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       (訳)大串隆吉 第二章 国防鍛錬

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   アドルフ・ヒトラーの戦争青年(2)

一国家社会主義(ナチス)の青年活動1939〜1944一 帝国青少年指導本部編/ミハエル・ブドルス校訂

       (訳)大串隆吉 第二章 国防鍛錬

 国防鍛錬は国家社会主義青年教育の基礎で ある。それは、この数年間その有益な形態を 確保したという意味で、戦争の成果と見なさ れる。基本的にアドルフ・ヒトラー帝国にお ける強力な戦闘力は個人及びドイツ社会の無 上の美徳である。戦争に強い国民だけが歴史 と文化を持つのである。健全な国民はそれを 常に知り、行動してきた。プロイセンドイッ 軍国主義批判はそれゆえ的をはずれた。国家 の自己保存要求と真剣な男性的必要の存在 は、とりわけ非常時に否定できない現実であ

る。

 兵士教育のなかで、ヒトラー・ユーゲント は彼等の先輩のあとに続いてきた。青年も参 加した過去の様々な国防団体は、国防思想の 担い手であり擁護者であった。それに引き続 き国家社会主義国家の青年は、その偉大な共 同体の中でさらに青年らしく時代にふさわし い形態を与えた。射撃訓練と野外演習が教育 手段になった。すなわち、兵士の訓練ではな く、彼等の年齢にふさわしい訓練によって戦 闘能力をつけ、喜んで兵士になるよう教育す るようになった。戦争の拡大とその更なる継 続のためitc国防軍がこの教育に一層深く関与 することを期待できた。戦争一年目の発展は それゆ惹仕事の改善と拡大、ならびに実績 の向上を示した。それは、第一にヒトラー・

ユーゲントと国防軍の優れた協同に負わされ るべきである。

 協同は陸軍、空軍、海軍の総司令部の正式 の代表がドイツ帝国青少年指導本部に派遣さ れたことに示された。管区総司令部の各軍代 表のなかからヒトラー・ユーゲント連絡将校 が決められ、かれはヒトラー・ユーゲントと の協力活動のすべての問題、とくに国防鍛錬

上の問題を扱わなければならない。国防軍駐 屯地ではヒトラー・ユーゲントとの連携が若 手将校によって保たれている。

 組織における戦争訓練

 戦争開始と共にドイツ青年の体育がそれま で以上にヒトラー・ユーゲント活動の中心に なった。この活動目的についてはヒトラー・

ユーゲントの戦争訓練についての布告のなか に次のように書かれている。

 戦時期の身体教育の目的は健康保持と全青 年の一般的な身体能力の促進ならびに16歳か

ら18歳のヒトラー青年の小銃射撃訓練・野外 演習にある。ヒトラー・ユーゲントにおける 一般的な訓練と教育が戦闘能力の身体的精神 的前提をつくり、他方で射撃・野外演習訓練 は一般的な身体訓練にとって必要な首尾一貫

した活動の発展になる。

 しかし戦時期には射撃・野外演習訓練は全 訓練の中心であるだけでなく、その最終目的 が国防軍入隊であるという根本方針に基づき 自覚的に行われなければならない。徴兵適齢 になればこんにちヒトラー青年には、走るこ と、跳躍、投騨、水泳、さらに射撃と戦場に おける敏捷さが要求される。

 野外演習訓練の目的は、命令の完全な遂行 のため戦場に慣れることにある。地形の素早 い判断と利用、確実な偽装と欺購において、

目標の鋭い観察と識別において、最後に確実 な報告において、ヒトラー青年はどんな場合 でも戦場の主人公でなければならない。一人 一人は、入念に作られた野外演習訓練中に、

戦場での全ての動きを無意識に正しく行うた めにまさに職人技で学ぶことを指導されなけ ればならない。

 射撃訓練の目的は、KK小銃の操作、使用と

(2)

手入れにおける最高の能力の達成と各人の射 撃能力の向上である。戦争訓練にとって決定 的であるのは、武装した名誉ある活動のため のヒトラー青年の準備が国民と帝国のために 男らしい最高の義務であるという確信から生

じる精神と力である1)。

 16歳から18歳のヒトラー青年の訓練は戦争 開始までは、6ヶ月訓練プログラムに従って 成果をあげた。すなわちそれは、土曜日の夕 方と日曜日に可能な限り行われた、射撃と野 外活動に関する162時間の授業・訓練を含ん でいた2}。場所によっては、週末の教育も青年 宿泊所、ヒトラー・ユーゲント集会所、学校 あるいは兵営を利用して行われた。後に、同 じ水準の162訓練時間は、週末に限らず行わ れた。教育課程は試験に合格して終了となる。

その試験では、射撃と野外演習における理論 的・実践的成績、全般的な活動状況と僚友的 な態度が判定されている。合格したヒトラー 青年に「ヒトラー・ユーゲント戦争訓練修了

書」(K−Schein)が与えられる3)。

 16歳から18歳のヒトラー青年の訓練はヒト ラー・ユーゲントの指導者によって行われた。

彼等に訓練に必要な条件を提示するために、

国防軍統合司令部(OKW)との協定が結ばれ、

それに従い全ての地位のヒトラー・ユーゲン ト指導者にたいし国防軍の教官による特別講

習が行われた4)。

 ヒトラー・ユーゲント各組織におけるこの 訓練目標はすべとのところで達成されたわけ でないことがのちに明らかになった。その理 由は、絶え間のない指導者の交代、訓練指導 者の不足、暖房付部屋の不足、農村動員と他 の戦争課題による訓練活動の侵害にあった。

入念な野外訓練のためには、適切な装備と衣 服が供給されねばならなかったはずである。

なぜなら、しばしば平服をぬい直した制服を 使いふるすことが求められるべきでなかった。

少なくとも必要な軍靴75万足の供給は、原料 不足のため、負担に耐えるのが困難な経済の 重荷を意味したのである。特に訓練を困難に したのは、ヒトラー・ユーゲント指導者の隊 列から引き抜ける適切な訓練指導者の不足で

