戦前期作成の住宅地図類に関する一考察
山 田
誠
1.はじめに
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1
(平成1
3
)
年度からの4
年間,筆者は科学研究費補助金の交付を受けて, 数名の共同研究者とともに近代日本の大縮尺都市図に関する基礎的な研究に従 事した。その結果は研究成果報告書として印刷し,地理学関係の主要研究室等 に配布したほか,学会での口頭発表や論文の形でも公表するところがあった。 ただ,この研究については,上記の成果公表のいずれにおいても十分に論じる ことのできなかった部分が多く,そのため補足調査とその成果の発表の機会を 長らく望んでいた。今回の小論は,その後の補足調査によって明らかにするこ とのできたいくつかの事実について,戦前期に作成された住宅地図類を主な対 象として紹介するとともに,若干の考察を加えようとするものである。 上記の科研費による研究の際,筆者は近代日本の大縮尺都市図を大きく次の 8つのジャンルに区分して論を進めた。1
)内務省作成の5
,0
0
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分のl
図2
)陸地測量部作成の大縮尺地形図 3 )商工案内図4
)地籍図系の図5
)都市計画図 6 )住宅地図 7 )火災保険図 8 )その他の地図 この分類については,筆者自身,今日では多少の修正の必要性を感じている が,ここではその点については不問とし,当面この分類を用いることとするo そして今回は,明らかに住宅地図と判定すべきもの(上記の6
)に加えて,厳 密には商工案内図(上記の 3)や地籍図(同 4),火災保険図(同 7) など他 のジャンルに属すると考えられる図についても,それらの一部に住宅地図的な - 8 -龍谷大学論集情報が含まれているものがあることから,それらをも含めて考察の対象とする こととしたい。
2
.住宅地図とそれに準じる地図について
今日の日本では,住宅地図と総称される地図帳がほぼ全国について作成・販 売されている。北九州市に本社を置いて大判の地図帳を刊行する株式会社ゼン リンが全国展開しているほか,地域密着型の出版事業を行っている業者も各地 に点在している。また,このような地図帳形式のもののほかに,町内会など小 地域単位の1
枚ものの住宅地図も多くの地域で作成されている。この1
枚もの 地図は各世帯に無料配布される場合も多く,その存在は広く知られていると言 ってよい。住宅地図は,学術的な調査・研究に利用されることも無論あるが, 民間企業の事業用や行政実務上の利用の方が,おそらく過半を占めているので はないかと思われる。 こうしたことから,住宅地図とはどのようなものかという点については,こ こで改めて言及する必要はないとも考えられるが,最低限の情報についてのみ 比較的新しい地理学辞典である『最新地理学用語辞典・改訂版』の記述に基づ いて確認しておきたい。これによれば,住宅地図とは「大縮尺(1,5
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分のl
前後)で個々の世帯名や建物名を詳しく記載した地図」と定義され,「玄関に 表札を掲出するのが一般的な日本において,独自の発展を遂げた」とされてい る。諸外国とりわけ欧米では,こうした種類の地図は居住者のプライパシーを 侵害するものとの考え方が一般的であり,そのため住宅地図が作成・刊行され ることはまずないと言われる。 日本で住宅地図の刊行が活発化するのは,1
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年代前半のこととされている。 いわゆる六大都市や広域中心都市と位置づけられる都市のほとんどでは,その 時代までに住宅地図の作成・刊行が始まっているo ただ,それ以前,とりわけ 戦前期となると,住宅地図はごく限られた範囲でしか作成されなかったという のが一般的な理解である。そして,その作成主体としては都市内部の町内会が 指摘されることもある。しかし次章でも記すように,すでに一部の都市では, 全市をカバーする住宅地図が,専門的地図作成業者と称して差し支えないと考 えられる業者の手によって作成されていたことも知られるのである。本稿の主 目的は,これらの事情を解明する点にある。 次に,住宅地図そのものとは言えないにしても,住宅地図に準じるものと考 えることのできるいくつかの地図群について,簡単にふれておきたい。まず商工案内図については,東京を活動の舞台とした木谷佐ーとその家族に よって,東京交通社名義で1920年代から戦後の1950年代まで作成・刊行され続 けたものが,量的にも圧倒的に多く,最も重要と思われる。またそれ以外にも, 多くの作成主体によって,近代のかなり長い期間を通じ,全国各地の都市で作 成・刊行された。もとより,商工案内図は何らかの事業を営んでいた者だけが 掲載されているものであり,居住者すべてを網羅しようとするものではない。 それだけではなしこの種の地図については,作成当時の当該都市の全商工業 者の中でどの程度の割合の業者が掲載されているのかということの評価が難し く,筆者もその点に関して現時点で確言することはできない。ただ,掲載率が かなり高そうだと判断される商工案内図については,少なくとも都心部に関す るかぎり,住宅地図に相当程度近似する性格を有していたと見なすことも許さ れると考える。 次に地籍図系の図とは,公的機関に備え付けられた地籍図(土地台帳付図, 公図)をベースとして民間で編集・刊行された,土地宝典,地籍地図などと称 される地図のことである。この種の地図は,早いものでは明治前半期にも作成 例があるが,宅地地価等級の抜本改正が行われた1910(明治43)年前後になる と,東京・横浜・大阪・京都などの大都市で相次いで刊行されることとなった。 この時期のこれらの地図の多くは, 1筆ごとの土地所有者(居住者とは限らな い)の名が別冊の名簿資料において明示されており,住宅地図や商工案内図と は異なるものの,それらを補う資料と位置づけることが適切である。近年,東 京,大阪,京都の地籍図系の図が相次いで復刻されているのは,この種の資料 の有用性を物語るものであろう。また都市伝よっては,大正期から昭和戦前期 にも地籍図系の地図帳が刊行された例があり,それらの中には図中に営業者や 居住者の情報を盛り込んでいるものもある。つまり,地籍図と商工案内図の両 方の機能を兼ね備えた資料ということになる。 最後に火災保険図は,火災保険の料率算定のための基礎資料として作成され たもので,欧米ではサンボーン社のものを初めとして広く普及しているo 日本 では1920年代後半から戦後にかけて沼尻長治によって作成された火災保険特殊 地図(火保図と略称)がよく知られており,その中には各住宅の居住者名がー すべてであるか否かはともかく-表示されたものもある。また火災保険図には 沼尻以外の作成主体によるものも存在したようであるが,それらの実態の解明 は今後の課題として残されている。 - 10ー 龍 谷 大 学 論 集
3
.
