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こぺる No.210(2010)

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9

2010

NO

.

210

ひろば⑩

A

D

HD

という憂欝jーその後 中 西 仁 こころのつぶやき① 就職希望の学生に伝えたいこと 早川万年 いのちを生きる⑧ 学校の悲鳴 長谷川洋 子 記憶の旅から明日へ 写真と文 小林 茂 こべる刊行会

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写真と文一小林茂 ハンセン病に対する偏見・差別には二つの「根っこjがある。一つは「人を さげすむ心」、つまり蔑視の対象としたこと、二つには、専門医が科学者として の目を曇らしていたことである。(『隔離から解放へ』あとがきより) 一色久光明箇の納涼祭 (1984年8月) のどかな瀬戸内の風景を表紙にした本が送られてきた。『隔離から解放へ 邑久光明園 入所者百年の歩みJ(入所者自治会編、山陽新聞社発行、 2009年)である。 この療養所の前身は、水に洗われる大阪湾に建てられた「外島保養院jである。「らい 予防法」施行により強制収容がはじまり、移転の望みは絶たれた。そこに室戸台風が襲来。 187人死亡。「驚きを通り越して、悲しみを覚えるJ(編集委員会)。 現在地、岡山県の長島に復興。戦時下の「無らい県運動」の強化により、収容者は1,100 人超とふくれあがり、栄養失調と赤痢の流行で、昭和19年∼21年のわずのミ 3年聞に入所者 の36%が死亡したとある。 私は20歳のころ初めてここを訪れた。胸に手を当てれば、偏見が沈んでいたと思う。あ

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ひ ろ ば ⑩ ﹁

ADHD

西

仁︵立命館大学・京都市在住︶ 本誌二二ハ号︵凶年 9 月 ︶ に 、 ﹁

ADHD

という憂 欝﹂と題する一文を寄稿した。﹁

ADHD

﹂ ︵ 注 意 欠 陥 / 多動性障害︶と診断された息子を巡っての育児や学校に 関する雑感である。あれから早いもので七年の年月が経 ち、小学校六年生だった息子も、この春から大学一回生 となった。前稿を読み返してみると、思い過ごしで終わ ったことや、時流に流され借りてきた理屈を述べている 点などに日が行き、今となれば違和感がある。当時を振 り 返 り つ つ 、 ﹁

ADHD

﹂ で あ る と か ﹁ 発 達 障 害 ﹂ 、 ﹁ 特 別支援教育﹂といった事柄を巡って、この七年間に考え、 感 じ た こ と を 述 べ た い 。

ーその後

息子のこと

前稿と重なる部分があるが、初めに息子のことについ て触れておく。息子は、ハイハイをしている頃から、高 速でよく動き回っていた。小学校入学直後に、とある講 演会に連れて行った時のこと。講師︵藤田敬一氏だっ た︶がホワイトボ

i

ドに丈字を書いたら、﹁あのおっち ゃ ん ︶ 悪 い わ

l

。落書きしてはる﹂と大声で指摘す・︶ も の お するような、物怖じしない活発な子どもだった。 そんな息子が﹁

ADHD

﹂と診断されたのは、小学校 一年生の終わりだった。小学校一年生の二学期から、教 室を飛び出すなど、担任の先生が持てあますようになっ た息子を、福井県の子ども病院に連れて行き、診断して こペる 1

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もらったのである。主として医師の問診や心理検査など による数時間という短い時間で、﹁典型的な

ADHD

﹂ という診断が下された。﹁これは障害で、親御さんの育 て方の問題ではないのです﹂と医者に励まされ︵?︶、 息子の多動で悩んでいた私たち夫婦は﹁障室己だと言わ れ、なぜかほっとした。﹁障害﹂という言葉を救いと感 じることに何か奇妙な気もしたが、いつも周囲に責めら れていた私たちにとっては、自然な感情でもあった。 その後、息子はリタリンという一時的に多動が改善す る薬を飲みつつ、学校生活を送っていた。学校では特に 大きな問題はなかったが、薬の効果が切れてしまう家で は、衝動的で多動だったり、親に反抗してキレたり、と い う 日 常 で あ っ た 。 ﹁キレたりこだわりの強い場面が徐々にではあるが 減ってきて、いまのところいい方向に向かっている。 しつぶうどとう しかしながら疾風怒詩の思春期をどう乗り越えるの か、親はどう関わっていくのかは次の大きな課題で あり、それを考えると身の引き締まる毎日ではある﹂ と 前 稿 で 書 い て い る 。 し か し 、 こ の 一 文 を 書 い て か ら 一 一 一 転校前には、薬や同級生からの圧力︵きびしい突っ込一 みと軽蔑︶といった周囲の環境により、教室から出て行一 く こ と は な く な っ て い た 。 あ る 時 、 授 業 参 / 観 に 行 く 信がなく失敗を恐れて教室の隅で固まっている息子を発一 見した。担任の先生の授業はとても興味深いものであり、一 多くの子どもはリラックスして笑顔で授業を受けている。一 − ︸ その姿とは対照的に、多動・衝動をこらえて拳を握り一 しめている息子。先生が黒板に書いたことを、余裕なく− 必死でノ

l

トに写す様子。彼にとって四五分間という授一 業時間は果てしなく長かったであろう。きちんと授業を一 受けていることは成長かも知れないが、伸びやかさが全− く な く 、 追 い や ら れ た 様 子 に 何 と も 言 え な い も の を 感 親としては、﹁息子をそのままで受け止めてくれる場一 所で過ごさせたい﹂﹁本当に自分の好きな事を見つけ、一 それにとことん取り組ませたい﹂という思いを持ち続け一 ていた。﹁息子をそのままで受け止めてくれる場所﹂は、一 た ヶ月後、大きな転機が訪れる。息子が自由学校に転校し の で あ る 。 自由学校での日々

