寺島成信「海運政策」講義
柴崎 力栄
知的財産学部 知的財産学科
(2008 年 9 月 29 日受理)
TERASHIMA Sigenobu’s Lecture on Shipping Policy
by
Rikei SHIBASAKI
Department of Intellectual Property, Faculty of Intellectual Property (Manuscript received Sep 29, 2008)
Abstract
A six-day series of lectures was given in 1923 at the Naval Accounting School (海軍経理学校). The lecturer was Dr. TERASHIMA Shigenobu (寺島成信) who had worked for Nippon Yusen Kaisha (日本郵船会社) since 1897. The audiences were naval officers scheduled to accept early retirement due to the Washington Naval Treaty. After graduating from Keio Gijuku (慶應義塾) in 1889, TERASHIMA joined the navy as a civilian and was engaged in research and public relations. This earlier career offered him an opportunity to encounter Alfred Thayer Mahan’s “sea power” (海上権力) theory. It was in 1891 that TERASHIMA became an advocate of the converted cruiser (仮装巡 洋艦), which was a high-speed ocean liner in peacetime but planned to be used as a temporarily armed naval vessel during war. The lecture was a retrospection of maritime military-merchant relations during the Sino-Japanese War in 1894-1895, the Russo-Japanese War in 1904-1905 and the First World War. The view of an early adopter of the “sea power”, who belonged to the merchant marine, is shown here in the text.
キーワード; 海上権力,シーパワー,海軍,海運,軍艦,商船,仮装巡洋艦,日本郵船
K e y w o r d ; Sea Power,Navy,Shipping,Warship,Merchant Marine,Converted Cruiser,NYK Line
Memoirs of the Osaka Institute of Technology, Series B Vol.53,No.2(2008) pp. 26~74
解説 以下 、紹介するのは、寺島成信(一八六 九年 ~一九三 九年 ) が 、一 九二三 年 に 海軍 経理学 校 で 行 った六回シリーズの講 義 「海運政策 」 の速 記録で あ る。同速記 録 は、奥付を持たない小冊子 で あ り、表 紙 には「第 一 回 海 軍 臨時 講習講義録\ 経済学博士 寺 島成信講述( 以印 刷 代 謄 写 禁 転 載)\ 海 運 政策\ 海 軍 経 理学 校」 と記さ れ て い る。姿 形 は、 縦二二一 ミリ、 横 一 五 一ミリ(ほ ぼ A5 )、 全一○八頁 で ある。文生 書 院( 東京都 文京区 )から古 書として 購入 し た 。 表 紙および 三 七 頁には「江口」と判 読 できる三文判が捺して あ る。原本は 防 衛 省防衛研究所に 寄 贈することとし 、 その全文をここ に 翻 刻 す る こ と とし た。 寺島成信は、 現在の山形県 鶴岡市に生ま れ 、一八八九 年 に慶應義塾 を 卒業 した 。海 軍に 文官職 で あ る 編修 書記 と し て奉職 し 、 海 外 文 献の収 集 、 広 報 資 料 の 執筆 などを 担 当し た。一八九 ○ 年に米 国 で 出版され 、 各 国 の海 軍 戦 略 に 多大な影 響を与 え ることとなるアルフ レ ッ ド ・T ・マハン著『海上 権力史 論』の原 書 に 出会い、 帝国 議会 や世論 に 対 す る海 軍の 広報政策の 構 築に その 論 旨 を 援 用した。戦時に仮装巡洋艦とし て 用 いる高速商船の建 造を提唱し た。 一八九三 年 、 日本経 済 会が 募集した 懸賞論文「日 本海運論」 に 一位 入 賞 し た こ とをきっか けとし て 、 一八九七年、日本郵船に転ずる。 主 に調査 畑 を 歩み 、一九二三年二 月 十六日、論文 「帝国海運 政策論」によ り 東京 帝 国 大学 より 、初の経 済学博士 号を授与された。 この連 続 講義 は、 一 九 二三 (大 正 十 二) 年の四 月 か ら 五月 かけ て行 われた と推 定され る 。 そ の根拠 を 述べる。(一)寺島が 「経 済学博士 」 で ある の は 同年二 月 以 降 で あ る。(二)アジア歴史資料 セ ンターから ウ エ ッブ閲覧 可 能 な防衛省防 衛 研究所所蔵『海 軍 省公文 備 考』(大正 十 三年 、巻十八、 学 事 ) に「海 軍 臨 時 講 習会」 に つ い て の記 録 が あ る 。翌一 九 二四 年(大 正 十三年 ) には 、二 月 か ら 五 月にかけ て 「第二 回海 軍 臨 時講習会」が 開催 され、ワ シ ン ト ン 海 軍軍 縮条約 に よって早 期予 備役 編入 の 対 象者とな っ た 海 軍 将校 たち に、退職準 備 教育として各界の著名講師 による講習 を 施して いた こ とがわ か る。始業式 に おける海 軍大 臣挨拶には、 「昨年度ニ於テ第 一回ノ 講 習ヲ 行ヒ 予想外ノ好 成 績ヲ 得 タ 」 と の文言が あ り 、 第 一回 が前 年に成功裏 に 終って い るこ とが 確認 で き る。(三)一方、第一回が 開催 された 一九二 三 年 には 、 九 月一日の関東大震災 で 築地 にあった海 軍 経理学校は被災し 、翌年に かけて 牛 込区の陸軍経 理学 校に 間借 りするこ とになる。前項と合せると 、 第 一回 講 習 会は震災以 前 に終了してい た推測され る 。(四) 第一 回の講義中 に 、日 本か ら米国へ輸出 される生糸 が積み込まれ る 貨 物船の国 籍につい て 論 及 す る な か で「今 年 の 参 月迄即ち 最 近 迄の調べに依 りますと」 と いう文言があ るこ とか ら 、 第 一 回は三 月 から 四月への 月替わ りの直 後だ った こ と がわ かる。 ( 五 ) 第 四 回の講義 中に「本年四 月十 四日頃」 米国大統領と米国船舶院の 院長 が 新 しい政 策 を 出 した ニ ュ ー ス が電報 で 届 い た が 、 詳 細 は まだ 不明 だ と の 言 及が ある。ここか ら 、 四月十四 日のニュー ス を掲載した 米 国の新聞が船便で 届 く まで の時 期、 す な わち 、四月の後半から五月初 旬 に こ の回の講義は 行わ れて いたこと がわかる。 各 回 の速 記 者 によ り 表 記に揺ら ぎが あり、ま た 、講述者たる 寺 島 の 校 正 を 経 て いない た めと推測さ れ る 誤記も散見 される。書き起こすに際し て は つ ぎ の原則に従っ た。①常用 漢 字体 が あ る も のは常用漢 字 に置き換 えた 。②「 郵 便行 送」と「郵便航送」 な ど 、 表記の揺 ら ぎ は そのままとし 、 統一 し な か っ た。 ③仮名送 りや漢字と仮名の使い分 け は原文通りとし た。 ④ 文章の末 尾 の 読点「、」 を 句点「。」 に 置き換 え た と ころが あ る 。 ⑤ 清 濁の表記 、外国 地 名・人名の 表 記は原文通りとし た。 ⑥ 組 織名などの明 らか な間違い は訂 正し た。「軍 令部の編輯 」 を「 軍 令 部の編修」に改め 、 「 海員救済会」 を 「 海 員 掖済会」に改 めた個所 があ る。⑦その 他 、誤記誤植 等 の可能性のあ る文 字に 「ママ」 を 付 した。
寺島成
信
「海
運政策
」
講義
知的 財産 学部 知的 財 産 学 科柴
崎
力
栄
