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チャールズ・ジョンソンの『キング博士の冷蔵庫とその他のベッドタイムストーリー』における仏教的視点について

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Academic year: 2021

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冷蔵庫とその他のベッドタイムストーリー』

における仏教的視点について

山 田   恵

はじめに

チャールズ・ジョンソン(Charles Johnson, 1948-)は『中間航路(Middle Passage)』(1990) で全米図書賞を受賞して以来、現代アメリカを代表するアフリカ系作家の一人として活躍 してきた。1948 年にイリノイ州エヴァンストンで生まれたジョンソンは、南イリノイ大 学で哲学とジャーナリズムを専攻し、同大学で修士号を取得後、ニューヨーク市立大学ス トーニーブルック校で哲学の博士号を取得している。彼は、南イリノイ大学在学中からプ ロの政治風刺漫画家として活躍し、1977 年から 1980 年代にはアメリカの公共放送協会制 作の歴史を題材とした数々のテレビドラマにも携わり、1976 年から 2009 年まではワシン トン大学で教鞭をとりながら執筆活動を続け、大学教育から離れた現在も執筆活動を続け ている。ジョンソンの特徴は、「哲学的黒人小説」の初期の実践者として、ジーン・トゥーマー (Jean Toomer)、ラルフ・エリソン(Ralph Ellison)、リチャード・ライト(Richard Wright)

といったアフリカ系作家を位置づけ、自らもそのような小説をテーマに執筆活動を続けて きた点にある。また、『牛追い物語(Oxherding Tale)』(1982)のように、仏教を直接のモチー フとした小説も書いている。本稿では、ジョンソンの短編集『キング博士の冷蔵庫とその 他のベッドタイムストーリー(Dr. King’s Refrigerator and Other Bedtime Stories)』(2005)(以 下『キング博士の冷蔵庫』と略す)が一見したところ仏教とは関係のないかのような短編 集となっているにもかかわらず、作家の仏教帰依者としての視点が随所に見られることを 示し、それによって作家が目指していることを探る。   1.仏教帰依者としてのジョンソン ジョンソンは、ジョンソンは仏教帰依者であることを公言し、仏教雑誌にも多く投稿し、 インタビューにも答え、自らの仏教に対する意識について直接述べている。そういった投 稿やインタビューは、『三門をくぐる(Passing the Three Gates)』(2004)や『牛を飼いな らす(Taming the Ox)』(2014)などにまとめられている。本稿で取り上げる『キング博士 の冷蔵庫』の作品が書かれた時期と重なる時期のエッセイがまとめられている『法輪―仏 教と執筆についてのエッセイ(Turning the Wheel: Essays on Buddhism and Writing)』(2003) (以下『法輪』と略す)の前書きにおいても、植民地時代から公民権運動後までアフリカ

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アフリカ系アメリカ人の最高の指導者を理解するにつれて、仏教の教えが、キングの「愛 の共同体」という夢の論理的な表現であり、ドュボイスの「本当に素晴らしい世界だとし たら世界はどうあるべきかのビジョン」(xiii)として、最も革命的で文明化されている人 間の選択だと理解するようになったと述べている。1また、作品を執筆するときも含めて アフリカ系である彼にとって仏教帰依者であることがいかに重要なのかについて次のよう に述べている。 もし私が仏教帰依者でなければ、黒人のアメリカ人でアーティストとして、この国の 半世紀にわたる生活をうまくこなすことはできなかったであろう。あるいは、少なく とも、高いレベルでの創作の多産性や、あらゆる感情のある存在に対する慈悲の精神、 創作家、教師、夫、父、息子、仲間、生徒、講師、編集者、隣人、友人、市民として 他者に対する無私の奉仕、これは十代の時に他の何よりも価値を置くと決めた理想で あったが、そういったものは持てなかったであろう。黒人男性を暴力的で、犯罪者で、 馬鹿で、野獣のようで、怠け者で、無責任な存在として悪魔化してきた、黒人の男性 が社会において直面する障害、罠、人種の地雷は、よく立証されてきたとおりである。 (xvi-xvii) そして次のように続けている。 仏教は常に避難所であった。なぜならそれが意図されているように、私の精神を継続 的にリフレッシュし、安定した平和の状態に保つ場所であり、それが、「良い」ときも「悪 い」ときも、私の周囲であらゆるものが旋回する混乱のさなかにあってさえ、喜びに 満ち、執着を持たずに働くことを可能にさせたからだ。(xvii) このように、ジョンソンは、仏教の考えがアフリカ系アメリカ人である彼自身にとって いかに重要なものであるかを強調し続けている。 本稿でとりあげる『キング博士の冷蔵庫』であるが、この著作は 8 つの物語から成る短 編集であり、そのうちの 5 つの物語は、ワシントン州の NPO 法人であるヒューマニティー ズ・ワシントンにおいて「ベッドタイムストーリー」というテーマで生の聴衆に作品を朗 読する会のために書かれていて、各作品は直接的に仏教を扱っているわけではない。しか し、ジョンソンの『法輪』の記述を見ても、彼にとって、仏教帰依者的な視点は、作家活 動と切っても切れないものであるため、『キング博士の冷蔵庫』についても仏教的視点を 探ることで、これらの作品を通して作家が読者に示そうとしていたことが明らかになるは ずである。 2.苦しみの元凶 『キング博士の冷蔵庫』を改めてみていくと、夢というモチーフを用いつつ、仏教思想 の視点、特に四諦の集諦に焦点を当てて苦しみの元凶として表す作品がいくつも見られる