戦前期作成の住宅地図類の諸事例
本章では,筆者がこれまでに知ることのできた戦前期作成の住宅地図類につ いて,それらの書誌事項を略述するo記載に当たっては,比較的多くの図の存 在を確認できた北海道と東京についてはそれぞれ節を設け,それら以外の府県 に属する都市の図については,その他として北から南への地域順とする。作成 年次順ではないことに注意されたし弘(
1
)北海道 北海道の諸都市については,1
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年代から3
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年代にかけて,かなりの数の住 宅地図が作成・刊行されている。とりわけ,今日もなお市制施行に至らない程 度の小規模な中心地についても,住宅地図と商工案内図の中間的な地図がシリ ーズ的に作成・刊行されている点を,他の地方とは異なる特徴として指摘する ことができる。 札幌 北海道の住宅地図として最初と思われるものは,1
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(大正1
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年刊 行の r札幌市制紀念人名案内図』である。それまで北海道の都市については 「市制Jの適用除外とされ,代わりに「北海道区制」の適用を受けていたのが, この年に制度変更となり,札幌が他の5
都市とともに市制を施行したのを記念 しての出版物である。この図は札幌市中央図書館に所蔵され,天地1
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佃,左 右7&m
という,かなり大判の1
枚ものの地図である。黒と赤の2
色刷であるが, 赤色の使い方はやや控えめで,あまり有効に利用されているようには見えない。 表面の余白には札幌市の戸数・人口に関する統計が掲載されており,また裏面 は商工業者など約8
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軒の広告で埋め尽くされている。本図は,図の表題や, 商庖名・業種名が記されずに姓名だけ記載されるケースもかなりあることから しても,単なる商工案内図ではなく住宅地図に位置づけられるものと考えて差 し支えない。その半面,本図の縮尺は約3
,5
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分のl
であり,狭小な住宅に居 住する世帯についても個別に姓を記載するのは不可能に近いのではないかとの 疑問も抱かざるをえな1,.) 0本図の編集兼発行者は札幌市南5条西4丁目 9番地 在住の笹島 薫という人物で,編者の住所と同一所在地の「スミレ商会J名義 で刊行された。本図に掲載された広告によると,笹島は住所地である薄野地区 などで呉服底を経営しており,スミレ商会も本業は呉服の割賦販売であった。 こうした人物が住宅地図の作成・刊行にかかわった動機などは,残念ながら現 段階では不明である。ただ笹島が地誌ないし地域史に強い関心を有する人物であったことは,彼が本図の作成に先立つ1915年に,佐藤文次郎という人物(経 歴等不詳)と共同で『岩見沢繁昌記』と題する書物を著している事実からうか がえるB 昭和に入って,
r
最新調査札幌明細案内図』と題する地図帳形式の住宅地図 が刊行された。当時札幌に在住していた富樫隆二良の編集で,彼が晴皐社名義 で出版したものである。編者の富樫については,札幌での本図の作成に先立つ て東京で同種の地図を何種類か刊行しているが,それらについては次節や第4 章でふれる。なおこの図の前身ともいうべき図が,富樫自身によって1927(昭 和2
)年に青写真の形で作成されているが,これについては,現時点では都心 部の限られた地区の分が確認できたにとどまり,また正式の名称も不明である。 『最新調査札幌明細案内図』として印刷・刊行されたのは翌1928年であり, さらに1931年になって改訂版が刊行されているロ印刷図としては初版に相当す る1928年版は札幌市中央図書館に所蔵されるもので,今,この1928年版につい て概略を紹介すると,天地55cm,左右40cm,天綴じの冊子体で,表紙(札幌駅 の列車時刻表が掲載されている)に続く 2枚目が索引図(表)と業者の広告 (裏), 3枚目から6枚目は両面とも索引, 7枚目からの28枚が片面の地図と いう構成である。 28枚の地図の内の3面 (No.
1
5,16, 19)は紙の大きさが標 準よりも大きく,折込図となっているo各図の縮尺は1,640分のlと表示され ているものが多いが,周辺部の若干の図は4,500分 の し 6.000分のlなど,よ り小縮尺とすることによって広範囲をカバーしているo価格は1
組5
円である。 この価格は現在の物価に換算すると約2
万円となり,かなり高価なものであっ た。一方,『最新調査札幌明利害内図』の1931年版は北海道大学附属図書館 (北方資料室)に所蔵されている。 1928年版が全28図からなっていたのに対し て, 1931年版は37図とより充実が図られている(定価4円80銭)。この1931年 版に一般の住宅も掲載されていることは,何も事業を営んでいたわけではない 筆者の両親らの当時の住居に「山83Jと記されていることから証明される。お そらく, 1928年版や青写真の1927年版も同様の性格をもつものと思われる。 富樫隆二良はまた,札幌郊外の円山地区や山鼻地区(当時はいずれも札幌郡 藻岩村に含まれていた)についても同種の地図を編集・刊行している。『円山 住宅案内図J (1931)と『山鼻案内図J(1932)がそれで,前者は札幌市中央図 書館に,後者は北海道立図書館に所蔵されている。どちらも天地108cm,左右 78cm前後の大判の1枚もの地図であるo前者の縮尺は明示されていないが約 1,800分のlで,後者は3,000分の1(南部のみ6,000分のlの割図)であり, ー12ー 龍 谷 大 学 論 集より小縮尺の後者については,全世帯掲載ではない可能性も考えられる。札幌 市中央図書館所蔵の『円山住宅案内図』は地区内の小学校に旧蔵されていたも ので,その学校の通学範囲を示す書き込みが見られる。教員による家庭訪問時 などに参照されたものと思われ,これら一連の図の用途の一端を示している。 函館 函館市中央図書館に『函館市宝町恵比須町蓬莱町東川町番地入案内地 図』それに『函館市若松町音羽町高砂町番地入案内地図』と題する
2
枚の地図 (コピー)が所蔵されており,北海道立図書館には『函館市番地氏名消防設備 入詳細地図新川│町大縄町』が所蔵されている。これらはいずれも地元在住の 板摺順ーとし ヴ人物(経歴等は不明)によって,1
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3
年の6
月から1
2
月にかけ て編集・刊行されたものである。どの図にも縮尺は明記されていないが,おお むね1
,0
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分のlないしし2
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分のlという大縮尺の図である。居住者の姓が記 されていない宅地区画も一部に見られることから,完壁な住宅地図とまでは言 えないかとも思われるが,表題からしても居住者名の表示を意図した図である ことは疑問の余地がない。函館市中央図書館所蔵の2
図は,同館の所蔵目録に よれば「電子複写,手書き資料」とされている。複写であることは事実で,そ のため「手書き」の正否について100%
確実なことは言えないが,これら2
図 はともに函館市内所在の佐藤石版印刷所印刷とされていることから,オリジナ ル図が手書きであったとは考えられない。また北海道立図書館に所蔵される r函館市番地氏名消防設備入詳細地図新川町大縄町』はコピーでなくオリジ ナルであるが,これについては印制図であることを確認している。なお上記3 図の内,『函館市宝町恵比須町蓬莱町東川町番地入案内地図』については,吉 村博道撮影『市立函館図書館蔵函館の古地図と絵図附・函館略年表(千代肇 編)J道映写真,1
