スウィフト博士からポープ氏へ
著者 スウィフト ジョナサン, 田中 光夫
雑誌名 主流
号 46
ページ 147‑159
発行年 1985‑02‑20
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014970
スウィフト博士からポープ氏へ
ジ ョ ナ サ ン ・ ス ウ イ フ ト 作
田 中 光 夫 訳
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この書簡はジョナサン・スウイフトがその親友アレグザンダー・ポープ宛てに,
1721年1月に書いたことになっているが,どうやらポープはこれを手にすることがな かったらしい しかしそのことは特に大きな意味を持たない.というのも,なるほど これは私信という体裁をとってはいるが,実は多数の読者を想定して書かれた,筆者 自身の告白と見なされるからである.
ここには1714年のアン女王の死後,ダプリンに引込んだスウィフトの, 6年間の内 的生活が極めて率直に跡付けられており,自分に負わされている不当な嫌疑や,下ら ぬ書物を自分の作だといわれて名誉を傷つけられたことに対する怒りなどが,多少の 誇張を交えながら語られている.彼が結論の部分で述べているところを見ても,これ が広範囲の読者を念頭においてのものであることは明らかで,ハーパート・デイヴィ スがこの書簡をあえて散文作品集の中に収録した理由もうなずける.なおテキストに は, Herb巴rtDavis, The Prose Writings of Jonathan S加ift,vol.. IX, lrish Tracts: 1720‑
1723 and Sermons (Oxford : Basil Blackwell 1968) pp.23‑34を使用した.
ダブリン, 1721年1月10日 近年,無数のことが,私の心を苛立たせておりますが,私はそれらのことに ついて,心の内をあなたに披涯する覚悟です.私は,今置かれている状態に照 らして,ホイットシエッド首席判事関下lに訴えるよりはむしろあなたに訴 えることを,妥当と考えるのです.私はこの大義を正当にあなたの前に開陳し たいと思います.それはあなたこそ著述家の信用,彼がこうむった多くの傷,
そして受けるべき償いについては,かの閣下よりも,はるかに適切に判断な
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さる方であるということです.その上私は,自分の意図の純粋さを示そうと して提示した議論が,弁護士から判事にいたるまで,そうした人達にとって,
重要な意味を持ち得るかどうか,極めて疑問に思っており,彼らの,文体や 文意の違いに関する決定などに,私の大義の価値判断を委ねることは気が進
まないのです.
そこで,以下のことを想起して下さい(もっともあなたは,それを簡単に お忘れになるはずがないでしょうが).女王陛下崩御2の十週間程前に,私 は宮廷の要人達の聞で,解消不可能な抗争がおこったのを機会に,ロンドン を去ってパークシャにおもむきました.その時あなたが私をわざわざ訪 問してくださったことを覚えておられるでしょう.私がこのようにひっこん でいた間に,私はこうした局面において,有益だと思うー丈を書き,ロンド ンへ送ったのですが,現在国外にいるさる大臣4との意見の相違のため,そ の出版が延引きれ,その挙句女王は逝去されて,私は,その論作の写しを回 収したので,それ以来それは,安心して任せられる人の手で保管されていま す.かの英逼な女王陛下を失なって二・三週間の内に,私は今のこの状態に 落ち着きました.以来私はこのまま公的生活から全く離れて暮しており,世 間で最もよく話題にのぼっていることどもについても,何も知るところはな いという始末です.例えば,今英国に君臨している一族の名も,その数も,
祈薦書が教えてくれる以上には知らないのです.誰が大法官であるかも知ら ず,また誰々がその側近にいるかも,またどの国と和し,どの国と戦ってい るかさえ,知らないくらいです.そして,こうした生活を,私は何も気取っ てやっているのではなく,ただもう,人に不快感を与えることを避け,党派 的熱狂をヲ│き起すことを恐れるあまりの苦肉の策にほかなりません.