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ことに気づく。集諦とは、 苦の原因は煩悩・妄執、求めて飽かない愛執であるとする仏教 思想であるが、これについてジョンソンは『法輪』において「第二の真実は、これもまた 生きている存在の世界における苦の源で、苦の根本として執着から起こる渇望を同定する ことである」(4)と説明している。 『キング博士の冷蔵庫』の最初に収められている「甘い夢(Sweet Dream)」は、連邦政 府が夢にかける税金を導入するという悪夢的な夢の話となっている。語り手は、前年度の 夢の税金として、夢を報告したという違反金を含めて 91,645 ドル 14 セント(日本円で 1 億円ほど)の税金を払わなければならないと告げられる。これは語り手の夢の話であるこ とが最後に仄めかされているが、実生活でも語り手は夢の中での状況と同様にお金や義母 との関係といった世俗の問題に頭を悩ませており、その夢にはまさに語り手の抱える問題 が反映されている状態であることがわかる。このように、この作品では悪夢という苦しみ の現況を主人公の煩悩に帰していると言える。

また、「羊を数えるよりまし(Better Than Counting Sheep)」は、自分の数学について の考えに興奮するあまりに不眠に悩むハーウィン・スロックモートン(Herwin Throck-morton)の物語である。スロックモートンは、ポワンカレの予想として知られている基礎 科学の問題を解くことで百万ドルの賞金をもらえるかもしれないと考えるあまり興奮状態 に陥り、結果的に不眠に苦しんでいる。つまり、この作品では、不眠という苦しみの元凶 を、主人公の煩悩に帰していることが明示されている。 ジョンソンは、『法輪』において、「あなたは自分自身の主人だ。苦しみ、喜び、あるい は平和であろうと、どんなものであっても、私たちが一瞬一瞬経験するものは、常に私た ちの過去と現在の決断の直接の結果である」と述べ、私たちの人生が私たちの手中にある だけでなく、自分が自分の人生の主人であり、責任を持っていることを説明し、八正道に おける正精進の説明でも述べている。 ダンマパダ(法句経)の最初の文は「私たちが今あるすべては私たちが考えてきたこ との結果である。それは私たちの思考に基づいていて、私たちの思考から成っている。 もしある人が悪い考えで話したり、行動したりすれば、苦しみが彼を襲う。なぜなら 車輪は、荷車を引く牛の歩いた後を追うからだ。」と説明する。(27) この引用になぞらえると、「甘い夢」の主人公が見続けている悪夢も、「羊を数えるより まし」のスロックモートンの不眠も、いわば荷車を引く牛である彼ら自身の決断による考 えがその苦しみの原因であることが一層明らかとなるのだ。 さらに、こういった視点は、夢を扱った作品以外にも明示されている。「文化的相対性 (Cultural Relativity)」は、アフリカからの留学生のフォーチュアナ・マーファ(Fortuana Maafa)に恋をしているフェリシア・ブルックス(Felicia Brooks)という名前の女子大学 生が主人公の物語である。彼女がフォーチュアナに惹かれている理由はおそらく彼がアフ リカの王子だからで、フェリシアはひとつの大きな文化の違いを除いてフォーチュアナが 限りなく魅力的だと思っている。その文化の違いとは、フェリシアには話すことができな

