児童詩の世界│﹃コボたち詩集﹄
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・ ロ ] 回 目 丘 四 日 ( 円 巾 ロ 件 同 庁 一 可 主主 仁コ 子どもの言葉の発達の様相を知るために、あるいはその発達を促すた めに児童詩というジャンルは有用である。﹁児蛍詩とは児童が書いた詩 である﹂と定義され、﹁この場合﹁児童﹂というのは小・中学校の子ど もをさしていて、(略)学校教育でなされているという一定の条件があ ることによって、詩の本質をふくんでいると同時に、それには教育とし ての性格意味価値が付加されてとらえられるものである。 L ( ﹃ 児 首 詩 教 育事典﹄)と補足されている。﹃小学校詩の本﹄や﹃おひさまのかけら﹄ に掲載された、全国の子どもの児童詩については拙稿で考察したが、そ れを踏まえつつ、固有の凪土の中における児童詩についても考察するた めに、岐阜県の児童詩を集めた﹁コボたち詩集﹂に注目した。 ﹃コボたち詩集﹄は、﹁コボたちつづり方教室﹂の編集発行により、 すでに宅聞が刊行されている。﹁コボたちつづり方教室﹂は、﹁岐早児い草 文学研究会﹂の編集発行で児童文学雑誌﹃コボたち﹄が創刊(一九七二・ 七)され、その誌上に第一回﹁コボたち詩コンクール﹂の結果が掲載 (一九七六・一)されたのを機に結成され、﹁作文コンクール﹂(第一回 発表、一九七九・四)の運営にも携わった。その後﹁コボたち﹂は二五八 号で休刊(一九九四・一二)したが、詩コンクールの方は﹁朝日新聞﹂岐 阜地方版に掲載されることになり、今日まで続いている。例年、十一月 に県内の小学校に募集し、卜二月に千数百点の応募作から数点の特選を 発表し、以後随時、人選と佳作の作品を岐早版に掲載している。第二冊 の﹁あとがき﹂には、﹁第卜回コンクールまでの詩は﹃コボたち詩集﹄ として一九八六年に出版されました。/二OO
九年には、その後の特選 作品や資料を載せた﹃コボたち詩集2
﹄を発行しました。この本は資料 集的な内容だったので、次は子ども達も読みやすく、先生達の指導の参 考にもなるような詩集を作ろうという気運が高まりました。そして、第 卜一回コンクールからの作品を集大成し、今回の発行に至ることができました o ﹂と記されている。以下、第一冊(一九八六・六、八十九編) と 第 二 会 冊 ( 二
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一四・二、百二十二 J 編)に掲載された作品(一二二篇) を主な対象とし、﹃コボたち詩集﹄を総称として、第一冊を A 、 第 一 二 川 を B と 記 す 。 A B では作者名は明記されているが、引用の際には基本的 に作者名はふせ、学年と性別を付記した。末尾に全作品の一覧(資料 1 ) を 掲 げ た 。 一、﹃コボたち詩集﹄に見る言葉の発達 ﹁ コ ボ た ち 詩 集 ﹂ A B は岐阜県の小学生の詩を集めているが、もちろ ん全国の子どもと同様な言葉の世界を展開している。まず、子どもの思 考と言葉の発達を概観しておく。 J ・ピアジェは子どもの思考の発達に ついて、感覚運動期(
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1
二才頃)、前操作期(二1
六才明文具体的 操作期(七1
十一才頃)、形式的操作期(十二才頃1
成人)に整理した。 子どもは乳児期に欲求を伝えるために言葉にならない晴語を発し、母乳 を与える母親や近親の愛着対象の言葉を模倣し、一才後半から二才にか けて言葉の数も操作も爆発的に充実させる。以後、村田孝次によれば、 前操作期には﹁表象が発生し、象徴的な行動が発生してくる。︿意味す るもの﹀と︿意味されるもの﹀の関係が生まれ、言語が思考に介入し始 める。概念化が進み、推理も生じるが、なお知覚に支配されていて直観 的である o ﹂、具体的操作期には、﹁目ベ体的に理解できるものは、論理的 操作を使って思考する。(略)以前のように知覚に惑わされることも少 なくなる。しかし具体的な対象を離れると論理的に思考することができ な い 。 L、形式的操作期には、﹁命題に対して論理的操作を加える。結果 が現実と矛盾してもかまわない。典型的なものとしては、科学における 仮 説 検 証 の た め の 演 律 的 手 続 き が あ る 。 ﹂ ( ﹃ 児 ﹃ 草 心 理 学 入 門 ﹂ ) と さ れ る 。 日本の小学校の学童期は、そうした目ベ体的操作に習熟し形式的操作へと 移行する時期に当たる。 その学童期の言葉の発達において、岡本夏木は﹁一次的ことば﹂と ﹁二次的ことば﹂の関係に注目した。﹁一次的ことば﹂の特徴は、①﹁相 手との一対一の対面対話的関係の中で機能する o ﹂、②﹁相手が、自分と よく知り合う特定の親しい人である。﹂、⑧﹁話のテlマが具体的で、そ の対話場面の中にあることがらか、または直接それに関係するテlマで ある。﹂、④﹁コミュニケーションの内存が、ことばの文脈だけでなく、 場面(状況)の丈脈の支えによって伝わる o ﹂ことにある。一方、﹁二次 的ことぱしの特徴は、①﹁話し手自身が話のプロットや展開を自己設定 し、たえず自分でモニタリングしてゆかなければならない o ﹂ 、 ② ﹁ 聞 き 手として不特定多数の一般者(抽象化された聞き手)を想定して話さな ければならない。﹂、③﹁話のテlマが言語活動が営まれる場とは離れた 事象ゃ、抽象的な事象を扱うのが普通である。﹂、④﹁一次的ことばで可 能であったような状況(場面)の丈脈を援用することはできず、ことは の ﹃ リ 人 脈 の み に た よ ら な け れ ば な ら な い 。 L 、⑤﹁一次的言葉は話しことば よりなるが、二次的ことばでは、話しことばだけでなく﹁書きことば﹂ が加わる。﹂(﹁児童心理﹂)。二次的ことばの要点は、﹁話し手自身が話の プロットや展開を自己設定﹂する自律的な操作であり、重ねて、ようや く羽円熟した話し言葉の他に書きことばにも羽円熟しなければならないこと にある。かつ岡本は、社会的に自律したとしても、思考や言葉において 具体的操作と形式的操作を兼備しなければならないと説いた。拙稿では、 具体的操作から形式的操作への移行は、近親者への愛着から社会的な自 律への移行と併走すると考えた。 学童期以前の子どもの言葉を﹃おひさまのかけら﹄から抜き出せば、 ﹁(パンツはかなくて/どうするの?)/しゅんぺい/かえるになるし(﹁パン ツ ﹂
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才・出力)とか、﹁﹁せきぐちはなこです﹂(どうしたの?) /いまねでんしゃがね/﹁だれつかなだれつかな?﹂って/きいていっ たんだもの﹂(﹁電車とおはなし﹂4
