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増淵恒吉の古典教育観の一考察 : 目標観の変化を中心にして

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(1)Title. 増淵恒吉の古典教育観の一考察 : 目標観の変化を中心にして. Author(s). 内藤, 一志. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 42(2): 195-204. Issue Date. 1992-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/5192. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第4 2巻 第2号 i i i l ty ofEducat t Journalof Hokkaido Univers on(Sec on1 C) Vo ‐42 ‐2 , No. 平成 4年2月 Febma 1γ,1992. 増淵恒吉の古典教育観の一考察 -- 目標観の変化を中心にして --. 内. 藤. 一. 志. 1. は じめ に. 本稿の考察対象である増淵恒吉は, 言うまでもなく戦後を代表する国語教育者である. 現在, 中 等教育段階とりわ け高等学校での国語学習指導は彼の影響下に行われているものが少なくない. 生 前より氏の国語教育理論・実践を対象 にした論考はあったが, 昭和61年2月に没 して後はとくにそ 1 2 ) 小林国雄( )らの詳細な考察が継続的になされている の実践について世羅博昭( , . 本稿では, 戦後古典教育史研究の一環として, 増淵の古典教育観を, その目標についての論述を 主たる資料として通時的な検討を試みる. 増淵の古典教育についての発言は, 文部省と日本文学協 会 (以下 「日文協」 と略す) との影響下にあっ たという特色を有する. 彼は, 昭和26 ,30,35,45年 度の高等学校学習指導要領 (以下 「指導要領」 と略す) の作成委員であり, 一方では日文協発足初 期からの会員として, 昭和20年代後半から30年代前半に日文協の機関誌である 『日本文学』 にし ましば登場する. 彼が両者の中でどの様な観点をえて行ったか. 本稿では日文協との関わりを主に 考察を行う.. 2. 単元学習期 『国文学解釈と鑑賞』 昭24 7号 増淵の最初の古典教育に関する論述である 「古典の単元学習」 ( . , 至文堂) は, 終戦直後のいわゆる経験主義下で隆盛を見た単元学習についての実践案を中心とする ものである. 彼の単元学習は当時喧伝された生活単元ではなく, 教科もしくは教材単元と言うべき 3 ) その中で彼は 以下のように教養としての古典教育観とも言うべき見解を述べてい ものであった( , ‐ る.. 社会的な必要性という点から見れば, 新制高校の卒業生のすべてが, 日本の代表的な古典につ いて, 一応原文 にも触れ, その内容について概略知っ ていることはぜひ望ましいこと である. 少なくとも, 「高等国語」に載っている古典ぐらいは, 国民の常識としても読んでおくべきでは え まし1力) .. 「社会的な必要性」 の内実は述べられていないが 「その内容について概略知っていることはぜひ , 望ましい」 という文の展開から, 「国民の常識」 と同義であろうと考えられる そしてこの知識・教 . 養としての必要性は彼の古典教育観の中核となって行くものである. 続いて能勢朝次の 「古典は , 言はば, 新しき文化なり新しい文芸なりを創造する 際にはたらく所の, 化学的触媒とも考 へられる ものである. (後略)」 を引き, それを 「古典の性格」 として捉え, 「この性格を十分にいかすよう に することが, 古典学習の目標」 であるとする. その目標とは, 「一, 人間性を深め 又高めてゆく, 195.

(3) . 内藤. *. 勘 二, 文学の鑑識力を養う, 三, 国語について理解を深める , 四, 古文の読解力をつける」 の四つに ま と め ら れ て い る.. この中で-と二は若干の補いを必要とするであろう. 一は, 「我々祖先が, どう いう環境のもと で, 何を感じ, 何を考え, どう生きていたかを知る. (中略)それはやがて日本の人間の物の感 じ方 考え方の長所や 短所を反省させ, 人生に処する態度について多くの示唆と助言を与えてくれる. 古 典学習は人間性を探究し, 人間性を高揚するに適切な場であらね ばならない」 と述べる部分と呼応 するのであるが, 「それはやがて」という言葉に, いわ ば文学の読者の内面に及ぼす働きかけについ てラ 楽観的に転移すると捉えているのではないかと思われる. 祖先の感情・思考・生き方を 「知る」 だけで, はたして学習者が自らの生き方を考える契機 となりうるのか. 古典を読むことが, 現代を 生きる学習者に単なる教訓レベルではなく, 人間性をも問いかける契機となるには, どのように学 習者を仕向けなけれ ばならないか. それは目標観よりは, むしろ学習内容や指導方法といった具体 的なレベルでの問題として考えるべきであろう. 増淵はこの論考の中で 「俳人芭蕉」 の単元案を示 しているが, その中でこの問題に該当する学習内容は 「芭蕉の人生態度とめいめいとのそれとをく らべる」 と記されるだけで, その具体的な目のつけどころな どは記されていない. その理由として は, あくまで試案と見られること, あるいはスペースの制約 があっ たのかも知れない. 