印度ラジャスタン州の大半は砂漠である。デリーの西南二百 キロの地点にラドゥヌンP且ロロロ︶という町があった。八月の 末は、雨期もようやく峠をこしたころである。馬車は、石畳に 蹄を立て鈴を鳴らし、早朝の街角を走った。尖塔におおいかぶ さるように長い尾を垂らす烏の影。大きなシェルターに民を庇 うピープルの木。種女の原色で彩られた石壁。縦をもち道端に 踞る人。草原に立つ女。犬を追い払う者。それに野良牛。 爽やかであるがどこか異様な空気をもつ街を十分ばかり走り 街並のきれたとこゑ果しなく広がるタール砂漠を背後に、目指 す研究所があった。広大な敷地の中まばらに数個の建造物がみ える。どこかの牧場を想わせる。.閏zぐ吊国ぐ俸切国缶閃シ目こ とうたった看板のある門をくぐる。一年後にここを去った時に は、すさまじい砂嵐に倒壊し、この門は取り払われていた。 馬車は最初の建物の前に止り、己﹃.z,目自国と共に先ずは 表敬訪問に降り立った。大理石のホール。無造作に白布を纒い、 白いプラスチックの板で口元を覆ったジャイナ僧が座っていた。 タティア先生は脆きすり寄って僧の足下にまで頬を寄せさしの
印
度歴遊
一九七八年八月’一九八○年八月宮下晴輝
ぺた手をそのまま頭におしいただくこと数度。印度の深奥にま で飛びこんだのだと察知した私はただその場に立ちつくしてい た。 ここはジャイナ教テーラパンタ派の僧院だった。孔雀が数羽 俳個し、遠く切り出された石板を構築中の建物へと酪駝が運ぶ。 野羊や牛を追って砂丘にわずかへばりつく草を求めて出かけて いく少年たち。日暮には、それらを追って、頭上に山のような 柴を積み家路に急ぐ婦人たちが見られた。砂漠とはいえ大地の やさしさがまだいくぶんかあった。 僧院の横には、トタン板の大きな屋根で日射しをさえぎった だけの説教場があった。毎日曜早朝、長老格のジャイナ僧が壇 上より説いた。この地方の言葉はマールワリーと呼ばれ、ヒン ディ語と語彙をほぼ等しくするが、動詞部の語尾が多少違って いるようである。後方に。邑品①が建設中であった。翌年完成 したときに町の少女十数名が入学したが、二メートルほどもあ る石板で建物は囲われてしまった。その右方五百メートル、草 はらを越えて唱①黒目ロ、のがあり、ここに一室が与えられる こととなった。その他、タティア先生の○獣8もおかれている 図書館、建物の内部がいくつもの小さい僧房で仕切られている 冒鴨道場があった。時おり印度各地にいるジャイナ教徒たち が集まって言彊の修練にやってきた。 ヨシ胃zぐ扇]言楊国国衿両シ目巳とは一︲ジャイナの普遍語﹂と いうほどの意味か。︸﹂の名のもとに、パンフレット・説教集の 類からジャイナ典籍の校訂テキストにいたる数為のものが出版 102されている。ところがその任に当るはずの研究陣容はこのラド ゥヌンには皆無といってよかった。タティァ先生も、ジャイナ 教百科辞典の編纂を依頼されていたが、彼を補佐する研究者宅 なく、孤軍奮閾のようすだった。 。ヘナレスでのことである。毎朝牛乳を買いにいくのも日課の 一つ。搾りおえるのを待っている数人の中に一人の老紳士がい た。たまたま佛教に話し及ぶと、 ぐゆpmpH昇肖凹竺︺動lmpHぐゆlぽゆ奇妙ロロ戸四戸画吊伊冒 0、g 圏目、四国も四目戸且茜鴨。且冨丘習篁一 首い日巴口ゆ目閉︲胃ご凹望騨昏畔色国︲獣い茸① 獣⑱茸四日胃ゆく⑳厨鼠日昌四ゴロ屋ぽ日日四丙○殴目一一 という倶舎論冒頭の第一偶が彼の口をついて出た。ベナレスに は小さな出版社がいくつもあるが、そこから種淺の校訂テキス トを矢継早に出している炉。胃冨切ロ.嬰鼠菖氏の編集にな る倶舎論テキストがすぐ売り切れてしまうのも、それへの関心 の高さを示している。 私が印度を訪れたのも、タティア先生とともに倶舎論の英訳 を作るためであった。