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いアフリカの秘密の文化的実践のためにフォーチュアナがキスをすることができないこと である。しかし、フェリシアは、どうしてもフォーチュアナとキスがしたいと考え、その 欲望が抑えられず、ついにフォーチュアナのふいをついてキスをすることに成功する。そ の瞬間に、フォーチュアナはカエルになってしまい、2 度と元の姿には戻れなくなってし まうという結末で物語は終わる。 このような劇的な結末によって強調されているのは、主人公フェリシアのフォーチュア ナへの「執着から起こる渇望」、言い換えれば「煩悩・妄執、求めて飽かない愛執」によっ て、その執着や愛執の対象を失うという苦しみを生み出していることである。 一方、ゲイリー・ストーホフ(Gary Storhoff)は、黒人がカエルに変身するという奇想 天外な結末を迎えるこの作品について、ジョンソンの「人種の超越」という考え方に批判 的な批評家に対するアンチテーゼとしての意味合いを持つと述べている。2ジョンソンが 人種が固定された普遍的カテゴリーではなく、むしろ不確かなもので、文脈に依存するも のだという見地を示していると解釈し、そのような人種の捉え方を批判する批評家がいる が、そのような批評家は、ジョンソンがあたかも黒人がカエルのように完全に生き物に変 身できると主張していると批判しているのと同じであり、そのような批判自体が本質から 乖離しているということに気づかせることがジョンソンの目的だというのである。しかし、 たとえそういった含意があるにしても、劇化された物語の結末の意外性は、禅の考案のよ うな印象を与え、一層仏教的な示唆を強調しているということが指摘できよう。

さらに「魔術師の贈り物(The Gift of the Osuo)」も同様に、アフリカという異なる場所 と文化を背景に設定しつつも、仏教的な示唆に満ちた作品となっていることが指摘できる。 この物語は、ジョンソンが創造したアフリカの架空の民族であるアルムセリ族の王シャバ カ・マリック・アル・ムハマッド(Shabaka Malik al Muhammad)が主人公となっている。シャ バカはあるとき、2 人の魔術師が、精神と事物のどちらが重要かで言い争っているのを耳 にする。どちらが重要かと問われたシャバカは、精神と事物はどちらも引き離せないとい う解決策を提示し、そのことで魔術師たちに非常に喜ばれ、壁に絵を描けばそれが何であ れ知覚できる物質となる魔法のチョークをもらう。そのチョークでまず槍を描いてみると、 彼の兵舎にすぐに槍が現れる。それに喜んだシャバカは、皮革や、生きた動物など、価値 のありそうなものを生み出し、すぐに自分の民に与え始める。最初はこのように利他的感 情に動機付けられてチョークを使い始めるシャバカであるが、それは一時的なもので、徐々 に邪悪な考えを抱くようになる。まず、自分に忠誠を誓う兵士の軍団をチョークで作り出 し、若い時に思い焦がれていたノイ(Noi)というすでに亡くなっている女性を生じさせる。 さらに、ノイと結婚する自由を得るために、チョークを用いて自分の妻とノイの夫の死を 作り出す。また、その時点までに、シャバカは、政治的な力を強め、国土を拡大し、息子 のアソカ(Asoka)に与える財産を生じさせる。しかしながら、奴隷貿易がアフリカに及び、 同時にシャバカの敵がアルムセリを打ち負かしたことで、アソカは殺され、ノイは自決し、 シャバカは鎖につながれ、殺されるか奴隷として売り渡されるかという状態になる。しか し、物語の最後で、シャバカが「何の印もない壁を愚かに見つめている」(53)ことに気づき、 悪夢のような出来事がただの教訓的な夢だったことに気づくという結末で終わる。

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この物語の重要なモチーフである描いたものを物質として顕現させるチョークは、シャ バカの欲望を可視化させるが、それによってシャバカは、喉の渇いた者が激しく水を求め るように、諸々の欲望の満足を求めてやまない心の状態、無制限にものごとを貪り求める 状態へと変貌していく。さらに、それによって、大事な息子の命を失い、妻に自決をさせ、 自らも隷属の状態に陥るというストーリー展開は、欲望が不幸の原因だと考える仏教思想、 ここでも集諦を象徴しており、最後にそれが夢だと気づくという話の結末は、色即是空(形 あるものは実体なきものである)、諸法空想(この世のあらゆる存在や現象には実体がない) という般若心経の世界観を表現していることは明らかであろう。 このように、『キング博士の冷蔵庫』に収められた多くの物語では、苦しみの元凶を世 俗の問題に頭を悩ませていることやエゴに端を発する欲に帰している点に仏教帰依者とし てのジョンソンの視点が如実に現れていると言える。 3.「悟り」の提示