あった。

 1940−41年の冬には、それゆえ帝国青少年指 導本部は陸軍最高司令官の同意を得て、戦争 訓練指導員の不断の必要からと良く訓練され た射撃・野外指導員を確保するために帝国訓 練所設置を指示した5)。帝国訓練所の数が十分 になるまであらゆる方法で戦争訓練指導員の 養成にたずさわること、国防軍との協定に よって生じた可能性一軍を兵営と施設での教 育による指導部の育成のために利用しつくす こと、そして戦争訓練指導員の教育のために 新たな訓練機関を作りだすこと、これらは地 域指導者(GebietsfUhrer)の課題にされた6}。同 時に帝国青少年指導本部の身体訓練のための 従来の部局は「国防鍛錬部」に改称された7)。

そして様々な布告で国防鍛錬の重要性が確立

された8)。

最初の戦争訓練年(1940年12月1日実施)

に60万人のヒトラー青年が戦争訓練に参加 し、そのうち11万8千人がK−Scheinを得た。

帝国スポーツ学校、地区指導者学校と軍駐屯 地訓練所の教育で約7千人の戦争訓練指導員 が教育された。戦争指導者訓練のために強化 された教育により1941年8月1日に約70万人 のヒトラー青年が戦争訓練に参加していた。

そのために約2万3千人の戦争訓練指導員と 野外指導員(中級・高級の指導者を除く)、約

3万4千人の射撃指導員が動員された。

国防鍛錬所

 1941−42年の冬まで帝国労働奉仕と国防軍加 入年齢のヒトラー・ユーゲントの一部だけが 特別隊で軍事予備教育を受けた。この年齢の 者が完全に組織されるために、総統は1942年 3月に帝国青少年総裁の上申を受け「国防鍛 錬所の設置」を命じた。この訓練所では、労 働奉仕ならびに兵役召集該当年齢前の年齢の 男子青年に3週間軍事予備教育と世界観教育

が行われる9)。

 総統の決定に従い、ドイツ青年の国防鍛錬 に帝国青少年指導本部が責任を負う1°)。国防 軍は自由に使える手段を帝国青少年指導本部 に提供し、援助する。国防鍛錬所はヒトラー・

ユーゲントのみの管轄下にある。すなわち、そ れは士官で前線で奮戦したヒトラー・ユーゲ

ントの指導者によって監督される。その指導 員は国防軍に所属したままである。国防軍の

2

(3)

兵営で以前から行われた教育課程は国防鍛錬

所では採用されないll>。

 国防軍の鍛錬所指導者と指導員のため任用 研修が行われた。それは彼等を青年指導者、

教育者としての活動と武装しない軍事野外訓 練に配置することができるために行われる。

この任務は常に簡単なものではない。すなわ ち、ヒトラー・ユーゲント指導者のうち指導 員として予定され、従軍した優秀な下士官 で、また多くの鍛錬所指導者として予定され たヒトラ・ユーゲント指導者は、彼らの長年 の戦地経験によって初めて軍事訓練を担当さ せられたし、させられている。ヒトラー・ユー ゲントの国防鍛錬は新兵訓練とは異なる。そ れどころかそれは、青年を国防の喜びと国防 能力のために青年らしく教育しなければなら ない。兵士としての動員準備が、ヒトラー青 年の最大の本質的特徴である。さらなる戦争 のために、言葉の真の意味で国防軍に入隊す る毎年のこの青年の活力を、維持するだけで なく高めることは、ヒトラー・ユーゲントの 重要な戦時の課題である。青年の態度は最後 の一戦で特に重要な意味を持ちうるであろ

う。

 青年の国防鍛錬は原則として武器を使わな い。しかし、小銃訓練は、軍事要綱に依拠し て行われる12)。訓練は場所がないため小銃射 撃に限定されるという帝国青少年総裁訓令に

より、武器遊びで終わるという心配が生まれ

ている13)。

 指導要領ですべての段階のために統一した 訓練方法が達成された。ヒトラー・ユーゲン トに責任を負う訓練推進者としての鍛錬所指 導者は、指導員に対し懲戒権を持たずに命令 権を持つ。鍛錬所は一部ヒトラー・ユーゲン トにより、一部帝国労働奉仕局14)、陸軍と空 軍により用意される。野外訓練服と靴を含む 青年の衣服は国防軍の援助で確保された。

 国防鍛錬所の訓練の目的は、戦争訓練修了 証の獲得である。それ以上に進歩したヒト ラー青年は、銀色のヒトラー・ユーゲント徽 章を得ることが出来る。指導員の能力と指導 者の資質を認識されたこの種の青年は、戦争 訓練指導員証を得ることが出来る15)。特別な 教育については後に述べられる。

 召集と休暇

 ヒトラー青年は16歳半から召集の対象とな る。国防鍛錬訓練所入所は青年奉仕義務の一 部である16)。召集についての基本規則は1942 年5月27日のドイツ帝国青少年総裁の布告に ある。それは、党官房長の同意と国防軍統合 司令部長官、帝国内務大臣との合意、同時に 帝国官房全権代表である勤労動員全権代表、

帝国軍需大臣、帝国労働大臣そして帝国文部 科学訓練大臣との合意に基づき出された。青 年は準備指令を受け取る。そのなかで適切な 教育の時期が示されている。青年は経営体指 導者、親方、職業学校長、行政機関の長ある いは学校長に休暇の申請ができる17)。

 勤労青年は教育のために青少年保護法に基 づく休暇を利用できる18)。予定の招集の時期 に対し経営体指導者あるいは親方は戦争のた めの重要かつ緊急な理由の際には所轄の職業 安定所に異議を申し立てることが出来る。そ して、国防鍛錬所参加の別の時期を提案でき る。職業安定所は時期を決定し、ヒトラー・

ユーゲント地区指導者に決定を伝える。公共 奉仕の参加者及び公営企業の職員・労働者の 場合には、職業安定所長が必要な決定を下す。

青年が国防鍛錬所入所の前に彼に割り当てら れたこの休暇を使うことを妨げるために、普 通の休暇は準備指令が出る前にのみ与えられ べきでる。そのような国防鍛錬所入所のため の休暇がない場合に、青年は彼に責任を持つ ヒトラー・ユーゲントの部署を通じて普通の 年休を使う招集は期待され得ないことを証明

