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密教文化 Vol. 2007 No. 218 001武内 孝善「『空海僧都伝』と『遺告二十五ヶ条』 P1-35,152」

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は じ め に 周 知 の よ う に、 ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ (以 下、 ﹃ 僧 都 伝 ﹂ と 略 称 す) は、 そ の 活 字 本 の 巻 首 の 題 下 に ﹁ 真 済 記 ﹂ と あ り、 巻 末 ( 1) に ﹁ 承 和 二 年 十 月 二 日 ﹂ と 記 さ れ て い る こ と か ら、 古 来、 空 海 の 十 大 弟 子 の ひ と り 真 済 ( 八 ○ ○-八 六 〇) の 撰 述 と み な さ れ て き た。 し か し、 そ の 拙 劣 な 文 章 か ら、 今 日 で は 真 済 の 真 撰 で は な い と す る 見 解 が 有 力 で あ る。 と は い え、 そ の 記 述 に は い ま だ 神 格 化 が 見 ら れ ず、 空 海 を 人 間 的 に 扱 っ て い る と し て、 弘 法 大 師 の 論 号 が 下 賜 さ れ た 延 喜 二 十 一 年 ( 2) ( 九 二 一) 以 前 の 撰 述 で あ り、 大 師 伝 と し て は 最 も 古 い も の の 一 つ と み な さ れ て き た。 一 方、 ﹃ 遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄ ( 以 下、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ と 略 称 す) は、 江 戸 時 代 末 ま で は 空 海 真 撰 の 遺 言 状 と み な さ れ、 と く に 空 海 の 伝 記 を 記 す ば あ い、 絶 対 的 な 権 威 と 不 動 の 地 位 を し め て お り、 十 一 世 紀 以 降 の 空 海 伝 は す べ て こ の ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 影 響 下 に あ る と い っ て も 過 言 で な い。 と こ ろ で、 こ の 二 つ の 空 海 伝 の 関 係 は、 従 来、 つ ぎ の よ う に 考 え ら れ て き た。 す な わ ち、 こ の 二 つ に は、 そ の 文 体 ・ ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄

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密 教 文 化 思 想 ・ 記 事 の あ い だ に 脈 絡 相 通 じ る 点 が あ り、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ は ﹃ 僧 都 伝 ﹄ を 拡 張 し た も の、 つ ま り ﹃ 僧 都 伝 ﹄ が 先 に あ ( 3) り、 そ れ を 典 拠 と し 増 広 し た の が ﹃ 御 遺 告 ﹄ で あ る と み な す 説 が 有 力 視 さ れ て き た。 し か る に、 私 は ふ と し た こ と か ら、 従 来 の 説 と は 逆 に、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ を 抄 出 し、 じ ゃ っ か ん 手 を 加 え た の が ﹃ 僧 都 伝 ﹄ で は な い か、 と 考 え る よ う に な っ た。 そ の 契 機 と な っ た の は、 承 和 元 年 ( 八 三 四) 五 月 末 日、 空 海 が 諸 弟 子 を あ つ め て 教 誠 さ れ た と 記 す ﹃ 僧 都 伝 ﹂ の 一 文、 承 和 元 年 五 月 晦 日、 諸 の 弟 子 等 を 召 し て 語 ら く、 ﹁ 吾 が 生 期、 今 幾 ば く な ら ず。 汝 等、 好 く 住 し て 仏 法 を 慎 み 守 ( 4) れ。 我、 永 く 山 に 帰 ら ん ﹂ と。 み そ か を 見 い だ し た こ と で あ る。 空 海 に は 二 つ の 遺 誠、 す な わ ち 弘 仁 四 年 (八 一 三) 仲 夏 月 晦 日 の 日 付 け を も つ 遺 誠 11 ﹁ 弘 仁 ( 5) の 遺 誠 ﹂ と、 承 和 元 年 (八 三 四) 五 月 二 十 八 日 の 日 付 け を も つ 遺 誠 11 ﹁ 承 和 の 遺 誠 ﹂ と が 伝 存 し て い る。 か つ て 論 じ た よ う に、 こ の 二 つ の 遺 誠 は、 い ず れ も 十 一 世 紀 に な っ て か ら 空 海 に 仮 託 し て 創 ら れ た も の で あ り、 空 海 の 真 撰 と み な ( 6) す こ と は で き な い と 考 え る。 み そ か ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 一 文 ﹁ 承 和 元 年 五 月 晦 日、 諸 の 弟 子 等 を 召 し て 語 ら く ﹂ が、 承 和 の 遺 誠 の こ と を さ す と す る な ら ば、 ( 7) ﹃ 僧 都 伝 ﹄ そ の も の の 成 立 年 代 も、 従 来 の 説 よ り 下 る で あ ろ う。 そ う す る と、 従 来 の ﹃ 僧 都 伝 ﹂ か ら ﹃ 御 遺 告 ﹄ へ と 増 広 さ れ た と み な す 説 も 再 考 さ れ る べ き で あ ろ う、 と 考 え る。 そ こ で、 本 稿 で は、 従 来 の 説 と は 逆 の、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ を 抄 出 し た の が ﹃僧 都 伝 ﹄ で あ る、 が 成 り 立 つ か 否 か、 に つ い て、 私 見 を 述 べ る こ と に し た い。

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一、 先 行 研 究 の 検 討 本 題 に は い る 前 に、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 成 立 時 期、 な ら び に ﹃ 僧 都 伝 ﹄ と ﹃ 御 遺 告 ﹄ と の 関 係 に つ い て の 先 学 の 見 解 を み て お き た い。 こ こ で 紹 介 す る の は、 つ ぎ の 九 氏 の 論 考 で あ る。 ( 8) 一、 加 藤 精 神 ﹁ 質 問 に 対 す る 解 答 ﹂ ( ﹃文 化 史 上 よ り 見 た る 弘 法 大 師 伝 ﹄ 二 二-二 一二 頁 一 九 三 一二 年)。 ( 9) 二、 守 山 聖 真 編 著 ﹃ 文 化 史 上 よ り 見 た る 弘 法 大 師 伝 ﹂ 五 頁 一 九 三 三 年。 三、 和 多 秀 乗(1) ﹁ ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ 解 題 ﹂ (﹃ 群 書 解 題 ﹄ 第 二 一 九 六-一 九 八 頁 一 九 六 一 年 十 一 月)。 (10) (2) ﹁ 高 野 山 と 丹 生 社 に つ い て ﹂ (﹃ 空 海 ﹄ ︿ 日 本 名 僧 論 集 第 三 巻 ﹀ 六 九-七 一 頁 初 出 一 九 六 五 年)。 四、 西 田 長 男 ﹁ ﹃ 丹 生 祝 氏 文 ﹄ と ﹃ 弘 法 大 師 御 遺 告 ﹄ と ﹂ (11) ( 同 著 ﹃ 日 本 神 道 史 研 究 ﹄ 第 四 巻 三 二 八 ・ 三 三 一 ・ 三 八 五-三 八 六 ・ 三 九 五 頁 初 出 は 一 九 六 五 年)。 (12) 五、 上 山 春 平 ﹃ 空 海 ﹄ (朝 日 評 伝 選 24) 四 七 ・ 八 四-八 五 ・ 一 八 三 頁 一 九 八 一 年 九 月。 (13) 六、 松 本 昭 ﹃ 弘 法 大 師 入 定 説 話 の 研 究 ﹄ 一 七 六 頁 一 九 八 二 年 一 月。 七、 林 亮 勝 ﹁ 空 海 伝 史 料 の 基 礎 的 考 察 ( 一) -﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ に つ い て-﹂ (14) (﹃ 豊 山 学 報 ﹄ 第 二 八 ・ 二 九 合 併 号 一 九 〇 頁 一 九 八 四 年 三 月)。 (15) 八、 真 保 龍 敵 ﹁ ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ 解 説 ﹂ (﹃ 弘 法 大 師 空 海 全 集 ﹄ 第 八 巻 二 一 ・ 二 一二 頁 一 九 八 五 年 九 月)。 (16) 九、 白 井 優 子 ﹃ 空 海 伝 説 の 形 成 と 高 野 山 ﹄ 一 八 ・ 一 九 頁 一 九 八 六 年 十 二 月。 ﹃空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄

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密 教 文 化 各 論 考 の 関 連 す る と こ ろ は、 巻 末 に 一 括 し て あ げ て お い た の で、 そ ち ら で 確 認 い た だ く こ と と し て、 こ こ に は 結 論 だ け を 整 理 し て お き た い。 ま ず、 ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ の 成 立 時 期 に つ い て で あ る。 以 下 の 四 つ の 説 が み ら れ た。 ア、 和 多 秀 乗 ⋮ ⋮ 寛 平 御 伝 (八 九 五 年 成 立) よ り 後、 御 遺 告 と は 内 容 上 略 同 時 期 に 成 立。 イ、 西 田 長 男 ⋮ ⋮ 延 喜 二 十 一 年 (九 二 一) か ら 安 和 二 年 (九 六 九) ま で の あ い だ。 ウ、 上 山 春 平 ⋮ ⋮ 延 喜 十 八 年 (九 一 八) か ら 西 暦 一 〇 〇 〇 年 こ ろ ま で の あ い だ。 エ、 真 保 龍 敵 ⋮ ⋮ 承 和 二 年 (八 三 五) か ら 天 安 元 年 (八 五 七) ま で の あ い だ、 な か で も 八 三 五 年 に き わ あ て 近 い 時 期。 い ず れ の 説 に お い て も 幅 を 持 た せ た 年 代 を 提 示 し て い る が、 四 説 の あ い だ で も 承 和 二 年 に き わ あ て 近 い 時 期 ( エ) か ら 西 暦 一 〇 〇 〇 年 こ ろ ( ウ) と、 大 き な 開 き が み ら れ る。 こ れ ら か ら も 解 か る よ う に、 ﹃ 僧 都 伝 ﹂ の 成 立 時 期 に つ い て は、 今 日 決 あ 手 を 欠 き、 い ず れ に し て も 推 測 の 域 を で る も の で は な い の で、 こ こ で は こ れ 以 上 の 穿 整 は し な い で お く。 第 二 は、 ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃ 御 遺 告 ﹄ と の 関 係 に つ い て で あ る が、 先 行 研 究 は 大 き く 二 つ に 分 か れ る。 す な わ ち、 ア、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ を 増 広 し た の が ﹃ 御 遺 告 ﹄ ⋮ ⋮ 加 藤 精 神 ( 守 山 聖 真 ・ 和 多 秀 乗) ・ 上 山 春 平 ・ 松 本 昭 ・ 林 亮 勝 ・ 白 井 優 子 * 松 本 昭 ⋮⋮単 な る 増 広 で は な く、 空 海 の 神 格 化 を 目 的 と し た 潤 色 加 筆。 * 林 亮 勝 ⋮ ⋮ 拡 大 で は な く、 基 本 的 な 諸 事 実 に つ い て ま っ た く 異 質 な 展 開 が み ら れ る。 イ、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ を 抄 出 し た の が ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ⋮ ⋮ 西 田 長 男 と な る。 大 部 分 の 方 が ﹃ 僧 都 伝 ﹄ を 増 広 し た の が ﹃ 御 遺 告 ﹄ で あ る と す る な か に あ っ て、 た だ 一 人、 西 田 長 男 氏 は