益田勝実が 古典教育を古典文学の教育として捉え, 古典の学習を通して学習者の生活そのものを見すえて行こ 4 )を考え合わせると 増淵の学習内容としての「生き方を考える」ということが, 実際 うとしたこと( , にどれほどの重みをもって展開されていたのか興味のある ところである. しかし, 以降彼の古典教 育の実践報告にはこの点について詳細に取り上 げたものを見ない. 今後, 世羅氏 による増淵国語教 室の 「学習記録」 の紹介を中心に, 検討がなされることが期待される. 二については,「古典は, ながい時代のふるいにかけられて現代まで生きのびてきた国文学の傑作 であり, 不易なものを蔵し, しかも如何なる批判にも堪え得る強靭なものを持つもの」 という, 古 典を文学として絶対視する姿勢が見られる. 後に柳田国男との教科書編集や日文協での活動を通し て, 口承説話を中心として民衆に視点を置く 「裏街道」 としての古典と, 国文学史上評価が定着し, 研究対象としてもメ ジャーであるものを 「表街道」 として, その違いを強く意識し 「表街道」 を採 ろうとする姿勢を増淵は崩すことがなかっ たが, 遡れば 「ながい時代のふるいにかけられた」 もの, 多くの読者, 研究者によって検討されてきていることに客観性を見いだそうとするこの時点での見 解が固持され続けたものと見ることが出来る.. 5 } 昭和23年4月の 『国語と国文学』 所 さて, これらの目標観には, 以前指摘したことであるが( , 「 収の古典教育論の影響 が看取される. 同誌で能勢朝次 「古典の取扱ひに就て一 , 窪田敏夫 高等学校 国語教授への反省」 は, 古典教育の意義を, 文学作品を読むことを通じて, 日本人の特質あるいは 精神を把握することに置く. 特に能勢の精神論と結びついた教養主義的な古典教育観は, 古典この すばらしきものといった, 古典の積極的評価に基づいて展開されている. 一方で, 時枝誠記 「国語 教育に於ける古典教材の意義について」 は, 古典には 「鏡に映された民族自らの姿」 があり, それ を読むことは 「自己を正しく知り, 現在の自己を拡充するよす が」 となるといった機能を有するこ とを述べる. それは能勢のように 「自己の普遍的な価値を発見さ せ愛育させる」 といった, 古典を 絶対視するものではなく, 古典を現代的評価にとらわれず読むこと, しかも 「正確に忠実に理解す る能力」 を重視することを唱え, 「惚れさせない国語教育」 という言葉に象徴される正確な読解を核 とする国語教育観が述べられている. いずれも, 古典が日本人の特質を示し, 読者の内面に働きか けるものであることを認めつつ, 古典とその現代的意義についての押え方では挟を分かっ. 古典と されるものは傑作でなくてはならず, すなわち現代的意義を有する, という能勢に対し, 時枝は現. 196.

(4) . 増淵恒吉の古典教育観の一考察 代的意義など持ち合わ せずとも 「過去何れかの時代に於いて古典たることを保障されたものは」 古 典であるとする. 「 この違いに着目す れ ば, 増淵の古典観はその文中に引用して いた能勢のもの と通じる. 能勢の 古 典は, 往古に創作された国文学の傑作である. 傑作であるといふ事は, それを読む者 が, その中か ら無限の精神的な糧を得る 事の可能な作品であるといふ事である.」 「鑑賞者の魂に深く 触れるとい ふ点, 鑑賞者がそれによっ て人間性に深く目ざめるといふ点, それが傑作としての 要件であり, 古 典と呼 ばれる所以である.」 「古典を 「正しく扱ふ」 とは, 古典を通じて, その中に宿る ところの不 易であって普遍なるものに, 直接触れるよう な扱ひをするこ とである.」といった言説と, 増淵の示 「 「 , 不易なるもの した目標の ーおよび二に関わる 「古典学習による 人間性の探究」 , 国文学の傑作J を蔵」 すといっ た言葉は相通う ものである. 一方, 時枝との関係は どうであろうか. 目標の 二にいう 「文学の鑑識力」 は, 時枝の読解力重視 につながるようにも見える が, 古典を傑作と規定する基盤の 時点で異なる. ただし増淵 が, 時枝文 )を著したこと, ま 法の有効性を早く から唱え, 時枝とともに『古典の解釈文法』 (至文堂, 昭28.5 た同じく 「能力主義」 国語教育観 を持つとして位置 づけられていることをもっ てすれ ば, その影響 関係は大である と言っ てよい. その具体的なレベルでの影響関係は世羅 が指摘したように文体論へ 6 ) それは昭和29年を画期とするが, それ以前の影響関係は時枝 の傾倒 と捉えることが可能である{ . の考えを全て受け入れる といっ た体のものではない. 簡単に言え ば, 増淵には, 納得するところ, 授業にとっ て有効 だとするところのみを摂取しようとする 一貫した姿勢が窺える. 摂取については { 7 ) 文法レベルのものが早く, 世羅の 指摘するところによると昭和25,6年頃とする . 文学教育観につ 『国語教育 実践講座5』 )の中で, 時枝の説く文 いては, 「文学教育の ありかた」 ( , 牧書店, 昭28.8 学教育と言語 教育の 一元的な把握を取り上 げ, 次のように異を唱えている. 論説文や 解説文を読む ばあいに, 喜びや悲 しみを, 文学におけるようには, 味わいな がら読ん ではいない. 鼓舞されたり又反発することはあるにしても喜 びや悲しみを味わいながら, 論説 文や解説文を読んで行くという ことは, 我々の読書生活の実際と異なっ ている. また, 時枝の文学作品の 分析や比較といっ た, 言わ ば国文学研究的な学習内容に対する批判にも抗 している. 解釈文法や文体論 は教材解釈を直 接の対象として用いるものであるから, 文学教育や 方 法論の違いは正面だっ て矛盾する ものではない‐ 後に自分 が能力主義者として位置 づけられること を好まなかった増淵である が, 学習指導内容と自らが思念するところの背景と しての国語教育観の 間には, 直接的に結ぶ ことが難しいずれがあるよう だ. 