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8
8
という書物の中にかなり縮小された写真版が掲載されて いる。 苫小牧 すでに札幌の図について名前の出た富樫隆二良は,1
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年に r苫小 牧案内図』を同人の個人名義で刊行している(図1
)。天地7
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,左右1
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8
c
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の 黒 1色の図で,裏面には何も印刷されていなしE。本図には方位や縮尺は明示さ れていないが,縮尺の明らかな苫小牧の地図と比べると,本図の縮尺はおよそ2
,4
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分のl
であることがわかる。当時の苫小牧はいまだ市制施行には至らず, 人口は約2
万人であった。王子製紙株式会社の企業城下町とも言うべき存在で あり,町内には同社の社宅が多数設けられていたが,この図にはこうした社宅 の居住者についてもすべて姓が表示されており,住宅地図としての条件を具備 している。公的な図書館での所蔵は確認できていないが,筆者は本図を古書庖~
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圏直記
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図1 I!ぞ 同 川 寸 l-r
苫小牧案内図J (部分 ,60%に縮小 み,g_ 穂谷大学論集ー
14-から購入することができた。 『苫小牧案内図』が作成されて
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年後の1
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3
4
年に,当時の苫小牧町商工会を 発行者とし,次項で名前の出る福田泉秋を発行人として r苫小牧町案内図』が 作成・刊行された。これについてはいまだ実物を閲覧する機会を得ていないが, 同商工会の後身である苫小牧商工会議所に所蔵されているとのことであり,そ れが『苫小牧市史資料編第2
巻JI(
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7
7
)
の付録として復刻されている。復刻 図のサイズは天地66crn強,左右95cm強である。本図には縮尺は明記されておら ず,また原寸での復刻なのかどうかも不明であるが,仮に原寸での復刻とすれ ば,この図の縮尺はおよそ2
,7
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分のl
となる。この図には,図中の余白部分 に町内の代表的な施設・景観の写真6枚が配されているほか,裏面に苫小牧町 の沿革を記した短い文章や,町勢に関する主要統計,官公署・学校一覧,商工 会の会員名簿(
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2
7
事業所を掲載),さらには有志業者の広告などが掲載されて いる。こうした点は『苫小牧案内図』とは異なるが,地図の全体的なレイアウ トについては両者はきわめてよく似ている。とりわけ,本来なら図郭外になる 周辺地区の住宅地を図の中に割図で表現している箇所は,偶然の一致ではあり えないように思われる。あくまでも推測の域を出ないが,おそらく苫小牧町商 工会は『苫小牧町案内図』の出版に当たって,すでに札幌を離れ秋田に転住し ていたと思われる富樫に対して,何らかの対価を支払った上で, r苫小牧案内 図』を参考にしたのであろう。もしそうでなければ,これは公的性格をもっ機 関である商工会による著作権侵害とされても致し方ないほどの類似である。そ れはともかくとして,ここでは,いまだ市制施行に至っていなかった1
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年代 前半の苫小牧町において,このような住宅地図が2
種も作成されていたことを, 注目に値する事実と評価しておきたい。 その他の中小都市1
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年代末期から3
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年代半ばごろにかけての数年間に, 北海道内各地の約2
0
にも及ぶ中小都市を対象として,「商工案内図以上,住宅 地図未満」と評価するのが適切と判断される図が相次いで刊行された。中でも 北陽社(安田俊平)と交信社(福田泉秋)は,同時期に競ってこの種の地図の 作成を行った点で目を号│く存在である(表 1)。 北陽社は,足かけ 6年の聞に1
0
指に余る作品を矢継ぎ早に世に送った。縦長 と横長の違いはあるものの,寸法・体裁等はどの図も共通しており,長辺7
8
叩, 短辺55cm,表には黒・黄土・藍の 3色刷の地図と余白に写真数点,裏には当該 市町の概要を記した文章と商工業者の名簿(=.:広告)といった内容である。折 り畳んで帯封が掛けられていた点もおそらく全部の図に共通するものであろう。 15表 1 北陽社・交信社刊行の北海道の住宅地図類 名 称 地域 出版社 刊行年 所蔵機関 そ の 他 網走市街明細図 網走 北陽社 1929 道立図書館 美幌市街明細図 網走 北陽社 1929 道立図書館 斜里市街明細図 網走 北陽社 1929 道立図書館 野付牛明細図 網走 北陽社 1929 道立図書館 現北見市 遠軽市街明細図 網走 北陽社 1929 道立図書館 留辺薬市街明細図 網走 北陽社 1930 道立図書館 温根湯市街明細図を併載 現在は北見市の一部 増毛市街案内図 留萌 北陽社 1930 道立図書館 北大図書館 中頓別,浜頓別, 宗谷 北陽社 1930 北大図書館 鬼志別は現猿払村 鬼志別市街図 稚内市街案内図 宗谷 北陽社 1930 道立図書館 倶知安市街図 後志 北陽社 1930 不明 『弘南堂目録J501)による。 狩太市街案内図 後志 北陽社 1933 道立図書館 現ニセコ町 ーーーーーーーーーー・ーーー・・ー'・・ーーー ーーーーーーー ーー司-ーー・4・ーーーーーーーー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ・ ・ ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 骨 ー 帽 圃 圃 ー 根室市街図 根室 交信社 1929 不明 『弘南堂目録J50による。 池田市街図 十勝 交信社 1929 北大図書館 釧路市街図 釧路 交信社 1930 道立図書館 厚岸町市街図 釧路 交信社 1930 北大図書館 栗山市街案内図 空知 交信社 1934 道立図書館 出版社名:札幌交信社 注1)正確には『北方関係を主にした弘南堂古書目録J50, 2010である。 な お 北 海 道 大 学 附 属 図 書 館 の ホ ー ム ペ ー ジ 上 で 公 開 さ れ て い る 「 北 方 資 料 デ ー タ ベ ー ス 」 の 中 に 『 増 毛 市 街 案 内 図 』 の 画 像 が 含 ま れ て い る の で , 上 に 記 し た 地 図 の 概 要 を 容 易 に 確 認 す る こ と が で き る 。 こ れ ら 一 連 の 図 の 発 行 所 と し て 各 図に記されている北陽社の実態は,安田俊平という個人であったと考えられる。 安 田 は 当 初 は 札 幌 市 南2条西13丁目に居住し, 1930年から33年 ま で の 聞 に 岡 市 南7条西 9丁 目 に 移 転 し た こ と が , 各 図 中 の 表 記 か ら 知 ら れ る が , 住 所 以 外 の 属 性 は 不 明 で あ るo 一 方 , 交 信 社 か ら は , 札 幌 交 信 社 と い う 名 義 の も の を 含 め て 少 な く と も