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﹃ 御 遺 告 ﹄ を 抄 出 し た の が ﹃ 僧 都 伝 ﹄ で あ る と み な し て お ら れ る。 そ こ で、 何 を 根 拠 に こ の よ う に 言 わ れ る の か を み て お き た い。 西 田 氏 は 二 つ の 根 拠 を あ げ て お ら れ る。 第 一 は、 恵 果 か ら の 受 法 と 高 野 山 表 請 の 段 を 比 較 し た 結 果 で あ る。 す な わ ち、 註 ( 7) で、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ⋮ ⋮ ﹁圃 園 圃 日。 彼 阿 閣 梨 日。 我 命 向 尽。 待 汝 已 久。 今 果 来。 吾 道 東 。 故 呉 磐 纂 云。 今 有 日 本 沙 門。 来 求 聖 教。 皆 所 学 如 潟 瓶 云 々。 又 去 弘 仁 七 年、 表 請 紀 国 南 山、 殊 為 入 定 処。 ⋮ ⋮ ﹂ と あ る 一 節 の ご と き は、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ ⋮ ⋮ ﹁ 吾 到 日、 彼 大 阿 閣 梨 日。 我 命 既 尽。 待 汝 既 尚。 已 果 来。 我 道 東 。 故 呉 股 ( 盤 イ) 纂 日。 今 有 大 日 本 国 沙 門。 来 求 聖 教。 皆 令 所 学 可 如 潟 瓶。 此 沙 門 是 非 凡 徒、 三 地 菩 薩 也。 内 具 大 乗 心、 外 示 少 ( 小 力) 国 沙 門 相 云 々。 ⋮ ⋮ 又 去 弘 仁 七 年、 表 請 紀 伊 国 南 山、 殊 為 入 定 処。 ⋮ ⋮ ﹂ を 抄 出 し た る も の で あ る に 相 違 な か ろ う。 つ ま り、 こ こ に そ の 原 拠 た る ﹃ 和 上 記 ﹂ と は ﹃ 御 遺 告 ﹄ に ほ か な ら (17) な い の で あ る。 (要 約、 囲 み 線 筆 者) と い う。 第 二 の 根 拠 は、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ に み ら れ る ﹁ 大 師 ﹂ の 表 記 で あ る。 同 じ く 註 ( 8) で、 本 書 は ﹁ 亡 名 僧 ﹂ が ﹁ 承 和 二 年 (八 三 五) 十 月 二 日 ﹂、 に 述 作 し た も の と い う の で あ る が、 文 中 に ﹁ 大 師、 自 天 長 九 年 十 二 月 ( 十 一 月 イ) 十 二 日、 深 厭 世 味、 常 務 坐 ⋮禅 ⋮ ⋮ ﹂ と あ る。 ﹁ 大 師 ﹂、 つ ま り、 ﹁ 弘 法 大 師 ﹂ の 論 号 が 延 喜 二 十 一 年 (九 二 一) 十 月 二 十 七 日 に 勅 賜 せ ら れ た も の で あ る こ と に よ っ て の み で も ( ﹃ 日 本 紀 略 ﹄ ・ ﹃ 東 寺 長 者 補 任 ﹄ な (18) ど 参 看)、 一 世 紀 以 上 も の ち の 偽 作 物 で あ る こ と は 明 ら か で あ ろ う。 (傍 線 筆 者) ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄

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密 教 文 化 と い わ れ る。 こ の ﹁ 大 師 ﹂ は、 大 師 号 に も と つ く ﹁ 大 師 ﹂ で は な く、 ﹁ 偉 大 な る 師 ﹂ と い っ た 一 般 名 詞 ・ 尊 称 と し て (19) 使 用 さ れ た に す ぎ な い、 と み な す 見 解 も み ら れ る。 し か し な が ら、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ に お け る 空 海 の 表 記 と し て は 問 題 と な る、 と 私 も 考 え る。 西 田 氏 の ﹃ 御 遺 告 ﹄ を 抄 出 し た の が ﹃ 僧 都 伝 ﹄ で あ る と の 見 解 は、 私 見 と 同 じ な の で、 あ と で 再 検 討 し た い。 二、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ と ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 項 目 比 較 筆 者 は か つ て、 空 海 作 と み な さ れ て き た 四 種 の ﹁ 遺 告 ﹂ 1 ﹃ 遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄ ﹃ 遺 告 諸 弟 子 等 ﹄ ﹃ 太 政 官 符 案 井 遺 告 ﹄ (20) ﹃ 遺 告 真 然 大 徳 等 ﹂ -の 成 立 過 程 を 論 じ た こ と が あ る。 そ の と き も 詳 細 な 項 目 対 照 表 を 作 成 し、 簡 略 な 表 記 の も の か ら 長 文 の 表 記 の も の に 次 第 に 増 広 さ れ た と み な す 従 来 の 説 に 対 し て、 ま っ た く 逆 で、 簡 略 な 表 記 は 長 文 の も の を 抄 出 し た 結 果 で あ る こ と を 論 証 し た。 今 回 も 項 目 対 照 表 を 作 成 し た の で、 そ の 概 略 を み て お き た い。 巻 末 に 添 付 し た 項 目 対 照 表 は、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 本 文 を 二 十 八 項 目 に 分 け て 上 段 に お き、 そ れ と 対 応 す る ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 文 章 を 下 段 に 配 し た も の で あ る。 空 白 の と こ ろ は、 対 応 す る 文 章 が な い こ と を 示 し て い る。 本 文 に か か わ る 項 目 は、 0 か ら 28 に い た る 二 十 九 項 目 で あ る。 こ の 二 十 九 項 目 を、 四 つ に 分 類 ・ 整 理 す る と、 第 一、 ﹃ 僧 都 伝 ﹂ と 同 じ 内 容 の 文 章 が ﹃ 御 遺 告 ﹄ に み ら れ る 項 目 ⋮ ⋮ 1 ・ 3 ・ 4 ・ 6 ・ 7 ・ 8 ・ 9 ・ 10 ・ 11 ・ 12 ・ 13 ・ 14 ・ 15 ・ 16 ・ 17 ・ 18 ・20 ・ 21 ・ 22 ・ 23 の 二 十 項 目 (21) 第 二、 共 通 の 項 目 は あ る が 内 容 的 に は 必 ず し も 同 じ で な い も の ⋮ 24 ・ 25 ・ 26 の 三 項 目

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(22) 第 三、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ に だ け み ら れ る 項 目⋮⋮ 2 ・ 5 ・ 19 ・ 27 ・ 28 の 五 項 目 (23) 第 四、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ に だ け み ら れ る 項 目⋮⋮ 0 ・ 25(1) ・ 25 (2) ・ 26(1) ・ 26(2) の 五 項 目 と な る。 特 徴 的 な こ と と し て、 ま ず 気 づ く こ と は、 全 体 の 約 四 分 の 三 に あ た る 第 二 十 三 項 目 ま で の な か の 二 十 項 目 が 第 一、 す な わ ち ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 文 章 と 同 じ 内 容 の 文 章 が ﹃ 御 遺 告 ﹄ に み ら れ る こ と で あ る。 こ れ を も う 少 し 細 か く 整 理 す る と、 ( ア) 両 者 と も ほ ぼ 同 じ 長 さ の 文 章 か ら な る も の ⋮ ⋮ 6 ・ 7 ・ 8 ・ 10 ・ 12 ・ 14 ・ 16 ・ 17 ・20 ・ 21 ・ 22 の 十 一 項 目、 ( イ) ﹃ 御 遺 告 ﹂ の 文 章 が 圧 倒 的 に 長 い 項 目 ⋮ ⋮ 1 ・ 4 ・ 9 ・ 11 ・ 13 ・ 15 ・ 18 ・ 23 の 八 項 目、 (24) ( ウ) 逆 に ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 文 章 が 長 い 項 目 ⋮ ⋮ 3 の 一 項 目 と な る。 こ の う ち、 二 つ の 著 作 の 前 後 関 係、 い ず れ が い ず れ を 引 用 し た の か、 を 論 じ る 場 合、 一 番 問 題 と な る の は、 分 量 が 極 端 に ち が う ( イ) で あ ろ う。 こ の ( イ) に つ い て は、 あ と で 詳 述 し た い。 第 二 に 留 意 す べ き と こ ろ は、 後 半 部 分、 す な わ ち 二 十 四 項 目 か ら さ い ご に か け て、 両 者 に 相 違 す る と こ ろ が 多 く み ら れ る こ と で あ る。 こ れ が 何 を 意 味 す る の か に つ い て も、 項 を 改 め て 論 じ る こ と に し た い。 三、 ﹃ 遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄ の 文 章 が 圧 倒 的 に 長 い 項 目 先 述 し た よ う に、 二 つ の 著 作 の 前 後 関 係、 い ず れ が い ず れ に 依 拠 し て 成 立 し た か、 を 論 じ る 場 合、 同 じ 内 容 を 含 み な が ら、 そ の 文 章 に 極 端 な 長 短 が み と め ら れ る も の が 問 題 と な ろ う。 す な わ ち、 前 掲 の ( イ) に 属 す る 項 目 で あ る。 こ ﹃空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃ 遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄

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密 教 文 化 こ に、 一 つ 一 つ 具 体 的 に み て み よ う。 さ き に ( A) と し て ﹃ 御 遺 告 ﹄ を あ げ、 つ い で ( B) と し て ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 対 応 す る 文 章 を あ げ、 同 じ 内 容 を 有 す る と こ ろ に 傍 線 を 付 し た。 ︻ 第 1 項 目 ︼ 五 ・ 六 歳 の こ ろ お も ん み ( A) 夫 れ 以 れ ば、(1) 吾 れ 昔 生 を 得 て 父 母 の 家 に 在 り し 時、(2) 生 年 五 ・ 六 の 間、 夢 に 常 に 八 葉 蓮 華 の 中 に 居 座 し て、 あま れ 宏 ざ な 諸 仏 と 共 に 語 る と 見 き。 然 り と 錐 も 専 ら 父 母 に 語 ら ず。 況 ん や 他 人 に 語 ら ん や。(3) 此 の 間、 父 母 偏 に 悲 ん で、 字 と へ と も (25) し て 貴 物 と 号 す。 (傍 線 筆 者、 以 下 同 じ) (26) ( B)(1) 和 上、 生 れ て 聡 明 に し て よ く 人 事 を 識 る。(2) 五 ・ 六 歳 の 後、(3) 隣 里 の 間 に 神 童 と 号 す。 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ は、 生 ま れ な が ら に 聡 明 で よ く 人 事 に 通 じ て い た の で、 五 ・ 六 歳 の こ ろ、 近 隣 の 人 た ち か ら 神 童 と 呼 ば れ た と 記 す。 こ れ に 対 し て、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ で は 五 ・六 歳 の こ ろ、 つ ね に 八 葉 の 蓮 華 に す わ っ て 諸 仏 と か た る 夢 を み て い た が、 両 親 を は じ め 誰 に も こ の こ と を 話 さ な か っ た と い い、 父 母 は 慈 し み 貴 物 と よ ん だ と い う。 五 ・ 六 歳、 貴 物、 神 童 を も っ て 同 じ 内 容 の 項 目 と み な し た け れ ど も、 こ れ だ け で は 前 後 関 係 を 判 断 す る の は む ず か し い。 ︻ 第 4 項 目 ︼ 阿 刀 大 足 ら の 教 言 と 学 習 こ こ た と ( A) 愛 に(1) 外 舅 阿 刀 大 足 大 夫 等 が 曰 く。 縦 え 仏 弟 子 と 為 る と も、 大 学 に 出 で て 文 書 を 習 っ て 身 を 立 て 令 め ん に 信 如 ド マ マレ (27) か ず と。 此 の 教 言 に 任 せ て、(2) 俗 典 の 少 書 等 及 び 史 伝 を 受 け、 兼 ね て 文 章 を 学 び き。 ( B) 年 始 め て 十 五 に し て、(1) 外 舅 二 千 石 阿 刀 大 足 に 随 っ て、(2) 論 語 ・ 孝 経 ・ お よ び 史 伝 等 を 受 け、 兼 ね て 文 章 を 学 び