田近はかつて増淵を能力主義者として位置 8 ) 後に 「一方言語生活主義的でありな がら, 一方言語能力主義的である」 と捉えなおし, づけたが( , 「 両者を受け入れる要因と して「作品の読みに先生の関心が集中 していた」とし, また, そのこと(内 藤注, 言語生活主義的であり, かつ言語能力 的であること) に対する 自覚も先生にはなかっ たので 9 )と推測している 先述したよう に, 増淵には実践で有効なものは積極 的に摂取するとい { はないか」 . う基本的な姿勢があり, その背景となる 理念的なものにはさほど頓着せず, 自身のフィ ールドに引 き込む. 例え ば単元学習がそうであり, 後述する日文協との 関わりについても同様の ことが言えよ う. 「自覚」がないのではなく, 使えるものは増淵 化して摂取してしまうといっ た, 実践方法に対し ての食欲さと解釈 したい.. 2. 日本文学協会 との関わり 「古典の単元学習」 以後の, 増淵の古典教育観は, 指導要領の作成と日文協の当時の 志向性との 197.

(5) . 内 藤. 一 志. 『教育建設8』 昭279 教育 関わりの中で捉える必要がある. その端緒は 「高等学校の文学教育」 ( ‐, 書林) において見出すことができる. そこでは, 増淵は解釈中心となっ ている古典の授業にいくら かでも鑑賞の学習を取り入れることを提言しているのであるが その中で論じられている古典観が , 注目される. 古典の鑑賞批評の際には, 古典は有難いもの, 古典はわれわれにとっ て貴重な文化遺産 である などと, のっ けから決めてかからないことである (中略)古典を通して 生き方 考え方を学 . , , ぶということは, 古典にあらわれたすべてを是認することであっ てはならない とかく われ . , われは, 古典の世界を無理してまでも擁護しがちなものであるが ひいきのひきだおしになら , ぬようにしなければならない. 何がこの人生 で貴いのか, 生命の充足とはどういうことか 全 , ての人間が幸福 になれる生活はどんなものであるかを考え, そういう観点から 古典の中にあ , らわれる人物の生き方, 考え方を批判し, 取るべきものは取り 捨てるべきものはあっ さり捨 , てるという態度で取り扱いたいと思う. 能勢流に古典を文学として完成度 の高いものとして規定するところから展開された 「古典の単元学 習」 と比較し, 古典を批判的に摂取しよう とする点で明らか に異なっている 特に 「何がこの人生 . で貴いのか, 生命の充足とはどういうことか, 全ての人間が幸福 になれる生活とはどんなものであ るか」 を観点に据え, 古典を捉え直そうとするところは, 大きな違いである 「生活」 という観点の . クローズアッ プは, 生活経験を基 にした経験単元学習隆盛にあっ て 国語科という教科枠を保持し , , 「生 活 を 受 け入 れる こ と に 慎 重 で あ た こ と を( 1 0 )考 慮 す れ ば い か に も 唐 突 で あ る いっ どの 」 っ , , .. ような経緯をもっ てこのような観点を打ち出すに至っ たのであろうか . 「古典の単元学習」 と本論文 の間には 「高等学校 における文学教育 ( 」 『国語科の文学教育 の方 「 法』 2 ) があるが, それは 古典の単元学習」 とほとん ど異ならない内容 を持つ , 教育書林, 昭27 . . 時期的には昭和27年を境にして, このような見解を持つ背景があっ たのではないか その背景につ . いて, いまだ確たる見解を持たな いが, 現段階でのとりあ えずの判断を述べたい 先ず 昭和26年 . , 度指導要領 に示す単元案 「古典はわ れわ れの生活とどんなつながりがあるのか」 の 「単元設定の理 由」 に述 べ る と こ ろ の,. 古典を読み味わうことによっ て, われわれは祖先がどのように感じ 考え 生活していたかを , , 理解し, やがてわたく したちの生活を豊か なより高い深いもの にしていくことができる 古典 . の読み方を学習して, 古典に親しみを持ち, われわれの生活と どんなつながりがあるかを考え , 古典の持つ価値を現代に生かすように心がけることは 人間形成 の上に必要なことである , . の延長線上で捉えることが可能 なように思える. 「生活を豊かなより高い深いものにする」という所 に着目してのことである. が, これは先に紹介した 「古典の単元学習」 における目標の一 について の記述を参照すれば, 「人間性」 を 「生活」 に代えただけのものであることが一目瞭然である 注意 . しなくてはならないのは, 結果として 「生活」 に反映するといっ た視点ではなく 「生活」 に視点を , 置き古典を批判的に摂取するという, 「生活」 の先行性にある この変化は 昭和26年度指導要領 . , からは大きな隔たりを持っているのではないだろうか . 稿者は現段階では直接的にはこの年の6月1 5日に行われた日文協の総会 における益田勝実の「文 学教育の問題点」 が起因となっ ているのではないかと推測する しかし 所収誌である 『教育建設 , . 8号』 への原稿提出時期を考慮すれば, 益田の発表を契機とするには時間的余裕がないように思え る. また, 当日増淵がその場に居合わせていたかどう かも確認していない 可能性としては非常 に . 難しい要素をもっ ているのであるが, 益田の 「生徒達が文学から生き方を学びとり 豊かな心的生 , 活の素材を摂取する」 という行と, この益田提案の当時における文学教育としての先鋭的な意味を 198.

