著者 伊多波 良雄
雑誌名 經濟學論叢
巻 58
号 4
ページ 53‑63
発行年 2007‑03‑20
権利 同志社大學經濟學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011130
【論 説】
公共用地の取得と費用便益分析
伊多波 良 雄
は じ め に
公共事業の採択を決定する際には,費用便益分析が用いられている.費用 便益比率が1を超えていれば,便益が費用を上回っていることを意味するの で事業が採択されることになる.しかし,公共事業の再評価を実際に行って みると,事業が採択され完成年度が決まっているにもかかわらず,事業が大 幅に遅れたり,事業自体が中止になったりすることがある.
これらが起こる原因には様々なものがあるが,しばしば見られる原因とし ては公共用地取得が困難なことがある.たとえば,国土交通省の事業を見た 場合,用地取得が困難なため事業自体が中止となった例が散見される.国土 交通省のホームページによれば平成16年度には,高知港海岸海岸環境整備事 業(用地境界特定のための境界立ち会いの同意が得られないなどのため事業中止),稲 城百村土地区画整理事業(東京都稲城市,権利者合意形成を含め事業の長期化が避 けられないなどのため事業中止),平成17年度には,朝日ヶ丘地区住宅市街地総 合整備事業(愛知県,用地取得が困難),一般国道364号谷口バイパス(福井県,
地元との協議が完了するまでの間事業中止)などがある.また,各自治体のホー ムページを見れば分かるように,用地取得が困難なため事業が遅れている例 には枚挙に暇がない.
たとえば,道路整備事業の場合,道路整備に要する事業費としては工事費,
用地費,補償費が対象になっている.公共用地を取得するためには,用地費
と補償費がかかりこれらは事業費の対象になっている.他の事業の場合も同 様である.しかし,用地を取得するためには用地を保有している住民と交渉 する必要があり,多くの時間が必要である.用地取得を考慮することはきわ めて重要で,用地取得が順調に進むか否かで事業の進捗程度が変わってくる.
したがって,公共用地の取得の可能性について事業を採択する際に考慮する 必要がある.
公共用地の取得で主に問題になるのは,将来事業が中止になるかもしれな いということ,用地取得に多大の時間と人員がかかるかもしれないというこ と,用地費が過大に計上されることなどである.過大な用地費については会 計検査院によってしばしば指摘されている1).本稿では,用地取得に多大の 時間と人員がかかるかもしれないということに焦点を当てて分析を進める.
実際,各自治体は用地取得のために用地取得専門の組織をもっている.国土 交通省への聞き取り調査(2006年9月中旬)によると,国土交通省各整備局に は定員数が22,111名に対し用地部職員数が230名おり,さらに各整備局には 事務所があり,そこでは約1,500人が用地課に属している.このような数字は,
用地取得に伴う費用を費用便益分析の際に何らかの形で考慮することを要請 しているものと考えることができる.用地取得に関して総務庁行政監察局編
(1995)による調査があるが,その後このような調査は行われておらず,より 詳しい実態調査が必要であると思われる2).また,用地取得と費用便益分析 に関する分析はほとんど無く,事業の遅延に伴う損失評価に関する分析とし ては中山・森地・福田(2000),横松・織田澤・小林(2001)などがある.
以下では,用地取得交渉に伴う時間を考慮した場合に,費用便益分析の費 用項目として何を考えたらいいのかを分析する.第1章ではモデルを展開し,
第2章で公共部門の労働雇用量に上限がないとき,第3章で公共部門の労働
1 )たとえば,会計検査院決済検査報告を参照せよ.これらは会計検査院のホームページで見るこ とが出来る.
2 )用地取得の難しさの一端は,国土交通省道路局都市・地域整備局(2003),前田(2005)でかい ま見ることが出来る.
雇用量に上限があるときに,費用便益分析を行う際に用地交渉に伴う費用を どのように考えたらいいかそれぞれを見る.「おわりに」で簡単にまとめる.
1 モ デ ル
経済主体が家計,企業,政府からなる経済を仮定する.主な変数と記号は 表のとおりである.
それぞれの経済主体の活動および均衡体系は次のとおりである.