ジョンソンは、『法輪』の中の「別の名によれば僧侶(A Sangha by Another Name)」の 冒頭で「アメリカ黒人の経験は、釈迦牟尼仏陀の教えのように、苦しみで始まる」(46) と述べている。『キング博士の冷蔵庫』では、この言及のように、「アメリカ黒人」として の苦しみ、言い換えれば人種主義という苦しみに焦点を当て、その苦しみから抜け出すた めの方法について示唆している作品も見られる。

作品集のタイトルにも採用されている短編「キング博士の冷蔵庫」は、マーティン・ルー サー・キング・ジュニア(Martin Luther King Jr.)がアラバマ州モントゴメリーの教会に 赴任した年である 1954 年が作品の舞台となっている。当時、キングは 25 歳で、ボストン 大学の神学部の博士課程の博士論文提出のみを残す状態での赴任であった。作品中では、 キングが赴任先で博士論文を執筆するのに切羽詰まっている状況が描き出されている。赴 任地での NAACP の会議、聖職者の組織、教会の委員会、さらには、予算について、家々 の訪問、按手、毎週の説教の執筆があり、寝る間もない生活が続く。ボストンから赴任し た最初の年に彼が会衆に行った説教は 46 で、他の大学や南部の教会で 20 の説教を行った。 そのため、朝 5 時 30 分から 3 時間と、深夜の 3 時間が彼の論文執筆に割ける時間であっ たという記述が続く。 作品中のキングの悟りの瞬間は、バス・ボイコット事件の契機となった、ローザ・パー クスが白人にバスの座席を譲ることを拒否した日のちょうど 1 年前の 12 月 1 日の夜に起 こる。2 日間ほどスケジュールが遅れていた状況の中で、説教の執筆に行き詰ったキング は、夜中に夜食をとろうと台所に行く。そこで彼は妻が翌日の集会のために準備したたく さんの食べ物を目にする。彼は「食べ物が最大の弱点」(24)だと友人に話すほどであるが、 世界の飢餓や貧困に思いを馳せて、通常は食欲を抑えようとしている。フロリダのグレー プフルーツ、カリフォルニアのオレンジに始まり、ハワイのパイナップル、イギリスのト リュフ、メキシコのトルティーヤと、棚にあった食物を見た後、キングは、冷蔵庫の中に ぎっしり詰まった食べ物を眺め、すべての食べ物を取り出して、台所のテーブル、カウン ター、さらには床にまで並べ始める。パンプキンパイ、ホットドッグ、ドイツのサワーク

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ラフト、チベットの米、イタリアのマカロニ、スパゲッティ、ラビオリ、フランスのチー ズとワイン、ブラジルのコーヒー、中国とインドのお茶、などを眺めているうちに、台所 にあらゆる人類の文化、歴史、文明があることに気づく。そして次のような悟りを得る。   彼は乱雑になった部屋を見回し、みずみずしい果物のひとつひとつ、パンの一切れ一 切れ、はかない米粒のひとつひとつの中に、すべての地球の被造物が相互に依存しあ い、組み込まれ、ひとつの運命の衣の中でつながっている、逃れられない相互依存の ネットワークを見た。(27)   そして、夜中に台所で食べ物を散らかしている夫に気づいて起きてきた妻が大丈夫かと 尋ねると、「もちろん、大丈夫さ!これ以上気分が良かったことはない!全宇宙が冷蔵庫 の中にあるんだ」(28)とキングは叫ぶ。さらに次のように続ける。 「朝、起きて、バスルームに行って手を伸ばすスポンジは太平洋諸島の住人によって 供給されている。フランス人によって作られた石鹸に手を伸ばす。タオルはトルコ人 によって供給されている。仕事に出かける前に、世界の半分以上の恩義を受けている ことになる。」(29) このようなキングの言葉は、『法輪』の「八正道を読む」と題されたエッセイの「正見」 についての一節で、1963 年にバーミンガムでキングが「ひとつの運命の衣の中でつながっ ている、逃れられない相互依存のネットワークにとらえられている。あるものに直接影響 を与えるものは何であれ、間接的に影響を与えている」(9)と述べていることについてジョ ンソンが触れている箇所と重なりあうが、「キング博士の冷蔵庫」では、キングはさらに 妻に向かって、次のように興奮して告げる。 「私は今晩啓示を受けたんだ。これがいかに稀なことかわかるかい。こういったこと は簡単には起こらないんだ。マイスター・エックハルトかマーチン・ルーサーに尋ね てごらん。ルーサーはトイレで悟りを経験したことは知っているだろ?聖職者は、お そらく生涯で 1、2 度しか得られない。しかし、僕が冷蔵庫を開けたときのビジョン を与えることで、君がそれを叶えてくれた。」(30) このように、明らかに悟りが中心的なテーマとなっているこの作品では、キングの悟り は、他の人々や社会的状況と離れた状況で起こったのではなく、冷蔵庫の中の食べ物とい う日常生活に密着したものから「逃れられない相互依存のネットワーク」を見出すことに よってもたらされている点が重要である。このような視点に、全世界の人間は意識してい ようといまいと互いに依存しあって生きており、個人の選択が互いに間接的に影響を与え あう存在であるというジョンソンの読者に対するメッセージが込められていると考えられ るからである。こういった意識が、いずれ人種主義という問題を解決するとジョンソンが