(6) . 増淵恒吉の古典教育観の一考察 考え合わせたとき, 増淵の 「生活」 への接近の背景となっ ているのではないかと思わずにいられな い. ただし, 益田が「生徒達が文学を武器として現実との対決にたち向かうよう なものであるべき」 とした, 現実の矛盾を凝視し, 乗り越えようとする点への言及は増淵には全く見られない. やはり, 益田の 「文学教育の問題点」 とは, 無関係なのであろうか. しかし, 益田のねらうところは社会の 階級的な諸矛盾を暴き, 政治的な問題にまで発展する要素を多分に含んでいたものであったことを 考えれば, 後述する荒木繁の実践への批判的摂取によっ て推測するに, 増淵の国語教育にイ デオ ロ ギーを持ち込むことへの拒否が 「現実との対決」 といっ た観点を捨象したのだと考えられる. 「高等学校の文学教育」 に続いて 古典教育の意義について述べているのは 「高等学校における , 『国語科学習指導双書3』 法政大学出版局 昭296 文学教育J ( , ‐) である. そこでは, 古典教育につ いて以下のような六つの目標を掲げている. ( 1 ) 新しい文化を創造する際の, 原動力としての古典の意義を理解する. 2 ) 古典に表れるものの見方, 感じ方, 考え方を読みとる. ( ( 3 ) 古典を読んで, 祖先の生活を知り風俗習慣を知る. ( 4 ) すぐれた古典にふれて, 民族としての自覚を持つ. ( 5 ) 日 本 の こ と ばるこつ い て の 理 解 を ふ か め る. ( 6 ) 古文の読解力と鑑賞力をつける. 本文中の古典教育の目標について論じている箇所は, 先の 「高等学校の文学教育」 と同内容で, 唯 一異なるのは (4) の 「民族としての自覚」 という観点の追加である. おそらく昭和2 8年6月の日 文協の総会で発表された, 荒木繁の 「民族教育としての古典教育- 『万葉集』 を中心として-」 を 1 1 )と思われるが 増淵はこの項目について (1)とならべて最終段階としての目標 意識 しての追加{ , , ・ この六つの目標については翌年の と捉えていることを述べただけで, なんら解説を加えていない. 「古典教育」 ( 『日本文学講座7』 東京大学出版会 昭3 0‐1 ) において詳しく述べられているので, , , 「 それを参照してみよう. 古典教育」 の中では目標として 一、 新しい文化創造の際の鑑としての古典の意義を理解する. 二、 古典によっ て, 祖先の生活を知り, そこに表れているものの見方・感じ方・考え方を読み と り, こ れ を 批 判 す る.. 三、 日本のことばについての理解をふかめ, 言語生活の改善に役立たせる. 四、 古文の読解力をつける. 五 国文学史のあらましを理解する. 六、 すぐれた古典にふれて民族としての自覚を持つ. の六つを示している. 同じ数ながら, 内容に若干の異なりがある. 前の (2) と (3) が融合され て, 二におさめられ, 五の文学史が加えられている. 内実に大きな異なりがあるわけではない. さ て 六 に つ い て は次 の よ う に 述 べ ら れ て い る.. 観点のおき どころによって, 古典の優劣の序列は異なるはずである. 文章の簡潔さ, 真実把握 の見事さ, 問題意識を喚起する力強さな ど, それぞれの観点をどこにおくかによ って, その価 値判断は異なるであろうし, 序列はくるっ てくる. しかしどんな観点に立つにしても, 第一級 の作品, 万葉集, 源氏物語, 平家物語, 芭蕉や西鶴の作品の ごときはすぐれた古典であるとい うことができよう. ……… (内藤注, それらの古典が) 出現したということは, 何といっても われわれの誇っ てよいことである. これらの作品や作家に接して, その真髄を味到し, それを 生活に生かしうるように生徒を指導することが, 古典学習の教師の任務である. 前にも触れた が古典の中には現在何としても排除しなければならぬいくたの要素もある. 現代のきびしい批 199.