家計
家計は予算制約と時間制約の下で効用を最大にするようにx1,x2,x4を決定 するものとし,次のように定式化する.
v= max u(x1, x2, x4, G)
x1, x2, x4 (1)
s.t. p1x1+p2x2+p3 x4= I (2)
I = p3
(
−x3−t)
+p2−x2+π−T (3)効用関数u(・)は狭義準凹関数(strictly quasi-concave function)であり,それ ぞれの変数の限界効用は正で,逓減するものとする.さらに,ここではホモ セテックな効用関数を仮定し,集計の問題は発生しないものとする.Gは政 府が提供する公共財である.Iは所得を示しており,具体的には(3)式で表 される.(3)式右辺第1項は,労働の初期賦与量(24時間)から政府との用地 取得交渉時間tを控除したものに賃金率p3を掛けたものである.tは,公共財 を提供する際に必要な土地の取得のために政府が土地を所有している家計と
需 要 供 給
価 格 初期賦与量 家 計 企 業 公共部門 企 業
合成財 x1 g1 y1 p1
土 地 x2 y2 g2 p2(地 価) ― x2
労 働 x3 y3 g3 p3(賃金率) ― x3
レジャー x4
交渉に費やす時間であり,家計にとっては外生的であると仮定する.(3)式 右辺第2項は,土地からの収入である.家計は土地を所有しており,これを 企業,政府および当該家計に販売すると仮定されている.(3)式右辺第3項 のπは合成財を生産している企業からの利潤の配当である.(3)式右辺第4 項のTは,政府が公共財を提供する際に徴収する一括税である.vは間接効 用関数で,P(=(p1,p2,p3))を価格ベクトルとすると,効用最大化の下では vは次のように示される.
v(P, I, G) (4)
企業
企業は,利潤最大化行動の下で合成財を生産するものとし,次のように定 式化される.
π= min p1 y1−p2 y2−p3 y3
y1, y2, y3 (5)
s. t. y1= f(y2, y3, G) (6)
企業は合成財を生産する際,合成財を用いないで土地と労働を用いている.
通常の性質を持っている生産関数(・)は(f 6)式で示されており,公共財が 生産に寄与している.πは利潤関数を示し,次のように表される.
π(P, G) (7)
政府
政府はある水準の公共財Gを提供する.費用を最小にするように行動する ものとし,次のように定式化される.
C= min p1 g1+p2 g2+p3 g3
g1, g2, g3 (8)
s. t. G=F(g1, g2, g3
0) (9)
g3
0=g3−t (10)
政府は,公共財を提供するため合成財g1,土地g2および労働g3を用いる.(8) 式はそのための費用を最小にするようにこれらの生産要素を決定することを 示している.しかし,通常の性質を持っている生産関数F(・)に見られる労
働はg30であり,費用最小化する際のg3とは異なる.g30とg3の関係は(10)式 で示されているように,政府の雇用労働量から家計との間で用地取得に費や される時間tを控除した時間が生産に用いられる時間になる.用地取得に費 やされる時間は外生変数とし,さらにこれは公共財が供給される度に変化す ると考えられるので,本稿では公共財が変化するときに変化するものとする.
(10)式を(9)式に代入すると次式のように定式化される.
C= min pg 1 g1+p2 g2+p3
(
g30+t)
1, g2, g30 (11)
s. t. G=F(g1, g2, g3
0) (12)
Cは公共財の費用関数を示し,次のように示される.
C(P, t, G) (13)
また,公共財の提供のための財源は家計に対する一括税で賄われ,予算は均 衡しているものと仮定する.これは次のように表される.
T−C(P, t, G) = 0 (14)
均衡体系
均衡体系は,次のような合成財,土地および労働の各市場の均衡条件から なる.
合成財市場 x1+g1−y1=0 (15)
土地市場 x2+g2+y2−−x2=0 (16)
労働市場 y3+g3
0+t+x4−
(
−x3−t)
=0 (17)各市場にそれぞれp1,p2,p3を掛け,さらに政府の予算均衡式を考慮すると 家計の予算制約式が得られるので,3本の均衡条件式のうち独立な式は2本 だけである.他方,内生変数はp1,p2,p3の3つである.ここで,後の分析の 事を考えて,p1=1とする.p2,p3の解は唯ひとつ存在するものとする.