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いま通っている学校ではなかったし、残念ながら家庭で もなかった。様々なトラブルが親子関係を難しいものに していた。受容されていると感じる場所では、薬を飲ま なくても、息子は和やかに楽しく過ごすことが出来てい た。穏やかな表情で周囲の空気にとけこむ息子を見ると、 ﹁

ADHD

﹂という言葉を束の間忘れた。 ある日、インターネットで、さる自由学校のホ l ム ベ

l

ジが偶然、目にとまった。その学校は、息子が生ま れた頃に創立され、創立を伝える新聞記事での学校の理 念が非常に印象的であったので、すぐにその記憶がよみ がえった。ホームベ l ジを見れば見るほど、私たちが探 していた場所であるという感じがしてきた。自 ω 子に体験 入学を勧めると、また新たな学校体験︵苦痛︶を強いら あ ら が れると思ったからか、強く抗ったが、体験入学後は、 ﹁絶対にあの学校に入りたい﹂と言うようになった。 その学校の特長はいろいろあるが、まず魅力的に感じ たのが、宿題や試験がないことだ。一度学校生活に不調 を起こしたツケは長く尾を引き、学力に自信のない息子 にとって宿題や試験といった存在は、非常に苦痛であつ き ま じ め た ち た。息子はもともと生真面目な質なので、宿題はきちん としたい。けれども親の助けを借りないと出来ない。親 が助けると、宿題の出来について、ついつい要らぬ口を一 挟んでしまう。それに対してキレる、という繰り返しで、一 夏休みや冬休みの宿題は、親子関係を悪化させるだけの− やっかいな代物であった。安易かも知れないが、宿題が− な い だ け で 、 ど れ だ け 助 か っ た こ と か 。 一 授業内容が主としてものづくりをする総合学習が中心一 であり、算数や国語などの教科学習は従の立場であった一 ひ 一 点にも惹かれた。総合学習のクラスは、子ども自らが選一 べる。息子は大工仕事と演劇を組み合わせたクラスに所一 属した。クラスは縦割りで、さまざまな年齢の子どもが一 一緒に学んでいた。それまで通っていた学校の、同じ年一 齢の子どもだけの学級集団より、ずいぶん風通しが良い一 ように感じた。転校する前には、﹁幼稚﹂という理由で一 同年齢からは軽んじられがちであったのだが、四、五歳一 年下の子どもには、同じ目線で丁寧に接し、不思議と人一 気があったので、特に異年齢のクラスには違和感がなか一 っ た と 思 う 。 自信がない息子にとって、﹁劇に出るなんて、とんで もない﹂と思ったに違いないが、学習のまとめとなる劇 には、クラス全員が出ることになっていた。 こべる 3

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﹁ 劇 の こ と ︵略︶次の時間は、セリフ合わせを

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回して、体育 館で、舞台も用意してやりました。声の出し方も難 しかったので何度もやり直しました。セリフも少し 間違えました。動作も少し、難しかったです。感想 は、何でもうまくは行かないと思いました。本番で は 間 違 え な い よ う に し ま す 。 ﹂ っ た な という作文がクラス通信に載せられていた。拙い表 現だが、自分の失敗を書いていることに驚いた。 その学校は、遠方にあったので寮に入った。以降、高 校卒業まで月曜日の朝から金曜日の夕方まで寮で生活し、 土日は家で生活した。このことの影響は計り知れない。 寄宿生になると通学生よりも学校と家のあいだの 行き来が少なくなるので、有利なことがひとつある。 それは生徒がはっきり区別されるふたつの時間のな かに置かれるということだ。月曜の朝から金曜の夕 方までの学校の時間と週末の家族とともに過ごす時 間のふたつである。ひとつの集団を形成している複 数の対話の相手と過ごす平日の五日間。もうひとつ 別の話し相手と過ごす休日の二日間︵それは楽しい一 お祭り気分に満たされる可能性のある二日間だ︶。 一方には学校という現実があり、他方には家族があ一 う そ る。日中、学校であったことにかんして嘘をついて− 親を安心させる必要などなく、安心して眠りにつけ一 るということ、︵略︶要するに、寄宿生には心の安一 らぎがある。精神的なエネルギーに余裕があるので、一 それが学校の勉強に使われる可能性が残っている。一 劣等生をクラスのトップにまで引き上げるのに十分− か?確実に言えることは、寄宿生活が彼に、今と一 いうこの瞬間をそれ自体として精一杯生きる機会を一 与えることになるということだ。個人が自分を構築一 できるとすれば、それは今というこの瞬間を強く意一 識することによってであり、そこからの逃避を試み一 ることによってではない。︵ダニエル・ベナック一 ﹃学校の悲しみ﹄みすず書房、二

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九 年 ︶ あまりにはっきり書かれであるので恐ろしいくらいだ が、まさしくダニエル・ベナックの寄宿舎礼賛の通りに 事が進んだ︵ただし、家庭で過ごす二日間については、 相 変 わ ら ず 難 し か っ た が ︶ 。