なるほど,私は自分が擬せられていた官職[歴史編纂官]において仕事を なし遂げるのに必要な材料として,自身で入手した多少の情報をもとに,女 王の治世最後の四年間の記録を書いたのです. しかしながらその官職は堅実 さや誠実さなどというものを薬にしたくもないというような,ある人[ケン
スウィフト博士からポープ氏へ 149 ト公
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の思いのままでありましたから,私としてはそれを受け入れるのを 潔じとしなかったのです.これらの書類を,私は健康と暇の許す僅かな時間を使って,一時に一枚づ っ消化してきました.というのも,書類を探したり手に取ってみたりしよう などという気分が,又ぞろむらむらと起こってこないよラにとの配慮、から,
私はそれ以上は控えているのですが,それは何も私が自分に及ぶ危険につい て心痛しているというのではなく, (というのも,その書類には現在の時勢 や人物については,何も書かれてはいないのであり,しかも,家の中に飼い 猫やスパニエル犬がいる間は,そんなことを思案するゆとりはありません) ただただそれらが,使者たちゃ書記たちの問で紛れてしまうのを防ぐためな のです.
私はこの国で,あわれな人たちに,自分たちの手で作った物を身に付けて,
イングランド製の物を排除するよう説得するために,一つの論文を書きまし たが [fアイルランド製品の広範な使用への提案
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],この論文は官職につい ている人や,官職採用予定者以外の全国民の感情にひどく快く響いたもので すから,急速に広まりました.ところが,この論作について,この国で大層 な役職に就いている或る人が危機感を覚えて警鐘を鳴らしたのです.彼はす ぐさま,首席判事のところに人をつかわし,騒動を引き起こすような党派的 な毒々しい小冊子が,二つの王国を対立させる目的で最近発行されたことを 知らせ,同時に,出版者は,法律の定める最高の厳格さをもって起訴される べきだと述べさせました.首席判事[ホイットシエッド]は非常に呑み込み が早かったので,できうべくんば,その指令を十二分に実行しようと決意し ました.郡と市の大陪審が,例の公開状にあらゆる悪名を被せるべく,効果 的に作動し,それに対してはイングランド側から感謝が述べられ,彼らの起 訴状が何週間もの間,あらゆる新聞に掲載されたのです.出版者は捕えられ,多額の保釈金を強要されました.審理の後に,大陪審(彼らはそれはそれは 厳重に選ばれたのです)は,彼を無罪と答申しました.首席判事は,九度も
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陪審員を呼ぴ返し,十一時間へとへとになるまで留め置きましたので,つい に彼らは,特別法令と名付ける規定により,判事の裁断に事を委ねざるをえ なくなりました.この審理の間に,首席判事はいろいろと奇妙なことをしま したが,とりわけ,その手を胸に置き,厳かに誓って,論文の筆者の目論見 は,プリテシダー6をアイルランドに迎え入れることだなどと言ったのです.
それも,あの論作の中には,党派心については一字一句たりとも書かれてい ないし,また彼の節操を公言する最も著名な人々さえ,公然と彼の審理の進 め方を否認したにもかかわらずに,であります. しかし,その大義があまり にも忌まわしく,また不人気でもあったので,その評決の審理は延び延び、に なり,遂に総督グラフトン公爵7の到着に及んで,総督閣下は思慮ある助言 に従い,イングランドからの許可を得た上で,審理中止を許可し給うたので、
した.
このことは,例の首席判事が,党派が係わっていない一般の財産関係の訴 訟については,決して悪い判事ではないということの故に,一層注意を引く のですが,ーたぴ党派が絡んで、くると,野心が躍を前へ前へと押しやるせい
もあってか,その党派心が,幾ら多量に所有しても精神に何らの良好な性質 をも与えぬ種類の知識を持つ以外に何の取り柄も持たぬような精神の低劣 な,生まれの卑しい人聞を,必ず混乱に落とし入れずにはおかないのです.
