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東北大学大学院国際文化研究科主催 学術講演会「美食のヨーロッパ文化学」 序説

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東北大学大学院国際文化研究科主催 学術講演会「

美食のヨーロッパ文化学」 序説

著者

野村 啓介

雑誌名

ヨーロッパ研究

13

ページ

163-173

発行年

2019-03-25

URL

http://hdl.handle.net/10097/00131596

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東北大学大学院国際文化研究科主催 学術講演会

「美食のヨーロッパ文化学」

序説

野 村 啓 介

キーワード:‌‌食文化史/美食文化/嗜好品文化/異文化間接触・交流/ワ イン文化史

はじめに

 学術講演会「美食のヨーロッパ文化学」は、東北大学大学院国際文化研 究科の科長裁量経費にもとづいて開催される研究科主催講演会で、野村を 中心に「美食のヨーロッパ文化学」と題するシリーズものとして、一般市 民と学生とを主な対象に企画された。平成27(2015)年度に第 1 回が開催 されてから年1回のペースで着実に回をかさね、本誌が刊行される今年度 で4 回目を数える。  予算の都合がつくかぎり本講演会を今後も継続したいと考えているが、 研究科の財政状況はますます悪化の一途をたどっており、状況は予断を許 さない。とはいうものの、本講演会の行く末は、はなはだ不確実な現状に はあるが、その内容は将来の研究展望をみすえた趣旨に貫かれており、や りっぱなしのまま忘却の彼方に追いやってしまうのは、小さからぬ学術的 損失ともなろう。そのような考えから、筆者はその備忘録のようなものを まとまった形で残しておきたいと考え、本誌の「研究紹介」として掲載す ることにしたしだいである。

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講演会の企画構想について

 当初の企画において、講演会のバックボーンとなる基本的な考えかたと は、狭義のヨーロッパや一国の枠組にとらわれることなく、それを相対化し、 いわばトランスボーダーな視点からヨーロッパ食文化史の諸相にアプロー チすることであった。そこには、とりわけ異文化間の接触・交流という側 面に関心の軸足をおきながら、食文化にかかわるさまざまな分野での研究 の最前線を紹介するとともに、来場者が直接その研究者と議論する場を提 供することをねらって開催しようとする意図があった。この異文化間関係 をめぐる問題系は、筆者の勤務する国際文化研究科のよってたつ基本理念 とも合致しており、であればこそ科長裁量経費にふさわしい研究活動とし て採択されたものであろう。  非常に雑駁ではあるが、ともかくも以上の考えかたに沿って、野村が研 究領域のいかんを問わず全国で活躍するふさわしい研究者を探しあて、奥 深く時として難解な各自の研究内容を門外漢にもわかりやすく解説しても らおうと企図したのが本講演会である。したがって、初期段階の計画では、 講演テーマを過度に狭く限定することなく、なるべく間口を広くとって、 企画者である筆者の琴線に触れた講師とテーマをとりあげるというスタン スですすめようと考えた。いいかえればそれは、各講師の話を聞きつつ、 そのうち茫漠とした構想が明確化するにつれて、企画の行く末もまた具体 化していくだろうという、いささか楽観的なスタンスにたっていた。つま りは、講演会をかさねるにしたがって、筆者自身も未知の領域を学ぶ機会 に接しつつ、講師陣ともども一緒に成長させていく企画という側面が強かっ たわけである。