才・女)と語られ、無邪気で感動的 だとされる。前者は動物と人間の未分化なアニミズムの状態にあり、やが て﹁蛙みたいに﹂と比聡へと分化するのだろう。後者は物の音と人の声が 未分化なまま、すべての音を言葉(意味するもの)と思いなしてメッセー ジ(意味されるもの)を受け取ろうとしているが、やがて﹁ガッタンゴッ トン﹂という擬音(オノマ卜ペ)へと分化するのだろう。大人の常識では 人間と蛙や電車が同一化されることはあり得ない。その思いがけない自由 な感性が新鮮で感動的に受け止められるのであろう。自己中心性とも呼ば れる、その自己と対象の自由な同一化から、比輸や擬音を操作して自己 を分化する作業は自律の第一歩である。ただ、学童期以前の子どもには話 し言葉を書き言葉に分化することはできない。いずれの作品も、母親など の愛着対象が丈字化したものである。 その後の、学童期の言葉の発達を﹃コボたち詩集﹄で確認する。愛着 対象から切り離された小学校での生活は、子どもに緊張を強いるもので ある。低学年ではまだ両親や祖父母や兄弟姉妹についての作品が多いが、 教師が愛着対象を代行することが多くなる。 ①おかあさんがすわっているとき/さっとひざをとりにいきます/お とうとととりやっこします/さっとあたまをのせます/やわらか くてふかふかで/ざぶとんみたいです/ねむりそうになります/ わたしはネコみたいになります/おかあさんのひざだいすき ( ﹁ お か あ さ ん の ひ ざ ﹂ 1 年 ・ 女 、 B ) ②先生に/インタビューしました。/﹁なにざですかし/と、いいま した。/いきなり/先生は/﹁わったっし l は、さそりざのおんな l ﹂ /といって/マイクをよこどりして/おどりだしました。/ぼくは /どひやっ/と、おもいました。/おたんじようびだからはりきっ ているなあ/と、おもいました。 ( ﹁ さ そ り ざ の お ん な ﹂ 1 年 ・ 男 、 B ) いずれもほとんどひらがな書きでたどたどしいが、それぞれに愛着の 程を文字化している。①では﹁ふかふか﹂というオノマトペと﹁ネコみ たいしという北喰が使われ、②では﹁どひやっ﹂としか表せなかった心 情を﹁おたんじようびだからはりきっているなあ﹂と説明し直している。 言葉の操作の模索はこのような細部に息づいている。やがて、子どもは 言葉を操作しながら関心のありどころや自己像(アイデンティティ)の 説明を模索する。 ③しゅりけん/ふく/ぼうし/なかま/やろうども/ぼくは/たいい くのじかん/にんじゃになった/かっこいいぜ ( ﹁ に ん じ ゃ ﹂ 1 年 ・ 男 、 B ) ④ 転 校 生 が / ひ っ こ し て き た 日 / 給 食 の 時 な い て い た / ぼ く が / ﹁どうしてなくの﹂/と聞いたら/浜島俊広くんが/﹁名上口屋のこ とを/思いだすの L / といった/ぼくが転校したら/ぼくも泣くか なあ/そして/一週間たって/すこしなまいきになりました ( ﹁ 転 校 生 L 4 年 ・ 男 、A
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⑤お父さんに/﹁私が、産まれる前に考えてた名前って何﹂/ってき いてみた/すると/﹁ひなの﹂/っていった/今の名前は﹁あゃなし /なのに/産まれる前は﹁ひなの﹂/﹁ひなの﹂だったら/今は、 いったい/どうなってるんだろう/アダナがかわってるのかな/せ いかくはどうだろう/いろんな事を知りたい/だから、一日だけで もいいから/﹁市橋ひなのしになってみたい/世界にもう一人/私 がいるなら・ . . ( ﹁ 私 の も う 一 つ の 名 前 L 5 年 ・ 女 、 B⑥﹁どうしよう・・・﹂/家に忘れものをしてしまった/あなたなら/ ﹁それなら忘れましたっていえばいいし/と言うだろう/でも私に は言えない/失敗がこわいから/うそをつこうか/そうしよう/で も/もう少し考えよう/時計のはりは、まだ少しも動いてない/私 は今まで何個のうそをつき、忘れてきたのだろう/人の目をおそれ /うわさにならぬよう注意し/大人の日をきにし/いい自分をえん じる/(八行略)/でも/でも/このままの自分でいたくない/だ から勇気を出して/言う/﹁忘れました﹂/言えた/時計のはりは 授業が始まることを知らせてた/自分に正直になるつですがすがし い/私は信じてる/また次も正直になれるって ( ﹁ 強 く ﹂ 6 年・女、﹃朝日新聞﹄岐阜版、平沼・ロ
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子どもは愛着対象から切り離され、学校の友達関係の中で生活する。 中学年頃には近親者や教師の目の届かない所で小さな集団を作り、自分 の立ち位置を模索するようで、﹁卜才の壁しとか﹁ギャングエイジ﹂と 呼ばれている。その背景には、﹁おとなへの全面的な依存から脱して、 独立した自律的自己を確立する過程において、子どもはまず自分たちだ けの仲間集団として独立しようとする。そこでは規範を自分たちの力で 作り、おとなの手は直接借りずにメンバー全員でそれを守っていこうと する o ﹂(﹃児童心理﹄)という事情があるようだ。③はその U 十 い 事 例 だ が メンバーとの関係はまだ記述されていない。④になると転校生に声をか けて仲良くなったらしいが、慣れてくると﹁なまいき﹂になったと記述 されている。その悪ぶった価値判断にはギャングエイジの面目がうかが われる。いずれも男子の作品であるが、女子であれば交換日記や一人で の空想を好み始めるのだろう。⑤のように﹁もう一人﹂の自分に思いを 馳せることもあるだろうし、そのことは自己像を考える契機にもなる。 ⑥はそうしたもう一人の自分との対話を対話劇として構成するまでに、 言葉の操作を模索した結果であり、﹁自分をえんじる﹂ことにも気づい ている。子どもはこうした対話劇を無意識のうちに繰り返しながら、い わゆる自我を形成してゆくはずである。 高学年になると社会での自律を目指して、意見を発表したり作﹃リ人を書 いたり、形式的操作を求められる機会が増える。それは論理的で科学的 な操作であるが、感性に愛着しながら自律的であろうとする丈学的な操 作も重要である。高学年の児蛍詩は理屈っぽいとか技術的だとか見られ がちだが、子どもの言葉の操作が科学的な作文と文学的な詩に分岐する 時期を迎えているのである。﹃コボたち詩集﹄の科学的な操作と文学的 な 操 作 を 一 不 す 作 品 を 見 る 。 ⑦ウシは/大きく口を聞けて鳴く/これから鳴くぞと/いう感じで/ ウシはななめ上を向いた/そしてあくびをするように/大きく口 を聞けた/はらの中から/おしだすように/ン l モ ォ l / と鳴いた /直径卜センチ以上の/口になる/口の中をのぞくと/のどもいっ ぱいに大きく/聞いていた ( ﹁ ウ シ の 鳴 き 方 L 5 年 ・ 男 、A
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⑧父が母に/おせっきょうをいっていた/ぼんやり外を見ていた母/ わたしは/そっと母によりそって/﹁おかあさんの手あったかい ね﹂/といった/外は雪だ ( ﹁ 雪 の 日 L 6 年 ・ 女 、A