仕事は難航して遂に完うせずに帰国する という結末となったものの、記憶に残ることを一、二記してお 沙f、 O 第六章賢聖品より始めた。テキストの再校訂を私が担当し、 それにタティア先生が訳文をつけ、討議改良するという次第で 進めた。サンスクリットの論書でしばしば用いられる句に、 ︽↓①ぐぃ冒噌目目ゞ昼い日目くゅ再いく憩目・︼↑というのがある。﹁以 上のように了解されるが、さらに次のことが論述されねばなら ない﹂という意味で、ある項目を論じ終り別項に移る場合、ご く普通に用いられる言葉である。ただテキストを項目に句切っ て編集しなおすとなると、この句を前項の後尾につけるとよい のか、後項の出だしにつけて読むとよいのかと、気になること がある。因に、漢訳ではたいてい後項の出だしとして訳される が、チベット訳では︽︽①ご口日唱3日こによって前項が終了し、 冒己四日目ぐ鳥曾ぐ制日こより後項が始まっている。一体印度 人自身はどんな語感をもってこれを読むのだろうか。タティァ 先生にたずねてみた。彼は次のようにこたえてくれた。﹃君の すきなように句切ったらよい。ただそれがテキストの編者の論 理性を表わすことになるけれど﹂、と。 念処︵離日Hご︲目冒の号山口餌︶の本体を論ずるところで、菩令且目︶ と念︵“目昌︶の関係を次のように職えている。 旦習口I職冨口④︲闘旨︲闇日旦豈目色ご囚ぐ具.参国︺︺国呂冒昌︾、巴.昌 澤、ご己.唖脾蝉①︶ ちょうど木を裂くときに模の力をもちいるように、慧によって 法を弁別するとき念の力をもちいる、という意味である。とこ ろがここで問題なのは、﹁模﹂と訳した︽一国旨こである。一体 印度ではどうやって木を切るのだろうか。砂漠でそんな光景は お目にかかれないが、幸いなことにタティア先生はナーランダ で何度も目撃していた。玄美三蔵とてきっとそうであったに違 いない。木材をくぎのようなもので動かぬように固定して二人
向い合って挽くのだそうである。閏鼠○日胃蝕の注釈の中に、 ﹁念が対象をしっかり支えているときに、言が識別する﹂とい う一文があり、ナーランダの光景と符合するのである。さらに また現代語で︽烏昌こと言えば一般に、柱にものをひっかけ るときにつかうくぎを指すようである。議論の末に、たとえ両 漢訳が﹁模﹂と訳していても印度にかかる概念は存在しないの ではないか、という結論にいたろうとした。 しかしながら、慧を斧ではなく鋸に職えるのにはいささか抵 抗を感ずるし、印度に﹁櫟﹂の概念がないわけではない。例え ば、閏8F号殴の中に、︽︽固匿﹄︺を引き抜いて死んだ猿の話 がある。ここでは鋸が使われているのだけれど、ある大工が半 ばまで切った杭の割れ目に︽︽冒旨ゞ﹄をさしはさんで休みをとっ ていた。たまたま遊びにきた猿がその︽一面ぽゞ︺を両手でつかみ、 杭の上に飛びのりすわった。すると彼の下部にある︽↑日扁冨︲ 号四意︾﹄が間にはさまってしまい、あわててその↑︽冨置こを引 き抜いたところ、彼のその部分がつぶれて死んだ、というもの である。これは﹁模﹂というべきでなかろうか。 さて次に︽︽厨自陣﹄︺︵忍︶について一言しよう。この︽︽厨曽蝕︾︾ は、︽︽蔵目四・﹄︵智︶︽︽身普こ︵見︶と共に、法の弁別︵号目目色︲ 胃騨ぐ冨冒︶という機能をもつ︽、百塁副こ︵言︶をその本性とし ている。その場合、︽︽蔵習い︼﹄は︽︽己威○昌四︾﹄︵閉めの制冨冒日の具︶ であり、︽↓骨豊︾﹄は︽︽閏ロ国39こ︵旨岳日の具.﹃島①目。ロ︶、 ︽︽蔚習量﹄.は︽︽厨四日目p、ゞ︵胃昌昌昌品︶である、というように 機能上の意味が与えられている。ところで、層鼠○目苛Pはこの 。︽厨習威︾︾について︽︽雨①目鼻①go鼻①こという注釈をつけて いる︵ぐ鼠]肉ご型ゞ君○ぬ冒胃勢︾m8:己.認四贈︶。︽︽5○鼻①この一般 的意味は﹁喜ぶ﹂﹁好む﹂である。