(二 〇〇八年 九 月 二 九 日受理 )本文 ---- 海 運 政 策 経済学博士 寺 島 成 信 第 一 回 第一 章 序 論 諸君、私 は只 今御紹介 を得 ました寺 島でござい ま す。今日は郵 船会 社 の方 に 就 職 致 して居 り ます るけれ ど も、 二十何 年 前に は大 変海 軍の 方 に 御世話になつ て 居りました 人間 でござい まして、 軍 令 部の編修課をやつ て 居 りま し た ので す。 それか ら 郵船 会 社 に 転じて 以来、 今 日迄多 少 海運 の事に就きま して 研究は致して 居りまするけれども 、 何しろ此 実業 社会 のこ と で ございますからし て 、 研究とか調査と か 言 ひ ましても 、実地が 主で 理論などと云ふ 事 は余 り深 くないの で ご ざい ます。 此度は海 運政 策と云 ふ 題に 就きまし て講 演することになりました が、 私 は 之を 五 つ の 章 に 別 け ま し て 、第 一 に 序 論 、第 二 に 日 本 の 海 運 政 策 、 是は過去及現在 の 政 策 、そ れから第 三には 欧米の海運政策 、 第 四には戦 時に 於ける内外国の海 運政策、 第五は 結 論 で ござ いますが 、結論に於 て、 日 本 の 将 来 執 る べ き海 運政 策 は ど う か と 云 ふ やう な こ と に 就 き ま し て少 し 触 れ て 見 た い と 思 ふ の で ご ざ い ま す 。 そ れ で今 日 は 第 一 章の 序 論 詰り一 般 論を試みたいと思 ふ の でござい まする が 、先 づ第 一 に 海運の機 能、職 分 と云 ふやう な こと、 詰り 「フア ンクシ ヨ ン」 は何処 に あ る と云 ふやうな こと を述べ て見た いと思 ふの で ございま す。 言ふ までも な く此 船 舶 は鉄道と 等しく一 つ の運 送 機関で ご ざ い まする の で 、 一地点 から他 の 地点 へ 荷 物なり客なりを 運 搬致 しまし て それ に依 つて 得る運 送 賃を 以て 第 一 の 収 入と致 し まして 、 それから 之 に 要す る 種々 の経 費を差引き利 益が あれば之を 株 主に 分配す る と 云 ふ 一つ の 営 利 的の事業で あ るのでありま す。併な がら此海 運はです、 単 に 営 利的 の事 業で ある のみなら ず、他 の事 業 に比 較して も 特殊 の 公 共 的 性質を 帯 び て 居る。 運輸機 関 とし て 通 信機関と して… … 、其 他 軍 事上の関係 又 は政治 上の関係に於て 著 し く 此「 パブリツク 」 の「ネー チウ ア」を 帯 びて 居 る。さ う して国民経 済 の上 に於 て又国民 生活の 上 に於 て……、 偖て、政 治的、 軍 事的 種 々 の 重 要な る任務 を 帯 び て居り ま する の で ご ざ い ま すか らして、 詰り国家が海 運と 云 ふ ものに対 してです、今 日他の 事 業 よ りも 飛放 マ マ れて 手厚 い所の 補 助を やると 云 ふ 、 詰り 補助政策を各 国が執つて居 ると云 ふ こと が即ち茲に基 をするの でご ざいます 。 そ こ で海 運の 「フア ン クシ ヨン」 即 ち職 分 と 云 ふ もの は、委 し く 言 ひ ますれば際限ござい ま せぬけれど も 、大 体に於 て 私は之を七つに別ける こ と が至当だ と思ふので ご ざいま す 。第一は此内外の貿易を扶助する詰 り助け て やる と同 時 に 、又 貿易を 誘 導 す る、 貿 易 の「 ヴアイ オ ニヤ ー」 とな つ て さう し て 貿 易 の 発 展 を 促 進 せ し むると 云 ふこ と で あ ります 。第 二には 郵 便 行 送の機 関とな る。第 三 には 移民、 殖 民の 媒介 を する。 第四 には海 員 練習の機関と なる。第 五 に は海 運 は 一 種 独立の産業 として国の 富に 寄与する、而して国 際 金融を円滑にすると云ふこと で ご ざ いまし て 、 此 第 五の職分と云 ふものは海 運 に取りまし て 、又 日本の 将 来に 取り ま し て 余 程 注 意 に 値す る 所 の 職 分で あら う と 思ふ ので あり ます 。 そ れ か ら第六 に は船舶は国 を 代表 して 国 威 、国 光 を 海 外 に宣揚する、是は まあ 能 く 判つて 居る。第七には所謂 海 陸軍 の後 方部隊として 国 防 を 補ふ 、同 時に日 本 のやうな島国にあ つては 戦時中 に食料 品 、原 料品等 の 日用 品を 輸送し て 国民 生活 を維持す ると云 ふ 此 軍 事上の 関 係と同 時 に、国民 生活 に直 接の関 係 ある 輸送任 務 と 此 二種 の 職 分を 持つて 居 る と 云 ふ こ と で あ ります 。就き ましては此七 つの職 分 に就 きまし て 簡単 に実 際の上 か らし て説明を試み て 見 たい と思 ひ ま す。 第 一 に此貿易 を扶助する、 助長する と云 ふことですね 。 是はもう判り切 つ た こ と で ご ざ い まして 、 段々 航路 の発達 に 依り まして 貿 易が 増進す る と 云ふことは、 是はもう内外 の実例に依 つ て明 か な こ と であ り ま す が 、何が 故にです ね、何が 故に 自分の 国 の船で な け れ ば貿易の発 展 と云ふもの は 完 全に 望 む こと が 出 来ない か 。 世 の中には随分船さへあ れば何も 国 籍 を 問 は ない、 外 国 船 で あ らうが内 国船であ らう が 船 の便利さへあれば宜い ぢ や な いか 、多 分の保 護 をや つて 自 分 の国の「ボト ム」で 以 て 品 物を 運ばな く ち や な らぬと云 ふ 必要は何処 に 在る かと云 ふ や う なことは能 く 人の 称へ る 所
でござ い ま し て又 確 に一 面 の真理 はあ る の で す け れ ど も、私 共 が段 々仕 事 をして居り ま する上 に 於 て 、実 際の場 合 に立入 つ て見 まする と 云 ふ と 、 ど うしても 矢張り 自 分の国の「ボトム」 と 云ふ ものを持つて 居 ら ぬと云ふ こ とは、 完 全 に 自分の 国 の 貿 易の発 達 と 云 ふもの を 望 む ことが出来 な いと 云 ふこと が 益 々 判つ て来る の で あ り ま す 。 要する に 海 運 業は国 際 的 の 商売で あります るから し て始 終競争が 絶え ない、さう し て何処の国 で も船主 は 主 なる荷主と特約運 送 と 言 ひ ますか特 別の 約束を絶えず結んで居りま す 。 詰 り一定 の 華 客 と云 ふ も の を 有つ て居る 。 さう し て 其 華 客の 為 めに は 割引と か 何 とか 云つて 随 分特 別の便 利 を 与 へ て 居 る ので あります 。さ う云 ふ 慣 例 になつ て 居 り まする か ら、 若し 自分の国 は此総 て の 関 係が 円滑に参り ま す る 所 の船腹が 無か つた ならば ど うしても 圧 迫を 受 ける。 昨 今 のやうな 荷 物 の 少 ない不況の 場 合に 於て は 、 それ は 内 外 船 共国 籍を問 は ず そ れこ そ 競 つ て成 る べ く 運 賃 を 廉 く し て 荷物 を 吸収 す る と 云 ふ や う な こと も ご ざ います るけれ共、 是 は何時 ま でもさう云 ふ もの ではあ り ま せ ぬの で、少 し 荷 物 で も 動 き 出 しまし て 船腹 の需要 が 起こ ります と 云 ふ と 、船 主 の 方 は 大変 に 心 強くな り 気 強 くなり ま し て 、中 々便利 を 与へ て呉れ な い 。 船 腹 を 請 求して も 或 は断 はる。 或 は自 分の国 の 「マ ーチヤ ン ト 」 と外国 の 荷 主 との間 に 於 て 運 賃率 の差別 等を設 けると 云ふや うな こ と は、 実際に 起 つて 居るこ と で あります。又 客 の 方 か ら見ましても 、 言 語 、 習慣の違つて 居る 所の外 国 船 に乗 る よ り も 、 矢 張自分 の 国旗の 下 に 保 護され て 乗 つ た方 が安全 で も あ り 又愉快 を 感ずると云 ふ ことは是は皆さんの御経験に依つて 明 か な こ と で あ ります 。 さ う 云 ふ 実 際 の点 から 見 ま し て も矢張自分 の 国の「 ボ トム 」と 云 ふもの を 持 つ て居 ら ぬ と 云 ふ こと は甚 だ 心 弱い 。結 局 海 運の 商 売 を 盛 にし て大 い に 貿 易 に 依 つ て 沢 山 利 益 を 得 る と 云 ふ や う な 、 国 民 の 企 業 心 と云 ふ も の が矢張阻隔されると云 ふ 虞 れ が あ る ので す。 それから 此海運と云ふ も のは貿 易 の先 駆とな つ て、 詰り「パイ オ ニヤー」とな つて荷物を誘導す る と云 ふ こ と は 是亦大 い に 考 へなく つ ちやな ら ぬ こ と で ござい ま し て 、詰 り 貿易 あつての海運 とも 言へると 同時 に、海運 あつて貿易 と 云 ふ もの が 新 ら しく 開 け て 行 く と云 ふこ と は国 と し て 考 へな け れ ば な りませ ぬ 。 是 も 実 際 に就て例を挙げますと、郵 船会社は先年「カルカツ タ 」航路を 開き まし た 。 「カ ルカ ツタ 」航路を 開 き まし た時 分 に は彼 処から 出 る 所 の特 別 の 荷 物とし て は 五六種位 の物 を主なる物と 計算してやつた の で あ りま す。 所が 段 々 始 めて見 ますと、殆 ど 予 期 しなかつた「ピツグアイヨン」と云 ふ 物 が 印度から 出る。「ピ ツク ア イヨン 」 と云 ふ 物 は中々 沢 山に ありまし て 、 「カ ルカ ツタ」航路を 経て日本に入る 所 の数 量も 亦中 々 多 いので あ りま す。是 は 其 開 航の当 時 殆 ど 予想しな か つ た荷物 で あ つ て 、 新 し い 荷 物が 船 の参 る為 めに出て 来たと云 ふ こ との例になつて居ります 。 