確かに,私はここ数年というもの,機知と良識についての実に悪質な趣味 が世にはびこっているのを見て,一一それは取りも直さず,政治と,南海泡 沫事件8と政党とオペラと舞踏会が導入したものなのですが 社会と自分 自身のために憂え続けてきました.というのは,悪意を持つ人が私の手に成 るものだと決めつけた不出来な文書に加えて,私に好意を持ち,しかも,私 の文体を判定し得ると自称する人々の中に,まっとうな良識と教養を持つ人 なら,およそ皆が皆恥入るであろうような,そんな文書を私が書いたものだ と言う連中さえいる始末です.私は,
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献辞に対する献辞j という題目の論 作を例に挙げざるを得ないのですが,それは多くの人が私の作だと思ってはスウィフト博士からポープ氏へ 151 いるものの,実は私がこれまでに読んだもののうちでも何にも増して空虚で、,
無味乾燥で,下劣な論作なのです.とりわけ,或る論作について言うならば,
私が到底その作者で、はあり得ないような一つの状況があるのです.つまり,
その論作というのは,ジョージ玉に対する何ページにも及ぶ賛辞を含んでい るのです.とニろが,私はその方のご性格やお人柄については全く無知で、あ り,詮策してみようという好奇心をもったことが一度もなかったのです.何 故なら,私は非常に遠い所に住んでおり,公事に関する一切の事柄から永ら
く身を引いていたのですから.
なるほど,私は求められると否とに拘らず以前は自分の考えを率直に述べ たものでしたが,相談役を気取ったことなど一度もありませんでした.また そういうことにはお呼ぴもかかりませんでした.私は,学者としての仕事で,
オックスフォード伯9には遠く及ばないのを知って随分恥ずかしい思いをし ました.また私は,伯が,自分らの領域外で重要人物たらんとしている連中 に対して,軽蔑の念を抱いておられることを,見抜かずにはおかないくらい のしたたかさを備えた宮廷人でした.その上,実を言うと私は,意見を聞こ うと常に身構えている多くの偉い大臣を知っていますが,かといって助言を 実際にわざわざ採用するような人にはまだ 出会ったことがないのです.そし て,この知ったかぶりは,
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政治には,単純,正直な感覚の持ち主の到底達 し得ないような,深遠な何かがあるのだj という,彼らが信じていないなが らも,それによって身を処している金言に端を発しているのです.せめて,私が心中望んでいた一事である,大臣たちを和解させようとする 努力が,もっとうまくいっていたら良かったでしょうに.もし,私よりももっ と深いかかわりを持ち,また影響力も強い人たちが,その役割を十分に呆た していたなら,教会と国家の公益はあれ以上損なわれるようなことはなく,
プロテスタントの王位継承10も危険にさらされずにすんだで、しょう.
しかし,四年にわたり引き続き奉仕した結果,ある持定の人たちに貢献し ようと努力する機会が,どれだけ私に与えられたにせよ,私は,少なくと
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も他の党派に属する人たちかあもそれ相応の処遇を受ける値打ちはあるので す.というのは,そうした人たちの多くを,私はオックスフォード伯ととも に常に擁護したからであり,そのことは伯もよくご存知のはずです.伯は,
私がアデイソン氏や,コングリーヴ氏や,ロ一氏や,スティール11氏の便宜 をはかろうと,いかに度々伯をせき立てたか,よく承知しておられます.もっ とも,率直に白状すると,彼らに対する伯の親切は,実に伯の寛大なお心と,
彼らの機知や才能に対する尊敬からきているのであり,私としては,そうし たことを伯の記憶に魁らせる程度の存在でしかなかったでしょうが.なぜな ら,私は最初の内閣の改造にあたって,故ハリファックス卿12がコングリー ヴ氏を救うために,伯に仲立ちの口添えをなさった時,伯の与えられた返答 を決して忘れることができないのです.それは,ヴァージルの以下の二行13
の詩句を繰り返すことでした.
我らカルタゴ人の心はさのみ冷たくはあらず¥
また人の住む世に無縁の人非人にもあらず
これに従い,伯は常にコングリーヴ氏を態惑に処遇し,変わらぬ好意と保護 を確約し,それに加えて,彼のために今以上の利を計るであろうとおっしゃっ たのです.