「美食」文化への着目の意義

 もともと筆者は、フランス第二帝政下ボルドーの地域権力にかかわる諸 問題を考察するかたわら、その研究の過程で必然的にワインの諸問題に遭

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遇せざるをえず、嗜好品のもつ文化的側面に対する関心もまた強くもつよ うになった。ただし、「本業」が多忙をきわめ、なかなか本腰をいれて研究 に着手する機会に恵まれず、隙間時間をみつけてはかろうじて勤しんでき たといった感じだろうか。そのようにして、少しずつではあるが、嗜好品 をめぐる歴史学的問題のありかについて考えてきた。  栄養摂取を主目的としない嗜好品としての食は、古くから人間の生活に 少なからぬ喜びや楽しみの要素をくわえてきた。最近では、人間に不可欠 な衣食住に、嗜好品に代表される「遊び」の要素も加味され、「衣食住遊」 などという表現さえ出現した。海外の研究者には、嗜好品のさし示すニュ アンスを母国語に翻訳することに苦慮し、原語のまま"shikohin" と表記す るむきもある(1)。  しかしそれにしても、嗜好品が栄養摂取を主目的としない飲食物である とすれば、肉体的レベルで生命維持に直接的にかかわるわけでない嗜好品 が、なぜも現代にいたるまで人間文化に強く深く根づきつづけてきたのか という疑問がすぐに浮かぶ。もっとも、このような根源的な疑問がわくか らこそ、嗜好品文化は研究対象としても重視されるべく運命づけられてい たともいえる。筆者などには、嗜好品文化をめぐる史実として、すぐにア メリカ合衆国の禁酒法という歴史的実験が想起される(2)。  筆者の属するヨーロッパ史学においても、嗜好品に対する関心はけっし て低くない。じじつ近年では、食文化をつうじてヨーロッパの歴史を研究 しようとする試みが増えてきた。大航海時代以降の「コロンブスの交換 Columbian exchange」によって惹起された食の異文化交流は、ヨーロッパの 食生活に大きな影響をおよぼしただけでなく、ヨーロッパのさまざまなレ ベルでの歴史に深く刻印されている(3)。いいかえればそれは、単に食にか かわる領域の現象にとどまらず、またヨーロッパ側からの一方的な影響力 行使にとどまるわけでもなく、ヨーロッパとその進出先とのあいだで海を 越えて相互に、かつさまざまに影響しあう関係を構築してきたのである。 * * *

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 以上の基本的立場にたちつつ、嗜好品という文化的存在の意義を延伸し たところに、あるいはそれと同一の問題系を共有するもののひとつとして、 筆者は美食文化という、一見するとスノッブなエリート文化ともうけとら れかねない現象にたどりついた。食はいうまでもなく人間の生命維持に不 可欠であるが、美食はそうではない。しかしそれは、嗜好品と同じく、人 間生活に楽しみをあたえる文化的行為の産物でもある。  食そのものや食文化を研究対象とすることじたい、今やあまり珍しいこ とではなくなってきたし、ましてやそれは筆者のような歴史研究者の占有 物でもない。じじつそれは、さまざまな研究領域において多種多様な問題 関心から、各研究者の持ち場において自由にとりくまれている。筆者が末 席につらなる(公財)味の素食の文化センターの「食の文化フォーラム」 などは、その好例であろう。このフォーラムは約40 名からなる会員制の研 究集団であり、結集する人材の専門分野は歴史、文学、文化人類学、社会学、 栄養・生理、医学、食品・加工・調理など幅広い。  現在、人間と食文化の関係に着目する研究は、さまざまな学問分野にお いて着実に成果をあげており、それを傍証するのが、本講演会においてそ の研究成果を披露した講師陣の存在であることは今さらいうまでもない。  もっとも、食文化ならばまだしも、それをさらに限定化して「美食」と いう問題に着目するなら、それは歴史学のみならずレアな関心であるとい えよう。美食というと、日本語の語感では「グルメ」というフランス語が すぐに想起される。「グルメ」を含む関連表現の詳細な概念史的分析は橋本 報告にゆだねることとして、ここでは講演会のタイトルにもある日本語表 現の「美食」のほうに注目して、講演会企画そのものの意義について考え ておきたい。  そもそも、日本語の「美食」とはいかなる意味であろうか。手元の国語 辞典によれば、「うまい(・ぜいたくな)食事(をすること)」であり、「粗食」 の対義語と定義される(4)。しかし、このような一般的定義に満足するだけ では、歴史研究者たる筆者の問題意識を十分に説明したことにはならない。 「うまい」という味覚も、「ぜいたく」という経済感覚も、人間の主観的側

