• 検索結果がありません。

能の稽古における指導言語に関する研究 : 「わざ言語」を手がかりとして

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "能の稽古における指導言語に関する研究 : 「わざ言語」を手がかりとして"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. 能の稽古における指導言語に関する研究 : 「わざ言語」を手がかりとし て. Author(s). 中西, 紗織. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 64(1): 111-119. Issue Date. 2013-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/6934. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 平 成 25{ I 8月. 北海道教育大学紀要(教育科学編)第 6 4巻 第 1号 J o u r n a lo fHokkaidoU n i v e r s i t yo fE d u c a t i o n( E d u c a t i o n ) Vo . l6 4,No. l. ご. August,2 0 1 3. 能の稽古における指導言語に関する研究 「わざ言語」を手がかりとして. 中西紗織 J 七海道教育大学釧路校音楽教育研究窒. A Studyo ft h eLanguagesUsedbyNohTeachersi nt h e T r a i n i n go fNohP e r f o r m a n c e s: U s i n gC r a f tLanguagea saC l u e. NAKANISHIS a o r i Departmento fMusicE d u c a t i o n,K u s h i r oCampus,HokkaidoU n i v e r s i t yo fE d u c a t i o n. 概要 本研究の目的は,能の稽古の場で用いられる指導言語の意味・役割・効果について考察し,「わざ言語」 との関連において,身体を通した学びのプロセスの一端の記述的説明を試みることである。伝統芸能・伝統 音楽の稽古の場では,師匠は弟子に対して言葉による詳細な指示を一般的にはしない。師匠は,論理的かっ 説明的言語とは異なる特殊な言語を使うことで,弟子が自らの身体を通してどうするべきかを探りつつ学び のプロセスを進んで、いくよう促す。本稿では,能の稽古の場で用いられる指導言語の役割,効果などについ て考察・検討した結果,「言葉にできない知」や「身体言語」というべき,指導者の学習者への働きかけの 新たな捉え方を見出した。. はじめに. し自然かつ自由に演じることを身につけて行く場 合,「形Ji型」の順に習得が進み,さらにそのず、っ. 本研究の目的は,能の稽古の場で用いられる指. と先にある目標として「わさ1 の習得が目指され. 導言語の意味・役割・効果について考察し,「わ. ていると筆者は理解している 10 能の稽古は,多. ざ言語」を一つの手がかりとして,身体を通した. くの場合指導者(師匠)と学習者(弟子)の一対ー. 学びのプロセスの一端の説明を試みることであ. で行われ,師匠の謡や舞を弟子が模倣することか. る。そしてさらに,能の「わざ」の習得と伝承の. ら始まり,そのやりとりを繰り返すことで「わざ」. 過程の解明への手がかりを探りたいと考えている。. の習得が進み,習熟の域に達していくに言い換. 能において演技の技法や演劇としての能を理解. えると,模倣可能な「形」をまねることを繰り返. 1 1 1.