このことより、︽︽厨曾昌︾﹄ にしばしば︽︽冒武①己8︾﹄という消極的な意味をもつ訳語が与え られてきたけれども、むしろ積極的あるいは自発的な訳例、例 えば︽︽乏筐目、o胃合①ロ.o①﹀ゞとか︽︽弓昌目、四88国己○①︺︾とい ったような訳が与えられねばならないであろう、と提案され たことがある︵&.ロ鄙.の.閏.段困匡﹄]○口目巳旦冒昌四目色目国目︲ 号陣鯉口aの岨.ぐ。]当目白︶・そういった事情もあってか同侭の算○口 も彼の辞書のなかで︽︽旨甘扁○首己司の。①耳目ごこという、厳 密に言えば意味をなさないような定義を与えている。それはと もかくも↑︽昌罠侭四。。①胃四口。。﹄﹄という言葉は示唆的である。 しかしながらこれは︽︽覇四日胃①﹄︺と︽一日。且①この二つの語感を 加算したにすぎない。厨四目胃①IROC胃のと注釈する禺鼠○日詳国 の真意をもう少し明確に知ることはできないであろうか。その ためには次の倶舎論中の一例がよき手立になるであろう。 罰四斤、ぐゅ冒騨罫淳﹃ロ汽命﹃l色ロロ門口ロロ騨斤OHpe岸四回牌詐四国己︼餌詐四口︺. ︵戸田戸勺H四口面四目︾m①具やい急、e ︵RE診静潤丙片Oペ皿鈩掛劉峡き計録S祁琶蛍詠へ伊邸。︶ これは﹁見聞覚知﹂の覚を定義している一文である。ここでは、 くgoの﹁喜ぶ﹂という意味を捨てて、﹁容認する﹂という意 味を採用しなければならない。また禺鼠Q目吋四もこの︽︽国﹄2︲ 菌目こを︽︷号巨冒の薗冒こ︵騨層︼。ぐ&︾四。。①胃且︶と解している 2嵐]合冒もムョゞ岳︶。従って先の厨餌目鼻。IHoo胃のが意味す 104
るところは、︽慰留萱︺︾を単に︽︽号冒9﹃己﹄ゞ︽︽⑳88菌旨8こと いう意味で読む雫へきことを教えているにすぎず、︽︽扇習︺芦この ﹁自発性﹂という問題を、興味深いのだけれど、直接指示して いるのではないことが判る。 タティア先生は、︽︽厨自陣︾︺の﹁自発性﹂という点を強調し て、それを、︽四喝Hoくこ︾騨oog国ロ。①︾H①。①耳旨口ご等と訳すこと をできるだけ避けようとした。彼が先ず選んだのは︽︽旨蔚吋。黒﹄﹄ であった。後に改めて、︽↑8口く日8日の貝︾﹄とした。︵︽︽8国ぐ]。︲ 陣○口ことしなかったのは、それを︽︽四号目。雨四・︺に当ててい たからである。︶ 一年余り砂漠のラドゥヌンに住んで、私はタティァ先生とベ ナレスで再会し仕事を続けることを約束して、翌十月、一足先 にベナレスに移った。 前年の大洪水につづいてその年は大旱肱だった。それに石油 事情の悪化と機関部の老廃とが重って、電力供給は最悪となり そのため水道事情も劣悪なものとなっていた。物価は上昇する 一方で、時に突如街からタバコが消えたり砂糖が消えたりした。 砂糖は一年余りで三倍にも価格がつり上げられた。アグラの近 辺で列車が襲われ一車輌が切り離されてそっくり支線に引き込 まれ金品が掠奪された。三十数名の38拝による仕業である。 ビハールでは、バスが襲われ、村が掠奪された。首都デリーで の誘拐事件や淑女からのひったくり事件は一面トップで数日報 * * * 道されるのに比して、28岸の記事は、報道管制のせいか、 あまりにもささやかに取り扱われていた。g8芹に土地を与え て矯正の道を歩ませようとしたプラカーシ﹁一・ナラャン氏も、 インディラ・ガンディー女史を政権の座から追って三年、再び 彼女の強権復活を待望する声を聞きつつ病死。翌八十年一月、 彼女は圧倒して勝利し再び首相の座についた。しかし一向に砂 糖の値は下らなかった。 約束の二ヶ月を過ぎても現われないタティァ先生を待ちなが ら、サンスクリット大学やベナレス・ヒンドゥー大学に足を運 んだ。、ヘナレスにて短期間で学べるものは多くないことを痛感 した。せめてヒンディー、よくを言えばサンスクリットで充 分会話できるのであれば、幾多の知識の集成者たちから親しく 聞くことができたであろう。