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メキシコメキシコメキシコ

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CONTENTS

政治社会情勢

 1 政情... 5

 2 社会情勢... 14

経済動向 . 1. 経済構造... 17

 2. 経済動向... 19

. 3. 主要経済指標... 21

貿易・投資動向  1. 貿易構造・政策... 25

 2. 貿易動向... 33

. 3. 国際収支... 39

. 4. 投資動向... 42

 5. 対外債務... 45

 6 日本との関係... 46

. 2. 財政政策... 56

. 3. 金融政策... 60

. 5. 経済協力... 63

産業動向  1 農林水産業... 86

 2 エネルギー・鉱業... 77

 3. 工 業... 81

 4. 観 光... 85

市場環境  1. 立 地... 86.

 2. 主要インフラ... 87.

 3. 人口・所得配分... 89

 4. 雇用事情... 92

. 5. 外資政策... 98

. 5. 貿易為替管理制度...102

〔付〕基礎データ  1. 基礎事項...105

. 2. 政治体制...106

. 3. 文化・社会...109

 4 関係機関...112

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 1 政治動向

PRI の支配に終止符

1999 年 5 月、与党の制度的革命党(PRI)は、史上はじめて 2000 年 7 月に予 定される大統領選挙の候補者を選出するための予備選挙を実施すると発表した。従 来、PRI は次期大統領候補者を現職の大統領が指名していたが、セディージョ大統領

(1994 〜 2000 年)は、民主化のためこの指名権を放棄した。まず、タバスコ州知事 のロベルト・マドラソ氏が立候補の意思を表すると同時に 、 セディージョ政権の内相 のフランシスコ・ラバスティーダ氏も閣僚を辞任して立候補した。マドラソ氏は上下 両院の議員も務めたことがあり、党活動の経歴が長く、PRI の草の根に強い支持があ る。これに対してラバスティーダ氏は、エネルギー相、農業相のほか、シナロア州知 事としての経験もあり、大統領をはじめ、PRI のテクノクラート層に強い支持をもっ ている。両者は激しく争ったあと、1999 年 11 月の予備選挙でラバスティーダ氏が PRI の候補者として選出された。

一方、野党側は、中道右派の国民行動党(PAN)からビジネスマンのビセンテ・フ ォックス氏がグアナハト州知事を辞任して出馬を表明し、1999 年 9 月に党から候補 者として承認された。また、中道左派の民主革命党(PRD)からはメキシコ市長の クアテモク・カルディナス氏が市長を辞任して立候補した。カルディナス氏にとって 三度目の大統領選挙への立候補となった。このほか、中小政党から 3 人が立候補した。

2000 年 7 月 2 日の大統領選挙ではフォックス氏が有効投票の 43.5%を獲得した のに対し、ラバスティーダ氏は 36.9%、カルディナス氏 17.0%で、フォックス氏が 大統領に選出され、1929 年以来 71 年に及ぶ PRI の支配に終止符を打った。フォッ クス氏は 2000 年 12 月 1 日、大統領に就任した。

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反政府活動の発生

1994 年 1 月 1 日、南部のチャパス州で武装した 1,000 〜 3,000 人の先住民グル ープが反乱を起し、4 つの町を支配下におき、ラカンドン宣言を発表した。反乱グル ープは自らをサパティスタ国民解放軍(EZLN)と称し、サリーナス政権(1988 〜 94 年)に対して先住民の権利の回復や生活向上のためのさまざまな要求を行った。

EZLN のスポークスマンのマルコス副司令官の声明によると、反乱は北米自由貿易協 定(NAFTA)発効の日時に合せたもので、その理由は NAFTA は先住民を犠牲にす る政策であると判断したことにある。反乱の日に、EZLN は警官数人を殺害したほか、

前チャパス州知事を誘拐した。3 日目に軍は出動したが、1 月 10 日に政府は一方的 な休戦を宣言し、チャパス州に政府代表を派遣した。政府と EZLN 代表との交渉の 結果、3 月に EZLN は 34 項目の要求を明らかにした。その主なものは、広範な貧困 撲滅政策の実施、先住民の伝統に基く独自の司法権の復活、NAFTA および土地制度 改正(NAFTA については 31 〜 32 ページを、また土地制度改正に関する 1917 年憲 法第 27 条の改正については 76 〜 77 ページ参照)の影響について政府が調査するこ となどであった。

しかし、同年 6 月に EZLN は政府提案の和平案を拒否すると発表したが、政府軍 との戦闘の再開を否定して休戦を継続することを明らかにした。また、EZLN は 8 月 に約 5,000 人の支持者を集めた全国大会で、平和裏に民主化を求める決議をしたほか、

来る大統領選挙では PRI に反対する方針を決定した。

チャパス州では 10 月に再び緊張が高まった。先住民の伝統を重視するグループと キリスト教福音派の信者グループとの対立が一因であるが、主に EZLN が政府との 和平交渉から撤退するとの声明を出したことにある。EZLN はチャパス州に政府軍 の勢力が増大している上に、州の知事選挙で PRI 候補が勝利したことを問題視した。

左右両グループ、農民と地主、EZLN の支持者と軍などの衝突が新知事の就任前の数 週間にわたり繰り返された。野党側はチャパス州に別の州政府を樹立して緊張は高 まったが、1994 年末から翌 1995 年 1 月にかけて、国家調停委員会(CONAI)が設 置され、緊張は収束に向うかにみえた。しかし、メキシコ市およびベラクルス州で EZLN のものとみられる武器が多数発見されたことから、セディージョ大統領はチャ パス州の EZLN の拠点を攻撃すると発表した。政府はマルコス副司令官など EZLN

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のリーダーに対して逮捕状を発行した。しかし、チャパス州知事が一時休職すると発 表し、EZLN リーダーに対する令状も取り下げられ、1995 年 3 月には政府は主要野 党の協力を得てチャパス州における対話・和解・平和のための法律を制定し、EZLN もこれを受け入れたため、4 月に交渉が再開された。

1995 年 9 月、政府と EZLN は先住民の権利などに関する正式の協議をはじめるこ とについて大枠で合意した。1996 年 2 月に双方は、先住民の文化、言語および地域 の自治権を保障するという取り決めに調印した。しかし、EZLN は、9 月に入り和平 交渉から撤退すると発表した。一方、同年 12 月に下院の超党派委員会(COCOPA)は、

1996 年 2 月の取り決めに基づく先住民の権利に関する法案を提示した。EZLN はこ の法案を受諾したが、政府は国家主権を侵害する恐れがあるとの理由で拒否した。し かし、政府は EZLN との和平交渉再開を目論み、1997 年 1 月に拘禁していた EZLN のメンバー 7 人を釈放した。