しなければならない19)。

 生徒のために次の規則が役立つ:中等学校 の6及び7学年生はクラス毎に招集されるが、

異なった訓練所に分けられる。招集は可能な

限り休み中に行われる。生徒の臨時のクラス

毎の収穫動員は招集によって妨げられてはな

らない。招集は収穫動員に続いて行われるべ

きである。ヒトラー・ユーゲント特別隊員は

他の時期にも招集されることが出来る。この

生徒達は休学にされるべきである。中間学校

の6学年と基幹学校の継続課程生徒は学校卒

業後招集される。専門学校生徒と師範学校生

徒は休み中に国民鍛錬所で訓練が行われなけ

ればならない。職業学校生徒は、職場で休暇

(4)

を取ると直ちに学校の授業を免除されるべき である。職業専門学校の生徒はクラス毎に招 集され、招集時期は可能な限り休み中である べきである。クラス毎の招集の際、年齢の若

い生徒も含まれる2°)。

 鍛錬所召集の対象となる青年の決定のた め、ヒトラー・ユーゲントの当該部署に部局 を問わずに行政当局が持つ兵籍簿や戸籍簿が 提供される。警察登録係り、警察署は、ヒト ラー・ユーゲントの該当部署の要求に同様に 応えるよう指示されている21)。

 休養と教育

 彼らが教育を受けている間職場から給与を もらわない場合に、家族の生計を全部か一部 分担する青年は家族扶養を受ける権利を持つ。

鍛錬所への往復旅費は無料である。全ての訓 練生の事故や病気は保障される。訓練開始に 当たって健康診断が行われる。健康状態は定 期的に契約医により審査される。どの鍛錬所 にも保健室があり、軽症・軽傷の病人はそこ で看護婦により治療される。重傷の場合は、病 院に移される22)。

 生徒は学期休みを国防鍛錬所の参加のため に利用するから、雇用者は休暇を、若者の休 養のためにも配慮することを義務づける。十 分な夜の休息一夏には8時間半、冬には9時 間の睡眠と十分な良い食事一鍛錬所は郷土部 隊から糧食配給を得る一は、ヒトラー青年が 休暇を国防鍛錬所でも目的意識的に使うため の保証を提供する。帝国青少年指導本部によ り帝国共通に作成された日課は次の時間割り で計画されている:夜の休息は8時間45分、

訓練時間8時間、食事・清掃・引継など4時 間15分、自由時間3時間。

 鍛錬所では集団活動と僚友活動に分類され る。訓練単位は約20人規模で僚友を作る。そ のために15人の指導員がいる。招集されたヒ トラー・ユーゲントの最古参指導者は僚友活 動指導者、室長そして指導員の助力者として 配置されている。この若い指導者は、ヒト ラー・ユーゲント活動で得た自分の経験を基 に必要不可欠な教育の役割を果たす。

 些細な規律違反は、鍛錬所ではヒトラー・

ユーゲントの罰則規程に基づく正式の対応で はなく23)、教育的配慮に基づいて対応される。

たとえば、内密の訓戒、隊列の前での訓戒、公 式行事参加禁止、特別勤務、1週間以内の外 出禁止あるいは3日内の謹慎である。禁止事 項は次の通り。青年の健康を破壊する重労働 命令、体罰、衆人環視での不必要なおとしめ、

あるいは自尊心の破壊、懲罰訓練、絶食そし て過料。教育的配慮による罰則が不十分なと き、鍛錬所指導者は国防鍛錬所のヒトラー・

ユーゲントの監督権限を持つ地区の指導者を 通じて、ヒトラー・ユーゲントの懲罰規則に 基づき懲罰命令を提案しなければならない。

 訓練と共に鍛錬所での世界観教育が特別重 要な意味を持つ。国防能力は国防の喜びを前 提とする。それは若者の中に植えつけられ、強 化されなければならない。それゆえ、教育計 画は週二回の講義、一回の集会の夕べそして 毎日の政治報告を予定する。日曜日には、朝 の祝祭が持たれる。講義は鍛錬所指導者が担 当する。集会の夕べは原則として優秀なヒト ラー青年により組織される24>。

 成果

 国防鍛錬所開設一年目、1942年5月1日か ら1943年4月30日までに次の成果が生み出 された。163の鍛錬所が次々に開設された。そ れらに、

 245,278人のヒトラー・ユーゲントが組織さ れ、そのうち

 168,707人が戦争訓練証明書を  73,142人がHJ優秀徽章を

 28,341人が戦争訓練指導員資格を得た。

 さらに、特別隊員により、

2,154人が無線通信士徽章を  533人がNSFK無線通信証明書を

3,571人がオートバイヒトラー・ユーゲント 合格徽章を

6,610人が4等運転免許を 6,725人がA通信証を  542人がB通信証を

1,176人がC通信証を、そして

6,829人が海上スポーツ合格証を得た。これ らの証明書を得なかったのは27,674人、11.3 パーセントにすぎない25)。

 特別部隊訓練員の試験結果から、この訓練 は多くは1942年の8月と9月に行われてい

4

(5)

ることを確認することができる。この短かい 訓練期間を考慮するとこの成果の水準でも

「良」とみなすことができる。引き続いて海 兵鍛錬所、帝国海上スポーツ学校6校と帝国 訓練所5校が生まれた。

 この間国防鍛錬所の建設が更に進んだ結果、

今や帝国労働奉仕そして国防軍に入るべき年 齢の若者は生年順にとぎれることなく組織さ れる。1943年12月31日までに17の帝国訓練

所、27の帝国特別訓練所26)、

そして226の国防鍛錬所が存在した。これら の訓練所に514,972人のヒトラー青年が入所

した。そのうち、

 361,477人が戦争訓練証明書を  141,322人がHJ優秀徽章を、そして  59,537人が戦争訓練指導員資格を得た。

 54,818人は国防鍛錬所でこのような成果を 残さなかった。

 国防鍛錬所で遂行された訓練の価値につい て、国防軍の優秀な士官が真価を認めた多く の評価をしているが、二三紹介する。

 「国防軍は前線にとって意義のあるヒト ラー・ユーゲントの価値ある活動に感謝して いる。軍隊指揮官は、繰り返し『国防鍛錬訓 練所で訓練された新兵は同年兵のなかで傑出 している』ことを確認している。」(キーニッ ツ歩兵総司令官)27)「昨年の5月から増加中で ある第一期の鍛錬訓練所で若者達は訓練され、

そして軍隊は現在この鍛錬訓練所の成果を認 め、感謝している」(ナインハウス軍医大尉)