(7) . 内 藤 一 志. 判にもよく堪えうる要素はもとよりある. そう したものを掘りおこして, やがて, 民族として の 自覚を持つことが, 古典学習の目標の一つとして重んぜられるべきであろう. 荒木繁の報告に端を発したいわゆる 「問題意識喚起の文学教育」 の影響 が文中の 「問題意識を喚起 「 「 する」 , 生活に生かしうる」 , 民族としての自覚」 といった用語からも認められる. しかし荒木の 報告と大きく異なるのは, 抵抗論争にみられるような反体制運動としての側面や, 安保闘争に象徴 「民 される対アメリカ を意識した, 内面までの占領を拒絶しようとする中から浮か び上がっ てきた -. 族」 意識がほとんど見られない点である. この論文においては増淵自身の問題意識喚起への具体例 『国語と国文学』 昭314 が示されていないが, 「古典教育覚え書」 ( .) では次のように述べている. 古典の中には, とうてい現代では容認されそうにもない消極性を担っ ている作品がある. そう した作品に対しては生徒はまっ こうから反発する. 「露木」 の 「雨夜の品定め」 における女性観 や, 『野ざらし紀行』の富士川における芭蕉の捨子に取った態度など, その例としてあげること ができよう. しかし, そう した消極面がはたして現代のわれわれから全く払拭されきっ ている か どうか, 払拭されていないのだとすればどのようにすればよいかという問題へ生徒を導いて 行く. いわゆる問題意識喚起の古典教育である. 古典を批判しながら, 生徒たちの生活の中に ある問題意識を掘りおこして発展させるのである. 1 2 )が払拭されて取り込まれている これには政治的な色合い, 浜本純逸のいう 「アクチュアリティ」( と言えよう. また, 荒木実践は文学史の書換えにも通じる, 古典の批判を基盤にしていると考えら 1 3 ) 増淵は観点によっ て古典の優劣の序列は異なるとしながらも 万葉集以下の作品 れるのに対し( , , をそれらの観点を超えた第一級の作品として据える点にも違いが見られる. そしてその作品を 「味 到」 (これを稿者は十分に読解し, 鑑賞段階を得ることを意味すると捉えている)した上で, 生活に 反映させる段階を想定している. これは西尾が言うように 「作品によって, 喚起された生活の問題 を追求するために, 作品の分析から行こうという考え」であり, 「生徒の問題意識を方向ずけるもの 1 4 } 増淵自身 後に「古 を, 文学自身から導き出して行くことができると予定している」ものである( , . 『高等学校国語科教育研究講座8』 有精堂 昭493 文教育の方法・ ( , ‐) の中で, ほぼ同内容のことを 回想 して い る.. 1 5 }ように 増淵 要するに, 消極的とも言える摂取となっ た要因は, 長尾高明, 田近らが指摘する( , のあくまでも作品の読解を基本 に据えそこから始まるといっ た信念であったといってよい. 加えて, 国語教育の中にイ デオロギーを持ち込むことへの拒否 があると考える. 荒木実践に刺激を受けたとおぼしき所は他にもある. 目標の二について論じた箇所で 「『方丈記』 が隠者の文学であるという, 単にそれだけの理由で抹殺してしまうような近視眼によっ ては, 古典 からは何ものも発掘することはできないのではないか. 生徒と 『方丈記』 を読んでいても, 生徒の 中には, 鴨長明のような抵抗の姿勢もあっ てもよいのではないかという意見さえでてくるの であ る.」 といった 「抵抗」 への言及, 加えて目標の一について論じた箇所での 「傑作と言われる作品が どのような社会的基盤に生まれるものであるか, 脆弱な文学とは, どのような社会情勢のもとの所 産であるか, 庶民を前向きに押し進めうるような文学の発生条件はどのようなものであるか」 とい う指摘, この 「庶民を前向きに押し進めうる文学」 には国民文学論の影響が見て取れよう. さて, 消極的であるにしろ, なぜこれほど日文協の研究動向を意識した論述になっ ているのだろ うか. それについては荒木実践の刺激が大きかったことはもちろんであろうが, この 「古典教育」 が, 日文協の企画した講座の中に所牧されているという事情 が大きく働いているからではないかと 想像する. 増淵にとって先に述べた 「信念」 からすれば消極的だったのではなく, 精一杯日文協の 方向性を積極的に取り入れたものなのではなっ かたかと考える. 200.