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⑦では牛が﹁大きく口を聞けて鳴く﹂様子を観察した何気ない詩であ るが、観察者は登場せず、最後まで客観的に記している。﹁ななめ上﹂ や﹁直径十センチ以上﹂という科学的とも言える用語を用い、何より ﹁鳴き方しという抽象的な題名が注目される。﹁いう感じ﹂や﹁ように﹂ とは、観察者の心情を暗示する比輸というより、観察されるものの目的 を推定する表現なのであろう。科学的な報告に近い。⑧でも父とほの両方の様子を冷静に観察し、父はひどいとか母はかわいそうだという心情 表現は避けている。しかし、﹁母によりそってしには身体的かっ心情的 な寄りそいが重ねられ、﹁おかあさんの手あったかいね﹂も、雪の外 景と対照させながら、母への同情が重ねられている。しかも、﹁ぼんや り﹂﹁そっと﹂といった副詞もしめやかな情調を喚起し、作品に統一感 を与えている。過不足なく切り詰めた表現において、丈学的な詩に近い。 段後の一行も見事で、教師の指導も推察される。⑧や後に触れる⑩は ﹁日本の子どもの詩幻岐早﹂にも採録され、作品の末尾にそれぞれ指導 教員名が付記されている。児童詩が学校を磁場としている以上、文学的 な感性と技術を育むために字句や改行などを指導することは重要である。 ⑧でも詩としての核心を活かすための指導が行われたのであろう。 そもそも、﹁コボたち詩集﹂を編集発行した﹁コボたちつづり方教室 L は 、 一 九 一
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年代に盛んになった﹁生活綴り方教育﹂に淵源を持ってい る。﹁日本の子どもの詩引﹂の﹁あとがき│岐阜県の児童詩指導の歩みし に拠れば、戦後の一九五二年に第一回作丈教育研究全国協議会が中津川 市で開催されるなど、岐阜県でも中津川・恵那地区を中心に作﹃リ人教育が 盛んに行われた。五九年に岐阜県作丈教育協議会が設立され、好余曲折 を経て、七二年に児童丈学雑誌﹃コボたち﹂が創刊されたのである。雑 誌は休刊したが、児童詩のコンクールの方が続いていることは興味深い。 一般に﹁綴り方しは日常生活を見つめる作文教育を念頭に、児童詩は低 学年の子どもが高学年の作丈に向かう簡便な手段として扱われ、その分 だけその時期特有の無邪気な姿が﹁童心﹂として許容され強要されてき たかもしれない。しかし、純粋無垢と日常生活の枠から飛躍しようとす る想像力も、子どもと教師と学級の相互触発の中で育くむ必要がある。 児童詩の指導の実践について、岡本博丈は﹃児童詩教育と学校経営﹄ でこんな実践を報告した。 3 年生になっても﹁せんせかおまるはなさ く ち ち ゃ い ﹂ ( 先 生 顔 丸 、 鼻 一 一 -角 、 目 象 ゃ 、 口 小 さ い ) ぐらいにしか文字を書かない、いたずら者のN
くんが詩だと言って、 ﹁ せ ん せ い ぼ く お な か い た い の ゃ な ん で や ろ ね せ ん せ い ど う おもう﹂と口頭で発表したものを、学級の﹁一枚文集 L に文字化して載 せた。すると一年のうちに、﹁そうしきのくるまがくる/はこの中で/ 手をあわせてるかあちゃん/目をつむって/向いきものをきてるかあ ちゃん/くるまのなかへはいった/かあちゃん/くるまのなかくらい やろうなしと書くまでになり、それを受けて﹁ N くん、あそぼうよしと 題した一枚文集には、同級生の丘編が収載された。﹁一枚丈集﹂を学級 で共有するまでの過程は﹁推考指導しと呼ばれ、岡本は﹃生きた児童詩 教育﹄で指導の詳細を具体的に紹介した。それを実践するには手間暇 を必要とする。それでも、思考や言葉の発達にとどまらず、学級経営の ためにも児童詩教育を活用したい。 か く めとうや 二、﹃コボたち詩集﹄に見る風土的な自己像 以上のように、岐阜県の児童詩も全国的な児童詩における言葉の発達 と同様の軌跡を示している。以下には、全国から作品を集めた﹁小学生 詩 の 本 ﹄ ( C と記する。コ:二六篇)と対照しながら、﹃コボたち詩集﹄ A+B
一二二篇から岐甲県の児童詩の特徴を見ることにする。いずれも編 者によって選ばれた作品であり、子ども全体の心理をそのまま反映した ものではないにしても、言葉の発達において同様の軌跡を示しているの であれば、特徴を判断することもできるだろう。また、 C は一九六九年 以前の作品を集め、A+B
は一九七五年以降の作品を集め、同時代の児 童詩を対照することにはならないが、左に一不す主題のム立分類が対照には 便利であり、結果的にA+B
の方が後代の現代化を反映することにはなら な か っ た 。 C は学年別の各巻において、︿自然の中から﹀︿うちの人たち﹀︿先 生と友だち﹀︿世の中のこと﹀︿ぼくのゆめ・わたしのゆめ﹀の丘つに 分 類 ( 1 、
2
年生には︿世の中のこと﹀の分類がない)され、﹁自然﹂ ﹁家族﹂﹁学校﹂﹁社会﹂﹁夢﹂の主題に注目した編集だった。﹁社会﹂とz y
しを一つに集約すると作品数の割合がほぼ四等分されている。それ に対して A と B はそれぞれ学年別に編集されているので、全ての作品を 五分類に分類し直した。その上で対照すれば、六学年全体で﹁自然﹂は C が お ・ 9 % 、A+B
が お ・ 0 % 、 ﹁ 門 家 族 ﹂ は C が お ・ 6 % 、A+B
が 判・6%、﹁学校しは C が 引 ・ 1 % 、A+B
が加・3%、﹁社会﹂は C が 9 ・ 5 % 、A+B
が9・9%、﹁夢﹂は C がH
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%となる。学年毎の比較表(資料 2 ) は末尾に掲載した。A+B
の特徴 的な点は、﹁家族﹂を主題にする作品が多く、﹁夢﹂を主題にする作品が 少ないことであろう。 C に収載された﹁夢﹂は例えば、﹁海の中に人聞が住めたら/いいだ ろうなと思います。/束京や大阪は、人聞があふれだしそうだから、/ 海の中に住めたらいいだろうな。/(九行略)﹂(﹁海の中﹂3年・男) とか、﹁白いくつしたをはいた時、/心までが白くなるほど、/きれ いなくつした。//(﹁行略)//どろぼうする人が/向いくつしたを はいたら、/たちまちきれいな心。//そういうことがあったら/地 球が平和で・・・しずかで/せんそうもない国/そんな因。﹂(﹁向いくつ したL5年・女)とか、﹁大きな、大きなそうじ機で/部会の空気をた くさんすいこむ。/地下の研究所へ運んで、黒いすすと空気を分解する。 /(六行略)/しあげには、/山おくの新しい木材のにおいと緑を配合。 /できあがった空気はふくろに入れて/町へ配達に行く o ﹂ ( ﹁ ス モ ッ グ 博士L6年・女)といった作品が並ぶ。