又 戦 時中に 於 て 開始した「パ ナ マ 」 を 経 過 して 紐育に 行 く航路、此航 路の開航以 来 は 、 一 つの船 腹 で亜 米利加 の 東 岸 からし て 日 本 なり支 那 な り に輸入 す る こ とが 出 来まするの で 、「レール」 とか機 械 類 と 云 ふ やうな大 嵩物は、従前の 如 く 鉄 道 に依 つて 桑 港 なり 「シヤ ト ル 」 なりで 積 換へて 来 る と 云ふ 面 倒 が ご ざ いませぬから、大変輸入高 が 殖 えたと云 ふ 事 実 が あ る ので ござ い ま す し 、 又是も同じ戦時 中でご ざいます るが 、地中 海 の危険の 為 め に「ナワ」 経 由 の航 路 を 開 い て「 ナワ」 を 経由し て 南 米 に行く な り欧 羅巴に 行 く と 云ふ 航 路が 出 来 た と 云ふことか ら 、日本 で 段 々 需要の 増 加 し て 来 ま し た所 の 「 ウ ー ル 」羊 毛で ご ざ いま すが 、 是 は御 承知の 通 り是 迄満洲か ら 殆 んど入 つ て 来 た の で ありますが 、 「ナワ 」 の羊毛と云ふ ものが相応 に 供給が あ る の で す。そ れ が日 本に段 々 入 つ て来る と云 ふ やうに 荷 物 が 新しく 亦 出 て 来 た と 云ふ 事 実 も あ る の で す 。 そ れから 満 洲 方 面 か ら 出 まする例の 「 ビ ー ン 」 ( 大 豆)「ビーンオイル 」 ( 大豆油 )、斯 う云ふ 物 が 沢 山 欧 羅 巴 方面 に行 くや う に な り まし たが 、 是 等の も の も 矢 張り あの方面 に船が参るこ とに なつた の が 一つの原因 で あるの で す。其他 日本から出まする材木 とか或は豌豆 と か 、 或は鮭 の 鑵 詰 と云 ふやう な 物、是 が 段 々 欧羅巴 の 方 に 戦争前 か ら 参 つて 居 り ま すが 、是等も 欧羅 巴航路 が あれ ばこ そ 其 便利 に促 さ れ て 新 らし く 輸 出 も 試み、又其高も増して来たと云 ふ ことになつ て 居るので あ り ま す 。 殊 に 此の戦時中の 例ではござい まする が 、北 海道から出ま する澱粉 です ね、 あ ゝ 云 ふ 物は戦 時 中に食料品 の 一部として 沢 山出ましたが 、是 などは 段 々 運 賃 が騰りま して 戦時中は一噸に就きま して 一 千 志、 詰り五百円と云ふ や う な 途方もない運 賃 を 課しましても 尚続 々 出 たと 云 ふ や う な例も あ る の で す。でさう云 ふ や うに 外国に船が参ります 航路が 開けまして新しく 荷 物 が 出る。其土地 との貿 易が発展すると云 ふ こ と も是は大いに考へなけれ ば な ら ぬ の で ございまして 、其 極 く 適例 として 申 しますると 、 日本の北米 航 路 の 終 点、亜米利加 の「 シヤト ル 」などと云ふ 所は 、郵船 会 社が 二十九 年 に 初めて彼処 の 航路を開き ま した時などは 人口も少な し、貿易 も 少 な い洵に
微々 たる 所の村で あつ た。所が 今日に於 て は あの通り人口 も殖え 、 総 て の 設備も整 ひ ま して 殆ど 桑港 をも 凌ぐやうな立派な「 コ ンマーシヤル・ ポ ー ト 」 になつたと云ふこ とは、内地 に 於 て は相当の鉄道 も あ りますが、兎 に 角 海 上の 聯絡 、 郵 船会 社の船 に 依つて 日本 及 東洋 方面と の 接続関係が 密 接 にな りました結 果 、あ の通りになつたの です。 それから次に郵便の事 でございます が 、 是は諄 々 し く 申上げる程の 事も ご ざ いま せぬが 、 要す るに今 日 に於ては主も なる 国の体面 とし まして 、 自 分の国 に 出 入 する郵 便 は 主 として自分 の 国の「 フ ラツ グ」 に 依 つ て 運ぶ と 云ふ ことが認め ら れて 居る所 の 原則となつて 居り ます。 其 結果 何処の 国 で も 、 主なる海国に 於 て は所謂「メール・ コ ン トラ ール」――郵便運送 契 約 と云 ふもの を 自分の 国 の 船 主と結 び ま し て 、 さ う し て 相当の 補 助 金 を そ れ に与へ て 郵便は無賃 で 運送させると云 ふ ことになつ て 居るの で す。 それから第三 に移民、 殖民の媒 介を する と云 ふ事 で あ りますが是も 能く 判る。先程 客 商売の 事に 就 て 申 上 げ ま し た通り に 、 海 外に移民 を す る 、 若 くは 殖民をする 其 船便と云 ふ こ とは 矢張り 外 国船では十 分 で な い。自 分 の 国の「 ボ トム 」 で 自 分 の国 の船長の下に於て往来が出 来るやうにな り ま す と 云ふ と 海外に 出 稼す る者 で も 安心 して行 け るし 、又親 族 、友達を 段々 呼 寄せま して益 々 其 処 に 移民 が 殖 えると云 ふや うなことになりまする し 、 又 移民の 結 果 母 国 と 其 移 民 地 との貿 易 が段 々殖 え て 来 る と云 ふ事 も、 是も 明 か な ことでございま し て、 是はまあ英 吉 利の殖 民 政 策 が 大 成功をした と 云 ふこと の 歴 史 を見ま する と 能く其 辺 が 判 るの であ り ま す。で今日 此 客商売 で最 も 盛 な 所 と 言 へ ば 言 ふ 迄 もな く 北 大 西 洋 航 路 であ り ま す が 、 是 は戦争 前で すが 年々 あ の 間を 往 復 す る 一二 等客始 め 移 民 を 合 せて 見ま すと二 百 万 人内外あ つた 。 ( 尤も 時の景気 に 依 りまして 増 減 はご ざいます けれども )昨 今は 亜米利加で 段 々移 民政策に 制限を置いた為め に百万を 下つて居り ま す が 、 兎に角此北大西洋を往復し ます る所の立派な客船と云ふも の、五 万 噸 内 外 の船から 三 四 万噸 の速力 の 速い 所謂一 流 の船 と云 ふ も のが 、あの 間 を 往来し て 居 り ますが、 斯 う 云 ふ 船 が 出 来 たの も其因 を 言 ふ と 今 の 客 商売 、 殊に三等客所 謂 移民の往復 が 大いに与つ て 力あ るもの と思 ふ の で あ りま す。 之 に 引換へて 太 平 洋航 路と云 ふ ものは 、 例の米国の移 民政策の 為 め で す。年 々 此間 を往復 す る所 の客の 数と 云 ふもの は 拾 万 人そ こ ら し か な い 。 此 点 か ら 見 ま すると云 ふと太平洋の客船 商売と云 ふものは甚 だ 今日 恐 慌 を 来して将来憂 ふ べ き で あ り ますが、兎に角此 日本の や うな人 口 問題と 云 ふ も の を相当に解 決 し て 行かなければな ら ぬ国に於ては、移 殖 民 の 媒 介 機 関 たる 海 運 と云 ふ 事 に就きま して 大いに又 考 慮 を廻らさなければな ら ぬ と 云 ふことは明かで あ る。 それから海員 練習の機 関となる。是 は諸 君 が 既に 御承 知の こと でご ざ いまし て 諄々し く 申 述 べませぬが、詰り商船に於きまして も立派 な 海員 とな る には矢 張海上 の 実 習 と云 ふ事に重 き を置い て居 るの で、今日 日本 で は此の高級海員を養成する機関としては例の東京の 商船学校、神 戸の 商船学校、是はま あ高等商船学 校 と 言つ て 居 りますが、其他地方に所謂 甲種実 業 学校 程度の 商 船学校 が 拾校許りあるの で す。是等の 機 関に依つ て 日 本の高級海員と云ふ も のは養成され て 居 る。 それ から下級海員 養成 の仕 方 は 、御承知の通り 海 員掖済会が 主 として之に当つて 居るのでござ いまし て 、国後丸とか豊橋丸とか云ふ やうな政府から頂戴した船で養成 して 居る。昨今は経費の都合上豊橋 丸の方は売却し た と云ふこ とでござ いますから 国 後丸一艘で 養 成をし て 居るので あ り ます。 海 員掖済会の養 成の仕方は委 託養成 と 云ふのが あ り まし て 、 船会社の船に 委 託 をしまし て 普 通海員を養 成 して 居る。初めは 見習として 、 段々進 ん で二 等水夫と なり 或は 一 等 水夫となる と 云ふ 工合に 段 々 実 習し つ ゝ 、練習を 経て昇 級 さ せ ると 云ふや う な方 針を 執つて居 り ま す る 。斯 う 云 ふ 風 にど うして も 其間に於て は 船に 乗つて 実 習を する 、座 学 の 外に 実習を す ると 云ふ 所に 重きを置 い て居りま す るか らして、船其 のもの と 云 ふ ものが海員を養成 する機 関 と云 ふことになる 。 第五の国 を富 ま し て国 際金 融 を 円滑 に す ると云 ふ事は 、 是 は日 本の や うな島国に於 ては余 程 考へ なけれ ば な ら ぬ。歴 史 を見 ましても従前 は海 運 と 云 ふ も の は 貿 易の ほ ん の媒 介機関 と云ふ 位に極 く 軽 く 見 て 居 た も の です。 所 が近 世にな り まし て英吉 利の活 躍 と言 ひ 諾威 あたり の 「 ス カン ヂナ ヴイヤ 」 国民の段々 に 雄 飛 する 所に依りまして 、 「 シ ツ ピ ン グ」と 云ふ もの は 、 一つ の「 プロダ ク テイ ー ヴ イン ダス ト リー 」 で 、 船が動 い て多分 の 運賃 を外国 か ら持 つ て 来 て 、さ う し て自分の 国 を富 ませる 一 つ の生 産機関 た る 働 きを す る のだと云ふ や う な ことに 段 々 認 めら れて来 た ので あ り ます。御承 知 の通 り英吉利は輸入超過国 でございま し て 、 毎年 貿易 高の差引は 所 謂輸入超 過と云ふこ と になつて 居るので ありまする