(3) 中西紗織. し,演技全体のつながりの中で「型」を理解し,「わ. 故に師匠はある「形」を示すのにこのような表現. ざ」の習得につながっていくというプロセスを踏. を用いるのであろうか」という疑問を出発点とし. んで学びが進むと筆者は捉えている。(ただし,. て,比輸によって喚起されたイメージを頼りに自. 能の稽古の場においては,筆者が規定している. 分の知るべき「形」を身体全体で、探っていこうと. 「 形J i型J iわざ」というような使い分けはせず,. するのだという。そして,生田の研究ではこのよ. それらをまとめた概念として型(またはカタと表. うな言語を「わざ言語」と呼んでいる(生田. 記)という語を用いることが多い 30). 93~101) 。. 1 9 8 7,. このように,稽古の場では,弟子は師匠のやる. この「わざ言語」は,しばしば,それが使われ. ことなすことすべてをひたすら見て,それを模倣. る「わさらの世界の人々の間でしか,あるいはもっ. して自分の身体を通して再現することに集中する. と狭い範囲,例えば,ある師匠のもとで稽古を受. ので,多くの場合,動作の手順や謡の音の取り方. けている弟子との問でしか通用しないというよう. などについて言語を介した説明がなされることは. な場合も多い。つまり,学習者はすでに「わざ」. それほど多くはない。それでも,ここぞというと. の世界へ. ころで,師匠が弟子に対してことばによる指示や. らない。これについて生田は,学習者が今まではっ. 指導をすることがある。このような指導言語は,. きりとつかめなかったものが,「わざ言語」をか. 比除的な表現であったり,日常的な言語とは異な. けられることによって,「ああ,そうか」と身体. る特殊なものであったりすることが多く,さらに,. で思い当たるのだと説明し,次のような注意を与. 能の「わざ」の習得を効果的に推し進める性質で. えている。. あるものが多い。. かでの主観的活動を通して身体全体で蓄積されて. i 替入}し何事かを知っていなければな. ilF思い当たる」ための知識が世界のな. 本稿では,生田(1987,2 0 1 1 ) や西平 ( 2 0 0 9 ). いなければ,「わざ」言語の提示は何の行動も促. らの研究を引き,また,現代の能楽師のことばを. さない単なる奇異な表現で終わってしまうのであ. ヲ│いて,実際の稽古の場面に照らして,そこで用. る 。 J (生田. いられる指導言語を分析的に語ることを試みる。. 1 9 8 7,1 0 1 ). 能の稽古においてもしばしばこのような指導言. そして,さらに,「わざ」の習得と伝承の過程の. 語が用いられる。それによって「ああ,そうか」. 解明への手がかりを探り出したいと考えている。. と身体が自然としかるべき動きをとるようにな る。そのことは,筆者の研究の「流れ」の概念と. 「わざ言語」とは. 1- 1 生田久美子の研究より 稽古の場の事例を紹介する前に,「わざ言語」. 関連づけて説明することができる。. 1-2. i流れ」を促す「わざ言語」. 筆者は,大学生対象の能に関する授業や成人対. について述べておく。伝統芸能・伝統音楽の稽古. 象の能の学習プログラム,筆者自身が受けてきた. の場では,師匠は弟子に対して言葉による詳細な. 能の稽古における事例の検討を通して,「わざ」. 指示を一般的にはしない。師匠は,論理的かっ説. の習得過程の解明を試みている。これまでに確認. 明的言語とは異なる特殊な言語を使うことで,弟. できたことは「流れ」を含んだ学びの重要性であ. 子が自らの身体を通してどうするべきかを探りつ. る。筆者の研究では,能の演技における「形」と. つ学びのプロセスを進んでいくように促す 4。生. 「形」との有機的なつながりや,身体の自然な動. 田があげている例を引くと,扇の扱いについて,. きの一連という意味で「流れ}という語を用いて. 「手を右上45度の角度に上げなさい」とは言わず. いる。「流れ」に着目して「わさ、」の習得を見直. に,「天から舞い降りる雪を受けるように」とい. していくことは,能の要素を断片的に扱った「流. うように表現する。生田によると,学習者は「何. れ」のない学びではなく,「流れ」を含んだ能の. 1 1 2.

(4) 能の稽占における指導言語に関する研究. 学びへの基盤を学習者の中に形成していくことを. このような説明は,単なる「形」に関する指示. 導く。このことはさらに,音楽教育において能の. とは異なる性質のものである。 演劇として一番の. 本質から離れない有効な学びのあり方の可能性を. 能全体を考える上で非常に重要な役柄や位への理. 提示している。. 解,その役を表現するにあたっての配慮としての. 「わざ」の習得過程において,「形」の習得は「わ. こういった具体的説明は,「形」の先の「型」の. ざ」の習得への入り口に過ぎない。「形」の習得. 習得に関するものであると理解することができ. た、けに終わらない学びのためには「流れ」が鍵概. る。このような説明は,師匠による身体の動きを. 念となっている。「流れ」が生じることによって,. 伴っている。例えば「すっときれいに. 単なる「形」の連続を再現していた段階から「型」. くっついて先が割れるぐらい」までの間,師匠は. の習得へと動き出す。では「流れ」はどうやって. 丈字通り「きれいに」カマエをつくったあと,「ご. 生じるのか。そのきっかけの一つが,師匠から弟. つくなく」で一旦,大きなカマエを見せてから,. 子に対して用いられる指導言語であり,生田の研. もとの「忠度」のカマエに戻る。弟子(筆者)は,. 究の「わさ守言語」であるといえよう。「形」の習. 師匠の「すっと,きれいに」という言葉によって,. 得の先に次々と目指されていく目標を学習者が達. 「平家の公達のみやびなかたち」と,以前舞った. 成すると,自ずとさらにその先へとプロセスが進. 「清経」の姿をイメージする。このことによって,. んでいく。「わさ守言語」が「流れ」を生じさせ,「わ. この仕舞に相応しいと思える「型」への理解が促. ざ」習得のプロセスを促進する役割を持っている. されるといえよう(中西. と考えることができる。. ( 2 ) 仕舞繍合弁慶キリ〉一一カマ工と長万の持ち方. かかとが. 2 0 0 8,20~21) 。. 次に,実際の稽古の場で用いられる指導言語に 関する具体例をいくつかあげて検討したい。. カマエは,半切とか法被とか着ていますから少 し強めのカマエ O ただ長刀を持っていますから,. 2 稽古の場の指導言語. あんまり広げちゃうとおさまりきらないんで, 手はあまり広げないように。長刀はねかさない. ここでは,稽古の場で実際に用いられた指導言. ように,少し立てて。実際にこれ持ってるとな. 語をいくつかの視点から述べてみたい。ここでの. かなか維持していくのが大変なんです。肘を返. 目的は指導言語を分類することではなく,その役. して, (長刀を)肘につけて,こっち側の肘に. 割や効果に焦点をあてることである。ひとまずは,. つけている感じですね 80. 具体的説明による指示,比輸的表現による指示, 動作を促す指示の三つの視点から考察する。. これもまたは)と同様,「形」の先の「型」の習 得につながるものであり,師匠による身体の動き. 2-1 具体的説明による指示. を伴った具体的説明である。弟子はまず,師匠の. ( 1 ) 仕舞〈忠度〉一一カマ工について. 説明の中の半切(はんぎり)や法被(はっぴ)と いう出立・装束に関する言葉から派手やかな武将. 修羅者ですから,カマエは〈清経〉と同じよう. の姿を想像しイメージする。そして,長万を肘に. だと思ってください。武者ですけれども平家の. しっかりつけて構えることで,手や身体がふらつ. 公達なので,どこかみやびなかたちなので,あ. かないことも身体を通して実感した。怨霊である. まり(筆者説明:足幅を)あけないで,すっと,. が平家の公達という役柄である。この仕舞を舞い. きれいに立っていただいて。足も,あまりごつ. 始める前のこのような師匠の言葉による説明を聞. くなく,踏ん張らないで,少しかかとがくっつ. き,最初の立ち姿を見ることで,役柄や位といっ. いて先が割れるぐらい 70. たものへのより具体的なイメージが浮かぶ。その. 1 1 3.