﹁束以や大阪は、人聞があふれ だしそうだから﹂とか、﹁部会の空気﹂は﹁黒いすす﹂で汚れていると いう社会的視点を持ちながら、実現可能性を問わずにのびのびと夢を語っ ている。6年生の作品では﹁すすと空気を分解する﹂とか﹁木材のにお いと緑を配合しといった発想と﹁スモッグ博士﹂という発想において、 科学とファンタジーが融合している。5年生の作品の﹁白いくつしたを はいたら、/たちまちきれいな心。しになって﹁地球が平和﹂になる という、靴下と心を比聡的に同一化した空想にも、社会的視点は働いて いる。﹁夢しとは、学童期以前の子どもが蛙や電車の音に同一化したこ とに似て、新たな同一化の試みであり、手持ちの知識や経験をもとに仮 説と思索を重ねた自己像の模索なのであろう。それに対して、﹁コボた ち詩集﹄における﹁夢﹂を並べる。 ⑨家の近くのこうじげん場を見に行った。/ぼくは、パワlショベル が大すきだ。/おじさんがパワlショベルを/じようずにうごかし ていたので、/おじさんに/﹁ぼくだって、おとなになったら/パ ワlショベルで、/水どうやどうろもつくるんや﹂/と言ったら、 /﹁おう、そうか。/はようでこうなって/いっしょにやらまいかし /と言った。/昼ごはんを食べてから/また見に行った。 ( ﹁ お と な に な っ た ら し 2 年 ・ 男 、 B ) ⑩おきなわの砂だという/星の形をした星砂を/おばあちゃんからも らった/(五行略)/星砂は/いまより二千万年前の/有孔虫の化 石だという/有孔虫つてなんだろう/おきなわのどのへんにあるの だろう/(四行略)/わたしは/おきなわに行きたくなっちゃった /小さくてはだ色のぴかびかした/星砂が/はまべ一面に広がって いる海で/泳いでみたいな ( ﹁ 星 砂 ﹂4
年 ・ 女 、A
)
⑨では大好きな﹁パワ 1 ショベルしを媒介に、⑩では﹁有孔虫の化石Lを媒介に、﹁水どうやどうろもつくる﹂とか﹁二千万年前﹂や﹁おきな わに行しく夢を語っているが、社会的視点は弱い。また、どちらの夢も ﹁おじさん﹂や﹁おばあちゃん﹂との関係性において場面化されている。 場面化とは具体的操作であり、 C の場合はいずれも、仮説的で形式的操 作である。こうした﹃コボたち詩集﹄における﹁夢﹂の場面化への傾斜 は、﹁家族﹂の主題への傾斜と類、縁的である。﹁夢﹂を主題にする作品が 少ないのではなく、﹁家族﹂や﹁学校﹂に融合されていたのである。⑨ ⑩や⑤の他に、﹁トンボのめがね﹂ ( 1 年 ・ 女 、
A
)
、 ﹁ ビ 1 玉 の ふ し ぎ し(
2
年 ・ 男 、 B ) 、﹁ふしぎなど l 玉 の 世 界 ﹂ ( 3 年 ・ 女 、 B ) を、豊かな 想像力に注目して﹁夢﹂に分類しておいた。 子どもは中高学年になれば自己像を仮説的に模索し始めるが、その様 子と場面性との関係を見てみる。 C の場合、﹁ぼくはベエゴマをやりた くて/むずむずしている/先生はいわれたブレーキのきかない子は だめだ。/(八行略)/みんな抵抗に負けるな。/抵抗なんかっき とばしていこう。/ぼくの心は、そういっている。/(二行略)﹂(﹁ベ エ ゴ マ L 5年・男)とか、﹁わたしはリンカーンにあった。/そして、 /ひげをそってあげた。//(九行略)/それはわたしの小さな/想 像のへやの中でのできごとだった。/小さな、とびらをあけると、/そ のへやではどんなことでもできるし、/どんな人にもあえる。/(二 行略 ) L ( ﹁ ひ み つ の へ や し5
年・女)とか、﹁わたしの組に、ュトリロ の絵が/かかっている。/(一二行略)/広い空の下を/女の人と男の人 が/かたをならべて歩いている絵だ。/(卜行略)/わたしも/この絵 のように、ユトリロのように/広い、美しい心を/持ちたい o ﹂ ( ﹁ ユ ト リロの給 L 6 年男)という形で自己像を模索している。﹁抵抗に負け﹂ ないとか﹁広い、美しい心を/持ちたい﹂といった自己像は教室という 場面から触発されたとしても、作品中には自分しか登場しない。さらに ﹁想像のへやの中でのできごと﹂に場面性はなく、一人の﹁ひみつ﹂と して自己像を愛着者から離れて模索している。それに対して、﹁コボた ち詩集﹄の場合を並べる。 ⑭わたしの家はおとうふ屋だ/わたしたちのまだ/ねているころ/ おとうさんは暗い朝をむかえる/(六行略)/六時半ごろわた しは仕事場の戸を/ガラッとあけ/﹁おはようし/と声をかけ る/仕事場の/熱い空気がムッと出てくる/おとうさんは短く / ﹁ お は よ ﹂ / と い っ て 仕 事 を は じ め る / 服 を ぬ ぎ は だ か で / 半ズボンにまえかけをしている/あせを出し/しんけんな顔/ひ とつのおとうふでも/命がけで作っているように見える/(五行略) ( ﹁ 朝 の 仕 事 ﹂5
年 ・ 女 、A
)
⑫﹁家、建てかえるぞ﹂/とじいちゃんが大きな声で言った。/六月 下旬からなんだか、あわただしかった/僕が卜一年間住んでいた家 だ/家がこわされる日がやってきた/学校で勉強をしていても落ち 着かない/(九行略)/家に帰ると屋根が無い/家も半分壊れてた /じいちゃんばあちゃんは、/壊されていく家を静かに見ている/ ﹁こわされるな﹂/と七卜四歳になるじいちゃんがぽつんと言った /七人家族で一番長くこの家に住んでいた歴史があるもんな/生ま れてからずっとこの家で生活していたって/おばあちゃんが、教え てくれた/﹁さびしいなし/と肩を落とすじいちゃん/さら地になっ た/九月一二十日/建前の日/そこには樹齢九卜年のひのきの大黒柱 /ひのきの恵比寿柱/じいちゃんが丹精込めて育てた木だ/どの木 も、どっしり建っていた/じいちゃんはうれしそうに僕の家の白ま んをしていた/僕もみんなも楽しみでしかたなかった/家族みんな が歌ったり、お酒をのんだ/新しい歴史が始まる二村家 ( ﹁ 新 し い 歴 史 が 始 ま る L 6 年 ・ 男 、 B )⑬ 二
OO
八 年 、 J 一月/この日和田小が、開校になる/一宅五年という、 長い歴史に幕がおりる/私は、たった一人の六年生だから/日和田 小学校の段後の卒業生となる/卒業名ぽには、父の名前もあった/ (六行略)/今までに、日和田小を卒業された人たちの/いろんな 思いや願いが/ぐいぐいと/私の肩にのっかつてくるように感じる /私が、なりたくてなったのではないけど/﹁日和田小学校最後の 卒業生﹂という呼び名は/ずうっと、私についてくるだろう/責任 の重さを感じる/それに負けないで/しっかりと生きていけるだろ う か ( 司 取 後 の 卒 業 生 ﹂6
年 ・ 女 、 B ) ⑬を先に見る。作者は﹁一一二五年という、長い歴史﹂を持つ小学校の ﹁最後の卒業生しとしての自分を見つめている。それは、閉校時の﹁たっ た一人の六年生﹂であるという、﹁なりたくてなったのではない﹂外在 的条件に由来するが、﹁責任の重さを感じる﹂と記している以上、自己 像(アイデンティティ)として引き受けたことになる。多くの卒業生の 中には﹁父の名前﹂もあり、目に見えない﹁いろんな思いや願い﹂を ﹁歴史﹂という概念に抽象化している。その肩の荷は小学六年生には重 いが、外在的に訪れた自己像形成の典型である。二今年生ですでに﹁ぼく の家は、一一-代つづく太この家です/ぼくの太この先生はお父さんです﹂ と始め、﹁これからもいっぱい練習して/四代目をめざしたいです/下 目の町を太こで元気にしたいです﹂(﹁たいこ﹂3