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具体的な進路先を示さない。進路については自分で決 定させる、というのがその学校の方針であった。﹁一番 厳しい進路指導﹂という先生の説明に、﹁先生が楽なだ け﹂とまず感じた。担任生徒の全ての進路を﹁保障す る﹂︵とにかく押し込む?︶ことが大切な仕事である中 学教師であった私としては、あの苦闘を教師が経験しな いことが許せなかった。そして本当に、私がしてきたよ うな﹁進路指導﹂はなかった。先生は生徒の相談にのる だけだった。今考えると、実際にはこれはこれで教師も つ ら かなり辛いと思う。﹁この学校を受験しなさい﹂と﹁指 導﹂したほうが、ある意味教師の権威も保てるし、多く の子どもを納得させられるし、時間・労力が節約できる だろう。﹁進路については自分で決定させる﹂というの は、子どもにとっても親にとっても、また安易に結論を 出せない教師にとっても﹁一番厳しい進路指導﹂かもし れない。自由学校では、時には迷いや先行き不透明さに 困惑しつつ、自分の進路について自分で決定していく。 勉強嫌いで自信のない息子に進路先が決められるとは思 え な か っ た 。 しかし、何事においてもじっくり自己決定させるその 学校の方針は効果を現した。高校三年生のある日、国際 系の大学に進学したいと言い出したのだ。修学旅行で行 った韓国で、韓国のフリースクールの高校生と寝食を共 にしての交流が印象的で、いろいろな国の人ともっと交 流したいと思ったようだ。大学に合格するのかが心配で あったが、とにかく自分で行きたい大学を決めたことに 驚いた。﹁小論文方式﹂という自分にとって合格しやす い入試方式があることも調べてきて、レポートをまとめ 試験に臨んだ。レポートは、高校二年生の総合学習のク ラスで一年間かけて調べた﹁音楽と世界平和﹂という テ l マでまとめた。入試対策で付け焼き刃的に作り上げ たレポートではなかったので、面接試験にもよどみなく 答えることが出来、無事に合格した。 今、在籍している大学でも寮に入っている。寮では韓 国からの留学生とル l ムシェアしている。その大学は四

O%

が留学生なので、日本の普通の学校での常識は通用 しない。息子にとっては過ごしゃすい環境だと思う。 息子の通った自由学校を、一年に一度、私が勤務する 大学の学生と一緒に見学する。見学後に大学生達と討論 するのだが、﹁学力が身につかない﹂﹁普通の学校で身に つく﹁常識﹂が身につかない﹂という批判がよく出てく る。確かに当たっている。しかし、特色のある学校でこ こペる 5

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そ力を伸ばせる子どもがいるのも事実である。もう少し こんなタイプの学校がふえても良いと思う。少数派であ ることに対する誇りと自覚を持つ﹁オルタナテイブス クール﹂が全体の一割程度存在すべきである、という教 育政策を持っている国もあるやに聞く︵確かデンマーク で あ っ た か ︶ 。 自由学校での日々を経て、息子が﹁発達障室己である と か 、 ﹁

ADHD

﹂であるとか意識することがほとんど なくなった。妻はもう少しシビアで﹁時々、﹁発達障 害﹂であることを忘れることがある﹂という。もちろん、 自由学校は﹁特別支援学校﹂ではない。たまたま息子の 個性にあった学校だったということだ。校長先生も学校 についての説明会で﹁自由学校は、不登校や﹁発達障 害﹂のある子に特別の教育をする学校ではありません。 不登校や﹁発達障害﹂かどうかというよりも、その子に この学校のやり方があっているかどうか。すなわちその 子が感情を解放できる場であるかどうかが大切です﹂と 発 言 さ れ て い る 。 ﹁発達障害﹂﹁特別支援教育﹂を巡って 七年前には﹁発達障室己ではなく﹁軽度発達障室己と いう言葉が一般的であり、﹁特別支援教育﹂も公的な言 葉ではなかった。このことから分かるように、七年前に 比べると﹁発達障害﹂﹁特別支援教育﹂を巡る状況も大 きく変化した。以下、思いつくままに、考えていること を 書 き と め た い 。 ﹁ 医 教 連 携 ﹂ 特別支援教育では﹁医教連携﹂︵医者と教師の連携︶ という言葉が聞かれる。連携とは美しい言葉であるが、 実際は、教師より専門性が高いと信じられている医者の 学校現場への指導である。この﹁連携﹂の中で、リタリ ンが使われはじめた。リタリンは一度飲めば四時間程度 多動が治まる。ある﹁

ADHD

﹂の子どもの母親が、ど のような作用があるのか服用してみたところ、いつもは ごちゃごちゃあれこれ考えているのだが、恐ろしいくら い頭の中が整理され、次はこれ、その次はこれ、と自分 が取るべき行動がわかったという︵人により効果はいろ

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いろだとは思うが︶。しかし、リタリンは抗うつ剤とし て処方されてもおり、一度に大量にリタリンを服用する ﹁リタラ!﹂という依存者が出てきて、ネットで高価な 値で取引されるに及んで、﹁違法ドラッグ﹂扱いになり 輸入・販売が禁止された。かわって現在、﹁