(5) 中西紗織. ことは,「形」から「型」へとつながっていく「流. 聞をこわし JI時間をくず、す」とはどういうことか。. れ」を生じさせるきっかけとなったといえよう。. 師匠は「理にかなって」動くのではなく,「時間. ( 3 ) 仕舞〈井筒〉一一謡う前の聞について. のなくなっちゃった世界」に動いていると言う。. 仕舞〈井筒〉のちょうど真ん中あたりに,「見. 能の演劇的時間性については,シテがもはや現世. ればなつかしゃ」という謡がある。この場面につ. の存在ではなく,すでに過ぎ去った昔が現前する. いては,他にも重要な指導があったので後述する. ことも少なくはないし, <井筒〉のシテは女の霊. が,師匠は,この謡を歌い出す前に,井筒のすす. であるのだから,「時間がなくなっ」ている世界. きをのけ井筒の中をしっかりのぞき込んで「お腹. にいるということは,言葉で示された表面的な意. の中で,一,二,三くらい勘定して}から,静か. 味としては理解できないことはない。しかし,そ. にゆっくり謡い出すようにと言った。. の世界をどうやって表現し演じたらよいのかとい. 前述したが,生田は,学習者が「何故に師匠は. う疑問と探求が限りなく続いていくのである。. ある「形」を示すのにこのような表現を用いるの. 先に述べたが,こうして弟子は「何故に師匠は. であろうか」という疑問を出発点として,主体的. このような表現を用いるのか」という疑問を持ち,. な認識活動を活性化させていくという。ここでの. この仕舞の部分だけではなく,能全体の「流れ」. 師匠の指示は比峨ではなく直接的かっ具体的で、あ. の中で,物語や登場人物や一つ一つの場面につい. るにもかかわらず,弟子は「何故に師匠はこのよ. て主体的に考え,この能において,師匠が伝えよ. うな表現を用いるのか」という疑問を持つ。そし. うとしているものは何か,弟子が学ぶべきものは. て,疑問を解くカギを探すために,師匠や他の能. 何かということへの意識をさらに研ぎ澄ましてい. 楽師が演じた〈井筒〉でのこの場面を思いおこし,. くことになる。. この場面がこの能においていかに重要かというこ. ( 2 ) 仕舞〈井筒〉一一聞心(きくこころ). とをあらためて認識し,この能全体への理解を深. もう一つ,同じ仕舞〈井筒〉の稽古から,比輪. め,前後のバランスや全体の演技のつながりの中. 的表現によってイメージを喚起している例をあげ. における,この場面の演じ方の可能性を自ら探ろ. る 。. うとするのである。 「寺の」で遠くを見る。「鐘も」で左耳で聴く. 2-2 比目前的表現による指示. ような感じで,伏し日がちになって 11 (下線. ( 1 ) 仕舞〈井筒〉一一シテの謡「見ればなつかし. 筆者). 0. や」後の時間に関するイメージ 「観世流仕舞型付」には,カタの指示として「在 「見ればなつかしゃ」のあとからは,既成の時. 原の寺の鐘もほのぼのと明くれば古寺の……」と. 間をこわしちゃっている j 犬態なので,いわゆる,. いう詞章の「鐘も」の横に赤字で「関心(きくこ. 他のクセゃなんかで,たとえば,サシて回った. J と記されている。つまり,夜が明ける時 ころ ). りというのではなくて,時間がなくなっちゃっ. を告げる鐘の音に耳を傾ける心持ちでというカタ. た世界に動いている。ですから,あまり,理に. が記されているわけであるが,師匠からの指示は. かなって動いちゃうと面白くないんです。もっ. 「左耳で聞くような感じで、」というものだ、った。. と時間をくずす。ゆっくり動いてください 100. 実は稽古でこの指示を受けたその時は,違和感や. (下線筆者). 疑問を持たなかったのだが,よく考えてみれば「何 故に師匠は……」ということになった。次の稽古. 「時間」に関する師匠の説明はまさに生田の研. の折に師匠に質問したところ,「聞心」については,. 究の「わさ寺言語」的表現であるといえよう。「時. 古い「型付け本」の類には,「左ノ耳デ聞ク」と. 114.