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(28) き あ ら た め て 申 す ま で も な く、 お じ の 阿 刀 大 足 か ら 論 語 ・ 史 伝 等 の 俗 典、 な ら び に 文 章 を 学 ん だ と す る 個 所 で あ る。 両 者 の ち が い は、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ が ﹁ た と え 将 来、 僧 に な る と し て も、 ま ず 大 学 に 進 ん で 立 身 出 世 を め ざ す べ き で あ る ﹂ と の 阿 刀 大 足 ら の 教 言 を 記 す と こ ろ で あ る。 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ に み え る ﹁ 十 五 歳 ﹂ は、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ で は つ ぎ の 第 5 項 目 の ﹁ 入 京 ﹂ に み ら れ る。 ︻ 第 9 項 目 ︼ 二 十 歳、 出 家 す こ こ ( A)(1) 二 十 の 年 に 及 べ り。 愛 に 大 師 石 淵 の 贈 僧 正 召 し 率 い て、 和 泉 国 槙 尾 山 寺 に 発 向 し、 此 に 於 い て(2) 髪 髪 を 剃 除 し (29) て、 沙 弥 の 十 戒、 七 十 二 の 威 儀 を 授 け、 名 を 教 海 と 称 し、 後 に 改 め て 如 空 と 称 し き。 (30) ( B)(1) 此 れ 二 十 の 年 に 及 ん で、(2) 剃 髪 し 沙 弥 戒 を 受 く。 こ の 個 所 は、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ を 増 広 し た と み な す よ り も、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ か ら 抄 出 し た の が ﹃ 僧 都 伝 ﹄ で あ る と い え そ う で あ る。 四 本 の ﹁ 遺 告 ﹂ を 比 較 対 照 し た と き に も 強 く 感 じ た こ と で あ る が、 抄 出 し た 場 合、 ど こ か 舌 足 ら ず な 文 章 に な る こ と が 多 い。 僧 侶 に と っ て、 出 家 受 戒 は 重 要 な 意 味 を も つ 事 績 の ひ と つ で あ る に も か か わ ら ず、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ に は た だ ﹁ 剃 髪 し 沙 弥 戒 を 受 く ﹂ と 記 す だ け で、 こ こ に は 出 家 受 戒 の 師 お よ び 場 所 の 記 載 が な く、 中 途 半 端 な 感 を ま ぬ が れ な い の で あ る。 ︻ 第 11 項 目 ︼ 延 暦 二 十 三 年 ( 八 〇 四) 五 月、 入 唐 留 学 す ﹃空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃ 遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄

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密 教 文 化 ( A)(1) 更 に 発 心 を 作 し て、(2) 去 ん じ 延 暦 二 十 三 年 五 月 十 二 日 を 以 っ て(3) 入 唐 す 初 め て 学 習 せ ん が 為 な り。(4) 天 の 応 え 磐 勲 に し て(5) 勅 を 載 せ て 海 を 渡 る。 さ わ り し か る た び (6) 彼 の 海 路 の 間、 三 千 里 な り。 先 例 は 楊 蘇 洲 に 至 っ て 償 無 し、 と 云 々。 而 に 此 の 度 般 七 百 里 を 増 し て 衡 洲 に 到 る、 さ わ り て つ か ら 磯 多 し。 此 の 間、 大 使 越 前 の 国 の 太 守 正 三 位 藤 原 朝 臣 賀 能、 自 手 書 を 作 し て 衡 洲 の 司 に 呈 す。 洲 司 披 き 看 て、 す を 即 ち 此 の 文 を 以 っ て 己 て 了 ん ぬ。 此 の 如 く す る こ と 両 三 度 な り。 然 り と 錐 も 船 を 封 じ、 人 を 追 っ て 湿 沙 の 上 に 居 う れ ひ そ も そ も ら 令 む。 此 の 時 に、 大 使 述 べ て 云 く。 愁 切 な る の 今、 抑 大 徳 は 筆 の 主 な り。 書 を 呈 せ よ、 と 云 々。 愛 に 吾 れ 書 え み ま さ 様 を 作 り、 大 使 に 替 わ っ て 彼 の 洲 の 長 に 呈 す。 披 き 覧 て、 咲 を 含 ん で 船 を 開 き、 問 い を 加 え て 即 に 長 安 に 奏 す。 か つ が よ み か り や 三 十 九 箇 日 を 経 て、 洲 府 の 力 使 四 人 を 給 へ り。 且 つ 資 根 を 給 う て、 洲 の 長 好 し 問 う て、 借 屋 十 三 姻 を 作 り て 住 せ つ い 令 む。 五 十 八 箇 日 を 経 て、 存 問 の 勅 使 等 を 給 う。 彼 の 儀 式 極 り 岡 し。 之 を 覧 る 主 客、 各 々 涙 を 流 す。 次 で 後、 か ざ れ じ ゅ け い 迎 客 の 使 を 給 う。 大 使 に 給 う に は 七 珍 の 鞍 を 以 っ て す。 次 々 の 使 等 に は 皆 粧 る 鞍 を 給 う。 長 安 入 京 の 儀 式、 説 き か し さ き 尽 す 可 き こ と 無 し。 之 を 見 る 者、 遽 遍 に 満 て り。 此 の 間、 大 使 賀 能 大 夫 達、 向 に 国 に 帰 る。 惟 れ 延 暦 廿 四 年 電 時 あ た れ の な り。 即 ち 大 唐 の 貞 元 廿 一 年 に 配 り。 へ く ( B)(1) 更 に 発 願 を 為 し て、(3) 入 唐 学 習 せ ん と す。(4) 天、 至 情 を 感 じ て、(2) ん じ 延 暦 の 末 の 年、(5) 命 を 街 ん で 渡 海 す。 一 見 す れ ば 判 る よ う に、 ﹃ 僧 都 伝 ﹂ に は、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 傍 線(6) ﹁ 彼 の 海 路 の 間 ﹂ 以 下 の 福 州 ( 衡 州) へ の 着 岸 と 大 使 に か わ っ て 書 を 呈 す 話、 お よ び 長 安 城 へ の 入 京、 延 暦 二 十 四 年 (八 〇 五) の 大 使 等 の 帰 国 の 話 が 見 あ た ら な い。 つ ぎ の 第 12 項 目 ・ 恵 果 和 尚 か ら の 受 法 の 段 は、 ほ ぼ 同 文 と い っ て よ い も の が み ら れ る こ と か ら す る と、 こ の ﹁ 彼 の 海 路 の 間 ﹂ 以 下 の 個 所 は、 む し ろ 別 立 て に し た ほ う が よ い の か も し れ な い。 そ れ は さ て お き、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 文 章 は ど こ か ギ ク シ ャ

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ク し て お り、 い か に も 稚 拙 と し か い い よ う の な い も の を 感 じ る の は 私 だ け で あ ろ う か。 こ の 個 所 も、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ は ﹃ 御 遺 告 ﹄ に も と つ い て 書 か れ た 感 を 強 く す る の で あ る。 そ れ と、 傍 線 部(2) の ﹁ 去 ん じ 延 暦 の 末 の 年 ﹂ は、 厳 密 に は 事 実 と 異 な っ て い る。 こ れ は、 オ リ ジ ナ ル 版、 つ ま り ﹃ 御 遺 告 ﹄ の ﹁ 去 ん じ 延 暦 二 十 三 年 五 月 十 二 日 を 以 っ て ﹂ と の (33) 違 い を 出 そ う と し て、 こ の よ う な 表 現 に な っ た も の と 思 わ れ る。 ︻ 第 13 項 目 ︼ 大 同 二 年 ( 八 〇 七) 帰 朝 す ( A) 少 僧、 大 同 二 年 を 以 っ て、 我 が 本 国 に 帰 る。 此 の 間、 海 中 に し て 人 々 の 云 は く。 日 本 国 の 天 皇 崩 じ た ま へ り、 こ と た だ こ と ば と ど ま と 云 々。 是 の 言 を 聞 き 諌 し て 本 口 の 言 を 尋 ぬ る に、 船 の 内 の 人、 首 尾 を 論 争 し て 都 て 一 定 せ ず。 注 り 繋 ひ で 岸 に そ て へ り 着 く。 或 る 人 言 い 告 げ ら く。 ﹁ 天 皇、 某 の 日 時 に 崩 じ た ま う ﹂ 者。 少 僧、 悲 を 懐 い て 素 服 を 給 わ る。 (35) ( B) 大 同 二 年 を 以 っ て、 我 が 上 国 に 帰 る。 こ れ も 一 目 瞭 然 で あ る。 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ に は、 帰 国 の さ い の 船 中 で 天 皇 の 崩 御 を 語 る 話 が み ら れ な い。 ま た、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の ﹁ 我 が 上 国 に 帰 る ﹂ は、 空 海 の 行 動 を 客 観 的 に 記 す の で あ れ ば、 ﹁ 我 が ﹂ は 必 要 な い。 ﹁ 我 が 上 国 に 帰 る ﹂ は、 明 ら か に ﹃ 御 遺 告 ﹄ の ﹁ 我 が 本 国 に 帰 る ﹂ を 下 敷 き に し て 書 い た も の で あ り、 オ リ ジ ナ ル 本 と の 違 い を 何 と か 出 そ う と し (36) て 苦 心 し た 末 の 表 記 と い え よ う。 ︻ 第 15 項 目 ︼ 神 泉 苑 に お い て、 御 願 の 祈 雨 法 を 修 す ほ と り か み よ し も ( A) 亦 神 泉 薗 の 池 の 邊 に し て、 御 願 に 法 を 修 し て 雨 を 祈 る に、 霊 験 其 れ 明 ら か な こ と、 上 殿 上 従 り 下 四 元 に 至 る。 ﹃空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃ 遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄

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密 教 文 化 も と 此 の 池 に 龍 王 有 り、 善 如 と 名 つ く。 元 是 れ 無 熱 池 の 龍 王 の 類 な り。 慈 し み 有 っ て 人 の 為 に 害 心 を 至 さ ず。 何 を 以 っ こ ろ を ひ よ て か 之 を 知 る と な ら ば、 御 修 法 の 比、 人 に 託 し て 之 を 示 す。 即 ち 真 言 の 奥 旨 を 敬 っ て、 池 の 中 従 り 形 を 現 す 時 に 悉 地 成 就 す。 彼 の 形 業 を 現 す こ と、 宛 か も 金 色 の 如 し。 長 さ 八 寸 許 の 蛇 な り。 此 の 金 色 の 蛇、 長 さ 九 尺 許 の 蛇 の 頂 き に 居 在 す る な り。 此 の 現 形 を 見 る 弟 子 等 は、 実 恵 大 徳 井 び に 真 済 ・ 真 雅 ・ 真 照 ・ 堅 恵 ・ 真 暁 ・ 真 然 等 な り。 み る し ば ら く 諸 の 弟 子 は 敢 え て 覧 看 こ と 難 し。 具 に 事 の 心 を 注 し て 内 裏 に 奏 聞 す。 少 時 の 間 に、 勅 使 和 気 真 縄、 御 弊 種 々 の 色 こ よ い よ い よ の 物 を も っ て 龍 王 に 供 奉 す。 真 言 道 の 崇 め ら る る こ と、 爾 れ 従 り 弥 起 れ り。 若 し 此 の 池 の 龍 王 他 界 に 移 ら ば、 す く な く せ ま 池 浅 く 水 減 し て 世 薄 く 人 乏 し か ら ん。 方 に 此 の 時 に 至 っ て、 須 ら く 公 家 に 知 ら 令 め ず し て、 私 に 祈 願 を 加 う べ ま く の み し。 而 已。 あ ま た ( B) 風 を 息 め 雨 を 降 ら す 霊 験、 其 れ 数 あ り。 お ん た め こ の 個 所 の ﹃ 僧 都 伝 ﹄ も、 直 前 の ﹁ 藪 れ よ り 已 降、 帝 四 朝 を 経 て、 国 家 の 奉 為 に 壇 を 建 て 法 を 修 す る こ と 五 十 一 度 な り ﹂ を 受 け た か た ち と は い え、 具 体 性 に と ぼ し い 表 記 と い え よ う。 か つ て 四 種 の ﹁ 遺 告 ﹂ を 比 較 対 照 し た と き 判 っ た こ と の ひ と つ に、 抄 出 す る 場 合、(1) 典 拠 と し た 文 章 の 最 初 の 部 分 を 書 き だ す、 あ る い は(2) 最 初 と 最 後 の 部 分 か ら 書 き だ し て 接 合 す る と い っ た、 き わ め て 単 純 な 操 作 が な さ れ て い た こ と で あ る。 こ の 項 目 と さ き に あ げ た 11 ・ 13 の 項 目 に は、 同 一 の か た ち が 見 ら れ る。 つ ま り、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 文 章 は ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 最 初 の 部 分 と 対 応 す る と い う こ と で あ る。 し か も 抽 象 的 で、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ よ り も 拙 劣 な 文 章 で あ る。 こ れ ら 三 つ の 項 目 か ら は、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ を 典 拠 と し て ﹃ 御 遺 告 ﹄ が 書 か れ た と み な す こ と は で き な い、 と 私 は 考 え る。