当時,大臣たちは,私が彼らの許へ行く時は,必ず秘かにホイッグを隠し ているなどと言って常に私を噺笑したということを覚之ています.何もご機 嫌取りをするつもりでこんなことをいうのではありません.というのは,そ のホイ yグという呼び名の原則に新たに加えられた原理を,私は,前のもの と比べて全く堕落しきったものと見なし,それらを心から憎み,嫌い,断固 として拒否しているのです.その点は当時も今も,変わりはありません.私 は,私ごとき者にしては身分不相応なぐらいにたくさんの大臣と党派の別な くかなり自由に会話を交わし,この際白状しますが,彼らをその大臣たるの 能力においては,虚栄心か野心づくでなければ,何人といえども機嫌取りま でしてその知己を得ようなどとは思わぬような類の人種と見ています.前者,
スウィフト博士からポーフ。氏へ 153 すなわち虚栄心は,たちまち消えていくものです(それは取りも直さず低級 な連中の悪徳であり,それというのも,高貴な精神の持ち主は誇りが強すぎ て,とても虚栄心など起こさぬものです.そして,後者,すなわち野心とき たら,私には何の関係もありませんでしたにその上,彼らからはただ一つ の僅かな恩恵しか受けていない私は,何も権力者どもの奴隷になる必要など なく,友を選ぶにあたって,その考えが,当時流行していた政治理念とどの 程度符合するかというようなことになどまるで構わずに,ただその個人の持 つ値打ちにのみ従いました.私はアデイソン氏としばしば談話し,オックス フォード伯の政権の座にあった時期にも, (スティール氏を除いて)私が前 に名指した人たちとも会話を交わし,アデイソン氏の私への友情は,私たち が,反対党の領袖であるソマーズ卿14やハリファックス卿の許で会合してい た頃と,全く変らぬ優しさをもって,少しも損なわれることがなかったので す.
これらすべてのことから推測するに,単に女王の最後の大臣たちが私に敬 意を払ったというだけでここ何年もの間,イングランドのパンフレット作者 たちから,こっぴどくやっつけられたというのは,大いなる不正義の所産で あると言わざるを得ません. しかし,良心に照らして考えますと,私は,彼 らがプロテスタントの王位継承や国の自由と宗教に対して行なった,あらゆ る好計に一枚かんでいたことにはなるでしょう.そして,私は,キケロの言 葉を借りるなら,
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あたかもトロイの木馬の中にいるカf如くにj彼らとともに,そのすべての活動に組みいられることを,誇りに思う,と断言することがで きます. しかし,私は言動や著述で,現権力に対する党派的憎悪や危険きわ まる企みをあらわしたことはありませんでした.また私の友情と談話は,当 時宮廷で進行していたことどもを好む人々にも またそれらを否認する側の 人々にも,等しく示してきました.また後者の側の人たちが危機に瀕してい た時,私が彼らのうちの秀れた人たちすべての友であることも知られていま した.だとすれば,棋は,その意見が,不幸にも好意や昇進につながるよう
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な意見とは全く違っている種類の人々の間を,安んじて駆け回ることを許さ れない,などと考えるのは,困難であると思わざるを得ないのです.
あなたに知っていただかねばならぬことは,イングランドでいうホイッグ [民党]なるものは,ここアイルランドで同じ名称で呼ばれている連中とは,
全く違ったものであるということです.少なくとも,亡き[アン]女王の御 時世においてはそうでした.あなた方の側が変質したのかそうでないのかは 私が詮索すべき筋の問題ではありません.私の記憶するところでは,秀れた 友であるアデイソン氏が,当時のアイルランド総督ウオートン伯爵15の書記 官として当地に来た時,こちらの主要な行政官たちの言行に,ひどく不快な ものを感じたということです.アデイソン氏によりますと,彼らは,民党の 原則とは,教会を呪い,聖職者たちを罵り,非国教徒どもをけしかけ,啓示 宗教を軽蔑する以外の何物でもないと,思っているような連中なのだそうで す.