COCOPA は EZLN との和平交渉再開を試みたが、1997 年を通してチャパス州で は EZLN の支持者と政府軍との衝突が続いた。チャパス州では軍を増強しているこ とや人権活動家を同州から追放しているとして、政府に対する批判も高まった。同年 9 月に数千人の EZLN メンバーや支持者がメキシコ市で集会を開き、1996 年に組織 した政治組織のサパティスタ国家解放戦線を正式に発足させた。しかし、11 月に反 EZLN の地主の支援を受けたパラミリタリー(準軍組織)による司教暗殺未遂事件が 発生し、チャパス州の和平への期待に水が差された。

1998 年 3 月 に 入 り 政 府 代 表 が 先 住 民 の 権 利 に 関 す る 修 正 法 案 を 提 出 し た。

COCOPA、PAN および EZLN は、修正法案を 1996 年 2 月の取り決めに合致してい ないとして拒否した。

一方、CONAI は政府の非融和的姿勢を批判し、その解散を発表した。1998 年 10 月、EZLN は COCOPA との対話再開の意向を表明し、11 月にチャパス州の首都サン・

クリストーバル・デ・ラ・カサス市で対話が開かれた。その席で EZLN は CONAI の解散を遺憾としながらも、政府との和平交渉再開には、前提条件が満たされること が必要であると強調した。

2000 年 12 月 1 日に就任したフォックス大統領は、チャパス州の軍の検問所(53 ヵ所)を廃止し、1996 年 2 月の取り決めに基づく法律を議会に提出することを明ら

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かにした。これに対して、EZLN のマルコス副司令官は、交渉再開の条件として㈰チ ャパス州の 7 ヵ所の軍事基地を閉鎖する、㈪拘禁されている EZLN のメンバーを釈 放する、㈫政府が議会に提出した法律を施行する、の 3 点を要求した。政府は 4 ヵ 所の軍事基地の閉鎖など、要求の一部を直ちに実施した。2001 年に入り、政府はチ ャパス州の平和回復のためのいくつかの措置を提案したが、3 月にマルコス副司令官、

その他の EZLN のリーダーがメキシコ市で集会を開き、推定で 15 万人の支持者がこ の集会に参加した。

2001 年 4 月にメキシコ上院は全会一致で先住民の権利に関する法案を可決した。

しかし、上院は法案を大幅に修正した。すなわち、法案は前セディージョ政権による 1996 年 2 月の EZLN との合意に基づいているが、上院の修正は先住民の自治の権利 に対して連邦政府の優位性を明確に規定した。この修正には PRI のみならず、PAN の議員も一部が同調している。

その原因は PAN のリーダーが、フォックス大統領は党に忠実でないとみているこ とにある。その結果、チャパス州の先住民が要求していた独自の司法権や土地・資源 の利用などに関する自治権が大幅に削減され、「生存権は認めるが、新しい権利は認 められない」ということになり、先住民全国会議はこの法案を拒否し、EZLN は 4 月 30 日に政府との交渉再開を拒否した。

政治的混乱と PRI の退潮

一方、1994 年 3 月、PRI の大統領候補者のルイス・ドナルド・コロシオ氏が選挙 戦中に暗殺された。この暗殺はマリオ・アルブト・マルティネスという青年による単 独犯で、特に動機はないとされたが、犯人逮捕のあとで、警察や情報当局と強いつな がりのある PRI 内の保守派による陰謀という見方が強まった。マルティネスは 1995 年 2 月に 42 年の禁固刑が科された。

サリーナス大統領は、コロシオ候補の選挙参謀で閣僚の経験もあるエルネスト・セ ディージョ氏を新たな大統領候補者に指名した。1994 年 8 月 21 日の選挙でセディ ージョ候補は有効投票の 48.8%を得て大統領に選出されたが、PRI の候補者の得票 が 50%に届かなかったのは史上はじめてであった。選挙戦中にセディージョ候補は、

現職の大統領が PRI の次期大統領候補者を指名するという特権を放棄することを約

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束し、また当選後は司法の独立性を高めるとともに、連邦政府の機能から党活動を分 離し、さらに選挙制度の改革が新政権の緊急課題であると言明した。

1994 年 9 月に PRI 事務局長のフランシスコ・ルイス・メシュウが暗殺された。当 初、犯人はメキシコ北東部に拠点をもつ麻薬組織によるものとみられたが、コロシオ と同様に、改革派の進出を恐れる PRI の保守派による犯行との憶測が流れた。一方、

同年 11 月、フランシスコ・ルイス・メシュウの弟のマリオ・ルイス・メシュウは、

PRI の総裁および事務局長などの幹部が兄の殺害犯の調査を妨害しているとして法務 次官を辞任し、米国へ亡命した。

1995 年 2 月、サリーナス前大統領の兄のラウル・サリーナスは義弟のフランシスコ・

ルイス・メシュウの殺害に共謀したとして逮捕された。一方、マリオ・ルイス・メシ ュウは麻薬資金の洗浄を理由に亡命先の米国で逮捕された。サリーナス前大統領はセ ディージョ政権に対して批判的キャンペーンを続けたが、その後家族同伴で米国に移 った。兄のラウル・サリーナスは 1999 年 1 月に 50 年の禁固刑を科され(同年 7 月 に 28 年に減刑)、また 9 月にはマリオ・ルイス・メシュウは米国で自殺した。

1995 年 5 月のグアナハト州知事選挙で PRI の候補者が PAN の候補者に敗北し、

ユカタン州では PRI 候補者が辛うじて勝利を収めた。6 月に入り PAN は、ユカタン 州知事選挙に不正があったとして、政府との選挙制度を含む政治改革に関する協議か ら離脱した。また、6 月に PRD が法務大臣に 1994 年 11 月に行われたタバスコ州知 事選挙で PRI が不正な支出を行ったとの証拠を提出し、政治的緊張が高まった。

1996 年に入り政府は選挙制度改革に関する協議を再開しようとしたが、野党の反 対で協議は一進一退を繰り返した。しかし、7 月に PRI、PAN、PRD および労働党(PT)

が、従来大統領により任命された連邦区(メキシコ市)長を公選とする、政党に対す る公的補助の増額および規制の強化、上院の比例代表制、海外に在住するメキシコ人 に選挙権を与えることおよび選挙管理委員会(IFE)の独立性などに関し合意に達し た。改革は 8 月に議会の承認を得たが、11 月に PRI の保守派は最近の地方選挙での 支持率の低下に対処するため、下院で選挙制度改革法案に多数の修正を加えるのに成 功した。

1997 年 7 月に実施された議会選挙の結果、500 人の下院で PRI は 239 議席を獲 得したが、はじめて過半数を失った。これに対して、PRD と PAN は勢力を伸ばし、

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それぞれ 125 および 122 議席を獲得し、残る 14 議席はメキシコ緑の環境党(PVEM、

8 議席)と PT(6 議席)に配分された。

一方、上院(128 議席 4 分の 1 の改選)では PRI は過半数を上まわる 78 議席 を確保したが、野党が何れも勢力を伸ばし、PAN が 33 議席、PRD14 議席、PT と PVEM がそれぞれ 1 議席、無所属 3 議席となった。さらに、PRI は同時に行われた 6 つの州の知事選挙で 2 州を PAN の候補にポストを奪われた。加えて連邦区(メキ シコ市)長選挙では PRD のカルディナス候補が 47.8%を得票して PRI 候補(25.6%)