(8) . 増淵恒吉の古典教育観の一考察 ) で増淵は荒木実践について, 昭和26年度 ちなみに, 昭和49年の段階 (先掲 「古文教育の方法」. の指導要領の延長線上に企画出版された 「中学校高等学校学習指導法」 中, 第三章の三 「古典の学 習指導」 に示すところの 「生徒のなまな感想をもととして学習が進められる べきである」 という方 法を, 「大胆に意欲 的に実践した」ものとして 把握する. また同論文中, 今後の古典の学習指導方法 について論じる中で, 以下のように同様の発言を繰り返 している. 生徒のなまな感想をもとにして指導を進めたい. 「問題意識喚起の文学 教育」とは, 実はこの点 を強調しているのである. 生徒の, 拘束されない自由な感想を発表させ, それを手がかりに し て, 古典に展開される世界, 作者や作中人物のものの見方, 感じ方, 考え方などの追求へと発 展 さ せ る. … …. 確かに生徒の第一次感想に立脚して, 授業を展開すること が見定められたことが, 荒木実践以下, 1 6 } しかし その意義をこれ一つに収蝕させてしま 問題意識喚起の文学教育の成果の 一つであっ た( , . うところに増淵の把握の仕方の特色がある. 増淵は荒木実践の中に 『中学校高等学校学習 指導法』 を位置 づけたわけだが, 学習者の感想を元に学習を展開するこ とについては, これより前に 「高等 『国語科文学教育の方法』教育書林, 昭27‐2 ) 学校における文学 教育」 ( , において, 文学の学習指導 「 と 生徒のすなおな感想から出発するこ 一 として 上の留意事項の つ 」 と示していたものであった. 荒木実践はその必要性を再認識させたものであっ たと考えられるが, 結果的には増淵が既に獲得し ていた観点の枠の中に収めて しまうことになっ たわけである. 後に日文協は組織 を挙 げて古典教育を論じるということ はなくなるが, 日文協の中心人物である 益田の古典教材観に真っ 向から反対し, 古典教育が文学教育たるために発言を続けて行く益田に対 し, 増淵は少なくとも論文に表れた限りでは文体論・連体修飾語の研究を核として, 教材の正確な 「 0,31年 読解へと結 び付くものに進んで行っ た. 「古典教育」 , 古典教育覚え書」が発表された昭和3 は増淵 が文学教育レベルでは日文協 と挟を分かつ分岐点として 捉えることができよう. 時は丁度, 増淵の関係してきた学習指導要領 が, 時枝を座長とするに伴い, 経験主義から能力主 義へと変化する始動期にあたることも興味深い が, その影響関係について は確たる見解を持ち得て し)ナ まし) .. 3‐ 学習指導要領との関わり 増淵が指導要領 と関わる中で影響を受けてきた点にどのようなものがあるであろうか. 先ずは, 1章で指摘したよう に, 昭和26年度 指導要領に先行しての単元案であり, あるいは, その延長線上 における, 生活経験から離れた教科・教材単元案の提示である. これは経験主義下における単 元学 習受容の時期として 捉えることができよう. 2章で検討した日文協との関わりと平行 して, 彼は時枝を座長とする指導要領作成に関わっ て行 くわけだが, この経過の中 で, 彼の発言にも変化 がみられる. その柱は 「どんな古典教材 が教材た 『国語の教育』 2巻7号, 国土社, 昭44.7 ) に示されている. 先ず古典教材は, 増淵の りうるか」 ( 言う ところの 「表街道」 の古典である. ちなみにそのとき挙 げられたのは 記紀歌謡, 万葉集の長歌・短歌, 古今集, 新古今集, 山家集, 金塊集などの短歌, 芭蕉, 蕪村, 一茶などの俳句, 竹取物語, 源氏物語, 大鏡, 平家物語, 世間胸算用, 雨月物語などの物語類, 土佐日記, 枕草子, 更級日記, 徒然草, 奥の細道, 玉かつまなどの日記, 随筆, 紀行類, 謡曲, 狂言, 近松の浄瑠璃等の戯 曲類, 花伝書, 三冊子, 去来抄, 源氏物語 玉の小櫛な どにある評論 類, 名家の語録 201.

(9) . 内 藤 一 志. であるが, これは先立つ26年度の指導要領に 「付表 資料としての図書一覧表」 の中の 「古典学習 のための資料」 として挙げられた作品とほとんど変わりがない 注目される点は家集の若干の削除 . と, 宇治拾遺, 今昔といった説話の削除, 逆に語録の追加であろうか また以後彼が関わっ た3545 . , 年度の指導要領においても基本的に変化はなかった. 増淵自身もその教材選択を是認 しており 「古 , 『高等学校国語科教育研究講座 7 有精堂 昭492 「 『文芸教 典教育の目標」 ( 』 , .) や 古典教育管見」 ( 「 育1 4 明治図書 昭5 0 4 ) においてもほぼ同様 の作品が 第一級の作品」 あるいはそれに続くもの 』 , . として述べられている. このような作品の指定ともいうべき背景には 教師の好みによっ て教材は , 選択されてはならず, 多くの人が認めるところ のすぐれた古典こそが教材 にふさわ しいという考え がある. 古典そのものが傑作であるべきだとの見解は 「古典の単元学習」 の時から示されていたも のであるが, 柳田・益田といっ た民俗学的見地からの教材選択への批判と, 学習指導要領を作成し てきた者として, 見解に公共性をもたせようとする意図によって前面に打ち出されたものと思われ る. 加えて, 古典観も 「現代的意義を持ち, 現代人の好尚に適合したもののみが古典であるはずが ない」 として, 時枝がかつて 「国語教育に於ける古典教材の意義について一 で展開した現代的評価 に基づく古典観の否定と連なる見解を示し, 時枝に賛意を表して いることも 古典教材の選択の窓 , 意性への批判である. 昭和40年代前に取り上 げられる ことがなかったもので, 以後クローズアッ プされた ものに「言語 『国語教育研究8 感覚」 がある. これは 「古文の学習と言語感覚」 ( 2 ) 』 日本 国語教育学会, 昭54 ‐3 によれ ば昭和35年度の指導要領以降取 り上 げられてきた事項であっ たが, 直接的には昭和53年度 の指導要領において, 教科の目標として取り上げられること になったのに呼応してのものである . 