(6) 能の稽占における指導言語に関する研究. 記されているということだ、った。 このことについ ては,機会をあらためて調査し追究したいと考え. (筆者,師匠が謡い出したところに声を合わせ て謡う). ているが,これもまた,弟子の認識活動の活性化 を導く,「わざ言語」的な指示であるといえる。 次に,「わざ言語」の「動作を促す」 という性 質に注目してみた。. 声の出し方,語い方に関する指示である。ここ ではまず,強過ぎ,張り過ぎの声のトーンを落と すようにという注意を受けたと筆者は理解した。 さらに,ここでの指示は先に取り上げた「時間を. 2-3 動作を促す指示. こわし J 1"時間をくず、す」というイメージを持つ. 生田は 「わさ寺言語」 の 役 割 や 作 用 に つ い て. て声の演技をするように促す役割も持っている。. “ a c t i o n d i r e c t e dl a n g u a g e "(Howard 1982,47). ただし, この段階ではこれこそ正解というように. という, V ernonHowardの言葉をヲ│いている(生. 弟子がはっきりと認識し納得するということはほ. 1987,9 9 )。筆者はこの a c t i o nd i r e c t e d( 動. とんどないだろう。つまり, 2- 1, 2-2, 2. 田. 作を促す)という「わざ言語」の性質に注目し,. -3に共通して言えることであるが, ここにあげ、. 稽古において用いられる,動作を促す指示につい. た指導は,「形」から「型」への習得をたしかに. て考察した。. 促進するものでありながら,はたしてこのような. ( 1 ) 子どもの稽古におけるサシコミ. 演じ方でよいのかという疑問を弟子に常に抱か. 能の舞の所作単元の一つに「サシコミ」という. せ,よりよい演じ方であると信じられる方法を探. ものがある。 これは,その直後に続く 「ヒラキ」. し求めさせ続けるものでもあり,弟子の認識活動. という所作単元と組み合わさって舞の基本となっ. の活性化を強力におし進める指導言語と言えるも. ている。サシコミでは,扇を持った右手で前方を. のなのである。. 指し示すように上げながら何足か前に出て右足で 止まるという動き方をする。子どもの稽古では, 動き方が大人の場合と異なり,両手握りこぶしを しっかりくっつけて,走り込むようにして前方へ. 3 動作を促す非言語的指導一一意識から無 意識へ. !Iげ. 以上述べてきたことは,師匠から弟子にかけら. んこつーー一!J という声をかける。勢いよく語. れたことばによる指導であるが,稽古の場では指. 尾をのばしている声に誘われるように,子どもは. 導言語とは呼べないような,言語的でない,ある. 細かく足を運びながら前に出る。まさに動作を促. いは,. す指示である。これによって,意識を視線の先に. 伴った」指示というものもある。このような指導. ある握りこぶしに集中しやすいようにして,サシ. についてはどのように理解すればよいのか。. 足を運ぶ。師匠によっては「サシコミー一一. コミという「形」の習得を促しているのである。. 2- 1の( 1 ) ( 2 )で例をあげた「身体の動きを. 山口昌男は次のように語る。. ( 2 ) 仕舞〈井筒〉一一シテの謡「見ればなつかしや」. ことばと芸能という問題を考える際,考察の対 筆者「見ーれーば……」. 象になるべき要素は三つある 一つは狭義の「こ. 師匠「力抜いて! 力抜いて!J. とば」であり,第二は身ぶりであり,第三には. 筆者「はい。 (ゆっくり息を吸って)見ーれー. この二つが融合される文脈である。広義の言語. ・ ・ 」. 師匠「力抜いて!見ーれーばーな一つーかー しーや」 筆者「……れーばーな一つーかーしーや }2. O. という定義では,身ぶりも身体言語として, メ タ言語の一部を構成するから,音声言語と身ぶ り言語の境界を定義するのは時々難しくなる。 (山口. 1991, 4~ 9). 1 1 5.