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考えていることが、次の作品に明確に示されている。 「重役の決定(Executive Decision)」はある会社の代表取締役が、白人女性の候補者と黒 人男性の候補者の両者のうちの一人の採用の決定をするまでの様子を描いた短編である。 小説の語り手は、取締役に任務を伝えて、決定を仰ぐ役割を担っている。取締役は、ハー バード大学の哲学の学位を取得して 1966 年に卒業しているが、キングの「最高の力とは 正義の要求を実行する愛であり、最高の正義とは愛に対抗するあらゆるものを正す愛であ る」という言葉がまだ耳に響いている。最近黒人従業員が取締役に、経営幹部に「アフリ カ系アメリカ人がいないことに対する不満をもらしている」(58)という記述があること から、取締役は黒人ではないことは明らかである。 候補者たちの面接の様子を語る語り手の説明によれば、白人女性の候補者であるクレア (Claire)は、ボストン大学の卒業生で、取締役だけでなく面接を行った 2 人の重役と同じ ニューイングランドの大学の出身で、昔からの知り合いのように共通のバックグラウンド を持っている。3 時間の面接中もお互いに打ち解け、話も弾む。父親の出張に同行して 10 代の頃からバルセロナ、パリ、東京に旅をしており、日本語も流ちょうに話せる。一方、 黒人男性の候補者であるチャイルズ(Childs)は 31 歳でアトランタの大家族の出で、父親 は海軍で働いていたという。白人の重役たちとの共通点はまったくなく、面接の際も緊張 したままリラックスすることはないし、重役側も自分たちが信頼されているという感じが 持てない。そのような状況の中で、チャイルズはアフリカ系アメリカ人の状況を伝え続け、 それによって重役たちはその実情を知ることとなる。 黒人は白人の 2 倍の失業率で、収入は半分(56 パーセント)しかなく、10 年前は、 専門職従事者に占める割合は 7 パーセント、支配人に占める割合は 5 パーセント、技 術者に占める割合は 8 パーセント、サービス業従事者に占める割合は 11 パーセント、 家政婦や奉公人に占める割合は 41 パーセントだということを学んだ。彼はあなたに、 690,912の黒人が所有するビジネスがあるが、その 42%が年収 5000 ドルに満たない ことを伝える。1000 人当たりの社長の割合は、アラブ系が 108 人、アジア系が 96 人、 白人が 64 人、黒人は 9 人であった。(63-64)   さらにチャイルズの説明は続き、重役たちは、「最も資格がある雇用者」(67)を選ぶた めに議論を続け、大学時代に受けたロールズの社会正義論の講義も想起しつつ、差別や公 平さについてさまざまな議論をする。しかし、結論を出すことができず、最終的には代表 取締役に決定を預ける。そして、物語は、白人らしき代表取締役が最終的に黒人候補者で あるチャイルズを選んだことを示唆して終わる。 この物語は「汝の行為が自然の普遍的法則である神の意志によるものであるかのように 行動しなさい」というカントの『道徳形而上学の基礎づけ』からの引用で始まっているが、 語り手の思考プロセスは瞑想的であり、また、代表取締役は語り手が状況を伝えるプロセ スによって一種の「悟り」を得ていることが指摘できる。そして、白人の代表取締役が、 正義や公正性という議論の末、自分たちと共通点の多い白人女性の候補者ではなく、ほと