を破って当選した。

PRI は選挙で敗北した結果、党内の対立が深まり、1997 年 9 月には党総裁が辞任 したほか党員数人が離党し、PRD に移籍した。一方、下院ではじめて多数を制した 野党の PAN、PRD、PT および PVEM は非公式ながら連携することとし、予算や腐 敗防止を含む主要な下院委員会を支配することになった。

しかし、PRI の支持率は 1998 年に入り幾分持ちなおし、10 の州知事選挙では 7 州で勝利を収めた。とくに、これまで PAN の拠点であったチウアウア州の知事ポス トを獲得したことは注目される。しかし、1999 年に入り、バハ・カリフォルニア・

スル州の知事選挙で PRI は、PRD・PT・PVEM の連合に敗れた。2000 年 10 月のタ バスコ州知事選挙で PRI 候補が選出されたが、PAN および PRD は選挙の不正を非難 し、州議会は暫定知事を指名することになった。

フォックス政権に対する評価

2003 年 12 月、フォックス大統領は 6 年の任期の中間点に到達した。日刊紙 Reforma の世論調査によると、大統領に対する支持率は 58%と依然として高い。し かし、政府の経済運営に関しては支持率が 37%とあまりかんばしくない。一般にフ ォックス政権は種々の理由から無力とみられている。そのひとつは、現代史におい て最初の非 PRI 政権であるため政策遂行の経験が不足していることである。また、

PAN は少数与党であるほか、大統領と PAN 指導層が一枚岩でないことなども影響し ている。

2000 年 12 月の政権発足の際にフォックス大統領は、優先課題のひとつとして貧

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困政策を挙げ、税制改革の重要性を強調した。

税制改革は貧困対策の実施や教育制度の改善のための資金をまかなうために必要な だけでなく、いっそうの外国投資の誘致に不可欠なメキシコの信用格付の引き上げの 条件ともなっている。

メキシコの税収は過去 10 年間 GDP 比 9.3 〜 11.6%で推移し、全米州諸国平均の 13.7%(1998 年)にも達していない。また、メキシコの財政は、相場変動が激しい 石油収入に多くを依存しているので、安定した税収を確保するには石油依存を引き下 げ課税基盤を強化する必要がある。政府は現在免除されている食料品と医薬品に対し て付加価値税(IVA)を課すことを意図したが、多くの議員がこの案に反対した。野 党のみならず、与党 PAN の中からも反対の声が上がったため、政府は IVA の対象拡 大を断念した。

一方で、これにより生じる税収・歳入減を補うため、5%の奢侈(しゃし)税の導入や、

酒、たばこに課税される特別税の引き上げなどが合意され、税制改革関連の法案が可 決された。(65 〜 66 ページ参照)

このような状況に至ったのは、PAN が無条件で大統領のイニシアチブを支持して おらず、とくに税制改革に関しては、大衆の支持もなかった。

フォックス政権の閣僚はそれぞれが自分のシナリオで活動しているといわれ、閣僚 間で政策についての調整がないといわれる。理由の一端は前述政策遂行上の経験不足、

あるいは大統領の政治手法にある。2001 年 9 月 11 日の米国における同時多発テロ に関してカスタニェーダ外相(当時)は直ちに米国の立場を支持すると声明したが、

サンチャゴ・クレエル内相は国内の反米感情に配慮する発言をしている。大統領は外 相支持を表明し、論争を決着させた。また、政府は税制改革などの政策に関し野党だ けでなく、党の執行部とも協議せず、法案の議会提出前に根回しをしてコンセンサス を得ていなかったといわれている。

フォックス政権が政策遂行に当りつまずいているのは、単に行政府の混乱や一貫性 の欠如によるだけでなく、メキシコの政党がメキシコの新しい民主主義の環境に十分 に対応できていないことにある。

2003 年 7 月に下院議員選挙が実施されたが、与党の PAN は 55 議席を失い、改 選前の 206 議席から 151 議席へと少数与党の立場をいっそう明白にした。これに対

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して、PRI は 210 議席から 224 議席へ、また PRD は 50 議席から 97 議席へとそれ ぞれ勢力を伸ばした。下院の選挙と同時に 6 州の知事の改選が行われたが、PAN と PRI が支配する州の数に変化はなかった。このような選挙の結果、政府にとって税制 改革などの構造改革プログラムに対する議会の支持獲得はいっそう困難となった。

一方、この選挙では、有権者の棄権率が約 60%と過去最高となった。これは有権 者の政治に対する無関心の度合いが大きいことを明らかにした。

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●米国との関係に変化なし

 1994年に NAFTA が発効してから、メキシコと米国は両国間で次に進むべき方向を模索して いる。カスタニェーダ前外相は NAFTA をEU 型の機構に転換し、労働者の移動を自由にする とともに、貧しい国に対しては社会開発援助を行うようにすべきであると提案した。EU はかつて 貧しい国であったスペインとポルトガルに対する開発援助が両国の経済を高め、共同市場として 発展する一因となったことを認識し、フォックス大統領は米国にメキシコにも同様の援助を期待し た。大統領は、ブッシュ政権に対して現在米国で不法に就労している数百万人のメキシコ人を 法的に認知し、労働者の自由移動への第一歩とするよう要求した。

 しかし、多額の援助と不法移民の合法化は、ブッシュ政権にとって容易に受け入れることはで きない。労働者の自由移動は、メキシコの労働賃金が米国の水準に対して数分の 1(116ペー ジ表参照)という状況では現実性がない。米国の政治家の多くは「1986年移民改革取締法」

により不法移民に対してアムネスティを適用したが、その後の不法移民の流入を阻止できなかっ たことから、米国法の執行に対する信頼が損なわれたとみている。そのため、2001年 9月の同 時多発テロ事件を契機に、米国政府はメキシコの要求を拒否することになった。

 一方、2001年 9月にフォックス大統領とブッシュ大統領は「繁栄のためのパートナーシップ」

と称するプログラムに合意した。これはメキシコの後進地域における投資促進を目的とするもので、

米国ははじめてメキシコに米国の海外民間投資公社(OPIC)を設置したほか、平和部隊を派 遣した。

 9・11一周年の数日前、メキシコはリオ条約(米州相互援助条約)から脱退した。これは北 大西洋条約機構(NATO )の米州大陸版で、域外からの武力攻撃に対して加盟国が協力し て対処するという機関である。メキシコはリオ条約を冷戦時代の遺物であると考える一方、米国 は同条約に基づく軍事行動にメキシコの参加を期待したことはなかったが、脱退は友好国とみる 隣国からは象徴としての支持さえ期待できないと理解した。9・11に伴う外交上の難問に直面し たとき、メキシコは外交的に行き詰まったが、同情は従属ではないとしながらも、同情はおろか、