(7) 中西紗織. 「わざ」の習得において身体に染み込むように. うな過程の具体例として,探り棒や杖を使った歩. 身についていくプロセスでは,声による指示であ. 行をあげ,最初感じられた掌への衝撃の感覚は,. りながら,もはや指導言語とは呼べないものもあ. 繰り返し杖を使うことによって,杖の先端が物に. る。先に述べた「見ればなつかしゃ」の謡で,「力. 触れる感覚へと変化していき,「ある種の翻訳的. 抜いて」という指示はことばによる表現であるが,. 努力のおかげで,無意味な感覚が有意味な感覚に. そのすぐあとで師匠が筆者の謡を打ち消すように. 置き換えられ,もともとの感覚から隔てられてい. 謡い出したことは,山口が「身体言語」と説明す. くJ (ポランニー. るものと重なることであり,能の舞の稽古におい. このことはまさしく源の言う「一つ一つの行為が. ては,しばしば声やことばを用いずに,身体の動. 様式となり型となる」過程における認識の移り変. きだけで,師匠が弟子に対して身体を通して語り. わりを身体感覚の具体例に従って述べたものだと. かけるかのように,指導を行うことがある。また,. いえるだろう。. 2 0 0 3,3 1~32). と述べている。. 弟子が師匠の気配のようなものに突き動かされる ように,身体が無意識に動いていくような感覚を おぼえることがある。これは,師匠の身体の「流. まとめと今後の課題. れ」に弟子が次第に共振して,自らの「流れ」を. 「形」から「型」へと,「流れ」が自ずと生じ. 創造し,「意識」から「無意識」へ滑り込んでい. るようにする役割を果たし,言語化できないこと. くことを可能にしていくプロセスである。. への理解を促し,弟子の認識の変化をもたらすの. 源は,「型」の習得過程における「意識」から「無. に,師匠による指導言語が大いに有効であること. 意識」へということについて次のように述べてい. は間違いない。しかし,稽古の場でやりとりされ. る 。. ているものの核心にあたる部分の言語化はきわめ て難しい上に,指導言語の限界や指導言語では決 個人の行為様式の次元の「型」には「個人的. して伝えられないことがあるということも忘れて. 無意識」が,集団の行為様式の次元の「型」に. はならない。そしてまた,言語による指示が,学. は「集合的無意識」ということが深く関わって. 習者の表現や想像を限定し,学習者の認識活動を. いるように思う。初めはそのような行為様式も. 止めてしまうこともあるかもしれない。これは,. 意識的なものであったろうが,一つ一つの行為. 生田が「わざ言語」の限界について述べているま. が様式となり型となったところでは,それはい. さのそのことである 130 このことを踏まえて,能. つのまにか無意識の次元に滑りこんでいると思. の稽古の場における指導言語の意味や重要性を考. う。そのような状態の行為になったとき,それ. え直していかなくてはならないだ、ろう。. は初めて「型」という名前で呼べるのではなか. 観世銀之亙は次のように語っている。. ろうか。(源. 1 9 8 9, 10~ 1 1 ) 私の忘れられない舞台に,華雪のIT"{中光」があ ただのまんじゅう. j 原が用いる「型」という語と,筆者の研究の中. ります。これは主君である多田満仲から,その. の「型」とは,同じものとして重なるものではな. 子美女丸を討てと命じられた藤原仲光が,迷っ. いが,ここに語られていることは,筆者の研究に. た末に,我が子幸寿を美女丸の代わりに殺すと. おける「形」から「型」への自然な「流れ」が生. いう筋なのですが,主君への忠誠心とわが子に. じることによる認識の移り変わりと解釈すること. 対する慈愛をからませた芝居なのです。. ができるだろう。認識の移り変わりにおける「無. 私は子方の幸寿を演じていて,ついに我が子を. 意識の次元」については,マイケル・ポランニー. 討つという場面になった時の,華雪の目の光と. の「暗黙知」の理論がある。ポランニーはこのよ. いうか,眼差しにすごくリアリティーがあって,. 1 1 6.