指導要領作成者側が古典における言語感覚については, 何等具体的に発言することがなかっ たのに 1 7 ) 増淵は文法教育の中で捉えている点が注 目される 増淵は昭和4 対し, 長尾が指摘するように( , . 0年代の後半, 専修大学 に転じたのを機に, 文章解釈, 文章論を中心とした文法 面での研究が目立 つことも考え合わせれば, 古典教育について発言する際にも, 当時の研究対象と近接するものに重 点 をお い た ア プ ロ ー チ が な さ れ て い た と 見 て よ か ろ う .. 教材を 「表街道」 に限定することについて, 長尾は 「学者らしい慎重な態度の表れ」 と捉え 教 , 材として定評のある作品ですら, その解釈が不断に検討され続け 深まっ てゆくのに 「一介の国語 , , 教師が, 簡単に裏街道をあさる余裕 な どないはずだ」 という意味と受取り 教材の読みの深まりを , 1 8 ) それは田近が指摘する増淵 の教育観が 「教育とは 教師が 第一に求めた所 にその原因を求める( . , 1 9 }という見解と整合性を持つ つ 教材内容を正確 にとらえ, それを生徒に的確 に教授するものだ」( . まり作品の読解, 解釈を教育の基盤に据えようとするのである また 竹長吉正は柳 田が 「ことば , . の芸術としての 「文学・ よりも, 民衆の生き方及 び生活の反映としての 「文学」 の方に重きを置く という考え」 であるのに対し, 増淵が 「ことばの芸術としての 「文学」 を最優先する すなわち . , 言語が芸術作品となる, その上昇過程での洗練度にこだわるのであり 「文学」の概念を拡大するの , ではなく, 逆に収束させようとするのである.」 といっ た古典観の違いと 「教科書が教材がもつ - , 「教科書教材がもつスタ ンダード (標準性) というせい 般性, 普遍性, 公共性の要求を重視する」 , やくにより強くこだわっている」 といった, 長く教科書編集に携わってきたことの反映として把握 2 0 ) して い る. (. 増淵の, ある程度の規範性を設ける古典教材観は, 一方 で読者の側から新たな古典作品の発掘の 妨げとなりかねない. 作品の限定が, 教養としての古典ということへと連なっていく この点につ . 2 1 ) いて古矢弘は増淵, 斎藤義光らとの会談の中で{ , しかしそういう古典観 (内藤注, 質疑の相手である古矢の柳田・益田らに見られる古典観をさ 202.

(10) . 増淵恒吉の古典教育観の一考察 す. 会話の中で柳田・益田の古典観は詳細に述べられてはおらず, この質問の前にある古矢の 「庶民の中でささやかれ, 受けつがれてきたもの」 という部分が該当する と見られる) だと, せっ かく今まで伝わってきた, 日本を代表するもの が失われてしまいはしないか と質しているが, 増淵は, 古矢の 「教養主義」 という位置 づけに対して甘受する姿勢を見せている. 後に, 斎藤の 「教養というより文化遺産というべきであろう」 との発言を受けて, 「そう, 文化遺産 として考える べきものだ. だから, 古典教材というのはしじゅう見直して行かなけれ ばならない」 と述べるが, ここでの斎藤の言い替えの真意を読み取れない上に, 文化遺産と言い替えたところで, 古矢の批判を否定したことにはならない. おそらく古矢は, 教養主義に, 読者とは別なところに古 典の選択者 がおり, 知識としてのみ留まる 静的なものを見, 一方, 文化遺産とすることで享受主体 に選択継 承の主体性があるの だという意を込めようとしているのだと推測する. なぜなら, 増淵に は享受主体である学習者自らが古典を見つけ出していく, 文化遺産の発見者となる といった益田の 2 2 )は見出せないか らである. また, 古典教材は見直すべき だとしながら, それは作品の ような姿勢( 部分内での見直しであっ て, 作品レベルのそれではなかった. 増淵自身古典教材の変更を具体的に 変更することはなかった.. 4. ま と め. 長尾は, 増淵の古典教育の意義・目標 論を対象にしつつ次のよう に述べる. 表面的にはさほ ど個性の強くない穏当な発言であることがわかる. 一時期世に喧伝された民族 意識の高揚とか, 問題意識喚起とかの, 派手な論議は好まない. たとえば, 古典の不易なる価 値を知る, 先人の考え方に接して現代生活の糧にする, 日本語に対する理解を深め言語感覚を 錬磨する, 古文の読解力を養う, 等々, いずれもあたり まえの事項をとりあ げている. この辺 が, 一部の人からは, 能力主義とか体制派とかの評を受ける所以かも知れぬ. しかし, 教育と は本来, あたりまえのこと をあたりまえに行うことであろう. 目標自体は地味なのが当然であ り, それをいかに具体化し着実にするか が問題なのである. 確かに, 増淵は実践の人であり, 意義論や目標論より実践そのものや実践を直接意識した方面の仕 事に厚みがある. ただ, 「あたりまえ」 「地味」 とひとくくりにされてしまっ ている彼の目標観は, 通時的にみれば変化があった. ただし, それは, 実践上有益と考えられるものの摂取によるもので あっ たり, 自己の研究の進展の反映からくるものであった. 増淵は晩年自らの 歩みを 「結局, 私 は国語教育界における思潮の変遷に順 応するというよりは, 自分の座標を頑なまで守っ て, 自己の 2 3 } 「問題意識喚 足りない部分を補填 しようという姿勢をとっ てきたようです.」 と回想 しているが( , 起の文学教育」 の摂取の仕 方は, まさしくそれに当たる. それは 「補填」 という面だけではなく, 増淵の古典教育観の枠組みの 中での解釈のし直しといっ た面も見られた. その意味において, 表面 的な変化であり, 増淵自身は大きく変容することはなかっ たと言えよう.. 〔注〕 世羅には増淵の実践について以下のような論文がある. 『国語科教育3 「増淵恒吉氏の国語科単元学習についての一考察-都立日比谷高等学校時代を中心に」 ( 4 』 全国大 3 ) 98 6 学国語教育学会, 1 ‐ 『国語科教育35 「増淵国語教室の実際-日比谷時代後期における文学教材の指導-」 ( 』 全国大学国語教育学会,. 203.