ADHD

﹂ に一般的に処方されるのはコンサ

l

タという f 楽 で あ る 。 リタリンが四時間弱しか効果が続かなかったり、服用後 食欲がなくなり給食が食べられなくなったりするのに対 して、学校現場向けの工夫も進んでいる。一度服用する と、カプセルから徐々に溶けて八時間程度効果が持続す る。食欲が衰えることも少ない。つまりより普通に学校 生活が送れるのである。この薬には、リタリンのように 劇的な効果はない。つまり﹁ドラッグ﹂となるような危 に お うい匂いはしない。危うい匂いがしないということは、 わ 薬を使用することへの疑問も湧きにくい。行動改善のた めの薬が、学校現場で市民権を得たと言えるかも知れな 、 。 −V 本来、教師は子どもの行動を改善する薬については懐 疑的であり、抵抗があったはずだ。息子の小学校二年の 担任の先生は、リタリンを飲んでおとなしくなった息子 の姿を見て、﹁本来のこの子の姿ではない。クスリを飲 ませずに学校に通わせて下さい。学校のことは私に任せ て下さい﹂と言ってくださり、息子が得意なこと・集中 できることを授業に取り入れてくださった。自由学校の 校長先生も﹁﹁発達障害﹂というのは、その子の日常に 充分に接する事なく診断された場合も多い。この学校に 通わせたいなら、薬を飲まさないでください﹂とおっし ゃ る 。 さまざまな事情による多忙化などで教師に余裕がなく なっている。医者の言葉は明快だし、暴れる子どもがお となしくなる薬を飲んできてくれたら楽だ。しかし、 ﹁薬に頼る教育はどこか変だ﹂という疑問と、﹁学校教育 については、医者より教師の方がわかっている﹂という 自負を持ち続けてほしいと思う。もちろん、親も薬に頼 ってしまっている。しかし親は﹁薬で行動を改善するこ とが本当に良いのか?﹂という疑問を持っているのが常 だし、何より子どもにとって、本来の自分とズレてしま う薬を飲むことは、プライドを損ない続ける行為である こ と は 間 違 い な い 。 増 え 続 け る ﹁ 発 達 障 害 ﹂ 文部科学省の調査によれば、 こベる 2 ﹁

ADHD

﹂ ・ ﹁ 学 習 障 7

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害 ﹂ ・ ﹁ ア ス ペ ル ガ l 症候群﹂などの﹁発達障害﹂で﹁障 害の特徴﹂にあった指導の対象となる小中学生は、十数 年連続で増加している。そのことに対する文部科学省の コメントは、﹁学校の受け入れ体制が整備されるととも に、発達障害に対する保護者の理解が進み、適切な対応 を求めるようになってきているのではないか﹂というこ とである。文面通りに受け取れば、良い方向に向かって い る と い う こ と で あ ろ う 。 しかし、よく考えると違和感はある。子どもの数は減 ってきているのだ。﹁発達障害﹂は﹁グレl ゾ l ン ﹂ と も呼ばれる。息子の学校のように﹁グレ l ゾ l ン ﹂ と い と ら う概念で子どもを捉えない学校では、問題にされない ﹁ 障 室 乙 で あ る 。 ﹁ グ レ l ゾ l ン﹂を広げるというか、 ﹁ グ レ l ゾ l ン﹂は﹁白﹂ではないから﹁黒﹂である、 というような動きが活発化しているのではないか。そん な 気 が し て な ら な い 。 鈴木文治﹃排除する学校|特別支援学校の児童生徒の 急増が意味するもの﹄︵明石書店、二

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年︶は具体 的 な 事 例 を 多 く 紹 介 し て い る 。 例 え ば 、 ﹁ 高 機 能 自 閉 症 ﹂ ︵人との関わりが苦手で﹁空気﹂を読みにくい﹁発達障 害 ﹂ ︶ の 診 断 を 受 け て い る 男 子 高 校 生 が 、 ﹁ 授 業 妨 害 は し ないが、気に入らない授業では寝てしまう﹂﹁小声でぶ一 つぶつつぶやいたり、自閉症に特徴的に見られる身体を一 揺らす行動をして、他の生徒に奇異に見られる﹂﹁美術一 や体育では、教師が絶えず声かけしたり、他の生徒が手一 伝うことが必要﹂なので、学力的には問題ないが、﹁白一 主的に授業に取り組み、社会自立のための学校である高− 校︵県立進学校︶にはあいふさわしくなどから、特別一 支援学校︵養護学校︶へ転校することを校長自ら勧めた一 事例が出てくる。居眠りどころか、私語などの授業妨害− ゃ、教師反抗したりする生徒は、進学校とはいえ当該の− 高校にも存在するだろう。授業妨害であるとか教師反抗一 は、充分に理解可能で想定内なのだろう。校長にとって一 は、﹁高機能自閉症﹂という診断名と﹁奇異に見える行一 動﹂は理解不可能・想定外で、どのような影響を周囲に一 与えるか窺い知れないという不安を抱いたのだと思う。一 この事例は極端かも知れないが、類似する事例は多く一 存在する。このような事例の背景にはどのような事情が一 あ る の だ ろ う か 。 一 例えば、私たち夫婦は息子の診断結果を聞いて﹁障害一 でほっとした﹂と感じた。なぜ﹁ほっとした﹂のか?一 今から思えば、きっと親の理解を超える息子の行動が、−

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﹁ 障 害 ﹂ ﹁

ADHD

﹂という言葉で理解できたと思い、説 明できると思ったからではないか。そう考えると﹁

A

D

H

D

﹂や﹁発達障害﹂という言葉・概念は、わかりにく い人間の行動を﹁

ADHD

﹂﹁発達障室己というカテゴ リーに仕分ける作用があるような気がする。﹁理解でき ないこと﹂﹁困難な状況﹂は何でもそこに仕分けて、薬 を使ったり、自らの視野に入りにくい別の場所に移し替 えたりして、全体の場を取り繕うという心の動きはない と 言 い 切 れ る の か 。 最近、教師の会話の中に、﹁発達障害﹂とか﹁