が、 そ れ に も 拘 ら ず 英 吉利 の 富 と 云 ふも の は 年 々 殖 え て行く 。 而 し て殖 民地始 め 海外 に投資 を する と云 ふことになつて居りま するが、それ はど う云 ふ事かと言 ひ ま す ると、英吉利は自 分の国 と 外国 との貿 易 の取引に 於て は差引 「 デ ツト 」に な つて 居り まする け れども 、 兎 に 角世 界の貿易 の約 半分を 運 送す ると 云ふ 大 な る働きをや つて居 り ま して 、それから 徴 しました所の 運賃と 云 ふものは中 々 少な からぬ も の で 、 戦 前 に 於 て は壱 億「パ ウ ンド」拾億 円と斯う申し て 居り ますが、さう 云 ふ 風 に 莫大 なる 運賃、 そ れ に 引続 き ま し て 保険 料 と云 ふ やうな も の も 段 々 手 に入 り ま す るからして 、 此の統 計 に載 つて 居 ら ない 所の一 つ の収 入が あ る のです。 それを称して「インヴイズイブル・エキス ポ ー ト 」無形の輸出と言 ふて 居る。其輸出 と輸入 とを相 殺 しま して輸出の方 が 尚 ほ余りあ る。 そ れ が 即 ち 正 味 の収 益 とな り ま し て英 吉 利の国 の 富 と 云 ふも の が 段 々 殖 え て来 ると云 ふ こと になつ て 居るの で あ ります。其方 針 は島国 で 、 領 土 が 狭く て、 人 口 が 多 く て 、 さ う し て物 資 が貧 弱 だ と 云 ふ やう な 此 日本 に 於 て は、大い に学ばなく て はな らぬ所の方針 で あ らう と思 ひ ま す。 第六 には 国 を 代表 し て 国 威 を海外 に 宣揚 する 。是 は「 ハ イ ・シ ー」 公 海に 於 て は 船 は 国 土の延 長 で あ ると 云ふこ と は国際 法 の 上 に於て 認 め ら れて 居る 所で あり ます 。 又 外国の領 海 内 に 入 りましては 其 国の 「ローカ ル・リ ギ ユレーシヨ ン 」 即 ち 地 方 の 規則 に遵はなけれ ばなり ま せぬ けれ ども、 其 間に 於 て 自 分 の国 の商船 旗 と云 ふもの が 能く 自分の 国 の国 威を 代表し て 、其 土地に 居 る自 国人を し て 大 変肩身 を 広か らしめ る と云 ふや うな事 は 、是 はもう 一 度外 国に足 を 踏入 れた方 は 能く 判る事 で ございま して 、 日本の 商船も 戦 時中 には各方 面に活躍し ま して大分日 本 及日 本国 民と云ふもの を能 く紹介したと云ふこ と になつて居るので あります。 第 七 は 海 陸軍の後援として国防を 補 足する。是は も う 日本の是迄の三 大戦役の 結果に 依 つ て 能 く 判 る 事 で ご ざいますから し て 別 に説明は加 へ ま せ ぬ。 唯 此戦 争 中に軍 事 機関 として 働 くと 同時 に 、 国 民 の生 活 、 詰 り 日 用 品 の 輸送 と云 ふものは一日と し ても止める こ とは 出来ぬ の でご ざい まする からし て 、 軍事の為めに商船が 全 力を尽くして働くと同時に、一 方に於 て 国民 生活の 為めに日 用 品 の 輸送 と云 ふ事に大 いに力 を尽く さな けれ ばな らぬと 云 ふ二種の 職分 が あ る と 云 ふ 事は 、今回の戦 争 に於 て 益々 証明 さ れた の で あ り ま す 。 それで 今 回の戦争 に 於 て 、時局が 進 み ま して 船腹 の需要が 益 々 多 く なつた 時 に於 て 、 英吉利の首相「 ロ イドジヤ ウ ヂ 」氏 は議 会 に 於て 船腹 の 必 要 な る 事を 言 ひ ま して 『 一 も 船 、二 も 船、三 も 船』 と云 ふやうな 意味を以 て 大 いに国 民 に愬へたと 云 ふことも ありますし 、 又例 の貴 方方の能 く御承知に な つ て 居る英吉 利の「グ ラ ン ド フ リート 」 の 司 令長 官「ジユリ コ 」提 督 等 も若し 商 船の活躍と云 ふ も のが 無か つ た なら ば英吉 利 の 海 軍は 固より 、 英吉 利 の 国も 無い、存 在す る事が出来な かつた と 云 ふ ことを言はれ て 大 い に 戦時中に於 け る海 運の 働きを褒められたと云ふことが ござ いま すが 、 是 等の名士の言葉を以て 如何に戦時中に於ける 海運と云ふも のが偉大な る 働き を為したかと云ふ こと が能 く 判 るの であ りま す。 そう云 ふ工合 に兎に角海運の職分と云 ふ ものは多方面に亙りま して公 共的の性 質を帯びて居る と 云ふ の で ご ざいますが 、更に 進 みまして 海運 を補 助 す る必 要は 何 処 にあ る か 、 又 海 運 を補 助 す る主 義、 方 法 は ど ん な もの か、 この 二点 に 就 きま して述 べ て お きたい と 思 ひ ますが、 是は 観察 の 仕 方を 前 と 少 し 方面 を 違 へ ま す る が 、 詰 り 海運 と 云 ふ も のは 要 す る に 先刻も申上げた通りに営利的事業 で ありまして 一 つ の 「エン タ ー プ ラ イ ズ」 即 ち企業 であ り ま す。 所 が 海 運 に 限 り ま し て 投資 資 本 が 莫 大 な る 金 額に達するの で す 。御承知の通り一艘と雖も何拾万円何 百 万円 、速力の 速 い船に なると何千万円と云ふ 投資を要するからして、一つの企 業 とし て中 々容易な らぬ性 質 を帯 びて居 る と云 ふこと が あ る 。第二は海 運 の性 質と致しまし て 所 謂外国同業者の競 争と云 ふ ものが始終絶 へ な い。そ こ で損 を す る か ら直ぐ 止 さ う と云 ふ 訳 に 参 りませ ぬ の で あ り ま す か ら 、 不 景気の 時には莫大な る損失 が あ つ て も之 を能く 忍 ん で 、 景気の回復 を待 つて 之 を 償ふと 云 ふ 所 の忍耐を 要す ると云ふ ことに な る。 それから第 三 には本 当に一 国の海 運 と云 ふもの を 現実 に発達させる には矢 張 定期 の航 路 、 定ま つ た航路 と云ふ も のを 持つて 居 なけ れば ならぬ。 定ま つ た航路 は所謂公海に於ける私道であつて、之を持つて居ら ぬ と矢張堅固な る基 礎 を築く こと が 出 来 ませぬ 。而し て 此定 期航路は御承 知の通 り 定期 発着 を 励 行す る と 云ふ 必要 か ら して 、 荷 物が あら うが 無から う が 、 又客が 少 なからうが 、 期日 を定めて其期日 に は船 と云 ふものは出さな け ればなら ぬと云 ふ こと が あ り ま する から、 詰 り其 際には 損 害 を 算盤外 に 置い ても 定期通りに船と云ふも のは動か さなければならぬと云 ふ 所の一つの義務
が あるので あ り ま す。 それから 亜米利加に 於 て此 海運の 補助のこ と に就 き ま し て 大 変 能く 取 調 べ て 商 務 省 に 報告 を し た 「 ゴ ロ ヴ ヰ ナ・ ジ ヨ ン ス」 と云 ふ 人 がござい ま す が 、 ( 是は亜 米利加の其 当 時 は所謂商務官とも 言ふ や う な役目を や つ た人で あ り ま すが ) 、 其人が 定 期航路を 補 助 す る 所 の理由として三点 を挙 げ て居りま す 。是 も甚だ 理 屈のある説のやう に思 は れ ます ので 序 な がら 紹 介 致 し ます が 、 是 は です 、 定 期 航 路と 云ふ も の は所謂 高 速力 「ハイ ス ピー ト」 を 要 する、 此 「 ハ イ・ スピー ト 」 と 云 ふ ものは、 言 ふ 迄もなく 船とし て は非常な 不経 済なもの であ ると云 ふ 事 と、 第 二 には 、先程 申 上 げ た事 と 重 複致 しま す が 、 詰 り定期 励 行の 為め には荷物の多寡に応 じ て 臨 時変更 す ることを許さない と云 ふ一つの 不便 があ る こ と、 そ れ か ら 第三 に は 、 軍 事 条 件 を 満 た す 為 め に は 速 力な り、 船の 構造なり、設備なりと 云 ふ ものに 就 て 大 変多 くの費用を 要 するこ と、 斯う云 ふ 事を言 つ て居 りまするが 、 詰り此三点、 前に申 し ました所 の三つの理由、是が海運 と云ふ ものを 国家が 特別に保護して行か なくて は一 つ の 「イ ン タ ー プ ライ ズ」 と し て成 立つ こ と が出 来ない と 云 ふ 所の 理由にな つて居るのであります。 然ら ば 海 運をど う 云ふ 主義に 依 つて 又どう云ふ 方法に依つて 保護する もの であ るか と云 ふ こ とを見ます る と云 ふと、 海 運を 保護す る 主義 とし ては、 私 の 考 では大 体 に於 て三 つ に分 れ て居 る や う に 思 ふ の で す。 国 の 海運が極く幼 稚な時分に於 きまし て は政 府 が 海 運 業者 を保護 す るに 利益 配当を保障 マ マ する。詰り八朱な ら八朱、一割 なら 一 割 と云 ふもの は 、そ れ だけの 利 益と云 ふ ものを保障 マ マ してやる。詰り今年度に於 て 収 支 計 算が一 割に 満たない、或は八朱に満たな け れば、其の満つるだけの程度迄は補 助 す ると 云ふや り 方 で ある。 例 へば 郵船会 社 が成 立 の 際 、 明治十 八 年で ござい ま すが、 時 の 政府は其の資 本 金の 壱千百 万 円に 対し八朱の保 障 マ マ を すると 云 ふことが あ つ たの です。