印度學佛敎學硏究第68巻第1号 令和元 年12月 (155) ― 394 ―
初期唯識思想における安危同一について
香 山( 景 珍)
1.はじめに
大乗仏教の瑜伽行派独自の概念であり,唯識思想の核心をなす阿頼耶識は,そ の原意や起源についていまだ定説はない.シュミットハウゼンは『瑜伽論』を新 旧の要素からなるものと見なし,最古層である「最初の一節」から阿頼耶識の起 源を探ろうとした1).それに対し山部能宜は,「最初の一節」という短文を用い 阿頼耶識の導入背景全体像を明らかにするとは考えがたいので,最古の阿頼耶識 の体系的な議論が載せられている「摂決択分」,少なくとも身体的特徴が顕著な 「八論証」までに検討範囲を広げる必要があると主張した2).シュミットハウゼン は,これを真 な代案としてこれから考慮する価値があるものと評価している3). したがって,本発表では『瑜伽論』「本地分」および「摂事分」,『解深密経』, 「摂決択分」中「八証論」までを検討範囲に入れ,『解深密経』「心意識相品」 にあらわれる最初の阿頼耶識の定義,すなわち「身体において安危同一のもの (ekayogakṣema)として,執着し潜む」との「安危同一」に注目し,阿頼耶識の原 義やその起源について述べることにする. 2.文献の検討範囲
このような初期文献層に含まれている阿頼耶識説の主な特徴は,阿頼耶識がま だ身体に限られ4)我執の対象として見なされないこと5),異熟識との同様な位置 にまで至らない「異熟所摂」すなわち異熟の一部とされていること6),また阿頼 耶識が生命を維持させる肯定的な機能として扱われていること7)などがあり,そ れ以後の文献層とは区別される. 言い換えれば,「八論証」直後「流転分」からはその影を隠していくことになり, 阿頼耶識研究において文献層の範囲を守ることは重要である.さらにこういった 文献層は『解深密経』を最古の唯識文献として見なす諸説をも含んでおり,阿頼(156) ― 393 ― 初期唯識思想における安危同一について(香 山) 耶識の原意に対する各説とその根拠を互いに比較検討することができる. 3
.阿陀那識と阿頼耶識
阿頼耶識の原意に関わる諸説の多くは,阿頼耶を阿陀那の同義異語として見な す「執受する識」と考えるほか,「内在する識」という二つの説に概ね分けられ る8).そして,それらの説は『解深密経』「心意識相品」に出る阿頼耶識の四つ の定義の中,「阿陀那識」と「阿頼耶識」の定義に基づいている. 阿陀那識ādānavijñānaは「執受」と訳されるupādānaより起因する術語である とされる.初期瑜伽行派における執受(upātta)とは,阿毘達磨の執受の概念から 「安危同一」を意味する梵語anyonyânuvidhānaがekayogakṣema(/anyonyayogakṣema)に代わってできた概念であることは,すでに横山によって指摘された9).さらに 初期瑜伽行派におけるekayogakṣemaはanyonyânuvidhānaにはない「心心所の任 持力により,身体は絶えなく,壊されない」(『瑜伽論』100, T30, 880a)という機能 をも含んでおり,生命維持のメカニズムを表わす名称であることが分かる. 一方,阿頼耶識の定義は「執受する (/執着する)」に加え,「内在する (/潜む)」と いう動詞と,識と身体との関係を表わす「安危同一」という概念が敷衍されてい る.ここで二つの動詞の中でいずれが阿頼耶識の原意であるかを見定める前に, 舟橋尚哉による注目すべき指摘が二つある.まず,原始仏教における阿頼耶の原 意に拘る研究において,ālayaとは居住地という意味と,執着または執着の対象と いう意味との二つの用例がいずれも認められることである10).もう一つは,阿毘 達磨仏教における阿頼耶に拘る研究において,種子的要素を暗示する阿頼耶識の 原型として,『婆沙論』の「阿頼耶所蔵」という表現に注目したことである11). 実に『婆沙論』に見られる「阿頼耶所蔵,摩摩 多所執」という表現は,阿頼 耶識の定義と近似する部分がある.現在『婆沙論』の梵蔵本は現存しないが,阿 頼耶と摩摩 多は梵語ālayaとmamāyitaの音写であるのは疑いない.ここでālaya を「自らの巣(/在処,/避難の処)」12)と,mamāyitaを「わがもの〔であると執着し
たもの〕」13)に置き換えれば,「自らの巣に蔵せられ,わがものに執ぜらる」にな
る.さらにālayaはmamāyitaと同義異語であり,「自らの巣」と「わがもの」,す なわち「内在されるもの」と「執受されるもの」がともに指しているものを考え るならば,身体(/所依)にほかならないであろう.