2 公共部門の労働雇用量に上限がないとき
第1章のモデルは,政府の雇用する労働雇用量に上限が課されていないの で,このモデルが労働雇用量に上限がないときのケースに対応する.
公共財の変化(GAからGB)によって,経済の状態がAからBに変化すると するとき,家計の効用水準は,vAからvBになる.ここで,vA=v(PA, IA, GA), vB= v(PB, IB, GB)である.PAとPBは状態AとBにおける価格ベクトルである.
公共財の変化による純便益は等価変分EVによって測られるものとする.等 価変分は,e(・)を支出関数とすると,次のように定義される.
EV=e(PA, v(PB, IB, GB))−e(PA, v(PA, IA, GA)) (18)
(18)式は,次のように展開される.
EV=∫vA
vB
dv
∂v
∂e (19)
=A→B
∑
3k=2 ∂v∂e
∂pk
∂vdpk+∂v
∂e
∂I
∂v dI+∂v
∂e
∂G
∂v dG (20)
記号 は線績分を,A→Bは(PA, IA)→(PB, IB)をそれぞれ示している.ここで,
分析を簡単にするため次のような準線形効用関数を仮定する.
u = x1+u(x2, x4, G) (21)
p1=1を仮定しているので,貨幣の限界効用は1,∂e
/
∂v=1となる.ロワの恒等 式を用いると(20)式は次のように展開される.EV=A→B −x2dp2−x4dp3+dI+vGdG (22)
d I,dπ,d Tは(3),(5),(14)式を用いると次のようになる.
dI=−x3dp3−tdp3−p3dt+−x2dp2+dπ−dT (23)
dπ=−y2dp2−y3dp3+fGdG (24)
−dT=−g2dp2−g30dp3−tdp3−p3dt−CGdG (25)
(23)〜(25)式を(22)式に代入し,整理すると次のようになる.
EV=A→B (x−2−x2−y2−g2)dp2+(x−3−x4−y3−g3−t)dp3−2p3dt−CGdG+fGdG+vGdG (26)
(26)式は土地と労働市場の均衡条件式を用いると,次のようになる.
EV=A→B −2p3dt−CGdG+fGdG+vGdG (27)
この式は,公共財を増加させるとき,その純便益は公共財のもたらす便益(fGdG とvGdG)から公共財の供給費用(CGdG)と用地取得にかかる費用(2p3dt)の合 計を控除したものであることを示している.つまり,用地取得交渉を考慮す ることによって,これに伴う費用が新たな費用項目として入ってくる.そして,
その費用は新たに発生する交渉時間dtに賃金率(p3)を掛けた費用が家計と 公共部門にかかるので,p3dtに2を掛けた2p3dtとなっている.
3 公共部門の労働雇用量に上限があるとき
今までは,公共部門は好きなだけ労働時間を家計から雇用することが出来 ると考えてきた.しかし,実際には法的な制度で決められている上限の労働 を雇用している時,用地取得に伴う交渉時間が必要なときが考えられる.本 章では,このようなときに用地取得交渉に伴う費用がどのようになるのかを 見てみる.
政府の行動以外,前章の分析と同じである.そこで,以下では政府の行動 のみを叙述する.上限の労働時間を−とするとき,新たな制約条件として,g −g=g30+t (28)
が加わるので、費用を最小化するように行動する政府は次のように定式化で きる。
C= min p1 g1+p2 g2+p3
(
g03+t)
g1, g2, g3
0 (29)
s. t. G=F(g1, g2, g30) (30)
(31)
公共財の費用関数は前章と同じように表される.さらに,均衡予算を維持し ているので,これは次のようになる.
T−C(P, t, G) = 0 (32)
均衡条件も前章と同じように示される.前章と同様に公共財が変化するとき の純便益を求めると,前章と異なる点はdTである.dTは,次のとおりである.