北の隣国の脆弱な面に理解を示すこともできなかった。

 イラク戦争直前にメキシコの立場は動揺した。米国不支持の決定は、国内の反米感情と同 盟国の圧力によるものとみることができる。移民に関して米国から新たな合意が得られなかったこ とから、メキシコは国内の支持者向けに反米的姿勢を鮮明にする必要があると判断したとみられ る。しかし、米国との関係ではマイナスであった。

 幸いなことに、米国・メキシコの安全保障に関する関係は、このような象徴的行為の影響に 左右されることなく良好である。

〔出所〕M. Delal Baer : Mexico at an Empasse., in Foreign Affairs, January/February 2004, pp109-111

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2 社会情勢

汚 職

人権問題と並んで汚職の一掃はフォックス大統領の選挙公約の 1 つであったが、

これらの問題にほとんど手がつけられていない。メキシコでは人権が尊重されていな いことは、2001 年 10 月に市民の自由に関する活動家の弁護士が殺害され、また 12 月にはアムネスティ・インターナショナルからメキシコ軍が人権侵害に広範に関与し たとの報告書が公表されたことから明らかである。これに対して、大統領は 1970 年 代から 1980 年代に軍により拘束された 532 人の行方不明者について正式に糾明す ると声明した。2002 年 2 月、大統領は、軍の資産を横領したとして 1993 年に 28 年の禁固刑を科されたホセ・フランシスコ・ガジャルド将軍の釈放を命じた。ガジャ ルド将軍の支持者や人権グループは、犯罪はでっちあげられたもので、将軍は軍の司 法体制の改革を要求したため投獄されたと主張している。政府は、2000 年の大統領 選挙の際に石油公社(PEMEX)が秘密裏に PRI のラバスティーダ候補に選挙資金を 提供したとの申し立てについて調査を行うと発表した。

メキシコは政府、政府機関、軍など多くの公共部門で汚職が慢性化している。行政

●警察は信頼できない

 メキシコにも正直な警察官、裁判官、検事は存在する。問題は誰がそのような公務員であるか ということである。私はメキシコ各地を旅行して州知事と面談し、麻薬取締に関し警察を信頼でき るかをたずねた。すると、ある知事は口ごもり、また他の知事は当惑したが、大抵は「あなたは正気 か?」といいたげな様子で私の顔をのぞいた。大方の知事は警察を信頼していない。

 私がメキシコに着任した1998年に、米国の麻薬取締局(DEA)がメキシコ連邦司法省に協力 した重要な捜査案件では、メキシコ政府を通じて捜査情報がすべて麻薬マフィアに流されてい た。公務員が麻薬資金に汚染されていることが、メキシコの悲劇の大きな要因である。

 新しい世紀に入ってメキシコの警察の腐敗はさらに悪化している。PRIが政権にあったときは 腐敗した公務員に対して少なくともある種の統制が利いていた。しかし、政治的統制力が弛むと、

自分勝手が幅を利かすようになった。

〔出所〕Jeffrey Davidow : The US and Mexico ; The Bear and The Porcupine, Markus Wienner Publishers,       2004, pp87〜90

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開発・監視事務局が 1996 年に実施した警察官への匿名によるインタビューと給与に 関する調査によると、月額 350 ドル未満の警察官は給与の 4 倍を支出しているという。

インタビューに応じた一般の警察官は、大半が一般の市民から奪うか犯罪人と共謀し なければ家族を養うことができないと答えている。また、回答者はこのような行為に つきまとうイメージをあまり気にしておらず、大事なことはお金を手に入れることで あるとしている。

2002 年 4 月、国連人権委員会はメキシコ司法当局の汚職は麻薬取引の増加により 近年悪化しているとの報告書を出した。メキシコでは法律家に説明責任を課すシステ ムがなく、人権保護に当る弁護士に対しては公務員からの威嚇が強まっていると、同 報告書は指摘している。

麻薬をめぐる米国との関係

麻薬取引に関し、メキシコと米国の関係は時々緊張が高まっている。米国政府にと って、メキシコ政府は麻薬取引の取り締まりに協力的でないということが理由である。

1996 年にメキシコ政府は、米国へ麻薬を密輸するとともに密輸で取得した資金を洗 浄したとして、メキシコの有力な麻薬組織の一つであるゴルホ・カルテルの首領の身 柄を米国当局に引き渡した。しかし、1997 年 2 月にメキシコの麻薬取締局長官のヘ スス・グティエレス・ロベジョ将軍が、メキシコのもう一つの麻薬組織ファレス・カ ルテルの首領から賄賂を受け取ったとして解任され、メキシコに対する米国政府の評 価は大きく損なわれた。しかし、同じ時期にメキシコ政府はゴルホ・カルテルの新し い首領を逮捕したため、クリントン政府は 3 月にメキシコを米国の麻薬政策に協力 的であると証明した。また、クリントン大統領のメキシコ訪問直前の 1997 年 5 月に、

メキシコ政府は麻薬取締局を解体し、司法省の下に新たな麻薬取締機関を設置した。

この取締機関には特別な訓練を受け、給与水準も高い取締官が配置されたが、9 月に 18 人の取締官が麻薬取引に関与したとして逮捕された。

クリントン大統領はメキシコ滞在中に国境警備と麻薬および武器の密輸取締に関す る協定に調印した。1998 年 3 月に、米国政府はメキシコを再び麻薬政策に対する協 力国として証明した。しかし、同年 5 月、米国政府当局がメキシコ政府の事前の承 認を受けずにメキシコ領内で麻薬取締を実施したことから、両国の関係は緊張した。

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1999 年はじめに両国は麻薬取締に関する協力協定に調印し、3 月には米国政府の 証明が行われた。同年の 11 月には米国連邦調査局(FBI)の協力を得て、600 人以 上のメキシコ軍兵士がシウダー・ファレス市近郊の 4 カ所で 100 人以上の遺骨を掘 り出した。これはファレス・カルテルの犠牲者とみられている。

2000 年 12 月の就任式の直後、フォックス大統領は米国政府による麻薬政策に対 する協力国としての「証明」という政策を批判し、その廃止を要求した。2001 年 3 月に米国政府は証明は行ったが、2002 年に米国上下両院は証明に終止符を打った。

誘拐事件の増加

最近、首都のメキシコ市では誘拐が多発し、一般の市民が犯罪に対する不安から抗 議行動を行っている。英国のエコノミスト誌(2004 年 6 月 19 日)によると、買い 物客や地域の住民が駐車場で強盗や誘拐が発生したため、取り締りの強化を求めるデ モを行った。このようなデモは、街を埋め尽くすような学校の教師や農民などのデモ とは異なり、小規模である。デモのリーダー(弁護士)によると、これまで誘拐は政 治家により無視され、取り締るという約束は反故にされてきた。