5
点 の 図 が 刊 行 さ れ て い る 。 筆 者 は 現 時 点 で は そ れ ら の 内2
点 を 実 見 で き た に と ど まるが,それら2
点 に よ る か ぎ り , 体 裁 な ど は 北 陽 社 か ら 刊 行 さ れ た 図 と お お む ね 共 通 す る 。 ま た , い か に も 会 社 で あ る か の よ う に 名 乗 っ て い る に も か か わ ら ず , 実 態 は 個 人 ( 福 田 泉 秋 ) に よ る 作 品 で あ っ た と 考 え ら れ る こ と も , 北 陽 社 ( 安 田 俊 平 ) の 場 合 と 共 通 し て い るo福 田 に つ い て は 前 項 で ふ れ た r苫 小 牧 町案内図』の発行人でもあり,また交信社名義の他に「北海道商工宣伝協会」 - 16ー 龍 谷 大 学 論 集の名義でも,この種の商工地図を刊行している。なお交信社刊行の図の中で (26) r~"路市街図』は, r新銀11路市史年表』の付録として復刻されている。ただこ の復刻はやや厳密さを欠き,表題が図中に記されているだけで,原図の作者や 刊行年についての情報はまったく添えられていなし) 0本年表刊行直後に作られ たと推測される正誤表の中で,この復刻図について 1930年ごろのものと推定す る旨の記述がなされたものの,著者・発行者については記されなかった。今回, 北海道立図書館所蔵の『釧路市街図J(ただし閲覧できたのは原図そのもので はなくコピー)と,『新釧路市史年表』の付録図を比較対照した結果,後者が 前者の図のオモテ面を約3分の2に縮小したものであることが確認できた。そ こで,このゆ"路市街図』について道立図書館所蔵図(コピー図)の観察に基 づき若干の記載を行う。まず寸法は天地55cm,左右79cm,縮尺は明示されない が,およそ 3,000分の 1であるo地図の余白には景観写真が 6点配され,また 復刻の対象とならなかった裏面には,上部に釧路市の地勢・沿革を記した文章, 中・下部には「職業別」として全部で132の事業所の名称・所在地等の情報が 記されている。著者・発行者・発行年月日等の書誌事項もすべて裏面に掲載さ れている。この図の記載内容は,たとえば「三井金物庖」・「割烹千島」のよう に業種名と固有名を完全に表示したものから,「小林商庖」のように厳密な業 種の不明なもの,さらには姓名や姓のみを示すものまで多様であるo姓名のみ, あるいは姓のみの記載がかなりあることから,全世帯を網羅するものすなわち 住宅地図そのものとも受け取られかねないが,実際はそうではなさそうである。 そのことは,「鉄道官舎
J
・「市営住宅J•
r
長屋」などの集合的な表現が散見さ れることや,都心部のいくつかの街区の中に名称の表示されている事業所の数 が,この図の2
年後に作られた同種の図よりも少ないケースが多いことによっ ても裏付けられる。これらのことから, fj)1I路市街図』は正確には住宅地図と は言えず,「商工案内図」の一種と位置づけるのが妥当と考える。 これらに加えて,単発的な「住宅地図的商工案内図」とすべき図も北海道内 のいくつかの中小都市について作成されたことが確認できる。刊行年次順に示 すと,『留萌港在住者案内地図』留萌労働者互助会(鳥居光之助), 1933, Ii'森 市街明細図』有光堂石版所, 1934, r滝川町明細案内図』横山印刷所(横山善 作), 1940などである。いずれも北海道立図書館に所蔵されている。(
2
)東京 大正末年から昭和初年,つまり大震災からの復興期の東京(厳密には,東京表2 富樫隆二良がかかわった東京の地図 名 称
│
刊行年月日│
所蔵先・復刻図収録書 東京府下高田町……住宅明細図1)11926年 3月20日 東京府下高田町北部住宅明細図 11926年 6月20日 戸塚町全図2) 11926年 7月 下落合事情明細図 11926年10月10日 池袋事情明細図 町制記念長崎町事情明細図[東]3) 町制記念長崎町事情明細図[西]4) 西巣鴨町西部事情明細図 滝野川町西ケ原滝野川事情明細図 西巣鴨町西部事情明細図 1926年11月25日 1926年12月24日 1926年12月24日 1926年12月31日 1927年3月27日 1927年4月20日 『豊島区地域地図2J 『豊島区地域地図2J 東京都立中央図書館 東京都立中央図書館 F地図で見る新宿区の移り変 わり 戸塚・落合編』 『豊島区史地図編下』 『豊島区地域地図2.0 『豊島区地域地図2.!1 『豊島区地域地図2J 東京都立中央図書館 『豊島区地域地図2J 注1)正式名称は「東京府下高田町千登世町四ッ谷雑司ヶ谷町若葉町豊川美名賀稲 荷古木田住宅明細図」 2)本図では,姓(または姓名)の記載があるのはかなりの大邸宅に限られている。 3)r東」という文字は図中にはない。 4) r西」という文字は図中にはない。 市に編入される以前のいわゆる接続町村域)について,住宅地図と称して差し 支えない地図が10点以上作られたことが確認できる。都立中央図書館に所蔵さ れているものが数点あるほか,地図現物へのアクセスは困難であるものの,豊 島区・新宿区・墨田区などの特別区の教育委員会で刊行された古地図集の中に 収録されて,内容が知られるものもかなりあるロ 富樫隆ニ良によるもの これらいくつかの図の中でとくに注目に値するもの は,すでに『札幌明細案内図』などで名前の出た富樫隆二良が,札幌移住以前 のわずか1年あまりの期間に作成した一連の図群であろう(表2)。それらの ほとんどは"00
明細図J(多くは"00
事情明細図J) という名称をもち,発 行主体としては「東京市町事'情研究会J という名義が用いられることが多い。 その所在地は地図発行時の富樫隆二良の住所と同一であり,実質的には富樫の 個人的刊行物といって差し支えないであろう白富樫による住宅地図的な図は, 山手線北辺部,現在の区名でいえば北区,豊島区,新宿区について作成され, その多くが豊島区,新宿区刊行の古地図集に収録されているロここでは,それ らに収録されていない図の一部をサンプルとして掲げる(図2
)。図2
の範囲 外にではあるが縮尺3,000分のlと記されているので,狭小住宅にも居住者名 - 18ー 龍 谷 大 学 論 集‘
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『滝野川町西ケ原滝野川事情明細図J(部分,50%に縮小) 戦前期作成の住宅地図類に関する一考察(山田) 図2が記されているかについてはやや疑問も残る。この図は 3色刷で定価は 1枚50 銭である。当時の地形図 1枚の価格が13銭であったことを考えると,かなり高 額と言えそうである。また文字・線ともかなり組削りな表現との印象を受ける が,これは富樫による他の図ともほぼ共通する。なお富樫隆二良については, 次節で紹介する『弘前市案内図』の著者である富樫要吉との関係にも関心がも たれるが,この点については次章で改めて検討するo その他の図 東京については,戦前期の住宅地図的な図が,富樫隆二良によ るものの他にも何種類か確認できる。まず旧本所区(現墨田区南西部)の一部 を描いた
2
種類の図が墨田区立緑図書館編『墨田の地図ーその2
一』同館, 1987の中に収録されている。一つは東京商工案内所刊の『本所区』と題する 図で, 1928年のものである。もう一つは読売新聞社本所出張所刊の『本所区六 ヶ町町名改正地番明細図J(1931) である。残念ながら復刻図の縮小率や印刷 の鮮明度の関係ですべての文字を判読することができないが,どちらも商工業 者のみを掲載したものではなく,一般居住者についても,すべてではないにし でもある程度の数は掲載されているように見受けられる。 新宿区教育委員会発行(奥付に著者・編者名は記載されていなし)) r地図で 見る新宿区の移り変わり一戸塚・落合編一J(1985)には,すでに紹介した富 (29) 樫による『下落合事情明細図』に加えて『下落合及長崎一部案内』と題する地 図が掲載されているロこの図については作者等がまったく不明であり,刊行年 次も「大正末期」としか記されないなど不明な点が多し」しかし,その内容は, ごくわずかな例外を除いて,すべての宅地に居住者の姓や底名が記されている ことから,住宅地図と称して差し支えないものと判断できる。上記の書物の解 説では,町会・商店会で作成したものとの推測がなされているが,その推測は ほぼ誤りないものと思われる。 戦前期から戦後期の東京では,前章でも記したように,沼尻長治(都市整図 社)によって火災保険特殊地図(火保図)が作成されているo今日,書物の中 に転載されていて内容を容易に知り得るものとしては,現在の中央区に含まれ (30) る地域の分が代表的なものであろう。なお近年,武揚堂から都内のいくつかの 地区の火保図を復刻し,現状と対比することを目指す書物が刊行されているが, このシリーズで用いられている火保図は戦後まもない昭和2