数年前のことですが,私はさる大臣と,当時この地のイングランド人たち の間で広まっていた,ホイァグ的或いは狂信的な風潮について議論しました が,その時大臣閣下は,それを,かのクロムウェルの兵士たち,すなわちこ の地に定住した冒険者たちの数によって説明されました.彼らは皆が皆,や せた土地のレヴン16の人たちで,生まれも卑しく,その子孫たちが,今や彼 らの土地と彼らなりの主義とを持っているのです. しかしながら,最近この 国の人々のうち或る者は,喧嘩に飽きてきていることは確かです.それとい うのも,喧醸の主な動機となるべき利益というものが,すでに消えてしまっ ているからです.なぜなら,誰が徴税人であるべきかとか,誰が田舎の教区 司祭であるべきかとか,法廷の廷吏であるべきかとか,または補助書記には 誰がなるべきか,などという問題は全く論議する価値をもないのですから.
多分あなた方は,私のように虐待され続けてきた人間なら,さぞかし,い つの時期かに政府において非常に危険な主義主張を顕わにしたに違いないと お考えでしょう.それに答えて,かの栄光ある故女王陛下のご治世に,私が
スウイフト博士からポープ氏へ 155 いかなる政治上の主義をもっていたかをお話ししましょう.というのも,私 は,行動においても,また著述や講話においても,自分の主義に矛盾したこ とはなかったからです.
まず私は,カトリック教徒が王位の継承者となることは,たとえ当人が血 縁の近さによっていかなる権利を有しようとも,断固反対を宣言してきまし た.私は次のふたつの根拠以外に,正しい継承系統を認めませんでした.第 ーには,それが法の力によって確立されていること,第二に,それが世論に おいて相当な重みをもっていることです.というのは,必要とあればいかな る法律をも廃止することができましょうが一般大衆の感情となるとそうは いかないからです.相続権の問題は,およそあらゆる時事の話題の中でも,
もっともよく取り沙汰される事柄でありましょう.それで,相続権が崩壊し てしまうような大変革期には,大衆の聞で,激情や不満がわだかまり, (軟 弱な君主と腐敗した政府の許では)それらは国家の平安にとって,最も深刻 な悪影響を及ぼすことになるでしょう.
いわゆる革命の原則なるものについての私の意見というのは,次の通りで す.すなわち,政治形態の激しい変革にともなって生じる悪弊が,概じて現 権力の許での困苦以上に,有害でないような場合はいつでも,公共の善のた めにかかる革命は正当化されるでありましょう.オレンジ公の遠征17こそが,
正にこれに当たるものだったと,私は解釈しました.無論,それが非常な悪 い結果をもたらしたのであり,それらが永らく我々にまつわりつくことでは ありましょうが.
同様に,当時私は,平和時の常備軍に対しでも,どうにも抜きがたい反感 を抱いていました.なぜなら,私は常備軍などというのは,家族の長が自分 の子供らを奴隷状態においておくために雇っている召し使いどもに過ぎない と考えていたからであり,また,傭兵というもの無くしては,自分の地位が 安泰であるとは考えられないような君主は,必ずその臣民たちと利害を異に しているに相違ないと考えたからです.無論,私といえども,腐敗した政府
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が,公益に反する党派を支持するための武力を保つという,で、っち上げの必 要性を,全く知らぬというわけではないのですが.
議会の両院については,私はその開会を毎年行なうものと定めた.中世以 来の制度の賢明さに敬意を表していました.そして,我らの自由は,かの古 い慣習が復活Lない限り, しっかりした基礎の上に据えられるものではない と確信じていました.というのは,こうした集会が長期にわたって持続する ことを許されている時には大臣たちと議員たちとの間lこ贈収賄の関係が芽ば え,そこにおいては彼らが利益を得れば,明らかに自由を危険にさらすこと になりますし,もし議会が年に一度聞かれるならばその取り引きが決して目 論見通りにいかず¥また費用の点でも割りが合わないということを弁えぬ者
など,いるはずがないのですから.