年 ・ 男 、B
)
と結ん だ も の も あ る 。 それに刻して⑪⑫では、内在的に訪れた自己像形成を描いている。⑫ では、﹁ひとつのおとうふでも/命がけで作っているように見える﹂父 の仕事ぶりへの尊敬が仕事の描写から伝わり、それを通じて、家 l 父 l 私という自己像を、言明せずに確認している。⑬では、家の建て替えの 経緯を柿きながら、じいちゃんの﹁生まれてからずっと﹂の七卜四年と 僕が﹁住んでいたし十一年の﹁歴史 L と、二村家の﹁新しい歴史﹂を重 ねながら、自己像を確認している。他にも二篇、﹁八年間の思い出﹂ ( 3 年 ・ 男 、B
)
と﹁家こわし﹂(
4
年 ・ 男 、 A ) で家の建て替えが捕かれ て い る 。3
年生の場合、冒頭に﹁ぼくが八年間を過ごした家がこわされ た/楽しい思い出や悲しい思い出が/たくさんつまった家が/日の前で こわれていった/ぼくの心に穴があいて/その穴から悲しい凪がふいて いた/ぼくは頭の中で/﹁うれしいな﹂という言葉を思いうかべた/あ と二ヶ月もすれば/新しい家でくらせるんだと思った/悲しい風とうれ しい風がこうごにふいてきた﹂と描かれ、﹁時間がたつにつれて/﹁な んでだろう﹂/という気持ち﹂も動くが、その﹁時間﹂は﹁歴史﹂とい う認識に発展していない。4
年生の場合には、末尾に﹁ぼくの家のれき しが/はいになってしまったんやな﹂と描かれている。自己像は﹁思い 出﹂という、日に見える外在的な空間の中でより、目に見えない内在的 な時間の蓄積の中で育まれるようだ。そうした操作は、具体的な世界か ら仮説的に抽象され、﹁秘密 L ﹁ 自 分 L ﹁ 世 界 ﹂ ﹁ 時 間 L ﹁歴史しといった キーワードにおいて、中学年明に始動するようだ。 ﹃コボたち詩集﹂の場合、自己像の形成も家族や風土への愛着によっ て育まれているようだ。そのような中で、⑫のような家壊し、地鎮祭、 上棟式などの風習は現在も全国的に残っているが、それを通じて自己像 形成を描いた作品は、﹃小学校詩の本﹄一二一二六篇にも﹃おひさまのかけ ら﹂二二七篇(未就学児七一、小学生一五回、中高生二篇)にも﹃日本 児童詩歳時記﹄一九﹁八篇にも見られない。家とは自己像形成の磁場 で あ り 、C
にあった﹁ひみつのへやしのような、自分の個室が描かれれ ば、より内面的な自己像形成になるが、それは一例もない。岐阜県は古 来森林に恵まれ、﹁樹齢九十年のひのきしでできた家屋に二世代や四世代が暮らす家庭環境が身近にあり、﹃コボたち詩集﹄における自己像形 成はそうした風土に由来したのであろう。逆に、例えばビルに固まれ交 通網が発達し、仕事や生活が効率的に抽象化された社会を反映する作品 は 多 く な い 。 ⑭お母さんは/ほうもんかんごステーションの/仕事をしています/ 私が、保育園のころからやっています/もうすぐクリスマス/私に とっては楽しいクリスマスですが/お母さんは、パソコンとにらめっ こ/何回もコピーをして/ファイルにカ l ドをとじている/﹁だれ にだすの﹂/と気になって聞いてみると/﹁なくなったかんじゃさ んの家族にわたすんだよし/と、しずかに言いました/仕事がおそ くなる日は/かんじゃさんが、なくなった日です/(八行略)/お 母さんは/なくなったかんじゃさんにとっての/サンタさんなんだ /クリスマスカード/天国にもとどくといいな (﹁天国にもとどくサンタさん﹂ 3 年 ・ 女 、
B
)
⑮(卜行略)//夕食のあと/テレビニュースが/﹁きょうは夕方 か ら あ い に く の 雨 で す ね ・ ・ ・ ﹂ / き い て い た お と う さ ん が / ﹁恵みの雨と、いわなければあかんやんか、なあ﹂/おじいちゃん も/﹁そうやそうやし/アナウンサーに丈句をつけた。/﹁あのア ナウンサーあかんなあ。/部会のことしか考えとらんで・・・﹂/ ぼくもいいながら/重いポンプを一輪車にのせて/坂をのぼって いくおじいちゃんの/おでこのあせと/カリカリにやけたサト イモ畑にまく、/パパパパパパという/水の音を思い出した。// ( 四 行 略 ) ( ﹁ め ぐ み の 雨 ﹂5
年 ・ 男 、B
)
⑭では訪問看護の仕事が取り上げられ、クリスマスの賑わいと患者さ んの死と、そして﹁おばあちゃんと、きょうだい二会人﹂でほの帰りを待 つ家庭環境が描かれている。骨では部会からのテレビニュースが﹁あい にくの雨 L と伝えたが、農家にとっては﹁恵みの雨﹂なのだという、社 会を相対的に見る目が描かれている。しかし、いずれも社会的な目が、 むしろ母や祖父の仕事の苦労を描く一環として機能している。風土への 愛着の中で自己像(アイデンティティ)を形成していることが、﹃コボ たち詩集﹂の児童詩の最大の特徴であろう。それは、愛着と自律の天秤 が前者に少し傾いているということでもある。子どもがやがて社会で自 律するために、社会的な目を適切に持つことは必要である。六年生の作 品に一一編、社会的な目が適切に発揮されたものが見られるが、それは次 節で取り上げる。 三、ある経年的な成長 ﹃コボたち詩集﹂は学年毎に配列されているので、それを活用した鑑 賞も可能である。前節で﹁夢﹂の例としてあげた﹁トンボのめがね﹂ ( 1 年 ・ 女 、A
)
、 ﹁ ビ 1 玉のふしぎし(
2
年 ・ 男 、 B ) 、﹁ふしぎなビ 1 玉 の 世 界 ﹂ ( 3 年 ・ 女 、B
)
を対照するのも、各学年にわたって多い自然 観察の作品を対照するのも興味深いだろう。後者の例を挙げてみる。 ⑬くものすにばったがひっかかっていた/うえのほうからくもがくもの いとにつかまっておりてきた/しーんとしておりてきた/ばったにく ものいとをまきだした/りょうあしをくものすにひっかけて/じぶん もまわりながら/ばったにいとをまきだした/ばったはうごかなかっ た/ばったはめだけでこっちをみていた/ばったのめがすごく大きかっ た/いたそうだつた/あっというまにばったはしろいかたまりになっ た/くもはまきおわるまでしーんとしていた/ばったはかわいそうだ けど/くものすにくっついたしろいかたまりはとてもきれいだった( ﹁ く も と ば っ た ﹂ 1 年・男、
B
)
児童げんかん近くの木で/くもの巣を見つけた/給食のナプキ ンサイズで/たて糸が 1mm 聞かくで/まるでくもの巣のカーテン /ふうわりやわらかなカーテン/そっと手でふれようとした時/は しつこに青虫のような/緑の小さな幼虫が/たった一本の細い糸に /首をひっかけられて/ピクリとカーテンをゆらした/私は思わず 手を引っ込め/教室へ走り込んだ/その日は一日中/私の頭の中に も/くもの巣がはったみたいだった ( ﹁ く も の 巣 の カ ー テ ン ﹂ 4 年 ・ 女 、B