0
年代のもので,本 稿が直接対象としている戦前・戦中期の図ではない。なお火保図の場合,営業 者については底名・業種などが明示されているが,個人の住宅については,居 住者名が明示されるのはある程度以上の規模をもっ邸宅的存在に限られている - 20ー 龍 谷 大 学 論 集ように思われる。ただ,沼尻の作成した火保図では建物の構造(木造か耐火建 築か)や階層(平屋か2階建か)等が明示されている点は,研究資料としての 価値を高めている。 ( 3 )その他の地域の地図 弘前 『新編弘前市史資料編5(近・現代編2) J (2002)の付録のーっとし て, r弘前市案内図』と称する地図が復刻されている。残念なことに,本図に 関する解説は,本文中にも,また市史編纂過程で定期的に刊行された r年報市 史ひろさき』にも記されていないようである。そのため書誌事項の細部は不明 であるが,富樫要吉という,当時秋田市に居住していた人物の編集になり,彼 の住所と所在地を同じくする晴皐社から1935年に刊行されたものである。原図 は相当大きな 1枚ものであったと思われるが,復刻に当たっては2枚に分割さ れている。本図の凡例によれば,個々の宅地を示す枠内に姓が記された家は 「キ目当住宅」とされ,単に枠のみを示す「小住宅」と区別されている。また門 構えを有する住宅について門の位置を示しているのも興味深い。このように, すべての居住者の姓が記されているわけではない点,今日の住宅地図と比べれ ば完全なものとは言えないかもしれないが,それでも居住者の姓名,あるいは 姓のみが記載されている割合は8割を越えているように思われ,住宅地図の名 に十分値するものと考える。それに加えて,たとえば,これまで近代の弘前を 扱った主要な史書のどれにも記事の見えない戦前期の市営住宅について,この 図には市内新寺町の一角(旧制弘前中学校の隣接地)にその存在が明示されて いるなど,都市の歴史地理研究にとっての資料価値はかなり高いと評価するこ とができる。なお,本図の作者富樫要吉についての若干の考察を次章において 行う予定であるo 名古屋 名古屋市鶴舞中央図書館に,「名古屋市居住者全図」という語を付 けて目録化された地図が所蔵されている。書誌学的にかなり複雑な資料であり, 以下にその概要を紹介する。まず指摘しなければならないのは,今日上記図書 館で利用に供されているのはオリジナルの地図ではなく,同図書館が作成した コピーだという点であるo今日の所蔵資料としては
2
種類があり,一方は『名 古屋市居住者全図大正15年度新版』を仮題とする1926年現在の図で, 2006年 に同館が複製して製本したものである。もう一方は1929年のもの(図中には図 名の記載がない)と1933年のもの(大部分の図に『名古屋市居住者全図』と記 される)を合冊製本して表紙に『名古屋市居住者全図昭和 4年調昭和 8年調』と記されるものである。やや冗長な名称なので,ここでは前者を
r
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2
6
年図J, 後者をr
1
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9
・
3
3
年図」と仮称することとし,後者については必要な場合にはq929
年図J
,r
1
9
3
3
年図」と分けて呼ぶこともある。 これらの図はいずれも建造物の悉皆調査に基づくものであると考えられる。 そのことは,凡例として記されるア(空家),モ(物置),シ(仕事場)の記号 からうかがわれる。またr
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年図Jやr
1
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3
3
年図」は,r
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2
6
年図」をベー スとして変化のあった部分だけを修正したというものではなく,それぞれ全面 的に製図し直していることが明らかである。 どの年次の図にも縮尺は明記されていないが,r
1
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2
6
年図」については,も しこれが原図と同一縮尺でコピーされたものだと仮定すれば,およそ2,500分 のl
である。i19
2
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・
3
3
年図」はこれよりかなり小縮尺で,都心部の図でも約 4,000分の lである。ただ, 20面以上の図がすべて同一縮尺なのかといった点 や,これがオリジナル資料の縮尺なのかといった点については,現時点では確 言できない。図の中の文字のサイズがきわめて小さいことから,もともとの図 はより大縮尺であった可能性が大きいように思われる。r
1
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2
6
年図」は,本来はかなり大きな1
枚物の図であったのを,鶴舞図書館 がA3判に分割してコピーし,製本時に周囲を多少切断したもののように推測 される。少なくとも今日同図書館で利用に供されている図は当時の名古屋市域 全体に及ぶものではなく,北は広小路,南は西本願寺別院付近,東は南大津町, 西は下広井町の範囲,つまり今日の行政区画でいえば,中区の一部にとどまる。 それに対してr
1
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2
9
・
3
3
年図」はもともと切図であったことがほぼ確実であり, またより広い範囲をカバーしている。r
1
9
2
9
年図」が全2
1
面,r
1
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3
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年図」はそ れより4
面多く全25面である。新たに付け加えられた4
面は当時の東区千種町 の部分であるが,この地区がすでに1
9
2
1
年に名古屋市に編入されていることを 考えると,r
1
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2
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年図」はもとよりr
1
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2
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年図」も市域全体をカバーするもの ではなかった可能性が大きい。また当然ではあるが,軍用地の部分については 図が作成されていなし) 0 これらの図の作成主体は明らかではないが,所蔵機関である鶴舞中央図書館 の関係者によれば,市役所が作成した図との伝承があるという。もしそれが正 しいとすれば,あるいは都市計画事業の立案ないし実施に向けての基礎資料で あった可能性も考えられる。 高知 高知県立図書館に,0"00
現住者名図.s(00