私は常に,金利を地利に相対して設定しようという,ゅう三十年も福わ れ続けてきた)例の政策を憎悪してきました.というのは,政治においては,
「土地の所有者こそ,王国にとって何が有益であるかについて,最良の判断 を下す」という金言ほど真実なものはないと考えたからです. もし他の人々 も同様に考えたならば,信用貸しの資金や,南海計画などというようなこと は,人々の感情に浮かぶことも,口に上ることもなかったでしょう.
私は,最も無垢な人たちの自由がかかっているような法律を,差しとめる 必要性を認めることなどできませんでした.また,このような行ないが,我々 がそれが繰り返されよかしと望むほど,絶対権力の味を快いものにしてくれ たなどとは考えられません.鎮圧されたあらゆる謀反,発覚したいかなる陰 謀事件といえども,君主権のより強固な擁立に貢献しないものはありません.
特に陰謀の場合はそれが発覚すると,陰謀家たちの鮮は完全に断ち切られ,
彼らは無数の不利な状況の許で,新たに陰謀をめぐらさねばならなくなりま す.その結果,菟罪や疑問の多い罪について,その顔形が大臣にとって気に くわないようなすぺての人に対する,鎖と牢獄の力でもって増強された勤勉 な審問などは,
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一人の無実の人が災難に会うよりは,十人の罪人が逃れるスウイフト博士からポープ氏へ 157 のを良しとする」と断じたかの金言に反するばかりではありません.神が,
人類につきまとってそれを苦しめることを強化し給うた,あの最も忌まわし い,汚れた,最低の種族である密告者どもに,広く門をあけることにもなる のです.
なるほど,ローマ人の聞では,ひとりの独裁者を選ぶ習慣がありました.
その政権下では,他の行政官の権限は皆停止されていました. しかし,そう したことが行なわれるのは,最緊急時に限られていました.例えば,戦争が 差し迫っていた時や,何らかの内紛の場合がそうでした.というのは,軍隊 というものは,絶体権力によって統括されねばならぬものであるからです.
しかし,かの共和国の気高き徳が,賛沢と野心とに取って替わられた時,こ の独裁者の地位は,史上に現われた最も悪名高い暴君たる皇帝たちとその後 継者たちの中に,永続していったのです.
私が世に出ていた時期にもっていた,公事に関する意見は,ざっとこんな ところですが,今の私の主張がどうであれ,そんなことは,世の中にとって も,私自身にとっても,殆ど問題ではありません.また私が意見らしいもの を持っているということを確言することもできず たとえ持っていたとして も,それらを公にするつもりなど毛頭ありません.というのは,私が今この 手紙を書いている時点で,いかに私の意見が正当なものであったとしても,
真夏になるまでには,それらは私に難儀を持ち込むに充分なだけ犯罪めいた ものになってしまうからです.そして実際私は,過去の或る時期に,政治に ついての教義問答書が年四国 権威筋によって刊行されればよいと思ったも のでした.それは,我々が,当座の三か月間,いかに話し,書き,そして行 動すべきかを教えられるためです.私は自分の経験で,こうしたことを教え る教授者の欠乏を痛感しました.というのは,ほんの一か月以前に打ちくだ かれたように思われる古い民党の主張を奨励して,優勢な側のさる人々のお 近づきを得ょうとした挙句,私は不平分子として通るようなはめになってし まったからです.私は,党派心があまりにも,人々の心を捕えたために,他
158 スウィフト博士からポープ氏へ
の何事にも気を遣う余裕が無くなっているような時に,日蔭者が著述家とし ての名声を守ろうとすることが,いかに無益な所作であるか知らぬでもあり ません.人々には,私を非難中傷する暇はあっても,彼らは私の弁明を聞く ためなどには,寸暇をも費やそうとはしますまい.かかる陰謀暴露の時代に おいて,私はしばしば,無実の人が捕えられ,投獄され,何か月も鎖につな がれているのに,大臣たちは,自分たちが目論んだ人数だけを起訴し,絞首 刑に処してしまうまでは,決してその無実の男の請願を聞こうとはしないと いうようなことを聞き知っています.