)
いずれも集中した観察によるが、⑮では蜘峠とバッタの動きの一つ一 つに、⑪では蜘妹の巣にかかった幼虫の﹁ビクリとカーテンをゆ ヨ り し た ﹂ 様子に焦点を合わせている。⑮が低学年男子、⑮が中学年女子の作品で あり、男子の行動的な反応と女子の心情的な反応の対照とも言えるし、 低学年の﹁た﹂止めの断片的な列挙に対し、中学年の﹁まるでくもの巣 のカーテン﹂とか﹁私の頭の中にも/くもの巣がはったみたい﹂といっ た北喰の使用において、言葉の操作の発達を見ることもできる。 同じように、同じ作者の経年的な成長を見ることもできる。例えば A で は 、 4 年時に﹁二千万年前の/有孔虫の化石しに思いを馳せた⑤の作 者は、がんで亡くなった祖父を、 6 年時に﹁き?っくっそうに箱の中に 入っている/二会角きんをして/やせ細った黄色い頗の中で/口だけを/ 大きくがぱっと聞けていた//父がかたをおしながら/﹁段後のお別れ だよ﹂/といった/やせ細ったおじいちゃんに/たくさんのキクの花は 重いのではないかしら/わたしはそうっと/白いキクの花を足元に置い た﹂(﹁おじいちゃんが死んだし)と描いた。冷静な観察と﹁そうっと/ 白いキクの花を足元に置﹂く優しさが融合している。⑤で星砂をくれた のは祖母で、優しい家族に包まれて空想と現実を融合できる個性が見え ⑮ 朝 ⑬をめぐって家の解体の題材について言及したが、 ﹁家こわし﹂の 4 年の作者は、-年時に﹁ぼくが/あるけるようになっ たとき/げんかんのしようじを/びりびりにやぶってしまった/うちの なかが/まるみえになってこまったって/かあちゃんが/﹁たかほうは わるでっちゃな﹂/といったやって/(九行略)/もう/一ねんせい になったんやでわるでっちはやめるからね﹂(﹁ぼくの小さいとき﹂)と 書き、ともに家の一部を壊した偶然も興味深いが、一一-年を隔てて自分の 歴史と家の歴史を見つめたことになる。 B では、﹁けっこんきねん日 L ( 1 年)﹁最後の運動会﹂(
6
年)を書いた女子と、﹁八年間の思い出﹂ ( 3 年)﹁妹の中池合宿L
(
6
年)を書いた男子と、﹁川のにおいし ( 5 年 ) ﹁ 川 の 声 ﹂ ( 6 年)を書いた女子 W などの例がある。 特にW
さんの作品は、﹃コボたち詩集﹂に二篇しか掲載されていない が、コボたち詩コンクールで 1 、 2 、 3 、 5 、 6 年時に特選に入賞して いる。いずれも長良川支流の伊自良川を題材にしていて、児童詩におけ る経年的な成長を見るには最適であり、全て紹介する。 ⑬﹁あにじだし/学校がえり/ゆみちゃんがむこうの山を/ゆびさ した/﹁どこどこ﹂/﹁あほんとうだ﹂/みんなあつまってきた /にじは山のうえから空たかくのぼって/くものところできれてい た/はたけのほうにいくとなくなってしまう/いじら川のていぽう にあがると/まだうすくのこっている/きえていくにじを/みんな でみながらかえった て く る 。 その中の ( ﹁ に じ L 1 年 ) ⑮学校を出て二つ目の橋まできたら/かさがき?つにぽつぽつつ といった/﹁かたい雨がふってきたよし/かさをしっかりにぎっ て / な っ ち ゃ ん と く っ つ い て あ る い た ﹁ と ん で き そ う や ﹂ / ﹁ も う あ る け ん で し ゃ が ん で か た ま っ た かさたたもし/ふたり/いじら川はまっ黒になって/ていぼうの下から雨がふいてき た/つめたくて足がしびれた/わたしはこばん草をつんで/川 になげた/﹁かみさまあらしをとめて下さい﹂/なっちゃんも なげた/かわりばんこになげたら/雨はすこしやんできた/﹁ゃっ たあいまのうち﹂/走りだしたらくつの先から/び?っと水が 出 た / な っ ち ゃ ん の 長 ぐ つ は / じ よ ほ ん と 上 か ら 出 た ( ﹁ 雨 の 中 ﹂
2
年) ⑩ていぼうの草むらを歩いたら/びゆいんと何かとび出した/右びゆ ん 左 び ゅ ん / く つ よ り 先 に 先 に / ぎ ざ ぎ ざ に わ か れ て と ぶ ん だよ/歩く方向がわかるのかな/しゃがんで草をじいつとにら んだ/光る自主がこっちをにらんでた/大きな口は卜ノサマバッ タだ/ふつうのトノサマより黒くて小さいから/むれのバッタだよ /つかまえょうかと思っただけで/足のむきをちょっとずっかえ/ おしりをさげると/ぴぃゆつとにげた//息をとめてそうっとそ うっと/自転車のところにもどり/立ちこぎで草の中につっこん だ/オンブバッタがわかれて低くとんだ/耳のそばをびゆいん と音が通った / T シャツのおなかにもパチッとあたった/すきとおっ た 羽 が 目 の 前 で ひ ろ が っ て / す ご く 大 き く て こ わ か っ た よ / / 帰りにみきちゃんをさそって/もう一度行くから/それまでない しょにしといてね ( ﹁ ひ み つ ﹂4
年) ⑫伊自良川に/魚採りのビンをかけた/橋の上から見ていると/小さ な魚がおうぎ形の群になって/ビンのエサに向かって泳いで来る /なにがかかるかな/夜まで待ってたもでビンをすくった/ううう 重いたもがあがらん/まっ黒い流れに顔をつっこんでみた/大 きな石が入ってると思ったとたん/にゆっくりぐぐぐざっ/石 が動いて手をひっかいた/長い顔がひょうっと出た/うわあっ ころびそうになった/スッポン?ちがうちがう/カメだでっか い石ガメだっ/バケツにも入らない/つめが強くていたくて持て ない/タオルにくるんでだっこで家まで走った//たらいをさが そうと下に置いたら/向きを変えてぬっくぬっく/一直線に歩 いていく/何回もどしても同じ方ににげる/伊自良川の方向だ/ こんなに大きくなるまで/ずっと住んでいたんだもんね/またタ オルにくるんで/返しに行った/川の近くまで来たら/手足をパタ パ タ 急 に あ ば れ た / 川 の に お い が わ か る ん だ ね ( ﹁ 川 の に お い し 5 年 ) ⑫伊自良川の石にすわると/いろんな音が降ってくる/遠く近くキ ビタキやセキレイのひびき/シュシャツエメラルドの直線は/カ ワセミの飛び込み/凪の通り道は木の葉がさわいで/教えてくれ る//伊自良川にもぐると/いろんな音が見える/とんぼがつんつ く水をつついてるおしり/後ろ向きに流されていくマガモの/あ わてた水かき/近づいて向きを変えたオイカワの群れ/日が合う と砂に頭をつっこんだカマツカ/石のかげでひれをパタパタいそ がしく/卵に酸素を送っているドンコの父さん/流木の聞にしがみ ついているイシガメ/足の裏から湧き水が押し上げてくる/水草 が光がゆれている/川の声が聞こえる//-二か月で/私がす わっていた石は/コンクリートの堤になった/凪を知らせる木は 切りたおされ/、ダンプの通り道になった/川の底をさらうショベル カ l の音が/地面をゆヨりした/川の声が聞こえる ( ﹁ 川 の 声 L 6 年 ) 1 年時の⑬では、﹁ゆみちゃん﹂や﹁みんな﹂と下校する途中に虹が 立った場面を描き、﹁いじら川﹂は畑から堤防に上がった時に言及され⑮では、﹁なっちゃん﹂と下校する途中に激しい雨に巻 き込まれた場面を柿き、﹁いじら川しは、﹁まっ黒になって/ていぼうの 下から雨がふいてきた﹂と、雨の激しさを際立たせる添景として捕か れている。