることを認識する。ローズメリーは,物語の冒頭でディックの世 界の頂点を提示する視点の役割を果していたのとは対照的に,今度は皮肉に もディックの崩壊を投影する存在となる。彼女自身もディックとの恋愛の終 わりが転機となり,母の支援で成功してきた女優の道を進みながら,男性遍 歴を重ねていくような奔放な人生をフィッツジェラルドは示唆しているよう に思われる。

 メアリー・ノースはおそらくこの作品の中で最も激動の人生を歩んだ女性 といえるのではないだろうか。パリで夫のエイブを見限ってアメリカへ見 送った後,彼女が作品に再登場するのは再婚後のことである。エイブと結婚 していた頃はディックの取り巻きの中にいたが,音楽家としてまた人間とし て転落していった夫を見捨てた後,「ニューアークの壁紙屋の二階で始まった 彼女の人生の終点は異常な結婚」(258)となる。人種や階級を越境し,「メイ スン・ディクスン線の南側を特急寝台車で旅行できるような白人ではない」

(258),北アフリカからアジアにかけて広がっているヒンズー系の血を引いた 夫と再婚し(しかも一夫多妻婚),名前も「コンテ・デ・ミンゲッティ」(Conte

di Minghetti)となっている。「かわいいメアリー・ノースは自分の欲しいも

のを知ってるんだよ。…エイブが彼女を教育して,そしてお釈迦様と結婚し たんだよ。もしヨーロッパがボルシェヴィキになったら,スターリンの花嫁 になるだろうね。」(259)とディックは彼女の変貌ぶりを皮肉る。物質的に豊 かな生活を求めて「異常な」結婚をしたメアリーは,結末近くで再びリヴィ エラ海岸に現れ,以前とは違う身勝手な振舞いで,ディックたちを当惑させ る。さらに同性愛者らしきキャロライン(Lady Caroline Sibley-Biers)ととも に悪ふざけがすぎて警察沙汰を起こす始末である。

(16)

 作品の結末でディックに決定的な打撃を与えるのは妻ニコルのトミー・バ ルバン(Tommy Barban)との恋愛である。ディックへの罪悪感が多少なりと も歯どめになっていたものの,六年前と同じリヴィエラの浜辺で,ニコルは ついに「ディックの太陽に従属していた惑星の役割」(289)を放棄する。そ の結果,今までの精神的疾患からすっかり回復して「彼なしにひとり立ち」

(289)している自分を実感するのである。

. . . Nicole relaxed and felt new and happy; her thoughts were clear as good bells–she had a sense of being cured and in a new way. Her ego began blooming like a great rich rose as she scrambled back along the labyrinths in which she had wandered for years. (289)

10年弱の結婚生活とディックの今までの献身を裏切ることに対して,「気の

狂った清教徒よりも正気の悪漢の方がずっといい」(293)と,半ば自暴自棄 に「白い目をした悪漢」の道を選ぶのである。フィッツジェラルドはトミー とニコルの恋愛の成就を以下のように描いている。

Symbolically she lay across his saddle-bow as surely as if he had wolfed her away from Damascus and they had come out upon the Mongolian plain.

Moment by moment all that Dick had taught her fell away and she was ever nearer to what she had been in the beginning, prototype of that obscure yielding up of swords that was going on in the world about her. Tangled with love in the moonlight she welcomed the anarchy of her lover. (297-298)

現存する世界最古の都市の一つからモンゴルの平原へ掠奪されるように,ニ コルは野性的なトミーの世界に移動する。鈴江璋子氏はこうしたニコルの変 貌から現出するのは,ディックとの結婚によって抑圧し制御していたアメリ カの資本主義を体現する「ウォーレン的要素」であると解釈している。

「ウォーレン的要素」とは,競争を勝ち抜きシカゴの食肉関係で巨万の富を得 たウォーレン家の持つ俗悪性と活力,新しいアメリカを代表する物質主義の 象徴であると同時に,ヨーロッパ文明が入植する前の荒野そのもののアメリ