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︻ 第 18 項 目 ︼ 恵 果 和 尚 と の 出 逢 い と 呉 股 心 の 纂 た ま ま さ ま た ( A) 吾 が 到 り し 日、(1) 彼 の 大 阿 闇 梨 曰 く。 ﹁ 我 が 命、 即 に 尽 き な ん と す。 汝 を 待 つ こ と 既 に 尚 し。 已 に し て 果 し て ひ集 し マ マ 来 た れ り。 我 が 道、 東 せ ん と す。(2) 故 に 呉 股 の 纂 に 云 わ く。 今、 大 日 本 国 の 沙 門 有 り。 来 り て 聖 教 を 求 む。 皆、 学 ぶ 所 写 瓶 の 如 く な る べ し。 此 の 沙 門 は 是 れ 凡 徒 に 非 ず。 三 地 の 菩 薩 な り。 内 に は 大 乗 の 心 を 具 し、 外 に は 少 国 (39) の 沙 門 の 相 を 示 す、 と 云 々。 ( B) 圏 圖 に 曰 く。(1) 彼 の 阿 闊 梨 の 麟 く、 我 が 命 離 に 尽 き な ん と す。 汝 を 待 つ こ と 已 に 久 し。 今 果 し て 来 た れ り。 マ マ 我 が 道、 東 せ ん と。(2) 故 に 呉 股 の 纂 に 云 わ く、 今、 日 本 の 沙 門 有 り。 来 り て 聖 教 を 求 む。 皆、 学 ぶ 所 写 瓶 の 如 し、 (40) と 云 々。 (囲 み 線 筆 者、 以 下 同 じ) こ の 項 目 は、 さ き に 紹 介 し た よ う に、 西 田 氏 が ﹃ 僧 都 伝 ﹄ は ﹃ 御 遺 告 ﹄ を 原 拠 と し て 抄 出 し た も の と み な す 典 拠 と さ れ た 個 所 で あ る。 い ず れ も 最 後 に ﹁ 云 々 ﹂ と あ り、 し か る べ き 典 籍 か ら 抄 出 し た 形 式 を と る。 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ は ﹁ 和 上 の 記 に 曰 く ﹂ と 書 き だ し て お り、 空 海 の 著 書 か ら 直 接 引 用 し た か の 形 式 を と る が、 西 田 氏 が 指 摘 さ れ る よ う に、 ﹃ 御 の た ま わ 遺 告 ﹄ か ら の 抄 出 と み て 大 過 な い で あ ろ う。 そ れ は、(1) 空 海 の 著 作 中 に ﹁ 彼 の 阿 閣 梨 の 日 く ⋮ ⋮ 我 が 道、 東 せ ん と ﹂ ( マ マ) な る 文 章 が み ら れ な い こ と、(2) つ づ く ﹁ 呉 股 の 纂 ﹂ も、 同 一 の 文 章 が 空 海 の 著 作 中 に は み あ た ら な い こ と、 の 二 つ の 理 由 に よ る。 ︻ 第 23 項 目 ︼ 春 秋 の 間、 必 ず 高 野 山 に 登 る。 上 登 の 日 の 託 宣。 エ し こ ほ と り ( A)(1) 万 事 逞 無 し と 云 う と 錐 も、 春 秋 の 間 に 必 ら ず 一 た び 往 き て 彼 を 看 る。 山 の 裏 の 路 の 邊 に 女 神 有 り。 名 づ け て ﹃空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄

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密 教 文 化 丹 生 津 姫 命 と 日 う 其 の 社 の 廻 り に 町 許 り の 有 り。 右 し 人 到 り 着 け は、 即 時 に 障 害 せ ら る 方 に 吾 れ 上 登 の の た ま 日、 巫 祝 に 託 し て 曰 く。 ﹁ 妾 は 神 道 に 在 っ て、 威 福 を 望 む こ と 久 し 方 に 今、 菩 薩 此 の 山 に 到 り た ま へ り 妾 あ ら ひ と が み け く に す へ ら の み こ と や ま と が わ が 幸 い な り。 弟 子、 昔 現 人 の 時、 食 国 鵯 命 家 地 を 給 う こ と 万 許 町 を 以 っ て す。 南 限 る 南 海、 北 限 る 日 本 河、 や ま と の く に ご ヘ ミ こ こ ろ い ま ら 東 限 る 大 日 本 国、 西 限 る 応 神 山 谷。(2) 翼 わ く ば、 永 世 に 献 じ て 仰 信 の 情 を 表 す、 と 云 々 如 今 件 の 地 の 中 に 所 る と き し ょ う れ 有 開 田 を 見 る に 三 町 許 り な り。 常 庄 と 名 く る、 是 れ な り L。 ( B)(1) 世 事 に 隙 な し と 云 う と い え ど も、 春 秋 の 間 必 ら ず 一 た び 往 き て 其 の 山 中 を 看 る 路 の 辺 り に 女 神 あ り 名 づ け て 丹 生 津 姫 と 日 う。 其 の 社 の 廻 り に 頃 計 り の 沢 あ り。 右 し 人 到 り 突 け は 即 時 に 障 害 せ ら る 和 上 登 る 日、 こ い 晦 ガ 託 宣 し て 曰 く、 ﹁ 妾 は 神 道 に 在 っ て、 威 福 を 望 む こ と 久 し。 菩 薩、 此 の 山 に 到 る。 弟 子 が 幸 い な り。(2) 翼 わ く ば、 デ ん へ い ナ と き し ょ う 己 が 私 苑 を 献 じ て、 表 す る に 信 情 を も っ て す 今 見 開 田 二 三 町 計 り 常 庄 と 名 つ く る 是 れ な り ﹂。 惟 れ ば、 (42) 初 あ 有 れ ば 終 り 有 り。 故 に 古 来 の 賢 智、 皆 従 っ て 零 落 す。 こ の 項 目 は、 四 種 の ﹁ 遺 告 ﹂ の 比 較 研 究 か ら い え ば、 最 初 と 最 後 か ら 抄 出 す る 形 式 に あ た る と い え る。 ﹁ 十 頃 計 り の 沢 ﹂ ﹁ 若 し 人 到 り 突 け ば ﹂ と い っ た こ と ば 遣 い も、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ が ﹃ 御 遺 告 ﹄ か ら の 抄 出 で は な い か と 考 え る 根 拠 と な ろ う。 さ き に も 記 し た よ う に、 原 拠 と ち が っ た 表 記 に し た い と の 考 え が、 垣 間 見 え る か ら で あ る。 以 上、 ﹃ 御 遺 告 ﹂ の 文 章 が ﹃ 僧 都 伝 ﹄ に 比 べ て 長 い 八 つ の 項 目 に つ い て 検 討 し て き た。 そ の 結 果、 1 の 項 目 を の ぞ く 残 り 七 つ の 項 目 -4 ・ 9 ・ 11 ・ 13 ・ 15 ・ 18 ・ 23 1 か ら は、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ か ら ﹃ 僧 都 伝 ﹄ へ、 つ ま り ﹃ 御 遺 告 ﹄ を 典 拠 と し て 抄 出 し た の が ﹃ 僧 都 伝 ﹂ で あ る と の 感 触 を 強 く も つ に い た っ た。

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四、 ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ に み ら れ る ﹁ 大 師 ﹂ に つ い て こ こ で、 西 田 長 男 氏 が 指 摘 さ れ た ﹁ 大 師 ﹂ に つ い て み て お く。 ﹁ 大 師 ﹂ が 使 わ れ る の は、 24 番 目 の 項 目 で あ る。 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 本 文 を あ げ る と、 圃、(1) 天 長 九 年 十 二 月 十 二 日 齢 り、 深 く 世 味 説 い て、 常 に 坐 禅 を 務 む。 弟 子、 進 ん で 曰 く、 ﹁ 老 い る 者 は 唯 飲 か ぎ 食 す。 此 れ に 非 ざ れ ば 亦 隠 眠 す。 今 已 に 然 ら ず。 何 事 か 之 れ 有 ら ん ﹂ と。 報 え て 日 く、 ﹁ 命 に は 涯 り 有 り。 強 い (43) て 留 ま る べ か ら ず。 唯、 尽 き な ん 期 を 待 つ の み。 若 し、 時 の 至 る を 知 ら ば、 先 に 在 っ て 山 に 入 ら ん ﹂ と。 と あ る。 こ の と こ ろ を ﹃ 御 遺 告 ﹄ は 固、(1) 去 ん じ 天 長 九 年 十 一 月 十 二 日 自 り、 深 く 穀 味 を 厭 い て、 専 ら 坐 禅 を 好 む。 皆 是 れ 令 法 久 住 の 勝 計、 井 び に (44) 末 世 後 生 の 弟 子 ・ 門 徒 等 が 為 な り。 ( 囲 み 線 筆 者) と 記 す。 つ ま り、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ で ﹁ 吾 ﹂ と 記 す と こ ろ を、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ で は ﹁ 大 師 ﹂ と し て お り、 こ の ﹁ 大 師 ﹂ が 空 海 を さ す こ と は 間 違 い な い。 ち な み に、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ に は 合 計 十 六 ヶ 所 に ﹁ 吾 ﹂ が 使 わ れ て い る が、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ に 対 応 す る 文 章 が み ら れ る 六 ヶ 所 の う ち、 ﹁ 大 師 ﹂ と 書 き か え る の は こ こ だ け で あ り、 残 り の 五 ヶ 所 は こ と ご と く ﹁ 和 上 ﹂ と 書 き か え て い る。 そ れ ら を 例 示 す る と、 つ ぎ の よ う に な る (数 字 は 項 目 番 号、 上 が ﹃ 御 遺 告 ﹄)。 (45) 1 吾 れ 昔 生 を 得 て-和 上 生 れ て (46) 17 吾 が 身 に 至 る ま で 相 伝 え て 八 代 な り ← 和 上 に 至 る ま で 相 伝 え て 八 代 な り ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃ 遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄

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密 教 文 化 の た ま わ の た ま わ れ 18 吾 が 到 り し 日、 彼 の 大 阿 閣 梨 曰 く-和 上 の 記 に 曰 く、 彼 の 大 阿 閣 梨 の 曰 く (48) 20 吾 れ 居 住 す る の 時-和 上 住 す る の 時 ま さ ゆ 23 方 に 吾 れ 上 登 の 日-和 上 登 る の 日 こ れ は 一 体 何 を 物 語 る の で あ ろ う か。 私 は、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ が ﹃ 御 遺 告 ﹄ か ら 抄 出 す る に 際 し て、 ﹁ 吾 ﹂ を ﹁ 和 上 ﹂ と す (50) べ き と こ ろ を、 一 ヶ 所 だ け 間 違 え て ﹁ 大 師 ﹂ と し て し ま っ た、 と み な し て お き た い。 な お、 こ の ﹁ 大 師 ﹂ の 用 法 に つ い て、 白 井 優 子 氏 は、 こ の 大 師 の 用 例 に つ い て、 い わ ゆ る 譲 号 の 大 師 号 で は な く、 自 身 の 師 を 尊 重 し て 称 す る 場 合 が あ る。 一 例 を あ げ る と、 ﹃ 廿 五 ヶ 条 遺 告 ﹄ に ﹁ 石 淵 贈 僧 正 大 師 ﹂ と あ り、 空 海 の 師 と し て の ち に 伝 え ら れ た、 勤 操 を、 大 師 と 称 し て い る。 ま た、 天 台 宗 に お い て、 最 澄 の 没 後 ま も な く の 根 本 伝 記 と し て 伝 え ら れ る ﹃ 叡 山 大 師 伝 ﹄ は、 そ の 名 称 か ら し て、 大 師 を 称 す る。 (中 略) 九 世 紀 前 半 の 師 の 尊 称 が 大 師 で あ る と 考 え ら れ る。 こ れ が、 ﹁ 弘 法 大 師 ﹂ と 記 (51) さ れ て い る の な ら ば、 ま た 別 問 題 で あ ろ う。 と 言 わ れ る。 し か し な が ら、 私 は 西 田 氏 と 同 様 に、 弘 法 大 師 な る 大 師 号 を た ま わ っ た 空 海 を さ し て、 こ こ に ﹁ 大 師 ﹂ と 記 し た も の と 考 え る。 な ぜ な ら、 こ こ だ け を ﹁ 偉 大 な 師 ﹂ と い っ た 尊 称 で も っ て 表 記 し な け れ ば な ら な い 理 由 が み い だ せ な い か ら で あ る。 (52) こ の こ と が 首 肯 さ れ る な ら ば、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 成 立 は、 空 海 に 大 師 号 が 下 賜 さ れ た 延 喜 二 十 一 年 ( 九 二 一) 十 月 よ り も 後 で あ っ た こ と に な る。

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五、 承 和 元 年 五 月 の 教 誠 を め ぐ っ て つ ぎ に、 本 稿 を 草 す る 契 機 と な っ た 承 和 元 年 (八 三 四) 五 月 の 教 誠 に つ い て み て お く。 こ の 教 誠 が み ら れ る の は、 25 番 目 の 項 目 で あ る。 ま ず、 ﹃ 僧 都 伝 ﹂ の 本 文 を あ げ て み よ う。 そ を 承 和 元 年 五 月 晦 日、 諸 の 弟 子 等 を 召 し て 語 ら く、 ﹁ 吾 が 生 期、 今 幾 ば く な ら ず。 汝 等、 好 く 住 し て 慎 ん で 仏 法 を (53) 守 る べ し。 我、 永 く 山 に 帰 ら ん ﹂ と。 と あ る。 こ の と こ ろ を ﹃ 御 遺 告 ﹄ は あ き ら か な ん だ ち 方 に 今、 諸 の 弟 子 等、 諦 に 聴 き、 諦 に 聴 け。 吾 が 生 期、 今 幾 ば く な ら ず。 仁 等 好 く 住 し て 慎 ん で 教 法 を 守 る べ (54) し。 吾、 永 く 山 に 帰 ら ん。 と 記 す。 ﹃ 御 遺 告 ﹄ が ﹁ 方 に 今 ﹂ と 記 す と こ ろ を、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ は ﹁ 承 和 元 年 五 月 晦 日 ﹂ と し て い る。 ﹃ 御 遺 告 ﹄ に い う ﹁ 方 に 今 ﹂ と は、 前 後 の 文 脈 か ら す る と、 こ の ﹃ 御 遺 告 ﹄ が 語 ら れ た 承 和 二 年 三 月 十 五 日 を さ し て い る こ と は ま ち が い な い。 し か る に、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ は 一 年 前 の 同 元 年 五 月 晦 日 に 設 定 す る の で あ る。 こ の 日 付 け ・ 承 和 元 年 五 月 晦 日 は、 何 に 依 拠 す る の で あ ろ う か。 こ こ で 想 起 さ れ る の が、 空 海 作 と 称 さ れ て き た 二 つ の 遺 誠 で あ る。 二 つ の 遺 誠 と は、 み そ か ( 一) 弘 仁 四 年 (八 一 三) 仲 夏 月 晦 日 の 日 付 け を も つ 遺 誠 日 弘 仁 の 遺 誠、 ﹃空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄

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-17-密 教 文 化 ( 二) 承 和 元 年 (八 三 四) 五 月 二 十 八 日 の 日 付 け を も つ 遺 誠 陛 承 和 の 遺 誠、 の 二 つ で あ る。 こ の う ち、 ﹁ 承 和 の 遺 誠 ﹂ の 主 旨 は、 教 団 内 の 素 乱、 す な わ ち 秩 序 ・ 道 徳 が 乱 れ て い る こ と を 誠 め た も の で あ り、 空 海 在 世 中 の こ と と は 到 底 考 え ら れ な い 内 容 で あ る。 (55) と も あ れ、 こ れ ら 二 つ の 遺 誠 の 成 立 は、 十 世 紀 ま で は 遡 り え な い と 考 え る。 し た が っ て、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の ﹁ 承 和 元 年 五 月 晦 日 ﹂ な る 表 記 が、 も し こ の ﹁ 承 和 の 遺 誠 ﹂ に 誘 発 さ れ て 記 さ れ た と す る な ら ば、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 成 立 は 十 一 世 紀 ま で く だ る こ と に な ろ う。 六、 二 つ の 遺 誠 の 成 立 年 代 空 海 作 と 称 さ れ て き た 二 つ の ﹁ 遺 誠 ﹂ は、 空 海 に 仮 託 し て 創 ら れ た も の で あ る と 考 え る。 そ の 成 立 年 代 に つ い て 一 瞥 し て お き た い。 (56) 二 つ の ﹁ 遺 誠 ﹂ の 成 立 年 代 に つ い て は、 か つ て 論 じ た こ と が あ る の で、 そ の 要 旨 を つ ぎ に 記 し て み た い。 問 題 と し た の は、 つ ぎ の 四 つ の 点 で あ る。 第 一 は、 古 写 本 の 構 成 と 書 写 年 代 か ら の 疑 義。 十 一 本 の 古 写 本 を 整 理 し た と こ ろ、 ( 一) 古 写 本 は 弘 仁 ・ 承 和 の 二 つ の 遺 誠 が 必 ず セ ッ ト に な っ て 書 写 さ れ て い る こ と、 ( 二) も っ と も 古 い 部 類 に 属 す る 古 写 本 の 構 成 は、 は じ め に 時 代 の 遅 い ﹁ 承 和 の 遺 誠 ﹂ が 書 写 さ れ、 ﹁ 同 大 師 重 誠 ﹂ な る 語 句 で つ な い で、 そ の あ と に ﹁ 弘 仁 の 遺 誠 ﹂ が 書 写 さ れ て い る こ と、 ( 三) 時 代 が 降 る と、 弘 仁 ・ 承 和 の 順 に 書 写 さ れ て く る が、 そ の 前 後 に 今 日 明 ら か に 空 海 の 文 章 で は な い と み な

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さ れ て い る 文 章 が、 何 の こ と わ り も な く 付 加 さ れ て い る こ と。 こ れ ら の こ と は、 二 つ の 遺 誠 そ の も の の 真 撰 説 を 疑 わ し く さ せ る も の で あ る と い え る。 第 二 は、 空 海 の 伝 記 類 か ら の 疑 義。 遺 誠 の 本 文 が、 空 海 の 伝 記 類 に い つ か ら 登 場 す る か を み る と、 そ の 最 初 は 元 永 元 年 ( 一 一 一 八) に 醍 醐 寺 の 聖 賢 が 撰 述 し た ﹃ 高 野 大 師 御 広 伝 ﹂ で あ り、 つ ぎ が 平 安 末 に は 成 立 し て い た ﹃ 弘 法 大 師 行 化 記 ﹄ で あ っ て、 十 二 世 紀 以 降 に な ら な い と あ ら わ れ な い。 こ の よ う に、 比 較 的 遅 く に し か み ら れ な い こ と で あ る。 第 三 は、 二 つ の 遺 誠 を 空 海 作 と み な す 年 代 に つ い て。 大 師 御 作 目 録 類 を み る と、 済 逞 ( 一 〇 二 五-一 一 一 五) が 二 つ と も 空 海 作 と 記 し、 お な じ く 済 逞 が 承 暦 三 年 ( 一 〇 七 九) に 編 纂 し た ﹃ 遍 照 発 揮 性 霊 集 補 闘 砂 ﹄ に、 ﹁ 承 和 の 遺 誠 ﹂ が 収 録 さ れ て い る こ と か ら、 十 一 世 紀 後 半 に は 空 海 作 と み な さ れ て い た こ と が 知 ら れ る。 第 四 は、 ﹁ 弘 仁 の 遺 誠 ﹂ に み ら れ る ﹁ 即 身 成 仏 ﹂ な る こ と ば に 対 す る 疑 義。 ﹁ 弘 仁 の 遺 誠 ﹂ に ﹁ 上 上 智 観 は 即 身 成 仏 (57) の 径 路 な り ﹂ な る 一 句 が み ら れ る が、 空 海 が み ず か ら の こ と ば と し て ﹁ 即 身 成 仏 ﹂ な る 語 を 使 っ た の は、 ﹃ 即 身 成 仏 義 ﹄ が 最 初 で あ っ て、 そ れ 以 降 も 限 ら れ た 作 品、 す な わ ち ﹁ 亡 弟 子 智 泉 が た め の 達 噺 文 ﹂ と ﹃ 大 日 経 開 題 (三 密 法 輪) ﹄ だ け で あ る。 弘 仁 六 年 (八 一 五) 四 月 の ﹁ 勧 縁 疏 ﹂ の 時 点 で も、 (58) 三 僧 祇 を 経 ず し て 父 母 所 生 の 身 も て 十 地 の 位 を 超 越 し て、 速 や か に 心 仏 に 証 入 せ む。 と 記 す に す ぎ ず、 ま し て や 弘 仁 四 年 の 時 点 で、 何 の 説 明 も く わ え る こ と な く、 た だ ﹁ 上 上 智 観 は 即 身 成 仏 の 径 路 な り ﹂ と 書 い て、 は た し て 誰 が 理 解 で き た で あ ろ う か。 こ の よ う に 考 え る と、 ﹁ 弘 仁 の 遺 誠 ﹂ の ﹁ 即 身 成 仏 ﹂ な る 語 は 年 代 的 に 早 す ぎ る き ら い が あ り、 し た が っ て 空 海 と ﹁ 弘 仁 の 遺 誠 ﹂ と は 直 接 結 び つ か な い と い え よ う。 以 上 の こ と に、 ﹁ 遺 誠 ﹂ 類 古 写 本 の 書 写 年 代 の 上 限 が 長 元 二 年 ( 一 〇 二 九) で あ る こ と を 勘 案 す る と、 二 つ の 遺 誠 の ﹃空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃ 遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄

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密 教 文 化 成 立 年 代 は 十 世 紀 ま で は 遡 り え な い、 と 考 え る。 お わ り に さ い ご に、 空 海 の 最 晩 年 に か ん す る 記 事 は、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 方 が ﹃ 御 遺 告 ﹂ よ り も 詳 し く、 か つ 複 雑 に な っ て い る よ う に 思 わ れ る の で、 こ の こ と に つ い て み て お き た い。 ま ず、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 記 事 を あ げ て み よ う。 項 目 対 照 表 か ら も 知 ら れ る よ う に、 空 海 最 晩 年 の 記 事 は、 つ ぎ の 四 つ で (59) あ る (数 字 は 項 目 番 号)。 す な わ ち、 よ へ と 24 吾、 去 ん じ 天 長 九 年 十 一 月 十 二 日 自 り、 深 く 穀 味 を 厭 い て、 専 ら 坐 禅 を 好 む。 皆 是 れ 令 法 久 住 の 勝 計、 井 び に 末 世 後 生 の 弟 子 ・ 門 徒 等 の 為 な り。 な ん ご ち 25 方 に 今、 諸 の 弟 子 等 諦 ら か に 聴 き、 諦 ら か に 聴 け。 吾 が 生 期、 今 幾 ば く な ら ず。 仁 等 好 く 住 し て 慎 ん で 教 法 を 守 る べ し。 吾、 永 く 山 に 帰 ら ん。 も し 26 吾、 入 滅 せ ん と 擬 す る は、 今 年 三 月 二 十 一 日、 寅 の 剋 な り。 諸 の 弟 子 等、 悲 泣 を 為 す こ と 莫 れ。 吾、 即 滅 せ ば 両 部 の 三 宝 に 帰 信 せ よ。 自 然 に 吾 に 代 っ て 春 顧 を 被 ら し あ ん。 吾 生 年 六 十 二、 騰 四 十 一 な り。 た の い そ い 27 吾、 初 め は 思 い き。 一 百 歳 に 及 ぶ ま で 世 に 住 し て、 教 法 を 護 り 奉 ら ん と。 然 れ ど も 諸 弟 子 等 を 侍 む で、 忽 で 永 く 即 世 せ ん と 擬 す な り。 (傍 線 筆 者) と な る。

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(60) こ れ に 対 し て、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ は 七 つ の 記 事 を 収 録 す る。 す な わ ち、 へ と 24 大 師、 天 長 九 年 十 二 月 十 二 日 自 り、 深 く 世 味 を 厭 い て、 常 に 坐 禅 を 務 む。 弟 子、 進 ん で 曰 く、 ﹁ 老 い る 者 は か ぎ 唯 飲 食 す。 此 れ に 非 ざ れ ば 亦 隠 眠 す。 今 已 に 然 ら ず。 何 事 か 之 れ 有 ら ん ﹂ と。 報 え て 日 く、 ﹁ 命 に は 涯 り 有 り。 強 い て 留 ま る べ か ら ず。 唯、 尽 き な ん 期 を 待 つ の み。 若 し、 時 の 至 る を 知 ら ば、 先 に 在 っ て 山 に 入 ら ん ﹂ と。 な ゆ こ ち 25 承 和 元 年 (八 三 四) 五 月 晦 日、 諸 の 弟 子 等 を 召 し て 語 ら く。 ﹁ 吾 が 生 期、 今 幾 ば く な ら ず。 汝 等、 好 く 住 し て 慎 ん で 仏 法 を 守 る べ し。 吾、 永 く 山 に 帰 ら ん ﹂ と。 25(1) 九 月 の 初 あ に、 自 ら 墓 処 を 定 む。 く さ き 25(2) 二 年 正 月 よ り 以 来、 水 漿 を 却 絶 す。 或 る 人、 之 を 諌 め て 曰 く。 ﹁ 此 の 身 腐 ち 易 し。 更 に 自 死 を 以 っ て 養 と 為 す べ し ﹂ と。 天 厨 前 に 列 ね、 甘 露 日 に 進 む。 止 み ね 止 み ね、 人 間 の 味 を 用 ひ ず、 と。 26 三 月 二 十 一 日 後 夜 に 至 っ て、 右 脇 に し て 滅 を 唱 う。 諸 の 弟 子 等、 一 二 の 者、 揺 病 な る こ と を 悟 る。 遺 誠 に 依 お さ り て 東 の 峯 に 敏 め 奉 る。 生 年 六 十 二、 夏 騰 四 十 一 な り。 26(1) 其 の 間、 勅 使、 手 つ か ら 諸 の 惟 異 を 詔 す。 つ ら な た も そ 26(2) 弟 子、 左 右 に 行 り て 相 い 持 つ。 賦 者、 作 事 及 び 遺 記 を 書 す。 即 の 間、 哀 れ ん で 送 る。 行 状、 更 に 一 二 な ら ず。 ( 傍 線 筆 者) と な る。 二 つ を 比 較 す る と、 ま ず ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 分 量 の 多 さ に 気 づ く で あ ろ う。 す な わ ち、 25(1) ・ 25(2) と 26(1) ・ 26(2) の 項 目 は ﹃ 僧 ﹃空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄

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密 教 文 化 都 伝 ﹄ 独 自 の も の で あ っ て、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ に は み ら れ な い。 ま た、 共 通 す る 内 容 を 有 す る 24 ・ 25 ・ 26 の 項 目 に は、 同 文 と 思 わ れ る と こ ろ に 傍 線 を 付 し て お い た。 こ の う ち 24 と 25 の ﹃ 僧 都 伝 ﹄ は、 さ き に 指 摘 し た よ う に、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ を 書 き 改 め た こ と が 明 白 な 項 目 で あ っ た。 26 は、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ が も し 諸 の 弟 子 等、 悲 泣 を 為 す こ と 莫 れ。 吾、 即 滅 せ ば 両 部 の 三 宝 に 帰 信 せ よ。 自 然 に 吾 に 代 っ て 春 顧 を 被 ら し め ん。 お さ と 記 す の に 対 し て、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ が ﹁ 遺 誠 に 依 り て 東 の 峯 に 敏 め 奉 る ﹂ と 25(1) を 受 け た 形 で 書 か れ て お り、 明 ら か に 内 容 的 に 異 な る。 こ こ で は、 分 量 的 に は ﹃ 御 遺 告 ﹄ に 比 べ て ﹃ 僧 都 伝 ﹄ が 多 く な っ て い る け れ ど も、 基 本 的 に は ﹃ 僧 都 伝 ﹄ (61) は ﹃ 御 遺 告 ﹄ に 依 拠 し て 書 か れ て い る と み な し て お き た い。 (62) さ い ご に、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 27 ﹁ 弘 仁 十 四 年 正 月 十 九 日、 嵯 峨 天 皇 か ら 東 寺 を 給 預 せ ら れ た ﹂ と す る 項 目 に つ い て 一 瞥 し て お き た い。 空 海 の 生 涯 お よ び の ち の 真 言 教 団 に と っ て、 東 寺 は 重 要 な 位 置 を し め る。 に も か か わ ら ず、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ で は 縁 起 第 一 の 末 尾 に、 取 っ て つ け た よ う に 置 か れ て い る。 ﹃ 御 遺 告 ﹄ そ の も の が ﹁ 東 寺 為 本 ﹂ 説、 す な わ ち 東 寺 を 真 言 宗 の 中 心 と み な す 説 に 立 脚 し て 編 纂 さ れ て い る こ と か ら す る と、 縁 起 第 二 以 下 と の 連 関 を 考 え、 あ え て 末 尾 に 配 し た と も 推 測 さ れ よ う が、 東 寺 の 重 要 性 を 鑑 み た と き、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ に 東 寺 に か ん す る 記 述 が ま っ た く み あ た ら な い の は 理 解 に 苦 し む。 推 測 の 域 を で る も の で は な い が、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ に 東 寺 の 記 事 が み ら れ な い の は、 よ り ど こ ろ と し た ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 位 置 が 作 用 し た も の と み な し て お き た い。 よ っ て、 こ の 東 寺 の 項 目 の 有 無 も、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ か ら ﹃ 僧 都 伝 ﹄ へ の 方 向 を 考 え る と き の 一 証 左 と い え よ う。 以 上、 雑 駁 な 論 述 と な っ た け れ ど も、 ﹃ 僧 都 伝 ﹂ と ﹃ 御 遺 告 ﹄ と の 関 係 は、 従 来 の 説 と は 逆 で、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ を 抄 出 し

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た の が ﹃ 僧 都 伝 ﹄ で あ り、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 成 立 も 十 世 紀 後 半 以 降 で は な か っ た か、 と 考 え る。 註 ( 1) 従 来、 こ こ に 記 し た 活 字 本 の 表 記 に よ っ て、 作 者 お よ び 成 立 年 代 が 論 じ ら れ て き た。 し か し な が ら、 こ れ ら の 表 記 は ﹃僧 都 伝 ﹄ の 成 立 当 初 か ら あ っ た の で は な く、 の ち に 書 き 加 え ら れ た も の で は な い か と 考 え る。 そ れ は、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 鎌 倉 時 代 の 写 本 と 思 わ れ る 真 福 寺 大 須 文 庫 蔵 本 は、 題 の 下 に は ﹁ 相 傳 云 真 済 僧 正 云 々 ﹂ と あ る け れ ど も、 巻 末 の ﹁ 承 和 二 年 十 月 二 日 ﹂ は み あ た ら な い か ら で あ る。 こ の 題 下 の ﹁相 傳 云 真 済 僧 正 云 々 ﹂ も、 ﹁真 済 僧 正 の 作 と の 説 が 伝 え ら れ て い る ﹂ と 解 さ れ、 後 世、 伝 承 に も と つ い て 記 さ れ た も の と 考 え ら れ る。 こ の 問 題 は、 後 日、 写 本 を 精 査 し、 改 め て 論 じ て み た い。 な お、 ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ の 活 字 本 は、 つ ぎ の 通 り で あ る。 ( 一) ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ (以 下、 ﹃ 大 師 全 集 ﹄ と 略 称 す) 首 巻 一-五 頁 一 九 六 七 年 六 月 (増 補 三 版) 高 野 山 大 学 密 教 文 化 研 究 所、 ( 二) ﹃ 弘 法 大 師 伝 全 集 ﹂ (以 下、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ と 略 称 す) 第 一 三 一-三 三 頁 一 九 三 五 年 四 月 六 大 新 報 社。 ( 2) ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 成 立 年 代 に つ い て は、 本 稿 の ﹁ 先 行 研 究 の 検 討 ﹂ 欄 ( 三-六 頁)、 お よ び 巻 末 に 付 し た 先 行 論 考 を 参 照 い た だ き た い。 (3) 本 稿 四 頁 を 参 照 い た だ き た い。 (4) ﹃ 僧 都 伝 ﹄ (﹃ 大 師 全 集 ﹂ 首 巻 四 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 二 頁 下 段)。 ( 5) 二 つ の 遺 誠 (﹃ 定 本 弘 法 大 師 全 集 ﹄ ︿ 以 下、 ﹃ 定 本 全 集 ﹄ と 略 称 す V 第 七 巻 三 九 一-三 九 三 頁 一 九 九 二 年 六 月 高 野 山 大 学 密 教 文 化 研 究 所)。 ( 6) 二 つ の 遺 誠 に 対 し て 空 海 真 撰 説 に 疑 義 を 呈 し た 拙 稿 は、 つ ぎ の も の で あ る。 拙 稿(1) ﹁ 弘 法 大 師 遺 誠 に つ い て ﹂ (﹃ 印 度 学 仏 教 学 研 究 ﹄ 第 三 五 巻 第 二 号 (通 七 〇 号) 一 九 五-二 〇 〇 頁 一 九 八 七 年 三 月)、(2) ﹁ 弘 法 大 師 ﹃ 弘 仁 遺 誠 ﹄ の 真 偽 に つ い て -空 海 の 即 身 成 仏 思 想 の 成 立 過 程 よ り み た ー ﹂ ( ﹃ 同 上 ﹄ 第 三 九 巻 第 二 号 ( 通 七 八 号) = 二 四-= 二 九 頁 一 九 九 一 年 三 月)。 (7) 註 2 に 同 じ。 ( 8) 加 藤 精 神 ﹁ 質 問 に 対 す る 解 答 ﹂ (守 山 編 著 ﹃ 文 化 史 上 よ り 見 た る 弘 法 大 師 伝 ﹄ 二 二-二 三 頁 一 九 三 三 年 八 月 豊 山 派 一 千 百 年 御 遠 忌 事 務 局)。 ( 9) 守 山 聖 真 編 著 ﹃ 文 化 史 上 よ り 見 た る 弘 法 大 師 伝 ﹄ 五 頁 一 九 三 三 年 八 月 豊 山 派 一 千 百 年 御 遠 忌 事 務 局。 ( 10) 和 多 秀 乗(1) ﹁ ﹃空 海 僧 都 伝 ﹄ 解 題 ﹂ ( ﹃ 群 書 解 題 ﹄ 第 二 ﹃空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃ 遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄

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密 教 文 化 一 九 六-八 頁 一 九 六 一 年 十 一 月 群 書 類 従 刊 行 会)。 (2) ﹁ 高 野 山 と 丹 生 社 に つ い て ﹂ (高 木 諦 元 ・ 和 多 秀 乗 編 ﹃ 空 海 ﹄ ︿ 日 本 名 僧 論 集 第 三 巻 V 六 九-七 一 頁 一 九 八 二 年 十 二 月 吉 川 弘 文 館)。 初 出 は ﹃ 密 教 文 化 ﹄ 第 七 三 号 一 九 六 五 年 六 月。 ( 11) 西 田 長 男 ﹁ ﹃ 丹 生 祝 氏 文 ﹄ と ﹃ 弘 法 大 師 御 遺 告 ﹄ と ﹂ (同 著 ﹃ 日 本 神 道 史 研 究 ﹄ 第 四 巻 三 二 八 ・ 三 三 一 ・ 三 八 五-三 八 六 ・ 三 九 五 頁 一 九 七 八 年 九 月 講 談 社)。 初 出 は ﹃ 史 料 と 研 究 ﹄ 第 一 ・ 二 号 一 九 六 五 年 四 ・ 七 月。 ( 12) 上 山 春 平 ﹃ 空 海 ﹄ (朝 日 評 伝 選 24) 四 七 ・ 八 四-八 五 ・ 一 八 三 頁 一 九 八 一 年 九 月 朝 日 新 聞 社。 ( B) 松 本 昭 ﹃ 弘 法 大 師 入 定 説 話 の 研 究 ﹄ 一 七 六 頁 一 九 八 二 年 一 月 六 興 出 版。 ( 14) 林 亮 勝 ﹁ 空 海 伝 史 料 の 基 礎 的 考 察 ( 一) 1 ﹃空 海 僧 都 伝 ﹂ に つ い て-﹂ (﹃ 豊 山 学 報 ﹄ 第 二 八 ・ 二 九 合 併 号 一 九 〇 頁 一 九 八 四 年 三 月)。 ( 15) 真 保 龍 激 ﹁ ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ 解 説 ﹂ ( ﹃ 弘 法 大 師 空 海 全 集 ﹄ 第 八 巻 二 一 ・ 二 三 頁 一 九 八 五 年 九 月 筑 摩 書 房)。 ( 16) 白 井 優 子 ﹃ 空 海 伝 説 の 形 成 と 高 野 山 ﹄ 一 八 ・ 一 九 頁 一 九 八 六 年 十 二 月 同 成 社。 ( 17) 西 田 長 男 前 掲 註 11 論 考 三 八 五-三 八 六 頁。 ( 18) 西 田 長 男 前 掲 註 11 論 考 三 八 六 頁。 ( 19) 白 井 優 子 前 掲 註 16 書 一 九 頁。 本 稿 一 六 頁 参 照。 (20) 四 つ の ﹁遺 告 ﹂ の 成 立 過 程 を 論 じ た 拙 稿 は、 つ ぎ の も の で あ る。 拙 稿(1) ﹁御 遺 告 の 成 立 過 程 に つ い て ﹂ (﹃ 印 度 学 仏 教 学 研 究 ﹄ 第 四 三 巻 第 二 号 (通 八 六 号) 八 三-八 七 頁 一 九 九 五 年 三 月)、(2) ﹁ 御 遺 告 の 成 立 過 程 -附 ・ 御 遺 告 項 目 対 照 表 一 ・ 二-﹂ (﹃ 密 教 学 会 報 ﹄ 第 三 五 号 二 四-七 六 頁 一 九 九 六 年 三 月)。 ( 21) こ れ ら 三 項 目 に つ い て は、 本 稿 二 〇-二 二 頁 で 考 察 し て い る。 ( 22) ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 第 5 項 目 は、 つ ぎ の 通 り で あ る。 然 し て 後、 生 年 十 五 に 及 ん で 入 京 し、 初 め て 石 淵 の 贈 僧 正 大 師 に 逢 う て、 大 虚 空 蔵 等 並 び に 能 満 虚 空 蔵 の 法 呂 を 受 け、 心 に 入 れ て 念 持 す。 こ の う ち、 ﹁ 生 年 十 五 に 及 ん で ﹂ は ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 第 4 項 目 に ﹁ 年 始 め て 十 五 に し て ﹂ と、 ﹁ 入 京 し ﹂ は ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 第 6 項 目 に ﹁ 入 京 の 時 ﹂ と み ら れ る。 (23) こ こ に あ げ た 25(1) 25(2) と 26(1) 26(2) は、 そ れ ぞ れ 25 ・ 26 の 項 目 に 追 加 増 補 さ れ た も の と 解 し た。 し た が っ て、 厳 密 に い え ば、 こ の 第 四 の ﹃ 僧 都 伝 ﹄ に だ け み ら れ る 項 目 は、 0 の 一 項 目 だ け と す べ き か も し れ な い。 (24) ( ウ) に 分 類 し た ﹃ 僧 都 伝 ﹄ の 文 章 が 長 い 項 目 で あ る 第 3 項 目 の 本 文 を あ げ て お く。 ﹃御 遺 告 ﹄ を ( A)、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ を (B) と し て 掲 げ る。 ( A) 此 の 時 に、 吾 が 父 は 佐 伯 の 氏。 讃 岐 国 多 度 郡 の 人 な

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り。 昔 敵 毛 を 征 し て 班 土 を 被 れ り。 母 は 阿 刀 氏 の 人 な り。 (B) 俗 姓 は 佐 伯 直。 讃 岐 国 多 度 郡 の 人 な り。 其 の 源 は 天 尊 よ り 出 ず。 次 の 祖 は、 昔 日 本 武 尊 に 従 い て 毛 人 を 征 し て 功 有 り。 因 っ て 土 地 を 給 う。 便 ち 之 に 家 す。 国 史 ・ 譜 牒 に 明 著 な り。 相 続 い て 県 令 と 為 る。 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ で は、(1) 天 尊 よ り 出 る (皇 別 で あ る) こ と、(2) 日 本 武 尊 に 従 っ た こ と、(3) 相 継 い で 県 令 (郡 司) を 勤 め た こ と、 な ど が 付 加 さ れ、 逆 に 母 の 出 自 が 削 ら れ て い る。 ( 25) ﹃御 遺 告 ﹄ ﹁ 五 ・ 六 歳 の こ ろ ﹂ (﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 〇 頁)。 ( 26) ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ﹁ 五 ・ 六 歳 の こ ろ ﹂ (﹃ 大 師 全 集 ﹄ 首 巻 一 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 一 頁 上 段)。 ( 27) ﹃ 御 遺 告 ﹄ ﹁ 阿 刀 大 足 ら の 教 言 と 学 習 ﹂ (﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 一 頁)。 ( 28) ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ﹁ 阿 刀 大 足 ら の 教 言 と 学 習 ﹂ ( ﹃大 師 全 集 ﹄ 首 巻 一 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 一 頁 上 段)。 ( 29) ﹃ 御 遺 告 ﹄ ﹁ 二 十 歳、 出 家 す ﹂ (﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 二 頁)。 ( 30) ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ﹁ 二 十 歳、 出 家 す ﹂ (﹃ 大 師 全 集 ﹄ 首 巻 二 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 一 頁 下 段)。 ( 31) ﹃ 御 遺 告 ﹄ ﹁ 延 暦 二 十 三 年 五 月、 入 唐 留 学 す ﹂ ( ﹃定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 二-三 五 三 頁)。 (32) ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ﹁ 延 暦 二 十 三 年 五 月、 入 唐 留 学 す ﹂ (﹃ 大 師 全 集 ﹄ 首 巻 二 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 一 頁 下 段)。 ( 33) ﹃ 御 遺 告 ﹄ に み え る ﹁去 ん じ 延 暦 二 十 三 年 五 月 十 二 日 を 以 っ て ﹂ の ﹁ 五 月 十 二 日 ﹂ が、 何 を 根 拠 に 記 さ れ た の か は 詳 ら か で な い。 ま た、 こ の ﹁五 月 十 二 日 ﹂ が ど こ で の こ と を 指 す の か も 明 確 で な い。 多 く の 方 が 難 波 津 を 出 帆 し た 日 之 解 す る け れ ど も、 私 は 採 ら な い。 な ぜ な ら、 空 海 が ﹃ 御 請 来 目 録 ﹄ に ﹁ 空 海、 去 ん じ 延 暦 廿 三 年 季 夏 の 月、 入 唐 の 大 使 藤 原 朝 臣 に 随 っ て、 同 じ く 第 一 船 に 上 り て、 威 陽 に 発 赴 す ﹂ (傍 線 筆 者) と 記 す か ら で あ る。 こ の ﹁ 季 夏 の 月 H 六 月 ﹂ は、 博 多 津 の こ と と 解 し て お き た い。 (34) ﹃ 御 遺 告 ﹄ ﹁ 大 同 二 年 帰 朝 す ﹂ (﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 三 頁)。 ( 35) ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ﹁大 同 二 年 帰 朝 す ﹂ (﹃ 大 師 全 集 ﹄ 首 巻 二 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 一 頁 下 段)。 ( 36) ﹁ 我 が 上 国 に 帰 る ﹂ は、 大 同 二 年 (八 〇 七) が 史 実 と 齪 館 を き た す こ と か ら、 入 京 を さ す と み な す 見 解 も あ る。 だ が、 こ の よ う に 対 比 し て み る と、 す な お に ﹁わ が 国 に か え っ た ﹂ と 解 す べ き で あ ろ う。 ち な み に、 諸 橋 轍 次 ﹃ 大 漢 和 辞 典 ﹄ に よ る と、 ﹁ 上 国 ﹂ に つ ぎ の 五 つ の 意 味 を 記 す (﹃ 同 書 ﹄ 巻 一 二 〇 四 頁)。(1) 王 都 に 近 い 諸 国 の 称。 上 邦。 か み が た。 中 国。(2) 川 の 上 流 に あ る 国。(3) 中 国 の 称。(4) 他 国 に 対 す る 敬 称。 貴 国。 お く に。(5) 大 宝 令 の 制 で、 国 の 等 級 を 四 等 に ﹃空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄

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密 教 文 化 分 け た、 其 の 第 二 位 の 国 の 称。 山 城 ・ 摂 津 な ど つ (37) ﹃ 御 遺 告 ﹄ ﹁神 泉 苑 に て 祈 雨 法 を 修 す ﹂ (﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 三-三 五 四 頁)。 (38) ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ﹁ 神 泉 苑 に て 祈 雨 法 を 修 す ﹂ ( ﹃大 師 全 集 ﹄ 首 巻 二 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 一 頁 下 段)。 (39) ﹃ 御 遺 告 ﹄ ﹁ 恵 果 と の 出 逢 い と 呉 盤 の 纂 ﹂ ( ﹃定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 四-三 五 五 頁)。 ( 40) ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ﹁ 恵 果 と の 出 逢 い と 呉 盤 の 纂 ﹂ (﹃ 大 師 全 集 ﹄ 首 巻 三 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 二 頁 上 段)。 ( 41) ﹃ 御 遺 告 ﹄ ﹁ 高 野 山 へ の 登 山 と 丹 生 津 姫 の 託 宣 ﹂ (﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 五-三 五 六 頁)。 ( 42) ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ﹁ 高 野 山 へ の 登 山 と 丹 生 津 姫 の 託 宣 ﹂ (﹃ 大 師 全 集 ﹄ 首 巻 三-四 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 二 頁 上 段)。 ( 43) ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ﹁ 天 長 九 年 十 一 月 穀 味 を 厭 い 坐 禅 す ﹂ (﹃ 大 師 全 集 ﹄ 首 巻 四 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 二 頁 上-下 段)。 ( 44) ﹃ 御 遺 告 ﹄ ﹁ 天 長 九 年 十 一 月 穀 味 を 厭 い 坐 禅 す ﹂ (﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 六 頁)。 ( 45) ﹃ 御 遺 告 ﹄ ( ﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 〇 頁)、 ﹃ 僧 都 伝 ﹂ (﹃ 大 師 全 集 ﹄ 首 巻 一 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 一 頁 上 段)。 ( 46) ﹃ 御 遺 告 ﹄ ( ﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 四 頁)、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ( ﹃大 師 全 集 ﹄ 首 巻 三 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 二 頁 上 段)。 ( 47) ﹃ 御 遺 告 ﹄ ( ﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 四 頁)、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ( ﹃大 師 全 集 ﹄ 首 巻 三 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 二 頁 上 段)。 ( 48) ﹃ 御 遺 告 ﹄ (﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 五 頁)、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ (﹃ 大 師 全 集 ﹄ 首 巻 三 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 二 頁 上 段)。 ( 49) ﹃ 御 遺 告 ﹄ (﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 五 頁)、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ (﹃ 大 師 全 集 ﹄ 首 巻 三 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 二 頁 上 段)。 ( 50) な お、 ﹁ 吾 ﹂ の 用 法 の な か、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ と ﹃ 僧 都 伝 ﹄ と の 二 つ と も が ﹁ 吾 ﹂ と す る 個 所 が 二 つ あ る の で、 参 考 ま で に 記 し て お く。 数 字 は 項 目 番 号、 上 段 が ﹃ 御 遺 告 ﹄ で あ る。 B 少 僧 大 同 二 年 を 以 っ て 吾 が 本 国 に 帰 る ← 大 同 二 年 を 以 っ て 吾 が 上 国 に 帰 る。 (﹃ 御 遺 告 ﹄ ︿ ﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 三 頁 ﹀、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ︿ ﹃ 大 師 全 集 ﹄ 首 巻 二 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 一 頁 下 段 ﹀) 25 吾 れ 永 く 山 に 帰 ら ん ← 吾 れ 永 く 山 に 帰 ら ん (﹃ 御 遺 告 ﹄ ︿ ﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 六 頁 ﹀、 ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ︿ ﹃ 大 師 全 集 ﹄ 首 巻 四 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 二 頁 下 段 ﹀) ( 51) 白 井 優 子 前 掲 註 16 書 一 九 頁。 ( 52) 空 海 へ の 大 師 号 の 下 賜 に つ い て は、 ﹃ 日 本 紀 略 ﹄ 後 篇 一 延 喜 二 十 一 年 (九 二 一) 十 月 二 十 七 日 条 に、 つ ぎ の よ う に 記 さ れ て い る ﹃蔚 嗣 国 史 大 系 ﹄ 第 十 一 巻 二 四 頁)。 己 卯 勅 二 論 シ 一ア 故 贈 大 僧 正 空 海-、 日 二フ 弘 法 大 師 ↓、 依 ﹂権 大 僧 都 観 賢 ノ 上 表-也、 令 レ 齎 勅 書 於 少 納 言 平 惟 扶-、 発 二 遣 ス 干 紀 伊 国 金 剛 峯 寺-、

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(53) ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ﹁ 諸 弟 子 に 遺 誠 す ﹂ ( ﹃大 師 全 集 ﹄ 首 巻 四 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 二 頁 下 段)。 ( 54) ﹃ 御 遺 告 ﹄ ﹁ 諸 弟 子 に 遺 誠 す ﹂ (﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 六 頁)。 ( 55) 本 稿 一 八-一 九 頁 に ﹁ 二 つ の 遺 誠 の 成 立 年 代 ﹂ の 項 を 参 照 い た だ き た い。 ( 56) 以 下 は、 註 6 に あ げ た 拙 稿 に も と つ い て 記 し た。 あ わ せ て 参 照 い た だ き た い。 拙 稿 以 外 に も、 ﹁ 遺 誠 ﹂ の 空 海 真 撰 を 疑 う 論 考 が み ら れ る の で、 つ ぎ に 記 し て お く。 ( 一) 和 多 秀 乗 ﹁ 弘 法 大 師 空 海 の 遺 誠 ・ 遺 告 に つ い て ( 一) ﹂ (﹃ 印 度 学 仏 教 学 研 究 ﹄ 第 三 六 巻 第 二 号 ( 通 七 二 号) 一 二 二-一 二 九 頁 一 九 八 八 年 三 月)、 ( 二) 苫 米 地 誠 一 ﹁ 弘 法 大 師 に 於 け る 戒 に つ い て ﹂ (﹃ 智 山 学 報 ﹄ 第 三 九 輯 ( 通 巻 53 号) 四 五-六 六 頁 一 九 九 〇 年 三 月)。 ( 57) ﹁ 弘 仁 の 遺 誠 ﹂ (﹃ 定 本 全 集 ﹂ 第 七 巻 三 九 三 頁)。 ( 58) ﹃ 遍 照 発 揮 性 霊 集 補 閾 鋤 ﹂ 第 九 巻 所 収 ﹁ 勧 縁 疏 ﹂ ( ﹃ 定 本 全 集 ﹂ 第 八 巻 一 七 六 頁 一 九 九 六 年 九 月 高 野 山 大 学 密 教 文 化 研 究 所)。 ( 59) ﹃御 遺 告 ﹄ ﹁空 海 の 最 晩 年 ﹂ (﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 六 頁)。 ( 60) ﹃ 僧 都 伝 ﹄ ﹁ 空 海 の 最 晩 年 ﹂ (﹃ 大 師 全 集 ﹄ 首 巻 四 頁、 ﹃ 伝 全 集 ﹄ 第 一 三 二 頁 上-下 段)。 (61) こ の 空 海 の 最 晩 年 に つ い て 記 し た と こ ろ に は、 入 定 な る こ と ば は 使 わ れ て い な い け れ ど も、 入 定 信 仰 を 予 測 せ し め る も の が う か が え る よ う に 思 わ れ る。 そ れ ら 入 定 信 仰 と の か か わ り に つ い て は、 稿 を あ ら た め て 論 じ る こ と に し た い。 ( 62) ﹃ 御 遺 告 ﹄ ﹁嵯 峨 天 皇 か ら の 東 寺 給 預 ﹂ (﹃ 定 本 全 集 ﹄ 第 七 巻 三 五 六 頁)。 ︿ キ ー ワ ー ド ﹀ 承 和 の 遺 誠 ・ 弘 仁 の 遺 誠 ・ 遺 誠 の 成 立 年 代 ・ 大 師 号 の 下 賜 ﹃空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃ 遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄

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密 教 文 化 ︻ 附 記 一 ︼ 先 行 研 究 の 関 連 す る 文 章 * 出 典 は 本 文 の 註 8-16 を 参 照 い た だ き た い。 一、 加 藤 精 神 ﹁ 御 遺 告 は 大 師 御 直 作 に 非 ず ﹂ の 段 古 来 真 済 僧 正 撰 と 称 さ れ て 居 る ﹁ 空 海 僧 都 伝 ﹂ 一 巻 が あ る が、 そ の 末 尾 に は ﹁ 亡 名 僧 述 ﹂ と あ り ﹁ 承 和 二 年 十 月 二 日 ﹂ の 日 附 が あ る。 こ れ が 若 し 真 済 僧 正 の 真 作 な ら ば ﹁ 亡 名 僧 述 ﹂ と 書 か れ た の は 謙 遜 で あ る か も 知 れ な い が、 併 し 性 霊 集 の 序 文 に あ る 真 済 僧 正 の 文 章 は 非 常 に 立 派 な も の で、 御 遺 告 の 如 き 和 習 の 俗 文 に 比 す 可 き も の で な い。(1) 随 て ﹁ 空 海 僧 都 伝 ﹂ も 恐 ら く は 真 済 僧 正 の 作 で は あ る ま い。(2) 然 る に こ の 亡 名 僧 の 述 べ た 空 海 僧 都 伝 と 御 遺 告 と を 比 較 し て 見 る に、 そ の 記 事、 そ の 思 想、 そ の 文 章 等 が、 広 略 の 差 こ そ あ れ、 非 常 に よ く 似 て 居 る の で あ る。 故 に 吾 人 の 考 へ で は 大 師 の 口 説 を 聞 い て、 御 遺 告 を 編 纂 し た の は 恐 ら く は こ の 亡 名 僧 で は な い か と 想 ふ。 (以 下 略 ・ 傍 線 筆 者) 二、 守 山 聖 真 編 ﹃ 文 化 史 上 よ り 見 た る 弘 法 大 師 伝 ﹄ ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ 本 書 は 終 り に 亡 名 僧 述 と し て あ り、 記 述 の 日 附 と 思 は れ る も の が 承 和 二 年 十 月 二 日 と な つ て 居 る の で、 こ れ が 真 な ら ば 大 師 入 定 の 年 に 撰 述 さ れ た も の で あ る。 古 来 真 済 僧 正 撰 と し て 取 扱 は れ て 居 る が、 大 師 門 下 の 文 章 家 と し て 許 さ れ て 居 る 真 済 僧 正 の 撰 と し て は 甚 だ そ の 文 が 拙 劣 で あ る と 云 ふ の で 其 庭 に 疑 を 挿 む も の も あ り、 ま た 真 済 僧 正 な ら ば 殊 更 に 亡 名 僧 な ど \ 書 く 必 要 は あ る ま い と 云 ふ 論 者 も あ る。(1) 加 藤 精 神 大 僧 正 は そ の 文 髄、 思 想、 記 事 等 に 就 て は 御 遺 告 と 脈 絡 相 通 の 点 が あ る と 見 ら れ て 居 り、 御 遺 告 は こ れ を 拡 張 し た も の と も 見 ら れ る の で あ る が、(2) ま た 大 師 伝 と し て も 尤 も 古 き も のゝ 一 種 で あ る こ と も 確 実 で あ る。 (傍 線 筆 者、 以 下 同 じ) 三、(1) 和 多 秀 乗 ﹁ ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ 解 題 ﹂

参照

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