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んど共通点がない黒人男性の候補者を選ぶという選択をする点に、ジョンソンの考える人 種主義を終えるための理想的状況が示されていると言えるだろう。つまり、社会の構成員 である一人一人が、個人の選択が社会に対する影響力を持っていることを自覚して選択を して決定をすることこそが、差別をなくすための唯一の方法であるという視点である。こ のような視点に、社会が「逃れられない相互依存のネットワーク」からなるという、ジョ ンソンの仏教帰依者としての信念が明確に示されているのである。 4.おわりに 本稿では、『キング博士の冷蔵庫』は、ほとんどが仏教とは無関係のように思えるテー マを扱った短編集となっているものの、作品中には作家の仏教徒的視点が随所に示されて いることを指摘してきた。ジョンソンは、『法輪』の中で、東洋思想への傾倒は彼自身に 限られたことではなく、20 世紀初期にはすでに、アフリカ系作家のジーン・トゥーマーが、 東洋哲学や宗教がアフリカ系アメリカ人の自由を求める探求を支え、洗練し、強化するこ とに気づき、先人たちが達成するために懸命に働いた世界的な変化を完成させるために必 要な精神改革を提供しており、その後も現在に至るまでアフリカ系作家や学者の仏教帰依 者の数が増えていることも述べている。 その理由としては、仏教が「他でもなく、私た ちが根本的な自由の状態で生きるための呼びかけである」(14)という側面を持つからで あり、アフリカ系アメリカ人の自由への希求に応えてくれるからであることを示唆してい る。『キング博士の冷蔵庫』の仏教的視点に注目することにより、ジョンソンがここで言 う「自由」が、決して悟りとしての個人的な精神的な自由だけを指すものではなく、人種 主義からの根本的解放という自由であり、それを成し遂げるために、社会の構成員が持つ べき信条のひとつとして仏教的視点を提唱していることが一層明確になった。このように 作品を通して社会の構成員としての読者の自覚を促すことこそがジョンソンが哲学的黒人 小説として目指していることなのである。 註 1.本稿における英語資料の日本語訳はすべて執筆者による。また引用の後の括弧内数字は引 用頁を表す。

2.Gary Storhoff, “Opening the Hand of Thought,” 211.

引用文献

Johnson, Charles. Dr. King’s Refrigerator and Other Bedtime Stories. New York, NY: Scribner, 2005. ---. Taming the Ox. Boston, MA: Shambhala Publications, 2014.

---. Turning the Wheel: Essays on Buddhism and Writing. New York, NY: Scribner, 2003.

McWilliams, Jim. Passing the Three Gates: Interviews with Charles Johnson. Seattle. WA: U of Washington P, 2004.

Storhoff, Gary. “Opening the Hand of Thought: The Meditative Mind in Charles Johnson’s Dr. King’s Refrigerator and Other Bedtime Stories.” The Emergence of Buddhist American Literature. Eds.

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John Whalen-Bridge and Gary Storhoff. Albany, NY: State University of New York P, 2009. 207-228.

Charles Johnson(1948-)has been known as one of the most famous African American writers since when Middle Passage won National Book Awards for fiction in 1990. He received his B.S. in journalism and M.A. in philosophy from Southern Illinois University and his Ph.D. in philosophy from SUNY-Stony Brook in 1998. He was hired to teach at the University of Washington, Seattle, in 1976 and had taught till 2009. His most distinctive characteristic as a writer is claiming that his goal as a writer is to enrich the tradition of “black philosophical fiction” whose origin he traces back to Jean Toomer. He also claims that he is a Buddhist and has been writing essays on Buddhism and novels like Oxherding Tale(1982)deeply connected with Buddhism.

Dr. King’s Refrigerator and Other Bedtime Stories is a collection of short stories and five of the stories were written for Humanities Washington’s yearly “Bedtime Stories” literary gala. This paper focuses on the fact that most stories in this book show writer’s viewpoints as a Buddhist to see the origin of suffering or duhkha as thirst or selfish desire arising from attachment despite their appearances not focusing on Buddhism itself. It also focuses on the fact that “Dr. King’s Refrigerator” and “Executive Decision” show the key to resolve the suffering of African Americans from racism and bring freedom in society, which is Johnson’s alternate goal of “black philosophical fiction.”

Buddhist Viewpoints in Charles Johnson’s

Dr. King’s Refrigerator and

Other Bedtime Stories

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参照

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