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国立歴史民俗博物館研究報告 第217集 2019年9月
本論は,日本列島・古墳時代および韓半島・三国時代の古墳・集落出土土器資料を対象に,5 世 紀代における栄山江流域を中心とする全羅道地域と日本列島中央部に位置する近畿地域との相互交 流の実態を探ろうとするものである。そのために,次に述べる考古資料を対象に分析をおこなった。
第一に,5 世紀代における東アジア情勢を概観したうえで,𤭯・有孔広口小壺という儀礼用土器 に着目して,この土器が 5 世紀代に日本列島広域と全羅道地域を中核とする韓半島各地に共有され る考古学的現象を捉えた。第二点目として,2000 年代以降,栄山江流域を中心に資料数が増加し た須恵器の時期比定を再検討し,日本列島における須恵器生産の再評価も加味して,須恵器に関し ても日本列島と百済・全羅道地域の相互交流を確かめた。以上の土器からみえる相互交流は,近畿 地域において有機的な関係をもって展開する集落出土韓半島系土器,手工業生産拠点,初期群集墳 の動態と結びつけて捉えることが可能である。そこで第三の論点として,土器,集落,小規模古墳 に関する近年の研究動向をふまえた上で,百済・栄山江流域との相互作用が,近畿地域内部におけ る社会資本投資を促したという理解を提示した。
以上の考古学的検討により,これまで古墳・墳墓出土資料では不鮮明であった 5 世紀代における 全羅道地域における倭との相互交流が明確となり,さらに倭人社会における社会変化に人的交流が 果たした役割が少なくないことをあらためて確かめた。6 世紀代においては百済と倭のより直接的 な相互交流が活性化するが,こうしたあり方は必ずしも 5 世紀代からの連続的な過程として捉える ことは難しく,近畿地域においても中央およぶ地域社会をまき込んだ動的な変化が認められる。
【キーワード】古墳時代,三国時代,韓半島系土器,手工業生産,初期群集墳
【論文要旨】
はじめに