−dT=−g2dp2−g3
0dp3−tdp3−p3dt− p3− Fg1
Fg30
dt−CGdG (33)
つまり,政府の費用最小化行動からtが限界的に増加するとき,雇用量を増 加することが出来ない状況で用地取得交渉の時間が必要になると,新たに
p3− Fg1 Fg3 0
dtのコストが発生する.p3− Fg1
Fg30
は,−が限界的に増加するときのシャg ドープライスであり,賃金率から労働の限界生産性を控除したものを意味し ている.労働の限界生産性が合成財の限界生産性で除されているのは,合成 財をニュメレールにしているからである.
したがって,公共財が変化するときの純便益EVは,次のようになる.
EV=A→B −3p3− Fg1 Fg3 0
dt−CGdG+fGdG+vGdG (34)
お わ り に
公共用地取得に際して合意形成のため交渉などのために費やされる時間を 考慮した場合,その費用は新たに発生する交渉時間が家計と公共部門にかか るので,交渉時間に賃金率を掛け,これを2倍したものになる.これは政府 の労働雇用量に上限が課されていないケースであるが,政府の労働雇用量に 上限が課されているケースでは,賃金率から労働の限界生産性を控除したも のが新たな費用として追加される.政府の労働雇用量に上限が課されている ケースは,たとえば政府が様々な公共サービスを提供しているときに想定さ
g=g30+t
−
れる.本稿では,分析を簡単にするためにひとつの公共財を提供しているケー スを想定して分析を進めたが,複数の公共サービスを想定しても結論は同じ になる.
また,政府の労働雇用量に上限が課されてないケースと課されているケー スは,ひとつのモデルでキューン・タッカー条件を用いて処理することが可 能である.本稿では,議論を分かりやすくするためにあえて,別々に分析を 試みた.
本稿では,公共用地の取得の主な問題のうち,用地取得に多大の時間と人 員がかかるかもしれないということに焦点を当てて分析を試みた.将来事業 が中止になるかもしれないという問題も含めて,こういった問題に対する対 処法として,将来が不確実なときに用いられる投資決定基準であるリアル・
オプションを採用することが考えられる3).
用地取得にかかる費用を少なくし,スムーズに事業を遂行するためには,
事業の計画段階で住民参加を通じて住民のコンセンサスを得ておくこともひ とつの方法である.我が国においては事業の計画段階で十分住民参加が行わ れているかを土地収用制度とともに検証する必要がある4).
付 記
なお,本稿は平成17年度私立大学経常費補助金特別補助高度化推進特別経費大学院 重点特別経費(研究科分)の助成を受けた.
3 )横松・織田澤・小林(2001)を参照せよ.
4 )他の国の状況についてはたとえば,平(2004), 平山(2004)を参照せよ.
【参考文献】
平山 博登,(2004)「欧州における公共用地取得制度の調査について(フランス編)」『用 地ジャーナル』2月号,pp.4-10.
建設 省北陸地方建設局用地部用地第一課指導係長,(2000〜2003)「用地交渉のマナー
①〜⑫」『用地ジャーナル』7月号〜5月号.
国土 交通省道路局都市・地域整備局,(2003)『費用便益分析マニュアル』.
前田伸夫,(2005)『特命交渉人用地室』アスコム.
中山 東太・森地茂・福田大輔,(2000)「事業遅延に伴って発生する時間的損失の計測」
土木学会第55回年次学術講演会第Ⅳ部門講演概要集,CD-ROM.
総務 庁行政監察局編,(1995)『着実な社会資本整備をめざして 事業用地の取得に関 する行政監察結果から 』大蔵省印刷局.
平一 典,(2004)「欧州における公共用地取得制度の調査について(ドイツ・オランダ編)」
『用地ジャーナル』3月号,pp.4-15.
横松 宗太・織田澤利守・小林潔司,(2001)「プロジェクトの実施遅延がもたらす経済損 失評価」都市計画論文集,Vol. 36, pp.937-942.
The Doshisha University Economic Review Vol.58 No.4
Abstract
Yoshio ITABA, Acquisition of Land for Public Utilization and Cost-Benefit Analysis In case adoption of public works is determined, cost-benefit analysis is used.
When public works were actually reappraised, a project may be long overdue or a project itself may be stopped. The difficulty accompanying acquisition of land for public utilization is one of the causes by which such a thing happens. When the time accompanying acquisition of land is taken into consideration, this paper analyzes what should be considered as a cost item of cost-benefit analysis.