は地区名)と称する図が 8面所蔵されている。高知市内各地区の住宅地図で,青写真の原図をコピーし - 22-龍谷大学論集たものである。縮尺は約800分の lと,今回紹介する図の中でも最も大縮尺な 部類に属する。刊行時期は1928年6月から1931年3月までの3年足らずの期間 に集中している。この8面がカバーしている範囲は, 1933年修正の25.000分の l地形図「高知」に示された当時の高知市街地の広がりと比較すると,当時の 高知の市街地の中心部から西部にかけてに該当する。東部については,何らか の理由によって作成されなかったのか,それとも作成されたにもかかわらず今 日県立図書館等に所蔵されていないのか,現時点では不明である。 これら一連の図の作成者としては「高知地理学会」という名称が用いられて いる。もし,この「学会」が,その語の本来の意味での組織であったの.であれ ば,きわめてユニークで意義深いものと思われるが,じつはそうではないこと をうかがわせる情報が, 8面の図のほとんどに記されている。そこには,作成 主体としての高知地理学会の名称に続けて,「地図作製測量設計出願手続J といった業務内容を示す語句が記されているo中には「地図作製機械工場設 計製図建築届出」とか「地図発行青色写真原紙製造販売設計図其他ノ写真 焼付業務引受」といったことが記されている図もあり,この「地理学会Jの実 態が明らかとなる。その実像は決して本来の意味における地理学会ではなく, 土木建築関係サービス業者と言うべきであろう。この図で興味深いのは,とこ ろどころに史跡の解説文などが記されていることである。 福岡 福岡県立図書館に『福岡市縦横詳細地図』という資料が所蔵されてい る。 1930年代に片山 親という人物が編集し,同人が銀洋社名義で刊行したも のを,ず、っと後年になって県立図書館が複製して閲覧用としているものである。 複製の原本として用いられたのは1938年の第9版であるが,その奥付に記され ているところによれば, 1931年に初版が出て以後ほぽ毎年版を重ねている。こ の点は,他都市のこの種の地図には見られない特色と言うべきであろう。資料 の形態と内容は,第9版に関していえば,市内を27地区に分割して地区ごとに
1
枚の図とし,それぞれ事業所はもとより,ぞれ以外の居住者についても名称 を記したものであるo ほぽA 3サイズ(横長)の片面印刷で,右側で綴じてい るが,これがはたして原資料の体裁と完全に同じであるか否かは確かではない。 縮尺は3.000分の lと明示されている図が多いが,都心部など小規模な宅地が 卓越する地区の図については,より大きな縮尺(具体的な数値は記されていな い)が採用されている。長屋などの小規模住宅居住者がどの程度網羅されてい るかを評価することは困難であるが,住宅地図と称して差し支えないものと考 えるo定価は2円と記されている。先に紹介した『最新調査札幌明細案内図』( 5円→4円80銭)の半値以下であることが注目される。毎年のように版を重 ねたことと関係しているのであろう。 福岡県立図書館には,『福岡市商工案内地図J (1
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3
2
)
という資料の複製版も 所蔵されている。資料の形態は『福岡市縦横詳細地図』と類似するが,内容は それとはやや異なり,あくまでも事業所のみを表示した資料である。資料その ものには編者・発行者の記載がないが,福岡県立図書館の所蔵目録には,『福 岡市縦横詳細地図』の発行元である銀洋社の編集・発行と記されている。 大牟田 福岡県小郡市にある九州歴史資料館は福岡県史編纂事業で収集され た諸史料を管理しており,そうした資料の中に『大牟田市著名家実測案内』と いう図が含まれているロこれは,当時大牟田市内にあった千紅社から1
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2
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年に 刊行された図である。今から1
0
数年前には,大牟田市立図書館においてこの図 のコピーが閲覧に供されていたが,数年後に再訪した際には,同図書館では所 在不明となっていた。筆者は,この図をこれまでに二度紹介したことがあるo (35) 最初は科研報告書において,二度目は『アジアの歴史地理2
都市と農地景 観』所収の拙稿においてである。そのため本図をここで再掲することはしない が,この図の内容は,その表題によく表されていると言えよう。つまり,営業 者に加えて,少数の個人(おそらくは地主などの有力者)を掲載対象としてい るように見てとれる。 長 崎 『長崎市地番入分割図附市内著名録,名所案内』という資料がある。 作者は生野梅仙という人物で,佐世保市にあった鎮西糟図社から1
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1
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年に刊行 されたものである。コピーが長崎県立図書館に所蔵されていたが,現在では長 崎歴史文化博物館に移管され,同館の図書室でやはりコピーを閲覧することが できる。数十枚からなる切図であるロこれは,地籍図をベースとしてその上に 商工業者などの営業者や官公庁・学校・社寺などを記載したもので,一般人の 記載はなさそうである。その意味では住宅地図とは言えないが,商工案内図と してはかなり高率のカバレッジを有するものと思われることと,刊行時期もか なり古いことから,ここで紹介することとした。 佐世保 佐世保を描いた古地図を1
冊の書物の中に収録するという意義深い 試みが,平岡昭利によって行われている。この書物の中に 『市勢調査記念佐 世保市街町別図』という図が,関連する写真を含めて 18ページにわたって収録 されている。ただ,これでもこの資料全体からするとごく一部分であり,長崎 県立図書館所蔵の原本を閲覧したところでは,全体は30枚近くの図とそれぞれ に対応する商工業者名簿から構成されている。この資料は,1
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3
2
年に佐世保所 - 24ー 龍 谷 大 学 論 集在の国民新報社から刊行されたもので,地籍図ベースと思われる地図上に事業 所名を記している。つまり上述の『長崎市地番入分割図附市内著名録,名所 案内』と類似の性格をもっ資料である。図上では姓名(あるいは姓)だけの記 載箇所も多くあるため,一見すると住宅地図に相当するかとも思われるが,対 応する名簿と照合すると,姓名だけ表記されている者も皆何らかの事業を営ん でいることが理解できる。つまり本資料は,カバレッジのかなり高い商工案内 図と評価すべきものであるo
4
.若干の考察
本章においては,以上紹介してきた戦前期の住宅地図およびそれに準ずるも のの全体を通じてみられるいくつかの特徴的なことがらについて,若干の検討 を行う。 まず図そのものに見られる形態的特色として,地図帳(アトラス)と1
枚も ののどちらが多いのかという点については,数は1
枚ものの方が多いが,地図 帳の形態をとる図もいくつか見られた。次に用いられている縮尺は800分のl から3,000分のlとかなり幅がある。ただし,図に縮尺の明示されていないも のも多いし,そのような図の場合には,今日閲覧できる図がコピーだと,それ がはたして原図と同縮尺か判断のつきかねるケースも散見される。 次に住宅地図の作成地域としては,北海道と東京で多くの地図が作られたこ とが明らかとなった。また他のいくつかの地方についても,少数ではあるもの の作成事例のあることが知られた。ただ,近畿地方や中園地方については,こ れまでのところ発見できていない。こうした地域的分布に関して,何か合理的 解釈は可能であろうか。ひとつ考えられるのは,「変化の激しかった所」で多 く作られたのではないかということである。北海道の諸都市や,大震災直後の 東京北郊は,まさにこうした条件にあてはまる所であった。ただ,弘前や高知 については必ずしも昭和戦前期に変化が激しかったとは言えないであろうロ 住宅地図ないしカバレツジのかなり高い商工案内図が多く作られた時期とし ては,これまで存在を確認できた範囲では,大正末から昭和初年,換言すれば 1920年代から30年代前半にかけてに集中していると言えそうである。 1910年代 までほとんど見られないことについては,その理由を自信をもって言うことが できないが,あるいは日本の住宅における表札掲出の普及の時期と関係してい るのかもしれない。また1930年代後半から40年代前半に少なくなるのは, 1937 年以後,戦時体制の下で測量や地図作成に関する規制強化が次々と行われてい 25-ったことと無関係ではなかろう。 次に,戦前期の住宅地図類の作者・発行者の属性について考察する。この点 については,行政当局が作成したことが確実な図はなさそうで,唯一『名古屋 市居住者全図』にその可能性があるにとどまる。また,かなり公共的性格を有 する機関による図として,苫小牧町商工会が刊行した「苫小牧町案内図』があ るが,他のほとんどの図は純粋に民間の機関によって作成・刊行されたもので ある。なお,ここで「機関」という言葉を用いたが,この点についてはあるい は誤解を生むかもしれない。それは,地図上には「発行所」として