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カである(66)。9 ニコルにとってのディックの影響力の低下やそれに対する 彼女の抵抗が大きくなることで,ウォーレン的要素を制御する必要がなくな り,「モラルとアモラル」の内的葛藤がなくなり,ニコルは「倫理も道徳も,

思いやりも,夫であっても,捨てて省みない,ならず者の白い眼をした,資 本主義アメリカの富裕な支配階級の女」に戻ったという(65)。

 このようにフィッツジェラルドが描く道徳的に堕落した「新しい女性像」

は1920年代のアンチ・フェミニストの模倣ではなく,時代の大きな変動を 象徴的に表す女性像である(Stern “American History” 112)。このように『夜 はやさし』では,ディック・ダイヴァーの人生の崩壊の軌跡を描きながら,

精神的・道徳的支柱を喪失した戦後の荒廃した世界とそこを彷徨う人間像を 前景化し作品化している。

4 終わりに

 スターンは,『夜はやさし』における無秩序な荒廃した精神世界と物質主義 が蔓延した現実について以下のように論じている。

In Tender is the Night they [the materials of Fitzgerald’s major fictions such as dreams, love, money, and marriage] are complicated by incest and madness and hugely enlarged by an international setting. But madness and incest are not what the novel is about. It is about a world in transition, when established values crumble, when human society’s ideas of goodness, stability, and moral purpose are lost in corruption, and when the emerging society has not yet discovered a reason or a way to regain them. Tender is the Night is about the moral chaos attendant upon violent, if inevitable, change in the Western world in the twentieth century. . . . (Stern “American History” 116)

ディック・ダイヴァー個人の “dying fall” はこのようにヨーロッパとアメリ カを舞台に,文化的・地理的・歴史的大きな広がりの中で起こるモダニズム の中で作品化されている。『夜はやさし』は,そのコンテンツとコンテキスト

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の両方の面から,それがたとえ暗く混乱した転換期から生まれたものであっ ても,19世紀の古いアメリカ崩壊後の新しい「文化の様相」を描くモダニス ト・テキストとして機能している。その中で流離う人間像は,世界中を旅す るウォーレン家の人々や行き場を失ってアメリカの片田舎を移動するディッ クのように,一ヶ所に根づくことなく,本拠を見つけられないまま流離い移 動し続けるのである。このようにフィッツジェラルドはプロットの分断と登 場人物の道徳的崩壊によって,古い価値観の解体後の新しい「文化の様相」

を再構築しているのである。

01 例えば,マイズナー(Arthur Mizener)は,フィッツジェラルドの創作過程におけ る自伝的要素について,フィッツジェラルドと同時代のドス・パソスの作品を “the objective novel of social history” (106)と位置づける一方,『夜はやさし』を “the

subjective novel” (106)であり,作品の中核は「作者の個人的感情」(108)にある

としている。

02 フィッツジェラルドの時代認識については,古い世代に近いという評価もあるが,

1937年のエッセイの中で彼は以下のように書いている。「ぼくにとって有利なのは,

二つの世代を区切る線があって,ぼくはその線上に座っていたことで―自分でもか なりそれを意識していた」(“Early Success” 87)

03 例えばマイケルズ(Walter Benn Michaels)は,Our America: Nativism, Modernism, Pluralism (1995)の中で,排除のイデオロギーとして政治的に構築された人種的概念 を取り上げてモダニズム論を展開している。

04 マックファーレンはこの “civilizational phase” をジョーンズ(David Jones)のEpoch and Artist から借用した。See Note 19 in McFarlane 93.