28)「青年の戦闘力を強める多様な企画を行う国 防鍛錬所は最も大事である。ここで提供され る訓練は国防軍とヒトラー・ユーゲントとの 共同の仕事である。こんにち軍隊とヒトラー・

ユーゲントは緊密に結びつき、ヒトラー・ユー ゲントの軍事予備鍛錬が兵役義務の最善の準 備だと確信し緊密な協同活動を行っている」

(ロッツェル大尉)29)

 国防鍛錬所とともに国防鍛錬はさらに組織 活動でも行われた。組織活動は次のことによ り充実化の機会となる。国防鍛錬所を修了し たヒトラー青年は多くの場合、召集前のある 期間を自由に使える。その時に彼らは獲得し

た知識と経験をヒトラー・ユーゲント全体の 活動のために生かすことが出来る。この方法 で国防鍛錬所での活動は、そこで得た多くの 成果以一ヒに広範囲の効果を得る。

 特別隊

 ヒトラー・ユーゲント特別隊は、戦争とと もに生まれた新たな諸施設ではない;彼らの 創設時期は戦争開始前であり、一部分は権力 獲得前である3°)。それらは、若者達のグライ

ダー、モーターバイク、カッター、ヨットの 楽しみと機械操作への強い関心から生まれた。

指導部は若者の楽しみと国防の必要に十分考 慮して、この盛り上がりをスポーツ競技、航 空、機械・技術の熟達に誘導した。戦争中に、

航空・モーターバイク・水上スポーツ、通信 の訓練と共に特別隊に主に課題が与えられた。

それは、戦争にふさわしい国防軍の一部そし てその特殊部隊に完壁に訓練された後継者を 供給すること、すなわち、戦争の必要を考慮 して当然、特別な意味を付け加えている航空・

通信・モーターバイクそして海洋ヒトラー・

ユーゲントの課題である。帝国のためにヒト ラー・ユーゲントで活動する男子青年の35 パーセントが組織されることにより特別隊が 強化された。それは該当する部隊とその経験 から国防軍が必要としていることに大体即応

している。

 実際に兵士になってからはどうなのか?

特別隊にいたヒトラー青年には、彼が受けた 予備教育に応じた兵科でも活躍したのかとい う質問は重要である。それにたいしてはまず、

海洋ヒトラー・ユーゲントと武装SSの後継者 である巡察隊員は、必ず海軍あるいは武装SS に入ると言ってよい。なぜなら、この部隊は 志願兵からのみなるからである。そのほかに 次のことが言える;帝国青少年指導本部は特 別訓練をする国防鍛錬所で1942年来、従来 の試験を戦争の必要に応じて改変しより良く した。それにより、従来の資格証明、A−,B−

,C各証明書は、戦争にふさわしく修正され、

今ではA(K)一,B(K)一とC(K)証明書になった。 B 資格試験に合格したそのヒトラー青年は、「航 空」あるいは「海洋」人口に数えられ、それ

にふさわしい軍隊に招集される。すべての青

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年は、ヒトラー・ユーゲントから訓練実行証 をもらう。そのなかに一般的なヒトラー・ユー ゲントか特別隊所属か、また訓練種別と合格

した試験の種類が記載されている。この訓練 実行証は、徴兵検査の際に提示され、所属部 隊決定と青年の希望を考慮するための資料と なる。訓練実行証は、徴兵検査でヒトラー・

ユーゲントの能力証明だけで発行される場合

もある。

 地区指導部は国防軍補充部と国防軍地区司 令部と緊密な接触を保つ。しばしばヒト ラー・ユーゲントは徴兵委員会に招かれ、訓 練の問題、予備士官志願者であるヒトラー・

ユーゲント指導者の選抜、虚弱な体ゆえの猶 予、遅い徴兵などについて徴兵検査官と協議

する。

 ヒトラー・ユーゲント特別隊に中途入隊す る普通のヒトラー・ユーゲントの若者は、い ずれかの特別隊に所属する。特別隊がない地 区のヒトラー・ユーゲントでも、特別隊員に なることができる珊。この可能性を、彼等の 組織の指導を中断したくないヒトラー・ユー ゲントあるいはユング・フォルクの指導者も 持つ。彼等はその場合担当部署に申請し、登 録されそして居住地に近い特別隊に配属させ られる。しかし、かれらはその特別隊に所属 するのではなく、所属していた組織にとどま

り、引き続きその活動を行う。すなわち、特 別訓練は訓練教材、特に関係参考書の独習に

よって行われる。その後、特別訓練の講習と 実習に参加する。この指導に責任を持つ特別 隊は、この外部の隊員の訓練状況を監督する。

この隊は注意深く彼等の自主的な学習に助言 し、訓練教材、文献などの調達の際に援助し、

特別訓練に関係した見学、映画鑑賞、講演な どの行事に参加させる。

 特別隊はいままで独自の国防鍛錬所を持た なかった。正確に言うと、二、三の鍛錬所に は航空、モーターバイクあるいは通信ヒト ラー・ユーゲントの60人からなる集団が組織 された。例外が、最初から海洋ヒトラー・ユー ゲントと特別の国防鍛錬所になければならな かった。なぜなら、海兵訓練に必要な場所と 設備のゆえに普通の国防鍛錬所に置くことが 許されなかったからである。1943年の末には、

航空ヒトラー・ユーゲントにもまた独自の国 防鍛錬所が設けられた32}。

 特別隊にとっても射撃と野外演習という一 般訓練は重要である。そのうえに、訓練の終 わりに特別隊に必要な試験を受けれられるよ うに、特別な訓練が行われる。

航空ヒトラー・ユーゲント

 1940年3月19日に,戦争の特殊な必要性 にあわせた航空ヒトラー・ユーゲントの訓練 のため、航空省と空軍最高司令官によるナチ ス飛行士団総裁と文部大臣及び帝国青少年総 裁の全権代表との協議により訓練計画が合意 された。その目的は、航空部隊の後継者の予 備訓練とエリートとして空軍に必要な数の若 者の組織化にある。それは最年少の模型飛行 機作り33)から次のグライダー訓練をへて航空 隊の若々しい、鍛錬された兵士になる道であ る。この訓練は、ナチス空軍と調整したナチ ス飛行士団によって行われる34}。この原則か らなおより緊密な協同の必要性が生まれたた め、ヒトラー・ユーゲントとナチス飛行士団 との新協定が結ばれた。それにより、ユング・