(8) 能の稽占における指導言語に関する研究. 「眼光紙背に徹する」とはまさにこういうこと ひためん. のは,ここでは「息遣い J '揺らし方」という言. かと思ったものです。仲光は「直面」ですから,. 葉によって表現され,そのように「いわく言い難. 祖父自身の生きざまとも重なり合い,内面の深. いところ」を身体を通して受けとめる,すなわち. さがじつにリアルに見てとれました。その存在. 体得していくことの重要性が説かれている。. 感は絶対的なものでした。 亡れん亡くだ. 「型」は「形」を包括する概念でありながら,「形」. 手練手管でやった芝居は,見ているうちにどう. イコール「型」ではない。そして,「「型」にふれ. してもトーンが崩れてしまう。音楽でいえば,. るには,現実に誰かがやってみせてくれるのを実. 調子がずれ込んでしまう。いい芝居というのは,. 見するしかない J(小林. やる方も見ている方も,テンションの上がり方. は,実際に演じられることを通してしか,伝わら. が非常にいい形で共有できるんですよ。(観世. ないものである。. 銀之亙. 2000,2 4 6 ). 2004,1 6 5 )。つまり,「型」. 能において人から人へ伝えることついて光森忠 勝は次のように述べている。. 身体から身体を通して伝承されていくものに関 する話である。説明的なことばや指導言語のよう. 演じる技術よりも,能に潜んでいる芸の核心を,. なものではない「眼差し」や「生きざま J '存在感」. 身体から身体を通して,意識の深いところで伝. が,稽古の場面や実際の演技の中で身体を通して. 承しようとしているのではないだろうか。これ. 伝わっていくことに大きく影響することがわか. は能の髄とも魂ともいっていいだろう。もとよ. る。観世銀之亙はまた次のように語る。. り意識では捉えられないから,この核の言語化 はきわめて難しい。それぞれの能楽師が身体で. 演十支上のことを,言葉をもって伝えることを「口. 伝承するしか方法がない。そのため,伝承する. {云」というのです。能の本には「型付」といっ. 手掛りとして型が介在するのだが,型はそれぞ. て,どういうふうに演じるかを書いたものがあ. れの能楽師の身体に宿っているのだから,つま. るんですけれど,それをなぞっているだけでは. るところ人間に行きつく(光森. 2003,1 7 1 )。. 絶対にダメなわけです。稽古している聞に,こ の人はこういう息遣いなんだということをまず. 人から人へ伝えるのは「芸の核心」なのだが,. 自分の体で受けとめ,その上で,口で伝えても. それは「意識では捉えられない } 4ものであり,「こ. らうということが非常に大切なのです。能とし. の核の言語化はきわめて難しい J,つまり観世銀. ての本来あるベースというのは決まっているの. 之亙のいう「いわく言い難いところ」というわけ. です。そこから先の細かいところの揺らし方,. である。. それは物に書いてあったり,計算した上で分か. 先にも述べたが,「芸の核心」にあたる部分は「意. るというのではなくて,いわく言い難いところ. 識では捉えられない」ので,その言語化はきわめ. をその時々で体得していくのです。(観世銀之. て難しい上に,指導言語の限界や言語では決して. 亙. 伝えられないことがあるということは明白であ. 2000,2 2 1 ). いた山口の言う「こと る。しかしながら,先にヲ l 言葉では説明しえないことを身体を通して学ん. ば」と身ぶりが融合された丈脈における「身体言. でいく。「別紙口伝あり」というような言い方は. 語J,あるいは「音声言語」と「みぶり言語」の. 世阿弥の伝書にも時々見られるものであるが,言. あいだにあるものは,指導言語の限界に新たな可. 葉による説明だけで伝わらないものを,稽古にお. 能性をもたらすものではないかと考える。これに. いて伝えてもらうと観世銀之亙は言っている。言. ついては今後の課題である。言語で捉えられない,. 葉による説明や書いたものだ、けで、は伝わらないも. あるいは伝えられないことを考えていくと,あら. 1 1 7.