roo
社J あるいは「ムム学会」と記されている場合であっても,実質的にはそれぞれ一 個人による事業ではないかと推測されるからである。 東京交通社(木谷佐ーとその家族)の発行した r大日本職業別明細図』は, 外地をも含む全国の数百の都市について作成されている点で注目に値するが, 本稿で主な対象とした住宅地図類については,同一の作成主体が複数の府県に またがって類似の図を作成・刊行している事例は稀である。その例外的存在が, すでに札幌・苫小牧・東京郊外の 3カ所で名前の出た富樫隆二良である。これ までに判明したかぎりでは,富樫隆二良は最初の作品『東京府下高田町千登 世 町 四 ッ 谷 雑 司 ヶ 谷 町 若 葉 町 豊 川 鶏 山 美 名 賓 稲 荷 古 木 田 住 宅 明 細 図 』 を1
9
2
6
年3
月に世に出した後,1
年2
カ月の関東京で活動し,その後札幌に転 じて札幌およびその郊外や苫小牧の住宅地図を作成している。その間,樺太の 真岡(現ホルムスク)や宮城県石巻の図の作成にも携わった。1
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3
3
年前後には 札幌から秋田に転居し,1
9
3
4
年1
0
月に r南秋田郡管内案内図』を著したが,そ れ以後の活動の足跡は確認できない。 一方,『弘前市案内図』が晴皐社(富樫要吉)によって作成・刊行されたこ とも,すでに紹介したとおりである。そこで,富樫隆二良と富樫要吉の関係が 問題となる。「富樫」という姓は,それほど珍しいとは言えないにしても,た とえば佐藤とか鈴木といった姓に比べればはるかに数の少ないものである。さ らに,富樫隆二良と富樫要吉は,組織名として社名を用いる場合に「晴皐社」 を名乗っている点で共通しているだけでなく,『南秋田郡管内案内図』に記さ れた富樫隆二良および晴皐社の1
9
3
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年1
0
月の住所(所在地)が秋田市長ノ下新 町であるのに対して,『弘前市案内図』に記された富樫要吉および晴皐社の1
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3
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年6
月の住所(所在地)は秋田市長ノ下新町2
6
とされているなど,同一住 所であった可能性が大きい。これらの事実から,この2
人が他人であったとは とうてい考えることができない。残念ながら本稿で彼らの関係に関する確証を - 26-龍谷大学論集得ることはできなかったが,多少のヒントは得られたように思われる。まず上 に記したように,富樫隆二良の地図作成時期は1934年10月を下ることはなさそ うである。一方の富樫要吉は,本稿で紹介した1935年6月の『弘前市案内図』 がデビュー作のようで,それ以前の活動経歴は確認できない。つまり,富樫隆 二良と富樫要吉は同一時期に地図作成に携わった事実はなさそうである。とこ ろで富樫要吉については,『弘前市案内図』以後かなり長期にわたってその活 動状況が知られないが,太平洋戦争後10年以上経過した1960年前後になって, 東京西郊で住宅地図の作成を再開している。現在の西東京市域について, 1959 年から1963年にかげて何種類かの図を作成していることが知られ,その当時の 住所は現在の小平市であった。さらに,現在西東京市立図書館に所蔵される図 に添えられた, 1961年のものと判断される見本送り状によれば,この当時の富 樫要吉はすでに
7
5
歳の高齢であった。この年齢からすると r弘前市案内図』 作成当時すでに50歳に近かったことになる。こう考えてくると, 1930年代前半 に(死没によって?)活動を終えた富樫隆二良の跡を子息の富樫要吉が継いだ というケースは想定しにくい。より現実的なシナリオとしては, 1)彼らは兄 弟か「し3とこ同士」の関係で,富樫隆二良の跡を富樫要吉が継いだ, 2) 2人 は同一人物で, 1930年代前半に改名した(あるいは本名が「要吉J で,中年期 に一時的に「隆二良」という通称を用いていた)というものが考えられる。現 時点ではこれ以上絞り込むことはできないが,富樫要吉が晩年を過ごした小平 市やその周辺地域に居住する富樫姓の方にヒアリングを行うなどの方法を通じ て,あるいはこの間の事情が解明できるかもしれない。今後の課題としたい。5
.
むすびにかえて
以上,本稿では日本において独自の発展を遂げたとされている住宅地図,お よびそれに準じるものと判断される大縮尺都市図の内,戦前期に作成されたも のの若干について紹介を行うとともに,それらの作成時期,作成地域,作成主 体等についての考察をも行った。その結果,作成時期は1920年代から30年代に ほぼ集中していることが明らかとなり,また作成地域については北海道各地と 東京に多いことがうかがわれたものの,他の地方のいくつかの都市についても 作成されていることが確認された。一方,作成主体としては,民間,それも実 質上個人によるものが多く,中でも富樫隆二良の活動は目を見張るものであっ た。このように,これまで太平洋戦争後のものと漠然と考えられることの多か った住宅地図について,すでに1920年代から一部の都市において作成されてい 27-たことが明らかとなった。 一方,当初の目論みにもかかわらず本稿において十分解明できなかったこと も少なくない。すでに記した富樫隆二良と富樫要吉の関係についてもそうであ るが,それにも増して,本稿で明らかにできた以外にも,戦前の日本で住宅地 図類の作成された事例がかなりあるのではないかという疑問は,現時点でもな お拭い去ることができない。この点に関しては,とくに 1枚もの地図などは, 刊行後
7
0
年以上も経過した今日となっては,用済みとなって廃棄されたものが 多いと考えられ,完全な解決は困難かもしれない。むしろ図書館よりも各都市 の旧家などに埋もれているケースの多いことが予想される。その意味で,本稿 が契機となって,「わが家にこんな地図がある」というような情報が得られる ならば,筆者が本稿を公にした目的の過半は達せられたとも言えるのである。 このように本稿はもっぱら資料紹介に終始したが,次の研究課題としては当 然,これらの資料を用いて,日本の近代の都市の内部構造の研究に新たな光を 投じるということが想定される。筆者自らがそのような研究を行うこともさる ことながら,他の研究者が本稿で紹介した資料を用いて研究を進められること もまた,筆者の大いに期待するところである。 註 (1) 山田 誠(研究代表者)r近代日本の大縮尺都市図に関する基礎的研究一平成1
3
年度'
"
'
-
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1
6
年度科学研究費補助金(基盤研究(
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)(
2
)
)
課題番号1
3
4
8
0
0
1
6
)
研究成 果報告書一J2
0
0
5
.
(
2
)
東北地理学会2
0
0
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年度春季大会。(
3
)
山田「東北地方の近代都市図」地域と環境6
,2
0
0
6
.