ADH

D

﹂という一言葉が、驚くほど多用されるようになってい る 。 ﹁ 発 達 障 害 ﹂ や ﹁

ADHD

﹂について厳密に学んで いるかどうか分からないし、また厳密に学ぶ概念である t と認識しているかどうかもあやふやな気がする。けれど も、指導困難な子どもや学力が上がらない子どもなど、 多忙な日常の仕事をさらに多忙化させる悩ましい現象を、 この言葉を使えば﹁なんとなく﹂理解できるし、理解し てもらえるし、少なくとも原因を粘り強く考え続けるこ とをしなくてもよい。そんな中で﹁仕分け屋﹂のような 教 師 も 出 て き て い る 。 今から五年ほど前に、息子を理解するヒントになれば ある子どもの心理検査の結果︵ペーパー︶を講師が示一 して、﹁この子はどのような子どもですか﹂と会場に質一 聞したら、会場に来ていた何人もの受講生が手を挙げた。一 講師が現役の教師とおぼしき男性を指すと、その男性は一 と う と う − さまざまな障害名を挙げながら泊泊と自分の見解をのべ一 ていた。典型的な﹁仕分け屋﹂である。くどいようだが、一 講師が示したのは紙切れ一枚。心理検査の結果だけであ一 る。検査された子どもについての他の資料は一切なし。一 学校現場で日々子どもと接している立場の者が、心理検一 査だけで見ず知らずの子どもの障害について泊泊と述べ一 る。きっと学校現場でも、常に何らかの子どものアクシ一 ヨンを捉えて仕分けしているのだろう、と思わせる寒々一 と し た 光 景 だ っ た 。 一 暴論かも知れないが、心理検査の結果︵数値︶という のは、健康診断の数値と同じだと思っている。健康診断一 の結果︵ペーパー︶だけを見て、その人の健康状態が分一 かるわけはない。極端な数字が出れば、確かに重大視し一 なければならないだろうが、﹁軽度﹂の場合は過大視す− と 、 妻 ・ と ﹁ 発 達 障 害 ﹂ に 関 す る 講 習 会 に 出 か け た 。 日の内容は、心理検査の結果をどう解釈するか、 も の だ っ た 。 そ の と い 、 っ こベる 9

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じ か る必要はないのではないか。子どもに直に接する教師が 検査の分析の専門家みたいになって、子どもを﹁科学的 に﹂﹁正しく﹂理解したつもりになってもらっては困る。 検査の結果に過度に引きずられるなら、検査はむしろ有 害 で あ ろ う 。 おわりに 理解しがたい子どもを理解するには、本来、どのよう な構えや辛抱強きが必要なのだろうか。 環境問題の

DVD

を観ていたときだ。地球温暖化 で北極の氷が溶け、エサ不足でシロクマの子どもが ひんし 槻死の状態になっているぴみんなシ

l

ンと映像を見 つめている中でひとり笑っている生徒がいた。

K

だ 。 以前、私の病を笑った子だ。その瞬間、﹁あっ﹂と わ か る も の が あ っ た 。

K

は自信がなかったのだ。私 もヤキがまわったのか、気がつくのが遅すぎた。六 年の授業も終わりにさしかかり、やっと心に余裕が できたのか。皮肉なものだ、子どもにも気の毒だっ た 。 ︵ 長 谷 川 洋 子 ﹁ 三 年 ぶ り の 卒 業 式 ﹂ 、 で ﹂ ぺ る ﹄ 多くの教師たちは、教室の空気とそぐわない

K

な 子 ど も に 、 手 っ 取 り 早 く ﹁ 発 達 障 害 ﹂ の ﹁ フ ベ ル を しかし、長谷川さんは粘り強く

K

に つ い て 考 え 続 け を的確に理解した。この文章に続いて長谷川さんと 新 た な 関 係 性 を 築 い た く だ り が あ る 。 ﹁発達障害﹂に限らず、手軽なラベルを子どもに貼る一 ことによって、見えなくなるものはとても大きいことを、一 長 谷 川 さ ん の 一 文 は 教 え て く れ る 。 一 他人事のように書いてきたが、何より私自身が、息子一 をもう一度ゆっくり理解し直していかなければならない。一 新 た な 課 題 で あ る と 思 う 。 一 二

O

六 号 ︶

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こころのつぶやき①

就職希望の学生に

伝えたいこと

早川万年︵岐阜大学・四日市市在住︶ わたくしの勤務する岐阜大学教育学部の学生は、三一年 次の九月から教育実習にでかける。小学校・中学校それ ぞれ四週間ずつの学校生活を送ることになる。それが終 わるとすぐに年末を迎える。すこし遅いようであるが、 一月・二月あたりから、学生たちはいわゆる就職活動に 本格的に取り組む。教員養成学部であるので学校教員を 希望する者が多いが、民間企業や公務員を志望する者も 少なくない。三年生の学年末から数ヶ月間は、その先の 卒業研究を多少なりとも気にしながら、就職等、進路の 問題に苦闘する。四年生の秋ともなると、結果はともあ れそれは一段落するので、あとは﹁卒業﹂に向け、気分 をあらたに、自分のテ!マに立ち向かうことになる。そ の問、しばしばわたくしの部屋に出入りしていた四年生一 も、当然のことながら三月末以降はもうめったに会うこ一 とはない。なかには、卒業式の夜の﹁お別れ会﹂以後、一 顔 を 合 わ せ る こ と の な い 卒 業 生 も い る 。 一 この二十年あまり、教育実習時期の変動、就職状況の一 違いなどはあったにせよ、およそよく似た光景が続いた。一 わたくしが見送ってきた学生たちにとって、いったい就一 職とは何であったのであろうか。わたくしは、彼らのそ一 のような人生のステップに際して、 いかなる関わりがで きたのであろうか。そして、これから就職する学生たち にわたくしはどのように接し、何を語っていけばよいの で あ ろ う か 。 六月・七月は、教員採用試験﹁対策﹂で学生たちは忙 しい。いわく筆記試験対策、面接対策:・。就職のための 対策が勉強であるかのごとくである。なるほど、教員採 用試験のための勉強も、将来の職場を想定した上で、必 要とされる事柄を前提としているはずであるから、﹁対 策﹂には一定の必要性がある。また、学生たちにとって 見れば、かつての高等学校の勉強は大学入試対策であっ こぺる 11