誘拐は、ラテン・アメリカ全体で問題となっている。ニューヨークのある調査会社 によると、世界の誘拐の約半数はラテン・アメリカで発生している。同社によると、

2003 年にコロンビアで 4,000 件(政府発表では 2,043 件)が発生したのに対し、メ キシコは 2 番目に多い 3,000 件で、2,000 件のアルゼンチンを大幅に上回っている。

一方、メキシコ政府はこのような見方に反論し、誘拐は 2001 年の 568 件から 2002 年には 531 件に減少したとしている。しかし、実際にこの数字は届け出のあっ たもので、多くの家族は腐敗がはびこる警察に届け出ていない。一部で警察官自身が 誘拐に関与したことが明らかになっている。例えば、メキシコ市では 2000 年に 141 件であった誘拐事件が 2003 年には 185 件に増加したことが公式の数字として明ら かにされている。

最近まで誘拐の犠牲者は裕福な人びとであったが、今日では中産階級に及んでいる。

誘拐は一種の大衆市場となり、身代金も 10 万ドルに下落している。問題は、誘拐が 暴力的となり、被害者が女性の場合は乱暴され、男性は殴られたり、刃物で切られた りする。

(17)

1 経済構造

  

メキシコ経済は過去 20 年間にわたり商業、金融などのサービス部門が国内総生産

(GDP)の約 3 分の 2 を占め、農林水産業、工業などの財の生産部門は 25 〜 30%で 推移してきた。

2003 年の GDP は、サービス部門が 65.1%、財の生産は 29.9%(残る 5.0%は帰 属利子)である。サービスの内訳は商業・レストラン・ホテルが 19.0%、社会・個 人サービスが 19.2%、金融・不動産 15.9%などである。一方、農林水産業は 5.1%、

工業は 18.3%で、1980 年に比べると前者は 1.3 ポイント低下しているのに対して、

後者は 0.6 ポイント上昇し、サービスが支配的な経済の中で工業の重要性が若干高 まっている。工業製品は輸出の牽引車で、2002 年の輸出総額の 89.1%を生み出し ている。

一方、産業部門別雇用(インフォーマル・セクターを含む)をみると、2003 年の 労働者の 16.8%、6 人に 1 人は農林水産業に属している。16.8%の労働者が GDP の 5%しか得ていないことにかんがみると、同部門の生産性が低いことが明らかになる。

これに対して、工業は 17.2%の労働力で GDP の 18.3%を占め、相対的に高い生産 性を上げているといえる。大統領府によると、工業部門の労働者の生産性は大幅に上 昇しているのに対して、実質賃金は横ばいで推移していることから、工業部門の競争 力は大幅に向上している。

(18)

国内総生産(GDP)構造変化(1993年価格)

2003年:GDP総額1兆6,239億ペソ

  シェア

財の生産  29.9%

 農林水産業  5.1%

 工業  18.3%

サービスの生産  65.1%

  95.0%

税  5.0%

雇用の内訳(2003年) 雇用総数 4,063万3,200人

  シェア

財の生産  41.6%

 農林水産業  16.8%

 工業  17.2%

サービスの生産  58.4%

1980年:GDP総額9,478億ペソ

  シェア

財の生産  31.8%

 農林水産業  6.4%

 工業  17.7%

サービスの生産  62.0%

  93.8%

税  6.2%

注:*=社会保険庁(IMSS)登録の正規就労者のほか、いわゆるインフォーマルセクターの     労働者を含む(114ページの表「産業別雇用動向(年平均)」に基づく)

サービスの 生産 62.0%

税 6.2%

財の生産31.8%

17.7%工業 農林水産業

6.4%

サービスの 生産 65.1%

税 5.0%

財の生産29.9%

18.3%工業 農林水産業 

5.1%

サービスの 58.4%生産

財の生産41.6%

17.2%工業 農林水産業

16.8%

(19)

2 経済動向

2003 年の動向

2003 年の実質経済成長は政府・民間の予想を下回る 1.3%の低水準にとどまった。

メキシコ銀行(中央銀行)によると、その要因はイラク戦争による国際情勢不安およ びそれに伴う不透明感による投資家・消費者双方の信頼感が失われたことにある。

2003 年経済を総需要・総供給からみると、四半期毎の国内総生産(GDP)の伸び はそれぞれ 2.5%、0.1%、0.6%、2%で、年間の総需要・総供給の伸びは 0.7%、前 年の 0.9%より 0.2 ポイント低下した。総供給は国内総生産(GDP)の伸びが低迷し たのに加え、輸入(財・サービス)が 1.0%減少したことが影響している。一方、総 需要は総消費が 2.9%の増加、輸出も 1.1%増加であったが、総投資が 0.4%の減少 であった。

総消費の伸び(2.9%)が GDP の伸び(0.7%)を上回ったのは、6 年連続である。

総消費のうち民間消費の伸びは 3.0%で、過去 2 年の 2.5%、1.3%を上回っている。

2003 年の民間消費が拡大した要因は、いくつかの部門で実質所得が向上したほか、

低金利および消費者向け信用が拡大したことにある。とくに、消費者向け信用は、小 売業者による無利子の割賦販売という販売促進が影響している。また、海外のメキシ コ人移民からの送金(2003 年は 133 億ドル。47 ページ表参照)も消費に大きく貢 献している。消費の内訳をみると、非耐久財およびサービスが前年比 3.5%の伸びと なったのに対して、耐久財消費は 0.6%のマイナス成長であった。

2003 年の総投資は前年比 0.4%の減少で、3 年連続のマイナス成長であった。と くに、機械・設備投資の落ち込みは 3.8%減と大きかったが、建設は 3.4%の伸びを 記録した。機械・設備のうち、国産品に対する需要は 5.1%減、輸入品は 2.9%減で あった。また、総投資のうち、民間部は 5.7%の減少であったが、政府投資は逆に 22.4%の大幅増となった。民間投資減退は年間の大半(1 〜 8 月)、商業活動に関す る指標や製造業における信頼感が低迷したことに起因するのに対して、政府投資拡大 の要因はエネルギー、運輸・通信、水道など公共投資の伸びにある。

2003 年の外需(輸出)の 1.1%増の要因は、米国向け輸出が 4.5%増加したこと

(20)

が大きく影響している。

2003 年の GDP に占める総資本形成は 19.8%で、2001 年から 3 年連続して前年 を下回った。一方、2003 年の国内貯蓄は GDP の 18.3%で、前年より 0.3 ポイント 低下したが、総資本形成の落ち込みがそれを上回った結果、海外貯蓄は前年(2.2%)

より 0.7 ポイント低い 1.5%にとどまった。一方、国内貯蓄の低下は総消費(2.9%)