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面であるとともに、客観的な次元での相対概念でもありうる。なぜならば、 「うまい」・「ぜいたく」と感ずる者のおかれた条件が変化すれば、同じもの を食したとしてもその食に関する評価が異なる可能性があるからである(5) だとすれば、美食という営為をもっと学的にあつかう可能性が探求されね ばならない。  この点から、まずなによりも、美食を美食として認識し、理解しようと する人間主体の問題がある。この問題は、知的行為としての美食という側 面につうずる。それは、たしかに生存そのものには直接かかわらないが、 嗜好品と同様に、人生の楽しみを増やし、あるいは人生を豊かにしようと する知的営為ともなるのであって、まさに美食とは文化的行為そのものと なる。橋本報告は、まさしくこのような筆者の問題意識と通底する部分を もつ。  第二には、美食の客観的・物質的基盤をととのえる側面の問題も一考に 値しよう。筆者の関心にひきつけていえば、それは原材料の生産と流通の 諸条件に深くかかわる。この側面については、ワインの問題に即してすぐ あとに言及するが、その背景をなす問題意識とは総じて以下のようなこと である。  そもそも持続的、固定的な食文化のありかたというものは、歴史の過程 におけるさまざまな影響関係に思いをいたせば、とうてい絶対視できない ものであろう。異文化間の接触・交流が進展すればするほど、人間の歴史 において文化の純粋培養なるものは考えにくくなる。筆者の問題関心に即 していえば、とりわけ大航海時代以降の東西交流がきわめて大きなインパ クトをもつ。この意味で、美食の概念変容もまた、異文化間の接触・交流 をつうじて、その客観的・物質的基盤の変化にともない招来されたとも考 えられる。  ところで、食をつうじた異文化間の接触・交流という側面は、なにも国 家どうしの関係に限定されるわけではなかろう。それは、ナショナルな政 治的統一体を単位とするまとまりどうしのみならず、たとえば一国内の地 方間ないし地域間のそれもありうるし、またたとえば異なる国家に属する

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地域どうしの関係(海を越えた地域間関係も含む)もありうる。いずれに も共通する問題意識は、一国史的観点、ひいては近代的思考の中軸を構成 するひとつの要素をなしてきたネイション・ステイト(国民国家)史観の 相対化ということである。もともと近代化という歴史的展開に関心をよせ る研究では、ネイション・ステイトや国民経済への注目が優越し、一国史 の枠組が必然視される傾向になったことは言を俟たない。しかし、グロー バル化の時代であるということが声高に叫ばれるようになるにつれて、一 国の枠組におさまらない現象への注目も要請されざるをえなかった(6)。こ の意味で、そこにおいて従来つとに重視されてきた政治や経済などとも絡 みあいながら展開する食文化は、トランスボーダーな考察対象として適合 的である。野澤報告がこの方向性に棹さすことはいうまでもない。  第三には、歴史の現在性という側面である。歴史は過去のできごとにと どまらず、現在にも影響をあたえる。それゆえ、現在に進行する現象のみ を切りとって提示しても、表層的な事象の列挙を超えるものではない。ま た歴史の現在化は、地域間の影響関係によっても特徴づけられる。いわば、 時空を越えた影響の交差は、食文化を強く規定する。古くからヨーロッパ で広くつくられつづけるワインは、こうした異文化間の影響関係において 無視できない役割をになうとともに、美食文化の不可欠な構成要素として 君臨しつづけてきた。現在を切りとってみせる柳瀬報告と蛯原報告とは、 このような歴史の現在化にかかわる事例として非常に興味深い。

「美食」に不可欠な要素としてのワイン

 ただし、本講演会の内容には、期せずしてというべきかワインの問題が 深くかかわることになった。これには、現在まで筆者自身がとりくんでき たのが、商人のワインづくりやワイン法史の研究であったことが大きい。 つまりそれは、先に述べた「美食の客観的・物質的基盤」とつうずる問題 意識によってささえられる(7)。  これを概略的にいえば、たとえばそれは19 世紀後半期においてワインづ

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くりに顕著にみられるようになった質的向上の試みがあてはまる。フラン スのワイン生産をめぐっては、「人工ワインvins artificiels」、すなわち生産 技術の採用にもとづく人為的要素の強いワインづくりを否定し、より「自然」 なワインづくりによって良質ワインを志向する考えのもと、葡萄栽培をよ りいっそう重視する「自然ワインvins naturels」が、19 世紀をつうじて自覚 的に追求されるようになっていった。そもそも、「人工ワイン」づくりにみ られる各種の工夫は、交易関係の拡大と深化にともなって発展したという 側面が無視できないと考えられる。つまり、世界各地からの産品流入が増 大し、それにともないワインづくりにも利用可能な原材料の輸入が促進さ れるようになり、高まるワイン需要に対応するための大量生産とその結果 としての質的低下がすすんでいったというのが筆者の考えである。  じっさい当時のワインづくりには、補糖(シャプタリザシオン)、補酸・ 減酸、濃縮果汁、アルコール添加など、じつに多種多様な手法がもちいら れた。醸造段階で補糖に利用された植民地産砂糖(蔗糖)は、そのような 交易品を代表しており、19 世紀をつうじてフランスで闘わされた砂糖関税 をめぐる政策論争としても中心的課題にあがった。その結果、1850 年代か ら1860 年代にかけてあいついだ砂糖関税引下げは、本国産甜菜糖との競争 力を強化した植民地産砂糖のフランスへの輸入を促進した。とりわけ19 世 紀後半に問題視された「人工ワイン」の一種である「砂糖ワイン」の量産は、 このような客観的・物質的条件を背景とする。  以上を端的にいえば、ワインづくりの現場における変容は、異文化交流 の産物であるという側面を強くもっている。こうしてつくりだされる「人 工ワイン」に対抗する動向として表出した「自然ワイン」による質追求の 動きは、異文化交流に起因するひとつのアウフヘーベンであったともいえ るかもしれない。このような文化的アウフヘーベンによって、それまでと は異なる新しいワイン文化が、ひいては食文化が創造されるとみることが できるのではないか。この考えを下敷として、本講演会が「美食」を冠す る催しとして企画されたにもかかわらず、実態としてはそれを代表するも のとしてワインに注目する形になったしだいである。