(11) . 内 藤 一 志 1987‐3 ). 「増淵恒吉国語教室における「課題学習 の考察-日比谷高校時代を中心に- { 91 ) 」 」 『鳴門教育大学研究紀要6』 ,19 2. 小林には以下のような論文がある. 「増淵恒吉氏の国語教育実践の考察‐ 「NHK高等学校講座 現代文を中心に- 」 」 『常葉学園大学研究紀要 教育学部 1 ( 1 99 0.1 ) 』 常葉学園大学, 1 「増淵恒吉氏の国語教育実践に学ぶ (一) ( 35 9 1‐6 ) 」 『解釈4 』 解釈学会, 19 「高等学校における詩歌と詩歌論の指導-増淵恒吉氏の国語教育実践に学ぶ(二)- ( 7 1 99 」 『解釈43 』解釈学会1 . 8 ). 『国語科教育3 3‐ 拙稿 「昭和2 0年代における古典学習指導についての考察」 ( 3 ) 86 』 全国大学国語教育学会, 19 ‐3 『文学』 岩波書店 19 4. 益田勝実 「古典教育の反省・ ( ) , 54 .7 『人文科教育研究1 5. 拙稿「昭和2 0年代における古典学習指導についての検討(1)」 ( 2 85 2 ) 』人文科教育学会, 19 .1 6. 前出1の 「増淵国語教室の実際」 7‐ 前出6に同じ 『近代国語教育のあゆみ皿』 新光閣書店 197 8. 田近淘一 「人と業績ー増淵方式の特質-」 ( 9 1 ) , ‐1 「 『月刊国語教育3 9‐ 田近淘一 国語教育史の人びと 増淵恒吉3」 ( 8 98 4 ) 1 1 』 東京法令, 1 . 1 0 . 前出3に同じ 「 11 . 荒木繁の実践で突如 民族」 が意識されたわ けではなく, 荒木実践には当時の日文協の研究動向が反映している‐ 『語学文学29 拙稿「戦後古典教育史のために-日本文学協会の活動を対象にして(1)」 ( 』北海道教育大学語学文学 会, 19 9 ) 1 3 を参照頂きたい . . 『 1 2 8 ) PP 11 5 . 浜本純逸 戦後文学教育方法論史』 (明治図書, 197 .9 . 1 3 1に同じ ‐ 前出1 「 『日本文学』 日本文学協会 1 14 53 9 ) の中での西尾の発言 . 座談会文学教育をめぐって-その課題と方法-」 ( , 9 . 「増淵恒吉先生の人と業績」 ( 『 長尾高明 15 増淵恒吉国語教育論集下 3 ) 1. . 』 有精堂, 198 「国語教育史の人びと 増淵恒吉2 ( 同 9 84 8 ) 」 『月刊国語教育35 』 東京法令, 1 . 田近淘一は前出9に同じ 16 120 125 . 前出 12 に同 じ PP. , PP.. 17 8 5の 「増淵恒吉先生の人と業績」 .1 ‐ 前出1 1 9 . 前出9に同じ 「 『埼玉大学紀要教育学部3 2 0 6 . 竹長吉正 高校古典教育の教材一増淵恒吉の古典教育観の検討を視座として-」 ( 』埼 玉大学, 1 ) 987 なお, この論文は増淵の古典教材観を考えるにあたり, 最も示唆に富むものであった 竹長は増淵の教科書古典教 ‐ 材を捉えるに, 柳田国男と山崎一朗への批判に即して詳細に検討している 稿者はこの間に益田を配置すると よ . , り増淵の志向するものが分かりやすくなると考える. 益田は, 柳田民俗学を継承しつつ 一方で 少なくとも昭和 , , 2 0年代から30年代にかけて, 増淵の排除しようとしたイ デオロギーを前面に打ち出した人物だからである . 「 『 21 979 1 ) 1 ‐ 現代に生きる古典とは」 ( 近代国語教育のあゆみm』 新光閣書店, 1 . 『 2 2 98 1 ) の第一章の4 「古典文学教育の再検討」 によくあらわれ . 例えば 国語科教育法』 (法政大学通信教育部, 1 .3 て いる‐. 「 『月刊国語教育研究34 2 3 84 ) 』 東京法令, 19 . 国語教育史の人びと 増淵恒吉1」 ( .7. 204.

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