さう云 ふやう な 工合 に、 詰 り 一定 の資 本に対 す る利益と云 ふ も の を 政 府 が 保障 マ マ してやると云ふやり 方 、それ か ら 段々 進 んで 参 り ます と 云 ふ と 、営 業 上 の 損 失を 償ふ為 め に政 府 は 年 々 定額の補助金 を 支 給 す る、 是は五 年 なら五年 、 十年な ら十年、 年々是だ けや ると 云ふこ と になり ま して 、さ うして 其 当業 者 の 尽 力 次第 に 依 り ま し て 、或 は 一 割 の 配当 が 出 来 る こ と も あ れ ば 、或 は 一 割 五 分も 出 来 る こ とも ある。 其 経営 が当を 得 ざる為め に 損 を す るこ とが あつて 配当 の 出来 ぬこ とも ある。 そ れは 政 府 は 敢 て問 は ぬ 、兎 に角 収 支 計 算 に於て 此 航路 を 経 営すれば 是だけの損失 が あ る からし て お 前 に は年 々 是 だ け 補助 して やると 云 ふやうな や り 方 で あ る 。 第 三に は実 際 労 務の 報償、 詰り「 ア ク チユア ル ・サ ー ビ ス」 船主 が実 際 やりま した所 の 労務 に対 す る「 レ バ ー ト 」 です。報償とし て ほん の名の み の補 助金をやると云 ふ やり方 で あり ます。是は段 々 進 歩 の順序 から 言 ひ ますと最も理想的 のやり方 で ご ざい まして、此主 義は英 吉 利に於て 執 つ て 居 るのでありま す。御承知の 通り 英吉利 の 今日 の主な る 航 路 と云 ふものは、皆此「アク チユア ル・サ ービ ス 」 に対する「レ バ ー ト 」 と云ふや うな 考で 以 て 政府 は総て補助金をや つて 居りますこ と に な つて居ります。 それから更に補助 の 方 法はどうかと 斯 う 言 ひ ますと 、 是は国に依つ て 又 時 代 に 依つ て 色 々違 ひ ま するけ れ ども、一般 の やり方 を 見 ま する と云 ふ と 、自ら 是 は直 接の 補助法と 間接の 補 助 法 がある の で す 。直 接の補助 法とし て 挙 ぐ べきものは 先 づ此奨励 法、 英語で言 ひ ま すると「 バウン テ イー・シス テ ム」一 般 的に奨励する方法 で あ ります。それには斯う 云 ふ 種類 があ る。 造船奨 励 金「 コン ス ト ラク シ ヨ ン ・ バ ウ ンテイ ー 」、 そ れ から矢 張 りそ れと同 じ 系統 に属する修繕補助金「レ ペ ーア・バウンテイ ー」、 是 は伊 太 利 等 でやつ て居る やり方 であ る 。 そ れ から第 二には 航海 奨励金「 ナヴ イゲー シ ヨン ・バ ウ ン テイ ー」、 矢 張是 と同 じ 種 類に 属し て 居 ります 艤 装 補助金 「 イ ク ウ イツ プメント ・バウ ンテ イ ー」 、 そ れか ら第三 に は速力奨励 金 「スピート・バウンテイ ー 」、 奨励 法 に 於ては此 位で ある。 それ か ら 此 奨励 法に対す る 今度 は 補助 金 ― ― 補 助 法 、詰 り 「サーブス イ デイ・シス テ ム」、是は種類を 別けますると 矢張 三つあり ますが、此 一 つは行送補助金 、 行送補助金と云 ふ のは郵便補 助 金 の こ と であ り ま し て 、 英 語 で「 ポ ス タ ル ・ サ ブ スイ デ イ 」 斯 う 言 ふ て 居 る 。そ れから次には海 軍 補給金 、 是は「 ナ ヴア ル・サブゼーシヨン」或は「ア ドミ ラル・サ ブゼーシヨン」 と言 ふて居 る。第三には 郵 便行送料、 是は 船に郵 便物を積みま す る時分に或は目 方 に依つ て 行送 料を払 ふ 、或は一 定の容 積 を用 意させ て 、其 容積に 対 して一 立 尺 幾 らと 云 ふ やうな工 合に 行 送 料を 払 ふ や り 方と 二 方 法が ある 。 直 接 の 補助 法 と 云ふ も の は 「 バ ウ ンテイ ー ・シ ステム 」 「サ ブ ス イ デ イ・ シ ス テ ム 」 で あ り ま し て 、 此位 で あ りますが、更に間接の補助 法 と 云ふものは私の見 る所では大抵拾色
許りあ る 。そ れを挙げます と云 ふと一は 外国船 に 対し て沿岸 貿 易を 禁止 する、 所 謂「 コース ト イン グ・ ト レ ード」 を 「 レ ザー ブ」 す る 。そ れか ら第二には自 分の国 の船に対して噸税と か 或は港税と云 ふものを免 除 す る。そ れ から 第三は 自 国船 の支 払 つ た 運 河通 過 料と云 ふもの を 払戻 す。 「 ス エ ズ 」 運 河な ら 「 スエ ズ」 運 河 を通 過 し て規 定 の 「 トー ル ス」 を払 ふ 、 それが 航海を 経た後に 政府 が払戻してやると 云 ふ やり方で ありま す。そ れ から 第四 番 目には自国船 の積 荷 に鉄道 運 賃の 特恵率 を 課す る、 自分の国の船 に積込 む 所の 荷物に は 、内 地 を 通 過する 時詰り 鉄 道の 運賃 に対す る 特恵 率、割 引 の率 を課し て やる と云 ふ こ とになる。 第 五に は船 舶 若 くは 造 船 用 材 料 の 輸 入 税 を 免除 す る 、 船 其物 若 くは 船 を 建 造 す る に 使 ひ ま す る所の材料に対し て関税 を 免除してやると云 ふ や り方。 そ れか ら 六 番目には自国船主に造船 資 金を 低利若 く は無利息にて 貸附 ける、詰 り自分 の 国の 船主が船を造る時分 に 之に 要する 造 船資 金と云 ふ もの を極 く低利若くは無利息 で 貸附けてやると云 ふやり方。第七には外国製 造船 の輸 入登 録を許 可 する。 之 は 御 承 知 の通り従 来は保 護 の為 めに 外国 で 造 つた船 を 自分 の国に 入 れぬ やうに し た も の で あ ります 。亜米 利 加等 は長 い間之 を やつ て 居りました が 、 外 国 で造 ら う がどうし やうが兎に角自分 の国の 資 本家 が之 を手 に入 れ ゝ ば 、 勝手 に輸入 し 勝手 に「 レ ヂ スター」 する ことを許 す。そ れ から八番目 には自 国船主 に 官 有 品又は 軍 隊、 又は 移民等 の 一手 輸送 を 為 さ し むる。之 は政 府の 品 物 とか、一 時 に 多数 を輸 送 する 軍 隊、 移民と 云 ふやうな も の を自 国の船 主 に一 手 に 輸 送 させ ると 云ふ ので 、独逸 な ど は 亜 弗 利 加 方面 に 軍 隊を 送り 品 物を 送 る 際 にや つ た。 そ れから船舶抵当銀行を 設 立して 海 事金融の便を計らしむる 、 特に 此「シ ツ ピング・バ ン ク 」 で 船 舶 を 抵当にして金を 借 入れる、さう して 金融の 便 にすると云 ふ やうな こ とは是は もう英 吉 利等 にも盛 に 行は れて 居る方 法 で あ りまし て 、 特 に船舶 銀 行と 云 ふ 銀 行 を設 け て やると云 ふこ とは和 蘭始め他の国 でもやつ て居 る。日 本など は御承 知 の通 り戦後 日 本 興 業 銀行で 以 て 金 を融 通して や ると 云ふこ と になつて居 り ます 。 そ れか ら拾番 目 は海 上 保 険 で す。 強制的 に 保険 料率 を調節 す る「プ レ ミヤム」 を 調 節 す る。是は実 際 まだ やつて居りませぬけれども、最近 諾 威で問題 になつ て 居りまして、此案 が議会 に 出 て 居るの で す。是は大 分 反対 論も あります るから果して 通過す る かど うかは知 れませぬけれども 、兎に角 一つの間接補 助 法 になつて居る。 保険料 も 船主 の負担としては中々軽か らぬ も の であ りま す か らし て、 兎 に 角海 上 保 険 は 強制 的 に す る 。兎 に 角 附けな け れば な ら ぬ 。 而し て此率 と云 ふ もの を どの位 に定 め てやる と云 ふこと に しま して 、 成 べく 船主の 負担を軽くさ せ ると 云 ふ やり方 で す。 ま あ 直接 、間接の補 助 法として 今日実際各 国 でや つて居る 方法と云 ふ も のは此位 の範 囲を 出 で ない ので あります。 そ こで 私 は更 に第三の 項目 に進みま して、日本海 運の 発達と云 ふ こと をざつ と 御 話 したい の であ りま す る が、 此日本 の 海 運 の 発 達 も 、 是 を歴 史 的 に見ますると云 ふ と中 々 興味 も ありまする し 、実 際 日 本 は 海の国詰 り島 国で ありま す るから し て 、 中々 歴 史 の材料も 相当 ある ので ありま す。例へば古い所 で申しま すれば、足利 時代には例の天龍 寺 船とか或は 八 幡船 と か、 斯う云 ふ もの が盛に や つ て 居つた 。 そ れ から続 い て豊臣、 徳川時代に於 ては例の朱印 船「レツド・ マーク ス 」の 船が 大 分 跋扈 して やつた と 云 ふ やうな こ と、 そ れ か ら 引続 きま し て 元亀 、 天正 か ら慶 長に 懸けま し ては 例の葡萄牙と か西班 牙とかの船が大分日 本に来 て 商売 をし て行つたと云 ふ 事 がありま す。そ れ から寛永の 拾 弍年 から… … 拾五 年か ら嘉永 に 懸け ての徳 川政 府 二百 年 の 鎖 国 時代 と 云 ふも の が 過 ぎ ま し て、 まあ歴 史にあ ります 通 りに日本の 国 民は 桃源場 裡 に夢 を貪つ た と云 ふこ とにな つ て居 ります が 、そ れが二百二拾 年許り正味続 きまし て 、嘉 永六 年 に 至つて 例 の 大 型の 船を造 つ ても 差 支 な い と云ふ 所 謂 大 船許 可 令 と 云 ふもの が 出た 。