それでも少ない伝手をたのんで いろいろな学者をたずねたが、種左のテキストを無批判に読ん だ、ということにすぎなかった。そのなかで、サンスクリット 大学の友人に紹介してもらったの己目︲芦は異色だった。その 友人はヒマチャラ・プラデーシュ出身で、文化圏はむしろチベ ットであり、その限り印度人の習癖には全く批判的だった。 ○口目当旨降四氏を夕方訪れると、ラジオのサンスクリット放 送に耳を傾けている。それが終ってから授業がはじまるが、二 人の日①呂巨目は、英語でもヒンディでもなく、自ずとサンス クリットになった。﹁シャクンターラ﹄の一場一場を、熱をこ めて身振り手振りもまじえて話してくれる。時に花の名が出て くると、一応アマラコーシャをくってから、どんな形のどんな
色のと説明し、ヒンディではこう呼んでいるから街の人にきい てみろ、とサンスクリットでつけ加える。やがて巴ゅ日で授業 が終る。個人教授をしてもらう場合、一流の先生には教授料を 払わずとも、二流、三流の先生には払わないと、学習の効果も 能率も上がらない、と聞いていた。しかし私は一度も払わなか った。そのためか長続きした授業は少ない。それでもこのミシ ュラ氏だけは別だった。 雨の六月、カルカッタに移り、残る二ヶ月余りをそこですご した。 pH,普辱四閃四且四口国四国且。①はカルカッタ大学言語学科の Fo且①尉︵日本での助教授に相当︶である。ラドゥヌンの研究所で すでに二度彼に会っていた。相手に立ち去るすきを与えないた めにしや、へる、というほどの話ずきのベンガル人である。尼僧 志願の少女たちに、プラークリットの講義にやってきていた。 彼女たちは国①目P3且国のぐ箇箇]’営砦副屑3を完全に語じ ていて、講義内容も自ずとそこに向った。、ヘンガル特有の母音 をまじえたヒンディー語で授業は行われた。 カルカッタ大学で、pH,圃巴]且の①に陞且圃口国冨ロ冒合の 旨︲箇箇の部分を読んでもらったが、これが印度滞在二ケ年中 の最良の授業であった。﹁ラドゥヌンの朝食は砂を食うのか﹂ と暗にジャイナの禁欲主義者たちを椰楡しながら紹介してくれ る彼の学生はことごとく女子学生ばかり。言語学が職に直結し ないからとはいえカルカッタまでもがこうであった。カルカッ タの女子学生はほとんどサリーを着けている。しかし二年の滞 在は、それほどサリーの優美さに驚かせなくしていた。むしろ デリーやボンベイの泗落た学生の方にこそ、美しさを見い出す ことができた。 ところで彼には数多くの著書論文がある。それをここに少し 列記してこの稿を終えることにする。 レロ冒曾CQ巨○はOp8昏○津ロQぐ且口秒ロ日ロ︼耽属動ごく旦四臥騨︾ 忠 の四口m丙叶岸国○巳六口①もg︾○農o具圃︾匿囲一四口。①ロロ.己忌. シロ①昌武CpgぐゆH四吋口9㎡弔吋画詳尉国︲pH騨屏鼠四三昌昏秒︼5言 。○日目①旨冨叶琶の唇陣匡且︺局国百国も脚色魚鼻罵倒ご域z副平 ぐゅ口四ぐ旨く回ぐ冒○色色さ鳴昏国司詳壷四国旨貫CQpC含○旨⋮ D、凸 mpp砂嚴H洋弓巨黒四丙国ロ四口。四H︾○巴○ロヰい]﹄や司画 陛冒①昌武Opg陸口巳働ロ汁平戸四口目ロ呂面嵐脚尉四〆甲己崗騨戸PH四己四 卜 ︵○秒の①②四口二○四の①j①ロ・甘口、印︶ヨご拝ロ○○己樗○ロmpO侍⑦、︾pずい庁I Hいの庁⑱開閉○口肖○汁面①別○○回員屋①己.汁四叶砕①砂︾色目今つぼ津○胃○m]○色] ①〆已四日鼻○口印①ざ.のゅ口爵禺岸国○○戸口①ロ呉︵も︶Fa・ゞ 卜 ○四庁ロ庁庁P旨①﹃・ 缶園号]5唱四ご毒巨旦弓H四戸H騨伊四口函目色函①︾mpp農禺洋園○○屏 口①や鼻︵弓︶FE・︾○己o9首︺屋司. 目丘①同色黒①H旨のC旨。巳旦固引色炭尉耳oHp日日p国置屋.四F旨︲ ぬ巳のはom計ロQ割く己冨pmPm口尉而口昇凹屏旨四psH︺﹃園○巳旨函① 閃9ぐ﹄○巴。具3︾ご弓. 106