が GDP(1.3%)の伸びを上回ったことを反映したものである。

次に、GDP を主要産業部門別にみると、農林・牧畜・水産業および各種サービス 部門は相当の成長を記録したが、鉱工業部門は建設を除き低迷した。とくに、GDP の 17.2%を占める工業は前年比 2.0%の減少を記録した。農業部門は豊富な降水に 恵まれ、秋・冬作物ならびに春・夏作物ともに収穫が向上した。工業部門の 2.0%の マイナス成長の要因はマキラドーラ部門の 1.1%減とその他の工業の 2.1%減による。

とくに、マキラドーラは 3 年連続してマイナス成長であった。工業部門は 49 分野で 構成されるが、プラスの成長を達成したのは 21 分野で、残りの 28 分野はマイナス 成長であった。自動車分野も生産が減退し、2003 年の生産台数は前年比 12.7%減と なった。自動車の減産(台数)のうち、輸出向けは 11.3%減、国内向け 16.3%減で あった。一方、2003 年の自動車の国内販売台数は前年比 0.3%増であったが、増加 したのは輸入車(10.0%の伸び)で、国産車は 11.9%減少した。2003 年の自動車輸 出は生産全体の 74.8%、また国内需要の 60.9%は輸入車でまかなわれた。

2003 年のサービス部門は前年比 2.1%増であった。その内訳は運輸・倉庫・通信 が 3.3%、金融不動産 4.3%などである。

一方、2003 年の消費者物価の上昇率(年末値)は 3.98%で、前年より 1.72 ポイ ント低下した。政府が設定したインフレ目標は 3%プラス・マイナス 1 ポイント以内 であるから、目標は達成された。物価下落の要因として、メキシコ銀行は次の 3 点 を指摘している。①インフレ抑制に対応した金融政策を実施した、②国内需要が低迷 した、③第 2 四半期以降供給面で問題がなかった。

(21)

3 主要経済指標

国内総生産(GDP)(時価10億ペソ)

実質GDPの伸び(%)

消費者物価上昇率(年末比、%)

民間消費の伸び(%)

民間投資の伸び(%)

輸出(財・サービス)の伸び(%)

輸入(財・サービス)の伸び(%)

貿易収支(GDP比、%)

経常収支(GDP比、%)

通貨供給(年伸び率、%)

 マネタリー・ベース  M1

 M2

金利(年率、%)

 短期国債 (CETES、28日)

貯蓄・投資・対外債務(GDP比、%)

 総資本形成    海外貯蓄   国内貯蓄  対外債務

1999 4,594 3.7 12.32 4.3 7.2 12.4 14.1

1.2

2.9

8.4 2.9 6.3 21.41

23.5 3.0 20.5 34.5

2000 5,491 6.6 8.96 8.2 9.0 16.4 21.5

1.4

3.1

14.7 11.1 7.8 15.24

23.8 3.1 20.7 27.3

2001 5,829

0.1 4.40 2.5

5.9

3.8

1.6

1.6

2.9

5.4 8.2 8.4 11.31

20.9 2.9 18.0 25.2

2002 6,262 0.7 5.70 1.3

4.0 1.5 1.4

1.2

2.2

11.4 12.9 7.4 7.09

20.8 2.2 18.6 24.4

2003 6,755

1.3 3.98 3.0

5.7 1.1

1.0

0.9

1.5

10.7 7.0 6.9 6.23

19.8 1.5 18.3 25.8 主要経済指標

注:*=暫定値

〔出所〕Banco de México : Informe Anual, 2003

(22)

総供給

 国内総生産(GDP)

 輸入(財・サービス)

総需要  総消費   民間   政府  総投資   民間   政府

輸出 (財・サービス)

2000 10.3 6.6 21.5 10.3 7.4 8.2 2.4 11.4 9.0 25.2 16.4

2001

0.5

0.1

1.6

0.5 1.9 2.5

2.0

5.6

5.9

4.2

3.8

2002 0.9 0.7 1.4 0.9 1.2 1.3 0.1

1.0

4.0 14.2 1.5

2003 0.7 1.3

1.0 0.7 2.9 3.0 2.5

0.4

5.7 22.4 1.1 総供給・総需要(GDP比伸び率)

〔単位:%〕

〔出所〕Banco de México : Informe Anual, 2003

総供給

 国内総生産(GDP)

 輸入(財・サービス)

総需要  総消費   民間   政府  総投資   民間   政府

輸出 (財・サービス)

2000 10.3 6.6 21.5 10.3 7.4 8.2 2.4 11.4 9.0 25.2 16.4

2001

0.5

0.1

1.6

0.5 1.9 2.5

2.0

5.6

5.9

4.2

3.8

2002 0.9 0.7 1.4 0.9 1.2 1.3 0.1

1.0

4.0 14.2 1.5

2003 0.7 1.3

1.0 0.7 2.9 3.0 2.5

0.4

5.7 22.4 1.1 総供給・総需要(GDP比伸び率)

〔単位:%〕

〔出所〕Banco de México : Informe Anual, 2003

(23)

総供給・総需要  国内総生産(GDP)

 輸入(財・サービス)

 最終消費   民間   政府

 総固定資本形成   民間

  政府  在庫の増減  輸出(財・サービス)

 注:*=暫定値

〔出所〕Presidencia de la República:Informe de Gobierno, 1 de septiembre de 2003 2001

2,195.1 1,599.9 595.4 1,292.4 1,137.3 155.0 314.9 267.5 47.5 44.1 543.8

2002 2,216.5 1,611.7 604.8 1,304.1 1,151.0 153.1 310.9 260.0 50.9 49.8 551.6

2003 2,152.8 1,597.9 554.8 1,268.6 1,124.4 144.2 301.6 259.3 42.3 58.1 524.5 2000

2,207.0 1,602.5 604.5 1,264.0 1,107.0 157.0 334.4 279.9 54.5 44.5 564.1 国民総供給・総需要(1993 年価格)

〔単位:10億ペソ〕

農林・牧畜・水産業 鉱業

工業 建設

電気・ガス・水道 商業・レストラン・ホテル 運輸・倉庫・通信 金融・不動産 個人・社会サービス 総額(輸入税等を含む)

2000 80.9 19.1 317.1 62.8 24.0 321.8 165.5 229.8 294.5 1,602.5

2001 85.9 19.3 305.3 59.5 24.3 315.7 171.8 240.3 293.6 1,599.9

2002 82.9 19.2 303.4 60.5 25.2 314.3 175.6 250.9 297.5 1,611.7

2003 83.5 19.6 297.1 61.0 24.7 308.6 178.3 258.3 311.8 1,623.9 部門別国内総生産(GDP)(1993 年価格) 〔単位:10 億ペソ〕

  注:*=暫定値

〔出所〕Presidencia de la República : Informe de Gobierno, 1 de septiembre de 2003

(24)

食料、飲料、タバコ 衣料・はき物 住居

家具・家庭用品 医療

運輸

教育・レジャー その他サービス 総合

注:暫定値

〔出所〕 Presidencia de la República:Informe de Gobierno, 1 de septiembre de 2003 2002