(9) 中 西. ためて「意識では捉えられない」 こと,即ち「身 昔まえて,「わ 体 」 の問題に行きつく。 このことを E さ 、 」 の伝承における指導言語や 「わざ言語」 の意 味や重要性を考えなくてはならない。. き続き詳細に観察と考察を続けて見直してい く 。. 書1 8 ) 叢文社。. 9 9 ) n学ぴ」の復権 辻本雅史(19. 模倣と習熟」角川. 書庖。 事例分析からの学宵プログラムの開発を通して. 0 0 7年度博士 」東京重芸術大学大学院音楽研究科, 2 学位論丈。 中西紗織 ( 2 0 1 0 ) ,能における『わざ』の習得一一『流れ』 が生じるプロセスに着目して. 「わさ守」の習得において,「身体J i言語 J i伝 承J i型 J i流れ」 といったもの治宝どのように関. 『郵"路論集:北海道. 2号 , 163~171頁。 教育大学説"路校研究紀要」第 4 西平直 ( 2 0 0 4 ),世阿弥の稽古論再考「稚児の身体』と『型』 の問題J ~教育学年報j 1 0,世織書房, 395~417 頁。. わり合っているのか, さらに追究する。. 西平直 ( 2 0 0 9 ) ~世阿弥の稽古哲学」東京大学出版会。. 「身体言語」や「音声言語」と「みぶり言語」. ③. 瀧元誠樹 ( 2 0 0 6 ) ~武と舞の根源を探る j (スポーツ学選. 究. 能の稽古の場における指導言語について,引. ②. 織. 中西紗織 ( 2 0 0 8 ) ,能における『わざ」の宵得に関する研. 今後の課題として以下三点をあげる。 ①. 京 主. のあいだにあるものについて, 「指導言語」 と 呼べるものと照らし合わせながら捉え直す。. 福田真人編 ( 1 9 9 5 ) ~身体の構築学. 社会的学習過税と. しての身体技法」ひつじ書房。 ポランニー,マイケル (2003) 高橋勇夫訳「暗黙知の次元~ ,. ちくま学芸文庫。 ( Polanyi,Micheal1966TheT a c i t. D i m e n s i o n .Routledge&KeganPaul . ). ロ-吉u 田. 付. 光森忠勝 ( 2 0 0 3 ) ~伝統芸能に学ぶ」恒文社 210 源了困(19 8 9 ) ~型 j (叢書・身体の思想、 2),創文社. 本稿は,日本音楽教育学会第40回大会において { 云 筆者が行った研究発表「能における 『わさ1 の 承一一稽古の場での「わざ」言語に注目して一一」. 山口昌男 ( 1 9 9 1 ),ことばと芸能 J ~日本語学~11 月号, 1 9 9 1. VOL.10, 4~9. 頁。. Howard,VernonA. ( 19 8 2 )A r t i s t r y :The Work0 /. A r t i s t s,HackettPublishingCo. と第4 1回大会「能における『わざ』の習得過程一一. 注. 「流れ」と「わざ』言語をつなぐ説明の試み一一」 に一部基づいている。いつもご指導くださってい る観世銀之丞先生に心から感謝申し上げたい。. 1 現時点では以下のように概念規定している。. 「 形 」. 能の謡や仕舞の稽古において模倣の対象. となる形態。具体的に認識,分析,記述できる身体. 日開・参考文献]. 技法。例えば,一つ一つの所作単元。具体例としては, サシコミ・ヒラキ。. 生出久美子(19 8 7 ) n わざ」から知る~ (認知科学選書 1 4 ) 東京大学問版会 o. 能の稽占において ' J I 三」の模倣を繰り返. すことによって習得あるいは教授されていく一定の. 'l田久美子,北村勝朗編著 ( 2 0 1 1 ) ~わざ言語. 感覚の. 共:合を通しての「学び」へ』慶 l 長義塾大学出版会。. 2 0 1 1 ) ,なぜ日本人の舞・踊りは音楽教育と結 伊野義博 ( びつかないか. 「 型 」. 民俗芸能を切り円として J ~音楽教育. 実践ジャーナル」第 8号第 2巻 ,. 6~13 頁。. 表章・加藤周一校注 ( 1 9 7 4 ) ~世阿弥. 禅竹~. J I 三」の意味連関の 演じ方。能全体を通して連なる ' 中で理解され捉えられるもので,目指すべき方向性 を白ずと促す性質を持つ。 ・「わざJ -. ,わざおぎ(俳優 )J の語源としての「神. ! J Iち,神や人を楽し を招(お)ぐわざ」の「わざJ,l (け本思想. 大 系 第2 4巻)岩波書庖。. ませる歌や舞を始まりとしている芸能において常に 目指される自由な表現。従って,身体技能や技術に. 観世左近 ( 1 9 7 4 ) ~観世流仕舞型付」槍書応。. 限る概念ではなく, ' J I 手」や「型」の習得の先に見え. 観世銀之盃 ( 2 0 0 0 ) ~ょうこそ能の世界へ観世銀之亙能. てくる表現のあり方を主体的に追求することができ. がたり~ ,暮らしの手帖社。. 北村勝朗 ( 2 0 0 3 ),スポーツ・音楽・芸術領域における了わ ざ」宵得過程の定性的分析による『教育情報」の解釈」 『教育情報学研究」第 1号 , 77~87 頁。 小林正住 ( 2 0 0 4 ) ~舞踊論の視角~ ,青弓社。. 1 1 8. る能力も合めた概念であり,社会的,文化的,歴史 的背景と深く結びついている。 2 生田は,この過程を模倣. 繰り返し…習熟のように. 図式化し,学宵者がなすことはただ模倣と繰り返しの 連続」と言っている。(生田. 1 9 8 7,1 8 ).