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たし、大学入学後も、卒業や免許・資格のための勉強で あったのかもしれない。﹁当面のハードルを、いかに効 果的に乗り越えるかがあなたのか取り組み 4 だ﹂と言わ れてじまえば、もう黙って課せられた勉強に従事する以 外はないという気分にもなろう。 だが、ここで考えておかなくてはならないことがある。 はたして、対策としての勉強、あるいは﹁うまくやる﹂ ためのマニュアルが、将来の自分をどこまで支えてくれ るのであろうか。教職が子どもを育てる職業であるとす るならば、そのような職に携わる自らを育成していくの が今の﹁勉強﹂でなくてはならないはずである。いった い、自分は今何のために何をしているのか、その問題に ふたをじて、マニュアルに依存するようであれば、その ツケは後になって身に降りかかるのではないか。学ぶ自 分を育ててこそ、知識は意味のあるものになる。 もちろん多くの学生は、対策勉強にばかりうつつを抜 かしているわけではない。就職、進路という人生の難問 に迷い悩むことも少なくないと思う。安定した職に就き たい、将来、充実した時聞を過ごしたいと思うのは当然 であって、そのための選択を迫られ、努力が求められて いるのが で あ る 職 場 出 て か ら の 厳 し ﹁ ム 7 ﹂ 学生たちもさまざまな話を聞いてよく承知している。こ の先への不安を抱きながら、 それでも夢や希望を大切に して前に進もうとしている。 そしてやはり仲間がいるこ との意味は大きい。友人と語り合い、 遊 ぴ 、 楽しい時間 を共有しながら、卒業までの一時期をともに過ごしてい る の で あ る 。 五月の半ば、ひょっこりと十数年前の卒業生である 君がわたくしのところに顔を出してくれた。卒業式の日 以来である。もちろん用件があって訪ねてきてくれたの であるが、すこし話を聞いてみると就職のための試験を 受けるとのことであった。卒業してからの十年あまり、 仕事先をいくつも変え、病気・入院、退職、そしてリハ ビリの日々を送ったすえ、ようやく最近、再就職を考え ることができるようになったという。貯金も・なくなって きた、でもいつかは結婚もと笑つてはいたが、人生の厳 くもん しい局面からの脱却に苦悶しているさまが窺われた。そ の 時 、

M

君とゆっくり話ができなかったことが悔やまれ る

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卒業を目前にした頃には、よもやそのような十年をこ れから過ごすことになるとは思いもよらなかったであろ う。ふり返れば、苦労や失意に満ちた十年であったかも し れ な い 。 就職といっても、この先の人生に何が待ち受けている ざ せ つ は ん も ん かは分からない。現実には挫折もある。煩悶を重ねて職 場を離れる決意をする者もいる。

M

君以上に、平穏無事 とは言えない人生を送るようになった者もいるであろう。 一見、順調そうであっても、じつは人に語ることのでき ない悲しみを背負っている人も少なくない。

M

君はまだコ一十代の半ばにも達していない。これから 先、多くの歳月が待ち構えている。振り返って自らを責 た ど めるのではなく、今の自分、これまでの自分の辿ってき た道を受け入れて、ゆるやかに次のステップに踏み出し てもらいたい。職に就くこと、それを継続することが何 となく求められる世の中ではあるけれど、その前に大切 なことは、まず今の時間を﹁生きる﹂ことである。 履歴書からすれば、卒業やら就職・離職がその人の人 生であるかのようであるが、それが一人の人間の軌跡を 示す上での意味は限定的である。人生の学びにおいて卒 業などあるはずもなく、職といっても、就職先よりも、一 そこでその人が何をしてきたか、どのように人と向き合一 ってきたかがより本質的な問題である。いかなる職でも、一 人と関わり、社会のなかで機能している以上、従事する一 人間の生きざまが問われるのである。職はつまるところ一 自覚の産物であろう。自らを向上させていくことと、職一 を模索すること、人のために尽くすことは結局のところ、一 生 き る と い う 一 点 に お い て 同 体 な の で は な い か 。 一 と は − 一 だし、やはり肩書きがないと何か落ち着かない気分にな一 る O そして、職場も人生も、じつさいのところ順調とい− う わ け に は い か な い も の だ 。 一 多くの卒業生たちは﹁就職﹂によって組織の一員とな るが、いったん組織に入り、そこから給与を得るように なると、当然ながら仕事に追われることになる。入って あ い ま い みると、業務の範囲は暖昧で、どういうわけか、あれも これも依頼され、カタチとしての結果が求められ、反省 ま 止 ぎ やら課題までもがついて回る。せめて、人聞の眼指しを もって制度の運用、組織の活用が図られなくてはならな いと思うが、実際には無機質な﹁要求﹂に取り巻かれ、 こぺる ,13