斯う 云 ふこ とにな つ て居 るの で す 。そ こで此 二 百 二 拾 年 の間、 日本国 民 が 所 謂惰眠 を貪つ て 居る間の海 外 はど う で あ つ たか と云 ふ こ とを 見ると 甚 だ興味 あ るこ と で あります。其間に於て は例 の「クロ ムエ ル」の 航 海令 「 ナ ヴイゲー シヨン・ オ ー ダー 」と云ふ ものが 発 布さ れ て 居 る。さ うして段 々 外 国船を 苛 めて自国の 船 主 を補 助したと云 ふこ とは皆 様 御承 知の通 り で あ る。そ れ から「ベー リング 」海峡 も 発見 され て 段 々交通が新し い方面に開けた と 云ふこ とがある。北米合 衆 国が独立 し たと云ふことが あ る 。 そ れから例 の「 トラ フアルガー 」の 戦 争があつ た。 一 千 八 百 拾五年には汽船が 大 西 洋を横 切 つたと云 ふ 事 柄、それ から 引続き ま して独逸の 関 税同 盟が出 来 た。 千八百 四 拾年 には英 吉 利の 「 ピ アノ」 会 社、 俗に言 ふ PO会社と云ふ の が 設 立されて、是は今日に於て は東 洋方 面に 於ける 最 強大 な る 会 社 にな つ て 居 り ます 。そ れ か ら千 八百
五拾年に は 航 海令 と云ふ も のが 廃止され て 英 吉利で も 自由 主義を 執 つて 大 い に発 展したと 云 ふ こ と に な つた。 二 百何 拾年 の 間 に 斯 う云ふ 風 に 海 外に於 て は着 々 と 海 運 業が発達し て 来て居るの で あります。さうし て 千 八百五 拾 四年迄は盛 に 外国 を 排 斥 し て 自 分の国 を 保護 すると云 ふ 差 別主 義の保護法 を 執つて居つた の で あ り ます。爾来自由主 義を 執 つ て 今 日に 至る迄 英 吉利 は世界 に覇を 唱へ大 手 を振 つ て 居 り ます が、其 間 と云 ふも の は 僅 に 七 拾 年 間 しか な いので あり ま す 。 斯 う云ふ や う な 事を 段々 研 究 して 見ま すと云ふ と中 々 得 る所が あ るやうです。 そこ で ま あ古い 事 は 差 措 き ま し て 、 幕 府 の 末 か ら 明 治の初 頭 迄 の 日 本 の 海 運の有 様 はど う か と云 ふ と 、御承知の通り幕末 の海運 と 致し まして は所謂 海 防、 辺海の 防 備と 云 ふ もの を主 とした も の で あ りま し て 一 向平 和 的の 運 送と云 ふ ことに就 て は格別影響 が 無 かつた。けれど も 明治の初 年に入りまし て 国内 が 段 々安定致しましたからして 、 辺 海の防備として 出来た所の船 と云ふも のが矢張平 和 的商 売に 大いに貢 献する や うになつ たと 云 ふ 事 実 は確 にある 。 それから 台 湾 征 伐 後の 海運と 云 ふも の は 是 は 日本の近代的 の海運に芽を出した 時 で あ ります が 、皆様も御承知の 通り に、 明 治 八 年 九月 が日本の 近 代 的 海 運が 生まれ た 時 で あ る 、 と 私 は 始終 さ う 申して 居 り ま すが 、 三 菱が 日本 政 府 か ら 莫大 なる保 護 金を 得るこ と にな り ま し て段 々 海 外 にも航 路 を 張つた 。そ こ で 三菱 の発展 と 同 時 に商 売上大 分 専 横 を極め る と云 ふやう な 非難 が あ り ま して、政府 が 之 を 牽制 する為 め に共 同 運 輸 会社と 云 ふ もの を造 つた。所 で両者 が 大 変 競争 する やう に な りま し て 両 立 が出 来ない 、 其結 果合同 し て今 の日本 郵 船会 社と 云ふ ものが 出 来 た の で あります 。それから 此 三菱と 共 同運 輸と 盛 に 競 争 して 居つた際の明治拾七年頃に 、 関 西 方 面 、 瀬戸内海方面 の 小 さい 船主 が 合 同 して 大 阪商船会社と云ふ ものを造つた。それから更に明治二拾年 四月に浅野廻送部 、 詰 り 今 日の東 洋 汽船会社の基で あ りますが 、浅野廻 送部と云ふ も のが 出 来 たと云ふことが あ りますが 、此二つの事実は偶々 以て 日本 の 今 日に 於け る 三 大汽 船会 社 、 郵 船 、商 船 、 東洋 汽船 と 云 ふ 此 三 大汽船会社の丁度前 身になつて居るの で あります。それから 日 清戦役 が 起 り、戦 役 後に 大いに 発 展し たと 云ふこ と になり ま す る が 、此 日 清 戦 役が 終りまして 二 拾九年の 三月に郵船 会社が初めて 欧 羅巴航路を 開 い た。尤 も 此前 に……戦争前の二拾六年中 に孟買航路を郵船会社が 開 きま した 。 此 孟買 航 路 を開いた と云 ふの が日 本 に 於 け る遠 洋航海 の 初め であ る。で戦役 後 の 欧 羅巴航路引続い て 「シ ヤト ル」航路、濠 洲航路 、 又東 洋汽船の桑港航路も出来ま して 、 当 時に於て は是を 四 大航路と言ふて 居 つたの で あ り ます。それか ら此戦 争 の結 果馬関 条 約と 云 ふ もの が結 ばれ まして 、 之に依つて台 湾が手に入つ た。又支那の揚子江に於ける 航 海権 が 得 られた。是等の 為 めに基隆の航路或は長江航路と云ふ ものが 段 々 開 け た と 云 ふ 事実が あるので あります。 所が此 日 清戦役中 及戦役 後 からして 日露戦争前 迄 の 間 に於ける時代 は、日 本 の海 運が 近 代 的 か らして世界的 に進ん だ 時代 だと言 ふ て 宜 から うと思 ふ 。で船の大 いさも 二千噸 級 から六千噸 級に進んだ。それか ら 日 清戦役 前 には日本の 持つ て 居つた 聡 噸数 が約拾 壱万噸 のもの が 、 戦 役後 に至つ て は偉 く殖 えまして更に日 露 戦役前の三 拾 六 年 頃にな ります と六 拾六万 噸 、殆 ど六倍 に なつ たの であ りま す。そ れ から日露戦 役 中か ら戦 役後 に 懸 け て の御 話 を ちよ つと致 しま す ると云 ふ と、 御承 知 の 通り に此 戦争は日本の 運命を 賭して懸つた 大 規 模 の戦役 で あ つ て 、 商 船 が御 用船 に徴 用され た 数も 亦中々 多 い、戦争は二年 間 余 で ありますが 、 此二年 余 の間に御用船 として従事した船の 延 数が 約三百 艘 六拾 五万噸 で ございま して 、其中で 郵船 会社が 四 拾 万 噸、 大 阪 商 船 会社 は約八 万 噸と 云ふも の を 提 供 し て居 る。此 戦 役中 に運送 し た人員は百 弍 拾七 万、馬匹は拾 弍万 四千頭、それ から荷物は百 五拾四 万 噸と云 ふ ものにな つて 居 る 。 そ れか ら御承 知 の 通 りに 此 戦 役中 には日 本 の政 府 でも 民 間 の 当業者 でも大 分 船 を 外 国か ら 買 入 れ まし た 。 そ れ から 又 新 し く 造 つ た も の も あり ま す 。 又 海軍 で 捕 獲し た 船 も あ る 。 是 等 の為 め に 正 味 余程増 加 致 し まし て 、 日 露 戦前と 戦 後と 比較 し ま すと正味参 拾八万 噸増し て 居る 。さう し て 日 本の 商 船 は参 拾九年 の 末に なります と云ふ と 百万 噸 を 超 へ たと 云 ふ 事 実 が あ るの であ りま す。此日露戦 役の初 め には、先き に 日 清 戦役中 に 苦い 経験 を嘗 め た こと があ り ま すの と、そ れ から 戦後航 海 奨励 法 と か 或は 特 別航 路助成法とか云 ふ やうなものに段 々 刺戟されま し て 、 丁度六 千 噸級 の船 拾何 バ イと云 ふ も の を 日露 戦役の 初 めに於て は 持 つて居つた 。 それ で あ ります か ら此大戦に臨ん で も軍 国 の 重要な任務 を 能く 果しま し て 、 詰り 此戦争 の 勝利 に大い に 寄与 したと云 ふことにな つ て居 りまするが 、 当時 の海上 輸送司 令官の 大 久 保大佐 が 斯 う云 ふよう な 意味 を宇 品 に 於 て 演説