(10) 能の稽占における指導言語に関する研究 3 丙野春雄・羽出利編『能・狂言事典~ ( 19 8 7 ) による 3 0 1 と,型とは「所作単元または,ある特定の演じ方 J (. の「離脱~J は,このようなことへの貴重な不峻に富ん. でいる。(瀧本. 2006,45~46 , 166~167). 頁)とある。また│司事典の「所作」という項目におい ては,所作単元の具体例として,シオリ,シカケ,ヒ ラキなどがあげられている ( 2 7 9頁)。しかし. i所作」. (釧路校講師). または「所作単元」は主に耐究分野において刷いられ る用語であり,精古の場では通常用いられない。 4 このことについて,創作和太鼓作曲家・指導者の佐. 藤三昭は「しむける言葉」という考え方によって「私 がいろいろな言葉で奏者に働きかけるのは,奏者自身 に考えさせるための『しむけ」で、す」と述べている(生 田,北村. 5 津田は. 2 0 1 1,243~271) 。 iわざ」世界への潜入とは,師│売の示す「形」. を弟子が模倣する段階において,まずはその「形」だ けでなく,そこにおかれた自分の状況も含めて「善い もの」として同意し,稽古場での人や物との関わりも 合めたその世界全体のリズムと白らのリズムをエント. e n t r a i n )させ始める出発点に立つことであると レイン ( 説明し,その重要性について. ~í わざ」から知る」の中. で繰り返し述べている。. 6. i流れ」という考え方について世阿弥は『曲付次第」. に「音曲の連声は流水の地体に従ひて行がこ、とし J( 表 ・ 1 9 7 4, 1 5 3 ) と記している。また,西平直は世阿. 加藤. 弥の伝書の巾の逆説について, i<流れ〉をせきとめる型」. <流れ〉を促進させる型」という「型の機能」によっ とi て論じている(西平. 2004,407~412) 。筆者が「流れ」. という語を使ってみようと思ったのは以上のことから である。「流れ」という概念については再考を続けたい。 7 2006年 8月2 5日,観世銀之丞師の稽古(仕舞〈忠度}). より. 0. 8 2009年 8月 4日,観世銀之承師の稽古(仕舞〈船弁慶}). より. 0. 9 2009年 4月 2日,観世銀之承師の稽古(イ十舞〈井筒}). より。 1 0 2009年 4月 9H,観世銀之丞師の稽占(仕舞〈井筒}). より。師匠はまた,この仕舞の最後の詞章「夢も破れ て覚めにけり」のところの足拍子によって,これまで なくなっていた時間がまた動き出すのだと説明した。 能〈井筒〉の時間性については,機会をあらためて論 じたい。 1 1 同上。 1 2 2009年 5月2 6日,観世銀之承師の稽古(イ十舞〈井筒}). より。 1 3 生出は「詳細な指ぶは,学習者の身体全体を通して. の認識活動を活性化する力は弱く,むしろそうした活 動を固定化させてしまい可能的世界を切り聞かせにく い」と指摘する(生出. 1 9 8 7,1 0 2 )。. 1 4 ここでは詳しく取り hげないが,瀧元誠樹の説明す. る「エクスターズするく身体>J, i~意識的自己」から. 1 1 9.

(11)

参照

関連したドキュメント

注5 各証明書は,日本語又は英語で書かれているものを有効書類とします。それ以外の言語で書

では,この言語産出の過程でリズムはどこに保持されているのか。もし語彙と一緒に保

Aの語り手の立場の語りは、状況説明や大まかな進行を語るときに有効に用いられてい

この 文書 はコンピューターによって 英語 から 自動的 に 翻訳 されているため、 言語 が 不明瞭 になる 可能性 があります。.. このドキュメントは、 元 のドキュメントに 比 べて

用 語 本要綱において用いる用語の意味は、次のとおりとする。 (1)レーザー(LASER:Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation)

しかし,物質報酬群と言語報酬群に分けてみると,言語報酬群については,言語報酬を与

関西学院大学手話言語研究センターの研究員をしております松岡と申します。よろ

今回の調査に限って言うと、日本手話、手話言語学基礎・専門、手話言語条例、手話 通訳士 養成プ ログ ラム 、合理 的配慮 とし ての 手話通 訳、こ れら