05 『スクリブナーズ誌』に発表する前でさえ,3種類の12の草稿があり,さらに単 行本として刊行される際にもかなりの改訂がなされた(Bruccoli “Material” 32-57) 06 戦場跡の場面の意義は戦争による多数の犠牲者を出したことの意味を無化するこ

とであるとメレディス(James H. Meredith)は論じている。戦争による死者の数が あまりにも多数にのぼるため,一人の人間が理性的にもまた感情的にもその多数の 死が意味するものを把握することができなくなるのである (187)

07 1934年版では戦場跡訪問の場面は第一部第13章にあたり,丁度第一部(25章構

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成)の真ん中に位置するのに対し,1954年版では第三部の冒頭になる。

08 当時の社会ではセオドア・ルーズベルトやヘミングウェイに代表される男性的な 文化や「英雄主義」がもてはやされていたのと比較するとまた違った関心が喚起さ れる。

09 鈴江氏はアメリカの荒野のイメージで捉えているが,1920年代頃に帝国主義と関 連して流通していた,アフリカなどの原始的な文化への関心やプリミティヴィズム との関連も考えられるのではないだろうか。

引用文献

Bradbury, Malcolm. “The Nonhomemade World: European and American Modernism.” AQ 39 (1987): 27-36.

Bruccoli, Matthew J., ed. F. Scott Fitzgerald: A Life in Letters. New York: Scribner, 1994.

–––––. “Material for a Centenary Edition of Tender Is the Night.” Critical Essays on F. Scott Fitzgerald’s Tender Is the Night. 32-57.

Curnutt, Kirk. The Cambridge Introduction to F. Scott Fitzgerald. Cambridge: Cambridge UP, 2007.

Fitzgerald, F. Scott. The Crack-Up. Ed. Edmund Wilson. New York: New Directions, 1993.

–––––. “The Crack-Up.” The Crack-Up. 69-74.

–––––. “Early Success.” The Crack-Up. 85-90.

–––––. The Great Gatsby. 1925. New York: Scribner, 2004.

–––––. Tender Is the Night. 1934. New York: Scribner, 2003.

Kazin, Alfred. On Native Grounds: An Interpretation of Modern American Prose Literature.

New York: Reynal & Hitchcock , 1942.

McFarlane, James. “The Mind of Modernism.” Modernism, 1890-1930. Ed. Malcolm Bradbury and James McFarlane. London: Penguin Books, 1991. 71-93.

Michaels, Walter Benn. Our America: Nativism, Modernism, and Pluralism. Durham: Duke UP, 1995.

Mizner, Arthur. Twelve Great American Novels. London: The Bodley Head, 1967.

Meredith, James H. “Fitzgerald and War.” A Historical Guide to F. Scott Fitzgerald. Ed. Kirk Curnutt. New York: Oxford UP, 2004. 163-213.

Pizer, Donald. American Expatriate Writing and the Paris Moment: Modernism and Place.

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Singal, Daniel Joseph. “Towards a Definition of American Modernism.” AQ 39 (1987): 7-26.

Stern, Milton R., ed. Critical Essays on F. Scott Fitzgerald’s Tender Is the Night. Boston: G.

(20)

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–––––. The Golden Moment: The Novels of F. Scott Fitzgerald. Urbana: U of Illinois P, 1970.

–––––. “Tender Is the Night: The Text Itself.” Critical Essays on F. Scott Fitzgerald’s Tender Is the Night. 21-31.

–––––. “Tender is the Night and American History.” The Cambridge Companion to F. Scott Fitzgerald. Ed. Ruth Prigozy. Cambridge: Cambridge UP, 2002. 95-117.

Trachtenberg, Alan. “The Journey Back: Myth and History in Tender Is the Night.” Experience in the Novel: Selected Papers from the English Institute. Ed. Roy Harvey Pearce. New York: Columbia UP, 1968. 133-62.

鈴江璋子 「F. S. フィッツジェラルド研究―『夜はやさし』の複雑性―」『実践 女子大学文学部紀要』16 (1974): 51-70.