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それは増えることはあっても減ることはない・:。 わたくしは、数年を身近に接した学生たちの将来が心 配である。硬直した組織、見識に乏しいその管理者たち によって、彼らの個性と力が一方的に抑圧されてしまう のではないか。わたくしは、苦難や試練を乗り越えて成 長せよなどとは言いたくない。つらいことなどない方が よいに決まっている。だからといって、うまく立ち回る、 勝ち組に入るなどといった処世術に明け暮れていては、 人間としての充足感は得られないと思う。人生の勝ち負 けなどといった尺度は、およそ虚栄心の反映でしかない 場合が多い。そういった意味での就職を考えるならば、 結局、みずからを充足させられないし、むしろ裏切られ てしまうのではないか。組織の一員として、人に追い立 てられるぐらいなら、人を追い立てる側にまわった方が マシだなどと思ってもらいたくない。人の力を生かすの が組織の役割でなくてはならない。それは組織の一員と なる者が第一に心得るべきことである。人の心を鉄鎖で 縛るような組織は存続に値しない。だから、わたくしは、 卒業する学生たちにこのことを言いたい。まず自らのよ ほしい。自らの力を伸ばしていくことこそが いところを認め、それを﹁職﹂のなかで生かしていって 何 を す る か が 問 わ れ る る。何になるかでなく、 いかなる職に携わろうとも、 ﹁ 職 そこで自らの生きざまが問 い直されることになる。教員を目指す人たちは、まず子 ども一人一人の個性に寄り添い、その成長の時間を共有 することを心がけてもらいたい。何より人間への温かな 眼指しが大切だ。教師にとっても子どもにしても、自立 していく精神にとって、学力の向上など、しょせん朝飯 前のことなのだから。 ﹁職﹂はたしかに大切である。しかし就職は人生の目 標ではない。甘く見てはならないが力むこともない。人 生は個性の産物であってさまざまな道のりがあって当然 なのである。

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いのちを生きる⑩ 長谷川洋子︵大阪府小学校教員 三 島 郡 島 本 町 在 住 ︶

学校の悲鳴

七月一二日 大阪

I

大の定期検診に行く。このところの暑さでかな り疲れていたので、結果が心配だったが、何と前回に引 じ ゅ よ う き続き腫蕩マーカーが下がっていた。値もこれまでの最 う れ 低値に近い。予想外の嬉しい結果に喜ぶ私に、

S

先 生 は ﹁ 治 療 か ら 一 年 た っ て い ま す の で 、 検 診 も 二 ヶ 月 か ら 一 一 一 ヶ 月 に 一 度 に し ま し ょ う 。

CT

検査もマ

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ヵ ー が 上 が っ た時にすることにしましょう﹂とおっしゃった。誰も通 らない暗い道から、急に光のさす暖かい街路へ連れ出さ れた気がした。私の命を助けて下さったドクター達、支 えて下さった方々に心の中で手を合わせた。 七月一六日 テレビで毎年恒例のニュースが流れる。小学校の教室 で先生が子ども達に﹁あゆみ﹂︵通知票︶を渡す映像だ。一 もらった﹁あゆみ﹂を友達と一緒に眺める子ども達も先一 生 も う れ し そ う だ 。 一 ﹁あのニュースを見ると本当に腹が立つわ﹂と若い同一 僚 が 言 う 。

T

市は二学期制なので、他の市が夏休みに入一 っ た 二

O

日からも一週間授業日が続く。子ども達の勉強一 は昼までだが、午後から保護者に来てもらって個人懇談− をする。二学期制だから﹁あゆみ﹂は二回になるので、一 保護者に﹁あゆみ﹂の代わりに﹁補助簿﹂︵国語と算数一 だけの通知票︶を出し、保護者一人一人に説明するとい一 う手法を

T

市は全職場にウムを言わさず降ろした。﹁こ一 れやったら﹁あゆみ﹂を作る方がええわ﹂と、異常な暑一 さの昼下がり、職員室でみんながぼやきまくる。一 ﹁ 懇 談 会 が あ る と 思 う だ け で し ん ど い ﹂ − ﹁保護者もこんな暑いのに来てもらうのは気の毒や﹂一 昔から続いている行事日程は良くできたもので、どの− 年 も た い て い 終 業 式 の 一 一

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日 過 ぎ か ら 太 陽 は 燃 え 上 が り 、 一 熱風が吹いたりする。授業ができる状態ではなくなるの一 だ 。

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市は、全校の普通教室と音楽室にクーラーを設置一 し ゃ く ね っ 一 したが、理科室や算数教室は灼熱のままだ。昼下がり− こべる 15

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の理科室は熱風が吹きまくる。じっくり考えたり、討議 したりするのは困難なので、顕微鏡の観察学習のほかは、 冷房のあるコンピュータル!ムでの調べ学習に振り当て た 。 か わ い そ う な の は 算 数 科 だ 。 担 当 者 は 呈 一 守 つ 。 ﹁﹁考えてみようよ!﹂と言っても、子ども達は口を開 けたまま反応がないのよ﹂ ﹁﹁何も考えるな!考えたら体力を消耗する﹂ どもらの本能が叫んでるんとちがう?﹂ っ て 子 二学期制を実施してきた他市では、どんどん二学期制 の店じまいを始めている。