103.7 101.0 104.7 99.4 101.3 100.2 104.5 101.8 102.9

2003 104.7 99.9 105.4 99.2 105.0 101.5 107.6 105.6 104.3 2001

98.4 98.8 95.6 101.5 97.7 96.4 97.5 95.6 97.4 2000

94.8 95.0 93.1 101.0 92.2 92.8 88.2 87.1 93.2 消費者物価指数(全国、年末値)

〔2002年6月後半=100〕

年末比 年平均比

2001 4.40 6.37

2002 5.70 5.03 2000

8.96 9.49 1999

12.32 16.59

2003 3.98 4.55 消費者物価上昇率

〔単位:%〕

〔出所〕 Banco de México : Informe Anual, 2003

ペソ/ドル 前年比(%)

〔出所〕 IMF : International Financial Statistics, April 2004 2001 9.1423 4.7 2000

9.5722

△ 0.6 1999

9.5143 3.6

2002 10.3125

△ 11.3

2003 11.2360

△ 8.9 為替レート(各年末)

(25)

1 貿易構造・政策

概 況

メキシコは 1980 年代から貿易および投資の拡大のため急速に経済政策を転換し た。国連ラテン・アメリカ経済委員会(CEPAL)資料によると、1980 年の GDP に 占める輸入(財およびサービス)の比重は 13.0%であったが、1999 年には 32.7%

と大幅に上昇している。輸入の比重は、とりわけ 1980 年代半ばの輸入自由化以来 着実に拡大している。これに対して輸出(財およびサービス)の比重は 10.7%から 32.2%に増大している。

メキシコ経済の開放度を GDP に対する輸出入(財およびサービス)の合計でみると、

1980 年は 23.7%であったのに対して、1994 年 39.5%、2003 年には 67.5%と大き く上昇している。とくに著しいのは工業製品の輸出増加で、メキシコ銀行資料による と 2003 年の輸出総額(FOB)に対して工業製品は 89.1%を占めるに到っている。

その結果、1990 年代の輸出構造は 1980 年とは全くの様変わりである。すなわち、

1980 年の輸出は原油が 60.9%を占めていたが、2003 年に原油の比重は 8.2%に低 下している。さらに、1980 年の上位 10 位の輸出品は自動車部品を除き、何れも一 次産品もしくはその加工品であったのに対して、2001 年のそれは原油を除き、何れ も工業製品となっている。

工業製品輸出の急速な成長の要因はメキシコが 1980 年代半ばから工業に対する保 護政策を改め、経済を開放し、貿易の自由化に向かったことにある。しかし、貿易の 自由化ですべてを説明できるわけではない。というのは、中南米諸国の大半が経済開 放、貿易の自由化を推進してきたが、メキシコほどの成果を上げている国はない。メ キシコの成功の一因は、1940 年代後半から維持された輸入代替工業化(ISI)が一定 の成果をあげ、工業に有利な環境を用意したことにある。もう一つの要因はメキシコ

(26)

の立地で、米国と国境を接しているため、ISI 体制の中で多国籍企業の多くがメキシ コに工場を建設し、工業製品輸出に貢献した。1980 年代半ば以来の輸入の自由化の ほか、とりわけ 1994 年の北米自由貿易協定(NAFTA)の発効以降には多国籍企業 による生産拠点の設置が増加している。

同時に、1994 年 12 月の経済危機に伴うペソの大幅切り下げとその後の国内需要 の急減で輸出に拍車がかかった。

しかし、このように著しい輸出実績の陰にある問題を指摘できる。すなわち、輸出 が特定の比較的少数の品目に集中しているだけでなく、少数の企業による特定の国へ の輸出となっている(2003 年の場合、輸出総額の 88.8%が米国向け)。輸出企業数 についてみると、1995 年に 100 万ドル以上を輸出した企業は 1,900 社余りあるが、

このうちの約 300 社が輸出全体の 80%以上を支配していた。

北米自由貿易協定(NAFTA)

1993 年 の 米 国 お よ び カ ナ ダ と の 間 の 北 米 自 由 貿 易 協 定(NAFTA:.North.

American.Free.Trade.Agreement)の締結は、サリーナス政権(1988 〜 94 年)の 最大の通商上の実績である。サリーナス大統領は、民間投資の促進により新しい技術 の導入をはかり、また反ダンピング措置などの輸入制限を受けることなくメキシコ産 品を米国に輸出できるよう、米国との自由貿易を追求した。自由貿易を目指すメキシ コの開発戦略は、高付加価値の工業製品の輸出促進に基づくもので、そのためには米 国市場へのアクセスは不可欠である。大統領が米国とカナダとの自由貿易協定の締結 を意図したのは、メキシコの経済政策が一貫していることを投資家に認識させ、貿易 上の紛争に対しては法的な手続きを用意することにあった。

このようにして成立した NAFTA により、メキシコの米国向け輸出に対しては新た に 3,100 品目が免税品として追加され、対米輸出品の 80%が無税となった。およそ 4,200 に上る品目が一般特恵制度(GSP)によりすでに輸入税は免除されている。

一方、メキシコは米国およびカナダからの輸入に対して 5,900 品目の輸入税を免 除する。この対象品目は大半が機械および中間財で、メキシコの輸入全体の 40%以 上に及ぶ。

(27)

本協定ではその他の品目については、5、10、15 年に分けて関税が引き下げられ るが、メキシコは米国、カナダよりも長期の猶予が与えられている。

NAFTA では、繊維製品、自動車・同部品および農産物については特別のルールが 定められている。また、商品貿易のほかに、陸上輸送、通信、金融サービス、政府手 続きなどのサービスについても規定されている。さらに、NAFTA でメキシコはエネ ルギー部門を除き、外国投資に関する制限の廃止が求められている。

以上の結果、人口 3 億 5,600 万人、GDP6 兆ドルの大規模な自由貿易地帯が出現 することになった。

最近の貿易政策

《自由貿易協定》

1980 年代半ばのメキシコの貿易政策は自由化に向けて大きく転換した。これは 1982 年に発生した対外債務危機を契機とするもので、1985 〜 87 年に大幅な政策転 換が行われた。メキシコ政府は関税・貿易一般協定(GATT 〜現在の世界貿易機関 WTO の前身)に加盟を申請し、1986 年に加盟国となった。その結果、輸入に当り 事前に取得が要求された輸入ライセンスの対象品目は急速に削減され、1993 年に同 ライセンスの対象品目は 16.5%に減少した。また、輸入税率も段階的に引き下げられ、

1987 年までに 0 〜 20%となった。

一方、メキシコは NAFTA に加えて多くの特恵貿易協定の締結により貿易拡大をは かっている。

メキシコは、チリ(1992 年)、ボリビア(1995 年)、コスタリカ(1995 年)、3 ヵ国グループ(コロンビア、ベネズエラおよびメキシコ、1995 年)、ニカラグア(1997 年)と貿易協定を締結している。また、2000 年 3 月、メキシコは EU と自由貿易協 定に調印した。EU との協定では工業製品および農産物に対する関税の段階的引き下 げのほか、サービス貿易の自由化や公共調達に関する優先的なアクセスについて規定 されている。このほか、メキシコは 1991 年にホンジュラス、グアテマラとも暫定的 な自由貿易協定を結んでいる(この暫定協定にはコスタリカ、ニカラグアも加わって いた)。