(4) この分類は,上記の科学研究費による研究を始めるに先立つて,筆者の学会発 表において提示したものである(山田「大縮尺地図と名簿資料にみる近代日本の 都市」人文地理学会2
0
0
0
年度大会特別研究発表)。(
5
)
この辞典は浮田典良の編で当初大明堂から2
0
0
3
年に刊行され,後に版元が原書 房に移っている。ちなみに,日本国際地図学会編『地図学用語辞典』技報堂出版,1
9
8
5
には「住宅地図」という項目は立てられていない。(
6
)
前掲(
5
)
1
2
5
頁。なお,この辞典には個々の項目についての執筆者名は明示され ていないが,本稿の筆者(山田)ではない。 (7) 清水靖夫「東京を中心とした都市図の周辺J岩田豊樹・清水靖夫『明治・大正 期の都市地図の周辺ー「明治/大正日本都市地図集成」解題一』柏書房,1
9
8
6
所収。 (8) r日本商工地図集成上・下』と題して,柏書房から関東地方と近畿地方の図が 復刻されている。-28-
龍谷大学論集(9) 河野敬ーは,東京交通社による商工案内図の全体像を明らかにしようと試みた 論稿において,茨城県筑波町の図を例として,掲載率がかなり高かったことを示 している(河野「近代期における市街地図の刊行と利用-東京交通社による『職 業別明細図』刊行の分析ー」常盤大学人間科学部紀要 25-1,2007)。 側 これらに先立つて, 1870年代末の東京において同種の情報を有する地図が刊行 されている。科学書院から『明治初期東京地籍図集成』として復刻された西川光 通編『大日本改正東京全図』がそれである。
ω
r地籍台帳・地籍地図「東京J
J
柏書房, 1989 (原書出版:1912). D"地籍台帳・ 地 籍 地 図 「 大 阪J
J
同, 2006 (原書出版:1911), r京都地籍図』不二出版, 2008""9 (原書出版:1912).ω
後で紹介する生野梅仙 r長崎市地番入分割図附市内著名録,名所案内』鎮西 精図社, 1919や,不二出版から目下 r東京地籍図』として復刻版が刊行されつ つある1930年代前半の東京のもの(原書出版:内山模型製図社)がその例である。 ( 13)井沢龍暢「沼尻長治の火災保険地図について」災害の研究 50,1999. また, 日本近代都市の歴史地理の研究資料としての火保図を紹介・評価した論文として 牛垣雄矢「昭和期における大縮尺地図としての火災保険特殊地図の特色とその利 用」歴史地理学 47-5. 2005がある。これらによれば,沼尻は1928年の創業時に は「地図研究所」と称し,後に「東洋都市測量製図社J
・「日本火保図株式会社」 を経て1956年からは「株式会社都市整図社」として活動を行った。なお後掲註伽) および註(3Dをも併せ参照されたい。 (14) 京都府立総合資料館で最近発見された『京都市明細図』は大日本聯合火災保険 協会により作成されたもので,沼尻以外の作成になる火災保険図の一例と考えら れる。なお,大日本聯合火災保険協会東北支部から,盛岡,福島など東北地方の いくつかの都市について大縮尺都市図が昭和初期に刊行されているが,それらは 地籍図をベースとする図で,建物の用途や構造に関する表示はなく,火災保険図 としての特色があまり認められない。ω
前掲(1)所収の地図目録において『札幌市制紀年人名案内図』と表記した (58頁) のは,筆者の不注意による誤りであった。 (16) 天地方向と左右方向とで若干縮尺が異なっており,概数である。 ( 11) 北海道立図書館の所蔵目録では『札幌市街戸別地図』とされている。同館には, 本来4枚からなる中の「第2号J
(大通以南,創成川以西を描く)だけが,コピ ー張り合わせの形で所蔵されている。ω
北大図書館所蔵本は1931年版のセットに加えて,なぜか 1枚だけ1928年版が余 分に綴じられている。なお前掲(1)所収の論文「北海道の近代都市図一作成状況と 保存状況ー」において,この図の初版を1927年刊と記したが,正確には本文に記 すとおりの事情である。 側 筆 者 の 両 親 は1930年に札幌市に転住したので, 1928年版には当然記載がない。 側 この図書館の前身は市立函館図書館である。ここは北海道内の公共図書館の中 でもっとも長い伝統を誇り,古地図の所蔵も多い。ω
本書では,この図について図書館の目録に準拠して r函館市宝町恵比須町蓬莱町番地入案内地図』と表示しているが,表題部分には,他の3つの町名とは異な る形ではあるが「東川町」という文字も添えられているので,ここではそれを加 えて表題とした。
ω
苫小牧の市制施行は1
9
4
8
年である。また苫小牧町の人口は,1
9
3
0
年国勢調査で は2
0
,9
8
7
人,1
9
3
5
年国勢調査では2
1
,9
4
6
人であった。 仰) 次章でこの点についての考証を行う。 (24)h
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年7
月1
9
日確認) 邸) If'函館市明細案内新地図』と『小樽市明細案内地図』の2点が,福田の著作と して1
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年に北海道商工宣伝協会から刊行されている。ただし,どちらも筆者は 未見であり,内容の紹介は現時点ではできない。。
6) これは,1
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年に刊行された『新釧路市史』の第4
巻史料編の中に掲載されて いた年表が,翌1
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年に単独で刊行されたものである。その際,新たに3
点の古 地図の複製図版が付録として添えられた内の1つがこの図である。 的)鳥居良志郎編『ふるさとの思い出-写真集明治大正昭和釧路一』国書刊行 会,1
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に部分図が収録されたものであるが,図名等は記されていない。釧路 市審議室市史編さん事務局編『市制施行7
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周年記念誌目で見る却11路の歴史』釧 路市,1
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に 明11路市市街地図』として収録されている木谷彰佑『謝11路市一大 日本職業別明細図第2
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号一』東京交通社,1
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と同じものと思われる。 (28) これらの内『森市街明細図』だけは,道立図書館所蔵分は原図ではなく,森町 立図書館所蔵資料の複製物とのことである。 仰) 同書の解説には,この図は中西三郎による刊行と記されており,たしかに発行 者は中西であるが,編者としての富樫の名が記されていないのはいかがなもので あろうか。 (30) 東京都中央区京橋図書館編『中央区沿革図集「月島編J
.JJ同館,1
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.
ほかに1
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年刊の「日本橋編J
,1
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年刊の「京橋編」がある。ω
佐藤洋一・武揚堂編集部『地図物語ーあの日の0 0
一.JJ(00
は地名が入る), 武揚堂がそれで,2
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年に浅草,銀座,日本橋の3
冊が,2
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年に新宿,神 田・神保町の2
冊が刊行されている。なお共著者名の一部としての社名は,2
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年刊の2冊では「ぶよう堂J と仮名で表記されている。 (沼) これは,鶴舞図書館所蔵のr
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年図」に欠図がないという前提で初めて言え ることであり,その前提が崩れれば成り立たない。 (33) 高知市民図書館にも 1面所蔵されていることが同館の所蔵目録(ウェップ上で 公開)から知られるが,現物の確認はしていない。 (34) この資料を筆者が数年前に閲覧したのは,福岡県地域史研究所においてであっ た。この研究所は2
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年3
月に廃止され,所蔵資料はすべて九州歴史資料館に移 管されたとのことである。なおこの図の裏面には『大牟田市最新実測地図一都市 計画道路網附記ー』が印刷されており,九州歴史資料館の所蔵目録では r大牟田 市最新実測地図』の方で登録されている。 (3日 前 掲(1)-30-
龍谷大学論集(36) r近代日本の都市形成ー鉱工業都市と軍事都市の事例一」なお,本稿が掲載さ れた書物は,朝倉書店から2008年に刊行されたものである。 (訂) 平岡昭利編著『地位│でみる佐世保-古地図と古い写真でみる佐世保の変遷ー』 芸文堂, 1997. (湖 真岡の図は『北方関係を主とした弘南堂古書目録J51, 2011に富樫隆二郎の 著作,真岡町役場の刊行として記載されている。その内容は,弥永芳子『北海道 の鳥敵図一空から眺めた大正・昭和期の103市町村と樺太の街並一』中西出版, 2011に掲載されているカラー図版によって知られる。ただし,弥永はこの図の 作者を不明としている。これは,富樫隆二良の他の作品と異なって鳥敵図であり, 表示された事業所の数もあまり多くはない。一方,富樫隆二良による石巻の街並 を表現した図(オリジナルか複製かは不明)が石巻専修大学に掲出されているこ とが,ある石巻出身者のプログに記されている。 (39) 国立国会図書館(東京本館)所蔵。郡内のいくつかの中心市街地の商工案内図 が含まれており,富樫隆二良の他の作品との共通性がうかがわれる。発行所は晴 皐社。 側 この送り状は,予約購読者ではない住民に対して,地図の見本を送って購入を 依頼する際に用いられたもののようで,購入の意志があれば1枚50円を送金して ほしい旨が記されている。それに加えて図の利用価値や自身の年齢などが併記さ れている。 キ ー ワ ー ド 都 市 図 住 宅 地 図 富 樫 隆 二 良