された こ とを私は記 憶 して居りま す 。兎 も角も六千噸 級の船 と 云 ふ もの が今 回 の 戦争 に非 常 な る手 柄 を し た の で あ る 。 そ れ は 一 時 に 沢 山 の 軍隊 を積 入 れ て、 さ う し て速力 も揃つ て 居 る し、 又 相 当の 収 容 力 も あ つ た し 相当の貢献を為し た と 云ふや う な 訳で あ りまし て 、詰り所要の軍 隊 を 所 要の時 に 所 要 の地点 に 無事 上陸さ し た。 必要の あ る 軍隊 を 必 要 の時 に必 要の地 点 に無 事上陸 させる 事を得 たのは全く此六千噸 級の船 の 力に 負ふ 所 が 多いと云 ふ意味 の 演説 をされ た と云 ふ 事 を記憶し て居り ま す。 成程 其通り で あります。又例 の 信濃丸 が 仮装巡洋艦として海運に 従 事し て 居 り ま したが 、 日本 海海戦 の 初 め に早 くも敵の艦隊 の 出 て 来 たのを 偵 察し て、 例 の 敵 艦 見 ゆ と 云 ふ「 シ グ ナ ル 」 を 発 し て 大 い に 奇 功 を 奏 した 例等 が ご ざいますが 、 是等は 今 こ そ 信濃 丸は郵船 会社で は神戸から 基 隆 の 航 路に使つて 居 りますが 、兎に角 永く歴史 を 照すべき事蹟で あ ら うと思ふ ので す。 それから 日露戦役が 大 勝利を 以 て 局を結 んだ其後には 、此国運 の発 展 と 共に日本の海外航 路と 云 ふ も の も 著 しく拡張された。 遠洋方面 で 申 します と、東洋汽船が南米西岸航路、所謂智利 、 秘 露 に至る 航 路を 開いた 。 それ から郵 船会社 の「カルカツ タ 」 航 路 を開 いた。 商 船会 社が 「タ コ マ 」航路 を 開 い た。 又孟 買航路 も 程な く開 いた事 実 が あ る の で す。そ れ から東洋方 面 では日露平 和 条約の結 果 関 東州 が 日 本 の 支配 地区 とな つ た 。又 朝 鮮 も日本の 保 護領 とな つ た 。樺太 の 南 半 分 も 亦 新 領土 と なつた と 云ふので 、 是 等の場所と内地との間に幾多の定期航 路が 開 かれ たと云 ふ 事がありま す 。次い で 朝 鮮 郵船 会社が出来た 。北日 本 汽船 会社 が出 来 た 。郵 船 会 社 は又 香 港 と 盤 谷 の間 に航 路 を 開い た 。 是 は 独 逸 の 競 争の 為 めに程 なく廃 止 しま した が … …そ れ か ら揚 子江方 面にあ つ て は日 本 の 同業 者が 合併 しまして 今 日 の日清 汽 船 会 社と 云ふも のが 出 来 た 。 更 に南洋方 面 で は大正 元 年の 拾月 に 南 洋郵 船 組 と 云 ふも の が 出 来 まし て今 日の爪哇航路 を 開 い た 。此時代には船の「サイ ズ 」も段 々 大 き くな りま して 、 六 千噸 級の ものは八 千噸級 に進み、 更に 進 ん で 一 万 噸 級 に上 つ て 来た。汽船の 総噸数 も 甚だ し く 増しまし て 、 日 露戦役後の百 万 噸か らし て 欧羅巴大戦争が 開 か れ た大正 二 マ マ 年頃には百五拾 万 噸になり 、 詰 り百 万 噸のもの が五 割増した と云 ふ 事 実 があつたの で あ りま す。 更に欧洲 大戦中の事をざつ と申上げ ますると云 ふと、 此戦役中御用船 として提供した船の 数 は、 青島役の際は 参拾弍万噸、 大正七 年 八月 以後 にな り ま し て 所謂西 比利亜 出兵 と 云 ふも の ゝ 為 め には 約拾壱 万 余噸 を提 供して居る。是は日 露戦役等と比較しま して 日 本 に取つて は活動範 囲と 云ふ ものが 狭 くも あり 規模も 小 さいので あり ます る けれども 、兎 に 角 日 本 の 艦隊 は 南 北 太 平洋 に 亙 つて 大活 動をし た ので ありま す から 、艦隊運 動に従つて 海上に於 て 石 炭及水を供給すると云 ふような新しい経験 を 日 本の商船は得 たのでありま す 。尚 ほ又此大戦の 末 期 に於て 米 国政府 の 請 求に依 つ て 、 日本 では船腹の必要 を 極 く 感じて居るに も拘らず兎に 角重 量 噸 で 拾 五 万 噸 の 船腹 を 提 供し まし て 所 謂 与 国援助 と 云ふ 事の 実を挙 げ た と 云 ふ 事は、是亦日本の海 運の歴 史を飾る ものであ らう と思 ふの で す。 更に此戦役 中 、欧羅巴航 路 の如き は 例の潜水艇の危 険 が あ りまし て 、 商船が 殆 ど 生 死の境を出入して 危 い 航 海をや つ た 訳で あり ますが 、 兎に角其為めに 欧 羅巴と 東 洋の間の貿易 が持 続されま して 、 軍 需品なり 食料品なり云 ふ も の ゝ 供 給 に 事欠 かざる を 得た と云ふこ とは是 又 特筆す べき事 で あらうと思 ひ ます。さう し て此戦役中に此「サブマ リ ン・ボー ト 」 な り 「マイン」 な りの 為めに斃れた所の日 本の商船は参拾壱艘 拾弍 万八千噸と云 ふこと に なつ て居り ま す。之に就 き まし ては平 和 会議の時 分に日 本の船主側を代表しまして前の私共の所 の 近藤 社長が之に就 て 一 噸幾らと云 ふ ことに 計 算し て損害 賠 償委 員の手 に 提出 して置 き ました。 それから 一方又戦局の進むに伴ふて 船腹の需要 が 益々殖え た 。で 需 要 供 給の関 係から して 海 運 事業 と云 ふもの が非常に 良 い影 響 を 受 けまし て 、 運 賃 と云ひ 傭 船料 と云ひ 又 船価 と云ひ 所 謂 暴 騰に 暴騰を 重 ね て 、大正七 年の五六月か ら 休 戦当時の 拾壱 月 頃 迄の 丁度半年 間は、所謂日本海 運の 黄金時代と 云 ふ べ き殆ど 好 景気 の絶 頂に達し たので あ る。で 外 国貿易 は 大正三 年 の所 謂戦前 の 約拾 弍億か ら して大正七 年 の参拾六億、翌八 年の 四拾弍 億 七千 万円と 云 ふことに上 つ て居 る。三 倍 乃至 三倍六 分 と云 ふこ とにな つ て居 ります 。 又此正 貨 の 保 有高 は、戦前参億五千万 円 のものが 戦後に は 弍拾 五億以 上 にな つ て 居 る 。そ れから戦時足 掛五年間に日 本の 船主が運 賃及傭船船 料 とし て 収 めた金 高 と云ふものが是は推算で ご ざい ますが、約弍拾弍億、さう して 又日本で造つて外国に売 却 したと云 ふ 船 もあ り ま すの で 、 そ れ がまあ 弍億 円 、彼 此れ弍 拾 四億 許りの 金と云 ふも のが 収 得 されたと云 ふ のでありま す 。併し此運賃、傭 船料と言 ひ ま して も 、 是は外国 に於て働くの が 大 部分を 占 めて 居りますから 其 為 めに石炭
代を払へば食料品代 も 払ふと云ふや うに、相当の金と云ふ ものが 是 から 支払 はれて 居 ると 云 ふ こ と に な つ て 居るので す。要するに戦時 中に於て 日本が年来の補助 政 策 の結 果相当の船腹 を持つ て 居つ て 、 又 戦 争中 に新 し く 造つたと云 ふ 事の為めに此莫大なる所の兎に角運賃傭船 料と云 ふも のを 吸収す る 事を 得た。従つて 貿易 高も非常に殖へたと 云 ふ事 実があり ますが、之に引換て対岸の支那は で す 、 支那は 商 船を持つて居ら な い。 あの通 りに欧 羅巴方 面 に向 つての 所 謂食 料品な り 其他 の農産 物 と云 ふ 物 は沢山 潤 沢に 持つて居りま すから、 若し支那が沢山の輸送力 を 持つ て 居 つたな ら ば、 其 為め に 支那 の得る 所 の 運 賃は莫 大 なる もの であ つた らう と思 ひます。 此支那 と 日本 との欧 洲大 戦 中に於 け る商 船のあ る と無 いに 依つ て別れた 所の富の吸収 方の相 違 如何 と云 ふ事 を考へ て 見 ま すと、 此 海運 政策と 云 ふ も の を 確かめ る 上に 於て思ひ 半に過 ぎ るも の が あるだら うと思 ひ ます。 更に進みまし て戦時中の航 海業の発展と 造船業の 勃興 と云 ふことに 就て 一言を 費 しま すが 、此時局 中は郵船会社は世界一週航 路を始めとしまし て、 彼 是 遠 洋 航 路 許 り 拾 線 も開 い た の で あ り ま す 。 そ れ か ら 商 船 会 社 が 六 線、 太 陽 海 運 及山 下 汽 船 も 矢 張 二 三 線 の 遠 洋 航 路 を 開 い た と 云 ふ事 実 が あ るの で す 。又 造船業 の 側 か ら見ま し て も、 造 船 能 力 が非常に殖 えま して 、 戦争前 に は 我 国一 年の造 船 能力は 僅 に四 五万噸 位の も の で あ り ま し たが 、 大正八 年 に は 千噸以 上 の 汽 船許り で も百 参拾四 艘 約六 拾弍万噸と云 ふ 船 を 一年 間に造つたので ありますが 、其後段 々 減 りまして昨年 の如きは僅 に 一 千噸以 上 の 船 は六 万 噸 そ こ 〳〵、 百 噸 以 上 を 皆 合 せ ま して八 万位 でありま す。併 し 註 文 さへあ れ ば 相 当出来 る の で ありま し て、 今日に 於 ては日本の 造船能力と云 ふものは五拾万噸と斯う言はれて 居る。 更に日本 の海 運の 現状 を述 べま すが、海 運を構 成 する 所の 要素 と云 ふ ものは五つ許りある 。 それ は船舶、海員、航路、船主、造船所 で 、 此五 つの「エレメント 」 に 就て見ますると 其 国の海 運 の現状はどの辺にある かと云 ふ こと が能く 判 るの で あ り ま す。是も極くざつ と御話 を 致します るが 、日本で は 昨年 の 六月 の調べに依 り ますと 、 日本の内地 は 無論朝 鮮 、 台 湾 、関 東 州 と云 ふや うな所に籍を持つて 居 るものを 皆 合せまし て 、 兎 に 角参 千弍百 艘 、 参 百四拾 五 万五 千噸と 云 ふことにな ります が 、 今日 では参百 五六拾 万 噸になつて居るでありませう。此中で兎に角外国 航路に、所謂海外航 路に使 用すべ きもの は 、千噸以上 の船と看做し て 、 それが参 百万噸 あ りますし、更に遠洋 航 路 、 世界何 処 の遠い所にも行き 得ると云ふ 遠 洋 航 路に 使用し 得 べきも の は参千噸 以上の船とざつと見ま して 、 是 が 弍 百弍拾万噸許り。壱万噸以上の船と云ふも の は 僅 か拾艘拾 壱万噸 許 りし か無い の です。今日 に 於ては……。次に乗組員、海員 に就 て 申 しますと、是は先程御 話しま し た通 りに東 京 、神 戸にあ り まする高 等商船 学 校と其他地方に商船学 校 が 拾校ある。