(21)

Synopsis

From Disintegration to Superintegration:

Tender Is the Night as a Modernist Text

Noriko Ishizuka

It took F. Scott Fitzgerald nine years to complete and publish his forth novel, Tender Is the Night, following The Great Gatsby. In the meantime, Fitzgerald underwent several transatlantic voyages and embarked on a flamboyant life with his wife Zelda in European resorts and in Paris, dissipating all the money he had earned from his writings. Zelda’s nervous breakdown and Fitzgerald’s own insomnia and alcohol dependency all combined to hinder and slow his work on Tender Is the Night. Consequently, many readers assume that the author’s personal problems shaped the long-awaited novel: the protagonist Dick Diver’s “dying fall,” it is assumed, reflects the author’s own.

Yet recent criticism focuses not only on the author’s personal backgrounds but also on 1930s social milieus. Fitzgerald seemed to write the novel not only from his personal suffering but also, and perhaps even more, from the broader perspectives of Modernist historical and cultural contexts. Rather than read the novel in contexts chiefly aesthetic and biographical, I will examine it squarely within the social and cultural contexts of the 1930s.

Modernism resists any rigid definition by a set of historical data since it is, in Daniel Joseph Singal’s words, “a constellation of related ideas, beliefs, values, and modes of perception,” rising in reaction to, and also against, its precursor culture, Victorianism. It emerges by dissolving the moral dichotomy that “constituted the deepest guiding principle of the Victorian outlook,” and

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by seeking a new “civilizational phase,” where moral values must remain in flux, adapting continuously to changing social and historical circumstances.

Tender Is the Night has been read as a kind of nostalgic homage to an older

America, just as has been The Great Gatsby. However, Tender Is the Night, tracing Dick Diver’s “dying fall,” foregrounds a new civilizational phase that emerged as that older American order collapsed, and as consumer capitalism and materialism prevailed; the moral chaos and social disorder of the post- World War I world are projected onto “a qualitative change” that has taken place in Dick Diver’s world. This moral chaos is indeed what constitutes a

“Modernist” text.

There are two versions of the novel; the 1934 version starts with Rosemary’s narrative depicting the peak of Dick’s prosperous life in 1925, and it reserves for the middle of the novel the story of his encounter with, and subsequent marriage to, a beautiful but neurotic American woman named Nicole. By contrast, the 1951 version (published posthumously by Malcolm Cowley) develops chronologically from 1917 to 1930. Though critics have long debated the relative merits of those two versions of the novel, the 1934 version is perhaps the more truly “Modernist” in its minutely calibrated depiction of Dick’s “qualitative change.” The different subplots of the story are rather fragmented, and they are connected to the main plot by several scenes of accidental violence, all of which suggest the social disorder and moral chaos of the era. The scene that most forcefully impresses upon the reader a sense of the absurd is the one in which Dick and Nicole and their friends visit the trench and Dick discovers that “[a]ll my beautiful lovely safe world blew itself up here.” This scene is followed by Nicole’s extravagant shopping, indicating alike her materialistic desire and the power of the Warrenses’ money.

Book I actually ends abruptly with the chaotic scene in which Dick discovers

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the dead body of the Negro, whose bloody sheet subsequently causes Nicole’s attack of hysteria.

After Dick’s moral and physical collapse following the deaths of Abe North and of his own father–the latter of whom taught him the moral values–, the new civilizational phase brings about the breakdown of moral identities. Three female characters, Nicole, Mary North, and Rosemary, represent the breakdown of moral identities as well as sexual identities. After the collapse of the Old America–a “man’s world” in which women held a subordinate position–

comes the breakdown of the sexual boundaries, releasing these three women into a world of moral chaos. Rosemary rejects Dick, finding him a complete failure, and pursues both her acting career and her dissolute life. Mary North ends up in “an extraordinary marriage,” marrying a non-white man of Hindu origins. Nicole abandons Dick and feels liberated in her marriage to Tommy Barban, Dick’s truculent rival. These three women characters represent an amoral world of post-war disorder, a world in which all human virtues, such as integrity and goodness, are lost in corruption.

Thus Tender Is the Night depicts Dick Diver’s “dying fall” in the broader context of post-war moral chaos. In both content and context it indeed represents a Modernist text.

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