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市は、いくら現場が声をあ げても聞こうとはしない。市の中枢は自分で判断するこ とができないのだろうか。 ﹁懇談がしんどい﹂という若い教員の言葉にはもう一 つ深刻な意味がある。たいていの保護者はおだやかで担 任に協力的なのだが、中にはのけぞるほど理不尽な要求 をする保護者もいる。他市の例だが﹁ウチの子に

OO

ち ゃんを絶対近づけないでほしい﹂という要求。少しでも 接触があれば市教委へ訴えたりするなど、学校を裁判所 や警察と間違えている例もある。このようなことを執捕 にやられると、ベテラン教員でさえ参ってしまう。まし てや若手だとすべてダイレクトに受けとめてしまい、精 神的に立ちゆかなくなるケ

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ス が 増 え て い る 。 たしかに私たち教員にも不十分な点があるだろう。で も、もう少し思いやりのある言葉を担任にかけられない ものか。担任をサンドパック代わりにしたような暴言、 嫌味な物言いをすることが、わが子に良い結果をもたら すというのだろうか。若い担任たちにも両親がいる。あ なたのお子さんがやがて成長し、仕事につき、お客さん や得意先から執拘な暴言を浴びせられ疲れ果てて帰って きた時、あなたはどんなに心配し悲しむことだろう。少 しでも想像力を働かせることができるなら、学校へのク あ か し レ

l

ムが子どもへの愛の証と考えることがナンセンス だとわかるはずだ。 私たちはなぜこんなに無防備で無力なのか。なぜ精神 的に倒れていく同僚を守ることができないのか。 悲りと悲しさがふくれていくばかりだ。

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鴨水記 マ八月二十九日で石川啄木が﹁地図の 上 / 朝 鮮 国 に く ろ ぐ ろ と / 墨 を ぬ り つ 、 /秋風を聴く﹂と詠った﹁韓国併合﹂ から百年になります。﹁他民族を抑圧 する民族は自由ではない﹂とは、﹁植 民地をもったことのある民族はよほど 努力しないと豊かな人間観と人間らし い関係を育みにくい﹂という意味だと 改めてこころに刻みたい。 マ﹁﹁パクです。片仮名で﹂。名前を聞 かれてこう答える際、いまだに構える 自分がいる。在日 2 世の私は、大学の ときから通名を捨てて本名だが、この ようなとき相手はたいてい﹁えっ﹂と 聞き返したり、少し微妙な気まずきが あったりだった。/それが最近、韓流 ブ l ムのおかげか、割とすんなり受け 入れられるようになった。しかし、そ のことで在日への社会の理解が十分に 進んだのかというと別の問題である。 そんなとき、あのときの﹁おじさん﹂ のことを思い出す。/ 2 年前、息子がマ息子さんが長く不登校の状態になっ 神戸の大学を卒業して引っ越す際に同ている小学校の女性教員のメlルが紹 行した。安いからということでピラ広介されていました︵﹁朝日﹂叩・ 5 ・ 告の業者に頼むと、初老の少しぶっき四朝刊︶ 0 ﹁私も学校の教師ながら、学 らぼうな方だった。無事終わって、息校や教師の無理解に悲しくなりました﹂ 0 子が書類に本名でサインをするとおじ﹁息子が学校に行くことに不安を示し さんは急に目を見開いて言った O 寸あん始めた時の担任も、迷惑そうな表情だ たらもあっちの人聞か。おじさんが一ったという。息子を車で連れて行き、 つ言うとく。絶対に本名を使ったらあ担任に深く頭を下げて預けてから仕事 かん、絶対や﹂と。/私は社会に出るに向かう日々。その後、息子は登校し 前の息子を気遣って、﹁時代も変わつなくなった。︵略︶不登校の小中学生が たから大丈夫 L と言うのがせいぜいだロ万人を超えるなか、行政や教師も努 ったが、同時にこのおじさんの生きて力してきた。だが、︵略︶子や親に配 こられた過酷であっただろう人生に思慮を欠く言動が残っているのも現実だ。 いをやって、胸が締め付けられた。お学校は来春から新しい学習指導要領が じさんが封印した過去や名前、その呪本格的に始まり、一層あわただしくな 縛が解ける日がくるのだろうか。今もる。どの子も先生の笑顔に迎えてもら ふと思い出す﹂︵朴信子さん。高松市。えるだろうか。登校できない子が増え 臼 歳 。 ﹁ 朝 日 ﹂ 叩 ・ 7 −

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朝刊︶。朴さるようなことはないだろうか。ちょっ んのいう﹁呪縛﹂は、この国の﹁呪縛﹂と不安を感じている﹂︵上野創記者︶ 0 の反映なんですね。﹁和解と関係修復笑顔で子どもが迎えられなくて教師と への道﹂は険しいと痛感します。いえるかと聞いたいな。︵藤田敬一︶ 編集・発行者 こぺる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所京都市上京区衣棚通上御霊前下ル上木ノ下町73-9阿件社 ー'; \o~ 第210号〒602 0017Tel. 075-414-8951 Fax. 075 414剖 52

υ2010年9月25日発行 Email: [email protected] http://wwwl.odn.ne.jp/ aunsha 定価300円(税込)・年間400口円郵便振替01010

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⑪。。。。。図

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二 一

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号 二 O 一 O 年九月二十五日発行︵毎月一回 二 十 五 日 発 行 ︶ 定 価 三 ︵ 本 体 ニ 八 一 九 九 三 年五月 二 十七日第 三 種郵便物 認 可

参照

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