雨が小やみになり走りだすと二人の長靴の口から水が溢れ出 た末尾はすでに巧みである。⑮では、おそらく登校する途中に、堤防の 草むらを歩くとトノサマバッタが飛び出し、自転車で突っ込むとオンブ バッタが飛び出した場面を柿いた。その恐怖と興奮の﹁ないしょ﹂の体 験を、下校時に﹁みきちゃんしと再体験しようとしている。ここで伊自 良川の名前は登場しないが、友だちと共有したい体験の大事な舞台とし て顕在化した。しかも、その大事な体験を﹁ないしょ﹂の﹁ひみつ﹂に したいような、大事な友だちには共感してもらいたいような心境にある。 つまり、自分にとっての大事なものに気づき、そういうものを大事だと 思う自分というものに気づき、自己像を育み始めているのである。
4
年 時という﹁ギャングエイジ﹂にふさわしい。5
年時の⑫では、登校や下校にかかわらず一人ででも、﹁伊自良川﹂ で﹁魚採りしを楽しもうとしている。夜まで待つと﹁でっかい石ガメ﹂ がかかり、家まで持ち帰ったが、地面に置くと﹁伊自良川の方向﹂に逃 げ出す。後半の﹁一直線 L に﹁何回しも﹁同じ方向ににげる﹂ことから、 石ガメには﹁川のにおい﹂が分かることを発見したことが主題と考えて よいが、前半の石ガメがかかった場面の柿写には臨場感がある。それに は﹁ううう﹂﹁にゆっくりぐぐぐさっ﹂というオノマトペ(後半にも ﹁ぬっくぬっく﹂﹁パタパタ﹂)や﹁たもがあがらん﹂﹁と思ったとたん﹂ ﹁ちがうちがう﹂﹁石ガメだっ﹂という口語体も寄与している。心情に見 合う丈体を自ら操作しているのである。オノマトペはすでに⑩で長靴か ら水が出る様子を﹁び?っ﹂﹁じよほん﹂と柿き、⑮でもバッタが飛び 出す様子を﹁びゅいん﹂﹁ぴゅんし﹁ぴぃゆっし﹁パチッ﹂と破裂音を用 るにとどまる。 いて描いている。オノマトペとは微妙な感性を、名詞や形容詞に抽象化 して分節するのと逆の、それに遡行しようとする表現技術であり、愛着 のための言葉である。﹁ひみつ﹂の大事な体験を観念的に抽象するので はなく、生々しい具体のまま表現したことになる。 ﹁伊自良川﹂への愛着はこのように高揚したが、 6 年時に思いがけな い事件が起きる。⑫の第一連では、﹁伊自良川の石にすわると/いろん な音が降ってくる﹂。﹁キビタキやセキレイ﹂のさえずりや﹁カワセミ﹂ が川に飛び込む音。第二連では、﹁伊自良川にもぐると/いろんな音が 見える﹂。水面にはとんぼやマガモ、水中にはオイカヮ、カマツカ、ド ンコ、イシガメ、そして水草。ところが、川の改修工事が始まり、二ヶ 月の聞に﹁コンクリートの堤﹂ができ、﹁木は切りたおされ﹂、、ダンプ が通り、ショベルカ l が川底をさらっている。第一連と第二連の末尾は 同じ﹁川の声が聞こえる﹂に調整されているが、第二連の声が川の歓 びの声であるのに対し、第二連の声は川の悲しみの声である。第二連の 声が具体的な﹁いろんな音﹂であるのに対し、第一二連の声は悲しみを共 有する作者の、擬人的に抽象化された心の声でもある。第一連の﹁いろ んな音﹂は聴覚的で第二連の﹁いろんな音﹂は視覚的で、共感覚化が進 行している。自然破壊への批判が主題ではあるが、共感覚化や擬人法を 用いて愛着と自律とが融合し、悲痛な叫びになっている。﹁凪﹂や﹁光﹂ の使用も抽象化の一環である。⑬から⑪までの行末は用言止めが多かっ たのに、⑫では体言止めが多い。これも一気に訪れた形式的操作の一環 だろう。作者はこの事件を思索し言語化することで社会を見つめる視点 を獲得し、社会的自律に踏み出したことになる。 W さんは、第四十回﹁コボたち詩コンクール﹂表彰式(二O
一 五 ・ 二 ・ 一五)で﹁川の声﹂と題して子どもや保護者にお話をされ、今日でも自 然に興味を持ち続けているに至る、二つの転機について言及した。作丈や詩は苦手だったが、好きなことを書いていいよと言われて、伊自良川 について書き始めた。第一の転機は、愛知県の矢作川の近くで生まれ育っ た作家阿部夏丸の本が好きで、二年時に講演会に出かけて知り合い、二 年後には伊自良川に来ていただいたこと。第二の転機は、六年時に川の 改修工事が始まったこと。川で出会った生き物の名前を紙に全部書き出 して工事を止めて下さいと訴えたが、工事は続いた。そこで⑫﹁川の声し を徹夜で書き、締め切りの日の夕方に新聞社に直接持ち込んだとのこと。 ﹁凪を知らせる木しとは
W
さんが神様の木と呼んでいた木のことらしく、 大きな木はランドマ l クのように世界の中心を象徴する。川の生き物の 名前が列挙されていることを考え合わせると、⑫は第一連で全てが均し 並みに肯定される神話的な世界を描き、第二連で﹁風を知らせる木﹂を 中心とする世界に危機が訪れた伝説の世界を揃いているとも言える。⑩ では﹁こばん草﹂を川に投じて﹁かみさまあらしをとめて下さい﹂と 祈っていた。好きなもの、大事なものを臨場として、捕かれた世界は生 動してくる。少なくとも⑮は自発的に書かれ誰の添削も承けていないよ うだ。それでも、川や木を媒介している点で、﹃コボたち詩集﹂の特徴 である風土的な自己像形成に連なっている。 ところでこうした発見は、経年的に読むことで気づくことができたの である。児童詩を集めた﹃おひさまのかけら﹄は主題別に配列され、 ﹁小学校詩の本﹂は学年毎の分冊において主題別に配列されている。そ れに比べて、﹃コボたち詩集﹄は二川とも学年毎に配列され、経年的な 成長を見やすく、二聞の聞の経年的な変化を見ることもできるだろう。 本論では踏み込まなかったが、末尾の資料 1 を参照して性差の経年的変 化も見ることができるだろう。他にも多くの児童詩のアンソロジ l が 刊行されている。教師はそれらから思考や言葉の発達段階を見定め、子 どもにもそれら(あるいは数篇のアンソロジ l ) を提示し、詩であろう と作文であろうと書き始めさせたい。また、発達段階の少しだけ先を行 く詩を体験するために、大人が子どものために書いた少年詩を活用する ことも有用である。例えば、教科書に掲載されている詩はほとんどが少 年詩であり、谷川俊太郎や五藤直子や金子みす、ーなどの作品が並ぶ。 ﹃いま小学生とよみたい叩の詩﹄ ( 1 ・2
年 篇 、3
・4
年 篇 、5
・6
年 篇)などもある。五藤直子﹁のはらうた﹂シリーズから﹁子どもがっ シリーズも生まれている。 くるのはらうた﹄ ( 1 ) 日 本 作 文 の 会 編 ﹃ 児 童 詩 教 育 事 典 ﹄ ( 百 台 出 版 、 一 九 七0
・ 三 ) ( 2 ) ﹃ 小 学 校 詩 の 本 ﹄ ( 1 年 生16
年生の六巻、小峰 4 青 山 、 一 九 六 九 ・ ﹁1