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おわりに

 後掲の諸報告は、以上にみてきた筆者の問題意識を多少なりとも共有し つつ、それをそれぞれの研究領域において、各自に固有の関心から高い実 証性にささえられつつ深められ、披露されたものである。詳細は各講師の 講演要旨を参照していただくことにして、その概略のみを記せば次のよう になる。  まず野澤報告は、海を越えたワインの異文化間関係に注目し、ヨーロッ パとアジアのあいだで、数世紀間にわたりワインが歴史的に織りなしてき た文化的影響について考察するものである。第二の柳瀬報告は、現代イタ リアを事例にアグリツーリズモをとりあげて、その「持続可能な開発」の 可能性について考察し、歴史の重層性と現代をつなぐ側面に切りこむ。第 三の橋本報告は、1789 年に勃発したフランス革命にともなって変革された 味覚にかかわる言説に注目し、知的行為としての美食の重要な側面に分析 のメスをいれて、大革命と「食」の秘められた関係に迫る(8)。第四の蛯原 報告は、グローバルスタンダードとしてのEU ワイン法の内包する諸問題 を考察しており、それは現代ワイン法に着目しながらも、その背景にある 現代ワイン法の歴史的前提の理解にささえられる。 * * *  美食文化の研究は、先行研究による「手垢」があまりついていない領域 であるだけに、まだまだ多くの展開の可能性を秘めている。上の諸報告は 研究最前線の一端にすぎないが、それらが示す美食をめぐる研究の有望な 前途を感じていただきたい。  過去4回の講演会では、フロアより質問が多く寄せられ、美食文化をテー マとする講演内容に対する関心の高さを肌で感ずることができた。なかに は遠方よりわざわざ聴講に来た受講者もおり、企画者として熱心な聴衆の 多いことに感動を禁じえなかった。あらためて、この場を借りて深謝申し

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あげるしだいである。  食文化に関して興味深い研究をすすめている研究者は、この日本には他 にもまだまだいる。本学術講演会のような催しによって、各分野の専門家 から直接に話を聞けるという耳学問の機会は、忙しい現代人たるわれわれ にとって非常に貴重である。いずれは、企画内容の精緻化にともなって、 講演会の内容を一冊の本としてまとめたいとも構想しているところである。 関心をもたれた読者のみなさまも、(次回があればの話ではあるが)近くに お立ち寄りの際はぜひともお運びくだされば幸いである。 【講師と講演内容のリスト】 第1回:野澤丈二(帝京大学経済学部専任講師)   「 食のグローバリゼ―ション ―コロンブス以後のワインについて考え る―」2016 年 2 月 19 日(金)15:00 ~ 18:00 第2回:柳瀬明彦(名古屋大学大学院経済学研究科教授)   「 農村・食・観光 ―イタリアのアグリツーリズモの発展から考える―」 2016 年 12 月 16 日(金)15:30 ~ 17:30 第3回:橋本周子(滋賀県立大学助教)   「 フランス近代と〈美食〉 ―ガストロノミーのはじまり、社交のおわり―」 2017 年 12 月 8 日(金)16:20 ~ 17:50 第4回:蛯原健介(明治学院大学教授)   「 ワイン市場とワイン法のグローバル化を考える ―競争にさらされる EU 産ワイン―」2018 年 11 月 30 日(金)16:20 ~ 17:50 註 (1 ) 高田公理 ; 嗜好品文化研究会(2008)『嗜好品文化を学ぶ人のために』世界思想 社、1 〜 4 頁。 (2 ) もちろん、この歴史的実験については先駆的研究がすでになされており、とり わけ以下の諸業績が目をひく。常松洋「禁酒運動とアメリカ社会」、谷川稔編『規 範としての文化―文化統合の近代史』平凡社(1990)所収;岡本勝『アメリカ 禁酒運動の軌跡―植民地時代から全国禁酒法まで』ミネルヴァ書房(1994);