フォルクとヒトラー・ユーゲントにおける空 軍のパイロット後継者の組織化と確保、指導 と教育、世界観教育と体育ならびに射撃訓練 と野外演習がドイッ帝国青少年総裁の責任と なった。パイロット訓練をナチス飛行士団が 遂行する。すべての関係規則と決定はこの両 組織が協議して布告される。航空ヒトラー・

ユーゲントの訓練は模型飛行機作り、グライ ダー組立、航空理論教育、航空無線とグライ ダー訓練からなる35)。

 航空無線士養成は1940年2月に航空ヒト ラー・ユーゲントで始められた36)。それによ り、ヒトラー・ユーゲントは空軍の緊急な要 請にこたえた。航空無線士訓練者は志願によ

り集められた。彼らは無電操作と無線電信理 論の授業を受ける。航空省により作成された 訓練計画では、到達点として、一分間に最低 60の文字・数字・句読点の完壁な打電と受信 を要求している。訓練は最後に修了試験があ る。その試験は空軍、ナチ飛行士団とヒト ラー・ユーゲントの代表の前で執行される。試 験に合格した者は、ナチ飛行士団発行の無線

6

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証を受け取る。これは徴兵検査の際に提示さ

れる。

 航空省の操縦士予備学校で職業訓練を受け る操縦士後継者の選抜と教育は、最初から航 空ヒトラー・ユーゲントが貢献した。航空大 臣、空軍最高司令官と帝国青少年総裁の間で は、後継操縦者の訓練と教育についての協定 が作られた。それによって、航空ヒトラー・

ユーゲントは今まで以上の規模でその若者に 影響を及ぼすことが出来る37)。第一にヒト ラー・ユーゲントは学校に受け入れるべき生 徒の選抜に参加する。生徒達は航空ヒトラー・

ユーゲントの寄宿舎に入れられ、ゲフォルク シャフト団(400人から600人規模)とシュタ メン団(3ないし4ゲフォルクシャフト団から なる)をつくる。操縦訓練以外の寄宿舎教育 と隊指導は、航空省との協議で帝国青少年指 導本部により動員された航空ヒトラー・ユー ゲントの指導者により行われる。航空ヒト ラー・ユーゲントに対し一般的に適用される 空軍兵士に必要な課題が、寄宿舎で強力に遂 行される38)。航空ヒトラー・ユーゲントの寄 宿舎39)は帝国青少年指導部に直接従属する。

 戦争のために重要な課題としてさらに、ヒ トラー・ユーゲントには航空大臣と空軍総司 令官の指示により空軍の士官候補者を確保す

ることがある。この候補者は航空ヒトラー・

ユーゲントから優先的に確保される4°}。

 1943年5月には、有名な戦闘機乗り、柏葉 型勲章所持者マヨー・ディックフェルトが航 空大臣と空軍総司令官により帝国青少年総裁 の全権代表に任命された。同時に彼の指導の 下に、航空省に「空軍後継者」特別局が作ら れた。それは、空軍後継者のあらゆる問題、

なかんずくヒトラー・ユーゲントとの共同を 中心的に取り扱う。このほかに、彼は帝国青 少年指導本部の航空ヒトラー・ユーゲントの 中央幹部であるハオプトバーンフユーラーに 任命された。この空軍後継者確保のためのす べての力の集中化において、空軍とヒト ラー・ユーゲントとの優れた協同だけではな

く、共通の課題の解決のため両者により認め られた重要さが示されている。

 空軍の後継者を確保するという戦争のため の条件、特にそこからの要求は、航空ヒト

ラー・ユーゲント独自の国防鍛錬所設置に導 いた。そこでは、前線の経験が要求している ような特別訓練とともに軍事予備基礎訓練が、

すなわち飛行訓練と通信訓練が行われている。

現在存在する無線と飛行が混合した国防鍛錬 所はしだいに若者で満たされている。ここで は、1943年12月31日までに1,064人がナチ飛 行士団無線証、5,201人が航空無線士徽章を得 た。1942年に初めて航空ヒトラー・ユーゲン ト独自の「帝国競技」がウイーン近郊のバッ ド・ベスラウで行われた41)。1943年にはすべ ての訓練部門は、帝国元帥の代理であるガー ランド少将出席の下でクヴェドリンクブルク で行われた帝国競技に統一された。

帝国元帥は最高のグライダー操縦者に優勝旗 を授与した。

 海洋ヒトラー・ユーゲント

 海洋ヒトラー・ユーゲントの訓練計画に とって、戦争で呼び起こされ、平時と異なる 決定的な変化が生まれた。戦争前には若者は 海洋ヒトラー・ユーゲントに4年から4年半所 属していたが、この時代には帝国労働奉仕と 国防軍への早期の召集により2年3ヶ月から2 年9ヶ月に短縮されている。その結果、試験の 条件は簡略化され、数の上でも減少した42>。ヒ トラー・ユーゲントの海洋スポーツ徽章は廃 止され、新しい試験は、海洋スポーッ試験A

(K)、B(K)そしてC(K)となった。訓練の目標は、

A(K)試験の受験である。

 海軍の予備訓練は、海洋ヒトラー・ユーゲ ントの12の国防鍛錬所で行われてきた。その ほかに、戦争前に広く知られていた海洋ス ポーツ学校が戦争のなかで二校新設され、

1943年にすべて海洋ヒトラー・ユーゲント帝 国訓練所に改称された。この訓練所の目標は、

海洋スポーツ試験B(K)合格である。この訓練 所のうち、4つは海軍士官養成のためにあり、

他と同様に海洋スポーッ試験B(K)合格がめざ される。隊指導者は、この訓練所で前記試験 中C(K)に合格する43)。そのほかに、夏の間指 導者教育が海軍練習船「ゴーホ・ホック」で 行われる。

 戦争に重要な意味を持つ課題は、海洋ヒト

ラー・ユーゲントにおける、部分的には国防

鍛錬所で行われる海軍無線訓練である44)。海

(8)

軍の無線活動の利益と海軍兵士の資質にふさ わしくなろうとする全ての若者は、海軍無線 の訓練を受けることが出来る。これは海軍の 活動であり、ヒトラー・ユーゲントと共同し た海軍の通信兵のための予備軍事専門教育の 課題である。海洋ヒトラー・ユーゲントで無 線のための僚友がつくられる。入隊は一般的