(157) ― 392 ― 初期唯識思想における安危同一について(香 山) 4
.阿頼耶識と安危同一
阿頼耶識の定義では,ālayaの原型ā- līのもつ「執受する」「内在する」の二 つの意味を述語として用いられている.先述した通り,ālayaを両義的意味を用 いた表現として把握するならば,『婆沙論』と同様にālayaを敷衍する述語として ā-√līの二つの意味がともに用いられたことが分かる.したがって,阿頼耶識の 定義において識とālayaとの関係を表す,ekayogakṣemaという術語が核心的な語 であるにちがいない.そうであるならば,阿頼耶識の原意を,格限定複合語の依 主釈として「身体の識」と把握する方がより妥当であると考えられる. 山部 (2017, 176) は,安危同一の意味する身体の「損」と「益」というのは,「本地 分」中「有尋有伺等三地」 (T30, 305c) に基づいて,それぞれ「楽」と「苦」を指して いると指摘した.さらにekayogakṣemaのyogakṣemaはベーダ文献にもその用例 が認められる古い歴史を持つ言葉であり,それに対応するパーリ語yogakkhema は,「束縛から解放された平安」,すなわち「涅槃」を意味する14).またekaは 「一つ」,あるいは「単一」を意味する単語であり,「同一」「共同」等と漢訳され る.つまり,ekayogakṣemaとは煩悩に汚された心の作用を,清浄な状態に変化す るという転依の概念と関連性が深い. 「声聞地」においてヨーガの修行の目的である麁重を伴う所依が滅し,軽安を伴 う所依が生じると説かれる箇所に対し,山部 (2017, 178–179) は「損」に当たる麁重 が「益」に当たる軽安に変わるという所依の変化が,転依思想を表していると言 及した.また,「菩 地」において煩悩につながる苦が除去され,自在力(vaśitā) が獲得されるという転依思想が説かれている. 安危同一の用例は初期文献層の範囲内で四箇所確認される15).その中で識と身 体の関係を示すのは,「本地分」の心心所とカララ (kalala) との依託を説明する部 分,「摂事分」の執受法の定義部分,それから「心意識相品」の阿頼耶識の定義 部分である.まず,依託の記述は,生命形成のメカニズムを説く阿頼耶識の異名 「一切種子心識」の定義とつながる.また次の執受法の記述は,生命維持のメカ ニズムを説く「阿陀那識」の定義と連関性がある16).つまり,阿頼耶識の定義の みが識と身体との「安危同一」という関係を直接に取り上げ,定義づけている. 要するに,阿頼耶識の定義は身心との関係が安危同一にあることによって, ヨーガ修行を通じる転依が起こり,涅槃に至ることができるというプロセスを強 調するために,yogakṣemaからなる術語が用いられたと言えるであろう.(158) ― 391 ― 初期唯識思想における安危同一について(香 山) 5
.終わりに
以上をまとめると,阿頼耶識の定義を通じ,阿頼耶識は「身体の識」を表し, またekayogakṣemaは一連の転依のプロセスを表すために用いられた術語である と考えられる.したがって,阿頼耶識の導入がヨーガの実践修行による阿頼耶識 の発見から果たされたと言えるのである. 1) Schmithausen (2007, §§2.1–13). 2)山部(2012, 200–205; 2016, 4–5). 3) Schmithausen (2014, §1.8.2). 4)Schmithausen (2007, § 3.10.2). 5)Schmithausen (2007, §§ 3.11.7–8). 6)「本地分」の阿頼耶識の説明句が登場する二箇所に「異熟に摂せられるアーラヤ識」と明 示されている.Schmithausen (2007, §§ 3.12.3–5; 6.5.4). 7)Schmithausen (2007, §§ 4.1.1–2). 8)정경진(2018, 237–245). 9) 横 山(1979a, 5–8). 10) 舟 橋(1976, 7–18). 11)『婆沙論』145, T27, 746b; 舟橋(1976, 39–45). 12)舟橋(1976, 13–14). 13)舟 橋(1976, 44, 3). 14)横山(1979b, 141–142); 山部(2012, 219, 84). 15)横山 (1979b, 132). 16)2019年3月韓国仏教学研究会の春論文発表会において筆者が発表し た「初期唯識思想における阿頼耶識の身体的メカニズム」の内容である. 〈参考文献〉Schmithausen, Lambert. (1989) 2007. Ālayavijñāna: On the Origin and Early Development of a Cen-tral Concept of Yogācāra Philosophy, Part 1, 2. Tokyo: International Institute for Buddhist Studies of the International College for Postgraduate Buddhist Studies.
̶̶̶ 2014. The Genesis of YogācāraVijñānavāda: Responses and Reflections. Tokyo: International Institute for Buddhist Studies of the International College for Postgraduate Buddhist Studies.
佐久間秀範2012「瑜伽行唯識思想とは何か」『唯識と瑜伽行』春秋社,19–72. 山部能宜2012「アーラヤ識論」『唯識と瑜伽行』春秋社,181–219. ― 2016「アーラヤ識説の実践的背景について」『東洋の思想と宗教』33: 1–30. ― 2017「身心論の観点からみた瑜伽行派の人間観―アーラヤ識説を中心に―」『日 本仏教学会年報』82: 165–187. 横山紘一1979a「阿頼耶識の三機能」『立教大学研究報告 人文科学』38: 1–22. ― 1979b『唯識の哲学』平楽寺書店.
崔鐘男2003「티베트어譯『解深密經』 blo gras yaṅs pa 章한글역」『中央僧伽大學論文集』
10: 259–274.
정경진 2018「 아뢰야식 어의에관한일고찰」『불교학연구』57: 235–259.
舟橋尚哉1976『初期唯識思想の研究―その成立過程をめぐって―』国書刊行会.
〈キーワード〉 安危同一,阿頼耶識,転依,瑜伽師地論,解深密経