この手紙によって,私が望み得ることといえば,友だちゃ,私に好意を寄 せてくれる他の人々に,私が中傷屋どもの毒のある言葉で表現されているよ うな悪い臣民でもなく,またそのような愚かな著述家でもないことを,納得 してもらうことだけです.かの中傷屋どもときたら,私が主張したこともな いような危険な政治論や,私が書くなどとは到底思いもよらぬような出来の 悪い作品を,私の手に成るものだと押しつけて,この両方の点で,同じやり 方を用いたのです.なるほど私は,私に対する虐待や,公事についての憂う つな予見などのおかげで気うつになってはいても,攻撃的な言辞で身に危険 を招くほど,世事に疎い人間で、はありません.そして,たとえ私の才能と気 力が,年とともに衰えているとしても,少なくとも,私が青春とともにすで に失ってしまった才能を必要とするような問題に触れて,自分の力の尺度を 誤るような真似はしないくらいの分別はまだ持ち合わせているつもりです.
注
1 ウィリアム・ホイットシエッド.(c 1656‑1727).法律家で熱狂的な民党派.
スウィフトは,
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ドレイピア書簡jなどで,彼を訊刺している.2 アン女王の崩御は1714年8月l日である.
3 イングランド南部の州.
4 ボーリングブルック子爵 (1678‑1751)をさす.
5 へンリー・グレイ (1671‑‑1740).侍従長,民党派,ただし,ここは政治家のシュ ルーズペリー公チャールズ・タルボット(1660‑1718)の誤まりであろう.
6 ジ、ェイムズ・エドワード・スチュアート(1688‑1766).廃王ジ、ェームズ2世の子.
スウイフト博士からボーフ。氏へ 159 7 チャールズ・フイッツロイ (1683‑1757).チャールズ2世の孫.1720年から24
年まで,アイルランド総督を務め,特にアイルランド銀行問題や半ペニー貨幣の問 題で,アイルランド人を憤激させた.なお悪質な半ペニー銅貨を,イングランドが アイルランドに押しつけたため,スウイフトは.
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ドレイピア書簡Jを書いて,イ ングラシドを攻撃した.8 1711年,南海会社が南米との貿易の独占権を得たが,これが大規模なインチキ会 社であることがわかり,当時の主な政治家のほとんどがそのために信用を失墜した.
9 ロパート・ハーレイ (1661ー 1724).王党派の領袖で,スウイフトのパトロンと もいうべき人物.アン女王の晩年に王党派の内閣を組織して活躍.
10 新教徒のジョージには プリテンダーと呼ばれたジェイムズ・スチュアートをは じめ,多くの競争者がおり,そのほとんどがローマ・カトリック教徒であった.
11 ジョゼフ・アデイソン(1672‑1719).文人にして政治家.アイルランド総督ウォー トン伯のもとで書記官を務めた.スウイフトの友人のひとりだが民党派であった.
後出のスティールと共に18世紀の随筆文学の立て役者である.
ウィリアム・コングリーヴ(1670‑1729).劇作家で,スウィフトと同じくダプ リン大学に学ぶ.名声は高かったが.1700年劇界を去った.
ニコラス・ロー(1674‑1718).詩人,劇作家.スウィフトの友人.ジョンソン の『英国詩人伝jにとりあげられている.
リチヤード・スティール(1672‑1729).文人.民党の政治家.スウイフトの友 人であったがのちに決裂した.
12 チャールズ・モンタギュー(1661‑1715).政治家.大蔵大臣を務めた.下院によっ て弾劾されたときにスウイフトが弁護している.
13 アエネイス j
1 :
567‑68.14 ジョン・ソマーズ(1651‑1716).法律家,民党派の政治家.上院議長を務めた.
のち弾劾を受けたが,スウィフトがこれを【弁護した.
15 トーマス・ウオートン (1648‑1715).政治家.民党の創立者のひとり.アイル ランド総督を務めた.
16 ヨークシャー南東部.
17 廃王ジェイムズ2世はフランスの支援でアイルランドに上陸.ウィリアム3世は 1690年みずからアイルランドに出陣してこれを打ち破った.