にヒトラー・ユーゲントのユング・フォルク 終了の際に行われるが、それは満14才で可能 となる。訓練は、発信、受信、解読と機械操 作ならびに通信技術(修理)からなる。目標

は、海洋スポーツ証明書(SFZ)にある。 SFZ 所持者は、海洋人口に属し海軍の無線兵士と

して入隊させられる。SFZ所持の海洋ヒト ラー・ユーゲントの無線通信士はヒトラー・

ユーゲントの無線の為の僚友訓練のため海軍 通信学校に抜擢される。学習材料、学習室と 訓練指導者の準備は海軍の役割である。

 海軍の必要は毎年はじめ帝国青少年指導本 部に報告され、充足のために調達される45)。海 洋ヒトラー・ユーゲントの通信士は特別な徽 章をつける。僚友活動は帝国青少年本部の夏 季・冬季活動計画により行われる。それは、海 洋ヒトラー・ユーゲントの別の隊と同様であ る。特別訓練として無線訓練が行われる。1944 年中に通信学校開校が計画された。

 毎年海洋ヒトラー・ユーゲントの帝国競技 が行われ、そこに地区競技の勝利者が参加し ている46)。昨年その帝国競技は、シュトラー ルズンドで開催された。規則に従い海軍の高 級将校がそれに参加している。1943年には海 軍最高司令官であるデーニッツ元帥が臨席

し、帝国青少年総裁とともにヒトラー・ユー ゲントに訓話を行った。

 国防鍛錬所と帝国訓練所で1943年に、

16,718人がB(K)海洋スポーツ試験に、2,684人 がC(K)海洋スポーツ試験に合格した。

1)Kriegsausbildung der Hitler−Jugend im Schies− und  Gel琶ndedienst. Ausgabe 1940.Mit Auszug aus  HJ im

 Dienst und Neugliederung der Gefolgschaften,

 Scharen und Kameradschaften im Gcltindcdienst,

 Berlin 1940. S.7f.

2)Vgl. RB,11K,10.ll.1939(Befehl des StabsfUhrer der  HJ Uber die vorrangig durchzufiihrende K。Ausbildung

 der 16−bis 1 8j i rigen Hitle!jugen).

3)Vg1。 dazu dic Anwcisung Ubcr das Jahrcsprogramm  der Kriegsausbildung der l 6−bis 1 8ji rigen Hitler−

 jungen im Shies−und・Geltindedienst.

4)Vgl. RB,4/IV, 3.2.1939,(Vereinbarung zwischen dem  OKW, Keitcl, und der ReichsjugcndfUhnng, Schirach,

 廿ber die Ausbildung der gesamten FUhrerschaft auf  allen Gebieten der WersrtUchtigung in besonderen  Schulungslehrgangen ,,20.1,1939); vgl,auch die  dazugeh6rigen Durchfiihrungsbestimmungen, in:RB,

 24/1V,30.6.1939, und RB,27/1V,5.8.1939.

5)Vgl. Gebrdschr. RJF,3/41,15.1.1941(Anordnungen  des Reichsjugendfiihrers zur WehrertUchtigung der HJ  und zur Einrichtung von Reichsausbildungslagem),

 und ebenda,10/41,24.3.1941(DurchfUhrungs−

 bestimmungen zu den Anordnungen des Reichs−

 jugcndfUhrers im Gebrdschr. RJF,3/41,15.1.1941),

 vgL auch die im Original im HVOBI., T. B Ausg。59,

 ll.10.1940, BI.22, Z£581,veraffentlichte  Anordnung des Chefs der Heeres−Rtistung und  Befehlshabers des Ersatzhccrcs dcs OKH Uber  Lehrgange fur die WehertUchtigung der HJ und die  Einrichtung von Reichsausbildungslagem,2.10.

 1940).

6)Vgl. Gebrdschr RJF,3/41K,15.1.1941(Anordnung  des ReichsfUhrers Uber die EinrictUng von Rcichsaus−

 bildunglagern),

7)Vgl. ebenda(Anordnung dcs RcichsjugcndfUhrcrs Ubcr  dic sofbrtige Umbencnnung des bisherigen Amtes fUr  k6rpcrliche Emichtigung in Amt fUr Wehremhchtigung  dcr HJ).

8)Vgl. hier besonders Gebrdshr RJF l O/41,24.3.1941 9)Vgl. Gebrdschr RJF,9/42,29.3,1942(Bekanntgabe  dcr F廿hrerentscheidung zur Einrichtung von  WehrtUchtigungslagern durch den ReichsjugcndfUhrer  und EinberufUngsbefbhl fUr den gesamten Jahrgang  1924zur Wehrert廿chtigung, zun乞chst in vom RAD  bcreitgestcllte Arbeitsdienstlager), sowic RB,9/42K,

 1.4.1942,und Gebrdschr RJF,10/42,13。4.1942  (ErlaB des ReichsjugendfUhrers zur Einberufung des  互ltesten Jahrgangs der Hj in Wehremichtigungslager  unter Bezugnahme auf einc Anordnung Hitlcrs sowie  Aufruf des ReichsjugendfUhrers aus AnlaB der  EinrichtUng von WehrertUchtigungslagern);vgl. auch  Gebrdschr. RJF,18/42,20.7.1942(EinberufUng des  Jahrgangs 1925 zu Wehrertiichtigungslagern).

10)Vgl. Akten der Partei−Kanzlei, MF 42, BL l O l O6216

 ff.(Lammers an Axmann,19.5.1942).

11)VgL ANBI.,1941,S。155(ErlaB des JugendfUrers des

 Deutschen Reichs Uber vormilittirische

 Wehremichtigung der HJ, L l l.1941), und RB,43/

8

(9)

  41K,29.11.194i(Bckanntgabe der Anordnung des   Chcfs des OKW Uber dic Vcrcinbarung dcm OKW   und der Reichsjugcndfdhrung Ubcr dic Zusammcn−

  arbcit bci der votmilitarischen ErtUchtigung der HJ,

  22.10.1944)

12)この二つの文章は矛盾している。遅くとも1942   年末には、国防鍛錬所のヒトラー・ユーゲント    は機関銃・大砲と歩兵用小火器の訓練を受け

   た。

13)Vgl. RB,34/41 K,17.9.1941(Andcrung dcr   Ausbildungsvorschriften fUr den Schies−und

  Gel註ndcdicnst);vgl. dazu auch RB,45/1,19.12.1936   (Anweisung des Amtes fiir k6rperlichc Schulung Uber   die Sicherheitsbestimunngen beim KK−SchieBcn),

  RB,2/IV,20.1.1939(Anweisung des Amtes fUr   k6rperliche Ertuchitugung mit Bczug auf die am 30.