是が 高 級海員 を 養成 し 、 それか ら 普通海員の 養 成は主に掖 済 会が やつて居ると云 ふ ことに御 話致 して置きましたが 、 是も 今 日に於 て は相当に各学 校共収容力 が あります し 、船 も 余り年々 殖 え ませぬから、需要供給の 関 係に於て 殆ど不 足 無し と言 つ て 宜 か らう と 思 ひま す。 が 戦 争中 極く 必 要 を感 じた 時 分 には 、 と ても 官 立 なり公立な り の学校だけ で は足 ら ぬ と云ふ 事 からし て 、郵 船会 社の如 き 率先 して 自 分 の所 で 高等 海 員の 速成所 を置き まして六ケ月 許り で卒業 さ せた 。其他 の 船主 も之 に 模 倣し まして段 々や つた事 実 もあ りま すけれ ど も、 今日の 如 き不 況時代 に 於 て は何れ も 之 を 廃しま し た。 養成 機 関 と し ては 先 づ 今 日 に於 ては 不 足 無い と思は れ ま す が、そ れ な ら ば日 本の 海員の数と 云 ふも のはど の 位あるか。 是 はど うして も 始終動 い て 居 るから正 確の ことは 判 りま せぬけ れ ども、 確 な る 材料に依つ て 推測 する 所に依 り ますれば 、 客 船に乗つて居る所の者は高級と普通海 員と 合 せま して 約七万人、高級の壱万五千に対して普通の五万五 千人 位 と 見た ら ま あ宜か ら うと思ふ の で す。是は実 際 船に乗つて居る者 の外に病気な り或 は外の 請 暇な り で 以 て 所謂 予備員 の地位 にあ る 者 もあ ります か ら無 論そ れは計算に入 れるの で あり ます。次は航 路の御 話 で あ ります が 、日 本の 航路 は大体に於て 別けるには矢張り 政府の 補助の下 に ある 所の命令航路 と云 ふ も のと、そ れ か ら補 助を受 け ない で各汽 船会社 が 所謂 自 営 、 自 分 で 経 営して居 ります所の定 期航路、是も矢張一 定の航 路 を持 つて居 る 。 それから第 三 には社外線 、 社 外 線の経営致して居る 所 は是は も う荷物に 依つて始終変転極まり無い と云ふ航路でござ い ま して、是は 不 定航 行路 と称し て 宜か ら う と思 ひ ま す。詰り補助命令 航 路 と云 ふもの と 、自 営 定 期 航 路と 云ふも の と、不 定 航行路と斯 う 三つに別けまして 見るこ と が 出 来る。是は長くなりますか ら 今説 明は致 し ませ ぬが 日 本 で は 補助の 下 に 経 営 さ れ て居 る航 路 、 其外 今日 現 在船主 の経 営 し て居 る所 の 定 期航 路の
外に社 外 線は 荷物の 景気、 不景気 に依つ て 至る 所に移 動 致し まして、今 日で は 殆 ど 到 ら ざ る は無 い と 云 ふ 程 の 活 動を して 居 り ま す 。 それから船主 で あ りま す。 船主は是 も昨 年六月の 調べ に依りま する と云 ふと、 日 本 の 船主 と 云 ふ も の は 弍 百 弍 拾 弍 許 り の 船 会 社 或 は 個 人 経 営 の 船 主が ある。で拾万 噸以 上 を 持 つ て居るのは 郵 船会 社、商 船 会社 、国際 汽 船 会社、 東 洋汽 船会社、川崎 造船所、此五 つ 位の もの である。 更に拾 万 噸か ら五 万噸 にな りま すと三井 物産、 岸 本 汽 船、 川崎 汽船 、 此 位 で あ り ま し て、 其 他 弍 百 幾 つ と あ り ま す け れ ど も 一 向大 し た も の ではあ り ま せ ぬ。さ うして 定 期航路を 経 営 して居る 会社を挙げますと 郵船会 社 、商 船会社 、 東 洋汽船、日清汽船、南洋郵船と云 ふ 五社位のもので あ ります。 それから 造船 所の方 を見ま すると云 ふと、まあ 戦 時中 に非常に 勃興 し たと云 ふ こ と になつ て 居りまする が 、是は皆様 能 く御承知の通りに、三 菱の長崎、神 戸なり、 或は 川崎造船所な り、 或は大阪 鉄工所 の 造船 部な り、 或 は浦 賀 或は 横 浜 船 渠 、石 川 島 と云 ふやう な もの を始 め と し て 相当 にあ り ま する が 、 是 も昨年六月の 逓 信省 の調べ に 依り ますと 云 ふと、日 本で は千 噸 以 上の 船を 造 り 得る 船台 と 云 ふ も のが 九 拾 壱 、 千噸 以 上 の 船 を 修 繕し得る船渠が 四 拾 四 許り ある。斯う云ふことになつて 居 る。 前の発達の歴 史的の観察 か らして更 に現状の数字的の御話を ザ ツと 致 しました が、 要する に 日本 の海 運 と 云 ふ ものは、無論 当業者 ― ―所 謂船 主が相 当 に努力奮発 を して居りま す るし、一方 に 於ては戦後 の刺戟 と云 ふ事 と 政 府 の 手 厚 い 補 助 此 二つ の 原 因 が あ る と 云 ふ こ と は 決 し て忘 れ る ことが出来ぬ の で あ ります 。是等 の 結 果 として今日に 於 て 日 本 の海 運と 云 ふ ものは世界的に認められて 居 る 。所 謂世界的に成 功した 事 業の 中で 第一 に 指 を屈 する も の は矢 張海 運 で あ る の で あ り ま し て、 御 承 知の 通 り に戦争 前には日本の海運の国際 的 位 置と云 ふ ものは六 番目… … 英吉利、 独逸 、 亜 米利 加 、 諾威、仏蘭西 、其の次 で 六 番目で あ つたが、今日 に於 ては、 英 吉利、亜米 利 加に 次ぎま し て三 番目になつて居るの で あり まし て、 相 撲 で言 ひま す と 云 ふ と、 私 は 能く そ れ を 処 々 で 申 し ま す が、 兎 に 角前頭 の 三枚 目に居 つ た奴 が三 役 の 一 人 になつ て 小結 になつ た と云 ふこ とで あ る 。 三 番目になつて三役になつ た と云ふ事は洵に 御 目出度 い が 、 併し是亦「ク ロストンネージ」の 比 較 で ありま し て 、 若し 其 船 質と云 ふ もの を 比較 し 、 或 は 「 スピ ー ト 」 、 或は 構 造 と 云 ふも の を 研 究 した な ら ば 私 は三番目に居る こ とはとて も出来 な いと思 ふ 。寧 ろ 仏 蘭西 等が三番 目だ らうと思 ふの であ りま す。殊 に それは昨年六月の調べであります。 日本の 其 後に 於ける 昨 年中 の製 造高は百 噸以上 八 万 で あ りま す が、 仏蘭 西は拾 何 万噸 と云 ふ船を造 つ て 居 り ます から 、 其 中の 幾分は 今 日に 於 て 加へな け れば な ら ぬ 。仏蘭 西と日 本 の 昨 年の六 月 に於 ける差 と云 ふ もの は僅か五六万噸しか無いの で あ りますからして( 正確の数 字は 日本 が 参 百五拾 八 万七 千噸、 仏 蘭西は参百 五拾参万七千噸、丁度五万噸ばかりし か相違 が 無い )其五 万 噸の 相違は今頃は 或は取れ て居 りはせ ぬかと 思は れる の で あります。況や 英 吉 利 の弍千壱百万 噸、亜米利加 の壱千 五 百万 噸と云 ふ も の に比較 し て 見 ますと、三役の小結たる者 も横綱大関 、 或は 関 脇 に比 較して 余 りに 懸 隔 が あ ると 言 は なけ れば ならぬ のです 。 殊 に 日 本の海 運 業として 最 も 重要なる 地位を 占 めて 居る 航路は 、言 ふ 迄もなく 北太平 洋 航路、日本 及 支那 の方 面 か らし て 北 太 平 洋を 横切つ て 「シ ヤト ル」 或 は 「バ ンクー バ ー」 或は桑 港 に至 る航 路 で あ り ます。 此 航 路 の近 頃 の 凋落 さ 加 減 は 、殆 ど 国民 と して 忍ぶこ と の出 来 な い 程 度に な つ て 居 るの であ りま す。御 承 知の 通りに 「 カナデアン ・ バ ス ヰフイ ツ ク・ コン パニー」に於 きまし て は、 昨年中に「エンプレス・オヴ・カ ナ ダ 」 「エ ンプ レ ス ・ オヴ・ オー スト ラリヤ」 と云 ふやう な 二万 噸級の 船 で拾 八節 駆け る立派な客 船を新に加 へ た。それから亜米利 加 の方 を 見 ますと、 「シヤトル」 を起点 と する「ア ドミ ラル・ ラ イン 」 、 亦桑港 を 起点とし て、 「 パ シ フ イ ツ ク メ ン」 … … 例 の P 、 M と 云 ふ会 社 は 各 五 層 艙 の 壱 万 四千 噸、拾七節半で駆 けます る 所の巨 大 なる客船を 例の船 舶院から買受 けまし て 経 営 し、拾艘の所 謂新式 の 船を浮べ て居るの で あ り ま す。 此結 果 日 本の 客 商 売 、 日本 の貨物 の 商売 に 於 て 受 くる 所 の 影 響 と云ふ も の は 実に 甚だ し い ので あり ま す 。 之を 一 つ の 統計 に作 つて あり ます が 、 此 統 計を 読 む 訳には行きませぬ けれど も ざつ と申上 げ ますと、第一に客 に於 て見 ま す る と 云 ふ と 、 昨 年 中 に 日 本 、 支 那 と 亜 米 利 加 の 間 に 太 平 洋 を 横 切つて運 ばれた船客は 、昨年 の 上 半 期には 一 、 二 等客に於て日本の船が 四割一 分 四厘 を運び、外国 船は五 割 八分 六厘運ん で居 つた。それが 下半 期に至 る と日 本船は 参 割参分六厘 に 減 じ 、亦外 国 船は六割六 分 四厘 に増 して 居る。 そ れから参 等船客の方 を 見ま すと 、 昨 年 の 上半 期 に 於ては 日 本船は五割参分、外国船は四割七分と云 ふ 割合 で あ りまし た のが 、 下 半