チリとの協定では 1998 年はじめから相互にすべての輸入税が撤廃され、またボリ

(28)

主要輸出10品目の変遷

注:*=自動車部品、生鮮野菜、原綿、銅鉱石、石油製品 原油

天然ガス コーヒー エビ類

その他5品目 10品目合計 その他

シェア 60.9%

4.0%

2.9%

2.6%

2.4%

7.1%

79.9%

20.1%

注:*=事務機器、自動車部品、牛肉、トマト、コーヒー 原油

乗用車 内燃機関 石油製品

生鮮野菜(トマトを除く)

その他 5品目 10品目合計 その他

シェア 33.9%

9.9%

5.8%

2.4%

1.7%

6.5%

60.2%

39.8%

注:*=テレビ受像機、絶縁ケーブル、自動車部品、発電機、スイッチ盤

〔出所〕 CEPAL:Anuario Estadístico de America Latino y el Caribe, 2002 乗用車

原油 事務機器 通信機器 トラック その他 5品目 10品目合計 その他

シェア 9.6%

7.3%

6.1%

4.1%

4.1%

16.9%

48.1%

51.9%

1980 年:輸出総額 155 億 1,530 万ドル

1990 年:輸出総額 227 億 8,580 万ドル

2001 年:輸出総額 1,586 億 8,360 万ドル

その他 20.1%

原油 60.9%

その他5品目 7.1%

銀 2.4%

エビ類 2.6%

コーヒー 2.9%

天然ガス 4.0%

原油 33.9%

その他 39.8%

石油製品 2.4%

その他5品目 6.5%

生鮮野菜 1.7%

内燃機関 5.8%

乗用車 9.9%

乗用車 9.6%

原油 7.3%

事務機器 6.1%

通信機器 4.1%

トラック 4.1%

その他5品目 16.9%

その他 51.9%

(29)

ビアとの協定ではメキシコからの輸入の 97%が自由化されている。一方、コスタリ カおよび 3 ヵ国グループとの協定では 2004 年までにすべての輸入税が撤廃される(コ スタリカとの協定では農産物は対象外)。ニカラグアとの協定ではメキシコの工業製 品輸出は 2008 年までにすべて自由化される。

このような各国・地域との自由貿易協定はメキシコの輸出振興を目的としているが、

同時に市場の多様化により、米国への依存を引き下げ、その景気変動の影響を緩和す るねらいがある。

《マキラドーラ発展の概要》

米国との関係で注目すべきこのマキラドーラは、1961 年に実施された「国家国境 プログラム」を契機とする。このプログラムは、米国ケネディ政権の「進歩のための 同盟」に基づく開発援助と国境地帯の雇用問題への対応を目的としたもので、地域開 発の一環として国境の諸都市の社会資本の整備、観光開発、産業振興によって雇用を 拡大することをねらいとした。その後、アジア諸国の輸出保税加工業が世界的に注目 され、韓国、台湾の実情調査の結果、メキシコへの応用が検討された。

1966 年 6 月に発表された「メキシコ国境工業化計画」は、輸出向けの労働集約的 工業の開発を目的としたもので、メキシコ湾岸から太平洋岸までの約 3,400km、幅 20km の米国との国境地帯に外国企業の工場設立を許可するものである。この制度に より、国境地帯では 100%外国資本による工場設置が可能となり、生産活動に必要な 機械・設備、原材料・中間財の輸入については輸入税が免除される(保税輸入)。こ のほか、工場の運営に不可欠の外国人技術者の入国に制限を課さないなど、さまざま な特典があるが、原則として製品はすべて輸出されなければならない。

当初、この工業地帯は米国企業の独壇場であったが、西欧諸国、とくに EU やカナ ダ、日本の多国籍企業が進出し、原材料などを輸入して衣類、家電製品、エレクトロ ニクス製品、自動車部品などを組み立て生産し、主に米国市場に販売した。

北部国境地帯に限られていたマキラドーラは、1989 年から地理的制約がはずされ、

新体制のもとで全国各地にマキラ工場が設置されるようになった。

このような経緯で発展してきたマキラドーラにおける工場は 2001 年(平均)で 3,684 を数え、その約 60%の 2,222 工場が米国との国境地帯に集中していた。また、

(30)

マキラドーラ輸出は 2000 年がピークで、メキシコの輸出総額の 47.7%に当る 794 億 6,700 万ドルに達した。この額はメキシコの工業製品輸出総額の 55%を占める。

一方、マキラドーラの当初の目的であった雇用創出についてみると、ピークの 2000 年(平均)の 3,590 工場で約 129 万人が雇用されていた。(マキラドーラの工場数、

雇用数などについては、96 および 99 ページ参照)

《輸出のための一次輸入プログラム(PITEX)》

マキラドーラ制によらない企業が利用するもう一つの輸出振興制度は税の払い戻し

(drawback)である。この制度により企業は輸出品の製造に必要な原材料などのた めに支払った輸入税の払い戻しを受けられる。一般にメキシコではこの制度は主とし て単発的な輸出企業によって利用され、輸出額もわずかである。

一般の輸出企業が輸出に対して税の払い戻しを受けるために利用する制度は、輸出 のための一次輸入プログラム(PITEX)である。PITEX によると、輸出業者は輸入 税を支払わずに原材料などを輸入することができる。この制度の利点は、企業は輸入 税のほか、付加価値税(VAT)、その他も免除されることにある。PITEX を利用する には、企業は年間少なくとも 50 万ドル、または生産高の 10 〜 30%《輸入品が原材 料か資本財かにより異なる》を輸出しなければならない。この制度が適用されている 企業は約 3,200 社に達し、その輸出額は 1995 年の場合、輸出総額の 29.3%を占め ている。

《マキラドーラ関連制度の改正》

NAFTA 協定ではその 303 条で加盟国向け輸出にかかわる部品などの保税輸入の廃 止が規定され、また WTO では輸出を条件とした機械の保税輸入の廃止が規定されて いる。そのため、政府は NAFTA 発効前の 1998 年 11 月と発効後の 2000 年 10 月に マキラドーラおよび PITEX に関する制度を改正した。改正の要点は、①マキラドーラ、

PITEX 制度の一部改正、②産業分野別生産促進措置(PROSEC)の導入、③新マキ ラドーラ、PITEX、PROSEC の運用にかかる細則の発表である。

改正点の概要は、NAFTA 域内向けに輸出される場合、①非 NAFTA 産の部品、原 材料の輸入に対しては、2000 年 11 月 20 日以降関税が賦課される(NAFTA 産は保

参照

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