  7.1937vom StabsfUhrer erlasscnc Anordnung Uber   Sicherheitsbestimmungen beim FUhrcn von

  SchuBwaffen), RB,9/42 K.1.4.1942(Anweisung   des Amtes fur WehrcrtUchtigung Uber Sicherheits−

  bestimungen beim KK−SchieBen sowic Ubcr dic Auf−

  bewarung und den Transport von Waffen), Gcbrdschr.

  RJF,16/42,1。7,1942(Anordnung des Amtes fUr   WehrertUchtigung zur Einhaltung der Sicherheits−

bestimmung bei der Durchftihrung des SchicBdienst).

14)Vgl. ErlaB des ReichsarbeitsfUhrers,9.3.1942, vw   III 11040−1050/42,[die Originalquelle konnte nicht   ermittelt werden]

15)Vgl. dazu Gebrdschr. RJF, I O/41,24,3.1941   (Anordnung des Amtes fUr WehrertUchtigung zur   EinrichtUng von Schulungen fUr K−Ubungsleiter durch   von der Wehrmacht beurlaubte HJ−FUhrer), Gebrdschr.

  RJF,15/41,12.5.1941(Anweisung des Amtes f篭r   WehrertUchtigung Uber die Ausbildung der K−

  Ubungsleiter), ArHJ,15/41,15.7.1941(Durch−

  fUhrungsbcstimmungen zur Ausbildung von K−

  Ubungsleitern fUr den SchicB−一 und Gelandedienst der

  HJ).

16)Vgl. Gebrdschr. RJF,11/42,28.4.1942, und   Gcbrdschr. RJF,14/42,11.6.1942(DurchfUhrungs−

  bestimmungen des Amtes fUr WehrertUchtigung zur   Erfassung und Einberufung zu den Wehrcr−

  tUchtigungslagern und zur diesbezuglichen Er−

  zwingung der Jugenddienstpflicht).

17)Vgl. ANBl.,1942, S.69(ErlaB des JugendfUhrers des   Deutschen Reichs hber die Lehrg註nge飾dic Wchrcr−

  tiichti gung in den Wehmichtigungslagern der HJ,27.

  5.1942).

18)VgL Gebrdschr. RJF,10/42,14.4.1942(Au fruf des   ReichsjugendfUhrers aus AnlaB der EinrichtUng von   Wehmichtigungslagem);vgl. auch ANBI.,1942, S.76,

   102(Erlasse des Gencralbsvollm註chtigcn fUr den    Arbeitseinsatz Ubcr dic Gcw五hrung von Urlaub fUr    berufstatigc Jugcndliche zur Teilnahmc an

   WchrcrtUchtigungslagcm dcr HJ,28.5.1942,24. 6.

   1942)

19)VgL MBIi V,1942, S.1258,蓋763(Rundcrlas dcs    Rcichsministcrs dcs Innern  ber Wehrtiichtigung,hicr:

   Urlaubsgcwtihrung nur fUr Wchremichtigungslager,

   30.5.1942);vgl. auch ANBL,1942, S 94(Bckannt−

   gabe eines Erlasses des Reichswirtschaftsministers    vom l l.6。1942 Ubcr dic Koopcration der Wirtschaft    mit den HJ−Dicnststcllcn, Ubcr verkUrzte Lehrzeiten   und die Gewakmng von Urlaub zur Teilnahmc an HJ−

   Lehrg且ngen,1.7.1942),

20)Vgl. Dtsch. Wiss., Erz. u. V61ksbldg.,1944, S.3

   (RunderlaB des Reichsministers fUr Wisscnschaft,

   Erziehung und Vblksbildung Uber dic Beurlaubung   vom Schulunterricht f直r Zwecke der HJ,19.11.43);

  vgl. auch ANBL,1942, S.75(Anordnungen der   ReichsjugendfUhrung Ubcr lchrgtinge f r

  Wehrer皿chtigung);Dtsch. Wiss., Erz』. Vblksbldg.,

   1942,S.209(RunderlaB des Reichsministers fur   Wisscnschaft, Erziehung und Vblksbildung Uber   Wehrertij.chtigunglager der HJ,26.5.42)

21)Vgl. MBIiV,1942, S l258ff.(RunderlaB dcs   Reichsministers des Innern Uber WehrertUchtigung,

  hicr:Erfassung dcr betreffenden Jahrgange durch   Datenweitergabe an die HJ−Dicnststcllcn,30.5.

   1942);vgL auch Gebrdschr. RJF,14/42. l l.6.1942   (Bckanntgabe des Stabsf直hrers Uber eine Verf蔵gung   des OKW Ubcr die Einberufung von Mitgliedern der   HJ zur WehrertUchtigung allein durch HJ scIbst Und   Uber die Gewtihrung von Einsicht in die Musterungs−

   listen der Wehrmacht durch HJ−Dienststellen)

22)Vgl。 ANB1.,1941,S.27(ErlaB des Reichsminister des    Innern Uber die Ancrkcnnung der Lehrgange fUr    WehrertUchtigung nach dem Gesetz Ubcr die Beur−

   laubung von Angestellten und Arbeiten fUr Zwecke    dcr Lcibcscrziehung vom l 5.2.1935,bekanntgegeben    durch die ReichsjugcndfUhrung,22.3.1941).

23)Vgl. RB,23/41 K,19.5.1941(Dienststrafbrdung der

   Hitler− Jugend fUr die Dauer des Krieges, Neufassung,

   in der durch dic Anordnungen des Reichsjugend−

   fUhrers 4/42 und 8/42 im RB,1/42K,25.1.1942,

   ver乞nderten Fassung).

24)Vgl. dazu RB,26/IV,14.7.1939(Anweisung des    StabsfUhrers Uber die Durchf廿hrung der    Weltanschaulichen Schulung auf Weltmachts−

   lehrgangen);RB,28/1V,11.8.39(Anordnung dcs

   amtes fUr weltanschauliche Schulung Uber dic

   DurchfUhrung von Heimabenden auf Wehrmachts一

(10)

  lehrgangen);Gebrdschr. RJF,16/42, L 7.1942   (Anordnung des Amtes fiir wcltanschauliche Schulung   Uber die weltanschauliche Schulung in den Wehrer−

  dichtigungslagern).