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同『禁酒法―「酒のない社会」の実験』講談社現代新書(1996)

(3 ) 「コロンブスの交換」は、有名なクロスビーの表現による。クロスビーによれば、 微生物にいたるまで大陸間を移動し、環境や生態系に重大な影響があたえられ た。したがって彼は、ヨーロッパ人による新大陸の征服を生態学的侵略である とも考える。Alfred W Crosby,. The Columbian Exchange : Biological and Cultural

Consequences of 1492, Greenwood press, 1973;クロスビー『ヨーロッパ帝国主義

の謎 : エコロジーから見た 10 〜 20 世紀』(佐々木昭夫訳)、岩波書店、1998 年。 南によれば、ヨーロッパ側から新大陸に対して課せられ、前者にとって極端に 有利な「不等価交換」であったが、他方において、新大陸からもたらされた飲 食物によって、16 世紀以前のヨーロッパの食物体系は 18 〜 19 世紀に大きく変 容したとも指摘される。南直人『「食」から読み解くドイツ近代史』ミネルヴァ 書房(2015)、2 ~ 6 頁。ここで南は、ジャガイモとコーヒーの事例をひきあい にだしているが、これに対して筆者は後述のとおりワインの事例に即して食文 化の異文化間関係に迫ろうとしているわけである。 (4 ) 『現代新国語辞典』三省堂(第3版、2010)、「美食」の項。 (5 ) いうまでもなく、うまいかまずいかという味覚次元の評価は主観的なものであっ て、辻の言葉を借りれば、料理は絵に似ていて、味わうことはできても説明す ることはできない。辻静雄『舌の世界史』(辻静雄ライブラリー 4)復刊ドット コム(2013)、18 頁。こうした主観的側面の色濃い「美食」という人間的営為 を、いかにして学的に有効にあつかえるかということはなかなか難しい課題で ある。筆者は、この問題について体系的かつ網羅的な説明をほどこしているわ けではまったくないが、本文においてすぐあとに示した三つの観点は、さしあ たり筆者が自分のワイン文化史研究の実践をつうじて志向しつつある暫定的な 展望である。 (6 ) しかし、それはネイション・ステイトの枠組がまったく意味をなさなくなった という意味ではない。現在、EU からのイギリス離脱は、ヨーロッパ地域間連 合という壮大な人類史の実験にほころびを生じさせているかにみえる。世界各 地で台頭している自国第一主義もまた、そのような動向と無関係ではなかろう。 (7 ) 近代フランスにおけるワインづくりに関して、筆者がこれまでに公表してきた 論考としては、主として以下のものがある。野村啓介「フランス第二帝制下の ボルドー商業界とワインづくり―1850 年代ボルドー商業会議所における砂糖関 税論議を手がかりとして―」、『ヨーロッパ研究』(東北大学大学院国際文化研 究科ヨーロッパ文化論講座)第10 号 (2015)、155-202 頁;同「近代フランスに おけるワインづくりと商人論理―ボルドー地方の事例をつうじた原産地呼称制 度前史―」、『国際文化研究科論集』(東北大学大学院国際文化研究科)第24 号

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(2016)、57-71 頁;同「近代フランス・ボルドー地方におけるワイン格付思想と 商人論理―「 クリュ 」 概念の史的展開を手がかりに―」、『歴史』(東北史学会) 第128 輯 (2017)、1-23 頁;同「近代フランス・ボルドーの商人と地域権力― 1855 年パリ万国博覧会とワイン―」、玉木俊明 , 川分圭子(編)『商業と異文化 の接触―結合される世界の経済』、吉田書店(2017)、477-507 頁。 (8 ) 本講演会のもとになった橋本の好著『美食家の誕生―グリモと〈食〉のフラン ス革命』(名古屋大学出版会、2014 年)は、その秀逸さにより第 31 回渋沢・クロー デル賞ルイ・ヴィトン特別賞を受賞した。講演は、この充実した「美味しい力作」 に盛りこまれた研究成果がふんだんに散りばめられたものになった。

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