一 九 七 一 ・ 六 / 一 一 一 三 六 篇 ) ( 3 ) 川 崎 洋 編 ﹃ お ひ さ ま の か け ら ﹄ ( 中 央 公 論 社 、 二00
三 ・ 二 / -一 -一 七 篇 ) 0 ﹃ 読 売 新 聞 ﹄ ( 一 九 八 -一 ・ 一1
二00
一 ・ 二 一 ) に 掲 載 さ れ た 詩 の 秀 作 集 。 重複があるが、同様(一九九四・七1
一 九 九 七 ・ 八 ) の 秀 作 集 ﹃ こ ど も の 詩 ﹄ ( 文 春 新 書 、 二 G O O -一 口 / 一 八 口 篇 ) も あ る 。 ( 4 ) 拙稿﹁児童詩の世界言葉の発達の視点から﹂(﹃岐阜聖徳学園大学 国語国文学﹄第お号、二口一七・ゴ) ( 8 ) 村 同 孝 次 ﹃ 児 童 心 開 学 入 門 ﹄ ( 二 訂 版 、 培 凪 館 、 一 九 九0
・ 一 ) ( 6 ) ( 7 ) 岡 本 夏 木 ﹃ 児 童 心 開 ﹄ ( 山 有 波 書 凶 、 一 九 九 一 ・ 一 一 ) ( 8 ) 日本作文の会編﹁日本のf
どもの詩乱岐阜﹄(岩崎書出、一九八二・ 九 / ム 一 口 九 篇 ) ( 9 ) 同 本 間 文 ﹃ 児 童 詩 教 育 と 学 校 経 営 ﹄ ( 国 土 社 、 一 九 七 二 ・ 八 ) ( 日 ) 同 本 同 文 ﹃ 生 き た 児 童 詩 教 育 ﹄ ( 新 評 論 、 一 九 七 八 ・ 一 一 ) ( 日 ) 江 口 季 好 編 ﹃ 日 本 児 童 詩 歳 時 記 ﹄ ( 駒 草 出 版 、 -一00
八・凹/一九三八 篇 を 十 -一 ヶ 月 に 編 集 し た ) ( 口 ) 全 同 的 な ア ン ソ ロ ジ ー に は 日 本 作 文 の 会 編 ﹃ 年 刊 ・ 日 本 児 童 生 徒 作 文 詩 集 ﹄ ( 一 九 五 九1
一 口 一 六 、 五 七 集 ) 、 地 域 的 な ア ン ソ ロ ジ ー に は 長 野 県 作文教育研究協議会編﹁しなのf
ど も 詩 集 ﹄ ( 一 九 丘 五l
一 口 一 六 、 六一一告さ、高知県児童詩研究会編﹃やまもも高知県こども詩集﹄(一九七 七
1
一一口一七、凹一集)などがある o (日)氷山川喜久夫編﹁いま小学生とよみたい刊の詩﹄ ( 1 ・ 2 年 篇 、 3-4 午 篇 、 8 ・ 6 午 篇 、 た ん ぽ ぽ 出 版 、 -一00
一 ・ 一 二 ) ( 日 ) 工 藤 直f
﹃のはらうた﹄シリーズ(六巻、童話屋、一九八四 1 -一00
八 ) 。 なお、拙稿に﹁て藤直子﹃のはらうた﹄の刊界子どもの発達の視点か ら﹂(﹃岐阜望徳学園大学紀要︿教育学部編﹀﹄第必集、一OO
九 ・ 乙﹁工藤直子の文芸様式昔話・伝説・神話﹂(﹃岐阜聖徳学園大学 国 語 同 文 学 ﹄ 第 乱 号 、 二 口 一 二 ・ 一 一 一 ) が あ る 。 (日)﹃子どもがつくるのはらうた﹄(①②③、童話屋、二00
六、七、八)資料 1 一年生 ( ﹁ コ ボ た ち 詩 集 ﹄ 1ワフビとり 男 自然 2キアゲハ 女 自然 3イワナつり 男 自然 4よしのり 女 不H長 5あおやまさん 女 不H長 6あたらしいがっこう 男 学校 7ワフビとり 男 自然 8でっかいうんこ 男 家族 9セミのようちゅう 男 白然 10あかちゃん 男 家族 11ぼくの小さいとき 男 家族 12はなかんざし とよ 白然 13トンボのめがね とよ 号予 14おとうさんのあしふみ 男 不H長 15おてがみのおれい 女 不H長 16たろんほとじろんぼ 女 自然 17カメ 男 自然 18しゃんぷ 女 争長 19わたしだけおよげなかった 女 学校 20クロ 男 家族 21ヒマワリ 男 白然 22こうちょうせんせい 男 学校 23セミ とよ 白然 24おかあさんのひざ とよ 家族 25およめさんのこと とよ 社会 26日なたほっこ 女 自然 27アカトンボ 女 自然 28ちびカメ みつけた 男 自然 29おじいちゃん 女 不H長 の全作品 覧) A 一年生 資料 2 1イネはこび 男 不H長 2カブ卜のよう山 男 自然 3みせのこと 女 社会 41¥,、とこ 女 不H長 5草むしり 男 自然 6ぼうずあたま 男 学校 7ばあちゃんのたいいん 男 家族 8こうさく 男 学校 9ばあちゃん 男 家族 10むしめがね とよ 白然 11カーのあかちゃん 男 白然 12ザリガニのあかちゃん 男 自然 13ザリガー 女 自然 14ウシ 男 自然 15かたぐるま 女 不H長 16ペンギン 男 自然 ( ﹁ 小 学 校 詩 の 本 ﹄
i
小学生詩の本 C コ ボ た ち 詩 集 の主題分類) 白然 家 族 学 校 社会 号予 合計 一年生 24 19 14 7 64 一年生 19 16 18 6 59 一年生 19 13 12 7 10 61 四年生 10 10 10 8 10 48 五年生 15 13 8 8 11 55 六年生 10 15 9 9 6 49 合 計 97 86 71 32 50 つdつ36 % 28.9 25.6 21.1 9.5 14.9 100 =年生 1コメツキムシ 男 白然 2ウシのf会 男 自然 3足くらべ 女 家族 4ヤギ 女 自然 5トン不ル 男 学 校 6ウシ 男 自然 7おとうさんのにおい 女 家族 8おとうさん 男 家 族 9あすかへ 男 家 族 10ぼくのおとうさん 男 家 族 11ヘビ 男 白;然 12おじいちゃんのしゃくし 男 家 族 四年生 1星砂9
:
.
号予 2手紙9
:
.
家 族 3子ウシ 男 白;然 4セミ 男 自然 5転校生 男 学 校 6ポンがし 男 社会 7うられていった子ウシ 男 家族 8つな登り 女 学 校 9家こわし 男 家族 10おじいちゃん9
:
.
家 族 11にじ9
:
.
白然 12おばあちゃんの!須9
:
.
家 族 五年生 1おかあさん 女 家族 2校長先生 女 学 校 3わたしの兄 女 家族 4うかし、 女 社 会 5乳しぼり 女 社 会 6ホタlレ9
:
.
白然 7ウシの鳴き方 男 白然 8朝の仕事9
:
.
家 族 9イネカリ9
:
.
社 会 10死んだハ卜9
:
.
白;然 11母のどうまる 男 家 族 12イネかり 女 社 会 六年生 1雪の日 女 家族 2みそ汁 女 家族 3おじいちゃんが死んだ9
:
.
家 族 4お茶もみ9
:
.
社会 5おとうさん9
:
.
家 族 6おじいさん9
:
.
家 族 7まゆ子 男 家 族 8菜切りをする祖母9
:
.
家 族 コボたち詩集 A+B 白然 家 族 学 校 社 会 号予 合計 19 29 9 1 2 60 16 11 12 b 4 48 8 17 3 1 1 30 6 11 6 3 1 27 4 8 4 7 1 24。
10 9 4。
23 53 86 43 21 9 212 25 40.6 20.3 9.9 4.2 100資料 1 一 年 生 ( ﹁ コ ボ た ち 詩 集 ﹄ 1 う