25)この数には、修了前に病気あるいは空襲の防空   活動のために訓練不能にされた国防鍛錬所員も   含まれている。.

26)帝国訓練所は、地区ではなく帝国青少年指導本   部に管轄される。それは例えば、ゲルマン青年   のための、民族上のドイツ人移住者(1937年当   時のドイツ国境外に住んでいた外国籍ドイツ人   の移住者)のため、あるいは山岳訓練のための    ような特別な教育課程を持っていた。

27)Steiner Gencral−Anzeiger,5.9.1943 28)Rheinisch−Westfdlische ZeitUng,4.9.1943.

29)Danziger Vorposten,4.9.1943

30)Vgl, die AusfUhrungen zu den Aufgabe der HJ−

  Sondereinheiten Marine−HJ, Motor−HJ,Flieger−HJ und   Nachrichten−HJ, in:Denckler, Heinz:Aufbau und   Abzeichen der HitlerJugend, Berlin April l940,

  abgedruckt auch in:VHB, S.1277 ff−

31)Vgl. RB,43/43 K, 7.12.1943(Bestimmungen uber dic   Zugeh6rige zu Sondereinheiten der HJ).

32)Vgl. RB,8/44 K,26.2,1944(Vereinbarung zwischen   NFSK, Keller, und ReichsjugendfUhrung, Axmann,

  Uber Wehrertiichtigungalager ftir die Flieger−HJ)

33)Vgl. dazu VOBL,V/23,15.10.1937(Anweisung des   Amtcs fUr k6rperliche ErtUchtigung Uber dic   Ausbildung im Modellbau und Modellfiiegen in den   Modellbauarbeitsgemeischaften des Deutschen   Jungvolks zur Sicherung geeigneten Nachwuchs fUr   die Flieger−HJ);RB,12/41 K,7.3.1941(Anweisung   des Amtes ftir WehrertUchtigung Uber den   Ausbildungplan fUr Modellfluggruppen des   Deutschcn Jungvolks).

34)Vgl. Ausbildungsvorschrift fUr die vormilittirischc   Ausbildung im NS−Fliegerkorps, Berlin 1940.

35)Vgl. RB,38/41 K,20.10.1941(Vereinbarung zur   Zusammenarbeit zwischen HJ und NFSK zur   Sicherung des Luftwaffennachwuchses,155.1940);

  vgl. auch ebenda(Ausfiihrungabestimmungen Uber die   Zusammenarbcit von HJ und NFSK, betreffend   Organiation, fliegerische und fiiegertechnischc   Ausbildung,9.10.1941);vgl. auch Anordnung des   Stellvertreters des FUhrers Uber die zusammenarbeit   von NFSK und Parteiorganisationen,31.8.1937, in:

  VHB, S.1356 f.

36)Vgl. RB,28/K,12.2,1940(Anordnung Uber die

  Ausbildung von Bordfunker−Nachwuchs fUr die   Luftwaffe), erganzt durch RB,69/K,2.12。1940   (Anordnung Uber Freiwillig fUr die Bordfunker−

  Laufbahn der Luftwaffe);vgl. auch】剛362贋(,28.10.

  1940(Anordnung Uber Freiwillige fiir die Bordfunker−

  Laufbahn der Luftwaffe);vgl. auch RB.62/K,28.10.

  1940(Anordnung Uber die Erfassung des Jahrgangs   1925 fUr die einji rige vormilit註rische Bordfunker−

  ausbildung in der Flieger−HJ).

37)Vgl. RB,23/43 K,8.6.1943

38)Vgl。 dazu RB,32/K,27.3.1940(Anweisung des   Amtes fUr k6reperlich ErtUchtigung Uber die Dienst−

  pflicht der Angeh6rigen der Flieger−HJ in der Luft−

  waffe).

39)はじめ、この寄宿舎は「航空ヒトラー・ユーゲ    ント寄宿舎」(Wohnheime der Flieger−Hitler−

  Jugend)と呼ばれたが、現在(原稿執筆時一訳者)

  は「航空ヒトラー・ユーゲント訓練寮」

  (Ausbildungsheime der Flieger−Hitler−Jugend)とい    う名称を使っている。

40)Vgl. RB.14/41K,14. 3.1941(Vertrauliche Anweisung   des RcichsjugcndfUhrers Uber die Sichcrstellung des   Offlziers nach wuchses der Luftwaffe).

41)Vgl. dazu Sportnachrichten RJF, Nr.23,15.5.1942   (Aussch rcibung des Reichswett kampfes und der   Gebiestswattkampfe der Flieger HJ).

42)Vgl. PrUfungsheit fiir das Seespotabzeichen der HJ,

  auch in:VHB, S.1425ff.

43)Vgl。 dazu Gcbrdschr. RJF,7/42,1.3.1942(Anweis㎜g   des Amtes飾Wehrert負chtigung zur Ausbildung von   FUhrern der Marine−HJ in Reichsseesportschulen)

44)Vg1. RB,39/43 K,4.11.1943(Vereinbarung zwischen   der  Reichsjugendftihrung und dem Obcrkommando   der Kriegsmariene Uber,die Zusammenarbeit in der   vormilittirischen Funkausbildung fUr die Kriegsma−

  rine,16.7.1943):vgl. auch RB,11/42 K,28.4,1942   (Vereinbarung der ReichsjugendfUhrung mit dem   Oberkommando der Kriegsmarine Uber die Zu−

  sammenarbeit in der vormilitarischen Funkeraus−

  bildung fUr die Kriegsmariene,25. 3.1942)

45)Vgl. dazu RB,30/K,8,3.1940;RB,33/K,2.4.1940:

  ANBI,,1940, S.39−41(Vereinbarung zwischen dem   Oberkommando der Kriegsmarine und Rcichsjugend−

  fUhrung Uber die Marine−HJ, 252.1940)

46)Vgl. dazu Sportnachrichten RJF, Sondernummer 30,

  25.7,1942(Ausschreibung der ReichsjugendfUhrung   zum Reichsseesportwettkampf 1 942 der Marine−HJ)

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